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浅野琢也の雑記帳36 2020年 11月03日〜02月07日

あさのたくやのざっきちょう TakuyaAsano Web 令和2年〜


2021年 2月07日

『モルエラニの霧の中』(2020年) 坪川拓史監督作品を観た。
第1話・冬の章「青いロウソクと人魚」は、水族館とクラゲ
とボトルメールが印象的だった。クラゲは、死ぬと水に帰る、
という説明で看板に水母と書かれていた。クラゲに孵化した
ばかりの小エビを餌として与える水族館のバックヤードなど
普段は見られない場面なので興味深く見られた。
少年と母親が不思議な感じがした。母親は、青いキャンドルを
作っていた。
室蘭の砂浜にも泣き砂があり、砂は悔しいから泣くのと少年が
聞いたのも印象的だった。第2話・春の章「名残りの花」では
小林写真館で、写真館の主人が倒れて入院する。意識が
戻らず東京の息子に電話連絡が入り桜の木の下で撮影する
予約を同じ建物でキャンドルショップを営んでいる女性が
写真を習っているので代わりに撮影する。未受収の写真が
残っているので、写真の主を探して渡そうとする。この
写真は、何十年も前の物なので、写っている人を知って
いる人の殆どがすでに亡くなっている。この写真が、この
後のストーリーに関係してくる。第3話・夏の章「しずかな空」
室蘭の港に世界一週の豪華客船が寄港するので、町で
もてなす事になる。合唱のサークルと和太鼓のサークルが
あり最初は、和太鼓の代表が会議に出席していなかったので
合唱に決めてしまう。
第4話・晩夏の章「Via Dolorosa」で中学生の少女が亡き
父親と親子遠足で小学生の時に来た科学館を訪れる。
さくらんぼの木を探そうとする。科学館の人が後日、さくらんぼ
の木(バラ科)と植樹してくれる。科学館にD51が展示されていて
写真館の主人の息子が科学館にD51が運ばれて来た写真を整備して
いる人に渡していて人との縁が繋がっている。中学生の女の子は、
母親が再婚する関係で町を去る予定だ。
第5話・秋の章「名前のない小さな木」は粗大ゴミの回収業者が
女性からピアノの廃棄を依頼される。
海に持っていけば解るという依頼だ。海にはピアノの椅子と
小さな木があった。重いピアノを二人で運ぶのは無理だ。
馬を連れて来て引っ張る場面があった。名前の無い小さな木
という童話を燃やしている場面がビアノの側の小さな木と関連
づけされているみたいだ。第6話・晩夏の章「煙の追憶」では
科学館の植物園とD51の展示が改装工事で廃止される事になる。
頭を打って気絶して怪我で入院して病院の屋上で工場の煙突から
出ている煙が汽車みたいという会話があり製鉄の町として続いて
いる事に気が付いた。
住んでいる家が倒壊する危険のある地域に老夫婦が住んでいる。
妻は、昔、小学校の教員をやっていて、現在は認知症なのか意思
疎通が取れないみたいだ。ヘルパーさんが港に散歩に運ぶケアを
しているが結婚した後で旅行に行く前の日に病気になり記憶が
旅に出る前の日のままらしい。なかなか立ち退きに応じない理由
は、その事みたいだった。映画の終わりに客船の歓迎で合唱団が
歌を歌う事で、ストーリーがつながる。
第7話・冬の章「冬の虫と夏の草」では、老人ホームから毎年、
同じ季節に無断で、外出する老人がいる。樹医をしていたらしく
桜の木に、むしろを撒いて冬の寒さから木を守っている。
毎年、桜の木の下で写真を取る写真館の常連客と戦争で死んだ
男との関係がおり戦前に木を守ってほしいと言われて死んだら
灰を桜の木の周りに撒いてほしいと頼まれ、花咲かじいさんで
無いというやりとりの回想場面があった。亡くなった妻の遺骨を
撒いて、この木も寿命だし自分の寿命も近いという。
住んでいた家に冬虫夏草が瓶に保存されていた。虫が可哀そうと
言われて、キノコとセミの幼虫は、地中で何年も共存していて
セミになる瞬間に殺す事で冬虫夏草として共存を続けようという
事らしい。セミになったら7日で死んでしまう。
失われる命を別の形で残すという事らしい。そして母親が再婚する
少女と列車で旅立つ日に選別に冬虫夏草をブレゼントしてくれる。
一話から七話になっているが原作がなく初めて鑑賞した映画なので
記憶が正確でないので、順番が違うかも知れないが三時間の長編で
インターミッションが入る映画だった。「夏の名残のバラ」というアイルランド
民謡とさくらんぼ(バラ科)で、桜の木と季節の変化や年月の流れを伝えて
いるのかも知れないと思えた。映画の上映時間は、七人の侍と同じ時間で
風と友に去りぬより短いらしい。時間の流れで消えていく物をアニメの
夏目友人帳みたい感じで見せてくれる作品だった。坪川拓史監督の
作品は、美しき天然・アリア・ハーメルンと同じ雰囲気が共通して
いる。時間の流れが、ゆっくりしているが完成まで何年もかかるので
俳優の大杉漣さんや小松政夫さんは、映画の完成前に亡くなっている。
室蘭には、円形の校舎やメリーゴーランドや観覧車がある事は、
知らなかった。坪川監督の作品は、絵画のような構図や音楽など
見過ごしてしまいそうな美しい物を、映画で見せてくれる。
ストーリーの流れと風景や時間の流れが特徴的だ。次に新作を
鑑賞できるのは何年後なのか予測できない。上映館が少ないので
鑑賞して良かったと思う。空間芸術と時間芸術が融合したアート
フィルムとして観るのも面白い作品だった。「モルエラニ」は、
アイヌの言葉で「小さな坂道をおりた所」という意味だ。
室蘭に霧が出るのは、釧路みたいな港町だからなのかも知れない。
函館港イルミナシオン映画祭のオーディエンスアワード(観客賞)
を受賞している。合唱団の子供達も大きくなったら旅立っていく
人と町に残る人もいて、海外から来た海外留学してホームヘルパー
の仕事をしている人は、街の香りが懐かしいと感じたらしい。
人間は、臭いの記憶が一番残るらしい。空気感を上手く表現する
坪川監督らしさをセリフに込めて伝えたと感じた。
新型コロナで、生活様式やビジネスモデルが変化する中で消えていく
物事がある中で、新しく産まれる物事もあると思うが、世界規模で
変わっていく過渡期になると思った。室蘭が空襲を受けた事を知ら
ないと防空壕が現在も残っていて戦後、何儒年も経過して家が崩壊
する危険が出る話など気付かないままになると思う。何年も住んで
詳しく調べて作った映画だと感じた。



2021年 1月30日

『大コメ騒動』(2021年) 本木克英督作品を観た。
映画は、海岸で、重い米俵を運ぶ仲仕(ナカセ)の女達の場面から
始った。時代背景は、1918年(大正7年)だ。場所は、富山県
の魚津港だ。現在では、コヒヒカリで有名な土地だがこの時代は、
北海道に米を船で輸送していた。その為に港の女性が港湾労働を
している。そして日銭を稼いで米を買う暮らしだ。一日分の米と
日当が同じだとギリギリ生きられる状態だ。夫が出稼ぎに何か月
も留守にしている間も子供を育ててキツイ労働をして家庭を守っ
ていた。しかし女性は、男性と同じ権利が与えられていない時代
で婦人参政権は、かなり先の時代に出来た。シベリア出兵
の前らしく軍隊が兵糧として大量の米を必要とするみたいで
米の値段が、高騰していく。そして働いた給金で日々の米を
買って生活を維持できない状態に港で働く全員がなってしまう。
夫が漁で何か月も帰らずに出たりになったり出稼ぎに出て音信
不通になっても日銭を稼ぎ帰りを待っている港の女達は、女房
達が助け合って生きていた。女性達の長老みたいな役割の「清ん
さのおばば」が、まとめ役になっていた。主人公の松浦いとの
夫の松浦利夫は、母親の松浦タキと女房と子供を残して遠くで
漁をするために旅立っていった。映画の終わりに無事に帰って
来るが、何年も音信不通で安否不明で死んだのかも知れないと
思いながら映画を観る感じの話の流れになっていた。この状態
を、「あさらめなはれ」と鼻歌を歌いながら観察している眼鏡
の男が登場するが映画が終わる時に富山新報の主筆みたいな男
だと原稿用紙のアップで気が付くラストだった。この騒動を、
取材に大阪の大新聞の記者が取材に来て、問題が大新聞の表現
で、誇張されて全国規模に拡がっていく。記者が送った記事を
衝撃的な内容に編集長が新聞が売れるように曲解して表現が誇張
されたのが原因みたいだ。港で働く女房達は、大勢で、米屋や
米の貿易商の黒岩仙太郎の所に米が高くなりすぎて買えなくな
ったので、何とかしてほしいと言う事を訴えに行っただけで、
暴動を起こした訳でないみたいな流れだ。貿易商は、警察署長が
若い時に野垂れ死にしそうな時に助けたみたいで、自分の手下
みたいに利用できていた。その流れで女達が大勢で貿易商の
黒岩仙太郎の屋敷に向かって歩いて向かっている時に、港で
働いている大人しい平次郎が女達に誘われ付いて行くと、男性
が1人混ざっているので、見せしめに警察に逮捕されてしまう。
その為に、松浦いとのグループが警察に平次郎を取り戻しに行き
「清んさのおばば」と一緒に行動する隊列から抜けてしまい交渉
は、失敗に終わる。その事が小さく新聞に掲載され大阪の大新聞
の編集長が記者を派遣して詳しく取材させる。そして寺小屋みた
いに子供に読み書きや算術を教えている女性の学校に滞在して
いる。そしてシベリア出兵の可能性が高くなると米が更に高騰し
女達は、米屋に交渉に行く。その時の記事を記者が大阪に送り
電話で編集中が投石はあったか、と聞かれて松浦いとが石を掘り
に投げ込んで水の音で、子供が水に落ちたと叫んだ事を投石と
伝えてしまい更に、何人かが転んでドアが外れたのを建物の破壊
と伝わって新聞の号外が出てしまう。その二回目のデモの時に、
「清んさのおばば」が警察に逮捕交流されるが、留置場で何も
食べず水も飲まず餓死しそうになる。警察は獄死されると面倒だ
と判断して医者を呼んで半死の状態で釈放する。この時代の警察
なら拷問して殺してしまう事もありそうな時代だが、事情や状況
も分かり切っているので知り調べもしないで拘留だけしていたの
かも知れない。子供が死んだ事でニュースは、大きくなり社会主義
の運動家が演説している場面で「清んさのおばば」は、回復して
大勢の女達と貿易商の黒岩仙太郎の所に向かう。流石に日本中に
新聞で報道されて日本中で、コメ騒動が起こり政府は、戦争を続ける
為に国民生活を守る為に米の価格を高騰しないようにする。
飢えないように米の配布も行った。女達が家族を守る為に上げた
声が新聞の報道で増幅されたみたいな流れに感じられた。
この時代は、新聞を全員が読める状態でないが新聞の報道で事件が
誇張されたみたいだ。現在ならネットで炎上したような現象なの
かも知れない。映画の最後の行列が結婚式なのか葬式なのか判断が
出来ない感じだった。機会があったら見直して確認したいと思う。
2021年に公開された映画を久しぶりに鑑賞できたが初見なので正確
に記憶出来なかったが約100年前に起こった過去の事象と照らし合わ
せて考えるとスペイン風邪が流行した時代でもあり結核は、不治の
病だった。港の女達は、食べる事に精一杯で、病気になっても医者
にかかれず死んでいた時代だと思われる。住む家は、維持が出来て
いたみたいで、家賃や水道や光熱費は、電気が無いのでかからなか
ったと思われる。松浦いとの小さい息子は、軍人になって給料を
稼ぎ家族の生活を支えると言い出すが家族で思い留まらせる場面が
あった。祖母の夫は、漁に出て死んでしまい稼いで妻や子を食べさ
せる事が出来ず残された自分が働いて養ってきたので死んだら何に
もならないと言う事を伝えたみたいだ。戦死や戦病死で遺族年金が
無い時代なので切実だったと思われた。2021年の現在も子供食堂が
新型コロナで開けず米や食料を配布するニュースを目にする状態だ。
児童虐待や子殺しのニュースに衝撃を受ける。100年前より科学技術や
社会インフラは、発達したが女や子供が生きるのは大変大変な状態に
戻ってしまったのかも知れない。鑑賞する前に現在の社会本題に
注目しておき100年前と比較して考えると面白かった。
自助が出来ない時に団結して共助でも無理な場合は、公助を機能させ
るには、政治家や行政に問題完結しないと国民生活が出来ず国力が
下がり戦争処でない事に気が付いてもらい。解決してもらうしかない
という流れの映画で面白かった。この映画でコメの価格の高騰の原因
になったのは、米が寒くて収穫出来ない北海道の開拓政策は、石炭を
燃料にして工業力や蒸気機関車を使い国内で鉄道輸送が出来るように
する事や国土を拡大して海外に植民地を増やす為に軍隊の近代化を
推し進める大きな流れがあったと思われる。工場労働は、絹糸の紡績
工場で工業製品の大量生産と物流のインフラを整える過渡期だったと
思われる。社会システムが変化する時には、変化に合わせた制度設計
をしないと国民生活の維持が出来なくなる。問題が大きくなり解決策
が作られるまで時間がかかるが、国民生活が破壊されては開拓制作も
植民地の拡大も出来ない。兵糧を作り運ぶ兵站も出来なくなる。
大正時代のこの事件から昭和になると配給や価格統制で戦争が出来る
制度が作られたのかも知れない。大英帝国の植民地政策を参考にして
豊国強兵を目指そうとしていた時代だと思われるが20世紀の終わり
には、イギリスから植民地が独立した。沢山の植民地を維持して大き
な国を維持して収益を得る事が難しくなったみたいだ。日本の場合は
第二次世界大戦の後に東京に一極集中する社会になったがグローバル
化で安い人件費の国に工場が移転した。新型コロナが世界的に蔓延し
た状態で往来に制限があるが、この先に、どうなるか考えても予測は
難しい。日本は東京に一極集中してから人件費の安い過疎地に工場を
作り雇用を生み出したが海外の方が人件費がもっと安く日本から工場
が移転した。そして日本に残った工場は、技能実習生を日本に招いて
いたが感染症で海外との往来が制限されて影響を受けている。
リモートワークで地方移住が可能になるとしても何が良いのかは、
新型コロナが収束して勤務形態とライフスタイルが落ち着いてから
より最適な答えがみつかると思う。それまで無事に過ごす事が大切だ
と思う。一年前は、ダイアモンドブリンスで未知の感染症が出たと
言う状態で、往来は、小型の船で対応していた。大コメ騒動の米を
届ける大型船と米を積み込む小舟の場面が似た印象を受けた。
大きな船が接岸出来る港が整備されていない時代だ。現在なら重機
でコンテナを接岸した船に積み込み大量輸送が出来るようになって
仕事の内容も変わったと思った。過去に起こった事と現在に起こって
いる事を比較して考えるのに良い機会になった。
米騒動の発端となった越中女房一揆を映画で知る事ができた。
現在は、人と人の交流が難しいので、米騒動みたいに大勢が集まる
事は、出来ないが何か別の方法を考える必要があると感じた。
米屋が、こっそりと米を安く売って分断させたり夫の仕事を、続け
させる為に抗議に参加するなと内部から分断したりしても長くは、
続けられない。社会の流れを変えるキッカケは、小さな違和感に
気付いて問題に気付く事だと感じた。山姥みたいな「清んさのおばば」
は、インパクトがあった。この映画の主題歌が米米CLUBの「愛を米て」
は、シャレが効いていた。



2021年 1月24日

『どん底作家の人生に幸あれ!』(2019年) アーマンド・イアヌッチ
督作品を観た。映画は、演壇て、朗読するデイヴィッドの姿で始り終
わる。チャールズ・ディケンズの長編小説デイヴィッド・コパフィー
ルドの物語の、あらすじとディケンズが少年期から青年期に経験した
伝記の二本立てみたい感じで、現実の生活と海辺にある空想上の船を
逆さまにして家に改造した想像上の生活の二つが混ざった感じで進行
しているみたいだ。工場で児童労働させられて瓶詰の作業をしている
場面は、靴墨を詰めていると思われる。ミコーバーが借金を返済出来
ずに債務者監獄に入れられる話は、チャールズ・ディケンズの父親が
債務者監獄に収監された事から作品に登場しているみたいだ。
この時代は、ビクトリア時代で合成染料が発明された時代なので、映
画に登場する衣装がカラフルだ。服をドバーやサビル・ローで仕立て
たと言う会話が登場する。注意して見るとカラーとラペルの、つなぎ
目のゴージラインの間のディールが少し開いているジャケットを着て
いる事に気が付いた。ナポレオンカラーとテーラードジャケットの過
渡期なのかも知れないと感じた。この時代は、1833年にアメリカ合衆
国が債務者の収監を廃止した。詐欺、慈善事業、離婚慰謝料の未払い
などの債務者を収監していたらしい。イギリスでは、1869年の債務者
法で、債務者の収監が廃止された。ミコーバは、借金を返せず執行官
に監獄に収監されて、大学教授を解雇される話があったが時代背景の
関係みたいだ。ユライア・ヒープに書類のサインを偽造されて財産を
奪われて、アグニスが証拠の書類を、発見して財産を取り戻したりす
る場面やカンタベリーで、ウィックフィールドや大叔母のベッツィ・
トロットウッドや凧揚げで、言葉を空に上げる法廷弁護士のウィック
フィールドやセイレム校の同級生のジェームズ・スティアフォースが
エミリーと駆け落ちする場面は、船で嵐の海に出てエミリーが死んだ
話と馬車で駆け落ちして、娼婦になっているのを発見される二つの物
語があり分かりづらかった。ディケンズの作品のクリスマス・キャロル
は、「第一の幽霊」が(過去)「第二の幽霊」が(現在)「第三の幽
霊」が(未来)を見せてくれるのと幽霊のキャラクターが異なるので
時間軸が分かりやすい。パラレルワールドみたいに劇中で、話が進行
するので、初めて見たので難しかった。『デイヴィッド・コパフィー
ルド』は、小説を読んでいない。読んでから映画を鑑賞した楽しめる
と思う。ディケンズの作品で小説を読んだ事があるのがオリヴァー・
トゥイストとクリスマス・キャロルの二つで大いなる遺産は、映画を
鑑賞しただけだ。デビッド・コパーフィールドは、第二次世界大戦の
前に何度か映画化されているが、鑑賞する機会が無く1999年にBBCの
テレビドラマが作られている事も知らなかった。運には、浮き沈みが
あるが運が尽きる事もあるというセリフにユーモアを感じた。
産まれる前から、女の子がほしいと言われ母親が再婚した義父の
マードストンから勉強を、教えて出来ない事を口実に激しい虐待を
受けてミコーバーと暮らして瓶詰め作業をするが母親が死んで
カンタベリーに行き大伯母ベッツィ・トロットウッドとウィック
フィールドと出会うまでの幼少期から少年期までの不遇な状態が
印象的だった。乳母のクレアラ・ペゴティが愛情を注いだので、
ベーシック・トラスト(基本的信頼感)が獲得出来て何とか青年期に
大叔母のベッツィ・トロットウッドと暮らすまで耐えられたと感じた。
子供の虐待が21世紀になり犯罪と認識される時代になったが、
ディケンスの時代には、問題にされなかったみたいだ。オリバー・
ツィストでも孤児院の子供を主人公にした作品で問題提起している。
日本では、児童虐待の影響で成人した後でもトラウマが人生の悪影響
になる事が最近になって分って来たみたいだ。高齢になってから第二次
世界大戦の記憶がトラウマとして感じる人がいるので、幼少期から
少年期の経験は大きいと思う。映画は、演壇で始り演壇の場面で終わり
物語の登場人物が観客で聞いているラストなので、面白い終わり方だった。
静かなグランドフィナーレという感じで映画は終わった。



2021年 1月17日

『キツツキと雨』(2012年)沖田修一督作品を観た。林業で働く人が
多い山村にゾンビ映画の撮影隊が、やって来る。木こりの岸克彦とv
新人監督の田辺幸一との交流を描いていた。木こりの岸克彦は、
2年前に妻を亡くし監督の田辺と同じ位の息子がいる。
ゾンビ映画に猟友会の連絡網を使って地元の村人がエキストラになり
竹槍で夫をゾンビに殺された女性達になったり川から木の箱に入った
ゾンビの幼児が流れてくる場面などの撮影に参加して協力してくれる。
ロケ弁に三色団子が入っている場面で、映画を成功するまで甘い物を
断つ場面があった。岸は、撮影の協力に気を取られてしまい妻の三周忌を
忘れてしまっていた。
家に戻ると木こりの岸克彦の息子が三周忌の準備をやってくれていて、
親戚が集まり無事に三周忌が出来た。
新人監督の田辺の親は、旅館を営んでいる。親にビデオカメラを
買ってもらった事が映画監督になるキッカケだったらしい。
ベテラン撮影監督の篠田が段取りをしてくれているが、決めて指示
を出すのは若手で新人の田辺だ。この映画では、不慣れな、ぎこち
なさを感じたが監督として成長していくと思う。
木こりの岸は、映画のロケが終わると今まで通りの仕事に戻る。
岐阜県恵那市岩村町にある明知鉄道明知線の岩村駅で撮影のプレッ
シャーなのか監督の田辺がホームに落ちて助監督やスタッフに
助け上げられたりする場面があった。
クランクアップが近づいてきた時に、どしゃ降りの雨になり撮影が
出来るか迷っていると岸が、この雨は、晴れると教えに走って来て
雨が上がりゾンビと村人の戦闘場面の撮影が出来る。そして撤収に
なると又、雨が降って来る。短い晴れ間のタイミングを利用して
撮影が終わる。岸の息子は、三周忌を無事に終わらせて林業を継ぐ
ことになったみたいだ。岸の作った木のディレクターチェアが砂浜
に置かれて監督の田辺が座って椅子が残される。岸は撮影が終わり
今までどおり木こりの仕事をしている所で映画は終わった。
父と子の関係や仕事の継承など考えさせられる映画だった。
映画の流れは、坦々としていて大自然の時の流れを感じた。
沖田修一監督の作品で『南極料理人』は、食べ物が見られて面白い
と感じた。この映画の後に作られた『WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜』
や『カメラを止めるな』に影響を与えている可能性がありそうだ。



2021年 1月 7日

『約束のネバーランド』(2020年)平川雄一朗督作品を観た。
マンガからテレビアニメが作られて実写化され劇場公開され
た。グレイス=フィールドハウスという孤児院が、孤児院では
なくて食用児を、育てる農園で、裕福な人喰い鬼が食べる為に
育てられている事が、里親に引き取られるコニーが宝物にして
いた縫いぐるみの人形を忘れていき届けに行ったエマとノーマン
がトラックの荷台で胸に花を杭みたいに刺されて殺されている
コニーの死体と鬼と話しているママと呼んでいるイザベラが
話をしている姿を見てしまう。門に行った事や秘密を見た事を
隠して脱出の計画を立てる。エマとノーランの2人が門まで人形を
届けに行った事を知っているレイには、話したらレイは、施設の
秘密を知っていて更に、ドンとギルダも脱出の仲間に加える。
仲間に加える時に、ロープの隠し場所をノーマンが三か所にして
ドンとギルダがイザベラのスバイでないか違う場所を伝える。
スパイだったのは、レイだったが二重スパイとして協力をして
もらえる。この動きに気が付いたイザベラは、監視を強化する
為にクローネを増員する。イザベラがマザーでクローネがシスター
で、クローネは、イザベラが失敗して自分がマザーの地位になる
為にノーマンやエマに協力しようとする。フルスコアの食用児が
脱走するとイザベラが責任を取らされて失脚したら後任される
目論見だった。クローネには、施設から出ると心臓が止まる装置
が埋め込まりていて胸に大きな傷があった。予告編では、首に
番号が入っている場面があり食用児として育てられていたが監督
する側になったみたいだ。耳の発信機の話をして、誰も耳を触ら
なかった事から、発信機の事を全員が知っている事に感づき
発信機を壊す機械まで作っていると探し出そうとする。ブタの
縫いぐるみを一度探したので、一度探した場所を二度探す確率は
低いと床下から豚の縫いぐるみに隠す。クローネは、解任されて
別のプラントに移動だと呼ばれて門の所でコニーこたいに鬼に
殺されてしまう。イザベラが1人で大勢の子供の世話をしている
事が、現実世界の保育園や養護施設では、実の親が三歳までは、
愛情を、注いで育てないとベーシック・トラストなどが育まれず
精神に影響が出やすく愛情飢餓になりやすいと気になってしまった。
大勢の子供達の食事の用意を子供達が手分けして行ったり洗濯や
掃除を子供達の手で行っていたとしてもイザベラ以外の大人が
調理やリネンの洗濯などの納入や建物や備品のメンテナンスなど
で他の大人も関わっているのが自然な気がする。
ランタンは、液体燃料を使っていたが耳の発信機や懐中時計型の
受信機など電気を使った技術が発達している感じがするがプラント
を管理する本部との通信に昔のショルダーフォンみたいな大きさ
のトランシーバーを使っていたり里親に引き取られた子供に手紙
が欲しいという会話で自由に有線の固定電話も使える環境に無い
程に管理されている感じを受けた。数学の勉強には、タブレット
端末みたい機器が与えられているので、人間と鬼の世界がどう
なっているのか続きが見たくなる映画だった。
ポラロイドカメラで記念写真を写す場面で耳の発信機を電気ショ
ックで破壊する器具の部品が揃うとか図書館のミネルバの蔵書に
モールス信号が梟の周りの円のカスレに隠されているとか漫画を
見てアニメも見ていたが忘れていた部分などを映画を観る事で
再認識できて、漫画やアニメを見ていない人にも分かるように
工夫していると思った。子供の出荷年齢が12歳から映画では
16歳に変わっていた。セリフが多いフルスコアの子供の役を
12歳の子役に演じてもらうにはハードルが高いみたいだ。
クローネが鬼に殺されたりイザベラが産んだ子供が胎児の時から
の記憶が残っているレイが自分と死んだ父親しか知らない子守唄の
メロディーを口ずさんでいる事で気が付くラストは、フェリーニの
『道』を思い出す感じがした。施設に火を付けて耳から取り出した
発信機と肉を炎の中に置いて焼身自殺したと思わせる場面などは
骨が残らないという疑問より燃えている時に肉が焼ける臭いが
する事で、消化作業で子供が焼けているので救出や消火に神経を
集中させているタイミングで大勢で門でなくロープとハンガーを
使って崖の距離が短い場所から脱出を成功させるまでの話だった。
施設から脱出したら鬼と人間が住み分けられている世界に出る
話で謎が解けていくと思う。続編を出来たら鑑賞したいと思うが
次は、何年後なのか気になる。実写版に出演している子供が成長
する時間と続編が作られるペースなど大変みたいだがハリーポッター
は、何本も作られているから無理では無いと思う。頭の良い子供の
脳みそを食べる事が出来る鬼は、頭が良くなるとか鬼の世界にも
格差が固定しているみたいな会話があった。脳内麻薬には、β-
エンドルフィンやドーパミンなども作られるらしい。
鬼たちの食べたいのは、賢く健康な食用児の脳みそらしく脳内麻薬
を、食べたい訳でないのは、出荷される門の前で殺してしまう場面
から魚の活〆みたいにして食品加工している感じなのかと思った。
養殖の動物より野生の動物を狩りで仕留めると逃げている時に
アドレナリンが作られて肉が美味くなると貴志祐介の「クリムゾン
の迷宮」という小説で読んだ事を思い出した。特殊な状況になると
脳内で天然の麻薬になる物質が作られるらしい。喜怒哀楽恐など
感情にメリハリが必要な時と、穏やかな時間が続く状態の両方の
バランスが大切という事なのかも知れないと思った。約束のネバー
ランドの生成りの制服の前立てがシャツのヘムラインを短くして
着丈を短くしたみたいたが長いまま残したのが気になった。
スボンから出して着る裾が弧を描いているシャツは、裾の下に
ボタンが取り付けられていた時代があり、股下で閉じて着ていた
頃の名残らしい。裾が長いので、背中を丸めて裾が飛び出さないと
いう利点もあったとか、下着を兼ねていたとか何かで読んだ気が
する。アロハシャツのように裾が水平のシャツは、裾を出して着る
シャツなので分かり易いが裾がワイシャツみたいに丸いと中に入れ
て着る事が多い。
両方の中間みたい裾ヘムで前立てが長いままだけどディテールが
変わっていると思うが、白っぽい服を着て遊ぶと汚れないのか気に
なった。原作も白だけどチノクロスの生成りだと自然な感じに
見えたように思えた。続編が出来たら世界観がハッキリするが
閉鎖された施設の中の物語より映画のスケールも大きくなり
そうだ。児童虐待のニュースが増えているので、出来れば目に
したくない気持ちも残るがフィクションだと割り切って続きは、
見て詳しく知りたい映画だった。イザベラがレイを産んだが
自分が生きられない世界に妊娠してレイを産み落とした事が
シヨックなのと避妊や堕胎が出来ない状況だったのかも知れない
と同情もしてしまった。設定年齢が12歳から16歳に変わった
ので第二次世界大戦の少年飛行兵の募集年齢を考えた。
戦争で死ぬことが目的でも沢山の子供を産んだ時代もあった。
時代と境遇を受け入れてイザベラやクローネみたいに生きるのと
エマみたいに未知の世界に「居場所を作る」という冒険的な考え
は、対局なのかも知れない。色々と考えさせられる物語と世界観
なので続きと結果を知りたいと感じている。『スカイクロラ』と
いうアニメでは、戦って死ぬだけに作られたキルドレという少年
が登場していた。デストピアやユートピアは、紙一重なのかも
知れない。ホームから抜け出して知的好奇心を満たし自由を
得る旅に出た子供達の世界がどんな世界なのか、漫画やアニメで
続きを見たい。進撃の巨人も壁の向こうを調査する話だったし
我々が生きる地球も長い時間をかけて人類が移動して世界各地に
住みついた。高速で長距離の移動が容易になりグローバル化で、
様々な国との往来も盛んになったが新型コロナで難しくなった。
公共の場でマスクが必要な状態が続きそうだが2000年には、
ネクタイが必要だった。時代や社会環境で変わる。変化を予見
する為にフィクションの世界の物語を知っておくのも役に立つ
のかも知れない。鑑賞して、どう感じて何に共感し何処の部分に
疑問を感じるのか人によって違うと思う。私は、集団生活で厳しく
管理されている子供達の目がカルト宗教の信者みたいに見える
場面が怖いと感じた。甘えられる大人がイザベラ1人で大勢の
子供を養育して、年上の子供が年下の子供の面倒を見るのは、
管理する側から見ると理想だと思うが大人になって社会に適応
して生きられない。約束のネバーランドの子供達は、漫画で12歳
実写映画で16歳なので出荷され大人になれないから無意味な
心配だけど考えてしまう。疑問も物語を最後まで見れば晴れる
と思う。



2021年 1月 1日
新年あけましておめでとうございます。

新型コロナで、先が読めません。
オリンピックもです。
よりよい年に、なってほしいと思います。

2020年12月31日

『アーヤと魔女』(2020年)宮崎吾朗督作品を観た。スタジオ
ジブリ制作のアニメーションだ。劇場公開でなくNHK総合テレビ
ジョンで放映されたジブリの全編3DCG作品だ。
原作は、ハウルの動く城のダイアナ・ウィン・ジョーンズだ。
映画化のニュースで、原作を読んでから鑑賞する為に本を読んだ
時に原作者の事を知った。映画は、オートバイに乗って孤児院の
前に赤ん坊を置いていく母親の場面から始まる。魔女達に追われ
ているので預かってほしいという置手紙と名前は、「あやつる」
だと書かれていた。そしてアーヤ・ツールと呼ばれて孤児院で
育つ。孤児院に母親が迎えに来ると手紙に書かれていたのでアーヤ
は、里親に貰われて孤児院から別の場所に連れていかれないように
可愛く見えないようにして孤児院で暮らし続けようとしていた。
ある日ベラ・ヤーガと言う女性とマンドレークと言う男性が
引き取ってしまう。通っている学校が変わらない程に近くの家
だが、魔法使いの手伝いをさせられる。手が足りないから手伝わ
せる為に引き取ったせしい。手伝う代わりに魔法を教えると言うが
教えてくれない。アーヤは手の生える魔法を独学で本から覚えて
ベラにかける。ベラは、お仕置きにミミズを食わせるが口癖たが
本当にアーヤの部屋にミミズを送り込んでくる。アーヤは、防護
魔法を使っている事がバレないように壁に開けた穴にミミズを入れ
て自分の部屋からミミズを消してしまおうとするがミミズは、魔法
で繋がっているマンドレークの所に送られてしまう。マンドレーク
は、ベラにアーヤに魔法を教えろと言う。マンドレークとベラと
アーヤの母親は、若い時にバンドを組んでいた。アーヤの母親は、
ボーカルでベラはドラマーでマンドレークは、キーボードみたいだ。
黄色いビュイックで海にドライブに行ったりしていた。
マンドレークは、小説を書いている。アーヤが小説を読んで褒める
と今世紀最大の傑作と評価される。アーヤの暮らしは、孤児院より
快適になる。孤児院の友達カスタードが家に遊びに誘ってもマンド
レークの顔が怖いから来てくれない事が悩みらしい。数か月が経過
するとオートバイに乗った母親が来て、映画は終わった。
話の流れは、こんな感じだったが食事で食べる物は、デーモンが
瞬間的に持ってくるとか、話をする黒猫のトーマスがいた。
登場人物が少なくアニメや映画を作る手間が少なく鑑賞する側も
分かりやすいと思った。今までのスケールの大きな世界観のシブリ
作品とは、一味使った作品だった。ささやかな日々の生活の大切さ
を感じる映画だった。もしかしたら父親がマンドレークで母親は、
バンドのボーカルでベラとの三角関係だったのかも知れないと思った。
児童虐待のニュースを、見ると悲しくなる。孤児院の子供が主人公
の童話は、沢山あるが親の影響は、進学や就職した後にも続く。
昔は、都会で失敗しても田舎がセーフティーネットになっていたが
現在では、大学生が正月に新型コロナで帰省出来ないとか大変な
年末になったと感じる。この映画の時代背景は、レコードやカセット
テープが使われていた1970年代みたいだ。アーヤの部屋や孤児院
にテレビが置かれている部屋は、登場しなかったみたいだが、一家に
一台のテレビを家族で、見る時代だと思った。ベラが固定電話を使って
いる場面はあった。劇場公開作品の場合は、お金を払って鑑賞するので
期待度が高くなるが地上波での放送だったので手軽に鑑賞出来て新型
コロナで年末年始の外出を控えてスティーホーム出来て良かった。
無事に年を越し無事に新年を迎えたいと思う。



2020年12月27日

『えんとつ町のプペル』(2020年) 廣田裕介督作品を観た。
製作総指揮・原作・脚本:西野亮廣で絵本から広がってアニメ
映画化それた。ルビッチは、煙突掃除の少年だ。喘息で車椅子
の母親と暮らしている。ある日、空から心臓みたいな形のゴミ
人間のコアになる物体が天から落ちて来る。ルビッチの父親
ブルーノは仕立て職人だった。敗れた作業服の修理と、黒い雲で
覆われている空には、星が見えるという紙芝居を見せていた。
その事すら異端審問官に消されてしまう。海の巨大な怪物に
飲み込まれた事にされて一年間行方不明らしい。
煙で空を覆い隠して中央銀行の影響を受けないエル通貨という
時間経過で劣化して価値が下がるエル貨幣という三角の通貨を
使っている。(肉や魚は、沢山持っていても腐り劣化しない通貨
を奪い合って外の世界で大規模な殺し合いが起こり、時間が経過
すると劣化する貨幣エルを使い鎖国して暮らす町が作られたという
世界観だけど穀物みたいに保存できる物や保存食の事は考えないで
映画を楽しんでから様々な事を考えてみるのも良いかも知れない)
そして世界の全てが、えんとつ町で、星は無いし外に世界が無いと
町の人が外の国と接触しないように管理している。ルビッチの父親
ブルーノは、酒飲みの父親だった。仕立て職人で母親は、喘息で
車椅子で生活している。ハロウィンの日に、友達のいないルビッチは、
煙突掃除の仕事をしていた。母親が友達のいないルビッチを心配して
いるらしく、ハロウィンでゴミ人間と出会いハロウィン・プペルと
名前を付けて友達になる。ハロウィンのダンスやトロッコの場面は、
ハラハラする。配色が極彩色(ごくさいしき)だ。鉄コン筋クリート
を作ったSTUDIO4℃らしいと思った。
ゴミ人間が仮装で無かったので、異端審問官に追われる。ゴミ人間は、
異端審問官から逃げるうちにゴミ集積場で燃やされてしまう。大きな
ゴミ輸送トラックの荷台に埋もれて助けを呼んでいる。
ルビッチは、人間がゴミ収集車の荷台に紛れ込んでいると思い救出に
向かう。そして何とかゴミから救出するがゴミ処理場のトロッコに
乗ってしまい地下深くの炭鉱に運ばれてしまう。
このトロッコの場面は、ゴミ人間とルビッチを乗せて走り出した
トロッコのレールが所々で片方外れていて重心を変えて片輪で
走る場面は、かなり怖い。トロッコのブレーキは壊れていて走り
続けるしかない。人生の現在社会のレールを連想してヘルマン・
ヘッセの「車輪の下」の意味は、車輪は社会システムを意味して
車輪の下は、社会システムで生きられない主人公を意味している
という事を連想してしまった。何とかトロッコが止まると降りて
ルビッチは出口を探して歩くとゴミ人間が後について来る。
何故ついてくるかルビッチが聞くと一本道とゴミ人間が答える。
そこに鉱山で盗掘しているスコップとバッタリ出会う。
スコップは、自分の秘密を、聞かれてもいないのに、うっかり話して
三つの願いを聞くから秘密にしてほしいと約束して出口を教えてくれる。
ルビッチは、プペルを家に連れて帰る。
煙突掃除の仕事仲間のリーダーがプペルにルビッチの父親の仕事場
で服の修理の仕事をして、異端審問官から匿ってくれる。
プペルは、ゴミの身体を服で隠して暮らすが、ルビッチが毎日プペル
の身体を洗っても臭いが取れない。この原因は、ルビッチがゴミの山
に落とした父親の形見のトンボ玉で出来たブレスレットを毎日探して
いた事がわかる。そのブレスレットは、プペルが産まれたハロウィン
の日にプペルの頭になって脳みその役割をしていた。
海に船が打ち上げられて、外の世界から、えんとつ町に移住して何世
代もが外の世界と煙で町ごと隠して暮らしているうちに船が何に使う
物なのかも知らない世代になっているみたいだ。
ルビッチは、船を使って熱気球を作りスコップから無煙火薬を手に入れて
爆風で煙を吹き飛ばして星空を見せる。星空を見て町の人は、煙を止める。
プペルは、ルビッチの父親のブルーノの魂で、死者が戻って来るハロウィン
に戻って来たらしい。日本だとお盆みたい行事だ。
ブルーノの魂は、星に戻り夜空のトンボ玉のブレスレットがルビッチの
手に残る終わり方だった。星なんかないと非難していたルビッチと同じ
年齢のアントニオは、ブルーノの紙芝居を見て自分で星が存在するのか
疑問に思っても確認できないもどかしさからプペルやルビッチにキツく
あたっていたみたいだ。星を観てプペルがいないルビッチの友達になって
くれそうな雰囲気を感じた。煙突掃除人と異端審問官が熱気球を飛ばす
時に二つに対立していたりクライマックスもスリリングだった。
火薬を分けてくれたスコップは、掘り下げて知らない事を知るのに
対してルビッチは空に昇って知らない事を知る。知的好奇心を持って
疑問を知り解決する事が大切みたい事を伝えているみたいだった。
煙で夜が続く町では、昼間の青空より夜空の星を見たいという事らしい。
スコップが昔は植物が育っていたと化石から知ったと言っていたので
植物が無い世界では、穀物を作れないし肉や魚は、あるみたいたが
食料は、どうしているのか気になった。煙突掃除の親方が異端審問官に
吹き矢で殺されそうになり、救急車が異端審問官が親方を連れ去ろうと
変装している事に感づいて仲間の医者の所に運んだりしていたが
食料や医療がどうなっているのか細かく知りたいと思った。
「星読み」が異端の世界で時間の概念や農耕が出来ない世界での食料
をどう入手しているのか多くの疑問に鑑賞した後で気付いた。
映画のストーリーとアクションだけで十分に楽しめたが、鑑賞した
後で、もっと詳しく知りたいと思うアニメ映画だった。
下を見ないで上を見ると上手く登れる。という感じのセリフがあるが
地に足が付いていないと不安になる。映画は、ハラハラ・ドキドキと
不思議な社会の話を理解する事が忙しい映画だけど楽しめた。
この作品は煙で町を隠す話だったがグレンラガンというアニメは、
ひたすら地底に穴を掘るアニメが昔に観た事を思い出した。
事前に原作の絵本を読んでいたら分かりやすかったのかも知れない。
子供が鑑賞したら好奇心を刺激して研究するかも知れない。
他の人の感想も読んでみたいと得もう。
煙突掃除が登場するメリーポピンズやロミオの青い空も鑑賞しておくと
より理解出来るかも知れない。



2020年12月13日

『学園祭の夜 甘い経験』(1970年)堀川弘通監督作品を観た。高校生がスポーツや
文化芸術の部活で青春を謳歌している事が校庭の様々な場所を移す事で感じさせた。
そして屋上でトランペットを吹く水野の場面をクローズアップして映画が始まった。
各部の代表が文化祭の実行委員として会議に参加している。
放送部の部長の林牧子がが学園祭の実行委員になる。高校最後の学園祭で色々
な経験をする。学園祭の会議にジョークを交えて積極的に発言する所が現在の学生と
、積極性が違うと感じた。学校が出してくれる予算が6万円で、足りない分は、本屋
やバン屋から広告を貰って補填するなど工夫していた。
バスの中で奥田と杉田玄白が死刑囚を解剖して解体新書を出版した年が1771年と
話をしていた。歴史は、西暦何年に何があったか暗記する試験勉強が多かった。
解剖の話から男女の身体の違いに話題が向かい半陰陽の人がいる事を週刊誌で
読んだという話になった。性に興味を持つ年頃みたいだ。
同級生で、トランペットを吹いている水野に学園祭でトランペットを
披露してほしいと依頼すると演劇部の『浮世離れのジェフ』のヒロイン役も
引き受ける事になる。
演劇の稽古をしたり、ドーランを買いに行ったりするうちに関係が深まる。
演劇部の部長で、ブラジルを3年間旅をした経験のある三つ年上の神山(こうやま)
が演出をしている。
優等生グループとは、違う、プレイグループ(遊び人風)のメンバーとも交流する
ようになる。
ガリ勉グループとプレイグループとか当時の流行語が興味深い。
2020年になると「book smart」が、本ばかり読んで頭でっかちな知識を携えている
けれども実体験や知恵を伴わない人と「street smart」 ストリートで知恵や知識を
つけた人という分け方もあるらしい。もっと昔には、軟派や硬派という言葉もあったが、
1970年のこの映画では、使われていなかった。
芝居の練習で、生まれて初めてなのにキスシーンを頼まれたり、ゴーゴークラブ
に連れていかれたりする。ゴーゴークラブは、ダンスホールやディスコやクラブ
みたいに飲食とダンスをして遊ぶ場所だ。最近は、規制が厳しくなりタンスは、
競技として大会で披露するようになった。
水野の大胆な行動に、とまどいながらも林牧子は、惹かれていく。東大を一緒に
目指している奥田は、林牧子が、水野たちのプレイグループの仲間になっていく
のを苦々しく感じている。学園祭で、別のカップルの性交を見かけて影響を受けた
のも原因みたいだ。学園祭では、制服を着ていない生徒が多いのも当時の制服廃止
の流れなのかも知れない。制服を廃止した学校が平成になると制服に戻ったり
令和になるとジエンダーフリーの制服に変わったり時代の変化や時の流れを感じる。
学園祭が始まり、盛り上がった末の夜、林牧子は、酒に酔い、学校の放送部の部室に
水野と泊まる、服を乾かしたりして終電に乗り遅れてしまう。放送室に一緒に泊まり
水野と初体験をしてしまう。ビートルズのレッツ・イット・ビーのポスターが放送部の
部室に貼ってあった。毛布が一枚しか無いから二人で使うと、肉体関係になってしまう。
翌日、昨夜の事が怖くなった林牧子は、家に帰る気になれず、街をさまよう。
映画館の前で立ち止まると続・猿の惑星のポスターを見て学割でも450円が、
ちょっと痛いと考えていると神山に声をかけられる。神山は1人暮らしをしていた。
長尾兼の親が自動車の整備工場を経営していて、大学に進学しないでトヨペットに
就職して営業を勉強する為に就職してから家業を継ぐと話している長尾兼と車検が
切れて廃車にする自動車を使って運転の練習をするコースがあり自動車を、ぶつけ
ながら運転を覚えたりしていたのには驚いた。自動車教習所で免許を取るのと運転
免許試験場で実地試験を受けて取る人がいる時代なのかも知れない。一発試験は
現在では、難易度が高い。それから通りかかったデモ隊に誘われて警察で取り調べ
をうけて奥田が着替えを届けに来るが水野は、オープンカーで林牧子を迎えに来て
水野にマリファナパーティーに誘われたり生活が荒れる。初体験の影響で精神
が不安定になっているみたいだ。水野は、ペンダントをプレゼントしたり腕に入れ墨
を入れたりかるが、林牧子は、友達でいようと受験に集中しようと交際を断る。
それから水野とのドライブの時に三か月間、生理が無いという話をする。水野は、
中絶の費用を用意して神山に密かに中絶してくれる産婦人科を紹介してもらう。
産婦人科の前で、神山の家で待っていると帰ってしまう。産婦人科には、中絶して
貰う為に何人もの女性が待っている。一時間程で終わる手術で入院する程で無い
みたいだ。日本は性教育で、避妊の方法などを詳しく教えていないので、三か月も
生理が無いから妊娠したかも知れないと気が付いて産婦人科で中絶しようとするが、
診察室で気が変わって止めてしまう。アメリカの『サイダーハウスルール』の子供を
育てられないカップルが中絶する場面を思い出した。全ピ連というピルの解禁運動と
かも1970年代に起こっていたみたいだ。ウーマンリブも、この時代に起こった。
コンドームは性病の予防にもなるが、抗生剤が出来て感染症が簡単に治ると油断する
みたいだ。1980代になるとHIVが登場するまでは、解放的な気分だったと思われる。
妊娠している事を、奥田が学校に告げ口してしまう。奥田は、恨みや復讐で無い。
林牧子の事が心配で放っておく事が出来なかった訳だが、林牧子が友人の長尾謙に
「二、三日したら、気持の整理をして必ず帰ってくるから捜さないで下さい」と
置手紙をして、旅にで電車で湖の所に行った事で、奥田は、長尾兼に殴られる。
奥田は、林牧子の事が心配になると同時に自己嫌悪に落ち入り睡眠薬で自殺を計るが
未遂に終る。旅から帰った林牧子は奥田に別れを告げる。水野にも別れを告げる。
水野は、大学進学を諦めてお腹の子供の中絶手術をしないで、二人で結婚する為に
大学進学を諦めて男性のモデルになって働いて稼ぐと湖で話す。二人が、その後
どうなるのか気になる映画の終わり方だった。大人に憧れる思春期の高校生の姿が
印象的な映画だった。水商売のシングルマザーに育てられていたり複雑な家庭環境
だったりしていた。当時は、早く親元を離れて独り立ちしたいという若者が多かった。
学生結婚した『ある愛の詩』というアメリカの映画も1970年だ。オイルショックや
改革開放の時代で、使い捨て時代やジャンボな時代と言われ経済成長も続いた時代
だった。1970年に大阪で万国博覧会が開催されたり1972年に『ベルサイユのばら』の
連載が始まった。学生運動から、経済発展を中心にしたモーレツ社員とか会社人間に
変わった人が多かった。そんな社会の流れを思い出した。
学園祭をテーマにした『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』というアニメ
は、青春の短い楽しい時間を繰り返す話だった。
デートで鑑賞する恋愛映画だと考えればドロドロしている。この時代の空気や当時の
文化や風俗を知る事が出来る東宝の青春映画だと感じた。 
この時代は、早く就職して親元を離れて生活出来る仕事や社会環境もあった。
アメリカのヒッピー影響でカニ族というバックパッカーみたいに旅をする若者も
いた。演劇部の神山は、ブラジルを3年間旅をしたというキャラクターも、当時の
時代なら、ありえそうな気がした。1970年の時代を色々と凝縮している映画だった。



2020年12月06日

『地上最大のショウ』(1952年) セシル・B・デミル監督作品を観た。
リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスと
長い名前のサーカース団だ。
1880年代に、バーナムとベイリーが合併して、「リングリング兄弟」がバーナム・
アンド・ベイリー・サーカスを買収して、1919年に合併したらしい。
リングリング・ブラザーズ・サーカスとバーナム・アンド・ベイリー・サーカス
は、他のサーカスも買収して巨大化していたが2017年の5月に最後の公演が行われ
解散した。動物愛護団体にが動物を使った芸を批判されゾウのショーを中止した後、
観客が減ったらしい。空中ブランコが行われる中央リングを、競う3人の男女が
話の中心だ。サーカスの公演監督であるブラッド・ブレイデンは、全国巡業をして
長期間の興行をしたいが、経営側は、採算の取れる大都市のみの巡業で利益を出し
たいと意見が割れる。そこでブラッド・ブレイデンは、空中ブランコの大スター
ザ・グレート・セバスチャンと契約する話を提案する。会議でガルガンチュアみたい
スターと言う人がいてゴリラの肖像画が一瞬クローズアップされる。ガルガンチュア
は、巨人族の意味もあるのでキングコングを連想させる演出なのかは、分からない。
空中ブランコの大スターセバスチャンと契約する場合は、長期間の巡業が条件になる。
セバスチャンは、プレイボーイで女性関係で問題を起こす男だ。空中ブランコの
スターだが、安全ネットを外して危険な技を見せようとして大怪我をして入院する。
バドバンズが応急処置をして、海軍で衛生兵だったと言う。セバスチャンは、
その後で退院してサーカスに荷物を取りに来てライバルのサーカス団に移ると嘘をつく。
片手に障害が残りサーカスの曲芸が出来なくなっていた。コートを手に掛けて不自由に
なった手を隠す場面は、印象的だった。それからセバスチャンはサーカスで風船を
売ったりして手の治療法を探す。サーカスが移動する時に現金を積んだ列車を止めて
金が奪われる。線路の上に止められた汽車の後から後続の汽車が来て追突事故になり
大事故になる。この列車の事故で、ハドバンズがブラッドの応急処置をして、助ける。
クラウンのハドバンズは、実は医者で、10年前に重病の妻を殺して警察から逃げていた。
この事故で、活躍した事で正体がバレて逮捕される。警察が事後の前にジェーム・
スチュアートの写真をブラッドに見せても見覚えが無いという。
そして警察がサーカスの列車に乗り込んで、次の興行先で全員の指紋を取ると話を
していた。サーカスで普段の生活をしている時も、人前でテイクをしたままで素顔が
見られないので気が付かなかったがセバスチャンの役は、シェームズスチュアートが
演じていた。包帯をポールに巻くのが上手だと言うセリフが伏線になっていた。
1952年の映画なので10年前は、第二次世界大戦の最中だ。
千三百人が働いているサーカスは、裏方の人数が多く動物の世話やテントの設営に
衣装と列車を使って移動するなど大掛かりだ。服の洗濯だけでも大変だと思う。
アクロバットが見られて動物園が移動してくるみたいな空間だ。ゾウが50頭もいて
ライオンやベンガル虎にゴリラやカバまでいた。2020年に新型コロナの影響で
シルクド・ソレイユが経営破綻して会社更生手続きするみたいだ。
しばらくは、大がかりなショウは、見らない時代だけど、古い映画はネット配信で
鑑賞し雰囲気を楽め事は出来る。シルクド・ソレイユのDVDも鑑賞する事は出来る。
この映画が、作られた1952年は、ディズニーランドが移動してきて、アクロバットも
見られる感じの規模だった。ディズニーのキャラクターも登場していた。
実際に見た事は、無いがアメリカの移動するカーニバルは移動遊園地といわれる程に
大規模らしい。日本の、お祭りは、小さな屋台が集まって大きくなるが日本のサーカスは、
お祭りと別に新聞社が宣伝して大企業がスポンサーになるように変わった。
最初は、映像がスゴくて、ストーリーに目がいかないで、サーカスの演技や衣装を
見るだけで終わってしまうが、何度か鑑賞するとストーリーに集中できた。
時間も2時間半もあるので、最近の映画より鑑賞するには、ハードルが高いかも知れない。
実際にサーカスの映像記録が残っていたらドキュメンタリーでサーカスの歴史を
見られれば面白いと感じた。ファンタジアやザッツ・エンタティーメントという映画を
リアルな世界で鑑賞しているようなスゴい映画だった。様々なサーカスの演出を見る
だけでも集中力が必要な映画なので体調を整えて二時間半程の映画鑑賞する価値がある
と思った。
大勢の群衆がパレードの後に続いて、事故の怪我を見せないで
何事もなかったように興行をするエンディングは、感動的だった。空中ブランコのホーリーに
求婚する場面もあった。サーカスは、長く続けられる仕事には見えない。
若くて元気な人がサーカスのアクロバットをして、高齢になれば裏方の仕事に変わるのかも
知れないが、輝ける期間は短そうだ。サーカスは、話芸より曲芸やピエロのパントマイムの
動きで伝える。セリフが無いから世界中で誰もが楽しめる。『地上最大のショウ』は、更に
ストーリーに恋愛を加えて、サーカスの裏舞台も見せて、列車強盗まで加えているので濃い
内容だった。あまりに密度が高いので、三回も鑑賞した。バーナムの事は、グレテイスト・
ショーマンを鑑賞していたので会話に登場した時に、話の意味が分かった。
大勢の観客が集まるイベントも復活して臨場感をリアルに感じられると思う。
大勢が移動して集まる事が、当たり前に感じていたが、サーカスの裏方の仕事から、私達が
普通に日常を。過ごせるように裏方みたいに見えない所で、頑張っている多くの人に感謝
して過ごそうと思った。



2020年11月20日

『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002年)マイケル・ムーア監督作品を観た。
1999年4月20日にコンバイン高校で銃乱射事件が起こった。事件が何故起こったのか
取材から他の国との比較が出来る流れだった。銃規制とアメリカ人の恐怖と消費の話
から銃の所持率が狩猟の伝統で、元々高いカナダでは、銃の犯罪がアメリカと比較して
桁違いに少ない。部屋にいるとき鍵をかけて相手を締め出すのがアメリカでカナダの
場合は、自分を閉じ込めるので、部屋に人がいるときは、鍵を開けている。失業率が
高くても医療や社会保障が充実しているカナダでは、殺人などの犯罪が少ない。
政治や国民の認識で違うみたいだ。弱者に勝っても強者になれないというモラルがある。
税金の優遇が富裕層に偏るアメリカとカナダを比較していた。「池に溺れた犬を叩く」
状態には、ならないみたいだ。シッコという映画では、9.11の消防官で健康被害にあっても、
充実した医療が受けられずキューバの医療制度は、無料だと紹介されていた。日本だと
労災で医療が受けられると思える状態だった。マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー
映画で制度の違いを明確に見せるのに北のカナダと南のキューバの事を知る事が出来た。
コロンバイン高校の犯人が好んで聞いていたマリリン・マンソンや全米ライフル協会の
名誉会長のチャールトン・ヘストンにも取材していたがチャールトン・ヘストンは、6年後
の2008年4月に亡くなっている。 『サウスパーク』マット・ストーンが、清教徒がアメリカ
大陸移住して現在に至るまでの銃社会の歴史をアニメで説明してくれていて解りやすかった。
アメリカ建国で先住民族のインディアンを迫害して黒人奴隷を強制的に使役させた事から、
アメリカの白人の国民が黒人奴隷だった人が復讐する恐怖を、潜在的に持ち続ける恐怖感
の連鎖が銃社会を続けてしまう可能背を感じさせた。銃社会の法制度が問題なのか大勢に
見られている場所で、目撃されている状態で銃を乱射する自爆テロを、起こす犯人の状況
や環境が問題なのか、ぼやけてしまう。日本では、ガソリンを使った放火が起こったり
電線の結束バンドと刃物で大勢の人が亡くなる事件が起こった。銃が無くても別の方法で
事件を起こされそうな気がする。ごく一部の精神異常者が事件を起こしたみたいだが、
不安や恐怖を感じる社会を、安心で安全な社会にすると同時に、緊張状態からリラックス
して過ごせる環境を作る事の方が良いみたいだ。カナダでも、様々な人種が暮らして
いるが家のドアに鍵をかけていない。奴隷制度が無いから恨まれる過去を持たない国と
恨まれて報復を恐れる国の違いなのかも知れない。アンクルトムの小屋でイライザが
川を渡ってカナダに逃げて自由になる場面を思い出した。
コンバイン高校の銃乱射事件で、命は助かったが身体に障害の残った被害者とアメリカの
大手のチェーンストアKマートの本社を訪問して、銃の販売だけでなく銃弾の販売も止める
決断をさせる。銀行で口座を開設するとライフルが貰えるキャンペーンをやっている
ので口座を開設して銃を銀行で受け取る場面があった。アメリカの大手コーヒーチェーン
でライフルケースを景品にしようとして評判が悪くて止めたニュースを思い出したが
アメリカの仰天する事を、映画を通して知る事が出来た。ドキュメンタリー映画なので
映画が作られた時に、起こっていた事で20年近く経った現在では、変わっていると
思うが、歴史の流れとして鑑賞しておくと流れが分ると感じた。昔は、大変だったと
思える社会に向かうのか?昔は良かったと感じる社会に向かうのかは、解らない。
少しづつでも良い方向に向かい明日に希望が持てると自爆テロや銃の乱射を。思い
留まらせるような可能性があると思う。この銃の乱射事件の時代でも監視カメラの
映像が入っていた。現在なら誰もがスマホやドライブレコーダーを、持っていたり
付けていて、もっと警備や監視は強化されていると思う。こんな時代でもアメリカの
分断で暴動やテロが起こるのは、遠くの国で起こっていても不安になる。
住み分けされていた状態から同じ地域に住むと、「隣の芝生は青く見える」みたいに
微妙な違いも不平等に感じて分断されてしまうのかも知れない。
芝生でなく隣は、池だったら趣味の違いと思えるかも知れない。
羨望の強さは、相手の持っている物に自分が自分にどれだけ関心があるかで決まる。
相手の持っているものが自分にとって、それほど大切なものでなければ、自己評価が
傷つくこともなく羨望も感じない。知らない物では、比較の基準すら作れない。
同じテーブルで食事をする関係でも食べ物の量が違うとか、割り勘負けしたとか
難しい。同じ費用を、払うと損得に敏感になり比較してしまう。
生活水準は、ある程度は倹約できるが生命や健康に影響するものは後で
取り返しがつかない。基本的な生活習慣ができない人は、サービスをお金を払わないと
社会生活から差別され最後に淘汰される。料理を作れないと出来た物を買い自分で
洗濯が出来ないとクリーニング代もかかるので、節約が難しくなる。
一緒にいて楽しい時間が過ごせる相手なら、細かい事は、気にならないとも思うが
仕事や学校のクラスなどで仕方なく一緒に過ごしていると難しい。
グリーンブックでは、人種や肌の色が問題だったが、肌の色よりマナーといった教養や
行動で分断され話し方でクラスが判断されるマイフェアレディーみたいな社会になる
のか分からない。気の合う人が集まり反りが合わないと離れる社会は、住み分けなのか
分断なのか難しい。お互いに関わりたい人とだけ関われる社会だとアパルトヘイトに戻り
そうだ。中華街とかリトルイタリーとか日本人街みたいに自然とコロニーが出来ても
学校や職場では、様々な人が一緒に過ごす。同じ学校の場合は、年齢は、同じだけど
学力も体力も違う。同じ年齢で性別が違うと小学生までは、女性の方が身体が大きかった
が中学になると男性の身体が大きくなり背も高くなる。同じ事を学んでいるのなら知識
レベルは、近いはずだけど仲間に入れない人もいる。習い事や自動車の教習所みたいに
年齢も境遇も違う人は少ない。高校までは、教えられた勉強が出来る事で評価を得られる
が大学や専門学校では、自ら学習して学んだり研究して評価されないといけない。
テーブルマナーや食事の作法は、程よくこなして会食の会話を全員が楽しめ
れば、不快感より、楽しく快適に感じて集まりたくなる。新型コロナの前から、
ノミニュケーションが減り居酒屋に行く人が減っているらしい。大勢が集まる宴会から
家族や仲の良い友人や知人と少ない人数で、食事を楽しむように変化したみたいだ。
接待を伴う店は、変化が影響すると思う。接待を伴わなくても声を出すカラオケも
難しくなった。アクリルのつい立やマスクがウィズコロナ必要だ。
リモートワークやオンライン授業も登場した。同じ教室や職場で同じ時間と場所を
共有する時代からの変化も起こりそうだ。仕事とプライベートを分ける人も増えた。
人間関係は、同じ村に住んでいる人達ですら村八分という言葉もあり職場や家族の
中でも人間関係は、難しい。人間関係は、距離感のバランスが大切だ。離れ過ぎても
近づき過ぎても関係性が崩れる。互いに相手を尊重する事で距離を決める。
これが出来ないと、パーソナルゾーンを侵害して不快感から関係が壊れていく。
「親しい中にも礼儀あり」が出来れば間関係は、上手くいく。
魚と動物は水と陸で生きられる環境が異なる。エラで呼吸したり肺で呼吸するので、
生きられる環境が違う。亀は、お尻で呼吸するとか様々だ。植物も広葉樹と針葉樹で
適した気温が異なる。人間の生活スタイルも翻訳機能で話が通じるように変わるかも
知れない。生きていれば、時間が問題や不便な事を解決してくれて明るい未来が来ると
感じたい。目標や手本に出来る国があれば、方針や方向を決めやすいとは思うが、
社会が混乱していると判断が難しい。それぞれの国の社会システムを選択するのは有権者だ。
選んで投票するには、様々な国と比較出来るようにニュースや映画から変化を見つけて
確認すると知見が増える。2020年の11月にアメリカの大統領選挙が終わった。
集計作業が大変みたいだ。選挙結果の確定は、まだみたいだ。大統領は、来年の1月には、
ハッキリするみたいだ。その為に敗北宣言と勝利宣言は、まだみたいだ。
50年前には、「アメリカがクシャミをすると日本が風邪をひく」と言われていた。
日本は、アメリカを、お手本にしていた。
世界中の事を、インターネットで調べる事が出来てメールで連絡が出来る時代になり
グローバルなマーケットが健全に機能しないとサプライチェーンから部品を入手できず
ビジネスが成り立たなくなった。原材料の入手から半製品まで加工してもらい原産国で
完成させて製品化する方法もある。作れば製品で、売れれば商品だ。
日本も国際社会で、影響力が増してきたみたいだ。アメリカは、選挙が混乱している
みたいだが、より良い方向に進んでほしい。ボウリングした後で、コロンバイン高校で
銃を乱射した犯人の行動は、死ぬ前に、好きな食事を取ったり酒を飲んだりする行動に
近かったのかも知れない。何故、ボウリングなのかは、自警団の射撃訓練に人体の形に
ボウリングのピンが似ているから使っている。銃規制より弾丸を規制した方が良いと
いう芸人も出ていた。弾が一発50万円もしたら、働いて貯金して弾を買ってでも殺す。
撃たれた方も何万ドルも弾を喰らったというブラックジョークだ。銃や弾が無くても
安くて手軽に入手できる道具で犯罪は起こる。犯罪者を産み出されない社会を目指す
ベきだ。
格差が拡がり、個々の努力が無意味になると、ジェラシーから不幸の道連れといわれる
エンビーの心理になる。普通に生きる事が難しい社会になると拡大自殺に巻き込まれて
道連れにされる社会では安心できない。他者を思いやり独善的にならない、よい方向を
探るしかないと思う。
映画では、取り上げられていないが、コロンバテン高校の18歳の犯人は、同じ高校の
運動部員から、執擁な虐めを受けており「いつか復讐してやる」といっていたらしい。
一年程前に車上荒らしで逮捕された事で願書を出した全ての大学から拒否されている。
軍事オタクなので海兵隊に志願しても抗うつ剤を飲んでいる事で、応募担当官に不適格と
断られている。精神に問題があり進学や就職も出来ない状況も影響しているかも知れない。
朝の6時にボウリングして登校時間に銃を乱射する行動の流れは、不思議に感じるが
映画では、アメリカの日常的な朝の生活を映して比較して見せていた。
この少年が過ごせる環境が学校にも社会にも無く家庭引きこもる事が出来なかったから
起こったのかも知れない。家に居場所が無いからボーリング場で時間を潰して犯行時刻
に実行したとも考えられる。日本でもアニメ会社の放火や施設入居者の殺人事件が起こ
っている。銃は、使われていない。銃と弾が無くてボーリングのピンを鈍器として使う
よりは、金属バットの方が武器に使えそうだ。野球のバッティングセンターに行った後で
犯人が銃を乱射したら映画のタイトルがベースボール・フォー・コロンバインやスタジアム・
フォー・コロンバインにバッティング・フォー・コロンバインになったかも知れない。
野球では、一塁で殺して、二塁で刺されて、三塁を盗まれた。という表現が残っている。
犯人の精神病がスルーされたみたいに「政治、宗教、野球」が絡むとスルーした映画に
なると思う。マイケル・ムーア監督が、新型コロナの影響で変わった世界や社会で何が
起こったのか、ドキュメンタリーを作るかも知れないので、この先も目が離せない。
もしかしたら学校に登校しない社会に変化かるのかも知れない。
馬から汽車になり自動車になったり船から飛行機になったり移動手段や通信手段も変わった。
燃料も薪から石炭や石油に代わり電力に変わっている。
20年前の映画を観て、現在と比較して世界が良い方向に向かってきたと思えない。更に20
年後に、どう変わるか予測できない。新型コロナの影響で、社会構造や考え方や価値観の
変化は、大きそうだ。延期になったオリンピックがどうなるかの予想も出来ない。
新型コロナウイルスの感染が急拡大してきた。第3波の可能性がある。まず乗り切る事が
最優先だ。人が大勢で集まる行動が感染防止で出来ない時代になった。人が大勢集まれない
状態なら無差別な大量殺人も、起こせないみたいだ。
人間の攻撃性は、チャレンジやトライする事で可能性をもたらしトライしてチャンスを得る
事もあれば、エラーにもなる。消極性は、慎重に行動する機会を見極めているのか避けている
のか分からない。無謀な事で周囲に危害が及ぶよりはマシなのかも知れないが、不可能を
可能にして人類の発展に繋がる事もある。コロンバインの事件は、殺人や破壊が目的なので、
犯行の動機を分析して拡大自殺を防ぐ精神衛生の維持が出来る社会システムも必要だと
感じた。



2020年11月09日

『いつか読書する日』(2005年) 緒方明監督作品を観た。
映画は、手動の鉛筆削りで鉛筆を削っている場面のアップで
始まった。
そして坂の多い町で早朝に牛乳配達している女性が映し出される。
50歳の独身の女性が15歳の時に書いた作文で、未来は、分からない
が兄弟が町を出て行ってもこの町にずっと住み続ける。15歳に決めた
事だからとナレーションが入った。50歳になった大場美奈子は、
早朝から牛乳配達をして昼間はスーパーでレジの仕事をしている。
自転車で二人乗りをして亡くなった母親の女学校の友人だった皆川敏子
が小説を書いている。牛乳を取っているので大場美奈子が毎朝配達に来る
ので見守っているこたいだ。大場美奈子は、同級生の高梨槐多の家にも
牛乳を届けている。大場美奈子の母親と、同級生の高梨槐多の父親が
交際しており自転車事故で二人とも亡くなっている。高梨槐多は、結婚
して妻がいるが在宅で終末医療を受けている様子だ。
母親と女学校で一緒だった皆川敏子には、夫の真男がいるが痴呆症に
かかっており病院へ連れて行くときは、美奈子に一緒に付き添ってもら
う事で、敏子の診療に行くので一緒に病院で診てもらうと言って診察を
受けてもらう流れにしている。医師に痴呆の進行が速いと言われ帰りに、
新生児室の前で立ち止まった真男は、敏子が大場美奈子が赤ん坊の時に
抱っこしたことを思い出して、笑い合う。大場美奈子の父親は製鉄所で
働いていたが、大場美奈子が幼少の時に工場で勤務中に事故で亡くなっ
ている。母親が一人親で、育てていたが高梨槐多の父親と自転車で2人乗り
をして、トラックにはねられる交通事故に遭って亡くなった。二人の
遺体が霊安室に並べて置かれていた。「一緒に置かないで!」と高梨槐多
の母親が叫び、同じ高校に通い、それまで付き合っていた美奈子と槐多は、
この事故があって疎遠になった。美奈子の父親は製鉄所で働いていたが、
美奈子が幼い時に工場の事故で亡くなってる。そして高校生の時に、母親も
トラックにひかれて亡くなる。その事故の時、美奈子の母親が高梨槐多の
父親が運転してこいでいる自転車の後ろに乗せてもらっていた。そして二人
とも交通事故で亡くなってしまう。二人の遺体が霊安室に置かれていた為に、
「一緒に置かないで!」と高梨槐多の母親が叫んだ。シングルマザーの未亡人と
浮気して事故にあって、しかもカップルの二人が並べられては、妻として許せ
ない気持になるだろう。高梨槐多の母親の気持ちも解る。同じ高校に通い、
それまで付き合っていた美奈子と槐多は、このことで疎遠になったままだ。
その時に美奈子は17才だった。
敏子と美奈子が二人で酒を飲むと敏子は、娘ぐらいに年の離れている美奈子と
結婚しないで独身のままなのは、なぜかと聞いてしまう。美奈子は、寂しいと
感じたこともなく、このまま一人暮らしを続けていくつもりだと答える。
美奈子は、沢山の本に囲まれて夜を過ごしている。ずっと一人の夜を過ごしている。
カラマーゾフの兄弟とか難しい本を読んでいるみたいだ。
ある日、美奈子が勤めているスーパーで小学校の低学年ぐらいの少年が万引きで捕まる。
店長は、警察に連絡しようとするが、美奈子は、市役所の児童課に勤務している
高梨槐多に連絡するよう伝える。すぐに高梨槐多が少年を迎えに来て、少年の家に
送り届ける。少年の家は、ゴミだらけで、柱に紐でつながれた弟に少年は食べ物を
与えている状態だった。そこに母親が帰ってきたので高梨槐多は、子供に食事を
与えるように話をする。しかしネグレクトを続けている。
数日後に、警察官が同行して子供達を一時保護することになる。母親に、子供が連れて
行かれる時にも布団にくるまって寝ている母親に、高梨槐多は「本当にこれでいいのか?」
と言う。入れ墨の入った男が部屋にいた。
ある日、美奈子はラジオ局の番組に匿名でハガキを出す。「私には大切な人がいます。
でも私の気持ちは絶対に知られてはならないのです。どんなことがあっても悟られない
ことが難しく、相手の気持ちを確かめることができないのが悔しいです。」という内容
だった。高校生で両親を失った美奈子と父親を失った高梨槐多もシングルマザーになった
母親に育てられたみたいだ。その母親も他界して今は、妻が病床で余命が短そうだ。
美奈子は、高梨槐多の事が好きなまま事故で引き離された状態になっているみたいだ。
できれば、その人と一日でいいので一緒に過ごしたいと書かれていて、そのラジオを偶然
聞いていた高梨槐多の病床の妻、容子は、その内容から美奈子の投稿だと感づいたみたいだ。
末期癌の容子は、在宅療養しいた、看護師やヘルパーから毎朝牛乳を配達しているのが
大場美奈子だと教えられて気にしてた。結婚して何十年も連れ添って子供が出来ずに夫を
1人残すのは気がかりだ。ラジオを聞いた夜、容子は牛乳を入れる箱に一枚のメモを入れる。
翌朝、牛乳配達の時に、そのメモを読んで美奈子は驚く。メモに、「早く来て 容子」と
書かれていた。メモを読んだ翌日、朝には、いつもと同じ時間に牛乳を配達して、スーパーで
の仕事が終わった後で、美奈子は、高梨槐多の家を訪問する。そして初めて高梨容子と会う。
美奈子に容子は、自分が死んだ後の槐多のことを心配している。槐多も美奈子を忘れておらず、
自分が死んだ後は、一緒に暮らして、ほしいと容子は頼んだ。
だが美奈子は、その話を断って「また来ます」と言い帰る。その夜に、容子は槐多に美奈子の
話をして、美奈子との関係を取り戻すように話して、残り少ない余命で出来ることは、これ
くらいだと言う。
その後から容子の体調が悪くなり、休暇を取った高梨槐多が家に帰る途中に、慌てた様子の
敏子と出会う。認知症の真男が家から出てしまい、美奈子も探すのを手伝っていた。真男は川で
座っており、見つけてホッとした美奈子たち。皆川真男を発見して皆川敏子と大場美奈子と高梨槐多
が、久しぶりに顔を合わせる。
その゜すぐ後で高梨容子が亡くなり、葬式が行われる。葬儀に参列していた大場美奈子は、容子を
介護していたヘルパーの女性から容子が、美奈子の返事を待っていたと伝えられる。美奈子宛の容子
からの手紙を渡したヘルパーの女性。この手紙に、長い時間があるのから、もう一度やり直してほしい
書かれていた。大場美奈子と高梨槐多の親のことは、過去の話で、二人ならば乗り越える。と書かれて
いる。そして「これからは二人で新しい生活を作ってほしい」と容子からの願いが書かれている。
手紙を読んだ大場美奈子は、高梨槐多の家を訪問する。
大場美奈子は、高梨槐多に「付き合ってほしいところがある」と言って、大場美奈子が運転する自転車の
後ろに高梨槐多が乗り、二人乗りで走りる。そして二人の親が、交通事故にあった場所で、大場美奈子と
高梨槐多は線香をあげて、手を合わせる。そして二人、は昔を思い出し、美奈子が、なぜ事故の後に
自分を避けたのか尋ねて険悪な感じになって、美奈子が帰ろうとするが、高瀬槐多が大場美奈子を、抱き
しめる。その夜は、大場美奈子の家で高瀬槐多と二人は、愛し合う。そして翌朝に、高瀬槐多が目覚めると
「配達に行ってきます」と大場美奈子のメモを見つける。そして高瀬槐多が家に帰ろうと歩いていると、
雨で増水した川の中に男の子が入っていくのを見つける。高瀬槐多は、川に飛び込んで、男の子を助けようと
する。子供は助かったが、高瀬槐多は、水死してしまう。そして大場美奈子の恋は、終わる。
それでも朝がきて、皆川敏子の家に牛乳を配達する大場美奈子に敏子が「これからどうするの?」と
訊ねられた大場美奈子は、「本でも読みます」と返事をして映画が終わる。
映画のストーリーが、皆川敏子の書いていた小説というオチみたいだった。それでタイトルが『いつか読書
する日』みたいだ。ステップファミリーになりかけたり児童虐待の親がいたり早朝から仕事を掛け持ちして
働き続ける大場美奈子に市役所の児童課に勤めて子供を助けようとして死んでしまう高瀬槐多の最後にしても
小説を書きながら自分の娘や息子の年齢の子供を見守る皆川敏子の眼差しには、子供の世代は、生きるのが
かなり厳く見えていたと思う。そして虐待されている子供が孫の年齢なので幸せの時間は、一瞬で、人生の
殆どが大変に見えたと思う。緒方明監督の、『独立少年合唱団』(2000年)と『のんちゃんのり弁』(2009年)
は、鑑賞したが、親が早く亡くなっていて大変な状況の子供が出てくる。日本は、サザエさんやケンちゃん
シリーズみたいに恵まれた家庭の子供ばかりでないと言う現実に気付かせてくれる映画が多いのか、鑑賞する
作品を偶然選んで見てしまうのか分からないが印象に残ってしまう。『独立少年合唱団』は、第50回ベルリン
国際映画祭でアルフレッド・バウアー賞を受賞していて中学生の少年が自殺行為みたいに自動車で橋の欄干に
激突して死んでしまったり過激派の女性が爆弾で死んだり衝撃的な場面を覚えている。『いつか読書する日』が
モントリオール映画祭審査員特別賞ほ受賞しているから鑑賞した2作品は、代表作品だと思う。
「そ15歳の作文で決めた事を実行している大場美奈子の仕事を見ていると「その場にとどまるためには、全力で
走り続けなければならない」という鏡の国のアリスの中に登場するチェスの駒みたいな感じの赤の女王仮説を
連想してしまった。チェスは、白と黒の駒が多いが鏡の国のアリスは赤と白の駒だった。
映画を鑑賞している私達が、小説を書いていた皆川敏子に高い目線になるみたいな感じがした。
大場美奈子が住み続けている町は、長崎でロケしているが架空の町なので、長崎の有名な場所は、
登場しない。見る人が見れば解る感じだとおもう。
坂道の階段を駆け上がって牛乳を配達し続ける大場美奈子が健康に生きられて、幸せな老後を迎えてほしいと
願いながらエンドロールを眺めていた。大場美奈子の趣味の読書で、良い本とめぐり合える事で良い人生だと
感じて老後を過ごして、ほしいなどと感じた。それだけ考えさせられる映画だった。
世界中が大変な状態なので、地球上に憧れの国が無くなった感じを受けているが、内乱やデモが起こり戦争が
起こる海外の国よりは、日本の方がマシなのかも知れない気もするが政権や政治で国や町も人々の暮らしも
住んでいる人も変わり住みよくも悪くもなる。家庭も国と同じで、子供にとっては親次第だ。親による虐待は
法整備が進み暴力や暴言への規制が整ってきたみたいだ。きつい坂道みたいな人生を歩むのには、子供を道連れ
には出来ないみたいで高梨槐多に子供がいない。大場美奈子は独身のままだ。高梨槐多と結婚が出来ていれば
公務員の妻の遺族年金が貰えたと思うが、人生は上手くいかないみたいだ。



2020年11月03日

『ショーシャンクの空に』(19945年)フランク・ダラボン監督作品を観た。
1947年のアメリカでゴルフのコーチと妻の不貞関係を知って銀行員のアン
ドリュー・デュフレーンは、酒を飲んで自動車を運転して拳銃を持ってい
た。翌朝に、妻とゴルフのコーチが1人に四発づつ拳銃で撃たれて死んで
いた。裁判で犯行に使った拳銃が発見できず拳銃は、川に捨てて使用して
いないと無罪を主張するが六連発の拳銃だと弾を込める必要があるから
冷静な殺意があったと終身刑を言い渡されてショーシャンク刑務所で服役
する事になる。収監された時にショックで誰が泣き出すか、古くから収監
されている囚人達がタバコを賭けて楽しみにしている。1人の囚人が泣き
わめいて看守長が警棒で、気絶するまで叩く。翌日に、その囚人は死んだと
知る。翌朝の食事でタバコの受け渡しが行われる。アンディの食事に虫が
入っていた。虫を見つけて手に持っていると古株で高齢の囚人に食べるのか
聞かれて食べないと言うと、その囚人が虫を貰って内ポケットの巣から落ちた
鳥の雛に食べさせる。アンディは、刑務所のクリーニング工場で刑務作業を
している。他の囚人に暴力を受けたりもしていた。一ヵ月が経った頃に調達
屋のレッドにロック・ハンマーを注文する。石が趣味だと言う。
しばらくして刑務所の屋根の修理作業の募集がありレッドとアンディ達は、
作業に選ばれる。作業をしている時に、看守長の兄が死んで3万5千ドルを
相続するが税金で殆ど取られてしまう。自動車を一台買うぐらいしか残らな
いし自動車を買ったら自動車税も取られると看守仲間と話している。
アンディは、看守長に節税の方法を教えるが、最初の日に1人が殺されて
いるので、事故死で殺されるかも知れない危険な行動だった。節税の書類の
作成を手伝って費用を浮かせる手伝いをする代わりに一緒に作業している
囚人仲間の同僚に屋外作業にビールを飲ませてほしいと言う。アンディは
皆がビールを飲んでいる姿を眺めているが自分は、酒を止めたと飲まない。
アンディは、かつては、銀行副頭取まで務めた優秀なバンカーだったので
看守達にファィナンシャルプランナーみたいにアドバイスをしていた。
その能力を刑務所長が、囚人を、屋外で公共事業に使う事にする。そして
所長は、公共事業の業者からワイロを受け取りアンディが銀行に「ランドール・
スティーブンス」という名前で架空の口座を分散して作る方法で不正蓄財や
所長の帳簿を付ける手伝いをする。刑務作業は、受刑者の図書を貸し出す
仕事になる。50年も服役している老囚人ブルックスの助手になり図書の
予算が無いので州議会に陳情を毎週、郵送する。アンディの根気に負けて
図書館の廃棄本と200ドルの予算が送られてくる。アンディは、二週間に
ペースを開けて500ドルの予算を認められて刑務所に図書館を作る。
ブルックスは、1954年に保釈が認められて保護施設で働く事になる。
育てていた雛は、カラスになっていた。鉄格子から大きく育ったカラスを
空に飛ばして出所していった。出所後に働く事になったスーパマーケットの
労働が上手く出来ずに首を吊って自殺してしまう。縄を掛けた部屋の木に
「ブルックスここにあり」と掘っていた。私はタニエル・ブレイクの
元ネタかも知れないと感じた。この時代のスーパーは、紙袋を使っていた。
アンディーは、図書館に送られてきた「フィガロの結婚」の結婚を館内放送
して、ささやかな抵抗をする。「セビリアの理髪師」の名前がフィガロで
床屋兼何でも屋だったので所長に対する皮肉だったのかも知れない。
レッドに音楽を、かけた訳を聞かれてアンディは「音楽と希望は誰にも
奪えない」と言う、レッドは「希望は塀の中じゃ毒だ」と言う。
そしてレッドが若いころハーモニカを吹いていたと聞くとハーモニカを
別の趙達屋から手に入れたとプレゼントする。1965年に、新しく入所した
トミーは、軽犯罪を繰り返して数か所の刑務所に入った。その中でアンディー
の妻とゴルフのコーチを殺したと言っていた男の話を聞く。アンディーは、
トミーに子供が出来たと知らせが来て学習意欲が高まった。トミーに高校卒業
資格が取れる様にアンディーは、勉強を教える。通信教育で合格するが、アンディー
が冤罪で、真犯人を知っているか所長に問い詰められて聖書に誓えると言うと
ライフルで射殺させて脱獄しようとしたから射殺したと闇に葬られてしまう。
アンディーが釈放されると不正蓄財の協力者がいなくなり所長の悪事が、公に
なる危険を避ける為みたいだ。
トミーが殺されて1ヶ月後に、アンディは、不正蓄財を手伝う事で懲罰房から出された。
アンディの様子がおかしく、レッドに不思議な伝言を残す。レッド達は、アンディが
ロープを調達した事から自殺を考えていると疑う。嵐の晩にアンディーは、脱獄する。
最初に入手したロック・ハンマーを使って20年かけてリタ・ヘイワーズからマリリン・
モンロー・そしてラクエル・ウェルチのポスターの裏の壁を掘って穴を作っていた。
そして脱獄の時に所長の革靴やシャツやネクタイを囚人服の下に着て自分の房に戻って
脱走した。排水管に穴を開けるのに雷の音を使って逃げた。所長から渡された聖書を
くり抜いてロックハンマーは隠されていた。帳簿と聖書が隠し金庫の所長の物とアン
ディーの物が、すり替えられていた。不正蓄財や違法行為で看守長は、逮捕されて
所長は、顎の下から頭を撃ちぬいて自殺した。アンディーはメキシコに逃げ延びて
何も書かれていない差出人不明の絵葉書を、刑務所に送って来た。
レッドが40年目に仮釈放が認められる。ブルックが首を吊った部屋に住んでスーパー
で働くが刑務所に戻るには、犯罪を犯せば良いと拳銃のショーウィンドーを見ていたが
アンディーの伝言を、思い出して方位磁石を買って約束の場所の石を掘ると旅費と
町の名前は、解るハズだという手紙が入ってる。レッドは、仮釈放の規則を破って
メキシコのジワタネホ国外逃亡する。そしてアンディーと再会する。アンディーは
中古の船の手入れをしていた。そして映画は、エンドロールになる。適度にメリハリが
ありながらリアルで見入ってしまう映画だった。フランク・ダラボン監督のグリーン・
マイルより先に作られた作品で、超能力の場面が無くリアルさが、私好みの内容だった。
第二次世界大戦の直後やベトナム戦争の時代を囚人になり刑務所で服役していたので
生き延びる事が出来たという可能性もありそうな時代かも知れないと思った。
1995年 アカデミー賞 7部門(作品賞、主演男優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、作曲賞、音響賞)
ノミネートされ1995年度 第19回日本アカデミー賞 外国語映画賞を受賞している作品だが、
鑑賞する機会が無くて初見だった。似たタイトルの映画と混同して鑑賞したと思い込んで
いたみたいだ。今回は、機会に恵まれて鑑賞出来た良かった。




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