これまでの「今日のコラム」(2004年 7月分)

2004年7月1日(木) 甥にコンピュータによる音楽作成ソフトのデモをみせてみせてもらった。好きなリズムや旋律を何種類でも選択し、それぞれのオーケストレーションがいとも簡単にできる。勿論、その場で音色や微妙なニュアンスの調整など自由自在。以前の作曲家は頭の中にある曲想をそれぞれの楽器の組み合わせをイメージしながらオーケストラの楽譜を作成するのに膨大な労力を必要としたに違いないが、コンピュータによりオーケストラの音を実際に確認しながら専門家でなくても作曲ができ譜面も得られる。最近の流行歌手のバックオーケストラはほとんどコンピュータ音楽だときいたことがあるが、コンピュータでの音作りを体験すると余りに便利すぎるので逆にこれで”ホンモノ”の作曲ができるのだろうかと気になった。私の場合、コンピュータの描画ソフトには前から感服させられているが、これはあくまで「業務用」に便利なものと割り切っている。イラストとかグラフィックデザインの分野ではコンピュータはもはや必需品であろうが、画家はキャンバスに描くことを止めはしない。私の実感するところでは、コンピュータによる作画と絵筆による描画は、コンピュータによるテニスゲームと大空の下でプレーするテニスほどの違いがある。描画ソフトの限界を考えると、コンピュータによる音楽作りがどんなに進歩しても、いや便利になればなるほど、存外に音楽家の作曲の重みは増し、生演奏の価値も上がるような気がする。

2004年7月2日(金) 昨夜たまたまテレビで関東地区の麺類の店ベスト10を選ぶ番組の最後だけをみた。一位が麻布(東京)の「五行」というラーメン店、二位が恵比寿(東京)のやはりラーメン店「山頭火」だった。恵比寿なら私の地元、歩いていけるので一度行ってみようかと、妻が得意の「インターネット/レストランガイド(全国版=ここ)」で店を調べた。ところが、「山頭火」の評価は”恵比寿・代官山・中目黒”の狭い地域で24位(東京地区では実に1154位)。この評価は実際に店を訪れた137名の客が料理の内容、雰囲気、コストパフォーマンス、接客の4項目で採点したランクでコメントが添えられている。確かにマスコミで評判とか混み合うなど人気であることを示すコメントがある一方、概してお客の評価は厳しい(期待が大きすぎるのかも知れない)。それではと、一位だった「五行」を見てみると、これも特別によくはない(東京地区で66位)。それで思い出したが、我が家から数分のところに「恵比寿ラーメン」という一時マスコミで評判になった店があるが、行列の合間をみつけて食べにいったところ特に何ということもない味だった。ここの評価コメントをいま読むと、以前とスープも麺の味も変わってしまったとある。人気のところはしばしば接客態度が横柄で不愉快になることもある。ネットの情報も割り引いてみなければならないが、驕れるもの久しからずか・・。たかがラーメン店の話ではあるが「評価」の難しさと「マスコミ情報」の質について考えさせられる。・・結局、無理をしてラーメンを食べにいくことは中止した。
2004年7月3日(土) 私がいま注目している家電に「電子ブック」がある。パソコンで長い文章を読むのは好きではないし、本を液晶デイスプレーで読むなど頭から嫌悪感を持っていたが状況は少し変わってきた。ソニーと松下が電子ブックの端末機を競っているが共に日本語の本を「読むこと」に特化している。当然、最新の液晶技術がベースとなり、紙の本以上に読みやすく工夫されている。私が電子ブックを見直した理由の一つは、古典や古い文芸名作全集などが大きな文字で随意に読むことができるところである。今は書店ではそれらを買うこともできないし、図書館で借りるのも期限があり結構不便を感じる事が多い。電子ブックでは自分の図書館を持ち運びして自由な場所で本を読めるのでないかと期待が膨らむ。ところで、ソニーの「リブリエ」と松下の「シグマブック」という電子ブック端末は見事に設計のコンセプトが違っていて面白いほどだ。ソニーは片面で白黒表示、松下の両開きタイプで青白表示、その他、メモリーステイック、キーボードや音声読み上げありだが2ヶ月のレンタルで書籍を提供するソニーに対し、メモリーカード、キーボードや音声はないが書店やネット販売で書籍は買い取りの松下など。私は今はまだどちらとも優劣はつけられない。共に4万円前後の価格が半額以下になれば・・とこの競合を楽しみに眺めている。
2004年7月4日(日) テニスのウィンブルトン選手権・女子シングルス決勝でロシアのシャラポアがセレーナ・ウィリアムズ(米)を破り初優勝を果たした。私は決勝となればウィリアムズにコテンパンにやっつけられるかと思っていたら、あれよあれよと云う間もなく勝ってしまったので喜ばしい限り。シャラポアは17歳になったばかり、ロシアの女子でウィンブルトン制覇ははじめて。身長183cm、モデルのような容姿で人気があるが、実力も伴った本格派だ。4歳からテニスをはじめ、7歳の時父親とともにテニスのために米国に渡り、フロリダにある米国有数のテニスクラブに入っている。ロシア(シベリア)生まれではあるが、いまや国籍がどこかは余り意味がない。しかも、スポーツの舞台に国境はなくなっている。今日のゴルフ「日本ツァー選手権」では韓国のS.K.ホが優勝。本日初日の大相撲名古屋場所ではモンゴル出身の横綱朝青龍が白星スタート。米国での大リーグ野球、メッツーヤンキース戦で松井稼頭央と松井秀喜がそろって活躍。・・ルールの下に実力を競うスポーツの世界でまず国境がなくなってきたのは非常に象徴的だ。
「今日の作品」に「丘(油絵)」を掲載した。古いキャンバスを整理していたら数年以上前に描き始めた中途の絵がでてきたのでこの際完成させたもの。私の子供の頃、家の直ぐ前に山(丘)があり、学校から帰ると毎日のように山にいき、暗くなるまで遊んだ。絵を仕上げながらその頃を懐かしく思い出していた。

    7月7日分
2004年7月5日(月) 最近は”モヒカン刈り”を見ることはほとんどなくなった。一時、サッカーのベッカムのモヒカン刈りが話題になったが、渋谷の街を歩いてもいまはモヒカン頭には出会わない。ところが、我が家の前の通りで朝の7時前後にモヒカン刈りのお兄さんと出会うことがある。しかも、いつも太いベルトに金属の飾り(?)をじゃらじゃらさせる決まった衣装スタイルである。このお兄さんに気がついたのはもう数年前のことだが、今もなお早朝に出勤するがごとく正確な時間に出会う。何となく親しみを感じて、どういう職業の人だろうかと思いを巡らしたりしたが、先日、恵比寿の駅ビル内のレストランで彼の一家と出会ってしまった。モヒカンのお兄さんの格好はいつもの通り、奥さんは今風だがまあ普通のスタイル、二人の子供がかわいらしく、微笑ましい家族の印象であった。彼の職業はますます謎につつまれ想像できなくなったが、モヒカン一筋のこのお兄さんは堅実な家族持ちであることは分かった。”モヒカン”というのはアメリカインデイアンの「モヒカン族」(ニューヨーク州ハドソン川上流の山地に住んでいた)からきたものと云われる。モヒカン族の当たり前の髪型が世界の先端ファッションとなったことになる。モヒカン族を思えばモヒカン刈りのご主人を先頭にして幸せ家族がいてもなんら不思議ではない・・。
2004年7月6日(火) 「未来を予測する最善の方法は、未来を発明してしまうことである( The best way to predict the future is to invent it !)」。これはパーソナルコンピュータの父と云われるアラン・ケイの言葉である。アラン・ケイ(Dr.Alan Curtis Kay=1940年米国生まれ)は科学者・技術者として大型コンピュータ全盛時にパソコンの到来を予測し(1968年に彼がはじめてパーソナル・コンピュータという言葉を使った)、PCの理想像を示してアップル社のMac誕生に大きな影響を与えたと云われる。コンピュータ関連技術でのノーベル賞といわれる「チューリング賞」を受賞したり、この6月には日本の「京都賞(稲盛財団)」を受賞するなど、いまコンピュータ分野で最も名誉ある人物の一人だろう。現在、アラン・ケイが非営利団体を設立して注力しているのが、「子供たちの教育環境の向上、子供たちに適したコンピューティング環境の開発・導入」。この分野でも「自ら未来を発明」することができるだろうか。アラン・ケイの所属した企業の経歴<Xerox-Apple-Disny-現在Hewlett-Packard>をみるといかにも米国流で興味深い。それにしても、冒頭の言葉は格好いい。未来の技術に限らず、未来の世界、未来のメデイア、未来の音楽、未来の絵画、未来の陶芸等々を予測するとすれば、それぞれに何を発明(創造)すればいいだろうか・・。
2004年7月7日(水) 「今日の作品」に「百合(油絵)」を掲載した。これは以前(2003年11月7日のコラムで書いている)”制作途中”として掲載した作品を加筆してサインも入れたもの。自分でも前回掲載した絵(2003年後半の「今日の作品」=ここ)と比較すると興味深い。前にも書いたことがあるが、油絵というのは書き直しや加筆が自由にできるので、どの時点で完成とするか決断を必要とする。時間をかけていつまでも手を加えるとよくなるものでもなく、勿論中途半端でもいけない。圧塗りした迫力あるキリスト像の絵画で知られるルオーは売却した絵でも後に加筆した。一見単純にみえるマチスの横たわる婦人の絵は30回以上書き直された。こんな経緯をみると職業画家でさえ、どこで完了とするかが大問題であるようだ。私などは気分次第でどこまでいっても加筆したくなるから、サインを入れた段階で一応の完成とする。出来上がった絵がどうあろうとも全て自己責任であるところが、絵を描く上での醍醐味だ。結果が悪くても教師や教育の責任ではない(いい場合は教師のお陰と思うべき)。ましてや社会や時代のせいにはできない。自分の責任で、自由に、好きなようにやり直しができるのが絵画のすばらしいところで、他には余りないことだ。それだけに私の場合は作品をとにかくも完成させるには”時間制限”を設けることが必要に思えてきた。
2004年7月8日(木) 梅雨明け宣言なしに連日猛暑が続く。今日は東京が35.1度、埼玉県の熊谷では何と37.6度、鳥取県、米子でも37.2度を記録したと報じられている。どういう訳か最近私自身は暑さを余り苦と思わなくなった。勿論、暑いには暑いが、なに、インドで過ごした夏と比べると楽ではないか・・。夏は暑い方が似合っていると思う。それでも、気温が35度を越したと聞くと古傷を思い出してドキッとすることがある。以前、勤め人時代のある時期に空気で冷却する装置に関係していた。気温が上がり過ぎると冷却されるべき媒体の温度も上昇し保安装置が働き装置が停止してしまう。その大気温度の限度が約35-37度。猛暑到来と聞くだけで胃が痛んだものだ。いまでも色々なお天気の具合<雨や雪、暑さや寒さ>に一喜一憂して対応に走り回る人が大勢いるに違いない。いくら暑くてもただ汗を流していれば済む気楽な生活の我が身を思う。・・織田信長によって寺に火を放たれた時、炎の中で快川禅師(かいせんぜんじ)が云った言葉:「心頭を滅却すれは火も自ら涼し」
2004年7月9日(金) 今日は「巨樹」をみてきた。奥多摩ビジタ−センタ−(東京都)主催の「巨樹をはぐくむ森の探検隊」は参加者30名にガイドが8名つくという贅沢な編成で、下界は酷暑であったようだが一日爽やかな風と緑を堪能した。今日見た巨樹は奥多摩/日原地区・金袋山の「ミズナラ」だ。この日学んだばかりだが、巨樹とは「地上高さ1.3mの幹の周囲が3m以上の樹木」と環境庁の目安があるそうだ。この定義でみると全国に巨樹は64000本以上、東京都の区部で約1200本、奥多摩町(東京都下)単独で約890本と結構数が多い(更に山奥で新発見されて数は増加中とか)。確かに日本は森の国であるのだ。また東京・奥多摩地区の森が何と豊かなことかと感激を新たにする。今日の探検隊のガイドさんや参加者はみな(私以外)植物に造詣が深く、私にとってはその「単語」を耳にするだけで大いに刺激になった。今日出会った植物の名前の例:ブナ(シロブナ)、イヌブナ(クロブナ)、ミズナラ(水楢/オオナラ)、栃ノ木、檜、杉、山桜、ホオノキ(ホオガシワ)、夏椿(シャラノキ)、リョウブ、イロハモミジ、オオモミジ、カジカエデ、ヨグソミネバリ(ミズメ)、オノオレカンバ(斧折樺)、ダケカンバ(岳樺)、アサダ・・。

2004年7月10日(土) コンピュータ関連のニュース記事に「いま手紙が見直されている」とあった。最近、アメリカ企業のトップの間で人気を集めている通信手段が「手紙」だという。新しい顧客を開拓する時にも、相手一人ひとりに手書きの手紙を書く。そうするとe-mailを出すのと反応が全く違うそうだ。それなりの人は毎日何百通のe-mailを処理するだけでうんざりしている。そこに手書きの手紙が届くと受け手には新鮮にみえる。内容を読んでもらえる確率はe-mailを出した時よりも格段にアップすることは十分に理解できる。個人の手紙でも実感するのであるが、手書きの文字には上手、下手は関係なく、その人の個性がでる。暑中見舞いや年賀状のはがきでも、宛名や挨拶文が、プリンタの印刷でなく手書きであると、しばらく文字に親しみ、その人のことを思う。日本では顧客への案内を自筆の毛筆手紙(コンピュータの毛筆でなく墨の匂いのする手書き)で届けるというのはどうだろう。コンピュータ時代に個性化して相手に印象を与えるには手間と工夫が必要となりそうだ。
2004年7月11日(日) 日曜日の朝、NHK総合テレビで放映される「課外授業−ようこそ先輩」をいつも面白くみる。各界の第一線で活躍する人々が出身の小学校を訪ねて特別授業をするという番組だ。学者、落語家、芸術家、小説家、スポーツ選手、手品師などあらゆるジャンルの先輩が子供たちに授業を通して熱いメッセージを送るのだが、ほとんどの”先生”が専門性を活かした名授業をするので感心する。今日は彫刻家の安田侃が北海道・美幌市の小学校で授業をした。安田侃(やすだかん、1945-)は私が好きな彫刻家なので特に興味を持って番組を見た(彫刻といっても私は日展などで毎年見せつけられる”裸婦像”は好きでないが、安田の彫刻は抽象フォルムの中に心があり、いま一番好きかもしれない。安田侃のHPはここ)。安田は生徒の一人一人に軽石の原石と削る工具を準備し「自分の心の形」を削り出すテーマを与える。他人とは決して同じにならない心の形を生徒たちは見事に創りだしていく。番組にでた生徒たちは恐らく一生この日の授業を忘れることはないだろう。・・ところで、「各界の第一線で活躍する人々」が課外授業をするこの番組、政治家と経営者が先輩として招かれていない。子供相手の課外授業であるが、先生となる人の考え方や素養がはっきりと見えてしまうのは恐ろしいほどでもある。その意味から、政治家や経営者がどんな授業をするか一度みてみたい気がする一方、やはり見ないが花と思ったり・・。
2004年7月12日(月) 自分で油絵の額縁を作ろうと設計を始めた。中川一政の絵画などに手製の額縁を見たことがあるが油絵の額として大抵は出来合のフレームを使うか、専門の額縁メーカーに制作を依頼するのが普通のようだ。どうせ自分で作るなら既製品のコピーでなく世界に一つしかない額縁にしようとデザインを考えているうちに、”額縁は何のためにあるのか”疑問になった。キャンバスに描かれた絵画はいわば人間の中身(裸体)であり内容をアピールするとしてもそのままでは表には出られない。人前に出る場合に服装を着るように絵画には額縁をつけると考えればいいだろうか。ただ絵画の場合はTPOで洋服を選ぶように額縁を入れ替えることはしない。一度フレームが決まってしまうと絵と一体となって見られるので絵画を引き立てるための舞台のようなものだろうか。どちらにしても絵画も「馬子にも衣装」が云えそうだ。衣装がよければ中身がより引き立つのは確かであろう。改めて市販の額縁をみるとただ身体を包んでいればいいとする服装のような旧態依然としたフレームばかり目につく。中身にフィットした独自のデザインや奇抜なファッションを楽しむという感覚は額縁に適応できないのだろうか。額縁にオートクチュールを取り込むつもりになれば額縁作りにも気が入る。
2004年7月13日(火) 広島県呉市で直径80cmの水道管が破裂し(噴出する水は高さ20mにも及ぶ凄まじいものだ!)2万4千世帯が断水した事故をみて「メンテナンス」のことを思った。この水道管は施設後”わずか”30年しか経っていないのにボルトの腐食が原因で接続部から破裂した。現代文明のお陰というべき多くの施設はいま「メンテナンス」の問題に晒されている。メンテナンス(保守)は継続して使用できるように寿命となる部品を交換したり修理するのであるが、自動車の車検のように部品の取り替え周期や保守のやり方が決まらない施設も多い。道路や橋梁、コンクリートの建造物、建築設備、水道設備、ガス設備などメンテナンスを要する老朽化した箇所は限りがなく、社会の経費として膨大な出費を重ねながらも、今回の水道事故のように事前に手当できないのが実体にみえる。いま初期投資の議論の中で建造後のメンテナンスコストがどれほど検討されているのか分からないが、冒頭の水道管のボルトにしても、今なら材質をステンレスにして、100年は大丈夫とするだろう。通信衛星のメンテナンス(交換?)やコンピュータ設備のメンテナンスはどのような工夫がなされているのか。華々しい新製品を開発するのもいいが、これからはメンテナンスの費用が激減する発明品はヒットするに違いない。
「今日の作品」に「小楢(こなら)」を掲載した。先日巨樹を見に行った際、ガイドさんが樹木の葉と幹で特徴を説明してくれた(7月9日コラム)。これに影響されて庭の小楢の葉と幹を観察して描いたもの。

2004年7月14日(水) 電車の広告に「みんなの いけんを まとめると どこにも いけません」とあった(=JTB、一人旅行OK、いつでも、どこでも・・)。これは「仲間との自由な旅行は三人以上でするべき」という鉄則にもつながる。二人で旅行すると意見が分かれて喧嘩になる。そうでなければどちらかが”我慢”することとなる。三人いれば多数決で行き先が決まるので喧嘩にならない。しかし、全員の意見をきいていれば旅行などできなくなる。冒頭の宣伝文句を見た時に、”政治”が頭をよぎった。政治も同じ、全員一致などあり得ない。民主主義の根幹である多数決は別の道を歩みたい人に我慢あるいは妥協をさせる手段であろう。云うまでもなく多数決で決めた道が一番いいか否かは何とも云えない。他の決め方がないのでそれを採用するだけである。何故その道を選択するのか筋道の通った理由がないことも多い。科学の場合、正誤は多数決でなく理論である。政治の問題は科学のように誰でも納得する理屈で行き先が決められないことだろうか。・・旅行は一人で気ままに出かけるのが何より贅沢なのだろう。
2004年7月15日(木) 体調がいい時には、朝一度目が覚めてから起き上がるまでに色々なことが頭をよぎる。絵や陶芸、その他制作しようと考えているものでアイデイアが閃くのはこんな時だ。今朝は昨日から考えていた新しい陶芸の段取り(どういう道具で粘土の型をとるか、何を準備するか、作る順序をどうするかetc.)をあれこれ思いついた。いつも面白いと思うのは、この閃きによるアイデイアをそのまま実行することもあるが、しばしばその場になっていとも簡単に変更することだ。今日の午後の陶芸でも当初考えていたやり方をガラリと変えてしまった。陶芸に限らずいざ手を動かす段になると、もっといいアイデイアが浮かぶことはよく経験する。スポーツでもいくら作戦を立てても相手があること、状況に応じて瞬間に作戦を変更する柔軟性がなければ勝負はできない。私は何事についても計画をフレキシブルに変更することには何ら躊躇しない方だ。計画という過程(プロセス)ばかりを問題にしても目的が達成できなければ何にもならない。道は何通りもあると考えると気が楽になる。
2004年7月16日(金) 今日、厚生労働省から発表された日本人の平均寿命は、男性78.36歳、女性85.33歳だという。そんな中、妻の仲間の女性が58歳で亡くなった。癌が発見されてわずか5ヶ月・・。以前、家で飼っていたコーギー犬、アンの子供四頭のうち一頭は彼女のところで貰っていただいた。三年前にアンが亡くなった時、我が家にアンの子供が全員集まったが(アールは我が家に残っている)、その時、彼女も遠くから来てくれて、二頭のコーギーを連れて代官山を一緒に散歩したことを思い出す。女性の85歳はとてつもなく遠く思えるのだが、これはあくまでも平均であって、現実には彼女のように現役バリバリで働いている人が突如神に召される。忙しすぎて健康診断も十分とれずに症状の発見が遅れたと聞くのも何かやりきれない思いが募るばかり。信者であった彼女のこと、天国でゆっくりとした幸せな時間を過ごせるだろう。ご冥福をお祈りする。
2004年7月17日(土) 「すべての人間の人生は不幸だ」と”説く”学者がいるということをメール情報で知った。言論の自由、何を説こうが勝手かも知れないが、「自分は不幸である」と云いながら豪勢な生活を送る人間はいつの世にもでてくるものだ。大抵は不幸のフの字も知らぬくせに口先でそんなことを言ってみる。感謝の心などとは無縁で高慢なマイナス思考に自ら酔いしれるというタイプだ。そんな”学説”が出ること自体、日本は幸せと贅沢に不感症になってしまったのかと思う。少し古いかも知れないが、ニュースキャスターの久米宏が「今の日本の社会はどうなっているのでしょうね・・」などといって政治や社会を揶揄する。本人はその社会制度のために一般勤労者などと比較の出来ぬ超高額の収入を得ている。そんな構造との相似性を垣間みる。ここで幸福論を展開することはないが、幸福なんて、生きていること自体からの発見であり、運動の後の美味しい水一杯、家族との話の一言に感じるものだろう。些細な幸せに目をくれずに不幸比べをさせて若者に迎合する学者先生の魂胆は「金儲け」ではないのか。
2004年7月18日(日) 陶芸で「宥座の器」が出来上がり、早速、「今日の作品」に掲載した。宥座の器(ゆうざの器)については、粘土で制作し始めた時にわくわくして完成する前にコラム(5月25日=ここ)に解説を書いてしまった。その内容と重複するが、ある時、中に何もない時には傾き、水が適度に入ればまっすぐになり、水が多すぎても傾く「宥座の器」といわれる器の話を聞いた。孔子の「多くを望み過ぎると悪い結果となり、ほどほどがいい結果を生む」という中庸の思想の原点になった器ときくと、そんな器を作ってみようと挑戦したものだ。構造のモデルとなる情報は何もなかったので好きにデザインができた。空の時に重心をずらし、水を入れるとバランスをとるために、片側に穴をあけて水に関係のない空間とする一方、穴の回りに粘土の重量を持たせて始めにアンバランスとなるようにした。底のカーブが微妙だが、水が適度に入った場合も意外に安定した位置に落ち着くので、花瓶としても十分に使えるように出来上がった(花瓶の使用例は陶芸コーナー=ここに掲載)。この宥座の器、うまく出来たので、我ながら傑作ではないかとうれしくなっている。宥座の文字通り(「宥」の字は「右」の意)「座右」に置いて長く楽しめそうだ。

2004年7月19日(月) 「海の日」とは関係なく大いに汗を流した一日だった。数えてみると今日一日で五回Tシャツを着替えている。一時間大汗をかいた後、休息で水分補給しながら着ているものを全て替えるという繰り返し。なに、家の冷房のないところで工作をしただけの話である。工作といっても金切鋸で金属を切るとか万力(固定具)で挟んでヤスリをかける力仕事の連続で、飛び散った汗が材料のアルミ板を濡らし拭き掃除をしながらのモノ作り。2−3回着替えているうちに何でこんな暑い時に作業をしているのか自問することもあった。それでも別に強制された仕事でもない、好きでわくわくしながらしている作業、それもアイデイアを組み込みながらの試作であるので一気に夕方まで続けてしまった。それにしても一段落してみれば、大汗を流して気分爽快。冷房のきいた部屋でパソコンの仕事をしても決して味わうことのできない充足感は何だろう。いつになくゆっくりと風呂に入ったあと湯上がりに飲むビールがまた格別にうまかった。今日の工作の成果をいつの日かこのHPに掲載するのが楽しみだ。<蝉なくや つくづく赤い 風車(一茶)>
2004年7月20日(火) 今日、都心では気温39.5度の記録的(観測史上最高)暑さになった(千葉では40度を越した)。夏季休暇をとってどこかに旅行をしたくもなるが、この夏は無理にしてもいつかまた訪れてみたいところに「直島」がある。一昨日であったか、直島に新たに「地中美術館」がオープンしたとのニュースをみて、是非この美術館にいきたくなったのだ。安藤忠雄の設計による「蟻の巣を巡るような建築空間」と聞くだけで期待でゾクゾクする(地中美術館HPはここ/モネの睡蓮など常設)。瀬戸内海に浮かぶ島、香川県・直島(高松港からの船より岡山の宇野港からの方が近い)には2年前に行ったことがある。やはり安藤忠雄設計の「ベネッセハウス/直島コンテンポラリーアートミュージアム」(別館)に一泊したが、美術館と併設された宿泊施設、専用のロープウェーでの移動、部屋から見る瀬戸内海の島々、どれをとっても最高に印象がよかった。しかも直島の島全体が質の高いアートの雰囲気で刺激的だ(ここ参照)。ところでこの地中美術館、話題の美術館がオープンしたのなら是非写真を見たいと思ってもでてこない。地中にある建造物なら写真がないのが当たり前か。ようやくニュース関連の写真を一つ見つけた=ここ
2004年7月21日(水) 昨夜は一晩中気温が30度を下回ることはなかったという。今日も酷暑が続く。そんな中、四字熟語を並べて仕事(作業)をしているとその場は暑さを忘れる。作業状況に従ってブツブツ口走ったのは以下の如し。苦戦苦闘、暗中模索、五里霧中、一気呵成、一心不乱、唯我独尊、初志貫徹、油断大敵、一喜一憂、七転八起、臨機応変、得意満面、破顔一笑、自画自賛・・。途中では、”振り出しに戻る”とか、”弘法も筆の誤り”でない、”猿も木から落ちる”などと四字でない言葉も入った。こうして今みてみると大体の作業の進行状況がわかる。ただし、今現在、自画自賛で終わった訳でなく、「油断大敵」に戻って隠忍自重している。妻はそんな私をみて、一生懸命ね・・。
2004年7月22日(木) 今日の天気予報で、過去に記録した最高気温が最も低い都道府県は沖縄だと解説があった(NHK-TV)。最高気温は山形など内陸性の地域がフェーン現象で高くなることは分かるが、いくら海洋性といっても沖縄が全国で47番目(最高気温は35.4?度程度)というから驚いた。ちなみに、沖縄の年間平均気温は23.5度で全国一高い。平均のデータだけをみていると時に特殊条件下の実体を見誤ることは多い。学科平均点は低くても数学の天才はいるし、絵には偉才を発揮することもある。ただ、このような場合は平均のバラツキの話で最低−最高のドラマチックな差はない。沖縄の例は、47球団(こんなに数がないなあ)中、平均給与が最高の球団が、球団ごとの最高ボーナス額の順位では最下位だったというものだろうか。いずれにしても沖縄の気温データは面白い事例として記憶できそうだ。
2004年7月23日(金) 最近、葉っぱの形が気になってしようがない。なぜ植物の葉はこうも色々な形を成しているのか。朝顔の三つに分かれた葉、楓の文字通り蛙の手のような葉、欅(けやき)のような単純な(=切れ目がない)葉でも樹木によって先端の尖り方、ギザギザの付き方、肉付きなど千差万別。種が異なるので形が違うことは理解できるにしても形状には必然性があるはずである。この温暖な日本と云う地域に生息する植物の多様な形の一つ一つの必然性がどれほど解明されているのだろうか。人間で云えば、目が二つ、耳が二つ、口は一つ、手の指は片手で五本など、全て必要不可欠で、しかも最もムダない機能として説明される。それらに人間独自な脳の特性が結びつくのだろう。植物の環境への適合メカニズムは葉っぱの形状を基本として生存の本質と結びついているに違いない。こんなことを考えるのは、先日(7月9日)巨樹を見た後、小楢をスケッチしたり(7/13今日の作品=ここ)、他の葉っぱを写生したことに始まる。葉っぱ一つでも、細かく観察すると今まで知らなかった世界の大きさに気がつく。
2004年7月24日(土) ゴルフとか囲碁などにのめり込んだ人が、その趣味・道楽の分野で教訓っぽい話を開陳すると傍ではシラーとすることがある。本人がいくら好きでも興味のない他人にとってはどうでもいいことだ。それを承知で、今日のテニスでの私の無惨な姿は何であるか考えてしまう。やること成すことミスだらけ。腕の力も握力もない。身体が思うように動かない。おまけに汗が目に入りボールはかすんでしまうし、ラケットのグリップは濡れてすべる。・・炎天下に疲労困憊してプレーをすると、ベストな条件で運動するのが自分の本来の姿ではなく、この悪条件での無様さもまた実力の一つであることを思い知らされる。気候の条件は誰でもに平等であるから自分だけ条件が悪いと云う言い訳はできない。体力低下を補う新たな戦い方を考える時期にきているのかと思う。いささか悔しさは残るが、こてんぱんにやっつけられる経験が何度もできるのがスポーツのいいところだろう。
2004年7月25日(日) 今朝の産経抄に、夏の花、百日紅(サルスベリ)が水上勉の小説では薄幸な女性の象徴のように描かれていることが書いてある。花のイメージが小説や歌の歌詞に結びついてしまっていることは多い。「くちなしの花」も渡哲也が昭和47-48年頃(1973-1974)歌って大ヒットした歌詞を思い出す。「いまでは指輪も まわるほど やせてやつれた おまえのうわさ くちなしの花の 花の香りが 旅路のはてまで ついてくる  くちなしの白い花 おまえののような 花だった(作詞/水木かおる、作曲/遠藤実)」。「今日の作品」に「山梔子(クチナシ)」を掲載した。庭の山梔子の木の葉を植物図鑑のように綿密に描こうと思ったのだが、花は既に萎れている。元気な「くちなしの花」を描きたいと自転車で近所を探しまわった。クチナシは生け垣にも使われている。花には一重と八重があるが、近所で見つけることができたのは我が家と同じ八重の花だった。山梔子の絵は実は今回が初めてでない。2002年4月3日の「今日の作品」(ここ)で一重のくちなしの花を小さく描いた作品がある。同日のコラム(ここ)で山梔子の語源や花言葉にも触れている。この機会に2年前の作品やコラムをみて懐かしかった。歌の”くちなしの白い花”は二年前に描いた一重の花か、それとも今回の八重の花か、どちらだろう?かしかった。歌の”くちなしの白い花”は二年前に描いた一重の花か、それとも今回の八重の花か、どちらだろう?

2004年7月26日(月) 人の価値観とか尊敬する人物像は年齢や経験と共に変化することがある。私の場合、いまは社会的名声とか地位を獲得した人、大金持ち、有名人などに、特別に尊敬の念を持つことはない。いま尊敬する人物を考えてみると、自分が損をしても他人のために行動できる人だろうか。勿論、他人に考えを押し付けるとか、余計なお世話をするのとは違う。密やかに自分以外の人の喜ぶことをするーこれは私はとても出来ないし、このタイプが増えれば社会は落ち着く。・・福井県庁に大雨の被災地復旧のためと匿名で2億円の宝くじ当たり券が送られてきたという。まさに送り主は尊敬するべき人だ。何十万人に一人(?)の幸運に恵まれた人が不幸にも被災した人々にその幸運を譲ったという話題はどれだけ多くの人の気持ちを和ませたことか。2億円の当たり券はお金の金額だけでなくその何倍もの価値を生んだに違いない。被災地ではないが”ありがとう”と云いたい。
2004年7月27日(火) 公園で「げんしょしょうこ」の白い花をみつけた。「げんのしょうこ」は一度聞いたら忘れない名前だが、私は「げんのしょうこ」の言葉を小さな子供の頃に生薬として覚えた。「げんのしょうこ」という草花に興味を持ったのは比較的最近だ。花もアップで見ると実に風合いがある(花のアップ=ここ、全体=ここ)。「げんのしょうこ=現の証拠」は下痢の時に飲むと直ぐに薬効があることから名付けられたとされるから、草花の命名もいい加減というか、発想が自由ではある。それにしても可憐な花の名前としては「下痢の薬効」では少し可哀想ではある。先人がつけた草花の名には他にもひどいのがある。女郎花(オミナエシ)、犬のふぐりなど、名前として定着したからには多くの人が納得したのだろうか。反対に、福寿草とか紫式部、月下美人、万年青(オモト)など名前で得している草ぐさも多い。・・「うちかがみ げんのしようこの 花を見る(虚子)」。
2004年7月28日(水) 「今日の作品」に「ヘロンの噴水1」(陶芸)を掲載した。陶芸ノートを見るとこの噴水の構想をはじめてメモしたのが3月23日、設計図面を書いたのが3月31日。4ヶ月かかって完成した大作である。直径=30cm、高さ=50cmの円筒形の噴水。粘土をこねて作成を始めた4月2日にはうれしくなってコラム(ここ)で「ヘロンの噴水」について紹介をしてしまった(素焼き完成が6月20 日でこの時にもコラムに書いた=ここ))。本焼きが出来上がった後、装置としての工作を施し、3−4日前に初めて噴水が出た時にはさすがに感動した。原理的には噴水がでるはずであるが、実際に10cm以上の高さに勢いよくでる水をみるとそれまでの”苦労”がみな楽しい思い出となった。陶芸はやり直しができないとされるが少々のひび割れなど平気で補修し完全な密封性を得るために一部に塗料も使った。噴水がでることが確認できれば、噴水の継続時間を増やす工夫とかシシオドシ(そうず)を追加する工作は得意な分野だ。全く動力なしに噴水が出続けるこの「ヘロンの噴水」についてはまだまだ書きたいことは多い。完成した感激が覚めぬうちに、しばらくは「ヘロンの噴水シリーズ」を続けてみたい。<明日へ> 
  7月30日分

2004年7月29日(木) 江戸大博覧会(2003-夏@国立科学博物館)で「ヘロンの噴水」の原理を応用した漆塗りの自動噴水装置を見たことがあるが、「ヘロン」という名前は一般的にはそれほど知られてない。陶芸で「ヘロンの噴水」を制作するに当たってインターネットで「ヘロン」を調べてみて私自身も随分勉強になった。Heron of Alexandriaはギリシャで生まれ、AD10-70頃エジプト・アレキサンドリアで活躍した数学者、科学者、技術発明家とも云うべき天才であったようだ。水の圧力を利用した自動噴水を始めとして、圧縮空気を使用したウオータ−ジェット、回転するスチームボール、兵器、楽器にいたるまで、物理や工学好きにはたまらない多くの発明を残している(ネットで詳細がみられる!=ここ)。レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1529)が科学者、医者、建築家、発明家そして芸術家としての多才さで知られているが、ヘロンは実に今から2000年前(ダ・ヴィンチから1500年前)、イエス・キリストの時代に、物理を解明し工学技術を駆使しているから驚きだ。現代は確かに科学技術の成果の上に豊かな生活が成り立っている。それでもモーターや電池その他どんな動力も使わない「ヘロンの噴水」の水飛沫を見ていると、ふと現代人は2000年前の先人ほどに頭を使っているだろうかと思う。
<「ヘロンの噴水(陶芸作品)」は本日から東京・代官山の陶芸教室ギャラリー(陶房TERRA=ここ)に展示してあります(噴水の水だしは私が適宜出向いてセットしています)。>

2004年7月30日(金) 「ヘロンの噴水」(陶芸作品)の上部に取り付けた「シシオドシ(鹿威し)」のアップを「今日の作品」に掲載した。噴水が静かに吹き出すのは興味深いがしばらくすると単調で飽きがくることもある。思いついて「シシオドシ」をつけたら間欠的にカチンと音が響き意外に面白い。シシオドシの材料は有り合わせのアルミパイプ(直径10mm)と銅パイプを使い設計図も書かずに現物合わせで制作した。普通の竹製のシシオドシでは竹の直径よりも大きな台で竹を挟んで支柱とするであろうが、この場合(手持ちの材料の関係で)水を貯めるアルミパイプより細い銅管を支柱にした。アルミパイプの下部に穴をあけて銅管を差し込み1mmの鋼線を通して回転できるようにしたが、その下部の穴を利用してアルミパイプ内部に仕切(竹の節に相当)を入れることができた。竹のように節目がないので、パイプの中を素通りするがごとく見えるシシオドシもまたユニークで気に入っている。それからシシオドシとしての音が予想外によく響いた。支柱の根元の取り付け部分にテープを巻いてしっかりと土台に固定すると音は一挙に小さくなるので、反響具合もデリケートだ。シシオドシ(鹿威し)は鳥獣を追い払う日本情緒あふれるものだが、西洋の伝統に連なるヘロンの噴水と同じく水以外の動力を使わない、何とすばらしい仕掛けだろう。
2004年7月31日(土) 今日は「ヘロンの噴水」(陶芸作品)に関連して「パスカル」のことを書きたい。ヘロンは約2000年前に自動噴水を考案した(一昨日、29日コラム参照)が、現代の物理の知識でみれば、圧力に関する原理でそのメカニズムは数式で説明することができる。圧力というとまずパスカルの名が挙げられる。「パスカルの原理」は「密封された流体の一部に加えられた圧力は全ての方向に等しく伝わり、流体内の任意の面に垂直に働く」というものであり、定式化されて現代でも水力機械、油圧機器などの作動原理となっている。パスカルにちなみ、今の圧力の単位(SI単位)はパスカル(Pa)である(1Pa=1N(ニュートン)/平方m、我々が習った時代は圧力の単位はkg/平方cmなど)。また天気予報では「ヘクトパスカル」(ヘクトは100倍のこと、以前はミリバールで表した)を使うようになった。このパスカル(1623-1662)もまた大天才であったようだ。フランスの貴族の家に生まれたパスカルは一般的には宗教思想家、数学者、自然学者と称されるが、この時代にギア型の計算機まで発明しているから驚きだ。技術と無縁でも「パンセ」の「人間は考える葦である」などに親しんだ人も多いだろう(私も高校生の頃、文庫本を読んだ覚えがある)。「我々の尊厳の全ては、考えることの中にある」(パンセ/パスカルより)

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