これまでの「今日のコラム」(2005年 5月分)

5月1日(日) 珍しく妻がダウンしている。昨晩から24時間一度も食事をとっていない。私なら腹を空かせて動く事もできないだろう。このところの真夏のような暑さのために花粉症と過労との合併症が一挙にあらわれたと私は診断したのだが本人は原因の追及など関係なしに眠っている。どちらにしても他人に対しては「ゆとりが肝心」と云いながら自分はオーバーワークというよくあるパターンでないかと思う。今夜の夕食は自分でカレーライスを作って食べたけれども、自分のこと以外には何もやってやれない。もどかしさを感じても所詮他人の身はどうしようもない。それにアイデイアとか創造といっても周りと共に健康でなければ頭も鈍ることがよく分かった。今日から5月/皐月。皐月躑躅(さつきつつじ)の花言葉は「協力を得られる」。
5月2日(月) できることなら喧嘩はしたくないが、「闘争心」はいつまでも持ちたいと思う。”争う”ことにエネルギーを使うことはないともいえるが、例えばスポーツには闘争の面白さがある。野球の試合がただの仲良し演芸ショウと違うのは闘争心や気迫があるところだろう。最近の自分のテニスなどは「闘争心」がなくなって惰性のプレーだけで進歩が止まっている。闘争心が「向上心」に代わってもいいから何か挑戦する目標が欲しい。「モノツクリ=作品作り」についても同じことを思う。難しい課題に負けるものかという闘争心がなければ、自分に妥協して際限なく”甘い”結果となってしまう。この場合の闘争の相手は自分自身でもある。自分の作品でも闘争心が湧きでて見えるものを作ってみたい。
5月3日(火) 珍しく朝から工作に励んだ。といっても、コンピュータの組み替えとか電子機器の工作ではない。ハンダ付けをしたり鋸(のこ)で木を切るなど半世紀前の子供の頃にやったのと同じレベルの工作である。私の場合、適当に設計をした後、自分で一つ一つ部品から作る。時間がかかる割に仕上がりも大したことがないので、毎回既存の「工作キット」が如何に安価に上手にできているか感心する。最近、「大人の科学」(学研)がよく売れるという話をきいた。中学生の頃「子供の科学」を愛読していたので、その雑誌の名前もまた懐かしい。「大人の科学」を実際に購入したことはないが、確かにカタログを見るだけでもワクワクするところがある。「からくり段返り人形(5980円)」、「スターリングエンジン(9800円)」、「動物型ロボット/カニ(5980円)」など。これだけ複雑なメカを自分で作ろうとすると手間ひまを差し引いても何倍もの費用がかかるとは思う(このキットの製造は中国であるようだ)。けれども自分がもし学研シリーズを購入したとして、それからが”大人の趣味”の始まりとなる気がする。江戸時代の名品のからくり人形や190年前に発明されたエンジンをお仕着せのキットで作るのでなく、何か現代のプラスアルファが欲しい。・・これも言うは易く行なうは難し。
5月4日(水) 「ヒルサイドテラス白書(住まいの図書館出版局)」を読んでいると共同住宅の管理について面白い表現が目についた。ヒルサイドテラスというのは東京・代官山の集合住宅と店舗などが一体になった街の一区画である。建築家、槙文彦氏が一連の建築群を設計し(一期工事の完成が1969年)品位ある建築やゆとりの空間と共に都市文化やライフスタイルの面でも注目され、今も代官山のシンボル的なゾーンとなっている。そのヒルサイドテラスの管理・運営の特徴は「ルーズさと寛大さ」であるという。ヒルサイドテラスには普通のマンションやビルのような細かな規則はないそうだ。なるほど、時に犬を連れてヒルサイドテラスの住宅棟の奥を通ることもあるが一切とがめられることはない。それでいて犬の糞が残っていたりすることもない。「規則なし」で社会生活ができるほど豊かなことはないのではないかとつくづく思うことがある。それは共通の価値観と常識の中で生活出来ることだ。現実には、何でもかんでも規則を作ってお互いに住み難くすることが何と多いことか。ヒルサイドテラスの少し先にある公園には規則の大好きな目黒区役所の巨大な看板が並んでいる:「・・灰皿の設置してある場所で喫煙のこと」、「打ち上げや大きな音のでる花火は禁止」、「犬の糞は持ち帰って」・・。ヒルサイドテラスの品位と豊かさが最小限の規則と「ルーズさと寛大さ」で保たれていることをもっと学ぶべきでないだろうか。
5月5日(木) 今朝、目が覚めると猛烈な腰痛で歩くことができない。夜中には異変を感じて一旦トイレにそろりそろりと摺り足で行った後、布団に入って寝ようとしたが、腰回りや背筋が落ち着かず睡眠も十分とれなかった。実はこのところ朝起きた時に左の腰に痛みを感じることがしばしばあったが、大抵は朝の犬の散歩に行って帰る頃には気にならない程度に回復していた。今朝はこれまでより格段に痛い。どんな格好をしても痛みはとれず我が身も終わりではないかと色々なことが頭をよぎる。今日のテニスの約束は勿論キャンセル、ニューヨーク行きの航空券はどうしよう、ヤンキースタジアムの切符も無駄になるか・・。壁に手をつきながら風呂場までたどり着いて、とにかくも風呂に入ることにした。湯船に入るだけで一苦労だったが風呂に浸かった。すると10分ほどすると関節が突如スムースに動く。風呂を出る頃には劇的な回復でそこそこには歩けるようになってしまった。テニスをキャンセルするために電話した友人から「原因が分からぬ腰痛は内臓疾患や癌を疑ってみる必要がある」と教えられた。腰痛が膵臓がんの予兆だった事例などが多いそうだ。それでは自分の腰痛の原因は何であったか。よくよく考えてみた末に、最近、我が家のコーギー犬、アールに優しくする余り、一緒に寝ることによるのでは、と思い当たった。そういえば夜中にすり寄ってきたり、身体の上に乗っていたりすることがある。昨晩も脚が重いので目が覚めて蹴っ飛ばしたっけ。推理はしたが確証はない。アールが原因であれば、膵臓がんの検査はしなくて済むけれど・・。
5月6日(金) 昨日のコラムで「腰痛の原因がアール(コーギー犬)の可能性がある」ことを書いたので今日も腰痛のことを書かない訳にはいかない。アールは濡れ衣とまではいかなくても原因は他にもありそうだ。昨夜はアールの影響がないように万全を期して就寝した。ところが今朝起きた時に昨日の朝と同じことを繰り返すこととなった。普段のようにアールと夜の散歩にも行って床に就く時には腰痛の気はなかったのに起床した時に歩けないザマ!これも昨日と同じく風呂に入って回復したがますます訳が分からなくなってしまった。少なくともアールが夜中に身体を押さえ付けることなしに一晩で発症する。そうすると原因はベッドの堅さとか寝る姿勢か。遠因を考えると、テニスで頑張り過ぎたとか、腹筋体操を無理してやったとか、パソコンを同じ姿勢で続けたとか、いくらでも思い当たる。ここに至って「膵臓がん」の予兆も気になってインターネットで調べてみた。膵臓がんの自己チェックというのがあって確かに「腰痛」の項目がある(膵臓は胃の後=背中側にあるので異常があると腰や背中が痛くなる)。ただし、他のチェック項目「血糖値が高い」「腹痛が続く」「体重減」「疲れやすい」「食欲不振」「喉が渇く」「排尿の回数増加」は白であるので可能性は低いか?やはり骨や筋力面からの治療が最優先とすると最高の腰痛対策は「歩く事」だという。そう、毎日の散歩を一緒にするアールは私の健康の基なのだ。アールよ、ごめん。
5月7日(土) 「今日の作品」を一週間も改訂していなかったので、今日は「トルコ桔梗<mieuへの絵手紙>」を描いて即掲載した。この絵もそうであるが身の回りにある対象を素直に描くには1-2時間の時間を割けばできる。本来は毎日そのような作品を「今日の作品」にするつもりであったが陶芸やその他時間のかかる作品を掲載しているうちに絵の作品が疎かになってしまった。このところ何の作品創りをしているか、毎度ながら皮算用を披露してしまうと、「陶芸によるキデイランド」に挑戦している。メカや仕掛け付きの陶芸の前段階として仕掛け作りから始めているが、完成品を見るのは何ヶ月先になるか予想がつかない。部分的な「作品」を途中で掲載しながら最終的にいくつもの部品を寄せ集めて完成させようかと考えている。いずれにせよ、こういう作品を「今日の作品」とする訳にいかないので、やはりもっと絵を描きたい。「今日の作品」に掲載した「トルコ桔梗」の原産地は北南米でトルコとは関係がないし桔梗科ではなくリンドウ科。トルコの由来は色がトルコ石に似ているとか花の形がトルコのターバンに似ているとかの説があるようだ。花言葉「優美」そのままに、色と形が清々しく美しい。

5月8日(日) ヨドバシカメラ、ビッグカメラ、カメラのサクラヤ・・これらの店をナニヤさんと呼べばいいのだろう。皆カメラの名前がついているが”カメラ屋”さんではピンと来ない。電気屋さんでもパソコン屋さんでもない。とにかく、カメラ、パソコン、電気品その他何でも取り扱いの安売り量販店を時々見ていないと時代遅れになってしまう。プリンタのインクとか印刷用紙などを求めに行くことはよくあるが、先日時間があったので他の売り場をゆっくり見て回ると改めて商品の進化に驚かされた。デジカメは10社以上のメーカーがひしめき、余りに機種が多く特徴を比べることも容易ではない。500万画素で胸のポケットに入る超薄型デジカメなど見ているだけでワクワクする。デジカメ以外ではICオーデイオが目を引く。特にICレコーダーはすごい。万年筆二本分相当の超小型のレコーダー、40グラムそこそこの重量で10-30時間も録音できるモノが世の中にあること自体が驚異的だ。しかし、どの商品も”ハード”はすばらしいが使い方が問題だろう。テレビの画像がますます鮮やかで上質になる一方で、番組のつまらなさばかり目立つ状況をみると機器を作るよりも番組(ソフト)作りが如何に難しいか分かる。ICレコーダーなど個人の知恵でまだまだ用途の拡大ができそうだ。よ〜し、これからICレコーダーの活用を考えよう。
5月9日(月) 今日のニュースに「お天気キャスター森田さん、台風観測法見直しを訴え」という記事があった(読売/サイエンス=ここ)。気象予報士が気象庁に注文をつけるのは珍しいが大いに歓迎したい。気象予報士という仰々しい資格がありテレビ局のお天気番組にはそれぞれに”予報士”さんが天気の解説をするが内容には個性がない。科学的な予報であるから個人差などないのが当たり前というのであれば、どうして皆がハズレの予報を出すのだろう。昨日の東京は快晴で気温も上がる予報であったが午後になってもどんよりとした曇り空で肌寒いほどであった。お陰で風邪を引きそうになったが予報士さんはハズレをコメントしない。普通は自分が住んでいる狭い地区の天気を知りたいのに、日本列島は晴れ間になるとか関東地区は快晴など予報範囲が大雑把過ぎるのも問題だ。例えば東京南部(××区、△△区)については自分の分析では○○と予想されるなどと予報士さんが競って主観をいれて予報する。そうするとAさんのこの地区の予報は全幅の信頼ができるとか、Bさんは天気図の解説しかできないとか、視聴者は気象予報士の選別をできて面白い。気象予報士は株価全般の動向を予測する役所の係でなく、個別の株が上がるか下がるか自分の全能力を傾けて判定する相場師的な係であって欲しいといえば期待し過ぎだろうか。
5月10日(火) エッシャーといえば誰でも不思議な幾何学的な文様やだまし絵などを思い出す人は多いに違いない。オランダ生まれの画家、M.C.エッシャー(1898-1972)は、あり得ない図形、だまし絵、次ぎ次に変容し循環する構図など特異な画風のため美術界からは異端視されていた。その作品をはじめは科学者や数学者が注目し、タイム、ライフなどの雑誌もエッシャーのことを取り上げるようになり一挙に国際的に知られるようになった(作品の評価額は100倍になったとか)。私も昔からエッシャーの独特な絵とか文様は大好きだった(エッシャーの公式HP=ここ=は見ていて飽きる事がない)が、先日このエッシャーの父親が明治政府に招聘されてオランダの土木技師として5年間(1873-1878)日本に滞在して、多くの港湾治水事業に貢献したことを知った(清水義範著の本にて)。三男であるM.C.エッシャーは父親が土産として持ち帰った日本の唐草模様などの文様に幼児期からよく馴染んでいた。そう云われれば確かにエッシャーの文様には日本の香りがする。エッシャー自身は日本に来たことはないというが成長期に受けた潜在的な日本の文化の影響がエッシャーの独自性を生んだとみると愉快である。
5月11日(水) 「エアプランツ」を一株買ってきて育てている。この植物、見たところは小さな多肉植物のようでそれほど違和感はないが実に奇妙な生き物だ。宣伝では「空気で育つ不思議な植物」と称されているが、空気中の水分を葉から吸収して生きる。湿度60%程度の風が流れている環境では一切水やりの必要がなく、土もいらない。アメリカ南部から南米アルゼンチンに広く分布するアナナス科のチランジア属の植物だそうだ。元来は岩石や樹木に”着生”しているというが、着生というのは場所を借りるだけで養分を吸うとかではないので家庭でもどんな容器に入れておいても湿度だけ気をつけていると育つ。まだ育て始めて2週間ぐらいしかたっていないが、とにかく生命力が強い。今は草花を水に付けた水盤の中に水上数センチまで持ち上げた針金の台を作りその上(水には触れない所)にエアプランツを置いている。このエアプランツ、種名は「スカポサ」とか。これからどう育つか楽しみである。
5月12日(木) このところ「動くアート」を考えている。アイデイアを図面化する一方で調査したり見学をすることもある。今日は東京・赤坂のオープンスペースに展示されている「重力アート」とでもいうべき名品を見に行ってきた。いわゆる「キネテイックアート=動く芸術」は、ほぼ100年前、20世紀の初めに彫刻の新分野として草案されたものだ。私はモビールが好きで30年も前に買ったモビールをまだ居間に飾っているが、”モビール”も米国の彫刻家カルダーが制作した一連の空気の流れに応じて動く作品に付けられた名前と云われる。自然の力を使って動くものとしては昔から水車とか風車、風見鶏などがあるが、今みると実用性を除いても「芸術的」というべき姿・形をしている。まさにこれらはモビールのハシリなのだろう。現代は自然の風や水を動力として利用する「動くアート」は多い。私はこれに「重力その他」を加えたいと思っている。IC時代のいま、ロボットで決めた動作をさせるのは容易になってきている。こんな時に風まかせ、自然まかせの動きはなぜか気がなごむ。
5月13日(金) 3日ほど前にTBSの公式ホームページの編集長コラム「ダッグアウト」が読売新聞のコラムを盗用していたとの報道があり、これに対してTBSは調査の結果、外部委託のフリーライターが盗用していたと弁解した。直ぐその後、編集長が執筆したにもかかわらず外部ライターが書いたように(編集長が)偽装工作を行なっていたことが発覚してしまった。TBSは今日のホームページでこれまでの「コラム」147本全てを改めてチェックした結果、盗用した新聞記事は合計35本に及ぶと発表し謝罪している。私としては「盗用」とはどんな盗み方をしたのか興味があったので「ダッグアウト」を見たいと思ったが最早掲載されていなかった。コラムを書くことで給料をもらっている編集長のやったことは論外であるが、私も毎日コラムを書いていると話題に困ることもある。TBSが盗用したという読売、毎日、朝日のコラムも読むが文章をそのまま使いたいと思うことなどない。ただ新聞記事などニュースの転用は(今日のように)やるがこれは盗用とは云わないだろう。絵画のニセモノは自分で描いたものを名のある他人のものという。文章のニセモノは他人が書いたものを自分のものという。ニセモノ作りはいずれも最も面白い自分の仕事を捨てている。勿体ないことだ。
5月14日(土) 「今日の作品」に「片口(陶芸)」を掲載した。実のところは二週間前に本焼に出した陶芸がもうできているだろうと陶芸教室に行ったのだがまだ窯の中だった。「今日の作品」を改訂する材料がないか見直したところで「片口」が未掲載であることに気がついたのだ。この片口、幸い妻が気に入ってくれて食事時にいろいろと活用されている。けれども私としてはこの入れ物、完成はさせたけれども当初思っていたものとは全く異なる姿となって生まれた不肖の子のごとき作品である。土は信楽特漉(白)と鬼板(茶黒)を使っている。初めは実験的にこの二種類の土を風船の上に交互に塗り付けて極めて薄い層を作ろうと思った(二種の土をブレンドした層も入れた)。土の厚さと乾燥が非常にデリケートでうまく層を作ることができない。これは失敗と認めたが捨てるのは勿体ないので、それならばと層にこだわらず粘土を追加して片口の形状に仕上げた。更に釉薬をかける段階で糸を使った線描とか自分としてはいくつか新しい試みをしたのだが、これらも透明釉薬でほとんど洗い流されるなど試みは全て失敗したものだ。しかし失敗は成功の元(or成功の母)。この片口は貴重な経験をさせてくれた作品でもある。それに不肖の子が本人より優れていることだってある(不肖の「肖」は”似る”の意)。親に似ない子の方が見所があるかも知れない。

5月15日(日) 余りに身近であるとその価値に気がつかないことがある。今日は自宅周辺の「坂道」を見直すこととなった。今朝のアール(コーギー犬)の散歩は坂道のコースを選んだ。家から2-3分で「別所坂」を下る。目黒川(東京)に沿って歩き、帰りは「目切坂」を登って戻る(時には「新道坂」を通って帰ることもある)。また別所坂ではなく「観音坂」を下って恵比寿ガーデンプレイスの方面に行く散歩コースもある。どの坂道にもそれぞれの顔と成り立ちがあるのが面白い。別所坂は自動車の通れる幅はあるが急な坂のために車は通行止にしている。「坂道ランキング」というサイト(=ここ/世の中いろいろなサイトがあるものです)によると、東京23区の中で別所坂が傾斜ランキング2位、総合ランキング2位であるので都内でも有数の急坂であることは確かだ。更に別所坂は江戸時代には坂の上に「新富士」とよばれる築山があり安藤広重が版画「名所江戸百景」に描いた富士のみえる名所でもあった(いま、この地=KDDI跡地に大マンション建設中)。「目切坂」はやはり江戸時代に石臼の目切りをする石工が住んでいたのでこの名前がついたという。旧鎌倉街道(源頼朝が鎌倉幕府を開いた時、有事の際に”いざ鎌倉”と援軍が駆けつけるための道)の一つで坂の上に「富士信仰の元富士」があったのも別所坂と同類だ。馬頭観音がある「観音坂」は新富士から別所坂へ至る坂。・・坂道の歴史を知るといつも通る道が違ってみえる。道ばたのお地蔵様もありがたく思わず手を合わせた。
5月16日(月) 起床時に腰痛で歩けない症状は整体所にも通いかなりよくなりつつある(5月5日、6日コラム参照)。念のため病院の整形外科で診断してもらったところ「こんな腰痛は病気ではありません」と軽く一蹴された。その時は現に激痛で動けない症状を「病気でない」ということはないだろうとカチンときたのだが、あらためて「病気」の定義は非常に難しいことに気がついた。「病気」を辞書で引くと「生理(精神)状態に異常が起こり苦しく感じる状態」(新明解/三省堂)とある。この定義だと腰痛も病気になる。けれども本人が「苦しく感じる」ことはもちろん全く自覚がなくても精神病という病気であることもある。肥満症はどこからが異常で病気となるのか、近視は病気とは云わないか、認知症は病気として治療できるのか、症候群は・・など次々に病気とは何かの疑問が湧く。結局は病院が疾病とか疾患という言葉を使って限られた範囲の「病気」しか扱えないのではないかと思える。治療法の確立した病気は人間の異常のほんの一部でしかないとみるべきだろうか。
5月17日(火) バブルの時代(1986-1990年)は過去の話かと思っていたらそうでもないのかも知れない。少なくとも、以下の話題が2005年5月の新聞やインターネットを賑わしたことを後世の人が見るとこの時代をバブルと思うに違いない。先ずは昨日発表された昨年度の高額納税者のニュースでサラリーマン氏が自分の稼ぎで番付トップになったこと。投資顧問会社の46歳の部長さん、何とこの一年で100億円の所得があり税金を37億円納入した。高額納税者では俳優・タレント部門1位みのもんたの稼ぎは5億1千万円(推定)<納税は1億8千万円>というのも司会業のバブルであろう。納税額はさておきプロ野球・巨人の清原選手は坊主頭と耳に付けたピアスが気になる。このピアス4百万円とか。一昨日宮里藍(19歳)が女子ゴルフでぶっちぎり優勝を果たした。優勝賞金は2160万円。昨日発売されたジャンボ宝くじを1000万円分買った人がいるそうだ。・・他人様の懐具合やお金の使い方をどうこう云う筋合いではない。10数年前のバブルと云われた時代にも自分は全くバブルには無関係であった。「金は天下の回りもの」と若い頃は言ってみるものだが、今はそれほど回らないことを知っている。バプルと縁がないのも気楽ではあるが泡の一粒ほどを潰してみたいと思うこともある。
5月18日(水) 日本で生まれた「数独」というパズルを知らなかった。数年以上前からマニアの間では愛好されていたようだ。私が知ったのは「Su Doku」のタイトルで紹介されたこのパズルが今イギリスで大ブームになっているという報道による。イギリスでは「Su Doku」をほとんどの新聞が掲載し伝統あるクロスワードパズルをしのぐ人気だという。「数独」は9×9(=81)のマスの中に縦横どの列にも1から9の数字をだぶることなく入れる、同時に縦横3列のブロック(計9個)にも1から9を一個づついれるというパズル。計算不要で数字の配列だけを考えるものだが、言葉で説明すると分かり難いがサンプルを見ると直ぐにルールは分かる。「数独」をgoogleで検索すると何と116万件もでる!(余りに件数が多くてどれが推奨版か分からないけれどもgoogleで最初の参考サイト=ここ)この「数独」も百ます計算(これも日本生まれ)と同じく脳の活性効果があると云われる。いくつかを実際にやってみたが確かに集中して考えるし奥が深くて面白い。長時間飛行機に乗る時など携帯すると退屈しないかも知れない。やることの種は尽きず・・。
5月19日(木) 最近、清水義範の小説を読んでいる(といっても妻が図書館で借りてきた本を拾い読みしているのだけれど)。この作家の名作とされる「蕎麦ときしめん」も遅まきながら読んだ(1984年著)。これは東京の蕎麦と名古屋のきしめんの特徴を比較しながら名古屋人の習性を徹底的に揶揄したもの。実に面白いのだが当時の日本人論を思い出した。山本七平(イザヤペンダサン)とか司馬遼太郎ほか多くの著者が日本人の特性を論じた。それぞれに納得するところ教えられるところもあったが、いずれも平均値はそうかもしれないが例外も多いと感じた。名古屋人であれ日本人であれ集団として平均的な特徴を外れたバラツキがあるのが当然だ。集団の特性の分布状態は時代と共にどんどん分散型になっていくというのが私の見方だ。明治の頃には出身が薩摩と長州では大変な違いだった。名古屋人の習性を面白く読んだとしても今は誰も名古屋出身を気にもしない。世界の中で世界人として活躍する日本人はこれからますます増えるだろう。郷土愛やアイデンテイテイー(=自分という存在の独自性についての自覚/by 新明解)も必要だが地球レベルの社会ではむしろ人間の共通事項に目を向けたいと思う。
5月20日(金) 午後3時前に時間が取れたので突然ゴッホ展に行くことにした。東京国立近代美術館で開催されているゴッホ展は明後日22日まで。ネットで調べると金曜日の閉館は夜の8時。時間は十分過ぎるほどある。直ぐに地下鉄に乗り竹橋(大手町の隣の駅)まで所用40分。ところが美術館の前までいって驚いた。美術館に入るために長蛇の列。何と70分待ちと掲示がある。デイズニーランドや万博ではなし、70分も並んで美術館に入る趣味はない。電車賃が無駄になったがUターンして家へ引き返した。悔しいので「ゴッホ美術館」のことを書こう。今回のゴッホ展の展示作品の大半は以前オランダのゴッホ美術館で見たことがある。アムステルダムの駅前でバスに乗りゴッホ美術館に行くか確かめたところOK。どこで降りるのか不安に思っていたら運転手さんが美術館の前で親切に教えてくれたのを覚えている。勿論、ゴッホ美術館ではゆっくりと鑑賞できた。日本人の観光客が団体で大勢来ることがあったが30分もすると一挙に消え去ったのも思い出だ。・・今日はゴッホに再会出来なかったがゴッホに出会う時私はいつもゴッホの絵は生前一枚も売れなかったことを思う。世の権威から一切認められることなく失意のうちに37歳(1890年)で自ら命を絶って100年以上を経たいま東洋の島国日本で自分の絵をみるために長蛇の列ができる。ゴッホは何を思うだろうか。
「今日の作品」に「チーズ切り板A(平皿)」<陶芸>を掲載した。単純な板皿であるが白化粧や釉薬、文様
について自分なりに新しい試みを加えた。
    5月22日分

5月21日(土) ニューヨークに住む娘から伝統的なオモチャなど何か日本独特のものが欲しいとリクエストがあった。孫娘の幼稚園で日本について話をする機会があるのでその材料にしたいという訳だ。来週渡米する際に持って行ってやろうと思って、さてどこで日本の伝統オモチャを売っているか考えたが直ぐには思いつかない。デパートでは扱っていないし浅草まで行くのは遠い。結局、明治神宮の売店で剣玉や他の"traditional toy"と記載されたオモチャを購入した。この神社の売店は外人観光客用に和風の商品を揃えている。観光用でなければ都心の店で日本的な商品を買えないのは奇妙であるがこれが現実だ。ちなみに富士山の絵はがきなどを探したが見つけられなかった。成田空港で買うのが簡単か。それにしても外国で日本の紹介をするのは難しい。ソニーとトヨタ、「千と千尋」は大人向き。幼児にはやはりお菓子を配るのが一番かも知れないと思って「きのこの山」を沢山買った。
5月22日(日) 今日は「藤城清治展」のことを書かない訳にはいかない。いつも行くスーパーの隣に最近新築されたカルピスの新本社がある。そのロビーで影絵作家、藤城清治氏の作品展が開催されていた。入場無料というので軽い気持ちで入ってみたが、これが絵画での著名人の展覧会などを遥かに超える迫力があるものだった。影絵作家として時々は氏の作品を見たことがあるはずであるが私としては全く認識不足だった。藤城清治氏の作品は写真や印刷物でみるのでなくやはり影絵で映し出してみるべきなのだろう。影絵といっても芸術性が高く独創性に溢れているのは勿論、作品から発するエネルギーが凄まじい。藤城清治氏(1924年生まれー)は昨年80歳の時に縦3m横4.3mの大作「愛の泉」(これはカルピス所蔵でロビーに常設されている)を造り上げている。これも含めて氏の影絵は世界の遺産になるに違いない。作品展は29日まで(無料の上にカルピスのお土産がつく、藤城清治氏HPはここ)。
「今日の作品」に 「チーズ切り板B(平皿)<陶芸>」を掲載した。20日に掲載したもののペア。なお、陶芸コーナー=ここ=には新作の「器」も掲載した。一連の作品は光沢ある釉薬の仕上げでなくザラザラな表面を試みた。

5月23日(月) 明日からニューヨーク(NY)にいく。今回いまキーボードを打ち込んでいるノートパソコン(Mac PowerPC G4)を持参することにしているので楽しみも多い。できればこのホームページの改訂もしたいし、「今日の作品」のホットな更新ができればうれしい。ただし、これは時間と体力に余力があり条件に恵まれる時に限られるので余り期待し過ぎない方がいいかも知れない。何よりNYを"歩く”ことが目的だ。ニューヨーク・マンハッタン島の面積は東京・山手線に囲まれた面積にほぼ等しいと云われるが、歩きくたびれる方が多いだろう。・・このパソコンを手荷物に入れるため今日は早めのコラム改訂だ。いってきまーす!
5月24日(火) いまノースウェストの飛行機の中、太平洋上を飛行中と云いたいところだが、実際にはベーリング海の上といった方がいいかも知れない。成田ーニューヨークの直行便は12000km弱の最短コースを取るため北海道をかすめるような北の航空路をとる。飛行機の中ではもう少し退屈するかと思っていたらとんでもない。先ほど夕食が終わったところで寸暇を惜しんでパソコンを取り出したが次から次にやることがある(入国用の書きなど)。テレビをみたり音楽を聴くこともせずに食事の前には機内のスケッチもしてみた(「今日の作品」に掲載)。とにかくも一度飛行機の中でキーボードを打ってみたいと思っていたのでこれで希望が一つ達成されたことのなる。先ずは順調な旅行のスタートだ!・・ここまで書いてふと窓の外(進行方向の右)に目をやると真ん丸い見事な満月がみえる・・。

5月25日(水) ニューヨークは小雨模様。それに時差ぼけ気味などの事情から急遽予定を変更して今日は「アメリカ自然史博物館=American Museum of Natural History」と近場のみを歩いた。自然史博物館は1869年に創立されたというアメリカでは歴史ある博物館で一日では全てを回りきらない広さがある。大勢の小学生の団体に混じりながら私は孫娘の案内で見て回った。自然史博物館はセントラルパークの西側で丁度南北の中央に位置するが地下鉄で二駅南下したコロンバスサークル駅(セントラルパークの西南端)の前に「今日の作品」を描いた「タイムワーナーセンター」がある。昨2004年2月に完成したこの複合商業施設は75階建てのツインタワーを主体にしたマンハッタンの最新ランドマークである。娘のいまの住居からこのタイムワーナービルが目の前に見える。地面は、はるか下であるのにビルの先端はまたずっと上にそそり立っているという滅多にお目にかかれない景色であるので描いてみた。ほとんどが直線で成り立っているので遠近法の練習のような形だ。左下にみえる一般のビルでも10階建て以上あるので比較のために入れた。
    5月26日分
5月26日(木) 今日は先ず定番のエンパイアステートビルに登った。午後や夕方には2時間待ちと聞いたので朝9時にいったら比較的スムースに入ることができた。10年前にはなかった荷物検査(ベルトまで外させる)があったが、この86階の展望台(建物は102階建)からの景観はいまでもやはり圧巻だった。何よりマンハッタンの東西中央に位置するのでニューヨーク全体を均等にみることができる位置がすばらしい。それにしても前にきた時と比べると新しい高層ビルが格段に増えているのにはあらためて驚く。続いて待望のMOMA(=The Museum Of Modern Art /近代美術館)にいった。MOMAは1929年代に創設されているが、5番街、53丁目というニューヨークの中心街に昨年2004年11月に新装オープンした。この建物の増改築の設計者が建築家、谷口吉生氏であると話題になったが評判がよく混雑している建物の中を歩いていると自分まで何か誇らしく感じる(谷口氏設計の丸亀市猪熊弦一郎近代美術館を訪れたことがあるが、ここもいい美術館だ)。会員券を持っているのでMOMAへの入場は何度でもフリー(今日は二度出入りした)。これからも家から歩いて行けるこの美術館には何度も行きたいと思っている。「今日の作品」に掲載した「MOMAにて」はMOMAのロビーでスケッチした。絵中の右下はマーク・ロスコの絵。千葉県の川村美術館でロスコの作品を見たことがあるので懐かしかった。
5月27日(金) 今日はニューヨークにきて初めての快晴。お天気に合わせて朝からセントラルパークを散策した。北の方のお城やジャクリーヌ・ケネデイ・オナシスが走ったというジョギングコースまで余りに美しい風景に釣られて脚が伸びてしまった。ウオーキングやジョギングする人に混じって多くの犬を散歩させている人とも出会う。ウオーキングの終点はメトロポリタン美術館とした。美術館ではフェルメールの作品5点などをじっくり鑑賞することもできた(勿論、その他の膨大な展示品にも圧倒される)。美術館の前のベンチでいささか歩きくたびれて休んでいた時、道路に止まっていた面白い形の「トラック」をスケッチしたのが「今日の作品」だ。その後マンハッタンとルーズベルト島を結ぶ橋を見るためにトラムウェイというケーブルカーに乗ってルーズベルト島に渡るなど、今日も一日NYを十分に楽しんだ。
   5月28日分
5月28日(土) 早朝に(といっても7時過ぎ)にセントラルパークをウオーキングするという希望がようやくかなえられた。朝日を浴びた樹々の間から見える高層ビル群が爽やかな気分を更に高揚させる効果を与えてくれるのが不思議なほどだった。ひと行事済ませた後、今日はヤンキースタジアムで大リーグ観戦をした。ヤンキース対レッドソックスのデイゲーム。昼前に球場に到着したが入場のための荷物チェックが想像以上にうるさい。コーヒーを入れて行った小型の保温容器はダメ、黒色のビニールの袋もストップ、で支給された透明の袋にデジカメや折りたたみ傘、スケッチ道具、地図などを入れ替える。保温容器は別の荷物預けの場所に有料で預けてようやくOK。試合の方は17対1でヤンキースが大敗。松井秀喜も二打席ヒットなしの後、交代させられてしまった。試合内容はともかく初めてのヤンキースタジアムの雰囲気は存分に満喫した。試合前に時間があったので球場をスケッチした絵を「今日の作品」に掲載した。こんなに高い位置からの観戦だったので球場全体を見渡すことができた。大リーグの雰囲気を味わうには外野、最上段の席も悪くはない。
5月29日(日) ハドソン川沿いに巨大航空母艦を停泊させて博物館とした「イントレピッド海洋航空博物館」にいくと、ものすごい行列で3ー4時間待ちという。こちらでは明日がmemorial-dayの休日で今日は三連休の真ん中であることを甘く見過ぎていた。直ぐに計画変更して近くの波止場から"water taxi"と呼ばれる40人乗りほどの船に乗り、マンハッタン島の南端を数カ所回ってブルックリンまでいく。ブルックリン橋を歩いて渡るのがニューヨークでやってみたいことの一つであったので、ブルックリン側からマンハッタンへ向かって橋の上を歩き始めた。ブルックリン橋は130年前に建造開始された美しい吊り橋(完成した当時は世界最大)で車の通る道の一段上に立派な歩道を備えている。この木材の板を張りつめた歩道が想像以上にすばらしい。遠くには自由の女神、正面にはマンハッタンの高層ビル群を眺めながらイーストリバーを渡る。所要時間は30-40分間。ニューヨークでウオーキングをするなら是非すすめたいスポットだ。<「今日の作品」はこのブルックリン橋を渡るときの雰囲気を絵にした。>その後、歩いてグラウンド・ゼロまでいった。前回ニューヨークに来た時にはこの地にあったワールドトレードセンターのオフィスに通ったのであるが、どの方向からどう入ったかは記憶をたどりようもなかった。
   5月30日分

5月30日(月) 今日は米国のメモリアルデイで休日。今朝は7時前にスケッチブックを持ってセントラルパークに散歩にでた。セントラルパークには岩場が多い。ジョギングをする人と出会わない大きな岩の上に陣取って南側にみえる高層ビル群のスケッチを始めた。鉛筆の下書きなしに油性ペンでいきなりスケッチをするやり方は自分も余りやったことはない。小1時間のわずかな時間ではあるが、樹々の上にそびえ立つビル群を描くのは心地よい緊張感を伴った至福の時だった。「今日の作品」に掲載した「セントラルパークから」がこの時の”作品”。「観光」の方は、ハドソン川河畔を散歩したりチェルシー、ソーホー方面を歩いたり、中華街で食事をしたり、日本の食材を買いに行ったり・・とこれも休日モード。電車に乗る事、バスに乗る事、方向を定めて歩く事にはかなり慣れてきた。
5月31日(火) 今日の早朝散歩はセントラルパークからリンカーンセンター方面とした。リンカーンセンターの正面にあるベンチが空いていたので座ってしばらくスケッチをする。朝食後、一般の観光案内にはでていないが地元でアートに関心がある人が是非と薦める"nomadic museum"にいった。ハドソン川の波止場に舶用コンテナブロックで広大な建物を作り、中を美術館にした会場がユニークだし、gregory colbertの像と子供、クジラと人を絡めた写真展が他ではみられないものだった(期間限定で6月6日まで、案内=ここ/お勧めです!)。夕方にはエンパイヤステートビルの直ぐ側で孫娘が楽しみに通っている「極真カラテ」のレッスンを参観したりしたが(この件だけで一コラム分書ける)、夜のSTOMP観劇が圧巻だった。オフブロードウェイの代表とされる知る人ぞ知る”リズム音楽”。箒やバケツ、マッチ、洗面台など何でもかんでも打楽器にしてしまう”音楽ショウ”で何年間もロングランを続けている理由がよく分かった。夜の地下鉄も全く身の危険を感じない。東京と同じような安全な街に変貌したニューヨークをあらためて実感した。

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