これまでの「今日のコラム」(2003年 8月分)

8月1日(金) 「寺田寅彦」をインターネット検索ですると6000件以上も検出されるのには驚いた。しかもネットで随筆を読むことも出来る。寺田寅彦(1878〜1935)は一般的には「天災は忘れた頃に来る」の言葉が有名だが、物理学者でありながら夏目漱石などとも親交があり、名文章家として知られる。私は高校生の頃から寅彦のファンであった。私の母方の祖父が寅彦と少しつながりのあった学者で「寺田寅彦全集」が全て祖父の本棚に並んでいた。高校生の頃にそれを借りて読んでいたのが始まりで、祖父の死後「寅彦全集」は私の所に回ってきた。以来、寅彦の随筆集は何度読み返したか分からないほどだ。今、このコラムなど書くことにそれほど抵抗がないのは寅彦を読んでいたせいかもしれないとも思う。インターネット(ここ=その場で読むことも出来るし、ダウンロードもできる!)でタイトルを見ているだけで懐かしさがこみ上げて感無量。「科学者について」(ここ)の随筆などをいくつか読んでみたが今もワクワクする面白さがあり古さを感じさせない。最近の天声人語など文章の専門家であるはずの記事に幻滅ばかり感じている身としては、寅彦の随筆集はすばらしい刺激剤になる。

8月2日(土) 我が家の北側に50cmほどのスペースがあるが、ある時この場所だけに朝日が当たることを発見した。これまではデッドスペースだったが他には午前中に太陽を浴びる場所はないので春からここにハーブを置いて育て始めた。これまでのところ、ローズマリー、バジル、パセリ、イタリアンパセリ、ナスタチウム、それから日本ものとしては、サンショウ、シソ、トウガラシ、ミツバなどが適宜食卓にいろどり(・・ではない香りのアクセント)を添えてくれた。ところが7月は記録的な長梅雨。日照はほとんどない。東京は今日ようやく梅雨明け宣言がだされたが、ハーブ達は見るも無惨だ。バジルやナスタチウムはほぼ全滅。日本ものが久しぶりの朝日を浴びて元気になるだろうか。それにしてももう少し日照の時間が欲しい。・・今日は、ゴロアワセで「ハーブの日」(8月2日)という。8月のこの蒸し暑さはハーブの爽やかさとギャップが大きすぎる。どうせこじつけるなら、ローズマリーがはじめて日本に伝えられた記念日5月7日(デタラメ)とか、気候のよい5月にして欲しいな・・。
8月3日(日) 「やれ打つな 蠅が手をすり 足をする」、「蠅一つ 打ては なむあみだ仏なり」(一茶)。昔の俳句には蠅がよくでてくるが、我が家では最近は蠅をほとんど見なくなった。私が子供のころは、勿論、蠅は最も身近な虫(昆虫)の一つだった。「手をすり足をする」姿は、日常目の前にあったし、毎日蠅たたきで虐殺をくりかえして「南無阿弥陀仏」。蠅取り紙には大量の蠅がくっついていた。いまではもう蠅を俳句に詠むこともない。その点、ようやく訪れた夏を待ちかねたように鳴く蝉の声をきくとホッとする。少々騒々しいが蝉は夏の風物詩。蝉はいつまでも俳句の季語で現役を保って欲しい。「半日の 閑(かん)を榎(えのき)や せみの声」(蕪村)
8月4日(月) メキシコの女流画家フリーダ・カーロ(1907-1954)の展覧会をみた(東京・Bunkamuraザ・ミュージアム、9月7日まで、net紹介=ここ)。この展覧会の後、「フリーダ」という映画まで見てしまった。映画「フリーダ」(Bunkamura、ル・シネマ、映画公式ページ=ここ)は「アカデミー賞/作曲賞、ゴールデングローブ賞音楽賞 ダブル受賞 第75回アカデミー賞では 作曲賞とメイクアップ賞の2部門を受賞」とある。フリーダのシュールな絵そのものは私の趣味ではないが情熱的なメキシコ女性の(不運の中でも) ジメジメしない生き方が共感を呼ぶ。それに映画の音楽もいい。メキシコは私が「親善交換学生」の名のもとに初めて訪れた外国でもある。1963年のことだから丁度40年前だ。この時、メキシコの劇場で聴いて以来、耳底に残っている「ラ・ジョローナ(=泣き女)」という曲が、映画「フリーダ」でも効果的に2−3度歌われた(映画のサウンドトラック版はここ、no22で聴くことができる!!)。ラ・ジョローナを聴いている内に40年前のメキシコの懐かしい思い出が映画のストーリーと重なり涙しそうになった。メキシコの名曲がいまだに歌い続けられているのがまたうれしい。
8月 5日 ( 火) 「今日の作品」に「墨絵」の2枚の作品を掲載した。「作品」と呼ぶのはおこがましいが、7月31日のコラムで書いた「書道」に関連した作品だ。書道を基礎から始めたといっても今更楷書ばかり練習するのも飽きる。そこで習字の合間に掲載したような「墨絵」の遊びを入れると俄然また練習も楽しくなる。さすがに「山川」の文字を掲載するのは気恥ずかしかったが、この字は勿論手本も何もないオリジナルだ。楷書では、基本的な運筆を練習するために、上・日・天・心・成・風・月・力・光・不・永・・などの字を何度も書いてきた。特に「月」という字など楷書では思いの外難しく、私はまだ形が整わない。楷書の字であれば何年習字を繰り返したところでHPに掲載する気にはならないだろう。習うものでなければ個性がだせる。他人の真似でないところに価値を持てば何でも思う存分にできる。人生でも、他人と同じようにすることだけを考えたり、評判ばかりを気にしていると一生涯モノマネの練習だけで終わってしまうことを「書道」は暗示してくれる。基礎の練習は必要。しかし、その人の表現したいものが見えなければつまらない・・。
8月 6日 ( 水) 最近、我が家に50グラム単位で計測できる体重計がきた。前の体重計は1キログラム以下は適当に案分して読むアナログ式であったが、故障して動かなくなったので、新しいデジタル式を購入したもの。この体重計は精度がよいので使うたびに新しい発見がある。トイレの前後に何グラム変わったなどは序の口。驚いたのは、睡眠の前後で随分体重差があるということだ。私の場合、朝の起き抜け時の体重が前夜より650グラムも軽くなる。この間、外部に逃げているものは、汗と息だけであるから、重量はどこに消えたの?と不思議になる。それは寝ている間も呼吸はするし、心臓は動く、筋肉も一部は使う、体温も維持する・・それが基礎代謝というものだという理屈は分かるが今ひとつピンと来ない。自動車の場合はガソリンを燃焼室に噴射させそれが燃える(爆発する)ことにより走行できる。継続して走るにしたがってガソリンは(重量も)減少する。同じように人間の生命を維持するためには必要なカロリーが「燃えて」いるとしても燃え方や燃料消費(体重の減少)が妥当であるかどうかが分からない。ちなみに、私の身長、体重からBMI数値(=Body Mass Index,体格指数)を計算すると、21.6(=ほぼ標準体重、18.5-22が普通とされる)。基礎代謝量=1333kcal/日、と算定された(年齢と生活活動強度より)。・・体重計は妻のダイエット用だが、私自身、当分の間これで楽しめそうだ。
8月 7日 ( 木) 「江戸大博覧会=モノづくり日本=」にいった(東京・上野、国立科学博物館にて8/31まで、HPはここ)。東京・両国には「江戸東京博物館」があるが、この大博覧会の「江戸」とは江戸時代の意味であって、江戸東京ではない。タイトルはむしろ「江戸時代科学技術博覧会」とでもするべきだろう。それほどに江戸時代の地方での旺盛な好奇心に驚かされる。鎖国時代に薩摩藩、平戸藩、佐賀藩、福井藩、盛岡藩、仙台藩といった藩が極めて限られた外国の技術情報をもとに自分のオリジナルのモノを作り上げる原動力は好奇心しかない。江戸の幕府では権力と無関係のオモチャなどには興味がないのは当然だ。例えば、からくり人形の仕組みは外国のアイデイアを模倣したものが大部分であるが、砂や水の動力源の代わりに水銀を使ったのは日本のオリジナルだという。水銀の重心移動により人形がトンボ返りをしながら階段を降りていく「段返り人形」は日本でも人気のからくりだったが、オランダ人が日本から持ち帰り、逆に西洋が模倣したという。確かに江戸時代に日本独自のモノづくりの基盤がはぐくまれていた。技術はその場での経済効果だけでは計りきれない「無駄にみえるもの」の中から芽が出ることが多い。現代でも同じだ。
8月 8日 ( 金) シューマッハ−の「スモール・イズ・ビューティフル(1973年著作)」は、一昔前、社会に大きな衝撃を与えた。経済学者、シューマッハの「適正規模の生産努力で消費を極大化しようとするこれまでの経済学に対抗して,適正規模の消費で人間としての満足を極大化しようとする経済学を樹立しなければならない」とする主張は、大量生産、大量消費しか知らぬ我々には目から鱗であった。経済にかかわらず何より「小さいことはすばらしい」とは全く新しい響きを持っていた。その後、大きな国、大きな政府、大きな会社、大きな消費、大きな技術は必ずしも善ならず、「スモール・イズ・ビューティフル」は普遍化してきたように見える。アア、それなのに・・先日、書道展をみる機会があったがその作品の「巨大さ」に圧倒されてしまった。まもなく始まる秋の公募展も余りの巨大絵画の群れに最近は足が遠のいてしまった。前に見た朝日陶芸展もまた巨大作品で溢れていた。美術の公募展がそろってバブル期と変わらぬ巨大さ、贅沢さを追い続けているのをどう考えればいいのだろうか。そこでは小さくても珠玉のような作品には出会えない。恐らく、審査員の先生方は大きな作品と同じように大きな権力が大好きで、それに多分シューマッハも読んでいないのだろう。
8月 9日 ( 土) 陶芸で縦350mm,横566mm,高さ35mm(粘土寸法、縦横は黄金比)の大皿を作成したが、本焼き時にひび割れが入ってしまった。皿の表面は極めて歪みが少なく釉薬の試みも上手くできていたので、割れは非常に残念ではあった。大きなお皿で陶芸教室でも注目されていてひび割れをみた人からは同情された。けれども私自身はこの大皿を売り物にする訳ではなく自分で使うので十分に補修する確信があった。というのは、以前キャンドルスタンドのブロックを素焼きに出した段階でバラバラに破損(爆発)してしまったものを、ジグソーパズルのように破片を組合せ接着剤でくっつけて形を復元し、その後漆塗りの技法で表面を仕上げて完成させた経験があるから、「ひび割れ」程度の補修など”チョロイ”ものなのだ。<この復元したキャンドルスタンドは、陶芸コーナー=ここ=に掲載、経緯は2003-1月31日コラムなど> 大きなトラブルを経験していると少々の問題は経験を活かせる楽しい場ともなる。 今日は台風の影響で運動もできず半日この大皿の補修と仕上げに費やした。手のかかる作品ほど可愛くなる。完成したら「今日の作品」に掲載するのが楽しみだ。
8月 10日 ( 日) 「愚痴」とは「言っても仕方のないことを言って嘆くこと。また、その言葉」とある(広辞苑)。日本の社会では(外国の例はほとんど知らない)愚痴がある種の社交の材料とか付き合い用の潤滑剤として使用される傾向がある。サラリーマンは定時後に上司や会社の愚痴を言い合いコミュニケーションを図るし、主婦が集まれば子供や旦那の愚痴をこぼすことによって仲間意識を育む。私は昔から愚痴を言うことを余り好まない。言っても仕方がないことを言って嘆いてみてもしようがないという単純な理由であるが、そうすると付き合いが悪いと思われることもある。他人の愚痴を聞いてあげることも必要だが、愚痴はお互いに言い合って慰め合うのであって片方だけでは話が続かない。組織を離れて自分の思うままの生活を続けていると「愚痴」とは益々縁遠くなったと実感する。愚痴をこぼすくらいなら自分で対案を実行すればよい。全ては自分の問題だ。愚痴は所詮仲間内で傷をなめあう甘えの構造ではないだろうか。
8月 11日 ( 月) 今日は新聞の休刊日。我が家では新聞を取らなくなって久しい。ニュースや情報はインターネットとTVを見るので新聞の休刊日は関係ないが、毎日数種の新聞のコラムなどにインターネットで目を通す習慣なので休刊日が分かる。それにしても新聞が休刊してもほとんど不便も寂しさも感じない現実に新聞社は危機感を覚えないのだろうか。当たり前と思っているものを一日ストップすると普通は有り難さを再認識する。新聞以外でも一日お休みデーを試みると面白い。ノー電話、ノーパソコン、ノーTV、ノースーパー、ノーコンビニ・・。ノーカーデーというのはあるがもっと大々的にノーカー、ノーバス、ノー電車・・となるとまるでゼネストだ。ノーガス、ノー電気は不可能か。こうみると我々はほんの100年前には存在しなかった利便さという渦の中で生活している。多くが生きるための必需品というより嗜好品である。生活にゆとりを産むのが本来の嗜好品。ノーではなく、存在することが「ゆとり」の基であってほしい。・・我が家では新聞を下敷きにする「ゆとり」がなくなってしまったので、時々息子の家から古新聞を譲り受ける。
8月 12日 (火) 「今日の作品」に「大皿・リバーシブル」を掲載した。8月9日のコラムに作成経緯を書き、掲載の予告をした待望の大皿(陶芸作品)である。本焼きをした際にひび割れが発生したが接着剤で補修しその上に漆塗料(カシュー)を塗布して割れ目を目立たなくした。掲載した大皿のおもて写真では中央部の黒雲のようにみえる部分が補修個所になる。仕上げでは、おもての補修以上にリバーシブルにするための「うら面」の加筆(=焼成時に釉薬を付けなかった部分に着色)に時間がかかった(うら面は陶芸コーナーに掲載=ここ)。おもての色つけと同じく漆塗料を使用して和風調にしてみた。こうして我が家専用の大皿が出来上がると、次はこの大皿に盛るものを考える。ケーキをいくつか並べるのはどうか、にぎり寿司がいい、裏は8種類のお惣菜・・・。こんなことを言い合っているとき、つくづく作ってよかった、そして割れも修理してよかったと思う。
8月 13日 (水) 確かめたいことがあったので、ある会社に電話したところ「いまはお盆休みです・・」と云われた。東京の町中にも何となく夏休み気分が漂う。ビジネス用でない自動車が目立つし、街を歩く人も一見レジャーを楽しんでいるようにみえる。こちらもお盆休みにあやかって夕飯は外食とした。といっても近所の中華レストラン「バーミアン」に子供連れで行っただけである。レストランの従業員は帰省する先がないのだろうとか、いやジャンケンで負けてお盆に休暇がとれなかったのよとか、バカ話をしながらの食事は美味しかった。最近はファミリーレストランといっても実に味がいいのでまた行きたいと思う。もっともバーミアンの隣のデニーズはいつも空いている。お客も味とコストパーフォーマンス(価格と内容のできばえ)には敏感で厳しい選別が行われているようである。外食産業の激烈な競争で内容がよくなれば大歓迎。けれども、こちらはただの傍観者で勝った負けたはどうでもいい。・・どうでもいいのはコラムの話題も同じ、「今日のコラム」も夏休みモードである。
8月 14日 (木) お盆の季節というのによく雨が降る。東京では最高気温23度と10月並みの気温だった。そんな中、私のパソコンに新しい外付けハードデイスクを装備した。バックアップ用として購入したものが何とデータ容量120GBで2万円しない価格。安いだけでなく本体は弁当箱より小さく(117H-33W-187D)おまけに6ピンのFire Wireによる接続(デジビデ用端子)は驚くほど転送速度が速い。以前、CDに焼き付けるのに30分、1時間を要していたのが嘘のように思える。我が家のパソコンのハードデイスク(本体)の歴史をみると、Mac-Performer =160MB(外付けHD=2GBをつけた)、i-Mac=6GB、Power Book=10GB、新i-Mac=40GB、そして今回(PowerBook用)=120GBとなる。いまどき遅れてる・・といわれるかも知れないが、我が家では120GBは不相応と思えるほど大容量である。この容量アップの経緯がわずか数年間とは! 一度経験してしまうとその世界は当然のような感覚になる。しかし、すさまじい変化の中で、時に数年前を振り返って技術革新に感謝したい・・そんな気を起こさせる120GBハードデイスクである。
8月 15日 (金) 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨をなさずして各々安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり・・」=ご存じ、福沢諭吉(1843-1901)の「学問のすすめ」の書き出しである。この初編は福沢諭吉38歳の時に書かれている。福沢諭吉は33歳で慶應義塾を創設しており、自ら実践しながらやさしい言葉で「学問のすすめ」を著したと云われる。今みてもその先を続けて読みたくなるリズムのある文章だ。福沢諭吉はまた独立心を説く啓蒙家でもあった。「独立の気力なき者は必ず人に依頼す。人に依頼する者は必ず人を恐る。人を恐るる者は必ず人に諂(へつら)うものなり。常に人を恐れ人に諂う者は次第にこれに慣れ、その面の皮鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。」最近は、独立よりも共生がキーワードにみえるが、共生もそれぞれが自立していて成り立つものであろう。・・今日は終戦記念日。
8月 16日 (土) 2-3日前に知人のパソコンが勝手に停止して大騒動となった。これがコンピューターウイルス「MSブラスト」(blast=爆撃だ)のせいであることはすぐに分かった。マイクロソフト(MS)社のOS(ウィンドウズ2000&XP用)の欠陥を狙うこのウイルスはメールのやりとりから感染するのでなく常時接続しているだけで感染しパソコンを異常終了させてしまう。このウィルスのプログラムを解析するとパソコンの日付が16日(本日!)になれば修正ソフトを提供するMS社に大量のデータを送り込みMS社を攻撃するという命令が組み込まれていたことが判明した。期限付きの攻撃計画を事前に突き止めたわけだが、今日のニュースではMS社がウィルス攻撃を回避できた模様と報じられている。16日の大攻撃は回避されたとしても一般の人は修正ソフトを取り込まない限りパソコンをお盆明けに使おうとすると仕事にならないという危惧はまだ続く。・・私はMacパソコンを使用しているのでWindowsのこうした騒ぎはいわば「対岸の火事」。それにしてもMSの「セキュリテイー上の欠陥」が始めにあったことは明瞭でも「修正ソフト」を顧客が取りに来て対策することだけで形がつくとは楽な商売だ。私が経験したメーカーの欠陥であれば全部交換した上で損害賠償を求められる・・。
8月 17日 (日) 孫(2歳11ヶ月)を見送りに成田空港にいってしばらくジェット機の発着にみとれてしまったので、飛行機の話題を書いてみたい。「翼よ あれがパリの灯だ」で有名なリンドバークが大西洋無着陸横断単独飛行に成功したのは1927年。この時は5800kmを33時間余りで飛行した。1931年(昭和6年)には三沢から飛び立った「ミス・ビードル号(2名搭乗)」が米国・ウェナッチ市に胴体着陸して太平洋無着陸横断飛行をはじめて成し遂げた。飛行時間は41時間余り(距離は7819km?)。この頃からどれだけ長い間航空機が飛行できるかに関心が集まり、1938年(昭和13年)、日本製の飛行機が世界記録を樹立する(日本の航空機の世界記録としては唯一)。それは「航研機」(=帝大航空研究所製)と呼ばれた航空機で、長時間無着陸世界記録62時間(飛行距離11659km)と認定されている。ただし、この記録は太平洋を横断した訳ではない。関東地区の三つの観測点を通過する一周約2時間のコースを何度もぐるぐる回って記録に挑戦したそうだ。翌年、1939年にはこの世界記録は塗り替えられているが、戦前の航空機技術の高さを示すトピックとされる。いま、成田からは大勢の人が当たり前のこととして太平洋の横断飛行に飛び立っていく。・・本当は空を飛ぶなんて、もの凄いことをしている!
8月 18日 (月) 筆跡鑑定はよく知られているように筆跡によりほぼ100%間違いなく書いた本人を特定することができる。犯罪に関連した場合、筆跡鑑定は有力な証拠となる。最近はワープロ書きの文書で筆跡が残らないことも多い。けれども、ある程度長い文章が残されている場合、他の本人が書いた文章と比較することにより確実に(99%)当人が書いたことを実証できることを知った。実際に犯罪の証拠としても採用されているという。この技術は作家の書いた文章の「助詞」(副助詞)の特徴をとらえる研究から開発された。三島由紀夫とか芥川龍之介など個別の作家について使用されている助詞をピックアップして層別(相関を考えて分類)するとはっきりと個人の文章の特徴がつかめる。同じやり方で、一般の人の文章を解析するとやはり個人の癖(習性)が明瞭に把握されてしまうそうだ。・・そんなことを知ってから、あらためて自分のコラムの文章を読み直すと、これは間違いなく癖だらけである。これからは時々助詞を意識して文章を変えよう「なんて」云って「も」無理か、自分「には」分からない、いっそ、「です・ます」調に「でも」してみようか・・。
8月 19日 (火) 涼しい夏であるのに創作意欲がなぜか湧いてこない。なにか刺激が欲しい。こういう時に、展覧会をみたり、図版を広げてみることがあるが、自分にやる気を起こさせてくれる作家とそうでない作家がはっきりと分かれる。クラシックな名画や宮廷絵師のような絵は上手いと思っても元気にはならない。中川一政はそんな中、図版や書いた文章に接するだけでエネルギーを充填してくれる画家の一人だ(美術館はここ)。中川一政(1893-1991)はゴッホやセザンヌに影響されただけあってどんな作品にも中川流の気迫がこもっている。絵画のほかに書にも独特の味わいがあるし、最近までは関心がなかったが、陶芸も迫力ある作品を多く残している。中川は猛烈な勉強家であったにもかかわらず、作品からは、上手く描こうとか、他人から褒められようとかいう野心が微塵もうかがえない。ただ自分の信ずる道を突き進む感動の力量が心地よく響く。文章もまた他人に媚びるところがないので気持ちがいい。私の書道も続けなければ・・と思わせてくれた文章:「書を習うというは、曲がったものを真直にすることなり、怠惰を勤勉にすることなり、じょうだんを本気にすることなり、明日を今日にすることなり」(中川一政)。
8月 20日 (水) このところ「今日の作品」に新しい絵がみられないので、「瓶絵」を掲載してみた。これまでにはなかった傾向だが、こういうこともやっている。お絵かき遊びで、「なんでもやってみよう」の一環。コーヒーの空き瓶(写真、左)とか梅酒用の瓶(写真、右)をキャンバス代わりに拝借したものだ。我が家はインスタントコーヒーをよく飲むので特にコーヒーの空き瓶はいくらでもある。梅酒が入っていたり昆布が入っていたり空き瓶は容器としては何かに使われているが外側に絵があっても害にはならない。どうせ瓶に描くなら5−6個瓶を並べておいて統一のとれた模様を描く方がいいが、今回は成り行きで描いたバラバラ絵。右側の瓶にある得体の知れない物体は「梅干し」である。瓶の中味がないと巨大梅干しが浮かんでみえる!しばらくすると我が家の台所はミニギャラリーになりそう・・。
8月 21日 (木) 勤めをリタイアした同僚から「時間つぶし」という言葉を聞くほど不愉快なことはない。時間つぶしに一杯やろうとか時間つぶしに会おうといわれても会いたくはない。時間つぶしに○○をしています・・というなら直ぐに止めて欲しいと思う。そういう人に限って誇り高き仕事の現役時代には自分で全てを判断して時間を使っていたのではなく、権威ある他人の下に忙しい忙しいといいながら時間を浪費したのが実体であったりする。時間を自分でコントロールできるようになって、改めて感じるのは「残りの持ち時間が少ない」ということである。いまこの瞬間の時間にしても、一度過ぎ去った時間を取り戻すことはできない。自分の人生の過ごし方を自分で決めようと思うならば、間違えても「時間つぶし」の時間などあり得ない。
8月 22日 (金) ニューヨークにいる娘と、東京の息子夫婦、それに妻が加わって合計四人がパソコン画面で「チャット」をやっている。チャットとはよく云ったもので、次から次に画面上に文字が並ぶが正におしゃべりだ。、四人いると話題はどこに飛んでいくか分からない。妻は相手のコメントに笑いこけながら必死にキーボードを打ち、若者の話についていく。世界中のどこにいても何人もが同時におしゃべりをすることが現実のものとなっている。しかも費用がほとんどかからない!私はどうしたか・・?「一ヶ月後には五人目に加わる、いまにみておれ」の捨てぜりふを残して自分のパソコンで「特打」の練習をはじめた。「特打」はパソコンでキーボードのブラインドタッチをマスターするためのトレーニングプログラム。以前少しは練習したがキーをみながら打った方が早いのですっかり自己流が身についてしまった。若者とチャットをするためにはブラインドタッチでスピードを上げなければならない。今日のこのコラムはブラインドの練習で打ち込んだ労作(?)・・アー、くたびれた・・。
8月 23日 (土) 暑さが和らぐとされる「処暑」の今日、東京では34度を超え、この夏最高気温を記録した。今年はようやく夏がきたという感じで暑いのもまたいい。炎天下にテニスをするのも久しぶり。スポーツではルールの下で思う存分に「戦う」ところが楽しい。体力と知力と技術と経験とをフルに活かして闘争する。戦うスポーツはいやだという人もいるが、競う事で生きていることを実感することも確かだ。自分で勝とうとする意志がなければ、反対に徹底的にやっつけらるという厳しさもスポーツで体験出来る。折から甲子園での高校野球決勝戦は常総学院が東北高校を破り優勝した。勝者はその場の運に恵まれた、後日、敗者に幸運が回ってくることもあると思えるところがまたスポーツ競技の一面だろう。
「今日の作品」に「三角花器」(陶芸)を掲載した。色々な組み合わせができるセット花瓶を工夫して創り上げた。自分では気に入っている作品だ。

8月 24日 (日) 茨城県・岩井市民音楽ホール(通称、ベルフォーレ=美しい森)でスタインウェイ リレーコンサートをきいた。ピアノの名器スタインウェイを使って、午前10時から午後5時過ぎまで、休憩を挟みながら合計34名が演奏を行った。他にはないユニークな催しと思えたのは、まず出演者が小学生から60歳代まで幅広いこと。それにもかかわらず演奏の質が高く、何か日本のピアノ(音楽)レベルの裾野の広さをあらためてみたような演奏会だった。非常に残念だったのは、立派なホールで入場無料にしているのにいかにも観客が少なかったこと。例えば普段クラシック音楽に馴染みのない中学生、高校生でも、冷房の利いた部屋で休息をとりたい主婦やサラリーマンでも、この場にしばし足を踏み入れていたら、非日常の強烈な刺激を受けることができたに違いない。クラシック音楽を身近に楽しんで聴く絶好の機会は意外に地域社会にころがっているようだ。
8月 25日 (月) ホームページを開設することはたやすいが継続・維持することは容易ではない。内容を新しくしなければ続けて掲載する意味がなくなってしまうし、更新にはネタが必要となる。一方でページが出来上がると完成したような気になってしまうが、第三者の目で自分のページを見直すとお粗末さを発見することも多い。最近、このHPの「陶芸コーナー」の内容が余りに冗長すぎるのに気がついて我が事ながらショックだった。これまでは新しい作品を追加改訂するばかりで十分に中味を吟味していなかったし、枚数ばかり多く独りよがりに写真を並べていた。この際「陶芸コーナー」を2ページに分割して整理し直した。HPは所詮自己満足で好きなようにすればいい。けれども、時には自分の姿を鏡に映してみなければならないとつくづく思う。HP全体についても見直しの時期かも知れない。
8月 26日 (火) 「阪神優勝」の四文字がある男性により商標登録されているために阪神球団は阪神が優勝した時に「阪神優勝」の文字を使えなくなりそうだ。一時は商標登録した男性が球団に譲渡する形で折り合いがついたと云われていたのが、今日、交渉が決裂したとの報道である。恐らくは阪神球団は高額な金額を要求されたのだろうー「阪神優勝」を使うために・・。この際、球団が商標登録無効請求して徹底的に戦うことを応援する。大体、特許庁が商標登録請求があれば早い者勝ちで何でも権利を認めてしまうのがおかしい。「阪神」は地方の名前で、球団ともタイガースや野球とも関係ない・・などバカげた理屈である。阪神タイガースが万が一(!)優勝したとき商標権で金稼ぎするのを狙ってロゴを登録しておくという魂胆は見え透いている。弱い立場の権利を国が守るのは大いに結構だとしても、金儲けのための権利を認めすぎるのは害悪である。この際特許庁はくだらないロゴの商標権など認めるなとキャンペーンが要りそうだ(松井秀喜は「松井」が他人に商標登録されているので松井のロゴを使えないとか・・)。今年は、「阪神タイガース優勝」、「阪神V」でいこう!
8月 27日 (水) 思い悩むよりはまず行動すること・・手を動かし、足を使っているうちに何か突破口がみえる。これが自分の体験からくる行動パターンである。何もしないで他人の結果を批評するだけの悩める人にはなりたくないと思う。絵を描く際のテーマ選びに行き詰まりを感じながら、今日は「田中一光回顧展」にいった(東京都現代美術館=ここにて開催中、8月31日まで)。田中一光(1930-2002)はグラフィックデザインの巨匠として膨大なポスターや広告作品を残しているが、誰もが見たことのあるポスターなどに、アーこれも田中一光だったのかと今更納得させられるものも多い。例えば、無印良品のポスター、西武の「LOFT」というロゴデザイン、産経観世能のポスター、太陽とか流行通信など雑誌のブックデザインなどなど。また展示物を引き立たせていたのは安藤忠雄がデザインした何千個ものペットボトルを天井から吊して作られた壁面だ。明るく、シンプルな壁面は田中一光の作品とマッチして気持ちがよかった。・・とにかくも行動し外界から刺激を受けるとエネルギーは確実に充填される。
8月 28日 (木) 友人のところにパソコンソフト・photoshop(画像処理ソフト)の使い方を手助けにいった。この友人は写真の腕がプロ級であるが、3−4年前に買ったキャノンの高級デジタルカメラ(当時定価100万円以上)を最近同じキャノンの最新型高級デジタルカメラに買い換えた。パソコンをwindows-XPに換えたところ以前のデジカメからW-XPのパソコンに取り込むソフトがないことが、新しく買い換えた理由だという。カメラメーカーはW-98で使ってください、パソコンメーカーはソフトの問題です・・。OS(=Operating System)が改訂される度に毎度ソフトの互換性が問題となるが、パソコンメーカーが圧倒的に強い。どこかおかしいと思いながらユーザーはなすすべを知らない。「デジタル」はいまだ発展途上と無駄を覚悟であきらめなければならないのか。私のデジカメ(ニコンcoolpix950)も故障続き。全く信頼性がなくなってしまった。デジカメファンの私としても、このデジカメを修理するのか(修繕費が高すぎる!)、廃却して新しく購入するのか思案中だ。ちなみに、冒頭の友人は写真は専ら従来機種で撮り、高級デジカメは補助にしか使わないという。
8月 29日 (金) OECD(Organization for Economic Co-operation and Development=経済協力開発機構)が先進14カ国の一般市民の科学に対する関心と知識を調査した結果、日本は関心では最低、知識はビリから2番目」との記事を新聞のコラムでみた(今日の日経朝刊・春秋)。どうもこの調査はインチキくさいと直感してネットで調べたら以下のことが分かった。「知識」とは科学の基礎知識を問う10の問題の正答率を比較するのであるが、回答は、○、×、わからない、のどれかを選択するという。問題例:「大陸は何万年もかけて移動している」○、「地球の中心部は非常に高温である」○、「ごく初期の人類は恐竜と同時代に生きていた」×、「電子の大きさは原子の大きさよりも小さい」○・・。回答する場合に「分からない」の選択肢があるところが問題だ。日本人の場合、自信がない場合、正直に「わからない」とするケースが多いと思われる。○×だけで正答率を比較するのでなく「分からない」をハズレとするのでは知識でなく国民性の調査になってしまう。「関心度」の調査もなぜ日本が最下位になるのか、怪しげである。アンケート調査など質問の仕方で回答は如何様にも左右される。大体、科学への関心の大きさなど国民レベルでみると大新聞やマスコミでの取り上げ方で左右される。新聞の科学への関心が最低であるから「日本はビリ」になる。新聞が他の機関の発表をそのまま報道するのであれば、ただの宣伝紙でしかない。他者が調査した内容を追求するのが新聞の大きな役目でないだろうか。
「今日の作品」に「庭(水彩)」を掲載した。そこにあるから描いた息抜きの絵。

8月 30日 (土) 「たとえわたしが、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましいどらや騒がしい鐘と同じである。たとえまた、わたしに預言する力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たとえまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、一切は無益である。愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義をよろこばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。・・」(新約聖書:コリント人への第1の手紙、13章)。今日出席した結婚式でもこの部分の聖書が引用された。少し長い文章であるがそのまま書き写してみた。信仰のあるなしは別にして歴史を経て現代に活きている言葉には強さがある。時にこういう文章のひとこと一言をじっくり読んでいくと、さわやかな風に触れた感じで非日常の世界に没入できる。
8月 31日 (日) 8月最終日の今日は日曜日、夕方、渋谷にでかけた。駅前のスクランブル交差点からセンター街を通り宇田川町にある東急ハンズまでの道は相変わらず若者で賑わっている。渋谷の街は近頃新聞だねになり、犯罪の温床のような報道もあるが、私は渋谷センター街を歩くたびに大袈裟に云えば「平和の象徴」を感じる。若者が活き活きと好き勝手に装い、声をかけ、手をつなぎ、また、たむろする。それは”美女軍団”のように指令された行動でもなく、教えられた微笑みでもない。個々人が自由に行動しているのが見て分かる。テロの心配もなければ、独裁者が自由を奪う気配もないし、兵隊となって戦う義務もない。外見はそう見えてもみな悩みや苦しみを秘めているとか、犯罪の一歩手前かも知れないとかいうのはナンセンスだ。どんな権力者でも悩みをかかえているし、誰でもが苦しみはある。外見が肝心で、見たところが平穏であるのは実は非常に幸せなことに違いない。都会の適度な危うさも異常ではない。渋谷の街から帰ってくると若者だけに天下太平の汁を独占させることはないと、少し年輩者の自分も張り切るのがおかしい。
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