これまでの「今日のコラム」(2005年 9月分)

9月1日(木)  月あらたまり9月。今日は四十九日の法要があったのでそのことを書いてみたい。法要の後お坊さんが少し話をされた。その中で死者に対する供養を日本ほど頻繁に長い間実施する国は世界でも珍しく、一つの日本の文化でもあろうと云われた。仏教では死んで直ぐに極楽に行ったり地獄に落ちたりはしない。死後四十九日の間、七つの関門をくぐりながら生前の善悪の行を問われ修行を続ける。初七日から始まって七日目毎に、二七日(ふたなのか=14日)、三七日(みなのか=21日)、四七日(よなのか=28日)、五七日、六七日、七七日(=49日)と追善供養すると閻魔王さまが裁く時に故人の助けになると教える。今は初七日の後四十九日の法要というケースが多いようだが、ここでようやく極楽浄土にたどり着く。年毎には一周忌からこれも三十三回忌までとか(五十回忌、百回忌さえある)、確かに法要の数は多く、期間は長い。法要は死者への供養を理由にするが実は生きている人のためにあると見れば、仏教の死生観を元にして一つに親類縁者が集まる機会を楽しんだという面もあろうが、それだけお寺の力が強かったのだろう。また二十三回忌や三十三回忌など死後20年、30年も経て供養するというのは、仏教が定着した当時、幼児とか、20歳、30歳で亡くなる人も多く平均寿命がはるかに短かった事情もあるのでないだろうか。現代のように80歳、90歳で亡くなって三十三回忌を誰がみるのか。法要の仕方が文化とすれば、文化は変遷する。これからの高齢化社会、少子化社会では供養の仕方や墓の形態が激変するような予感がする。
「今日の作品」に「 球転がりブロックC裏/陶芸部品」を掲載した。昨日掲載したブロックCの裏面。

    9月2日分
9月2日(金) アメリカのハリケーン、カテリーナの被害が深刻だ。被災地のニューオーリンズといえば昔懐かしいジャズを思うが、今日、ニューオーリンズ市長が死者が5千人に上る恐れがあるとの見方を出した。現地では略奪が相次ぎ、暴徒と化した群衆が救援物資を奪い合い、避難所に集まっている女子供も安全が保証されないと、災害被害以上にひどい状況が報道されている。被災者を移送しようとした陸軍のヘリコプターが銃撃を受けたというから、一体アメリカという国はどうなっているのか。思い起こすのは、日本で阪神淡路大震災の時も新潟地震の時もスーパーの略奪行為がほとんどなく、みなが助け合って対処しているのが外人の目から見ると奇跡のように見えて特筆すべきニュースとして報じられたことだ。そんな話を、何を言っているのだ、当たり前だと聞き流したが、アメリカの状況を知ると日本では当たり前のことが他の国では出来ないのかと再認識せざるを得ない。国民性と云ってしまえば余りに単純過ぎる。日本の治安の良さについてもっと深く分析出来ないものだろうか。世界最強・最富国の米国に日本は治安のノウハウや道徳を教えてやらなければならない・・。
「今日の作品」に「靴<使用例2>/陶芸動くアート部品」を掲載した

9月3日(土) 招待券を頂いて「フィリップス・コレクション展」にいった(@東京・六本木ヒルズ森タワー52F/開催は明日9/4まで、HP紹介=ここ or ここ)。実ははじめニューヨークでいったことのある「フリック・コレクション」(19世紀の鉄鋼王フリックの遺産)が日本で開催されていると勘違いしていたのだが、フィリップス・コレクションはワシントンDCにある美術館だ。宣伝文句では、グレコ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、マネ、モネ、ドガ、ピカソ、マチス、カンデインスキーなど誰でも知っている名作を一挙公開と云っているが、今日は少し違う見方をした。つまり、自分が描くなら描けるだろうか、どう描くだろうかと考えながら見た。テーマの話である。まず、宗教のテーマは描けない。水浴の女性や踊り子、少女なども描けない。革命をテーマにした絵も描けない。ルノワールの「船遊びの昼食」も無理。こうして見て行くと何を描くかさえも容易ではない。以下は感想:中ではクールベの絵が意外につまらなく思えた。クールベはもっと迫力のあるすばらしい絵を描くはずだ。ゴーギャンの「ハム」というタイトルの絵には引きつけられた。ゴーギャンを改めて見直した感じ。ゴーギャンの作品はこの一点しかなかったが、”タヒチ”だけではなく、革新的で新しい絵画に挑戦しているのが分かる。デユフィーの「画家のアトリエ」という作品もこれまでみたことのあるどのデユフィーよりも好きだった。自分が描く時のヒントを得たのはココシュカの絵だ。油絵の具を非常に薄塗りをしているのだが何か特別に気迫がある。・・こんな雑感をつぶやきながらひと時残暑を忘れた。
「今日の作品」に「靴を履いた転がりブロックA/陶芸部品」を掲載した。6足の靴を履かせてほぼ完成。

9月4日(日) 歩きながら携帯電話をかける姿は珍しくなくなった。最近は自転車に乗った若者が携帯電話をしたり携帯メールまでする。授業中に携帯メールをするのも特別な学生に限らないようだ。ベンチに座って携帯電話のダイヤルを押してる女の子が携帯俳句を作っていることもある。・・今日、娘親子と車を連ねて走っていると助手席の私の持っている携帯に孫娘から電話が入った。娘が自動車を運転しているので四歳の孫娘が代わって電話をしてきたのだ。この子は登録された相手には自分でダイヤル出来る。ガソリンを入れてから帰りたいなど云いたい事は十分に通じて用は足りた。四歳でも使える携帯は他にもいくらでも応用する余地がありそうだ。携帯は用途開発すればまだまだ可能性を秘めている。
9月5日(月) 最近このコラムにもしばしば登場する孫娘が5歳の誕生日を迎えた今日、直接この孫娘とは関係ないが、東京都心のある曹洞宗のお寺を訪ねた。このお寺は個人墓とか平等な戒名(地位やお金によって差をつける戒名とは違う意)などで知られる。清潔で簡素な美しさがこれまでのお寺のイメージを一新させるもので、個人的には私も非常に興味深かった。このお寺についてはまた日を改めていつか触れてみたい。今日はこのお寺で指針としている「同事行」について受け売りで書く。「海の水を辞せざるは同事なり。これゆえによく水あつまりて海となるなり」「海はいかなる水もこばまない。同事なるがゆえに大海となる」・・と解説されている。なにか現代社会を見据えたような表現である。異質なものを拒否することから敵ができ争いが起きる。あなたとわたしの違いばかり気がついて、同じとは認め難いことが多い。実際に他のものを自分と同じとみたらその瞬間から仲間が増える。お寺では同苦、同悲の心を持て、それが理解と協調を産むと教える。・・普段は寺とはほとんど縁がないが、お寺で同事行の言葉を見ただけで心が少し広くなった。
9月6日(火) インターネットを活用するには検索が欠かせない。グーグルやヤフーなどによる優れた検索機能を無料で利用出来るのは信じられないが、これら検索エンジンの企業はPPC(=Pay Per Click/クリック課金)広告で成り立っていることが知られている。広告をしたい人が事前に単語を登録しておきユーザーがそのキーワードで検索するとその広告主の宣伝が表示される。そしてユーザーがクリックする数によって料金が課金されるというやり方だ。googleの場合(私は最近はyahooでなく専らgoogleを使うようになってしまった)アドワーズ広告(AdWords)、yahooの場合オーバーチェア広告(Overture)といい、細かい課金のやり方は異なるがいずれもPPC型の広告媒体であることは変わりがない。・・今日のニュースでgoogleのAdWordsが紙の媒体に進出か、という記事をみた。売上高の99%がインターネット広告であるgoogleが雑誌の広告なども始める動きがあるらしい。netでのPPC広告のピークは過ぎたという見方もあり、googleだから紙媒体の広告にも革新的なことを引き起こすのでないかと観測されている。googleが広告代理店ならば私も頼んでみようかと思ったりするから案外に成功するかも知れない。
9月7日(水) 「今日の作品」に「球転がりブロックA/陶芸」を掲載中なのでこの事を書こう。このブロックについては粘土の制作段階からコラムでも取り上げたことがあるが、焼成した後に球が計画通りにうまく転がるのは奇跡かも知れないという表現をした覚えがある。何が難しいかというと、長さが45cm、穴の高低差8cmのところで二往復半=5回パスの道をつけたところだ。つまり球が転がる傾斜が非常に小さいので粘土の誤差、収縮、焼成時の変形などを考えると球が連続して転がるのは至難の技だと途中で気がついた。それでも制作を続けて焼成が完了したものをみると意外に変形が少なく焼き物としては上出来だった。球の転がりについては陶器用の小型ヤスリで傾斜の微調整を続けてきた。一つの坂道を球が端から端まで順調に転がりOKとしても左右を置き直すと途中で引っかかる。机のわずかな傾斜が影響する事が分かった。その代わりどうしてもうまく転がらなかった道が左右を逆にすると流れるように端まで転がる。そして試行錯誤の末に、この基礎の水平度に敏感な5本の道に上から下まで通して球を転がすことに成功した。はじめてうまくいった時にはひとり感動した。今日は10回繰り返しても全て下まで球がよどみなく転がるかの確認テストと再調整。こうなると何か自分で奇跡を起こしたような気分にもなる。”たかが球転がし”、他人が見るとバカらしいと思うだろうが、普通の陶芸よりも達成感が大きいのは確かだ。
9月8日(木) 「今日の作品」に「靴の形をした一輪挿し(陶芸)」を掲載した。このところ陶芸作品は「動くアート」関連の部品ばかりであったので久しぶりの単品陶芸。自分でもホッとした感じだ。この小さな靴型の一輪挿しは我が家に入った陶芸用の電気炉(8月27日コラム参照)の試し焼き第一号。これ以外には孫娘がつくった茶碗とか扇風機などを一緒に焼いた。これまでは素焼きだ、本焼きだといっても全て教室任せであったものが、温度の設定、時間などを自分で考えて調整することになり、まだまだ試運転が続く。装置のトラブル(温度が設定まで上がりきらないなど)も発生して悪戦苦闘しているが、一品焼く毎に新たな経験が増える。これからの陶芸作品は家庭焼き、教室焼きの区別を記録することになりそうだ。

9月9日(金) 「グンマの希望 サイゴウジョンコ〜 夢をのせて走る サイゴウジョンコ〜 ぐんぐん走れ びゅんびゅん走れ 今日も走る 未来へ走る ジョンコジョンコ サイゴウジョンコ〜・・」。こんな歌を覚えてしまった。これで分かる人は分かるが、分からぬ人はさっぱり分からぬだろう。NHK朝の連続テレビ小説「ファイト」の中で歌われる競馬馬の応援歌だ。毎回歌われるのでなく週に一二度でてくる。この歌をこのところ一緒に朝食をとる孫娘がすっかり覚えてしまい、機嫌がいいと車の中でも電車の中でも歌い出す。それに釣られてこちらも覚えてしまったが、この歌とにかく明るい。私はこの歌から「ラジオ体操の歌」を連想した(早朝の犬の散歩の時に公園でこの歌を聞くことがある)。「新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ・・」。ラジオ体操のこの歌は50年も前に作詞・作曲されている(藤浦洸作詞、藤山一郎作曲)。50年後、孫娘はドラマは忘れてもサイゴウジョンコの歌は覚えているかも知れない。
9月10日(土) 「今日の作品」に「リフト&水流装置取付台/陶芸部品」を掲載した。また一連の陶芸による”動くアート”関連の部品である。この取付台と水受け皿(水流装置の上に乗った板)で動くアート用の焼き物は全て完成した。後は小物の工作部品を合わせていよいよ総合組立に入る(各種部品は陶芸コーナー参照)。陶芸教室でも何を作っているのか質問されても説明に困ったが、このページでも部品ばかり紹介しているが何が出来上がるのか全容を見せられなかった。次回からは全体の構成を写真で掲載できることになりそうだ。けれども自分では90%できたところで道半ばと言い聞かせて気を引き締めている。陶芸ならば目出度く完了というところでも、動くものは全てが正常に動かなければ意味が無い。今回、動くアートに取組んで見て一般的なアート即ち芸術については余程自分に厳しくしなければいいものはできないとの思いを新たにする。変な言い方だが「動きもしない」彫刻や絵画が本当に価値を持つにはそれだけの個性がなければならない。”動く”自動車や飛行機がある意味で芸術的な完成度であるのに対して、安易な作品を芸術などというと自動車や飛行機に対しても申し訳ない。自分の陶芸による「遊具」を「動くアート」などと呼ぶのもおこがましいので完成品の名称をどうするか思案している。

9月11日(日) このところ粗大ゴミを出す機会が続けて何回か(娘の手伝いも入れて)あり、ゴミについて考えさせられる。ゴミとは「用が終わってもう捨てられるだけの物」(新明解/三省堂)であるが、不要かどうかは使っていた人だけの都合による。たまたま引っ越しの時に持っていくことができなければ、これまで愛用してきた家具調度品がいきなり粗大ゴミになる。第三者がみて物の価値がどんなに高くても使っていた人が用が終わったと思うとゴミ=廃棄物というのがどうも納得できない。廃棄物(不要物)の反対は有価物である。けれども廃棄物の中にも実質は価値あるものが山とある。リサイクルによる有効利用ができればよいが、言うは安くで実際に引き取り手を探すのはそれほど簡単ではない。もっと組織的な再使用の方式がないものかと思いながら(私がみて)価値あるものがゴミとされるのには心が痛む。・・粗大ゴミになるところのテーブル(台)や棚を我が家で引き取って整理すると見違えるように新鮮になった。その代わり我が家で新たな粗大ゴミをだす決断をしなければならない。
9月12日(月) 政治の話題は微妙だ。100%同じ意見はあり得ないのでどんな内容でもどこか引っかかる。こんな伏線から始める・・。衆院選は小泉自民党の圧勝で終わった(解散時246議席に対して296議席獲得)。これで先に参院で否決された郵政民営化法案が次の特別国会で通過の見通しだという。参院での自民造反組が今回の衆院選挙の結果を見て賛成に転じる議員が相次いでいるためだ。鴻池氏をはじめとする造反組の転向理由が奮っている。選挙で与党が過半数を超えれば世論と受けとめ賛成に回ることにする。こういう理由の転向組が12人(今日現在)もいる。国会議員とは世論に従うのでなく信念を持って世論をつくるはずだ。自分の賛成、反対の判断基準を選挙(世論)に求めるとは口実にしてもバカげている。対照的なのは衆院選で落選したり苦心の末に当選した造反組だ。選挙の結果は「民営化」の言葉に踊らされただけで内容は分かっていない、世論など当てにならないと愚痴を並べる。こうしてみると衆院を解散して勝利し参院の造反組を転向させるという小泉首相の巧みな政治手腕ばかり際立って見える。
9月13日(火) 一昨日、日曜日の夜、アール(コーギー犬)の散歩の時に美しい月を見つけて思わず立ち止まった。雲一つない夜空にくっきりとした半月・上弦の月だった。昼間の残暑は厳しいが月には秋の気配が感じられる。今晩の散歩の時にもまたお月さんを探した。家の近所(東京・渋谷)では空の見える場所で注意して見つけないと月に気がつかない。今夜は月は見える事は見えたが最早上弦の月ではなくお腹が少し膨らんでいる。おまけに周囲はかすんだ朧月。当たり前であるが月は一日一日目に見えて変化している。そう、仲秋の名月も間近い(ただし9月15日が満月とは限らない)。調べてみると今年の九月の満月は18日日曜日だ。話は飛ぶが最近中国から帰国した知人によると、中国では仲秋の名月(陰暦8月15日)には月餅が欠かせないのだそうだ。日本のバレンタインのチョコレートやクリスマスの贈り物どころでなく、猛烈な月餅の贈り合いが社会問題化するほどだとか。日本では名月はささやかな団子とススキを連想する。我が家の部屋からは月は見られないので今度の日曜日には散歩の後にビールでも飲むか・・。
9月14日(水) 朝日新聞の天声人語で時々うまい手を使う。”今日の言葉(?)”のタイトルで他人が残した言葉の一部を数件集めてそれで一日分のコラムは終わりというやり方だ。私は自分の意見を直接には言わずに他人の言葉を借りて評論家面する朝日スタイルが好きではないが、このやり方はコラムスペースを埋めるには参考になる。早速に真似をさせていただこう。”今日のニュース”:「阪神に優勝マジック13」、「ダイエー創業者の中内功氏(83)が脳梗塞で入院中」、「安達祐実さんが結婚」、「デルタ航空(米航空3位)とノースウェスト航空(同4位)が破産法の適応申請へ」。・・なるほど自分の好みのままにニュースを抜粋するだけでこの日の流れが何となく分かる。けれども、それでどうした? ・・やはり安易な手法はやめた方がよさそうだ。
9月15日(木) スポーツに真剣に取り組んでいる人はほとんど例外なく礼儀正しい。格闘技、特に武道と名のつく競技もこの例に漏れない。この夏から孫娘(9月の初めに5歳になった)を何度も極真空手の道場に連れていったが空手の指導者がそろって親切で優しく、しかも礼儀正しいことが印象に残る。勿論、ときどきやってみせるのだが凄い技も身につけている。極真空手の創始者大山倍達(1923-1994)はマンガになるほど(空手バカ一代/梶原一騎)伝説も多く、空手道を極め世界に空手を広めた人物である。<いま極真は組織として分裂状態が続いているのが何としても残念であるがいつの日か同じ道に統一されることを望みたい。>男の子は武道家に憧れる時期がある。私も子供の頃、塚原卜伝が鍋の蓋で真剣を受けたとか宮本武蔵が箸で蝿を捕まえたなど剣道家の話、そして大山伝説にも胸躍らせた。道を極めた人物は人格も立派であり、これが子供心に夢を与えた。長じて技術や技能あるいは地位や名声と人格は別ものという現実に触れる。それだけに一流のスポーツ選手が礼儀正しく真摯であるとやはりうれしい。
9月16日(金) 数体のマネキンを小型トラックから降ろしているところに出会った。余りに軽々とマネキンを運ぶのでよく見ると発泡スチロール製のマネキンだった。発泡スチロールでマネキンを作るのは確かに理にかなっている。今日見たマネキンは白一色だったが、発泡スチロールに特殊な塗装をすれば外観からはほとんど何で出来ているか分からない精巧なものができる。発泡スチロールで作った兜とか日本刀など芸術的なモドキ品を見た事があるが遠目には本物と区別がつかない。ラスベガスのホテル内にあるヴェニス風の建築や彫刻、装飾など全てが発泡スチロールで作られていると聞いたこともある。コピー品を作る以外に建築の模型作りなどにも発泡スチロールは欠かせない素材だ。・・こんなことを綴っている間に突如閃いたことがある。いま陶芸による遊具の総まとめ工作を続けているが、ここで一部に発砲スチロールを使うとどうだろう。勿論、モドキ品を作るつもりはないので何か発泡スチロールの特性を有効に活かしたい。・・そこで先ずは足の大きさが数mmの超ミニチュア靴を作ってみようかと案を練り始めた
9月17日(土) 我が家のガスレンジが故障し修理屋さんに見てもらったら部品が手に入らないから修理できないという。ガス台だけを使うようにもできないとのことでレンジとガス台一式廃却することになった。以前には洗面所の換気ファンが時々回らないので電気屋さんに見てもらったらファンを交換して換気ファンと修理代を払わされた。スイッチを入れるとやはり回らないことがあるのでスイッチが悪いとだろうと秋葉原にいってスイッチを購入してきて自分で交換した。その後全く問題がない。換気ファンなど交換する必要は無かったと思っている。最近の家電、パソコン関連の商品などは故障するとユニット部品を交換して終わりだ。原因を追求して必要最小限の部品を交換するなどと手間のかかることはやらない。そのためか一般に修理技術が昔より劣っているのでないかと思うことが多い。今日のニュースによれば秋葉原にヨドバシが最大級の店舗をオープンして多くの客を集めているという。私などにとって秋葉原は他では手に入らない特殊な部品が買えるから魅力があった。量販店なら新宿で用は足りる。小さな部品屋さんがまだ残っているのか再開発最中の秋葉原にも行ってみたい。
「今日の作品」に「 水流装置からの球回収用具/陶芸部品」を掲載した。一週間も作品写真を更新していなかったのでこの部品を掲載したが解説は後日とする。

    9月18日分
9月18日(日) 昨日に引き続いて「今日の作品」に「 水流装置からの球回収用具2/陶芸部品」を掲載した。今日掲載の分は昨日のクローズアップだ。球を転がすだけでは物足りないので一部で水の流れと一緒に球を流しそれをまた回収することを計画した。水と球とが一緒に流れてくるので先ず網の上に落として水を切る。その後球を転がりの通路に誘導する。掲載した写真では上部針金の部分に網をはる。球は位置によって右にいくか左に行くかは成り行き次第。右の円錐状の受け皿に入った球はコイルの中を通りリフト装置へ戻る。左の円錐受け皿に入った球はビニールチュウブを通り陶芸の球通路に戻る。円錐状のコイルは乾電池用のもの、円柱コイルも市販のスプリング(いずれもステンレス製)を使った。この回収装置非常に面白く出来たので気に入っている。早く「陶芸による玉転がし」の全容を紹介したいと思いつつ、まだまとまらない。
夜、アール(コーギー犬)の散歩の時に何度も立ち止まって満月を眺めた。散歩コース(東京・渋谷)では建物の間から月をみることができる場所はそれほど多くない。それでも中秋の名月がみられるのもアールのお陰と犬に感謝するほどすばらしい満月だった。散歩から帰ると直ぐにまた妻と孫娘とを誘って満月を見るために外にでた。

9月19日(月) 今日、9月の第3週月曜日は敬老の日。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」のが趣旨だという。自分は老人ではないが「敬老」というのが余り好みではない。敬愛するのは年をとった人でなく、誰でも年と関係なく敬愛する。「長寿を祝う」のも昔の感覚だ。女性の平均寿命が85歳の時代に祝うべき長寿とは何歳なのか。嫌みな言い方をすると百歳を超える長寿になって年金をもらい続ける人よりも60歳で亡くなった人は年金で破綻しそうな社会のためにどれだけ貢献することか。これから社会はますます高齢化が加速する。年金が大きな問題の一つとなるだろうが老人を優遇し過ぎると即社会の活気が衰退するのが見えている。社会に負担をかけない老人こそ敬愛すべきと思うが、そうすると自分自身も敬愛される資格はなくなる。といって早く”お陀仏”して「社会につくす」のもさびしい。高齢化社会では「敬老の日」の意味は大きく変わりそうだ。
9月20日(火) 今日の特記事項は「針の穴通し」だ。針金に布を取り付ける工作のため縫い針を使ったもの。子供の頃雑巾を縫った覚えはあるが何十年も針と糸の作業には縁がない。久しぶりの針仕事で針に糸を通すのがこれほど大変だとは思わなかった。穴通しに悪戦苦闘しながら祖母のことを思い出した。昔、一緒に住んでいた祖母が針に糸を通すことができないと私が代わりにやったことがある。それが今私が針の穴が見えない!何度も失敗を重ねながら途中から白糸と白布に対して黒い下敷きを置いて作業をするとずっと見やすくなった。針仕事にも工夫は必要のようだ。途中から瞬間接着剤も併用してこの工作も完了した。・・今日の特記事項二番目は以前から進めている「陶芸による玉転がし遊具」がスタートから回収までのサイクルテストができたこと。後は微調整をして完成する。時間をやりくりしながら合間に少しづつであるが進めてきた。それだけに複合作品には単品の作品と違った感慨がある。さあ、もう一息・・。
9月21日(水) 「陶芸による球転がり遊具(全体組立写真)」を「今日の作品」に掲載した。台は幅90cm,奥行き60cmとしているがビニール管(通路用)のスペースをみれば90×90cmのスペースが必要だ。我が家ではこのセットをどこに置くかが先ず問題となる。球を動かす始まりは電池駆動の減速機で螺旋の軸を廻し高さ40cmmまで球を持ち上げる。それ以降は重力で下り最後はまたスタート台に戻る。球はスタート直後に空中降下して対面の陶芸で作った道に入る。それからは多くのルートに分かれるが分岐道が全部で7個所ある。スタート台には三カ所の戻る道がある。一つの球が通る可能性のあるルートの数は全部でいくつになるかは数学のトレーニングになるが数えていない。陶芸の印象をなるだけ損なわないように工作や接続管は極力シンプルにするよう心がけた。この全体組立を孫娘が我家に滞在中に何とか間に合わせたいと寸暇を惜しんで付属の工作部品を作成したが、今日完璧とはいかないが一応の全体像が完成し孫娘にも見せる事ができた。明日、娘と孫娘は激動の東京生活を終えてニューヨークに戻る。

9月22日(木) 娘と孫娘はいまニューヨーク行きの飛行機の中。ニューヨークでは娘の夫そして孫娘の大好きなパパが待っている。娘が義父の看病のために日本に戻ってきたのが3ヶ月前。それ以降、病院での看病、自宅看病、最期の看取り、通夜、葬儀の準備、葬儀、墓探し、諸々の後処理、更に自宅の整理、引越、業者との折衝などなど昨日いっぱいまで休みなく動きずくめだった娘にはマンハッタンのアパートでどうかゆっくりと休んで欲しい。こちらはできるだけサポートしてやろうにも限度がある。ママと離れても明るく元気な孫娘の世話をする程度しかできなかった。この孫娘(9月に5歳になった)と暮らした3ヶ月間に自分の時間はかなり拘束されたけれども孫娘から教えられたことが数えきれない。大袈裟に言えば人間の幼児とはすごいものだと感心ばかりしていた。自分の子供にはこういう見方はできなかった。理解する能力とかではなく、自分で考える力、工夫する意欲が面白く、一緒にいて退屈することがなかった。”いいこと考えた”が孫娘の口癖。私の「球転がり遊具(陶芸)」で球を転がしている最中に球が途中で止まってしまうと、ゴミがついたのでないかとか犬の毛があるとか片方を持ち上げて傾斜を多くするとか的確な”原因追及”をするので脱帽した。とにかくもこの孫娘ちゃんには”ありがとうね”と云いたい。
9月23日(金) 我家に3ヶ月間滞在した鵜娘と孫娘がいなくなった休日。夕食時には珍しく八海山(新潟の日本酒)の小瓶を空にした。昼には水不足になっていた鉢植え植物にも水をたっぷりと与えた。一週間ほどの日記もまとめて書いた。日記(といっても出来事だけを記録するノート)を書いてみると如何に記憶が曖昧かが実感として分かる。2−3日前に何をやったか思い出せない。特別な行事は書けるが半日ブランクであったりする。ひどい時には今日の昼食に何を食べたかも忘れてしまう。最近はこれはいけないと思い始めた。そのつもりで頭を緊張させれば記憶できるのだから覚える意志が必要だ。しばしば身近に体験するのがテニスの試合でのカウントである。自分でしっかりカウントしなければいい加減になる。年齢と共に相手のカウントも正確でないことが増えるので自分でカウントする習慣をつけようと心がけている。棋士はお互いの着手を全て再現できるという。一手一手に気合いが入っていると自ずから着手は記憶に残るのだろう。昼食をしたではなく何と何を食べた、工作をしたではなくこれとこれを作った、本を読んだではなく誰のどの個所を読んだ・・など具体的な一手を記憶する気合いを持ちたいと思う。
9月24日(土) 台風17号の北上に伴って東京も朝から一日雨。一方、アメリカではメキシコ湾を北上してきたハリケーン「リタ」が本土に上陸した。最近は時々解説もされるが、台風は太平洋や東シナ海(赤道以北で東経180度以西)で発生した熱帯低気圧の(ある条件の)呼び名であるのに対して、北大西洋、北西太平洋で発生した場合はハリケーンと呼ばれる。台風の名前は今の日本では番号であるが、私の子供の頃の台風はキテイー台風とかジェーン台風など米国女性の名前だった。昔、これは米軍の気象担当者がガールフレンドや妻の名前を愛称として使ったと聞いたことがある。米国ではハリケーンの名前は番号ではなく今も人名を使う。この方が確かに覚えやすい。ところがハリケーンにガールフレンドの名前を好きに付けるのではなく先頭の文字がアルファベット順になるようなリストができていてこれを順に使う。しかも女性の名前だけを使うのは男女同権に反するとして男女の名前が交互に用いられるという。ちなみに前回ニューオーリンズなどに甚大な被害を及ぼしたハリケーンKatrinaの後、Lee,Maria,Nate,Ophelia,PhilippeそしてRitaになる(順番リスト=ここ=)。どういう訳か女性ばかり強い。日本でもこの方式を採用するとどうだろう。台風タローは九州をかすめて通り過ぎた、ヨシコによる死者は○○人・・。やはり番号制でいいのかも知れない。
9月25日(日) 「今日の作品」に「陶芸による球転がり遊具(水流装置部分)」を掲載した。この水流装置は噴水のノズルの上に軽い球を浮かせて水が飛び散らないように抑えている。水は傾斜した皿で受けて下部の水槽に戻される。この受け皿には落下してきた鋼球も転がってくる。鋼球は網でキャッチされて水と分離しまた戻って転がりを続ける。・・久しぶりに陶芸教室へいって話をしているうちに、この「球転がり遊具」のセットを展示してくれることになった。10月1日(土曜)から一週間代官山(東京)の陶芸教室、陶房TERRA(HPはここ/地図も出ている)のギャラリーに飾る。展覧会ではなく作品としての参考展示であるがうれしいことだ。以前から何度もこのホームページには部分写真を掲載したり動きを解説したりしているが、とにかく話だけでは説明しきれない。動きのあるものは現物をみるのが一番だ。自分では陶芸作品としてこんな遊具ははじめてだと自負しているが、多くの人に見ていただく手段を知らない。先ずは10月1日からのギャラリ展示が決まってよかったが、これを第一ステップとして出来るだけ多くの目にさらすことを考えたい。他人のよき批評が新たな発展につながる・・。
9月26日(月) 昨日、愛知万博が閉幕した。私はついにいくチャンスがないまま、185日の会期は長いようで終わってみればあっという間だ。チャンスは自分で作らなければ誰もお膳立てしてくれない。初めは混雑しているので一段落して空いている時を狙おうとか梅雨時は嫌とかいって様子を見ていると6月。その内、娘や孫娘が家に寝泊まりする非常事態で旅行どころではなく3ヶ月。その間無為に過ごした訳でもない。今回の万博はロボットが目玉であったとか。その他見てきた人の話を聞いて、それほどいく機会を逸して悔しがることもなさそうだ。万博といえばやはり大阪万博(1970年)が記憶に残る。岡本太郎のデザインした大阪万博モニュメントは万博開催時には際立った印象を持たなかったが、数年前に大阪万博跡地にそびえ立つモニュメントを改めてみると、よくできているのでしばらく見とれてしまった。年月を経ると見方も変わってくる。愛知万博の跡地をどうするか知らないが、いつの日か彼の地を訪れてロボット以上にインパクトがある記念すべきモニュメントを見てみたい。愛知万博のテーマは「自然の叡智」だった。本当に自然の叡智が見られるのは閉幕後かも知れない。
9月27日(火) 「あいさつがない」とき、ヤクザから政治家、事業家、小サラリーマン、ご近所さんに至るまで、ほとんどの社会で問題とされる。それほど大層な”あいさつ”でなくても、確かに挨拶が気になることは多い。毎朝6時から7時の間に犬を連れて散歩にいくと顔なじみができる。犬を連れている人たちとは自然と挨拶をするがジョギングをする人とも挨拶を交わすようになる。こんな時、特に同性の男性については挨拶も個性だなあと思う。こちらが「おはようございます」といっても一瞥もせず、一言も発せずに通り過ぎる人。初めての場合は気がつかないこともあるが一日交代に挨拶をしたりしなかったりとなるとどうなっているのかと思う。今朝はこちらからいつになく大きな声で挨拶をしたらボッソリと”おはよう〜す”と返事がかえった。その時に一瞬気がついた。すれ違い際の0.5秒間ほどの間の挨拶であるから私の言葉も小さな声であると聞こえないことがある。相手も案外”コーギーを連れたアイツは挨拶をしたりしなかったり、変な野郎だ”と思っているのかも知れない。挨拶は発声訓練を兼ねて大きな声の方がよさそうだ。
9月28日(水) 終日部屋片付けをしていたような気がする。居間だけでなく自分の部屋も徹底的に整理した。我家はお客さまが来るとなるときれいになる。他人に家にきていただくのはありがたいねと妻とも話す。特別に見栄を張るとか格好をつける訳ではない。それでも最低限の掃除くらいはしようと思う。最低限をどこに設定するかは気分と体力による。今日は珍しく気合いを入れて片付けをした。・・女優さんが新人の頃にはどことなく野暮ったくてもカメラの前で演技するうちに目に見えて美しくなることがある。芸能人もテレビにでる度に張りを持ってくる。人間の外観は他人に見られること注目されることにより磨きがかかる。家の中もまた同じであると考えると一夜漬けの整理・整頓にも理由がついた。他人の力は大きい。
9月29日(木) 今日のコラムに何を書こうかと考えていたところ、今プロ野球で阪神の優勝が決まった。甲子園球場で巨人を相手に5-1で圧勝。しょぼくれた巨人選手と大喜びの阪神ファンの目の前で岡田監督を胴上げする光景は今シーズンのセリーグを象徴しているようだ。阪神の強さを分析するほどデーターを持ち合わせない私でも巨人の余りの弱さには毎度驚かされてきた。巨人の試合? 大敗だろうというとその通りになる。これは勿論堀内監督だけの問題ではない。球団の運営方針を決めたフロントの責任は明白だ。巨人は実績を残した大選手だけを金で集めてくるチーム作りをするとどうなるか実験をしてみせてくれた。要は自分のところの若手を育てない、信頼しない、能力を認めないとどうなるか。年寄りが権力を持って牛耳っている社会のミニモデルを見ているようだ。パリーグもレギュラーシーズンの全日程は終了し、新規参入の楽天は38勝97敗という歴史的大敗で終わった。けれども若い楽天には将来の楽しみがある。・・イヤ〜、野球はその気になれば面白い。来シーズンは野球ファンになってもう少し真面目にゲームを見ようか・・。

9月30日(金) 六本木ヒルズ(東京)に自転車でいってみた。駐輪場が満員で不法駐輪をしたが天気もよく適度のサイクリングを楽しんだ。目的は森美術館(六本木ヒルズ森タワー52階)で開催されている「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(11月13日まで開催中、HP=ここ)。この展覧会の目玉はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)が残した晩年の「レスター手稿」と呼ばれる直筆ノートだ。レオナルドは53歳になって、それまでに取り組んだ幾多の科学的考察を集大成して記録した。内容は天文学、水力学、地球科学など多分野に及ぶ。「レスター手稿」はローマの画家が所有していたものを1717年に英国のレスター卿が入手したのでそう呼ばれるようだが、その後1980年に米国に渡り、1994年以降はマイクロソフトのビル・ゲイツ氏が所蔵するものとなっている。今回はビル・ゲイツ氏の特別な計らいで日本初公開。細かな文字でびっしりと書いた文字がレオナルドの直筆というだけでやはり迫力がある。解説が無いと何も読めないが、自分の周囲のありとあらゆる自然や物理現象の一つ一つに好奇心を持って観察し、そして考える。何事も余りに細分化され過ぎ一つの専門家で生涯を終える事の多い現代においてレオナルドは一つの理想形として歴史を超えて今も勇気を与えてくれる。
「今日の作品」に 「陶芸による球転がり遊具 (水流装置アップ)」を掲載した。蓮の葉(模擬)で給水台を隠すと水が上から流れてくるように見える。水はどこからくるのと聞かれて成功だった。
<「陶芸による球転がり遊具」は明日、10月1日の午後から一週間「陶房テラのギャラリ(東京・代官山、HPおよび場所、地図などはここ)で展示されます。機会があれば是非ご覧ください!!>


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