これまでの「今日のコラム」(2001年 6月分)

6月1日(金) 私の家(東京)の周りは道路が100%舗装されていて、犬の散歩の時に糞尿の場所を選ぶのに苦労する。それでも街路樹の近辺や植え込み、公園には土がある。ベニスでも犬を連れている人を何人も見かけた。写 真(添付)のように運河をはしるボートの先端に陣取ったワンちゃんは得意げだった。けれども、ベニスの中心部には街路樹も植え込みもない。広場はあっても石畳である。犬たちはどこで糞尿の処理をするのか気になったが、石畳の上に糞がころがっているのもほとんど見なかった。犬をみるとそこに住んでいる人の生活が想像できてほっとする。

6月2日(土) 水の都ヴェニスも水の悩みは大きいようだ。少しの高潮でサン・マルコ広場全体が冠水することがあるという。20世紀になって多いところは70cmの地盤沈下があったためといわれるが、今回のような平穏な時でも、夜9時過ぎに散歩に行ってみると、サン・マルコの船着き場は運河と広場の境が見えなくなっていた。(写 真添付)翌朝同じ所をみると水はすっかり引いて普通の状態だった。はじめに宿泊するホテルに入るときには、大きな荷物をガラゴロ引きずって、船着き場からサン・マルコ広場を横断したものだ。冠水したときには、ガラゴロではなく、どうやってホテルにたどり着くのか質問してみたいところだった。

6月4日(月) このところ、コラムはイタリーネタで終始しているが、現実の生活は初夏の暑さにバテ気味にみえる。・・今回のイタリー旅行でつくづく思ったのは、旅行は極力手作りにするべきだということだ。自分で地図を調べ、交通 機関を選び、歴史をなどを承知の上で訪れた場所は印象が鮮明に残る。けれども、半日観光コースのバスに乗って、お任せコースで回った場所は印象が薄い。写 真を整理していて、どこの教会に行ったのかも分からないところがあった。逆に、半分迷いながら歩いた道はその時は不安だったが、今考えると楽しい思い出だ。・・人生という旅も同じようなものなのだろうか??
6月5日(火) 「今日の作品」にフィレンツェのシンボルであるドゥオモ(花の聖母教会)の遠景画をいれた。早朝の散歩にでかけたとき、街角を回ったとたんに陽光を背に浴びた教会が姿をみせて美しかった。朝の街はどこも昼の喧噪とは違った雰囲気で気持ちがよい。13-14世紀に建造されたこの教会の屋上には内部にある463段の階段を使って登ることができる。高さ106mの大クーポラの上からフェレンツェの街全体を眺めながら、かつてのフィレンツェ共和国とメデイチ家の盛衰に思いをめぐらした。
6月6日(水) イタリーを旅行して改めて感じたのは、多くの遺跡や建築あるいは美術品が長い歴史を経て維持・管理され、また戦火を免れて残っていることへの驚きである。第二次世界大戦の末期、イタリアのファシズムを指導したムッソリーニが最期となった地は北イタリアであった。当時北イタリアはムッソリーニの同盟国たるドイツ軍に支配されてていた。ドイツ軍はフィレンツェを撤退するとき、アルノ川にかかる橋を片っ端から破壊した。フィレンツェ最古のヴェッキオ橋だけが破壊をまぬ がれて建設当時のまま現存するのは、連合軍側が特にこれだけは破壊しないよう要望書をだしたためと云われる。戦時中にこの要望が通 ったことも驚くべきことだし、ルネッサンス文化の華である教会、建築は銃弾を受けることもなく守られたのはやはり奇跡に近い。眩いばかりの文化遺産を目の当たりにして、これらを造った人以上に守ってきた人々にも感謝を捧げたいと思った。
6月7日(木) フィレンツェの街を歩いている時、突然ショウウィンドウの写 真を撮ることを思いついた。そのとたんに、これまではゴシック建築やらルネッサンス美術にばかり目がいっていたのが現代のショウウィンドウもまた撮影すべき意味をもってきた。ジェラートというアイスクリーム店まで写 真に撮った。フェラガモのブランドがトリニタ橋の側に大きなビルを丸ごと所有することなど、そうでなければ気が付かなかっただろう。以前からこのホームページでは「代官山ショウウィンドウ」をオープンしているが、今回「フィレンツェ/ヴェニス・ショウウィンドウ」を追加掲載した。店の中には入らずに、ただウィンドウのデイスプレーのみを撮影したもの。そこに住む人々の暮らしの文化は、文化遺産を見る以上に、ある意味ではショウウィンドウを見る方が的確に分かることもあるのでないだろうか・・。
6月8日(金) ヨーロッパにいってそれぞれの国についての数値を知ると日本は随分大国だと改めて思う。今回旅行したイタリアは国土の面 積は日本の約82%(311km2)で人口は5700万人(日本の45%)。フィレンツェの人口が約45万人、ヴェニスの人口が約30万人に対して、東京の杉並区一つで50万人、世田谷区となると80万人を越す(鎌倉で20万人弱)。勿論、フェレンツェやヴェニスは常時観光客が相当数加わるだろうが、それにしても大都会ではない。これらの街が住むのに快適かどうかは分からないが、小さくても文化があり豊かであれば、それは一つの在り方であろう。日本も人口、国力が大きいだけではいいとは云えない。要はQuality of Lifeがどうか、内容が問われる・・。
6月9日(土) Internetの宿命として、フォントの大きさや図柄の色調は、それぞれの受け手のコンピューターに任されているということがある。設定の仕方、調整のやり方によっては作り手が思っているのと随分違ったイメージとなる。最近「フィレンツェ・ヴェニスのショウウィンドウ」を追加したり、この表紙を改訂したときも、パソコンを変えると余りに色が違って見えたので色の入れ替えをやった。私の場合、作成するのはPower Book G4の液晶ノートパソコン、居間にある妻と共用のパソコンはi-Macである。この2台でさえも相当に違って見える。液晶の場合、見る角度で微妙に色が変わることもあって、中間色を設定するのが特に難しい。いずれにしても、作り手としては「他から見えるものが全て正しい」と思うようにしたい。
6月10日(日) 旅行をすると実体験以外に知識が増えることが楽しい。自分で調べることだけではなく人から教えられることも多い。ヴェニスについて蘊蓄の深い村上氏によるとヴェニスのゴンドラは以下となる:「ゴンドラは、真正面 から見ると左右対称ではなくいくぶん右に柔らかな カーブを描き膨らんでいます。船頭が船尾に立つといともたやすく平衡を 保ち真直ぐに進みますが漕ぎ手がいないと同じ場所に漂泊するように なっています。 船首にある飾りは統領の帽子をかたどり、櫛の歯はヴェネツィア本島の 六っの教区カンナレージョ、サンタクローチェ 、サンポーロ 、ドルソドーロ、サンマルコ 、カステッロ を表し反対に向く一本はジュデッカ島の教区を表します。」なるほど櫛の歯の数まで納得したものだ。
 

6月11日(月) 60歳すぎあるいは70歳に近い年になってe-mailやinternetを始めた人を何人も知っている。不思議なことに女性が多い。それもしっかり自分の生活の中に取り込んで実用的に使っている。自分でマニュアルを読んで説明の仕方や機能が分かりにくいと云いながらも使えるようににしていく様をみていると、これは女性の方が社会への適応力が優れているのでないかと感心してしまう。男性の場合、まず余りにいい加減な説明書に嫌になり、若い人に頭を下げて教えを乞う屈辱に耐えられなくなる。特に理屈で理解しようとすると”頭にくる”。社会の変革時には女性の方が強いというのが最近の実感だ。

6月12日(火) 灯台下暗し・・原宿の斬新性、先端性を見直した話を書いたのだが保存せずに消去してしまった! 全て後の祭り・・・


6月13日(水) 誰でも人前で”あがった”という経験があるに違いない。自分の意志とは逆にいつもの自分がどこかに行ってしまい、ふわふわした状態で頭や身体が動かなくなる。少し前のことであるが慣れ親しんだテニスで新しい相手と対戦したときに”あがった”ような体験をした。自分のような年齢になっても(しかも観客もいないのに)このような状態になるのだと、久しぶりの緊張に新鮮な感慨を覚えたものである。他人に対して自分をよく見せたいという潜在的な意識は年齢による「円熟」によってなくなるのかと思っていたが、自分はまだまだ”未熟な”ものだ。他人にカッコよく見せようとすると全て裏目に出るのは、絵でも文章でも同じであるが、そう思っていても出来ないのが未熟なところ。意識の「集中」はそう簡単ではない。


6月14日(木) 梅雨本番。一日雨が降り続く。文字の「梅雨」の語源は中国からきたもので、揚子江流域で梅の実が熟す時期が雨季であったので梅雨となったとか、カビ(黴)を発生させる雨で黴雨(ばいう)が転じたものとか云われる。一方、「つゆ」は元来の「バイウ」が江戸時代に、露(つゆ)、汁(つゆ)、湿気で腐る=ついえる(潰える)の古語である「潰ゆ」(つゆ)から「つゆ」と呼ばれるようになったという。語源については受け売りであるが、梅雨(つゆ)という言葉は好きだ。初夏の長雨も梅雨(つゆ)と云うと何か目で見る文字も音声も情緒があるように思える。
6月15日(金) 小林秀雄の復古本を読んでいたら正宗白鳥(大正・昭和期の小説家、評論家、明12生ー昭37没)がでてきて懐かしかった。正宗白鳥は「つまらん」というのが口癖で、つまらん、つまらんといいながらこまめに、飽きもせず、物を読んだり、物を見に出向いたりする・・というところがあった。私が高校生の時に国語の教師が「今朝渋谷駅のホームで正宗白鳥がひょうひょうと歩いているのに会いまして・・」と得意になって話をしたのを思い出す。考えてみるとこの時白鳥は80歳を越えていたことになる。白鳥は「つまらん」といいつつ、何かもっと面白いことはないかと好奇心いっぱいで街を歩いていた・・。今で云えば、テレビもつまらん、新聞もつまらん、映画も芝居も野球もサッカーもみんなつまらん・・そういいながら全てに詳しくて、衛星放送で大リーグのイチロウは必ず見ている・・そんな図が目に浮かぶ。
6月16日(土) 子供の頃には質屋をよく見かけた。お金を工面したいときに、着物、カメラ、時計・・などを質草(七草とはチト違う)とした話は落語でもおなじみだ。この質屋のオヤジの眼力は、とにかく本物、いいものを山ほど見ることにより養われる・・などと聞いてすっかり納得した覚えがある。今考えると質屋がみんな「鑑定団」の先生のような眼力があったか疑問だが、見る目がなくて損をしても自業自得だろう。現代はインターネット上にバーチャル質屋がオークションを開いているようだが、ヴィトン、プラダ、ローレックス・・という質草は実物を見なくて鑑別できるのだろうか?質屋の損得はどうでもいいが、音楽、絵画、芝居、著書、スポーツ・・など何の世界でも、本物、いい物と直に接することが眼力を養い、人を豊かにすることは確かだ。
6月17日(日) 「絵に描かれた女性は万人に愛される。なぜなら、何もしゃべらないから・・」いわば失礼なこんな言葉を見た覚えがある。絵の中の人物について自由に想像力をふくらませて鑑賞するのは楽しいことだ。絵画は残された作品だけが全てを語ってくれる。画家が生前自分で話したり、書いたりした資料などを読むと大抵は画家に対するイメージが崩れることが多い。(ゴッホの書簡集は別格だが・・)音楽家でも「リストの音楽はすばらしいが人間性は最低だった(真実は勿論知りません)・・」といった後年の話がでてくると余計なお世話だといいたくなる。変人でも奇人でも残された絵や音楽があれば十分。・・ただし、このコラムなどでおしゃべりせずに「今日の作品」だけを掲載した方がいいだろうかとチラリと思うこの頃だ。
6月18日(月) 早朝に行動すると昼間ではみえないものを発見をすることが多い。(このホームページでは「恵比寿・代官山の朝」を一つのテーマにしています・・)またイタリア旅行の話になるが、ヴェニスで朝6時頃ホテルをでて朝食前の散歩をした。日の出には少し遅れてしまったが、昼間の観光地の賑わいが夢であったかというように静かだった。広いサン・マルコ広場に自分たちだけしかいない。そして目の前には1000年前の壮大な教会や建築物が並んでいる。運河といえば無数のゴンドラが羽を休める鳥のように群れをなして係留されている。地元の人が箒をもって石畳をきれいに掃除をはじめたりするのも新鮮にみえる。旅行先での早起きは本当に楽しいものだ。ただし、ローマでは日本人が朝早く散歩していたら偽警官に職務質問をされた上に財布を調べるといってお金を盗まれたという話をきいた。どこにいっても興ざめなネタもまた絶えない。
6月19日(火) 紫陽花の季節。あじさいは色が変わるところが浮気、軽薄なものとされ、花の俳句としては数が少ないという。「紫陽花や帷子時の薄浅黄( 芭蕉)」。帷子(かたびら)とは裏のないひとえの夏用の着物で夏の初めを詠んだものであろうが、今は言葉に馴染みがない。「あじさいや生き残るもの喪に服し(鈴木真砂女)」「紫陽花の色濃き順に切られゆく(孟生)」。このあたりは、同じ年代の訃報をきくことが続いたこのごろ実感としてぴったりする。紫陽花の色とおなじように、私は変わるものが好きだ。軽薄なのではない。変わることが無ければ進歩もしないし、面白くもない。また咲き続ける花など美しくはない。滅びゆくものにこそ、その時しかない美の輝きを感じることができる。
6月20日(水) ゲーテの「色彩論」を読んでいる。ゲーテといえば「若きウェルテルの悩み」とか「ファウスト」の作者で詩人・文学者という認識しかなかった。ところがゲーテは「色彩論」のほか多くの科学に関する著作によって自然研究者としても歴史に名を留めていることを知った。生誕250年以上を経たゲーテ(1749-1832)の著作で現代もなお触発されるのは自然現象に対する好奇心、観察の細かさ、科学的な分析手法の確かさ、スケールの大きさといったものだ。色彩論だけでも膨大な内容であるのにこの著名な文学者は、その他に鉱物学、地質学、気象学、植物学、骨学、形態学などの著作があるという。最後に哲学者ゲーテのことばをいれておこう:<光と精神。自然界における光と人間界における精神はともに至高にして細分化しえないエネルギーである>
6月21日(木) 「週末にドライブにいこう」というと東京の人は渋滞を避けるために行き帰りの時間をどうするか先ず頭を悩ます。帰りの混雑を考えるだけで憂鬱になる、おまけに雨模様。ところが、例えば北海道の人ならば天気も良いし高速道路でどこまで走るかと心弾ませる。最近インターネットやe-mailを始めた人のパソコンを操作して改めて思い知らされたのが、一般電話回線のスピードの遅さである。欧米をはじめ韓国などでも今はインターネットの回線はASDLが当たり前ときく。NTTの儲け戦略かどうか知らぬが今時電話の一般回線を新規に勧めるのは時代遅れも甚だしい。一般電話回線のインターネットは、光ケーブル、ケーブルTV経由、ASDLと比べると別物というのが実感だ。ケーブルやASDLが、丁度、渋滞のない高速道路とすれば、一般回線は混雑した普通道路といったところ。ユーザーの問題ではない。有料でのろのろしか走らない道路を提供するのはおかしい。
6月22日(金) 大リーガー・イチロウの活躍には心から声援を送る一人だ。最近は日本のプロ野球には興味がなくなって、TVも他に見るものがない時にだけ野球にするという程度のファンであるが、イチローの打率を毎日はじめにチェックする。今日はついに打率トップとなり、INTERNETのニュースによれば「歴史的な日」となった。NHKはじめマスコミ各社がイチローが活躍をするにしたがって、雪崩のようにというか極端に報道のやり方を変えるからおかしい。オリックスのイチローが日本一の時でもTVはほとんどイチローを放映しなかった。「現金なものだ」というのはこんな時に使う言葉だろう。イチローは別格にして、新庄がそこそこ大リーガーで活躍している方が、日本のプロ野球選手には元気を与えるいう説がある:「アイツがそこまで出来るのなら俺だって・・」
6月23日(土) テニスの最中にガットが切れた。ラケットの予備は家には何本もあるが不覚にも持参していなかったので、(他人から借りるのも悪いとも思い)しばらくそのままゲームを続けることにした。野球の場合、細いバットの芯にボールを当ててホームランを打つのだから、テニスでもガットの切れた真ん中を避けてボールを当てればそこそこプレー出来るだろうと密やかに考えた。いつもはスウィートスポットといって中央にボールを当てなければならない。これを、ボレーを打つ場合は根本部分、ドライブは先端部分と打ち分ける作戦である。結果はサンザン。微妙な反発力のコントロールはそれほど簡単ではなかった。仲間からは、相変わらずロブが浅い・・駄目だダメだ・・と云われながら惨敗。今日の山羊座の運勢は健康運も仕事運も金運も皆悪かったのを思い出した。
6月24日(日) 最近、TVのチャンネルを廻していると番組を作る側も本当に”ネタ”がないのだなと思う。自分たちだけでゲラゲラ笑って喜んでいるドタバタや、またかという健康番組の繰り返し。プロ野球の放送は何の新鮮味も感じさせない。TVのスタッフは視聴率のしもべか高給取り過ぎてのアイデイア枯渇かと思わせる。そんな中で、NHK教育TVで新日曜美術館をみた。童画に一生をかけて本の宝石といわれる童画本を残した武井武雄(1894-1983)の特集。番組を見終わると自分も直ぐに絵を描かなければと云う気になった。こんな番組をみるとNHKの視聴料も仕方がないのかなとも思う。
6月25日(月) 世界遺産といわれる場所を順次訪れてみることが夢だ。世界遺産には文化遺産が529,自然遺産が138,両者複合遺産が23,計690(1月現在)登録されているというが、日本の自然遺産である白神山も、屋久島にも訪れたことがない。所詮、写真でも眺めてバーチャル訪問を楽しむかといったところ。世界遺産はどんな国にもすばらしい文化や自然があることを教えてくれる。一方で、50年前、500年前の本や絵画に接すると、これは人類の共通の遺産だと感じることも多い。我々は先人達の遺産に恵まれているが、これを維持するだけでなく何かちょっぴりでも付け加えるものがあるだろうかとフト考えてしまう。
6月26日(火) この一週間ばかり「今日のコラム」を早朝に書いていた。正確には前日分のコラムを朝、そっと改訂するというスタイルであった訳だ。このことを知り合いから見事に指摘されてしまった。朝早くホームページをみるとコラムが改訂されていない・・・と。このコラムは正真正銘26日の夜に書いている。何のことはない、朝コラムを書くのであれば、その日の日付にすればいいだけである。明日からは書いたその日の日付にすることにする。誤りを正すことには躊躇しない、こだわらない・・などと云ってみたいがそれ程大袈裟なものではない。それにしても、この一週間で、文章を書くというのは朝のさわやかな時がいいものだということを実感した。
6月27日(水) 今は正確な時間で27日、朝5時25分。東京は梅雨も中休みの曇り空。朝から蒸し暑い。「曇り空」と書いたが、実は我が家では日の出の2−3時間後でも晴れか曇りか分からない。以前は太陽が昇ればまぶしい陽が差し込んだけれども、隣に5階建てのマンションが出来てからは昼頃になって、あー、今日はこんなにいい天気なのだなどと気が付くようになった。最近は、朝の習慣としてインターネットでニュースをチェックする。読みたければ、各紙の社説やコラムにも目を通すこともできる。これまで取っていた新聞はいわゆる「田中おろし」の急先鋒であったが、新聞は一切とらないことにした。TVも新聞も一方的に与えられるものではなくて、メニューの中から選択する方が好きだ。さあ、これからAA(我が家のコーギー犬、アンとアール)の散歩。大安の一日がはじまる。
6月28日(木) 結婚した当初、妻は犬や猫が苦手だった。犬や猫が側にきただけで緊張して、できたら逃げ出したいという様子がおかしく見えた。子供の頃に動物を飼った経験もなく、母親が犬や猫は不潔だといって寄せ付けなかったという。それが今の犬達や猫の可愛がり様はなんだ、自分の布団の中で一緒に寝るのさえ厭わない。・・人は育った環境の産物だと云われる。特に親の影響は絶大である。けれども一方で新たな環境に適合して変化できるという特性もある。好き、嫌いだけの話だけでなく、自分の適性や向き不向きに至るまで、案外に育った環境から単純に決めつけていることも多い。自分自身の可能性を決めつけなければ、ワンちゃんと一緒に楽しむような、全く別世界が待っているかも知れない。
6月29日(金) 勤め人時代に「女性は人類ではない・・」と、これを酒の肴にするのが趣味のような人に何人か出会ったことがある。要するに、女性といっても大抵は自分の連れ合いと話が噛み合わないのを愚痴ってみたいのである。。私の限られた「女性」との付き合いと男性観察では、どうも人類の中でも女性の方が高等な動物にみえる。男性は権威に従属的、奴隷として働くように出来ているのに対し、女性は一見隷属しているように見せかけてはいるが、実は物事の本質を捕まえているのは女性の方だ。何より現実的で環境への適応力にも優れているから、人類が進化したのは女性の力でないかと思ったりする。自分の妻も同じだ・・といって例を挙げると余りにゴマスリになるので別の例をあげたい。(明日へ続く)
6月30日(土) 終戦は(”終戦”という言葉は太平洋戦争の”敗戦”を上手く避けた表現だ)我々の親の世代にとって何よりも大きな影となり、世界観を逆転させた。私は小学生になる前に終戦を迎えているので新制の小学校で粉ミルクの給食で育ったのだが、親は多くの幼い子供を抱えて苦労も多かっただろう。小学の上級生になっていたと思うが、今でも鮮明に記憶に残っていることがある。家庭の中で「もし日本が戦争に勝っていたら・・」ということが話題になった。私の兄や姉が何をしゃべったのか定かではないが、いっとき置いて、母が、「日本が戦争に勝っていたら兵隊さん(軍人といったか?)が威張って大変だっただろうね・・」といった。父は全くノーコメントだった。父はアメリカの巨大さをよく知っていた人だったので開戦のときに、そんな馬鹿なことを・・と絶句したと人づてに聞いたことがあるが、終戦後も母のような言い方は決して出来なかった。それ以降も、母の意見は直感的だが本質をついていた。父は仕事上の自慢話と世間話以外には、少なくとも子供に対して自分の思想を披露することは終生なかった。その父母がそろって亡くなってもう14年経つ・・。普段は主張しなくても、女性の方が物事を正しく認識しているのではないかと思うのは母の思い出がベースにある。


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