これまでの「今日のコラム」(2004年 12月分)

12月1日(水) ニューヨークで生活し始めた娘が何かとアメリカの”紙”について苦情を言う。日本で買っていた安くて品質の良いコピー用紙が手に入らないとか、文房具店で売っている紙の質が悪いとか、意外にアメリカが質素に思えることが多いようだ。確かにアメリカのペーパーバックス本など紙質は日本の漫画雑誌よりも悪く実用一点張りのところはある。日本で身の回りをながめると、カード会社のPR用雑誌等読み捨てるには勿体ないほど高級な紙を使っているし、単行本などは値段も高くなっているが紙質は必要以上に高級だ。いくら日本の製紙技術が世界最高レベルであり高品質の紙を作ることが出来るといっても、どうも納得出来ないところがある。紙の生産量はアメリカがダントツに世界のトップであり、日本は中国(人口は日本の10倍以上)とほぼ同等の二位か三位であるのに、日本の紙質がいいとすれば何故だろうか。ちなみに国民一人当たりの紙消費量はやはりアメリカが世界一位で日本は7位だという。それでも日本人一人当たり紙の年間使用量は何と約250kg(A4コピー用紙換算で125包=62500枚に相当)だ!(家庭からは新聞紙が主)そして、リサイクルシステムがあるといっても、膨大な量の紙を燃やし消費した分、森林を伐採して新たな消費に備えることになる(消費の量を削減すべきは大きな課題だ)。紙質から話が発展してしまったが、日本の高い紙質は技術の結果ではなく文化でないか。日本では直ぐに焼かれる紙でさえ実用というより一つの文化として質にこだわるのだろう。5分後にはお腹の中に入る料理の並べ方や”飾りつけ”に腕を振るう料理人を思い起こす。
12月2日(木) 「ミスをしない人間はいない」。それにしては世の中、ミスの少ない度合いで優劣を判断されることは多い。入学試験をはじめ、学校の成績や実社会での評定、音楽コンクールの審査に至るまで、マイナスが少ない方が勝ちとの判定がまかり通る。私は最近”ミスや失敗を恐れる=挑戦を避ける=人間(あるいは業績)は面白くない”と思うことが多い。子供にとって失敗は全て貴重な経験となる。工作をする時にナイフで指を切るとか、100Vの電源に触ってビリッとするとか、鉄棒や木から落ちて腕を擦りむくという実体験が本来は人間の知恵を育てるのだろう。正に「失敗は成功の母」。私の場合、絵を描くとか、陶芸を創るときに、他人の評価を気にすると、つまり、失敗のないように枠を入れると、とたんに覇気がなくなる。それは自分でも明瞭に自覚出来るのは驚くほどだ。考えてみると、これは絵や陶芸に限らず、このHP&コラムでも同じこと。批判を恐れずに何事も失敗なしにはできないと開き直ることを自分に言い聞かせている。「批判を受けないための方法=何もしない、何も言わない、存在すらしない(ハバート)」。
12月3日(金) 日本橋・三越で開催されている「細川護煕作陶展」を見た(12/6まで、無料)。行く前に何か気が重かったのは、三越の特選画廊の気位の高さ、権威主義的雰囲気に何度も幻滅させられた経験があるからかも知れない。今回は細川護煕の”生き方”に共感するところがあり、是非作品をみたいと思った。ところが、いくつかの茶陶を見始めたとたんに気持ちは高揚してしまった。細川さんの作陶は、元総理の余芸ではなく、まさに本物だ。よく知られているように細川さんは60歳を機に政界を引退し「晴耕雨読と作陶の日々」と自称している。陶芸といっても湯河原の自宅には広大なロクロ場と窯場、更に茶室を建築して本格的に作陶する。はじめは展示されている黒茶碗などには100万円近い値段がついているにもかかわらず、軒並み売約済みとなっているのが異様に思えたが、小さなぐい飲み一個、2万〜5万円ならばそんなものかと徐々に納得した(直ぐ隣の展示場では金重陶陽<元人間国宝>のぐい飲みが何と168万円、これと比べるとまだ安い)。三越の他の展示場には専門の陶芸家の作品もあったが、私には細川さんの作品の方がはるかにインパクトを感じた。感動ついでに細川さんの本を購入し、会場でご本人にサインをいただいた。200-300点の展示品はどれくらいの期間で制作したものか本人に問うたところ、3−4ヶ月ですかね・・とこともなげに云われた。平均にしても毎日欠かさず2−3作品の制作。ものすごいパワーだ。・・私の陶芸にも少なからず影響を与えそうなひと時だった・・。
12月4日(土) 我ながら単純だと思うのだが、昨日、コラムに書いた細川護煕さんの陶芸に影響されて、今日は深茶碗を家で二つ作ってしまった。家には人からいただいた粘土がまだ余っているのでロクロを使わないものであれば陶芸教室に行かなくてもできる。細川さんの本に陶芸を始めた時に現代の陶芸作家の中で一番自分が気に入った作家のところに押し掛けで弟子入りした話がでている。奈良県在住のこの師匠は元総理大臣などという肩書きや権威を”鼻くそほどにも”有り難みを感じない人間で、しかも10歳近く年下であったが、そこの作業場で細川さんは朝の5時−6時からロクロを回して一年以上修行したという。こういう話を知ると私も朝食前から制作に励むかなどと直ぐに影響される。ただし、深茶碗を作ったいっても細川さんのように安土桃山時代の名茶陶や長次郎(千利休の使う茶碗作者の一人、黒楽茶碗が有名)を目指すのとは異なる。私としてはどうしても現代のオリジナリテイーの見えるものが好きだ。粘土で制作した段階では昔と同じような形の茶碗にどうやって現代を持ってくるか、これからが考えどころである。
「今日の作品」に「庭の草(水彩)」を掲載した。カーブしたアクリル板でできた花器に草を入れると根っこの部分がそのままみ見えて面白い。

12月5日(日) 12月はじめの日曜日、東京では明け方猛烈な暴風雨だった。観測史上最大の瞬間最大風速40.2m/sを記録したという。犬の散歩に行くことも出来ず、朝の6時から2時間たっぷり陶芸の粘土茶碗の削りをやった。有言実行(昨日のコラム参照)だ。粘土の削りというのはまだ乾く前の柔らかみのある粘土を思うような形状に削って仕上げる工程で、陶芸をやる人でも「削り」が一番楽しいという人も多い。家で深茶碗を削っていると妻が興味を持ったので削りをやらせてみた。私が適当な肉厚で妥協しようとしていた茶碗の厚みを大胆に、かつ上手に削り込んだのにはちょっとびっくり。これでは家で陶芸をやると合作になってしまう。・・暴風雨が収まり晴れ間が見えたとたんに気温がぐんぐん上がってきた。東京ではこれまた12月としては観測史上最高の24.8度とか。外出すると、目前にはもくもくとした積乱雲。それでも街のクリスマスの飾りと歳末商戦のにぎわいはさすがに師走である。
12月6日(月) 先週、コーラスで久しぶりに「ごらんよ空の鳥」を聴いて懐かしかった。何年か前に一度この歌のことをコラムに書いた覚えがあるが、はじめて歌詞を知って以来この歌は私の愛唱歌の一つとなった。「ごらんよ空の鳥 野の白百合を 蒔きもせず紡ぎもせずに 安らかに生きる こんなに小さな命にでさえ 心をかける父がいる 友よ友よ今日もたたえて歌おう・・」(曲はここで聴ける)。この歌は有名なカトリックの典礼聖歌である。歌詞でいうように、種を蒔いて一生懸命に育てなくても、また糸を紡いで仕事に励まなくても、空の鳥や野の白百合はしっかりと”生きている”。自分の成果が見えなくて悩んだり焦ったりする時には何とも優しい言葉に聞こえる。私は信者ではないが「運を天に任せる」とか「なるようになる」の考えも同じであろう。最近、子育てに疲れて子供を虐待するなどのニュースを聞くこともあるが、まさに子供など「蒔きもせず、紡ぎもせず」に育つ。何にしても行き詰まったときには「ごらんよ空の鳥」。一休みすると新たな勇気が湧いてくる。
12月7日(火) 開催期間の終了が迫っているので急遽「ピカソ展」にいってきた(@東京都現代美術館/12月12日まで)。いつもは好きな絵画や作品に触れるとエネルギーを得て元気になるのだが、今日はどうしたのか疲労感でいっぱいになった。ピカソは私自身好きな画家の一人であるし、間違いなく20世紀を代表する画家だと思うのに、何故これほど疲れるのか考えてみた。私自身、歳をとり感度が鈍くなった?・・これは一応除外しよう。今回、展示されている作品は全てパリ・国立ピカソ美術館のもので、私は以前そこで見たことのある作品も多かったから?・・これも経験的には同じ作品に出会うと返って興奮するし、いいものは何度見てもいい。色々考えてみて、展示品の種類によるのでないかと思った。今回のテーマは「躯とエロス」とあるが、ピカソの45-55歳頃のよく云えば円熟期、言い方を変えれば、清々しい若さはなく、老齢の落ち着きもない、中年の脂ぎった肉体とか愛とか暴力的作品ばかりを集めている。4万点と云われるピカソ生涯の作品には何でもありだから、これも一面ではあるかも知れない。それにしてもホッと出来る精神性がないとくたびれてしまう。それと描く対象の全てが人間で、その90%は女性である(勿論、抽象化されて描かれる)。○○裸婦、△△女のタイトルばかりでこれも疲れを呼ぶ。時には、草花や風景を見せて欲しいと思うがピカソではそうはいかない。結局、妻が二人、愛人四人(?)、モデルは数知れずのピカソ(1881-1973)は死ぬまで人間(女性)を描き続けた。
12月8日(水) 今日、12月8日は太平洋戦争が始まった日。1941年のこの日、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃して戦争に突入した歴史も風化しようとしているのか。真珠湾はどこにあるか大学生に質問したところ、しばらく考えて「三重県」(=真珠の産地、鳥羽がある)と答えたと、新聞記事にあった。Remember Pearl-harbor! は今や日本人自身に言い聞かせるべき言葉となった。特別に無知であった大学生を取り上げてからかうとは新聞様も話題がないか・・と云いたかったが、続いて報道されたのが、義務教育修了段階の15歳を対象としたOECD(経済開発協力機構)による学習到達度調査の結果だ。それによると参加41カ国中、日本は読解力で14位、数学的活用力で6位など、学力は「とても世界トップレベルとは云えない状況」。文部省は義務でやるべき最低線のレベルを定める。低レベルが目標となると成績はそれより低くなることは自明だ。積極的に学ぼうとする者は文部省の基準など無視するのが今では当たり前かも知れない。昔の寺子屋は何も「義務」ではなかったが世界でも稀な高い教育レベルを保っていた。いまでも「読み、書き、ソロバン(算数)」の基本については実は学ぶ者にとってレベルが高いほどより楽しいものであろう。
12月9日(木) 読書では若い頃の感動の仕方と歳を取ってからの思いが異なることはしばしば経験する。その中でも名著と云われる著作はいつ読んでも味わいが尽きない。電車の中で読むために本棚からほどんど無作為に岩波文庫の「武士道」を持ってでかけた。前にも読んだことがある本であるが、初めから丁寧に読み始めると改めて”感動した”。「武士道」は新渡戸稲造の著作。新渡戸稲造(1862-1933)は5000円札の肖像になっていたのが、この11月に樋口一葉に変わったけれども、やはりすごい人物だ。一般的には「日本を代表する初の国際人」と称されたり、東京女子大学初代学長として女子教育に尽力したことなどでも知られるが、「武士道」を読むだけでも凄さが分かる。「武士道」は1899年(明治32年)、新渡戸38歳の時にアメリカで出版された。私が読んだのは日本語訳であるが、新渡戸が書いた英文が論理的でありながら簡潔で分かりやすく、時にユーモアも含めた名文であることは訳文でも十分に理解出来る。「武士道」はいわば自らの魂、日本の思想の分析であるが、欧米の宗教や文学、哲学と比較しながら解説しているので、今現在、日本人として読んでも教えられるところは多い。英語で出版された後にドイツ語、フランス語、ロシア語、ポーランド語、ノルウェー語などでも訳されたというこの100年前の名著をいま海外で活躍する日本人にも是非一読することを勧めたい。
12月10日(金) 「今日の作品」に「明治神宮の朝(水彩)」を掲載した。神社というのは思想や信条でそれぞれの思いがあるようだが、「明治神宮」は私にとって正月の初詣の場所であり、どうせなら豊かな森に囲まれた参道を歩いてゆったりとした気分で参拝したいとここを選ぶ。絵に描いた日は朝の9時20分頃、本殿にお参りした。参拝客はほとんど見かけない中で神主さんと巫女さんが総出で広い境内を掃除していた。朝日を浴びて特に10代と思われる若い巫女さんの清々しい姿が印象的だった。何でも下請けに出す時代に、掃除の専門業者等使わず自分たちで清掃するのは、日本の美徳を引き継いでいるようでうれしい。杜が立派なので明治神宮はかなり昔からあったものと間違う人もいるが、名前の通り明治天皇、皇太后のご崩御の後、大正9年(1920年)に建造されたのでまだ100年も経っていない。境内の樹木を伊勢神宮や日光東照宮のように杉や檜とせずに椎や樫など照葉樹としたのは、当時の植物学者が100年後の成長を考えて都会に適合する(この地の水源、土壌に適した)種を選択したからと云われる。いま見事にその成果が実を結び壮大な森となった。明治神宮を訪れるとき樹木を見てまた先人の偉さを思う。

12月11日(土) 色々な分野の作家が大勢集まったパーテイーに出席して楽しく懇談したことは私の人生で初めてかも知れない。これまでに絵や陶芸の作家とは多少の付き合いはあったけれども、今日お会いした作家さんは、織物、皮工芸、小物工芸、人形、写真、灯り、苔玉、マッチクラフト・・、それに勿論、陶芸や絵など多岐にわたる。私が馴染んでいるものと全く違う分野の人の話を聞くことは非常に興味深く、刺激を受けることも多いが、大勢の中で今日は少し違ったことを思った。それは人間は外観ではその人の作るものは分からないという当たり前のことである。創作をする人ばかりだから、それぞれに個性的な外観の人もいる。それでも、外観を見て、この人は織物作家、こちらは画家、あの方は陶芸作家と言い当てることはまず出来ない。このことで環境とか出会いが少し変われば写真家は苔玉作家となったかも知れないという偶然性を思った。人間の営みは必然ではなく偶然が支配するのではと・・。一方で何作家であるかの区別はつかなくても間違いなく共通点があることにも気がついた。それは人生にシラケていない、前向きである感じだ。他人任せでなく、自分で決めて自分で動く。・・そうだ、作家はきっかけは偶然であったかも知れないが作品は必然である。やはり、ものを「作る」ということはすばらしい。
12月12日(日) 今朝、犬の散歩の途中で代官山(東京・渋谷)の陶芸教室の前を通ると、ショウウィンドウの正面に見覚えのある花器が飾ってある。私の作品で本焼きが完了した頃だとは思っていたけれども、まだ受け取りに行っていなかったもの。本人が完成を確認する前に教室が勝手に(?)展示してくれたのは初めて。こんな単純なことで今日の日曜日、上機嫌でスタートした。「今日の作品」に掲載したのは、この「花器」ではなく「秋の終わり(水彩)」の絵とした。自転車で白金の自然教育園に行った時のスケッチだ。最近は絵については、あれこれ考えずに見たまま、あるがままのスケッチをする。こういう写実的な絵は50年前の絵と変わらないので現代性はないかも知れない。それでも心のままに描きたいように描く結果であればいいと割り切れるようになった。これからもスケッチを続ける。絵とは関係がない蛇足を一つ。この絵を描いた「国立科学博物館付属自然教育園(HPはここ)」の名前がどうも気に入らない。いかにもお役所が「教育」してやるというネーミングだ。なぜ、すっきりと”白金植物園”とでもしないのだろうか。

12月13日(月) 私が子供の頃には冬が近づくとよく相撲をとった。取っ組み合いで身体は暖まるし、何より友達同士の文字通りの触れ合いだった。昨日の日曜日、テレビでアマチュアの全日本相撲選手権を見始めると面白くて最後まで見てしまった。圧巻は高校生でベスト4まで勝ち残った沢井豪太郎(埼玉栄高校、18歳)の活躍だ。優勝した栂木(とがのき)に敗れはしたが、181cm、130kgという均整のとれた身体で実に素早い動きをする。相撲センスが抜群だと思っていたら、今日のニュースでは沢井は来年初場所から境川部屋(師匠は元小結 両国)に入門することに決まったようだ。現在の大相撲は横綱朝青龍を頂点とするモンゴル勢をはじめとして外国力士の活躍ばかり目立つ。現在相撲界には何と11カ国、59人の力士が所属しているという(モンゴル、韓国、中国、ロシア、ブルガリア、グルジア、ハンガリー・・と数え始めたが数えきれない!)。こんな相撲界で、若い沢井豪太郎は日本のエースとなることが期待される。これからは大相撲で豪太郎を応援することに決めた。
12月14日(火) 「黒澤明アート展」をみた(@東京六本木ヒルズ森タワー52階/森アーツギャラリー、2005-1-10まで)。このギャラリーは52階という超高層の場所にありながら1000円の入場料を払っても外の景色を一切見せない。新宿の損保ジャパン(旧安田生命)東郷青児美術館(42階)や丸の内の出光美術館(皇居のお堀端がよく見える)にいくと展覧会にプラスして窓からの風景に心和むのとは大違いだ。森美術館の隣では東京シテイービューと称して風景を見るだけで1500円の入場料をとる。こんなことをしていると「森ビルはせこい(世故い)」が定着してしまう。さて、黒澤の絵画は評判通りのインパクトがあった。映画の絵コンテもあれば、映画とは無関係の絵もあるが、いずれも黒澤が描くことを心底楽しんでいるのがよく分かる。一方で絵の内容には手抜きがない。色使いや構図、細かい表現にも繊細でかつ激しい気力がみなぎっている。絵を見ていると、改めて黒澤明(1910-1998)という人は極めて稀なほど幸運な人生を歩んだように思えた。好きな絵画の延長で、好きな映画を仕事として世界の黒澤として認められる。それも黒澤天皇といわれながら一切妥協せずにやりたいようにやった。黒澤の絵の中に自分自身が天使に手を引かれてビルの谷間や空中を飛び回る絵があり、CGを駆使した映画「マトリックスリローデッド」の同じようなシーンを思い出した。21世紀の今、黒澤がもし映画をとるとしたら、どんな映画ができるだろう。
12月15日(水) 妻がニューヨークの娘夫婦(&孫娘)のところにでかけた。私はアール(コーギー犬)と留守番だ。飛行機を見送り雨の成田から東京に戻ってくるとこちらは雨が降った気配はない。直線距離にすれば70kmほどであるのに成田と我が家では天気はこんなに違う。留守番といいながら楽しみにしていることも多い。料理もその中の一つで、今晩は先ず特性カレーとした。これまで私の料理のレパートリーはハムエッグとか野菜チャーハンなどの炒め専門だった。それを玉ねぎ、人参、ジャガイモ、肉などを炒めた後、水を足して沸騰させ、その後あくを取って「シャトルシェフ」に入れる・・そんな作り方をしたのは初めてだった。調理器はそのままにして、犬の散歩に30-40分。散歩から帰ってくる頃には、シャトルシェフの中の材料はやわらかくできている。そこにようやくカレーのルウを入れて再び弱火で軽く煮込む。こうして出来た処女作カレーは”グー”。量的に余ると思っていたら全部食べてしまった。
12月16日(木) 「今日の作品」に「ドーナツ型花器/陶芸」を掲載した。これは風船を中子に使って制作した陶芸作品の一つ。先ず細長い風船を丸めて端を幅広テープで止める。エンドレスの輪の風船を作る訳だ。それを型として粘土の板を貼付けていき丸い円筒の土形を作る。粘土がほぼ乾いた段階で花を生ける穴をあける。この時に中の風船を割りピンセットで除去できるものは取り出す。私は花器として水平に置く場合と垂直にたてるケースを考えて、片側(上部にもなる)に五個の穴をあけた。写真はこの穴を使って簡単なオブジェを付けたが、本来は針金の途中に真珠球でも入れてクリスマスツリーとして花をポインセチアにすれば、今のシーズンにマッチしたクリスマス用の飾りとなったかも知れない。陶芸教室でこのドーナツを作っていると「蛍光灯みたいですね」と云われて苦笑してしまった。なるほど云われてみればサークル型の蛍光灯のサイズでもある。ドーナツ型の名前にしたが、ドーナツの英語も難しい。DOUGHNUTで、doughは「こね粉、生パン」と辞書にあるが「混ぜこねたパン等の生地」のことで、nutは木の実(クルミなど)。オランダのクルミをのせた円形の揚げ菓子が原型であるようだ。いずれにしても、この「ドーナツ」、意外にうまく出来上がったので花器として愛用している。

12月17日(金) いま陶芸教室の忘年会から帰ってきたところ。暖かい年末であるけれども間違いなく忘年会のシーズンである。今日は、この忘年会の前に見た「田原桂一/光の彫刻展」(東京都庭園美術館、2005-1-23まで)について書きたい。この展覧会はパリを拠点にヨーロッパで活躍する田原桂一(1951-)の個展である。庭園美術館というアールデコ風のクラシックな調度品の中に現代のアートが違和なく溶け込んでいて面白かった。田原桂一も活躍の場が狭い領域に留まらない人であるようで、写真、彫刻、照明など幅広い分野で独特の”冴え”をみせる。私は石の上に写真を印刷する技術に興味があり、美術館の職員に質問をしたが納得のいく説明は得られなかった。今日から12月24日までは「光の彫刻インスタレーション」と称してpm4:30-8:00まで屋外で光りのショウも見せる。庭園美術館の正面玄関側の建築の壁面にプロジェクタ二台を使って動く映像(dvdによる映像)を投影したり、周囲の樹々を照明したりしているが、壁面スクリーンがもっと巨大であれば更に迫力がでるものを・・と若干もの足りないところもあった。それにしても「光」に焦点を当てるこの展覧会、随所に新しい種を発見することができる。
12月18日(土) 少し前に東京都心に直下型の大地震が発生した時の被害予想が報道されていた。「首都直下地震対策専門調査会」が公表したもの。マスコミは「帰宅困難者」が650万人に達すると見込まれて対策が急がれるなどとコメントしているが、これなどはナンセンスだ。非常時の場合には、命に別状なければ、家に帰れなくても、また居場所が直ぐに分からなくても必ず会える。帰宅困難など問題にすることはない。死者の予想は最悪で12000人という。私もその中に入る可能性は十分にあるけれども、数字を見たところでは随分少ない予想だなと感じた。「千三つ」という言葉があるが(2003-10月1日のコラム=ここ、に書いた)、首都圏の人口が1000万人とすると、確率的には、千三つの更に半分以下の不運ということになる。地震と大騒ぎする割にそんなものか。地震以上に恐ろしいのは「新型インフルエンザ」だろう。新型インフルエンザが流行すると日本で3200万人が感染し、死者は17万人の予想である。どんな型のインフルエンザかワクチンも定まらぬのでもっと最悪の事態があるかも知れない。1918年のスペイン風邪では全世界で2000-3000万人死亡(日本では死者約39万人!!)、1957年のアジア風では死者200-400万人などときくと、新型インフルエンザ対策は正に世界的な大戦争である。普段は目立たないけれども、新型インフルエンザと日夜戦っている戦士に感謝しなければならない。
12月19日(日) 「今日の作品」に「U型花器C(陶芸)」を掲載した。陶芸については完成作品を掲載する以前に制作の状況をコラムで書いてしまうことが多い。アイデイアを設計図に書いたり、制作方法を工夫するところが楽しいので、本焼き完成まで待ちきれずに内輪話を披露することとなる。この「U型花器C」は2004-11月14日のコラム(ここ)<および関連27日>で書いているように、細長い風船を中子に使って形状を作ったもの。風船を使うテクニックを思いついて、家で粘土でやってみると上手く出来た。得意になって陶芸教室で話したら何のことはない一般に知られた技術であることを知って、いささかガッカリした思い出がある。初めは独自の風船テクニックで色々な形を作ってみようかと思っていた。例えば、アルファベットの文字を風船で作るなどアイデイアがどんどん湧いてきたものだ。ところが風船中子が一般的な制作法と分かってから急に熱が冷めてしまった。悪い習性であるとは思うが制作には思い違いでもいいから、何か熱に取り憑かれたような”勢い”が必要なようだ。
 

12月20日(月) 世の中には周囲に認められるか否かは全く関係なしに自分の道を進む人は多い。社会と隔絶した生活をしていた画家が死後すばらしい作品を残していたなどよくある話だ。しかし一般的には自分の生き様や考えを一部の人にでも理解して欲しいと願うのが自然に思える。最近インターネットで流行しているブログ(=Blog=Weblog/ウェブ日誌)なども他人とのつながり(交流)がやりがいとなるのだろう。自分も案外に誰一人として認めてくれる人がいなければ、絵も陶芸も、更にこのコラムも続かないかも知れない。・・こんなことを思ったのは、このところ一人で料理を作って一人で味わっていることに関連する。はじめは料理に関心があるので作ることが面白い。料理自体が毎回作品作りだと思う。ところが、うまいクリームシチューをアール(コーギー犬)に自慢してみるものの、誰も褒めてくれない。自分でうまい美味いといって食べればそれで終わり。盛りつけを少々こだわってみても、自分で食べるだけ。一人でも理解者がいれば勇気百倍でやる気が出るのにと思う。こんなことから、今更ではあるが、今度妻が戻ってきて食事を作った時には、よく味わって存分に褒めてやろうと新たな作戦を立てつつある・・。
12月21日(火 ) 今日は冬至。朝、6時15分頃に家をでてアール(コーギー犬)と散歩をする。出かける時刻ではまだ暗いけれども、散歩の途中、6時半頃に少し明るくなってくる。家へ帰り着く7時前には日の出が過ぎていた。今の時期、日の出前後の空や雲の移り変わりが早朝散歩の楽しいところだ。冬至は一年で一番夜が長く、昼が短い日とされる。ただし、日の出の時刻は今日以降も更に遅くなる。日の入り時刻も遅くなるので、昼の時間が若干多くなっていくだけである。調べてみると、東京地方では今日の日の出は6時47分、日の入り16時32分。これに対して、12月31日には、日の出6時50分、日の入り16時38分。大晦日の方が今日より3分昼間が長い。冬至のこの日、東京は少し風が冷たくなったが日中は晴れていい天気だった。「今日の作品」に掲載した「冬至の紅葉」は東京のこの日の紅葉を描いたもの。例年より色づきが悪いと思っていた樹々が冬至の太陽を浴びて意地のように鮮やかに輝いていた。
     //12-22

12月22日(水 ) 「今日の作品」に「メリークリスマス(絵手紙/水彩)」を掲載した(上部画像)。ニューヨークで生活をはじめた娘家族にだした「クリスマス用絵手紙」の絵をそのまま掲載したもの。娘家族のイニシアルが分かってしまうが、隠すほどのことでもない。更に細かい芸当としてはクリスマスツリーに吊り下がっている丸い玉は三色あって、同じ色のアルファベットをつなげると家族のそれぞれの名前になるのだが、受け取った相手も気がついたかどうか定かではない。この「絵手紙」、自分としては名作だと悦に入っていたら、服装のファッションが地味だという意見があった。確かに描く時にも特に女性の服装をどうするか悩んだところだ。これから人間を描くには先ずファッションも研究しなければならない。それにしても、この種の絵というかイラストは描いていて実に楽しい。自分でアイデイアを考えて好きなように描くことができる。そして世の中に絶対に同じ絵は存在しない。コミュニケーションとしての「絵」は個人的であってそれ以上を望まないところがいいのかも知れない。

12月23日(木 ) 音楽や絵画などの芸術に感動していた若者が年を経ると共に感動を忘れた物知り批評家になることは多い。一方で、若いのに世の中に何も興味を示さない無感動人間もいる。経験は貴重であるが、経験することにより「当然」となり感動が失せるのは寂しいことだ。私の場合、当たり前と思われていることを改めて見つめ直して、新たな感動を得るのは科学技術に関することで経験する。例えば、空港で巨大な旅客機をみると、こんなにでかい物体が大勢の人間を乗せてよく空を飛ぶ(!)と感動する(この時は航空力学の理論は忘れる)。また、夜空に月をみると、30年以上前(1969/昭和44)に人類はよくまあ月まで人を着陸させたと感嘆する。コンピュータと一体になったインターネット技術にしても、考えればすばらしい感動技術だ。このような事例は際限ない。公害をはじめとして人間の技術や活動は反省点も多いが、科学技術の成果を心静かに見ると無条件に感動を覚える。我々は当たり前の世の中にいるのでなく「恩恵」の中にどっぷりと浸かっている。技術だけの話でなく、何にしても感動することが次の感動を生む原動力になるように思える。
12月24日(金 ) クリスマスイブ。夜の散歩は恵比寿ガーデンプレイスとした。アール(コーギー犬)の散歩は普通恵比寿と逆方向の代官山方面にいくのだが、今晩はせっかくだからクリスマスのイルミネーションを見ようと思った。恵比寿ガーデンプレイスに近づくといつもと雰囲気が違う。人が多くて犬を連れていると歩き難いほどだ。それでも中央広場のバカラ・クリスタルの巨大シャンデリアの側までいった。恵比寿ガーデンプレイスでは、この数年間、冬のシーズンに(今期は2005-2-20まで)「バカラのシャンデリア」を飾っている。このフランス製シャンデリア、毎年みているのでお馴染みになったが、高さ5m、ライトの数は230個、パーツの数は8000余という世界最大級のものだ。シャンデリアのある広場に行く途中の坂道には4万個のイルミネーション。早朝の散歩では何度かこの場所に来ているが、やはり電飾をみるには夜に限る。暗闇にシャンデリアとイルミネーションの灯り、それに大勢の男女が加わってクリスマスらしくなる。帰途、コンビニで小さなケーキを一つ買って帰った。夕食後アールとケーキを分けて、”メリークリスマス”!
12月25日(土 ) 昨日に続いて「恵比寿ガーデンプレイス」のイベントについて書きたい。クリスマスシーズンには、ここでは午後5時になると「人工雪」を降らせるサービスがある。今日も犬の散歩でたまたまその時間に現場にいたら、丁度「雪を降らせます」という放送があった。続いて音楽ライブもやるので大勢の観客が待ち構えているところに、確かに人工雪が降り始めた。それはいいが、大屋根の先端に付いた雪を噴出す8本のノズルから”ものすごい噴出し音”と共に雪が降るのは何とも興ざめだ。雪は音もなく、しんしんと降らなければならない。私にはこの騒音は技術的な欠陥でまだまだ改良の余地があるように思えた。東京でも他に各所で人工雪(正確には雪にみえる落下物)のイベントがあるが、音の聞こえない人工雪システムを作ればもっと売れるのではないかと、他人事ながら気になってしまった。
「今日の作品」に「クリスマスの紅葉/ 裏から見たモミジ」(水彩)を掲載した。東京ではクリスマスの日でもこんな紅葉が残っている。陽の当たる紅葉を裏から見ると透き通った色と影の部分が面白く、早速にスケッチしてみたもの。


12月26日(日) 「華麗なヴァイオリン・ガラコンサート」にいった(@東京オペラシテイコンサートホール)。「斎藤秀雄先生没後30年、桐朋学園が生んだヴァイオリンの名手による」と副題があるが、出演は、戸田弥生、加藤知子、徳永二男、和波孝禧、久保陽子、潮田益子、鈴木秀太郎のヴァイオリンとそれにピアニスト4名。いずれも国際的なヴァイオリンの名手が入れ替わり立ち代わり演奏するスタイルは、静かではあるが真剣勝負の緊迫感を漂わせていた。私などはどの演奏も楽しく聴きながら幸福感に浸っているのであるが、それにしても音楽とは厳しい世界だと思った。それは、目をつぶって耳を傾けた時に、いずれも名演奏であるが故に、「これは彼の演奏、これは彼女・・」と簡単には判別できないところである。勿論、十分に聞き込んでいれば、同じ曲目を演奏したとしても、徳永さんの演奏と久保陽子さんの演奏の違いが分かるかも知れない。絵画の世界では、例えばスペイン生まれの同時代の画家であっても、ピカソ、ミロ、ダリの絵は誰が見ても区別出来る。それと比べると瞬間の芸を極める音楽の個性とは限りなく奥が深い。7人の名手の演奏を聴いていると音楽とはコンクールのように点数をつけたり順位を決めるものではなく、瞬間瞬間の音の極致を楽しめばいいと教えられる。
12月27日(月) 母が幼児の頃の写真を従姉がみせてくれた。私は見たこともない初めての写真だったので借りてきて早速スキャナでコンピュータに取り込んだ。明治45年と大正2年の写真で、母が2歳と4歳の時に弟と並んで撮影したものである。丁度、私の孫と同い年。こういう写真は母というより、一人の人間の歴史をみる思いで、じっくり観察した。2歳、4歳にしては異常に眼光が鋭い。幼児にしては強い意志とかやる気を漂わせている。私が母に抱いている印象とはかなり違うのだが(勿論、顔の面影はある)、案外に幼児の顔というのはその人の本質を表しているのかも知れない。それに着物は確かに現代とは異なるけれども、人の面魂は当然ながら90年前も今も全然変わらない。予期せぬ写真の迫力に圧倒されながら、ふと我が身を思った。自慢ではないが私の幼児の頃の写真は一切残っていない。無理もない、私が2歳、4歳はまさに太平洋戦争のまっただ中から敗戦への時代だ。家族写真がないのもまた歴史の一つであるのだろう。
12月28日(火) 妻がニューヨークの娘家族の家にいっているが、毎日孫娘にせがまれて絵本ばかり読んでいるとメールで伝えてきた。たまたま私は今、柳田邦男著「砂漠で見つけた一冊の絵本」(岩波書店)を読んでいる。この本には色々共感出来るところが多い。「絵本は人生に三度」と柳田は主張する。まず、自分が子供のとき、次に、子供を育てるとき、そして、三度目は人生後半になってから、という。三度目に関連して、「今、大人こそ絵本を」と、「大人にすすめる絵本」を50冊余紹介もしてある。私自身も今になって絵本は決して子供だけのものではないとの思いが強い。絵を見たり文章を読んでいるとインスピレーションを得ることもあれば、文学作品のように感動するケースもある。また、二番目の子育て時の絵本の意味も想像以上に大きいように思える。親が子供を虐待するとか、子供が説教に耐えられず親を殺すとか、最近の寒々とした世相の大部分は「絵本」があれば解決したのでないか。親子の対話とか話題の選び方など難しい理屈はいらない。ただ親がこどもに絵本を読んでやればいい。こどものためだけでなく親も絵本から教えられる。「人生に三度」などとは云わずに、「人生、常に、座右の絵本」を持ちたい。
12月29日(水) 今日は東京に初雪が降っている。大粒の雪が降り続くのをみていると、今年は酷暑のあとに異常に暖かい秋がきたにもかかわらず、正月を目前にして雪をもたらす自然の律儀さにあらためて感心する。「今日の作品」に「塗り箸(工作)」を掲載した。作品というには少しおこがましいが、普段夫婦で使っている箸が余りに痛んできたので正月に備えて再生したものだ。はっきり言えば、下地処理としてペーパーをかけて、漆系の塗装をしただけである。漆の塗装はこれまで何度もやっているので何のことはないが、やってみて箸の塗装は意外に面倒なことが分かった。同じ色を全面に塗る場合、どこを取手(持つ場所)とするか、塗装後に乾燥させる時にどこをサポートするかなど工夫しなければならない。一般の箸では頭の部分の色を変えて別塗りをしているのが多いのも納得できる。私はどうせ自分で使うだけであるので、箸の頭部に1mmの貫通穴をあけ、針金を穴に通すことによって箸の塗装面と関係なく支持できるようにした。最後には穴も塗料で埋めたのだが、売り物ならばこんなことは出来ないだろう。完成してみると、それなりには出来ているが工夫の跡は見えないし、何も「作品」らしきところはない。やはり箸は再生などするより新品を買うべきなのだろうか。そういいながら、正月からこの新しい塗り箸を使うのを楽しみにしている。

12月30日(木) 年の暮れに近所の住宅街(東京・渋谷−目黒)を歩いてみると、以前と比べて正月用の玄関飾りが少なくなっていることに気がつく。ささやかな松飾りや輪飾りのある家もあるが普段と何も変わらないところが多い。門松を立てているのは例外なく企業(会社)と思われる建物だ。門松代は会社の”必要経費”としているかも知れないが正月の風物詩が見られるのはうれしいことだ。近所では門松が相応しい個人の一軒家はほとんどない。昔の大豪邸は7階、8階のマンションに代わっている。それでも立込んだ家々の中にも、玄関先に住む人の心がみえるちょっとした飾りがあるとホッとする。贅沢なものでなくても、丁度茶室に生けられた花一輪のような飾り。・・他人の家のことはさて置いて、我が家をどうしようか。・・今から妻を迎えに成田にでかける。「一夜飾り」であってもチョッピリは飾りを追加したいと思いつつ・・。
12月31日(金) 東京の大晦日は積雪3-4cmの本格的な雪の一日となった。大晦日から正月へ・・時の流れは決して留まることがないけれども「区切り」をつけるのが人間の知恵に思える。23時59分59秒から1秒を経過すると新しい年となるという考えがあるからこそ人間は進化するというと大袈裟だろうか。昨日と今日は別の日、そして明日はまた新たな日と思うところにエネルギーが生じる。災いや悲しいことは昨日のこと、失敗や争いも過去のこととすれば新たな明日が開ける。昨日とは違う自分に変身出来るから今日の進歩がある。変わるために時の流れが欠かせない。時間は全ての人に平等に与えられるが、感度をあげていないと時の流れは見えないことがある。時はまさに一期一会。いま2004年の大晦日から2005年元旦への移行の瞬間を迎えようとしている。新年の第一歩の前に、先ずは今年の我が身の幸運を感謝。
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