これまでの「今日のコラム」(2005年 6月分)

6月1日(水) 今日は一日セントラルパークの東側、アッパーイーストサイドと呼ばれる地区の美術館巡りをした。この地区で最大のメトロポリタン美術館には先日いったので、今日はまずフリック・コレクションからスタート。このコレクションは鉄鋼王フリックが収集した絵画、彫刻、家具調度品の名品が元邸宅(中庭には噴水がある大邸宅)の中に公開されている。ベラスケス、レンブラント、グレコなど世界の名品がさりげなく飾ってあると思えば、私が一番見たかったフェルメールの絵画、「夫人とメイド」、「役人と少女」、「音楽する少女」の3点にも出会えるという贅沢なコレクションだった。次には20世紀以降のアメリカ美術を主体にした「ホイットニー美術館」を訪れた。ここも期待以上に内容豊富。モビールの創始者カルダーのモビール作品や針金作品を見ることができたのもうれしかった。続いて「グッゲンハイム美術館」にいった。フランク・ロイド・ライト設計の建物として有名でもあるこの美術館には以前から是非いきたいと思っていた。カンデインスキーの名品や現代もので親しめる。美術館巡りの後、セントラルパークの芝生に横になってしばし休憩した。
「今日の作品」には「リンカーンセンタ」を掲載した。これは昨日スケッチしたもので一日遅れの登場だ。
   6月2日分

6月2日(木) 「今日の作品」に「ジャクリーン・ケネデイ・オナシス貯水池」という長い名前の絵を掲載したのではじめにこのことを書こう。この絵は昨日美術館巡りをした後寄ったセントラルパークのやや北に位置する貯水池を描いたもの。ニューヨーク市民の水道の貯水池として利用されるこの池は周囲がジョギングコースになっている。ジャクリーンがジョギングをやっていたのでこの名がついたという。ジョギングの邪魔にならないように道の端に立ってこのスケッチをした。・・今日の観光は先ずイントレピッド海洋航空博物館(ハドソン川沿い)にいった。巨大航空母艦イントレピッドを博物館にしたものであるが、この航空母艦は恐らくは日本攻撃のために建造(1943年)され、多くの零戦が特攻目標とした空母と考えると見学するのも面白がっている訳にもいかなかった。それでもこの博物館と称する施設には米国製の航空機だけではなく、何とコンコルド(英仏の超音速旅客機/中に入る事もできた!)やミグ戦闘機(ソ連製)まで展示してある。米国機としてはグラマンやファルコンに混じってマッハ3.6をだしたブラックバードの巨体まで見る事が出来た。それにしてもこれほど日本人観光客と会わない”博物館”は珍しかった。航空母艦をでた後はマンハッタン中央部に戻り、グランドセントラル駅−ロックフェラーセンターMOMA(会員パスにて何度いっても楽しめる)−ブロードウェイの経路で歩いて帰宅した。
6月3日(金) 今日は孫娘の幼稚園を参観をした。娘の夫が園児達に日本を紹介するという特別プログラム。彼のプレゼンテーションが非常に上手であったこともあり、最後は園児達の習ったばかりの日本語”アリガトウ!”で終わった。9時半頃には娘達と別れて単独行動。場所が近かったので先ず「Cooper-Hewitt国立デザイン博物館」にいった。今は繊維デザインの特集だったが宇宙関連を含めた繊維のハイテク技術が展示されていて意外に面白かった。その後、元気が余っていたのかセントラルパークの貯水池をウオーキングで一周してしまった。戻ったところがメトロポリタン美術館。休憩も兼ねて美術館に入る。この美術館はギリシャ・ローマ時代から現代まで膨大な展示品があり丸一日使ってもとても見切れない。近代絵画を主体に見て回ったがいい加減くたびれたので帰宅しようとバスに乗った。すると・・アラ、アラ、娘と孫娘に会ってしまった。幼稚園からの帰りに偶然一緒になってしまったのだ。広いニューヨークでもこういうことがある。「今日の作品」に掲載した「イントレピッド博物館 」は昨日いった航空母艦博物館の船上風景。バックにマンハッタンの高層ビル群が連なる航空母艦の風景はここでしかみられない。
   6月4日分

6月4日(土) 今日は孫娘の日本語の幼稚園を参観をした。ウィークデイは英語の幼稚園、今日は日本語。小さい子供ながらよくやる〜。参観の後はバスで移動しながら街歩き。国連ビルを見に行ったがこのビルは昔と変わりなかった。国連ビルの側に新しくできたトランプのビルは大リーガーの選手等有名人が住むことでも知られているようだが90数階建ての超高層は下から眺めると本当に高い。デジカメで下から上に分割して撮影したら三枚必要だった。その後またソーホー地区(SOHO=South Of HOUSTON)を丹念に歩いた。かつての倉庫街がトレンデイで洒落た街に変身したというこの地区は週末でもあり東京でいえば銀座通りようなにぎわいだった。「今日の作品」として「古いタイプのビル」を掲載したが、これはSOHOへ行く途中でみた街の風景。以前は避難階段として外階段が義務づけられていたと聞くが”古いビル”の外階段が独特の雰囲気を醸し出している。
6月5日(日) ニューヨークでの二度目の日曜日。今日はマンハッタンの最北端ハーレム地区を歩いた。といっても表通りを歩いたり、店を素見したり、ハンバーガー屋さん(Burger King)で昼食をした程度であるが、超高層の林立する中心部とは別種のニューヨークの面白さがあった。ハーレムの住宅街は一見豪華マンション風にみえたが、よく見ると空き家だったり、売家であったり、リホーム中とか、いずれも建物はかなり古く傷んでいた。125丁目のハーレムから数km南下した74丁目辺り、”アッパーイースト”と呼ばれる地区にいくと、日曜日ということでプロードウェイの片側四車線分の道路を使って「ストリートフェア」の最中。初夏の陽気の中、市場は大にぎわいだった。マンハッタン中から買い出しにやってくると大袈裟に紹介されているスーパー「フェアウェイ」(74丁目、ブロードウェイ沿い)にもいった。ここでは数種類のシリアル(朝食等にミルクをかけて食べる簡易、健康食品)をブレンドして自分の好きなシリアルを作るという初体験をした。シリアルの種類だけで20-30種類あるのは驚きだ。
6月6日(月) マンハッタンの最南端、バッテリーパークに行くために地下鉄に乗った。1番地下鉄の終点サウス・フェリー駅で降りればいいことは知っていたし、グラウンドゼロには止まらずに通過して先に行くと承知していたが、次の駅で車両に私一人になった時にはさすがに不安になった。サウスフェリーで降りるには先頭5車両に乗れと注意書きもある。結局は問題なく、終点駅に降りる事ができた時には正直ほっとした。自由の女神を望むバッテリーパークでは2枚スケッチをして遊んだ。帰りはバッテリーパークから歩いて北に向かいウオール街を通りまたグラウンドゼロまでいって地下鉄(別の路線)に乗った。タイムズスクウェア駅(42st)で降りて地上に出ようとしたところで道を尋ねられたが教えることができなかった。ブロードウェイを北に50stまでのぼり、更にロックフェラーセンターを通り5番街まで歩く。5番街のサックス・フィフス・アベニューというデパートの前で待ち合わせをしたのでしばらく道の脇に立っていたら、また道を聞かれた。こんどはロックフェラーセンターはどこかというので直ぐに教えることができた。こちらも”おのぼりさん”だがニューヨークには人種は関係なく道を聞くお上りさんは多いようだ。
「今日の作品」には今朝スケッチした「バッテリーパークより」を掲載した。
   6月7日分

6月7日(火) 今日はマンハッタン島を三時間をかけて一周するクルーズに乗った。先ず、ハドソン川沿いの波止場から南に下り、自由の女神のある最南端へ。それからブルックリン橋の下をくぐりイーストリバーを北へ向かって上る。途中、ハーレム川に入り西に向かいハドソン川の北口にでる。ハドソン川を南下して元の場所に戻るというルートだ。ニューヨークがマンハッタン島という島であることが非常によく実感できるクルーズだった。ニューヨークでの残り時間も少なくなってきた。そろそろ帰り支度を始めつつ・・。
「今日の作品」には昨日スケッチした「バッテリーパーク(2)より」を掲載した。

6月8日(水) 私にとってニューヨークは街を歩くことが一番楽しい。公園を散歩することもできるし船に乗るのも面白いけれども、林立する超高層のビルの間の雑踏を歩いていると活気あるニューヨークを一番実感することができる。この三日間ほどニューヨークは30度(摂氏)を越す暑さが続く。今日も真夏のような日差しを浴びながら59丁目からブロードウェイを下り、46丁目辺りから東へ5番街へ抜け、5番街をまた北へ戻るルートで街歩きを楽しんだ。5番街、53丁目でまたまたMOMA(近代美術館)に寄る。MOMA(会員パスでフリーに入れる)は実に有難い存在だ。まず冷房がきいている。椅子があるので休める。トイレにもいける。展示品とは何度再会しても新たなエネルギーをもらうことができる。ピカソ、マチス、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルソー、モンドリアン、クレー、ロスコ、ジャコメッテイーなど先人の息づかいを聴きながら一つの絵を時間をかけて鑑賞するのは最高の贅沢だ。現代のアート作品もある。アブストラクトな作品をみていると突如これから作る陶芸のアイデイアが浮かんできたりする。・・ニューヨーク生活も今日まで。スケッチブックとノートパソコンが大いに役立った楽しい旅行だった。
「今日の作品」には昨日のクルーズでみた情景、「マンハッタン島を臨む」を掲載した。

6月10日(金) いま、ニューヨークから成田に向かうNW飛行機の中。間もなく日付変更線を越すと10日になる。家に帰ってコラムを更新するのは10日の夜になるはずなのでコラムの日付を今10日に直した。特別飛行機の中でノートパソコンを打つ理由はないが何事も経験。いまに機中でのインターネット更新もできるかもしれない。この飛行機は成田経由で香港までいく。そのせいか周りはほとんど中国人だ。ニューヨークでもチャイナタウンのものすごい活気や東京でいえば銀座のど真ん中にあるコレアエリア(韓国人街)の勢い(昨日の食事は韓国料理だった)と比べると日本人はおとなしくみえた。そう云ってもまだ旅行中でニューヨークを総括する気分にはならない。・・パソコンを打ち始めたとたんに、飛行機は窓を閉めて夜の体制となった。実は10日になっていてもこれから9日分の睡眠をとる。機中パソコンはここまでとしよう・・。<まだ眠たくはないなあ・・>  
6月11日(土) 昨夕ニューヨークから帰国した。今日、土曜日には早朝のアール(コーギー犬)の散歩、午前中のテニスとすっかり普段のペースになった。といっても実のところは時差で昨晩は余り寝られず6時前から起き出したりしているのでテニスも時差ボケ解消のためどうしてもやりたかった。渡米前にはあれほど腰痛で苦しんでいたのに、旅行に出たとたんに腰の気配も感じなくなってしまった理由がよく分からない。今日、運動する際にも全く問題はなかった。もう一つよく分からないのは、旅行中の時間が制約されている時にほとんど毎日スケッチをして「今日の作品」を作ったのに、帰国して時間の余裕がある時に「作品」ができあがらないこと。単に休養している(つまりサボっている)だけかも知れない。作品ができるかできないかは時間の有無とは無関係であるようだ。梅雨空の下で何かスケッチでもしてみようかと思い始めた。
6月12日(日) 午後には何事もやる気がせずに行動が鈍い。明らかに時差のせいだと分かっていても身体が動かない。今回のニューヨーク旅行でノートパソコンを持参したためにインターネットという凄いシステムを再認識した。国境は関係なく世界中に即刻開示できる、あるいは見る事ができるインターネットの力は計り知れない。一方で、人間が地球を移動すると時差で動きが鈍るように、インターネットで世界がつながっていてもそれぞれの地域で考え方や行動に時差があるのは当然だろう。その時差は時と共に同調するとは限らない面倒なものだ。けれどもインターネットの地球(世界)に対する本当の影響はこれから始まるように思える。時差や地域差が避けられないにしてもインターネットによって世界がどう変化するか注目していたい。
「今日の作品」に「球分岐具」(工作)を掲載した。これは計画中の陶芸による動くアートの球を分岐するための部品。左側の部品は入ってきた球を交互に道を代えるもの、右側のは成り行きでどちの道に転がるか分からぬもの。追って陶芸作品と共に解説する予定だ。
   6月13日分

6月13日(月) 「今日の作品」に「インパチェンスetc.(水彩)」を掲載した。今回ニューヨークを旅行した際の収穫の一つに毎日サインペンでスケッチする習慣を持った事が挙げられる。「今日の作品」もこの習慣を継続したもの。以前は鉛筆で軽く下書きするとか、0.05-0.1mmの極細サインペンで細線を重ねて描くなどの描き方をしたのだが、ニューヨークでは0.8mmのサインペンで一気に輪郭を描いた。今日もインパチェンスなどを同じ0.8mmのペンで描いたが、修正がきかない緊迫感が心地よく、しかも短時間で仕上げることができた。インパチェンス、和名=アフリカホウセンカ(ツリフネソウ科)は我が家のように日当たりが悪い場所で育てるのに適している。花の色は紫がかったピンクの他に白、赤、橙など種類が多い。英語のimpatienceは「短気、せっかち、何かしたくてたまらない気持ち」などと辞書にあるが、インパチェンスの語源はこれと同じで、成熟した実が「我慢出来ずに」種をまき散らすことからきていると解説されている。我が家のインパチェンスは北側の狭いスペースの中で我慢して今美しい花を咲かせている。
6月14日(火) ニューヨークに住む孫娘は週に二度、幼稚園の後「空手」に通う。エンパイヤステートビルの直ぐ側にある極真空手の道場を参観させてもらうと、孫娘はその日、家に帰るとピアノや公文などを積極的にバリバリこなすという理由がよく分かった。筋骨たくましい(それにハンサムでやさしい)外人の先生が発するかけ声が実に心地よく響く。幼児達はこれに会わせて大声を出すが気合いも入れられて活気にあふれる。礼に始まり礼に終わるのも爽やかで、幼児にとっては習い事でなく元気をもらう機会なのだろう。参観した自分も元気になったのは確かだ。空手は武道として強さを鍛えるだけでなく中高年や女性に対してもまた「気合いを入れる」有効な手段となるのではと思い始めた。現代では「気合い」が必要なのは若者や働き盛りの青年も同じかも知れない。汗を流しストレス発散するにはスポーツジムやカラオケでもできるが、空手による気合いの効力は新発見だった。
6月15日(水) 明日以降二度と同じことは起こりえない内容のニュースは、この「コラム」でも取り上げたくなる。他に話題がない時の穴埋めではない(?)・・。さて、今日のニュースはまず「イチローが大リーグ通算1000本安打達成(日本人初)」。これと比べると、右足首を痛めて心配されていたヤンキースの松井秀喜が「ホームランを含む3打数、2安打の活躍」は単なる通過点における小ニュースだ。日本ハムのダルビッシュ投手が一軍で初先発(対広島戦)、序盤は好投」はどうだろう。打線の援護もあり7回現在7-0は立派。ダルビッシュにとっては人生初の体験をしつつある。「北朝鮮による拉致被害者、曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんが米国で91歳の母親と40年ぶりの再会を果たした」というニュースもある。・・こうして「今日のニュース」をピックアップしてみると意外にニュースは少ない。新聞の紙面に穴はあいていないし、TVのニュース番組もフルにあるが、世の中,”事もなし”。
6月16日(木) 「今日の作品」に「無題」を掲載した。やることに”張り”がなく気合い(活)を入れたい気分が続くので何も考えずに抽象画を描いてみた。自分で特に意図するものはないが心理分析すると絵に何か表れているかも知れない。ただし色が主体の絵であるのにパソコン画像でみると実物とかなり違っている。黄色が出ていないのでphotoshopを使って色調調整しようとしたが成功しなかった。この絵はほんのお遊びだが、ニューヨークのMOMA(近代美術館)で近代から現代の画家の作品を見ながら、人間は絵画で何を表現しようとしているのか随分考えた。具象絵画から始まり、感じるままの表現(印象派など)をしたり、点描画を試みたり、更にキュビズム、抽象へ、そしてどこに行くのか。現代の画家達は何を描きたいのか、どう表現したいのか。どんな表現でも許される時代には少々の変わった表現には衝撃もなく感動もしなくなる。何をやっても陳腐にみえる。難しいものだ。冒頭の掲載した作品に話を戻すと、この種の絵は自分でも後で直したいところが山と出る。ただ描き直すのでは面白くなくなる。何百枚も割り切って描き続けるとその内にいいものが出来るのだろうか。
   6月17日分
6月17日(金) 「今日の作品」に「坂の上の家」を掲載した。初めての経験だったが、この絵は今朝の犬の散歩の時スケッチブックを持って行って描いたもの。スケッチのため、いつもより早く6時前にアール(コーギー犬)を連れて家をでる。この場所は西郷山公園(東京・目黒区)のすぐ側。6時半になると公園でラジオ体操をするために人が集まるのでその前に終えたかったので素早くスケッチ開始。幸い、道路(狭い裏道)の真ん中に立ってスケッチをしている間におばさんが一人お辞儀をして通り過ぎただけで、思ったよりスムースにスケッチをすることができた。アールも15-20分の間おとなしく座っていた。朝の散歩時間にスケッチをする味を覚えるとこれは病み付きになりそうだ。この「坂の上の家」は狭い鋭角の三角形の敷地に合わせ最近建築されたものでユニークなコンクリート造りの建物が前から印象に残っていた。今朝のスケッチの後、回り道をして家に帰ったが、「坂の上の家」に限らず、いままで通り過ごした場所でもいくらも”画題”がありそうに思えてきた。これからは朝の散歩で絵になる個所を新たに発見するのが楽しみだ。
6月18日(土) 脳内メカニズムの研究から「次善の策」をとるのは脳のある特別な部位が働く結果ではいかという科学ニュース<米科学誌>をみた。まだ猿の脳での実験段階だが、脳の中心部にある「視床中心正中核」という領域が不本意ながら次の選択をする場合に限って反応するそうだ。私は猿や他の動物の脳にはそれほど関心はないが、人間の「次善の策」には興味がある。人間にとって自分が1番やりたいことを選択出来ず止むを得ず次善の選択肢を選ぶことは人生そのものである。人によっては、学校、就職、結婚(?)、子育てなどほとんどのケースにこの「次善の選択」を伴う。視床中心正中核は随分活性化することだろうが、この部分が作用しない、つまり全てが思い通りにいく場合(そんな事はあり得ないだろうが)、脳は果たして正常なのだろうかとの疑問がわく。欲しいものが何でも手に入ることが続けば考える能力は退化するだろう。思い通りにいかないから進歩があり、工夫そのものが次善の策でもある。その内に人間の視床中心正中核がずば抜けて発達しているという研究結果がでることを期待しよう。
6月19日(日) 東京・赤坂のキャピトル東急ホテルにいったついでに隣の日枝(ひえ)神社に寄ってみた。都会のど真ん中、高層ビルに囲まれて赤坂の小高い丘の上に神社が存在していること自体が奇跡のように思えたが、ニューヨークの摩天楼に挟まれて立派な教会がいくつもあることを思えば日枝神社も特別のものではないのかも知れない。山王日枝神社は江戸時代には徳川家の産生神として江戸一番の大社だったと云われる。正面の神門には「お猿さん」の像が祭ってあった。この「御神猿」は古来”魔が去る”=「まさる」として厄払い、魔除けの信仰となり、また「さるまさる」として分娩の軽い安産、家の繁栄の神となったと解説されている。こちらがお参りをしたのは夕方であり人数はまばらであったが、境内のベンチに腰掛けて静かに考え事をしている人の姿が妙に印象に残った。都会の中の神社はまさにオアシスの役目をしている。これから赤坂近辺をもう少し探索してみようかと思い始めた。
6月20日(月) 二週間余のニューヨーク滞在でやはりニューヨークの治安の回復がうれしかった。1990年以前に仕事でニューヨークにいった時と比べると信じられないほどの変貌だ。当時は夜は一人で外出しない、地下鉄には極力乗らない、公園を散歩しないなど、注意事項の山であった。それが今回はセントラルパークを一人で散歩して危険を感じる事はなく、いまの東京でみるような公園を占拠するホームレスにも出会わなかった。地下鉄の落書きはなくなりホームも明るくなった。夜の10時過ぎに帰宅する際でも代官山と同じ雰囲気で安心して歩くことができる。よく知られているように、1994年にニューヨーク市長に就任したジュリアーニ氏が「ゼロ・トレランス=寛容ゼロ)政策を採用した結果、劇的に治安が回復したとされている。この政策のバックグラウンドとなった理論が「破れ窓理論=Broken Window Theory」。「一部の割れた窓ガラスを放置しておくと自分も割っても問題ないという印象を与えて模倣的、連鎖的に他の窓ガラスも割られてしまう。同じように犯罪心理として軽微な犯罪を放置すると重大犯罪を助長する」という理論で分かりやすい。ジュリアーノ市長は落書き、無賃乗車、万引き、麻薬など軽犯罪の徹底的な取り締まりを実施し同時にホームレスの排除、収容なども行なった。その結果(5−8年後)凶悪犯罪が60%以上激減する。今や伝説的に語られるニューヨークの治安回復であるが、わが街東京では治安悪化の兆しが叫ばれる。身近なところでは、まずは歩道橋や壁に残された傍若無人な落書きをなんとかしてほしい。スプレーを使った落書きはまさに甘く寛容をみせたとたんに、図に乗って伝染する。破れ窓理論は東京にも応用されているだろうに・・。
6月21日(火) 一ヶ月以上陶芸教室に顔をだしていなかった。久しぶりに粘土をこねて、板作り、造形、削りなどをやってみて、手を動かした時間に相応してはっきりと結果が残る陶芸の面白さを改めて感じた。その前には習性として詳細の設計図面を描いている。それも一枚、二枚ではなく、何案も作った後にまた修正を加えたりする。こうした検討に何時間を費やしても結果は何もみえない。結果を出すためには考える時間も貴重ではあろうが、考えたり設計をするだけでは新しいものは産み出せないのは象徴的だ。本を読むのもいいだろう、討論も結構、勉強や鑑賞も有益だ。けれどもいくら自分を高め、達観し、満足してみても「実行」がなければ何一つ変わらない。私は男性より女性の方が実行者だと思うことがよくある。主婦は手を動かすと料理が出来上がる、部屋がきれいになる。男は家で行動することがないと粗大ゴミになる。人間は本来手を動かしながら頭を使う。手を動かす機会の多い女性の方が長寿であるのは当然だろう。
6月22日(水) 「今日の作品」に「角の家(水彩)」を掲載した。この家は前回(6月17日)に掲載した「坂の上の家」の隣にある。西郷山公園(東京・目黒区)に隣接する高台にある高級住宅街。著名人の表札をつけた豪邸なども並ぶ中で、この角の家はひときわ目を引く。共同住宅であるようだが今回スケッチをしてみても構造が複雑でどのような形の住宅か結局よく分からなかった。どういう人がこんな家に住んでいるのだろう。内部には中庭があるかも知れない。中央の特殊アンテナが世界中の電波をとらえているのだろうか。想像力を駆り立てる家だが、他人のことを詮索してもしようがない。それより角の土地を最大限活用した戦艦のような建築は見ているだけで十分に楽しい。

6月23日(木) Mercury-Venus-Earth-Mars-Jupiter-Saturn-Uranus-Neptune-Pluto. これは、私たちが中学で習った、水ー金−地ー火ー木−土ー天ー海ー冥に相当する太陽系惑星の英語版である。ニューヨークの幼稚園に通う4歳の孫娘がこんな単語を習ってくる。私は実際に見たり聞いたりするものから知識を得たり好奇心を持たせるのはよいが、経験もしない知識だけの教育には疑問を持っていた。ところが園児は歌でこの太陽系の名前をすっかり覚えてしまう、全部の惑星の絵を描いたり、模型を作ったり・・幼稚園側が余りに徹底させて惑星のテーマにこだわるのも見て、これも一つの教育法かと思うようになった。PLANET(宇宙)にはとにかく色々なものがあり様々な特徴がある。Mercuryの絵(園児が描いた絵)にはroky,dusty、Saturnには100's of rings of ice,Titanのコメント。The sun is a star. Earth, the living planet. などを幼稚園児がどれだけ理解出来るか分からない。けれども知識そのものを身につけるレベルではなく、自分たちは数知れぬ多くの存在の一つ、世の中の多様性などの感覚を幼児なりのセンサーでとらえているのかも知れない。教育法の是非は安易には語れない。
6月24日(金) NHKや大新聞などでは報道されなかったようだが、「世界初の太陽帆船、打ち上げ失敗」のニュースは私としては残念でたまらない。カールセーガン(1934-1996,米国の宇宙物理学者)が構想した太陽の光子を帆に受けて(燃料なしに)進むという夢の宇宙船がある(昔、カールセーガンの著書をワクワクしながら読んだ事を思い出す)。この理論を実証すべく、高度800kmの軌道に達したところで長さ15mの羽根8枚の帆を広げるという太陽帆船の計画を米国の民間団体が立案し、実際の製作はロシア、打ち上げもロシアの潜水艦から行なった。先の21日に打ち上げられたこの太陽帆船は軌道に乗らずに失敗が確定したというが、NASAなどによる大プロジェクト以外にこんなとてつもない宇宙開発も実施されているのが驚きだ。なにしろロシアに依頼しただけあって、製作・打ち上げの費用が400万ドル(約4億3000万円)という信じられない安さ。この程度の費用なら日本人でも個人のお金持ちが帆船を打ち上げることができる。帆にはそれぞれのスポンサー名をのせてもいいから是非次回も再挑戦して欲しい。マスコミはこんな夢ある話題をどうしてもっと取り上げないのだろうか。
6月25日(土) 陶芸教室の集まりがあった。普段顔見知りではあっても話をしたこともない人たちと懇談できる貴重で楽しい機会だ。私より10歳以上年輩のご老人は元外科医。以前は手術の前に段取りを綿密に決めておいて、いざメスを持つ時には一切の雑念なしに手術に集中した。それが現在の陶芸でも全く同じことで陶芸をやっている時には何も考えずに集中できると話した。私も陶芸で前もって設計図を描き土を練る時には集中するが、しばしばその場になって設計図と違うものに変更するし設計図に縛られる事なしに自由に変更できるところが陶芸のいいところだと持論を展開した。そうすると元外科医さんは手術でも同じことで状況を見て臨機応変にやり方を変更するのですよと事もなげにいわれた。勿論、人命に係わる手術と陶芸ではストレスは雲泥の差であろうが、外科医とは正に職人的な技を個人が発揮する希有な職業なのだろう。こういう趣味の教室では職業や地位をひけらかす人は総スカンを食う。けれども「前の職業が陶芸と同じような集中力を必要とした」という振返り方は実に爽やかだった。
6月26日(日) 東京都児童会館の「日曜こども劇場」で人形劇をみた(入場無料)。これまでに本格的な人形劇といえるものは見た記憶がないので自分自身はじめての「人形劇」かも知れない。出し物は「くるみ割り人形」と「おこんじょうるり」の二本立て(人形=劇団プーク)。「くるみ割り人形」はチャイコフスキーの作曲したバレエ音楽のダイジェスト版とでもいうべきもの。原作がくるみ割り”人形”であるので人形劇としては焦点が定まらずに物足りない感じが残った。それに対して「おこんじょうるり」は物語の構成や台本からも制作者の意欲がうかがえた。はやらない占い師のババと浄瑠璃で人を元気にするきつねとのユーモラスな交流の物語であるが、その中から生命についても考えさせる。劇団員が演じる浄瑠璃の声が観客をも元気にさせる名作であろう。一緒に見た幼児に感想を聞くと「おこんじょうるり」の最後にきつねが(死んで)月にいってしまうところが一番印象が強かったようだ。こどもの感じ方は大人とそれほど違いはない。
6月27日(月) 「今日の作品」に「遊具部品A(陶芸/制作途中)」を掲載した。「今日の作品」とするにはおこがましいが粘土で制作途上の写真である。このところ故あって陶芸教室にいく時間をまとめてとれないので教室で半分制作した後、自分の家に持ち帰ったものがこの作品だ(削りが終了すればまた教室に持ち込み素焼きする)。今も家で10分でも30分でも時間がとれれば断片的に削りの仕上げを積み重ねている。この作品、長さが500mm(板厚25mm)の大きさだが動く城のように完成後に6本の脚をつける予定だ(脚なしの配列もできるようにする)。完成すれば鋼球が溝(板厚の内部に切った10mmの穴)をパチンコのように転がり落ちる遊具の一つの部品となる。実際に粘土で作り始めてみると、この構造を陶芸で計画通りに機能させるのは奇跡に近いのではないかと思い始めた。焼成時の収縮や変形などは当然考慮に入れるとして、球が自然に落下するには溝の傾斜がデリケート過ぎた。それでも我が部屋のパソコンの横に板を敷くスペースを作って微妙極まりない粘土削りに挑戦している。”奇跡”を期待する訳にはいかないので”次善の策”をどうするかが問題だ。単なるオブジエにだけはしたくない・・。

6月28日(火) 最近、友人・知人が集まるとテレビを見ないとかテレビ番組がくだらないという話になる。人によっては特に面白くなくてもテレビをつけっぱなしにしていることもある。時刻を知るため、音がなければ寂しいから、何となく・・理由はなんであれスイッチを入れていれば視聴率としてカウントされる。もとより視聴率は番組のよしあしとは関係がない。私は番組の内容にはかなり寛容な方と思っているが、どのチャンネルに廻してもけたたましい笑い声ばかりで見るものがないことがある。笑いは大いに結構なのだが面白くもない話題に本人と内輪だけで喜んでいることが多過ぎる。一方で、私は時々NHKの幼児向け教育テレビの質の高さに感嘆する。具体的な番組名はでないが、小錦の巨体が魅力的であったり、科学大好きであったり、ピタゴラスイッチであったり、とにかく工夫と愛情に満ちている番組がいくらでもある。世界中のどこに持って行っても誇らしい質の高さはアニメと幼児番組と云っても大袈裟ではない。そこで大人向けのテレビの低劣さとのギャップは何故なのだろうかと考える。幼児番組はメインではない狭い分野を職人が作る。それに対して民放はスポンサーに媚びなければならないためか、デイレクターが自分を芸能エリートと勘違いして満足しているためか・・実体は知らない。結局は見かけの視聴率があれば問題なしとして経営者も現場も危機感が全くないのだろう。
6月29日(水) このところ娘が義父の入院生活のサポートをするためニューヨークから急遽帰国している。一緒に連れてきた孫娘の面倒をみるくらいならば私でもできるので、必然的に孫娘と付き合う機会が多くなった。自分の子供に対してはできなかった色々な遊びを思う存分やっているのが何やらおかしい。○○バカをそのままいうと、コノコは付き合っていて退屈することがない。絵を描いてやろうとすると自分でも描くという。この前はジャンケンをして勝った方が一筆を描くことにして絵のコラボレーションをつくりあげた。その他、お店屋さんゴッコ、かくれんぼ、百ます計算、公文、絵本読み、鉢植えへの水やり、犬の散歩などなんでも一緒にやっている。夕方の犬の散歩に行った時にコノコが坂の途中にお地蔵様をみつけた。この種のものはみな神様にみえるようで、前できっちりと両手を合わせて「きょうも一日ありがとうございました・・」とやり始めたのには驚いた。それと空手教室で習ってきた「気を送る」動作が様になっている。娘の義父にはもちろん気を送ったが、こちらにも時々気を送ってもらっている。その気のせいかどうか、最近は特に元気だ。やる気もでてきたぞ・・。
6月30日(木) 米国の研究チームが、ハチドリ(Hummingbird)が空中の同じ位置に留まる「静止飛行」の仕組みをデジタル粒子画像流速測定法という最新の技術でとらえることに成功したというニュースがあった(Nature誌のニュースはここ)。実験器の中でハチドリの羽の動きを1/3000秒単位で記憶した結果、「ハチドリは羽を下向きに動かすことにより体重の75%を、上向きに動かすことで残る25%を支えていることが判明した」とある。「昆虫が静止飛行する場合は羽の上下動で50%ずつ、鳥類の場合は普通羽を下げる場合に100%の体重を支えるのに対して、ハチドリの場合はその中間の動き」と解説があるが一般的には分かり難い。ハチドリの動きは鳥としては特別であるが、蛾やハエが空中で静止したり急旋回する飛行のメカニズムの解明は最近の流体力学の中でも一つな大きなテーマである。蛾が羽ばたきする時、打ち下ろし(下向きの動き)から打ち上げ(上向きの動き)に転じる際に生じる空気の流れ具合など巧妙極まりない。生物飛行の研究を見ていると人間が独りで空を飛ぶという大昔からの夢はまだまだ可能性を残していることが分かる。

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