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4/3-4/15/2001
4/21-23 (London)
4/24-27 (Scotland)
5/6-5/29/2001

Rejoice always, pray without ceasing, in everything give thanks.

ひとりごと
(Denmark/Germany)

5/4/2001

昨年と同じ15日間の旅行だった筈ですが、1人で10日間は長い・・、 早く通常の生活に戻りたいと思ってしまいました。(^_^;;


5/3/2001

*バンベルク

今朝思い立ってバンベルクに行くことにしました。ここに行くには、 電車でフランクフルトから一時間15分くらいのヴュルツブルクで乗り換えて、 さらに一時間行かなければなりません。バンベルクに向かう電車の中で、騒がしい小学生の集団と一緒になりました。 私がものすごくビックリ、がっかりしたのは、ドイツでは相当躾が厳しいと聞いていたのに、 それは昔のことだったのだと実感したことでした。私位の年代の親の子供に対する躾が、全くなっていないのだろうと思いました。 それは日本も同じですが・・・。私が戦慄を覚えたのはグラスゴーの子供達でした。 そのことについては、長くなるので別の機会に書くことにします。 しばらくして、騒がしい子供達が降りて、車内には平和な静けさが戻って来ました。バンベルクには本当に着くのかしらと心配になるくらい、 小さな駅をいくつもとまりました。やっと着いて駅に降りると、すごく暑くて汗が出て来るので、 途中でアイスクリームを買って、食べながらゆっくりと歩いて行きました。 バンベルクは小ベニスと呼ばれているようで、ちょっとそういう地域もありましたが、 あとは普通の古い街並みでした。大聖堂に向かって歩いている途中の坂道で、 私を通り越して歩いて行ったシスターの清楚で美しかったこと!(たまたま、すれちがう時に顔を見た) 坂を登りきると大聖堂のところにやっと着きました。 私は、疲れたこともあり、この中でしばらくお祈りをしていました。帰りには、教会の先生にクリスマス用のテーブルクロスなどを買い、 会社の人達や聖歌隊には、チョコレートを買いました。お土産はこれでオッケーと思うと、肩の荷が下りたような気がしました。(^_^;;


5/2/2001

*疲れより友情か

朝起きたらあまりにも疲れていたので、午前中一杯は寝ていないと起き上がれないのではないかと思えるほど辛かった。 昨日あまりにも長時間歩き続けたので、寝ても疲れは取れるどころかもっとひどくなっていました。 こんなに疲れた朝を迎えたのは初めてかも知れません。 Steiff社まで行くにはあまりにも遠い。フランクフルト→ウルム→ギーンゲン・アン・デア・ブレンツまで、 片道3時間近く、往復で6時間もかけて行くところではないと思いました。 くま太郎には申し訳ないけど、日本に帰ったらお詫びをしようと思っていました。 しかし、午前中は寝ているとして、午後からいったいどこに行こうかな・・と思うと、考える気力もなくなっていました。 肉の思いでは100%行かないと決めていましたが、 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。(ヨハネ15:13)」 という御言葉が浮かび、全く逆の思いが涌きあがって来ました。

体力はかなり消耗していましたが、不思議なことに「行く」と決めた瞬間から気力が回復して来ました。 何か、神様が力を下さっているような気がしました。『そうだ、今日はくま太郎の為に一日を使おう!』 そうと決まったら、計画を立てないとと思い、ヨーロッパ鉄道時刻表を出して、電車の時間を調べました。 私は、着替えて朝食を取り、フランクフルト中央駅に向かいました。 そこで各国の新聞が販売されているお店で、TIMEを買いました。 コペンハーゲンで小泉さんが首相になったニュースを聞いてから、 久々に Financial Times を買って読んでいます。 (この新聞は値段が高いのは難点ですが、Japan Times よりずっと読みやすい!) 先日買った Business Week という雑誌には、小泉さんの記事が4ページに渡って書かれていました。 彼の経歴や趣味などがかなり詳しく書いてあったので、私はとても興味深く読んでいました。 それにしても、これだけ大きく取り上げられた日本の首相はいないのでは?

そんなことをしながらウルムに着き、赤い可愛らしい2両の電車に乗り換えてギーンゲン・アン・デア・ブレンツに向かいました。 緑一色の景色の中に黄色のお花の絨毯がどこまでもどこまでも続いていました。 (恐らく菜の花?だと思います。)25分くらいして駅に着きました。 通りを右に300メートルくらい行き、左に入ってすぐにSteiff社が見えました。 「やっと着いた〜」と思った時には、疲れが吹き飛んでいました。 テティベアのファンでなくても、ここのMuseumは小さいのですが、90年以上前のベアばかりでなく、 色々な動物や人のぬいぐるみもあって、見ていて本当に楽しいところでした。 隣のお店では、Steiff社のテディベアやぬいぐるみその他が、市場の価格よりは安く買うことが出来ます。 テディも年代毎にタイプが色々あって、どれが良いか決めるのは非常に難しい。(それでもやはり高い。) 柔らかい横たわった白い羊に目が釘付けになりました。私はさんざん迷いましたが、 結局買ってしまいました。買ったというより、連れて帰ったって感じ。(笑)


5/1/2001

*幻のダルムシュタット

フランクフルト中央駅に到着し、すぐそばのインターシティホテルにチェックインしました。 5年前に地球の歩き方で推薦されていた安いホテルでは、さんざんな目に遭いました (タオルは穴が空いているは、まだ部屋の中にいるのに、掃除のおばさんが鍵を開けるは・・(^_^;;)ので、 今回はもっと便利で良さそうなホテルにしました。 インターネットでブッキングをしたのは良いのですが、何か間違いをしたらしく、 チェックインの時にフロントの男性が、「おそらく、システムに何らかの間違いが生じたのだと思いますが、 お客様は65歳以上の方のレートでブッキングされています。」と言われてしまいました。 私はそれをスペシャルレートくらいにしか思っていなかったのですが、 さすがに私は65歳には見えなかったので、間違いに気が付いたのでしょう。(笑) 「それでは別の部屋にかえてください。」と言い、同じフロアでしたが、 延々と続く廊下を歩いて一番奥の部屋にやっと着きました。 部屋に入ると何故かテレビが付いていて、良く見ると「Ms. Hideko S. Welcome to InterCity」 のような挨拶が出ていて「おぉ!」と驚きました。

フランクフルトから電車で25分かそこらで行けるダルムシュタットに行きました。 私が失業していた時にものすごく影響を受けた本の著者、バジレアシュリンクのマリア福音姉妹会 がある町というだけで行ってみたのは良いのですが、詳細な住所を調べずに行ったので、 あてどもなく歩きまわってくたくたになって帰って来ただけでした。 とりあえず、地図だけは入手したので、次回は下調べをしてから行こうと思います。(^_^;; 私は、いつものように、売店でコーラとハムとチーズのサンドイッチ(日本の三角のじゃなくて、横に長いやつ)を買い、 駅のベンチで食べていました。日本ではとても出来ない行為ですが、こちらでは普通に出来るのが嬉しいです。 私が某社の人事部で採用をやっていようが何をしていようが、イエス様以外は私が何者かを知る人は1人もいません。 そういう意味で、海外に来ると、素の自分でいられるような気がします。

足を引きずってホテルに帰り、明日くま太郎@テディベア好きの為に代わりに行こうと思っていた、 Giengen an der BrenzのSteiff社に行く気にはとてもとてもなれませんでした。 (ひたすら電車を乗り換えて、片道3時間もかかるからです。) スコットランドでくま太郎にはテディベアを買ったことだし、事情を話してあやまろうと思い、 くま太郎に電話をしましたが、何故か誰も出ない。別の友達に電話して、 くま太郎にメールで連絡してもらおうかと思いましたが、何故かずっと電話中・・・。 私は、『明日は行けってことかな・・・(ボソッ)(^_^;;』と思いました。

*アイゼナッハ(2)

今朝はチェックアウトする前に、バッハハウスとルターハウスを見に行きました。 ホテルのレストランでの朝食は心地よい、特に小さ目のところだと、 Ober(ウェイター?)がお客を覚えてくれていたりするので嬉しい。 昨日の朝、チーズやハムなどがメインの食事をしていた私に、 「卵やベーコンを召し上がりますか?おつくりしますよ。(^_^)」 と、感じの良い素朴なタイプの若い青年が声を掛けてくれました。 私は、「いいえ、結構です。ありがとう。(^_^)」と言いました。 この青年は、今朝も食べている私のところにやって来て、「昨日と同じようにしますか?(^_^)」 などと聞いて来た。何だか嬉しい気持ちになりました。

チェックアウト前の短い時間で慌ただしかったものの、バッハハウスに行った時は感動しました。 ライプツィッヒのバッハ博物館に行くのだったら、アイゼナッハのバッハハウスだけでも良かったと思ったくらいでした。 バッハの時代に使った楽器も展示されていたのですが、時代ものの楽器のことやバッハのことを説明してくれるお兄さんがいて、 残念ながらドイツ語でしたが、その説明の合間になんと何百年前のチェンバロなどを実際弾いてくれたのです。 同じバッハの平均律でも(私が弾いたのと)こうも違うものかと思いました。(笑) 私は、しばしの間彼の演奏に酔いしれていました。まるでバッハの時代にタイムスリップしたようでした。 本当に時間が止まったような錯覚を覚えました。 その後もバッハハウスの中を見学し、当時の生活を忍んでいました。

アイゼナッハは、小さなバッハの町で、とても気に入りました。 一度来たからいいやという観光地もありますが、この町はもう一度訪れたい町のひとつです。(^_^) 歌を歌う小鳥の声でかなり早い時間に起こされるのを除いては。(笑)


4/30/2001

*ライプツィッヒ

午後は電車で一時間数十分のところにあるライプツィッヒに行きました。 目的は、バッハゆかりのトーマス教会を訪問することでした。 ライプツィッヒの駅は思ったより大きく、色々なお店が入っている近代的な駅だったので驚きました。 27日に10分以上遅れていることが分かった私の時計は、 やはり電池切れで止まってしまい、28日から時計無しで過ごしていました。とは言え、 お風呂以外はずっと時計をしたままの私にとっては、 時々カメラの時間を見るようにしていましたが、不便極まりない。(^_^;; 丁度ライプツィッヒの駅の中に時計屋があったので、新しいのを買おうと思い入って行きました。 若い店員がいまいち英語が怪しいので、私の怪しいドイツ語で(笑)話すことにしました。 「Meine Uhr ist kaputt.(時計が壊れたんです)」と言った後、 『あ、買うことはないんだわ、電池を換えればいいじゃん。』と気が付き、 「Ach, nein, nicht kaputt.(^_^;; Haben Sie Batterie fuer dieser Uhr? (あ、違います、壊れていません。この時計にあう電池はありますか。)」と言い直しました。 店員が電池があるというので、「Ich komme zurueck in zwei oder drei Stunden.(2、3時間後に戻って来ますから) 」と言って、町の中に出かけて行きました。

お天気が良かったせいか、大勢の人がオープンカフェや広場で、楽しくお喋りをしながら食事をし、 のんびりと過ごしていました。私は時々写真を撮りながら、ラートハウス(市庁舎) のあたりで足を止め、又すぐそばにあったトーマス教会に向かいました。 教会の前にはバッハの像が立っており、近くのお店の外にはバッハの作品の楽譜ばかりが売られていました。 私は簡単なメヌエットくらいしか弾けないので、買うのを止めました。(^_^;; さて、トーマス教会ですが、12、3世紀に出来たものだと思います。 バッハがここの教会で仕事(演奏?)をしていたのは、1723年から約27年間ですが、 今の建物は何度も増築されたり一部分が改築されたりなので、バッハの時代の装備はもうないとのことでした。 ルターがライプツィッヒに宗教改革を導入したのは1539年のことです。 近くのバッハ博物館で色々見た後、中にある試聴コーナーのようなところで、 ソファに座ってヘッドフォンをかぶり、バッハのCDをしばらく聴いていました。

広場に戻ると、色々な野菜や果物が売っている市場で、マスカットより小粒のブドウを買いました。 私は何故かドイツにくるとこれを買います。(これを食べると、あぁ、ドイツに来たんだなぁと思います。) 量が多いので、大抵はホテルの冷蔵庫に入れておき、何回にも分けて食べています。 さて、駅に戻ると、時計屋のお兄さんが、「すみません。電池がなかったんです。」 と申し訳なさそうでしたが、「問題ないですよ、ありがとう。(^_^)」と言って店を出ました。 電車の時間までまだ時間があったので、ぶらぶら歩いていましたが、又別の時計屋を見つけてしまいました。 スイスのSwatchのお店でした。この時計はスポーツをする人しかしないと思っていたので興味はなかったのですが、 時間があったので入ってみました。時計の文字盤が私のマリークレールの時計より4倍も大きかったのですが、 思ったより安いので買う気になり、店員を呼びました。お兄さんはやはり、元東ドイツのせいか英語が怪しく、 ドイツ語で「Probieren Sie?(つけてみますか?)」と話しかけてきました。 結局そこで新しい時計をゲットし、1人旅で話し相手がいない私は、その店員とお喋りしていたのでした。

私の場合、時計の電池が切れる時って、偶然何かの節目だったりしますが、 新しい時計(店員は親切にも新しい電池と入れ替えてくれた)は、私の人生の新しい時を刻み始めました。 ・・・・ところで、今度は何の節目なのかなぁ。(笑) 後で、グラスゴーのEに聞いた話では、電池は日本から輸入したりするので、日本で買うより2倍以上することを聞きました。 それで、安い時計だったら買ってしまった方がずっといいということでした。 彼女は、けちな大阪のおばちゃんなので、日本に帰国したら電池をかえる時計が二つもあるとか・・。(^_^;; 節約しているんだなぁ・・・。

*アイゼナッハ(1)

当初の予定では、コペンハーゲンからベルリンに飛んで、そこからドレスデンとライプツィッヒに行くつもりでしたが、 色々な事情で予定を変更し、ベルリンとドレスデンは止めました。 ライプツィッヒには行きたかったので、たまたまフランクフルトとの中間にあるアイゼナッハに滞在することにしましたが、 来て見ると、この小さい田舎の町が結構気に入りました。

この町は、バッハの生誕地であり、マルチンルターの町でもあります。 私達にも関係あることですが、バルトブルク城の中には、 ルターが新約聖書をラテン語からドイツ語に翻訳する為に、 使ったルターの部屋が残っています。彼はここに10ヵ月滞在しています。 改革者は迫害されるものですが、彼は地位も何もかも奪われて色々な苦労をしたのです。 何か胸につまる思いがしました。 滞在しているホテルは、グロッケンホフと言って、駅から10分くらいのところです。 駅の傍のホテルが取れなかったのも、結局は感謝だなと思いました。 町を観光するには、ここのホテルのロケーションはバッチリです。 バッハの家やマルチンルターの家、又、 バッハが洗礼を受けたゲオルク教会にも歩いてすぐに行くことが出来ます。

今日は午前中一杯バルトブルク城あたりで過ごしました。 先週までのパッとしない寒い天気とは打って変わって、素晴らしいお天気に恵まれました。 やっと半袖の出番です。(^_^) 素晴らしい新緑の季節がやって来たという感じです。 私がゴールデンウィークにヨーロッパに来るのは、観光客がまだ多くないこともありますが、 この時期が一番美しいからです。(冬は日照時間が短く、グレー一色で寒く、景色が全く違います。) ホテルからバルトブルク城まではゆっくり歩いて30分くらいです。 朝早く起きて、小さな町を散策しながら、バルトブルク城に向かって、ゆったりした坂道を歩いていました。 小鳥のさえずり(日本では聞かない音階で鳴く小鳥)をきき、お祈りをしながら歩いていました。 バルトブルクの城内ツアーは、地球の歩き方によると、英語のガイドがあったはずなのに、 観光がピーク前のせいか、ドイツ語オンリーで、ドイツ人のおじいちゃんおばあちゃん達のグループに入りました。 ドイツ語は殆ど理解出来なかったのですが、楽しむことが出来ました。


4/29/2001

*ドイツへ

モーちゃん達のことで書きたいことは山ほどありますが、ありすぎるので何を書いたら良いのか・・。 そう思っているうちに、私は最後の国ドイツに来ています。 今回はコペンハーゲン中央駅から電車で空港まで行き、フランクフルトに向かいました。 フランクフルトからSバーンに乗って10分でフランクフルト中央駅まで行きました。 (何て近いんでしょう!成田とは大違い。(^_^;;) フランクフルトは好きではないのですが、国内をあちこち電車で移動する時には便利なロケーションです。 今回はライプツィッヒに行くことにしていたので、フランクフルトとライプツィッヒの中間点あたりにある、 アイゼナッハに2泊することにしました。そうは言っても、フランクフルトから電車で一時間半くらいかかるので、 コペンハーゲンからアイゼナッハまでは、すごい長旅だったような気がします。 そう感じたのは、コペンハーゲンの駅では、ドイツのDBは多少慣れていますが、 デンマークのDSBのことが良くわからなかった(デンマーク語オンリーだったせいもあります) ので、少し不安になったこと、又、フランクフルトからの電車での移動も少しとまどったせいかも知れません。 とにもかくにも、私は今無事にバッハが生まれた小さな町アイゼナッハ着きました。


4/28/2001

*話は尽きない

私は大好きなモーちゃんとミセスに一年振りで会うことが出来ました。 私は、この人達に会う為にデンマークに来たようなものです。(笑) 昨年、私はうっかりカメラにフィルムを入れ忘れた為に、 彼等の家がどんなに素敵だったかを説明することが出来ませんでしたので、 今年は写真を沢山撮って来ました。いつかウェブサイトにアップしようと思います。 ミセスには、「私のウェブダイヤリーにお宅のことを書きますよ。 コペンハーゲン郊外に住む Mr.&Mrs.Rと匿名にしてありますから。(笑)」と言いました。 彼女は面白がって、モーちゃんに「Sはホームページに家のことを書くんですって。」と言うと、 モーちゃんは「アー!?」と、いつものようにチルダ(〜)のような目をして微笑んでいました。

私達は、彼等の家のバルコニーにある多角形のガラスの部屋でコーヒーを飲みながら、ずっとお喋りをしていました。 私は、どんなに素晴らしいタイミングでドリームハウスと巡り会い、どういう風に値切って買ったかを延々と話しました。 私がかつて、自称「お笑いもいける社長秘書」と言っていたのは、 モーちゃんと話す時には必ず「オチ」を付けなければならなかった (彼はオチを期待してじっと私の目を見ている(^_^;;)ので、 いつのまにか相手を笑わせるような話し方をするようになっていたからです。(^_^;; 私は、「私の ex-boss からネゴの仕方を教わったので、こうこうこういう風に交渉して200万円安く買ったんですよ。(^_^)」 と言うと、モーちゃんは「ハーハーハーハー」と笑い、ミセスは「S、良くやったわね! 日本人はなかなかそこまでは出来ないわよ。(^_^)」と笑っていましたので、 「はい、全て ex-boss (お金持ちのくせにけちなモーちゃん)のお陰です。(^_^)」と言いました。(笑)

私が初めて行って来たスコットランドのことも色々と話していました。 スコティッシュアクセントが難しかったことや、羊の顔が黒くて珍しかったこと、 可愛い羊がいずれは食べられちゃうのが可哀相でEはラムが食べられないと言っていたことなど話しました。 ところが、モーちゃんは、「何で食べられないんだ?」と理解出来ない様子。(^_^;; ミセスは聞き上手でもあるので、私は「ただいま」と帰って来るなり、 おかあさんに今日一日あったことを一気に話す小学生のように、本当に色んなことを話しました。 日本を撤退してしまった「H社」の人達のことはいつも話題に出ます。 私はミセスに、「H社のことは今でも忘れられません。1人1人がファミリーのようなんです。 でも、今の会社もH社と同じように、ファミリーになりつつあるんです。」と言いました。 ミセスは、「それは当然のことよ。」と、私の複雑な気持ちを察したように優しく言いました。

H社が日本から撤退しないに越したことはなかったかも知れませんが、 神様の御計画はわからないものです。そして私は、転職の準備をする為にパソコンを買い、 いつの間にかインターネットにはまってしまい、半年後にはホームページを立ち上げ今に至るからです。 もう4年以上経ってしまった・・・・。月日の経つのは本当に早い・・。

*ハグ

ミセスに会う時にいつも嬉しく思うのは、 「ハイ、S!」とニコニコしながらハグをして出迎えてくれることです。 ディナーの時に、彼女が日本を発つ時日本人の友達が 「あなたがいなくなってしまうと、ハグしてくれる人がいなくなるので寂しいわ。」 と言ったことを話してくれました。 日本にはない習慣ですが、日本でも普通にそういうことが出来たらどんなに良いのだろうと思います。 子供が親にハグされて安心するように、大人になってもそうされたいという願望があるのだと思います。 私はミセスに言いました、「私にはイエス様がいらっしゃるからいつもハッピーなんです。 でも、やっぱり、ハグしてくれる visible な someone がいてくれたらなぁと思うんです。」と。 そして、63歳くらいになるミセスは、「私もね、最近P(モーちゃん)がハグしてくれていないと思うと、 Pのところに行って、『ハグして!』と言うのよ。」とニコニコしながら言いました。 何と可愛い微笑ましい話だなと思いました。(^_^)

*ホテルティファニー

このホテルは今まで数多く泊まったホテルの中では初めてのタイプでした。 ホテルのレストランで朝食を取るのも楽しみの一つですが、 きちんと身支度をして行かなくてはならないのが難点です。 このホテルは、個人の旅行で時間に縛られたくない人にはうってつけのところです。 なぜなら、部屋にはキッチンが付いているからです。 冷蔵庫の中には明日の朝食用のパッケージが入っている (色々なタイプの食パン3枚とバター、ジャム数種類、ハム、チーズなどです。 毎朝7時になると、余分にまるいパンを2個プラスチックバッグに入れて、 ドアノブに掛けていってくれます。) ので、どんな格好でいてもお部屋で朝食を取れるのが便利です。(^_^) イギリスにあった嬉しいサービスは、お部屋に電気ポットが置いてあり、 いつでも好きな時にお湯を涌かして、紅茶やコーヒーを飲めることです。 ありがたいことに、コペンハーゲンのここのホテルもそうでした。 キッチンにはお皿やシルバー、電子レンジ、トースター、電熱器?が付いているので自炊も可能です。 アイロン+アイロン台まで備え付けてあったのでビックリしました。 ホテルはこじんまり(部屋が24室しかない)としていますが、お部屋自体は広くて快適でした。

*新首相?

21日に成田を発ってからずっと、日本のニュースが全く入って来なかったので、 今何が起っているのか気がかりでした。たまたま、今回滞在していたホテルのTVにCNNが入らなかったからです。 初めて日本のニュースを耳にしたのは、コペンハーゲンに来てからでした。 それもモーちゃん@元ボス夫妻からでした。今回はスケジュールが立て込んでいた為に、 彼等のお宅に泊まることは出来ませんでしたが、一日一緒に過ごすことが出来ました。 モーちゃん達が車でホテルまで迎えに来てくれました。 コペンハーゲン中央駅周辺のホテルを予約するのは非常にてこずりましたが、 何とか小さいホテルをブッキングすることが出来ました。しかし、モーちゃんの話では、 そのあたりのホテルは「Red light district」にあるんだそうです。(*^_^*) 一応地球の歩き方にも出ていたんだけど・・・。(^_^;; 毎度のことながら、だんだん話が枝葉になってしまうので、ホテルのことは又改めて書こうと思います。(^_^;;

車に乗ってアメリエンボー宮殿あたりを走っていた時に、モーちゃんが「Now, you have the new Prime Minister!」 と言ったので、私は「Really!? Hashimoto??」と聞きました。 するとミセスが、「Hashimotoではなくて、髪が白い人よ。」と言うので、 私は「まさか!Koizumi!?」と驚き、外相が女性でformer Prime Ministerの娘でと言っていたので、 「おお!小泉さんが首相で、田中真紀子さんが外相だなんて!」と、 私は一番面白い時にヨーロッパに来ているのがもどかしくなってしまいました。(^_^;; モーちゃん達は小泉さんを当然知らず、どんな人なのかと聞かれたので、 「変人って言われている人なんです。(^_^;;でも、日本人は変化を望んでいるからでしょうね。 小泉さんは何かをやるでしょう。」と言いました。 ミセスが興味津々だったので、「えぇ、Koizumi-san は something new をするでしょうね。 でも、something strange もするかも知れません。(笑)」と答えました。

ミセスは真紀子さんのお父さんの田中角栄のことまでは詳しく知らなかったようです。 っていうか私も怪しい。(^_^;; 私はミセスに言いました、「昨年の今頃は小渕さんの後に、 森さんが首相になったけど・・・ここ10年の間に色々首相が変わっているので、 誰が何をやったか覚えてられないですね。(^_^;;」と。 政治の話やディスカッションが好きなのはドイツ人ばかり(Rは別ですが。(^_^;;)かと思いましたが、 デンマーク人も相当好きなようです。「政治家は全く期待出来ないわ!」 とミセスが言っていましたが、政治家は何処も一緒か?(笑)