これまでの「今日のコラム」(10月分)

2000年10月1日(日)  この日曜日は「低調」である。眠くてしょうがない。これは気温も下がってきて夏の疲れがでてきたものと思っていたら、家族はみんな低気圧のせいだという。どちらでも良いが休日ということで贅沢な昼寝をした。低調かあるいは好調か(好調の反対は不調だがこの場合高調というのも少し違う)の判断は、何か新しいものに取り組んだかどうかでみる。それはHPソフトを一つ覚えることでも、小さい絵一つ作ることでもいいのだが、眠たい時に寝ることもそれでエネルギーが充電された気になる。調子を変える必要条件は眠ることだ。・・夜はシドニーオリンピックの閉会式。オーストラリアらしさが出ていてよかった・・。
2000年10月2日 (月) 今が最高などということは決してないけれども、昔はよかったなどという話は信じない。いや、経験からも今の方が多くの点で進歩しているのは間違いない。スマップなどの芸能人の多才さはそんな進歩の断面 を見せる。昔ならばただ歌がうまい歌手グループであることが全てであるところが、今はそれぞれのメンバーが歌と全く異なる分野でも個性を発揮できる。20年も前だろうか、プロ野球のキャッチャーが「生涯一捕手」などと云ったのは当時はそのいい方がかっこよかったのだろう。その本人が今は監督家業でこれはむしろ不様。それでも日本の社会全般 としては、個人の能力より組織力という価値観と符合するように、いまだに○○一筋の方が 幅をきかせる。スマップの多様性を見ることができ、作家や俳優がトップ政治家となる時代には、ただ子育てだけで終わらない女性、勤め以外の活動ができる勤め人がもう少し社会で意味を持った方がよい。今はわずかであるが、そういう兆候を感じることができる。
2000年10月3日 (火) 人は誰でも他人とは違ったことをやりたいに違いない、何か新しい事に挑戦したいものだ・・と思っていると大間違いだったりする。そう思う方が大抵少数派だ。そもそも「保守党」という名前の公党が堂々と成り立つほどに、現状を守るという価値観の人も多い。他人のことは余り云えない。考えてみると、今晩の犬達の散歩コースは昨夜と同じ。これはこれで楽しい。夜更けの犬の散歩道はともかくとして、習慣という毎日の決まりパターンを打破したいのは昼間の方だ。では何をするか。That is the question.
2000年10月4日 (水) 話題がないと昔の話をするのは年寄りじみて好きではない。けれども「今日の作品」にはじめてパリに行ったとき描いた新凱旋門の絵をいれた。地下鉄の駅から地上に出た途端に目にしたこのモダンな建築は他のどんな歴史的な建造物以上に衝撃的なものであった。確かこの建築はコンペで選考されたフランス人でない建築家(デンマーク人?)のデザインであったと思う。翻って、日本ではバブル期も含めて20世紀末東京にどんな建築が残ったか。都庁あたりはまだよいが、超高層といっても面 白味のないものばかり。多分これは建築家の問題ではないだろう。スポンサーとなる施主が歴史を作る気でないと新凱旋門はでてこない。
2000年10月5日 (木) 我が家では2匹の犬達は家の中で人間と同じように生活している。それが娘が産まれたばかりの子供を連れて「実家」に帰ってきたので、ワンちゃん達にはほんのすこーし立ち入り禁止の場所ができた。しばらくは犬のアレルギーを避けるため直接接触しないように注意する訳だ。子供を産んだことのある親の犬アンは赤ん坊の泣き声を聞くと心配そうにそわそわしていたが、今は日常の泣き声は殆ど気にしない。だだ、自分の赤子を見つめたような同じ眼差しで人間の赤ん坊を見つめている。親に習って娘犬のアールも離れて遠慮がちに眺めている。赤ん坊の泣き声は本質的に敵対するものを作らないところが面 白い。こんな娘の実家生活もあと2、3日と思うと、犬と一緒に赤ん坊の顔をあらためて見てみたりする・・。
2000年10月6日 (金) コンピューターのプログラムなどソフトウェアといわれる分野は世界的にインドが強力であることは知られている。一万人近い従業員をかかえて世界中から仕事を請け負っているソフト会社の話を聞いたが自信に満ちあふれていた。インドは英語が公用語だからアメリカからNETを通 じて簡単にやりとりができる。人件費は安く、しかも技術レベルは高い。元来インドは数字発祥の歴史をもつぐらいであるからプログラムの素質もあるのだろう。もう30年も前になるがインドのプラント建設現場に5ヶ月滞在したことがある。その時は現場の台所から料理長がお米を盗んで持ち帰ろうとして問題となったような時代だった。今のインドはどんなに変わっただろうか。そうだ、明日からの連休にはインターネットでインドを訪ねてみよう。
2000年10月7日 (土) 「今日の作品」に南仏マルセイユ港の絵をいれた。勤続30年で有給休暇と旅行券が支給される制度があり、この時夫婦でフランスにいったときのものだ。マルセイユでレンタカーを借りてプロヴァンス地方やらアビニョンなどドライブをしながらスケッチもできた。セザンヌがしばしば描いたセント・ヴィクトワール山の側の田舎道を走りながら、この山が意外に細長い山波であるのに驚いたりした。今思い出しても楽しい旅行だったが、30年に一回きりであるのが寂しいかぎり。仕事の海外出張ではまず100%絵ができあがることがないのも、また少しさびしい。
2000年10月8日 (日) 犬の散歩で公園に行くとキンモクセイの香りが秋を感じさせる。普段は嗅覚が刺激を受けることはほとんどないので匂いを感じる機能がまだあることに気が付いてうれしい。嗅覚については香りの当てっこをする香道があるぐらいだから、その気で訓練をすればまだまだ発達する余地があるのだろう。嗅覚と同じように、人間の聴覚、視覚、触覚、味覚などの感覚は使わなければ退化するし、働かせ訓練すればどこまでも鋭くなる性質のものらしい。面 白いのは、あらゆる感覚を磨くためには、一度余計なものを全く無くすこと、無が基本ということ。大抵は余分なものが残っているので感覚が狂う。無というか、白紙の状態ができれば、人には元来何事も吸収する機能が備わっているように思える。(*音楽の絶対音感が幼児期の訓練で身に付き大人になってからの努力では如何ともできないのは、聴覚は身に付いてしまうと白紙の状態に戻らないからでしょうか・・。)
2000年10月9日 (月) 朝から雨。娘と赤ん坊もいなくなり、久しぶりに静かな休日となった。用事があって少し車で外出。道路が混雑すると思うと、ダイエーの優勝セールにスーパーの駐車場に入ろうとする車の行列だった。目黒のさんま祭りも小雨の中。こちらは、宮城の気仙沼からきた秋刀魚の行列。この時期、気温は確実に秋になる。自然の不思議を最も身近に感じるものの一つが季節の移り目だろう。運動会ができなかったところはかわいそうだが、雨の休日もたまにはいいものだ。
2000年10月10日 (火) ダーウィンの進化論は現在の科学では大きく修正されているようだ。進化論について語るほどに知識はないが、純粋な科学理論も思想も入り交じって、今でも進化論、反進化論の激しい議論がなされている。創造論だとか神まで出てくる反進化論に加担する気は毛頭ないが、ダーウィン進化論の思想が支配者、強者に都合良く利用された歴史は今でも尾を引いている。進化論での「適者生存」は弱肉強食を正当する。弱いものは生き残るのに適さないから滅んで当たり前という論理は権力にとってこの上なく便利なのだ。現代の能力主義とかリストラ、競争主義にも実はダーウィニズム的な怪しげな影がある。最近は生物も弱者を決して絶滅させない「棲み分け」理論が証明されつつあるというのに・・。
2000年10月11日 (水) 「絶対音感」という本が一昔前にベストセラーになったが、本屋で立ち読みした範囲では特別 の事は書いてない様に見えた。娘と息子は小さい頃から音楽に親しんだせいか「絶対音感」がついた。音楽の音程だけでなくどんな音でも-例えば鈴虫の声とか、救急自動車のサイレンとかも直ちに音符にすることができる。オーケストラなどで音合わせに使う「ラ」の音は普通 440Hzであるが、最近は華やかな音になるように少しピッチを上げて 443とか445Hzにするという。絶対音感では、この数Hzの差もはっきりとらえられるようだ。(Hz=ヘルツというのは、音の周波数=一秒間の振動数です)自分の方は、絶対音痴である。音痴は元来は音感がいいのに、幼児期にさんざん狂った音を聞いたのでこれが身に付いたのだと今は開き直っている。一般 の人が聴くことができる音の範囲(可聴範囲)は30--16000Hz程度といわれるが、以前、周波数変換器で聞こえる範囲を調べたら、確か30Hzまでは聞こえなかったように記憶している。ちなみに、犬は40000Hz、猫は100000Hz程度までの音を聞いている。人間が聴くことができない音があらゆるところで飛び交っている訳だ。支障のない範囲で聞こえないことも人にとっては幸いなのかもしれない。
2000年10月12日 (木) 昨日の続きで、今日も音の話題にしよう。音楽の音合わせの基本に440Hzの周波数である「ラ」の音を使うことは昨日も書いた。この440Hzというのは、赤ん坊が産まれたときに初めてだす声の周波数でもあるという話をきいた。産声のはじめの音程が音楽の基本の音程であるとは面 白い。440Hzの「ラ」の音から、1オクターブ下の「ラ」は220Hz、更に1オクターブ下は110Hz。この辺りまでは大人の男の声ならば比較的容易に音をとれる。もう1オクターブ下の55Hzの「ラ」はちょっときつい。上の方の「ラ」は、男なら880Hzがもう限度だ。女性なら、訓練すれば1760Hzの「ラ」までだせるのだろうか。産まれた時に発した声が上下に音域を広げると同時に、人も成長していく。
2000年10月13日 (金) ほんの三日前までは「白川英樹」さんの名前は一般 にはほとんど知られていなかった。ノーベル賞の対象となった業績は20年以上前のものであるから、受賞がなければ同じ仕事をしてきたけれど 知名度は比較にならず低いままであっただろう。逆に見ると、世の中には有名でなくても立派な業績を持っている人は山程いることになる。「ひまわり」など激しい独特なタッチの絵を数多く残した画家ゴッホは、今では誰でも知っているが生前には絵は一枚も売れなかった。ゴッホは37歳で自殺したが、非常に筆まめで弟テオに実に600通 以上(17年間に)もの手紙を送っている。ゴッホが世に出たのは、ゴッホの死後なんと20年以上を経過して、ゴッホの 弟テオの妻だった女性が(テオ自身はゴッホの死後半年でこれまた若くして亡くなっているが)この手紙を「ゴッホ書簡集」として発刊し、同時にゴッホの残した絵画の展覧会を開催したのが始まりといわれる。この女性が「前の夫の兄=ゴッホ」の手紙や絵画をゴミと思えば、ゴッホは現代に存在しなかった訳だ。我々の周りにも名前は知られていない白川さん、ゴッホさんがいるはずである。こういう人を発掘できればうれしい・・。
2000年10月14日 (土) 考えると不思議なことであるが、仕事上で知り合った人で仕事が全く関係が無くなっても付き合えるのは外国人である。あるスエーデンの友人はクリスマスカードのやり取りが一昨年からE-MAILとなったが、日本語のこのホームページも時々見てくれるらしい。「東京の空はきれいだった」(空の写 真シリーズなど)などとメールで云ってくれる。スエーデンというと国全体の人口がわずか900万人弱、首都のストックホルムの人口が70万人という国であるのに、世界的なテニスプレーヤーを数多く輩出するし、工業力も高い。その友人を通 して感じるのは、考え方が非常にコスモポリタンということだ。確かにスエーデンという故郷はあるが活動場所は全世界であり、国境や人種の違いなどというものをほとんど意識してないようにみえる。個人と個人の付き合いが当たり前でできる。反対に、一億人というスエーデンの10倍以上の人口をかかえる日本では、日本人同士の村社会を強く感じる。即ち、村の付き合いが最優先、個人の付き合いは希薄になってしまう。・・ということは、団体戦でなく個人戦のテニスが強くなるのには時間がかかるということだ。マラソンや柔道にみるように、コスモポリタンもやはり女性が先端をきるかも知れない・・。
2000年10月15日 (日) 今日の日曜日は所用で時間がとれなかったが、次の週末を目途にこのホームページの「ファッション」コーナーを削除する予定である。休日の朝、犬の散歩の途中で通 る代官山のショウウィンドウの洋服の移り変わりが面白くて「ファッション」として掲載してきた。マネキンの服装は、季節を見事に先取りして毎週あるいは隔週に確実に着替えをし、季節とマッチさせた色彩 を見てるだけでも楽しいものであった。削除するのは、その中の一つの「 ATSURO TAYAMA」ブランドの広報から、ブランド名を付けた紹介を許可なく掲載しては困ると抗議がきたからである。こちらとしては、善意で多少なりとも宣伝に寄与しながら非難される意図がはじめは理解できなかった。知り合いの法律家にきくと、ブランドとして万が一他の問題ある掲載者と法律的に争う事態が起きた場合、ブランド名を使用しているところは全て承諾を与えたもので例外はないことにするために警告したのだろうという解説であった。しかし、どうも法律家のリスク管理というのは、最悪の場合(例えば、温泉ATSURO TAYAMAなどが大宣伝したような場合か)を想定する余り、トラブルの発生する確率と善意の宣伝体を無くすデメリットのバランス計算はしないものとみえる。いずれにしても、柄にもなくファッションブランドなどを載せたのが間違い。こんなことがあって以来ファッションコーナーは改訂せず流行に遅れてしまった。
2000年10月16日 (月) 「今日の作品」に南仏・アヴィニヨンの民宿の絵を入れた。 この民宿はアヴィニヨンの街側からローヌ川を渡った中州にある。城壁に囲まれたアヴィニヨンの街もいいが、畑の中にある農家の民宿はホテルにはない家族的な雰囲気で 楽しかった。朝食の前に私が絵を描いている間に、妻と娘は近所の野原を散歩してきたようだ。農家の一角に誰も使っていないテニスコートもあった。一週間ぐらいこの民宿に泊まってテニスをするなんていうのが、一番の贅沢かなと思いつつわずか一泊で宿を後にしたことを思い出す。アヴィニヨンの城壁の中は14世紀にローマ教皇7人が70年近く滞在した場所として歴史を感じさせるものであった。 「アヴィニヨンの橋の上で」の歌で有名な橋(サン・ベネゼ橋)は川の中程で切断されており、先まで渡ることはできないこともこの時はじめて知ったものだ 。全て思い出の中だが、絵があるからこそ思い出すことができる。
2000年10月17日 (火) ホームページに「今日の作品」の絵を載せたりコラムを書いてみて、一番楽しいのは、昨日のように掲載した絵の話をコラムに書くことであるのに気が付く。そこでは天下国家(アー、古い言葉で嫌いだ!)を論じたり、肩肘を張ることがない。好きで、人類・世界を考察するのはそれなりに面 白いこともあるが、正攻法で議論できるスペースでもない。そうすると何も考えずに画面 の経緯を綴っているのが自然で楽しいのだ。毎日たっぷり時間がとれるようになれば、本当に毎日「今日の作品」を描き、これを掲載して解説のコラムを書くのはどうだろう・・と夢を膨らます。毎日5年間続けると・・なんだ、まだ1825枚か。こんな計算をすると世に画家と言われる人が何千枚と絵を残しているのはすごいものと改めて感心する。いや、量 ではない、質だ、質・・といってみたい。
2000年10月19日 (木) 「時間は悔恨に発し、空間は屈辱に発する」という言葉を見つけた。20年も前の文庫本「ものぐさ精神分析/時間と空間の起源」(岸田 秀)。人間は動物と違って欲望を抑圧することができる。あの時こうすればよかったという過去に対する悔恨から時間ができる。欲望の不満がないなら時間はできないという。空間については、子宮からでた幼児が思う通 りにならない外界を体験し、屈辱の容器として空間を発明するとしている。一秒の何分の一を問題にし、地球を周り、月にまで行くのは屈辱の克服にあると云われると、それは心理学の考えすぎでないのと言いたくなるが(これはフロイド心理学で、今はどういう学説なのかは知らぬ )、時間については、楽しいことをしているとき時間を意識しないことは実感として分かる。確かに、最近の小学生や、中学生が忙しい(時間がない)などというのは、余程の欲求不満がある証拠で、異常に思える。やはり、子供は時間を忘れて遊び、熱中するのが 正常だ。一方で、大人になれば、悔しさや、屈辱は人間に必要なバネとなることも十分理解できる。大いなる不満や屈辱からこそ大きな飛躍が産まれるという理論は人に希望を与えるものだ。
2000年10月20日 (金)  映画の話題としてはいささか時期がずれているが、タイタニック号のことを書いてみる。ご存知の「タイタニック号」は1912年、当時最新鋭の豪華客船として処女航海に出航後5日目の真夜中に氷山に衝突して沈没した。船に乗っていた合計2212名のうち、死者1502名が死亡した。この約46000トン(全長約270m、幅53m)の豪華客船には、処女航海時に乗客は、1320名(収容能力は2400名余)。それに対して乗務員が892名であったというのが興味深い。死者も半分近い、678名が乗組員だ。船はそれだけ多くの人を必要とした。当時の最新鋭の船も石炭炊きの蒸気エンジンであった。丁度蒸気機関車の釜炊きのように、蒸気を作るためのボイラーに絶えず石炭をくべなければ船は動かない。実に200人近い釜炊き人が船のボイラー室で煤にまみれて休みなくシャベルで石炭をくべていたのである。・・華やかな豪華船は表にはでない船倉で石炭を炊く人、その他多くの人によって動かされていたということを、「タイタニック物語」に付け加えたい。
2000年10月22日 (日)  昨日、パソコンのシステムが突如破損して、週末の土曜日から日曜日への24時間を、E-メールも、ホームページ改訂も、インターネットもなしの静かなる休日を過ごした。パソコンがなければ、また他のやるべきことが束になってでてくるものだが、パソコンを”なりわい”にしているなら、こんなのんきなことは云っていられないだろう。幸いにシステムは、息子が相当に無理をして夜中に家へ戻り、何とか修理ができた。重傷のシステム破損などの時、協力的な息子がいなければどうなるか、リスク管理を考えなければならない。
「今日の作品」に季節外れだが「ニース」の絵を入れた。この時は、海の間際のホテルに予約なしで、いきなり宿泊できるか聞いてみると気持ちよく泊めてくれたことを思い出す。絵の構図は単調だが、ホテルの部屋からは、このままのコートダジュール(紺碧の海岸)が真正面 に見えた。

2000年10月23日 (月) 昔から、大風と太陽とどちらが服を早く脱がせられるか喩え話が議論される。大風を吹かせてもかえってしっかりと服をおさえる旅人に対して、太陽は陽を照りつけるだけで簡単に服を脱がせて勝ち・・とか。これは普段は大風が強い事に対する温かさの効用をいうのであろう。我が家の犬達も、私が少々怒り付けても(本気で怒っていないと見透かされて)云うことをきかない時に、妻が優しく誉めてやると途端に云うとおりにするなんていうことがある。犬は命令に従順であるが誉められることも大好きだ。人の場合は誇り高く大風には反発するかと思うとそうでもない。案外に、大風のままに従う、命令される通 りにする人も多く、半数以上は「大風でなければならない」と決めつけるところがあるように感じる。私は太陽型を信条としたが、太陽は甘やかすことと短絡されることも多い。人の場合は、(子供の場合は例外として)自分の意思で脱ぐように持っていくべきではないだろうか。それが太陽だと思う。
2000年10月24日 (火) 昨日は、大風と太陽を書いたので、今日は性善説と性悪説にしよう。日本の図書館での話。本の盗難防止用に、本がゲートを通 過する時に信号をだす装置をはじめて備えたのはキリスト教系の大学だったそうだ。これが、さすが性悪説の宗教だと話題になったことがある。今は、キリスト教が人間を性悪だとするのでなく、自ら罪深い存在だと認識することから、罪を起こさせないという考えであるのかと理解する。リスク管理は日本人は下手だといわれるが、リスクは徹底的に性悪説でとらえなければならないだろう。個人の感情としては、性善説か性悪説かは理屈でなく人生の体験で双方に揺れ動く。人は本当に性悪だと思っていると思わぬ 親切で考えを変えたり、親しい人に裏切られた途端に性善説はひっくり返るとか・・。つまりは、本性はどうでもよい。現実として悪いことは嫌、善いことが欲しいだけなのだ。
2000年10月25日 (水) 自分で持っているものを案外知らないことがある。安野光雅の「イタリアの陽ざし」という本をかなり以前に自分で買ったことは覚えている。最近になって、この本に改めて目を通 すと絵もいいが、文章がこんなに面白いことをはじめて知らされた。購入した後、積んだままで読んでいなかったのでないか?・・安野光雅の(絵)本を意識して集めた時期がある。一般 的には、ABCや数字、数学を連想させる絵本作家として著名だが、「絵本 平家物語」など日本ものもなかなかよい。安野の絵本は、私にとって、くたびれた時にちょっと開いてみると元気がでるカンフル剤だ。その内に、こういうものを作ってみたい・・・。
2000年10月26日 (木) 鉄腕アトムでおなじみの手塚治虫が医者だったことはよく知られている。もし、手塚治虫が医業に専念していたらどれだけ多くの人が楽しい”夢”を見ることができなかったか計り知れないものがある。医者というと森鴎外もそうだ。いくら軍医で有能であったとしても小説を書かなかった森鴎外はほとんど興味をもたれないだろう。一方、詩人とか童話作家とされている宮沢賢治は37年間の生涯をおくったが、世俗的には落伍者に近いものであったといわれる。それが没後にどれだけの人に影響を与えたことか・・。宮沢賢治の作品を読むと、この人は機会が与えられれば、素晴らしい科学者の道を歩んだのでないかと思わされる。人の本当の適性はなかなか計り知れない。そして人は一度だけの一生を送る。可能性のある限り色々な方面 に挑戦することが人生を豊かにすると若者に云いたい・・実は自分に言い聞かせているのかな・・。
2000年10月27日 (金) 昨日はこのコラムを書いた後、床に付いた。ところが不思議なことに、夜中にふとコラムに「手塚治」と書いた間違いに気が付いた。「虫」がついた「手塚治虫」でなければ大漫画家にならない。不思議なのは昨夜この名前を書いた時点では、ワープロの変換のまま記載したまでで、正しいとか間違いとかは一切意識したことがないのである。一生懸命に考えたり、思いだそうとしたことを睡眠中に突如ひらめくということは、それなりに理解はできる。意識の底に漂うものが時間と共に醸成されるのは面 白くもある。けれども何も意識しない(少なくとも悩みもしない)誤りを、睡眠後数時間を経て、これほど明瞭に気が付いたのは、はじめてだった。こんなことで今朝は早起きをして6時には「虫」を付け終えた。これからは面 倒なことは一晩おいて結論を出す ことにしようか。
2000年10月29日 (日) 少し前のNHKのTVで津田梅子とヘレンケラーやナイチンゲールの交流が紹介されていた。津田梅子は1864年江戸末期の生まれで1871年(明治4)、明治がはじまったばかりに、何と7歳で5人の女子留学生の一人として米国に留学している。岩倉具視の一行と米国に出発したというが、考えてみると明治になったばかりのこの時代に明治政府は実に大胆な人材開発をやったものだ。梅子は11年間の留学生活を経て、苦労しながらも1929年に65歳で亡くなるまで女子教育の先駆者としての役割を見事に果 たした。一方、ヘレンケラー(1880ー1968)は梅子より16歳年下であった。目が見えず、耳も聞こえず、話も出来ないという三重苦を乗り越えてハーバードの学生となっていたヘレンケラーと会った梅子は人間の偉大さに大きな衝撃を受けたと云われる。こんな話を思い出したのは、「五体不満足」の乙武洋匡君の本を読んだからだ。両手、両足のないというハンデを負ってさえこれだけのことができる。五体満足な人がゴタゴタ不平をいうのは恥ずかしい。
2000年10月30日 (月) アンドリュー・ワイエスは、具象画の極致というか猛烈な細密描写 を特徴とする米国人画家である。それが、現代アートの本場、抽象画のメッカ のアメリカで、代表的な画家として扱われる。ワイエスは、ペンシルバニアの田舎の農場に引きこもって暮らし、いわば時代の最先端とは無縁の作風を保った。(ワイエスの作品についてはただの細密画でなく、思想性のある本物であると思うし、アメリカ画壇も抽象画から保守的な具象画群まで幅は広い。また、ワイエスが田舎に生活しながら、世界中の作品情報に詳しかったとい話を読んだことがある。だから、単純に引きこもっていた訳ではない・・。)ピアニストのグレン・グールド(1932ー1982)の場合も同じ様な傾向をみる。このカナダ・トロント生まれの鬼才は、ワシントン、ニューヨークで世界的な評価を得たが32歳以後、トロントに引きこもり、レコーデイングで衝撃的な演奏を提供し続けた。(例えば、バッハを従来誰も試みなかったスピードと乾きと閃きのスタイルで演奏したとか・・)これらは何でも最先端グループにいることだけがベストではないことを教えてくれる。個性はむしろグループの外で発揮される。

2000年10月31日 (火) 「トマソン」という言葉がある。「トマソン」というのは、元来は、ジャイアンツに在籍した元大リーガー選手の 名前で、人間扇風機と揶揄されるほどビュンビュンとバットを振り回して三振を重ねたので「役に立たぬ もの」の代名詞となった。これがトマソンの人徳か、ただ役に立たないのでなく、「美しく保存されている無用の長物」という意味に進化した。普通 は、「路上観察学」などといって、路上や建物に「無用の美」を見つけるのが”トマソン”となる。階段を撤去した後に残された無用の扉などを「発見」して喜ぶ訳である。普通 は誰も気が付かない、あるいは全く無視されているものの中に、何か”美”を感じて、意識する。これは確かにただの動物ではできない、人間しかできない特技であろう。トマソンに限らず、一見、無用に見えるものに何かの意味を認めることは、価値を多様に考えることで実は非常に高度な感覚を必要とする。そして無用な存在とは認識された時点で無用ではない意味を持つことになる。


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