これまでの「今日のコラム」(2006年 4月分)

4月1日(土) <桜の詩・・>
4月1日、東京では桜が満開。今日は一番の花見日和となった。この季節には桜に関する俳句や和歌が紹介される。私の趣味からいえばここで自作の俳句を掲載すればイイと思うのだがそうもいかない。今回は鑑賞者でいこう。「桜咲く 前より紅気 立ちこめて」 (山口誓子/1901-1994 )と勢いのある句。最も知られた桜の和歌の代表格として次の二首:「世の中に  たえてさくらの なかりせば  春の心は のどけからまし」(在原業平 /825-880)、「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」( 西行/1118-1190)。特に「桜に生き、桜に死んだ」西行は数知れない桜の句を残した。私は小野小町(809?-890頃)の「 花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」も好きだ。作者の色香が匂うようだが小野小町といえば絶世の美女小町が乞食のお婆さんになったときを題材にした能の「卒塔婆小町」を思い出す。小町も桜も無常、「移ろい」であるところが魅力の一つでもある。それぞれの歌の作者の年代を添付してみたが、1000年を隔てた人の心が通い合うのもまたうれしい。

4月2日(日) <検索・・>
インターネットでは様々な”交流”の形態がある。何かの縁でこのホームページを見ていただく人でも顔を合わせたことがないケースがほとんどだ。時々は私の作品や写真、ワンちゃん(犬)などには関係なく、言葉の「検索」の結果、ホームページのコラムにたどり着きメールを頂くことがある。yahooやgoogleの検索機能の凄さを今更いうまでもないが、何年も前のコラムの文章にまで検索の手は届く。自分でも忘れてしまった古い文章に関連してどこに文献があるかといった問い合わせを受けたこともあった。便りを頂くケースは特別とみると検索の結果ほんの数十秒間ホームページに滞在して直ぐに他のサイトに移るという交流以前の訪問がほとんどなのだろう。自分が検索する場合を考えると、検索の結果、初めて訪れたサイトに随分色々なことを教えられることも多い。けれども私としても無償の情報を提供してくれたサイトに対して友情のような親しみを持ってもお礼をいうこともなくサイトを去る。インターネットのすばらしさは、上下関係、年功序列、男女の差、国籍など一切関係ない上に、お金も絡まずに情報交換ができるところであろう。こうした交流の源が「検索」(それに+リンク)であり、もし「検索」がなかったらインターネットの魅力は半減する。検索機能の優秀さには改めて驚き、感謝するばかりである。
4月3日(月) <コラボレーション・・>
「今日の作品」に「三角花器 collaboration with Mieu(陶芸)」を掲載した。ニューヨークに住む娘が孫娘を連れて一時東京に帰省した機会をとらえて孫娘と一緒に制作した花器だ。孫娘も5歳半になると少し前と比べても格段に進歩しているのでコラボレーション(共同制作)と云っても不自然ではない。花器の三つの面に絵を描くのは専ら孫娘の役割とした。私が形のできた粘土の上に白化粧をしておき化粧が乾いた頃を見計らって孫娘が先の尖った針で絵を描く。表面の白い化粧部分を削り落として描くのは力の加減が微妙であるのに孫娘は実に的確に、かつ、のびのびと描いた。こうした線描画はなまじ私が真面目に描くよりも幼児の方が味がある。完成品は私の手元に置いておきたいほど上出来だったので、わずかの時間であるが花を生けて部屋に飾った(陶芸コーナー=ここ=参照)。今はもう梱包されて、コラボレーションのもう一人の作者の家があるニューヨークへ送られるところである。

4月4日(火) <頭と心・・>
ピーター・フランクル(1953年ーハンガリー生まれの数学者、大道芸でも有名、日本語の公式webサイトを持つ=ここ/本日の更新もある)が著書の中で自分の父親から「人の財産は頭と心だけだ」といつも教えられたと書いている。彼が数学の博士号を取得しただけでなく日本語を含めて世界10数か国語をマスターし、また世界各国で大道芸を披露できるのはその教えの結果かも知れない。「頭と心だけ」という考えには私も同感である。お金や土地、家、建物は勿論のこと、人気、地位、権力などが長く続く財産にはなり得ない。仮にそれらの財産を一時得たとしても傲慢になると心と頭を失う。更に、「人」の部分に「企業」とか「産業」、「日本」を入れるのはどうだろう。日本で云えば資源もない小さな島国が世界の中で生きて行くには”頭と心”という基本条件は100年前と現代でも変わらない。日本の豊かな自然とか文化遺産は持続すべき財産であるが、将来は頭と心に頼ることを忘れてはならないと思う。
4月5日(水) <信号と渋滞・・>
「信号と渋滞」は自転車あるいは車で移動する場合の所要時間を決定する要因と私が考えたキーワードである。つまり所要時間は運転者の技能とかスピードにほとんど無関係で信号と渋滞で決まるとみる。私は週に2-3回は都内を自転車で移動するが30分ほどの時間を要する距離の場合、どんなに急いでも、ゆっくり走っても所用時間は3分と違わない。信号のタイミングで時間がバラツクだけである。車を運転することはそれほど多くないが、高速道路で遠方に出かけても渋滞の有無のみが時間を左右する。こうした経験から自転車にしても自動車でも無理に追い越したりスピードをだすのは意味がないと自分にも言い聞かせている。飛躍するが、子供の成長を促したり人間の能力を最大限に発揮させようとする時には、今の時代には余計な「信号と渋滞」が多過ぎる。こちらの方は”規制”はマイナスに作用する。スピード制限や信号がなければ人間は本来もっとスピードがあり、潜在的にはるかに強大な馬力を所有している。有り余る性能を発揮出来ずにのろのろ運転をしなければならないこどもは可哀想。
4月6日(木) <もったいない・・>
”もったいない”という感覚はどこにいったのだろう。最近のニュースで”もったいない”のワーストは「牛乳1000トン/100万本廃棄」だろう。手間ひまかけて最高の品質に作り上げた牛乳を生産過剰のために処分しなければならない酪農家の悔しさは如何ばかりか。それにしても廃棄以外に知恵はないのか・・。先日のテレビで、2004年ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさん(1940生まれ)が環境保護活動を進める上で日本語の”もったいない”がキーワードとして最適と考えて世界中にこの言葉を広めようとしていることが伝えられていた。いまに"mottainai"で世界に通用するようになるかも知れないが日本語では「勿体ない」と書く。広辞苑によると「勿体」は「物の本体の意」(これから”重々しい、尊大なさま”となる)、「勿体ない」は「物の本体を失する意」で「あるべきさまを外れて不都合、不届き、過分のことで畏れ多い、そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが悔しい」の意に派生する。「もったいない」も時代と共に変わるところがある。無駄な電気をつけたまま、水を流しっぱなしは元よりもったいない。けれども普段は使わないがまだ使えるので勿体ないと捨てずに溜め込んでいることが多いが、この場合不要品の山で空間を狭くしてしまう方が部屋にとって勿体ないとも云える。とにかく”もったいない”を外国から逆輸入しないように自分たちで身に付けていないとせっかく勿体ないの思想があるのに”もったいない”。ちなみに、冒頭の廃棄牛乳は国民が毎日10ccの牛乳を余分に飲めば十分に解決するそうだ。
4月7日(金) <パズル・・>
娘が家に置いて行った「パズル」が出来なくて悔しい。パズルといっても知恵の輪のように組み合わされた物体をバラバラに外すもの。ただし針金製でなく太い塊だ。私はこの種のパズルを解く趣味はないがやれば出来るだろうと挑戦したけれどもと全く歯が立たない。時間ばかりロスするのでインターネットで調べるとパズルの名前は分かった。銅の鋳物でできているキャストパズル(鋳造パズル)という種類で私が持っているのは「キャストスター」と呼ばれるもの。輪の中に星が組み込まれていて「蛇(=輪)に捕われた星を開放する」のがテーマだそうだ(実物の写真=ここ)。このパズルが伝統ある名品であることは分かったが解法は勿論でていない。「外せぬならぶった切ってしまえキャストスター」と頭に来る私はパズルには向いていない。キャストスターの難易度はこれで”普通”だとか!

4月8日(土) <シンポジウム・・>
「世界物理年記念シンポジウム」にいった。といっても専門家の集まりではなく「万人のための科学」と副題がついた無料の講演会・パネル討論会である(@東京/一橋記念講堂)。アインシュタインが特殊相対性理論など重要論文を発表した1905年から100年を迎えた昨2005年は世界物理年(国連にて設定)とされ、各種の行事が行われた。今回のシンポジウムはその結びとなるシンポジウムであった。講師やパネリストが指摘したが、この100年の科学技術の進歩には想像を絶するものがある。ライト兄弟が初飛行に成功したのが1903年、ほぼアインシュタインの論文と同時期。科学技術の変貌と同時にこの間世界の人口が4倍近くに増大した事態も無視出来ない。「社会の中の科学と技術」というテーマのパネル討論でパネリストの一人の立花隆(評論家)さんは日本の将来について悲観論を展開した。大学入試で物理の選択なしに受験をできるようにしたことやゆとり教育でレベルを下げたことを痛烈に批判したが、これらを決めた人間の罪は万死に値するという趣旨(こんな意で言葉は別)が印象的。女性のパネリストの話も面白かった。「身体の叡智」という観点で論じられたのは鈴木昌子さん(京都大学)。”呼吸は繰り返す”ことと対応させて創造性や発想のひらめきは反復の中からも引き出せると云われたことに納得し勇気づけられた。

4月9日(日) <ダ・ヴィンチ・コード・・>
遅まきながら「ダ・ヴィンチ・コード(ダン・ブラウン著)を読んでいる。どうもベストセラーを敬遠するキライがあるが借りてきて読み始めるとなかなか面白い。聖書や絵画に関心を持つ身としては興味深い展開が続く。丁度そんなタイミングの時、(今朝のNHK日曜美術館はダヴィンチの特集、そして)今日のCNNニュースでダ・ヴィンチ・コードを盗作と訴えた裁判で原告敗訴の判決が下されたとの報道があった。英国人の二人が自分たちが著わした「聖杯伝説 」の内容を盗用されたと訴えたものだが「盗作ではない」とされた訳だ。著者のブラウン(1964年生まれの米国人)自身も書いているが「聖杯伝説」に関して1980年代のヨーロッパではブームのように多くの著作が発行された。聖杯伝説自体は明らかに盗作云々の話ではない。世界で4000万部を超えた大ベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」はやはりユニークな視点に引きつけられる。ちなみに4000万部の分け前をあわよくば掠(かす)め取ろうとした二人の英国人が支払う裁判費用は約2億円とか・・。
「今日の作品」に「黒帯カップcollaboration with Mieu(陶芸)」を掲載した。孫娘が白化粧した粘土の上から線画を描いたコラボレーション作の第二弾。いまこのカップはニューヨークの娘家族の家で使ってもらっている。

4月10日(月) <黒帯・・>
昨日、「今日の作品」欄に掲載した帯付きカップ(陶芸)は、以前作った同形のカップが気に入っているので同じ二重帯としたもの。コーヒーなどを飲むときに手の大きさに応じて好きな帯の個所を持つことができるので使い易い。今回、孫娘とこのカップの色を決める時に私は白帯にしようと思ったが孫娘はどうしても黒帯という。孫娘(5歳)はいまニューヨークの空手道場に通っているが、最近、白帯からオレンジベルトに昇段したばかり、そしてブラックベルトが憧れと云う訳。孫娘は黒帯の先生が教えてくれる空手に行くと元気になる。空手に行った日には家に帰ってくると公文であろうがピアノであろうが猛烈にやる気になって取り組むと娘が苦笑していた。私ははじめ空手とニューヨークが結びつかなかったが聞けば幼稚園で三分の1ほどの園児(アメリカ人)が空手を習っているという。先日孫娘が一時日本に帰国したとき道場訓を披露してくれた。「われわれは心身を鍛錬し確固不抜の神技を極めること、われわれは武の神髄を究め機に発し感に敏なること、・・」。勿論、孫娘は漢字も意味も分からずに声をだす(極真の道場訓を調べ記述)。もし娘家族が東京にいたら99%は道場訓にも黒帯にも縁がなかっただろうと思うと何か奇妙な感じである。
4月11日(火) <EPGY・・>
今日の読売新聞の記事(NET情報)にEPGYのことがでていた。EPGY=Education Program for Gifted Youth/有能な若者のための教育プログラム)は、米国の名門スタンフォード大学が開発した在宅教育用の英才教育プログラムで年齢や学年を問わず能力に応じて学べるのが特徴。新聞では「数学、物理学、ライティングがあり、幼稚園から大学生まで60以上のコースがある・・、世界28カ国で展開中」とある。日本では東進スクールが運営しておりホームページ(=ここ=)でネットレッスンの無料体験もできる。ネットレッスンはインターネットで講師と生徒が一対一で行なわれるようだ(勿論、英語/スタンフォード大学のEPGY-HOMEPAGEは=ここ)。私が少し覗いてみて興味深かったのは、日本の計算力と知識を重視する教育と異なり、論理的な思考力と感性養うというプログラム。初歩の幼児レベルの数学は「集合」から始まる。いずれにしてもEPGYで直ちに日本の教育がどうなるものでもないだろう。けれども、世界のコミュニケーションシステムが劇的に変貌してしまった今、EPGYは
日本の教育シズテムもまた大変革せざるを得ない流れにあることを予感させる。
4月12日(水) <水・・>
今日は水曜日。だから「水」をタイトルにした訳ではないが最近「水」を自分の作品(作るものなんでも、陶芸、絵画、工作など)の隠れテーマにしようかと秘かに(?)考えている。”いいこと思いついた”というだけで何のアウトプットもない時点でアイデイアをばらしてしまうのが私の浅はかなところだが、生涯テーマとして「水」は奥が深い。東京では昨日ー今日と雨が続く。日本列島全体も雨模様のようだ。春の芽吹きはじめた樹々に降り注ぐ雨を見ていると本当にありがたい水やりだと思う。先日、宇宙の歴史とか地球の成り立ちの講演を聞いたが、地球とは水をたたえた正に奇跡の星である。最初の生命体が海で誕生したのも、陸上よりも紫外線の影響が少ない海の中で生命体のDNAが生存することができたためという。100度で気体になり0度で個体(氷)になるという希有な特性を持つのも水。地球上の水が蒸発して雲をつくり雨となって地上を潤し河や海に戻る循環システムもまた水の巧妙さの極致だ。水の不思議さを追求すればきりがない。全ての生命体の源の水は小手先の作品作りのメインテーマとするにはおこがましいので冒頭に”隠れテーマ”と書いた。まず作品制作時に「水を意識する」ことからでも始めたい。
黒帯カップ(陶芸)の別アングル写真を「今日の作品」に掲載した。これも水(コーヒー、お茶類)用だ。


4月13日(木) <桜の散り方・・>
桜の散り方は見事としか言いようがない。先週まで咲き誇っていた桜がいま美しく散っている。雨で湿った木の下に淡いピンクの花びらでできた絨毯は満開の桜以上に風情がある。花びらが風に吹かれて散って行く時もいいが、その後に地面に落ちた姿でも美しいのは桜の花びら(花弁)の大きさが大き過ぎず、小さ過ぎずであるためであろう。丁度、絵画の点描画のように適度の大きさの点(ドット)で地上に絵を描いている。椿(つばき)と山茶花(さざんか)は花がよく似ているので区別し難いが花の散り方にはっきりした差があることはよく知られている。椿は丸ごと(首から)落ちるが山茶花は花弁が散る。けれども、椿も山茶花も散った姿が美しいとは云えない。桜の散った後の美は希有と云ってもいいのだろう。人間も散り際が潔い(いさぎよい)人を尊敬する。それに散った後も風情があれば更にすばらしいと思う。

4月14日(金) <すみれ・・>
「山路来て 何やらゆかし すみれ草(芭蕉)」。今日は菫(すみれ)を見せたくて「今日の作品」に陶芸で制作した四角陶板を掲載した。何が作品かというと庭に自生していた菫を根っこごと引き抜いてきてこの板皿に”生けた”ことである。四角陶板は2004年の陶芸作品(=ここ=参照)であるが今このように数ミリ深さの水を張って色々な植物用の器として活用している。この菫もそうであるが、水だけの水耕栽培で植物は実にけなげに花を咲かせ、生き続ける。以前「菫」の絵を描いてこのホームページに掲載したのが2003年の4月の13日-15日であった(=ここ)が、期せずして同じ日に「すみれ」の話題となった。万葉の時代から「須美礼」は歌に詠まれた。「春の野にすみれ(須美礼)摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(山部赤人」。すみれは英語ではviolet。花の名前が色名(すみれ色)を表すのは「桜」と同じだ。語源であるviola(すみれ)は形状からきたのか楽器のビオラ(viola)、バイオリン(violin)と結びつく。・・こんなことを綴りながら改めて陶板の上の菫に目をやる。
 
4月15日(土) <レクイエム・・>
横浜の”みなとみらい大ホール”でシューベルトの「ドイツミサ」とモーツアルトの「レクイエム」を聴いた(by 横浜シテイ合唱団)。特にモーツアルトのレクイエムは”モツレク”と呼ばれるほど一般に馴染みが深い。私もCDは持っているが90人余の大合唱を生で聴くのは初めてだった。この曲はモーツアルトが1791年、35歳でなくなる5ヶ月前に名を告げぬ人から作曲を依頼されたことでも知られる。モーツアルトはレクイエムを未完のままこの世を去り、弟子が補筆して完成したが、後になって、ある伯爵が妻の命日のためにレクイエム(死者のためのミサ)を注文したことが分かったという。全くの偶然であるが、実は今日は私の母の命日に当る。1987年の今日、母は癌で亡くなった。演奏会の直前に妻がそのことを私に告げたこともあり、今晩のレクイエムの演奏会では音楽を聴くよりも何となく母ことが思い出されてしようがなかった。4月15日は私にとっての”レクイエムの日 ”である・・ 。
4月16日(日) <どうする・・>
「どうする・・アイフル」のテレビコマーシャルは中年おじさんと可愛いチワワ犬のストーリーで大人気となった。私が犬の散歩の時にもコマーシャルとほとんど同じチワワとおじさんの組に出会うことがある。チワワを人気犬種にしたこの消費者金融のアイフルが強引な取り立てなどの違法行為(5件)を行なったとして金融庁から全店舗(約1900店)に業務停止命令(5月8日から3~25日間)を受けた。「返済を求めてどなり、玄関に居座るといった強引な取り立ての実態が浮かぶ」などと報道され、テレビの民放各社もCM放送を取り止めたそうだ。アイフルがどうというのでなく毎度ながらテレビやマスコミの”臭い物に蓋”の流儀が気になってしようがない。テレビも新聞もスポンサーの広告代で成り立っている。お金があるところが何より上得意先でお金をもらうと日本中にコマーシャルを流す。ライブドアの元社長のホリエモンこと堀江氏が「人の心は金で買える」と公言したとして非難する人がいるが、それを直接手助けする手段がテレビであり新聞であろう。テレビ、新聞が自らを因果な商売で・・と自覚していればともかく”きれい事”ばかりいってアイフルのような問題が起きるとそこだけに蓋をする。アイフルのテレビCMを取り止めるなら、同業者は?、この先は? 「どうする・・」のあとは「テレビ局」でないか。

4月17日(月) <読書・・>
”読書の時間は何事にも代え難い”という感覚が分からないではない。しかしながら私は日記帳にその日やったことをメモする場合、読書の時間は特別贅沢であるがアウトプットのない時間を過ごした気持ちになる。具体的な姿が少しでも見える”作品”のように、この時間にこれを残したという実感はわかない。読書は、美術の展覧会に行ったり、音楽で演奏会にでかけるのと似ている。感動したり教えられたりするが、さてその先に自分で産み出すものに何か反映できるのか・・。無人島に一冊の本を持って行くとすれば何を選ぶかと問う話がある。自分を考えてみると「暇つぶし」では本を持参する必要はない。無人島で暮らすならば毎日やることが山とある。魚を捕り、畑を耕し、海や風、太陽や星を観察し記録を残す。とても本を読んでいる暇はない(?)。無人島ではないこの東京ではやはり「晴耕雨読」が理想だろうか。今日は雨でもないのに本を読んだのでこんなコラムになってしまった。明日は晴れの予報。しっかりと耕すことをやりたい。
「今日の作品」に「黒帯カップ2/collaboration with Mieu(陶芸) 」を掲載した。前に掲載した孫娘とのコラボレーション作品。娘がニューヨークに帰る前日に5歳の孫娘に線描をさせたものを後で焼き上げた。台詞入りの絵が気にならずにカップの使い心地はなかなかいいものだ。

4月18日(火) <花のミイラ・・>
我が家の客用トイレは電灯がなければ真っ暗闇なので生きた花や植物を飾るのはかわいそうと、日光がいらない造花を見て回った。最近は造花といっても一昔前のプラスチック製の安物ホンコンフラワーなどとは比較にならぬほど進歩していることは知っていたが予想以上である。プラスチック製でも極めて精緻にできているしアートフラワーとかシルクフラワー(布花)と呼ばれる超高品質(超高価)の造花も数多い。また、ドライフラワーの類も制作技術が進んでいる。ドライフラワーは生の花の素材を使用してこれをそのまま乾燥させることにより長期間(2ー3年)花を楽しめるようにする。花の選び方や乾燥の仕方にノウハウがあるようだが個人でも電子レンジなどを使ってドライフラワーを作ることができる。今は更にプリザーブドフラワーが大流行であるようだ。プリザーブドフラワー(preserve=保存する)は生花に染料を吸わせ特殊な乾燥加工をすることにより鮮やかな花の色を長期間保持できるようにしたもので、「長寿命切り花製法」は1991年に世界特許を取得しているという(元はフランス特許?)。ドライフラワー、プリザーブドフラワーはいわば花のミイラ化である。花のミイラは人間のミイラと違い色も外観も生とほとんど変わらずに”保存”されているところがすごい。・・トイレに飾った素敵な花や植物を見ているとは新たな命が甦ったようにみえる。
4月19日(水) <母語・・>
日本でも国際結婚が急増しているという。私の身の周り、甥や姪、知り合いなどでも外国人の奥さんをもらったり外国の男性と結婚する話は珍しくなくなった。国際結婚での一番のポイントはコミュニケーションの言葉であろう。夫婦どちらかあるいは両方が「外国語」を使うことになる。「外国語」で思い出すのは、ピーターフランクルがforeign language を日本語では「外国語」と云うが、本来は「異なる言葉」であり、フランス、ドイツなど外国では「異語」相当の言い方をすると指摘をしていたこと。これはmother language を「母国語」と「国」の入った単語を使うのは日本だけで、どの国も「母語」に相当する単語を使用することと関連させていた。一国で一つの言葉だけが使われる日本では日本語=日本国の対応が強いのだろう。4カ国語が公用語であるスイスでは「母国語」の言葉はできない。アメリカのような色々な国からの移民が多い国では”Heritage language"(=継承語と訳されるが先祖伝来の言葉)という用語もあるようだ。それぞれに、home language,native language,mother languageを持つ事情を考えると、確かに「母国」の国とは何ぞやとなる。日本語はありとして、外国語、母国語は最早、異語、母語とした方が筋が通る。


4月20日(木) <かきくけこ・・>
先日、華道家の假屋崎昌吾氏がNHKテレビで花から教わった「かきくけこ」を紹介していた。「か」は感謝・感動、「き」は緊張感、「く」はくつろぎ、「け」は決断、「こ」は好奇心で、自分の人生訓としているという趣旨であった。私も「かきくけこ」については色々な人がモットーとしている話を何度か聞いたことがある。考えるに、カ行というのは日本語を当てはめる場合に使い易い文字が並んでいるようだ。假屋崎昌吾氏が紹介した文字以外では、「き」は興味とか希望、気配り、「く」は工夫、「け」は健康とか謙虚、「こ」は行動、恋などがよく使われる。最後の「恋」もなかなかいいが、意味合いとしては「好奇心」と変わらない。これらの「かきくけこ」は「やる気をだす秘訣」、「若返りの秘訣」など何にでも応用できる。一方、モットーとしたくない「カキクケコ」をでっち上げれば、「か」は過信、癇癪、カンニング、「き」は気負い、決めつけ、気にし過ぎ、「く」は食わず嫌い、苦情、愚痴、「け」はケチに計算、喧嘩、「こ」は恐い顔、孤独・・。こうしてみるとやはりマイナス思考ではなく、前向きのモットーの方が気持ちがいい。言葉遊びとして、近頃便利な「かきくけこ」とか、私が欲しい「かきくけこ」などを作ってみるのも面白そうだ。

4月21日(金) <ビル・ゲイツ氏・・>
ビル・ゲイツ氏がいま来日中だ。一昨日には米国を訪問中の中国・胡錦涛国家主席をマイクロソフトの会長であるビル・ゲイツ氏が自宅に招待して夕食を共にしたニュースが流れたばかり。それが昨夜日本に到着して今日の午前中に東京・渋谷で記者会見を行なっている。ビル・ゲイツ氏は1955年生まれ、13歳の時にコンピュータプログラムを始めたのがコンピュータとのつながりの始まりといわれる(そうすると1968年、私は、1962年頃に頻繁にBASICを使っていたことを思い出す)。1975年にハーバード大学を中退して幼友達のポール・アレンとマイクロソフトを創業したのは有名な話。今日の講演と記者会見で「マイクロソフトは幸運であった」と30年の歴史を振返ったという。大成功者に対する猛烈な嫉妬や中傷、攻撃はライブドアの堀江貴文氏どころでないと思われるが、成功を「幸運」と表現すると共感できるからおもしろい。いまや個人資産では世界一と云われるビル・ゲイツ氏。世界中を飛び回る時に飛行機は必ずエコノミークラスにするという伝説がある。

4月22日(土) <パソコンの買い時・・>
この春はパソコンの買い時でないかという話をきいた。昨日のコラムで書いた来日中のマイクロソフト、ビル・ゲイツ会長も2007年はじめに発売予定のWindows Vistaの宣伝を行なっている。一方、Appleでも2006年末までにIntelプロセッサーを搭載したi-Book,Power-Macを投入予定と噂される。新機種発売前に現行機種のパソコン価格が大幅に値下がりする可能性が強く、パソコン購入の絶好の機会という訳だ。私が使っているパソコンは2001年3月に購入したPower Book G4(Apple)。当時の最新鋭機種であったが、今はかなりの旧式に属する。けれども、この数年間でOS9.1からOS10.3.9にバージョンアップしたり、外付けの120GBハードデイスクを設置したこともあり使用上ほとんど不便と思うことはない。強いて云えば、キーボードの「F」のキーが壊れてしまったとか、デイスプレーがイマイチ(妻のi-Macと比べて色が鮮やかでない)という程度でノートラブルだ。アー、それからもう一つ、最近話題のGoogle EarthはOS10.4以上なので私のパソコンでは立体地図をみることができなかった。とにかくもトラブルがないとチャンスと云われても新パソコンの必要性を感じない。いっそ来年の最新機種で何が変わるかを見極めてから考えるか、・・楽しく検討中である。
「今日の作品」に「白帯カップcollaboration with Mieu(陶芸)」を掲載した。孫娘の描いた絵を使ったカップの第三弾。結局娘家族全員の数だけ制作した。このカップもニューヨークの娘たちの家に発送済みである。

4月23日(日) <良寛・・>
科学技術の分野では現代の最先端技術は過去の蓄積の上に成り立っているので、歴史は全て有難い基礎となる。それが、文学、絵画、音楽など個人が何事かを成し遂げる分野では過去の偉大な歴史と比べて現代に成すことが分からなくて苦悩する話をよく聞く。仏教のお坊さんも現代の役割を考え悩む人も多いことだろう。お坊さんといえば、僧侶として歴史を作った親鸞(1173-1263)や道元(1200-1253)と比べて、(山本)良寛(1758-1831)は生涯寺を持たず諸国を巡りながら子どもたちと遊び、庶民と親しく接した。良寛は禅僧であると同時に、詩人、歌人、書家として現代にも影響を及ぼしているが、その自由人としての生き方に独特の魅力がある。和歌や漢詩には良寛の暮らしぶりがそのまま反映されている。悠々自適、「何知名利塵=名誉や利益など自分の関わり知ったことではない」・・という調子。有名な俳句もまた改めてみると味わいが深い。「 やれ打つな 蝿が手をする 足をする」、私が好きなのは「 倒るれば 倒るるままに 庭の草」。良寛が亡くなったのは2月18日とされるので、辞世の句「 うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」は季節外れかと思ったら、「散る桜 残る桜も 散る桜」の句が最期という説もある。どれをみても現代とのギャップが少しもない。良寛はこれからの時代こそ手本にできそうである。

4月24日(月) <照明具・・>
「今日の作品」に「照明具」を掲載した。2年ほど前に「シャンデリア型照明」のタイトルで作品を紹介した(=ハンデイクラフト作品としてここに掲載中)。その時は何も深く考えずに「シャンデリア」の言葉を使ったが、その後シャンデリアchandelierはラテン語のcandela(ロウソク)から派生したものでcandle(英語のロウソク)やカンテラ(手提げの明かり=江戸時代にオランダから伝わった)と同じ語源であると知った。やはりロウソク(または相当する明かり)を何本も灯す豪勢な明かりがシャンデリアに相応しいと思い、今回は「照明具」のタイトルとした。さて、前回はアクリル棒を使っていたがこれを全てガラス管にし、更にアクリルの凹凸板は陶芸板に作り直した。ガラス管は6mm径の材料をインターネットで購入し、自分で寸法を決めて切断した。ガラス管を切るのは初めてであったが、切れ目を入れてやや引き加減に曲げを加えると簡単かつ美しく切断できるのには感激。陶芸では磁器土を使い出来るだけ薄くすることを試みて、ここでも薄さの限界を経験した。前に使っていたアクリル製凹凸板は(大根)おろし器をぶら下げて・・と云われたが、今度はそうは云わせない・・?


4月25日(火) <古本・・>
昨日は所用で外出したついでに神田・神保町(東京)の古本屋に寄った。JR山手線が全線ストップする事故の最中であったが、東京ではJRがなくても地下鉄網がかなり整備されているので地下鉄を乗り継げば十分行動できる。古本は良寛の書の載った本を探した。それほど大層な本を求めるつもりはなかったが、さすがに古本屋街、選ぶのに迷うほど色々な種類の書籍を見ることができた。最近は一般の「古本」というと固有名詞のブックオフを連想する。我が家から歩いていけるところにもブックオフがあるので、時に100円で古本を買うこともある。また、オンラインの中古書店としてe-BOOKOFFが幅をきかせている。けれども、コミックや単行本、それに幼児の絵本などを得るには確かにブックオフは便利であるが、「良寛の書」はまず手に入らない。私にとって昔からある神田の古本屋さんは今後も是非継続してもらいたいお店屋さんの一つである。

4月26日(水) <異分野・・>
現代彫刻美術館(東京・目黒区=ここ)で「渡辺隆根展」をみた(6月25日まで)。巨大な石の現代彫刻で幾何学模様に削りだした作品は私の好みそのもの。たまたま作者と話をすることもできて幸いだった。面白いことに陶芸や絵の展覧会にいくよりも、こうした異分野の展覧会で自分の創作意欲が触発されることがよくある。絵を描く人が音楽でインスピレーションを得るとか、作家が芝居にハマるなどの話を聞くが、商売とか技術でもかけ離れた分野に意外なヒントを見出すことが多い。本業で壁にぶつかれば異なった業種を覗くのが常道だろう。専門家は特に”井の中”から飛び出して”大海”を知らなければならない。・・自分としては専門家でも本業でもないが、今日は正に彫刻と云う異分野で元気づけられること実感した。

4月27日(木) <キョンキョン・・>
いつものようにインターネットのgoogleニュースをチェックしていると「20歳差愛! 小泉今日子40歳」の華々しいタイトルが目についた。小泉今日子は1966年2月4日生まれの40歳、1995年に俳優・永瀬正敏と結婚したが2004年に離婚している。報じられたお相手は人気絶頂のグループKAT-TUNの亀梨和也君、20歳とか。感じとしてはただの「ガセネタ(=お騒”ガセ”ネタ)」とは違うようだけれども何とも分からない。キョンキョンは数年前であったかコーギー犬と一緒のコマーシャルにも出てくれた。我が家のコーギー犬を連れて歩いているとキョンキョンの犬ね・・と親しく声をかけてきた人が何人いたことか。さて、歳の差20の成り行きは分からないにしても、今は女性の40歳などまだまだ若いので20歳の男性とのロマンスも全くおかしくはない。ましてや"KYON2"なら・・。ゴシップには時代が反映される。キョンキョンのこのうわさ話は女性がいくつになっても美しく、自由で、強くなければでてくることもない。その意味で小泉今日子は今も時代の顔である。彼女の公式ホームページ(=ここ)には当然のことながら亀梨君には一切触れていない。

4月28日(金) <絹谷幸二展・・>
「絹谷幸二展ーイタリアを描く」をみた(@東京・三越本店、4月30日まで)。絹谷幸二(1943年生まれ)は現代日本の洋画界を代表する一人であり私もそのエネルギッシュな絵のファンである。この展覧会にはイタリアをテーマにした最新作約40点が集められている。今日の展覧会で私はあえて、作者が地位も名声もそして恐らくは金銭も思うがままに恵まれた超エリート画家である(その上にハンサムないい男である)ことを意識から取り除いて、予断なしに一つ一つ作品を鑑賞することを試みた。そうすると中でも好きな絵と嫌いな絵があることに気がついた。自分としては絵に人の顔や人体がない方が好みだ。これをなくすと絹谷らしさが半減するかも知れないが好みは好み。そしてこれまでの絹谷独特の色彩パターンを全て捨て去ったらどんな絵が出るだろうと思った。定年(芸大教授)を機に画商との縁を切り三越とも離れて新たな絵画に挑戦する・・なんて余計なことを妄想した。デパートであるので別の階で絹谷の絵画の販売もやっていた。80号程度で2000万円を越すお値段。そうすると展覧会の今年の最新作40点で5億円か10億円か・・。現実に引き戻されるとひがみっぽくなっていけない・・。

4月29日(土) <パソコン通信・・>
苦労の末にパソコン通信(nifty)の会員契約を解約することができた。パソコン通信はインターネットやe-mailが今のように普及する前、限定された仲間同士の通信手段として一世を風靡した。我が家では1994年頃ニフテイーサーブに入会して娘の留学先のパリと通信を試みたりしたが使ったのはわずかな期間だった。けれども契約解除の手続きもせずに10年間以上会費を払い続けてきたのは金額が一ヶ月210円であったためである。何度か解約をしようとしたが、ID番号、パスワードも分からず、”面倒だ”と手続きを中断してきたのが実情。今回は何が何でも完了すると根気よくniftyに電話を続けてようやく解約に成功した(変な話!)。折からニフテイーは「1987年4月から運営をしてきたワープロ・パソコン通信サービスを2006年3月31日をもって終了」している。ニフテイーのインターネットサービス業務は継続しているが、全盛期には数百万人の会員を集めたという「パソコン通信」19年の歴史は終わりを告げた。ではインターネット、パソコンはこれからの10-20年にどのような時代をつくるのだろうか・・。

4月30日(日) <結晶釉・・>
「今日の作品」に「ピラミッド型花器(陶芸/結晶釉)」を掲載した。楽しみにしていた初めての”結晶釉”の作品が完成したもの。結晶釉は釉薬の表面に意図的に結晶を成長させて文様を作る。亜鉛を多量に含む釉薬を使い、通常の焼成温度の1250度から冷却する際に1100度近辺で一定時間温度を保持することにより亜鉛の結晶を大きく成長させるのであるが、釉薬の厚さや温度で結晶の文様は成り行き次第だ。しかも非常に流れ易い釉薬なので窯から出すまで結果は分からない。今回のピラミッド型でも非常に幸運にも釉薬の流れが下部の稜線ぎりぎりで止まった。ピラミッドの四面には4種類の異なる結晶釉を施したので「春夏秋冬」に相当する結晶釉景色を見ることが出来る。四面の内の一面には上部に穴をあけてあるので中に水を貯めて花を生けてもよい(穴のみえるサイドは陶芸コーナー=ここ=参照)。今はまず写真のように人形を飾るオブジェとして楽しんでいる。
<明日から二日間、テニス合宿のためコラムは休みます。絶好のお天気となりそうです!!>

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