あさのたくやのざっきちょう TakuyaAsano Web 令和2年〜
『キングスマン:ファースト・エージェント』(2021年)
マシュー・ヴォーン監督作品を観た。
20世紀初頭、1902年の南アフリカの戦場の場面で映画が
はじまった。英国が南アフリカで戦争をしいおりボーア人
(アフリカーナー)を捕虜にして収容所に入れていたみた
いだ。そこに赤十字の救援物資を輸送して英国から名門貴
のオーランド・オックスフォード公が基地を訪問する。
第二次ボーア戦争の時期だ。オックスフォード公は旧知の
キッチナー将軍と副官のモートンと基地の門で会うが妻の
エミリーと息子のコンラッドを連れていた。赤十字の輸送
隊にボーア人の兵士が発砲が妻のエミリーの腹に命中する。
そして幼いコンラッドの見ている前で妻エミリーを亡くして
しまう。、アーサー王物語の話を執事のショーラにしており
父親のオーランドがアーサーでコンラッドは、ランスロット
だと話している時だった。円卓の騎士のあらすじは、詳しく
ないがイギリスでは、知られているのかも知れない。
上座下座がない円卓は、卓を囲む者すべてが対等であるとの
考えらしい。円卓に座った者達は、アーサー王の親族・和平に
同意した敵国の王・異国の王・騎士などで座席数は12から
1,600まであるらしく作品によって違う。円卓には、かならず
空席(Siege Perilous)が一つあるらしい。
円卓にはイエス・キリストと12人の使徒を模して13の席があり
魔術師マーリンが席に呪いをかけており円卓の騎士の一人である
ランスロットの息子ガラハッドが呪いを恐れずにこの席に座り、
呪いに打ち勝って12番目の騎士になったり聖杯を手にして天に
召されて再び空席となる。みたいな感じだ。別の機会に詳しく
知りたいと思った。
1914年になりコンラッドは青年になった。カシミール地方の断崖
絶壁の小屋に「羊飼い」を名乗る杖の指輪を嵌めた謎の男の所に
滑車の重りを付けた鳥かごみたいなエレベーターで絶壁の昇降して
たどり着く場所に小屋があり秘密の会議に『ロシアの怪僧ラスプー
チン』『女スパイ マタ・ハリ』『セルビアのテロリスト、ガヴ
リロ・プリンツィプ』『ロシアの革命家 レーニン』『ドイツの
ニセ預言者 エリック・ヤン・ハヌッセン』などの世界に激動を
起こし歴史に残る人物が集まり「羊飼い」は彼らに「闇の狂団」の
メンバー証になる熊とか亀などの動物の絵柄入りの指輪をデーブルに
置いた封筒に置いていて全員が封筒を開けて指輪を確認していた。
指輪の中には、自決用の青酸カリが封入されていた。
セルビアのテロリスト、ガヴリロ・プリンツィプが熊でロシアの
怪僧ラスプーチンが亀だった。ラスプーチンは、亀が最後に勝つと
つぶやいていた。
指輪の中には、自殺用の青酸カリが封入されていたが、命がけで
第一次世界大戦を引き起こして何の利益があるのか分からないが
スゴい事が歴史の裏で起こっていたというフィクションとしては、
陰謀論みたいで面白い話にしていた。
謎の「羊飼い」の目的が、いとこ同士となるイギリス国王のジョージ
5世・ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世・ロシア皇帝のニコライ2世の
三人が戦争を初めて、世界規模の戦争を起こすことになっている。
フィクションなので歴史を下敷きに創作されているので、歴史を学ん
でいればアレンジされた部分に違和感を感じるがパロディーとして
割り切れば楽しめる。歴史を詳しく知らなくてもフィクションとして
割り切れば面白い。
オックスフォード公は、キッチナー将軍の依頼を受けて、息子の
コンラッドとオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者である
フランツ・フェルディナンド大公の護衛するが、フランツ・フェル
ディナンド大公は、セルビアのテロリスト・ガヴリロ・プリンツィ
プに射殺されてしまう。計画は、爆弾だったが偶然に拳銃の射程距離
に車が気入り込んでしまう。
第一次世界大戦の引き金になったサラエボ事件では、ハプスブルグ
家の跡取りの暗殺が原因だが映画では、歴史をアレンジしている
みたいだ。暗殺事件を防げなかったオックスフォード公は、女性の
執事ポリーとワトキンズに協力してもらい執事やメイドのネット
ワークを使って国家権力に頼らない諜報網を構築する事にした。
ホテルのコンシェルジュの鍵のマークのネットワークをアレンジして
執事やメイドのネットワークを創作したみたいだ。元ネタにアメリカの
グリーン・ホーネットで運転手が優秀で活動を支えてくれるブルース・
リーが演じていたカトーみたいな役割の仲間がいて諜報活動を支えて
くれたらスゴいという感じなのかも知れない。バットマンなら執事の
アルフレッドの役割みたいだ。昔にサンダーバードや謎の円盤UFOという
ドラマが放送されていて、イギリスが世界中に植民地を持っていた
時代には、世界の中心だという設定だったと懐かしく感じた。南海の
孤島やビルの地下と月に秘密基地があるのは、現在では衛星写真や
監視カメラで見る事が出来る時代なので秘密は、公開されるのでリアルな
感じが薄れる。数十年前には、携帯電話にカメラが付いていなかった。
木を隠すなら森の中みたいにサビル・ロウのキングスマンという
テーラーのパターンルームを打ち合わせの場所に使っていたので、
集まって打ち合わせる場所に便利だったみたいだ。
第一次世界大戦の時代には、戦争の打ち合わせを喫茶店で行っていた
場合もあったらしい。会議室を借りられる喫茶店も昭和や平成には
あった。銀座のクラブや料亭を打ち合わせの場にしていた日本と大差が
無いのかも知れない。
メイドや執事の持つ諜報網から得た情報にで、ロシアのラスプーチンが
世界大戦の元になる可能性が高いとオックスフォード公爵・息子のコン
ラッド・執事のポリーとショーラの4名でロシアの宮殿でラスプーチンが
好きなデザートのケーキを用意したパーティーを開催する。
ラスプーチンの話相手を息子のコンラッドに任せるが、ラスプーチンに
退屈は、人を不快にさせると言われオックスフォード公が席を代わって
何とかラスプーチンを甘いデザートのアーモンドのケーキのある別室に誘う。
ラスプーチンは、オックスフォード公の足の怪我で歩くのに杖を使う状態を
血流を変えて治す理由でアーモンドケーキの毒の事も催眠術みたいな方法で
聞き出してしまい氷の張った水にオックスフォード公を入れられて殺そうと
するが、意識を取り戻して仕込み杖の剣やデレッキ(火かき棒)を使って
戦う。ラスプーチンは、頭を撃ち抜かれて死ぬがアナスタシアとかでも同じ
ような最後を遂げる。その後で、キッチナー将軍の乗艦していた装甲巡洋艦
ハンプシャーが魚雷攻撃されて、轟沈する。潜水艦には、ドイツ製の雷管が
使われていたり不穏な事件が次々と起こる。
息子のコンラッドは、祖国のイギリスに対する愛国心や白い羽を渡され侮辱
された事から軍隊に入って従軍する事を強く希望するが、父親のオックス
フォード公は乗り気ではない。白い羽は、チキンみたい意味なのかも知れない。
入隊して西部戦線に着任すると帰国命令が待っていた。父親の力で安全な後方
支援に移動されたと現地にいたアーチー軍曹と入れ替わり前線に残る。
アーチー軍曹は、コンラッドの代わりにイギリスに戻り、オックスフォード
公に面会を申し込むが、一度断られるがランスロットがアーサー王に面会した
いと言うと面会する事が出来て手紙を手渡す事が出来る。
キングスマンのパターンルームでジョージ5世とケンブリッジ公爵が打ち合
わせをしている時に経ちばさみを直角持つと銃剣を装着している塹壕の場面に
代わる。コンラッドは、アーチー軍曹として塹壕に残って戦っているとユニオン
ジャックを掲げたドイツ兵が砲撃されてしまう。上官は、味方のスパイが重要な
軍事機密を届ける為に行動していた。深夜0時に回収に行く決死隊を募る。
コンラッドは、真っ先に決死隊に志願する。深夜塹壕を出て遺体を探そうと
すると敵のドイツ兵も同じ事を計画しており銃を使うと両方から打たれると
双方がナイフや銃剣を使った戦闘をするが一発の銃声で両方から銃撃されて
窪みに身を隠すとユニオンジヤックを持っていた兵士が片足を失くしながらも
生きていて髑髏の模様の金属の容器を届けるように渡してくれるが、コンラッドは、
その負傷した兵士を背負って塹壕に戻る。
砲撃で吹き渡場されながらも塹壕に生きて戻るが、アーチー軍曹を知っている
味方の上官に敵が入れ替わっているからスパイだと頭を撃たれて戦死してしまう。
妻のエミリーをボーア戦争で亡くし更に、息子のコンラッドも戦死してしまった
オックスフォード公はショックと悲しみから、酒を飲んで荒んだ日々を送っている。
アメリカのウィルソン大統領は、謎の結社の仲間のマタ・ハリのハニートラップ
により淫行フィルムを盗撮されたことで弱みを握られ、参戦出来ない立場になって
いた。アメリカが作戦する事で、戦争を終わらせる為にオックスフォード公は
盗撮フィルムを取り返すために、ポリー、ショーラとともに3人で断崖絶壁に
ある謎の秘密結社の本部に乗り込む。飛行機からパラシュートで降下して、
唯一の出入り口になっているエレベーターを制圧する計画だが一人で操縦して
複葉機から飛び降りる途中で羽に穴が開いて体が穴に嵌って抜けなくなって
ナイフで布製の羽を切って飛び売りてパラシュートで敵のアジトのある崖の
台地に降りる。アクションに集中して見入るが、当てずっぽうな作戦で凡人に
出来そうもない曲芸だと気になった。そこに羊飼いと打ち合わせをして帰る為に
エレベーターの籠に乗っていたデュポンがエレベータのロープが切れて籠ごと
地面に叩きつけられる。絶壁の崖の下で待っていたポリーとショーラは、その
エレベータの重りに乗って崖を上ってオックスフォードと共に戦いフィルムを
取り返す。戦った黒幕の「羊飼い」は、キッチナー将軍の副官のモートンだった。
この時代は、撮影したフィルムを回収すれば痕跡を消せる時代なのと
敵のメンバーが持っているスカーフの素材がカシミール地方の特別な地域のヤギの
毛のカシミアだとキングスマンの生地の見本帳で調べる事でアジトの場所まで
特定していた。カシミアとウールの違いなら見ただけで分かるがカシミアが何処の
産地なのかは、までなぜ見分けられたのかは不思議だ。
現在ならDNA鑑定が可能だと思が違和感のある場面だった。回収したフィルムは、
執事やメイドのネットワークでホワイトハウスの仲間に届けられウィルソン大統領の
ティータイムにマフィンの籠に入れられてさり気無く届けられて大統領がフィルムを
暖炉で燃やして参戦の命令が出来て戦争が終わる流れだった。通信には、電話や
無線や伝書鳩が使われている時代だった。手紙を手渡しする伝令とか塹壕戦が主な戦
い方だった。羊飼いが副官のモートンかと思ったらレーニンとヒットラーが謎の
秘密結社の羊飼いの前で、右と左のバランスを取るために次の戦争を引き起こす為に
裏で協力している描写があった。「羊飼い」との死闘の後でオックスフォード公は、
英国国王ジョージ5世と、ポリー・ショーラ。アーチーと、ロンドンのサヴィル・ロウ
11番地にある高級テーラーのキングスマンを、買い取ってテーラーの中に、国家権力の
影響を受けず独自に動ける諜報機関を、秘密裏に設立する。その店の名前が「Kingsman」だった。
という話の流れだった。オックスフォード公は、戦争で、妻のエミリーと息子のコンラッド
を亡くしている。しかも偶然、射殺されている。戦争で無くても悪いことが立て続けに
起こると秘密結社が暗躍しているのではないかと言う疑念を持ちたくなる。荒唐無稽な
現象に姿を持った敵を作って戦う事で留飲を下げたい気にもなる。秘密結社を空想で
創作するのは、ドンキホーテが風車をドラゴンだと戦うのに似ている。
キングスマンの他のシリーズは、まだ見ていないので、鑑賞したいと思う。
キングスマンの諜報組織の指揮者アーサーでテロを防ぐというストーリーは、007が
スペクターと戦う話に近い。謎の円盤UFOは、表向きは映画会社だったりサンターバードは、
元は宇宙飛行士だったり様々な表の看板があった。ゲームのサクラ大戦は、帝国歌劇団
だったり様々だ。キングスマンの裏方の執事やメイドのネットワークの方が『砂の惑星
デューン』の魔女の秘密結社みたいに組織としてスゴそうな気がした。
他のキングスマンのシリーズを鑑賞してストーリーを知りたいと思った。
スターウォーズも続編の後で、過去のエピソードが作られたので、同じ感じだと
思う。ディズニーの有料ネット配信かレンタルビデオで借りて見る事は、出来る。
楽しめる作品だったので、他のシリーズも期待出来そうだ。
『娘の季節』(1968年)樋口弘美監督作品を観た。路線バスが
ワンマンカーに代わる直前の時代に、若いバスガールとして働
いている娘たちの職場での悩みや恋愛に労働運動などを盛り込
んだ日活の青春映画だった。私の幼少の頃には、バスカールが
勤務していたと思われるが旅行の時に観光案内をしてくれる
バスガイドさんしか記憶にない。バスの車掌は女性で列車の
車掌は男性だった気がする。今は、見られない職業に大勢の
人が従事していた事も追憶する程に変化したと感じる。自動化
されたりセルフサービスが増えて人と接する機会が減った。
バスの運転主は、車椅子の乗り降りまで行い一人で様々な事を
熟している。バス停に近接表示の機能が付いたり便利になった
時代に路線バスで働くバスガールの仕事を見るだけでも昔を
知る事が出来る身近な存在だったバスガールという職業物の
映画だと感じた。スチュワーデスより身近だけど消えてしまい
観光バスのガイドさんしか残っていないのも時代の流れを感じる。
デパートのエレベーターで働いていた人がいた時代もあった。
あらすじは、バスから降りてバス停で下車する乗客から料金を
受け取る仕事をしていると乗客の男子学生が発車オーライと事
を出して運転手の古橋(杉良太郎)がハスを発車させて、バス
ガールの津村みどりが置き去りにされて走って追いかける場面
から始まる。『あゝ野麦峠』が1979年でバスを追いかける名シーン
があったけど別れの場面ではなく仕事のミスで制服姿で走ると
いう部分で印象的な始まりだった。客の悪戯に変だと気が付か
ないのも(声が違う)変だし確認が甘い気もしたが、運転席から
確認するバックミラーも現在みたいに性能が良くない時代なので
面白い場面だと感じた。しかも走ってバスを追いかけている、
みどりを見かけて兄が1000円貸してくれと声をかけてくる。
それどころじゃないと言って走り続ける。バスが走っいてる道路
と新幹線が、すれ違うタイミングが良いタイミングだ。そして
映画のオープニングが流れる。これだけで映画に引き込まれて
しまう。しかもカラーだ。バスの窓から赤・青・黄色の風船が
飛んで行って泣いている子供を、みどりがなだめている。
赤い風船という映画をリスペクトして信号の三色にしている
など様々な要素が凝縮されたオープニングた。乗務員の詰め所に
戻ると服装チエックでハイヒールだと業務に差し支えると小夜が注意
されている。「#Me Too」運動の流れで#KuToo運動になったのと
は逆の話だ。スラット見えるほうが良いと言い返したりバックから
果物が出てきて乗客から貰ったというのも同じ時間に同じ人が決め
られた場所で働いている事で生まれる人情を感じる事が出来る。
近所付き合いの延長の人付き合いみたい感じが残っている時代みたいだ。
知らない人からお菓子を貰うなと昔の子供は、言われた。今では
声を掛けられたら不審者で通報される時代だ。
バスガールの津村みどりと、バスの車掌仲間の光枝・
千代・ユキ・小夜たちと社員寮で集団生活を送っている。
当時は、ワンルームで一人暮らし出来る程の賃金が払われていな
かったみたいだ。現在の技能実習生みたい環境に近いのかもしれ
ない。ただ現在と違い、正社員なので労働組合もあり身分は、保証
されていたみたいだ。勤務時の服装規定があり、小夜が服装指導を
受けて、服装指導の場所を男性社員がいる場所で行うことなど納得が
いかない事が多く合理化でワンマンカーを導入する事などに怒って
会社を辞めてしまう。バス料金の30円を払いたくないので5000円
札しか持っていないとタダ乗りする、おばあさんがいる。(映画の
ラストで、事前に釣銭を用意される)70年代に入る直前で、寮の
洗濯機は、二層式でテレビは、食堂に一台で部屋ではラジオを聴く
事が娯楽みたいだ。歌はブルーシャトーが流行った時代だ。
服は、70年代のプリント柄が流行した時代でシェルブールの雨傘
やロシュフォールの恋人みたいな色彩が増える前なので寮では、ビビ
ットな色を着ているバスカールもいた。寮長の堀込康子は、寮に食品
を納入する業者の事なども考えないといけないみたいで、勤務中に
すれ違うトラックに片腕を持っていかれて白い手袋をして働き続けて
いる。片手でマッチを擦り火を点けられるようになったと見せる場面
があった。労働組合では、ワンマンカーや服装の身体検査問題などで、
議論が沸騰していた。そんな時に株主パスの乗客が一人有効のパスで
友人まで何人も乗せて無賃乗車として扱いトラブルになったりした。
労働組合の集会の後で、みどりは、3000円を、用立ててほしいと
缶詰とチョコレートに手紙を、寮に預けていたので、久しぶりに兄の
弘一を訪ねた。そして、下宿の家賃を滞納して勤め先の工場が、潰れて
バーに入り浸って乱れた生活をしている兄の姿を見て悩んだ。は
そのバーには、以前に服装の問題で、辞めた小夜が務めていた。
組合のレクリエーションで合唱したり遊園地で遊んだりしていた。
レジャーランドが増えてレクリエーションブームの時代を思い出した。
その一方で、光枝は、大学出の恋人の子を妊娠してしまう。恋人の親は、
子供を堕ろせという。光枝は、実家の青森へ帰えるが親との関係が悪く
なり寮に戻ってきてしまう。この時代は、コインロッカー・ベイビーと
言う事件が起こった時代に近い。みどり達は、大変な状態の光枝を寮に
迎え入れて、世話をするが、寮長の康子は光枝に冷たい感じがした。
責任を取れないから何もできないと思うし若い娘達なら母子手帳など
役所の手続きなども経験がないかも知れない。なんとか寮での出産無事に
終わった。産婆や産婦人科の手を借りない所は、お金が無いから大変だと
感じた。妊娠させた男の方も大学を中退して働く事になった。
みどりの兄は、30円を払わない、お婆さんがパチンコ屋で磁石で玉を入れる
イカサマの見張りをして共犯で警察に捕まって身元引受に行ったりしていた。
兄の弘一が運転手の古橋に、妹みどりの将来を頼むと、言ってから、警察から
みどりに連絡が来る。バーのマダムしのぶと兄の弘一が心中してしまい確認に
呼ばれる。かなり大変な事件が起こるが、仕事仲間もいるのでバスガールを
続けていた。ワンマン化も行われそうだけど、映画のラストは、5000円しか
ないと30円を払わない、お婆さんに、事前にお釣りを用意して30円を受け取る
事に成功してバスガールの仕事を続けている所で映画は、終わった。
運転手の古橋と、みどりの二人が希望を持って幸福に向かって予感を感じる
終わり方だった。内容が、かなり濃い映画で面白かったが、あまり知られて
いない日活の青春映画の最後の作品みたいだ。アメリカの映画で路線バスの
運転手のパターソンが乗客を観察して、詩を書いている『パターソン』という
映画やマリリン・モンローの『バス停留所』というバスが登場する映画もあった
と思い出す事が出来た。パチンコのイカサマに老婆が使った指輪が強力な磁石
になっている道具が興味深かった。この時代のパチンコは、座らないで立って
玉を一つ入れて打っているみたいに見えた。時代の流れで玉を連続して打てる
ようになって電動で打つようになったり変化を続けているが書店が激減した
みたいにパチンコ店の看板が減った感じがする。心中と新しい命の誕生があり
社会の変化や機械による自動化など当時を思い出しながら、予想が出来ない
未来や将来を考えたりしてしまうが新型コロナが、今も続いている。来年には、
マスクを外せる程に安心して過ごせるように終息してほしいと思う。日本は、
感染者が減っていても増えている国もあるので気を抜けない。世界規模の感染症
なので先のメドが立てられるのは、もう少し先になるかも知れない。
『娘の季節』の時代から半世紀が経った現在では、女性の運転手さんも、路線
バスを運転しいてる。バス路線の中には、狭い道もあり丁寧で正確に運行して
いる。バスの性能や機能が良くなっても作業が増える大変な仕事だと思う。
駅では、自動改札で駅員さんが減ったし買い物の清算をセルフレジで行い食事の
注文をタブレットで行う時代は、笑顔や軽い会話も削っしまい『モモ』という
小説が現実になっていくのかも知れない。
20年程前には、スマイル0円と張り紙していたファーストフードの店があった
が接客業のバスカールさんもエレベーターガールも消えた。販売員という職業も
減って消えてしまうのかも知れない。
笑顔は、歯車のように正確に動く社会システムの潤滑剤のような気がする。感情
労働のコストは、効率化の中では、高いものになってしまったのかも知れない。
新型コロナで、マスク生活が続きそうだ。
社会構造が変わり仕事のスタイルが変化すると思うが予測が難しい。この先の変化
が気になる。
『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021年)ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督
作品を観た。1984年のデイヴィッド・リンチ監督の作品の時代より
CGの進化があり期待が大きかったのと細かい部分が砂塵の影響で、
見えづらかった。戦闘シーンは、銃でなく剣を使用しシールドで
防御しいた。サンドワームの歯から作られたナイフなど風の谷の
ナウシカにも影響を与えた小説みたい感じがした。アトレイデス公爵
とハルコンネン男爵を争わせ力を削ごうとする皇帝の陰謀や女性(魔女)
の秘密結社ベネ・ゲゼリットや砂の民フレーメンが救世主の出現を
予言していたり予知夢の女性チャニとフレーメンに残り戦う事を選ぶ。
流れだった。メランジというスパイスは人間の寿命を延ばし、超人的な
思考レベルを得られ、超光速の宇宙旅行を可能にするらしく砂の惑星
の内部に水がありネズミや植物がザクに生息していたが、スパイスを
採掘する為に砂漠のままにしている。アトレイデスがフレーメンに残り
戦い勝利したら環境も変わるのかも知れない。砂漠の民フレーメンが
中東のゲリラみたいに見えた。トンボみたいなヘリコプターがメカと
して登場した。現在のVFXを使うとスゴくなりそうだと期待したが
1984年の驚きは。感じられなかった。フレーメンに残り戦う前の所で
終わったので、物語の序章みたいだった。続編が見たいと感じたが
そもそも作られるかどうかも分からないから楽しみにしたい。
『戦争を知らない子供たち』(1973年)松本正志監督作品を観た。
学生運動で自衛隊の基地を作るのに反対してバリケードを作って
抗議している若者が出て来る。警察予備隊から自衛隊へと組織が
変わって戦後生まれの青少年は、学業に打ち込むにも目標が大学
に行って卒業して就職して出世するという漠然としたレールは、
示されても明確な職種や職業や業種を選ぶ事は、出来ない年齢
だと感じた。自分が向いている職業適性や興味を持って続ける
仕事を探している時期だと思う。親の世代は、戦争から帰還して
結婚して戦後に子供を作り家庭を持った世代だ。戦後の復興を
成し遂げているが戦前・戦中・戦後と日本の激変を経験しており
子供に明確な進路を示す事が出来ないので高学歴になって様々な
職業に付けるようになってほしいと思っていたと感じた。
中学を出て働くよりは、高校や大学に進んでほしいと考えていた
と思う。学生運動は、アメリカのコロンビア大学から始まった。
日本の大学生が、戦時中に徴兵猶予されていたのが学徒出陣に
なったみたいにアメリカでもベトナム戦争に動員される事に反対
2021年 7月14日して始りウッドストックの音楽祭やヒッピーというカウンター
カルチャーが起こった。高校生が3人で、教室でキスをして
謹慎になった事に反対して学校に立てこもったりする。それから
抗議に失敗して3人で旅に出る。旅先で、お金が無くなり旅回り
の一座に居候する。剣劇とストリップの一座の手伝いをしていたが
基地建設反対で立てこもっている左翼の所に寝泊まりさせてもらう
為に転がり込む。基地建設工事が進むとアメリカの不発弾が発見され
一郎は、不発弾の所に座り込み爆弾を抱え大騒ぎになる。大勢の
若者が集まり、音楽祭みたいになりヘルメットがカラフルで風船も
カラフルで機動隊が見守っている。警察署長と一郎の父親は、同じ
部隊の上官と部下だった。騒いでいた群衆が帰っても一郎は、爆弾
の側に座り込んでいる。狙撃手の姿に気が付き爆弾の信管を金槌で
叩くが不発弾だった。一郎は、家に連れ戻されて髪を切って桜の
咲く道を歩いて学校に戻る。そして映画は変わった。
この時代は、家出した少年や少女でも何処かで住み込みの仕事を
して生活できたみたいだ。今の時代では、未成年者と関わると誘拐
とかになるから関わる人はいない。家出も出来ないから引き籠るしか
出来ない社会になった。夜逃げや蒸発も昔は、起こり得たが今は無い
と思う。この時代のヒッピが髪を長くしていたのは、世界中の戦争が
終わって平和になるので伸ばすという願いを込めていたと最近テレビ
で知った。知らないまま生きて来て昔を懐かしんで観た映画で遅れて
気が付く事もある。戦争映画にジュネーブ条約が出て来る。日本は
条約に加盟していないみたいだ。ハーグ陸戦条約には加盟している。
真珠湾攻撃は、卑怯な不意打ちと認識しているが条約違反でないので
違法では無いのかも知れない。宣戦布告してから戦闘になった例は
少なく戦争は、突発的に起こっている事が多いのかも知れない。
内乱や紛争は、世界中で起こるし家庭の中ですら夫婦喧嘩が起こり
家庭内暴力や虐待のニュースも目にする。1人ぼっちの時ですら
自分の心の中で色々考えて葛藤が起こる事もある。
平和は難しいテーマだが平和に向かう努力は良いと思う、後は、右に
行くか左に行くか中間を選ぶか立ち止まって様子を見るかは、その
時代やそれぞれが置かれている立場で考えるしかなさそうな気がする。
衣食足りて礼節を知るとか足りるを知るとか色々な諺もあるが偶然と
バランスが人生を決めるのかも知れない。
同じ1970年代を生きていても親と子供で考え方や立場は違う。生い先
短くなると孫や子の行く末を見る為に長生きする事が目的になる。
戦争が終わってベビーブームが起こったけど受験戦争があり生存競争が
続くので生涯独身のままになり、少子化が続いていくと何か安全安心に
暮らせる社会システムが作られて子供を産み育てられる状態になれば
持続可能な数の人口が増えるのかも知れない。資本主義や社会主義や
宗教国家など様々だがインターネットが普及してリモートワークの世界
になるかも知れない。何処の国にでも炊事洗濯といった家事が出来る
事や人間関係をバランス良く取れる事が必要だと感じた。ヘルメットを
被って赤い毛糸編み物をしている少女の場面があり感じた。この映画は
DVD化されててないので鑑賞する機会があって良かったと思う。
最近、昭和レトロの服を原宿のラフォーレで見かけたりして懐かしいと
感じる事もあった。趣味にはホビーとセンスがあるがマニアックな趣味
が流行したり流行していた物が消えて行ったりする。時代によって価値観
も変わるから変化に気が付く事が大切だと感じた。髪型などの外見だけで
気が付かない変化に気が付く事も大切だ。不確かな時代は、人が生きて
いる以上は続く。校舎の時計のアップの場面で狙撃手が銃口を向けて
いたり不発弾が爆発して死んでしまったりするかとハラハラしていたら
髪を切って学校に戻って終わった。知らない事や知らない方が良い事も
あると感じた。戦死より帰還兵の自殺が4倍らしいと何かで知った。
この映画は、親が兵役を経験してい無事に帰還している。戦災孤児が
浮浪児になった後の世代に産まれたみたいだ。戦争が終わっても復興から
取り残された人も生存していたと思う。朝鮮戦争やベトナム戦争と続き
警察予備隊から自衛隊に変化した時代だから同時の若者たちは、戦争に
巻き込まれそうな雰囲気を感じて不安が強かったと想像した。戦争で
兵役を経験した親世代は、悲惨さを知っているが口にしなかった。何が
正解かは、解らない状態では、様々な答えがあり自分達が正しいと思い
込んでしまう。社会が複雑化して混沌としている現在は、先が読めない
と思う。様々な考えがあり自分の考えとの違いを理解して相手の意見も
尊重してイメージしてみる事が大切になったと感じる。
『カラミティ・ジェーン』(1953年)デイヴィッド・バトラー監督作品を観た。
アメリカの西部開拓時代にカスター将軍の軍隊で男性の軍服を着用して斥候を
していた女性が実在していたらしい。女性ガンマンで「平原の女王」呼ばれて
いたらしい。男装の麗人というよりは、軍隊で男勝りに活躍していたみたいだ。
男性と軍隊生活をするのは、着替えやトイレや風呂など大変だと思う。
男性として馴染んで見えるように行動していたみたいだ。そして男達も女性と
して扱っていないみたいだ。タバコのオマケにシカゴの女優アデレード・アダ
ムスの写真が付いている事がありレアカードなので酒場に集う男達は、写真欲
しさにタバコを買っていた。駅から馬車で移動しないと行けない町に劇場があり
劇場主が女性と勘違いして男性の役者を呼んでしまった。その男性に女装させて
ステージで歌を歌ってもらいショーをするがトロンボーンにカツラが引っ掛かり
男性だと客は、騒ぎ出す。その劇場主を助ける為に女優アデレード・アダムスを
劇場に呼んでステージで埋め合わせするとカラミティ・ジェーンが言う。そして
イリノイ州のシカゴに行きアデレード・アダムスの部屋に行きケティ・ブラウン
をアデレードと勘違いして連れて来る。ケティは、歌手になりステージに立ちた
いとアデレードの付き人の時に話していたのでカラミティ・ジェーンに強引に
誘われて劇場に来る。カラミティは(厄病神)という意味でマーサ・ジェーン・
カナリーが本名らしい。西部劇の時代は、家事の手間がかかり洗濯や調理など
家庭の主婦が1人では、こなせない程手間がかかり女中さんを雇ったり大変だ
ったと思われる。第一次世界大戦と第二次世界大戦では、女性が男性が戦場で
戦うために男性が担っていた製造業やインフラの維持に働いた。1953年に作ら
れた『カラミティ・ジェーン』は、男勝りの軍人でガンマンの主人公が活躍
する映画で、男らしさを誇張する女性が恋をして自然に女性として自分らしく
変わっていく流れを感じた。社会情勢や時代背景が変化したら時代を乗り切る
為に行動や生活様式まで変わってしまう。生き辛さを感じず自然に生きられる
世界になってほしいと思うがジェンダーの問題やダイバーシティーなど複雑な
問題が注目されたり新型コロナの変異株が登場したりしていて先の予想が
出来ないので歴史を知る事も大切だと思った。
『丹下左膳 百万両の壺』(2004年)津田豊滋督作品を観た。
大勢で切り合いしている場面で映画が始まった。
夜泣きの刀と呼ばれる関の孫六の名刀「乾雲丸・坤竜丸」を手に
入れて争奪戦になったと思われる。映画では詳しく説明されて
いないが、知っている事が前提みたいだ。それから女が助けに来て、
片目と片腕を失ったが恩人のお藤が営んでいる矢場(弓矢で的を狙う
ゲームの場)で用心棒にらり暮らしている。
剣術の達人らしく片目と片手を失っても強い。座頭市みたいに
弱者なのに強いキャラクターみたいだ。この主人公の丹下左膳が
ニッ八蕎麦の主人が切られて息を引き取る時に、身寄りが無くなる
少年の面倒を見てほしいと頼まれる。少年の面倒を、お藤は子供が
嫌いだと断るが面倒を見る事になる。少年と金魚釣りをして持ち帰る
が金魚を入れていたガラスの容器を子供が転んで割ってしまう。
同じ長屋に古道具屋が住んでいて武家屋敷から壺を十文で引き取って
来る。その壺を貰って金魚を入れる。壺を売ってから実家の柳生家の
殿様の兄から改修奉行を命じられて金の工面に壺が必要になったと事
で、100万量の軍資金の在りかが塗りこまれている事を知る。
孤児になった少年の世話をしていたら殿様の隠し子で、引き取られる
事でハッピーエンドになったり座頭市みたいに大きなハンデがあっても
超人的に強いキャラクターだった。金が必要になって神変夢想流の
小野塚鉄斎道場に道場破りに行くと旧知の友がいて表向きは負けて
金を工面したり人情味のある話だった。のちに作られた時代劇にも
取り入れらる話の流れだと感じた。2004年のリメイクしか見ていないが
1935年(昭和10年)のオリジナルは、もっと面白かったと思われる。
機会があれば鑑賞したいと思った。孤児になった、ちょび安が
持っている壺が「こけ猿の壺」だったり孤児から殿様の子供だったと
お守りみたいな小さな持ち物から身元が解り城に戻る所は、家なき子や
小公子やオリバー・ツィストみたいな雰囲気だった。
「こけ猿の壺」に印された柳生の隠し財宝が何だったのかは、謎の
ままだった。日光の改修工事は、戦前に作られた続編の時にも発見
された話は、無いみたいだ。謎が残っていると続きを見たくなる。
子供の落ち着き先が決まって良い所で終わったと思う。主人公の
丹下左膳は、多重障害を抱えたまま生きていくのだろう。
時代や社会情勢が変わっても子供には、両親が必要なのは変わらない。
逆境の中で生きていくのは、奇跡的な事が起こる事を希望にして
いるのは、何時の時代も変わらないみたいだ。人は、現実の辛さを
忘れる為にフィクションの物語にハッピーエンドを求めるのかも知れ
ない。物語はハッピーエンドで終わっても、登場人物にも一生を
追えるまで良い事も悪い事も繰り返されるのが現実だ。
良い人生だと感じられるように無理をしない程度に悔いを残さない
ように地道に生きるしかなさそうだ。
架空のヒーローの物語でも丹下左膳にも座頭市みたいに大きなハンデを
持っていても強いキャラクターは意外性が高いので冒険活劇の主人公に
なっている。パラリンピックのアスリートに近い感じがする。捨て子の
孤児が殿様の子供だったという話も意外性を感じた。現実にありえない
事だけど比較的に現実社会の中で理解出来る物語なのだと思う。
様々な物語を理解するには時代背景や社会情勢を知る事が必要だ。神話
やファンタジーになると想像力が必要だしSF小説になるとその時代の科学
の知識も必要になる。好奇心を持ち続ける事が映画を観て理解する為に
必要だ。不可能な境遇や逆境で活躍する主人公はスゴイも興味を持つ。
そんな事を感じる映画だった。
『危いことなら銭になる』(1962年)中平康督作品を観た。
お札の印刷に使う透かし入りの紙を積んだ自動車が奪われ
る所から物語は、始まった。そして事件を知った事件屋の
男が三人で偽札作りの名人を探し出す。紙を奪った黒幕が
共栄商会だと突き止めるが事務員が1人いるだけで電話の
取次をしているだけだ。ガラスのジョー・計算尺の哲・
ダンプの健という男達と共栄商事をクビになった秋山とも子
という武道をフランススに広めようとしている女性が、
コミカルに活躍する。キャバレー・アカプルコにギャング
のボスがいて偽札作りの名人に作業をさせている。
派手な銃撃戦や大勢が死んだりしているが戦後間もない
コメディーなので偽札を作る事が中心になって人命が軽い
感じを受けた。ラストのオチは、偽札の角度を変えると
ウィンクする仕掛けがされていて、ドルとの取引をするが
ドルも偽札で角度を変えるとジョージ・ワシントンが
赤い舌を出す仕掛けになっていて、ニセ札作りの名人が
香港で、やった仕事で両方とも偽札だったと言うオチで
映画が終わった。あだ名のユニークさや白黒映画のラスト
でお札の舌が赤い部分とかは天国と地獄の煙みたいノリだ
と思った。意外と面白い映画だった。
『新・黄金の七人 7×7』の造幣局に忍び込んで紙幣を印刷
する映画の前に作られていた事がスゴいと思った。
第二次戦後に、新円切り替えがあり貨幣価値が変わった事を
経験した世代が1962年には、大勢いたと思う。紙幣の信用が
一度、揺らいだ時代を経験した世代が、当時にどんな感想を
持ったかも気になった。ガラス・計算尺・ダンプは、21世紀
になりガラスは紙コップやペットボトルに変わり計算尺は
電卓からコンピューターに変わった。ダンプは速度を表示する
三つのランプからタコメーターに変わりドライブレコーダーが
取り付けられるように通称になる物の変化した。
現金も電子マネーに変化していく。社会構造の変化を懐かしんで
鑑賞するほど映画が作られてから60年という年月に変化が
何度か起こった。戦前・戦中・戦後の激動の時代と現在の
コロナ過が世界に与える変化と比較して考えたいと思った。
基準に出来る物が変わると普遍的な物に憧れる。変化に疲れて
持続可能(サスティナブル)な構造が大切だという意識変化が
起こっているみたいだがエシカル(倫理的)な感覚が重要になった
時代に犯罪をテーマにした映画を鑑賞して時代背景を考えないと
映画によっては、忌避感を持たれるかも知れないと感じた。
道を歩くのに方向を間違える人は、移動するノボリ旗とか特定の
時間に明るくなる看板を目印にしてしまうらしい。
街並みが変わると目印となる建物が無くなったりするから目印に
する物は、長くその場所にある建物とかが良いらしいが駅や学校
でも無くなる事もある。人生で進むべき目標を決めるのは難しい。
目印だった大きなビルですら100年以内に建て替えられる。
法律が変われば善悪の基準の度合いも変わる。変化が激しい時に
普遍的な基準にできる物差しを持っている事が大切らしい。
哲学者アリストテレスのロゴス(ロジック・理論)バトス(パッション・
情熱)エトス(エシックス・倫理)という言葉がある。法律が変わる
時代には、それぞれが倫理観を持つことが大切だと思った。
太く短くから細く長くサステナブル(持続可能性)や倫理的(エシカル)
な事が価値になる時代にニセ札やギャングの銃撃戦の場面を見て東京
オリンピック前の時代背景を考えないといけないと思った。
ニセ札の肖像がウィンクしたりベロを出したり取引で、同じ名人が
作ったニセ札だったと言うオチは、面白かったが銃撃戦で大勢が
死んだり怪我をしていそうな事が後で気になった。
本物かニセ物かを考えて値段を当てる「開運!なんでも鑑定団」という
番組が長く続いている。宝探しみたいに本物かニセ物かを当てるのも
楽しいと思うが、お札は、本物とニセ物かを誰もが識別できないと
大変困る。1965年から1967年に、前衛芸術として赤瀬川原平がオブジェの
千円札を作って千円札裁判が行われた事を思い出した。この映画の影響が
あったのかは解らないが興味深いと思う。1962年は、印刷技術が国家の
技術力の目安だった。青焼きにガリ版や凸版印刷からオフセット印刷に
変わりコピー機が出来たり進化していた。現在のテクノロジーの進化み
たいに変化していたと思う。最近では電子マネーも登場している。
どんな未来に変わるのか予測できないが時代に取り残されないように
好奇心と向上心を維持し探求したいと思う。
『星の王子ニューヨークへ行く2』(2020年)クレイグ・ブリュワー督作品を観た。
エディー・マーフィ主演の1988年公開『星の王子ニューヨークへ行く』の続編だ。
アキーム王子がリサとザムンダ王国で暮らし30年もの歳月が流れて娘が三人いる。
アキーム王子の父親ジャファ国王の余命が短いのでアキームに王位を継がせて皇太子
にアキームが前作でセミーと独身の時にニューョークで、成り行きで関係を持った
女性との間にラヴェルと言う息子がいる事が解る。そしてニューョークで息子の
ラヴェルを見つけてザムンダに家族ごと呼び寄せるがラヴェルは、王宮の美容師の
女性とアメリカで美容室をやって暮らしたいと言い出す。
そう考える事になったのは、軍事政権の隣国の将軍の娘とラヴェルを婚約させて
政略結婚が出ないと戦争の危険がある事だ。隣国の将軍や軍隊が簡単に王宮に訪問
してくるのは、コメディー映画なので、違和感を感じた。
ザムンダの王位継承権は男子に限る法律だったがライオンのヒゲを切って勇気を
示してアキームが王位に着く。王位に付いてラヴェルにはアメリカで大使らなり
外交を担当してもらい娘が王位継承できるように法律を変えてハッピーエンドで
まとまった。続編が作られていた事にも気が付かず新型コロナで劇場公開もされて
いないみたいだが、ネット配信でも続きを鑑賞出来て良かった。
男女の役割も時代によって変わる所がジェンダーギャップ指数が注目されている
今のタイミングに会っていると思った。ザムンダが裕福なのは、どんな産業や資源
のある国なのかは、映画では、解らなかった。主要なキャストが存命だったから
作る事が出来た映画だと感じた。長く大量生産大量消費で豊な生活を目指していたが
公害で生命や健康が脅かされ地球規模での環境変化が起こり、ライフスタイルが
「人と地球にやさしい生活」かを「倫理的・道徳的」な観点で考えるエシカルな
ファッションに価値が変化している。
サスティナブルという、「持続可能な」地球環境を目指す事や、地球環境や働き方
から生活様式など幅広く「サスティナブルな社会を実現する為には、サスティナブルな
経済活動を行う」といった方向に変化するために試行錯誤している時代でもある。
王政は封建時代の統治で殆どの国が民主主義になったので『王子』は童話の中の話で
漠然にイメージする時代のノスタルジーを感じる響きだ。一作目の映画が作られた時代
から長い年月が経っているから考えさせられた。世界から王国が減っていきヨーロッパ
の国は、EUに加盟している。新型コロナで、移動も交流も制約されている。
これからは、どのような世界構造に落ち着くと地球規模で快適に生きられるようになる
のか社会実験に近い状態も起こり試行錯誤が続きそうだ。価値観や意識も大きく変化して
いくと思われる。映画の感想も時代背景を知ってから見ないと解らない人が増えていくと
思われる。歴史・風俗・文化を知る事が映画を観るのに必要たが違和感や疑問を持ったら
興味を持って調べる機会にしたいと思う。今日より明日が快適になる事が希望だと思う。
漫画やドラマや連続小説や続編のある映画を最後まで見る事が出来たら達成感と喪失感の
どちらかは感じると思う。感想は、時間が経過すると変わる事もあると思う。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年)庵野秀明(総監督)
鶴巻和哉・中山勝一・前田真宏督作品を観た。シリーズが何本も
あり『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』全4部作の第4作目にあたる。
地球が赤く荒廃してた。メリーゴーランドに軍艦が吊ってある
兵器がパリのエッフェル塔で任務を行っていた。アンダーリムの
メガネをかけたマリが乗っているエヴァ8号機がNERVと戦闘してい
る。ネルフから反逆して別れたヴィレとの戦闘から始まった。
碇シンジは、意識不明のまま14年が経過しているらしい。
昭和の路面電車や古い建物に人が村を作って住んでいる。その村
の診療所で碇シンジは、意識が戻る。中学の同級生が年を取って
エヴァのバイロットの碇シンジとそっくりさん(綾波レイのクローン
なので名前が無い)が暮らす。自給自足で農作業をしているみたいだ。
式波・アスカ・ラングレーもいた。村は、自然を保つ空間の中にあり
地球は、赤くなっている。生き残った人間が村を作っているらしい。
医療物資などは、ヴィレから提供されている。ネルフの方針とヴィレ
の人類の未来に対する方針が異なり反乱が起こったみたいだ。
碇シンジは、心を閉ざしている。食事も取らない。電車の下で初めて
猫を見て犬しか知らなかったみたいだ。村にペンギンがいた。
碇シンジと父親の碇ゲンドウとの闘いがあって碇シンジは、父親と対峙
して殻を破って成長する。そしてエヴァの無い世界を選び電車で恋人に
なった真希波・マリ・イラストリアスと駅の階段を二人で登っていく。
サラリーマンみたいにネクタイをして鞄を持っていた。
闘いによって世界が変わったみたいだ。碇シンジは、母親を亡くして
いて碇ゲンドウは、妻を亡くしている。家庭問題が世界規模の闘いに
なっているみたいな感じがした。綾波レイは、碇シンジの母親をベース
作られていたみたいでエヴァイマジナリーを作りだしたりロンギヌスの
槍(破壊)とカシウスの槍(希望)を使って戦っていた。エヴァの背骨を槍
にして別の宇宙空間で戦えるようにしていた。神話がベースになっていて
理解するのは難しかったが、集中して鑑賞できた。使徒の名前などは憶えて
いなかったので難しい事は、解らなかったが『父親と息子の関係は、肩を
叩くか殺すか』みたいなセリフがありエディプスコンブレックスみたいな
状態から自立するには、戦う事でなく向き合う事らしい。機会があれば
又鑑賞したいと思った。漠然と見ていた使徒の事も知っていた方が解り
やすかったと感じた。
福岡県で5歳の碇翔士郎ちゃんが餓死した事件のニュースで苗字が碇で
驚いた。渚カヲルと碇ゲンドウは司令官だったり海に関係した苗字なのは
生命は海から産まれた事に関係しているらしかった。碇は、錨という事なの
かも知れないと感じた。式波・アスカ・ラングレーが眼帯の下から使徒封印
用呪詛文様の何かを取り出して別の宇宙空間で戦う力にしていた場面が印象的
だった。当時は、ツンデレというキャラだった。
白いプラグスーツでエヴァに搭乗する場面で、死に装束という意味も含んで
いた。綾波レイが白い眼帯を付けて制服を着ているイメージがあったが、
プラグスーツで田植えの手伝いをしていて、服を選ぶと制服を選んでいる
場面が懐かしかった。挨拶や握手の意味を、「おまじない」と教えられたり
碇シンジに名前を付けてもらおうとしたり身体を維持できなくなり破裂して
しまったりショックだった。スカイクロラのキルドレみたいなキャラで量産
されていてもショックだった。碇シンジが首に付けている爆発するチョーカー
を見て反応する場面などもあった。碇ゲンドウの少年時代は、知識を吸収する
事とピアノ以外は、人間関係を築けないが、唯一の人間関係を恋人によって
得る事が出来たが亡くなってしまい息子の碇シンジとは、関係が築けなかった
という話は、分かった。ウォークマンみたい機械で音楽を聴いて他人との関係
を遮断していて、碇シンジが綾波から拾ったから返すと渡されたウォークマン
みたい機械が碇ゲンドウと対峙する場面で重要なアイテムになっていた。
今なら毒親と言われるが25年前には、そういう概念すら無かったと思う。
白いプラグスーツの式波・アスカ・ラングレーの入場特典に呪文みたいに難しい
エヴァの用語が並んでいた。「ヴィレの青いバンダナ」を付けて決戦に挑む場面
でガラスの仮面で嵐の日に1人とか見ていない観客の時に使ったスカーフの色から
紫のバラの人の手がかりになった事を連想したり色々な事を考えられて楽しめた。
実際の社会では、周囲の人との関係性障害で相手にされず孤立する人間がエヴァの
戦闘を伴う世界では、軍隊を指揮していたり式波・アスカ・ラングレーが
過去に碇シンジが責任を取りたくないから判断しなかった事を、怒っていたりしていた。
メンタルの問題は、人それぞれの感じ方があると思うが、人付き合いが苦手な人と
関わった経験があれば、共感できる部分もあると感じた。碇ゲンドウは、知識と音楽
の青春だったが25年経った現在では、知識を役立てる知恵があれば、人間関係も問題
無く対応できるような気がする。このアニメが公開された時代には、カルト宗教の
マインドコントロールで、高学歴の知識が高い人までも影響を受けた事件があった。
知恵と精神力が高ければ知識は、調べる事が容易になったので昔と価値が違うと思う。
但し人間としての基本を幼少期に出来ている事が大切だと思う。
リリカルな物語にSFの要素を加えているからファンタジーにならないで独特の世界観を
持ったロボットアニメになっている事や難解な部分が知的好奇心を刺激して25年も
経った現在でも人気が続いているのかも知れない。碇指令のメガネも変わっていて
人間ですら無くなっていたりしていて何があったのか劇場版4作品を観ないと話の
繋がりは、分かりづらいが良くわからなくても見ているだけで工夫があり面白い作品
だった。
『ミッドナイトスワン』(2020年) 内田英治督作品を観た。
児童虐待とLGBTとバレエをテーマにした作品で、『チョコ
レート・ドーナツ』と『リトル・ダンサー』を合わせた感じ
の映画だった。母親からネグレクトされている中学生の少女の
一果を、実家の母親から、電話で預かってほしいと頼まれる。
虐待でテレビ沙汰になると東広島の田舎で困るらしい。養育費
を親戚中で集める事もあり短期間だけ預かる事になる。一果の
母親は、シングルマザーだが凪沙の兄弟姉妹なのかハッキリと
分らなかった。一果が、新宿駅の東口で待っていると叔父だと
思って待っている。手には写真を持っているが女性の姿で迎えに
来て実家には、秘密にしろとキツく言われる。
実家から一果を預かる事になった凪沙は、自分の部屋で寝泊まり
させる。風呂と部屋の掃除と金魚の餌の指示をして布団を渡す。
部屋は、新宿駅から徒歩で歩いて行けるみたいだ。
ハニージンジャーソテーと言う焼肉は、蜂蜜のショウガ焼きと一果が
言う。一果は親から虐待されていたことで、口を閉ざして心も閉ざ
している様子だ。唯一、部屋に干してあったニューハーフのショー
パブで使うチュチュ(バレエのスカート)に反応して視線が動いたが
言葉は発しなかった。学校の帰りに新宿5丁目のバレエ教室の練習を
のぞき見しいたると、バレエ教室の先生が声を、かけてくれて案内
のパンフレットを渡してくれる。バレエ教室に興味を持つたのは、
一果が広島でバレエを習っていた事があるみたいだ。母親がシングル
マザーになりネグレクトという児童虐待をする前は、両親が揃って
いて恵まれた家庭だったみたいだ。一果は、親から身体的虐待を受けて
いる様子は、無いみたいたが、自分の腕を自分で噛む自傷行為をする
場面があった。バレエの体験レッスンを受ける時に、バレエシューズ
を買い替えて古いバレエシューズが余っていると靴を、くれた少女が
新宿の同じ中学の生徒で、再会して仲良くなる。この少女は、のんと
言う名前で、両親が金持ちらしく母親がバレエを習っていたので、
娘にもバレエを習わせているらしい。足を怪我して、バレエが出来なく
なり両親に冷たくされる。会社の部下の結婚式をビルの屋上で開いて
いる時に、自慢の娘よりペットの犬の話題で周囲の大人が盛り上がり
1人で、周囲の気を引こうとバレエを踊りビルから飛び降りてしまう
タイミングが一果がバレエコンクールで踊っている時とシンクロして
いた。一果の方は、コンクールで踊ろうとするとステージに虐待して
いた母親が上がって来てチャンスを失ってしまう。広島の田舎に戻って
中学を卒業する日に東京でバレエを教えていた先生が広島に来てまで
レッスンしてくれていた。凪沙はタイで性転換手術をしたが、術後に
無理をして、体調が崩れていく。一果が、再び東京に来ると紙おむつ
を、して寝ている凪沙がいる。一果がハニージンジャーを焼いて凪沙
の為に料理を作る。凪沙は、視力に影響が出ているみたいで、歩行
も困難みたいたが、急に海を見たいと一果に介助してもらい砂浜に行
く。一果は、アメリカのバレエ学校の試験に合格して奨学金で海外留学
すると手紙を見せる。見えているが解らない状態だが、凪沙は一果に
踊ってほしいと言う。『ベニスに死す』のラストみたい場面があり、
凪沙のコートを羽織った一果は、ニューョークでバレエを踊っている。
凪沙が使っていたオデットの冠を頭に付けてもらい夢を託すシーンが
象徴的だ。母親がコンクールに来て硬直して踊れなかった白鳥の湖の
オデットの踊りを踊り映画は、終わった。かなり難しいテーマを盛り
込んだ映画だけどバレエという打ち込めるチャンスを活かす事で、
鑑賞していて興味深く集中できた。友人の、のんがビルから飛び下りたり、
凪沙が砂浜で踊りを見ていて、場面が切り替わり死んでしまったのか生きて
いるのかは、ハッキリしていないので、実は生きていたという可能性
を残しているみたいな感じがした。凪沙が実家の親と話す時に、広島
弁なのでギャップがあり印象的だった。内田英治督の作品は、全裸監督
というネットフリックスの作品しか見た事が無かったが2020年の日本ア
カデミーを受賞した作品なので、見て良かったと感じた。夜の公園で
一果と凪沙がバレエの練習をしているのを見ていた老人が、オデッセイ
ですか、夜が明けると白鳥に戻ってしまう。というセリフがミッドナイト
スワンのタイトルの意味を認識させる場面だと感じた。一果の友人の
のんの親は、会社を経営していて、裕福に見えたが安定した職種なのか
詳しい設定が解らないので疑問が残った。バレエが出来なくなった事や
親が冷たくなったぐらいでビルから飛び下りる程に精神が不安定な理由
が知りたい。鑑賞した後で、映画が公開される2か月前に内田英治監督
が小説版を出しているので調べようと思う。一果の家庭環境も凪沙の
他に支援する親戚がいるのかが解らない。子供は、家庭環境に左右され
るし親の経済状況で進路にも影響を及ぼす。産まれた時代や性別よりも
元気で健康に産まれるかも解らない。凪沙も一果ものんも、目標を持って
承認欲求を満たす為に頑張っている事は、解るが親や友人や社会の誰に
認められたいのかが毒親の場合は難しい。見返す為に頑張る状態なの
かも知れない。自己肯定感が少ない為に何か目標に向かわないと生きら
れない事が、生きづらさの原因みたいな感じがした。凪沙と同じ店で働い
ていた人が、悪い男と付き合って金を貢がされている時に、人間が落ちる
時は、滑り台みたいに落ちる。みたいな事を誰かが言っていた。物語の
状況を招いた原因や背景を少し見せない事で、何故なのか鑑賞する側が、
もっと詳しく知りたいと深く考え好奇心持って興味を持たせる作りだと
思った。
プリシラやキンキーブーツは、陽気な感じで、重苦しさが少なく感じた。
今までも映画でLGBTが取り上げられているが物珍しさが目に付いてしま
う感じからメゾンド・ヒミコみたいに老後をテーマにしたりストーン・
ウォールやノーマル・ハートは、社会運動にスポットを当てたりする方向
に変わるみたいだ。ミュージカルにもレントという作品があったが、子供
の虐待と養育をテーマにしているのでチュコレート・ドーナッツに近い
のかも知れない。社会が抱える問題を、幾つも提起している。数年後には、
改善されているのかも知れない。
映画の公開がコロナ過で、ステージでショーを見せて飲食や接待が伴う
キャバレーに近い業態が、この先に残るかも解らない。
繁華街や歓楽街が再開発でビジネス街や住宅街にかわり消えるように
時代により規制も変わり街が変貌していく事もありそうだ。
風営法の「ダンス規制」でディスコやクラブからライブハウスみたいに
社交から鑑賞に主な目的が変化していくみたいに、接待で楽しませて
もらうよりステージと観客の距離が遠くなっていく時代なのかも知れない。
新型コロナの影響で、家族で食卓を囲む事まで感染の可能性を配慮する
状態では、外食産業は店内での食事の提供がスペースやパーテーション
の設置や衛生管理の手間で難しくなり酒の提供は、客の注意が緩む事も
ありハードルが高くなってしまった。今の状態では、安全で安心な提供
が難しくなり今後も続けていけるのか予測も難しい。廃業する店もあり
テナント募集の看板が増えた印象を受ける。私達の生活様式や飲食業の
事業形態が変化していくだろう。コンビニやスーパーはセルフレジや
飛沫防止シートが設置された。マスクや飛沫防止シートを外せる社会
に戻っても営業スタイルは、変化し続けると思われる。まだ見ぬ未来
の姿は、見えてこない。スッドナイトスワンを見て、新型コロナが
終息した後の世界規模の「夜明けの姿」は白鳥なのか烏なのかも予測
できないが希望を持って乗り切りたいと思う。
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