これまでの「今日のコラム」(2001年 5月分)

5月1日(火) 暦の通りに五月晴れとはいかずに肌寒い中を上野の国立西洋美術館と都美術館のハシゴをした。国立の方は、イタリア・ルネッサンスの絵画がメインで常設展の古典的な名画も充実している。都の方は、プロ、素人混合の新作展覧会。新作をみると毎回思うのだが、時を経て古典となって残っている絵画と比べて、何と大作の多いことか。ほとんどが200号以上の超大作で、これが何十と並ぶのだから壮観だ。現代の豊かさを改めて感じる。展覧会を見るときは、相手が古典名画だろうが、大家が描いたものものであろうが、ここは気に入らないとか、自分ならこうするとか好き勝手なことを妻と言い合っているのが楽しい。評論家は気楽なものだ。けれども本当に感動する作品に出会うとお互いに寡黙になってしまうところがまた面 白い。帰路の電車では寡黙を通り過ぎて熟睡してしまった・・。
5月2日(水) 何らか物を作ることに関わる人には、100円ショップに行くことを勧める。これだけのものを作り、100円で商売が成り立つという現実を見るだけでも行ってみる価値がある。勿論、実用的にも大いに活用できる。渋谷には1階から4階まで全て100円ショップという店がありいつも混み合っているが、たまに行くと西欧人も大勢見かける。彼らは買い物も非常に合理的だ。今日は下北沢に眼鏡を作りに行った。開店と同時に行ったが大勢の人が列をなしていた。検眼調整、フレーム、レンズ全てを合わせて、5000円から、最高で9000円。以前、眼鏡一式を作るのに10万円もすること自体に不満であったが、眼鏡業界でも価格破壊は進んでいる。ユニクロにしてもそうであるが、今は「安かろう悪かろう」ではない。相当の高品質で激安なのだ。次の価格破壊は何がでるか・・楽しみだ。 

5月3日(木) 日本で最高のバレリーナが踊りの練習を半日休むともう踊りに違いがでるし、三日休むと下手になるという話をしているのを聞いたことがある。ピアニストにしても一日も練習を欠かすことはできない。この種の極めて精密なテクニックを要する技能については毎日の「練習」の必要性は理解できる。しかし、”下手な練習休むに似たり”というように、何でも練習だけやればいいものではない。テニスなどの運動、あるいは絵を描くことなどの自分の経験では、時に練習を休み、鋭気を養う期間がまた非常に貴重であるように思える。芸術にしても、それと全く別 分野であるスポーツにしても、最後は、気力というか、集中力の勝負でないか。休むことに罪悪感を抱くことなく、堂々と休み、エネルギーを蓄えればよいと思うこの頃である。
5月4日(金) 「ひとり灯(ともしび)のもとに文をひろげて、みぬ 代の人を友とするぞ、こよなう慰さむわざなる」(徒然草/兼好法師)。昔は書物を通 じて出会ったことのない人と心のつながりを味わったり、なぐさめられたりした。今はこういうところか:「ひとりパソコンのもとにインターネットをひらいて、世界の人を友とするぞ、こよなう慰さむわざなる」。インターネットにより、人とのつながりのチャンスは格段に広がったのは間違いない。けれども、つながりの便利さが、なぐさむまでいくとは限らない。つながりに障害がある方が絆は強くなることも多い。このホームページのgallery-postcardに掲載している娘への手作りはがきも、わずか5−6年前のことであるが、外国との通 信の不便なところが発端だった。今ならばただのe-mailのやりとりで十分。はがきを描くチャンスもなかった。当時、e-mailができなかったことが、結果 的に絵はがきを描かせたことになる。「なぐさむわざ」は効率と便利さに比例するものではない。これからのインターネットは利便性だけでなく、新しい目と心を開かせる「わざ」が欲しい。
5月5日(土) 子供の日TV特集番組をチラッとみたら、野坂昭如がいいことを云っていた。「夕日にはなぜ目や鼻や口がないの?」という子供の質問に対して、「君たちこどもには見えないけれど、大人になれば目も鼻も口もきっちり見えるのです。そのうち見えるようになるから楽しみにね!」と回答したのだ。この手の回答事例としては秀逸。応用編としては、「正直者だけには見えるのです」とか、「見えない人は悪いことをした人です」とか・・。こども相手でなければ、裸の王様式の回答も面 白い。野坂氏の一言で、見える見えないというのは、物理的な理屈でなく、見る意志があるか、また見つける感性と能力があるかの問題であることまでを思い起こさせられた。
5月6日(日) 勤めているころ、「今頃の若者は、好きなこと、楽しいことをやって給料をもらおうと考えるヤツがいる」といって憤慨している先輩がいた。「好きな仕事」に変わりたいなどもってのほかだった。こういう精神のルーツをたどれば、儒教に好きを認める精神がなかったことにいき着く。儒教は、身を修め、家をととのえ、国を治めることを教える。儒教をもって国を治めてきた国にとっては、好きなどというものは不埒で許されなかった。好き者というのは、茶の湯の道具などに凝り、身上つぶしかねない”数奇もの”であった訳だ。私はこの面 では儒教に反して、若者には好きなことをやりなさい、好きなことを見つけなさい、嫌いならば止めてしまいなさい・・とアジッテいる。他人の意志で動くのでなく、自分の考えで行動しなさいといっているが、好きなことを追求することがいいと認知したくない勢力がまだまだ多いのには驚く。好きなことというのは身勝手なこととは違う。強いて云えば、他人のため、世の中のためになる好きなことだろうが、こんな解説はつけないところが美学。
5月7日(月) 先日、インドカレーの店で昼の食事をして勘定をするとき、インド人の店員が「いかがでしたか・・?」と話しかけてきた。真実、とても美味しいカレーだったのでそれを云う。こうした日常会話が珍しく思えるほど、最近は店員との会話が希薄に思えるのはどうしてだろう。「ありがとうございます」の一言さえ云わない商売人が随分に多い。昔のソ連邦の時代は国営店の店員がみな売ってやる態度だったと聞くが、それに近い。これは教育の問題ではないかと推察する。店員だけの話でなく、”あいさつ”も教えるものであるようだ。朝の犬の散歩では犬を連れた人には「おはようございます」と挨拶することにしている。相手からも大抵返事が返ってくる・・。
5月8日(火) コラムも一年以上続けていると、前に書いたことがあるかどうか定かではなくなる。繰り返しでもいいが、「ゆで蛙」を書く。蛙をぬ るま湯につけておくといい気持ちでそのままじっとしている。だんだんお湯が温まってくると熱湯を飛び出すことのできない蛙はゆで上がって一巻の終わり。つまり、楽な環境に慣れてくると、変化を好まない。そして最後に破滅するまで違う環境に向けて飛び出そうという意欲も気力も無くなるという警鐘である。自分だけは茹で蛙にならぬ という保証は何もない。いい湯だななどと思っているとこれはゆで上がる一歩手前である。今の時期、自分は何となくぬ るま湯気分でないかと自重する。
5月9日(水) 日経新聞の最後の面に「私の履歴書」という欄がある。以前、この新聞をとっていたときには、この欄をまずはじめに読んでいた。各界の功なり名を遂げた人の記事であるが、自伝のような形式をとりながら大抵は新聞記者が話を聞いて代筆したものが見て取れる。この履歴書の面 白い、面白くないが極端に表れるから、恐ろしいと思った。大体が、秀才エリートが順調に出世してトップになりましたという手のものは面 白くない。自分がトップとしてどんな仕事をしたかを得意になってしゃべったところで誰も興味を持つものではない。紆余曲折の末に現在の立場を得たという、挫折や苦労は共感を呼ぶ。誰でも苦労しているときの方が人生のドラマを充実させていると考えて間違いがない。
5月10日(木) 明日から10日余りのイタリー旅行にでかける。仕事のない海外旅行は何年ぶりか。今はインターネットの時代で、海外に行ってもホームページの改訂ができる。けれども今回はあえて愛用のノートパソコンを持参しないことにした。旅行の間ぐらい、WEBを忘れて、のんびりと絵でも描ければ理想。ただ、インターネットのアクセスと、e-メールはイタリアでやってみるつもり。yahooのメールサービスなどを使えば比較的簡単にメールはできそうだ。(勿論、パソコンを借りての話)歴史の街で何が発見できるか、そしてこれからの自分の進み方の啓示を得られるか。・・・行ってきます!
5月22日(火) イタリア旅行から帰国した。妻と二人だけの気ままな旅だったので、ローマ、フィレンツェ、ヴェニスというありきたりの都市巡りだが、よく歩いた。専ら、バス、地下鉄、水上バスを利用。心配したスリや強盗にも会わなかったが、どうみてもお金は持っていないように見えたに違いない。フィレンツェでは、24時間インターネットサービスの場所で自分のホームページを見ることもできた。フォントを日本語にもできて、全く国内で見るのと同じだ。歴史の街で変わるものと変わらぬ ものを体験した。
5月23日(水) フィレンツェやヴェニスでの狭い路地には、狭い道の良さがあった。まず、自動車もオートバイも自転車も来ない。人にぶつからないようにだけ注意すればよい。道路の右の店を見たり、左に寄ったり自由自在。歩く人を観察するにも絶好だ。かつては、アメリカの巨大な合理思想と自動車化の結果 、われわれは何でも大きくすることしか頭になかった気がする。自動車が走らない路地や広場は人の交流には最適なサイズとなる。Small is beautiful. 道路だけでなく小さいこともまたいいことだという考えをもう一度思い起こさせられた。
5月24日(木) ローマでコロッセオを見た後、地下鉄で一駅南に移動しカラカラ浴場跡に向かった。夕方6時を過ぎていたがカラカラ浴場にもまだ入場することができたのは幸いだった。収容人員は5万人というコロッセオ(写 真参照、ご存じ、剣闘士同士の戦いや猛獣と剣闘士の戦いの見物場)が紀元80年の完成、1600人が入れたというカラカラ浴場(今日の作品/ローマ編参照、冷水浴、微温浴、高温浴、サウナ、ジム、図書館まで備えた当時の大レジャー施設)が紀元217年頃完成と聞くと、2000年という期間が何と短く思えることか。それにしても、1900年前に自分が生きていたと仮定しても、このような建造物を想像することすらできない。どうも自分とはDNAが異なっているところで、ローマの歴史は進んできたようだ。

5月26日(土) 今回のイタリア旅行は美術館巡りも主要なテーマであったが、正直言って、最後の方ではいささか重厚絵画に食傷気味で少し味の薄いものが欲しくなった。膨大な量 の宗教画、神話や戦争画というものは、教会や宮廷の権力者の注文に応じて作り上げたエネルギーは感じるが、作者は所詮、権力者の意図を表現する職人にみえる。ルネッサンス絵画となると、ボッテイチェリの「ヴィーナス誕生」は線を使っているとか、ラファエロの聖母はそれまでのマリアと何を変えているとか別 の鑑賞の仕方もでてくる。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの時代は作者自身のやりたいことが見えてきて興味がある。最後に、ヴェネチアでグッゲンハイム・コレクションという近代の作品を集めた美術館にいった。ピカソ、ブラック、クレー、モンドリアン、カンデインスキー、ポロックなどの作品をみて、アー、自分はやはりここにいると実感した。中世ではなく現代に生きていることが有り難く思えた。
5月27日(日) このところ「今日の作品」として文字通 り連日スケッチを入れ替えている。旅行をすると、あれこれテーマに頭を悩ませずに、興味をもった風景そのものを素直に描けばそれも一つの作品となる。英国の風景画家、ターナーが短期間に何千枚のも絵を描き、一日に10枚ー20枚も作品を残していることを知り驚いたことがあるが、旅行方式を考えると納得できる。テーマで格闘するのも絵画なら、息をするような自然の跡形もまた絵画であるようだ。
5月28日(月)  有名なフラ・アンジェリコの最高傑作とされる受胎告知(フィレンツェ/サン・マルコ修道院)、マルテイーニの受胎告知(ウフィツィ美術館)など、「受胎告知」に関する絵画は非常に多く、これだけで一つの鑑賞課題となる。マリアさまが突然あなたはキリスト様を孕みましたと伝えられる状況をどのように表現するのか、マリアと天使をいかに配置するのか、私のような信者でない門外漢でも興味がひかれるところだ。アンジェリコの天使の羽は白色ではなく、何色もの派手な色が付いているのは何か意味があるのだろうか。キリストが誕生した後のマリアの絵姿も極めて数多く、こちらの方も興味が尽きない。マリアがいつの間にか宮廷の女王さまのように描かれたりすると、過度のマリア信仰が教会の内部でも問題になりプロテスタントが派生してきた経緯も、なるほどと理解できる。キリスト教の歴史は絵画からみると非常に分かりやすくなるところがある。
5月29日(火) ローマで背番号8の中田のユニフォームを土産に買った。サッカーグッズの専門店は多く、中田も人気ブランドであるようだ。(中田がローマから他に移籍したらこのユニフォームどうしよう・・。) また、ローマでの一夜、日本人の実力派ピアニストの演奏会にいった。夜の9時から始まる小さな演奏会であったが、日本人の観客は私たち夫婦だけで他はイタリア人、しかも世話人も含めて日本人は一人も関与していなかった。演奏家は日本人であるが、マネージメントは全てイタリア人であるのだ。どこにいっても、力のある日本人がその場所で活躍していて、何となく誇らしい。今は、”日本人”と意識してなにかやるのでなく、自然体で、一人の人間として行動する場が確実に増えてきていることを実感した。ボーダーレス、国境のない世界を予感できるのはうれしい
5月30日(水) ローマでもフィレンツェでもまたヴェニスでも、典型的な観光地であるので、普通 われわれが接触できるのは観光客とそれら相手の地元の人が大部分である。なかなかイタリア美人にお目にかかるようなチャンスはない。パリでいくら地下鉄やバスに乗ってもパリジェンヌには会えない、ハイソのパリェンヌは車で移動するという話を聞いたことがあるがイタリアでも同じことだろう。用事があって、ウィークデイの真っ昼間に、渋谷のセンター街を歩いていて、あまりに多くの日本人ギャルが楽しげに交叉するのを見て、東京にきた観光客は、渋谷センター街を訪れれば面 白いと思った。そこには名所・旧跡と違った現代の 活気ある日本の断面を見ることが出来る。
5月31日(木) フィレンツェでもヴェニスでも街のややはずれ(といっても歩いて何分もかからないところ)にインターネット屋さんを見つけることが出来た。(ローマでは24時間オープンのインターネットの場所があったが行けなかった)フィレンツェで入ったところは若い店員が何かと親切に教えてくれた。INTERNET TRAINというイタリーのチェーン店で時間単位の磁気カードを購入して店のパソコンに挿入して使用する。時間が余ればまたそのカードを他の店で 使うことも出来る。e-mailをするとき、自分のURLが分からなかったが、(事前にyahooメールで取得していたのがホテルに番号を置いてきてしまった)その店のURLを借りて問題なく発信することができた。日本のホームページはどうせ日本語フォントが無いだろうから文字化け具合でも見ようの思っていたら、アジアのどんな言葉でもフォントを選べる。自分のホームページを、そのままフィレンツェで見ることができるのが夢のように思えた。


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