これまでの「今日のコラム」(2002年 2月分)

2月1日(金) 久しぶりに「今日の作品」にhandicraft(風向計・風力計)を入れた。調べてみると昨年の12月23日に試作品の風力計を掲載している。(同日コラム参照)作るべきものはほんの少しではあるが進んでいる。こうした自分の手を使う”モノツクリ”は時間を忘れるほど面白い。子どもの頃の遊びの感覚を思い出す。しかし、同時に道楽でモノを作っているというある種、後ろめたい気持ちに付きまとわれる。現代は自分の手で実際にモノの形を作ることは極めて希になってしまった。設計者は図面を描き、加工者が図面に従い作り上げる。組立、運転はまたその道の専門家が行う。例えばロケット一つを作り、打ち上げるのに、昔は糸川英夫さんという個人名が挙げられたが、今は何百人という組織とシステムがものを言う。オレがロケットを作ったと云える人はいない。実のところは後ろめたさを感じずに半分は道楽でモノツクリをできるのが理想かも知れない。ロボットなどはいま丁度ロケットの糸川時代のように個人が楽しみながら開発できる一番いい時期だろう・・。


2月2日(土) 2ばかり4個も並ぶ土曜日。自転車でテニス場に向かう途中、朝8時前というのに私立中学の入口付近で大勢の親子に出くわした。今日は入学試験日なのだ。TAPとか四谷大塚など有名進学塾の腕章をつけたお兄さん、お姉さんたちが大きな声で励ましていた。今も入学試験は塾主導とみえる。テニス場につくとすでに先着が4−5人いた。荷物だけをおいて順番をとる。開場まで30分以上を喫茶店で時間待ち。これもいつものパターンだ。今日の山羊座の運勢は10段階評価で4というので、テニスは無理をせず慎重にやったら勝ちが続く。・・と思ったら、休憩後身体が冷えているのに調子に乗って走り回って足首を痛めた。ゲームは最後までやったが帰宅すると痛みが激しくなる。午後の教室にはびっこをひいていく始末。やはり運勢は4か。書きつづると何ともまとまりのない一日だ・・・。
2月3日(日) たまたま見たTVで自分の”利き脳”をチェックすると完全に「右脳」型だった。つまり、左右の五本の指を意識せずに組むと左の親指が一番上になる、腕組みをすると左が上になる。これは右脳型らしい。左脳は言語、概念、論理思考などをつかさどり、その成長は20代がピークと云われるのに対し、右脳はイメージ、絵画、パターン認識力、直感、感情などをつかさどり、中高年になってもその働きを活性化できるといわれる。今まで意識したことは無かったが、このコラムで色々書いていることは右脳に関わることが多いのに気がついた。イメージやインスピレーションのテーマは今も自分の重要関心事である。いくつになっても能力向上ができるというのは人に希望を与える。「若人なおもて向上す いわんや老人をや・・」
2月4日(月) 一昔前、「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。スペイン人は走った後で考える。」との喩えが流行したことがある。(イギリス人がドイツ人に、フランス人がアメリカ人に、スペイン人が日本人などに自由に転用もされたようでもある)国民性を一言で表現するのは古い感覚で、いまは世界人として個人の性格を見る方が時代に合っている気もするが、最近、何かやる場合、「歩きながら考えろ」と自分に言い聞かせている。先ず始めること。考えているだけでは何も進まない。やらない理由はいくらでも見つかるものだ。先ず手を動かす、足を動かす、そしてうまくなければ修正すればいい。・・このコラムなども同様。一度キーボードを叩き始めると最後がどうなるか書く人知らず・・だから毎日続けられるのかも知れない。
2月5日(火) ピカソとブラックがキュビズムの代表のように見られた時代に殆ど同じような絵を描いていることはよく知られている。キュビズムの初期に描かれた絵を今現在みてもどちらがピカソかブラックか分からないほど似ている。けれども、お互いを認めながらも”同業者”として批判し合っている言葉は興味深い。フランス生まれで後に渋い色調で洗練された感性をみせたブラックはピカソのことを「結局、君の絵というのは我々に麻屑を食わせて石油を飲ませようとしているようなものじゃないか」と評すれば、一方、スペイン生まれ(バルセロナ育ち)のピカソはブラックのことを「ブラックは絵を描くのに頭をひねって描いている。私の場合は描く準備をするのに、物や人間を必要とするだけなのだ。とにかく、ブラックには生のなんたるかがわかっちゃいない・・。」といったという。伝えられるこの二人の言いぐさは、たまたま昨日(4日)のコラムに書いた国民性とピッタリ合致しているようで面白い。
2月6日(水) 「今日の作品」に「十文字絵・海」を入れた。実は前の土曜日(2日)、テニスの最中に足首を痛めたのが思いのほか長引き、じっとしていても痛みが気になる始末。(犬の散歩にも行けない)足首が痛むだけでこうも集中できないものか、パソコン仕事とか本格的な絵とかどうしてもやる気がしない。そこで月曜日(4日)のコラムにも書いたが先ず手を動かそう・・と描いたのが「海」だ。はじめに全く何を描くか意識せずに絵の具のチュウブから直接画用紙に色を塗りたくった。後は成り行き任せ。想像もしていなかった絵が出来上がったが自分としてはこういうスタイルの方が好みのようだ。これから「十文字シリーズ」ができるかも知れない。
2月7日(木) 今日のお昼は築地(東京)中央卸売市場の場内でお寿司を食べた。これが何とも言葉で表現できないほど美味しい。いい歳をして上等の寿司も食べたことがないのかと云われそうだが、これまでにこんなに美味しい寿司を食べたことはないといってもいい。(市場なのでお値段もそれほど高くない)大体、味覚について私は自信がない。終戦直後の食うや食わずの時代に育ったこともあるだろうが、何でもおいしく、ありがたくいただく。それにしても”味覚”とはなんだろうかと考えてしまった。おいしさとは舌で感じる総合点であろう。これが殆どの人が同じ評価を下すのは驚きだ。聴覚で聞く音楽は好みが分かれる。視覚にしても絵の好き嫌いははっきりしている。嗅覚も香水の好みがあるだろう。ところが味覚については絶対的に美味しいものは私のようなものにも分かる。おいしさも丁度好きな音楽を聴き、いい絵を見た時と同じような興奮をもたらす。動物として最も基本的な食べるという行動も人間にとってはただ胃の中に食物を入れる以上に文化的な行為なのだろう。
2月8日(金) 自分の身体のことでも摩訶不思議なことがいまだに起こる。足首を痛めて昨日まで徐々に回復していたものが、今日になって劇的に治ってしまったのだ。昨日はびっこを引いて歩いていたのが、今日は走ることも出来る。殆ど完治といっていい。治った原因を考えてみるに、昨晩、リハビリの一環として初めて試みた「筋力トレーニング、筋肉のスジトレーニング」がたまたま今回の足首の症状にピッタリ一致したとしか考えられない。このトレーニングは言葉では表しにくいが、要は自分の左右の足あるいは左右の手を、お互いに7秒間だけ全力で押し合いをさせる(足の場合は左右の足の甲を上下に交叉させて各7秒間押し合う)というもの。外部には一切力を出さずに、自分の左右の手足が全力で押し合う。反作用は自分の筋肉がパンパンに堅くなるほど筋肉で受けることになる。ほんの一本の筋肉のスジがガクッと元の通りに繋がったとたんに完治・・こんなことがあるのかどうか分からないが、一回の試みで治った事実は事実。何でもいいからやってみると思わぬ効果があることを体験した。
2月9日(土) 「すばる」という言葉は外来語のようなしゃれた語感で色々なところで使われている。自動車の「スバル」、谷村新司の歌「昴」、新しくはハワイにある日本の天文台の望遠鏡「すばる」などでお馴染みだ。「すばる」の語源は統一するという意味の「統(すば)る」で、すばるほし(統星)はオリオン星のそばにある「プレアデス星団」。この星団は6−7個の見える星(実際には60-70個あるという)でこれをひとつにまとめる意味とされているようだ。「星はすばる。ひこほし。ゆうづつ。よばひ星、すこしおかし・・・」(枕草子)(ひこほし=わし座のアルタイル、ゆうづつ=金星、よばひほし=流星)枕草子の時代の日本語を探すとネーミングとして”素敵な”言葉をまだまだ発見できるかも知れない・・。
2月10日(日) このところ意識して”画像”の記憶を試みている。少し前には図書館で雑誌の絵をじっと見つめて頭の中にたたき込んで家へ帰ってから直ぐノートに描いてみた。今日は、犬の散歩の途中で見つけた紅白の満開の梅をやはり頭の中に覚え込んで、家で紙に描き写した。実用的には筆記用具を持ち合わせていなくても済むし、スケッチするより簡単だ。やってみて分かったことは、その気になれば頭は良く覚えてくれるということ。覚えようという目的があると観察の仕方が全く違ってくる。私は出来ないが人の顔を一瞬見ると特徴をとらえた似顔絵を描ける人がいるが、やはり見るときの意識が違うのだろう。記憶を習慣化するのもなかなか面白い。
「今日の作品」に「十文字絵・葉」を入れた。前回のバリエーションだが色々と試みている一つだ・・。

2月11日(月) 誘われて横浜でのミニコンサートに行った。チェロにピアノ伴奏がつく演奏会だ。会場は個人の事務所兼自宅。30人ほどの観客がピアノ(ベーゼンドルファ)のあるフロアとピアノを見下ろす位置にある上部の席に分かれて座る。チェロの演奏者がショスタコビッチやラフマニノフなどを弾くだけでなく、曲の解説をしてくれる。時には部分を弾き比べたり作曲家のエピソードを交えて話があるのでとても分かり易い。休憩時間には建物の内部を見て回った。建築家の設計の家であるのでどの部分にも神経が行き届いている。部屋の造作物を見ているだけで楽しい。何百人もの観客を集める演奏会と比べると同じ時間演奏をしても収入の面からは効率が悪いに違いないが、一流の演奏がこんな形でも提供されるようになった。室内楽を大ホールでなく適度な部屋で聴く・・こんな昔の貴族のような贅沢をどう味わえばいいのかしばし戸惑ってしまった。
2月12日(火) 速読のトレーニングを続けている。訓練により飛躍的な上達はなくても”格段に”程度の進歩は自覚できる。そのためでもないが本を読む機会が増えて感じることは、本も外観や著者の肩書きでは中身は分からないということだ。勿論、本も装丁とか宣伝ラベルなどによって想像通りの内容であることもある。けれども簡単な装丁の本が内容が意外に豊富であったり、逆に装丁は立派で有名な著者の割に内容がないというケースも多い。著作何十冊とかを自慢にしている著者の本は,まず目次を眺めペラペラとページをめくり、これで終わりの超速読がいいかも知れない。反対に内容の豊富なものは速読したあとでも、またゆっくりと音読したくなる。本の世界も絵画と同じ。コマーシャリズムで商売上手なものと時代を経て古典となるものは別物であるようだ。
2月13日(水) ソルトレークの冬季オリンピックを米国の国威発揚だとか富める国のお遊びだとか一部で皮相的な見方をするむきもあるが、それを云えば全ての政治・経済・文化の活動が南北対立のネタに利用されてしまう。ここは素直にオリンピックのTVを楽しんでみる。「男子モーグル」などみるといくら世界トップクラスの訓練された人たちの競技といっても人間の運動神経とか足膝の適応能力には驚くばかりだ。あの凸凹コブのなかを猛烈なスピードで滑るだけでなく途中でジャンプ演技までするのだから競技者(演技者になるのか?)は面白くて止められないだろう。モーグルに感心したので語源を知ろうとした。モーグルは「雪面にできた固い突起物のこと」つまりコブのことといわれるが、瘤は英語ではbump(or lump) 。MOGULはモンゴル人で辞書にも「モーグルスキー」の訳語はない。モンゴル人のような勇敢な人の競技の意なら分かるが「コブ」とどう結びつくのか不明のまま挫折した・・。
2月14日(木) 定期的に配布されるe-mailで「名古屋デザインDO!」(ここ)の案内があった。このデザインのコンペティションに応募資格40歳未満の制限が付けられている。いくら若手のデザイナーを育成する趣旨だとしても「デザイン」に年齢制限はないだろうと初めは怒ってみたがまあ自分が応募をするわけでないからいいことにした。参考にこのコンペの前回(2000年)の入選作を覗いてみたらなかなか面白い。(ここ)ところがグランプリ、金賞、銀賞合わせて9人の受賞者のうち日本人はわずか1人。あとの8人は外国人だ。労力をかけるモノツクリは日本より東南アジアが強くなり、日本はもっと質の高い、頭を使う方面を伸ばす・・などと安易なことを云っていると、デザインの分野でも東南アジアの優秀な若手に追い抜かれてしまう。日本は賞金を出すだけのスポンサーでは駄目だとチョッピリ国を憂いている・・。
2月15日(金) 冬のオリンピック競技をみているとオリンピックに選ばれている競技は幸せだなとつくづく思う。冬のスポーツそのものが本来マイナーだ。北国ではスキー、スケートがポピュラーなのは分かる。それにしても随分と趣味的な種目が多い。モーグルも遊びの要素が強いが、カーリングなど氷上のゲームというところ。またリュージュやボブスレーもどんな人たちがこのスポーツを楽しんでいるのだろうかと思うほど贅沢な競技だ。オリンピック競技のある種目はアマチュアといえども多くの補助を受けて競技にでてメダルでもとれば英雄となれる。・・逆の意味で、先日TVで放映された、百人一首の女流名人(クイン渡辺令恵さん)のことを思い出してしまった。血のにじむような努力を毎日積み重ねながら日本一を確保し続けているが自費で大会に出席する。ただ栄誉だけで報われる本当のアマチュアだ。カルタオリンピックがあればよかったのに・・。
2月16日(土) 「今日の作品」にどの絵を掲載するか迷うことが時々ある。今日の「西郷山公園の朝」もそんな一つ。前回まで2回続けた「十文字絵」シリーズの別物が何枚かあるけれども、同じスタイルの絵も余り続けると飽きると思い、ただのスケッチである「西郷山」を掲載した。「西郷山」は、毎朝アール(コーギー犬)と散歩で立ち寄る公園だ。毎日見慣れたはずの場所が、ある時非常に新鮮に目に映る。スケッチを残したくなる心理というのは意識していなくても何か特別な感動を覚えたに違いないが、何が感覚を刺激したのか本人もよく分からない。朝日そして葉のない樹、枝、誰もいない道、遠くの電柱。何よりこの時は朝の空気が気持ちよかった。
2月17日(日) NHK・TVの日曜美術館で写真家の入江泰吉を特集した番組を懐かしく見た。入江泰吉の古都・奈良の風景写真は私に景色というものを自分の目で見ようと意識させた初めてのものであったかも知れない。池を隔てて遠くに霞む薬師寺の塔、朝靄(あさもや)の中の東大寺など、入江が写したのと同じ風景を求めて友人と奈良を散策したのは高校生の頃だった。写真と同じ場所を見つけるとまた次に移動する。宿はユースホステル。40年以上前の行動が入江の写真を見ただけでよみがえるのは、それだけ楽しかったからであろう。一枚の写真の影響力をあらためて感じる。・・いつかまた飛鳥路を訪れてみたい。
2月18日(月) エドワード・アウアーのピアノリサイタルにいって先ほど帰宅した。アウアーはニューヨーク生まれのピアニスト。今回はじめてアウアーが私と同年生まれであることを知ったが、アメリカ人であるのにそれほど大柄でなく私より見かけが若く見えるとか、音楽と関係がないところで妙に親しみを覚えた。ピアノについては素人としての感想しか云えないが、非常に繊細かつダイナミック。曲目がオールショパンプログラムでもあり、ヨーロッパ的な音にきこえた。音色を抑えたデリケートな弱音部はアファナシエフ、華やかな部分の余裕はホロヴィッツを思い起こさせる。いい音を聴いた後はいい絵を見た後と同じように元気がでるものだ。
2月19日(火) 宮仕えをしなくなると何でも自分でやることになる。これまでは税金の確定申告など一度もやったことがないのに、税務署や区役所に何度も出向いて教えを乞うたりして今日全て片づいてしまった。勤め人時代に経験した役人との付き合いでは役所には決していい印象を持っていない。それが今回接触した渋谷区の職員はそろって親切で丁寧。場所が分からなくて役所内をうろうろしていると向こうから助け船がでる。役所は変わったのか、それともこの区の職員教育がいいのか・・。単純なことで役人に対する偏見がかなりなくなったのは確かだ。それに、取られすぎた税金も還付してもらえそうなのもうれしい・・。
2月20日(水) 「感謝の気持ちを表すことは最も美しい礼儀作法である」(ジャック・マルタン)。礼儀作法という言葉が死語に近くなって抵抗があれば、ここのところを「マナー」に置き換えてもいいが、「感謝の気持ちを表す」ことについては日本人はどちらかというと不得手である。口に出さなくても心は通じるという以心伝心の文化が表現力を貧しいものとしている。その点、異文化・異人種が混じり合った外国では表現しないと心は伝わらない。外国ではちょっとした親切をすると直ぐ感謝の言葉が返ってきて思わずほのぼのとすることがある。考えてみると、同じ仲間だといっても相手が自分の気持ちを分かってくれているというのは思い上がりだ。友人には勿論、親子でも夫婦間でもお互いに異人種と思って感謝を表現したほうがいい。「ありがとう」は一日を爽やかにさせる。
「今日の作品」に「桃・橘・柘榴2」を入れた。この幸運を呼ぶ絵でラッキーになれば、アリガトウ!

2月21日(木) 毎日コラムを綴っていて自分の気分の起伏というか、やる気のあるときと無いときの周期が自覚できるので面白い。ある時には何人が読んでくれるか分からぬコラムを書くことを空しく感じる。またある時には自己満足でもいい、HPを改訂することに喜びを見いだす。同じようにコンピュータ仕事が楽しくてしょうがない時とコンピュータより絵を描きたいとき、あるいはモノツクリをしたい時が周期的に入れ替わる。経験的には、やりたくないときには無理をしないで、他のやりたいことをメインにして、一方も細々でもいいから続ける。そうすると、しばらくして”細々”とやっていた方をまた本格的にやりたくなる。継続は力だと云うが、新しいエネルギーを取り込むためにもスローダウンすることは必要であろう。・・そう、今は絵を描きたい気分なのです・・。
2月22日(金) 食事はできるだけ「多くの種類」の食物をとるのが究極の健康法と云われる。すばらしい栄養素があるという能書きの食物も一つだけを偏って摂取すると弊害がでる。産地も限定せずになるだけ幅広く取り込んだ方がいいようだ。それらと同じことが「情報」とか「考え方」についても云えるように思える。できるだけ多くの発信源から情報をとり、色々な考えを入手しないと判断を誤る。マスコミ情報や人の噂は甘いお菓子というところか。口当たりはよくてもそれだけでは栄養が足りない。色々な情報を得た上で、少なくとも情報の産地や加工者を知る習性をつけたいがそう云うほどに簡単ではなさそうだ。INTERNET情報もあらゆる種類の正体不明の情報が飛び交っている・・。
2月23日(土) 今日は企業や組織の中では屡々引用される「茹で蛙」の話を紹介しておきたい。大鍋に熱湯を入れておき、その中に蛙を入れると瞬時に鍋から飛び出す。けれども初めに水を入れて徐々に暖めると、ぬるま湯でいい気持ち(?)になった蛙は飛び出す元気もなく、そのままあの世にいってしまい「茹で蛙」となるという残酷なお話だ。ぬるま湯に浸かっていると周囲がどんどん変わっていることにも気がつかない。今更改革でもあるまいと現状維持にこだわっているのは「茹で蛙」への道であるわけだ。大鍋から飛び出すには勇気がいる。茹であがる前に飛び出そうとは自分自身に言い聞かせてきたことでもある・・。
2月24日(日) 久しぶりにコーギー関連のページを追加改訂した。アンの思い出コーナー(アンは昨年11月に急逝した)としてこれまでにアンをスケッチしたものを集めて一部を掲載したが、あらためてアンはもういないのだと寂しさを覚える。私は身近な人、奥様や孫の絵を描く趣味はない。アンについても写真を撮ることはあっても絵を描こうという意識はほとんどなかった。けれども今になって思うとどんな形でもいいからアンのことをもっともっと描いて絵を残せばよかったと悔やまれるが後の祭りだ。今、足下にいるアール(アンの娘)をじっと見つめると、確かにアンとは違う顔そして個性をもったアールがいる。せめてこれからはアールのことを存分に描いておきたい。
2月25日(月) 冬季オリンピック(ソルトレーク)も今日が閉会式。今回のオリンピックほど勝負の権威がお粗末にみえたことはない。スポーツの勝ち負けはルールが決まっていてルールに則って判定を下す審判がフェアであることが大前提であることは云うまでもない。審判が誰もが納得できる判定をくだせない種目などオリンピックには不要だ。一般にスポーツは、強い者、優れた人が勝ちという単純な結果が目に見えるから「爽やかな」印象がある。これは、フェアなルールを守る者が敗者となり判定者をいかに取り込むかの権謀術数にたけた者が勝者になるという現実社会と対極にある世界として爽やかさを夢見るものだろう。今回のオリンピックはスポーツもドロドロした現実社会の延長であることを教えてくれた。けれども一般社会にしてもスポーツにしても勝者とは一体なんだろうと考えてしまう。勝つことが本当に「栄誉」なのだろうか。
2月26日(火) 何十年も慣れ親しんだ趣味のテニスを「意地悪く、相手の打ち難いところばかりにボールを打ち、勝敗を競うゲーム」には飽きたといって60歳半ばを過ぎてから一切やらなくなった知人がいる。私なんかはまだそれ程人間が練れないので相手をブッタタクことに快感を覚えて打ち合うし、負ければ悔しい。けれども、ある年齢に達してから自分で考えた道を選ぶやり方はすばらしいと思う。その人はスポーツ”競技”でなく音楽の”合奏”を選んだ。相手と競争する代わりに、仲間と一緒に音を楽しむ。かつては企業組織の中で壮烈な戦いを繰り返してきた成功者だけに「合奏」への転向が一層気持ちよく思える。
2月27日(水) 「今日の作品」に「公園の朝」を入れた。都心のこの公園には「冬の富士の眺め・西郷山公園(目黒は起伏に富み富士の眺めの良いところが多い。浮世絵、江戸名所図会にも描かれた・・・)」という案内板がある。広重の時代には丹沢山系と富士山がさぞ美しく見えたことだろう。今も晴れた日の朝にはビルに挟まれながら健気に姿を誇示している風情の富士を臨むことが出来る。絵に描いた丘の向こうにはビル群が林立し、丘では犬を遊ばせることを禁じた看板が立つなど現実は絵に見るほど静かではないけれどもこの場所が都会のオアシスであることは確か。今日の絵についてはスキャナで全画面が入らずに右の樹木がカットされてしまった。デジカメで撮影しようにも画用紙が丸まってしまい上手く撮れない。今一番欲しいものの一つはA3サイズ程度まで適応できるスキャナだ。
2月28日(木) 勤め人時代には映画というものは数年間に一度見るか見ないかであったが、このところ妻と時間を調整して一緒に映画をみる機会が増えた。最近みた映画が「千と千尋の神隠し」に「ハリーポッター」というと、ヒット作品ばかりみていることが丸分かりで恥ずかしい。ただ、ハリーポッターは原作が翻訳された段階でいち早く読んでいたので、どういう風に映画化されているのか興味があった。原作を読んだときには英国流の魔法学校の発想が何かしっくりこなかったが、映画の方はむしろ自然で馴染みやすい。全体に手抜きのない丁寧な作りかたで安心して見ることが出来た。「千と千尋」はめでたくベルリン映画祭でグランプリを受賞したが、映画を見たときにはベストではない気がした。自分が監督ならこうしたいという箇所が何カ所かあったし、アニメを描いた人がこの場面とあの場面では違うなど、細かいところが気になった。けれども全般には確かに良くできた作品だ。ベルリンの審査員並に妻と勝手な映画批評をするのは楽しい・・。

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