これまでの「今日のコラム」(2004年 3月分)

3月1日(月) 弥生3月がはじまる今日、東京はみぞれ交じりの冷たい雨となった。梅が「寒苦を経て清香あり」と云われるように、少しは厳しい寒さがないと春の有難味が薄らいでしまう。「さくら さくら 弥生の空は 見わたすかぎり 霞か雲か 匂いぞ出ずる いざや いざや 見にゆかん」。昔の歌の歌詞から桜は”弥生”の空であったのだと気がつく。「弥生」は 弥(いよいよ)、生(うまれる)の字の通り、草木がいよいよ生い茂る月の意味と語源が解説されているが、弥生の字は落ち着いた雰囲気の中で、さあ始まるぞといった幕開けを感じさせる。私は雅語の月名称のなかでも特にこの「弥生」という語感が好きだ。弥生時代の弥生は土器が発見された東京・本郷弥生町の地名から命名されたという。3月とは関係なくても時代の名称としてはこれもいい命名だ。弥生3月の冷え込みは冬の最後のがんばり、もっと寒くなれと応援したくもなる。寒さの中にも春の兆しが見え隠れしている。

3月2日(火) 2月10日の泥棒騒ぎ(2/10コラム参照)の後処理がまだ続いている。一昨日の日曜日には家から数km離れたところにある荏原警察署にいった。盗まれたバッグの中にあった財布が道で拾得されたという。勿論、中味の現金やめぼしいカードなどはないが妻のデパートの買い物券とか名前のあるカードが入っていたので持ち主が分かったらしい。不思議なことに、テレホンカードや使いかけのJRのイオカード、私鉄のカード(パスネット)が何枚も戻ってきた。話しに聞くと、JRのスイカ(Suica)は登録番号があるので盗まれた直後にカードのストップをかけることができ、それを知らない盗人が使おうとして捕まった事例があるという。そんな盗人仲間の情報で鉄道カードを警戒して使わないのかも知れない。被害品が戻ることなど期待もしていないが、このところ”再発防止対策”に忙しい。「今日の作品」には「常夜灯」を掲載してしまった。これは我が家の入り口が真っ暗でいかにも泥棒を呼び込みそうなので新設したもの。20ルックス以下の暗さになるとスイッチがはいるセンサー(¥2000)を別の場所につけている。電球は電球色の蛍光灯で13Wであるが電球60W相当の明るさがある。電球の覆いはアクリル製半球(¥980@東急ハンズ)。他はすべて自前の部品でまかなえた。・・防犯用の”工作作品”は他にまだまだある。家に来た知人に、「泥棒に入られて随分張り切っているね・・」と云われてしまった。
3月3日(水) 「モネ、ルノアールと印象派展(@東京Bunkamuraザ・ミュージアム、5月9日まで)」に行った時、妻から「補色」とは何か、黄色の補色は何色かと聞かれたがうまく答えられなかった。印象派が補色を巧みに使った表現技法を作り上げたという趣旨の解説に関する質問であったが、この際自分でも補色について整理してみた。広辞苑の説明では「二つの色を適当な割合で混合した結果、光の場合は白色光、絵の具などの場合は無彩色(灰色)となる時、一方の色を他の色に対していう語。例えば、赤と青緑・・」とある。絵画の入門書では、色環(赤ーオレンジー黄色ー緑ー青ー紫ー赤となめらかに変化して元に戻る色の輪)の反対の位置にある色が補色と説明される。12色の色相環では、赤ー青紫、緑と赤紫、黄色と青紫などが補色の関係となる。更に、「ある色をしばらく見つめた後、白い紙に目を移した場合に残像として現れる色」が補色という定義もある(これは実験してみると非常に面白い。黒の背景の中に”赤色”の円を置き、30秒ほど凝視した後、白色の 紙の一個所に目を移すと”青緑”が見える!)。補色の関係にある二つの色を並べると、いわば反対色であるので互いに引き立てあい強め合う。コントラストが強いにもかかわらず、一方でよく調和する。印象派はパレット上で絵の具を混ぜ合わせて出来る濁りを避けるには原色を近接して配置すればいいことに気がついた。人間の目は色を混ぜ合わせて知覚するので、補色の関係にある色が配置されるとキャンバスにはこれまでにない強い輝きが得られたのである。パレットの上で色を作らずに、キャンバスの上で視覚的な色を合成する・・これは確かに印象派の革命的な表現方法だ。
3月4日(木) このホームページのコラムを毎日綴っていて、色々考えるところがある。「継続は力」と続けることに意味があると言い聞かせることもあれば、ただの惰性ではつまらないとも思う。マンネリをどう打破するかが常時課題であるがそう簡単にアウトプットはでない。自己分析してみると、その日の成果とその日のコラムの出来栄えは必ずしも一致しない。頭をフルに使い、肉体を駆使して形あるものを作り上げた日にはむしろ秘やかにしていたいことも多い。文章をつづるとは手足の行動と違った特殊な行為であるとあらためて思う。ひるがえって一般社会でも中味の濃い仕事の実行者は寡黙でないかと思ったりする。饒舌なしゃべりの専門家や批判記事の執筆者と世の中を動かしている実行者とは勿論別物だ。ところが、これまた面白いことに、動物と違って人間は文章に感動し言葉が力となることもある。今日作り上げた作品と言葉とどちらが人のためになるかは比較する術はない。
3月5日(金) ”サラ・ベルナール”の名は一世紀前の大女優という程度しか知らなかったが、「パリ1900 ベル・エポックの輝き」の展覧会(@東京都庭園美術館=ここ=にて開催中、4月11日まで)であらためてその大きな存在を見直した。最近は舞台で「サラ/追憶で綴るサラ・ベルナールの一生」の芝居(麻実れい主演)が評判になったようだが見ていない。サラ・ベルナール(パリ生まれ、1844-1923)が芝居をはじめるとその美しい声と美貌が大人気になり、アッというまに売れっ子女優になった。一度彼女の声を聞くと誰もが感動しサラのとりこになったという。女優サラはフランスだけでなくイタリア、アメリカなど世界的に活躍し、当時の画家、彫刻家、写真家など芸術分野で恰好の表現対象(モデル)となったので多くのサラ・ベルナール像が現代に残されている。まさにベル・エポック=よき時代の大女優であった訳だが私がサラ・ベルナールを見直したのはこれらの経歴ではなく別の理由による。それはサラが女優ともう一つのキャリアとして「彫刻家」であったという点だ。サラの制作した彫刻も展示してあったが、それは女優が趣味で作った彫刻ではなく彫刻家の作品そのものであった。30歳を過ぎ、カリスマ的な名声を得たのとほとんど同じ頃に彫刻をはじめる、そして50-60歳でもすばらしい彫刻作品を残す。サラ・ベルナールはやはりだだものではない。彼女の声がどこかに残っていたら聞いてみたい。
3月6日(土) 帝国ホテルの一室で高校・大学の同窓生四人が歓談した。名古屋からきた友人が宿泊するホテルの部屋を利用したもの。東京駅の大丸・地下食料品売り場で調達したお酒やつまみを持ち込んで一流ホテルの部屋で話しをするのは初めての経験だった。話をしていると40年前の面影が思い浮かぶがそれぞれの深い年輪も感じさせる。何といっても気持ちよかったのは皆リタイアする時期でありながら暗さの微塵もないことだろう。こちらも色々と啓発されることが多かった。例えば、昨年亡くなった同窓生・ヤスケンこと安原顯のことを村松友視が書いた本「ヤスケンの海」(ここ)を読んでやってくれという(特に本人とあつい親交があった)友人もいれば、ベルリオーズのミサ曲を聞くべきとの話しもあった。フォーレやモーツアルトにない味わいがあるというベルリオーズのレクイエムを是非聴いてみようと思う。
<あす7日のコラムは旅行にてお休みします>

3月8日(月) 季節はずれの冷え込みの中、菜の花が咲く南房総(千葉)・鴨川シーワールドにいく(ここ)。海の生き物がメインであるこのテーマパークで、巨大なシャチがエナメルのようなつるつるした美しい肌であったのが一番強烈な印象だった。パーフォーマンスとして有名なイルカのショーやシャチと人との競演、アシカの芸などを見ていて妙にくたびれた。それは完璧に訓練された盲導犬を見るのと似たような感覚である(勿論、盲導犬とショーのための動物を同じ次元では比較できないが)。人間の言うことをきちんとこなすお利口で健気(けなげ)な動物たち・・。失敗しないかとこちらが緊張したり心配するのでくたびれる。その点、白イルカ(ベルーガ、ここ参照)のショーはベルーガが超音波を発信して周囲の材質さえも見分ける能力があることなど動物自身が持つ人間の及ばない能力をそのまま取り出した演出であり非常に面白かった。イルカ、シャチ、アシカなど芸達者な動物たちは仮に芸がなくても高速で泳いでいる姿を見るだけで十分にすばらしい。動物が固有に備えている自然な能力をみることができれば人は感動できる。猿軍団の猿をみせるという発想でない自然なシーワールドを考えてもいいのではないかと思った
3月9日(火) 「今日の作品」に「メビウスの輪(陶芸)」を掲載した。メビウスの輪は帯をひとひねりした形状の輪であるが、ドイツの天文学者で数学者でもあったA.F.Mobius(1790-1868)が3次元よりも高次な非対称の空間を説明するのに回転すると空間が転換するものとしてこの輪を用いたと云われる。トポロジー(空間や位相の数学)のヒントとなった不思議な輪は単純で分かり易い形状から今ではメビウスの輪として誰でも知るところとなった。確かに表も裏もない、表と思って帯を伝わっていくと裏に来てしまう終わりのないリングには人間の営みをも連想させる面白さがある。革新だと思っていると真反対の保守になっていたり、日の当たらぬ裏道を歩んでいるといつの間にか表舞台にでているとか・・メビウスの輪をみると転換する状況の理解がしやすい。ところで陶芸作品の方は一体何の用途があるのか。犬の首輪?と聞かれたが用途はまだ決めていない。壁に引っかけて小物の飾り棚にする、熱物の台にもできる・・などなど、頭を”ひとひねり”して用途を考えるのがこの陶芸の楽しみである。
3月10日(水) 文系とか理系とか単純に人を色分けするのは好きではないが、「ヤスケンの海」(村松友視著/幻冬社:ヤスケンとのつながりは3月6日コラム参照)を読んでいて、これは自分とは違う”文系”の世界だと思った。”想像を絶する読書量”の天才ヤスケンこと安原顯のことを知らなかったのは自分の不勉強と系列の違いでもあるのだろう(読書家の義姉はさすがにヤスケンをよく知っていた)。私などは大江健三郎には全く興味がなく、スーパー楕円とかメビウスの輪というと心躍る。昨年の芥川賞小説は苦労して読んだが、今年の綿矢りささんと金原ひとみさんという若者コンビの芥川賞は読んでいない。(文藝春秋はすぐに売り切れ、単行本しか書店にないので意地で買わなかった。)画家の中で文系、理系を分けるとすると、私の場合、クレーやカンデインスキー、エッシャー、安野光雅など理系の画家は無条件に好きである。時間があれば本を読むというより、手を動かして何か作品を作ることをやりたいのはどうみても理系か大工系。ただ、一方で自分とは異分野であるからより刺激を受けることも多い。「ヤスケン」もそんな本であった。 <安原顕についてのnet参照A=ここ、B=ここ
3月11日(木) 先日、千葉・丸山町の「シェークスピア・カントリー・パーク」に行った(netではここ)。シェークスピアの生家とか劇場などシェークスピアに関する建物を復元したものが見所であり、展示してある資料も興味深かった。その中にシェークスピアはガリレオと生年が同じとの説明があったのでもう少し調べてみた。ウィリアム・シェークスピアは1564年イギリスに生まれ、18歳で結婚、1616年52歳で亡くなるまでに、かの膨大な量の劇作を残した。一方、ガリレオ・ガリレイは1564年イタリア生まれ、1615年(51歳)で地動説を唱える異端者として告発される。それでも1632年(68歳)にあらためて地動説の本を出版するなどして、1642年78歳で亡くなっている。ガリレオはポーランドのコペルニクス(1474-1543)の地動説を証明した形であるので、当時、国は異なってもヨーロッパの情報交流は盛んであったのだろう。それでも確かにシェークスピアとガレリオは同じ年に生まれており、イタリア・イギリスの交流があったとしても、シェークスピアに地動説の知識があったかどうかは疑問だ。こうして並べてみると歴史に残る偉人が全く異なる場所で同時代を生きていた姿がみえて面白い。ちなみに日本ではこの時代、1600年が天下分け目の関ヶ原合戦であるので、信長から秀吉、家康(=1543生まれ、シェークスピアと同じ1616年没)に至る時代になる。日本では劇作家や科学者を見いだせないので年代比較は茶人としよう:千利休=1522-1591。
3月12日(金) 人は「期限」があるからやる気がでるというと言い過ぎだろうか。納期があるから徹夜をする、試験の期限があるから一夜漬け。制限時間がなければどんなにかゆとりが出来て立派なことができるのに・・と考えるのは大間違いだ。私の場合、花の絵を描こうとする時、このことを如実に感じる。花の場合、見ている間に蕾は膨らみ、咲き誇っている花は萎れはじめる。 絵を描くにしても集中して短時間に描き上げなければならない。花に限らず、野菜とか魚など生き物を描く場合も同じ事が云える。いずれも生命のない物体を描く時より結果的には短時間で緊張感のあるアウトプットを得られることも多い。何より描いている時間は待ったなしで気が抜けないので充実感がある。人間の一生も極めて限られた時間制限があるから充実するとも云えるだろう。「時間がないからできない」という言葉は大抵は言い訳で、できないという人はいくら時間があってもできない。 不老不死の薬を飲んで生きている人間がいると仮定すると、はた迷惑だけで何も魅力はない。同年代の友人が既に何人か亡くなっている。必ず期限がある一生。長さでなくその中味が充実していればいい一生であろうと友人のことを思い、自分の制限時間を考える。
3月13日(土) 「今日の作品」に「防犯フェンス(手作り)」を掲載した。コラムで手作り作品説明をする際いつもお金をかけずに安上がりに作ったことを書くので妻からは嫌がられる。こちらとしては実用的な設備や道具であっても「作品」と名を付けて紹介するからには、オリジナルデザインのものを、”無理にお金をかけなくても”できることを示したい。今回のフェンスについても費用を記載するが、実はこのフェンスの材料費は余りに「経済的」で自分でも驚いた。まず、横には径がW3/8(ウィットワースねじの3/8インチ=約10mm)、長さ1Mの総ネジボルトを二本通しているが、この長さ1メートルの全てにネジを切ったボルトが何と一本58円!(私はこのネジを作るメーカーが可哀想になった。鉄棒の材料費は?ネジの加工費は?とみると不可能な価格だ)次に、縦に並べた10本の木材は一本45円弱(二本で89円)!これも安い。柵の間隔を定めるアルミのチューブは手持ちの材料を使ったから主な材料費はこれで終わってしまう。安くできるのは有難いが、今は工業材料は工賃と比べて安すぎるのでないかと心配になるほどだ。鉄や木材の素材自体は自分では絶対にできない。素材をもっと大切にしなければならないとつくづく思う。高級な食材でなくても美味しい料理は工夫一つでできるといった心意気のフェンス作りだった。
3月14日(日) 今日3月14日は「円周率の日(数学の日)」。ほとんど誰も知らないが、円周率π=3.14をもじって数学に親しみ、数学を発展させようと制定された日という。円周率は云うまでもなく円周÷直径であるが、このテーマについて、現代に至るまで2000年-3000年もの間、人類が研究し続けていること自体が驚異的である。π=3.14159・・・(以下無限に続く)について、最近の話題は小学生に教える文部省の指導要綱で「円周率を3と教える」とマスコミが騒ぎ立てた”事件”を思い出す。私なども文部省の役人がバカな指導をすると勘違いしたがこれは全くの”誤報”であったようだ。実際には「円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する・・」という至極当たり前の表現らしい(誰だって暗算で概略の見当を付ける時には3を使う)。それにしてもこんな指導も不要で現場に任せればよい。円周率は3.14ではなく無限に続く不思議な数値であることを教えるのが数学に興味を持たせるポイントだろう。一方、一年ほど前に日本の研究グループが円周率を1兆2400億桁求めて世界記録を更新したというニュースもあった。このレベルの話はもうどういう意味があるのかさえ分からない。理解できないものは感心をする枠外だ。理屈抜きで円周率を楽しむには「円周率の数値は神の音楽であった」という信じられない発見をした人のHPサイト(ここ)も面白い。ただし音楽を楽しむには勿論1兆の桁数は必要ない・・。
3月15日(月) スポーツを評論するのは余り好きではない。どちらかというとスポーツはあれこれ理屈を云うよりも自分で身体を動かして実践する方が好きだ。野球にしてもテニスにしても、またランニングでも、他人のやることを批評するより自分でプレーする方がずっと面白い。勿論、最高の身体機能を備えたプロフェッショナルなスポーツ人は動きを見るだけでも美しいと思うし、テレビではスポーツ番組が一番好きかもしれない。そんな中でも今日の話題はマラソンのオリンピック代表の選考結果にならざるを得ない。先ほどからLIVEで選考にもれた高橋尚子と小出監督が記者会見をしている。選考経過は不透明であるが、記者会見を聞いているうちに、ひょっとするとこの決定は高橋にとってプラスになるのではないかと思い始めた。もし選ばれた場合には反対に何故選ばれたか異論がでるのは目に見えている。判官贔屓は追い風となるし、実力があればオリンピック以外の競技でまだ挑戦の余地がある。記録の比較で選考に敗れたのであれば記録で逆転できる。高橋には是非この先陸連を見返すような大記録をだして欲しい。・・マラソンはオリンピックだけでないといっても、サッカーは昨日のバーレーン戦に敗れ、オリンピックに出場できるかどうかの瀬戸際だ。今週はサッカーを応援しなければならない。
3月16日(火) 「今日の作品」に「虞美人草/ポピー(油絵)」を掲載した。タイトルの「虞美人草」というと夏目漱石の小説を思い起こすが辞書を引くと「ヒナゲシの漢名」とでている(新明解/三省堂)。poppy(ポピー)はケシ科の草花の総称であるが一般的にはヒナゲシのことを指すことが多い。要は「ヒナゲシ」のタイトルでいいものを勿体ぶってこんな題名にしただけだ。古来、ヒナゲシの赤は血の色を連想させるのか悲劇的な物語を作っている。項羽の愛人であった虞美人が劉邦に敗れた項羽を追って自害したときの血から咲いたのがヒナゲシ。イエス・キリストが流した血から生まれたのがヒナゲシというのもある。そんな物語とは関係なく、ヒナゲシの姿形は絵心をくすぐる。この絵は、先日、千葉・南房総にドライブに行った時、花摘みをしたヒナゲシを描いたもの。摘む時は咲いた花ではなく蕾だけを摘むのが条件だった。だから家に持ち帰った時には蕾が何本もあるだけでこれからどんな色の花が咲くのか分からない。3−4日すると次々に蕾が開き始める。殻が破れて中の蕾の色が見えたところで、はじめて花の色が分かる。そして開き始めると一気に開花し見てる間に散っていく様は何ともドラマチックである。描くのは一気に描き上げたが「春であるのに背景が暗すぎる」と妻から意見がでた。絵の背景を直すつもりはないので、掲載した時、枠の色を明るいピンクにしてみた。
3月17日(水) 「香月泰男展」にいった(東京ステーションギャラリーにて開催中ここ、3月28日まで、その後、山口、北海道、茨城、石川、静岡を巡回予定)。私は昔からの香月ファンで香月の本も何冊か持っている。例えば香月の絵と文章、谷川俊太郎編集による「春夏秋冬」という本(新潮社)があるが、絵を描くことに行き詰まるとまずこの本を開く。そうすると身の回りにいくらでもある対象物を気負いなく描いた絵や添えられた文章をみている内にまた描く勇気が湧いてくる。展覧会には、この本の中にある絵も何枚かあり懐かしかった。香月泰男(1911-1974)はシベリア抑留体験から来る暗い色調(ほとんどが黒と黄茶)のシベリアシリーズが有名である。その独特のマチエールもいいが、私は香月独自の余白とか構図、とぼけた味などが好きだ。香月の絵に接すると重い重い絵でありながら何か精気をもらったような気になり、もっと自分でも描きたくなった。・・東京駅での展覧会のついでに久しぶりに丸の内、大手町の街を歩く。以前通勤していた同じ場所に立ち止まってみると高層ビルが林立し景色が一変している。お上りさん気分で丸ビルの36階で食事をして帰った。
3月18日(木) 所用で池袋(東京・豊島区)にでかけた際に、東京芸術劇場に立ち寄った。ロビーの天井から吊してあるオブジェ風飾りの仕組み(構造)を見るために行ったのだが思わぬ幸運に恵まれた。丁度昼時で「ランチタイム・パイプオルガン・コンサート」にピッタリと一致したのだ。サントリーホールで月に一回、第3木曜日の昼時にやはり無料でパイプオルガンを聴かせてくれることは知っていたが、東京芸術劇場でもこの第3木曜日に無料でパイプオルガンのコンサートを聴く事ができるとは考えてもいなかった(ただし、次回は5月20日(木)で4月はないようだ)。今日、演奏したのはイタリアのオルガン奏者、ロレンツォ・ギエルミ。明後日(20日)にギエルミはカザルスホールで演奏会を開く。一足お先に芸術劇場で壮大なパイプオルガンの音を楽しませてもらって、申し訳ないような、大いに得したような気分になった。それも私の身なりはジャンパーに野球帽をかぶった遊び着スタイルで・・。ギエルミの演奏も堪能したが、更に面白かったのは、途中で「3分間お待ち下さい」とのアナウンスと共に、高さが8-9mもあると思われるパイプオルガンがぐるりと前後が回転して姿を一新するところだ。netの写真(ここを是非ご覧下さい)の方が分かり易いが、クラシック(ルネッサンスタイプ+バロックタイプ)オルガンが裏返しになると、モダンタイプオルガンに変身し、音もまた全く違うニュアンスを奏でるのには驚いた。・・我々の生活空間の直ぐ側に自分が知らない興味ある世界がいくらでも隠れている・・。
3月19日(金) 3歳半になる孫が「花より団子」・・”は”・・と、かるたを取るのを見ていると「いろはかるた」も伝承されていくのかと思う。けれども学校では正式には「いろは」を教えないという話しを聞く。「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢みし 酔ひもせず」。日本語のかなを全てダブることなく使って歌にしたこの「いろは歌」は、日本の文化そのものである。格調高く仏教思想まで織り込んだ「いろは」は伝えたい日本文化の一つだろう。学校の国語教育が「いろは」に冷淡である一方で、音楽教育は相変わらず「ト音記号」、「ヘ音記号」、「ハ長調」、「ニ短調」などの言葉をそのまま使っているので、イロハを知らぬ生徒達は音楽用語が理解できずに、学校の音楽は嫌いになってしまう。・・これは妻がいつも云うことだ。確かに、明治時代に西洋音楽を日本に導入した先人は「ハニホヘトイロハ」を常識として音楽に「イロハ」を使った。それがイロハを教えぬ学校で音楽だけにイロハが使われているのは奇妙ではある。ト音記号は「ソ(ドレミファソのソ)音記号」、ヘ音記号は「ファ音記号」と「ドレミ」ベースで呼ぶべきというのが妻の持論であるが、そんなことを云えば音楽の試験では落第してしまう。教育問題も案外に「知らぬが仏」(いろはかるたより、以下同じ)が多いので「油断大敵」。文部省も「臭い物には蓋をする」から要注意。イロハは知らぬ、音楽も分からぬでは「泣きっ面に蜂」だ。
3月20日(土) 我が家では、自分で制作した常夜灯(写真はここ、コラムは3月2日=ここ)に影響されて、今、電球の省エネ化を進めている。60ワットの白熱電球を、60W相当の明るさを持つ「電球型蛍光灯」に交換するだけで消費電力は13Wになる(100W相当では22W)。従来の同じ口金で色も電球色(同じ明るさ)であるので電球を交換するだけで省エネができる。以下、単純計算をしてみる:「電球型蛍光灯」の定格寿命が6000時間とのことで、この間の電気代は、(13/1000)kw×6000時間×23円/kwh= 1794円。従来型白熱電球の場合、電気代は、(60/1000)×6000×23=8280円。蛍光灯の電球代=980円、白熱電球の電球代(寿命は2000時間とする)=160円×3個=480円。省エネ効果=(8280+480)−(1794+980) =5986円。電球一個で6000円の節約は魅力的ではある。勿論、蛍光灯であるので余り頻繁に点滅する場所には適さない(寿命が短くなる)など、使用する場所を考えなければならない。話は飛躍するが、日本中の100万個所に及ぶ交通信号には80Wの白熱電球が使われているが、これを発光ダイオードに変えると膨大な省エネになると具体的な試験研究が進められているときく。家庭にも発光ダイオードの照明が普及するのはそう遠くないかも知れない。
3月21日(日) 朝、日の出から間もない時間にいつものように犬の散歩にいく。西郷山公園(東京/目黒区)では木蓮と辛夷(こぶし)の白色の中、ひときわ鮮やかに桃の花が咲いていた。桜はまだ開花していない。丁度、ビルの間から差し込む朝陽を浴びながら、この方向が”真東”だと思う。今年は昨日が春分の日で、今日は正確には春分の日から一日過ぎている(閏年のせいもある)。春分の日は太陽が真東から昇り真西に沈む。また夜と昼の長さが同じ日である。夜、昼の長さが同じといっても、日の出は太陽の端が地平線から覗いた時刻、日の入りは太陽が完全に地平線の下に隠れる時刻、と定義されると春分の日には太陽の直径分が移動する時間だけ「昼が長い」(更に、日の出時刻は大気による屈折のため若干早めに目にすることができるのでより昼が長くなる)。・・とこんな話はどうでもいいかも知れない。昨日の春分の日もほとんど気にしなかったけれども、今はお彼岸でもある。季節の移り変わりは感じながらも、時はアッという間に過ぎ去ってしまう。彼岸の中日と云われてはじめて行事を考えた。久しぶりに墓参りをしよう。
3月22日(月) 三歳半になる孫が持ってくる絵本がとても面白い。自分が孫の年の頃には、戦争の真っ最中で絵本どころではなかった。育ててくれただけで親に感謝である。私の子供達については絵本など専ら母親任せ。中川李枝子の「いやいやえん」とか松谷みよこの「おばけとモモちゃん」(モモちゃんシリーズ)など今でも思い出す絵本は多い。けれども、これら作者の名前は知っているが絵を描いた人の名前はすぐでてこない。最近、孫にみせてもらった絵本、「バムとケロのそらのたび」は作・絵ともに島田ゆかさん。これは私が時間を忘れて楽しんだ。絵が隅々まで気を配っていて細かいところが非常に気が利いている。絵の中にユーモアがあるし配色も好きだ。絵本を見る場合に一度目より二度目に新しい発見があり、三度、四度目と見る度に見方が深まる。孫も私と同じ楽しみ方をすることが分かっておかしかった。島田ゆかさんについて興味が湧き、netで調べると本人のHPがあった(ここ)。島田さんは1963年1月東京生まれ、現在はカナダに在住。他の「バムとケロ」シリーズを孫に買ってやりたくなった。勿論、プレゼントする前にこちらでも見せてもらおう。
3月23日(火) 最近、自分で”モノヅクリ”をしていると子供の頃を思い出す。小学生上級、中学生の頃、遊びの一つは工作だった。それもどこから情報を入手したか定かではないが仲間と身の回りの部品を使ってかなり危ないモノを作って遊んだ。アルミ製の鉛筆のキャップにセルロイドを細かく切った(ノートの下敷きを削った)破片を詰め込んだ後、キャップの開口部を密封する。そして台に乗せたキャップを下から蝋燭の火であぶる。しばらくすると猛烈な勢いでキャップがロケットになって飛び出す。家の前の山に向かって何発も発射させたのが懐かしい(これは今の子供がペットボトルでロケットを作るのと似ている)。もう一つ強烈に覚えているのは手製のピストルだ。こうもり傘のパイプ部分が銃身となった。引き金を引くとゴムの力が火薬を爆発させる 。 花火から集めた火薬の量も多く、鉛の球が何ミリの板を貫通させたなどと競ったからかなり本格的だった。今なら補導されかねないが、昔の田舎(兵庫県・姫路)であるからこんな遊びができた。よき時代と云うべきかも知れない。大人になって同年輩の友人とこの話をすると、全く飛び離れた地方の出身者が同じような遊びを経験しているのは驚くほどだ。インターネットがなくても子供の遊び情報はアッという間に全国に伝わった時代だった。今の子供はどんな工作遊びに熱中しているのだろう・・。
3月24日(水) 「今日の作品」に「シャンデリア型照明(工作)」を掲載した。先日来の白熱電灯を電球型蛍光灯に交換する省エネ対策の一環で、22W(白熱電球では100W相当)の電球型電球を使って居間用の照明を作成したもの(3月20日コラム参照)。このような照明具を制作したのは初めてであったが、自分で材料を選び好きなデザインで”灯り”という機能を作り上げるのはなかなか面白かった。釣り糸で吊してあるのは模型などで使う透明プラスチックパイプ。その上下には黒と白の真珠型ビーズを配した。ビーズという素材も種類が多く色々な用途に使えそうだ。一部の部品は釣り具の上州屋(渋谷駅前店)で調達した。釣りは自分ではやらないが、こういう専門店は全く別世界の部品を見せてくれるのでハッとすることがしばしばある。今回はワイアつり下げ用部品として使っている。タイトルの「シャンデリア」は豪華な言葉のイメージがあるので少し気恥ずかしい。それでもシャンデリアの語源はフランス語の蝋燭(Chandelle = chandle)だというから、蝋燭が沢山あるようにも見えるこの作品は「シャンデリア型」にした。
3月25日(木) コラムを書く時に、良いとか悪いという言葉を使わずに好き・嫌いと表現するように気を付けている。「善し悪し」は何か絶対評価のような響きがある。あれがいい、これは悪いといっても大抵はその人の価値基準であって、「あれが好き」、「これは嫌い」の個人の好みを云う場合が多い。ただ、道徳や宗教の教えは好き嫌いの問題ではなく善悪の基準となるから複雑だ。それも「自分にとっての神は他人にとっての悪魔」となると、単に好き嫌いの違いでは片づけられない。そのようなモラルや信仰の話を別にして、人が本当に何が好きなのかを考えることができるのは非常に恵まれている状況だと思われる。好きなことを見つけ、好きな仕事につく・・これができる現代日本の若者は幸せというべきだろう。「好き」を辞書で引いてみた:<理屈抜きに心が引きつけられる様子。自分がそうしたいと思う通りにすること。・・自由な行動がとれること。好色。数寄=(好きの意の借字)風流の道、特に茶の湯や和歌などに熱心なこと。以上、新明解/三省堂より抜粋>。 私は毎日「好き」な事をやっているが、これは”数寄”の部類に入るかも知れない。時代に感謝!
3月26日(金) 最近、”余白”が欲しいと思うことが多くなった。それも緊張感の漂った想像の海とも云うべき余白。力を産み出す余白が欲しい。テレビでも多弁に無理やり笑わせようと必死な芸能番組にはもう付き合いきれない。寡黙で落ち着いたキャラクタの人に出会うとホッとする。音楽でも同じ事だ。そうは云っても、いわゆる”癒し系”の波の音楽なども余り馴染まない。必要な余白と退屈とは異なるところが微妙な感じである。能・狂言の間のようなものがいいが、それこそ下手をすると”間が抜ける”。絵の世界でも”余白”とか”間”が深みをだす作品が描きたくなった。先日見た「香月泰男」の絵にあらためて影響を受けたのかも知れない。ただ、それは云うは易く行うは難しである。退屈で間抜けな絵ではない余白の絵・・これは一つの理想となりそうだ。
3月27日(土) British Antarctic Territory(=英国南極領土)/PORT LOCKROY<20-FEB-2004>のスタンプを押した絵はがきを受け取った。南極から一ヶ月以上を経て届いたはがきである。出した本人とは今日の午前中、テニスを一緒にした後、まさに南極の写真を見せてもらったところだ。アルゼンチンの最南端にあるフェゴ島(チリと分割統治)から船でさらに南に向かう南極ツァーには日本人が30人ほど参加して元ユーゴースラビア製の客船では英語とともに日本語の案内もあるという。いま観光旅行は南極まで及んでいる。<受け取った絵はがきはアルゼンチンのパタゴニアのものでinternet homepageが紹介されている=ここ>巨大なテーブル型氷山、崩落する氷塊、短時間しか沈まない太陽、人間を見学にくるペンギン親子やアザラシ・・こちらは写真で見るだけであるが、南極で「文明」とは無関係な自然を目の当たりにするのは、逆に人間生活の根本を考えさせられるような気がする。南極から人間が生活できる自然環境の有り難さを思い起こすこともあるだろう。ちなみに南極はどの国も領有権を持たない。国の基地はあるけれど世界共有の領地であるところも示唆に富んでいる。南極便りは現実になった。次は「月からの便り」も夢ではなくなるかも知れない。<私の旅行はずっと近場。これから伊豆にでかける予定にて日曜日のコラムは休みます>
3月29日(月) 早朝、6時頃、伊豆高原(伊東市)の桜並木をアール(コーギー犬)と散歩。桜は三分咲きであったが、誰一人いない桜のトンネルを自由にくぐって遊んだ。東京には昼過ぎに戻る。夕方、上野の国立博物館・表慶館でヴァイオリンコンサート(Violin:千葉純子、Piano:浦壁信二)。表慶館は緑色のドームを持つ重要文化財指定の明治を代表する西洋建築(設計は赤坂離宮=迎賓館=を設計した片山東熊。明治42年開館、写真はここ)。そのドームの中央でストラデイヴァリウスの奏でる春の音をたった140人程の観客が楽しむという贅沢な音楽会だった。千葉純子さんのテクニックと情熱と自制の三拍子そろった演奏がサロン的な雰囲気の中に品格を醸(かも)し出していた。帰路、上野公園の桜は満開。雑踏の中での花見もまたよしとして人にもまれた。・・今日はどの時点でも”春が来た”を実感した一日だった。
「今日の作品」に「伊豆にて」を掲載した。こちらは桜でなく果穂。

3月30日(火) 大相撲春場所で活躍した青・赤・白=優勝した朝青龍、殊勲・敢闘賞の朝赤龍、十両優勝した白鵬がそろってモンゴル出身と話題になっている。今晩、日本で開幕する大リーグで松井に注目し、またイチローを応援することが、そのまま大リーグの活性化にもなっていることを思えば、モンゴル出身の力士が活躍し、グルジア出身の黒海が昇進してくるのは大いに歓迎だ。少年時代、私はこれでも相撲が大好きだった。子供同士で取っ組み合いをして勝負を競うのは当時は当たり前の遊びでもあった。いま国技と云われる大相撲を力士と別の視点で見てみると、この世界中に類を見ない大相撲のシステムを大事にすべきだと思う。何より「制限時間までの仕切直し」がユニークだ。勝負の時間よりも呼吸を整えるための時間の方が長いなどというスポーツは他にない。この恐らくは時間の無駄に見えかねない仕切の時間は力士が呼吸を合わせながら集中力を高めるだけでなく、観客の緊張感を高揚させるにも役立つ。立ち会いの一瞬の呼吸が勝負を左右するからこそ重量別でない勝負が可能になる。体重の軽重を問わぬ力士が対戦するシステムは独特でこれこそ大相撲。一方、親方制度などはよく分からぬが不当な既得権や封建的制度など改革すべきは多いようだ。この世界に希な競技を維持継続し更に発展するためには人の意識は変えなければならない。個人の損得勘定を云わぬこととして部屋制度の改革を是非断行して欲しい。
3月31日(水) スポーツ選手がここ一番というときにプレッシャにうち勝ち実力を出し切るためには、「100%の力を出そうと考えずに90%くらいの力を出そうと考える」のがよいとされる(バド・ウインター著<リラックス>など)。自分でも最速の打球はやや力を抜き加減の時に達成できることなどはいつも体験する。。0.1秒を競う陸上競技や水泳、スキーなどは云うに及ばず、サッカーなどチームプレーにしても緊張の中に10%のゆとりを持った方がかえってベストの力が発揮できることはよく分かる。そんな話をしていると、音楽でも全く同じだという。強い音はただ強く弾けばでるのでなく脱力がなければならないとか。コンクールでのプレッシャ対策はスポーツと変わることはないだろう。極度の緊張で”あがる”現象はスポーツや音楽に限らずどんな分野でもみられるが、全て自分に100%以上の期待を込めているせいと云われればその通りかも知れない。けれども、これも体験から云えば、そんなことは分かっていても実際には”あがり”、無駄に力が入り、プレッシャーに押しつぶされるのが凡人たるところ。感情のコントロールはそれほど簡単ではない。

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