今日のコラム;1999年12月 はじめ分

筆者プロフィール
誕生歴:1941-1月、太平洋戦争の始まる11ヶ月前に兵庫県姫路市で生まれた
       物心つく頃には敗戦、粉ミルクと鯨の給食で育つ
学習歴:機械工学専攻、シェル構造の振動が修論             
職業歴:造船重機械工業の設計エンジニアなど              
家 族:娘、息子は自活・コーギー犬の母娘が夫婦と同居         
***息子は2009年4月逝去いたしました***
***母親犬は2001年11月、       
    ***子供犬は2009年11月亡くなりました      
趣 味:絵、造形、クラシック音楽、現代音楽、テニスetc.***その後陶芸 
好きな画家:クレー、ミロ、フェルメール、ピカソ、 ルオー       
香月泰男、三岸節子、木村忠太、平野遼・・・ 

1999年12月11日(土)) 思い立ってコラムを作ることにした。構想は何もない。続くかどうかも分からない。やぎの目さんや、MIE-CHANのような若者の気の利いたコラムと、対抗しようとも思わないが、毎日が何かわくわくするようなコラムが出来れば最高。 さあスタートだ。
1999年12月12日(日) 友人のM氏がCANON EOS D2000のデジカメを買った。業務用あるいはプロユースのカメラだ。昨日のテニスの時このカメラをいじらせてもらった。仲間の女性が曰く「私の車3台分の値段だわ」PCカードがなんと620MB!!撮影した画像が先程 E-MAILで送られてきた。MAILに添付する程度であると画像は私のデジカメと変わりないので何となくほっとする・・・。

1999年12月13日(月) 午後9時過ぎになって、雅子さまは「ご懐妊と発表できる段階ではない」とされた。それにしても、TBSは夜の宮内庁病院から引き上げる自動車を、なぜヘリコプターを飛ばして真上から追っかける必要があるのか。TBSの内部でこんなばかげた、かつ失礼な報道を止めさせる機能がないのはお粗末。我が家はこれからワンちゃん達の夜の散歩。”散歩”という言葉を聞いたとたんに、大喜びのあまり母娘ともにリードを口にくわえて引っ張っていく。変な癖をつけてしまった。

1999年12月14日(火) 夜の10時過ぎに犬を散歩出来ることを幸せと思う瞬間がある。散歩のコースはこの時間まだ行き交う男女がいる。治安は問題ない。「かわいい」といってAAの頭を撫でてくれる女の子に会ったりすると昼間の雑念を忘れてしまう。我が家にとっては数少ない夫婦の会話の時間がこのときでもある。軽く一杯はいったけれど、さあ、これから出かけようか・・・。

1999年12月15日(水) 昼前に妻の母親が亡くなった。2000年の年が明けると92歳になるところだった。この数年間は老人病院に入院して娘達の顔も認識できない状態であったが、消え入るような最後であったという。家に帰った義母の顔は安らかで美しかった。合掌

1999年12月17日(金) 義母の通夜。読経と焼香の後、15分間ほど導師の説話があった。「仏に還る」千鶴さんに関連して生きていることを考えさせる話であった。食事の時にあらためて1時間ほど導師と同席。これまで、坊主というと俗世間以上に金と権力しか関心がない御仁しか知らなかったが、自分の経歴を素直に語り、仏陀、原始キリスト、新興宗教を議論し、一部の宗教家の堕落を嘆く僧侶と身近に接して心洗われた。坊さんに対する偏見を改めなければならない。どこの世界にも玉 はあるか。


1999年12月18日(土) 確率が非常に少ない出来事やアクシデントが幾つも重なると、何か見えない力が作用しているのでないかと考えることもある。15日義母が死去。正にこの日の夜、代官山フォトコンテストの受賞式に招待されていた。デジカメ写 真を応募したのも初めてなら入賞して招待を受けるなんて「人生初めての経験」であった。通 夜の夜、乗ろうとした車のタイヤがパンクしていた。30年以上車を使っているがタイヤがパンクしたのは「初めての経験」。インターネットのプロバイダがメンテナンスをしたため、15日-17日まで我が家のホームページは改訂のアクセスが出来なくなってしまった。苦労の末に回復したが、HPを開設して以来これも「初めての経験」。これらの事件を義母の啓示ととるか、警告ととるか。どう話を続けるかが面 白い。


1999年12月19日(日) 先週の土日曜日は動画のソフト(flash)の使い方が少しばかり進歩した。今度の土日はどうしたか。代官山の写 真コンテストに行って、初めて展示された自分の作品と他の人の写真をじっくり時間をかけて見ていると幾つか”ひらめく”ところがあった。 何でも良いから昨日までにないことをやってみることが元気を作り出すようだ。それは「今日の絵」一枚描くこと、本を1ページ読むことでも同じ。ただ現実にはウイークデイに「毎日一つの見える成果 」を作るのは容易ではない。

1999年12月20日(月) 絵について評価する基準は、その絵からエネルギをどれだけもらえるかということにしている。 具象、抽象、有名、無名、時代、大きさなど一切関係ない。自分自身がインパクトを受け、活力を得るものがどれだけあったかで良さを計る。強く、派手なものがエネルギを奪う場合もあれば、細い線の集まりが無限の元気を与えてくれることもある。音楽でも、またその他、何についても同じであろうか・・・。

1999年12月21日(火) 「時間がない」という言葉をできるだけ使わないようにしたいと思っている。時間がとれない、スケジュール表に空きがない、この日も、あの日も・・・「ゲートボールの予定で一杯」なんていうことを自慢の種にはしたくない。それにしても、やはり時間が欲しいですね。

1999年12月22日(水) 昨夜、娘を相手に”ICQ”というのをやってみた。就寝前のほんの5分間。I seek you. という柄でもなし、絵はがきを出す方が好きだな・・。
今夜、久しぶりに銀座通りを歩いた。3丁目の宝くじ売場には大勢の人。忘年会が真っ盛り。

1999年12月23日(木) 天皇誕生日で休日。友人とNHK交響楽団の第九演奏会にいった。40歳のメルクル指揮。終楽章の盛り上がりが心地よかった。帰路、渋谷の街はクリスマスモード。N響の観客は平均年齢50、渋谷の通 行人は平均年齢20。・・・いや-、年齢のことなど書き過ぎるな。年の暮れが迫る。

1999年12月24日(金) クリスマスイブは静かに教会のミサにあずかるのがよい。と思いながら、信者ではなし。帰宅の途中、丸の内に設置されたという光のアーチ「東京ミレナリオ」に寄ろうとした。東京駅の正面 の通りあたりから丁度元旦の川崎大師のように人・人・人。前にも後ろにも行けない。案内の人曰く、今夜は10時までやっていますから・・・。かなり無理をして後ろに抜け出て地下鉄にたどり着く。ついに光の”ひ”の字も見ることは出来なかった。それにしても皆さん忍耐強く待つのには感心してしまう。

1999年12月25日(土) 今年もスウエーデン・ウプサラの友人からe-mailで長文のクリスマスメッセージが届いた。これまで10年以上クリスマスカードのやり取りがあったが、昨年からこの日お互いにe−mail交換となったのだ。hirase homepageも頻繁に見ているよと言ってくれたのは嬉しいが、english version を作らねばならない。

1999年12月26日(日) 久しぶりに予定のない日曜日。wifeの風邪も収まってきたので、早朝、アンとアールを連れて車で砧緑地公園(世田谷)へ行った。 犬達は大喜び。40-50m離れたところにいる烏を目がけて全速力で走り回る。,烏も低空飛行で遊んでくれる。都会のコンクリートの道路ではアンとアールの走行能力は十分の一しか発揮していないことを改めて認識した。

1999年12月27日(月) 遅まきながら「東芝クレーマー事件」の文庫本を読んだ。半年前にはホームページを見た覚えがある。クレームの窓口をやった経験もあるので東芝側の捉え方は十分に分かる。相手の個人もそこそこか。けれども、これは人間同士が些細なことで如何に誤解を生み大事に発展するかの実例集に思えた。一つのボタンの掛け違いが引き起こす感情の軋轢はそれ程に修復し難い。話し合いの訓練が足りないのだ。

1999年12月28日(火) 忘年会でいい気持ちになった。何を書くことやら・・。金属材料は強度が必要だがいくら強度が強くても靱性(延性)がなければ少しの欠陥が元で簡単に破壊することがある。人も同じで欠陥を許容するフレキシビリテイがなければ傷つき、壊れやすい。しかし一方で、flexibilityの名の妥協を許さぬ 完璧を求めるところには別の魅力がある。スポーツや芸術の優れたところはこの部分でないかと思う。

1999年12月29日(水) 年末の朝。通勤の電車は空いている。車両(地下鉄)の中の人を数えると17人。 夜、納会の後、帰路でもあるので、丸の内の「東京ミレナリオ」へ。こんどは、こんな年の瀬というのに人・人・人。光のアーチにそれ程感動はないが、人がこれほど集まること自体に感心、というか溜息がでる。そんな中に自分もいた。

1999年12月30日(木) ストラビンスキーの「火の鳥」を大きな音で聴きながら大掃除をする。エルネスト-アンセルメ指揮、スイスロマンド交響楽団。30年以上前のこの名盤レコードに針を下ろすのは一年ぶり。昼食時には同じく「ペトリューシュカ」とした。年が明けると「春の祭典」を聴こう。午後は帰ってきた息子と一緒に、息子の部屋の壁にペンキ塗り。「ハックルベリ」の挿話を引き合いに出すまでもなく、ペンキ塗りは本当に面 白い。   何だか、典型的な年末だ。

1999年12月31日(金) 掃除ばかりでくたびれてしまった大晦日。2000年まではまだ11時間もある。かつて、密やかに「20世紀末東京」というのをテーマとしていたことがある。「19世紀末ウィーン」に対抗したテーマで気に入っていたが、何もアウトプットの無いままに21世紀になりかねない。21世紀まではアト1年か・・・。

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