今日のコラム:2000年2月分


2000年2月1日(火) どんな人でも、顔には目が二つ、口は一つ、鼻は一つで穴は二つある。それがそれぞれの位 置がほんの1mmずれただけで別人の顔になる。以前、人の顔を描いてみた時それが非常に感動的だった。人間の好き嫌いとか、必死で競っている中身は、ほんのミリ単位 のものであろう。しかし、ミリ以下のミクロンまでもその差にこだわることができるのが人間の面 白いところでもある。

2000年2月2日(水) 朝の京浜東北線でのこと、下り方向の電車は比較的空いている。突然「父さんのバカヤロウ」と娘さんの大声が聞こえた。暫し沈黙の後「父さんなんか死んじまえ」。これが交互に何回か続く。沈黙の時間は3分から4分。噴火するごとく大声がでる。その内、お休みの時間が少し長いと思っていると静かになった。お父さんはどんなことをしてしまったのだろう。

2000年2月3日(木) 眼鏡を外した方が近くがよく見えるようになった。そのせいでもないが目を開けているから見えているとは限らないと思うことがしばしばある。人間は興味がないものは実は何も見ていないのでないだろうか。最近は、草でも、落書きでも、路上のバケツでも、昔より随分鮮明に見える。目がどんどんよくなっているぞ・・・?

2000年2月4日(金) 頭が重い(ただの酒酔いだ)。けれども、アンとアールの散歩に行ってやらなければならない。どんなに遅い時間でも、冷たい風が吹いていても散歩には行く。私は元気なアールの担当、妻はアン。早足で歩き始めると、いつも犬達の散歩というよりも、自分たちの一番の運動になっていることに気がつく。さあ、今から出かけよう。

2000年2月5日(土) インターネットの検索によりどのような事でも情報を集めたり調査することが非常に楽になったことは間違いない。けれども、情報や資料が多すぎると、本当に知りたいことが見え難くなる。「コーギー」(犬)のキーワードで今は2600-2700件が検索される。「代官山」ではなんと8000-9000件。(Lycos, Infoseekなどによる)「代官山」でHIRASE HOME PAGE の「代官山再開発」 が出てくることはまずありえない。「コーギー and 代官山」ではHIRASEさんが検索されるが、こんな検索は本人以外に誰もやらない。

2000年2月6日(日) 西郷山公園(目黒区青葉台の高台にある西郷従道の屋敷跡)の梅が花開いている。梅は「寒苦を経て清香を発す」として寒さに打ち勝った後の香りがいいのであるが、東京では寒さなしに花も咲く。この時期、いつも思い出すのは、祖母の名前が「梅香」であったこと。今みても趣(おもむき)のあるすばらしい名前だ。

2000年2月7日(月) 昨日のNHK教育TV(日曜美術館)でフランク・ステラが紹介された。その中で、煙草の煙を3方向からスローモーションで撮影した画像が実によくできていた。クラゲから、”きのこ”の形に変わったと思うと(正にきのこ雲)、次に曲がったワインボトルになる。ステラはこれをコンピュータグラフィックにした。更に水平方向に輪切りして自分の彫刻のモデルを作っていた。こういう事をやりたかったのだヨ。・・本当は。

2000年2月8日(火) 若い頃の思い違いなんていうことは数限りなく思い起こされる。昔は半分建築デザインなどバカにしていた。計算でものごとを決める方が高級でないかと。ところが計算はコンピュータでもできる。計算もしない自分はもっとお粗末。”絵”を描くほうがはるかに創造的だ。斬新な建築物をみるとこんな気持ちになる。

2000年2月9日(水) 好き嫌いはかなりいい加減なものだし、好きなものが簡単に嫌いになるし、また逆もある。こんな前提のもとに、今朝の通 勤電車で会ったような日経新聞を大きく広げて読んでいる女性は好みではない。自分も含めた同類の男性は多いので正に偏見である。日本経済新聞でなく朝日とか毎日とかあるいは英字新聞ならば何でもない。スポーツ新聞ならどうだとなるとそれはそれでよい。ただ、女性には「経済新聞」を広げて読んでで欲しくないと思うだけ・・。

2000年2月10日(木) 明日から3連休。この休みには、「動くホームページ Dreamweaver」を勉強したい、F10サイズの油絵1枚は描きたい、葛飾の水元公園に犬を連れて行ってやりたい、溜まっているデジカメ写 真を整理し印刷したい、ホームページも改訂したい、勿論、運動もやりたい。「たい」は多いけれど、部屋の片付け、CDの整理、水道の修理など「ノルマ」もたくさん。宣言しておけば後が楽しみだ。

2000年2月11日(金) 昨夜は左の足首が痛くて夜の犬の散歩にも行けず、今朝になっても恐る恐る歩く有様。約束したテニスも休みとなった。身体が動かせないとなってホームページ用のマンガ4枚を描き、スキャナで取り込みなどパソコン遊びがはかどった。(まだ開示できませんが)昔から「塞翁が馬」という。今風でいえばプラス思考だとか。

2000年2月12日(土) 左足首をまだ養生している。運動しない、歩かない、外出しないということは、昨日も書いたが、まずパソコンがはかどる、絵を描く時間がとれる。油絵の気分となり、カラスとMD(プレーヤー)とお城と支離滅裂なテーマを、抽象、具象チャンポンに3枚描いた。パソコンの新ソフトにも挑戦し充実した休日。ただし、ワンちゃん達の散歩は全部奥さんまかせでこれはごめんなさい、感謝してます・・。
2000年2月13日(日) ホームページにコラムを書くことを奨めてくれたのは娘だったが、「自分の退職までのカウントダウン」シリーズをやろうかという私のアイデイアに対し、突然辞めさせられる人が多いのにそんなことはやるべきでないと即座に云ったのも娘だった。恨みツラミ風のネタはHPに掲載したといって、誰ひとり読んで気持ちのよくなる人はいないわよとアドバイスをくれるのは妻である。息子のHPについての援助も限りない。絵の批評も同様であるが、「善意の批評家」が身近にいることで自分では気がつかないことを随分教えられているのは確かだ。

2000年2月14日(月) バレンタインデーだとか。チョコレート商戦とは無縁だがチョコレートは大好き。私は「毎日がバレンタインデー」だ?? そこで、バレンタインさんを詳しく調べようと思って”検索”したら、元ロッテの監督バレンタインがでてきた。

2000年2月15日(火) 日本音楽コンクール受賞者発表演奏会にいってきました。「発表」とあるのは作曲もあるからでしょうか。この作曲の作品も好きでした。クラシックな世界の音を聞いた後ではその曲には確かに現代の音色。しかも静寂さと音との絶妙なバランスを感じるものでした。今日のメンバーはいわば日本一になった新人王のはずだけれど、スポーツや芸能と比べると地味なもの。この若い人たちがもっともっと活躍できる土壌ができないものでしょうか。

2000年2月16日(水) インターネットで丸善に注文した本がようやく届いた。気になりながらも注文したことを殆ど忘れそうだった。その間、実に14日。アメリカのアマゾンcomに注文しても間違いなく届く期間である。丸善ではドイツから本を取り寄せて小包にしたのかい?まあよい。紀伊国屋のネットでは在庫がなかった本だ。温かく今後を見守ろうと・・・。

2000年2月17日(木) 絵を描く時に、キャンバスを前にし、何をどう描くか全く考えないでまず筆を動かしはじめるという人の話を聞いてなるほどと感心した覚えがある。このコラムを書くのもほぼこのスタイル。キーボードに手がかかるまで何が出てくるか分からない。そういえば自分の絵を描くやり方も、構図を熟考し下絵を完璧に画くのとは違う。大体が感覚的でいい加減だ。yah、ものごと適切な加減というのが一番むつかしいのだ。これでよいことにしよう。

2000年2月18日(金) 朝のTVによると今日の山羊座の運勢は最悪ということであった。夜、家に帰って「今日の山羊座の運勢」というメールを見ると、恋愛運、健康運、金銭運がそろって最高の10点満点。さて、今日の一日、どちらが正解だったか。この花の金曜日に娘夫妻、息子が夜の10時過ぎに勢揃いしたから「最高」に軍配を上げよう・・・と思ったけれども、恋も金も縁がなかった。

2000年2月19日(土) 左足首の痛みが治らず今日もテニスはお休みとなった。休む場合は仲間に事前にメールを出す。全員パソコンでメールや写 真のやり取りをするが、平均年齢は60ほどか。運動はできなかったけれども、今日の土曜日は二日分の休暇を取ったように時間が長く感じられた。
ソニーのプレステ2の予約開始に、一分間に60万通のアクセスがあったという。このものすごい数値をどう思うか各界のおじいさん達にきいてみたいものだ。

2000年2月20日(日) 息子の友人(同級生)の父親が亡くなった。母親も私の妻と親しい。父親同志は面 識はないが私とほとんど同じ60少し手前の歳らしい。お医者さんで半分は職業病としてのガンだという。ご冥福をお祈りする。夫あるいは妻という連れ合いを亡くす話を身辺でも頻繁に聞くようになったが、自分としては、生き方に一生懸命で死に方まで考えが及ばないと神様に申し上げておこうか。

2000年2月21日(月) このところの左足首の不具合で分かったことがある。平らな道をを普通 に歩くのは何でもない。そして、階段を上る時もまた平気である。けれども、下りの階段の時に痛みがでて怖い。ゆっくりと丁寧に下ることになる。駅のエスカレーターが上りしかないのはおかしいのでないかと足の悪い人の代弁をしたい。それにしても、足首を痛める前は、階段を2-3段づつ上り、下りは1秒間に5段は降りたっけ。今後は周りに人がいるときは迷惑のかからないように注意します。ハイ。

2000年2月22日(火) 「梅咲いて 一際人の 古びけり(一茶)」 ・・・   誰が古びたかなど云うまい。
この前の休みに、家人から折り紙を習った。広告の紙を真ん中で折って折ってそれから対角に折り目を付けて・・・とやっていくと立派な箱ができる。気に入って5-6個作ったらすっかり作り方を覚えてしまった。中に入れる物がないので蜜柑の皮だとかゴミがでるのを待ちかまえて使い捨ての小物ゴミ箱として使っている。これは世界中の人におしえよう!
 

2000年2月23日(水) 「花の陰 あかの他人は なかけり」(一茶)
年齢とか経験の価値をほとんど信用しなくなってしまった。年取った爺さんが代わりがいないなんていうのはナンセンス。「ハリー・ポッターと賢者の石」を読み終わったので、ふと目にした古びた夏目漱石の文庫本を読み始めたらこれが面 白い。これまでにこの本を読んだことがあるとはとても思えない。それに夏目漱石は自分より10歳も若く、49歳で亡くなっていたのです。

2000年2月24日(木) 「冬こだち 月に隣を わすれたり」(蕪村)
強い寒風が吹く中、犬の散歩から帰ってきた。夜の10寺過ぎにでも散歩のできる環境を幸いと思う。寒いといっても早足で歩いて帰ってくると身体が火照って、人間の方がさわやかになる。犬達も満足げに足下で寝そべっている。本人・本犬たち以外にはなーんにも意味のないワンシーン。それでもいいではないか。

2000年2月25日(金) 「朝やけ小やけだ 大漁だ 大ばいわしの 大漁だ 浜は祭りのようだけど 海の中では 何万の いわしのとむらい するだろう」(金子みすず) みすずは1903年(明治36年)生まれで西條八十の影響を受け詩を書いたが26歳の若さでこの世を去ったという。このような人が死後50年を経て発掘されているのはうれしい。ゴッホだって生前は1枚の絵も売れなかったというのは有名。逆に考えると我々の周りにも埋もれた天才がいるかもしれない。ただ目立ちがりやの陰にひっそりと隠れて・・・。

2000年2月26日(土) 花曇りにはまだ早いけれどどんよりとした曇り空。犬達を連れていつもの西郷山公園へ行った。紅梅、白梅の梅が並んでまだ咲き誇っている。時間の余裕があったせいだろう、梅を眺めながら、なぜ梅は紅白二色なのかを考えた。紅梅は桃色の濃い、薄いはあるが、薔薇のように黄色とか橙とかはない。人工の変種を作らないとして、色素のない白は何か理屈が付きそうだが、桃色となる必然性があるはずである。そもそも花にはなぜ色があるのか(例えば鳥や昆虫に感知させるとか、光合成の関連とか)から上手く説明できない。自分の知識ではギブアップ。どなたか教えてください。理論はなくても私は自然の美しい色を十分に満喫したところで、犬達と帰路についた。
2000年2月27日(日) 他人と同じことをしない、他人の云うことをそのまま信じない、自分で考えて納得して行動する・・こうしたことはどんな分野にしても創造に携わる人にとっては当たり前のことであろう。ただし職業として創造を徹底出来る人は極めて限られる。大抵は妥協の産物が不本意ながらアウトプットされる。けれども、本来やりたいことを存分にやることができる趣味や他人に迷惑をかけぬ 範囲の勝手な行動を許された場合でも案外に他人と同じことをやりたがるので驚くことがある。テレビ番組がどこも同じ様な内容を恥ずかしげもなくやっているのを見ても、スポンサーの事情を言い訳にして己の創造性のなさを誤魔化しているように見えてしょうがない。カーナビのように、墓場までの道筋がインプットされていて、右に曲がりなさい、左に曲がりなさいで墓場へ到着、一生の終わりなんてなりたくないですね。

2000年2月28日(月) キーボードに向かっても文章を綴る集中力が出ないと思うと”月曜日”である。月曜病というのが分かるような気もする。 いつの日からか、月曜日の午後10時には、時間があれば12チャンネルでファッション通 信を見るようになった。 ファッションとはおよそ縁がない自分であるが、コーディネートされた色やクリエイティブなファッションはやはり面 白い。この業界でも伝統と革新が入り乱れて競い合い、新素材も取り入れて新奇性をだすなど刺激も多い。それに女性のモデルがいいだろうだって?今日の番組はメンズファッション特集でモデルは全て男でした。       

2000年2月29日(火) 今日は400年に一度のという特異な”うるう日”であるという。このような暦を大昔に作りあげたことだけを見ても人間というのはすごいと感心する。それと比べて現代の我々は何をしているのか、というつもりもないが、たまたま側にあった岩波文庫のヴォルテール作「カンデイード」を通 勤用に今日から読み始めた。これまた250年前という時代を感じさせない緊張感で退屈させない作品だ。「何はともあれ、わたしたちの畑を耕さねばなりません」(ヴォルテール)はまさに私の置かれた立場でもある。(明日へ続く)

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