気がついたら、5月。
巷では今日はメーデーっつーやつらしい。もっとも、私は勤め人ですらないのであんまり関係ないのだが、おそらく今晩のニュースなんぞはこぞって集会の模様を放送してたんだろう。
ちなみに私は『メーデー』という言葉を聞くと、
チューリップハット を連想してしまうのであった。
◆なぜなら、
毎年この日は、父親がなぜかいつもより軽装で出かけていた。で、どういうわけか持って帰って来る謎の帽子。
それがいわゆるチューリップハットってやつだった。『できるかな(NHK教育)』に出てきたノッポさんがかぶってたようなヤツ。あ、でもキャップの年もあったような……。まぁ、どっちにせよ大差ない。
んでもって色がまた色なんだ……これ。アイボリー×緑とかアイボリー×茶色とかで。『こんなもんかぶれるかい!!』てなもんである。(しかし高校の文化祭で『ヤクルトおばさん』のエキストラをやった時に使用。でもそん時だけ。)
とにかくもっとマシなデザインはないんかい!とツッコミを入れたくなるほどの一品だったのだ。あ、今はどうだか知らないが。『もらっても嬉しくないものランキング』の上位には確実に食い込むであろう。
◆おそらく、
集会のときにみんなでおそろいのコレをかぶって団結意識を高めようっていう魂胆なんだろう。ってことは……会場は一面ちゅ〜りっぷ畑なのか。いやん。
若い人(特に)の組合離れがすすんでるっていうけど……案外こんなことも一因なのかもしれない。
近い将来(希望)勤め人になって、集会要員にかりだされた日にゃ『あのチューリップハットをかぶるのか〜』とブルーになることは必至である。集会に参加させられることよりもこっちのが嫌だ。私にとっては。
そのために、私は『絶対に組合のない職業』を目指しているのだ。ははh。
げに、幼い時に形成されたイメージほど恐ろしきモノはないもんだと思う。
昼間、友人に手紙を書いた。高校・大学時代の友人に。
彼女たちは、今年就職をし、それぞれの場所で頑張っているようである。
◆限界
私は今年の春、大学を卒業した。
けれども、今は何もしていない。
言うところの『就職浪人』ってやつである。
当初は『人生の1年や2年ぐらい足踏みしたってたいしたことないわい』と思っていたが(今もその考え自体は変わっていない)、最近になって、自分が『所属集団をもっていないこと』の寂しさ・不安定さをひしひしと感じている。
『実家に戻ってしまうと知っている人がほとんどいなくなる』っていうのを理由にここに残った。確かにその読みは当たっていたが、こちらに残っている数少ない友人も仕事を持ち、あるいは学校に通い、それぞれの生活の場というのを持っている
しかし、今の自分にはそういうものが無い。
『顔を出せる』ぐらいの場所はあっても、『安心していられる』場所はない。
まさに取り残された気分っていうやつである。
◆『甘えんな』
そう思われるかもしれない。自分でもそう思う。
今、こうして吐き出すようにして日記を書いている。
そうすることで、誰かに励ましの言葉をかけてもらおうとか、そういうつもりはないけれど(あ、励ましてもらえる分には嬉しいけれど……)、とりあえず、自分の気持ちを整理するために書く。
安心していられる場所は自分の力で得るしかない。
そんなの自分が一番分かっている。
今、自分のこの生活こそ望んで選んだ道である。愚痴っていても始まらない。
◆手紙には……
自分の近況報告をざっと書いて、たあいない世間話をつらつらと綴った。
そして最後は『過労死しない程度にお仕事頑張ってね』と書き添えて封をする。
自分にはとりあえず『元気出せ!』って励ましてみる。
今日の日記はお休みです。
疲れているのと、ここ2日ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと家から出なかったので書くことないんです…………。悲しい。
んなわけで、明日またお会いしましょう。
今日はゆっくり休ませていただきます。ぐぅ。
就職活動用の証明写真を撮りに行った。
今ごろのんきな……と思われるかもしれないが今回のは撮り直しである。
何故撮り直すことにしたのかというと、先日髪を切ったので雰囲気が結構変わってしまったということと、以前の写真は顔が大きく映っていて太って見える(もともとでぶなんだけど……ぶぅ)のでど〜〜〜〜〜しても気に入らなかったのだ。
それで、世間は楽しいGWだっつーのにひとりナス紺のスーツに身を包み街に出た。
◆悩み
それは、幼少の頃からの悩みである。
ただ全体のバランスが悪いだけだとか、小顔が人気だし〜とか、っていうんじゃない。
本当にでかいのだ。
明らかに面積が広い。
ゆえに、写真に収まるのは実はあんまり好きじゃない。
子ども時代は長身で通っていたので、クラス写真何ぞはいつも最後列でとっていた。にもかかわらず、顔だけは最前列の子よりも大きく映っていた。
かわいい女の先生が担任だった日にゃ、先生にひけをとらない大きさに映っていたりも…………確かに見つけやすいんだけどさぁ。いやじゃ。
事実、子どもの頃は相当からかわれた。『あったま でっかで〜か〜♪(by ドラえもん)』とか。『ひらひらの面(剣道の)特注説』なんてのも流れたし。
今はそれ程でもないが(というか面と向かって言われないだけなのかもしれないが)、それでもプリクラをとる際には必ず後ろ側をキープし、スナップ写真も小柄ちゃんや細身ちゃんの隣ははずして収まるのであった。やなやつ。
◆努力???
今日は証明写真なので、人と顔の大きさを比較されるということはないのだが、それでも細心の注意を払った。
むくまないよう昨日の夜は水分ゼロ。普段しない化粧もバッチリして、顔の側面(輪郭部分)には茶色のシャドーをいれて陰影を出す。
極めつけは5日程前から『インディアエステ スリミングジェル』っつーやつで毎日お風呂で顔をマッサージしていた。
そのかいもあって、写真は見れる状態に仕上がった。とりあえずは成功である。ご満悦。
しかし、もちっと痩せさえすればこんな小手先の苦労なんていらないんだろう。でもねぇ……。ううぅ。
今日の昼食は外食……といってもファーストフード。しょせん貧乏人。
とりあえず、ヒルゴハンでも食べながらゆっくり本でも読もうと思っていた。
しかしその夢はあっさりと破れ、私は食べるのもそこそこに店から退散。
空気が白かったのだ。ケムリで。
◆白い空気
喫煙率が特に高いここ北海道では煙草はおやぢとストレスOLの必須アイテムである。あ、おばさんも。最近は高校生も多いかぁ。
とにかく、そこそこの年齢の人が数人集まれば必ずそこに存在するのが煙草。女の人がわいわい集まる所にお菓子が存在するのと同じだ。
そんなわけで今日も大体の人の机に灰皿が乗っていた。店は満員御礼。
ここの店は『半地下』の様な作りになっているので窓がない上、空調も十分にきいてない。それで混み出すとケムリがこもって空気が白くなるってわけだ。
私は、その白い空気が嫌いだ。髪や服に臭いはつくし、なんせ、けむい。
今日は数回席を変わった末に、入り口に近い席に落ち着いた。外に近いせいか幾分ましである。それでも食べ終わってすぐ帰ったけど。
◆誤解の無いように言っておくが、、、
『煙草』も『煙草を吸っている人』も決して嫌いではない。 むしろ好きな部類にはいるのかもしれない。私は吸わないけど。
吸っている姿がバッチリ決まっている人なんぞは、ついつい見とれてしまうほどである。それに私にとって煙草は
性的魅力を感じさせる一番の道具 でもある(男女問わず)。もう恍惚。
嫌なのは、煙草のケムリ。それだけである。
他人が人を悪く言っているのを聞いて、
『おいおい、それ、おまえのことやん?』 って思うことって実に多い。
昨日の夜のことである。
珍しくドラマ(『お仕事です!』)を見ながら友人と電話でおしゃべり。
国分太一が出てたので、何の気なしに『TOKIOの中で一番彼が好きだ』と言うと友人がこんな一言。
『、、、あんたってっさ、ほんとにキワモノ好きだよね、、、。』
がーーーーーん。
、、き、きわものとは失礼な、、と思いつつ心の中では『そうかもしんない』と頷いていた。
◆嗜好
彼女のキワモノ発言に納得しちまった背景にはれっきとした理由がある。
私はいわゆる『めちゃくちゃカッコいい人』とか、『一番人気の人』っつーのはまず好きにならない。
っていうか、『好きになれない』と言った方のがいいかもしれない。客観的に見て『この人はかっこいい』と納得していても、それは大体自分の好みにそぐわないことがほとんどである。
それまで私が好きになった人っつーのもそうだった。良くて二番手ってとこで、たいがい『そんなに目立たない(けどいい)人』ていうパターン。面食いの友人に言わせると『なんでそんなん好きなの?』って感じらしい。(まぁ、惚れてしまえばその人がイチバン!って訳で。うふ。)
もちろん好きになるわけだから私からみたら魅力的な人だ、すっごく。決して、『一番人気』を狙うほど自分に自信がないから妥協して、、、という訳じゃない。自信があろうがなかろうが(ないけど…)私のこの傾向に変化はないだろう。
うむ、なんて言ったらいいのだろう。魅力を感じるツボみたいなものが人とちとずれている様な気がする。めちゃかっこいい系とか一番人気の人ってどうも落ち着けない、、とうか安らげない部分があるからどーも……ね。
◆結論
つまり、こういうことである。
私は集団の中で目立たないけど魅力のある人にそそられるんだ!文句あっか!
ちと乱暴だがそうとしかいいようがない。私の母性、、かどうかは知らないが本能がそうさせているんだと思う。
ちなみにSMAPで一人選んで、と言われれば昔からクサナギくんだし(今はそうでもないが、2〜3年前にコレを言ったらさんざん馬鹿にされた。ぶぅ。)、SPEEDの中で一番気になるのは新垣仁絵ちゃんである(なんとなく、いいじゃん彼女)。あと、たいてい好きになる芸能人は、人に話すと『誰それ?』って言われる事が多いことも付記しておこう。
とにかく、他人とってキワモノだろうがなんだろうが、そういう好みなんだから仕方がない、、、ってことでまとめておく。うん。
少しだけダイエットすることにした。
なぜなら約1ヵ月後に帰省を控えているからだ。
親は私が帰って来るたんびに、『太った、太った』と私の体型のことを口にする(実際体重に変化がなくても)。本人の為を思って言っているのかもしれないが、私はそれがすごく嫌だ。(それもはっきり『痩せろ』とは絶対に言わないので余計重荷なのである。)帰省そのものは楽しみであるが、このことを考えると帰省前はいつも少し憂鬱になる。
それで、この『太った太った攻撃』を少しでもかわすためには痩せるとまでいかなくても以前帰省した時よりも太るわけにはいかぬ、と一年分の帳尻合わせを始めた訳である。
◆私にとって、
ダイエットは永遠の課題である。
事実、私は子どもの頃から痩せていた時はおろか普通の体型であったことすらほとんどない。
クラスに一人はいたおすもうさん級のでぶ、、ではなかったが、とにかく標準体重(多いほうの)ぎりぎりと軽肥満との間を行ったり来たりしていた。
◆2年前のこと、、、
そんな私でも一度だけ本格的にダイエットをしたことがある。
2年前の12月〜3月まで、私はダイエットを敢行した。
理由はいろいろある。正月に帰省(含:成人式)を控えていたし、自分の体型も大嫌いである。が、一番の理由は『健康上の理由』だった。
父親の家系がモロ高血圧症のそれで、私は文句無しに父親似である。
このまま行ったら自分もそうなるであろう事は火をみるより明らかだった。年をとってから降圧剤の世話になるのだけは絶対に避けたい。それで、今出来ることとしてとりあえず体重を標準まで落とそうと思った訳である。
さて、手段としてオーソドックスに『食事制限と運動』という方法をとった。
毎日カロリー計算した料理を作り、それを食べる。もちろん間食は禁物。しかし根詰めてしまわないよう友人といる時だけは甘いものを口にしていいようにした(それでも何を食べるかに頭を悩ませたものだが)。
健康のためにダイエットをしているのに、それがもとで体を壊してしまったら馬鹿としかいいようがない。そのため、栄養面にはものすごく気を付けた。
それでも、毎日基礎代謝量ぎりぎり(1200カロリー)しか採っていなかったし、ひどいときにはそれすらも割っていた。
昼食も弁当持参。調味料はもちろん毎食食べるご飯の量までもすべて計量して食べていた。
運動は当時、週3回剣道をしていたのだが、それでも飽きたらず暇を見つけては体操をしプールに通った。
その結果、4ヵ月ちょいで9.5L減った。やればできるものである。
体重の減少が急すぎることも無く、体脂肪率も体の肉の落ち方もきれい。健康状態も良好で、自分で言うのも何だが、その痩せ方はまさに理想的だった。
◆しかし、、
私はそのダイエットを続けなかった。
別に体を壊したとか生理が止まったとかそういう事ではないが、私は自らダイエットをやめた。
そこでもうひとふんばりしていれば、今ダイエットに悩むことはなかったであろうにと思うとちと悔しい気もする。
でも、私はあのままダイエットを続けなくて良かったと思っている。
……さて、私がダイエットをやめたわけについては待て次号!と言う事にさせていただく。(このままいったら倍以上の文章量になっちまうので。ごめんなさい。)
明日のキーワードは『体重計』、『食べ物』、『数字』、『ミニスカート』、『ストレス』といったところ。参考までに。
さてと、、、昨日は随分尻すぼみな形で締めくくってしまったが、今回はその後編。昨日の日記を読んでない方はおそらくこれから先、ぜーんぜん話が分からなくなるかと思いますのでひとまずこちらをご覧下され。
《読むのが面倒くさい方のための要約》
2年前の冬、私はカロリー計算と運動という方法で4か月で9.5キロのダイエットを敢行した。痩せ方も文句なく健康状態も上々。あともう少し頑張れば………うふ……だったのにもかかわらず、私はここでダイエットを止めた。で、今日はその理由というわけである。
◆秘め事
ダイエットをしているという事実は誰にも告げなかった。
なぜなら、誰かに知らせたところで何もいいことはないと思っていたからである。
『私いま〜、ダイエットしてるの〜』なんて言って、食べ物をがんがん残したり、天ぷらの衣を剥いだり、みんながわいわいケーキを食べている中ひとりだけコーヒーをすすられるのってはっきり言って感じ悪い。自分はいいかもしれないが周りの人間にとっちゃ不愉快千万。雰囲気ぶち壊しだ。(それが明らかにダイエットの必要のない人間にやられると、『嫌味かい!』とぶっとばしてやりたい気分にすらなる。)
特に女の子どうしの場合、周りの雰囲気を壊してまで自分だけきれいになろうするのはやっぱりどこか許せないんだろう。それで無意識(時にはわざと)にも『これぐらい食べたって大丈夫よ』とか『え〜、それ以上痩せる必要なんてないってば〜』なんて言ってしまうもの。応援してくれる人もきっといるんだろうけど、他人に足を引っぱられる確率のがはるかに高い。
そういうことを避けたかった私は、ダイエットをしている事自体ばれないようにばれないようにしていた。
その読みは当たっていたし、他人にも全く気付かれなかった。
しかしそうすると気付いて欲しいときに気付いてもらえないのもまた事実だ。
私の場合10キロ近く痩せても誰にも何も言われなかった。もっとも、それだけ痩せたところで普通体型にもならないほどもとの体重が体重だったというのもあるのだが(笑)。
体重計やメジャーの数字は明らかに減っている。努力もしているのに人に気付いてもらえないのは正直言って悲しい。確かにいくら健康が第一の目的でも、ある程度人に認められないとしんどいし、悲しいかな私はかなり人目を気にする人間である。いくら数字が減っても、誰かの『やせたね』の一言にかなうものはない。その一言で自分が認められた気分になるのだ。
そこで気付かされたのが、痩せたのか太ったのかなんてそんなに分かるもんではないという事。大幅に痩せない限り『痩せた』と言われて初めて(あるいは『あの人痩せたんじゃない?』と聞かされて)、あ、確かに言われてみれば何となくそうみえるなーって分かる程度で。特に普段から見ている人であればなおさらその変化に気付きにくい。
よく、1キロ2キロの増減でぎゃあぎゃあぴーぴー言って、『ね、そう見えるでしょ。ねっ、ねっ。』なんて人に聞きまくる人がいるが、そんなの言われてみなけりゃ分からないってもんだ。
また、それとは別にやせたという声は本人の耳にはなかなか入って来ないものである。
人の間で噂になることはあるのかもしれないが、直接本人に向かってそれを言うことってあまりない。私も後日友人から『**ちゃんが痩せたんじゃない?って言ってたよー』と人づてに聞かされたが、そんなの直接言ってくれよと思った。というわけで面と向かって痩せたと言われたことは一度もない。(『一番でぶの法則』と同じである。これについては後日の日記に記載(予定)。)
◆数字
ダイエットをしていた頃の私の頭の中は数字で支配されていた。
体重計の数字をみての一喜一憂はもちろん、カロリー計算を主にやっていたので食べ物のカロリーにも敏感になった。
料理も好きだし、いろんなダイエットメニューをあれこれ作ってみるのは楽しい。おまけに凝り性なので、だんだんダイエットという作業そのものにはまっていった。
そのころおおかたの食べ物のカロリーは把握していたのだから、その記憶力とエネルギーはすごいものがあったと思う。
しかし逆にカロリーの分からないものは口にしたくないとすら思う様になった。
食べ物が数字にしか見えなくなったのだ。
先にも書いた通り、ダイエットのことは人に悟られないようにしていた。そうすると、人が見ていないところでカロリーの帳尻を合わせる必要が出てくる。
例えば、今晩飲み会があるとするとそのしわ寄せは今日と明日の朝・昼食にくる。これが頭の痛い作業で、食べたいものよりもカロリーの低いものを食べることにしていたし、そうしないと自分の気がすまなかった。また、飲み会に行っても人に悟られないかつ極力カロリーの低いメニューを血眼になって探す。
こんなの、楽しくない。そう気付いたのが6キロぐらい痩せた時だったか。しかしここでやめたら勿体ないという気持ちがダイエットを続行させた。
◆ミニスカート
ダイエットをやめる決定的な出来事はバイトの打ち上げの時に起こった。
そのころもう既に8キロほど落としていた私は少し気を良くしてミニスカートを新調した。二次会でカラオケボックスに行き、そこで同じくバイト仲間のNさんに合流。
宴もたけなわになって来た時、彼は私にこっそりと言った。
『君はもう少し痩せたほうがいいと思うよ。』
悪意がないとわかっているだけにその一言はショックだった。場所が暗かったということ、久々の対面だったということ、慣れないミニスカートが余計むっちり見せていたということもあるが、それにしてもあんまりである。
先輩でなければ私はあの場で彼を張り飛ばしていた。それぐらい悔しかった。
しかし、これでも痩せたのだという事実すら言えず私はむりやり笑みをうかべて『そうですね〜』としか言えなかった。
その日以来私は一度もミニスカートをはいていない。
◆疲れ
家に帰って、いろいろと考えた。
なんで、あんなにしんどい思いをしているのに、こんなこと言われなきゃなんないのか。どうして誰も気付いてくれないのか。、、、分からなかった。
その時、『誰かに気付いてもらえるまでダイエットを続けてやる』と意地になる気持ちもあったが、その一方で、これだけしんどい思いをしても、こ
◆時間と心の余裕
正直言ってあの時もう少し体重を落としたかった。でも、もしあのままダイエットを続けていたら精神的により追い詰められていただろうと思う。健康状態にも悪影響を及ぼしていたに違いない。
惜しいことにあの後、落とした体重は半分ほど戻ってしまった。忙しさにかまけて、自分の食事が管理できなくなったからだ。このことから自分が『忙しくなると太る』という変な体質である事を知った(笑)。
そして今回、もう一度やってみようという気になっている。昨日言ったとおり『帰省』も理由の一つだが、やはり将来の自分の身体が気になる。でも、自分を追い詰めてまで痩せようとするのはもう嫌だ。
やるならばあの時の経験を生かして、もっとざっくばらんなダイエットをするつもりだ。
さて、日記。日曜日に随分と根詰めた事を書いたせいか、案の定バテた。2日ほど日記をおさぼり。ったく、持久力のないやつめ、、、。
その間はあちこちのサイトを回っていた。パソコンを始めた最初ほどはまっちゃいないが、それでも1日に1〜2間はぼ〜〜〜〜〜〜っと眺めている。
◆頭痛
そこで気になるのは電話代。
パソコンをいじるものにとって電話代は頭の痛いところなのかもしれないが、私の場合は更に深刻である。
何せ、テレホが使えない。
各種割引サービスも利用できない。
ISDNなんてもってのほか。
極めつけは、、、電話の基本料金が、通常より高い。
、、、、と、まったくもってインターネット向きの環境ではないのである。
◆なぜか?
それもこれも『全室電話付』の物件に住んでいるからである。
つまり、うちの電話は内線電話。これがあるばっかりに、普通の電話を開設する事は禁止されている。くぅ。それどころか、インターネットがひけたことだけでも『奇蹟』なんスよ……うちは。
だから、くそまじめにも正規の電話料金(もしくはそれ以上)を払う羽目になっているのである。
◆それでも、、、
なぜ住み続けるのかっていうと、、今さら電話をひくお金がないから。それだけである。
他の物件に引っ越すためには引っ越し費用の他に電話の加入権を買う必要が出てくる。つまり、自分の電話を持っていないということが足かせになって引っ越せないでいるということ。
最初にケチったツケがこんなところで出てくるとは。こんなんだったら、最初に無理言ってでも自分の電話ひけばよかった〜。(そん時ならどうせ費用は親持ちだっただろうし。)
最初にちと無理してでもいいものを手に入れたほうがのちのち後悔しなくても済むって事ですな。安物買いじゃいかんのよ。
それにしても、来月食費よりも電話代のほうが多くかかりそうだ。こわい、こわい。金ためとこ。