これまでの「今日のコラム」(2001年 4月分)

4月1日(日) 夜、義兄の家を訪問し愉快で刺激的な一時を過ごした。義兄といっても年齢は70歳過ぎ、元はエンジニアとか社長業を経験しているが、今は音楽を楽しんでいる。エンジニアの側面 は、自分でコーン部の曲線を設計したスピーカー(間口が2m角の巨大なものを二つ)を自宅の天井に埋め込んで原音と区別 できない程のオーデイオセットを作り上げていることにみられる。音楽は若い頃から楽譜の初見(初めて見た複雑な楽譜を即座に弾きこなすこと)は専門家以上。これまでの生涯で8台ピアノを変えたということでピアノへの執着の一部がうかがえる。最近のピアノはミュンヘンまで自分で出かけていってスタインウェイを選んで購入してきたという。今もピアノとパイプオルガンを習う一方で、カルテットではチェロを弾いて楽しんでいる。時々、こういう人の話を聞くと元気なエネルギーが伝搬し充電された気分になるものだ。
4月2日(月) 四角い厚紙の周辺をフレーム状に残してくりぬいたものを作り、見慣れた風景や草木に対して、このフレームを付けて見ると、これまでと全く違う世界を見ているように新鮮に思えることがある。丁度、写 真のファインダーを覗いているのと同じで、フレームの中以外のものを見ずに、対象物だけを観察するやり方である。人間の目は余りに広く何でも見えてしまうので、”枠”を付けて一つのものを 見ることにより全体を見ていると気がつかない細かな息づかいといったものをとらえることができるのだろう。「個人」の枠でそれぞれの人に焦点を当てると、世の中の動きとは別 に個人の生々しい歴史が綴られるのはこれと似ている。一人一人がドラマをもっているし、また一幅の絵となることは確かである。
4月3日(火) 「日本は 這入口から 桜かな」(一茶) 早朝、犬の散歩で寄った公園では、満開の桜の下でおじさん、おばさんがラジオ体操をしていた。やはり散歩にきた西欧人が上着を樹にかけたと思ったら、見よう見まねで一緒に体操をはじめたものだ。一茶の時代に「ニッポン」という言葉がどういうニュアンスであったのか知りたいところだが詮索することもないかと思い直す。インターネットの時代に、ニッポン以外でも通 用するHPを作りたいが、これはなかなか思うに任せない。まずは少しは外国の知識も増やそうと「イタリア」の本を読み始めた。フィレンツエでもヴェネチアでも都市というよりドラマの舞台として親しみがわいてくる。
4月4日(水) 何事も思い通 りにいかないことが常というが、人間が考える何倍も「神の意志」で物事が進むといったことを感じることがある。恐らく、人が思い通 りの人生でしたなどと云うならば案外に面白くない一生なのかもしれない。思いの外のところにすばらしい生き甲斐が潜んでいたりする。・・・「けやきの絵」の構想からは今日ホームページを改訂するなど考えてもいなかったが、勢いで改訂してしまった。不本意なところもあるが、それれでいいではないかと開き直っている。毎日何か結果 が見えればいいことにする・・。
4月5日(木) 「鶯や ちょっと来るにも 親子連れ」(一茶) 早朝、犬達の散歩の途中で鶯の声を聞いた。梅の時期に鶯の親子を見かけたが、桜の時期にも鶯はやってくる・・。さて、新聞に「パソコンは欠陥商品でないか」という記事があった。何も悪いことをしないのに突然動かなくなる。慣れ親しんだワープロ専用機の代わりとして、いまや「何でもできる」パソコンで、恐る恐るほんの一部の機能を使うことが当たり前になったという嘆きであった。確かに、ワープロ機能だけでもいいから、フリーズしません、初めての人でも使えます・・という方がどんなに有り難いことか。何でもありますのデパート方式が、専門店に取って代わられることもあることを心しなければならない。
4月6日(金) この一週間、毎日これまでの勤務時代より早く起床し、就寝するまでの間、密度の濃い”仕事”に終始した。仕事とは本やフロッピーの山を処分することも含めての話だが、何をやるにしても自分でも驚くほどに集中していることが分かる。5分でも、10分でも、余分に時間が欲しいという気分である。けれども、このような心理状態は必ずしも誉められたことではない。何となく緊張から無理をしているところを感じる。もっと余裕を持って気楽にやったほうがいいよ・・といって自分に言い聞かせて週末を迎える。
4月7日(土) 「イチローが延長10回、決勝2ラン」の記事が新聞の一面 を飾る。この日のイチローは6打数、4安打、2打点。最近は政治でも経済でもその他何も明るいニュースがないところに、これはスポーツ紙でない一般 新聞のトップとなる価値が十分にある。このところ日本のプロ野球TVを見なくなってしまった私も、大リーグのイチロー試合には目が離せなくなった。野球を見て、今日のように気分爽快になったのは久しぶりだ。世の中少し明るくなってきたような気がする。
4月8日(日) 今でも覚えている「1月の19日の夜」にメールでオーダーしたMacのノートパソコンpowerbookG4が、昨日ようやく届いた。3月のはじめに受領したものがバッテリ不良、修理したものも不調で新品を再手配したもの。3度目の正直で、物が着いても中身が信用できず素直には喜べなかったが、今日になってバッテリの充電を確認し、ソフトも取り込み、初めて自分のものになった実感が湧いてきた。ここにきて,i-Macでのホームページの改訂は最終回となる。(i-Macは別 の修理に出す)いささかの感慨を込めて、明日からはpowerbookに活躍してもらおう・・。
4月9日(月) わずか一週間前、いや、2−3日前でさえ、何をしたか思い出せないことがある。そのためでもないが、システム手帳に予定を記載するだけでなく、何をやったか記録する習慣を続けてきた。昨年までは、BINDEXという日本のスケジュール用紙を使っていたが、2001年からfilofax(英国製か)にした。4月になって 予定表というより、日記帳としてこの手帳を愛用している。この英国製の用紙で面白いのは、土曜、日曜日のスペースが月曜から金曜日までのスペースの半分しかないことである。「仕事のスケジュール」はウィークデイに必要であり、土日は原則として予定は不要という姿勢がみえる。日本の予定表はこういうことはあり得ない。けれども、英国式は、日記帳としては土曜、日曜のスペースがいかにも少なすぎる・・。
4月10日(火) あなたの持っている「資格」は何ですかといわれれば、案外に公認資格は少ないことに気がつく。ほとんど価値のない「自動車免許」とか、使い道の限られる「高圧ガス取締法」の資格など持っていても意味のないものばかりだ。もちろん、パソコンに関連した、画像処理とかエクセル、ホームページ作成などは資格にならない。家庭の主婦がすばらしい料理のエキスパートだとして、料理認定1級などの資格がないように、できることと資格は別 物である。「資格」というのは、いわば成熟した 技能の証明にすぎないもので、それをはじめに工夫し、作りだすことに心血を注いだ人たちが資格を持っていたわけではない。資格を問わぬ ところに、創造と発展をみるという意味からは、政治家とか経営者、芸術家には、もっともっと独創のチャンスが与えられているはずだ・・。
4月11日(水) 桜が散り始めたと思ったら、ツツジの派手な色が目立ち始めた。欅(けやき)の黄緑色が日に日に樹木全体に広がっていく様をみているだけで、うきうきした気分になる。コンピュータソフトのトラブルは考えても解決するものではなく、春まだ遠い感じであったのが強力なサポートを得て、着実に片づいてきた。これはツツジの季節も近いかも知れない。「今日の作品」はこんな欅の原板にコンピュータで緑を追加してみた。
4月12日(木) まだ書棚の古い本を処分するため選別を続けている。勤め時代のノートなどは三十冊以上あったが、これは即日に廃棄した。けれども、古い本は、懐かしくて思わずページをめくってみたり、捨てるか、保存するか迷うことが多い。「夢うつつの図鑑」(吉田直哉著)も、そんな本の一つだ。著者も懐かしいが、目次の内容を見ると、捨てられなくなった。「人にツク変な虫の話」、「話すのに勇気がいる話」、「死ぬ かと思った話」、「かなり劇的だと思う話」、「息をのんで凝視した話」・・等々。ホームページ界の超人気サイトである「やぎの目」さんのテーマに「死ぬ かと思った」があるが、タイトルの付け方は、ジャーナリステイックで、これはインターネット時代にも大いに刺激を受ける言葉が並んでいる。むかし出会ったことがらを鮮明に覚えていてそれを書くけれども、それがホントの現実だったのか、夢のヒトコマだったのか分からなくなるという「夢うつつ」も同感できる。この本はいましばらく手元に置いておこう。
4月13日(金) 明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ伝6章ー34)  私はキリスト者でも何でもないが、聖書を拾い読みするだけで教えられるところも多い。聖書のいたるところの喩えが非常に的確で面 白いが、このマタイ6章は特に好きなところだ。「空の鳥をよくみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、天の父は鳥を養ってくださる。」「・・野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、・・栄華を極めたソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾ってはいなかった。」・・・現実の生活は別 に思い悩んでいる訳ではない。毎日確実に成果があり、進歩していることはうれしい。今の悩みといえば、時間の経過が早すぎるということだ。これも残り時間を気にせずに今日だけを考えるように自分に言い聞かせている。
4月14日(土) MP3(MPEG Audio Layer3)で音楽を聴いた。CD並の音を1/10のサイズに圧縮したデジタル音楽だというが、プレーヤー本体がワイシャツのポケットに軽く入ってしまう。イヤホーンで聴く音質もすばらしい。音を聴く媒体もどこまで進化するか予測がつかない。我が家の歴史で見ても、プレーヤー自身が無くなって録音媒体そのものを廃棄したものは、SPレコード、オープンリールのテープ。まだ、プレーヤーがかろうじて残っているものは、LPレコード、カセットテープ、DAT、MDというところ。いま全盛なのはCDだが、これも何年もつものか。今日も、何か悪いことをしているような罪悪感を覚えながら、カセットテープを40−50本捨てた。真に意味のある”音”はどうして保存すべきなのだろうか。
4月15日(日) 日曜日というのが本当にありがたい存在であることを今になって改めて実感している。7日に一回の休息日を定めた知恵に感心する。きょうの休息の成果 は、故障していたプリンタを自分でも思わぬほど見事に修理できたこと、壊したガラス扉の代用品をダンボールで作り直したところ、これも自分で名品と思うような出来栄えとなったことなどなど。非日常といえるようなことを日曜日にやると次の一週間の新しいアイデイアが浮かぶ。今日は、復活祭(イースター)。イースターの恩恵かどうか分からないが、気持ちは正に復活したーという日曜日であった。
4月16日(月) 一日中、机に向かって過ごす職業の人は、歩くチャンスの多い人と比べると、運動不足になったり、背骨が曲がってしまったりする危険性が大きい。作家とか、プログラマーとかは、仕事のやり方をどのように工夫をしているのだろうか。自分がそのような「職業」だというわけではないが、経験的にパソコンに長時間向かうのも、身体によくないことは分かる。そこで、ノートパソコンを、”立って”作業できるように、パソコンデスクを大改造した。もちろん、普通 に椅子に座ってやることもできる。実体験してみると、これが非常に具合がいい。肘が台上に乗る程度の位 置にして、2時間ぐらい、立ちっぱなしで作業してもほとんど疲れないし、座ってやるより身体の調子も悪くない。最近の工場では、流れ作業に従事する女工さんたちも、立ち作業に変わっている(同じ身体的な理由から)と承知している。このやり方をわがhome-factoryでもしばらく実践してみようと思っている。
4月17日(火) イタリアをもう少し知りたいと本を読んでいると、必然的にフィレンツエ生まれのニコロ・マキャベリ(1469-1527)にたどりついた。マキャベリはマキャベリズムの言葉をつくりだしたように、権謀術数、目的のために手段を選ばない行動の解説をした元祖とみられる。けれども、その「君主論」、「戦略論」、「政略論」などに述べている内容にあらためて触れてみると、意外に「何だ、当たり前のことを言っている」という感想を持った。マキャベリの経験した58年間の人生以上に生きていると、時代も国も違っても、権力闘争、人間の駆け引き、いい加減さは十分に目にするものだ。今現在の総裁選びという政治世界の権謀術数にしても500年前と大して変わっていない側面 も多い。ただし、マキャベリ(X理論)の対局にあるものとして真反対の見方(Y理論)もまた存在するということ、それから、最高権力の範囲が地球規模となってきたために、自分のところだけよくして後は切り捨てという訳にいかなくなってきたことは云えるのではないだろうか。人類も少しは進化しなければならない。 「よき性向は時代によって移動する」(マキャベリ)
4月18日(水) 不思議な話であるが、他から拘束されずに自分で時間をコントロールできるようになると、思い切って「絵」を描く時間が取れない。「絵を描く」ことに時間を割くなんて云うのは、贅沢で何か他人に申し訳ないような感覚にさえなる。以前は、わずかな自分の時間に、本当に寸暇を惜しんで絵筆を取ったものだ。今は、丁度、お金を持ちなれない人間が、思わぬ 大金を手にしたようなもので、戸惑いながら遠慮がちに様子をみている。ただし、時間の方は、お金と違って何をしなくてもどんどん減っていく。お金の使い方も知らないが、時間の使い方もまた慣れていない。
4月19日(木) 「触発される」という言葉があるが、人間は一人で考え、行動するだけではなく、他人から影響され、元気付けられることが随分多い。ジャン・コクトーとマンチーノ(1948年イタリア生まれの画家)の展覧会をみて、無性に絵が描きたくなった。同時に、どうせホームページを作るのなら、もっと好き勝手な、いわば抽象画のようなページを作ろうかと、アイデイアが湧いてきた。実は、自分の過去の作品を展示したり、ワンちゃんを紹介するこのホームページに少し飽きてきている。ページそのものにオリジナリテイーを持たせないとつまらない。どうせ自己満足の”ページ”ならば、思う存分変えてみようと思い始めたところだ。本物の創造者に接するとその人のやったことと全く違った 分野まで触発されるのが面白い。
4月20日(金) 完成したものだけ見るとそこに至る経緯はうかがい知れない。昨日コラムで触れた、コクトーは一筆書きのような線画の巧みさで知られ、確かにすばらしい作品は多いが、それでも中には気の乗っていない駄 作も残っている。昔、日本画の超有名な大家が下書きの薄い線を絵図って描いているところを見て、こんなやり方なら自分でもできると妙に安心したことがあった。マチスが一枚の作品を仕上げるために何十回と描き直しをした話、ピカソが何度も構想を練り直しながら作成する話、ルオーが売った作品にも手を加える話。名人、天才といわれる人たちが、普通 人以上に完成させる努力をしていることを知ると何かほっとする。
4月21日(土) テニスをする時に体調がはっきりと分かる。以前、ストレスがたまった時などは、ボールを打ち始めたとたんに、バリバリと音を立ててストレスが解放されるのを実感した。最近はストレスリリーフの必要はなくなったが、筋力、持久力、反射神経能力、集中力など総合的な体力のバロメータとして週一度のテニスが欠かせない。今日の結果 は、これまでになく脚力が向上したように感じた。足が軽やかなのだ。思い当たるのは、一週間ほど前から、立ってパソコン仕事をする習慣としたこと。(4月16日コラム参照) 自分でもこの立ち作業は気に入っているが、これからも継続し、本当の効果が確認されれば、是非、多くの人にも勧めたいと思っている。
4月22日(日) 人(他人)の話を聴くというのは意外に難しい。子供の頃は、話を聴くことができるということが、即、理解できるということと直結する。大人になると他人の云うことを聴かない傾向が強くなる。相手を無視して自分の好き勝手をいうのでは何も議論にはならないし、進歩しない。逆に、こちらのしゃべる一言一言を逃さず聴いて、その上で、そこはおかしいのでない・・などと指摘されると反論もできないことがある。聴くということは、相手を理解し同時に自分を理解させる第一歩と思える。「会話が成り立つ」ということは、相互に相手の話をじっくり聴くことができるということで、これが本来の大人ということではないかと思う・・。
4月23日(月) 古いものの整理をしている中で、以前集めた3Dアートの絵を見つけた。A1サイズの大きな模様の印刷物で、一見すると何も意味のない模様にしか見えないが、中央部分の離れた2カ所を両目で視線をそらさず凝視すると、模様の中から、全く別 の形状(具象物体)が三次元に浮き上がって見えるというものだ。体験のない人には言葉では説明し難いが、立体画像が見えた瞬間は感動的とさえいえる。一旦、目をそらすともうただの模様にしか見えない。模様そのものは、ただの一つ。それが、立体画像を発見できるのも確かだし、模様しか見えないというのも間違いではない。一つのものでも、見方によって全く別 物を見るということで3Dアートは示唆に富んでいる。改めて額に入れて壁に掛けることとした。
4月24日(火) ある時期に自分が何が好きなのかを改めて思い知ったことがある。結局、「ものを作ること」が好きなことに気がついた。それもなるだけ世の中にない新しいものなら一番よい。ものを作るということでは、メーカーを選択したのは誤りではなかったが、メーカーにいても自分で、ものを作ることはまずないといってもよい。飛行機をつくる組織に所属してもまず飛行機を作るわけではない。時勢は新たな製造に取り組むのでなく、むしろ人の削減と製造の縮小が時流であった。大ピラミッドの石積みのチャンスはなかったが、今は、小さな小さな石を自分で積み上げて、自分のピラミッドを作れることがうれいしい。
4月25日(水) 30年前の掛け時計をはずして黄銅のメッキ部分を磨いて見た。けれども、メッキがはがれた箇所は如何にも磨き甲斐がなく無様な下地がでてくるばかりだ。「メッキははがれる」といわれて、本物でない喩えにも使われるが、今のメッキ技術は高度に確立されている。メッキは欠くことのできない重要な技術でもある。クロムメッキ、アルミメッキ、銅メッキがなければ、家庭の中も錆だらけとなってしまう。・・そういうことは理解はしているが、金色のメッキ部分を磨いていると、これが本物の金であれば、磨かなくても輝き、磨けばますます輝きを増すのだろう、金とはなるほどそんな材質なのだ・・と納得した。変化の激しい時代を泳ぎながら、メッキのような物事ばかりが多すぎることに気がつく。年月を経ても変わらず価値のある本物はどこにあるか・・。
4月26日(木) ニュースは、小泉内閣の組閣に関連して、「脱派閥」「派閥にとらわれない」などの言葉が飛び交う。”派閥”というと、集団とか社会の成り立ちそのものに思いを巡らしてしまう。猿の集団も同じであるが、集団生活を保ちながら自分たちの利益を確保し、また拡大しようとすると必然的に親分、子分ができる。子分はその集団、派閥に所属するメリットがあるからそこに留まる。メリットがなければ集団を脱出し、派閥そのものも存在する意味がなくなる。イチロウは日本野球の派閥を脱出できたし、中田も日本サッカーを超越した。派閥に所属しなくても食っていける、困らない、自分の理想を追求できるという世界は個人が尊重される社会であろう。こうした脱派閥人間が世界規模で増えていく潮流を感じる。
4月27日(金) コンピュータに関する説明書は不親切で解りにくいことに相場が決まっている。「お父さんは本を読むのが足りない」という息子のアドバイスをいれて、このところコンピュータ関連の本を読むことが多いが、一つのソフトについて2−3冊並べて読むと何とか解ってくる。これまでは、ホームページ作成のソフト(dreamweaver など)や、画像や動画のソフト(photoshop,flash etc)は必要な部分だけを適当にかじって済ませてきたが、系統立てて読むとなるほど良くできているのに感心する。遊び道具としてはこれほど面 白いものは少ない。道具が良くても結局は使い方次第。なるだけ役に立たないものを作ることを当面 の狙いとしよう。(このページの3個の矩形=新オリオン星?はテスト作品です)
4月28日(土) キーボードに向かうまで何を書くか全くの白紙でいきなりキーを叩き始める。このやり方は、ある画家がキャンバスに向かうまで何を描くか考えずに、無の状態から一気に描き上げるという話を聞いて以来、何事にも応用できると納得した。綿密に計画を立て、熟考した良さもあるが、勢いで息遣いを感じさせる絵のいいところもある。今日の息遣いは「今日の作品」に入れた「square]のアニメ。作品というのはおこがましいが、「今日のトレーニング」をそのまま入れてしまった。それぞれのコンピュータの状態でどの程度みてもらえるかがちょっと心配。(動きが鈍い場合は、ブラウザのメモリサイズを上げて見てください)
4月29日(日) 我が家ではメインの掛け時計は30年以上前に買ったJUNGHANSの電池時計を使ってきた。シンプルなデザインはいまでも飽きることなく気に入っているのだが、何せ、10分、20分は直ぐに狂ってしまうので、いくらなんでもそろそろ新品に買い換えたいと思っていた。最近は、インターネットでも手作り時計が流行っている。そうすると、時計を動かすムーブメントだけを買ってくれば、この時計を作り替えられことに気がついた。東急ハンズで、なんと、ムーブメントは2000円もしない。しかも昔のものより小さく、精度は桁違いに正確ときている。互換性は手作りで調整すれば事足りる。今、改造したクオーツ時計は月に20秒内の正確さで動き始めた。一時間ごとの時報の度に秒針を見て微笑んでいる・・。

4月30日(月) 日本の新首相が59歳といっても決して若返ったなどと喜ぶほどのものではない。歴史をみれば30−40歳で名宰相や皇帝が輩出したのをはじめ、日本でも変革時は20代の人材が活躍した事例は多い。大体、総理大臣まで経験したいい年をした人間が議席にしがみついていたり、このIT時代に、70歳すぎた老人が企業の舵取りをすること自体がおかしい。このことに本人が気がつかないところに喜劇があり、時に悲劇となる。この裸の王様達に忠告すべきは奥様や親族、あるいは友人ではないかと思う。取り巻きには”本当のことを話す”ことは全く期待できない。誰でも自分だけは例外と思うものだから、家族あるいは友人(真の友人がある人は少ないが)が、引退を勧めなければ老害は無くならない。政治や経済の現役はもっともっと若返ってほしい。

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