これまでの「今日のコラム」(2001年 2月分)

2月1日(木) AYN 最近、携帯電話のメッセイジでは随分略号が使用されるらしい。けれども、こんなことは全然、珍しいことではない。大昔から皆やっている。BTW FAQはFrequently Asked Questionですよね。こんな調子で昔の「お便り」には略号は必需品でした。BFN! FYI=For Your Information(ご参考までに):AYN=As You Know(ご存知のように)、BTW=By The Way(ところで)、BFN=By For Now(またね) 
2月2日(金) 自然の造形物に改めて感嘆することが多くなった。三日月の冴えた形状、その側で輝く星、果 ては、木の葉一枚一枚の個性と完成された形や機能。どれをとっても、我々が必死に考え、月日をかけてつくった人工物は、未熟で及びもつかない。以前、箱根の「彫刻の森・美術館」にいった時のこと。自然を背景にして屋外に色々な彫刻が展示されていた。個々の彫刻はなかなかいいものもあるが、離れた位 置で大自然と比べてみると、芸術作品といいながら何とも貧相でチッポケに見えたものだ。犬のロボットが人気を呼んでいるけれども、アイボは所詮人間がつくるオモチャ。本物の犬、これは正に神の造形物だ・・。
2月3日(土) 今日の作品に空と海に魚と鳥が泳ぐ絵を描いたがタイムアップ。・・海を泳ぐ魚は海が全世界だ。空を飛ぶ鳥は海の中のことは知らない。もしもお互いに他の世界を体験したならば、どんな自分が見えるだろう。体型を変えて生き続けるか、死んでしまうか。人間社会も小さな世界しか知らないことが多い。勤め人の世界のほか、政治家、学者、医者、農業、芸能、それに庶民の世界などなど。自分以外の世界はみえないけれども、もしかすると他の世界の方がもっとうまく適合し泳ぎやすいかも知れない。
2月4日(日) 家庭でのブイヤベースをご馳走になった。ブイヤベースなど以前は知らなかった。解説書によると「旬の魚や貝を手を加えずにそのままの形で、トマトとサフランで煮込む。魚の種類は少なくとも4種類以上。 ニンニク、タマネギをオリーブオイルで炒めトマトと小魚のだしで煮込むのが基本。だし汁スープに魚貝、ジャガイモなどを入れ、塩、コショウ、サフランで味付けする。食べる時は魚とスープは別 々の皿に盛り付ける。もとは漁師の安い料理だったが、いまはサフランが高いので高級料理となった」とある。(「南フランスへの旅」より)Bouillabaiseは全ての材料を鍋に入れて一度沸騰(フランス語ヴィー)したら火を弱め(フランス語ベース)ゆっくり煮込むのが語源だという。そういえば、マルセーユで食べたブイヤベースが美味しかった!!
2月5日(月) 昨日、一昨日のコラムは遅い時間に眠い目をこすりながら書いた。今日は月曜日独特の疲労感の中にある。「今日の作品」のコンピュータ画も、作者としてはもう少し手を入れたいところもあるが掲載した。後になってみると、昔の焼き物の職人なら「気にいらん・・」と割ってしまうような文章や画像がいくらでも残るが、それでもいいと思っている。私はテニスならば、安全一本槍でつなぐよりも、たとえアウトボールになろうとも、思い切りぶったたくプレーが 好きだ。不完全な美を自分勝手に信じている。
2月6日(火) 「青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ 、見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」・・今日の作品「海と空」のための詩になりそうであるが、これは、金子みすずの詩作(1920年代、大正の終わり頃)である。金子みすずについては、以前このコラムで触れたことがある。26歳の若さでこの世を去ったという彼女の童謡は、すべてにやさしい感性にあふれていて気持ちが洗われる。一方で、金子みすずの死後、50年を経て彼女の童謡を執念で発掘し世に知らしめた矢崎節夫さんにこそ本当に感謝すべきかもしれない。発掘した人、された人、世の中にはすごい人がいるものである。
2月7日(水) 昨日のコラムで金子みすずを発掘した人に敬意を表したが、歴史上の人物も弟子や世に紹介した人の力を思うことが多い。イエスの12使徒やパウロなど教えを伝えた人々がいなければ、キリスト教も広く布教されることはなかった。ゴッホの死後20年以上経ってゴッホ書簡集がベルナールにより出版されなかったら、そして、引き続いてゴッホの弟テオの妻によって「ファン・ゴッホ書簡全集」(650通 の手紙!)が発刊されなかったら、ゴッホの絵画もこれほど注目されなかったかも知れない。いずれも本人は何一つ知らずにあの世へ逝っている。
今日は、1993年に描いたパステル画を「今日の作品」に入れた。翌日には萎えて駄 目になるという花を一生懸命描いたことを思い出す。絵だけ残っているのは確かである。

2月8日(木) 古代エジプトの絵文字(象形文字)のことをヒエログリフ(Hieroglyphics)という。どういう訳か(というのは、誇張でなく、私も妻も知らぬ 、そうすると娘か、息子の所有物か)本棚に「ヒエログリフ入門」の本を見つけた。これを見るとなかなか面 白い。ツタンカーメンの壁画の文字からパピレスに記載された文字まで何でも解読されていることは分かるが、その文字を使って自分で日記を書けるとは思いもよらなかった。まず、絵文字の人物や動物の頭が向いている方が文頭だと教えられるだけで文章の方向が分かり、内容や流れが何やら想像できる。クレオパトラなんていう文字を初めて解読した人はさぞ興奮しただろう。エジプト絵文字を見ていると、これはグラフィックとしても美的に優れていると感心する。
2月9日(金) 不思議なことに時間がたっぷりある時に、このコラムが書き進むかというとそうではない。時間がないときに限って早く、かつ内容もマシなものが出来ることも多い。何事にしても、暇になったら、時間ができたら・・というのはその場の言い訳に過ぎないようだ。今日は時間があると思ってあれこれ手をだすとコラムを書くエネルギがなくなってしまった。・・このように、人間のエネルギに限界を定めるのもまた言い訳である。
2月10日(土) 東京は久しぶりの快晴で暖かい。犬達を連れて西郷山公園にいくと紅梅・白梅がほころびはじめていた
連休でもあり書棚の本を見直し、処分できるものを選んで捨てることにした。5年ー10年全く見ていなくても懐かしいもの、また読んでみたいもの色々あるが、まず一番に処分できるのは、分厚い表紙で場所ばかりとっている”ビジネス書”だ。いわく「経営革命」「管理者革命」「企業成長の哲学」などなど。大体、ビジネスというのは、本を読んで儲けることができれば苦労しない。金持ち父さんになるのはこうするのですよといって儲けるのは本を書いた著者である。ビジネスの極意はビジネス書など読んで人真似をしないことであるなんて書いてある本はないだろうか!?本棚はかなり整理ができてきた・・。

2月11日(日) TVの「知ってるつもり」という番組で、”村山 聖(さとし)”を取りあげている。平成10年に、29歳という若さで亡くなったこの天才棋士のことは息子の買った本で読んだことがあるが、一方の大天才、羽生善治と張り合ってA級8段となり、名人を目指しながら、病魔の前に倒れた生涯は感動的だ。ハンデイや不幸な運命を前向きにとらえると、全て恵まれた人以上に凝縮した人生をおくることができる。・・そんなことを考えさせられた。それにしても、将棋界は、羽生善治、佐藤康光、そして村山 聖といった滅多に出ない天才達が何故に同時期にあらわれるのだろう・・。
2月12日(月) 良き批評家は人を育てる? 育てられるか否かは別 にして、私にとって、妻は最高の批評家にして理解者である。この連休に久しぶりにF10サイズの油絵を描いた。今日ほぼ完成して妻にみせると、「上手く描こうとして平面 的ね」「もっと好きなように描いたほうがいいわ」ときた。あらためて絵を見直すとなるほどと納得するところがある。一言云われると自分でも気がつくのだが、適当に妥協しているところは直ぐ見破られる。他人を意識せずに自分の好きなようにやること、好きなことを見極めてそれに集中することが一番難しい。
2月13日(火) パソコンをやれば、絵ははかどらず、絵にはげめば、ホームページも改訂できない・・と自由時間の配分はいつも楽しい悩みの種となる。それにしても、パソコンのソフトはしばらく馴染んでいないと直ぐに忘れてしまう。さすがに「フォトショップ」は身に付いた感じがするが、「フラッシュ」や「ファイヤーワークス」など、動画のソフトは自分が作った作品のやり方が分からなくなる。この連休で復習しまた少しは進歩したか・・。現代音楽の新譜を借りることができたのに、まだ音を出して紹介出来ないのも心残り。次のステップは動画と現代音楽。アイデイアはあるが、ページに掲載できるのはまだ先になりそうだ。
2月14日(水) 夜、9時過ぎに犬達の散歩にでると粉雪が舞っていた・・。
このところ、航空機のニヤミス、潜水艦の衝突と事故がらみのニュースが続く。マスコミは例によってヒステリックに責任追及をするが、喉元過ぎれば何もかも忘れ去ってしまうことが多い。米国の航空機業界ではASRS=Aviation Safety Reporting System(航空機安全報告システム)といって、問題を起こした場合、10日以内にそれを報告すれば免責されるシステムがある。ヒューマンエラーによる事故の真の原因を明確にするために考え出されたシステムだ。ニヤミスなどの原因を免責を条件に正直に届けさせる。そうすると何と月に数千件のなんらかのミスが報告されるという。これがデータベース化されてどうしたらミスを防げるか検討し対策が実施される。事故は責任追及よりも再発防止が最重要だ。
2月15日(木) 代官山・ヒルサイドテラスというと建築家の牧文彦氏の設計によるシンプルで美しい低層の建築群で知られる。前にも書いたことがあるが、このヒルサイドテラスの一角に猿楽塚という小さな古墳があり昨年末からここが猿楽神社になった。今年になってほとんど毎日欠かさずにこの神社に参拝している。夜、犬達の散歩のついでに寄って参拝するだけだが、「何を願をかけているのか」と聞かれた。あらためて考えてみると、願をかけて祈るというより、何か”気”をもらってくるという感じで続いている。昼間のドロドロした時間と別 次元の数秒間を祠(ほこら)の前で過ごすことにより、気分一新、元気がでる。今日も、先ほど犬達の散歩から帰ったところ。元気になるのは犬達も一緒らしい。
2月16日(金) 年寄りが権力をもつと自分のことが見えなくなることが多い。これが老害を引き起こす。若い人の場合にこうした話を余りきかないのは、周りにアドバイザーがたくさんいるのでないかと思う。忠告者あるいは駁賓(ばくひん)がいなければ人は駄 目になるらしい。駁賓という難しい言葉は最近覚えた。駁(ばく)は反駁の「ばく」で、ひとの意見を否認すること、賓(ひん)は賓客の「ひん」で、お客さんのこと。つまり、自分と違う意見をいってくれる人をいう。周りがみんな自分のいうとおりになり、反論もしなくなったら、まず老害のはじまりだと思う。世の中、裸の王様は結構多いものだ。
2月17日(土) 知人が入居したというので、デザイナーズマンション(集合住宅)を見せてもらった。これを設計した建築家がデザインする建物は、出来る前から入居希望者が待ちかまえているという。他人と同じでなく、個性的にかつ快適に生活するために住居を選択する層が確かに増えているようだ。建築で興味深いのは、デザイナーの名前が残る建築の方が間違いなく価値があると思えること。いくら何百億円をかける大建築であってもジョイントベンチャーだとかゼネコンが標準丸ビル型というべき(いかにも設計経費削減できただろうと思わせる)建築の何と面 白くないことか。不思議に丹下健三や安藤忠雄と建築家の名前がつくのがよい。建築のデザイナー以外にも、スプーンやフォーク、椅子などのデザイナーとして知られる柳宗理が、「東名高速の防音壁」や「歩道橋」「地下鉄の駅のベンチ」などにもすばらしいデザインをしていることを知った。飛行機や列車、高速船などのデザイナーの名前が知られるようになると、○○さん設計の物を選んで乗るといった面 白いことになるだろう・・・。
2月18日(日) デキのいい犬、わるい犬」という本がある。(文春文庫、カナダ人スタンレー・コレン著の翻訳本)サブタイトルに「あなたの犬の偏差値は?」とあるが、原本は、"The Inteligence of Dogs" だけ。犬族にとっては大きなお世話。デキの悪い犬などいるはずがないが、知能についての人間の勝手な解釈が分かり面 白い。ちなみに、「服従・作業知能における犬の順位」でウェリッシュ・コーギー・ペンブロークは、11位 にある。(79犬種中)順位付けがナンセンスであることは云うまでもないが、人間に服従することが知能評価の基準になっている。そういえば、おとなしく人のいうことに従うことを、「デキのいい人間」とする評価基準が人間族の一部にもあるか・・。犬の善し悪しは躾ける方の人間の善し悪し以上にはない。
2月19日(月) フランスの画家「バルデユス」が亡くなったという記事を目にした。あと10日で93歳になるところだった。この画家の死去にあたって、シラク大統領が「あらゆる平凡性を嫌悪した20世紀で最も抜きんでた芸術家」と功績を称えたという。時節柄、フランスの大統領と比較して、日本の首相は自国の一老画家の死に対して、なんとコメントするだろうと考える。バルデユスは後年日本人の夫人と再婚し、東洋的な神秘性を交えた画風を確立した。「彼の作品は沈黙の秘法の中の動詞である」(ルネ・シャール)などと首相が賞賛の言葉を述べることができるなら支持率は急上昇するのでないか・・・?
2月20日(火) 風邪気味でもあるが、コラムを書こうにもやる気がでない。e-mailで毎日送ってくる今日の山羊座の運勢をみると、仕事運、健康運、金運共によくないのでこのせいにしよう。けれども大体この運勢はいつもでたらめだ。朝の6時半頃にテレビ朝日で放映される山羊座の運勢と真反対のことも多い。今朝TVでの運勢はよかったのだ。今日、2月20日は長島茂雄の誕生日である。同じく、この日の誕生日といえば、長島以外に、石川啄木、黛敏郎、アントニオ猪木まで名を連ねている。毎日の誕生日の人名をみていると今日のような”当たり日”と殆ど有名人のいない日があって面 白い。
2月21日(水) 「かきつばた」というのは何となく語感がよい。いずれがアヤメかかきつばたか自分は区別 が つけられない。語感につられて、能「かきつばた」をよんだ。(少年少女古典という本)登場人物はかきつばたの花の精と旅の僧侶の二人だけ。在原業平の歌「唐衣 着つつなれにし 妻しあれば はるばるきぬ る 旅をしぞおもう」(各句の頭に、カキツバタを詠みこんでいる)をメインにして、花の精と僧侶の幻想的なストーリーが展開される。業平は菩薩の化身で、その歌は草木や女性などすべてのものを救うありがたい妙文だと教えて消えるカキツバタの精。こうした独自の演劇というか古典ミュージカルを持っていることは真に誇らしい。
2月22日(木) まもなく花粉症がはじまる。花粉症とかアレルギー体質の人は、ある意味では人間としての感度がよく、センサーが優れているものと思える。人の持つセンサーのバラツキは大きい。心の中を読むことのできる能力、美しさをとらえたり、先のことを感知したり、危険を予知する能力など、できない人には不思議に思えることも当人は当たり前であったりする。子供のころに、感度について以下のように説明を聞いて、すっかり納得したことを今になっても思い出す:「感受性がいいことは優れた受信機を持っていることになるから大歓迎。ただし、いい受信機は高性能のフィルターを備えなければならない。余分な周波数をきちんとカットして必要なものだけを取り出すことが重要だ。」 我々の神経は周囲からものすごい量の情報を取り込んでいる。取り込んだ後は、たっぷりとフィルターをかけて、捨てたり、忘れたり、感度を鈍くしたりして自分で本当に必要なものだけを取出すことがポイントになる。・・・花粉症のフィルターは何だろう。・・といいだすと、入る前のマスクという原始的なフィルターだったりして・・。
2月23日(金)  週末の帰路、東京駅の近くにあるブリジストン美術館に寄った。この美術館は夜8時まで開いており、夜は入場料が夜間割引で200円安くなる。ルノアール展は夜でも混み合っていた。ルノアールの絵は、美を堪能し、規範や流行に捕らわれずに美を追い求めたといわれるままに、よき時代のみを感じさせられて、素直にホッとする。私は評論家でないから、生の絵画からエネルギーをもらえば、それでいいのだが、時代の解説が入ると雑念がおきる。ルノアールは、私が生まれた丁度100年前の1841年2月25日生まれ。セザンヌが1939年1月19日生まれだからセザンヌの2年後の生まれだ。(セザンヌは、自分と同じ誕生日なので知っているだけ)あれだけ女性を描きながら、「私は字の読み方も知らないような女が一番好きだ」などと云ったとされるのは、時代のせいだろうとか・・。やはり、解説は忘れて、本物の絵のイメージだけを再度思い出して楽しみたい。
2月24日(土) 今日の午後、100人程度収容の小ホールでのヴァイオリンのコンサートにいき、後で演奏者とのレセプションにも出席するという贅沢を味わった。奥村智洋、ゲストが千葉純子、ピアノは林絵里という中堅実力派の組合せ。二つのヴァイオリンとピアノのためのナヴァーラ(サラサーテ)なんていう曲は掛け合い芸の極致であった。狭いホールでのサロンコンサートというのは、身内同志で音楽を、文字通 り、楽しむために集まっているという雰囲気で気持ちがいい。後のレセプションで主催者側からも話があったが、こうした才能のある音楽家が日本では経済的に必ずしも恵まれないようだ。この国の文化成長率は確実に向上しているのに、為政者の文化認識度はなかなか進歩しない。そういえば、一昔前には、首相の羽田さんがオーケストラを指揮してみせたこともあったけれど・・。文化への投資は、経済成長率とは別 の指標が必要と思われる。
2月25日(日) 今朝、7時過ぎに犬達の散歩で西郷山公園へいった。公園からは、美しい富士山を見ることができ、また、梅は満開。デジカメで梅の写 真を撮っていると、隣の枝に2羽の鶯が飛んできた。チャンスと思って、鶯に焦点を合わせようとしたが、直ぐに飛び去ってしまった。「今日の作品」には鶯を撮り損なったので、ただの梅の写 真をベースに、コンピューターで加工したものを掲載した。こうした写真の加工は、人により好き嫌いがあり、難しいところ。自然の画像が一番という人もいるし、確かに下手に手を加えて何がいいのということもある。ただ、自分としては、梅の写 真はいくらでもあるが、加工したこの画像と同じものは世界に二つはないことが好きなのだ。オリジナルの楽しみ方はこんなものではないか・・。
2月26日(月) 宮仕えも後一月。送別 会の日が決まったり、退職説明会やら手続きの書類の山を前にして少しずつ実感が湧いてくる。以前、退職までのカウントダウンというのを、HPに掲載しようかと冗談で話したら、わが娘に諭されたことがある。世の中には、突然、解雇されたり、職を失う人がたくさんいるという時勢に、先のことをカウントするなんて不遜だというわけである。以来、昼間の職業に関連したことは一切このページには掲載しないことにした。ここにきて、やはり、一つの人生のターニングポイントを見つめてみるのもいいかと思ってこの話題を取りあげた。先ほど、勤めの帰りに、はじめて1ヶ月の定期に更新したとき、駅員から”1ヶ月ですね”と確認をされたものだ・・・。
2月27日(火) 私達は肉を好き放題に食べていいのだろうか。食肉流通 の本を読んでいると、こんな疑問がおきるし、人間の猛烈な肉食には罪悪感さえ覚える。日本という地球の大きさから見ると小さなこの国の中で、年間に”食べる”量 は、鶏さんを1億数千万羽、豚さんを数百万頭、牛さんを3-4百万頭(もっとか?)。今現在の正確な数値は定かでないが、毎日、食用に殺している動物の数というのは凄まじい。我々は、その上に生きている。最近は余り流行らなくなったが、動物性蛋白の合成プラントか何かを作って、人工食品で”我慢する”思想を普及させるべきかもしてない。今夜の、ハンバーグは美味しかったけれども・・・。

2月28日(水) 本当に、人生万事、塞翁が馬ですよ(これはUさんへの独り言)。不運だと思ったことが逆に発展の原動力となり、結果 的に幸運に結びつくことはよくあることです。何か問題に対して、悲観的にとらえれば沈むばかりで出口がなくなりますが、前向きに挑戦するチャンスととらえれば、後は突き進むだけ。運というのも所詮考え方ひとつだと思います。私が偉そうなことは云えませんが、少なくとも、どんな分野でも何かなしとげた人は、間違いなく「試練」を乗り越えているように思います、私はそういう人を尊敬します。チャンス、チャンス、チャンス・・。挑戦する人に神のご加護を!

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