「今日のコラム」:2000年8月コラム


2000年8月2日(水) 昨日は、山中湖畔の高村美術館にいった。ミュージシャンの絵画展も開催されていて、マイルス・デイビス(云うまでもなく、1991年に65歳で亡くなった伝説的ジャズプレーヤー/トランペッター)の絵画とか、ビートルズのジョン・レノンのスケッチとか興味深い展示もあった。今日は、またもう一つ、湖畔の「三島由紀夫文学館」をゆっくりと楽しんだ。印象深かったものの一つに、肉筆原稿の”字”がある。16歳の時の字も40歳の時の原稿もペン習字の手本のようにきっちりとしていて、手抜きや雑なところがほとんど見あたらない。学習院を主席で卒業し、東大法学部から大蔵省銀行局に就職した経歴が十分に納得できるものだ。帰宅後、読みかけの「豊饒の海」の続きをまた読みはじめた。
2000年8月3日(木) 水泳の千葉すず選手がシドニー五輪の選考に漏れた事に関するスポーツ仲裁裁判所の聴聞会が、今日開催され、夕方裁定が下った。スイス人の裁定者の結論で結局、千葉すずは五輪には行けないが、負けるが勝ち。この裁定を求めた意義は非常に大きく、千葉すずの功績を讃えたい。司法手続きなど知らないのが当たり前の彼女が、水泳連盟とととにかくも対等にわたりあえたのは世間も千葉の言い分を応援したためであろう。スポーツという比較的勝ち負けがはっきりする競技でさえ、こんな有様であるから他は押して知るべし。何でもお上の云うことには異議をはさまないという体質がほんのちょっぴりでも改善されるかどうかは分からないが、いまの24歳の若者を見直す一事件であった。

2000年8月4日(金) 絵を描き始めた頃読んだ本(アメリカの翻訳本だと思う)に描くということについて今もよく覚えている指導法がある。それは、画用紙に六分割する線を引き、六つのスペースに、喜び、悲しみ、怒り、楽しみ、絶望・・とかの感情を思うように線で表現しろというテーマだった。それには正解はない。あなたはどう表現をしますかということだけを問われる。元気がないときはそれをそのまま描く。その時、絵はなんでもよいから感情を表現すればよいということを学んだ。一見すると感情を直接表面 に出さないモダンアートも、コンピューターのアートも作者の感情を表現していることには変わりない。テレビの「たけしのだれでもピカソ」をみていて、作者の表現したい感情は何だろうかと考えて、昔学んだ六つの枠を思い起こした。

2000年8月5日(土) 空には積乱雲。猛暑の中、テニスコートには赤トンボが飛び交っていた。夏は暑い方がよいなどといって汗を流す。心地よい疲労。そして、・・・いくら暑いと云っても、一ヶ月もすれば、秋は確実にやってくる。自然のサイクルの正確さには改めて驚嘆する。・・・神宮球場の巨人-ヤクルト戦を中断させた突然の雷雨が我が家にも降り始めた・・・。

2000年8月7日(月) 日曜日の朝から24時間以上ホームページのプロバイダーへの交信が不能となった。改訂ができないときに限って、あれもこれも修正するべきものが溜まっているのが気になる。大体、自分のページを細かく見ると粗ばかり目に付く。妥協の産物が掲示されているが、交信の順調なときは時間がなくて改訂できないことにする。勝手なものだ。けれども、皮肉ないい方をすれば、プロバイダの設備も時々故障し、パソコンの記憶内容が時に全部消えてしまい、ついでに電話回線がたまに不通 となるのは、案外必要なことかもしれない。当たり前のこと、便利なものが何で支えられているかを考えさせる。リスク管理も実感からスタートする。昔の停電や、交通 機関のストライキも結構楽しかったじゃない・・?

2000年8月8日(火) 小学唱歌の「案山子(かかし)」などの歌詞(・・山田のなーかの一本足のかかし・・)に合わせてコーギーがポーズするコーギーリンク(むぎちゃんの”みんなの歌”)を楽しんでいる。案山子の歌詞は比較的おとなしいが、昔の童謡や歌の歌詞を読むとハッとさせられる。赤い靴(野口雨情作詞)の歌詞:「赤い靴 はいてた おんなの子 異人さんに つれられて いっちゃった・・・」これはなんだ・・。ロシア民謡の緋色のサラファンはもっと直接的だ:「緋色のサラファン 縫うてみても 楽しいあの日は かえりゃせぬ 、 たとえ若い娘じゃとて なんでその日が長かろう、 燃えるようなその頬も いまにごらん 色あせる、そのとききっと 思い当たる・・・」・・昔の歌詞には今の時代にない強烈な素直さがある。

2000年8月9日(水) 今日は、昨日に続いて童謡シリーズとしよう。昔の童謡いじめ版。直ぐに思いつくのは、”かなりや”:『唄を忘れたかなりやは、後ろの山にすてましょか、いえいえそれはなりませぬ 。・・・背戸の小やぶに埋めましょか、・・・柳の鞭でぶちましょか・・・』(とにかく発想がすごい)。”山寺の和尚さん”:『山寺の和尚さんは、毬は蹴りたし毬はなし、猫をカン袋に押し込んで、ポンと蹴りゃニャンとなく、ニャンがニャンとなくヨーイヨイ・・』。”てるてる坊主”の三番の歌詞がまたいい:『てるてる坊主 てる坊主、あした天気にしておくれ、それでも曇って 泣いてたら、そなたの首を ちょん切るぞ』。以前は、「動物虐待」という言葉もなかったし、いじめも陰湿でない!?

2000年8月10日(木) このところ目眩を感じることが多く、体力が衰えたせいかと思っていたがどうもストレスでないかという説が有力だ。ストレスとなると専門分野に近いので嬉しくなった。途端に目眩も少なくなってきた。構造物については事前にストレス(応力)を計算して安全なるように設計をする。複雑な構造の場合は実際にストレスを計測して確認をすることもある。問題はどのような外力を条件とするか。たとえば台風の風速がいくら、地震の震度がどれだけと設定してもそれ以上の悪条件となった場合は保証の限りでなくなる。許容のストレスを越えると(当然安全率というものを見込んでいるが)構造物は破壊する。構造のちょっとした相違、角張っているか、丸味があるか、で集中的にストレスが高くなったり、緩和されたりする。ストレスの許容度は材料の個体差で大きく変わる。許容ストレスの非常に高い材料でも特別 の環境では脆く破損することもある。同じ材料でも、製作された時の熱処理のやり方などにより、材料の中に大きな残留ストレスが発生することもある。・・・こうした諸々の構造物のストレス解析に対して、人間のストレスはどこまで解明されているのだろうか。自己分析によれば、目眩のストレスは外部からの特別 な負荷に起因するものでなく、いわば残留応力(ストレス)として蓄積されていたものが環境の変化(冷却)のために増大してきたものであろうか。この種のストレスには、周囲を心地よく暖めてやるストレスリリーフ(解放)が必要だ・・。

2000年8月11日(金) 娘が病院での出来事を話していた。診察を申し込んで1時間半以上待たされた後、名前を呼ばれていってみると、あなたの検査結果 はこれこれです、カルテによれば・・と説明されたという。同姓の人が娘の名前で先に診療を受けたミスが直ぐに分かったが、すみませんで終わりになったらしい。東京の有名な病院でこの始末。最近、病院の患者を間違えて手術をした事故が大きく報じられたが、表面 化した事故以外に相当の「ヒヤリ、ハット」があることが分かる。「ヒヤリ・ハット」というのは一歩間違えると大事故になったかもしれない氷山の水面 下の部分をいう。以前このコラムでも書いた覚えがあるが、ハインリッヒの法則というのがあって、一つの大事故の陰には300件のヒヤリハットはあるといわれる。驚くべき事は、ニュースになった病院の事故に対して、自分たちも一歩間違えると同じ様な大問題を起こすという病院側の認識がほとんど見えないこと。ヒヤリハットは自分たちの問題として事故防止を計るチャンスなのだぞ。

2000年8月12日(土) ジャン・コクトーを読んでみると意外に面白い。コクトーといえば、専ら一筆書きのような洒脱な絵でなじみがあるだけで詩も文章も読んだことはなかった。「美女と野獣」はコクトーの映画の代表作とされるが今はデイズニー版の方が有名かもしれない。コクトーは詩・小説・演劇・映画・絵画などあらゆるジャンルで活躍したフランスの才人とされるが、その交友関係をみるだけでめまいがする。いわく、ピカソ、ストラビンスキー、サテイー、デイアギレフ、サルトル、まだまだ、クリスチャン・デイオール、ココ・シャネル、ダリ、ブラックその他きりがない。こういう人間はまあ「才人」ですね・・といって敬遠したくなるが、「線について」などというエッセイなどもなかなかよい。「線とは何か?それは生命だ。一本の線は、その進路の各地点において生命を持っていなければならない。・・・」線を絵画だけでなく、小説、彫刻、音楽などあらゆる芸術活動全般 に共通の関心事としたところが印象に残る。

2000年8月13日(日) 最近めまいを感じることが多いのは、ストレスというよりパソコンの影響があるのではないかと疑い始めた。コラムのようにキーボードを叩くときは問題ない(この時は視点を定めなくても手が動く)が、画面 を見るときは文字を凝視する時間が長く続く。この時は首も殆ど同じ位置を保つのでどうしても首の筋肉がこりやすい。”こり”によって首のところで心臓と脳の間の血液の流れが絞られる(?)とすると、頭の位 置が変わったときに血液が脳に瞬間流れ難くなり、めまいが起きるのでないかというシロウトの推測である。とにかくも首のところをマッサージして、もみほぐし、また強制的に首の伸縮を与えたりした結果 、見違えるように気分がすっきりしてめまいも無くなった次第。おまけに、今日はパソコンを止めてわずかな時間だが油絵をいじった。そうするとますます何かに挑戦しようかという元気も出てきた。やはり休日というのは貴重です・・。

2000年8月14日(月) 今日は休暇。台風の余波を受け予定していた外出ができなくなったことを幸いにして、ホームページのコーギー動画を作ろうとと思った。思ったまでは良かったが直ぐに挫折してただの絵だけを追加した。動画でも絵でもホームページでも義務で作るものではない。何もしなくても誰も困ることはない。ただ自分がやりたいことをやるだけである。このようなとき、ではこの時間に何をやるかが問題となる。ホームページの改訂に費やす時間は料理と似たところがある。あれこれ細かい味付けをしたつもりでも出した途端に後は相手任せ。「美味しい」か否かは反応がなければ分からない。同じ時間を使うのならば後に残る大作に取り組もうと考えて油絵をやると確かにこちらがの方が開放感が大きい。正に人生は短く自分の時間は有限だと思い知るこの頃である。

2000年8月15日(火) 55回目の終戦記念日。幼児や小学生の時に原爆を体験をした友人、知人も多い。自分はといえば防空壕での半記憶のみ。物心ついたときは進駐軍の粉ミルクを飲み、焼夷弾の残骸が遊び道具であったりした。戦争については短いコラムではとても書けない。ただ、この一回の戦争で日本人戦没者が300万人以上(ということは当然兵隊の死者だけの数ではない)という事実は改めて認識したい。戦争のリーダーは開戦の時に果 たして何人の犠牲を想定したのか・・。米国の資料に世紀毎に世界中の戦死者の数を推定したものがある。(信頼性については知らない)18世紀戦死者=700万人。19世紀=1940万人。20世紀戦死者=1億0780万人。20世紀は戦争の時代といわれる所以である。戦争は人間社会のあり方から考えさせる。簡単に”総括”できるものではない。

2000年8月16日(水) エネルギという概念がある。電力を得るためのエネルギは、水力(ダムに蓄えた位 置エネルギ)、火力(石炭、石油などの燃焼から蒸気を使うエネルギ)、原子力、風力、波力、太陽熱などなど。これらに対して、人間のエネルギについては科学技術とは全く異なった不可思議な力を感じることが多い。当然、人はまず食べなければ力はでない、睡眠も必要だ。けれども何かをやりとげようとするエネルギは、条件が全て整い満足しているところからでてくるものでもない。むしろ恵まれず、屈折した状態の中から尋常でないエネルギが発揮されることがよくある。「生命の燃焼」という言葉があるが、これは外から燃やされ、ただ燃え尽きるのでない。何らかマイナスの状況を自らのエネルギに変換することにより、通 常よりも強力な自分自身のパワーがでる状態でないかと思う。大いなる不満、悪条件はより大きなエネルギを生む源となる。

2000年8月19日(土) 今日、「代官山アドレス」がオープンした。「代官山アドレス」とは代官山の駅前にあった旧同潤会代官山アパートを再開発した地区の名前だ。「アドレス」の名は、はじめはピンとこないが「呼びかけ、あいさつ」の意味らしい。このホームページでは「代官山再開発」として2年間以上その建設記録を掲載してきた。36階建ての建築の成長過程を定点から撮影した写 真で紹介したものだが、このページほど反応のないものはなかった。今、この「代官山アドレス」ページをどう終息させるかを考えている。建築経過の写 真はもう見られませんよ・・アドレスにお住みの方! それはともかく、朝の6時前と夕方の6時頃に犬達を連れてアドレスにも寄ってみた。華やいだ雰囲気とは別 に信号待ちしているおばさんが、「代官山も他の街と同じになって終わりね、同潤会の落ち着いた雰囲気がなくなってしまって・・」などというのが聞こえた。自分としてはどちらかというと古いものにはこだわらない。例えば、パリの凱旋門には特別 感激しないが、「新凱旋門」のシンプル、透明、そしてメカニックな構造物にしばし動けなくなるほど感動する。けれども、「アドレス」にはそんな感激させる建築物がない。ゼネコンさんが手慣れたスタンダードをつなぎ合わせて、はい出来上がり・・という構図が見えてしまう。それと今の所は樹木が余りに少ない。後は住む人、使う人、訪れる人がどのような雰囲気を作ることができるかであろう。オープンしたばかりだからこれからできることだけを見ていこうか・・。

2000年8月18日(金) ブリジストン美術館で保有しているゴーギャンの偽作を解説付きで公開するという。かつては、ゴーギャンの名作としてもてはやされ多くの人を魅了した作品らしい。偽作といえばフェルメールの偽作だけを集めた展覧会もあったし、偽作で有名になった画家もいる。偽作というのは下手な真似作品のことではない。いわば筆さばき(タッチや勢い、繊細さなど)が本人と同等の力ではじめて偽作となりうる。いつも思うのは、それだけの技量 がありながら何故自分の名前をつけたオリジナル品を作れないのかということ。それでは多分お金にならないのであろう。絵画も名前で売れる。偽作を作った方が、自分自身の作品を売るよりも100倍(10倍でもいいが)の収入になるとすると現世の稼ぎを優先させることは十分考えられる。ゴッホは生前一枚の絵も売れず、死後作品と名前をのこした。後世ゴッホの偽作家は無名ながらお金をたっぷり稼いでいたのか。まことに「稼ぎ」というのは怪しげなところがある。

2000年8月20日(日) 豊饒の海(三島由紀夫)もようやく第四巻「天人五衰」までたどりついた。毎日の通 勤時間にチョボチョボ読み進むだけなので、長い間楽しんでいる。天人(てんにん)の五衰とは、天人の臨終に現れるという五種の衰えていくありさまという。五衰とは、1.頭上の華が萎む(しぼむ) 2.腋の下から汗がでる 3.衣装が垢にまみれる 4.身体の威光を失う 5.本座に安住することを楽しまない、と解説されている(その他出典により幾つかの解釈もある)。そこで、凡人が老害を自覚するための凡人五衰といこう。1.人の意見を聞けなくなる(そして他人が忠告をしなくなる) 2.新しいことをやるのが面 倒になる 3.口のききかたがぞんざいになる 4.自分の代わりを認めたくない 5.今の居場所が一番居心地がよい・・・どうも五衰どころか十衰にでもなりそうだ・・。

2000年8月21日(月) 昨日のコラムで「凡人」という言葉を使ったので、広辞苑(岩波書店)を引くと:「1.特にすぐれた所のない、普通 の人。2.身分の低い人」とある。これを新明解辞典(三省堂)でみると「自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。(マイホーム主義から脱することの出来ない大多数の庶民の意にも用いられる)」とある。<昨日の「凡人」は人間一般 の意で使ってしまった!?> 新明解はこのような味のある独特の表現があるのでファンになった。もう一つ比較してみよう:「動物園」=(広辞苑)「各種の動物を集め飼育して一般 の観覧に供する施設」、(新明解)「捕らえてきた動物を、人工的環境と規則的な給餌とにより野生から遊離し、動く標本として都人士に見せる、啓蒙を兼ねた娯楽施設」。同じ言葉の意味を説明する辞書でさえこんなに”個性”がでるものだ。広辞苑だけに囚われなければ別 の世界が見えてくる。

2000年8月22日(火) 何も考えずに、真っ白なキャンバスを前にする。そして、その時のインスピレーションにしたがって無心に絵筆を動かしす・・という絵の描き方がある。出来上がってみるまで自分でも結果 は分からない。これが案外に熟考を重ねた計画的な絵よりもイイ作品ができることがある。このような絵のスタイルと同じやり方で「コラム」を綴ることも多い・・例えば、この瞬間の言葉の断片をとれば:原子力潜水艦クルスク、夜能、12勝6敗、鞍馬天狗、首位 攻防、成分無調整、ギャラードなどなど・・絵はどんな描き方をしてもその時の精神状態やら健康状態がはっきり表れることは十分承知している。全く同じ事が文章についても云えるようである。夏バテ気味の体力、気力が表に出ても気にはしない。絵と同じく、文章にも「余白」が欲しいナ・・・・・・・・・・・・オワリ

2000年8月25日(金) 今日はやはりアンデイ・フグのことを書かない訳にはいくまい。私と同年代の同僚とはこの話題はほとんど通 じないので解説を付ける。(私は例によって息子との対話でこの手のものを仕入れる)K1(格闘技の最高峰の意か、キックボクシング、空手、拳法をミックスしたような格闘技)のかつてのチャンピオン、アンデイ・フグが24日、急性前骨髄球性白血病で急死した。享年35歳。フグはスイス生まれで極真空手を経てK1に転身し、K1のスターになった。身長180cmのフグが足を相手の頭より高く振り上げ、瞬時にかかとで蹴り落とすという「かかと落とし」を一度見ると、その切れ味の良さが忘れられなくなる。素顔のフグは紳士でかつ愛嬌もあった。それにしても、35歳とは余りに早い・・・。病名を見て思い出したことがある。学生時代の友人が結婚後直ぐに急死したことがあった。30歳前で当時余りのことに言葉がでなかった。その時の病名が急性白血病。ご冥福を祈る。

2000年8月26日(土) 三島由紀夫の「豊饒の海」を一昨日に読み終えた。最後の第四巻がいかにも暗い。8月のこのコラムが「暗い」と指摘されたことがあるが、四巻を読んでいたせいかも知れない。この四巻を書いたとき作者ははっきり自決の決意を固めていたことがいやでもイメージされる。読み終わった時に、まず想い起こしたのは、ゴッホが37歳でこれも自殺する直前に描いた「烏のいる麦畑」の絵であった。嵐の予兆を感じさせる暗雲が空を覆っている。そして無数の烏が麦畑の上を飛び交っている。ゴッホが同じ時に描いた「ドービニの庭」も同じく暗い。陰鬱な色調の一番手前には黒猫がいる。(広島美術館所蔵の「ドービニの庭」は同じ図柄であるが色調が明るく黒猫もいない。心の振幅を表したものともされる)絵画の場合は画家の心象が直接に表れることが多い。これも28歳で亡くなったオーストリアの天才画家エゴン・シーレ(1890-1918年)の残した絵はいずれも何とも暗い。けれども、ただ暗いだけでなく、これらの人々のどの作品をとっても確かに人の心に強烈な何かを訴えるものがあるのだ。

2000年8月27日(日) 休日がアッというまに終わってしまう。何も目に見える成果 や収穫もなしに・・。最近、考えることは、数年前、娘が留学していたときに何となく手描きの絵はがきを作って送ったのがこのHPギャラリーの基礎になっているのだが、もし、今のIT時代であったら、間違いなく「絵はがき」は出来なかっただろうということである。当時、パソコン通 信も試みたことはあったが、まだまだ今のメールのように気楽に使えるものではなかったし、今ならHPとe−mail両方で情報交換ができる。それでは「手作り絵はがき」の代わりに何が残るかというと、多分、保存箱に溜まったe−mailの山ぐらいであろうか。便利さとか膨大な情報量 に圧倒されて、余程注意していないと個人のわずかばかりの時間枠は跡形もなく消えてしまいかねない。こうしたホームページそのものがふと何か根無し草のように思えたりする・・・。

2000年8月28日(月) BRUTUSという雑誌に「椅子」の特集があるというので、本屋に買いに行った。けれども次の「アニメ特集」はあったけれど、目的の「椅子」は手に入れることができなかった。椅子というのも種類が豊富で奥が深い。世紀末だから「20世紀の名作椅子100点」などというのもある。自分で持っている数少ないデザインものでは、ブロイラー(ハンガリー)作のワシリーチェアも名作になるだろう。これは、20世紀はじめの自転車産業が出来始めた頃スチールのパイプを曲げる技術を応用して椅子を作ったものとして有名だ。椅子は画像がないと名前で想像するしかないが、他の名作で好きなものは、リートフェルト(オランダ)作のジグザグチェア(木の板をジグザグにつないだもの)や、レッド&ブルーチェア(木の板とブロックを組み合わせて赤、青に色をつけたもの)、マッキントッシュ(イギリス)作ヒルハウスチェア(背もたれが垂直に180cm位 そそり立つ木の椅子)など。それにル・コルビジェ(スイス)のデザインも好いなとか・・。やはり、BRUTUSのバックナンバーを探すこととしよう。

2000年8月29日(火) だんだんと学生時代の雰囲気に回帰するのもよしとしよう。電車の中で読むために息子の本棚から借りてきた短稿本がニーチェの「善悪の彼岸」であった。ここで”ニーチェいわく”とすると本当に学生気分になるが、これまで知らなかったニーチェの生き様が著作とは別 に興味をそそられる。ニーチェはドイツの思想家で1884年生まれ、1900年に亡くなった。この一生の中で、25歳で大学の教授となり、35歳で健康を害して大学を退職し、44歳で発狂し、56歳で没した・・となると何となく人間的な側面 も見えてくる。膨大な著述が大部分発狂するまでに書かれているが、狂人ニーチェの「この屁をくらえ」といった著述も多く残されているという。大天才も、ふつうの人も、それぞれの人生がある。

2000年8月30日(水) 食後のデザートはめずらしく西瓜。しばらく赤い色や種やらを見ていると絵が描きたくなった。皮の薄緑の中にある濃い緑の模様がまた面 白い。こういう気分になるのは元気が出てきた指標と考えられる。何の影響だろうか・・。もしかすると昼間に中坊公平の講演録を読んだせいかも知れない。何にして本物の元気さに触れると単純に影響されるものだ。他人のことを元気にさせる人をエライといいたい。・・今度の週末には絵を描くぞ!

2000年8月31日(木) 下のUPDATEにある「今日の作品」のところに文字通 り「今日の絵」が入った。理想としてはこういうスタイルを目指したいところ。犬達を毎日スケッチしていればもう少し面 白くなるだろう。今晩はめずらしく息子と娘(婿は仕事で午前様とか)がそろって来宅中。こういう時に「今日の作品」ができることが不思議といえば不思議。団欒をしながらパソコンも操作できる環境がよいナ・・。遅い時間になったけれど今からワンちゃん達の散歩にいきま----す。

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