これまでの「今日のコラム」(2005年 12月分)

12月1日(木) <世界遺産・・>
世界遺産の番組をみるのが好きだ。以前は自分で世界遺産の現地を訪ねるのが夢であったが今はそんな大それたことは言わない。今日のNHKテレビでは、ヨルダン、シリア、イエメンの世界遺産が紹介された。まさに”砂漠が生んだ驚異の文明”である。ローマやエジプトといった有名観光地でない世界遺産も数多いのには驚く。現在世界遺産に登録されている場所は、自然遺産160,文化遺産628,複合遺産24,合計812件(日本は13件)。むしろ知らない世界遺産の方が多いのが当然かも知れない。特に文化遺産の映像をみていると壮大な人類の営みに感動する一方で現代を考えさせられる。文化遺産はほとんどが何らかの(政治、宗教など)強大な動機付けの下に達成されている。”歴史認識”はそれぞれにあろうが過去の権力者の遺産で現在も潤っている場所は数知れない。ひるがえって近代〜現代は後世にどんな遺産を残しているか。・・文化遺産など意図してできるものではないだろうが、少なくとも現代は昔よりも精神文化が豊かだと言えないところが寂しい。

12月 2日( ) <冷却期間 ・・>
余り気長な方ではない。人生は短い、やることはさっさとやりたいと思う。「今日の作品」に「web-design3<水彩>」を掲載したが、水彩にしても油絵でも描く前の準備とか気力を溜め込むのには時間をかけても、描き始めると一気に仕上げる。ところが、陶芸をはじめてから焼き物は焦ってはならないと思い知らされる。十分に乾燥させ、加熱もじっくりと時間をかける。陶芸教室では粘土で形が出来上がってから素焼き、本焼きまで完成するのに一ヶ月ほどかかることは珍しくない。最近、自分の家の電気窯で焼いてみると加熱以上に冷却時間が長いことを実感する。今、窯の中で冷却中であるが、これはヒーターを止めた後24時間以上経過している。扉を開けることのできる90度以下になるのはまだ数時間かかりそうだ。約1200度まで加熱・保持するのに12時間ほどかかっているから、冷却には加熱の倍以上の時間がかかる。世の中の争い事もホットな状態よりも、後の冷却時間が長く必要である。一件落着の見通しは争いが終わるまでの期間でなく、はるかに長い冷却期間まで考えなければならない。陶芸をやりながら争い事ではないのだから陶芸での少々気長な時間ぐらいは我慢・ガマンと自分に言い聞かせている。

12月 3日(土 ) <七年目 ・・>
今日は妻の母親の七回忌で親戚が集まった。義母が亡くなって丸6年、七年目に入るこの時期に私は法事とは別の特別な感慨に浸る。それはこのホームページのコラムを始めたのと義母が亡くなった時期がほとんど一緒だったことである。いま古いコラム(1999年分=ここ)を調べてみると、12月11日にコラムを開始して義母は15日に亡くなっている。更に私としては生まれて初めて応募したフォトコンテストの写真が入賞し、義母の亡くなったこの日に授賞式があった。授賞式を途中で切り上げて通夜に向かったことが強く記憶に残っている。義母は長年療養の末92歳の大往生であったが、何か見えない手で私をもサポートしてくれているところがある。まさにこのコラムは義母の生まれ変わりとしてスタートした。そう、コラムも七年目に入るのだ・・。七回忌に集まった一同にお寺のお坊さんが言った:「みなさま次の十三回忌にも是非元気で顔を見せて下さい・・」。コラムは果たして十三年目を迎えることが出来るだろうか・・。

12月 4日(日 ) <十二支 ・・>
そろそろ来年の賀状を準備する時期になった。来年は十二支で戌年。12を一周期とする数え方は実によくできている。時間の12時間は毎日のベース、12年毎の周期は丁度一昔前を実感する。12年の周期が5回で60年、還暦とは振り出しに戻る。新たな人生のスタートとしては還暦が適当だ。さて、犬は余りに親しくて賀状のテーマとしては反ってやり難い。12年前の賀状はどうしたかを古いアルバムでみたところ今のアール(コーギー犬)の母親のアンをプリントゴッコで印刷したものだった。まだパソコンもデジカメもなくパソコンで画像処理をしてプリンターで印刷するなど考えもしなかった。その後数年の印刷技術の変革は驚異的だ。ただし技術が進歩したからといって賀状がよくなるとは限らない。昔の版画の方が味があることも多い。どちらにしても自分流の賀状を作るしかない。次の戌年にはアールはいない、自分だってどうなっているか分からないと思いつつ賀状のアイデイアを練る。構想はほぼできあがってきたが、戌年という十二支があるからこんな楽しい遊びができる。
<明日は箱根に小旅行の予定、コラム休みます>

12月 6日(火 ) <富士屋ホテル ・・>
昨日から二夫婦で箱根を旅行した。京都の金閣寺は雪化粧したようだが箱根は昨日・今日とも快晴。のんびりした旅の中で宿泊した箱根・宮の下の富士屋ホテルが別世界の趣で面白かった。このホテルは明治11年(1878)創業のクラシックホテル。明治16年に火事で全焼した後、本館が明治24年(1891)、西洋館が明治39年(1906)、花御殿が昭和11年(1936)に建造されたと聞くだけでそのクラシックさが分かる(ホームページでの紹介=ここ)。ホテル内を探検するのも楽しかった。私などは風呂の帰りに迷ってしまい自分の部屋を従業員に聞く始末だった。その従業員も中国人など外国人が多い。老舗のホテルも伝統だけでは継続出来ないのが外国人従業員にも表れているように思える。”過去に名士や有名人がお泊まりになりました”だけではお客は来ない。古くていい(価値のある)ものもあれば古いだけのものもあるから選別とリニューアルが大変であろう。古さを活かしながら新しさを工夫することが必須であるのはどんな分野でも同じだ。このホテルがこれから更にどんな知恵をだすのか見てみたい。
12月 7日(水 ) <ルネ・ラリック ・・>
ルネ・ラリックのガラス工芸からいろいろなヒントを得て自分のノートにアイデイアをメモしている。一昨日、箱根・仙石原の「箱根ラリック美術館」(2005年3月に開館=ここ)で見たラリックのガラス作品は期待以上に面白かった。ルネ・ラリック(フランス生まれ、1860-1945)はアールヌーボー様式の宝飾デザインからアール・デコのモニュメントまで幅広いガラス工芸作家として知られるが、その全容をみると、やはり天才的な芸術家であったと思いを新たにする。ラリックは芸術家であると同時に大いなる実践家であった。私が注目したのはガラス工芸の製法に圧縮空気(コンプレッサー)を使い鋳物と同じような厚肉のガラスの型作りをしている作品群だ。その時代の最先端技術を使い、従来にない芸術作品を作る。こんなことができる天才であった。時代の反映という意味ではジャガーなど、自動車のラジエーターキャップのデザインも手がけている。当時の自動車には最先端部にこのデザインされた(ガラス製)キャップが配置されており、自動車を引き立てている。生活に密着したラリック独自の装飾デザインには今の時代でも触発されるところが多い。

12月 8日(木 ) <茶碗 ・・>
「今日の作品」に「茶碗」を掲載した。最近、陶芸や絵画の作品作りで以前と少し考えを改めようと心しているところがある。これまでは私は一度製作すると類似のものは作りたくない性分であった。同じものをいくつも作るのなら量産の専門家に任せればよいという感覚だ。けれども何にしても絶対数量を多くしないと中から選別も出来ない。とにかくも量を製作する事は意味があると思いつつある。思っているだけで未だ実践に至らないところであるが、今日掲載した「茶碗」<陶芸>は以前作ったものと同類である。このような作品でも必ず一つ一つの個性がでるのが”手作り”のいいところだ。しばらく茶碗のような”在り来たり”の形でも沢山の量を作ってみるつもり。真剣勝負で量に挑めばまた新しい発見があるはずだ。数ができれば、「今日の作品」スペースに毎日新しい作品を展示することができるなあ・・。


12月 9日(金 ) <公的資格 ・・>
公的資格がある業種は古い=よく言えば成熟した=職種とする見方がある。世の中で初めての事を推進する時には皆がパイオニアで自分たちがルールを決める。成熟するとルールを法制化したり資格者にのみ扱う権限を与えたりする。建築設計士が構造計算書を偽造した事件が連日ニュースで大きく報じられているが、一級建築士の資格を持った人物が計算書の内容を偽るとは建築設計そのものが単なる下請け仕事と成り下がり誇りも情熱もなくなってしまったのかと寂しい限りだ。先人が作り上げた計算方法で今はコンピューターにデーターをインプットすれば結果がでる。自分で理論を考えて構造強度が万全であるかを確認するという意識でなく、数値を入れて結果だけをみる”事務”をやっているのだろう。建築設計でも東京オリンピックの時に話題になった代々木体育館(国立屋内総合競技場)の場合は法律で決められた式などでは構造の計算はできない。有名な話であるが丹下健三デザインの代表作の一つでもあるこの建築は、シェル構造の強度解析の権威でもあった坪井善勝氏との共同作業ではじめて完成することができた。勿論、こんな構造計算を一級建築士はできない。公的資格者には謙虚さが必要であろうが、一方で資格者としてプライドを持って欲しいと思う。

12月 10日(土 ) <マスコミ公害 ・・>
マスコミ公害をもっと問題にすべきでないか。最近、幼い子供に危害を与えるという卑劣でやりきれない犯罪が続発する状況をみていると、この種の事件が全国に伝染する原因の一つにマスコミ情報の垂れ流しがあるのではないかと思うことがある。広島の少女殺害事件で逮捕された容疑者(ペルー人)が話した”突然悪魔が取り憑いた”などという言い訳を何故ニュースで流す必要があるのか(弁護士が容疑者の言い分を一々マスコミに話すのも実に奇妙だ)。善悪の判断がつかない精神異常者に罪を問えないとか、少年には刑事責任を問えないなどのポイントを”必要以上に”詳細に報道することは人のためになる事なのか。ひどい時には犯罪のテクニックを懇切丁寧に解説して報道する。わずかなパーセントであるかも知れないが、残虐な手口が派手に取り上げられるのを羨望の眼差しでみる人間がいるものである。興味本位のマスコミ報道は害毒を流しているとしか思えない。知る権利があるならば知らせない義務もある。

12月 11日(日 ) <晩秋の草木 ・・>
陶芸で”磁器”に取り組んでいる。陶器の素材は粘土であるのに対して磁器は陶石と呼ばれる石が原料。白磁といわれるように白色が美しく、強度も大きいので薄く仕上げることができる。私としては珍しく磁器で作ったお椀の周りに絵を挿入しようと思って題材を探した。樹木か草木のモデルを求めて犬の散歩がてらデジカメを持って近所の公園にいく。東京都心にも寒波到来で昨日までと打って変わって寒い。紅葉した樹々の葉も散り始めている。結局、ススキや葉だけの豊後梅、半分葉の落ちた萩、枯れた蒲などの写真を撮ったが、陶芸に使用するデザインは以前スケッチしていた別の絵を使うことに落ち着いた。撮影した写真は使用しなかったが、晩秋の草木を一つ一つ観察していると、それぞれに今の季節でしか見られない風情があることに気がつく。春は春の初々しさ、夏は夏の元気さがあるけれども、晩秋の草木もまた他の季節では見られない独特の重厚さや枯れた味をみせる。自然の造形物というのはすごいものだ。
12月 12日(月 ) <病院の不思議 ・・>
病院にはほとんど縁がない。そのせいかも知れないが、今日久しぶりに総合病院にいくと病院の色々なやり方がもの珍しく思えた。中でも病院には独特の”不思議”がある。こちらは治療ではなく皮膚科のお医者さんの意見を聞きに行っただけであるが、勿論初診で申し込み、時間を待たされることは覚悟していた。それにしても診療時間(相談時間である)3分に対して待ち時間2時間余! 私が問題にするのは待ち時間もさることながら、自分の順番が分からないことである。はじめは数名待てばいいかと思っていたら結果は20名ほどは前に入った。次々に予約の人が先に入っていったからである。順番が知れないことはフラストレーションを引き起こす。待ち時間を短縮出来なくても待つ順番を知らせることはいくらでも出来るのに・・。申し込みの順番カードで待つ人数を知らせるやり方は郵便局でも銀行でもやっている。病院ならばこれに加えて予約人数を適宜表示すればよい。こんな簡単なことを何故実践しないのか・・病院の不思議である。

12月 13日(火 ) <余白の美・・>
粉雪舞う東京・渋谷を出発して、横浜まで行くと季節外れの積乱雲と青空があった。最近開通した東横線ーみなとみらい線特急を使うと、渋谷から横浜美術館(みなとみらい駅から3分)まで30分ほど。横浜美術館で開催されている「李禹煥展/余白の芸術」をみた(net紹介=ここ)。リ・ウファン(李禹煥)は1936年韓国に生まれ、1956年以降日本を拠点に創作活動を行い日本の現代美術に大きな影響を与えたと云われる。私は李さんの作品を生で見るのは初めてであったが、不思議に波長が合うものを感じる。最近の作品は大きなキャンバス(例えば3m×4m)に灰色の四角(25cm)が一つというのもある。展覧会のサブタイトルに「余白の芸術」とあったが余白の美に対する感性は竜安寺の石庭や仮名文字の配列、侘び茶など日本人が伝統的に親しんだ世界でもある。余白とは余った空間ではなく確かに想像により無限に続く空間である。リ・ウファンさんは創作物の中で「無作為」(つくらないこと)を重視する境地に至ったが、これは現代のあらゆる分野でも同じことが考えられるように思えた。何でもできる、多過ぎる、忙し過ぎる、詰め込み過ぎる・・こんな時代に、思い切って無作為な空白を設ける意味は大きい。一見無駄にみえる余白の中に可能性のある時空が見えるのでないか。

12月 14日(水 ) <拾得物・・>
みずほ証券が売り注文の際に誤って価格と株数を逆にして、1円で61万株のインプットをした結果300億円以上の損失をだしそうだというニュースに続いて、今日はこの取引に関連して欧州系金融機関UBS証券グループが約120億円の利益をあげたのをはじめとして国内外の証券グループが約170億円の利益を得たと報じられている。みずほがミスに気づいて必死に取り消しを試みようとしたけれどもシステムの不良で変更ができなかったほんの数分間で同業者は暴利を得たことになる。同業者は当然何らか異常やミスに基づく取引であることを十分承知していたはずだ。他人が誤って落とした財布を間髪を入れずに拾い上げで自分の拾得物とする。落とした本人はある事情で拾う動作ができないし話も出来ない・・こんな図式が目に浮かぶ。夜のニュースによればUBS証券では利益を何らかの形で還元する動きがあるというが当然だ。拾得物は返却すべき。ついでに個人投資家で暴利を得た人たちは半分を歳末助け合いに寄付してもらいたい・・。
「今日の作品」に「web-design4<水彩>」を掲載した。web-designの4番目の作品であるが、何がweb-designなのか分からなくなってきた。とにかくもこの種の絵は描いていて楽しい。

12月 15日(木 ) <言い訳・・>
このところ日の出の時刻に東京から富士山がくっきりとみえる。西郷山公園(東京・目黒区)で昨日、今日の早朝に犬と一緒にしばらく美しい富士に見とれた。昨日テレビ中継された耐震強度偽装をめぐる国会の証人喚問をみていても、こちらは一向にスッキリと形が見えない。一方で「鉄筋を減らすように圧力を受けた」といえば、他方で「鉄筋の数を減らせとはいっていない・・」。こんなやりとりを聞いていて、私はうまい言い訳の仕方を学習した。妻が車を運転してドライブに行く時に、私は”もっとぶっ飛ばせ”と発破をかけて嫌がられる。もしスピード違反で捕まったら、”法律の制限スピードを超えろとは一言もいっていない”と言い訳をすればよい。前に”Uターンしろ”といってUターンしたとたんにお巡りさんに捕まったことがある。この時には”Uターン禁止かどうかは運転者がみるもの”といえばよかった。・・仕事上のやり取りの場合は妻にもらす言葉とは比較にならぬほどはっきりした指示や命令になるのは明白だ。責任回避の言い訳を許してはならない。「言い訳は嘘よりももっと悪くもっと恐ろしい。なぜなら言い訳は防衛された嘘だから(ポープ=1688-1744/イギリスの詩人) 」。

12月 16日(金 ) <仰木監督・・>
前オリックス監督の仰木氏が昨日亡くなった。享年70歳というからまだ逝くには早い年齢だ。仰木氏は世界のイチローを見出し、育て、そして大リーグに送り出した監督として名高い。イチローのネーミングは仰木監督が名付け親のように言われるが実際にはコーチ(新井)が提案した名前を仰木監督が了承した。とにかく仰木氏は融通性があったようだ。イチロー以外にも近鉄時代には野茂や中村(共に大リーガー)を育てた。”仰木マジック”と言われた大胆な采配は現役の頃の西鉄の名将三原監督のやり方を引き継いでいる。仰木氏が西鉄に投手として入団した時、練習試合で不運なヒットを連打された仰木をみて三原監督が”お前は投手としてツキがないから二塁手に転向しろ”と野手にさせたというエピソードがある。ツキでポジションを変える三原も三原なら即座に言われるままに転向した仰木も仰木。こんなところにも、仰木氏のこだわりのない自由さをみる。現役の後、名監督、名伯楽として名を残したが、仰木氏は一面無類の遊び人であったらしい。存分に自分のやりたい事をやり、世間でも認められた。悔いのない人生であっただろう。合掌。

12月 17日(土 ) <Wikipedia・・>
「Wikipediaの情報はブリタニカと同じくらい正確」との記事があった(=ここ)。ウィキペデイア(Wikipedia)は無料のインターネット百科事典とでもいうべきサイトで私も愛用している。私はほとんどの場合日本語サイトを利用するが世界中の言語(約50言語!)で使用出来るものすごいサイトだ(日本語メインページ=ここ)。日本語版のウィキペディアは日本独特の内容も多い。どのように維持管理されているか知らないが内容の更新もまた極めて迅速である。昨日のコラムで書いた仰木監督に関連して、一昨日に亡くなった氏のことが昨日には「2005年12月15日肺がんのため死去」と記されている。こんな芸当はブリタニカなどでは及びもつかない。ウィキペディアはウィキメデイア財団が展開するプロジェクトの一つだが、世界中に数が把握出来ないほどの情報源、執筆者をかかえてインターネット社会を形成している。冒頭の記事はNature誌がウィキペディアとブリタニアの科学分野の内容について専門家により比較調査をした結果であるという。権威ある百科事典と同じ程度の信頼性をもって自分の手元でいつでも見る事が出来るウィキペデイアは本当にありがたい。

12月 18日(日 ) <男声女声・・>
ワンワンと吠える犬の声で雄雌の判定ができるか。カラスの鳴き声ではどうだろう。・・突然、疑問に思えてきた発端は、人間の声は男声・女声でなぜ明らかな差があるのだろうと疑問を持ったことにある。最近は女性の声の高さは若干下がり気味だといわれるが、男より大柄な女性であっても声は女の声である。男声と女声の音域はほぼ一オクターブの差がある。女声のアルト最低域からソプラノ最高域まで周波数幅は約190-900HZ、男声のバス最低域からテノール最高域までの周波数幅は約90-440HZとみなすと確かに女声は男声の倍の周波数、一オクターブの差だ。丁度、女声が男声の倍音であるから共鳴し易いとか何か神秘的な理由があるのだろうか。少なくともコミュニケーションをするだけであれば男女の声は同じ音域で用は足りる。合唱をするのであれば混声の方が音の彩りが豊かになる。・・人間の声の性差についてどれほど解明されているのか・・また調べてみたいテーマが増えた。
12月 19日(月 ) <真央さん、ひろみさん・・>
フィギュアスケートのグランプリファイナルで15歳の浅田真央が優勝して話題になっている。年齢制限で来年のトリノ五輪には日本代表として出場できないとのことであるが、真央さんにはオリンピックという国威発揚の場などにこだわらず世界を舞台に活躍してほしい。今の若者にとって活動の場は世界中にある。野球では大リーガーを目指すのは最早当たり前。サッカーでも一流選手はどこの国のチームに入るかを考える。宇多田ヒカル(1983-1-19生まれ/生年月日を暗唱しているのは私と誕生日が同じからだ)は時々日本に来ることもあるが拠点は米国。やはり米国で活躍するジャズピアニストの上原ひろみ(1979生まれ)も凄い才能だ。インターネットで情報の国境は無いに等しい(勿論、日本では・・情報制限国はまだ多い)。そして働く場もまた国境がなくなりつつある。”同窓会があるので年に一回姫路(=これは私の故郷)に行く”というように、たまに日本に帰ってくる生活パターンが現実となっている。都道府県対抗の国体(国民体育大会)は既に色あせているが、国別対抗のオリンピックも徐々に色があせてきているのでないだろうか・・。

12月 20日(火 ) <マイカップ・・>
「今日の作品」に「マイカップ<陶芸/制作途上>」を掲載した。陶芸教室でなく家で制作中のものをそのまま載せてしまったが、これはまさに今日の作品だ。完成していない作品でも掲載出来るのが自分のページのいい加減なところ。以前、抹茶茶碗はいくつか作ったことがある。抹茶茶碗ひとつでも国宝があるくらいであるから、陶芸をやる人は先人に挑戦する意気込みで茶碗作りを試みる。私も名品を模して黒茶碗など作ってみたが、どうもすっきりしない。その理由を考えてみると、一つには、所詮過去の名品の模倣をする作品作りは自分の性に合わない。もう一つは抹茶とか茶道が私の生活に親しくないことではないかと思った。自分で作った抹茶茶碗に時々コーヒーを入れて飲んだりするが生活に密着した道具が欲しい。そこで思いついたのが自分達専用のコーヒー茶碗だ。初めはマグカップを制作しようとしたが、どうも新鮮味がでない(ちなみにマグカップとは和製英語で本来は単にマグ(mug)でよい。mugは取っ手のついた筒型の大きなカップのこと)。自分専用のマイカップであるので好きなように造形して写真のような粘土品ができあがった。これをどう仕上げるか自分でも楽しみだ。


12月 21日(水 ) <ニューヨークのスト・・>
ニューヨークでは25年振りに地下鉄・バスが全面ストライキに突入。ニューヨークに住む娘家族はたまたまこの時期にはじめてニューヨークを訪れた娘の友人を案内するのに専ら脚を使っているようだ。ニューヨークといえば一昔前と比べて格段に治安がよくなったことで知られる。ニューヨーク市が”破れ窓理論=Broken Windows Theory"をベースとして治安対策に取り組んだ成果とされる。破れた窓一つを放置しておくと窓は次々に破壊されついにはビル全体が損壊する。従って凶悪な犯罪を未然に防ぐためは先ず軽微な犯罪を徹底的に取り締まる必要がある。これを実践して破れ窓理論を実証したのがニューヨークであった。小さな違法行為を許さないことの効果は大きい。見違えるほどに治安がよくなって気楽に乗る事ができるようになった地下鉄が今ストライキで動かない。治安だけは25年前に逆戻りさせないことを願う。
12月 22日(木 ) <連絡先・・>
今日は冬至。朝6時15分に犬の散歩のため家をでる。外はまだ暗い。歩いているうちに空が徐々に白み始めて、帰る頃に丁度日の出となる。調べてみると東京での今日の日の出は6時47分(日の入り時刻は16時32分)であった。最近、朝と夜の犬の散歩の時に以前と変えたことが一つある。それは持参するバッグの中に自分の「連絡先」の紙を一枚入れたことである。私は散歩の時には財布も免許証もカード類も一切持って行かない。仮にモノ盗りが”金よこせ”と来てもバッグの中には犬のうんちをとる袋やテイッシュしか入っていない。ところが親戚の人が散歩中に交通事故に遭った時に何も持っていなかったので家に連絡が入るまでに数時間かかったという話をきいた。私の周辺でも家を100mでも離れると私がどこの誰かなど知る人はいない。万が一事故で自分の意識がない時には家族へ連絡のしようもないだろう。・・ということで、連絡先のカードを常備するようにした。何らかの身分証明書や特徴ある所持品がなければ人は誰だか分からない。我々はそんな危うい中に住んでいる。

12月 23日(金 ) <お客さま・・>
我が家はお客さまがいらっしゃるときれいになる。お客さまが到着する10分前に居間に散らかっている雑物を片付けるという特技も持っている。今日は小さな子供を含めて大勢人が集まるというので急遽クリスマスの飾り付けをした。「今日の作品」に掲載した「遊具(球転がりプレイランド)<陶芸>」もその一つ。このプレイランドは陶芸の部品20個から出来上がっており、それぞれの部品については陶芸コーナー(=ここ)に掲載している。今年制作した陶芸作品の最大の成果であるが、動かすものであるので(球を自動で持ち上げた後、転がす、更に噴水を常時流す)他人様が見てくれないことには活躍の場がない。今日、このプレイランドにサンタクロースやクリスマスの飾りを加えると俄然活気がでた。やはり子供を喜ばせようと思うと華やいだ気分になる。・・絵はよき理解者に見てもらうと幸せになる、音楽はよき聴衆にきいてもらうのがうれしい。文章も読んでくれる人がいるから書く。他人など気にしないと格好をつけてみても、みな自分以外の人によってやりがいを感じ、生かされる。客人は普通考える以上に有難い。


12月 24日(土 ) <メリークリスマス・・>
メリークリスマス!・・知人に六本木ヒルズ脇の「けやき坂」のイルミネーションはきれいだよと教わったので、軽い気持ちで時間ができた夜の7時過ぎに妻とでかけた。地下鉄六本木駅に降りると余りの人の多さに愕然としたがどうしようもない。改札を通過した後は、直接身体で押し合いへし合い。一歩間違えると将棋倒しになりそうだ。クリスマスイブに六本木ヒルズに行くにはそれなりの覚悟が必要だった(下に写真掲載)。さて、もう一つ、代官山にあるデンマーク大使館のウィンドウにある人魚姫(常設)がサンタの帽子を冠った(写真掲載)!この像はコペンハーゲンにある人魚姫の像(アンデルセンの童話「人魚姫」の物語から制作された)の複製であるようだ。写真では見えないが足首の先に魚のひれがある。美しい人魚の歌声に聞き惚れてライン川を渡る船が舵を取り損ねて難破するというローレライの岩はドイツの観光コースだが、デンマーク(アンデルセン)の方は人魚姫の悲しい恋の物語である。それにしても人魚姫にサンタの帽子はなんとも奇妙だ。
 

12月 25日(日 ) <デイープインパクト・・>
デイープインパクトが敗れた瞬間をテレビでみた。デイープインパクトは初出走以来7レースに負けなし。それも、皐月賞、天皇賞、菊花賞の三冠を達成し、今日の有馬記念で初の無敗、四冠馬になるか注目された。競馬ファンとはほど遠い私でもこれまでのデープインパクトの走り振りには引きつけられる。序盤は最後尾を走る。3コーナーを回ったところから徐々に先へでて、4コーナーを回ると外枠から一気に先頭馬を抜きさってゴールを切るパターンだ。今日のレースも4コーナーまではその通りだった。ところが4コーナーの後、いつもの抜群のスピードがでない。ハーツクライに半馬身届かず2着に終わった。”絶対勝利する”ことがないのが競馬たるゆえん。負けてもなおデイープインパクトには神話的な魅力がある。先行逃げ切りで勝つのでなく、どん尻を走っていながら最後には先頭に躍り出て勝つ姿は見る方の人間に快感と希望を与える。
12月 26日(月 ) <彫刻花器・・>
「今日の作品」に「彫刻花器/粘土モデル(陶芸)」を掲載した。またも(=12月20日に続いて)陶芸の制作途中のものを掲載するのも気が引けたが「今日」作った作品にこだわった。陶芸の大作が一段落したところで次に何を作ろうかと模索している。私は釉薬の深みを極めるなどの方向より、あくまでも形を追求する方が好きだ。実用的なお茶碗などもそれはそれで良いが、型を使って大量に同じものを作ることのできない、何か手作りの味のあるものを作りたい。いま頭にあるのは「彫刻花器」。型では絶対にできない彫り物をした花器の構想である。そこで家にある粘土で小型のモデルを制作してみたのが今日の作品だ。勿論、この粘土品も陶芸として焼き上げるつもりである。この大きさ(=底面65*65)であると細かい削りなども楽しく出来る。大型の花器よりもこの程度の小型のモデルの方が充実した作品となるかも知れない。一方で大型の迫力は捨て難い。いっそのこと大型花器はこの小型モデルのスケールアップではなく全く違う発想で新しいデザインと作り方を考えようと思い始めた。これも今日の粘土モデルの成果である。

12月 27日(火 ) <山茶花・・>
我が家の居間には庭からとってきた山茶花(サザンカ)が活けてある。今の季節、東京の住宅街を散歩して赤い色を見つけると山茶花だ。「さざんかさざんか 咲いている  たき火だたき火だ 落葉たき  あたろうか あたろうよ  しもやけ おててが もうかゆい」。これは「たき火」の二番の歌詞。一番は「垣根の垣根の 曲がり角  たき火だたき火だ 落葉たき  あたろうか あたろうよ  北風ピープー ふいている」。「たき火」(渡辺茂作曲、巽聖歌作詞)は私が生まれた1941年にNHKで発表された。はじめは戦時体制でほとんど放送されなかったが、終戦後1949年から教科書にも採用されて広く歌われるようになったという。歌には縁のなかった私でさえ歌詞を覚えている。けれども歌のタイトルである「たき火」は過去の言葉になりそうだ。今は”落ち葉たき”は軽微なもので止むを得ない場合でなければ法律違反(=廃棄物の処理及び清掃に関する法律、16条の2/焼却禁止)。都会ではまず自分の庭などで落ち葉であっても燃やすことはできない。落ち葉もゴミ収集車の世話になって処分されるようになった。たき火をすることができなくても、山茶花は今も強く咲いている。
<明日から二泊のテニス合宿。コラム休みます。>

12月 30日(金 ) <マイ・マグ・・>
二日間のテニスの合宿を楽しんだ後、帰宅すると新しい陶芸作品が焼き上がっていた。陶芸は焼成する時間(それ以上に冷却する時間)がかかるけれども、すべて自動で進めてくれるのでありがたい。その中で「マイ・マグ1」を「今日の作品」に掲載した。12月20日のコラム「マイカップ」(=ここ)でも書いたように自分用のオリジナルなカップを制作したがこの時いわゆるマグカップも同時に作ってみた。マグ(mug)とは「円筒形で取っ手がついたジョッキ型カップ」と辞書にある。マグというと形まで決まっていて造形としての新鮮味はない。そこで自分用のカップであるからサイドに絵柄を付けて遊んだ。掲載した写真はICチップの図柄だがこんなICならば配線がでたらめで用を成さないことは間違いない。反対側のサイドにはクラシック調に蔦のような絵を配した(陶芸コーナー=ここ参照)。どちらの絵が好きとか嫌いということもない。早速マイ・マグカップにコーヒーを注ぎゆったりと飲む気分は最高である。

12月 31日(土 ) <戌年賀状・・>
このホームページを更新するのは新年直前であるので「今日の作品」には賀状を掲載した。2006年は戌年。犬は余りに身近で親しいので賀状のデザインはかえってやり難い。結局、我が家のコーギー犬をモデルにこんな図柄を描いた。この絵の原型は、現在のコーギー犬(アール)の母親アンが元気な頃に描いた「コーギー三頭七体図」である(アンの思い出ページ=ここ参照)。このような多重像のアイデイアは昔から”遊び絵”として描かれているので私はコーギーを当てはめてみたに過ぎない。江戸時代には「五頭十体女の図」とか「五子十童図」など、いろいろ面白い多重像がある。私が知っている圧巻は、かの浮世絵師歌川国芳が描いた「14人のからだが35人に連なる」というとてつもない絵だ。遊び心のある先人達のこのような絵に私はしばしば元気づけられる。さて、この戌年はどんな中身に連なっていくだろうか・・。
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