これまでの「今日のコラム」(2002年 1月分)

1月1日(火) あけましておめでとうございます。いま、明治神宮に初詣に行ってきたところで、これから元旦の朝食です。
新年用の「今日の作品」には賀状モデル「2002-NEW YEAR」を入れた。自分で持っている馬を描いたり、本で見た絵をスケッチしたものもある。中ではショーヴェ洞窟(3万年前)の馬がお気に入りだ。あらためて並べて描いてみると、世界中の馬、時代を超えた馬もそれほどに変わりがないのに新鮮な驚きをおぼえた。私的には、今年もまた新天地を求めて駆けめぐりたいがどうなるだろう・・。

1月2日(水) 昨夜7時過ぎから衛星放送でウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見た。8時間の時差があるが、全くの生中継。今年は小沢征爾が指揮をするという話題のコンサートでもある。小沢がウィーンフィルを指揮するというのは、イチローが大リーグで首位打者どころかホームラン王になったようなものだろうが、小沢はあくまで自然体。生放送で見ているこちらの方が緊張して、カラヤンの指揮を心地よく聞き流すような訳にいかず、小沢の醸し出す一つ一つのニュアンスを神経を集中して聞く。幕間?にはユーロへの通貨統合のコマーシャルのような画面も現れてこの年しか見られない貴重なニューイヤーコンサートであった。それにしても、お節を食べながら、この同じ瞬間にオーストリアの宮殿で演奏されているワルツを酒の肴にして団欒するなど何と贅沢なことか・・。
1月3日(木) 年末から正月にかけて妻と私そろって体調を崩したが、3日目になって完全に復調した。卵が先か、鶏が先か分からないが、外出して活発に動き始めたとたんに身体も胃腸もシャンとする。箱根駅伝などのTVを見ながらボーとしているのがどうも身体には悪いようだ。東京は今日(3日)すばらしい快晴となった。これからアール(コーギー犬)を連れてまた陽を浴びに出かけたい。他人の走るところを見るのでなく、アールと一緒に思い切り走り回る。太陽の下で思う存分に空気を吸う。これが一番の健康法だ・・などとおじさんのようなことは云わないが即行動しよう・・。
1月4日(金) 人の好悪、評価は年と共に変わることがよくある。北大路魯山人もそんな中の1人だ。魯山人は陶芸家、書道家、篆刻家、料理研究家で、どの分野の作品もスケールの大きさ、オリジナリテイーには衝撃を受けるが、その話にきくところの傲慢不遜な貴族性、謙虚のかけらもない独善性から、人間は好きにはなれなかった。魯山人が亡くなって40年以上(1959年死去)を経過した今現在になると、養子として貧しい生活を送りながら全てを独学で会得したなどという状況をあわせて言動は過去のものとして薄まってしまう。残った作品だけが全てを語る。「袋は腐り 中にある宝玉はますます輝きだす」 今年は少し魯山人を研究してみようかと思う。
1月5日(土) 昨日の魯山人のコラムについて、「貧しい生活を送りながら独学で会得した」ことと人間性とは関係ないのでないのと妻から指摘された。その通りで、貧しく育ったから人間性がどうでも許されるという論理を採ってはならない。この辺りの文章は撤回しよう。その後、魯山人については新たな発見がある。以前、魯山人の焼き物を生でみてなるほどすばらしいと感激したことがあるが、何と魯山人自身は轆轤(ろくろ)を一度もひくことがなかったという。つまり、粘土をこねて轆轤をひき形を作るという作業は熟達した職人にやらせ、自分は細かく注文を出したり一部の小細工を施すが、それと絵付けが魯山人の仕事であったと言う訳だ。それで焼き物には魯山人作の銘がはいる。こうした事実は全く知らなかった。絵付け魯山人とかデザイン魯山人とかでなければフェアではない。中川一政が「観賞家魯山人であることは確かだが創作家魯山人ではなかったようだ」と書いている意味が分かったような気がする。人間を知ることはなかなか難しい。
1月6日(日) このところ魯山人が絵付けした皿の絵を何枚か描いたので、一つ(織部かに絵皿)を「今日の作品」に入れた。本物を見て描くのでなく写真を見ていることに口惜しさを感じながら、それでもスケッチをすると絵付けの仕方がよく分かるような気がする。蟹の絵は豪快だが、こんなお皿にどんな料理が乗せられるのか興味もある。そうは云ってみたが、自分の場合、お皿の形状とか絵付けには関心があるが、料理そのものにはほとんどこだわりがない。その日食べることができる食事を神に感謝しつついただくというスタイルで、大抵はどんなものでも美味しく料理を味わっている。
明日から国内の小旅行に行く。味わう気になれば至るところに美味しいものがころがっているのは旅行の世界でも同じだろう・・。

1月10日(木) 明治のはじめにドイツの世界的な地理学者、リヒトホーフェンが「世界で最も魅力ある美しい場所の一つ」として絶賛したと云われる瀬戸内海を旅行した。宇野からフェリーでしか行くことができない直島が第一目的地。直島では安藤忠雄の建築設計による美術館(モダンアート)とホテルが一体になった「ベネッセハウス」に宿泊した。建築、アート、瀬戸内海の眺望そして従業員や島の人々の応対(アートのプロジェクトが島の至るところにある)すべてがすばらしい。地中海のリゾート以上ではないかと冒頭の言葉を思い出したものだ。リヒトホーフェンは100年以上前の時点で、この美しい景色を維持するための「最大の敵は文明と以前知らなかった人間の欲望の出現であろう」と予言したといわれる。その通りに一時は直ぐ側の島(豊島)は産業廃棄物の不法投棄で山を築いたり環境は最悪となった。けれども今はオリーブの木のネットワークなど瀬戸内全体が自然環境の再生に向け動いている。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が遠くに見えた。これからは直島のような質の高い文化をもった”島”の価値がますます高まるだろう・・美しい夕日と島波を眺めながら期待を込めてこうつぶやいた 。
1月11日(金) 世の中には奇妙な符合というのがあるものだ。生まれて初めて四国の丸亀にいった。児島ー坂出を結ぶ瀬戸大橋が折からの強風で不通のところをフェリーで四国に渡ったのだからかなり強引に丸亀まで足を伸ばしたことになる。丸亀の駅前に「猪熊弦一郎現代美術館」を訪れるのが目的だった。そこではなんと「北大路魯山人」の特別展が開催されていたのだ。まさか猪熊弦一郎美術館で魯山人を見ようとはゆめゆめ思わなかったが、猪熊弦一郎は魯山人が珍しく気を許した友人だったらしい。ただインスピレーションだけで選んだ猪熊弦一郎の美術館で、正月以降このコラムで何度か話題にして今日の作品に皿の絵まで入れた魯山人と出会ったのは何か天の啓示と考えることも出来る。今年は新しい道を開拓出来るかも知れない・・。
1月12日(土) 直島(香川県・瀬戸内海の島)に家プロジェクトというのがある。これは島に残る古い家屋を使って現代美術のアーテイストが作品を展示するもの。「今日の作品」に入れた南寺は寺の跡に安藤忠雄設計した建物が新たに建てられたものであるが、内部の仕掛けは,James TurrellがBackside of the moonというタイトルの作品を作っている。家の中に入るときに案内の人が手で壁を伝わっていくとベンチがあることを教えてくれる。中は真っ暗闇。勿論何も見えない。ベンチに10分間座っていてくださいと云われたとおり忍耐強くただ真っ暗の中で待つ。真の闇の中で目を開けて2−3分にしても過ごした経験はない。時計を見るわけでもなく10分というのは猛烈に長い。それが数分したころからほんのわずかであるがぼやけた明かりらしきものを認めるようになる。それ以上の進展がないままどうなるのか待っていると10分経過する頃には何と部屋の四隅の状況や明かりの仕掛け、ベンチも見えるようになる。これだけだが、人間の適応性とか理屈を云わなくても、ただ体験するだけで面白かった。
1月13日(日) 妻と一緒に「速読術」に挑戦しようと解説書を借りてきて読み始めている。速読は要するに目の認知力と集中力の訓練で出来るようになるようだ。昨日のコラムで書いた「暗闇でものを見る能力」もそうだが、人間の能力というのは 潜在的に持っている能力のほんの一部しか使っていないことは多い。 けれども、訓練を実践しなければ持っている能力も見えてこないのも確か。解説書なしで同じ事をやる人は天才的といわれる。凡人としては訓練を継続する意志があるかどうか。継続するためには遊びながら学ぶフリートレーニングを混ぜること。楽しみながら続けるのがいいという。Let's start! それにしても我ながら40年ほど遅いスタートだとは思う・・。
1月14日(月) ケーブルTVでインターネットの使用時間は無制限であるので、数ヶ月前から新聞を止めて、ニュースはインターネットとTVで済ませている。インターネットで主な新聞のニュースの他、論説やコラムなどを毎日読むことができるし、外国の新聞にも目を通せる。けれども昨日このコラムで書いた「速読」などをやるには、旧(とあえて書く)新聞は非常に良くできた情報手段であると改めて見直してしまう。一面の大画面のなかで、タイトルの大きさ、配列、囲い方など極めて短期間で内容が把握できるようになっている。パソコン画面でスクロールしたり、クリックするのではとても新聞にかなわない。それに、インターネットのニュースは少し前のニュースなど見直せなくて歯がゆい思いをする。先ほどから今年の歌会始の入選作を調べようとしたがどう検索しても見つからない。それともう一つ。古新聞がなくて以外に不便をすることが判明。我が家の、ノー新聞は見直さなければならないか・・?
1月15日(火) 先週の旅行はまず姫路城からスタートした(「今日の作品」に「姫路城」を掲載)。姫路は私の生まれ故郷で妻が行ったことがないので選んだのであるが、考えてみると自分も姫路から東京に移り住んで45年経っている。その間、仕事で2−3度寄ったことはあるだけで、観光ははじめてだ。姫路城といえば丁度45年前頃から数年をかけて全体をシートで覆い大修理を行った。その結果で今日の世界遺産・姫路城があるといってもいい。世界遺産は世界の文化遺産と自然遺産の保護を目的にユネスコで条約が定められているようだ。膨大な費用をかけた上で、自然や文化を世界共通の宝物として守り、そして我々が見ることができる。まず姫路城を手始めとして、これから世界遺産を出来る限り訪れること、これは私の秘やかな夢である・・。
1月16日(水) 「一粒の麦もし死なずば」というアンドレ・ジイドの小説(自叙伝/文庫本)をたまたま手にとって電車の中で「速読」の練習に使った。この本のタイトルは、云うまでもなく聖書からとったもので、現代訳では次のようになる。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書12-24)  なかなか味わい深い有名な聖書の文言を思い出していい気持ちになったまではよかったが、「速読」については大失敗だった。きちんと家で訓練も出来ていないところで、電車の中で必死に目を使ったために10分もするとすっかりくたびれて、そのあと本を開く元気もなくなってしまったのだ。生兵法はけがのもととはよくいった。ゆっくりゆっくりとやろう・・。
1月17日(木) パリのオルセー美術館は、パリ万国博覧会(1900年)の時に建てられた駅舎を改修して作られた事はよく知られている。駅の構造を上手く活かした建築で、パリで時間ができたとき、ルーブル美術館にいくよりオルセーにいくという人も多い。(私は、出来た時に建築がモダンすぎて非難を浴びたというポンピドーセンターの美術館が好きだ)最近、といっても2000年5月にオープンしたロンドンのテムズ川沿いのテート・ギャラリー現代美術館(テートモダン)は火力発電所跡に、煙突など元の建物を残してデザインされたすばらしい建築としても話題になった。大きなタービンが何台も並んで稼働していた発電所の建物を美術館に転用するといっても世界中の一流建築家を集めたコンペで一等となったヘルツォーク(スイス人)の設計。残念ながらテートモダンは写真で見るだけで行ったことがない。いつの日かロンドンに行ったらここに寄るのが夢。ちなみに、この美術館は入場料は無料という。
1月18日(金) 「今日の作品」に直島から見た瀬戸内海の風景を入れた。この絵は自分にしては珍しく、同じものを2枚描いた2枚目のものだ。1枚目は全く色を付けずに細い黒ペンで描き水で黒インキをにじませた。2枚目のこの絵はこれでも薄く色をつけている。絵の勉強のためには、同じ絵を何枚も描きなさいと云われるらしい。10枚同じものを描きその中で自分が一番好きな作品を選ぶ。そうすることが非常に勉強になる・・という理屈は分かるが、私はこれが余り好きでない。いわば有限の時間を使う作業の中で、出来がよくても悪くても自分の子どものような作品。絵でも一期一会のような感覚で、気に入らぬから捨ててしまうとはいかない。実は2枚の内、どちらを掲載するかも随分迷ってしまった。
1月19日(土) 朝、出かける前に 居間にある妻専用のi-MACを立ち上げると、"HAPPY BIRTHDAY!"。わが仕事部屋のPowerBookG4はおバカさんで何の挨拶もない。それにしても知らせてくれてありがとう!今日は私の誕生日、特別の日なのだ。一年前のコラムをみると何だか緊張したことが書いてあるが、この一年は自分なりに充実した日々であった。自分のやりたいことを見直す機会もあった。やりたいことが、同時に何らか人のためになるというのが希望だが「人のため」というのは案外に難しい。「他人のため」というと他人とは誰か、グループのためにならなくても、村のためになることがあり、村のためにならなくても、日本のためになることがあり、日本のためにならなくても「人」のためになることもある。話が少しそれてしまったが、役に立たないようでも、誰かの役には立つ・・そんなことを願って、また新しい一年に挑戦しよう・・。
1月20日(日) 「梅咲いて 身のおろかさの 同じなり」(一茶) 日曜日、朝の犬の散歩で西郷山公園にいくと梅が咲き始めていた。先週までは梅には気がつかなかったが、季節は確実に歩みを進めている。一方で、俳句と同じく、我が身のおろかさは変わらないと思うことも多い。変わらないなりに、今日しかできない肉体労働をして汗も流した。大抵は、思うようにいかないところと、うまくいくところとが交叉する。「葉牡丹の おごる葉のあり しずむあり」(禅寺洞)
1月21日(月) ジャック・マルタン著の「芸術家の責任」という本を読んでいる。ジャック・マルタン(1882-1972)はフランス生まれのカトリック哲学者であり、「芸術」と「倫理」という扱いにくいテーマを真正面から洞察している。芸術が人間の善でなく作品の善をめざす一方、倫理は作品の善ではなく人間の善をめざす。芸術家はまず自分の作品に対して責任を負う。そのとき作品の完全を求めるなかで、人の生存のよき意味と人間完成の途を知る。芸術と倫理の関係は不可分のものとなり、共同体に対して負うべき責務があると説く。マルタンの妻、ライサ(ロシア生まれ)も思想家で、ライサの思想なくしてジャックは語れないというほど結びつきは強いという。また、マルタンはラッセル、ヤスパースなどと同じく、二次大戦後の世界連邦(世界国家)論者でもあったようだ。珍しく哲学の本を読むと、現存する哲学者は誰がいるのだろうと考える。現代日本の哲学者の責任はどうなのだろう・・。  <「今日の作品」は「瀬戸内海2」に入れ替えた>
1月22日(火) 創造性はどうすれば開拓できるのだろう。ニーチェは人間の精神を次の三段階で説明した:@最初はラクダになって重荷に耐える。(規範を学ぶ、義務の精神)、A次に、ライオンになって今まで習った価値を否定する。(規範を捨てて自分で獲得する精神)Bそして否定の段階を越えるとこども(幼子)となる。ここで子どもは新しい始まり、自分で動くものとして肯定的な象徴であろう。新しいものを創造する第一ステップはまず重みに耐えて学ぶことというのはよく分かるが、学者というのは勉強すればするほど偏見の固まりになってくるという話もある。創造は偏見から自由にならなければできないから、学ぶだけでは創造とは無縁だ。習ったものを否定し、乗り越えるまで含めた教育が必要なのだろう。現在の企業や経済の閉塞感などまさに学ぶ(=真似ぶ)を越えた創造力が問われている。
1月23日(水) 「真理は手許に隠れている」という言葉が好きだ。応用編として「求めるものは手許に隠れている」としてもいい。昔から、幸福の青い鳥も自分のうちにいることになっている。画題を求めて旅行するのもいいだろう。コラムのネタが何かないか外で探すのもいいだろう。けれども大抵は自分の手許を見直すとテーマは見つかる。今日の作品に入れた「萎びた柘榴と柚」もそんな中の一つ。柘榴は何ヶ月も前に散歩の途中で拾ってきたもの、柚は冷蔵庫で見つけた。いずれも手許の題材だ。柘榴は萎びてしまったがこれもまたいいと思えば絵の材料になる。
1月24日(木) 何か新しいことをする場合、イマジネーションが欲しくなる。別に、学問や芸術的な対象に限らず、政治でも事業でもあるいは料理でもスポーツでもあらゆる分野でも、新しい取り組みにはイマジネーション(想像力、空想力といったものか)は必要不可欠なものだろう。面白いことに、新分野でないが、速読の訓練に「イメージ」のトレーニングがあることを知った。精神を統一した後、2分間、何でもいいから、あるテーマについて詳細にイメージを描く訓練をする。2分間、一つのこと(例えば、旅行先のある景色といったもの)をイメージとして追い続けるのはやってみると随分長く感じて、内容が十分に広がる。熟練者ほど多くをイメージできるという。この場合はイメージで記憶をする。イマジネーションはやりたいことを空想する。いずれにしても頭の中で「夢を見る」ことの効用は大きい。
1月25日(金) 妻から「陽明学って何」といきなり質問された。陽明学なんて昔少しは勉強したなどと思ったけれど「何」と聞かれると意外にうまく答えられない。「孔孟思想みたいなもので王陽明という人が作った思想」とか「知行合一といって行動があってはじめて知っていることになるとして、実践を重んじるという考え方ね」とか「古くは大塩平八郎、現代でも三島由紀夫など陽明学を学んで歴史に残る行動を起こした」とか断片的な知識を披露したがまともな説明にはならなかった。後でレビューしたが、儒教の一派として朱子学が理論体系を確立した(その上下の秩序を重視した考え方から権威側、江戸幕府公認の思想として都合良かった)のに対して、陽明学は、同じ儒教の一派でも、心で万物を知りその上での理論と行動の一致を主張した。そのため日本では反封建体制的な批判精神のベースとなった陽明学の意義まで自分も理解していなかったかも知れない。それにしても、一つの思想でさえ本当に理解をするのは簡単ではない。「儒教って何」「仏教って何」「キリスト教って何」と聞かれたら何と答えようか・・。
1月26日(土) このコラムはなるだけ役には立たぬ話、どうでもいい話題を綴りたい。あえて、社会問題や世の中をよくする話題などには触れずに、浮き世離れしたテーマとしたいと思ってきた。今日は体験からくる嘆きを一つ。毎日早朝と夜に最低2回は、アール(コーギー犬)を散歩に連れて行く。散歩のコースは一部の植え込みを除くとほとんどがコンクリート。場所によっては大理石の玄関口などもある。そんな美しい通路に大きな犬のウンチが残してある。隅っこでない、堂々と真ん中にコーギーの三倍はあるのでないかと思われる大きな落とし物は見過ごすこともできずにアールのために用意したビニール袋でとってやったりする。何度もこんなことをやっていても何も問題の解決にもならないし、それではどうすればいいのか今のところノーアイデイアだ。腹が立つと云うより情けない。
1月27日(日) この前の作品「萎びた柘榴と柚」を見た娘から、せっかくだったら桃と橘を入れた絵が欲しいと云われて「桃・柘榴・橘」を描いた。(今日の作品参照)橘(たちばな)はみかん科の常緑木で、果実は小ミカン。甘さがなく酸味が強いが柚に似たいい香りがする。文化勲章の白い五弁の花のデザインは橘の花びらからとられている。橘は日本のミカンの始まりとして登場し、日本書紀の時代には不老不死を象徴する貴重な樹木とされたという。この絵では小ミカン、柚と金柑の柑橘類を入れた。柘榴(ざくろ)には仏教のお話にもでてくるお馴染みの木。鬼子母神が人間の赤ん坊をさらって食べるので仏陀が戒めて代わりにザクロの果実を与えたと伝えられる。桃は中国では古来めでたい果物、霊力のある果物とされて日本でも古事記の時代から邪気を払う力があるとされているようだ。(桃の節句もこの説話の延長)・・・何のことはない、「桃・ザクロ・橘」は女の子にとって幸運を呼ぶお守りであるわけだ。こんな絵で幸せになるならいくらでも描きましょう・・。
1月28日(月) 「抽象」について辞書を引いた。新明解(この国語辞典はユニークな解説があるので辞書を引くのが楽しくなる)=個々別々の事物などから、それらの範囲の全体のものに共通な要素を抜き出し、「およそ・・・といわれるものは、そのようなものである」と頭の中でまとめ上げること。広辞苑=事物または表象のある側面・性質を抽(ぬ)き離して把握する心的作用。(この後まだ三倍ほど説明が続く)実は、具体的な事物を全く想像させない抽象形状というのがあるものかどうかを考えていた。そういう純粋な抽象画(そんな言葉があるかどうか知らないが)が描けるのかどうか。丸を描くと太陽とか月を連想する。横線を描くと水平線を思う。四角は窓。人間の心はどんな形状を描いても何かのイメージを作り上げてしまう。けれども辞書の説明でも「事物を全く想像させない形状」を抽象という訳ではないから、抽象絵画ということでいえば、見る方で想像するのは勝手であり、気楽に描けばいいのだろう。こんな理屈を云わなくてもいいが、抽象画を描きたくなった。
1月29日(火) 予定も期待もせずにいいことがあると得をした気分になる。用事のついでにBunkamuraザ・ミュージアム(渋谷)の「ウィーン分離派」という展覧会に寄ったら正にそんな気持ちになった。クリムトとシーレを並べてある程度かと思っていると、クノップフがあった。シニヤック、モネそれにルドンの絵まである。遠くから「ルドンの色だ」と思って近寄ってみるとやはりルドンだったのでうれしくなった。ルドンもウィーン分離派展に出品していたのだ。28歳で早世したエゴン・シーレが分離派展のポスターを描いていることもはじめて知った。シーレの作品は10数点あったが、あの独特な線の表現には見る度にショックを受ける。どれが一番印象に残るかと云われればシーレだろう。ウィーンで分離派展が開催されていた時代から100年経った現代の画家は、分離派の人たちが求めた自由な芸術を甘受しながら何か新しいものを描いているのだろうかなどと考えながら、文化村から家まで歩いてしまった・・。
1月30日(水) 最近、コンピュータ仕事が滞り勝ちだ。目の前には「ベジェ曲線ドリル」だとか「FLASHデザインテクニック」などの本が並んでいるが勉強も進んでいない。思うにCGと云うものに余り心酔していない所がある。今は非常に便利なソフトが出来ているのでCGもやれば比較的簡単に色々なことができる。やさしくなればなるほど、CGにも感激が無くなってくる。一昔の「白雪姫」のアニメには夢と感動があった。いまCGは余りにスムースな動きをするので夢がなくなった。大量生産品に食傷すると手作りが欲しくなるように、コンピュータもある意味で手作りの味が貴重になるかも知れない。・・今日の作品に「皿」を入れた。これも手作りであるが、いまの自分にとってはこんな絵でもCGの制作よりおもしろい・・。
1月31日(木) 今朝は6時20分頃、犬の散歩に出かけた。東京は7時近くにならないと日が出ないが、いつも立ち寄る西郷山公園では6時半から20人ほどの人が毎日ラジオ体操をしている。集団で体操をするのと個人が太極拳をするのでは意識が変わるだろうななどと思いながら、公園には入らずに、空を見上げると冬木立の間に満月が美しい。しばらくして体操の一団が解散した後、公園の梅の場所にいった。白梅はもう一部散り始めている。梅から20mほど離れた小高い丘から遠くに冬の富士山を見ることも出来た。犬の散歩といいながら、実はこちらが十分に楽しんでいる。「冬こだち 月に隣を わすれたり」(蕪村)

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