<最新版2012-2月のコラムはページの下部です>
2月1日(水) <「めぬまねぎ」・・・>
「めぬまねぎ」を買った。この葱は埼玉県熊谷市の”妻沼(めぬま)地域”で栽培されるので「めぬまねぎ」と呼ばれる。埼玉県の葱というと「深谷ネギ」が有名だが、妻沼と深谷は地続きで共に利根川流域の肥沃な土壌で栽培されている。俳句では「葱」は冬の季語。葱を詠んだ句を取り出してみよう。「葱白く 洗いたてたる 寒さかな」(芭蕉)。「葱買うて 枯木の中を 帰りけり」(蕪村)。葱の俳句は昔の作でも現代の感覚とピッタリするのでうれしい。「夜の客に 手探りに葱 抜いて来し」(中村汀女)。そういえば根付きの葱を土の中に斜めに埋めておくと欲しいときに抜いて使えるので便利だ。最近の作では私は次のような句も好きだ。「平凡と 非凡の境 葱刻む」(浜岡健次/NHK俳句より)。
2012-02-01
2月2日(木) <毎月2日にお寺に墓参・・・>
毎月2日にお寺に墓参をすると月毎にこれほど季節が変動するかと驚くことが多い。これまでのコラムをみると2日には大抵お寺の写真を掲載しているのに気がついたが、それもよしとしよう。今日も息子の月命日で九品仏(くほんぶつ)・浄真寺(東京・世田谷区)に墓参。一年を通してみると今が一番”枯れた”時節だろうが、余計な飾りや化粧を外した素顔の美しさがでる時でもある。今日掲載する写真(左)は浄真寺境内にある上品堂(じょうぼんどう)<2009年1月にスケッチをした作品があった=ここ)。この右側には中品堂(ちゅうぼんどう)、左側には下品堂(げぼんどう)というお堂が並んでいる。それぞれのお堂の中に三体の阿弥陀仏像が安置されて合計九つの仏様があるので「九品仏」と呼ばれる。人があの世へ渡るとき(往生するとき)に生前の行いによってお迎えの阿弥陀仏にランクがあることになるが、この辺りの考え方をうまく説明してあるサイトがあったので納得した=ここ。・・今日は全国的には大雪と寒波で事故が頻発している様子。東京では墓の花入れの中の水が凍っている程度の気候で何か申し訳なくさえ思える。お参りをして帰る途中、境内で鈴なりのミカンを見つけた<写真・右>。これもまた有り難い恵みに見える。

2012-02-02@九品仏・浄真寺
2月3日(金) <「歌川国芳展」・・・>
「歌川国芳展」をようやく見に行くことが出来た(森アーツセンターギャラリー<六本木ヒルズ52F>にて2/12まで、案内=ここ)。評判を前から聞いてはいたが、今日展覧会で400点以上の国芳の浮世絵に接すると改めて強い衝撃を受ける。歌川国芳(1797〜1861)は江戸後期の浮世絵師として知られる。生まれが全く同年である安藤広重(1797〜1858)や葛飾北斎(1760〜1849)等の浮世絵もすばらしいが国芳の作品は他の人にはない発想の面白さに満ちている。大胆な画想とか独創的な構成といった画一的な言い方では表しきれない自由奔放な作品群をみていると江戸時代の先輩日本人のオリジナリテイーが誇らしく思えたり、江戸という時代の文化の高さに驚嘆したり、また精緻極まる版画技術にも脱帽したり、頭の中をいくつもの思いが駆け巡る。江戸時代よりもはるかに表現が自由であるはずの今の時代、美を専門とする人たちに創造する楽しさが国芳ほど感じられないのはどうしてだろう・・。
2012-02-03@六本木ヒルズ(左=毛利公園にロウバイの黄色い花が咲いていた)
2月4日(土) <「自分を知ること」が一番難しい・・・>
「自分を知ること」が一番難しいとは古代ギリシャの哲学者タレスの言葉。ちなみにタレスは逆に一番容易なことは「他人に忠告すること」とした。こんな言葉に納得させられるこの頃、自分自身の感覚がこれほどまでに変わるかと思う体験をした。親戚にしばらく使ってもらっていた陶芸作品のフロアランプを久しぶりに家に持ち帰って見ると何とも気に入らない。以前は気にもしなかったアラばかりが目立ち貸し出していたことが恥ずかしくさえなる。陶芸の場合も10年の歳月を考えると当然制作する技術も少しは進歩しているが、私は一般的には初めの頃に制作した作品は決して嫌いではない。その時点で今以上に制作する迫力がみえて自分で感心するものもある。また不出来と認めるものでも”できの悪い子ほど可愛い”の類でそれなりの良いところを見て評価をする。それが今回のように長期間目の前になかった場合、自分と無関係となったため見る目が厳しくなるのだろう。第三者の目、他人の目とは苦労をしたり愛情を注いだ経緯など一切を取り除いた結果だけを見る。結局は自分の見方が変わっても、作品の場合は他人の評価など気にせずに自分の好みで割り切ればよい。それにしても本人自身の言動は「好み」では割り切れない。誰もが他人の見方は本人とはずれていると認識していた方がよさそうだ・・。
2012-02-04@恵比寿(東京)左=ショウウィンドウ、右=ガーデンプレイス
2月5日(日) <iPhone4のビデオ・・・>
iPhone4のビデオを使って表紙に掲載しているピラミッド型遊具の上から鋼球が転がり落ちる様子を撮影してみた。iPhoneの機能に習熟しようと色々と試みている一環であるが、撮影したビデオをパソコンに取り込んで再生してみると画質がいいのに驚く。このホームページから動画をリンクするやり方(YouTubeを使うか?)は検討中であるが、球が転がるなど動きのある作品はやはり動画の方が断然分かり易い。インターネットでは膨大な情報が流れるけれども「現物」に接し、現実に自分の目で見なければ真実の姿には触れられないことも確かだろう。もっとも自分の目で見ても真実が見えるかどうかは別問題。料理の写真だけでは香りも味も分からないといって食べてみても”違いが分からない”のと同じかなぁ。とにかくも「動画」掲載を急ぎたい・・。
「今日の写真」は会心作?? 下左はパソコン画面がバック。デスクトップの壁紙を変えれば色々なバックが自由自在だ。下右の山並みのように見えるのは実は溶岩。西郷山公園に西郷従道さんの縁で鹿児島から送られた溶岩が飾ってあるのでこれを手前にして夕日を撮影した。
2012-02-05
2月6日(月) <「シクラメン/MIEUへの絵手紙」・・・>
「シクラメン/MIEUへの絵手紙」(ペン&水彩)を「今日の作品」として表紙に掲載した。毎年都内のシクラメン専門の農家で鉢植えのシクラメンを買う。見渡すばかりのシクラメン棚の中から買いたいものを自由に選ぶことができるのだが、自粛ムードで売れ行きが悪いのか今年は例年よりも在庫の数が多くみえた。最近はシクラメンといっても非常に種類が多く、どれを選ぶか迷ってしまう。今日絵手紙に描いたシクラメンの品種名は知らないがフリンジというか、房飾りを付けたような独特な花柄ではある。素直なシクラメンの絵は面白くないのでこんな部分画にして描いてみた。シクラメンの和名は「篝火(かがりび)花」というそうだ。「煩悩を みな焼き尽くせ シクラメン」(TH)

2月7日(火) <YouTubeに初めて自分の動画・・・>
YouTubeに初めて自分の動画を入れた。一昨日、i Phone4のビデオを使って陶芸で制作した「ピラミッド型遊具」で鋼球が転がり落ちる様子を撮影したことを書いたが、その後、MACのiMovieというソフトにビデオを読込み編集をして、iMovieからYouTubeに登録した次第。YouTubeのアカウントを初めて取得するとき本人を確認するやり方が面白かった。ロボットによる機械的な操作をされていないことをチェックするために先ず二つの英文字を読んでスペルを書かせる。これがまともな文字でなく判別不可能な難しい書体でアルファベットの特定が出来なくて苦労した。ロボットだとどう判定するのだろう。次には雑音入りで非常に聞きづらい中で時々数字が発音されるのを聞き取って数字を書く。とにかくも本人と確認されてアカウントを取得し目出度く登録された動画サイト=ここ=。
途中で球が止まらないように微調整するのが結構大変だった。それでも登録した動画はノーカット。連続して転がりとリフトを繰り返してくれた時の快感が忘れられない・・。
2月8日(水) <人間はしばしば報酬なしの方が懸命に働く・・・>
「人間はしばしば報酬なしの方が懸命に働くことがある」という言葉を記憶している。昨年の大震災のときに数知れない多くの人が報酬など考えずに懸命に働いた。今もなお続く支援活動でも多くの人は報酬を目的にしているのではなく人の役に立つことに喜びとしているだろう。一方で復興事業を金儲けの大チャンスとしかとらえない人もいるのは確か。全てのものを金と儲けの尺度で考える習性が身についた人には無報酬で働くなど想像すら出来ないかも知れない。ところが人間社会はよくできていて、お金のために働く人より報酬なしで懸命に働く人が社会を活性化し、多くの人に希望を持たせることが多い。私の周囲にも年金生活をしながら特別な報酬は求めず他人のため、社会のためのボランテイアに駆け回っている人たちがいて見ているだけで清々しい。人の役に立つことの満足感、喜びはお金には代えられないことを改めて教えられる。
2012-02-08@恵比寿ガーデンプレイスにて
2月9日(木) <今日は双葉山の生誕100年目・・・>
今日は双葉山の生誕100年目の日。双葉山は1912年(明治45年)2月9日生まれで1968年(昭和43年)に56際で亡くなった。69連勝を達成したこの不出世の大横綱・「相撲の神様」は歴史上の人物のように思えていたが、双葉山と同じ年に生まれた人は今の日本にはいくらでもいる。私の友人の親は103歳でご存命だ。・・と書いたところで、もし私の母が生きていたなら丁度103歳になると気がついた。今時、100歳の人は珍しくないが、明治、大正、昭和そして平成の時代を生きてきた人を考えると超高齢化の社会は何か恐ろしい気さえする。一方で昔の倍近い人生を謳歌できることをやはり感謝しなければならないと思う。私の場合、もし双葉山と同じ年齢で人生が終わっていれば絵画も陶芸もこのホームページも存在しない。iPhoneを操作し、GPSで遊べる幸せもまた今だから満喫できる・・。
2月10日(金) <クレーンが好き・・・>
クレーンが好きだ。街中でも港でもクレーンがあると思わず立ち止まって見とれてしまう。クレーンは英語ではcrane。鶴そのままの単語で形状が鶴そっくりなので名付けられたようだが日本語でも「起重機」というより「鶴」と呼べば面白い。クレーンのどこが魅力的かといえば、”無駄がないところ”だ。荷を吊り上げて移動させる機能を最小限の部材で構成するために"駄肉”が一切ない。力学的な荷重の条件と必要な部材の関係を完璧にとらえていないとクレーンの設計は出来ない。時には見た目に不安感を与えるほどの極限設計の成果を裸で見ることの出来るのがクレーンだ。昨年の東北大震災の折、建設中のスカイツリー(東京・墨田区)の現場で634mの高所作業をしていたクレーンは地震で直ちに停止したがトラブルは起こさなかった。日本のクレーンは地震をも想定しなければならない。技術の粋を街中で見られるのがクレーン。クレーンを見ると製作した人々に敬意を払おう・・。
2012-02-10@目黒区・東京
2月11日(土) <今日は何の日?・・・>
今日は何の日?「建国記念の日」と答えられるだろうか。「建国記念日」ではない。「の」が付くところがこの祝日の出来た当時(1966年)の複雑さを表している。明治時代から終戦に至るまでは2月11日は「紀元節」であった。この日付は奈良時代に編纂された日本書紀にある神武天皇が即位した日を採用したものとされる。紀元節に相当する”建国記念日”を制定する機運が起こったとき当時の社会党が猛反対して祝日とする法案が通らず、最終的に「の」の字を入れた「建国記念の日」で社会党も妥協し法案が成立したという。日本の「建国」はいわば神話から神武天皇が即位したとされる紀元前660年の2月11日を用いたが、世界の「建国記念日」は様々だ。韓国の建国記念日に相当する「開天節」は何と紀元前2333年に建国されたとされる神話の日を用いている。一方で、あの悠久の歴史を持つ中国には昔の「建国」の記念日はなく、毛沢東が共産党政権を樹立し建国宣言をした日を「国慶節」とした(1949)。米国はじめ多くの国が「独立記念日」を建国の記念日としていることから国が「独立」する歴史の重さが伝わってくる。それにしてもインターネットをはじめとして世界中で情報の国境がなくなった現代でも「国」の存在の何と大きいことか。ふと年金もこの国でしかもらえないことを思った。

2012-02-11@自然教育園の池 (東京・港区)