これまでの「今日のコラム」(2002年 3月分)

3月1日(金) 月が変わるとカレンダーの表紙が新しくなる。仕事部屋のはピーター・ブリューゲル(ベルギーの画家、1525-1569)のカレンダーだ(ウィーンの美術館製をお土産にいただいたもの)。3月の絵はThe gloomy day(1565)。(掲示例はここ、本当にinternetでサンプルを示せることがすばらしい!)目の前に絵があるので細かく見ていても飽きることがない。・・どんよりした天気。海は荒れ、高波に船が何隻も難破して海岸では人々が大騒ぎ。遠くの山は雪嵐だろうか。主題の山里では小枝を切って太い幹に植え付け魔除けかオブジェ風の飾りを作るのに忙しい人々。下の家では同じ飾りが既に出来上がっている。仕事の途中で受け取ったばかりの便り(?)を一緒に見る子供連れの夫婦。カモメが1羽海に向かう。・・ブリューゲルは後世、農民画家と云われたが、神話や英雄の絵にはない庶民の生活を見せてくれる。gloomy dayというタイトルでも、437年前のこの絵からは描き手の生き生きした楽しさがまた伝わってくる。

3月2日(土) 「記憶にございません」というと国会答弁のようであるが、物覚えは悪くなるばかり。最近は「挨拶」なんていう字も書けないでショックだったがワープロを使っていると漢字を忘れてしまう。「忘却とは忘れ去ることなり」。覚えておきたいことをその場では記憶したつもりでも、一週間もするとコロリと忘れてしまう。ある時「アイデイアの閃き」があっても、しばらくするとどうしても思い出せないこともある。その点、ノートに書くことは”メモ”というだけあって覚書の意味は絶大だ。覚書(memorandum)を忘備録というのは忘れることを想定して記録して備えるところが面白い。けれども、忘れることは人間にとって非常に大切な知恵でもあるようだ。嫌なこと、不愉快なことなど直ぐに忘れてしまうから世の中スムースに渡れる。忘れ去ることもまた必要なのだ。メモしていないものは全て忘れてもいいと思うと気が楽になる。
3月3日(日) 「自分の前世は木だったような気がする」と昔、友人が云ったことがある。友人は今は大学で数学を教えながら哲学だ書だと好き勝手な(失礼!)ことをやっている。樹木の絵を描きたいと思うときにどういう訳か彼の言葉が浮かんで絵の構想が縮こまってしまう。「今日の作品」に掲載している木も、本来は「樹木の精」といった精神性を表現したかったところだが彼の前世に対抗するまでには至らない。最近になって、兎だとか虎というより、時流に流されぬ大木こそが彼の前世にふさわしいと20年以上前の言葉に納得するようになった。樹木の生まれ変わりらしく、彼はインターネットとかe-mailなどとは別世界に住んでいるので、こんなことを書いても全く我関せずであるところがまたいい・・。
3月4日(月) 「今日の作品」を改訂する際、"Today's Work"と表示しているのに気がついた。workはこの場合、作品とか(手仕事などで)作り出したものの意味である。けれども、「今日の仕事」ととらえると突然奇妙な感じになる。云うまでもなく、workは、仕事、労働、勤め先の訳語が一般的だ。「今日の仕事」とは云いたくないけれども、workはどんなニュアンスで伝わるのかあらためて興味が起きる。そこで、思い出すのは、同じ「はたらく」といっても、「laborは苦痛だが、workは喜びである」という言葉。workはlaborのように、他人から強制されてやる労働ではなく、自らが喜んでやる「はたらき」である訳だ。そうすると、「今日の作品」は、「今日のはたらき」でもいい。ここで「はたらき」は、はた(周りの人)を楽にすることですと云うと、workのニュアンスが一層伝わるかも知れない。とにかく「Today's Work」にhandbagを入れた。寸暇を見つけて周囲のものを描く習慣が復活することを期待しつつ・・。
3月5日(火) 「長谷川等伯 国宝 松林図屏風展」をみてきた(出光美術館にて開催中、ここ)。等伯は桃山時代の画家で狩野派に対抗して長谷川派を創設した開祖でもある。絵画における長谷川派は創始者の没後は狩野派のように権威ある流派としては続かなかったようであるが、松林図のほか等伯の作品と、狩野派の絵画を比べると、展示作品で見る限りは圧倒的に等伯の筆が好きだった。狩野派のものは良く訓練はされているけれども、注文主(権威)におもねる姿勢や伝統を引き継ぐといった雰囲気が感じられて描き手の勢いがみえなかった。等伯には明らかに中国の輸入水墨画を越えた独自の境地を見ることができる。狩野派を形式美とすると等伯のは情感の美しさか。戦国の世になお独自な作風を作り上げ、今の時代に自由さを感じさせるのも驚異である。等伯は「静かなる絵」を絵画の理想と考えたという。松林図屏風には、まさに「静かなる絵」でありながら時代を超えて大きく訴える情緒が漂っていた。
3月6日(水) 所用で側まで行ったついでに東京都写真美術館(ここ)に寄った。写真の美術館であるが、この日は「文化庁メデイア芸術祭の受賞作品」展示と「映像体験ミュージアムーイマジネーションの未来へー」というイベントの最中。メデイア芸術の方がコンピュータを使ったデジタルアートが主体であるのに対して、映像体験は影絵とかだまし絵といった郷愁をそそる材料が多く、それぞれに興味深かった。いつの時代にも恐らくはお金にもならないであろう遊びに好奇心を持ち労力を費やして面白いものを開発する人間がいるのは嬉しいことだ。メデイアのデジタルアート「インタラクテイブ部門」(参加型アートとでもいうべきもの)で大賞を受賞した作品がとても面白かった。これは周囲の音に反応してハリネズミのような三次元形状(液体)が自在に鋭く変化するというもので、形状をみたとたんに摩訶不思議な液体が磁性流体であることを見破った。磁性流体は磁気を帯びた流体で宇宙開発に付随して実用化されたものの一つ。丁度、鉄粉を紙の上に置いて下から磁石を当てると鉄粉が尖った複雑な形状を示すように、磁化された流体は宇宙的とでもいうべき幾何学模様を示すことは知られている。そう、最新科学はアートにもなりうるのだ。(受賞者は女性ペア、磁性流体も是非ここをご覧下さい)
3月7日(木) 「今日の作品」に「ピカソより/平和の顔」を入れた。本来このような練習用模写は「作品」などといって仰々しく掲載するものではないかもしれない。けれども、こんな簡単な絵でも模写すると非常に面白かった。形だけはできるだけ原型に近く写そうと思ったが、一本の線のつながりや配置が極めて上手くできているのに改めて驚いた。模写すると線の勢いはでないし、微妙なプロポーションなどピカソの原板と比べることもおこがましい。ピカソは恐らくこの絵を1分間ほどで描いただろう。それでいて全体の配置は均整がとれている。自分で描いたものは10倍以上の時間をかけながら後でよく見るとピカソのものよりまとまりがない。ついでに微妙な色と影をつけただけで今度はピカソらしさが無くなる。ピカソは鳩と顔の絵をこれ以外にもたくさん描いているがどれもなるほどピカソと思わせるものばかりだ。「誰でもピカソ」など間違えても云えない。
3月8日(金) TVではお笑い番組が真っ盛り。どのチャンネルに廻しても売れっ子のお笑いタレントが自分たちだけ大笑いしている。けれども見ているこちらは全然可笑しくない。テレビメデイアは時代を先取りする先進性があるものと思っていたが、笑いについては既に時代とのズレを感じる。TV局もタレントも傲慢さが鼻につくばかり、笑わせるオカシサはなくても、どうもオカシイ(=不適当、認められない状況)。幸田露伴(1867-1947)が「笑い」につぃて以下の言葉を残している:「立派な笑いというのは、熱(=怒り)でも水(=涙)でもなく、そういうものの好い調和を得たところに咲く優美微妙な一つのある美しい華、即ち解脱の光景ではないか・・」。解脱の光景であるような笑いならば大いに見てみたい・・。
3月9日(土) 「コンプライアンス」という言葉が日本語として定着しつつある。complianceは「法令等遵守」の意味で、組織としての倫理確立などの目的でこの数年來色々な分野で使われるようになった。例えば、金融業、保険業など、この「ルールを守る」を徹底させるためコンプライアンス部門を持っているところも多い。医療の関連では薬剤を指示通りに服用する「服薬遵守」にもコンプライアンスが使われる。あえて「コンプライアンス・プログラム」を作って絶えず活動しなければならないのは、それだけ「法令等遵守」が難しいことを示している。最近の、雪印などの製造ラベル偽装事件、政治家のごまかしなど、正にコンプライアンスの認識不足につきる。コンプライアンス(=ルールを守ること)は放置して置いて容易にできるものではない。組織のトップが余程覚悟をして真剣に取り組まないと出来ないものと思われる。問題を起こした組織の幹部、政治家はコンプライアンスという言葉を知っているのだろうか・・。
3月10日(日) 昨日、コンプライアンス(=法令等遵守、ルールを守ること)について書いたが、今日は別の側面を書こう。毎週通うテニス場は国立競技場の付属であるので、どんなにいい天気で大勢が待っていても定められた受付時刻の1秒前でさえ受け付けない。これを誰も非難は出来ないが、以前行っていたプライベートなテニス場ではオーナーが判断しコンデイションがよければ30分も早く受け付け、皆よろこんで運動を楽しんだ。誰も損はしていない。また、先日のこと、東京都がん検診センターというところで、受付20分前にいって待つつもりが、どうぞどうぞと次々検査を進めてくれて受付時間の数分後にはもう全ての検査を終わってしまった。病院でこういう経験をしたのは初めてで、その日一日いい気持ちだった。戦時中にエストニアの日本大使館で本国の規則に反して出国のビザを発給して多くのユダヤ人の命を救った杉原氏の話も思い出す。例外のない規則はない。ルールも最後は人のためにあるものであって欲しい。
3月11日(月) 「今日の作品」に「蔦(つた)」を入れた。昨年10月に、毎日最低一つは日記の代わりに絵(あるいは何か作品)を残すと宣言したが、現実には思うようにいかない。絵を描くこと自体はできないことはないけれども、毎日こんな絵を描いていいのかと自問し、どうせ描くなら何かオリジナルな工夫を取り入れようと自答する。そうすると必ずしも毎日のアウトプットはでない。ある時また日記風スケッチに戻る。この繰り返しで「作品」は続いている。今日の「蔦」などは典型的なスケッチ。蔦の根が丸まって花瓶の底に溜まっているのでいつまでも葉は枯れることがない。花もいいが葉だけの植物も捨てたものではない。時にはこんな何でもないスケッチの方が自分でもホッとする。
3月12日(火) 「登り来し 仏の天に 花辛夷(山口誓子)」 この俳句は、お寺の階段を登りつめたとき、青空の中に清らかに咲き誇る辛夷(こぶし)の花が仏にふさわしく見えたのだろうか。早朝、犬を連れて散歩にでかけた公園で真っ白な辛夷(こぶし)の花が突然目に入ったとき、お寺でなくても神聖な感動を覚えた。東京では今日も暖かでこのまま春の桜を迎えそうな雰囲気だ。このところ、もっともっと新しいことに挑戦したいと身体の奥底から湧き上がるエネルギーを感じるのは、春という季節のせいだろう。まだ、春と云うには少し早いかもしれないが、いつも花は最も正確な季節のバロメータだ。もう一つ、自分の気持ちとピッタリの句を見つけた:
「新たなる挑戰の日の辛夷かな(飯田紫声)」

3月13日(水) 「君子可八」という言葉がある。君子は八分目でよしとする。つまり、腹八分がいいということだろう。これは何にでも当てはまる。スポーツの場合など膝が伸びきらないようにし、二分ほどは曲げておくのが瞬間的に身体が対応するためのテクニックだ。100年以上前の著述家ジョン・ラスキンが仕事に喜びを見いだすための必要なこととして、「腹八分」を挙げている。仕事は達成感と共に適性でやり過ぎないことが喜びにつながるとの説である。そうは云っても仕事の場合は、200%の量を処理する必要となることもあるだろう。けれども、仕事でも他のことでも、少なくとも自分でコントロールできるものについては、二分の余裕を持つことが変化への対応のために有効であるように思える。案外に「可八」は変化に即して生きていく奥義かも知れない。
3月14日(木) 「パウル・クレー展」(リンクはここ)を見た。鎌倉の鶴岡八幡宮の側にある神奈川県立近代美術館まで妻と出かけたが、ついでに寿福寺、英勝寺などお寺巡りも合わせて非日常の散策を楽しんだ。クレー(スイス生まれ、1879-1940 )は私の最も好きな画家の1人だが、今回の展覧会はこれまで図版でも見たことがなかった若い頃の細密画があったり、イタリー、チュニジア、エジプトなど旅行先で多くの絵画上の啓示を得たことが分かる構成で興味深かった。全く個人的な展覧会の判定基準であるが、私は見た後に何かエネルギーをもらえたか、失ったかで善し悪しを判断する。クレーの展覧会では見終わった後、確かに元気になったことを実感する。帰りは往路と違う湘南新宿線を利用した。この路線には初めて乗ったが、快適な二階建ての電車。車窓の景色をボーと眺めながら、頭の中はクレーから受けたインスピレーションを咀嚼するのに忙しかった。
3月15日(金) 「今日の作品」に「山門」を入れた。昨日のコラムに書いた鎌倉・寿福寺の山門だ。実のところ、はじめはクレー展で刺激を受けて、お寺の山門をクレー風に描くとどうなるかやってみようと思った。描き始めるとクレーとは全く関係のない自分流になってしまう。クレー風というのは、線を一筆絵描きのようにつなげて描きながら、線の面白さを強調するか、または色のデリケートな組合せを作り上げるか。どちらにしてもクレー風にできなかったことを幸いと思う。まず自分流の絵からスタートするのが自然だ。他にないオリジナルを作るのは本当に自分がやりたい衝動があってから産み出される。自分流を熟成させながら、「衝動」を待つ。これしか出来ることはなさそうだ・・。
3月16日(土) 少し前に電動自転車に乗る機会があったが、自分の自転車と比べて重く慣性が大きいのに驚いた。ブレーキの感覚が軽い自転車と違い、余程注意していないと衝突事故になりかねない。人間の思考もまた経験という勢い(慣性)がついた乗物に似ている。「人間の頭ほど慣性の大きなものはない。舵をとっても曲がるのに時間がかかる」と名言を吐いたのは本田宗一郎だ。過去の経験と実績のみに甘んじていては、道が曲がっていたり障害物があると、ブレーキが間に合わない。何か新しいことを開発したり、試みる場合には、車を思い切り軽くするつもりで、これまでの常識を一度捨ててみるに限る。習って、真似して、そして最後は学んだものを捨てることが熟達への道ともいう。自分にこびり付いたものを捨てて慣性を少なくしておくことが、変化の時代へのヒントとなりそうだ。
3月17日(日) 今日は日曜日というのに、朝から必死に腰痛のリハビリを続けている。先ほどは3度目の風呂に入った。昨日、週末のテニスを快調に終えたところまではよかったが、帰路の自転車で急に腰をひねってしまった。大したことはないと、夜、犬の散歩にも出かけたが、途中、犬の糞を処理しようとしゃがんだとたんに激痛が走る。その後は痛みをこらえながら一歩づつあるく始末。涙が出そうになりながら帰り道の何と遠かったことか。一晩寝ると治ると思ったのが大間違い。今朝はベッドから起きあがるのも一大苦労。トイレで座ることさえ出来ないなんてこれまで経験したこともなかった。こんなことがあると、今までは本当に健常者であったのだと改めて思う。身障者と比べると苦労とも云えないであろうこの程度の身体の不調で大騒ぎすることも無いし、これも何かの有り難い警告だろう。健康への思い上がりがあったのかも知れないと自戒しながらリハビリに励む。
3月18日(月) 以前に書いたことがあるが、私のコンピュータ仕事は立ってやることにしている。今もキーボードを立った位置で丁度いい高さにおいて指を動かしている。立ち仕事で何がいいといって、腰が痛いときには一番楽。座ったり、しゃがむ時に腰が痛くなるが、その点立った姿勢というのは安定している。腰痛をカバーしながら「今日の作品」に「フリージア」を入れた。昨日描いた花を今日見るともう新しい花弁が開いてこの絵とは違っていた。フリージアの花言葉は「無邪気、清らか」。花言葉とは随分違ったイメージのバックにしてしまった。こういう芝居じみた背景は自分でも気恥ずかしいところがある。恥ずかしついでに、次は真っ赤な太陽にしようなどと新たな発想が湧いてくるからこういうデタラメは楽しい。
3月19日(火) 松尾芭蕉が自分の俳句について「夏炉冬扇」のようなものと云ったといわれる。夏の暖房、冬の扇風機のように役に立たないもの、実利的でないという意味だろう。近頃、人生で楽しいものは総じて「夏炉冬扇」でないかと思うことが多い。反対に、実利的なもののトップはお金。お金については限界がない。このところの醜聞ニュースはいくつもあるが全てがお金に絡んだものだ。これほどに、お金の実利にはブレーキが利かないようだ。いったん「役に立つ」世界と決別すると世の中面白いことが山ほど見えてくる。骨董品の蒐集なども金儲けを目的にすると大抵失敗する話をきく。その点、自分が気に入ったものに「無用の用」を見つける蒐集は楽しみながらできる。価値が無くてもいいから本人には宝物というスタンスが一番幸せ・・こんなことを云うのは容易だがそう簡単に悟りが開けるものではないのがまた人間だ。
3月20日(水) 今年は暖かい日が続くと思っていたら4月にはまだ10日もあるのに桜が咲き始めた。明け方、久しぶりにアール(コーギー犬)を連れて公園にいくと、少し前までは辛夷(こぶし)の白だけが際だっていたのが、この日は眩いばかりに色があった。辛夷を覆い包んでしまうように桜の花が咲誇っている。その足下にはユキヤナギの白波。濃い赤のボケがアクセントを利かせていると思うと、ピンク色のボケの花も並んで咲いている。ボケの側にはこれもあざやかな黄色のレンギョウ。バックには黄緑色の新芽。開花が早すぎたせいか、毎年花見時に区役所が設置する無粋な巨大ゴミ箱がまだ姿を見せていないので花見のできる公園がすっきりとみえる。時には早い春の到来もうれしい。
「今日の作品」に「洋蘭/シンジビウム」を入れた。できるだけ素直にあっさり描いたつもり・・。

3月21日(木) 予定通りに物事が運んでも面白くはないが、頭の片隅にも入っていなかった事が上手くできてしまうと嬉しさ百倍。今日の花見が正にそんな調子だった。新宿に行く用事があり、痛めた腰に気を付けながら出かけたが、途中時間をつぶさなければならなくなった。腰痛の身では極力歩きたくない。たまたま目にしたのが直ぐそばの新宿御苑の案内。休日の花見日和で入場は混み合ったが、園内では満開の桜の真下に横になることができた。折からの強風で時々猛烈な砂埃が舞っているが、目をつぶって、腰のためにたっぷりと休養をとる。目を開けると視界に入るのは全て桜。強風にも負けることのない強靱な桜。桜の下で昼寝をするなど、これまでに経験をしたこともない。腰が本調子なら花の下に横になることなど先ず絶対にやらなかっただろう。腰痛のおかげでいい休日だった。・・いま聞いたニュース:今日、東京では気象庁が観測をはじめて最も早く桜が満開になったという・・
3月22日(金) 小学生や中学生の頃に習った先生は大抵威厳のある近寄りがたい存在である。それが年月を経て考えてみると、あの頃の先生は25歳だったのか、30歳だったのかと、自分の歳の方が上になっているのに気がついて妙な感慨に浸ることがある。それでも先生のイメージや言葉がいつまでも生き続ける。芸術家や小説家なども人生の先達としてすばらしい作品を残したなどと思っていると、ある時自分の歳の方がはるかに上であるのが分かって愕然とする。別に愕然としてもどうしようもないが、最近驚いたのは、幸田露伴(1867-1947)のこと。あの名作「五重塔」を書いたのは25歳だという。既に古典ともいうべきすさまじい迫力の名作は25歳の青年、渾身の作であった。ついでに露伴の娘さんである幸田文(1904-1990)のいいなと思う随筆を書いた年代をみると殆どは自分の歳より若い頃に書いている。要は、人の手によって造りだされるものに年齢は無関係ということだろう。若い時代の先輩たちを先生とするのは何もおかしくはない。
3月23日(土) 最近結婚式場や家庭のパーテイーなどで,ウェルカムボードを見かけることがある。Wedding Reception A-B とか,Welcome!とかの文字を額に入れて花などで飾り付け招待した人を歓迎しようというもの。このWelcome Boardに使える絵を作ることを試みたのが「今日の作品」に入れた「ウェルカムボード1」。文字を貼り付けるとWelcome Board、文字を外すと普段は絵として使えるものをねらったのだが意外に難しい。今回のものもまだサインなしで、これからまだまだ変わりそうだ。絵としてはもっとアクセントが欲しいが文字を入れるとうるさくなるので躊躇して考え込んだり、別の絵を描いてみたり・・。そうした「試み」が楽しいのであるが、あとは、これを実用としてどう使ってもらえるか。それなら、全面真っ白な「絵」が一番などという天の邪鬼(あまのじゃく)がいるかも知れないな・・。
3月24日(日) 幸田文(一昨日のコラムで触れた)の書いたものを読むと、父親、露伴との関係で興味深いことがらが多い。中でも、露伴が「掃除の仕方」について徹底的に娘の文に教育している様は面白い。母親でなく父親が、それもなまじっかな掃除法ではない、今でいえば掃除道というべき極意を伝授する。雑巾のしぼり方、洗い方、拭きかた、段取り、作法、箒の使い方など・・。掃除の流儀など習ったことのない自分としてはただ感心するばかりだが、自己流の掃除はできる。いまの子供たちが学校で拭き掃除をするものか、また家庭で掃除の手伝いをするのか知らないが、子供が伝統の拭き掃除や竹箒の掃除をする機会があれば、それはある種の日本文化を継承しているような意味あることのように思える。少なくとも、現代流の電気掃除機方式でも何でも、子供に掃除の面白さ、奥深さを教えて、実際にやらせることは最も身近にできる技能伝承かも知れない。
3月25日(月) 「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なことなど、幸福は常に外に現れる。・・・幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのづから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である・・」(三木清より) 本棚の古い本をひもといていると冒頭の言葉が目に入った。40年も前の学生時代に買った本が捨てられずに残っていたものだが、今頃になって、こうした一言が実感として納得できるようになった。誰もが幸福の青い鳥を求め、それぞれの幸せをつかもうとする。けれども、例えばお金を貯め込む幸せが叶ったとしても、それだけでは周囲の人にプレゼントする幸福にはとても及ばないだろう。「他の人を幸福にする」という幸福と比べると個人の欲望など小さく見える。しかも、「機嫌がよく、丁寧で、親切、寛大」という当たり前のことが幸福の表現という。この当たり前のことをやるのが実はなかなか難しい・・。
3月26日(火) 時には何も理屈を云わずに、ただ静かにしていたい・・今はそんな気分である。「今日の作品」には「ウェルカムボード2」を入れたが、このスキャナからはみ出した絵は、Welcome Board1と同じく未完成で今後の可能性を残したもの。ただし、今現在の精神状態はもっと静謐(せいひつ)なものを求めている。絵でいえばモランデイ(1890-1964,イタリー生まれ)の静物画を見ていたい。10個以上の瓶をただ真横に並べて描く、全体は白い色調、中には橙色の瓶が遠慮がちに混じる。何も主張しないで、ただ静か。モランデイのこうした絵を見ていると静かな中からどうして元気をもらえるのか不思議に思うことがある。静けさにも力があるのだろう。しばらくは自分自身も静けさの中に浸っていたい・・。
3月27日(水) 妻のコンピュータi-Macの調子がおかしい。以前からシステム終了しても電源が切れず再起動もできなかった。起動するときには一度電源コードを抜いてからスタートボタンを押すなど、だましだまし使ってきたが、最近はついに頻繁にフリーズするようになってしまった。修理サービスに問い合わせたがかなり修理代もかかりそうで、対応策に頭を悩ませている。コンピュータに慣れてしまうと便利さが当たり前になっているが、コンピュータが機能しない場合の危機管理が必要なことは家庭内でも変わりがない。よく解釈すればi-Macも突然動かなくなるのでなく、もうすぐオダブツという警告を発してくれているともとれる。当面は私のPowerBookでバックアップをとれるが、それにしても3年というのは寿命が短すぎるぞ!
3月28日(木) 発明や発見など技術の進歩は人間のあらゆる分野に変革をもたらしてきたが、絵画もまた技術の影響を大きく受けている。写真技術の登場によりそれまでの如何に実物と同じように描くかの名人芸は余り意味がなくなった。写真を使ったアートが発達する一方で、絵画は写真ができない表現を求めて、キュビズム、抽象など新しい表現を模索した。いま、更にコンピュータ技術が新たなコンピュータアートを産み出したが、絵画はどこに行こうとしているのかよく見えない。コンピュータと真反対の、コンピュータでできないものを求めて変わるのが自然の成り行きだろう。グラフィックの分野ではむしろコンピュータ活用の方向で、色塗り、色の変更、グラジュエーションなどコンピュータの得意な技術は既に定着しているようだ。それではコンピュータと真反対の方向とは何か。人間の腕力、非効率、非能率、感情・・。何だかこれでは原始への回帰となってしまう。コンピュータの時代にコンピュータを使わずに人が何を表現したいのか・・これは全く正解のない個人的なテーマなのかも知れない。
3月29日(金) 今年のアカデミー作品賞(同時に監督賞、脚色賞、助演女優賞)を受賞した映画「ビューテイフル・マインド」をいつか見てみたくなった。ゲーム理論に関連してノーベル賞(経済学)を受賞したナッシュの伝記映画だが、ただの成功物語ではないようだ。ゲーム理論というのはフォン・ノイマン(ハンガリー生まれの米国人数学者、1903-1957)が政治、経済、戦争などあらゆる利害対立の原型が室内ゲーム(ポーカーなど)にあるとして数学的解析を行ったことで知られるが、ゲーム理論を学ぶと「ナッシュ均衡」とナッシュの名前がでてくる。ナッシュは数学者として若くして実績(21歳で均衡理論)を作りMIT(マサチュセッツ工科大学)で教授になろうかという30歳頃になり妄想型の精神病が現れたという。(宇宙人のメッセージを聞いたり、南極大陸の皇帝になるとか・・)それ以降、30年以上を家族、夫婦と共に苦しみ、闘った末に精神分裂症を克服した。ノーベル賞の受賞者にもこんな人もいるのだと話をきくだけでも人間の能力・精神の不思議さに感動する。
今日の作品に「四角の物語」を入れた。この四角から何を妄想できるかとナッシュを思う。

3月30日(土) 「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」(親鸞) 桜の季節にはいつもこの句を思い出す。今年は3月の末というのに、東京の桜は半分散り始めている。明日花見をしようなど既に手遅れ。何事もやりたいことは今やらないと明日はどうなるか分からない。短歌の表現力にはかなわないがこういうのもある:「今できないことは、10年経ってもできない」(出典を記さず) 私なら、今できないことは一生涯できない、といいたいところ。何時かやろう、今は忙しすぎるは一生続くものだ。自分に言い聞かせる言葉としてもう一つ:「人間、志を立てるのに遅すぎると云うことはない」(ボールドウィン) 「思い立ったが吉日」はどこの国でも同じようだ。
3月31日(日) 退職してから今日で丁度1年を経過した。この一年は自分なりに充実したいい一年だったなと感慨を新たにする。一日一日がサラリーマン時代と違った厳しい緊迫感の中にあり、時間がより貴重で意味があるものだった。自分の責任で自分の24時間をコントロールすることがこれほど嬉しいものか。一方であらためて妻との共同生活の幸いを思う。はっきり云えば妻の理解に感謝。それにmail友達を含めて新しい友人も増えた。組織を離れて一人になると、逆に多くの人との縁を有り難く思う。これからも、新たな世界、新たな出会いが楽しみだ。

 

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