これまでの「今日のコラム」(2005年 2月分)

2月1日(火) 今日から2月/きさらぎ。如月は「衣更着、すなわち寒さがきびしく重ね着をする意」と辞書(新明解/三省堂)にあるが、それ以外にも、陽気になる季節の意で「気更来」、木々が生えはじめる「生更木」とか語源には諸説あるようだ。今の季節、早朝の犬の散歩でも一番寒さを感じる。今日は九州や四国でも雪模様であったとニュースが伝えている。けれども今朝アール(コーギー犬)といった西郷山公園(東京・目黒区)では梅がほころび始めていた。寒い寒いといいながら春は確実に近づいている。如月(きさらぎ)が”衣更着”であると同時に”生更木”であることが実感できて面白い。「三日月は そるぞ寒さは 冴えかへる(小林一茶)」/<明日が下弦の月、三日月は来週末>
2月2日(水) テレビの天気解説で、「等圧線が日本列島を縦に何本もはしる典型的な冬型の気圧配置」と説明する。確かに今日の天気図では6-7本の等圧線が縦に並んでいる。といっても山の等高線を10m毎とするか100m毎に描くかで等高線の線の混み方はどうでもなるので、天気図の等圧線とは何かと疑問に思う。答えは、天気図では4hPa(ヘクトパスカル)毎の等圧線に決まっている。今日の天気図でみれば、日本の東の太平洋上に968hPaの低気圧があり、これを中心とした閉ループの等圧線が描かれる。4hPa毎の等圧線の6本目、992hPaの線が北海道の東端に引っかかり、以下、日本列島を996,1000,1004,1008,1012,1016hPaの等圧線が縦に走っている(更に沖縄は1020)<2日、am9:00現在の天気図にて>。天気図が分かったところで、天気予報は当たるかどうかは別問題であるし、この冬一番の寒さもどうしようもない。けれどもインターネットで気象庁の天気図情報(=ここ)をみていると、時々刻々移り変わる天気図に興味は尽きない。ローカルのまたローカルである自分の住んでいるところの天気予報など的中しないのが当たり前と気象庁に同情したくなる。
2月3日(木) 毎日新聞の朝刊で「きょうは節分、明日は立春」と題したコラム/余録に、正岡子規が紀貫之を「下手な歌よみ」、古今集を「くだらぬ集」とこき下ろした話が出ている(ここ)。よく知られているように子規は芭蕉の批判者として世に出た。正岡子規(1867-1902)であれば、芭蕉の俳句を説明的、散文的と批判しながら自ら簡潔な写生俳句を実践することにより、35年と云う短い生涯の間に俳句界を活性化したという業績はある。けれども、現代の俳句界でも堂々と芭蕉批判をしてみたり、他人の流派の批判に明け暮れている人々がいるのは奇異にみえる。われわれ門外漢にとっては、芭蕉も、蕪村も、一茶も、子規も、虚子もまとめて俳人であるだけだ。批判をする時間があれば己が俳句を作ってみせて欲しい。極めて狭い世界の中で本来の仲間同士を批判しあう様は俳句界に限らない。朝日新聞と週刊新潮との中傷合戦などもこの部類か。「目くそ鼻くそを笑う」という言葉が浮かぶ。英語では、もう少し上品に:The pot calls the kettle black.=鍋が自分も真っ黒になっているのに黒くなったやかんのことを笑う。もっとも、目くそにしてもポットにしても常に自分自身でもあるかも知れない。
2月4日(金) 珍しく昼食を霞ヶ関ビルの中でとった。その時所用で霞ヶ関界隈を歩いたのであるが霞ヶ関ビルが直ぐに見つからない。霞ヶ関の変貌ぶりを目の当たりにして感無量になった。霞ヶ関ビルは日本初の超高層ビルだ。高度成長期、昭和43年(1968)に完成したこのビルは地上36階,高さ147m 。それまでは地震の多発する日本では 高さが何と31mに制限されていた。それが柔構造という耐震設計技術により初めて許可された超高層ビルがこのビルであった。完成した時には、この羊羹を縦にしたような巨大なビルが周りを見下すように唯一突っ立っていたのが印象的だった。それが今は周囲の高層ビル群の中に埋もれている。現在、関東地区だけでみても、高さのトップクラスは横浜ランドマークタワー296m、東京都庁243m、サンシャインビル239mなど。霞ヶ関ビルが高さ順位で何番目になるか知らない(因に1997年にマレーシアで建設された世界一の超高層ビルは452m/日本の間組が施工)。・・帰途、これも霞ヶ関にある「日本一おかき処/播磨屋本店」に寄った(播磨屋のhp=ここ)。霞ヶ関で”おかき”を買うというギャップが非日常で楽しかった。
2月5日(土) 今日は午前中はテニスのプレー、午後はテレビで話題のシャラポア対浅越のテニス観戦と、テニスを堪能した一日だった。コラムとしては「今日の作品」に掲載した「コアラとワイン入れ」のことを書く。正式に何と呼ぶのか知らないが、フランス土産の「デカンター兼ワイン注入器具」というべきものが昔から我が家の居間にある。今は実用的に使うことは稀で絵に描いたように二匹のコアラがしがみついた飾り物だ。本来のデカンターの目的は以下である。熟成したワインではボトルの底に”おり”(澱)(つまり”かす”)が沈殿物として沈んでいる。ボトルから直接ワイングラスに注ぐと、この「おり」がワインに混ざり味をおとすので一旦デカンターに移す事により「おり」の混入を防ぐ。またデカンターに移す際にワインが空気に触れ、味がまろやかに香りは華やかになるという。デカンターの内壁に添わせるようにゆっくりとワインを注ぐのだが、その際ロウソクの灯りで「おり」がデカンターに移らないように注意するのがコツとか。その気で描いた器具をみるとロウソクの台まであると納得する。更にこの器具は最下部の球を押し上げるとワインが自由に取り出せる構造となっている。せっかくのこの特殊デカンター、コアラの遊び場だけでなく少しは実用に供したいと描きながら考えていた。

2月6日(日) 東レテニスでは第二シードのシャラポア(ロシア/17歳)が第一シードのダベンポート(USA/28歳)を2-1で破り初優勝を遂げた。それはそれでテレビの中継を楽しんだ。けれども、テニスとゴルフについては毎度のことながら「録画中継」しかやらない。もし、大相撲が録画であったら大相撲ダイジェスト、野球が録画ならプロ野球ニュースだ。ワールドカップ予選のサッカーが録画ならば国民は怒るだろう。生の試合と録画中継とは緊迫感が天と地ほどに違う。勝敗の結果を知らせずに時間を調整しながら放映していても生の緊張はない。一瞬先の勝負がどうなるかを見たいのだ。大会主催者の狭量な思惑やらテレビのスポンサーの傲慢な顔がチラチラ見え隠れするが、実際の「録画」にせざるを得ない理由は何だろうか。スポーツの生中継は勿論できる。視聴者は生を望んでいる。けれども現実にはテニスやゴルフは録画となる。結局は放映側は視聴者をなめきっているのだろう。みなで声をそろえて叫ぼう:「テニスも生中継をしてください・・」。
2月7日(月) 企業人の言葉を使えば、今日は「アウトプット」の多い一日であった。アウトプットとは“目に見える成果”とでも云うのだろう。以前から楽しみにしていた陶芸の「炭化」作品が出来上がったのもその一つ。できたての自作の黒楽茶碗で抹茶を一服・・と最高の贅沢を味わった。このような中で、絵を描くことなく、陶芸をすることもなく、またコンピュータ仕事その他も一切しない場合、次に何をやるだろうかと、ふと考えた。それは「ロボット作り」かも知れない。昨晩、テレビ(NTV)で「ロボットバトル世界一決定戦」という番組をみたのだが、今、ラジコンを進化させたロボットが趣味の領域でもかなりのレベルで製作出来るようになっている。自分でロボットを作るのは最先端技術と遊びを合体させて最高の趣味となりそうだ。昨日テレビでみた”ガンダムー”も”鉄人2号”も実によくできていて、見ているだけでワクワクした。アイボ(ソニーのロボット犬)は自分では作れそうにないが、ガンダム級のロボットが自作出来ればこれほど楽しいことはない。世の中やる種は尽きず・・。
2月8日(火) 本日の注目ニュースは、1)ライブドア、ニッポン放送株の35%取得、大株主に、2)増田明美さん結婚。1)は例のライブドアが関連会社も含めてニッポン放送(ラジオ局)の発行済み株式の35%を取得したといもの。ニッポン放送はフジテレビの筆頭株主(22.5%保有)で、一方、フジテレビはニッポン放送の子会社化を狙い全株式取得を目指して株主公開買い付け(TOB)を実施中と云うから複雑怪奇だ。つまり小さなニッポン放送を手に入れればフジテレビへも影響力を行使出来る。先行きは不透明だが、少なくとも国の許認可という手厚い保護を受けてぬるま湯に浸かったように見えるテレビ、ラジオの世界を変革する方向性は大歓迎。これからのライブドアの動きに注目しよう。2)マラソンの増田明美さん結婚のニュースは無条件にめでたい。増田さんは現役の時の走りも明解だったがマラソン解説者として歯切れの良い語り口が気持ちよかった。41歳といっても人生これから。とにかくよかったね、お幸せに!
2月9日(水) 夜のアール(コーギー犬)との散歩を早めに済ませてサッカー観戦(テレビ)にそなえた。ワールドカップアジア最終予選、全日本と北朝鮮との試合は今終わったところだが、2−1で日本が辛勝した。90%の人が1−1の引き分けと思っていたのではないだろうか、後半45分(!)の終了間際に途中出場の大黒が勝ち越しゴールを決めた。勝ったからこのコラムも書くことができるが、引き分けていたら何を書くだろう。サッカーとは本当に心臓によくない競技だ。引き分けを覚悟してチクチク胸が痛んだが、勝ち越しゴールで何とか気が晴れた。後半16分に同点に追いつかれた時点では北朝鮮が波に乗っていた。同点にされた後、直ぐに高原、中村を投入するのなら、ゴールを決められる前に交代しておけば北朝鮮のリズムも変わったかも知れない。・・とこれは結果論。この際、3点、4点欲しかったとも云うまい。今日の試合は勝利しただけで十分だ。
2月 10日(木 ) 最近、鉋(かんな)を使って木を削るとかドリルで穴をあける機会が続いた。この時、使用した後の手入れには気を使う。刃の部分には油をつけて拭き所定の収納場所にしまう程度のことであるが、「モノツクリ」には道具の手入れと管理が基本だと思っている(モノツクリは広義に解釈し、農作業、畑仕事の道具も同類)。大規模な工業生産の場では工具の維持管理や検査が品質を左右するが、芸術家の制作のための道具でも同じだろう。書道家は筆の維持管理が欠かせないし、画家も絵の具の後始末や筆をきれいに保つ事は必須だ。道具の拭き掃除をやりながら、パソコン仕事の場合、「道具の手入れ」とは何だろうと考えた。仕事を翌日(次回)にもより良い条件で継続するためにやるべきメンテナンス仕事は? まず、やった仕事を整理して保存、そしてバックアップをとる。必要に応じてソフトのバージョンアップ。時には容量が十分かのチェックも必要か。・・食事の後、台所で洗いものをするように、どんな仕事も「拭き掃除」と「整理整頓」が欠かせない。
2月 11日(金 ) 「今日の作品」に「黒茶碗(陶芸)」を掲載した。これは炭化焼成という技法で焼いたもの。サヤと呼ぶ自分専用の容器(約25*25*25cm)を確保し、この中に作品と炭を一緒に入れて焼成する。鉄分を含む土や釉薬を選択しておくと独特の黒さが得られるのだが、私はこの容器の中に茶碗を二つ、ぐい飲みを四つ、箸置を五個入れて炭化を試みた。今回掲載した黒茶碗も他の作品も黒がほぼ狙い通りに出来上がって炭化は成功だった。このような茶碗は昔から「黒楽茶碗」と呼ばれて茶人の間ではよく知られている。千利休が侘びの茶碗として”長次郎”に作らせたものが源流とされる。楽茶碗とは楽焼き茶碗の意であるが、楽は秀吉が聚楽の楽の字を使うことを認めたことで名前が定着したとされ、また長次郎家は以後、楽家として楽焼きの伝統を伝承してきている(楽家は現代も続く)。楽家が作ったものでなくても「黒楽茶碗」と呼ばれるようだが「黒楽茶碗」はそれだけ魅力的だ。次の機会には肌合いが違った黒茶碗に再挑戦してみたい。
  2月13日分
2月 12日(土 ) 朝7時45分に秩父宮ラグビー場に入る。自転車をラグビー場内の駐輪場にとめてテニスの順番取りのため荷物を置いた後、小1時間喫茶店でコーヒーを飲みながらテニス場の開門を待つ。・・毎週繰り返されるパターンであるが、ラグビーが開催される時にはこの時間から中継車が到着して配線作業などテレビ中継の準備が進められる。今日も中継車が何台も集まってテレビ放映の準備が始まっていた。試合はラグビー日本選手権/学生王者の早稲田対トヨタ自動車の好カードで開始は午後2時予定。このテレビ放映が”問題”となっていたことを知ったのは4時間後だった。昼12時のNHKテレビで「視聴者の要望を受けて午後2時から生中継をする」と特別のニュースを流した。昨日にはNHK(共催)が主催者の日本ラグビー協会に抗議して生中継の中止を宣告していたものだ。ラグビー協会は「我々に非がある」と謝罪したというが、主審の胸にスポンサー名”朝日新聞”の広告ロゴを外させる」という要望はスポンサー(朝日)に承諾されぬままに「生中継」が実施されたようだ。事情はそうかも知れぬが、テレビ画面を一生懸命に見てみたが主審の胸に「朝日新聞」を見いだす事はできなかった。カメラは主審のアップを避けたのかも知れない。勝敗は早稲田が善戦したもののトヨタの勝利。せっかくの生放送で早稲田の勝利を見たかったなあ・・。
2月 13日(日 ) 今日は日曜日。犬の散歩の時に「日の入り」を見た。このコラムでは何度も書いているが、西郷山公園(東京・目黒区/西郷隆盛の弟、西郷従道屋敷跡)の小高い丘の上から今も晴れた日には富士山を望むことができる。夕方、5時15分頃に丁度真っ赤な丸い太陽がみるみる沈んでいくのをアール(コーギー犬)と一緒に眺めていた。この太陽が沈んでいく場所とほとんど同じ位置に富士山が見えるのだが、今日は富士山も丹沢山系の山並みも見えない。それにもかかわらず、太陽がくっきり見えるのが不思議でじっと見つめていると、最後に太陽が隠れる時に山が見えた。直ぐ隣にあるはずの富士を見ることはできなかったけれども太陽がビルではなく山に沈んだことで何かホットした。こんな日の入りを見ているだけで、何とも云えぬ満足感に浸り、幸せを感じるから面白い。自然には人間社会の欲望や悩みなどを超越させる大きな力があるようだ。人間はやはり努めて自然に接しなければならないと思った。都会の真ん中にでも凝視すべき自然は存在する。
「今日の作品」に「黒茶碗B(陶芸)」を掲載した。一昨日(11日)掲載したもののペア作品。そこそこには出来上がったが、余りに有名かつポピュラーな形状であるところが少し気恥ずかしい。

2月 14日(月 ) 一昨日”バレンタイン・デイに”とチョコレートをいただいた。思ってもいなかったのでうれしかったが、何も考えずに昨日中には全部食べ終わっていた。今日になってバレンタイン・デイはこの日であることに気がついた。私はチョコレートが大好きである。最近のチョコレートはどれもみな贅沢の極みに見えて、余程味を楽しみながらじっくりと食べなくては勿体ない・・と思いつつ、二個、三個・・。いつの間にか残りはなくなっていることがよくある。それでもコーヒーには砂糖を入れないなど他の余分な糖分は控えているせいか、幸いに糖尿の気はなく肥満でもない。「聖バレンタインの日」に女性が男性にチョコレートを贈るという習慣がチョコレートの販売促進戦略の中から生まれたということは知られている。けれども、父の日、母の日、その他あらゆる記念日を利用した販売促進の試みがなされるのに、バレンタインデイのチョコレートほど成功した事例は少ない。安価なものから高級品まで選択出来るチョコレートの手頃感や、義理チョコでも恋人チョコでも友人チョコでも贈る相手を限定しない幅広さなど、これだけ普及するにはそれなりの理由があるのだろう。何よりチョコレートをもらって不愉快になる男性はいない。
2月 15日(火 ) 時節柄、税務署向けの書類作りに忙しい。合間に現実逃避したいと「ニーチェ」を繙くとこれが意外に面白い。ニーチェ(1844-1900)は誰でも名前を知っているドイツの哲学者であるが、昨年生誕160年記念コンサートが開かれているほど音楽とも関係がある。13歳で作曲した譜面が残っているというし、20歳頃までは音楽や作曲に関心が強かったようだ。20代半ばで大学の教授となったニーチェであるが、生前はその思想を理解されることはなかった。一方で晩年には精神を病む。ニーチェが44歳の時に「この人を見よ」を書いた後、精神錯乱の兆候が表れ、以後、亡くなるまでの実に11年間狂人として家族が面倒をみたという。「この人を見よ」の「この人」とは自分のことで、いわば自叙伝でもあるが後の狂気を思えば一層壮絶な印象を受ける。次のような目次が並ぶ:「なぜわたしはこんなに賢明なのか」「なぜわたしはこんなによい本を書くのか」・・「なぜわたしは一個の運命であるのか」。他の著書ではこんなことも書いている:「狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である( 善悪の彼岸)」。「芸術こそ至上である。それは生きる事を可能にする偉大なもの。生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である」。もし、ニーチェが音楽の道に進んでいれば、精神を病むことなしに大音楽家になっていたかも知れない。
2月 16日(水 ) カセットテープのウオークマンは完全に過去のものとなってしまった。今また、CD(コンパクトデイスク)やMD(ミニデイスク)に代わって、大量の音楽を収録できるHD携帯プレーヤーが急速に普及している。記録媒体にHD(ハードデイスク)を使うこのプレーヤーは以前と比べて桁外れの性能を持つ。先端を切ったiPod (アップルコンピュータ)は発売3年足らずで300万台以上を売り、他のメーカー(ソニー、東芝など)も加わり、激烈な販売合戦の真っ最中だ。何しろメモリー容量10ギガを装備するi-Podでも2000曲の音楽が入った。いま各メーカーは20ギガ容量など当たり前だ。このプレーヤーが手のひらに入ってしまうのだからプレーヤーの革命である。i-Podは音楽を聴くだけでなく、機能を外付HDとしても使える事が注目されているようだ。アメリカでは医療分野で高解像度画像を見るために高額かつ大型の特殊機器を使っていたところに、60ギガバイトの容量を持つi-Podが使用されたというニュースがあった。超安価、超小型のデータ保存器としての可能性が夢を与えてくれる。
2月 17日(木 ) 今、ニューヨークのセントラルパークで "The Gates"という催しが行われている。催しと書いたが広大なアート展示である。クリスト&ジャンヌ=クロード夫妻(Christo and Jeanne-Claude)の作品であるが、このご夫妻は布を使って公共物を被うというアートで有名だ。以前、日本では田園風景の中に何百本もの傘を配置したアートも見せた。マイアミの島全体を布で覆うとかセーヌ川の橋や国会議事堂を布で巻くなど、とにかくスケールが大きいアートを作る。今回のThe Gatesは高さ5mほどの橙色のゲートを7500本も立てて布を垂らしたもの。< ChristoさんのHPはここ、The Gatesの写真や構造、説明がある。展示は2/12−2/28>・・といっても、私は直接現物を見た訳ではない。それでも、1979年から構想を持っていたプロジェクトをついにニューヨーク市長の許可を得て実現させたとか全く入場料なしで巨大アートを作り上げるなど、そのエネルギーや才覚にはネットで接するだけで大いに刺激を受ける。The Gates作品の方は画像で見るだけでも発想のユニークさに圧倒され面白い。それにしても、やはり本物を見たいなあ・・。
「今日の作品」に「炭化セット」(陶芸)を掲載した。これは2月11日のコラムで書いた「炭化」による作品。写真の下部にみえるイニシアルは”箸置”で遊んだ。

2月 18日(金 ) 今晩から雨か雪との予報なので早めにアール(コーギー犬)の散歩にでかけた。夕暮れ時に代官山(東京)の街をアールを連れて歩くと「かわいい」と声をかけられることがある。今日もそうだった。「かわいい」と云われると私まで嬉しくなるのがおかしいほどだ。日本ではいくら美人が街を歩いていても「可愛いね」とか「きれい!」と直接声をかけられることは少ないのだろうが、若い頃にラテンアメリカ系の国で、女の子に挨拶代わりに「きれいだね!」などというのが当たり前なのを目撃して驚いたことがある。イタリアなどでも半分は礼儀として「お美しいですね」などと平気で云う。Que bonitos ojos tienes!(なんてきれいな目をしているの/マラゲーニアの歌詞)は日常用語でもあるのだ。恐らく声をかけられた女の子も悪い気はしないだろう。日本では以心伝心などといい、言葉で伝達することを軽んずる傾向があるが、私は「褒め言葉」と「感謝の言葉」は声を大にして云うべきと思っている。巧言は必要ないが言葉を発しなければ何を考えているか分からない。「ありがとう」もそんな言葉の一つ。アールの「かわいい」と同じで「ありがとう」の一言を聞くと気持ちが明るくなる。・・なによりコラムを読んでいただき「ありがとう!」。
2月 19日(土 ) 雪にはならないけれども終日冷たい雨が降り続く。こんな時にはゆっくり風呂に入るに限る。風呂に「声を出して読みたい日本語(齋藤孝著/草思社)」を持ち込んで大声を出して読むと、これがまた気分爽快となる。この本は3-4年前に発行されてベストセラーになり続編も沢山出ているが、この本のいいところは一度読むだけでなく繰り返して”声をだして”読むために使えることだ。知識を聞きかじるのであれば速読で斜め読みすればよいが、繰り返して声を出して読むと、身体に豊かな何ものかが浸透するような気がする。この本を使って小学校の一年生のクラスで声を出して読む実践をしたところ、人気があった一つは「論語」だという。今の小学生も論語の名調子を理解する感性は十分に持っているのだろう。多くの子どもたちが、声を出す、音をだす(楽器など)、身体を動かすことをやっているのを知ると未来は明るい。一方で教師を殺傷した少年がゲームソフトを何十個も買い与えられていたとのマスコミ報道。この少年がスポーツをやり、あるいは大声を出す機会があったら全く違う育ち方をしたのでないかと思うが、すでに遅い・・。小学校一年生が好きな論語:「子曰く、学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。友あり遠方より来たる、また楽しからずや。人知らずして怒らず、また君子ならずや」、「これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」。
2月 20日(日 ) 「今日の作品」に「雛人形(水彩)」を掲載した。久しぶりに<MIEUへの絵手紙>として描いたが、妻が直ぐに裏(表かな?)に便りを書いて投函したので、もうMieuのいるニューヨークに着く頃かも知れない。このホームページに掲載するために「雛人形」とタイトルをつけたところで、雛人形とは単独の人形なのかペアなのか気になった。つまり女雛はいかにも雛人形の感じであるが男雛には存在感がなくて単体でも雛人形なのかなどと思う。どうでもいい話であるが辞書を引いた。雛とは一つはひよこ、それに「女児などの玩具とする小さい人形」とある(「小さい意」もある/広辞苑)。歴史からみても男子と女子の一対の立雛(紙雛)が原型とされているようなので一対で雛人形と呼んでいいのだろう。呼び名に疑問を持つほどに私はこれまで雛人形には縁がない。そういえば子どもの頃も男兄弟の中で雛人形など見た覚えはない。その反動かもしれないが、今になってこんなデフォルムされた雛人形でも細かく描いていると着物や持ち物に次々と新発見があり楽しかった。

2月 21日(月 ) 妻と共通の空き時間がとれたのでMOA美術館にいった。熱海のMOA美術館(=ここ)は、ほとんどの美術館が月曜は休館日であるところで、月曜日も開館している数少ない美術館の一つだ。お目当ては尾形光琳の「紅白梅図屏風」(=ここ、3/9まで展示)。比較的空いていたので、この有名な国宝の屏風を思う存分時間を取って見ることができた。この絵の特徴は何と云っても計算された構図の大胆さだ。右の紅梅は足でしっかり大地を踏みしめて成長する若さを思わせるかと思えば、左の白梅は風雪に耐えてまだ咲き誇る老練さをみせる。その具象的な対比の間に流れる中央の川は全く抽象の世界である。色を抑制しながら単純かつ剛胆なデザインは見ていて飽きることがない。細かいところでも色々な発見があった。例えば、梅の枝など思ったより精緻に描いていない。印象派の絵画のように近くで見ると写実とは異なる。細密画風に細かく描く流儀ではなく、光琳にはこだわりなど捨て去った無心の境地がみえた。・・この美術館で更に思わぬ名品に巡り会って感激した。長次郎作の黒楽茶碗「あやめ」である(長次郎と黒楽茶碗は2/11のコラム参照=ここ)。見たとたんに、千利休が使ったとされる「あやめ」がMOA美術館に展示されていることを思い出した。陶芸をやる人は「あやめ」を見るためにこの美術館を訪れると聞いたことがあるが、この黒茶碗も見ていると時間を忘れる。今日は何か随分贅沢をした気分だ。
2月 22日(火 ) 陶芸を鑑賞する際に「景色」という独特の言葉を使う。私の作る陶芸作品はフォルムを楽しむことが多いので景色には余りこだわらないが、お茶碗などを製作する際に景色のよい作品を追求している人は多い。景色とは釉薬の流れ具合とか微妙な色の変化など自然(火の力)が作り上げた造形物に対して、見る人がこれはいいと思うのを「景色がいい」と云う。面白い事に「景色」は完璧でないことを評価する。いわば「あばたもエクボ」の感性である。国宝級の茶碗でも釉薬のムラとか成り行きでできた色、凹凸やゆがみなど何でもが「景色のいい」材料になる。人間も「景色」の見方をすると気が休まる。完璧な人間などいないし誰もが欠点がある。しかし、適度の欠点や傷は「景色」として見ると「面白い」とか「味」に転化出来る。問題は陶芸にしても人間にしても景色がいいと見るか、欠陥とみるか評価する方に感性が問われることだろうか。陶芸では二つと同じ物がない手作りの作品に「景色」がある。量産品の茶碗には欠陥もない代わりに鑑賞すべき「景色」もない。やはり二つとない景色があるのが人間であろう。
2月 23日(水 ) 日本語によるシューベルト「冬の旅」を聴いた(2/23@紀尾井ホール<東京>)。しかも地引憲子さんというメゾソプラノで、大倉正之助の大つづみとの競演(ピアノは渕上千里氏)。シューベルトの「冬の旅」はミュラーのドイツ語の原詩に曲がつけられたもので、普通はフィッシャー・デイスカウ(バリトン)やハンス・ホッター(バス)の男性の太い声が耳に残っている。地引憲子さんは数年前からこの「冬の旅」を女声の日本語で歌うことを試みている。歌詞は「シューベルトの歌曲を母国語で歌い広めよう」と提唱し続けた実吉晴夫さん(シューベルト協会を創設した人でもある/2003年1月に逝去/この人の残したホームページがすごい=ここ)。さて、満員の熱気溢れた会場で聞いたこのコンサートは歌とピアノと鼓(つづみ)のコラボレーションというのがふさわしい。お馴染みの冬の旅全24曲が鼓と和の謡との掛け合いで歌われるのが日本語、しかも、その日本語の詩が実に自然ですばらしい(翻訳の詩はとかく歌にマッチしない場合が多いが実吉さんの邦詩は本当に歌と適合している)。鼓と和謡とシューベルトが一体になって、生まれ故郷(ドイツ)では接することのできない独特の「冬の旅」が出来上がっていた。日本という国でこういうことができる土壌の豊富さを改めてありがたいと思う。このところ譜面を開くこともなかった「冬の旅」を歌いたくなった。今度は実吉さんの邦詩で・・。
2月 24日(木 ) あるアメリカのドクターが「あと20年で不老不死の時代が到来する」と主張しているとの記事があった。この50代半ばの学者は永遠の命を手に入れることのできる時代まで生き残るため今から「毎日250のサプリメント<栄養補助剤>と10杯のアルカリ水を飲み・・」とあるから、もはや冗談を通り過ぎて勝手にしろの話になる。この種の学者の売名はよくあることだが、この記事には未来の明るさのかけらも見えない。不老不死がそんなに欲しいのか、永遠の命をもらって何をするのか、本人でさえ生きて何をやろうとするのか分かっていない。死はそれほどに忌避するものか。人間が動物とは違う人間らしい生き様をみせたとか美しいものを残したというものは、ほとんどが「死」を意識した結果のように私には思える。だから31歳で早逝したシューベルトの曲も、37歳で亡くなったゴッホの絵や宮沢賢治の文学も、生きた人生の長さと関係のない価値を持つ。偉人でなくても死の到来を意識するからこそ生きる時間に充実感がみなぎるのだろう。人間は、いや生物全てが、いつかは命がなくなることに例外はない。だから生きる意味がある。サプリメントを飲むことを生き甲斐にして命だけ生きながらえるなんてつまらな〜い。
2月 25日(金 ) 自分で思いついたアイデイアは極力その場でメモをする。朝目覚めてまだ布団の中にいる時に突如考えが浮かぶことがあるが、こういう時にも起きて素早くメモしないと案外に後で思い出せないものだ。陶芸ノートにもその時々の思いつきが書き込んである。実際に形を成してモノができていることもあればアイデイアだけで実現していないケースも多いが、後で見てみると自分ながらこんなアイデイアもあったのだと結構面白い。今朝も目覚めの時間に興奮したように次々と構想が頭をよぎった。といっても、独創的なアイデイアではなく、ありふれた家庭用のお皿を陶芸で制作する段取りを思いついたに過ぎない。型板をどうするとか、変形を防ぐサポートをどうするとか、配色や模様についてのイメージなど。そして本日、2時間を費やした陶芸制作の成果は小皿7枚。自然体でだたシンプルに造り上げただけの作品だが、粘土の皿の形を見た段階で、配色と模様は当初メモした内容を大幅に変える決心をした。構想とかアイデイアといっても制約されることは一つもなく、その場で自由自在に変更して完成させることができるのが何よりうれしい。
2月 26日(土 ) 国産大型ロケットH2Aの打ち上げを陰ながら応援している。1年3ヶ月前、打ち上げに失敗するとここぞとばかりに何もしない連中が非難を繰り返すので、こちらは失敗のない開発などあり得ないと援護したくなった。今回はまず一昨日24日の打ち上げ予定が、天候不順で今日26日に延期された。本日午後5時9分に打ち上げと随分細かい時刻まで発表されて順調に打ち上げ準備が進んでいると思っていると、今度は地上と機体との通信に異常が生じたため6時25分に変更された。実は5時9分に間に合うように外出先から帰ってきたのだが、いま6時過ぎ。打ち上げの生中継をみる準備完了である。・・と打ち上げ中継を待っていたが、6時25分、どこのテレビでも生中継などやらない。結局、はじめに打ち上げ成功を伝えたのは7時のNHKニュース。ニュースであるといっても既に分かりきっている結果を聞くのでは生のドキドキ感はない。この瞬間の勝負をしているという緊迫感がなければ「打ち上げ成功、おめでとう!!」と拍手する感動もまたないことを今回体験してしまった。テレビを過度に期待してはいけない。
2月 27日(日 ) 親戚の家にいったついでに近所の住宅街を散歩した。陽を浴びながら東京(大田区)の典型的な住宅街をゆっくりと歩いたのだが、目にする一軒一軒の家が面白くて小1時間飽きることがなかった。私の家は住宅街というより商業地区に近くてマンションやアパートは林立しているが、どの方向にも数分歩くと商店街や大通りに出てしまう。近所に一戸建ての家をほとんど見ることのない目からすると、この日みた住宅街は別世界に見えた。まず、それぞれの家に皆個性がある。一つとして同じ建物はなく、”これがマイホームです”といった愛情がにじみでている。規格品の建て売りではなく設計士と相談しながら自分の好みの家を建てたという雰囲気が感じられるものが大部分だ。勿論、東京の住宅地のことであるから隣接する家とのスペースは広くはないが、碁盤目状に通る8M道路までいれるとゆとりの空間があり空も広く見える。そこには生活の基盤が定着した豊かさを感じた。一方、私の周辺では仮住まいでの仕事場とか活動の場といった雰囲気はあるが”永遠性”を感じることがない。自分の住む共同住宅に不満はなく感謝あるのみであるが、“マイホーム”が羨ましくなったのは確かである。
2月 28日(月 ) 今日、2月28日は千利休の命日である。天正19年(1591)時の最高権力者、秀吉の命で、これも天皇から「利休」の名前を拝領したほどの天下の茶人、千利休が切腹させられたのであるから、茶人の死としては稀な歴史に残る日として記憶されることとなった。秀吉は利休が頭を下げて詫び、命乞いをすれば許してやる心づもりだったなどと後世もっともらしく解説されるが、もし、利休が土下座をして命を長らえていたらどうなったかを考えてみるのは面白い。69歳で亡くなった利休が仮に秀吉が病死した1598年まで生きたとして76歳。その余生に茶人として新たな意味ある実績を残すとは思えない。しかも自刃を免れた利休の評価は格段に低下するだろう。切腹を命じられた利休が静かに最後の茶会をひらく。使う茶杓は自作の「泪(なみだ)」・・など、切腹を受け入れたからこそ利休神話ができあがる。そんな「もし」も含めて全てを利休は感知していたのだろう。歴史を見るとわずかな余命に代えて名を残したケースは多い。
「今日の作品」に「ひな祭り」(パステル、色鉛筆など)を掲載した。タイトルは思いつき。こういう遊びは一番楽しいが、孫娘の反応はどんなものだろう・・。

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