これまでの「今日のコラム」(2006年 8月分)

8月3日(木) <信州で・・>
信州でのんびりと静養してきた。志賀高原・ 石の湯ホテルをベースにして、東館山(標高2000M)、横手山(標高2300M)にリフトで登る。頂上では眺望と共に真っ盛りの高山植物に時間を忘れる。山を下りては田野原湿原を歩き、蓮池を巡る。一昨日の夜には宿の直ぐ側で”ゲンジホタル(源氏蛍)”を見ることが出来た。ここの蛍は「発生地の標高が日本一高い」などいろいろと日本一の能書がある(=ここ)がそんな解説は関係なく私自身にとってこれほど明るく光り続けるホタルを見たのは初体験。まさに幻想的なホタルの光そのものであった。一緒にいった孫娘は早速沢山のホタルが光っているところを多くの人が橋の欄干からみて歓声をあげている絵を描いた。私も負けじと今朝は6時過ぎにスケッチブックをもって散歩に行き”木戸池”でスケッチを試みた。このスケッチを「今日の作品」に掲載したかったが、パソコンに取り込む余力がなく、今日は「凹みのある立方体<使用例>」(陶芸)を「今日の作品」に掲載した。こうした使用方法を考えるところがこの陶芸の面白いところだ。話をもとに戻すと、今回信州にいった目的の半分は「石の湯ホテル」で食事をいただくためといってもよい。この小さなホテル(=ここ)は食事もすばらしいが、絵や陶芸それに書籍が豊富に準備されており、そこにいるだけで何か創造的な気分になる。年に一度はこんなリフレッシュができればいいね・・と妻と話すがさて現実はどうなるか。

8月4日(金) <疑惑判定・・>
疑惑判定が“チョッといい話”に転化している。一昨日行なわれたボクシング世界ライトフライ級王座決定戦で”浪速のヒーロー”亀田(19歳)が判定勝ちしたが、これは疑惑判定。「間違いなく亀田の完敗」との声が多く、放映したTBSには抗議の電話が殺到(37000件)したという。ボクシング界はホームデイシジョン(地元をひいきする判定)がまかり通る奇妙な業界だとしても、今回はガッツ石松ほかチャンピオン経験者やボクシング関係者などまで「誰が見ても亀田の負け」と公言している。”いい話”とは対戦相手のランダエタ選手の母国、ベネズエラの日本大使館(のホームページ)に「ランダエタこそ本当の王者だ」、「間違った判定を申し訳なく思う」などランダエタ選手を激励するメッセージが1500通も日本人から寄せられていること。少なくとも日本人で「ランダエタ選手の負け」と断言する人はない。ホームデイシジョンはしたいけれども亀田は勝ってはいないとする日本人に公正さをみる。そうなると問題は判定を下したレフェリーだ。レフェリーが3人いても”意図ある”レフェリーによる多数決では意味がない。それぞれの行司(レフェリー)の差し違いを指摘する審判団を置く訳にもいかないか・・。

8月5日(土) <繰り返しませぬ・・>
猛暑の中2時間ほどぶっ続けでテニスをやった。真夏のテニス中には一種独特の思いをする。身体がいうことをきかない、普段には考えられないようなミスもする、無理をしないでボールをつないでいる方が結果はよい、体力のないときの持続力・集中力はどうすれば保たれるか・・。まるで自分が老人になって人生の最後を迎えたような思いが去来するのであるが、これを文章にすると気恥ずかしい。昔、小林秀雄(文芸評論家、1902-1983)がゴルフ好きの財界人かがゴルフを通しての人生論を書いて”一読してくれ”と置いて行った原稿を一顧だにせず送り返したという逸話を思い出す。ゴルフにしてもテニスにしても本人はいろいろ感慨があるものの第三者にはそれを”評論”するほどに面白くもないのも確かであろう。それを承知であえて云うとスポーツでは何度ミスをしてもそれを取り返す機会があるので楽しい。私などはミスをする度に”二度と繰り返しません”と宣言するけれどもまたミスをする。ミスというと、この時期にはどうしても広島の「過ちは繰り返しませぬから」と重なってしまう。この言葉は人間(あるいは人類というべきか)にとって如何に難しいことか・・。

8月6日(日) <この日・・>
61年前、広島に原爆が投下されたこの日、私は4歳半だった。弟は2歳、兄は7歳、姉は8歳などと年齢を勘定していると改めて当時母はどんなに大変だっただろうと思う。最近、5歳の孫娘が側にいると、こども一人を育てる苦労を目の当たりにする。高熱をだす、咳をする、怪我をする・・その都度母親は夜昼なく対応に追われる。さらに躾や教育・・。今更こんなことを云うのもおかしいが、私自身は自分の子育て時期には妻がこれほど大変だという実感を持てなかった。また母の生前にはその苦労を思いやることもできなかった。せめて亡き母のことを思いださせてくれたこの日、遅まきながら妻に感謝することにしよう。
この日、自分のパソコンのデスクトップを夏向きに入れ替えると気分が一新した。これに習ってこのホームページの表紙の背景を夏向きに変えた。
「今日の作品」には「木戸池(水彩)」を掲載。

8月7日(月) <バースのその後・・>
今日は一日よく仕事をした・・などというと本当に仕事をしている人には失礼かも知れない。パソコンに向うこともなく、作品作りもせず、読書をすることもなく、そして部屋に冷房もかけずに終日”家事仕事”をやったに過ぎないのだが、猛暑の中で大汗をかく労働をすると何か充実感がある。そんな一日であったが、「今日のコラム」には何を書こうかと迷った末に最近知った「バースのその後」を書くことにした。元阪神タイガースの助っ人外人、ランデイ・バースの偉業についてはいまさら解説はいらないだろう。1985年には掛布、岡田、バースのクリーンアップの活躍で阪神はリーグ優勝。この時バースは三冠王。翌1986年にも二年連続三冠王に輝く。そんなバース(1954生まれ)が1988年長男の病気(脳の手術)のため米国に帰国し球団とのトラブルで退団した。家族か仕事かの選択肢が当時大いに話題になったものだ。その後のバースは故郷の牧場で悠々自適の生活・・との噂までは知っていたが、何と2004年からはオクラホマ州の上院議員であるという。また長男ザックくんもその後結婚しバースは孫にも恵まれている。バースは今や50歳を過ぎた”仕事盛り”か。そんなバースはいまも立派な髭をはやしているのか見てみたい。日本に招待する企画はないのだろうか。

8月8日(火) <今日は立秋・・>
東京の日の出は4時54分。日の出と共に鳴き始める蝉の声で一度目を覚まされる。床の中で何となく芭蕉の句「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声」が思い浮かぶ。日本人はこの俳句のために蝉に随分寛容になっているかも知れない。朝早くから”うるさい”と云いたいところを“やがて死ぬ”蝉の季節を感じて許す。誰もと同じように”やがて死ぬ”自分のことを考えているうちにまた眠りについた。6時過ぎに起床してアール(コーギー犬)と早朝の散歩にでかける。散歩コースに槐(えんじゅ)の街路樹がある。この時期、えんじゅの樹の花が地面一面に降り積もり薄黄緑のジュータンを作っている。槐(えんじゅ)<ネット参考=ここ>は地味な樹だ。花盛りの時には木の芽のような色をした花にほとんど気がつかない。むしろ花が路上に散った今の季節に注目される。花の後にはやがて数珠状の豆の実をつける。確か以前えんじゅの豆の実の絵を描いた覚えがあるので調べると2003年の10月19日分に掲載していた(=ここ)。台風7号の接近で暑さは和らいだ今日は立秋。

8月9日(水) <男の料理・・>
男の料理は最近では珍しくない。私も近頃ようやく料理が怖くなくなった。初めはカレーやシチューを説明書の通りに時にはグラム数(重量)を計りながら恐る恐る作っていた。それが、ゴーヤチャンプル、豚肉のプラム煮、豚肉となすの炒め煮などにレパートリーを増やすうちに、それほど正確でなくても”いい加減”で結構おいしい料理ができることが分かった。塗り絵をやっていた絵の初心者が輪郭も自分で描く面白さが分かってきた程度であるが、料理も自分のオリジナリテイで独自のものを創るという無限の広がりを持つ世界があることは理解できる。ただし、料理の世界は絵画や陶芸などのように成果が後々まで残るものではない。食事をするわずかな時間が勝負どころ。何も反応がなければ制作者としては報われない。かくいう私もかつては”無反応”の典型だったかも知れない。自分で料理を作ってみて料理の有難さを知る。やはり何事も自分でやってみることだ。

8月10日(木) <フンがつく・・>
早朝にアール(コーギー犬)と散歩をしているとき、何か気配を感じて腕をみると「鳥の糞」が左の肘についていた。それも公園とか草むらでの話ではなく恵比寿から中目黒(東京)に向うメイン道路脇、7-8階のビルに面した歩道でのこと。何の鳥の糞だか分からない。3cmずれていたら道路に直接落ちていただろう、0.1秒歩くタイミングが変わっていれば気がつくこともなかった。非常に確率の少ない事象が降りかかったことで、今日は外出したとき特に交通事故を起こさぬように注意した。何事もなく家に帰り着いた時には、まさか家で極めて希なる事故が起きようとは想像もしなかった。猛暑の中、小さな池の大掃除をした。数年に一度水をかき出して泥を洗浄するのであるが、頑丈な石の上で作業をしている時に石が崩れて足を挟みそうになった。石は100kgを越す大きなもの。少しでも滑った足の位置がずれていたら、今ごろは入院中で片足は使用出来なくなる可能性は十分にあった。擦り傷程度(左足と糞がついた個所の丁度真裏にあたる左腕も擦りむいた)で済んだのはまことに幸運ともいえる。今日は”フンがつく”と同時に、”ウンがつく”日であった。
8月11日(金) <90分が試合時間・・>
一昨日(9日)行なわれたサッカー国際親善試合、トリニダード・トバコvs全日本戦で初めて全日本を指揮したオシム監督が語った言葉に感銘を受けた。さすが”オシム語録”を残す氏のコメント。試合は2-0で勝利したけれども、「サッカーは90分が試合時間、それが心配」(語句はその通りでないかもしれない)。「十分に走る力がある間はいい試合をした・・」に続く言葉である。(”はじめの30分はいい試合をする、その後はメタメタ・・”は私が毎度テニスで痛感するところでもある。)この言葉から人の一生を連想した。短期決戦に強く20歳までは大活躍とか、40歳から本領発揮の晩成型とか、長期戦に強いが60歳で事切れるなど、人生にはいろいろな活動の類型がある。ただし会社はリタイアできるが、人生の舞台は最期まで降りることはできない。日本人の平均寿命が男78歳、女85歳。人生はスポーツとは違い勝ち負けを競うものではないし、個々人を勝ちとか負けと判定できるものでもない。しかしながら最期まで走る力が欲しいのはサッカーと同じ。オシム語録はわれわれが「90年が持ち時間」という舞台にいることを思い起こさせてくれた。

8月12日(土) <壁塗り・・>
「今日の作品」に「白壁塗装&陶芸」を掲載した。何が作品かと云われそうだが今日は半分冗談。作品はバックの白壁の方だ。ペンキ塗りを誰も作品とは呼ばない。けれども時間と労力をかけた結果はまさにworkである。今回のペンキ塗りは40数平方メートル。私としてはこれほどの塗装は初体験であったが無事完了した。今は何より塗装の道具が素人向けに完備している。塗料は竹炭入りの水性塗料を使用。マスキングテープや防護シートなども安価に手に入るし、ローラーを使えば初心者でも簡単にムラなく塗ることが出来る。作業としては家具の片付け、壁の清掃、マスキングと汚れの防御処置など準備段階が全体の70-80%であろうか。いざ塗る段階になれば作業というよりお楽しみの世界。仕事も同じことだが楽しいと思えば苦労は感じない。さらに白壁に存分に壁画を描けばよかったのだが、さすがにそこまでは道楽せずに自制した。壁がきれいになると陶芸まで引き立って見えるので壁と陶芸を一緒に写真を撮ってみたが、「今日の作品」として白一色の画像を掲載した方が面白かったかも知れない。


8月13日(日) <至る処青山あり・・>
「人間至る処青山あり」。以前この漢詩を文字でみて、”人間はどこにいっても落ち着いたいい場所がある”と解釈していたら大間違いだった。この言葉は江戸末期の僧侶、釈月性(しゃくげつしょう)の「男児志しを立てて郷関を出づ」で始まる漢詩の結句である。漢文では人間を”ジンカン”と読み「世間、世の中」の意となる。青山(せいざん)は「木の青あおと茂った山で自分の墓をつくる所」、つまりお墓。「世の中には至る処に己の骨を埋める所がある。志しを抱いて故郷を出て広い世界で活躍しよう」というのが詩のいうところ。・・こんな漢詩を思い出したのは、お盆休みで交通も少ない都内の道路を通り九品仏(浄真寺=ここ、または、ここ)に墓参にいったせいでもある。父母の墓参りをしながら、ふと自分はこの墓に入るかどうかを思った。兄弟の多い間柄などを考えると自分が堂々とはいれるものでもない。”志しを立てて郷関を出る”年齢でもないが、「人間至る処青山あり」と思う方が気楽である。

8月14日(月) <大停電・・>
朝の8時前に突然停電が起きた。初めは、電灯、テレビ、パソコンなど電源が一斉に落ちたので家のブレーカーが作動したと思ったが、ブレーカーはONのまま。直ぐにこれは停電だと分かった。近所の人も出てきてお宅はどうと聞いてくる。テレビ、ラジオ、インターネットが使えないので、携帯電話で情報を知ろうとしたけれども携帯も通じない。一般電話で知り合いに電話してみたがこれも通じなかった。この時我が家には電池で使えるラジオの一つもないことに気がついた(事後に思いついたのだが自動車のラジオでニュースを聞く手があった) 。結局、「首都圏、140万世帯が被害を受けた大停電」という情報を得たのは、約40分後に電気が復旧してからであった。この事故、東京と千葉の境を流れる江戸川を作業用のクレーン船がクレーンを挙げたまま航行して東京電力の高圧送電線(27万5000ボルト)を2系統まとめて切断したことが原因と判明した。分かってしまえば単純な原因であるが、電力供給のバックアップシステムが何重にもできあがっていると思っていたら意外にもろいことが露見したものだ(反対に停電の規模の割に復旧が早いのに感心)。それでも我が家にとっては貴重な防災の予行演習となった。まずは電池式か手回し発電式のラジオを直ぐに購入しなければならない。

8月15日(火) <新しいこと・・>
ご存知、日野原重明氏の主宰する「新老人の会」は最近いろいろな機会で紹介されることも多い。私などは老人とはほど遠いが、この会の会員は75歳から。75歳で何かこれまでに全くやったことのない新しいことを始めるのが会員のやるべきことの一つと聞いたことがある。日野原氏(1911年生まれ、95歳)は新老人には感謝の心とか仲間作りと同時に自立と自分の研究を強く要求する。日野原氏からみると75歳など若造で老人ぶるなとでも言いたげなところが爽快だ。会のモットーとして、愛し愛されること、創り出すこと、耐えることの三つをあげるが、耐えることを挙げたところが目をひく。意味合いは、誰でもが何らか不幸や不満をかかえるが、とかく老人は自分だけ特別な被害者という思い込みが強くなるのでこれを耐えなさいということらしい。そして余りに恵まれ過ぎて不満がないよりは適度に満たされぬ気持ちや”ハングリー精神”がある方が長生きすると説いている。さて、このような老人の会に将来入る気など露ほどもない自分であるが、いいことはどんどん取り入れたい。・・ということで、突然ピアノを始めようと思い立った。今日は私のもっとも苦手な分野の音楽、それもピアノをスタートさせた記念すべき日である。

8月16日(水) <星座・・>
「今日の作品」に「星座(水彩、色鉛筆他)」を掲載した。例によって白い画用紙を前にして何を描くか全く考えはない。先ず、太めのマジックインクを手に取って黒の四角をランダムに描き始める。後はもう手の動くまま。バックの青は色鉛筆。水で色が溶ける色鉛筆が珍しくて濡らして遊んでいるうちに星座のイメージが湧いてきた。好きに描いて最後には、夏の星座:りゅう(DRACO=Dragon)、秋の星座:やぎ(CAPLICORN=Goat)、冬の星座:きりん(CAMELOPARDALIS=Giraffe)、春の星座:かに(CANCER=Crab)の連鎖が出来上がった。星座を描きながら実際に星座をみる機会がほとんどないなあと思う。夏の星座の”りゅう”は北極星のまわりを取り巻く(あるいはこぐま座を取り囲む)星座で今も見えるはずだが東京では星もみえない。星座にしてはマイナーな星座ばかりと云われそうだが、種明かしをすると田中カレン作曲「星のどうぶつたち(The Zoo in the Sky)」というピアノ曲集からそれぞれの季節の星座を選んだものである。この譜面は幼児でも弾くことが出来るやさしい曲ばかりであるが曲の内容が実にすばらしい。そう、私は昨日から「りゅう」を練習しはじめた。

8月17日(木) <高校野球・・>
甲子園で高校野球の熱戦が続く。最近はプロ野球にも興味がなくなってほとんどテレビも見なくなったが、高校野球には思わず引き込まれる。高校野球は決勝戦よりむしろ準々決勝、準決勝に名勝負が生まれると昔から云われているが、今日の準々決勝は正に野球というスポーツの醍醐味を満喫させてくれた。先ず第一試合、東洋大姫路ー駒大苫小牧戦は0-4でリードされた苫小牧が6回に同点とし、最後には5-4で逆転勝ち。第2試合、智弁和歌山ー帝京戦はまた激烈。8回まで帝京は4-8でリードされていたが9回表に8点を入れて12-8に大逆転する。その裏、智弁和歌山は何と5点を入れて13X-12でまたまた逆転勝利。ホームランが両チームで合わせて7本という打撃戦だった。こんなドラマのシナリオを誰が書けるか。野球の感動はプロ選手の技量よりも高校生の創り出すドラマの方が勝ること数多い。高校野球では来年から「飛ばないボール」を使用することが決まっており、今年の甲子園は記念すべき最後の「本塁打の大会」になるそうだ。野球の面白さの一つは「ホームラン」である。”飛ばない”ボールを使うなら、高校野球のドラマ性は間違いなく低減するだろう。何のための”飛ばないボール”か。プロに迎合するなら所詮プロ野球と高校野球は別もの、意味はないと思うのだが・・。

8月18日(金) <手回し充電・・>
先日、14日の首都圏大停電時に一旦電気が途絶えた場合情報を入手する手段がないことを痛感したので、早速「手回し充電式ラジオ」を購入した。まず家電量販店で見てみるとこの種のラジオの種類が多いことに驚いた。手回し充電で、ラジオ、ライト機能、サイレン、携帯電話充電機能までついているのが普通で選択に迷うほど。結局、東芝製の中級機種(キュートビート/5000円しない)を購入したが、使ってみて私はこれまでの認識を改めた。この種の製品は半分マガイモノであろうと期待はしていなかったのだが、実はなかなか優れものだ。手回し充電は軽やか、1分間に120回の充電をするとラジオが約60分、ライト約30分使える。しかもラジオの感度、音質が悪くない。これは非常用だけでは勿体ないので常時机の側に置きたくなった。この手回し充電の機能を他の商品に応用出来ないかとアイデイアが湧く。健康志向、肥満防止で毎日身体を動かす膨大なエネルギーを充電して回収すれば”一挙両得”。さしずめアスレチック教室に導入すれば電気代が節約できるとか・・。実用的にはデジカメ用の手回し充電器ができないだろうか。デジカメで肝心な時に電池切れの心配がなくなるのはいい。とにかくも、何でも電源、電池に頼ることを改めて”人力”を活用することは将来のあるべき姿でないか。案外に最先端の技術と結びつくと一大イノベーションとなる予感がする。

8月19日(土) <それがどうした・・>
大勢の客人がお帰りになったとたんに部屋は急に静かになる。酔いも廻って眠くなったので風呂に入って床に就こうとしたけれど何かそのまま眠れない。そうだ、まだコラムを更新していない・・。習慣とは恐ろしく、また有難いものだ。そう云う訳で話題探しにインターネットで今日のニュースをみた。甲子園の高校野球は準決勝。駒大苫小牧と早稲田実業が決勝進出を決めた。けれども、それが・・どうした。大相撲台湾場所で朝青龍が白鳳を下し優勝を決めた。・・それがどうした。スポーツ以外のニュース。南米ペルーで数百羽のコンドル科の鳥の来襲を受け空港が閉鎖された。・・それがどうした。ニューヨークのマジソン通りにショウウィンドウに触れるだけで買い物ができる店がオープンした。・・それがどうした。・・こんな調子で眠さが勝ると全てに興味が薄れることを実感する。「それがどうした・・」を繰り返す時には、とにかくも、休む、寝る、墓に入るのどれかを選択することか。

8月20日(日) <雨月物語・・>
江戸の文化は奥が深い。私の関心が強い絵画にしても狩野派などいわば官製エリートの絵師とは違う北斎や伊藤若冲などが世界的に評価されるし、江戸カラクリなどの分野でも高い技能をみせる。当然のことながら文学でも高いレベルの遺産がある。私はこれまで芭蕉、蕪村、一茶などの俳句に親しんだことはあっても、読本や戯曲にはほとんど縁がなかった。それが今日突然に思いついて「雨月物語」を読み始めた。上田秋成(1734-1809)の代表的怪奇小説集とでもいうべき雨月物語は芥川龍之介や三島由紀夫が愛読したと云われる。私は学生時代のことは忘れてしまったし、自分で原文を読んだことはないので急にその名文に接したくなったのである。幸い現代はインターネットという道具でこの物語を読むことが出来る(ダウンロードしたのは=ここ)。9編の短編であるから現代訳なら簡単に読めるはずだが原文はやはり手こずった。それでも何とか名調子を味わうことはできた。例えば、「菊花の約(ちぎり)」の書き出しはこうだ:「青々たる春の柳。家園に種ることなかれ。交りは輕薄の人と結ぶことなかれ。楊柳茂りやすくとも。秋の初風の吹に耐めや。輕薄の人は交りやすくして亦速なり。楊柳いくたび春に染れども。輕薄の人は絶て訪ふ日なし。」クライマックスには「人一日に千里をゆくことあたわず。魂よく一日に千里をもゆく」と「みずから刃に伏し」菊の節句に会うという約束を果たす。時代を超越したこんな物語を読むだけで歴史遺産を目の当たりにするのと同じ非日常の幸せを感じる。

8月21日(月) <異材料結合・・>
「今日の作品」に「ガラス管付き照明具(陶芸)」を掲載した。陶芸とガラス管とのコンビネーション(結合)を以前から考えていたが、今回の作品はその一つの結実である。陶芸の方は金属の機械加工ではできない形状、同時に木材でも制作し難い形、つまり粘土でしかできない形状を試みた。粘土の変形が最小限になるようにも配慮したが、ガラス管を通す孔のサイズが焼成による収縮を見込んだ通りにできあがり、また上下の孔の芯の狂いもでなかったのがうれしい。釉薬は粗目(ざらめ)を使った。真っ白な釉薬でこれをあえて凹凸をつけてザラザラ仕上げとした。ガラス管は6mm外形の手持ちの材料を使用。出来上がった陶芸作品の寸法に現物合わせでガラスをカットした。"O"リングを使ってガラス管を陶器に固定するやり方も計画通りにうまく出来た。今回、陶芸品を制作する過程で、何か精密工作をするように細かな寸法・形状を粘土で作るのは邪道のように思えたこともある。粘土ぐらいはもっと自由にのびのびとやりたい・・。それでも一方でこれまでにない異材料結合を試みる楽しさは格別だった。粘土とガラスのコンビネーションはアイデイア次第で大きな可能性がありそうである。<陶芸コーナー=ここ=にライト照明点灯写真を掲載>

8月22日(火) <プライスコレクション・・>
「プライスコレクション/若冲と江戸絵画展」に行った(@東京国立博物館、8月27日まで、案内=ここ)。会期末が迫ったので時間を割いて出かけたが、本当に行ってよかった、見てよかった・・。私は伊藤若冲の「花鳥人物図屏風」や「鶴図屏風」の前でしばし息をのみ動けなかった。その筆の勢い、濃淡の妙、バランスの良さ、純粋の写実ではない現代的ともいえる筆致はまさにどの流派のものでもなく若冲独自の世界を創り出している。伊藤若冲(1716-1800)は一方で極めて精細な絵をグラフィック的な感覚で表現したり、4万個以上の枡目を使って描く(枡目描<ますめがき>技法)など絵画の幅が広い。狩野派や江戸琳派では飽き足らなかった若冲の独創が時代を超越している。この伊藤若冲を”発掘”したのがアメリカ人のジョー・プライス氏であるのが少々引っかかるが現代は国籍をどうこういう時代ではない。プライス氏は”一介の技師にすぎない”と 謙遜されるが大富豪の父親と仕事をしながら建築家のフランク・ロイド・ライトなどと親交を重ねて鑑識眼を養った。日本人の女性と結婚しこれまでほとんど注目されなかった伊藤若冲など江戸絵画を収集する。今回はこのカリフォルニアにあるプライスコレクションの内101点が日本に里帰りした。プライスコレクションでは朝の光、昼の光、夕暮れなど光の変化に応じて作品の表情が変わる(墨の階調、銀、金などの反射の違いが強調されるため)ことを実感出来るように光の調節ができる設備を持っているそうだが、今回の展覧会でも一部にこの光の変化を再現させている。作品にただ均一な照明を当てるのではなく光の変化を見せるやり方があることを知ったのも収穫の一つだった。

8月23日(水) <梁塵・・>
夏休みの気分なのだろうか、このところ日頃できない部屋の片付けや大掃除を大汗をかきながらやることが多い。居間の高いところに梁がある。梁の上の塵を掃除する時に「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」を思って苦笑した。平安時代の流行歌(歌謡)である「今様」を後白河法皇 が編纂したとされる「梁塵秘抄」。「梁塵」は”名人が歌う美しい歌の響きに梁の上の溜まった塵も感動して舞い上がった”という中国の故事からつけられたとされる。物理的に「梁塵」を考えると大きな歌の声に梁を含めた建物(部屋)が共鳴すると梁の上の塵も動くことはあり得るかも知れない。オペラ歌手が民家で歌って「梁塵テスト」なんて面白いだろう。梁塵秘抄で現代最も知られた歌:「遊びをせんとや生まれけむ  戯(たわぶ)れせんとや生まれけむ  遊ぶ子供の声きけば  わが身さへこそゆるがるれ」。これはまさに遊ぶ子供の声を聞いて自分のからだまで揺すぶられる梁塵の共鳴である。今様は白拍子や傀儡子(くぐつ=操り人形を操る人)といった女芸人が歌うことが多かったようだが、”遊び”の歌も遊女の歌とされる。遊女は”あそび”と呼ばれた。それにしてもあの後白河法皇(1127-1192)が少年時代から今様を好み遊女の歌を愛唱し編纂した様は興味深い。熾烈な権力闘争を繰り返して生き抜いた「大天狗」(法皇が死去すると直ちに征夷大将軍となり鎌倉幕府をひらいた源頼朝が評した言葉)に「梁塵秘抄」は別の歴史の光を当てさせた。

8月24日(木) <気合いだ・・>
「気合いだ、気合いだあっ!」で話題になったのは女子レスリングの浜口親娘。私ならば応援席から「気合いだ」と云われると気合いを殺がれる。気合いとは瞬時の精神集中。その瞬間に雑音が入ると集中が崩れる。ゴルフでパットをする時に周囲のギャラリーは声を出してはならない。打つ瞬間に声が聞こえるだけで手元が狂う。これと全く同じことを私の素人テニスでも経験する。人によっては自分が球をとることができない時パートナーに声をかける癖がある人がいる。「任せた」、とか「OK」などのかけ声はパートナー同士で必要なこともあるが、そうではなく「浅い」とか「速い」とか分かりきっていることを云われる。動き始めた瞬間にパートナーからその言葉が出ると途端に集中力が切れるのが自分でも分かる。合間に「ガンバレ」と云われるのも決して頑張ろうという気にならない。むしろ「サンキュウ」の方がずっとよい。普段そんなことを気にするほどでもないのだが「気合い」の難しさを云いたくてテニスの事例を書いた。「家事仕事」でも気合いの難しさを実感することがある。私なりに集中して家の仕事をしている時に何の悪気もない妻の一言で集中が崩れてやる気が失せる。全く気にすることがないと後では思うのだが気合いが殺がれるのは確かだ。家事仕事にそれほど気合いが入るのかと云われれば言葉に詰まるが、何にしても気合いを持続させる最良の掛け声は私の場合「ありがとう」の一言である。
8月25日(金) <冥王星・・>
昨日(24日)は冥王星が惑星から除かれた”歴史的な日”となった。プラハで開かれた国際天文学連合の総会で太陽系の惑星の新しい定義が多数決で採択され冥王星は惑星から除外されたと云う訳である。慣れ親しんだ冥王星が惑星ではないと定義されても冥王星自体は何も以前と変わりがない。科学の進歩に従ってより正確に他の状況も合わせて解明されてくれば定義が変わるのも当然だろう。冥王星が惑星から外されるのが何となく心情的に寂しいと思うのは一つに英語名「プルート=Pluto」が犬の名前で親しいことにある。プルートは人間と同じ時を過ごすデイズニーアニメの愉快な可愛い犬であるが、これまで9番目の惑星とされていた冥王星は太陽を一周するのに248年以上かかるという宇宙時間を持った星、更に太陽から遠いために表面の温度はマイナス230度というとんでもない星だ。今は8個となった太陽系の惑星:水(Mercury)、金(Venus)、地(Earth)、火(Mars)、木(Jupiter)、土(Saturn)、天(Uranus)、海(Neptune)。こういう機会に太陽系の惑星を改めて見直そうと、インターネット上の百科事典=Wikipediaで「太陽系」を調べてみて驚いた。昨日決定された冥王星除外の経緯を含め「8個の惑星」の解説が既に出来上がっている(=ここ)!またまたネット百科事典の凄さ、有難さを実感する。それにしても地球の仲間である惑星の一つ一つを見ていくとあらためて地球の特異性に気がつく。まさに私たちは奇跡の星に生きている。

8月26日(土) <ミツトヨ・・>
大手精密測定機器メーカー、ミツトヨが高性能の三次元測定機を不正に輸出した疑惑で捜査を受けた。核兵器の開発の元になる遠心分離機の製作に欠かせないため輸出が禁止されている計測器をイランやマレーシアなどに偽装して無許可で輸出したとして幹部が逮捕されるまで進展している。真相はまだ分からないけれどもミツトヨという会社は私にとって非常にいい心証を持っている数少ない企業の一つであるので書いておきたい。まず三次元計測器は云うに及ばず、ノギスとかマイクロメーターなどの単純な計測具も極めて品質が優れている。安心して使える・・まあ、これは当然であるだろう。実は私が云いたいのは創業者、沼田恵範氏のことである。三豊製作所は1934年に沼田氏がマイクロメータ国産化のために設立した会社だ。この会社が精密測定機器の大会社に発展した。沼田氏は一方で仏教伝道協会を通じて私財をなげうって仏教の伝道に力を入れた人物。具体的にはビジネスホテルに宿泊すると部屋に「和英対照仏教聖典(THE TEACHING of BUDDA)」という本が置いてあることがあるが、この仏教聖典をホテルに寄贈したのが沼田氏である(海外ホテルをいれて700万部!)。キリスト教の聖書がホテルにおいてあることはよくあるが、ただでさえ読む機会がない仏教聖典(それも和英対照)をホテルでみられるのは画期的だった。私は宿泊した後にもっと読みたいので本屋で買い求めた(まだ手元にある)。当時、沼田氏の仏教聖典からミツトヨを見直した。不正輸出問題など乗り越えて更に「良い環境、良い人間、良い技術」(ミツトヨの社是)に取り組んで欲しい。

8月27日(日) <歩きながら考える・・>
「歩きながら考える」のもいいものだと実感した。自転車のムシ(空気を入れる部分の細いゴム管)が損傷してタイヤの空気が抜けてしまったので自転車は使えない。そこで渋谷(東京)の東急ハンズまで歩いて行くことにした。といっても大した距離ではなく家から2km余であるので30分も歩けばよい。毎日、朝晩に犬の散歩で30分は歩くので片道が散歩時間の程度である。歩き始めて、犬を気にすることもなく同行者もいない、電車やバスに乗る目的もない・・これは全く自分の時間であることが分かった。そうすると頭の方も自由時間を満喫し始める。まず次に創る陶芸のアイデイアが浮かび、粘土で作る順序やサポートの構造などまで詳細についてあれこれ考えているうちに渋谷に着いてしまった。東急ハンズで自転車のムシを52円で買い、更に少し買い物をしてから帰途につく。休みなしであったが帰りも歩き。家に着く頃には次回陶芸の構想はほぼ出来上がっていた。考えているときには時間を忘れる。足は勝手に動いている。周囲の風景など見向きもしない訳でもない。目は移り変わる都会の景観を楽しみながら頭は別に働く感じだ。ところで、歩きながら考えたアイデイアを帰宅後に図面にしてみるといくつかの変更は必要だったが基本的には採用出来そうである。

8月28日(月) <模写・・>
「今日の作品」に「伊藤若冲模写」を掲載した。元来私は模写は大嫌いな方である。他人と同じものをそのまま描いたり作ったりすることにほとんど価値を認めない。描いた人の工夫や個性がないものを作品とは呼ばない。それでも模写が”勉強のために有用”であることは承知している。西洋の美術館で画学生が一生懸命に名画を模写している姿をよくみかけることもある。模写から習得できることは多いことも確かだ。そんな私が伊藤若冲を模写したのはそれだけ若冲が私にとってインパクトが強かった証でもある。若冲については8月22日のコラムに書いたが、アメリカ人のプライス氏が発掘するまで若冲は一般にほとんど知られていなかった。若冲は尾形光琳のような伝統を踏まえた絵画を超えて現代的な感性で描いた絵画を多く残しているが、既存の権威を有り難がる日本人はそれほど若冲を評価できなかった。さて模写したのは「花鳥人物図屏風」の中の一つ。模写に際して若冲の絵を改めて細部をみていくと、筆使いが卓越していて勢いがあるのは勿論であるが極めて精神が自由であったのではないかというこだわりのない線が続く。若冲は生涯独身で酒も飲まず作画三昧で85歳の長寿を全うしたという。一筆一筆が充実した人生であったに違いない。ところで一応仕上げた模写を掲載はしたものの新たに描き直したくなった。もしかすると同じ絵を10枚ほど描くと少しは原画の神髄が分かるのかも知れない。模写はやはり難しい。

8月29日(火) <一斗・・>
今日も江戸時代の絵師、伊藤若冲に関連した話から始める。昨日「今日の作品」に模写の絵を掲載した若冲は私が模写した屏風一曲分程度の草筆略画一枚で米一斗分の代金(銀6匁)を得たと云われる。若冲は晩年の作品に「米斗翁」と年齢を加えた落款を使っているが、これも絵一枚で一斗の収入を得たことに由来すると伝えられる。ここでお米を計る枡の単位を整理してみると、一斗とは一升の10倍、一升は10合。大きい方は俵一俵は4斗、10斗が一石。お米の重量からみれば、一合=約150g、一升=約1.5kg、一斗=約15kg、一俵=約60kg、一石=約150kgとなる。若冲ほどの絵師は墨で一枚どれほどの時間で描きあげたのだろうか。正味は1-2時間もあれば描くのだろうが(あるいは30分かな?)準備その他の時間を見ても半日で十分に米一斗分を稼ぐ。現代のお米の値段、10kgが4000-6000円でみると、一斗(15kg)は約6000-9000円。今の時代のアルバイト代と比べると高くはないが当時は相応な収入であったのだろう。「米斗翁八十五歳」と落款を入れる心理は誇りに満ちて見えるが、没後200年を経て米10石ー100石、いやそれ以上にお金で換算出来ない価値となった。

8月30日(水) <東京オリンピック・・>
2016年の夏季五輪国内立候補都市が東京に決まった。選考委員会での投票の結果、東京都が福岡市を33票-22票で破ったもの。これから東京が世界中の立候補都市と開催を競うことになる。米国のサンフランシスコ、シカゴ、ロスアンゼルス、ブラジルのリオデジャネイロ、スペインのマドリード、イタリアのローマなど有力な都市が立候補して招致レースは激戦となるとみられる。2度目の東京オリンピックの夢は容易ではないようだ。こんな話題に関連して1964年の東京五輪を思い出す。もう42年も前になるのかと感無量。私は大学を卒業した年で五輪期間に国立競技場へは一度だけ行った。オリンピック関連施設の中で外観が好きなのはやはり丹下健三設計の代々木体育館。レスリング会場となった駒沢の体育館や駒沢公園はこの40年間によく活用させてもらった。代々木の旧選手村跡の施設も何度か使うことができた。私などはオリンピック施設の恩恵をそれなりに受けた方かも知れない。今の時代、夏祭りに参画する機会はほとんどないけれども、スポーツでも文化でも同じだが人間は祭りで活性化する。2016年に東京オリンピックが実現するかは予断を許さないにしてもオリンピックという”祭り”を一つの目標とするのは悪くはない。世界中の立候補都市の中からオリンピック開催の都市を決めるのは一次選考が2008年、最終選考が2009年だ。

8月31日(木) <憂鬱・・>
「夏休みが終わり、子どもたちにすれば学校という憂鬱な日常に戻ることになる」。これは今日の東京新聞のコラム欄「筆洗」の書き出しである。何たるワンパターンで陳腐な文言。この文章を書いた人は余程憂鬱な学校生活を送ったのだろう。それで新聞記者になったのかも知れない。新聞のばい菌文はまず親に伝染し、続いて子どもにも伝わる。子供たちが純粋に“楽しくて大好きな学校”と思っているところに大人が勝手に「学校という憂鬱な日常」を植え付ける。このような決まり文句が随所に見られるのは全く”憂鬱”だ。例えば”子供たち”をサラリーマン、”学校”を職場に置き換えるとまた典型的な文となる。”人生は苦である”とか、”この社会は一体どうなっているのか”と嘆いてみせるなど、不幸を装うのがカッコイイと思う輩もいる。大人が自分の社会や生活をどう感じようが、新聞さまが何をご意見しようが知ったことではないが、ただ一つ、「子どもたち」に余計な決めつけはするなと云いたい。子どもはもっと多様で豊かである。

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