今日のコラム:2000年6月分


2000年6月4日(日) 昨日の夜、夫婦で初めて息子に夕食をおごってもらった。息子は自活しているといっても時々家賃が払えなくて親に泣きついてくる程度の稼ぎ。それが、無理をして自分の地元の神楽坂にあるうどん料理屋に案内してくれた。車はもちろん、自転車も通 れない黒板塀に囲まれた狭い路地を散策しながら、うどん屋まで歩く。東京の都心でも、まだこんな風情が残っているところがあるのかと、初めての神楽坂が面 白い。うどんすきも美味かったが、神楽坂の町並みと息子との話を楽しんだ一夜であった。
こんな事もあって、本日、このホームページから、息子のKENのパートを分離した。これまで、息子のページと知らぬ ままに息子の掲示板に書いていただいた方もいらっしゃる。分かりにくかったことをあらためてお詫びします・・。

2000年6月5日(月) いつのころからか、時代劇が素直に楽しめなくなった。典型的な勧善懲悪ものを見ていると、オイオイ、イイ者、ワル者はそんなに単純なのではないよと思うことが多い。水戸黄門で最後に悪代官に「やっちまえ」と云われて、助さん、格さんに斬りつけていき、バッタバッタと切り捨てられる手下や木っ端役人をまともに見ることはできない。何のことはない、今のサラリーマンの姿と同じではないか。ご命令ですが相手の方があなたより正しいと判断しますなどと云えるものではない。それで命一巻の終わりではかわいそうでないか。英雄もののドラマも同じ。人は時代劇を見るときには、自分は英雄やイイ者に成り代わるものとして、気持ちよくなる習性があるようにみえる。実は、手下やワル者になっている可能性の方がはるかに多いでしょうに・・・。

2000年6月8日(木) 没後50年以上を経てはじめて発掘された日本人の女性詩人金子みすずのことを書く。みすずは1903年(明治36年)生まれで、1930年(昭和5年)に26歳の若さで亡くなっている。西條八十に憧れて書いたという童謡が最近になって紹介されて評判になった。先ずは彼女の詩を一つ:「わたしが両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥はわたしのように、地べたをはやくはしれない。わたしが身体をゆすっても、きれいな音はでないけど、あの鳴る鈴はわたしのように、たくさんな歌は知らないよ。鈴と、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。」(わたしと小鳥とすずと)彼女の童謡は、どれも、感覚がみずみずしい。そして、人と地球と周囲にやさしい。現代の環境やエコロジーの思想を先取りしているようにみえる。結婚した後は童謡も書けず、夫に病気をうつされて短い生涯を閉じたみすずが、今の世に生きていたらどんな詩を書いたか読んでみたい気がする。

2000年6月12日(月) 中川一政の絵を見ていると脳の奥底までエネルギーが浸透してきて元気を充填されているように感じる。中川一政は独学で絵を学び画業70数年、生命力の横溢する、精神性の高い作品群を残した。また書画、エッセイなどもなじみ深い。絵は、ゴッホとか梅原龍三郎のタッチ、マチスの色、棟方志功の味わいをミックスした印象だが、決して一政以外の誰のものでもない。1991年に97歳で亡くなるまで現役だった。伊豆半島の付け根、真鶴半島にある「中川一政美術館」に行ったことを懐かしく思い出す。たまたま、中川一政の本を引っぱり出して読み直すと新鮮な文章に溢れていた。「・・何でも習わなければ出来ないと思うのは世の中のわるい習慣です。・・先生に教わったらすぐに出来ると思うことでも、間に合わせでない自分の仕事をしようとしたら、矢張りそれだけの時間が掛かるのです。・・・先生は、教わるという心をもっていないで教えることはできません。」 95歳の時にこう云ったそうだ。「もう絵を描こうとなんて思わない。朝起きたら自然に筆が動いてしまう・・。」

2000年6月19日(月)10年以上前のことになるが、ある大学で「気の世界」という公開講座を聴講したことがある。いま思うとこの頃は勤め人をやりながら、週末も「気力」が充実していた時期であった。午前中はテニスをやり、シャワーを浴びた後着替え。午後は、妻と待ち合わせて公開講座に出席。夜は音楽会という一日を覚えている。この時に、「気」の力の不思議さを知った。「気」という文字を書き出すだけで人が如何に「気」を感じて生きているかがわかる。・・人気、活気、根気、陽気、気品、気質、気概、志気・・気が利く、気配り、気の置けない、気が済む、気を回す、気に食わぬ ・・・こうして見るだけで、「気」とはなにものだ!・・と考える。人は「本気」で何かやろうと思えば実現するという。そんな力に「気」がつかない。こんな事を書いて、気のせいでもいい、すこしは元気を出したいのです・・・。

2000年6月25日(日) 先週、父の日のプレゼントといって、息子と娘夫婦から「ワコムファーボ」というコンピュータのペン入力道具をもらった。これまで「父の日」なんて、ワッシには関係のないことと決まっていたのでちょっととまどったが、有り難く頂戴した。なんでも、6月19日付けで書いたこのコラム(”気”の話)を子供達が読んで、お父さんくたびれてると思ったのがきっかけとか・・。風邪で調子は悪かったが、単に文章力のお粗末さが誤解を生んだらしい。こういう誤解は歓迎しよう。このペン入力の「お絵かき道具」は結構細かなことができる。筆圧により線の太さを変えたり、色を変化させたり自由自在。色々なことができるだけに、この道具は最後はやはり何を描きたいのか、何を表現したいのかを問われてしまう。丁度、インターネットと似たようなところがある。便利な道具はできた。可能性は無限にある。ただし、使いこなすには、なにか人間の英知というか、思想、考え方が定まってこないと、怖いところがある・・・こんな話とは関係ありませんが、「今日の作品」に試験作品を掲載しました。

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