これまでの「今日のコラム」(2004年 6月分)

2004年6月1日(火) 我が家は今日になってようやく日常生活が戻ってきた。土曜、日曜そして昨日の月曜の三日間を旅行に出かけたと思って非日常の生活をする、特に食事は外食にするということを、土曜(5月29日)のコラム(=ここ)で宣言したが、三日間をかけて家中の大掃除をしたのが実態だ。台所の調理器具、鍋、釜、皿、容器類、箸やスプーンフォーク類、布巾、その他ありとあらゆる台所の収納品が居間(食堂兼)に並べられたので、食事をすることは物理的にもできなかった。家の中の収納スペースは限られているのに、とにかくモノが多い。妻は大決心をして台所用品の使う頻度の少ないものを処分する。私は清掃係。換気扇をボックス部分から外して掃除するのは当たり前、換気ダクトの奥の通路まできれいにした。ガスレンジの油汚れが洗剤でも取りきれない箇所は紙ヤスリをかけた。そんな調子で家中を片付けたけれども、終わってみると外観は大して変わっていない。我が家にはまだ「余白」が余りに少なくみえる。今の時代、モノを沢山もつことが豊かな訳ではなく、最高の贅沢は「余白」が持てる事ではないかと思うようになった。モノだけに限らない、ノートを埋め尽くす過密スケジュールよりも、白いブランクが点在するスケジュール。極力モノを減らして空間を増やす、そして一方、時間の余白を確保して楽しむ・・こんなスタイルができればいい。

2004年6月2日(水) 「国産ロケットはなぜ墜ちるのか」という本を読んでいる(日経BP社/松浦晋也著)。本のタイトルはショッキングであるが、膨大な予算を必要とし、ある意味では政治的な開発プロジェクトとしてでないと成り立たないロケット事業の問題点が的確にとらえられている。私も元技術者の端くれ。今の日本でいわば先行するアメリカ・ロシアより何周も遅れて走らなければならない立場のロケットエンジニアの苦悩は嫌というほど分かる。この本ではエンジニアのモチベーション(やる気)を阻害する要因以外に私が気がつかなかった点がいくつかあった。その中の一つに、ロケット開発という技術の絡んだ巨大国家プロジェクトの大方針を決める際に「文科系の知識に偏重し、理工系教養(=センス)が欠落している」ことが指摘されていた。日本の歴代の科学技術庁長官で理工系出身者がほとんどいないことは言われなくても想像はつく。けれども中華人民共和国の指導者が全員(!)理工系と聞くと少なからず驚く。出身校の専門は以下であるそうだ。胡錦濤主席= 水利工学、温家宝首相=地質学、呉邦国=電子工学、曽慶紅=自動制御工学・・。そして中国は有人の人工衛星を打ち上げ、ロケット技術でもはや日本を追い越したかに見える。文系、理工系とか専門をいつまでも引きずることはしたくないが、日本と中国がここまで対照的であるのは何故なのか考えさせられる。
2004年6月3日(木) 最近、私は“主婦化”したのでないかと苦笑することがある。妻が姉から借りてきた「暮らしの手帖」(ネットではここ)を開いてみると面白くてしようがない。花森安治が現役の頃、といえば20年以上前、時々はこの主婦を対象にした本を読むことはあったが、今回、本当に久しぶりに目を通してみて、「暮らしの手帖」ってこんな雑誌だった(!)と、あらためて見直した。まず、グラビアのページに余裕がありレイアウトもいい。文章のアレンジにも他にないゆとりがある。なぜ独特の雰囲気があるのか考えると直ぐに分かった。広告が一切ないのだ。日頃、うるさい宣伝・広告の紙面を見慣れていると、広告を掲載しない「暮らしの手帖」の爽やかさが別世界のようにみえる。記事の内容も私の趣味と一致する。つまり、理屈だけを格好よく言ってみせるのでなく、あくまでも現物をみて現実を考える姿勢がはっきりとみえる。記事のなかに「木を見る、森をみる」というコーナーがあったが、この言葉も気に入った。・・広告収入なしの「暮らしの手帖」は思う以上に新鮮で希有な雑誌を作っている。
2004年6月4日(金) 「今日の作品」に「コリウス」を掲載した。コリウスは最近葉っぱを楽しむ園芸品種として見直されている。和名を金襴紫蘇(きんらんしそ)あるいは錦紫蘇というシソ科の多年草である。コリウスといっても種類が多く、これがコリウスの色とは特定できない(ここ参照)が、とにかく、葉の模様が強烈だ。こんなアブストラクトな色と形を人間は思いつかないといった、とてつもない造作を自然はいとも簡単に作り上げる。葉が派手な分、花は地味で、花を咲かせると葉の色が悪くなるので花芽は摘まれてしまうそうだ。花としてはかわいそうな観葉植物でもある。この絵ははじめにパステルで紫色のバックを描いた後、何を描き込もうかと思案したところで、コリウスを思いついた。コリウスは葉の模様に意外性があるが、色調は意外にシックで紫系統に似合う。・・紫色というと母を思い出す。紫色が好きだった母が亡くなってもう17年が経った・・。
2004年6月5日(土) 佐世保市の小6同級生殺害事件についてはまだ真相も分からず安易にコメントできないが、やはり・・という報道が目についた。加害者の女児が「バトル・ロワイヤル」を「こよなく愛して」いて殺害の状況が酷似しているという。「バトル・ロワイヤル」の映画(昨年亡くなった深作欣二が監督)は「同じクラスの中学生が最後の一人になるまで殺し合う残酷なシーン」が社会問題化し、「15歳未満は入場が禁止」された。ところがこの小学生は姉の会員カードを使ってレンタルビデオ店で「バトル・ロワイヤル2」を借りていた。それも事件の一ヶ月前に・・。映画以外にもコミック版があり殺害シーンが詳細に描かれている・・。この種の事件の場合に「子供たちの心の背景にある深いものを、考え直さなければならない」といった議論になるが心の底に何があろうが、“手段”を知らなければ実行には至らない。今は事件を起こす具体的な手段をメデイアが事細かに教えてくれる。映画に限らず、テレビでも雑誌や小説でもまたインターネットでも、詳細に犯罪のやり方を解説したり、残虐な手口を教示する。それは必要であるからではなく、ほとんど制作する本人たちの自己満足に過ぎないように思える。制作の当事者が意識しないとしても社会に害悪を垂れ流している。これは情報公害である。公害は社会として摘発して防止しなければならない。
2004年6月6日(日) 「棒が一本あったとさ 葉っぱかな? 葉っぱじゃないよ カエルだよ カエルじゃないよ アヒルだよ 6月6日に 雨ざあざあ降ってきて 三角定規にひびいって アンパン二つ 豆三つ コッペパン二つ くださいな アッという間に かわいいコックさん」。・・6月6日というとこの「コックさんのお絵描き歌」を思い出す。このお絵描き歌に人気があるのは「かわいいコックさん」のオフィシャルホームページ(=ここ、歌が聴けます、絵が見られます)ができていることからも分かる。「コックさん誕生秘話」まである楽しいページであるが、一方で、このかわいいコックさんのキャラクターが商標登録されていることを知らされて複雑な思いがする。「阪神優勝」のロゴが球団と全く無関係の人に商標登録されたために阪神球団がこの文字を使えなくなったのと同じ伝が「コックさん」にもあるのかとガッカリはするが、この際深く考えずに、6月6日を絵描き歌の歌詞を思い出す日としよう。孫とお絵描き歌で遊ぶ材料が一つ増えたのは確かだ。・・東京にはこの日「雨ざあざあ降ってきて」、我が家は静かな日曜日となった。
2004年6月7日(月) 米国のレーガン元大統領が亡くなった。93歳。晩年、自らアルツハイマー病に冒されていることを公表し「私は人生の落日に向けて旅立つ」と語ったことが話題になった。どんな時にも米国人らしいユーモアやジョークを懐にいくつも用意していたと云われる。元大統領を引き合いにだすのは恐れ多いが、私がアルツハイマーの疑いが出てきたときの対応は、少し前に雑誌でみたある落語家のやり方をそのまま拝借しようかと思っている。病院に入院している私をお医者さんが診断している。家族が見舞いにきて顔を近づけてきく:「私が誰だか分かる?」。<返答>「勿論、ブタさんです・・」。「おかず よく食べたね、何か欲しいものある?」。<返答>「オカネ・・」。・・そういえば、父が亡くなる前に入院していた時に医者から「今日は何年何月何日ですか?」などと聞かれても頑として答えなかったことを思い出した。私なら素直に答える:「天保174年水無月七日」(=これはホント)。
2004年6月8日(火) いまから2500年前の中国の兵書・孫子に曰く:「知彼知己、百戰不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼、不知己、毎戰必敗(彼<=敵>を知りて己を知れば、百戦あやうからず。彼を知らずして己を知れば、一度勝ちて一度負ける。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必らず敗れる)。余りに有名な文言であり、現代においても、兵法としてだけでなく、政治や企業の戦略、スポーツなど、あらゆる相手と競う要素のある分野で色あせることのない金言だ。私は大層な戦いの状況ではなく、生活の場として「己を知る」ことの難しさを感じる。自分自身は思いのほか分からない。自分の能力にしても、どこかでは過小評価することもあれば過大評価していることもあるだろう。いまになって、自分の適性を考えるとこれまで知らなかった可能性を覚える事もある。ソクラテスが「汝自身を知れ。汝自身について考えよ」の言葉を得たのは70歳であるという(本当かな?)。己を知る努力はこれからもまだ続けなければならない。
2004年6月9日(水) チョコレートには目がない。チョコレートというとなぜか贅沢品との思いが抜けきらない。最近は本当に随分高級なチョコも沢山出回っているが私はえり好みせずにどんな種類のものでも美味しくいただく。先日、大相撲の桟敷席に行った際(5月9日コラム参照)、お土産の中に、明治屋特製の「相撲土産」チョコレートがあった。お相撲さんの格好をした大小のチョコが十数個セットになっていたが、妻と二人分のチョコレート二箱は千秋楽までに空になった。ところが一緒に行った息子夫妻のところの「相撲土産」はいつまでも蓋が開かない。この前の日曜日にプレゼントされたこの新しいチョコの箱を我がパソコンの横に置き、気分転換に力士の頭をかじったりしていると、今日はもう残り少なくなっている。ただ、チョコレートは手に入る時以外には口にしない(当たり前だ!)。つまり、自分で買うことはない。私にとってチョコレートは幸いにも希少価値でありつづけている。
「今日の作品」に「メカフィッシュ」を掲載した。特別に解説を付ける意味はなにもないが、この種の絵は雑念を取り除いて手だけ動かしているので描いている過程が一番楽しい


2004年6月10日(木) 「好きこそものの上手」など、私はこのコラムでしばしば「好き」を礼賛し、好きなことを書く。今は、好きな職業を選び、好きな人と結婚し、好きなことをするのは当然のような感覚かもしれないが、「好き」が是認されたのは歴史的には比較的最近である。儒教の精神では好きなど不埒で許されなかった。「好き者」の言葉も微妙だ。辞書では「好き者」とは「ものずきな人、風流な人、好色の人」(広辞苑)とある。「風流の道、特に茶の湯や和歌などに熱心なこと」(新明解)を「好き」の当て字として「数奇」「数寄」という文字が使われるのも意味深長に思える。数寄屋(数奇屋)造りは単なる茶室であるが、「数奇(すうき)な運命」というと不遇なイメージとなる。「数」は運命、「奇」はくい違うの意(広辞苑)とあるから、元来「数奇(数寄)」なことをやるのは出来上がった道を歩むのでなく創造の道を切り開くことであろう。「好きな道」を選択することは独自の世界を造り上げる厳しい覚悟がいるようだ。
2004年6月11日(金) コロンブスの記録を読んでみると現代でもなかなか興味深いものがある。コロンブス(1451-1506)はいまでいう大西洋を横断しカリブ海諸島に至る航海を合計4回経験している。第一回の航海の記録は「コロンブスの航海日誌」として現存し、日本語訳もある(岩波文庫/青)。初めて三隻の船で総勢約90名が香料や黄金を求めて西からインドを目指した時には未知の世界への冒険の航海。いつまで進んでも島影一つ見えない不安から船員の反乱寸前までいきながらコロンブス一団がいまの西インド諸島にたどり着いたのはよく知られている。スペインに帰還したコロンブスが第二回目の航海に出る時には、新天地への夢と商魂に後押しされて実に17隻の船舶に総勢1500名が乗り込む大船団であったという。第三回目の航海はコロンブス自らの考えではなく王室が編成した計画に従い330名のメンバーを率い、最後の第四回目は第一回目から既に10年を経た1502年、四隻の船で140名を率いて航海している。コロンブスは当時としては珍しい大規模な交易に寄る事業を計画し王室と共同経営を試みた起業家の面があるようだ。起業家の常として初期の幸運と栄光の後、挫折を味わった軌跡が引率した人数にも表れている。そうはいっても、自ら計画を立てスポンサー(スペインのイサベル女王)を説得して自分の思いを実現させるという卓越した実行力が歴史にコロンブスの名を残させた。いつの時代でも、好奇心をもって未知の分野を究明しようとする実行力は気持ちのよいものである。 
2004年6月12日(土) 昨日のコラムでコロンブスに触れたので今日は「コロンブスの卵」のことを書きたい。コロンブスが新陸地を発見した航海から帰還した際バルセロナで大歓迎をされ王侯貴族との宴も盛んに催された。そんななかでトレド大司教の催した宴で有名な「コロンブスの卵」の逸話が生まれたとされる(一説では後の時代に脚色されたともいう)。当時、ヨーロッパの西の端で、はるか東方からもたらされるインドの香料や黄金の国ジパングの金銀財宝を夢見たとしても、西回りの航路は誰も試みたことのない冒険であった。西へ西へ進めばインドに達するはずであると考えても命をかけて実行するには強靭な意思がなければできない。それが新陸地(その先にはアメリカ大陸があった)を発見し帰ってくると,「誰でも西へ行けば陸地にぶつかるよ・・」という人間があらわれる。誰も立てられないといった卵を底を少しつぶして卵を立ててみせたコロンブスの卵の意味は現代でもそのまま生きている。はじめてやることの困難さと比べると二回目は極めて容易だ。ましてや、それを批評することになると誰でも出来る。今の時代は何もしない評論家や批評家ばかりが目立ち過ぎる気がしてならない。開拓、創造、実行を尊ぶ風潮がもっと増えないものだろうか。
2004年6月13日(日) 三菱自動車の幹部による欠陥隠しの報道にからんで、また“コンプライアンス”という言葉が見られるようになった。コンプライアンス(COMPLIANCE)とは「法令遵守」と訳されるが、「ルールを守ること」に関してかなり幅広い意味で使われる。医療で処方された薬剤を指示通りに服用することを”コンプライアンス(服薬遵守)”ということもあれば、プログラムソフトの“コンプライアンステスト”をすることもある。一般的にこの言葉が広く使われるようになったのは、数年前(?)、銀行の不祥事などと関連して企業の法令遵守が重要視されるようになったときでないかと思われる。内部監査を行う場合も「コンプライアンス・プログラム」に従って実施する企業もできた。コンプライアンスは企業の生死を左右する基本事項となったはずである。それが、その後、雪印の食中毒事件、偽装牛肉事件、鳥インフルエンザに関する偽装などコンプライアンス無視により企業が危機に陥る事例が後を絶たない。そしていま三菱自動車・・。私は数年前の在職中にこれからの企業はいかに「コンプライアンス」が重要になるか強調した経験があるが、何かシラーとした雰囲気を感じたことを思い出す。当時も形式だけ「コンプライアンス」などと馴染みの薄い言葉を使っても、それはあくまでも「建前」であり、やがて「本音」の中に埋没してしまうことが予感できた。要は最高責任者が真にコンプライアンスをやり抜く意思がなければ組織内に徹底するものではない。三菱自動車の事例で見るようにコンプライアンスは最高幹部となる必要条件とはなり得なかった。法令遵守を”美徳”のていどに考えている古い体質を払拭すべきは三菱に限ったことではないであろう。
2004年6月14日(月) 「たかおさん、高尾山にいく」・・”今日のホームページはこれで決まりですね”と息子の嫁に云われたので素直にこのタイトルを使った。朝、アール(コーギー犬)を散歩に連れてでると雲一つない晴天。梅雨はどこに行ったか太陽が眩しい。朝食後一仕事を片付けて、妻と相談して急遽高尾山に行くことにした。家を8時50分に出て渋谷から井の頭線、京王線に乗り換えて、10時過ぎには高尾山口にいた。高尾山(HPはここ)は東京・八王子にある山(海抜599M)で都心から簡単に行くことが出来る。冒頭のやりとりは高尾山山頂から携帯電話で息子に電話したときのもの。低い山とはいえ山頂から電話で話をしたのは初体験だった。ウィークデイのせいかハイキングコースには人も少なく、たまに出会う人と挨拶を交わす。すっかり登山気分になって心地よく歩く。爽やかな風に吹かれて森林浴を存分に堪能したけれども、午後の3時前には家で日常に戻っていた。
「今日の作品」に「手作り/ナイフの柄」を掲載した。元は陶器製のナイフの柄が壊れてしまったので、材木を削って柄だけ作り直したもの。ラッコの目や口に似た形が できてしまったが、これはミルクスツール(小さな丸いす)の取手の残り木を使ったのでこんな形状になってしまった。ナイフとの接続部は5cm深さのドリル穴を開けている。元来、チーズ切りのナイフであるので、皿の色と合わせてブルーの模様をつけた。

2004年6月15日(火) 昨日のコラムで「息子の嫁」という言葉を使った。その前に「嫁」に代わる表現がないかと色々考えてみた。連れ合い、妻、相棒、彼女、配偶者・・どれもピンと来ない。やむを得ず「嫁」にしたが、私には”嫁”も何かしっくりしない。女が家にくっついている文字とか、嫁にやる、嫁にもらうという表現も好きではない。妻にしても私のところに「嫁に来た」とか「嫁にもらった」という実感はない。こんなに語彙がないものかいささか愕然として妻にこのことをいうと更に話は発展した。身内のことを話をする場合、呼び方は本当に人さまざまだ。妻は他人に私のことを話す場合、「主人が」という(実際には主人でもなんでもない)。人によっては、「夫が」といったり、相手が知らなくても名前を呼ぶ人もいるという。「亭主」とか「宿六」といってのろけてみせるのは関西だろうか。私はこのコラムでは「妻は」と書くが、他人としゃべる場合に「妻」という言葉は使わない。「家内」というのも実体が「家内」でないので自然には使い難い。普段は「内のが」とかいって適当にごまかすのだろうか。状況によって「ワイフ」という場合もないではない。英語ならば「ワイフ」一つで全て間に合うのにとの思いが強い。人によっては、奥様のことを名前で呼んだり、「奥さん」「女房」「かみさん」など色々だろう。呼び方そのものが個々人の文化であり、どう使うかは自由であろうが、夫婦、親子関係の変化に言葉が追いついていないように思える。
2004年6月16日(水) 数日前にテレビ(BS)で「トニー賞」の発表・授賞式を見始めたら止まらなくなった(実際には6月6日、ニューヨーク/ラジオ・シテイ・ミュージックホールにて開催)。トニー賞はアメリカ演劇界(プロードウェイ演劇およびミュージカル)の最高の栄誉とされる(HPここ)。私は演劇については全くの門外漢で、トニー賞がこの一年間の間に上演された演劇の中から”投票”で選ばれること、賞には作品、演技、音楽、台本、衣装や照明などのデザインなど23部門におよぶ分野に与えられることなども今回初めて知った。こんな素人が何が面白かったといえば、男女のコンビによる受賞者のプレゼンテーションと受賞者のスピーチだ。特に受賞者が舞台で感激しながら話す内容がみな清々しい。スピーチを訓練された国柄らしいと思うがそれぞれに個性のあるコメントを述べ、最後には必ず感謝の言葉が続く。「私だけの力ではありません」、「お陰さまで・・」という漠然とした感謝でなく、具体的な名前が延々とでてくる。舞台で妻(夫)や両親、兄弟までに感謝の言葉をかけるのはやはり国柄だろう。それにしてもそれぞれの受賞者が決してシラケていないし、また高慢ではないところが印象的だ。世界の舞台、ブロードウェイで栄えある賞を受賞して夢がかなったという初々しさを見せる受賞者が多かった。勿論、初々しさも演技の一つとか、投票選考には激烈な駆け引きがあるとか、裏があるかも知れない。それでも少なくとも表面上は、よき米国がブロードウェイには残っているようにみえて気持ちよかった。
2004年6月17日(木) 私自身がかなりいい加減なところがあるからでもあるが、これまで「いい加減」の勧めを何度か書いてきた。世の中、余りに厳格な信念を振りかざすと陸なことはない。適当で、丁度いい加減とはむしろ難しいところでもある。同じように「適度な遊び」も欲しい。車のハンドルに「遊び」がなければ、事故続発の恐れがある。そんなことを思っていると、遺伝子にも「いい加減」な「遊び」があるということを知りうれしくなった(生物のストラテジー/早川書房)。精密きわまりない遺伝子の二重らせん構造にしても決して均一ではないという。太さやねじれ方が変わりながら基本構造と違う形状になったり、戻ったりして「ゆらぐ」そうだ。遺伝子の調節機能(=環境への適応機能)にはかなりのゆらぎ幅、遊びが備わっている。先にあげた松原謙一・中村桂子先生の著書には更に、生命の仕組みには「合理的だがムダがある」という表現がある。それは「今のムダの中に今後の変化の可能性が秘められていることを示している」とある。人間の生きること自体、生物の原則にしたがっているのは間違いない。
2004年6月18日(金) 紫陽花がきれいな季節になった。我が家の狭い庭にも紫陽花が咲いている。青い額アジサイだが、1993年に庭の紫陽花の絵を描いてポストカードを作ったので”ガクアジサイ”の姿形は頭に入っている(原画はHPのここに掲載中)。紫陽花の種類は何十種類もあるようだが(ここ)、ガクアジサイ以外の名前はほとんど知らない。それにしてもどの花をみても花の形が実に複雑でよく出来ている。正式な名前を知らなくても紫陽花はいつまで見ていても飽きることがない。今朝、犬の散歩で通った代官山の旧山手通りでも鮮やかなセイヨウアジサイが目を引いた。しばらく眺めてみたけれど、家に帰り犬を置いた後、再度デジカメをもって紫陽花の写真を撮りにいった。・・花の話題になると、ここで一句と、俳句を付け加えたくなる。・・が、待てよ・・と思って調べると、丁度3年前、2001年の6月19日のコラム(ここ)で、紫陽花のことを書き、俳句を三句引用していた。この季節、紫陽花のことを書きたくなるのが自然なのだろう。そうすると、1993年以来一度も紫陽花を描いていないのは不自然だ。・・11年ぶりに紫陽花の絵を描いてみたくなった。
2004年6月19日(土) 今日、6月19日は太宰治の桜桃忌。この日、いまだに多くの若者が太宰の墓(東京/三鷹市)に集い、太宰を偲ぶ催しも開かれるというから何か若者の心をとらえるものがあるのだろう。私も人並みに20歳前後の頃、少しは太宰に傾倒したことがある。斜陽、人間失格、富嶽百景などを読みながら他にはない作者の味を感じたのは確かだ。けれども、今また太宰を読んでみようという気にはならない。なぜそうかを考えてみた。まず、彼の死に方が気に入らない。太宰治(1909-1948)はよく知られているように、愛人と玉川上水に入水心中して、自らの39歳の誕生日である6月19日に死体が発見された。どんな考えや悩みがあったにしても、親として、妻や子供を残して自殺するのは無責任極まりない。それは大地主のボンボンとして育ったわがままと格好付けといえば言い過ぎだろうか。デカダン(この言葉もいま死語に近いか)な姿、つまり、唯美的、反社会的、そして退廃的なジェスチャーそのものは若者を引きつける。けれども、太宰は生前一面で見せた聖書とか宗教に対する傾倒を更に深く掘り下げれば、生きる形は違ったのでないか。・・太宰をまた読みたいとは思わないと書いたが、いまはnetで読むことができる。「桜桃」は太宰が自殺する直前に書いた短編で、最後に父(作者)が桜桃(=サクランボ)を食べながら云う:「子供よりも親が大事」(netはここ)。その後の状況をみると子供たちは云っているかも知れない:「親はなくても子は育つ」。
2004年6月20日(日) ようやくにして陶芸で「ヘロンの噴水」の素焼きがあがってきた。この噴水の制作時のことをコラムで書いたのは、実に4月2日である(ここ)。素焼きの後、釉薬をかけて本焼きをすると7月になるから、それから更に噴水とするための工作をすると、完成は8月になるかも知れない。それでも、素焼きがうまく出来上がったことは無条件にうれしい。今日は午前中に素焼きに更に細かい仕上げを加えた。思うように加工できたり釉薬や模様のアイデイアが閃くときは至福の時間となる。このところ陶芸とは疎遠になっていたがまた粘土いじりがしたくなった。
夜、外出先から帰る時に鋭敏な刃物の先のように尖った月をみた。調べてみると一昨日が新月(真っ暗)。今日、東京で20時頃の月は月齢2.4
程度の新月から二日分だけ明かりが見える月だった。インターネットの「月齢カレンダー」(ここ)はその時々の月齢を教えてくれるほか、私にとっては非日常の夢を与えてくれるので好きなサイトだ。刻々と変化する月の満ち方(月齢)もリアルタイムで見せてくれる。そう、明日21日はもう夏至だ。
2004年6月21日(月) 台風6号は今夜には日本海の沿岸沖を北上中。東京地方は夕方少し風雨が強くなったが大した影響はなかった。今朝は曇り空の下、いつものようにアール(コーギー犬)を連れて散歩に行った。西郷山公園(東京/目黒区)ではこのところ紫陽花や夾竹桃ばかり気にしていたが、種をつけた赤い花びらが沢山落ちているので見上げると、数メートル上の樹に赤い花が咲いている。これがアメリカン梯梧という樹だった(netで花の写真はここまたはここ)。梯梧とは難しい字であるが広辞苑によれば、梯梧(梯姑=でいこ)は「マメ科の大高木。インド原産。赤色の大きな蝶形花を多数、密につける・・」とある。梯梧は沖縄の県花として知られる。アメリカン梯梧の方は南米原産で東京など比較的寒くなる地方でも生育するのでより広い地域で見られるようだ。私が興味を持ったのは、種と花びらが一体になったその形状である。直径が10mmほどの種はそれなりの重量があるが花弁がついていることにより真下には落ちずに飛行しながら離れた場所に種が蒔かれるに違いない。片羽の竹とんぼかヘリコプターかという見事な構造に魅せられて、落ちていた種を拾って絵を描いたのが「今日の作品」。「アメリカン梯梧の種」は植物の種というより羽ばたいて大空に舞い上がっていく鳥のようにみえる。そんな雰囲気を描いてみた。
     6月24日分

2004年6月22日(火) インターネットを利用する人は誰でも「検索」の有難さを実感しているに違いない。まさに検索により世界的な知識を共有化できる。私は検索には専ら"google"(ここ)を使用する。普段は当然の道具として使っているが、考えてみると実に早く、的確に検索されるのは驚異的だ。現在、世界中で50億ページ以上(どうやって数えるのか知らないが)という膨大なホームページの中からキーワードに従って優先順位をつけてアッという間に検索を終えるなんて、自分では考えることは出来ないなあと最初からあきらめているが、どういうやり方をしているのかには興味はある。googleはアメリカ/スタンフォード大学の大学院生が考え出した検索エンジン。少し内容を調べるとますます詳細を知りたくなった。一番のポイントはページの重要度を自動判別する"PageRank"という技術であるようだ。基本的には多くのページからリンクされているページはお勧め度を高くとる。勿論リンク数の多寡だけでなく別の要素との組み合わせをデータとする。それらのデータをもとに、どのページが最も重要と見なすかを計算する時(ページのランクをつける時)に、行列(マトリックス)の固有値を求める手法を使うという。全くの私的な話であるが40年前に私が卒論で取り組んだのがマトリックスの固有値計算であったので、ここまでくると、うれしくなってしまった。昔勉強した数学手法が意外なところでインターネットの技術を支えている。・・以来googleで検索をする度に何か特別に親しさを覚えるようになった。
2004年6月23日(水) 最近、全く期待していないのにうまくいったことが何度か重なった。なに、大したことではなく、陶芸でまだ焼き上がっていないと思っていたら素焼きが完了していたとか、4時間かかると思っていた釉薬付けが2時間半で終わったとか、ほんの些細なことである。こんなチョッとしたことでも思った以上に物事が進展すると本当にうれしい。逆に、期待し過ぎるとそれだけガッカリする度合いが大きいし、期待通りであると有り難味がない。「期待」とは「期も待も”待つ”の意で、望ましい事態の実現を心から待つこと」(新明解)であるから、「望ましい」ことと「現実」とのギャップが期待を裏切る元だろう。子供に、夫に(妻に)、上司に、会社に・・期限を付けた過度な期待をすると裏切られたときのショックは大きいが、ささやかな夢と控えめな期待を持っていると、意外に充実した達成感が得られるものでないだろうか。夢は持とう、それでも現実を見据えて過度な期待はするなと自分には言い聞かせる。一度、”期待”を取り外し、”なるようになる”というスタイルに変換して以降、私は充実感が倍加したような気がする。
2004年6月24日(木) 誘われて平日の木曜日にテニスに行っている。以前、週末にしかテニスに行くことが出来ない時に、ウィークデイに3日コートに来てしかも週末にも来るご老人を見て、週末は平日に来られない自分たちに場所を譲ってくれてもいいのでないかと秘かに思っていたことがあった。いま自分が木曜日と土曜日にもテニスをする立場になると、そのことを思い出す。若いプレー仲間はまだ週末しか来られないとか、午前中の3時間だけではないかと、言い訳をしてみるが周囲でどう思っているかは分からない。平日にいってみると週末テニスとは異なり、ガツガツ順番取りなどせずに、実にゆったりと仲間とも親密にプレーを楽しむことができる。やはり週末は若い人たち(週末しか来られない人)に場を譲るべきかな・・と悩んでいるところだ。・・自分のことは棚に上げて、老害防止、年寄りは若手に場を譲るべきの信念(?)をもって、今日告示された参院選の立候補者の年齢をみると70歳以上の方々が大勢いて愕然とした。東京都では青島さん、上田さんの二人。一世を風靡した青島さんも71歳。中曽根さんの例をだすまでもなく、実績を残し名声も得た人は引き際が難しい。願わくば老残を晒すことなく、新たな世界を開拓してほしい。
「今日の作品」に 「アメリカン梯梧の種2」を掲載した。前回のクローズアップ分。大きく描くと植物の造化の妙をより堪能できる。

2004年6月25日(金) 「財布軽ければ心は重い(ゲーテ)」。今日、我が家のアール(コーギー犬)の歯石をとるというので獣医さんにあずけたところ、21525円請求された。検査料や麻酔料などの費用が予想外にかかっており、私の財布は軽くなった。コラムでお金のことを書くと妻は嫌がるが、今日の出費を機会にお金のことを綴ってみたい。お金のことを言うか、言わないかで人間は全く別人種にみえることがある。お金に囚われると卑しくみえるといっても、現実に気にしない訳にはいかない。お金のある人は多くのお金が足りないだけで、お金が余る人はいないというが、お金のある人はしばしばお金に厳しい(ケチな)ことは実際に体験するところだ。これまで色々な人と関わりをもったが、一方で、お金にクリーンで自分の損得を気にせずに他人のために使う人に巡り会えたことも確か。「最高の賢者さえも金を取りにくる人間よりは金を持ってくる人間を歓迎する(リヒテンベルク=ドイツの物理学者,箴言の名手)」というが、賢者でもない凡人は損得勘定ではない人が身近にいること自体に感激する。自分で受けた恩義のわずか分でもいいから他人に対して同じことをしたいと思うがそう容易なことではない。「金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない(小林一三=阪急グループ創業者)」・・これは一読、そのようにも思えるが、やはり成功した大財閥だから言えた言葉だろう。
2004年6月26日(土) 餃子を今夕ほどたらふく食べたことはない。 焼餃子、水餃子、揚餃子など各種餃子を主食として思う存分食べたが飽きることはなかった。息子夫婦の案内で久々に娘家族を加えて家族パーテイー。場所は蒲田(東京/大田区)、名前は「歓迎(ホワンヨン)」というこの店は餃子マニアには知られたところであるそうだ。家に帰って早速ネットで調べてみると、いくつかホームページでの紹介があった(ここあるいはここなど)。「小龍包かと思うほどジューシーな餃子」とか「羽のような焼き目がバリバリの羽根餃子」など、グルメガイドはこのようなページに任せた方がよさそうだ。・・と、ここまで書いたところで、丁度テレビ(テレビ東京午後9:00から)の「アド街ック天国」でたまたま「蒲田」を取り上げていたが、蒲田名物の第二位に「餃子」がでてきて、pm9:45に「歓迎」も紹介された。今日すでに「歓迎」で餃子を食べてきたのはグッドタイミング! テレビ放映の後ならばもっと混み合って席が取れなかったかも知れない。
2004年6月27日(日) この2月、我が家で泥棒に入られた際に直ぐ鍵を交換したことをコラムに書いたことがある(2月12日=ここ)が、鍵はどうしても紛失したり盗まれる恐れがある。そこで最近は指紋や顔形など個人固有の認証を錠前替わりにする”高級な”システムができている。ところが絶対安全と思われたこのやり方も意外な盲点があり個人の特徴をコピーすることが可能であると言う。一旦コピーされてしまうと本人は全く気づかずにフリーパスで侵入される。また銀行のATM(Automatic Teller Machine=現金自動預け払い機)で使用されるカードの情報、暗証番号などが本人の全く知らないうちに盗まれて預金が引き落とされるという犯罪が実際に発生している。ATMに接続されている配線に秘かにある装置を取り付け、無線で(?)情報を盗む手口が既に解明されているようだ。どこから送られてくるのか分からない怪しげなメールやウィルスの対策にはほとんどの人が余計な手間をとられて怒っているだろう。これからの社会では「ハイテク犯罪」といかに関わるかが一つの課題となりそうだ。自分流の対応法はまず”ハイテク”を過信しないこと。絶対安全など”絶対に”あり得ない。経験の多いローテクの安全対策の方が安全なことは多い。それから危険は常に内在していると最悪のケースを考えておくことだろうか。悪い奴はどこにでもいる。しかも頭のいい悪者も絶えることはない。リスク管理などと改まって言うまでもなく、「便利の裏に危険あり」と思っておきたい。
2004年6月28日(月) 一人でできることは大したことはないとつくづく思う。集団で取り組むことによって大きなことを成し遂げることもあるが、個人の仕事では一人だけの能力などたかが知れている。天才と言われる人でさえ多くの先人に学び、仲間に感化された後に結果をだしたのだろう。大げさに言えば人類の長い歴史の成果を誰もが先ず学ぶ。その上で同時代の仲間(教師を含めて)と競いながら切磋琢磨し、そこに個人の創造が加わる。創造を必要とされなければ模倣と同化で十分に一生は終わる。そんな一人一人は弱い力でありながら、一方で人間はなんとすごい文化や技術を造り上げてきたかとも思う・・家の中に閉じこもっているとアイデイアが浮かばない。今日、たまたま知人の家に飾ってあったヴェニスの絵画をじっくりと鑑賞していたら、自分でもイタリア旅行の思い出を描いてみたくなった。「今日の作品」に掲載した「フィレンツェの思い出」はその結果だ。ヴェニスの絵を描いた画家は何も意図はしていないだろうが、その絵に刺激を受けて俄然描く気力が湧いた。私には内なるエネルギーを燃え上げらせる他人や外界からの「刺激」が必須なことを改めて知らされた。

2004年6月2 9日(火) 用事で外出したついでに小さな二つの展覧会に立ち寄った。一つは松涛美術館(東京、渋谷区立、ここ)で「20世紀の中国水彩画/風景と詩情」展(7月19日まで)。もう一つはBunkamuraギャラリー(渋谷、ここ)で「ル・コルビュジエー絵画の仕事ー」(本日まで、無料)。中国水彩画は絵そのものはそれなりに楽しむことができたが、ある面で芸術とかアートの意味を考えさせられた。中国が今のような解放政策をとる以前に描かれた絵には造船所や働く人たちの”風景”が多く時代を反映しているし、全般は水墨画の伝統を思わせる。巧みではあるが自由さや革新的なところが希薄という感じで、絵画芸術というのはやはり全体主義には馴染まないと思えた。ル・コルビュジエ(1887-1965)は20世紀を代表する建築家であるが、絵画や版画作品も多く残している。私はコルビュジェの建築が大好きでいつの日かコルビュジェの設計したフランス東部にあるロンシャン教会(礼拝堂、ここ)を見に行くのが夢であるが、絵画の方も私の好みと合致している。自由で遊び感覚があり、しかも何とも言えぬ詩情が漂うところが好きだ。今日みたのは版画展であるが私は時々コルビュジェの常設展を訪れる。それは東京/西新宿にある超高層ビル(54階建)・新宿センタービルの17階、大成建設のオフィスの間にある「ギャルリー・タイセー」。ここでは常時無料でコルビュジェに関する展示を見ることができる(ここ、このHPのコルビュジェ絵画コレクションはお勧め)。・・少し行動すれば簡単にホンモノに接することができる東京という環境が何より有難い。
2004年6月30日(水) 妻は時々私が自分では絶対に買わないものをプレゼントしてくれる。10年以上前であるが242色のパステルをもらって感激した。このパステルは今でもまだ愛用している。先日、突然「10年連用日記」を妻からプレゼントされて、この時ばかりはひと騒動起きてしまった。妻の好意は十分に分かるのだが、私はどうしても10年連用の日記をつける気がしない。確かに自分で能率手帖とかバインデックスの1年ものの日記帳(予定帳)を10年以上続けている。現在使っている6穴システムノートのBindex-Diaryと10年連用日記の記載スペースは同じ程度であり、日記を書く作業は同じかも知れない。それでも私としては、例えば2004年6月30日の欄の下に2013年までの空きスペースがあることが耐えられない。10年先となるとアール(コーギー犬)は亡くなっているだろう、私だって命がある保証はない。それを10年後でないと完了しない日記を続けるのは生理的に嫌なのだ。「10年連用」に関連して自覚したのは私はこの瞬間瞬間を存分に生きたいという主義であることだ。10年先のために今何かをやるのは性に合わない。今つけている日記も後日読み返す気など全くない。「日記はただのボケチェック?」と云われれば、その通りかも知れない。世の中には30年先の年金の損得勘定をする人もいるから、10年連用(30年連用)はそういう人に向いているのだろうか。とにかくも、豪華本のように立派に装丁された「10年連用日記」はまだ使われていない。

これまでの「今日のコラム」(最新版)に戻る

Menu  + Today  + Corgi  + Puppy  + Gallery +  Ebisu /Daikanyama  + Links