今日のコラム:2000年1月分

2000年1月1日(土) あけましておめでとうございます!   A Happy New Year!
キーボードを半分叩きながら、紅白歌合戦を最後まで見てしまった。その後、アンとアールの散歩。狙い通 りに、恵比寿ガーデンプレイスで丁度2000年の新年を迎えた。2000年カウントダウンの時計台は12時を過ぎるとプラスの時刻を示した。ガーデンプレイスは想像以上のお祭り騒ぎ。アンとアールが人混みに踏みつぶされないように、抱っこして歩いた。人間の散歩になったことは確か。さあ、これから床に付きます。a.m.1:00

2000年1月2日(日) 元旦は穏やかな快晴。2日は寒々とした曇天。外出の予定を取り止めたので、今日になって初めてのんびりした。小品ながら絵も画くことができた。アンとアールの散歩先の公園で同じコーギー親子と出会う。「マーチン君は青森に行ってしまいましたね。」「トビ君も可愛いですね」「駅の向こうの魚屋さんにも昔からコーギーがいますね」・・・これは、初対面 同士の会話です。東京の街中で。

2000年1月3日(月) Y2K対策にて出勤。世間は2000年問題が大したことにはならないとのことで、株価が上昇したりしているが、現場はまだ毎日即応体制である。それでも、大きな問題はないので、箱根駅伝のゴールが自分のいる直ぐそばだったことにも気が付く。帰路の暗い空気が生暖かい。ガラガラの地下鉄に乗ると妙に疲れが出た。

2000年1月4日(火) 正月休み最終日。人間4人、コーギー3頭が1台の車に乗って、都民の森(都下、奥多摩湖の南)に行った。コーギー達は紐に繋がれずに自由に走り回りながら一緒にハイキング。気温は低いが雲一つない快晴。空はフオトショップで色を付けすぎて不自然ではないかと思うような、これは本物のブルーであった。午後の2時半には家に戻る。短時間ではあったがrefreshしたことは確か。

2000年1月5日(水) 年頭とのことで、色々な人が新年の抱負を語る。2000年のこの年にしか聞くことができない内容があればうれしい。去年でも、5年前でも通 用するようなコメントを聞くと寂しい。さて、私の抱負はなんとしようか。

2000年1月6日(木) ”やる気”のないときは「気の世界」で遊ぼうか:気合、気勢、気概、気品、気力、気配、気性、気分、意気、生気、元気、志気、運気、勇気、陽気、活気、強気、景気、男気、邪気、人気、嫌気、殺気、本気・・これで気が済んだ

2000年1月7日(金) 30分の時間があるとすると何も考えずに直ぐ身の回りにあるものを画いて「今日の絵」とすることがある。これにならって、”何も考えずに”今現在のテレビをスケッチしてみよう:1チャンネル=大江健三郎さんがドイツの教壇にたつ。3チャンネル=大江健三郎さんがフォーラムで民主主義について話をしている。戦後の教育、集団、芸術・人文科学の極度の軽視、morarityの確立、多様性、ポスト工業化、悲観主義、希望。

2000年1月8日(土) 昨年の芥川賞<候補作>幽(かすか・松浦寿輝)をようやく読み終えた。江藤淳の「妻と私」が哀悼特集で掲載された去年の文芸春秋9月号を購入したものを年末の大掃除で見つけて、その後、風呂の時間に少しずつ読み進めたもの。こうした小説を読んだのは10年ぶりか、いやはじめてか。「幽(かすか)」そのものはそれなりに面 白く読み通す事が出来た。驚いたのは選考委員の選評。「私はこの小説のあちこちになにかしら傲慢なものを感じて一票を投じることができなかった」「・・いんちき臭さを感じる」これは宮本輝の”傲慢”なコメント。純文学だの文壇という世界も一般 社会に負けず劣らず足の引っ張り合いと自分のことを棚に上げたいんちき評価がまかり通 っているようだ。

2000年1月9日(日) インドの国父、マハトマ・ガンジーが「社会的罪」として挙げた項目がある。1.原則なき政治 2.道徳なき商業 3.労働なき富 4.人格なき教育 5.人間性なき科学 6.良心なき快楽 7.犠牲なき信仰     ガンジーが暗殺されたのは1948年であるのに、2000年の今ピッタリ当てはまるのは驚くべきことというべきか、悲しむべきというべきか。

2000年1月10日(月) 成人の日で休日。朝方までの雨が上がると暖房を消して丁度良いほどの暖かい日和となった。昨日から妻が泊まりで仙台へ行き、帰りは今夜半とか。こういう休日は自分のやりたいことを何でもできる。久々にF30号の絵を一枚書き上げた。好きな食事を冷蔵庫を漁りながら作るのもまた楽しいことである。(実はできるものが決まっているのだが)アンとアールの食事はいつものドッグフードに特別 メニュを加えてやるのはいうまでもない。

2000年1月11日(火) 帰宅時に見た三日月が美しかった。人工的な諸々の具象、抽象物はただの安っぽい物真似ではないかと思わせるほど、暗い空間に浮いた三日月の鋭いエッジには本質的な力がある。そう思って、10時過ぎにアンとアールの散歩に出かけたらどこを探しても月の姿を見ることはできなかった。

2000年1月12日(水) 冷たい雨が降り続く。今夜は犬の散歩には行けない。家庭でのパソコンやインターネットが新聞と同じように身近になったのは、丁度1年前にi-Macを購入した時食卓の直ぐ脇に置いてからのような気がする。可動式の台に乗せたパソコンをTVを見ながら、お茶を飲みながら気楽に操作できるようになった。家族と団欒しながら(これはダンランでないか?)メールをチェックする。「どこにメール出したの」「うん、ちょっとスウェーデンにね・・」

2000年1月13日(木) 絵を描き始めた頃、毎日30分でもよいから画くことを続ければ10年間もすれば少しは上達するといったことを書いた本を読んだ覚えがある。時に思い出して「今日の絵」を作った。ところが最近15分間をこのコラム書きに費やすと絵の作品がなくなりつつあることに気が付いた。精神的には好き勝手な今日の絵を描く方が達成感がある。コラムはそれだけ自由に書いていないということか・・。「今できないことは10年後でもできない。」といいますよ。

2000年1月14日(金) 昨日の夕刊に、英国のローリングさん(女性)が「ハリーポッター」という初めて書いた小説(童話)で25億円を稼ぎ出したという記事があった。丁度家にきていた娘にお父さんも童話を書くことにすると宣言。早速今日「ハリーポッターと賢者の石」を買ってくる。私もローリングさんにほんのちょっぴり稼がせたのかな・・・。
2000年1月15日(土) 1月15日は記憶されるべき日だ。といって、大した事ではない。昨年の1月15日は i-Mac の発売日でこの日の朝10時に i-Mac を買ったという次第。この機種を何だか10年も使ってきたような気がするが僅か1年間しか経っていない。そこで一句:「この色と 性能がいいねと 妻が言ったから 1月15日は i-マック記念日」 

2000年1月16日(日) 半月遅れの新年会も気持ちよく終わった。本当に休養になった休日。ホームページのコーギーコーナーを改訂しようとアンが子供を産んだ頃の写 真を整理する。写真の質が今と比べて格段に悪い。当時は30万画素のデジカメ。僅か3年前と今のレベルの差は驚くばかり。ハードが進歩しているのに我がHPの中身が変わらないのでは申し訳がないと少しずつ準備をしている。Fireworks というソフトを使うと画質を見ながら画像を開く時間を5分の1以下にできることも分かった。乞うご期待といきたいところだがoutput はまだ先です。

2000年1月17日(月) 危機管理の中に”コンテンジェンシー”という日本語がある。contingency=偶発災害とか不測事態という意である。阪神大震災から5年。contingency plan もこの震災が契機に作られたものが多い。5年間という年月はそれぞれの歴史をつくりあげる。あの当時娘がパリに留学していて絵はがき描いて送ったりした。それがこのホームページの元となった。震災の時に何を描いていいか分からず、仏像を画いたのをよく覚えている。

2000年1月18日(火) コラムの話題は”なりわい”に関係する部分にはあえて触れない。それでも、睡眠時間を含めると一日のほぼ半分はコラムの対象となる生活時間があることになる。コラムを書く以前と比べて時間の密度を余計に意識するようになった気がする。・・・いまアンとアールの散歩から帰ったところである。

2000年1月19日(水) 「夕飯はビーフステーキ、それにワインも付いた」と書く予定が狂って「鰻の蒲焼き」と相成った。セザンヌ(フランスの画家)、エドバーグ(スエーデンの名テニスプレーヤー)、エドガー・アラン・ポー(アメリカの作家)、森鴎外(明治の文豪)、松任谷由美(歌手)、宇田多ひかる(歌手)、それに私をつなぐものは何でしょう・・・。そうです。皆1月19日が誕生日なのです。最近、宇多田ひかるちゃんがメンバーに加わって”私”もなんとなく鼻が高い!?

2000年1月20日(木) 満月を上空に戴いて今夜もアンとアールの散歩・・・というようにいつも夜10時過ぎの散歩の後のコラムは”夜”とか”月”が多くなる。明るい太陽の下「横浜の高台から見える富士山は霞がかかって殆ど雲と区別 が付かない」(今朝)といった情景は昼間に書くものではないか。同じ一日、同じ世界でも何に焦点を当てるかで見方が変わる。どうしても、、真っ昼間のセンスではなく、夜中の感情が出てしまうようだ。

2000年1月21日(金) 人の”享年”を思い起こすと自分はこれまで何ができたのだろうと考えてしまうことがある。今日は音楽シリーズといこう。モーツアルトが35歳で亡くなったのは有名であるが、シューベルトはもっと若く31歳。ショパンが39歳。ベートーベンでさえ57歳で私の歳にはこの世にいなかったことになる。天才音楽家は早熟だから・・・と言うならば、あのおじいさんのイメージがある芭蕉はなんと50歳で亡くなっているのだ。

2000年1月22日(土) 週末テニスに最長老のTさんが最近顔を見せないので心配したが、寒い時期なので用心をして休んでいるだけだというので一安心。Tさんは92歳。それでも去年は週末に休むことなど一度も無かったはず。Tさんの話で感激したのは、今でもテニスの勝負に負けると悔しくて、夜、床に付く時に、どうしてミスをしたかを反省するという。やたらと悟ってしまうのではなくこのような執念は見習うことにしている。エネルギーの源など案外”悔しさ”にあるのでないか。

2000年1月23日(日) 時間があれば(というのは言い訳であるが)、WEBヤギの目の「脱力アイコン」のようなものを作りたかった。(ヤギさんは息子の友人とか)脱力というのはスポーツや芸術の奥義でもあると思うのだが、出来そうでなかなかできるものではない。脱力アイコンの微妙なバランスの良さをみると日本の若者の文化は高いなと感心する。ホント。

2000年1月24日(月) 日本人の場合、神を信じるかと問われた場合、YESとはっきり答える人は少ない。大体が集団の中でそんなよそ者の質問さえ受け付けることは殆どない。けれども、価値観が異なる色々な人と付き合う時、「自分にとっての神は他人にとっての悪魔だ」という論理を知っておくと役に立つ。○×の絶対的な基準がないのであるから、後は自分の神様にどれだけ信念をもつことができるかである。もっとも、なんでも相手の神に合わせる処世術もあるけれど・・・。

2000年1月25日(火) 昨日のコラムに「役に立つ」という表現がある。ホームページでは「役に立たない」ものを目指しているのにイヤな言葉を使ってしまった。無用のものを作り、無駄 なことに時間を費やすのは実は一番の贅沢でないかと思うことがある。必要なこと、有用なこと以外にも価値を認めてやりたい。ところで、果 たして必要は発明の母であろうか。

2000年1月26日(水) 昨日のコラムより「発明」を引き継ぐ。発明の定義とは「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう」(特許法)。従って自然法則を利用しない独創的なゲームなどは発明にはならない。勿論、美術的創作による発明品は生まれない。それにしても自然法則という言い方は、なにか機械の時代の匂いを漂わせているではないか。

2000年1月27日(木) コーギーリンク(see LINKS)「クレーメルファーム」さんは3匹のコーギー犬を飼っている。その、はじめ君、おわりちゃん、つづき君(名前がいい!)が「愛犬チャンプ」3月号の表紙と記事になっている。さんはコーギーのホームページ仲間であるが、知人のリサイタルの切符を買っていただくなどネットを通 じて犬以外でもお世話になった。私たちの結婚記念日にメールを受け取るなど、インターネットでの楽しいつながりの一つ。それにしても”つづき”の後は何にするのかな?

2000年1月28日(金) 一昨日の「機械」を引き継ぐ。日本機械学会の学会誌は昔と比べるとアカデミックな論文などは姿を消し広告と軽い読み物の雑誌になってしまった。最近のものでは赤川次郎さんが18歳から作家活動を本格的に始めた30歳までを機械学会の事務員として12年間サラリーマン生活を過ごしたという記事が印象的。赤川次郎が書いたページは面 白いとして、「機械」のネタはそれほど無くなってしまったのだろうか。

2000年1月29日(土) 土曜日の朝8時にはいつもテニス場に来ている。順番をとるため入口に荷物を列べて置いた後、近所の珈琲店で168円のコーヒーを飲んで仲間と30分ほど雑談する。受付は9時。朝一番のスタート時には7面 のコートがほとんど埋まってしまう。20年前には朝のスタート時に出てくる物好きは少なく、4人のグループを作るのに苦労したことも懐かしく思い出される。ここではこれからも良き思い出が作られるだろう。

2000年1月30日(日) 思いがけず"UFO"に乗った。眼下に西武球場、狭山湖を見ながら上空を一回り。ユネスコ村にこんなUFOがあるとは知らなかった。
義母の49日法要の後、親戚一同、多摩湖の側の掬水亭で会食。その時、ある考古学者が毎日自分が食べた食事の内容を(後世の考古学のために?)記録にして残しているという話題があった。これをやると毎日のコラムなんぞ簡単だな・・とひらめいたが、5000年もすれば少しは意味がでるか・・・。

2000年1月31日(月) 自宅のパソコンが勤め先のものよりはるかに速い(性能が良い)とか、勤務先では海外出張はなくても自分で毎年休みに海外旅行をするということが珍しくなくなった。30年前には会社でこそ家庭では考えられないすごいcomputerを使うことができたし、社内旅行で普段は行けないところへ旅行もできた。この間、個人と所属の社会との関わり方は間違いなく変化している様に見える。internetという新たな変化の時代を迎えてこれからが楽しみだ。

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