これまでの「今日のコラム」(2004年 9月分)

9月1日(水) この3-4日間で九州から北海道まで日本列島を縦断した台風16号はようやく消滅した。台風一過で爽やかな秋晴れ・・といきたいところだが、今日、東京は30度を越す夏日。自転車で外出すると太陽が眩しく汗をかいた。それでも今日から9月。もはや蝉の声を聞くことはないし風にも秋の気配が感じられる。9月1日は防災の日、大正12年(1923年)関東大震災の日だ。以前、母から大震災の話をよく聞かされた。母はこのとき13歳の女学生で東京に住んでいた。家は焼失をまぬがれ、母の兄弟四人とも無事であったのは今考えると幸運というべきだろう。母の母親(祖母)は後の太平洋戦争末期に名古屋で空襲にも遭遇している。祖母は空襲のことを「二度と見られない花火のようにきれいだった」と他人事のように私に話したが、生きながらえたのは幸運としかいえない。幸運・不運はともかく、災害など非常時には”助け合い”が被害を軽減するポイントとなるだろう。「防災」といっても災害を防ぐことはできない。被害を最小限に抑える助け合いは命令や義務とは別次元の問題だ。阪神淡路大震災や台風被災者へのボランテイア活動をみていると希望が湧くが、ボランテイアを評価し、また感謝する社会の風潮はまだ十分とはいえないのでないか。 
「あかあかと日はつれなくも秋の風」(芭蕉)

9月2日(木) 人の名前は重要だ。本人は名前には責任はないけれども名前でイメージが左右されることは多い。当人の実体とは似ても似つかぬステキな呼び名であっても名前は印象がいいに越したことない。会社や企業の名前も同じだ。毎日PR情報をメールしてくるショックウェーブ(shockwave co.)という会社には名前が故に非常に親近感を持っている。この会社はゲームやアニメといった動画の配信会社であるが私には「ショックウェーブ=衝撃波」には特別の思い出がある。学生時代の流体力学の授業で「衝撃波(shockwave)」についてレポートを提出する宿題があった。当時、衝撃波で知っていたのはジェット機が音速を超えた時にドカーンと大音響をだすのが衝撃波ということぐらいだったが自分で一生懸命に勉強したことを思い出す。衝撃波は音速を超える早さで伝わる強い圧力波であるが、最近、医療用として結石(胆石、腎結石など)の治療に衝撃波が使われることを知った。体外から発生させた衝撃波を一点に収束させることにより結石を細かく砕いてしまうことができるという。私が学生の頃には衝撃波を医療に使うなど想像もしていなかった。このようにポピュラーになっている衝撃波であるが、会社の名前がなぜショックウェーブなのか知らない。それでも衝撃波(株)では奇妙であるがshockwave co.はなかなかいい名前だ。
9月3日(金) 二頭の馬に引かれるシンデレラが乗るような豪壮な馬車。前後には盛装した騎馬の護衛隊が仰々しく連なる。馬を数えると合計15頭であった。・・これは、たまたま今日の午後東京駅の丸の内口でみた風景だ。昔みた皇太子ご成婚の馬車行列を思い出したが何事か分からなかった。その間、ほんの数分間。馬車列が見えなくなった後、警官に聞くと”大使を皇居に送っていった”とか。東京には我々が知らない色々な行事があるものだと思って、帰宅後インターネットで、どこの国の大使が何の目的で皇居を訪問したのか調べたがどのニュースにもでてこなかった。宮内庁の日程にも一ヶ月前までの行事は記載されているが今日、明日のスケジュールはない(恐らくセキュリテイーを配慮しているのだろう)。ようやく分かったのは、新任の外国大使に対して信任状捧呈式を行う場合、東京駅から1.8km離れている皇居まで儀装馬車で送迎する習慣があることだった(ここに説明あり)。これで納得。この一例だけからも我々が全く知らないところで天皇陛下の公務は多忙を極めるのがよく理解出来る(netで日程表が閲覧できる)。それにしてもまだどの国の新任大使の送迎馬車であったのかは分からない。
9月4日(土) 個人の力など微々たるものであるが、時に一人の態度で国全体の印象が変わることがある。私は今回のアテネオリンピックの男子マラソン競技で結局三位、銅メダルに終わったデリマ選手をみてブラジルという国を見直した。35km過ぎまでトップを独走していたデリマは突然沿道から現れた男に襲われ道路端まで連れて行かれた。その後走り続けたもののペースを乱してバルディニ(イタリア)に抜かれ、ゴールはケフレジギ(米)についで三位となった。それでもデリマは競技場では観客に愛想良く手を振り、インタビューでも不平や運営への文句を一言も発しなかった。もし日本人のランナーが同じアクシデントに遭遇していたら本人、マスコミはどう反応したか。デリマの名は恐らく金メダルのバルディニ、銀メダルのケフレジギよりも歴史に記憶されるに違いない。最近の韓国ブームも個人の力が大きいのでないだろうか。ぺ・ヨンジュンやチェ・ジウの容貌・人柄がなければ親近感は変わってしまう(「冬のソナタ」を見ていないのにこんなことを言うのは気が引けるが)。またイチローや松井がどれだけ新たな日本人像を造り上げていることか。国と国とが親しくなる契機として個人の繋がりや一人一人の影響力は大きい。
9月5日(日) 2000年の9月5日のコラムにはじめての孫が生まれたことを書いている。今日はこの孫の4歳の誕生日だ。親バカではないジジバカだが、この幼児を間近にみていると本当に人間の能力というのはすごいものだと感心する。「誰でもが一度は子供は天才だと思うことがある」と言った人がいたが(誰の言葉か思い出せない)、私は自分の子供にはそう感じたり、能力を観察する余裕すらなかった。今考えると子育てにそれほど関与できなかったのが残念でもあるが後の祭り。3歳から4歳にかけて知恵のつく過程をみていると、確かに孫に限らず子供はみな天才にみえる。いわば原石はみなすばらしい。それが小学生、中学生さらに大人に近づくにつれて大部分が凡人に移行する。凡人との言い方が適切でなければ、周りの人と同調した人間になるというべきか。あるいは不思議を感じない大人になるというべきか。孫は最近、なんでもかんでも”なぜ”、”なぜ”を連発する。大人になることが”なぜ”の疑問を持たなくなることとすれば大人とは寂しい存在だ。歳を重ねた大人の世界でもまだまだ磨き足りない原石がごろごろしているように思えるが、大人になると磨く前に積もった汚れや垢を取り払うことから始めなければならない・・。
9月6日(月) 台風18号がまた九州に接近中だ。今年は本当によく台風が日本に上陸する。台風は日本を通り過ぎて朝鮮半島に向かうこともあれば、日本をかすめて中国大陸を襲うこともある。中国四川省ではこの数日の大雨で死者、行方不明者合わせて100人以上に達すると報じられている。中国のメデイアは「100年に1度の大雨」と伝えているそうだが、気象は地球規模の条件次第であり他人事ではない。台風の発生原因は地球の自転と関連していることなど今では十分に解明されている。地球は北極ー南極を軸に自転しているので赤道が最も早い速度で移動する。赤道付近で熱せられた海域に上昇気流が発生すると、赤道に近い部分は早い速度で引っ張られ、赤道から遠い部分は遅い速度となるので渦巻となる(物理的にはコリオリの力が働くためと説明される)。これが台風の産まれたての目だ。だから、速度差のない赤道の真上付近(5度程度)では台風の目はできない。地球の自転は北から見て左回り(日本が世界ではじめに夜が明けることからも分かる)であるので、回転に引きずられてできる渦巻も左巻きとなる。そして、台風とは・・などと書き綴ってきて止めた。知識としての興味はあるが、理屈を並べてみても台風の規模も方向も変わらない。せめて被害が少ないように神に祈るか。台風が来ると自然の力に対して人間はいかに無力かを思い知らされる。
9月7日(火) 労働組合・日本プロ野球選手会が近鉄とオリックスの合併が1年間凍結されない場合ストライキを行うことを決めた。この件について私は全く野次馬の立場で、合併の是非はもとより、1リーグになろうがジャイアンツがパリーグになろうが、また2リーグで続こうが、どうでもいいことである。外野席から面白い方がいいから何でもいいからヤレーヤレと叫ぶだけ。ただ、プロ野球の選手は普通の「労働者」とは異なる。まず、2002年の年俸トップ3をみると、一位:松井(巨人)6億1000万円、二位:中村(近鉄)5億円、三位:清原(巨人)4億5000万円。トップクラスは特別だというのであれば、日本プロ野球選手会の公式ホームページに2004年の年俸のデータがある(ここ)。それによると、支配下公示選手の”平均年俸”が前年比8.3%の大幅アップで3809万円。36歳以上のベテラン選手の平均年俸は1億円を超えたとある。このページには他にも詳細のデータが掲載されているが、例えば、巨人の出場選手24名の平均年俸が何と1億2500万円余(!)、近鉄の出場選手23名の平均年俸も5500万円を越す。巨人の二軍選手でさえベンツを乗り回してスター気取りというのもごもっとも。今時こういう有難い企業が存在するのだから、高給取りの労働者諸君が変化を望まぬのは当然だろう。ストでもなんでも徹底的にやり抜いて妥協はするな。どうなろうが所詮、野球・・。
9月8日(水) 昨日に続いて野球。私の父は、少年の頃、明治時代にしては珍しかったグローブを持っていたこともあって野球が好きだった。子供の頃、甲子園に日米野球を見に連れて行ってもらったのも懐かしい思い出だ。野球の歴史をみると明治になって米国との交流の中でベースボールも伝えられたが、野球隆盛のはじまりは「一高野球」であり、その後早慶野球の時代に野球フイーバーが訪れる。明治の末期頃には学生野球熱は異常に過熱して野球選手はスター扱い、また応援も過激となる。面白いのは、この野球ブームに反発して当時の朝日新聞は「野球害毒論」の一大キャンペーンを実施する。各方面の識者を動員した「害毒論」は今読んでも結構興味がある。いわく:「・・・野球と云う遊戯は悪く云えば巾着切りの遊戯。対手を常にペテンにかけよう、計略に陥れよう、塁を盗もうなどと眼を鋭くしてやる遊びである・・」、「・・野球の選手に学術の出来るもの、品行の良きものはない・・」。こうした野球害毒論に対して賛否両論で激論が交わされるが、野球人気は衰えることはない。朝日新聞はキャンペーンをした手前まともに野球を応援も出来ず「全国中等学校野球大会」(今の高校野球)のスポンサーとなる逃げ道を見つける。朝日の「野球害毒論」は結果として、甲子園野球のほか飛田穂洲らによる早稲田式精神野球、そしてプロ野球への道へ続く。職業野球団(=プロ野球)の勃興期における起業家、小林一三(阪急グループの創始者)の行動など見ると職業野球の経営が苦境に落ち入りながらも野球に対する情熱を失わなかった経緯は感動を呼ぶ。<いよいよ日本初のプロ野球スト実施か>・・過渡期にある日本プロ野球のいま、歴史を振り返るのもおもしろい。<日本プロ野球史=ここ> 「九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり(正岡子規)」 
9月9日(木) 「2005年ニューヨークコレクション開幕」の記事が目についた。ファッション業界で恒例の2005年春夏シーズンの先陣を切ってニューヨークコレクションが9/8日から9/15まで開催されるという。その後、ミラノ(9/25-10/3)、パリ(10/4-10/12)さらに東京(10/26-11/6)と流行の発信基地は世界中を移動する。私などはファッションそのものには固より無縁であるが、業界の世界的な活動としては興味がある。こうした活動はいわば服飾業界のオリンピックというべきイベントであろう。幾多のブランドと共に野望に燃えた若いデザイナーには世界へ挑戦するチャンスを与える、同時に服飾の裾野にある生地メーカーにとっては新素材を試みる絶好の場ともなる。業界の内部で老舗の独占がどの程度幅を利かせているのか知らないが、既得権にとらわれず世界と競う機会を多くの人に与えるならば活気がでるのはどの業界でも同じだ。当面の注目点はニューヨークで9月11日にどんなファッションが発表されるか。近未来予想としては「上海コレクション」の出現かな。
9月10日(金) 「今日の作品」に「彼岸花(水彩)」を掲載した。アール(コーギー犬)を連れて毎日散歩するコースの一角で彼岸花を見つけて描いたもの。東京・代官山アドレス(このhpではここで紹介)の代官山駅側にある幅数メートルの花壇であるが、真っ赤に燃え上がるような彼岸花が一斉に咲き誇っているのに出会うと一瞬都会のコンクリートに囲まれた空間にいることを忘れさせてくれる。彼岸花は花を咲かせる前には花茎が一日10cm近くスルスルと成長し一気に花を咲かせるという。そのかわり花の命は短い。彼岸花の珍しい特性として「葉なしぐさ」と呼ばれるように「花の咲いている時期には葉をみることがない」。花が短い命を終えたあと直ぐに球根から新たな緑の葉が成長してきて冬を越すために栄養補給をする。このような植物のメカニズムと共に、私は彼岸花(曼珠沙華の呼び名も好きだが)の形の不思議さに感嘆してしまう。絵を描くために細かく観察してみるとこの花の複雑怪奇な形はみていて飽きることがない。 「歩きつづける彼岸花咲きつづける(山頭火)」

9月11日(土) 三年前のこの日、夜の10時頃(日本時間)に米国での「同時多発テロ」をテレビの生映像でみたことを思い出す。貿易センタービルが崩れ落ちる瞬間を世界中の多くの人が目にした。こうした見る情報の一方で解説される情報には常に危うさが伴う。つまり情報化社会と云われながら、案外容易に世論は作られ、操作される。私の周りでも一般の主婦や会社員から”ブッシュは○○し過ぎよ”、”プーチンは××・・”という言葉が平気で飛び交う。”小泉首相は△△”など云うまでもない。それが大抵は「新聞の論説」であったり、「ニュースステーション」の解説であったりする。権威のある人が歴史書を書くと登場人物のイメージが固定してしまうが、後世に別の研究者が調査し直すと悪玉が善玉に入れ替わる(あるいはその逆)という事例など限りなくある。本来、自ら裁判官のつもりで見解の異なる意見や解説を比較しなければ白黒は単純には判別できない。先月末頃に中国向け高速鉄道の一部受注が日本の業者に決まったところ、中国の反日インターネット組織が(サッカーのアジアカップで反日キャンペーンをしたのに続いて)日本への発注に対する抗議のキャンペーンをはじめたという。中国の場合、新聞はコントロールするがインターネットは新聞ほど簡単ではないのか。どこの世界でも煽られれば直ぐに燃え上がる人々には不足しない。
9月12日(日) 夕方、新宿のカメラ屋で待ち合わせをしたので店内を見て廻った。デジカメやデジタル音楽プレーヤーなどの新製品は2−3ヶ月前の情報では時代遅れになるほど変化が激しい。こうしたデジタル家電はある程度の予測と期待に従って進化しているのでそれほど驚くこともない。最近、(前に8/19のコラムで書いたが)ハイテク噴水を陶芸で制作しようと目論み、超小型のポンプを調べてみたが、デジタル技術でない分野でも着実に進歩していることを知った。人工心臓などのポンプメーカーからは試作中につき市販しませんとの返事をもらったが、別のミニュチュアポンプメーカーの資料を閲覧するために、こちらのメールアドレスを知らせると関連した製造業者向けの商品情報を定期的にメールしてくれる。いわば新商品情報だがこれを見ているだけでも楽しい。例えば、「水害対策に、水で膨らむ土のう(水のう)=5分で20kgにみるみる膨らみます、保管スペースもわずか、軽くて便利」、「ハードディスク破壊機=電源は単相100V!持ち運び可能なので出張作業にも最適なハードディスク破壊機」、「洗浄剤は不要!高圧洗浄機で落とせなかった汚れが落ちる!大気中での超音波洗浄を可能にする洗浄機」・・。このような「新製品」が何千とカタログに記載されている。デジタル家電ほどに派手ではないが他のものつくりの分野でも地道な進化が見られるのはうれしいことだ。
9月13日(月) 全米オープンテニス選手権、男子シングルス決勝戦はスイスのフェデラーがオーストラリアのヒューイットを破り優勝した。女子シングルス決勝戦ではロシア同士の対戦となりクズネツォワがディメンティエワに勝っている。アメリカは男女とも決勝戦までも進むことができなかった。アメリカは男子では古くはコナーズ、マッケンローからアガシ、サンプラスなど名選手の伝統があり、また女子でもセレス、ダベンポート、ウィリアムズ姉妹など優勝者の名前には事欠かない。それがどうしたことだろう。私は自分でテニスをやることもありテレビのテニス番組には気をつけているが、野球やゴルフと比べて放送される機会は極めて少ない。そんなこともあり、投資とリターンの効率という面で考えると、米国では(日本も同じであるが)若者がプロフェッショナルに運動選手を志すとすれば、テニスをやるよりも野球かバスケット、あるいはゴルフをやる方がはるかに経済的な効率がいいのだろう。テニスで名を知られるのは世界のトップ選手のみ。稼ぎを考えると野球やゴルフ、バスケットに走るのは自然かも知れない。けれども、スポーツは本来自分で身体を動かすことが一番楽しい。次にテニスのプロのように鍛えられた技は見ていて心躍る。何億もの契約金が保証されたプロ選手は何をみせるのか。スポーツは金(金メダルではなく、カネ)のことなど連想させずにただ美しい技と勝負の感動を見せてほしい。
9月14日(火) 一ヶ月前に信州・霧ヶ峰高原を散策した時の写真を整理した。山と高原草花のワンショットをここに掲載してみたい。この写真は車山肩から車山(標高1925m)方面に少し歩いたところで撮影したが、バックの山は八ヶ岳連峰。写真にはないが、この右側に遠く富士山、そして更に右には南アルプスの山並みが連なる。花の名前は「マツムシソウ」。名の由来は、マツムシの鳴く頃から開花するという説と、開花したあとの頭花が松虫鉦(かね)(=僧侶が巡礼のときに持つ鉦)に似るという説があるようだ。どちらにしても高原の秋を象徴する花である。草原一面に咲き誇っていたマツムシソウはいまどうなっただろう。
 
9月15日(水) 今夕、娘と孫娘(4歳になったばかり)が成田空港からアメリカに向けて飛び立っていった。娘達は先にニューヨーク(NY)で待っている夫(同時に孫の父親) と合流し 、アメリカでの新しい生活が始まる。この先いつ日本に戻るかは分からない。働く場所は地球上の至る所にあるという時代が既に訪れている。地球が小さく思えるようになった要因の一つは、劇的に変貌した通信手段であろう。娘達も毎日のようにNYに住む夫(or papa)とパソコンを通して話をしていた。画像を見ながらの音声チャットとなると、相手が大阪にいてもNYでも変わりはない。外国といっても孫娘など直ぐに周囲の環境に適応するだろう。それよりも、これから先、幼児自身のアイデンテイテイがどう形成されていくか注目していきたい。今は日本の歌が大好きな幼児が日本人らしさ/日本人としての常識をどれほど維持出来るか。これからは私もコンピューターのチャットで孫娘と話をしなければならない。
9月16日(木) 少し前に「真鍋博展」にいった(@東京駅ステーションギャラリにて、9月12日の日曜日で終わってしまった)。はじめは本格的な画家の展覧会でもなく、イラストレーター真鍋博は有名でもそれほど期待していた訳ではない。ところが懐かしいミステリー本の表紙原画など膨大な量の生のイラスト原画を見ていくと一気に目が覚める思いがした。これは確かにただ者ではない。安易な画家よりもはるかにオリジナリテイとエネルギーにあふれている。真鍋博(1932-2000)は一般的には、星新一や筒井康隆の単行本の表紙画(1960-80年代)、アガサクリステイーをはじめとするミステリー本の表紙画(1970-80年代)で知られているが、他にも多くのSFや未来画を描いている。そのどれもが信じられないほどの細密画だ。細かなペンや筆で入念に仕上げられた原画は、いまの時代にコンピューターを駆使して描いた絵にはない気迫が感じられる。それに何と言ってもイラストの構想が独特だ。SFイラストの名人であった真鍋は、Scienceにも興味を持ち、Fictionを楽しんだのがよく分かる。会場の一角に真鍋の日記帳が展示してあった。30mm×80mm程度の狭いスペースに一日のスケジュールが米粒に書くような細かな文字でびっしりと書き込んである。これを見た後直ぐに、私の日記帳も書く文字数が従来の2倍以上に増えて内容豊富になった。
9月17日(金) このところ何かと自分で食事を作ることが多い。今日も昼、夜ともに自前だ。近所のコンビニにはいくらでも美味しそうな料理を売っているが自分で作るのも楽しい。けれども作り方がワンパターンだ。何でもかんでも”炒め”専門。野菜も肉もご飯(冷凍保存したものをよく使う)もごた混ぜにして炒める。塩や醤油、あるいはケチャップなどで味付けをするが、更に目の前に並んでいる香辛料を適当に振りかけることもよくやる。「今日の料理」でつくづく我が料理を反省したのは二度と同じ料理味ができないことだ。大体、ガラムマサラとかパプリカ、ムスカートといってもどんな香りがするかも知らずに適宜使うもので、たまたま美味しい料理ができたとしても、次にはどんな味になるかは分からない。自分は陶芸にしても同じ形のものを繰り返して作るのは不得手だなと妙な理屈をつけてみるが、要は下手であるだけだ。それにしても365日の三食分のメニューを揃える主婦業というのは大変なものだと今になって感心している。男性で料理が趣味ですという人がいるが、本格的なレシピにしたがった料理作りに挑戦しようかと思い始めた。まず、”グッチ裕三”からスタートするか・・。
9月18日(土) 今朝の日経新聞・土曜版に紹介されていた「Googleニュース」(ここ)を早速訪れてみた。Googleはご存知のインターネットの検索サイトである。私は検索には専らGoogleを使っている(Yahooなどより使いやすく思える)。そのGoogleがニュース版を作ったのだ(一般のGoogleページの最上部に「ニュース」の欄が出来た)。これが聞きしに勝る優れものだ。まず、ニュースソースが幅広く、それが何時間、何分前のどの新聞(あるいは報道機関)のものかが明示されている。しかも「13分前に自動生成」などと表示して頻繁に更新する。Google得意の機械検索(自動編集)で作成されるのでこんな芸当ができるようだ。例えば、今日はプロ野球70年の歴史で初のストライキが決行された特別な日であるが、このニュースをロイターとか中日新聞、デイリースポーツなど好きなメデイアの報道内容を見ることができる。勿論、朝日とか日経などのフツウの新聞でもみられる。こうなると、いまどき新聞=(News)Paperの名前を付けた新聞社はインターネットの専門家会社に”いいとこどり”された感じだ。ユーザーとしてはとにかく便利な方を利用する。私は「Googleニュース」を”お気に入り”に入れて毎日チェックすることにした。
9月19日(日) 娘の家族がニューヨークで暮らすことになったので、これまで使っていた自動車を我が家で引き取ることとなった。それに伴い我が家で14年間もの長い間愛用した「プリメーラ(日産)」を廃車とすることになりお別れをした。プリメーラの前にはマツダのファミリアを10年間乗ったが、はじめてプリメーラの新車を運転した時には自動車とはこんなに進歩しているのだと感激した覚えがある。最近はマフラーを自分で修理したりしたがエンジンはまだ快調だった。いつになく車体をきれいに磨き上げて引き取りを待っているうちに都内にも降り注いだ浅間山噴火による灰を浴びたのが少し残念だったが名機プリメーラに感謝。
「今日の作品」に「犬とメビウスの輪」を掲載した。犬といっても縫いぐるみ。メビウスの輪は私が陶芸で作った直径8cmほどの輪だが(陶芸コーナー参照)こんな風に輪の中に適宜人形などを入れて飾りにしている。バックには花を描きたかったのに見当たらず”蔦”となった。

9月20日(月) 日本は既に五人に一人が65歳以上の高齢化社会だという。今日、敬老の日には例年のごとく100歳を超えて元気な老人など長寿に関するテレビ番組が目白押しだった。私は老人の事を書こうとすると少し複雑な気持ちになる。自分は老人ではない(冒頭の65にもギリギリ達していない)が、私が子供の頃(1940年代)でいえば平均寿命を10歳以上超えている。「敬老」の意味合いも随分変わったと思われる。私の場合、自分が老人になった時を含めて歳を重ねたというだけの老人を特別敬う気持ちはほとんどない。年齢に関係なく人間として達成されたものには大いに敬意を払うことはあるが・・。また、60-70(あるいはそれ以上)の年齢になって歳の差を云うことはナンセンスと思っている。80歳の人が78歳の人を先輩面して○○君と呼ぶことは滑稽以外何ものでもない。役所や企業などでは一年、二年の差で先輩、後輩ができるのは、やむを得ないこともあろうが、元来は人と人との付き合いに歳の差はない。年齢に関係なく、過去の経歴(栄光や挫折)にもこだわらず、自ら生きている老人には「敬老」と云うまでもなく輝きがある。今年は彼岸花の咲くのが早かったが、華々しく咲いていた花はもう終わりとなった。花の後には新たな葉が成長し命は続く(彼岸花の絵=ここ、彼岸花コラム9/10=ここ)。
9月21日(火) 「いつのまに 秋は来にけむ 天の原 夕日のかげも すずしかりけり」。このような歌を詠みたい時節であるが、東京は今日午前9時過ぎに気温30度を越え68日の真夏日という新記録となった。それでも夕方自転車で街を走ると風が涼しく感じられる。やはりもう秋である。自転車では明治神宮まで足を伸ばした。自転車を神宮の入り口において本殿まで数分歩く。正月などの特別なときでなく、しかもウィークデイに明治神宮の樹木の間を玉砂利を踏みしめながら歩くのはこれほどリフレッシュするかと思うほど気持ちが落ち着いた。行き交う人が非常に少なく、たまに遭うのは外人さん。確かに外人の観光スポットとしては銀座、新宿よりもお勧めだろう。とりあえず預かった沢山の古いお札を納めた後「家内安全」をお祈りして帰路についた。ただほんの一時間余身体を動かすだけで非日常を味わうことができる。この先、明治神宮と隣の代々木公園は自転車での行動圏内となりそうだ。冒頭の歌は”畏れ多くも”明治天皇御製である。
9月22日(水) 今日は夕方の小一時間、自転車で白金の自然教育園にいってきた。自然教育園=国立科学博物館付属(ここ)は目黒駅から徒歩5分という都心にありながら昔の面影のままに巨木から低木まで8000本の樹木が残っている希有な森である。ここに行くといつも入場料の\210も安く感じる。森といいながら池や沼もある。水面をスイスイ動き回るアメンボの間を亀が泳ぎ回り、体長50cmもあろうかと思われる沼の主のような鯉がチラリと姿をみせる。「教育園」というだけあって樹木や草花の名前と共に説明が添えてあるので、私にとっては植物のことを覚える絶好の教室でもある。今日の森の中でのトピックは、赤とんぼが棒の上にいたので、そっと手を近づけたところ逃げもせずに指に留まったことだ。・・こんな単純な気分転換ではあるが帰宅すると前から行き詰まっていたことが氷解するようになくなって新しいアイデイアが浮かんできた。赤とんぼの効果は大きい。
9月23日(木) 先ほど午後7時少し前に「プロ野球スト中止」の会見があった。日本プロ野球選手会(古田会長)と日本プロ野球組織の労使交渉の結果、来季からの新規球団参入などで合意して今週末のストライキは回避された。この顛末をみていると、経営者側のだらしなさ、決断力のなさ(来季の新規参入について今回合意した内容ならば前回の交渉でも決断できたはず)が目立ったが、それ以上に私は古田の力量に感心した。はじめの会談で妥結できなかったときに経営者側が求めた握手をあえてしなかったという仕草一つに常人にない筋の通った信念をみた。それでいてスト決行のコメントを出す際には、本来あやまる筋合いはないのに「申し訳ない」を連発した。更にストの際にファンに励まされて涙をながす。これはもうはっきり「古田の勝ち」といっていい。古田選手会長であったからこそ選手会を応援したいと思ったのは私だけではないだろう。これが前の選手会長、中畑、原、あるいは巨人の高橋であれば世論も変わったかも知れない。これからは選手古田も応援しよう。ところで、古田敦也もその師匠格であった野村克也も、そして私も・・血液型はB型。何も関係ないかな・・?
9月24日(金) 今日、楽天がプロ野球の新規加盟を申請した。先にはライブドアが既に同様の申請を済ましている。プロ野球の新球団がどちらになるかの興味もあるが、双方とも企業としての成り立ちが余りに類似しているので面白い。云うまでもなく、インターネットを利用した新規商売。それはインターネットショッピングモールであれ他のどんな商売であれ、インターネットに関連したあらゆる金になる事業を求めて急拡大した。ライブドアのオーナー、堀江氏(39歳)、楽天のオーナー、三木谷氏(31歳)、共にインターネット業界のベンチャーとして市場を開拓し(内容は米国の物真似としても)激烈な競争を勝ち抜いた成功者だ。いわばこういう若手大金持ちに目を付けてもらったプロ野球関係者はむしろ幸運と思うべきだろう。コンピュータ、インターネットの別の成功者の記事が今日のニュースにある。米経済誌フォーブスが発表した米長者番付によるとマイクロソフトのビル・ゲイツ会長が11年連続で首位となった。ゲイツ氏の総資産は約5兆3000億円。そして今年新たに、インターネットの検索大手のグーグル設立者、ラリー・ページ氏(31歳)とセルゲイ・プリン氏(31歳)がともに43位(資産40億ドル=4400億円)でランクインした。アメリカのインターネット成功者はまだ野球チームを買っていない・・。
9月25日(土) 天下国家を論じ世界の未来を案ずる人が自分の妻や娘の考えていることを全く理解していなかったり隣に住む人の顔も知らないなどはよくある話だ。視野が大きいのは結構だとしても足下も見てほしい・・。こんなことを連想してしまう最近の天気予報である。この一日二日で”今日の天気”の予報がくるくる変わるし、また外れる。一方で人工衛星でみた世界の天気を解説する。けれども、こちらとしてはパリの天気がどうであるより明日の運動会の天気がどうなるか、今日のテニスができるのか、そこが知りたい。むしろ今と逆に、東京で云えば23区毎のにわか雨情報をだすなど、もっとメッシュを細かくした予報の方向にいって欲しいものだ。明日の渋谷区は雨だろうか?
「今日の作品」に「ルルちゃん(ペンと水彩)」を掲載した。ニューヨークで生活し始めた孫への絵はがき第一号だ。以前、娘に出した絵はがきギャラリー(ここ)がこのホームページの基となったことを考えると、10年の時の流れに感無量。この犬の風船の中にはヘリウムがつめてあり脚をぶらぶらさせた状態でうまく浮かんでいる(ヘリウムは適時充填ができる)。ヘリウムボンベが飛行機で運べないので我が家で預かったが孫が大好きだったルルちゃん、実は私も大のお気に入りだ。


9月26日(日) パソコンのトラブルがあるといつも自分のパスワードがわからなくてひと騒動する。パソコンへのインストールからはじまり、メールのプロバイダやホームページのサイト、ソフト諸々の設定などパスワードはいくつあるか数えきれない。ノートに一応メモはしたつもりでも途中で変更したりして訳が分からない。暗証番号という意味では銀行などキャッシュカードの番号作りでも苦労する。以前、知人が東京駅の切符売り場で銀行カードと家の電話番号のメモを落とし、電車に乗った後で気がついたがまず横浜の自宅に帰ったところ、その一時間ほどの間に銀行から預金が全て引き落とされていたという話をきいたことがある。自宅の奥様のところにご主人の誕生日の問い合わせの電話があり、うっかり答えてしまったところ、カードの暗証番号を誕生日にしていたので見事に引き落とされたという次第だった。自分では覚えやすく、かつ他人には分からないパスワードは難しい。いま一つパスワードを思いついた:tbontbの六文字=To be or not to be という悩みの文字の頭を連ねたもの。こんなのもありきたりで危ないかな・・。
9月27日(月) 芸人や芸術家には「頂上」がない。老境にはいった志ん生の落語が絶品であったり、亡くなる直前まで絵に打ち込んだ画家は数知れない。生涯終わりなき目標に向かって努力してもこれでいいという到達点はないのが本来の「芸」であり「芸術」であろう。ところが最近これらの職業でも人気者になり権力を得てしまうと、高慢で不遜な態度を示す人間が目についてしようがない。芸や芸術が目標でなく、お金や権力(あるいは名誉)が到達点となると、低い山の頂上でちやほやされると後は下り坂のみ。芸はなくても金は稼げる芸能人となるし、芸術家でなく管理職とかボスになる。「芸」と名のつく職業には、やはり政治家とか勤め人にはない特別の理想をみていたい。それは限りない精進だ。完璧な到達点がないとすると当人は謙虚にならざるを得ないので目立たない。案外、ホンモノが私の側にも潜んでいるかも知れないと時々周りを見回してみている。
9月28日(火) 前に陶芸で制作した「ヘロンの噴水(このhpではここ)」が気に入っている。居間の真ん中に置いて、私が部屋にいる時には大抵”稼働”させて微笑んでいる。一度セットすると2時間程度噴水が出続ける優れもの。これに気をよくして噴水第二弾、今度はミニュチュアポンプ付きのハイテク噴水を制作中だ。まもなく陶芸の噴水容器が焼き上がるので浮き浮きしている。陶芸といえば、その後実用的な花瓶などの制作にも取り組んでいるが、教室のおばさん達からは、また穴をあけるのですかなどと云われる。私の作るものには貫通穴があけられると思われているようだ(Multipurpose-Boxの名の蚊取り線香立てにも車輪用の穴がついた=ここ)。話は変わるが、先日終わったNHKの朝ドラ「天花」の視聴率が歴代最低を記録したという。これは専らお粗末な脚本のせいだろう。聞くに耐えない台詞、見るに忍びない構成。私でさえも余程NHKにコネがあるらしい脚本家の名前を調べようと思ったほどだ。視聴率は正直なものである。かわいそうなのは役者さん、俳優さん。天花ちゃん、ご苦労さんでした・・。さらにもう一つ。作家の森村桂さんが亡くなったというニュースをみた。長年体調を崩していた上の自殺とか。私とはほぼ同年代で、海外旅行が珍しかった時代にニューカレドニアを舞台にした「天国にいちばん近い島」がベストセラーになった。飾らない人柄で清々しい印象があるが、いまは天国でゆっくりやすんでほしい。
9月29日(水) 私には同年(&同じ月生まれ)の従姉が一人いる。今日は彼女の案内で楽しく刺激の多い一日を過ごした。この従姉は数年前に乳ガンを患ったがこれを克服した後、以前にも増して前向きに行動している。千葉・四街道にある自宅をはじめて訪れたが、夫婦で造り上げたというギャラリー兼コンサートホールには選び抜かれたアート(置物、茶碗類、道具類、照明、絵画etc)が並びいつまで見ていても飽きなかった。彼女は一方で音楽によるボランテイアやチャリテイを積極的に進めている。その人のつながりの片鱗も垣間みた。眼下に印旛沼を見下ろす丘の上にあるギャラリー風草(千葉県印旛郡/netはここ)にいって彼女の友人(小島房子さん)の陶芸作品(ここ、展示は9/30まで)をみたが、これが私の好みとも合致してうれしくなった。雑木林に囲まれたこのギャラリーでレベルの高い作品に触れていると東京では忘れていたインスピレーションを得たような気になる。やはり彼女の友人がやっているレストランで昼食をいただいたときも同じ感覚になった。レストランといっても看板も何もない。周囲は雑木林や竹林。こんな雰囲気の中で美味しい食事をしたのは・・フランスの田舎だった。文化はビルの林の中からでてくるのでなく、やはり小楢林の中から産まれるのかも知れない。
9月30日(木) 知識というのはそれほど尊敬するものでもないし過信してはいけないと悟ったのはいつ頃からだろう。私は若い頃(学生時代)マーラーの交響曲のレコードを集めて聞き込んだりしていたが、ある時友人が「ベートーベンの第十交響曲というのを知っているか、それはブラームスの一番だ」とかいって煙に巻かれたことがある。後で分かったのだが、彼はクラシック音楽の知識は実に豊富で何でも知っていたが音楽を心底楽しんでいる訳ではなかった。これと反対に、音大の学生は知識以前に音楽を演奏している。その後の体験を通して、知っていること(物知り)と、考えること、判断すること、実行することは別物だと分かった。いま、情報についても知識と同じだと思う。情報というのはあくまで伝達されるデータであり、事実であるか否かの判断が必要となる。事実を把握するには、三現主義といって、1.現物を 2.現場で 3.現実的に、見る以外ない。だから自ら事実を把握するのは至難の業といえる。情報通はいわば物知りと同じレベルで過信は禁物だ。

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