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11月1日(日)   <奇跡・・・>
奇跡としかいいようのないことが現実に起こる。八丈島沖で嵐のため漁船が転覆し4日経過した後に船室に残された船員3名が救助されたことはまさに「奇跡の生還」。いくつもの幸運が重なって奇跡が起きた。今朝の新聞で裁判員の選任手続きの呼び出し状が同じ人に3回連続して送付されたことが報じられている。単純計算でこんな事は確率6万4千分の一とか。これも奇跡に近い。裁判員には当たっても有難味はないが、どうせ当たるなら宝くじの方がよい。ところがある人が宝くじの確率の計算をしたところ、一枚の宝くじを買って一等一億円を当てる確率は百万分の一で、これは人が交通事故で450回死ぬ確率になるという。一億円を当てるのこそ奇跡である。しかし、考えてみると私たちは実は奇跡の恩恵にどっぷりと浸かっている。奇跡の星、地球という宇宙の中で真に希有な星に生を受けている。しかも今ここに生きていること自体が奇跡の結果であることは間違いない。時に自分の受けている奇跡の恩恵を思いたい・・。
<昨日に続いて横浜に行った。下の写真のような横浜が好きだ>
2009-11-01@横浜みなとみらい


11月2日(月)   <携帯ストラップ・・・>
「携帯ストラップ」の絵を今日の表紙に掲載した。妻の携帯ストラップを描いて孫娘mieuへの絵手紙としたものである。私自身の携帯ストラップは今年の2月に携帯電話(裏側)と一緒にペン画で描いている(2/23コラム参照=ここ)が簡単な一本のストラップだけである。今や携帯ストラップは選ぶのに迷うほど種類が豊富である。妻のストラップもそうであるが観光地とか気の利いた店に行くとその場所オリジナルのストラップがあり記念に購入したくなる。携帯ストラップを蒐集するのも面白そうだが種類が余りに多くて続かないだろう。それにしても携帯にストラップを多く取り付けたり、凝ったストラップを楽しむ"風習”は日本独特であるらしい。江戸時代の「根付け」では紐で吊して小物を持ち運ぶ単純な道具に遊び心を加えつつ、やがては根付け如きの留め具に日本人は精緻を極めた芸術品を造り上げてしまった。根付けは今や世界中で高い評価を得て骨董として蒐集されている。私は多彩な携帯ストラップを見る度に「現代の根付け」を思う。携帯ストラップは豊かな日本文化の一側面でないか・・。ちなみに掲載した絵では少し見にくいがハローキテイー扮する殿様がサンマを抱えているストラップは「キテイーの目黒のサンマ」バージョン。これも滅多に入手できるものではないが、付けていてどうということもない。これが文化であろう。

11月3日(火)   <11月3日は「晴れの特異日」・・・>
11月3日は「晴れの特異日」である。今日の東京はまさにこの特異日に違わず抜けるような秋晴れとなった。朝は今年一番の寒さで早朝の犬の散歩も陽光の当たる場所を選んで歩いた。11月3日は父の誕生日であったからこの日には特別の思いがある。明治生まれの父は「文化の日」の名前が馴染めずに、どうしても「明治節」が親しかった。明治節は明治天皇の誕生日(1852年)である11月3日を祝祭日としたもので戦後「文化の日」となるまでこの名前の祝祭日であった(明治天皇在位中は「天長節」であったので父は天長節とも云った)。今や明治はもちろん昭和も遠くなりにけり・・。今日は余りに天気が良かったので寒くはあったがウオーキングをかねて西郷山公園(東京目黒区)にいき二度も富士山をみた。かつては富士をみる絶好の場所であった公園でも、もう知る人でなければ富士を見つけるのは容易ではない。丁度太陽が沈む方向に富士がみえるのだが全体写真では見難いので昼間の富士のアップと並べて写真を掲載してみる。

2009-11-03@西郷山公園(東京・目黒区)

11月4日(水)   <盟三五大切(=かみかけてさんごたいせつ)・・・>
「盟三五大切(=かみかけてさんごたいせつ)」を見た。また随分読みにくいタイトルであるが、鶴屋南北作の歌舞伎狂言でいま新橋演舞場で公演されている(11月25日まで、出演、市川染五郎、菊之助、亀治郎など)。この四代目鶴田南北(初代から三代目までは役者で四代目が狂言作者)作の歌舞伎は1825年(文政8年)に初演された当初は内容が余りに凄惨で暗いためか長くは上演されなかったそうだが、昭和になって見直されて復活し現在しばしば上演されているという。忠臣蔵の義士と主人公を結びつけた創作だが、たかが金銭と痴情のもつれから浪人が殺人鬼と化し芸者、美人局(つつもたせ)の夫などに絡んだ多くの人々を次々と惨殺するストーリーに何が現代的な意味があるのか私には理解できない。とにかく凄惨である。罪もないのに9人(?)も殺される。それも反抗もしない女性や赤子に至るまで惨殺される物語のどこが面白いのか。殺人に型の美しさも何もあるものか。この歌舞伎を外国人がみると日本人とは不可解で恐ろしい人種だと誤解されるに違いない。驚いたことにこの冷酷な殺人鬼の主人公が見えを切ると多くの観客の女性が拍手をする。そう、こんな歌舞伎狂言が女性から支持されて続いていることが私にとっては何より不可思議である。

2009-11-04@新橋演舞場
11月5日(木)   <我が家のコーギー犬・・・>
我が家のコーギー犬、アールが必死に生きている。今日丁度13歳になるところで体調が急変した。この一年近くは後ろ足が使えずに車椅子での散歩を続けていたが食欲は旺盛で脚力以外は元気いっぱいだった。それがこの40時間ほど食事をとっていない。大好きだった缶詰の肉やササミジャーキーも一切口にしない。かろうじて牛乳や水を飲んで静かに横たわっている。今朝は思い切って車椅子で外出したら意外に(こちらでかなり前脚をサポートしたが)一回りすることができた。今晩は余りに弱っている様子なので車椅子にも乗せられない。インターネットでみると、犬の年齢を人間の相当年齢に換算する場合、13歳では、小型犬=68歳、中型犬=78歳、大型犬=96歳とあった。コーギーは中型犬であるので78歳相当ではある。今もパソコンを打つ足下で布団をかぶって横になっているが、実に穏やかな優しい目をしている・・。

11月6日(金)   <昨晩アールが亡くなった・・・>
昨晩アールが亡くなった。昨日のコラムを掲載した数時間後のことだった。ある程度覚悟はしていたが静かに眠るように息を引き取ったのがせめてもの慰め。アール(コーギー犬)は1996年の11月5日に我が家の寝室で母親のアンが出産した子犬4匹の中の一匹である。丁度13歳の誕生日に亡くなったことになる。コーギー程度の中型犬であると人間の年齢に換算すると80歳ほどになる。もっともっと長生きをして欲しかったけれども天寿を全うしたとこれも慰める。母親のアンは10歳で亡くなったがその時は翌日には変わらずにアールを散歩に連れて行かなければならなかった。つまり、2マイナス1で1が残った。けれども今回は1マイナス1がゼロである。ゼロの影響の大きさを今ひしひしと感じ始めた。生活習慣の中で如何にアールの存在が大きかったことか・・。これから自分の生活をどうするかは別にして、先ずアールに”ありがとう”と云いたい・・。

11月7日(土)   <ペットロス症候群・・・>
ペットロス症候群は私とは無縁と思っていたが、その気持ちはとてもよく理解できる。ペットロス症候群とは「ペットを失うこと」が契機になって何らか発症する精神的疾患のこと。一昨日愛犬(コーギー犬アール)が亡くなって何か穴が空いて生活の張りが取り除かれた心境になるのは確かである。アールの場合は犬にしては相応に長生きをしていたし一緒に生まれた兄弟がこの夏に相次いで(二匹)亡くなっていたので私もある程度の覚悟はできていた。それにしてもアールの母親(アン)からアールの最期まで犬を18年間飼い続けていた。その前に猫を飼っていたので(一時は犬と一緒)ペットとの生活は実に30年に及んだことになる。ここにきて突如家の中に自分一人(妻がいないとき)となる感覚は特別である。そうはいっても、世の中には最愛の連れ合いや肉親と死別せざるを得なかった人々は多い(私たちも同じ)。人間の別れを思うと"ペットごとき”であるかも知れない。生きとし生けるものは全てやがて滅する。惜しまれながら"滅する”のはむしろ恵まれていると考えよう・・。

<今日の写真に九品仏浄真寺(東京)の巨樹・イチョウを掲載する(9月20日コラム=ここ=参照)>
2009-11-07@九品仏浄真寺

11月8日(日)   <笑いたい、笑いが欲しい・・・>
笑いたい、笑いが欲しい・・。けれどもなかなか笑うチャンスはないものである。特にテレビのお笑い番組にでてくる「お笑い芸人」はほとんど笑えない。可笑しくもないのにわざとらしく自分だけ笑っているので腹が立つだけ。大抵はチャンネルを変える。本物の落語で笑わせてくれることも希だ。笑福亭鶴瓶の落語なども聞いたことはない。もっとも本人は落語家の自覚はなく"俺さまはタレントだ”とスター気取りでいる。そんな日本でお笑い芸人がこれほど隆盛を極めている(?)のはみんな何でもいいから笑いたいのだ。箸が転んでも笑う、笑うことは健康の元・・。笑いの種類にもいろいろある。声を出して笑う=laughと、微笑む=smileとでは随分違う。冷笑、嘲笑されていても芸人は笑いをとったと勘違いするのだろう。粗悪品でも売れさえすれば商売は成り立つ。けれども飽きが来れば一挙に売れなくなる。質のよいお笑いが提供されるまでいっそ鏡を見ながら大声で笑おうか・・。
11月9日(月)   <今日は新聞休刊日・・・>
今日は新聞休刊日であることを新聞のコラムを読もうとして教えられる。正確にいうと昨日、11月の第二日曜日は休刊日で翌日(今日)月曜日の新聞が発刊されない。私は新聞を長年購読しないで専らインターネットで各新聞社のコラムだけを読むようにしているがこの日は各社ともコラムも社説もお休みである。今は新聞休刊日は何と毎月一回、年12回もある(月により、第二日曜、第三日曜、その他)。新聞協会が新聞販売店の慰労・休暇を目的として新聞の発行をしないと定めた日が新聞休刊日であるというが、時代錯誤もはなはだしい。今どきどんな職種でもローテーションで休暇をとらせるであろうし新聞販売店程度の勤務は特別に厳しくはない。100歩譲って休刊日を実施するにしても全新聞社が同じ日に休刊する必然性はない。いまはデパートの休日でも美術館の休館日でもむしろ画一日を避ける工夫をしている。休刊日に輪転機のメンテナンスを行うことを理由にするのもナンセンスだ。どんな機械もメンテナンスを考えた設備計画をする。航空機のエンジンでも新幹線の車両でもメンテナンスのため一斉に”休みます”などいえたものではない。要は新聞界は50年も前の新聞配達少年に休暇を与える風習を業界そろって変えることをしないだけであろう。新聞業界がこんな細かなことまで画一的にまとまってしまうこと自体望ましいこととは思えない。
2009-11-09@西郷山公園(東京・目黒区)

11月10日(火)   <今朝6時45分に家をでて・・・>
今朝6時45分に家をでて軽い散歩にでかけた。一週間前まで犬を連れて散歩した道をあえて通り、犬と散歩しているときに挨拶を交わした顔見知りの人に会う度に"犬が先週亡くなった”ことを告げた。この朝、道路を掃除している人、犬を散歩させている人、ウオーキングをしている人、みなからお悔やみを言われ、親身になって励まされた。アール(コーギー犬)がつくった温かい人と人のつながりのお陰である。昼には陶芸教室の仲間の人が開催している個展をみにいった。東京アメリカンクラブ(東京・麻布)という普段は入る機会がない場所で陶芸作品を鑑賞することができるのもまた陶芸教室での人のつながり。独りでは狭い世界しか触れられないのが人とのつながりで多くのことを体験できる。・・このところ何か静かな雰囲気に浸りたくて、「今日の表紙」に掲載した「高野山心象風景」(水彩)を描いた。朝霧の中でなにもが霞んでいる。先行きもみえないが、いまは霞こそが美しい・・。


11月11日(水)   <今日のブログに”お詫び”・・・>
今日のブログに”お詫び”を書いたのは、いま人気の脳科学者茂木健一郎(47歳)さん。2〜3日前に東京国税局から約3億円の税金の申告漏れを指摘されたことがニュースで伝えられた。テレビやマスコミで目立つ大活躍つまり大稼ぎをしながら、忙しくてこの3年間確定申告をしていないとか、税理士も使っていないとか、自分の年収も把握していないとか、浮世離れした実態が伝えられる。実のところ私は以前から毎日茂木健一郎のブログをチェックしている(=ここ/お詫びもここにある)。茂木氏のブログで気持ちがよいのは彼は決して他人を悪く云ったり非難することがないところだ。交際する人のいいところを指摘し引き出す。それでブログを読み続けるのだが猛烈な多忙の中きっちりとブログを書いているのには感銘を受ける。税金の申告漏れがニュースで伝えられた日も恐らくドイツに滞在中だったと思われる。海外にいてもブログの改訂をするのはノートパソコンを持ち歩いているからだろう。そんな中での無様な申告漏れ騒ぎだが、本人のためには非常にいいお灸と思える。私は以前から氏の多忙さをみていると研究者としては時間がないのではと危惧していた。脳科学の宣伝マンの役割は十分に果たした。収入も普通の学者の何倍も稼いだに違いない。少し落ち着いて科学の進歩のために"脳”を使って欲しい。

11月12日(木)   <速水御舟の特別展・・・>
速水御舟の特別展をみた。山種美術館がこの10月(2009年)に東京・広尾に新美術館を開館させた記念特別展が速水御舟(11/29まで、美術館案内=ここ)。山種美術館はこれまで2〜3回移転しているが以前千代田区丸の内のビルに美術館があった時に何度か足を運んだことがある。それが今回は広尾、JR恵比寿駅から歩ける距離に新美術館がオープン。うれしいことに我が家からウオーキング約20分で新美術館に行けることとなった。山種美術館というと速水御舟の「炎舞」(重文)が有名で今日ももちろんこの絵に再会した(炎舞の写真例=ここ)。蛾が炎に群がって舞う幻想的なこの絵は1925年(大正14年)御舟31歳の作品である。もう一つの重文とされた「名樹散椿」(写真例=ここ)は35歳の作品と30代の名作が残っているが速水御舟は正に画家としてどんな大輪を咲かせるか期待されている最中、1935年(昭和10年)に腸チフスのため40歳で急逝している。今回の特別展では御舟36歳の時にヨーロッパを旅行して貪欲に西欧文化を吸収しようとした資料やスケッチが興味深かった。それと渡欧後の言葉:「自分のこれまでの統一、まとまりから全く抜け出して、全て生まれ変わった気持ちで自由な仕事がしてみたい・・」。そして亡くなる二ヶ月前には夫人にこんなことを言っている:「世間で褒めてくれる絵を描くのは簡単だけれども、これから売れない絵を描くから覚悟しておいてくれ・・」。御舟の”売れない絵”を見ることができないのは後世みなの無念である。
11月13日(金)   <オバマ大統領・・・>
オバマ大統領が今日の夕方4時前に羽田空港に到着した。初来日にそなえて東京は朝から厳戒態勢。午前中に都心を約8000歩ほど歩いたが警備の警官ばかり目についた。今夜には鳩山首相との日米首脳会談が予定されている。オバマ大統領というと今更ではあるが、1961年生まれ、48歳の若さを思う。そしてこのような若く、しかも黒人系の大統領を選出するアメリカのバイタリテイを思う。ちなみに日本の大臣の年齢をみてみると民主党政権で随分若くなった結果、国土交通大臣として奮闘中の前原誠司氏が1962年生まれで47歳、厚生労働大臣の長妻昭氏が1960年生まれで49歳、とこの二人がオバマ大統領と同年代。自民党の若手では石原伸晃氏でも1957年生まれ52歳(舛添要一氏はまもなく61歳になる)。今の日本では40代の首相を選ぶ元気はないようだ。云うまでも年齢による能力の差など全くない。明治維新はオバマ大統領よりはるかに若い20代、30代の若者が成し遂げた。今の日本で若者にもっとチャンスを与えるには先ず老人政治家が引退すべき・・とまたこんな話にたどり着いてしまう・・。

11月14日(土)   <「装飾の力」・・・>
「装飾の力」をテーマにした展覧会をみた。東京国立近代美術館工芸館で開催されている展覧会(案内=ここ、2010.1.31まで)で「装飾」をキーワードとして21世紀における工芸制作と表現活動の可能性を探ると趣旨が述べられている。私の陶芸教室で一緒に陶芸を始めた女の子がその後スタッフとして活躍し、また精進も続けて、いまこの展覧会に出展している29名の作家の中に名を連ねているのを誇らしげに思いながら見て回ったのである。私はどちらかというとシンプルなデザインが好みであるが、今日は「装飾」について色々と考えさせられた。確かに人間が何か表現したいという欲望の中に本能的に「装飾」が存在する。1万年以上前の縄文土器や土偶にみられる装飾模様、安土桃山の豪華な意匠、西欧のデコレーションの歴史も云うまでもない。近代のシンプルな造形物はベルサイユ宮殿など有り余る装飾物への反動と解釈されることもある。本能的には白紙の美しさよりも存分に色を塗りたくり飾る美を求めるのだろう。今日の"装飾作品”をみていくと装飾の中に作者の人間性が全て表れるように見えるのが面白かった。技術的な"模様”でなく作者が何を美しいとするか、価値観そのものが表れる。そういえば作者は圧倒的に女性(それも20代から30代の女性)が多いことに気がついた。やはり本能からみると男性は食べるために外で狩をしたり畑仕事、あるいは戦いをする。文化的な飾り(装飾)は女性の方が得意かも知れない。
2009-11-14@東京国立近代美術館工芸館
工芸館の建築は明治時代に近衛師団司令部庁舎として建築されたもの

11月15日(日)   <昨日、国立公文書館・・・>
昨日、国立公文書館(東京・千代田区)にはじめていった。国立近代美術館の別館、工芸館を訪れた帰りに公文書館の前を通ると「入場無料」の案内が見えたので予定にはなかったが中に入ってみたのである。今は平成21年度秋の特別展「天皇陛下御在位20年記念公文書特別展示会」の最中で特別に展示品をみることができる(11/19まで、案内=ここ)。天皇が署名した日本国憲法の原本とか法律の原本など普段は考えもしない別世界のものを目に前にした。歴代の総理大臣の名前で天皇宛に法律や政令について署名を願い出る書類など歴史の基となった公文書も多いが、反対に宮内省が天皇の予定を事細かに書き出して政府宛に通知している書類などもある。今回の展示は天皇と関連する公文書が多かったが、それにしても天皇の公務とは大変なものだとご同情するばかり。公文書と別世界にいる庶民はその幸せを思うべきであろう。

11月16日(月)   <犬との散歩の時間がなくなった・・・>
犬との散歩の時間がなくなった(11月5日に長年一緒に過ごしたコーギー犬アールが亡くなった)ので、できるだけ歩く機会を作るように努めて
いる。このところ渋谷には自転車でなく歩いて往復するようになった。今日も渋谷に歩いていった。「所用で歩く」のか「散歩(or散歩のついでに所用)」か、どう考えるかで気分が随分異なることに気がつく。所用と思うと歩く時間は目的とは別の無駄な時間に思える。散歩であると周囲を観察したり考え事をしたりしながら、その時間がとても貴重で有効なものに思える。一方、歩くこと自体を目的としたウオーキングもあるが、これは私の場合歩くことに必死となりゆとりがないので余り楽しくはない。立ち止まりたい時には止まり、アイデイアが浮かべばメモする余裕がある散歩の方が楽しいのである。歩く途中で垂れ桜の樹が紅葉しているのを見つけた。この垂れ桜の下では桜の時期にも紅葉の季節にも犬をいれて写真を撮ってきた(アールとアールの母親アンと垂れ桜の写真=ここ)。今日はさびしく犬なしの垂れ桜の写真を撮る。この日の渋谷往復は7300歩。ゆとりの散歩であった・・。
2009-11-16@代官山ヒルサイドテラス(東京)

11月17日(火)   <柚子の絵・・・>
柚子の絵を「今日の表紙」掲載した。知人が自分の庭でとれた柚子を枝付きで持ってきてくれたので直ぐにそのまま写生したもの。柚子の色はレモン色である。絵の具では「レモンイエロー」と呼ぶレモン色そのものがあるので色塗りは簡単であるが、これを三原色の黄色から作るとなると面倒だ。黄色に若干緑みを持たせるとこのような色になる。さて、レモンは云うまでもなくビタミンCが豊富で揚げ物や生牡蠣に果汁をかけたり紅茶の風味付けに使ったり用途も多い。レモンというと日本では一般的には爽やかな好ましい感じを抱く。ところが英語圏ではそうではないようだ。辞書によるとlemonは本来の果物の意味以外に「(俗語)いやな物(人)、欠陥製品、おんぼろ車、欠陥車、(英俗語)魅力のない女」とでている(研究社・LIGHTHOUSE)。アメリカのレモン法(lemonlaw)は「欠陥車や不良品を買わされた人が返金を要求できる法律」とか。レモンの「すっぱい」ところがマイナスイメージになっているようであるが、余りに単純でレモンにかわいそうである。一方の柚子も酸味が強く、バカにされることに関しては負けていない。「柚子の大馬鹿16年」。大器晩成で大馬鹿であっても手間がかからず生命力がある。時には人間も柚子に学びたい・・。

11月18日(水)   <今日は「土木の日」・・・>
今日は「土木の日」。土木の「土」が「十一」、「木」が「十八」に分解されること、それと土木学会の創立が11月18日(1879/明治12年)であったことから、この日が「土木の日」と制定されたそうだ。土木工学は自然環境をコントロールし文明社会の基盤となる諸々を整備・構築する上で欠かせない重要な学問分野である。土木技術は道路、河川、港湾、上下水道、ダム、トンネル、橋梁、鉄道、空港など国づくりの根幹を広くカバーする。ところが最近はこの「土木」の文字が人気がないという。大学では多くの大学が「土木学科」とか「土木工学」を使わずに資源学部とか環境資源など他の名称を使う。理由は「土木」の言葉が土木作業員とか土方を連想させてイメージが悪く受験生が集まり難いためとか。 土木学科がどんな呼び名に変わっても土木工事はなくならない。そして土木工事によってわれわれの社会基盤がより充実していく。「土木の日」には土木を感謝する日とかもっと土木PRをしてもいいのでないかと思う。「土」と「木」なんて素朴な字面はやがて復活して流行するに違いない。

11月19日(木)   <ボジョレ・ヌーボー・・・>
ボジョレ・ヌーボーが今日19日の午前0時に解禁となり発売開始されたとニュースで報じられている。ボジョレ・ヌーボーはフランス産ワインの新酒。午前0時を待って乾杯する好き者もいるようだ。どうして仰々しく「解禁日」を設けるのかは、その年に作られた新酒ワイン、ボジョレ・ヌーボーを待ちかねる人が多く、解禁日を決めなければ先を競って出荷するあまり未完成で品質の悪い状態で市場に出回る事になりかねないからと理由が説明されるが、実のところはボジョレ・ヌーボーの巧みな販売戦略でないかと私は思う。この日までは手に入りません、今日からですというだけで希少価値ができるし話題にもなる。毎度の事ながらニュースで大袈裟に取り上げられても"私には関係のないことでござる”と気にもしなかった。ところが、たまたま今日親戚の集まりがありレストランで食事をしたとき、ボジョレ・ヌーボーがでた!解禁日にボジョレ・ヌーボーを飲むのは初めてであったが、確かに新酒らしく色は鮮やかであるし香りも若々しい。年代物の熟成ワインとは違う新鮮な魅力がある。ボジョレ・ヌーボーは何でもフランス国外への輸出が70%を占め。その内25%が日本向けとか。話題性があれば直ぐに試して喜んでいる私のようなおっちょこちょいが日本の需要を支えている・・。

11月20日(金)   <タジン鍋・・・>
「タジン鍋」を陶芸で制作することを検討中である。陶芸教室では例年年末になると「土鍋」の制作がはじまる。火にかけられる特別な土を使い焼成温度も普通の陶器と異なるので土鍋を作る希望者を募るのであるが、今年は土鍋の一種「タジン鍋」が紹介されていた。私はこれまで土鍋を何度か制作したのではじめは関心がなかったが、妻に話すと是非作って欲しいという。そこで「タジン鍋」について調べてみると結構面白そうで興味が湧いてきたのである。まだ設計図もできていない「検討中」のプランをあえてコラムに書くのは「有言実行」で自分にプレッシャーをかける意味がある。半分は、”よし作ろう”という意思表示でもある。タジン鍋とは北アフリカ・モロッコの調理用土鍋のことで(タジンは肉や野菜をじっくり煮込んだシチュー、何にでもこの鍋が使用される)、蓋が大きなとんがり帽子(三角帽子)の型あるいは富士山型であるのが特徴。鍋に水が少なくても水蒸気が三角帽子の上部で凝縮して水滴に戻って循環するため旨味が引き出されて栄養も逃がさないという(タジン鍋のサイト例=ここ)。明日から設計開始するとしても、タジン料理を食べられるのは来年か・・。

11月21日(土)   <生前葬・・・>
生前葬は「自らの社会的活動の終止を告知する機会として開催されることが多い」とWikipedia(インターネットの百科事典)に書いてある。今日、死亡が報道された(実際の死亡は16日)水ノ江滝子さん(94歳)の場合、1993年(78歳の時)に自分の生前葬を先日(11日)亡くなった森繁久弥が葬儀委員長になって盛大に行った後、一切メデイアに現れなかったというから見事な生前葬であったといえる。先のWikipediaには生前葬を行った有名人として解剖学者の養老孟司(現在72歳)の名があった。2004年、67歳の時に生前葬のモデルになったというが、この人などは”社会的活動の休止”どころか売名活動の延長であろう。ビートたけし(62歳)も今年生前葬をやったことになっているが、これはもうジョーク。こうしてみると真面目な(?)生前葬は難しい。私のような普通の人間にとっては生前葬を考える以前に、生前葬をしたいと思う心理が理解できない。今は寿命が延びているので生前葬をするような人に限ってその後20年、30年と長生きをする。生前葬の出席者はそのことが分かっているので白けた顔をしているに違いない。

 

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