今日のコラム:2000年4月分


2000年4月1日(土) 猛烈な突風の中、午前中はテニスを楽しむ。夕刻には風もおさまり犬の散歩。4月の声を聞いたとたんに春を感じるから不思議だ。西郷山公園では冬の期間には見られなかった大勢の人が、のどかな日差しを待っていたように集まっている。桜の木の下で円座を組んでいるグループもいるが、花見はまだ早い。この公園には、辛夷(こぶし)の白、木瓜(ぼけ)の赤、それに菜の花の黄緑と春の色が揃っている。ワンちゃん達を休ませてしばらく日光浴をしながら周りの人々を見ていると、みんな何かゆったりしてとげとげしいところがない。これが平和とか幸せとかの典型ではないかと思わせるのも陽気の所以だろうか

2000年4月2日(日) 10年ほど昔の話であるが、ある女子のテニスプレーヤーが自分の手の平に基本的な注意事項を書き込んで試合の最中に時々見るということを聞いたことがある。「ボールを最後までよく見る」とか、「膝は曲がっているか」、「呼吸はよいか」など”プロ”が基本を見直すのである。それ以来、アマチュアの自分がこれをやらぬ 手はないと、手に書くことはやらないが、テニスをするときは念仏のようにこれを唱えることにしている。何事も上手く行かないときには、まず基本に帰るのが一番とされる。RETURN TO BASELINE. これは、米国NASAのスローガンでもあるのです。

2000年4月3日(月) 今晩は通信ネットが機能しない。このHPも改訂できるかどうか分からないけれども、メールを読むことも、インターネットも出来ないからまず改訂する準備だけを進めているところ。明日になればプロバイダーからお詫びがくるのか、他がおかしいのか。今日はもうパソコンは止めて”蓮如”の本でも読むことにします・・・。

2000年4月4日(火) 少々沈んでいるときに一冊の本で突如元気づけられるということがあります。真実は分からないけれど、義母が亡くなった後、彼女の遠い先祖は蓮如に当たるということを初めて知って、昨日、遅まきながら「蓮如」の単行本を読み始めたらこれは正に元気になる本でした。1449年に85歳で亡くなったのはともかく、実に27番目の子供ができたのは84歳なのです!!私の歳以降に10人も子供ができたなんて・・。これは元気がでます。それにしてもご先祖さん(仮にです)の3番目?の子供なんて、直ぐに里子にだされたのでしょうけれども、よく生きのびたものですね・・・。

2000年4月5日(水) 昨日から読んでいる本に、「蓮如」が、従来の支配組織とは異なる横の共同体というべき「講」を組織したという指摘がありました。考えてみると、インターネットの世界というのも、これまでの上下関係の組織(縦社会)とは別 個に、全く上下、年齢差などの無関係な横の結合体を極めて広い範囲で成立させる可能性を持っています。それは宗教でなく、同じ価値観をもった、あるいは共同の理想を持ったこれまでにない連合体ができるように思えます。よりフレキシブルでフリーな仲間同士のつながりというのは、これからの人間社会のあり方として非常に注目されるものではないでしょうか。

2000年4月6日(木) 世の中には本当に他人のために献身的に尽くすという人がいます。マリア・テレサのように有名な人は例外で、名も知られていない人が大部分でしょう。自分ではとても真似できないのでこういう人を心底尊敬します。新首相のモットーが「滅私奉公」との話を聞いて、対極としてマリア・テレサを思い起こしてしまったのです。「滅私奉公」は村に対する奉公を感じます。村が家族を守り、子孫の面 倒をみる。そして競う相手は隣村。勿論、村とは党であり会社でありグループ社会であるのでしょう。今時滅私奉公はないでしょうといえない現実味が恐ろしいところです。少なくとも、真に滅私奉公する人は声高にそれを言うことはないのは確かでしょうか。
2000年4月7日(金) 絵を描き始めた頃、色についていろいろ(これはシャレ)教えられたことがあります。色にはよい色、悪い色というものはありません。悪くなるのは色の使い方が悪いためで色自身とは関係ないのです。青が好きとか緑が好きとかの好みがあったとしても一色だけでは絵にならないし、あえて同系色だけで作品を作る場合でも、余白の白色とのバランスで絵は成り立つのでしょう。黒でも灰色でも真紅でも中間色でもどんな色にしても、組合せ一つでその色の価値が輝くかそれとも死んでしまうかが決まります。目立つ色は他の色が目立たせている訳だし、それぞれがなくてはならない色の特性だと思うのです。色とは人間の個性そのもののアナロジーであることは云うまでもありません。

2000年4月8日(土) 東京は今、桜が満開。季節の移り変わりを桜が正確に教えてくれます。自然のメカニズムというか成り立ちにはあらためて驚くばかり。そんな自然に対して、人間が影響を及ぼすまでに技術やひとの活動スケールが大きくなったとは、人類も考えてみると凄いものです。21世紀には人は地球の有限ということを考えに入れた活動をしなければならないのは明らかでしょう。ただ人間は20世紀には傲慢過ぎたことを本当に反省できるのでしょうか。桜の花はこんな心配が関係ないように咲き誇っています。

2000年4月9日(日) 4〜5歳の子供から高校生までが出演するピアノの発表会に行きました。発表会というより、聞いている大人が元気になる”演奏会”と云えるものでしたが、子供の能力にはあらためて感動します。中学生、高校生が人間の最高級レベルのものができるのは、水泳や体操、将棋に限らない。一般 の大人が出来ないことを、ものすごく多くの子供ができるということを思い知らされます。能力という意味からはこの社会は人のもつ能力のほんの一部しか使っていない、人間は今の何倍もの能力を発揮させるポテンシャルを持っているのに・・・と飛躍した方向に思いを馳せたりしたものです。

2000年4月10日(月) コラムを毎日書いていて面白いのは、その時の体調や気力がキーボードに向かったとたんにはっきりと自覚できるということです。このところ春の陽気にたるんだのか、何をやるのも気乗りがしない。今日は先に風呂に入ったので、少し元気がでてきました。・・「です」「ます」調で文章を書くのは気力とは無関係のつもりですが、実は心理の深層ではどこか繋がりがあるかも知れません。
最近、「時間」について関心があります。ドッグイヤーなどといって、世界の進歩する早さが強調されますが、人間個人が持つ寿命という「時間」は昔と比べてバラツキの範囲ほどしか変わりがありません。個人の時間の密度は何で計ることができるのか考察してみたい課題です。

2000年4月11日(火) いささか酔っているので何を書きますか・・・。昨日も高校、大学の友人から関連会社の社長になりましたというはがきが届きました。”社長”と名の付く友人を数えてみると両手では足りなくなりそうです。ほとんどは、サラリーマン社長で、この3-4年が適齢期にみえます。サラリーマンといっても社長業であるからには、自分でやりたい理想を持って欲しいとか、裸の王様にならぬ ように欠点を指摘する人を側に持って欲しいとか、勉強する時間を持ちなさいとか云ってみたいところですが、何か空しいのです。評論家では面 白くない。実践者でありたいならば、人のことを云う前に自分のことを考えなければなりません。自分自身、どのような人とも、人間対人間の付き合いがどれだけできるかが全てです。余り、他人のことにお節介はしないことにしましょう。

2000年4月12日(水) 「マズローの人間の欲求5段階説」という有名な説があります。マズローは1908年にニューヨークのスラム街に生まれたが苦学して有数の心理学者になった人ですから自分の原体験も学説に反映されているのでしょう。人間の欲求は次の段階を追って変化、向上するという説です。1.生理的欲求 2.安全の欲求 3.所属欲求(親和の欲求、他者と同じにしたい、集団に帰属したい欲求) 4.自我の欲求(承認欲求、集団から認められ尊敬されたい欲求) 5.自己実現の欲求 後になって更に自己超越の欲求を加えたといいます。自分の場合を考えると、4.の段階はないけれど、これを飛ばして5.をやりやいところでしょうか。食べたいものを我慢してクリエイテイブなことをやる人もいます。この説は人間をmass として捉えるときは納得できますが、個々人のバラツキまでみると結構はずれた人も多いと思いますがどうでしょう・・。

2000年4月13日(木) インターネットのサービスで、住所を通知するとGPS(grobal positioning system)によりその位置の緯度、経度を簡単に教えてくれます。ある時、地球上の同じ緯度あるいは経度の仲間とグループでとなって交信できたら面 白いとひらめいたものです。自分を中心に北緯35-36度の会を作ったらほぼ100kmの幅を持った地球の横帯になります。ところが地図で調べると相手になりそうな都市(もちろん村でもどこでも通 信できる人がいればいいのです)が意外にないのです。北緯35度は、ヨーロッパで見れば、スペインの南のモロッコからチュニジア、地中海からイランの砂漠へ。アジアではアフガニスタンからチベット、中国は西安の北を通 ります。アメリカではサンフランシスコとロスの中間を通過、メンフィス辺りが希望の街でしょうか。東経140度の南北帯も過疎でこのアイデイアは今やお蔵入りです。

2000年4月14日(金) しだれ桜には朧月がよく似合う。このところ毎晩犬の散歩の時にしだれ桜をしばし観賞するのが習慣になっています。代官山、ヒルサイドテラスの一角にあるしだれ桜が夜の10時でも11時でも照明で見られるのです。ライテイングのやり方も非常に上手で周囲に余計なものも一切なし。今晩は丁度桜を見下ろす位 置におぼろ月。ここは自然だけでは見ることができない人工の照明のすばらしさと親切さに感謝をしたくなる空間を作っています。

2000年4月15日(土) 今日は一日雨という予報だったので、早朝雨が降っていないのを見て急いで犬の散歩にいった。昨晩もそうだったが最近この界隈で犬の糞を始末せずそのままにしている輩がいる。草の中などではない、どうみても気が付かなかったとは云わせない、大使館の玄関の真ん中だったりする。こちらはバカなことだと思いながらも人の犬のウンチまでとる羽目になる。物知り顔にパリでは垂れ流しで市の清掃車が定期的に洗い流すのよと云って始末をしない奴がいればとんだ思い違い。ここは東京だ。自分の家を一歩外に出るとそこはゴミ捨て場所と思っている人間がまだいることは驚くべきか、悲しむべきか・・・。
2000年4月16日(日) 以前にも書いたことがあるが、人間、目を開いているから見ているとは限らないし、耳があるから聞いているとも限らない。路上観察を”同好”とする皆さんは普段は我々が興味を示さないマンホールの蓋に価値を見いだし、用途の無い階段を見つけては喜ぶ。最近、コーギー犬の絵に洋服を着せたり、食事をさせたりしてみると、自分が如何にファッションや食事を見ていないかよく分かった。デザートのケーキ一つにしても随分と又細かく配色や形に工夫をしているものだと感心する。遅まきながら、これからは食事やデザートをあらためて鑑賞し、作った人に感謝することにします。ハイ。

2000年4月17日(月) 今夜は満月が美しい。新聞のコラムに「広告抜きで商売をやるのは、闇の中で女にウィンクするようなものだ。自分では何をしているか分かっているが、ほかの人は誰も知らない」というのがあった。商売でないが自分のこのHPについては広告・宣伝が下手なのを自覚している。闇夜にすまして通 り過ぎれば誰も気がつかない。せめて満月の月明かりに目立つ犬2匹を連れて注目される程度にアクセス向上委員会にでも申し込むか。テレビ、新聞などの広告をみると良い作品は確かに時代の先取りをするセンス、エンターテイメント性を持っている。広告をするのは結構面 白いかも知れない・・・。

2000年4月18日(火) インターネットにより、これから環境やコンテンツが激変すると思われるものは数知れない。新聞、テレビなどのマスメデイア、図書館、博物館などの施設、教科書類など変わっていく方向を予測するだけでも面 白い。けれども、「絵本」だけは従来型の本のスタイルが変わらないと思うし、また変わらないで欲しい。最近、昔の子供の絵本を引っぱり出して見る機会がありその感を強くした。特に幼児が出会う絵本は、親の膝の上で(例えば)母親の読む声を聞きながらゆったりした時間の中で絵を追っていくといった光景がふさわしい。名作絵本は、ブラウン管や液晶画面 でみる画像にはない要素がたくさんある。自分でページをめくりながら繰り返してみることにより、無限に広い想像の世界を提供してくれるのが絵本でないだろうか。

2000年4月19日(水) 数学に「フェルマーの最終定理」というのがあります。(Xのn乗)*(Yのn乗)=(Zのn乗)にて、nが3以上の自然数の時この等式を満たすような0でない整数X,Y,Zは存在しないというもの。n=2ならピタゴラス数。我が家の百科事典は古いので「多くの数学者がこれを証明しようとしたけれど今日までまだ証明されていない」と書いてあるのが面 白い。実にフェルマーの没後330年を経た1995年にアメリカ人のワイルスがこれの一般的証明に成功したのが大ニュースとなりました。このような夢物語も、ワイルスが自分の研究をいかに人に知られずに一番乗りの栄誉を獲得するかに腐心した様をTVのドキュメンタリで見たのが妙に泥臭く印象に残っているものです。

2000年4月20日(木) 以前、白隠禅師の呼吸法の本を読んだことがある。自己流に理解したことは、以下のようなことであった。吐く息は、お腹をペチャンコにして身体の中にあるものを全て吐き出してそのままの状態を出来るだけ長く続ける。ただそれだけ。限界までくると命を保つために自然にまかせて息を吸う。悪いものを全て吐き出してしまえば、本当に必要なものだけが吸収されるという理屈である。当然欠乏状態をある期間続けると吸収しようとする生命力も強化される。この白隠の呼吸法を今の世の中に応用できるものも多いのではないだろうか。お金でも、情報でも、TV画像でも、音でも、娯楽でも、一度ゼロの状態にすると、次には本当に必要なものだけが吸収されて活性化されるのは間違いない・・・。

2000年4月21日(金) インターネット前とインターネット後をBC(before Christ)、AC(After Christ)をもじってBI、AIといういい方をするそうだ。アメリカでは1995年がAI元年らしい。この年は正に我が家のAI元年と一致する。はじめてプロバイダに申し込んで自分の家でInternetというものを経験したのは1995年。ホームページを開設したのは1997年だ。日本のインターネッ普及がアメリカより3年遅れているのか、5年ずれているのか正確には知らないが、周囲の同年代の取り組み状態をみると、平均的に「紀元後」になっているかどうかも疑わしい。いえることは、時代を変える「I」が猛烈なスピードで確かに進行していることであろうか。

2000年4月22日(土) 土曜日の朝8時前にはテニスのために地下鉄の駅からコートのある方向に歩く。この時高校生の一団と一緒になる。初めは道一杯になってだらだらと歩く集団に、もう少しさっさと歩けと腹を立てていたが、あることに気がついた。それは、下級生は上級生を追い抜かないこと、そして上級生の一部がタランタランと最低の歩き方で全体のペースをつくっているのだ。追い抜きのない社会は最悪のレベルをつくる、また集団を乱さないという秩序もまた低レベルの行進を助長するなどと社会現象を連想させたりもする。「急ぐ人はお先にどうぞ」「ゆっくりしたい人はごゆるりと」両方を認める思想がわたしは好きだ。

2000年4月23日(日) 染井吉野はアッというまに散ってしまったが、八重桜は春の強風の中しぶとく、華麗に咲き誇っている。それに山吹の花の黄色が可憐に色をそえる。山吹が実をつけないことから、太田道灌から雨具を所望された少女は山吹をさしだして「・・簑(みの)一つだになきぞ悲しき」と歌った。今、あなたのお気持ちは?と問われれば、同じようにそっと山吹の花をだそうか。ただし、自分の場合は、そのものずばり「”実”の一つだになきぞ悲しき」だ。いつもの西郷山公園に犬の散歩でいくと、花がきれいで、こういうくだらない気分転換ができる。休日もやることが多いが充実感はある。
2000年4月24日(月) 刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)という言葉があります。舟から剣をおとしたので舟に印を刻み、舟が止まってから印をつけた場所の水の中を探したという故事。今のインターネット時代を、舟はどんどん動いているのにこれまではこれで上手くいったなどといっていると、落とした剣は二度と見つかりませんよといって「刻舟求剣」で警告している先生がいました。故事としてはいい引用だと思いましたが、ただ時代遅れになるよというのでなく、こんなに面 白いよという前向きな啓蒙ができないものかと少し考えるところ。「一挙両得」とか「起死回生」とかでもない、切磋琢磨しながらインターネットを活用するという何かいい言葉はないものでしょうか。
2000年4月25日(火) 山羊座の今日の運勢は一番ついているというので期待したが何も起こらなかった。考えようによっては、大きな行事が何事もなく終わったので、これはラッキーの部類と思えなくもない。いいことも、悪いことも考え方次第ではある。「塞翁が馬」は昔から自分の信条だ。足を痛めれば何かの警告で、長い目で見るとそれがよかったということになると思う。悪いことは次の幸運を呼び込むためのエネルギへ転化するチャンスだと考える。もしかすると、絵もホームページもそうして出来たのかも知れない。人の創造するものは案外「ついてない」ことを機会にして生まれてくるのでないだろうか。

2000年4月26日(水) アルコールの入った状態を観察する。最近は適度の量 しか飲まないので意識ははっきりしている。けれども眠い。目をつぶっている方が心地よい。目を開けると細かいことにはかまいたくないけれど、部分的にあるところに集中して感覚が敏感になっている気がする。ぼんやりと赤い色を見ると妙になまめかしく感じたりする。こんな状態で、この2-3日通 勤電車で考えていた、「擬音」が頭に浮かぶ:ドドド ド ドファ・・・。(音符より)

2000年4月27日(木) インターネットで株をやって儲けている人を「スゴーイ」とは思うとはかぎらない。何の得にもならないことのほうがホッとすることが多い。凄くなくても、役に立たなくても、ただやってみるだけにして、本日のコラムは以下文字なしの印:■■■      ■   ■■■    オワリ

2000年4月28日(金) 人並みに明日からゴールデンウィーク、休日となる。余り調子のいいことを云っても一週間後に結果 がでるので謙虚にいきたいが、この休みには・・。まずコーギー絵本を完成させる。犬達を連れて思い切り走り回れるところで遊ぶ。油絵は何枚か描く。息子の案内で神楽坂のにうどんすきを食いに行く。支払いをこちらでみてやり、その代わりパソコンのイラストレータを習う。問題はホームページの改訂がどこまで出来るかだ。そうだ、ネット株の勉強もするか??

2000年4月29日(土) コーギー絵本が、とにかくも手作り一冊出来上がった。これをベースに一年間ブラシアップして退職記念に出版するかなどと妻と話したりする。何事も経験で、絵本はことばが難しいとか、やればやるほど直したい個所が次々でてくるとか、プリント(印刷)の配置のテクニックとか色々なことを学習した。ホームページにはどういう風に掲載するか思案中だが、HPではコーギーアニメを追加する方がいいかもしれない。
夜のNHK教育TVでアシュケナージ(ピアニスト)が英国ロンドンの中学生をチェコに連れていき、音楽教育をするというドキュメンタリー番組(未来への教室)が面 白かった。こんな番組を見ると、コーギーにピアノを弾かせてみても音楽性やら精神性は表現できないなあーと、また絵本のことに戻って悩む。それほど気にしないで楽しければいいのでないの・・。

2000年4月30日(日) ガンジーの伝記を読み始めた。ネールの娘のガンジーは、われわれの実体験として親しいが、伝記はインドの国父と云われるマハトマ(.偉大なる魂の意)ガンジー(1869-1948)のもの。いまどき何故ガンジーということもあるが、非暴力主義のほか、ゆえあってある思想を調べたかったのだが、きっかけはどうでもよい。読みだせばやはり引き込まれる。(イギリスからの独立運動に際しての非暴力とは、無抵抗ではなく強力な抵抗運動である)インドは仏陀の国だけあり、思想の深さに圧倒される。いまコンピュータのソフト面 で世界のセンターとなる力を持っているのは歴史のバックグラウンドからも納得できる。個人的には30年以上前であるが、プラント建設のために5ヶ月間滞在したグジャラート地方にガンジーが生まれたと知って何となく親しみをもったりもする。この休日にはこの本をゆっくりと読んでみたい。

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