今日のコラム:2000年7月分


2000年7月2日(日) 昨年の12月にこのコラムを始めてから、5月の中旬まで毎日約150日間書き続けてみた。その間、ただの一日も欠かすことなく時には無理をしても”毎日”にこだわった。けれども、毎日コラムを書く時間があれば小さな絵の一枚も描けるし、本も読める。毎日書くことにこだわり続ける意味はないと理屈をつけて、何か特別 書きたいときに書くように方向転換をした。その後の一ヶ月半。最近は、一週間に一度のペースとなり、逆にコラムを書くこと自体がプレッシャーに感じられることに気が付いた。また、毎日のその時間で何か他の作品の数が増えたかというとそうでもない。毎日の習慣の力というのは、意外に大きいものであることを改めて思い知らされた。何をやるにしても、ノルマとか義務ではなく、プラス思考で、自分の好きなことを楽しくやっていると考えるとプレッシャーが無くなる。いい格好をしようという魂胆があると続かない。自分のそのまま、自然体で思ったことを素直に・・・というスタイルでまたコラムを継続しようかと思う。絵についても、上手く描こうとか、誉められようとか意識したものは力がない。好きに思う存分に描いたものが一番と家人に指摘されることがある。コラムも同じく、全て自分自身の責任で、好きな絵を描くように書こう・・・。

2000年7月3日(月) 真っ白なキャンバスを前にして、何も事前の構想を持たずに、ただ感性にしたがって一気に絵を描くというスタイルがある。これと同じやり方で、何も考えずにキーボードに向かってコラム枠を埋めるという作業もなかなか楽しいことだということに気が付いた。そうだ、抽象画を描くように文章を書こう。理性がどこかにいってしまったようなでたらめな断片を綴れれば面 白い。今日は、ミシマ色にしよう。三島由紀夫・1970年11月25日・45歳・自決。今の自分よりも10歳以上若い。タクシーの中で初めて自決のニュースを聞いた時の記憶が非常に鮮明だ。暁の寺・閑寂な石・歴史的生起・肉体的条件・喪失。もし三島が大蔵省を辞めずに60歳まで勤めていたらどんな役人になっていただろう。設問がナンセンス。時間的未来・輪廻転生・最後のWORDは、豊饒の海・・・。
2000年7月4日(火) 夕刻6時過ぎというのに真っ暗。突如猛烈な雷雨となりコンクリートの道路はアッというまに足首が浸かる巨大なプールとなった。ずぶぬ れになっても中途半端でないのでかえってサワヤカ。誰のための大粒涙か・・。
青江三奈さんが54歳で亡くなった。膵臓ガンであったという。一昔前になるが同僚がやはり膵臓ガンだった。ゴルフに行くにはどうも調子がおかしいと病院でみてもらったら、そのまま退院できずに二ヶ月で帰らぬ 人となった。もう13回忌も終わったが母も膵臓ガンで亡くなった。ガンが発見されて医者にあと三ヶ月ですと云われたら正確に三ヶ月だった。大学病院で研究のために解剖してガンに膨れ上がった膵臓をみせてもらった。別 の生物が浸食したようなガンの塊だった。・・・青江三奈さんの告別式は我が家から歩いていける中目黒の実相時で7日にあるそうだ。合掌

2000年7月5日(水) 「■が自分のために何をやってくれるかでなく、自分が■のために何ができるかを考える」・・・これの■にどんな単語を入れますか。云うまでもなく「国」を入れると、J.F.ケネデイーが大統領になった時にいった言葉になる。日産のゴーン氏は「会社」をいれた。地球・村・社会・夫・妻・人・・・それぞれの文字によりニュアンスがことなるが、いずれも自分と■の関係がいわばラブラブの状態ではじめて成り立つことがわかる。ケネデイーの場合は米国人の権利主張の強さがベースにあるからやはり一種の良好な関係があっての言葉であろう。リストラ真っ最中の日産でこの言葉が受け入れられたかどうかは知らない。■が都合のいいようにこの言葉を使うのはインチキである。その点、夫や妻を入れている方がホンワカしてよい。他の単語をもう少し並べてみようか。友人・犬・パソコン・お金・お酒?・・・・・。
2000年7月6日(木) お酒を飲むとどういう状態になるか観察する。まず、地下鉄に乗る時に自分のことしか考えない。一目散に座る場所を確保し一駅でも座って眠る。我ながらみっともないと思うのだが人の思惑など気にしないのが酒の強さ。乗り換えの時もふらふらしながら電車を間違えないようにだけを考えている。乗り過ごす事がなければ何とか家へたどり着く。酒の上でということが通 用すれば何があったか知ったことではない気になる。それでも酒の上で知らないことはない。ふと人生も酒の世界かと思う。目が覚めると自分の思ったことと違うことばかりやっている別 世界だったりして・・・。今日は眠たいのでこれくらい・・・。

2000年7月7日(金) 図面をもとに物を作ることが商売の基となっている製造業では今は殆どCAD(Computer Aided Design)といってコンピュータで図面を作成することが当たり前になっている。けれども図面 書きの教育期間(新人教育など)には「手書き」をやらせる。はじめからコンピューターしか使ったことがないと技術の低下を招くということが分かってきたからだ。鉛筆と定規を使い、下手な字、太さの定まらない線を「手」で書くことの意味が意外に多い。この際、能率は悪くても時間をかけるのがよい。時間をかけて考えさせる。一本の線、一つの丸をじっくりみる。自分の手で書く数字の重さを知る。そのことがコンピュータで書く時に必ず活きてくる。子供の時の”遊び”は大人になるための必要条件であるのも同じ様なもの。最近思うのは、世の中、無駄 な物はないのでないかということ。創造的なものも一見無駄に見える場合がある。無駄 なものを排除するという人間がいるとすれば、まず己の存在意味を問うてみた方がいい。自分だけが無駄 でないなんていう不遜は止めよう。

2000年7月8日(土) 工事現場などで、その日の予定などを確認する朝のミーテイングの時、大抵「危険予知」も含める。KIKEN YOCHIの頭をとってKYミーテイングという。その日にやる作業の中でどんな危険が隠れているかを予め確認しあい、お互いに注意する。高所から墜落すれば即死亡事故にもなる。上から物を落とすと下の人が大怪我をすることもある。現場では、毎日の仕事の中に常に危険が潜んでいる。災害について「ハインリッヒの法則」というのがあり、一つの重大災害が表面 化したとき、その陰には、29件の軽い事故があり、300件の危うく事故になりそうなヒヤリとした場面 が隠れているといわれる。我々の日常生活においても危険予知は使える手法のように思える。危険を察知する第一のやり方は、ヒヤリとした体験を次の防止に活かすこと。一度くしゃみをしたら、これを風邪の警告だとすばやく対応すること。・・・こんな初歩的な対応ができないからいつまでも風邪が治らない私です・・・。
2000年7月9日(日) 犬を飼い始める前に犬を連れた人をみて一番いやだと思ったのは、人がお犬様のウンチを拾いながら散歩する姿だった。それが、自分で犬を飼ってみるとそんなことは何の苦痛にもならない。人間の沽券にかかわるとも思わないようになった。変われば変わるものである。かなり飛躍した話になるが、大体、下(しも)の世話とか尻拭いというのは、「現役」だからできる栄誉ある役割と思う。バブルの尻拭い、いいかげんな経営の尻拭い、みんな現役が頑張って処理をしているのだ。肝心の現役を引退した犯人達は痴呆症で寝たきりかと思うと、相変わらず元気で自分が垂れ流した罪の意識もなかったりするから困ってしまうが・・・。人の世話にならない現役の行動が何より貴重。それがたとえウンチ取りでも・・・。

2000年7月10日(月) 人間のミスを如何に防ぐかを分かったように論評することがあるが、自分自身でお粗末なミスをするのに呆れることも多い。このコラムでいえば、読み返してOKをだしHPを改訂した後、改めて読み返すと誤字やおかしな表現にすぐ気が付くことがよくある。今日、何度も読み直して外部に発表したところ即単純なミスを指摘されるということがあり、改めて自分のチェック機能のオソマツを思い知らされた。自分がやったことを自分が評価することが如何に甘いかがよくわかる。一方他人のものとなると極めて厳しい批評魂が自然と発露されるのにも感心してしまう。ビデオで撮った自分のゴルフやテニスの姿を見ると他人を笑えなくなるなんていうこともよくある話。時々、我が身を外部にさらしてみて、自分で批評してみるのがいいかも知れない。
2000年7月11日(火) ヤクルト・スワローズが何故スワローズか、知らない人もいるようなので書いておきたい。それは、元国鉄スワローズだったからです。何故国鉄がスワローズなのか。それは、国鉄が、「コンドルス」だと、「混んどる」のようでまずいのです。やはり、国鉄はみんなで「座ろうー」ズでなければならないのです。昔の人はユーモアがあったのですね。これは、スワローズの名前を付けた人から聞いた実話です。

2000年7月12日(水) 教育とか子育てとかについて能書きは云わぬ がよい。自ら考える子供が一番と思っていると、これが少数派で言うことをきく子がよいと本当に思っている方が多数派だったり・・。教育に失敗して不良になったなんていう子が実は素晴らしい人生を送ったり・・。仮に親がいいと思うことに100%従う子供がいたら、それこそ気持ちが悪いと思うのだが・・。何がよくて何が悪いか自体が、ほんの短い時代の瞬間風速のような価値観で決められる。いいとか、悪いとかを単純に決めつけることはできない。けれども、やはり私は自分で考え、自分で汗するタイプが好きだ。

2000年7月13日(木) 「元祖、女性は太陽であった」といったのは平塚らいてうであった。(平塚らいてうは大正から昭和初期に活躍したいわば女性解放運動の創始者ともいえる人。私の学生時代の担当教官がらいてうの息子さんだったので何となく親しい)実感からいえば、元祖ではなく今はいつも太陽だ。親にしても変なところで父親より母親のエラサが記憶に残っていることのほうが多い。敗戦に打ちひしがれているときに、誰かがもし戦争に勝っていたら・・という話をしたとき、母は即座に「兵隊が威張り散らして大変だったよ・・」という意味のことをいったのを覚えている。父はただ沈黙するばかり。大体において女性の直感の方が男性の理屈より正しいと思うのはこんな原体験かもしれない。

2000年7月14日(金) Conservative Partyとか、保守党とかが現に存在するわけであるから、現状を変えたくない、今のままが一番という人が相当数いることは確かだろう。けれども一方で大袈裟に云えば現状を変えることがなければ人類の進歩はない。今が一番と思っている人も、ただ別 のところにもっと素晴らしい世界があることを知らないだけであったり、悲惨な別世界があると怖いと思って閉じこもっているのかもしれない。毎日通 い慣れた道を一つ隣の道を通ってみるだけで、昨日まで気が付かなかった発見がある。少しの行動力UPで新たな世界が広がることも多い。自分の可能性も案外自分自身で決めつけているのでないだろうか・・・。

2000年7月15日(土) 土曜日には昼間に犬達を散歩に連れていくことができる。いつものコースで、おしゃれな旧山手通 りを通り西郷山公園まで行った。公園の入口の「人を芝生の中に入れないこと。芝生が傷みます・・。」という大きな看板が目についてしばし考えた。といっても直ぐに分かったのは、はじめに「犬」の文字が書いていったのを、横棒と点を白で消して「犬」を「人」に直したものだった。これは愛犬家のイタズラ傑作の一つだろう。以前、佐久間良子の写 真をつけた宣伝ポスターの「フク娘」という文字に点々と斜め棒を一本入れて「プタ娘」と直したもう一つの傑作を思い出した。公園でゆっくりした時を過ごし、帰りにはヒルサイドフォーラムに寄り道をする。犬を連れているので入ることは出来なかったが、石原慎太郎の10代の頃の作品を展示している会場を外から眺めた。ポスターの写 真は慎太郎18歳のハンサムボーイ。ただし入場料の800円は高い。そんなこんなで、暑いけれども楽しい休日だった。

2000年7月16日(日) TVをつけたら巨人-ヤクルト戦の野球放送に長島一茂君が解説者で出ている。不熱心な元ジャイアンツファン、元長島茂雄ファンとしては、近頃のプロ野球をどのような人たちが楽しんでいるのだろうと思うことが多すぎる。金にまかせて選手を集めて、他の球団ならば一軍で大活躍という大選手団を二軍の中で飼い殺しするジャイアンツが優勝したら誰が賞賛されるのだろう。それでも監督は存在価値があるのだろうか。自分もそうだが、昔は子供の頃はみんな野球が大好きで、暗くなるまで野球で遊んだ。今の子供で野球をやるのは極一部。若者はオヤジの相手でなくて野球を見るのだろうか。これからの高齢化社会にそなえて、老人の暇つぶし用プロ野球を目指しているのなら案外ニーズに合っているかも知れない。それにしても、一茂君は素直に育っているなあー。代議士の地盤をその子供が継ぐ事に恥も感じず疑問も抱かない素直な、すなおな子供のように・・・。

2000年7月17日(月) 「艱難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生む」とは聖書の言葉だが(ローマ人への手紙か、パウロの手紙だったか)恵まれぬ 、報われぬ、そして苦しい時にこそ、自分を鍛え、力を蓄えて、希望を求めるのが人間であるようだ。今がどんな状態でも「希望」があるから元気もでる。我々は、こんな言葉で力付けられることも多い。今日は希望づくしでいこう:「希望とは、もともとあるものだとも云えぬ し、ないものだとも云えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(魯迅)「認識においては悲観的であるが、希望については楽観的である」(シュバイツアー)

2000年7月18日(火) 夜中に軽く肩を叩かれる。トントン・・とんとん・・夢ではない。アンが遠慮がちに肩を叩いているのだ。起きあがるとアンが真っ先に洗面 所に向かう。コップ一杯の水を飲むとアンは安心してまた寝室に戻る。熱帯夜が続くこの2−3日、同じ様な繰り返しがあった。アン(コーギー犬です)は8歳と8ヶ月。去年までは同じ暑さでもこのようなことはなかった気がする。アンの娘のアール(3歳8ヶ月)は夜中に水を欲しがったことはない。もちろんアンにもアールにも、寝る前には十分に水を飲ませてはいる。こんなことは、年齢とは関係ないかもしれない。どちらにしても、今夜から寝室に水を入れた容器を置くことにした。

2000年7月19日(水) フローとストックという考え方がある。フローは「流れ」、つまり、留まることのないもの。ストックは「蓄え」であり、流れが留まったものである。歴史の流れのストックとして文明が存在する。一方で、STOCKという言葉には「家系」とか「家柄」という意味もあるように、人間の争いはストックを求め、守るところから発しているとも云われる。人間の一生も流れそのものであるが、ストックを求める切実な面 がある。お金は正にフローのものでありながら、ストックとするための凄まじい闘争の対象物である。ところで、愛情なんていうのはストックよりも、継続するフローの姿がいいのでないだろうか。どんなことでも、フローは合流して大きくなる。時にはストックを全て忘れて流れにまかせるのも、精神上必要ではないだろうか。

2000年7月20日(木) 夕方、夏の日差しが少し和らいだ頃にアンとアールを連れて気分転換の散歩にでかけた。犬達のための散歩というより自分のための散歩となった。西郷山公園では思ったより風が通 りしばし木陰で頭を冷やす。昼に、テレビのインターネット紹介番組を見て、いささか「やる気」をなくしていたのである。。その番組の中で、糸井重里が自分のサイトを説明しながら、このサイトには一日20万件のアクセスがあると云ったのを聞いてしまった。一日のアクセスである。今日の休日、我がHPも少しアクセス向上の努力をするかなどと思っていた矢先に20万件の話を聞いたのですっかり意欲をなくしてしまったという次第。頭を冷やして考えた結論は・・。アクセス数は糸井と競うことがないのはもちろんだが、今しばらくは数を気にしないことにする。家族向けページでもいいではないか。マイペースでいこう!

2000年7月21日(金) 三島由紀夫の豊饒の海・第一巻「春の雪」をようやく読み終えた。第三巻「暁の寺」はこの前読んだ。いずれも10年ほど前に息子が買った本であるが、息子の本棚からちょっと拝借して親が読んで楽しんでいるのだ。いま時代を超えて読んで面 白いということは古典としての価値があることでもあろう。この本は次に妻が読むことになっている。

2000年7月22日(土) 今日は京都や宇都宮で気温が39度を越したとか。東京も負けず劣らずの猛暑。午前中は雲一つない青空の下、テニスをした。4セット、36ゲームを遊ぶ間に得るものは多い。何と云っても雑念がなくなる。炎天下のもとでプレーする場合にはあれこれ考えずに一番やるべきことのみに集中する。実際にはボールを見ることだけ考える。そして、何時ぶっ倒れてもおかしくないという体力の限界に挑戦する。死ぬ か生きるかの状態になるとただ生きることだけを考えればよいのだと瞬間に思ったりするのもこんな時。後は心地よい疲労感と充実感が残る。

2000年7月23日(日) 今、デジカメを修理にだしている。スイッチの接触不安定という以前のカメラでは考えられないデジカメ特有の不具合があり、だましだまし使っていたが思いきって修理に出したのだ。(カメラはニコンCOOLPIX950. ニコンのサービスセンターが気持ちよく修理を引き受けてくれたのがうれしい)これまでは犬の散歩にも大抵カメラ持参で、チャンスがあればホームページ改訂用の写 真を撮ることも多かった。カメラがなくなってみると有力な武器を取りあげられた戦士のように為すすべを知らず戦意喪失。いい道具があってはじめてHPも成り立つことを再認識した。修理ができる今月末までは写 真のコーナーはお休みとしよう。

2000年7月24日(月) いつもは努めて”ぐちっぽい”ことは書かないようにしている。他人が読んでくれたとしても何も愉快にならないと思うから・・。それでもこちらも人間だ。チクショウ、この野郎、コン畜生・・もっともっと強烈に怒ることもあるのだ!我ながら自由人ぽく振る舞っていても本当に感情をぶつけることのできない社会のしがらみも悔しい。こういう時に妻は平然としていて救われる。いい年をして自分は人間ができていない。塞翁が馬などという思想はとってつけたもので、感情はどうしようもない。もう一つ経験したのは、帰宅途中の電車で、高橋源一郎のふざけた本(「ジョンレノン対火星人」)を読もうとしたら、一行も読む気がしなかったということ。面 白そうに装うのはもう結構という感じ。今日は早く寝ることにしよう・・・。

2000年7月25日(火) マチス・コレクションで有名なアメリカのコーンコレクションに「大きな横たわる裸婦」というマチスの作品がある。この絵画作品について、完成品とされるまでの22段階の過程が写 真で残されているのが非常に興味深い。第一段階は1935年の5月に描かれている。一応の完成品であるが気に入らずポーズやら表情を少し変える。最終のOKをだしたのは、10月末。全体の配置まで徐々に変えながら実に22回も描き直した経過が全て写 真で残してあるのだ。マチスほどの画家でさえこれだけの描き換えをやり、結果をみると確かに最後のものが一番いい。・・この前の休みに、何年か前に描いた油絵を大幅に描き直した。直後にマチスの写 真のことを思い出して”しまった!”今はデジカメなど絵の写真を残すことは簡単だのに・・と思っても後の祭り。自分の場合は直す前の絵の方が良かったという人もいるのだから証拠を残したかったなあ・・。

2000年7月26日(水) コンコルドが墜落して100人以上の死者がでた。フランスのシャルル・ドゴ−ル空港を離陸直後、主翼左の第二エンジンから火を噴き2分後に空港の南2kmにあるホテルに激突したという。コンコルドはある意味で憧れの飛行機であった。運賃が高く、しかもうるさいと云われていても、時間ができたら是非一度乗ってみたいと密かに想い続けていた。このHPのpostcard gallery part3にも絵を描いているが、飛行する姿はすばらしい。私が学生時代に丁度コンコルドの開発時期であったのであろう。コンコルド試作機の窓のコーナーに亀裂が発生した話を聞いた覚えがある。上空と地上の間の異なる条件の繰り返しにより、応力が集中する窓のコーナーから疲労によるクラックが進行した。そのため窓のコーナーの丸味を大きくしたなどなど・・。開発時代から何となく親しみもあったのだ。残念ながら、来年のコンコルド搭乗は諦めるか・・・。

2000年7月27日(木) ご存知の方も多いと思うが、「ゆで蛙」の話がある。水をいれた容器に蛙を入れて火にかける。ある蛙は直ぐにジャンプして容器の外に飛び出すが、少し暖まったぬ るま湯になると”いい湯だな”とすっかり落ち着いて、飛び出す意欲もなくなる。その内に湯が熱くなってきても飛び出す元気もなく「ゆで蛙」ができあがるという。現状に甘んじて何も新しいことに取り組めない企業などの自戒のたとえ話で使われることもあるが、むしろ個人の方が身につまされる。自分としても半分ゆであがっているのでないかとも思ったりする。いつでもジャンプする思い切りがなければ、気が付けばお陀仏。それにしても、この話を作った当人は随分残酷なゆで蛙の実験をやったものだ。

2000年7月28日(金) 家の側にあったわずかばかり残っていた”土”の道路が、マンションの建築と合わせて舗装された。いつも犬達を散歩に連れ出すと先ずその”土”のところにいって用を足させていたのが、そうできなくなってしまった。改めて考えてみると散歩コースで土のあるところは極めて限られている。土の道路はもう全くなくなってしまった。今は、植木の根本とか、公園の中にある土は貴重なオアシスに思える。コンクリートの道を通 りながら、蜃気楼のような”土”を求めて、このところ散歩コースを変えてみている・・・。

2000年7月29日(土) 午前中は相も変わらずの炎天下5セットのテニス。その後めずらしく新宿のNSビル、パークタワー、小田急デパートをハシゴし体力的にはハードな一日であった。小田急では「ターシャ・テユーダの世界展」をみる。ターシャ・テユーダは1915年生まれのアメリカのおばあさん絵本作家で、私は「コーギーの絵本作家」ぐらいの認識しかなかったが、USAのHP(ここ)でも見るようにガーデニングやクリスマスものをはじめ多くの本を出版している絵本作家であることを知った。どんな絵の中にもコーギーがそれとなく出てくるのでコーギーファンとしてはうれしい。それにしてもアメリカという国はおもしろい。アメリカを代表する画家のアンドリュー・ワイエスがペンシルヴェニア州のチャッズフォードという田舎からほとんど出ることなく、農村風景や農婦を描き、アメリカを代表する絵本作家、ターシャ・デユーダはバーモント州の田舎の農家で「古き良きアメリカ」のイメージの絵を描く。それらには現代の物質文明のかけらも見せない。一方では確かにモダンアートをリードするのはアメリカで、これらが混在できるところがこの国のいいところであろうか。

2000年7月30日(日) 犬を連れて公園にいくと八重咲きの花をつけた夾竹桃が一際目立つ。夏にはこの濃い桃色の花が似合う。・・・コーギー犬というのは短足(かつ胴長)であるので普通 の犬よりも視点が低い。だから、駐車している自動車の下に隠れている猫を見つけるのが得意だ。人間が全く分からないところに潜む猫をいち早く見つけだす。けれども、猫が塀の上に寝そべっているのには案外気が付かない。「視点」というのはそういうものだろう。男と女では視点が違う。従業員と社長では当然視点が異なる。職業やそれぞれの立場で見る位 置がずれるのは当たり前のことだ。自分のやっていることを時々月から眺めるように見てみるといいといった話がされるのも、意識的に視点を変えてみると自分の立場がよくみえることを表している。けれども、重要なことは視点はそれぞれの現実でありどちらが正しいとは安易に断定できないことではないか。コーギーの目も正しい現実をとらえている。人間がみた塀の上の猫も現実である。しかしそれぞれに隠れた実態がまだあるということを忘れてはならない。

2000年7月31日(月) 今日から夏休み。普段はできない家庭の雑用仕事も多いが、この機会に自分のホームページを見直すと色々なことに気がつく。その中の一つはやはり我が家の「コーギー犬」の影響の大きさ。本来の犬関連とは別 物である「恵比寿・代官山」とか「ファッション」「ショウウィンドウ」といったテーマは全て”犬の散歩”があるから成り立っているのだ。ワンちゃん達の散歩があるからこそ地元の街に興味を持つ。犬がいなかった頃を考えると、近所の細い路地など入ったことなければ、公園なども全く無縁だった。最近はホームページにあらわれるものではないが、お互いに犬を連れた人とはまずお早うございます、今晩は!の挨拶が当たり前。犬がいなければ挨拶する機会もない。コーギーのウェイトが大きい割にアンもアールもコーギー動画も最近改訂されていないなあ・・・。反省。


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