これまでの「今日のコラム」(2001年 9月分)

9月1日(土) 毎日、書くという行為に何が意味があるかなどと考えると、このコラムも勢いが鈍る。インターネット上の日替わりページとしては、日記が非常に多いらしい。意味のあるなしとは関係なく日記が掲載されるのは、ただ一番簡単であるからだろう。個人の日記はもう千差万別。面白いかどうかは興味と内容次第だ。もう一つは、新聞のコラム風に、その日のニュースを話題にすること。これも時間が経って読んでみると案外に新鮮味がないことが多い。自分のコラムを見直すと、日記もあり、ニュースもあり、何でもあり・・。気に入らない内容やら、よく書いたと我ながら感心するもののゴタマゼであるが、そこに意義など考えぬがよしと思い始めた。インターネットでの実験ーそれで十分だろう。それにしても脱帽するのは、何年間も続いた「サザエさん」「フジ三太郎」などの新聞漫画。毎日のこれだけの内容は真に驚異的だ。

9月2日(日) 若い頃は、草花の名前などには全く無関心だった。それが、ある年齢になった時点から突然に、「吾亦紅(われもこう)」とか、「ほととぎす」とか、「紫式部」という名前に興味を覚えたことがある。名前を知っても何の得にもならない、教養で格好を付ける必要もない。ただそれまでに知らなかった世界が見えるのが面白かった。歳をとると人間が利口になるということは信用しない。過去の成果を鼻にかけた、経験だけが全ての、傲慢な老人は嫌いだ。けれども、自分で天命を知る歳になってみると、天命など容易に分かるものではないと悟ると同時に、歳をとると豊かになることもあるとも思う。より広い可能性を知ることもある。天命とは個人が構造改革することと思えば世界が広がるだろう・・。
9月3日(月) 夏休みは終わり、そして、第二ラウンドの始まり・・のつもりで再スタートした。意識して生活にメリハリを持たせたいと思っているが実体はなかなかそう簡単にはいかない。やりたいこと、やるべきことがある一方で、時間は有限。やりたいことの中で、コンピュータについての時間の取り方がまだ自分で納得がいかない。最新のパソコンソフトの学習やら、パソコン仕事は時間をかければキリがない。その割に、毎日のアウトプットが何があったかをシステムノートに出来るだけ細かく記載してみると、パソコンは実に成果の見えにくい仕事であることが分かる。例えば、1時間鉛筆を走らせれば、確実に素描ができあがる。白いキャンバスには色が付く。パソコンに向かえば、2−3時間経っても何も残らないことも多い。まあ、パソコンのキーボードを叩いて出来たこのコラムなどアウトプットと思って楽しくやることにしよう ・・。
9月4日(火) 早朝、犬の散歩のときに大きな柘榴(ざくろ)の樹をみつけた。真夏にはさぞかし華やかに赤い花が咲き誇っていたのだろう。いまは花はなく、たくさんの柘榴の実が重そうにぶら下がっていた。実の中央の部分はピンク色に染まり始めている。これが「紅一点」の紅であるのか・・。私の誕生石はガーネット(柘榴石)。柘榴の実の色は宝石の名前にもなるものか・・。見事な柘榴の木は色々なことを思い出させてくれる。たまたま、散歩の道を変えたために、柘榴の木に巡り会えたのだ新しい道には新しい発見がある・・。

9月5日(水) 昨日は、柘榴の木をみつけたことを書いたが、犬の散歩の時に意外な発見をすることは多い。都会では普通自分の住んでいる街のことを余り知らない。それが、どうみても他人の住まいの門に繋がっているとしか思えない細い路地を通り抜けることが出来たり、道幅が1mほどしかない角を曲がる秘密の近道を知っていたりするのは犬たちと散歩をするからだ。このホームページの代官山/恵比寿・朝の顔あるいはショウウィンドウ は全て早朝の犬の散歩がなければ成り立たない。改めて考えると、このホームページ全体も、もしコーギー犬・アンとアールがいなければ作成されなかったかも知れない。ほぼ10年前にアンを飼い始めたのはたまたまの他人の薦めによるものだった。それまではコーギーの名前さえ知らない程度の犬知らずだった。ちょっとした偶然と人の親切が自分たちの生活に大きな潤いを与えてくれている・・。
9月6日(木) 萩本晴彦氏が亡くなった。テレビのドキュメンタルーもので独自な番組を作り上げたり、従来の慣習を突き破る姿勢がみえた人で、昔は隠れたファンの一人だった。小沢征爾との名対談なども思い出す。松本で開催される「サイトウ記念オーケストラ」(ただいま開催中)を世間に紹介したのも萩本氏であったように記憶している。(彼自身、確か、松本深志の出身のはず)テレビの可能性を追求し、ドタバタバラエテイーだけでない内容を創造しようとする意欲がいまのテレビ人にどれだけあるかと思うと、改めて萩本氏が惜しまれる。「組織のために働くのでなく、組織を使って働く」が彼の信条だったという。
9月7日(金) 目覚めた時に昨夜聞いたピアノの音が浮かんできた。こんなことは希なことだ。昨日はピアノ好きの数学教師のリサイタルであったが、プロの演奏会とは違った爽やかな感動があった。モーツアルトとショパンが7曲。大袈裟に、気張って主張するのでなく、しかし、自分で表現したい音色を明確にだして見せる自然体の演奏。何より音を楽しむという姿勢が好ましかった。演奏会の後には、芸術におけるプロとは何かをも考えさせられた。人に感動を与え、元気付けるのはプロとか肩書きとは無関係であるのはいうまでもない。自分としては、音楽でも、絵でも、文学でも、芸術に対する評価は相手からどれだけエネルギーを吸収できるかで計る。昨日の音楽からは十分エネルギーをもらった。今日の新しい意欲が湧いてくる。
9月8日(土) このホームページの油絵が改訂されないことを指摘された。確かに最近は新しい油絵を入れていない。そこで考えてみると、油絵というのは、終わりがない、つまり完了しないことに気が付いた。水彩画やペン画はその場で描くと終わり。出来栄えがどうであろうと二度と手を加えることはない。けれども、油絵は半年前、一年前に描いたものでも、気に入らなければ描き足しができる。あの一見ラフに描いたようにみえるマチスでさえ20回、30回と構図を描き直していることを知ると、描き直すことの抵抗はなくなって、時間が経つと大抵加筆したくなる。そうなると絵は完了することがない。けれどもどこかでは完成させてサインをする決断も必要だ。最近、痛感するのは仕上げの重要性。最後の筆の勢いとか執念が全体の完成度を決めることが多いように思えてきた。人生の仕上げはまだまだとして、これからは途上の油絵でも掲載することにしよう・・。
9月9日(日) 昨日のコラムを受けて、「今日の作品」に「裏からみたシャンボール城」の油絵を入れた。前に描いた絵に今回少し加筆したもの。幅1mを越すサイズの板に油絵を試みた最初のものであったが今みると余り油絵らしくない。それより、シャンボール城の複雑な尖塔群に圧倒された思い出が懐かしい。シャンボール城は世界遺産にも登録されたフランス・ロワール河畔の美しい城。正面からみた写真はよく目にするが裏に回ってみる造作がまた強烈だ。フランソワ1世が1519年に起工し現在の城の形になるまでには100年の歳月を要したという。(主要工事は1537年に完成)イタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチが招聘され城の素案を作ったともいわれ、レオナルドが設計したと云われる二重螺旋階段もある。当時最先端のイタリア・ルネッサンス建築とゴシックの小塔群など”いいところ”を寄せ集めた最新鋭のお城であったのだろう。思えばこんなお城を描こうという無謀を試みたのは数年前の夏休みだった。これはやはり元気がないと着手もできない。我ながら古きに刺激を受けるのもいい・・。
9月10日(月) 米国のコンピュータ企業の大手、ヒューレットパッカードがコンパックコンピュータを買収したことが報じられ話題になっている。合併後、従業員15万人の新会社となるという。IT(Information Technology)関連の業界も戦国時代で数年先のことは読めないのが実情だろう。米国では組織体としての「理念」が明確にうたわれていて、実体はともかく、その表現には感心することが多い。日本企業の場合はいかにも横一線、どこに持っていっても通用するような内容で、概して面白味がない。少し紹介しよう。冒頭のコンピュータ会社のライバルに当たるTexas Instrumentの理念=Know What's Right. Do What's Right. 「何が正しいかを知り、そして正しいことをしよう」。 日本でよくある、"CUSOMER FOCUS"(顧客重視) と比べると随分分かり易い。自分ではNASA(米国航空宇宙局)哲学といわれる言葉が好きで、時にはそのまま自戒の言葉としている。いわく:RETURN TO BASELINE.(基本に返れ)
9月11日(火) めずらしく都心を直撃した台風15号も午後には通り過ぎてしまった。台風が通過すると、被害があれこれと報道されるが台風の恩恵については触れられない。伊勢湾台風のように死者が5000人にも及ぶ大被害の場合もあるし、少なくとも不幸にして被害を被った人々には天災であるだろう。けれども、被害額に対応して、台風の自然現象としての恩恵についてもっと数値化して評価されるべきではないかといつも思う。電力○○億kw,水道××億トン、その他、散水、古い木々の伐採、河川の洗浄、排水能力試験などなど、仮に数値で表すことができれば膨大なものになるだろう。元寇のとき蒙古に大損害を与えた台風は、日本にとっては正に”神風”となった。台風に限らず何に対しても、報道する方は被害ばかりを強調する。マスコミに頼っていては、実は神風の大旋風だったなどということにも気が付かないのでないかと余計な心配をする・・。
9月12日(水) 昨夜は10時過ぎから、アメリカの歴史的惨事をTVで生にみて言葉がなかった。TVもNHKなど国内テレビ局以外に、CNN,BBCなどでlive放映され、その場で体験しているような緊迫感を感じさせる。世界貿易センタービルに、ハイジャックされた航空機が突っ込む瞬間もすさまじいが、1時間もすると、この110階建の超高層ビルがあっという間に倒壊する。誰も想像すらできない2棟の超高層ビルの倒壊現場を目の当たりにして言葉もでない。世界貿易センターには、昔、出張で何日か通ったことがある。通勤鞄を持っていたせいか、ビルのエレベータホールでわずかな時間に2度も道を尋ねられた思い出のある場所でもあるが、このビルが目の前で消滅した。こうした大事件の日には何も他のことは書けなくなる。けれども、総括したコメントなどしようもない。ただ一つまた歴史の転回がはじまるのだろうか・・。
9月13日(木) 米国中枢部に対する大規模テロは戦争の始まりの様相を帯びてきている。新聞・テレビよりも早い速報がまれにあると聞いて、噂の2ch(2ちゃんねる)をみた。インターネットであらゆる分野について全く自由に書き込める無記名の掲示板というところだろう。(普通はここでリンクをつけるものだが紹介もしたくない)ニュース速報の分野などまだ真面目な方だと思われるが、それでもいわば便所の落書き風な書き込みが多いので改めて驚いた。名前を出さずに書き込む掲示板というのはこうも汚くなるものか。ザマーみろ式のものから皆殺し的なものまで人間(本性とは思いたくないが)の恐ろしさを嫌と云うほど教えてくれる。一方ではテレビにでてくる新聞論説委員は、ではこれから何をすればいいですかという問いに全く答えずにきれい事だけコメントしてすましている。なるほどテロの芽は簡単には無くならないことが納得される。わずかな救いは、netで見る限り、New York Timesなどの新聞の書き方が意外に感情的にならず冷静なところだろうか。
9月14日(金) 以前に読んだことがあるかどうかも記憶が定かでないが、いま小林秀雄の「無情といふ事」「モオツアルト」などを含む全集本を読んでいる。小林秀雄のこの評論は戦争からの逃避と指摘されるが、結果的には古典ともいえる名作を世に残した。当麻、無情といふ事、平家物語、徒然草、西行、実朝などのエッセイの連作が全て第二次世界大戦中に執筆され、モオツアルトは敗戦のどん底時のものであるが、いずれも作品からは全くその時代を感じさせない。勿論、時流におもねるところなど微塵もない。一昨日のショッキングな米国へのテロの映像をみて、ものを書く人が、戦争や敗戦の真っ只中にいて、その時代に触れないのは容易な事でないと今更感心してしまう。先が読めず、時々刻々変化していく情勢について評論の筆を動かぬのは利口かも知れない。歴史的な事件に右往左往されずに、歴史的な作品を残すなんていうところは、あやかってみたいが極めて難しい・・。
9月15日(土) 米国への航空機突入テロ攻撃の犠牲者を悼む追悼礼拝が米欧の各地で行われたことが報じられている。注目されたのは、キリスト教だけのミサでなく、イスラム教を含む各宗教の司祭、代表が出席したというところだった。勿論、政治的に、今回のテロが宗教の対立ではなく、特殊な過激組織によるものだということをアピールし、大多数の敬虔なイスラム教徒はこの事件を悲しんでいることを強調する狙いもあるだろう。それにしても各宗教が一堂に会する意味は大きいと思われる。「自分にとっての神は他人にとっての悪魔である」といったのは、マックスウェーバーであったが、多神教の日本人(?)にとって、一神教が他の宗教に抱く感情は計りがたいことも多い。甘い考えであることを承知だが、こうした事件を契機にして、”正常な”宗教家が他の宗教者と交流し相手を知れば、世界は少し前進するとも思えるのだが・・。

9月16日(日) 今日、日曜日の午後、浜離宮朝日ホールで千葉純子さんのバイオリン・リサイタルを楽しんだ。千葉さんは”純子ちゃん”と呼ばれた子供の頃から家族で応援しているが、いまや国際的なバイオリニストとして活躍している。いつもながらのはったりのない爽やかな音楽性に酔うことができたし、ヴュータンの超絶技巧の曲(「バラードとポロネーズ」・・この曲は初めて聴いた)も気持ちのいい余韻を残した。ふと、これだけの演奏を何か当たり前のように聴いているのが申し訳ないような気になった。私など子供の頃には本物の生の演奏を聞くことは夢であった。ましてや一流の演奏に接するのは夢の又夢。人間業とも思えぬ技巧を生に聴いているという大変な贅沢を改めて感じた。感動という初心を忘れてはならないだろう・・。帰路、歩いて浜離宮を訪れた。高層ビルに囲まれたこの空間にも彼岸花が咲き誇っている。


9月17日(月) 今日更新した「ローマ遺跡」の油絵もそうであるが、ある程度の大きさの絵をデジカメで撮影し,パソコン画面でみると、実物でははっきり見える絵の具のタッチなどが見えなくなる一方、生の絵では気にならない細かいバランスや濃淡が随分と強調されるのに気が付く。どちらかというとアラが目立つ。今回のコロッセオはF10(530*455)サイズ。これがスケッチのサイズであると余り違いが気にならない。絵というのはただでさえじっと同じものを見続けていると自分でも感覚が麻痺して何だか分からなくなることがあり、時間をおいて見直すと前と違う発見をする。丁度、自分で演奏した音楽を録音して聴いてみると第三者として自分の演奏を見直し、評論できるのと同じようなところがある。パソコン画像で見直すのもその意味で自分にとってはまた新発見があるから面白い。いずれ加筆した後、サインをしよう・・。
9月18日(火) 今、最も注目される人物、Bin Ladin氏について興味ある記事をみた。米国への大規模テロの首謀者とされるこの人物がサウジアラビア生まれの大金持ちとはよく報道されているが家族構成は知らなかった。USAtodayによれば、彼は兄弟姉妹が50人いて、その中の17番目の息子で、自分の4人の妻には少なくとも10人の子供がいるという。旧ソビエト連邦の時代にアフガン戦争が泥沼化し、ソ連が撤退を余儀なくなった背景の一つに、ソ連の多数の「大切な」若者が犠牲になっていく事に対する社会(母親・父親など)の厭戦心理が働いたということを、逆の意味合いで思い出す。ソ連も少子化政策で数少ない息子は宝であったのだ。同じ少子化の中国でも(人口の絶対数は多くても)無謀な戦争をすることは先ずないであろう。兄弟が50人、子供が10人いれば生物学的にも自分の命などなくてもよいとした行動ができる・・というのは言い過ぎか。自分のことを云えば、太平洋戦争前の「産めよ増やせよ」政策がなければ、4番目の子供である自分自身がこの世に存在しなったと思うと、極めて複雑な心境になる・・。
9月19日(水) 勝負事には感情を無くせ、という法則があるのかどうか知らないが、スポーツの経験では過度の感情は勝ち負けの世界で間違いなくマイナスに働く。”頭に来る(鶏冠にくるというのもある!)”、悔しい、憎い、コン畜生・・の動揺は集中力をなくす元となり、自滅するか、冷静な相手には反撃を受けて敗れる。本当に勝負に勝つ人は、常に冷静で、相手の動き・弱点をつかみ、何が一番有効かを瞬時に見極めながらここぞと云うときに力をだす。以上は、感情動物である自分がいつも反省することの一つである。・・大規模テロ事件というルールのない戦いにこんな例を引き合いに出すのは不遜だが、憎ければ憎いほど冷静な報復や対策が必要だろう。米国ではあらゆる可能性を探り、世界中の情勢を判断するというやり方が一部読みとれる。我が国の新聞はまともな分析もなく、他人事かまたはテンションだけの記事が目立つのが残念だ。

9月20日(木) 次の日曜日に「今日の作品」として掲載する予定の抽象画がある。絵というのは何らかの感動がエネルギーとなり具象であれ抽象であれ形を成してくるものと思われるが、純粋抽象画についてはどうもまだしっくりと納得できていない。頭で考えて無理矢理作り上げた絵などつまらないと思う。描き上げる時に自分自身で感動するものがなければ作成する意味がない。ところが純粋抽象画は具体的なものを目前にしてイメージを膨らませるよりはるかにエネルギーが必要なことに気が付く。つまり余程気力が充実し集中しなければ己自身が何をやりたいのか見えなくなる。何を描いてもよろしいという自由は自分が何を表現したいのか、霊感をえて見極めなければならない。絵以外でも同じだと思える。半分はノルマとして生活パターンが決まっていればこれは素直に見たままを描くデッサンのように比較的気楽である。一方、自由な時間というのは大変なプレッシャを伴う。何をやってもいいというほど難しいものはない。
9月21日(金) 携帯電話が少し前までは不可能であった伝達の役目をしている。ハイジャックされた飛行機の乗客が墜落する直前、あるいはビルに追突する瞬間まで交信していたという内容は痛々しいけれども貴重な情報となるだろう。インターネットがこれからの反テロ攻撃や対策にどんな役割を果たすのか読み切れない。少なくとも、10年前の世界の情報NETと比べると格段に状況は変わっている。例えば我々のような日本の一個人がボタン一つで"afghan link"を覗くことができる。そこにはtaliban on line(これは繋がらない)など英語バージョンのリンクが山ほどある。世界中の人が国境を越えて情報のやり取りをこれ程簡単に出来るように変わっているのだ。今はテロ組織ばかりインターネットを活用しているようにみえるが、アフガンの一般女性が顔を見せることができ、写真を撮影することが許され、そしてインターネットを操作するようになれば世界は確実に良き方向に変わるだろう・・・。
9月22日(土) 「暑さ寒さも彼岸まで」。昨日までとはうって変わり半袖では肌寒いくらいだ。冒頭の言葉や、その通りの気候の変化は日本のかなりの範囲ではピッタリくるとしても、沖縄や北海道ではハズレに違いない。大体、冷房と暖房の両方の設備が必要な箇所というのは世界中で非常に限られた地域だけである。(冷暖房兼用の機種などそれほど輸出もできない)情緒ある四季の変化を味わえるのは、むしろ恵まれた少数派であることを感謝すべきかも知れない。自分の生まれ育った所では当たり前のことが外界では(それが外国でも)そうではないことを思い知らされることは多く、その意味で旅行をすることはお勧め。若者が海外で苦労してきたとたんに成長する話はよく聞くところだ。若い頃に外国の仲間がみな兵役にいく話をするのにショックを受けたことを思い出す。徴兵制度のない唯一の国に自分がいる幸せを若者は気が付いているだろうか・・。
9月23日(日) 「今日の作品」に、久しぶりに抽象画を入れた。前に書いたことがあるが、こういう絵には終わりがない。自分でも少し時間が経過すると大幅に描き直したくなることがしばしばである。今回の絵は家族では上下が逆の方がいいという意見が強かった。部屋に飾るときは上下反対でも、縦でも気分次第で変えてみようと思う。描き初めは中央には真っ赤な太陽があったのが次には白色の枠を付けた丸い温・湿度計の現物を取り付けた。いまは薄い色の球になってしまったが、温湿計にはまだ少し未練がある。時々は温湿計を両面テープで中央に貼り付けて遊ぶつもりだ。タイトルは「つながり」とした。絆は字はいいが拘束をイメージするので止めた。「希望」とか「転成」とかは大袈裟なので避けた。何でもいいけれどでも「無題」という題名だけは付けないとこだわった。 9月20日コラム参照
9月24日(月) 「天気」は雲一つ無い秋晴れ。「気分」は最高。けれども、この休日には少々運動をやりすぎた。今ひとつ「元気」を付けるため、ここで一つ景気のいい「気」の言葉づくしといきたい:気力、気合、気勢、気概、気運、気性、気長、気品、根気、勇気、意気、強気、活気、陽気、一気、運気、志気、本気、生気、精気、人気、男気、殺気・・・このあたりで、やる気がでたか、気が乗ってきたか、気が入ったか・・いやいや、それは気のせい、気が早い。「気の世界」はまだまだ奥が深いようだ。まあ、これで気が済めばいいことにしよう・・・。
9月25日(火) 2年ほど前、1999年12月にパキスタンの最高裁は「銀行などの利子」はイスラム法に反するとして、2001年までに銀行の利子撤廃と「利子に依存しない経済システム」を確立するよう命じた。これが今現在どうなったのかは知らないが、イスラムには我々の常識を根本からひっくり返す発想があることは確かだ。今年1月に人口の90%がイスラム教徒であるインドネシアで、味の素の製造過程において豚の酵素が使われた疑いがあるとして現地の日本人が逮捕されたというニュースもあった。豚肉を一切食べないというのもイスラムの戒律の一つ。いまホットなイスラムや宗教に関して軽々しいコメントはできないが、本来の幅広い人々に支持されている宗教にはそれだけの意味がある。過激に変身した姿は論外として、宗教そのものの教えにはハッとするところもある。一つは喜捨(ザカート)。これは、持っている人が出し、持っていない人が受け取るという思想。守銭奴ばかりが余りに目に付くとザカートは何か非常に新鮮に映る。この際イスラムは勉強しがいがありそうだ。
9月26日(水) このところ富岡鐵斎(1836-1924,天保7-大正13)に傾倒している。鐵斎は日本における文人画の最後の代表的作家とされるが、当時は文人といっても専門の絵師以上に気位が高く、素人の余技とは全く違う。鐵斎は生涯に2万点もの書画を残したといわれ、第二次世界大戦後の再評価では、セザンヌ、ゴヤとともに19世紀の世界三大作家とまで称されたこともある。確かに70歳頃に描いた絵などオリジナリテイーあふれた大胆な構図と筆さばき、デリケートな色合いは息をのむものがある。鐵斎の絵というのは、60歳以降、ことに80歳を過ぎて妙味を加えて独自の世界を作り上げたというところもすばらしい。鐵斎が20歳ころに尼僧、蓮月と数年に渡り共同生活を送ったという逸話がある。尼僧、太田垣蓮月は女流歌人として知られ、また書や焼き物でも名を成していた人物で、後の鐵斎を陶器作りの手伝いをさせながら共同生活を送ったのは、蓮月60(〜65)歳 の頃といわれる。鐵斎はこの時期に蓮月から精神的に非常に大きな影響を受けたというから面白い。・・鐵斎の本物の絵をもっと見てみたいものだ。
9月27日(木) 最近、よき評論家というのは非常に希(まれ)で、かつ貴重であるように思えてならない。文芸評論家、音楽評論家、美術評論家、野球評論家、政治評論家、社会評論家・・どれをとってもいいが、評論家の存在意味は、本来評論される側(つまり現役としての実行者)を力づけ、成長させるところにあるべきであろう。ところが、評論の形をとって自分自身は実行出来ないことを自分の能力(実は能力はなくても)を、誇示するような言い方をする職業評論家が多すぎる。自分の稼ぎとしての評論であって、実行者である相手を尊敬し鼓舞する論調がみえない。余りに一般論の話になってしまったが、大新聞の論調などもまるで職業としての評論で、ではどうすればいいか考え詰めた具体性がない。しかも新聞とは何様なのだというものが目立つ。世論から無視されて新聞リストラでも起きなければ、これは直らないのだろうか・・。
9月28日(金) 巨人軍の長嶋監督の引退が決まったようだ。いま、テレビのライブで引退の記者会見が放映されている。どう見ても長嶋は今年限り。来年はサッカーのワールドカップも開催される。日本のプロ野球低迷のなかで大長嶋監督は今年を逃すと栄誉ある引退のチャンスがなくなるとの見方が大方でなかったか。2−3週間前であったか、息子を入れた我が家の家族で、引退後の長嶋は如何にあるべきかを議論した。(他人の老後を酒のツマミにしたという訳だ)私の意見はとにかく老害防止。なまじ、巨人軍のため、球界のためと称して”業界”に残らないこと、出来れば、報酬などなしに、社会へ”ボランテイア”をすることを主張した。球界と一切関係なしに、いわば「水戸黄門」式に全国を無償でまわり、声なき声を聞いて廻る。そんな姿を推奨したのだ。・・現実は、「専務」と「永世名誉監督」で残るとか・・。意志が強くなければ完全引退はできないのだろう。望むらくは、老残をさらすことなく(間違えても代議士などにならずに)、自分で考えた生活を見せて欲しい・・。これからの長嶋の生き様こそみんな注目している。
9月29日(土) サムエル・ウルマン(1840-1924,ドイツ生まれの米国人)の詩:「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。・・・時には、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。歳を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。・・」丁度15年前にこの詩は一種のブームになった。私も当時ある面では感動していまもこれを紹介する資料も持っている。けれども、その後この詩はお元気な財界人や政治家の老人の免罪符となってしまった。60歳どころか70,80歳になっても「歳ではないのだ」という口実を与えて老害を助長した。ただでさえ周囲におだてられて裸の王様になりがちなところに絶好の応援歌を提供してしまったのだ。それでも詩が悪いわけではない。普通の人を元気づけるのならばそれはそれでよいだろう。ところで若者は果たしてこの詩にあるような青春を謳歌できるものなのだろうか・・・。
9月30日(日) 「今日の作品」に「3頭7体コーギーの図」をいれた。こういうものは面白いと思わなければただそれだけ。発想は昔から世界中で似たようなものがある。中国では「五童子」といって五つの頭で十人の子供を描いたものがあり、日本でも江戸時代に「五重童」という同じアイデイアの絵(ネットでの同種の参考画はここ)もみられる。幕末の「五頭十体女の図」という同種の遊び絵のタイトルをもじって「3頭7体コーギーの図」としたが、コーギーを多重像にした遊び絵の変種である。変種といっても江戸時代後期の有名な浮世絵師、歌川国芳が描いた「欠留人物更紗(あくびどめじんぶつさらさ)」という作品は「14人のからだにて35人にみえる」という大作がある。コーギー15匹のコーギーサラサに挑戦しようと思ったけれど、人物のように手と足が長くなければ組合せに変化を持たせるのが難しいと分かり、7体で終わりとなってしまった。

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