これまでの「今日のコラム」(2006年 9月分)

9月1日(金) <パワフル女性・・>
米経済誌フォーブスが昨日「最もパワフルな女性」を発表したという記事をみた。それによれば一位ドイツのメルケル首相、二位ライス米国務長官(これまで2年連続トップだった)、三位中国呉儀副首相などと並ぶ中で日本人はダイエーの林文子会長が39位に入っただけという。ダイエーの林文子さん(1946年生まれ)はホンダのトップセールスウーマンからBMWのセールス(現役時には5年間で400台を販売した)、更にBMW東京の社長となった経歴が注目され、米経済紙ウォールストリート・ジャーナルの「女性経営者50人」にも選ばれている。それにしても日本にはパワフル女性がいないのか。折からの自民党の総裁選候補に絡んでも女性の姿はみえない。一方では来年春のフランス大統領選挙で初の女性大統領を目指すロワイヤル元環境相が選挙キャンペーンを本格化させたとのニュースが流れる。云うまでもなく現代の政治は日本でも密室政治は嫌われる。オープンでクリーンな政治となれば女性が主導権をとっても何ら不思議ではなくむしろ世界の趨勢ともいえる。私の独断と偏見からいえば、日本男子は(随分おおくくりだ!)力仕事と汚い仕事を引き受ける役割。それ以外のクリーンさや倫理面、常識などなど全て女性の方が勝っている思っておけば世の中間違いはない。有能な女性は日本にも満ち満ちている。けれども”力”を持っているかは話は別なのか。そんな時、知人に犬養道子さんの近況を聞いた。85歳を過ぎて(1921年生まれ)まだ海外を飛び回り講演を続ける日々だとか。”経済誌”のランク付けなど気にすることはないが、犬養さんのような女性を実はものすごくパワフルと呼ぶのでないか。

9月2日(土) <カレーライス作り・・>
「何でもやってみよう」をモットーにしている。やってみたことが無駄になることはない。全てが貴重な経験である。この度は「簡易カレーライス作り」を試してみた。カレーライスができるなんて自慢にもならないが、私はこれまでごく普通の作り方をしていた。肉、玉ねぎ、ジャガイモ、にんじんを適当な大きさに切り、まず鍋でいためる。その後、水を加えて沸騰させてアクを取り、材料が柔らかくなるまで弱火で煮込む。そこで市販のカレールウを入れて溶かしてとろみを付けるという方法だ。ご飯は電気釜で別に焚くのは云うまでもない。今回の簡易法は適当の大きさに切った材料とカレールウ、それに水をまとめてポリエチレンの袋に入れて(できるだけ空気を抜き)密封する。そしてこのポリエチレン袋をそのまま電気釜の米と水の上に置いて蓋をして、スイッチをオン。そうするとご飯と一緒にカレーライスの出来上がりという次第。ポリエチレン袋の耐熱性を心配したが、この耐熱温度120-130度に対して炊飯器は100-110度までしか温度は上がらないので問題ない。結果はまずまずのカレーライスが出来上がった。ただし私の感想としては今後もこの作り方を続けるかと問われればノー。鍋で材料を炒め、カレーのとろみをつけるのはそれほど時間をとることもないし面倒でもない。カレー味にプラスアルファを加える料理の楽しみはオーソドックスな方法に限る。それにしても世の中には電気炊飯器でご飯以外のいろいろな材料を料理しようと試みる人が大勢いる。そのパイオニア精神には感心してしまう。

9月3日(日) <崩しの美・・>
陶芸教室で陶芸家、塚本治彦さんの作陶デモがあったので出席した。塚本治彦さん(1959年生まれ)は美濃を代表する現代陶芸家として注目されている人物。豪放な作品、大胆な削りの織部などで知られる塚本さん(=netでの記事=ここ)は実際にお会いすると温厚で礼儀正しい紳士であった。作品作りを目の当たりにして非常に興味深かったのは、完璧な技術から”崩しの美”とでもいうべき作品ができあがる過程だ。轆轤のテクニックを駆使してすばらしいフォルムを作り上げたかと思うと、それを大胆に崩す。あるいは手で叩き上げて作った板を真剣勝負に取り組む迫力で荒々しく削り込む。基本を自由自在に操りながら”崩し”を行なうところは書道や絵画も同じだと思った。崩し文字は完璧な楷書をマスターしてはじめて書くことができる。ピカソのキュビズムの絵や顔がひん曲がった絵画の基礎には人並み優れた描写力がある。現代の美を追求すると”崩し”は一つの到達点であったが、安易な”崩し”は美とはならない。”崩しの美”を得るにはやはり基本を大切にすることか。Return to Baseline.(NASAの哲学)はここでも生きているようだ。

9月4日(月) <サンマ・・>
「今日の作品」に「サンマ(秋刀魚)/水彩」を掲載した。こんな中途半端な画像を掲載したのには理由がある。今朝デジカメ(キャノン製)が故障したので販売店に持って行ったところ修理に一ヶ月かかると云われ、止むを得ずスキャナで絵の取り込みをやったところこんな範囲の画像となってしまった(因に5年間保証で購入し丁度3年経過して故障した。メーカー保証は1年間であるので販売店経由の修理となり時間がかかる)。このサンマは所用で外出して帰宅する途中、スーパーに寄って私が買ってきたもの。購入するときは描くことなど全く頭になかったのだが家に帰って突如料理の前に絵に描くことを思いついた。久しぶりに生の魚の姿をじっくりとみる。命ある魚を人間が捕獲してきて眼の前に横たわっている。それならば絵を描くにしても魚のために真剣に、正確に記念碑を作りたい・・。詳細の形や色に感心しながら写し取っていくと自然とリアルな仕上がりとなってしまった。肉や魚を食べなければ私たちは生きていけないけれども、人間は殺生を繰り返す。サンマの絵を描きながら改めてサンマに感謝。今晩の食事時には焼いたサンマに大声で”(命)いただきまーす”と手を合わせた。

9月5日(火) <青虫から・・>
最近は見るもの聞くもの何かと子どもの頃より不思議に思えることが多い。生物の潜在能力や成長のメカニズムなどは最新科学でどこまで解明されているのか知らないが特に興味深い。庭にある小さな山梔子(くちなし)の木に青虫が2匹ついていた。幼虫である青虫はやがて成虫になると全く異なった姿の蝶に変わる。完全変態と云われる成長過程も不思議の一つ。しかもキャベツや野菜を好む青虫は我が家の庭のように何も野菜がないところでは必ず山梔子の葉を食べる。チョウ(の幼虫)でも種類によって好みが違うというから青虫はどんなセンサーで食べ物を見分けるのだろう。フクロウが真っ暗な中でネズミを捕らえる機能にも驚く。フクロウの頬についている耳は左右の高さ位置が少しずれていてそれによって離れたところの対象をとらえる能力がより正確になるという。高性能のレーダーに相当する装備を持っている動物はフクロウに限らないだろう。生物の不思議は際限ない。・・「ある朝、ベッドの中で自分の姿が一匹のとてつもなく大きな毒虫に変わっているのに気がついた」のはカフカ(1883-1924)の小説「変身」。小説家は人間を毒虫にも青虫にでも変身させる。現実の変身・変態は青虫から蝶のように違う姿に完全変態するケースもあれば、今もこの夏最後とばかりに鳴く蝉のように不完全変態と云われる”脱皮”を繰り返して成長することもある。人間は中年以上になっても過去に固執せずに脱皮すると更に成長できると思うか・・。

9月6日(水) <空飛ぶマンション・・>
現代の海外旅行は昔は考えられなかったほど安価に行くことができる。国際線の飛行機代が安くなった立役者の一つがボーイング747ジャンボと云われる。1969年に初飛行に成功したこのジャンボ旅客機の乗客は350-550名。日航機墜落事故や大韓航空機撃墜事件など不幸な事件を含めて747は大型航空機の歴史を築いてきた。そして今年は新たな巨大飛行機の幕開けとなりそうだ。ボーイングに対抗する欧州の航空機メーカーエアバス社が開発した大型旅客機A380が一昨日、4日に関係者474名を乗せてフランスで初の試験飛行を行なったと報じられている。同機は標準で555人、エコノミークラス仕様で853人の乗客。エアバス社はこのA380の生産の遅れに端を発して社長が交代したりA380開発責任者が解任されたり混乱が続いているようだが、欧州航空機の将来とエアバス社の社運をかけた新機種であるのは確かであろう。一号機の納入先はシンガポール航空で今年末に引き渡しの予定(約6ヶ月の納期遅れとか)。A380の概略の仕様を示してみよう:全長73m、主翼幅約80m、全高24m、重量280ton、最大離陸重量560ton。これは”エアバス”ではなく”空飛ぶマンション”である。それにしても人間は実にすごいものを作る・・。

9月7日(木) <LPレコード処分・・>
このところ家中を大掃除している。居間の壁を自分でペンキ塗りしたところ他の部屋の汚れが以前より気になってくる。壁塗りの前には掃除をしなければならない。先ずは”モノ”を減らそうと、この際、ビデオテープを200巻ほどを(正確に数えもしなかったが)燃えないゴミで処分することにした。往年のテニスの名勝負、ボルグ対コナーズ戦など愛着の強いビデオもあったが”なくても生活出来る”と割り切った。本も選別して数を減らす。続いてLPレコードを処分する段になって悩んでいる。「全て処分」を決行しようとしたのだが”ゴミ”で捨てるにはいかにも忍びない。主にクラシック畑のレコード、マーラーの交響曲の全てとかバルトークの名盤とか自分なりに収集したものを含めて、これも200枚ほど。自分とのつながりは断ち切るにしても、これらを有効利用する方策が何かないものだろうか。一方では日本中では膨大な数の同じようなレコードが有余っていて特別に価値がある訳でもないとも思う。
「過去の思い出に酔う」のは私の流儀ではない。・・迷いながらもこの一両日で決断しなければならない・・。
9月8日(金) <○○にみえない・・>
秋は展覧会のシーズン。このところ知人の絵画展に行く機会が続く。昨日は勤め人時代の友人が三鷹(東京)で5人展を開いているのを見に行った。油絵を一人で20点展示していたので本人の個展のような趣もあり面白かった。友人はデッサンは相当な基礎がある上で、山や花を大胆に誇張して太い線で描く。梅原龍三郎のスタイルを思わせるところがあるので、梅原を超えて彼流の思い切りをもっと強調してもいいねえなどと楽しいオジャベリもした。他人のことは好きなことが云えるが自分は油絵など本格的な絵をしばらく描いていない。羨ましくなったが直ちに油彩を描くこともできない。そこで先日描いた秋刀魚の絵を”崩して”遊んでみようと描いたのが「今日の作品」に掲載した「秋刀魚と唐辛子」(水彩)である。ところが、この秋刀魚、家人からは”秋刀魚に見えない”と一言で片付けられてしまった。そう云えば秋刀魚の絵というと片岡鶴太郎が思い浮かぶが鶴太郎さんの秋刀魚ほどの多彩な色使いもなく崩しも少ない・・何となく中途半端で遠慮勝ちかなあ。どうせ秋刀魚に見えないならば、次には真っ赤な色で描いてみるか・・。どうせ似ていないのならば、もっと太っちょの秋刀魚にするか・・。これからのテーマは如何に「○○にみえない」絵を描くか、そして「私にはこうみえる」を描くかだと思い至った。

9月9日(土) <新聞の将来・・>
全国の新聞社(地方紙が中心)51社が参加して地域の情報を提供する新しいポータルサイト「全国新聞ネット」が発足する。地方の新聞社が結束してヤフーやグーグルに伍してインターネットの世界に入り込もうという訳である。以前から新聞の将来がどうなるのか興味はあるが読めない。日本の官庁も銀行もメーカーも大変革している中で新聞社だけは高収入を続けどっぷりとぬるま湯に浸かっているようにみえる。自分こそ正義という論調できれいごとを言うが広告収入で収益をだしているので読者よりスポンサーさまなしでは生きてはいけないはずである。折からアメリカのラジオ局の倒産や身売りが相次ぐというニュースがあった。アメリカのラジオはほとんど音楽専門であるところが多く、i-Podに代表される安価な音楽メデイアが普及したためラジオが成り立たなくなったということらしい。地方新聞の動きをみると新聞もメデイアの環境変化をただ眺めているだけではないのだろう。それにしても全国紙はどう動くのだろう。巨大化した新聞、つまり膨大な発行部数を誇る新聞は世論を意図的につくり出すことができる一つの権力である。かつては弱い立場で権力を監視する役割りでもあった新聞は自らの強大な力をどの方向に動かすのか。新聞の将来を注視したい。

9月10日(日) <鬱病・・>
今日の読売新聞のコラム・編集手帳が小川宏さん(元アナウサーで活躍)の近著「夫はうつ、妻はがん」のことに触れている。小川さん自らの体験から「うつ病は完治します。私がその証しです」と書いているそうだ。この話から40年以上も前に当時の精神医療の権威の先生から習った「躁鬱病」のことを思い出した。その時には躁鬱病は十人に一人その症状がみられる病で決して特別な病気ではないと教わったことをまだ覚えている。この機会に最近の学説を調べてみた。躁状態(=精神が高揚した活動的な状態)と鬱(うつ)状態(=精神活動が低下して不安、集躁感に落ち込む状態)とが交互に、周期的に表れる躁鬱病(そううつびょう)は今は双極性障害とか気分障害とも呼ばれるようだ。最近は小川さんの著書のように「鬱病(うつびょう)」の例が多く社会問題化している。鬱病も気分障害の一つであるが躁鬱病とは区別される。鬱病は現代では生涯有病率が男性15%、女性25%(!)といわれ、もはや誰にでも起こり得る疾患。私や妻の知人にも「鬱病」と云われる人が何人もいるがみな普通の人である。生活の環境因子も絡んで発症するとされるので遺伝的な因子を持っていても発症しないこともあるのだろう。仕事熱心、几帳面、責任感が強い、生真面目などの特徴を持つ人がかかりやすいときくとチョッと複雑だ。モノゴト適度に無責任、適度にちゃらんぽらんがいいようで・・。

9月11日(月) <アートの価値・・>
2003年5月ニューヨークのオークション(クリステイーズ)での落札価格50万ドル(5800万円)、2006年5月ニューヨークのオークション(サザビーズ)100万ドル。これは村上隆の一作品の落札価格の推移。遂に一点一億円を突破したと評判である。50万ドルで落札された作品は等身大のフィギュア(人形)「Miss Ko2」で、こんなもの=ここ(他の作品例はここでみられる)。村上隆(1962年生まれ)は東京芸大の博士課程修了後、”日本では食えぬから”ニューヨークに渡り、またたくまにポップアート系の現代美術家として高い評価を得るようになった。村上氏の書いた「芸術起業論」(=ここ/100万ドルで落札された作品もここでみられる)をみると従来の芸術家やアーテイストのイメージをぶち壊す言動があって面白い。欧米の美術業界で成功するノウハウは、総括すると「ターゲットとするマーケットのルールを知り、戦略を立てること」。芸術もファッションと同じく短期的にブームがつくられる産業で、そのブームをつくりあげて美術界を動かすのはごく少数の人間(大金持ちだろう)だという。その少数の人間にアピールできるプレゼンテーションが非常に重要だとも語る。まさに商品販売と同じセンスがなければ現代美術界の寵児とはなれない。成功者の話を聞くとあらためて「アートの価値」とは何なのか考えてしまう。

9月12日(火) <やってみる・・>
今日もまた「まずやってみる」で予想外の成果を得た。陶芸の話なのでどう転んでも大差ないとも云えるが、とにかく「考えるより行動」。大袈裟な言い方だが陶芸で「クラインの壷」を制作しようと計画したのである。三次元のチューブをひねって表をたどると裏にたどりつく立体(ベビウスの輪の三次元版)がクラインの壷であるので構造的に制作できるか否か自信がなかった。それが「案ずるより産むが易し」でやってみると成功したという次第(正確にはクラインの壷風の壷で完成後に紹介の予定)。私は何事も「過ちては改まるに憚る事なかれ」(論語)が好きで「過ちては改めざる、これを過ちという」に同感だ。そのためにはまずやってみる、”朝令暮改”であってもかまわない。ところが世の中には「公式」に誤りを認められない事情が多過ぎる。国や役所が誤りを認めると、責任追求と損害賠償の問題がでる。国や役所がやることは当然重大な責任を伴う。そうすると「行動しない」「何も変えない」ことが一番無難になる。元来、先の論語の言葉や「君子は豹変す」、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」などは国を治める立場の人間に帝王学として語られたものだろう。国や役所もまた本来は”間違いでした”と云い易いのが理想だ。少なくとも私企業や家庭などでは間違いの追求よりも「やってみる」ことを優先させると周囲が明るくなる。

9月13日(水) <誇らしい・・>
自分とは何も関係がないが心から誇らしい、うれしい。・・松井秀喜の活躍である。松井は5月にスライデイングキャッチの際に左手首を骨折し、今日が4ヶ月振りのメジャー復帰。8番指名打者で登場した松井をヤンキースタジアムの観客はスタンデイングオペレーションで迎え、歓声と拍手が鳴り止まなかった。この日のゲームで松井は4打数、4安打、打点1というこれ以上ない成績を残した。松井の集中力のすばらしさもさることながら、つくづく松井は強運であると思う。復帰後の初打席となる一回一死で1−3塁の場面では決してクリーンヒットとは云えない詰まった打球がセンターとショートの間に落ちた。このツキが続く三つのヒットを生んだ。”運も実力のうち”。それにしても、この日の松井の活躍で気分をよくした人が何百万人もいることだろう。”たかが野球”。”されど野球”で私たちは自然に松井やイチローを応援する。大リーグ野球を見ると、自分のどこかに潜んでいた「郷土愛」や「国を愛する心」が意識しなくても顔をだすことに気がつく。

9月14日(木) <ナントカナル・・>
真偽のほどは疑わしいが非常によくできた話なので広く流布する・・そんな事例の一つに「一休和尚の遺言」がある。一休というとマンガなどにでてくる”トンチの一休さん”のイメージが強いが、これは江戸時代に作られた逸話が出所らしい。一休(1394元旦生まれ-1481)は室町時代、南北朝統一に絡んだ後小松天皇の側室の子(ご落胤)と伝えられ、幼くして寺に預けられた。幼少の頃から多くの教典を読破し目覚ましい才覚を発揮した少年は足利義満に招かれて問答をするほどになった。一方で一休禅師は出世栄達を目指す僧侶の醜さに反発するなど異彩を放つ僧侶であったようである。晩年、81歳になって乞われて大徳寺の住職となる。88歳で亡くなる間際に「将来、寺に大きな問題が生じた時にあけよ、それまではあけてはならない」と遺言状を託した。年月を経て寺の存亡にかかわる問題が起きた際に一休の遺言状が開かれた。そこには「シンパイスルナ、ナントカナル」とあった。それを契機に問題解決というお話。この遺言状は時代を超越して今でも立派に通用するところがいい。現代風に言葉を変えれば「ケセラセラ、なるようになる」か。こんな遺言状をみたとたんに元気が出るに違いない。ちなみに、「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」は一休の歌(”元旦は”でなく”門松は”がオリジナルという)。

9月15日(金) <織部・・>
陶芸でいま織部釉を計画している。釉薬に個人の名前が付いている例は珍しいので今日は「織部」に触れてみたい。織部釉というと緑がかった緑釉が一般的だ。長石や珪石などのベース材料に着色剤として酸化銅を加えると緑の色がでる。けれども織部は銅緑釉に限らない。古田織部が指導し当時の最新型の登り窯で焼いた焼き物が織部と呼ばれ、黒織部、青織部、赤織部などいろいろな色合いがある。釉薬や技法も”織部好み”によって、種々試みられたようである。古田織部(1544ー1615)は茶人としてまた織部焼の創始者として著名であるが、戦国の世を波瀾万丈に生きた武将であった。武人としての古田重然(しげてる=本名)はまず織田信長の家臣として仕え、後に羽柴秀吉の播磨攻めや明智光秀の丹波攻めに従軍。信長の死後には秀吉に仕える。この頃、千利休と親交を結び茶を学んだ。利休が秀吉から切腹を命じられた際に、秀吉を恐れて誰も利休とかかわりを持たない中、古田織部と細川忠興のみが利休を見送ったという逸話が伝えられている。関ヶ原の戦いでは徳川方の東軍に加わったが、家康から豊臣と内通したとの嫌疑をかけられて切腹を命じられる。織部は一言も釈明せずに織部の子ともども自害したという。・・こんな生涯の中で、織部は利休の茶道を継承し、新式の登窯設備をつくり、織部焼など茶器をつくり、庭をつくり、茶室をつくった。いま、われわれは時代を超越して織部の成果を利用し、織部の作品に感動する。
<秋風にあわせてこのホームページの表紙バックを秋バージョンに改訂しました>

9月16日(土) <必要なモノを捨てる・・>
このところ我が家で大処分をすすめている。9月7日のコラムで書いたが、懸案であったLPレコードも全て処分した。ゴミで捨てるのはもったないのでインターネットで調べたところ、渋谷にレコード引き取り店があり連絡すると直ぐにとりにきてくれた。300枚ほどを持って行ってくれた上に1000円余をくれたから文句は云えない。ビデオテープ200本余は燃えないゴミ、大切に保存していた古いカメラ数台も燃えないゴミ、ベッドは粗大ゴミ、使用しない古い毛布や布団類は燃えるゴミ、古いテニスラケット(コナーズが使っていたスチール製、ボルグが使っていた長尺タイプなど含めて全て)は燃えないゴミ、その他衣類、台所用品、道具、書籍などなど処分するものはまだまだ続く。今回の大処分は私と妻の”捨てる”バイオリズムが一致したことにより勢いがついた。妻は大原照子さん(料理家/料理研究家の草分け)のいうシンプルライフに影響を受けた。大原さんがモノを処分する時には必要でないものを捨てるのでなく”必要なものまで”捨てるという話にすっかり納得したようだ。確かに料理家の大原照子さんが「鍋は4つ、フライパンは2つ、調味料は5種類、カップは6客・・」(著書「少ないモノでゆたかに暮らす」の裏表紙に記載=ここ=)を実践しているのは説得力がある。いつか必要だと思うからモノがどんどん蓄積される。「必要なモノを捨てる」と決断しなければ「少ないモノ」にはならない。シンプルライフへの道はまだまだ遠い。

9月17日(日) <陶器と磁器・・>
私は陶芸で普通陶器を作ることが多いが、たまに磁器土を使って細工するとその感触が陶器用の粘土と違って新鮮な気持ちになる。今日は陶器と磁器の違いを整理してみようと思う。縄文土器の名称があるように粘土を成形して800-900度の温度で野焼きしたものは土器と呼ばれる。彩色はしても釉薬は使わない。土器は現代でも煉瓦や土管、植木鉢等に使われる。次に窯で1200-1300度の温度で「焼き締め」を行なったものは英語のstone-wareの当て字で「せっ器」(”せっ”は火偏に石)と呼ばれる。せっ器は半磁器とも呼ばれ、陶器と磁器の中間的な性質を持つ。半磁器は世界中で素朴な風合いを活かして日用品から美術品まで幅広く制作される。日本の備前焼(岡山)、常滑焼(愛知)などがこれ。さて磁器が特別な陶石の粉末(カオリンと呼ばれるアルミ系鉱物粘土)を使うのに対して、陶器はカオリンを含まない粘土を使用し素焼(700-800度)の後釉薬をかけて1200-1300度で焼成する。釉薬のかからない個所は多少の吸水性があり、透光性はない。益子焼(栃木)、笠間焼(茨城)、信楽焼(滋賀)などは陶器である。カリオンを含む磁器の素材はガラス化し易い長石成分が多く(10-40%)ので1300度前後で長石が溶融し全体が半溶融化する。このためガラスに近い状態に磁化し薄手の磁器には透光性がある。また吸水性はなく叩くと高い澄んだ音がする。九谷焼(石川)、有田焼(佐賀/出荷された港の名前から伊万里とも呼ばれる)、瀬戸焼(愛知)、清水焼(京都)などは磁器で有名。茶器や食器と違うけれども風呂場の床には吸水性のない小型の磁器タイルを使うが、壁面には大型(11cm*11cm)の陶器タイルを使う。そうすると壁面タイルは目地から水分を吸い素地が膨張してひび割れがでることがあるそうだ。一方で陶器の食器は醤油などが素材に染み込み使用することにより独特の風合いがでる。それぞれに特徴があるから、それぞれによい。

9月18日(月) <無謀自転車・・>
今日のニュースで「タレントのいしのようこさんが車を運転中に人身事故」とあった。いしのさんが自動車で黄色信号の交差点を時速20kmほどで通過しようとしたところ左からきた自転車をはね、男性に怪我を負わせたという。警察は業務上過失傷害容疑でいしのさんを書類送検するとでている。この事故があった旧山手通り(東京・渋谷)の交差点は私が毎日犬の散歩をするコースであるのでよく知っている。事故のあった時間、夜9時過ぎに散歩にいくこともある。そこで全くの推測であるが、このケース、自転車の方が悪いということが十分にある。それほどにこの辺りで無謀自転車は多い。信号が黄色などは勿論、赤でも自転車が猛スピードで突っ込んでくる。夜の無灯火も当たり前。携帯電話をしながら走る自転車も多い。それでも一旦事故を起こすと”弱き”自転車が被害者で、強い自動車が加害者にされる。夜の散歩をしている時に目に余る危険な運転をする自転車に遭遇し「車に轢かれて死んでしまえ」と叫びたくなることもあるが、実際に事故が起きると何でも車の運転手が前方不注意で加害者にされるのがどうも納得がいかない。弱き立場を利用した傲慢、無法を取り締まれないものか・・。

9月19日(火) <同時代に生きる幸せ・・>
台風一過の秋晴れ、犬の散歩の途中で毬栗(いがぐり)を沢山付けた栗の木を見つけた。別の庭先には柘榴(ざくろ)が実をつけている。季節の移り変わりを書こうと思ったが、今朝の読売新聞のコラム「編集手帳」がよかったので、ここで転用させていただくことにした(原文=ここ)。編集手帳氏は落語家をたたえた各時代の人の言葉を紹介している。夏目漱石(三四郎の中で):「小さん(三代目柳家小さん)は天才である…彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合わせである」、司馬遼太郎:「私は人生の晩年になって米朝さん(桂米朝)という巨人を得た。この幸福をどう表現していいかわからない」、小林信彦さん(作家):「志ん朝(古今亭志ん朝)と同時代に生きられるぼくらは、まことに幸せではないか」。いずれも「同時代に生きる幸せ、同じ空間で同じ空気を吸うことのできる喜び」がにじみ出ている。私が感動したのは落語家についてでなくこのようなコメントを発した人についてである。「同時代に生きる幸せ」を話が出来る人は、恐らくとてもいい人生を送ったのではないか。相手は落語家など芸人に限らない、音楽家、画家、作家、棋士(羽生と同じ空気を吸う喜びを語る人を知っている)、スポーツ選手、思想家、宗教家、政治家、友人や仲間、あるいは誰でもよい。「同時代に生きる幸せ」を感じる相手が多いほど本人の人生も充実しているのだろう。いや、特別な人はいない、まあ連れ合いか・・、そう云える人もまた幸せであろう。

9月20日(水) <算盤・・>
「今日の作品」に「ソロバン(工作)」を掲載した。今回も作品というのもおこがましいが、孫娘のために私が作った算盤である。バババカで妻が孫娘用に子ども用の簡単なソロバンを探したけれども見つからないとビーズの玉だけを買ってきた。妻のやり方を見るに見かねて私が手持ちの材料で写真のような四つ玉ソロバンを作り上げた。このソロバン、今はニューヨークに住む娘のところに送ってやったが果たして孫娘ちゃんが喜んで使っているかどうか・・。ソロバンの語源は中国語の「算盤」であるようだが、他の諸々の文化、技能と同様に算盤をはじめ数学全般は昔中国から伝来した。ソロバンが日本に伝わったのは安土桃山時代であるとされるが、奈良時代、平安時代の昔から日本人は多くの算術を中国から学んだ。平安貴族などエリートの教養人は「九九のかけ算」ができることがススンデイル証明であったようだ。十五夜のことを「三五夜」と云ってみて得意になる、「憎くく思う」ときに「二八十一」(九九=八十一)と書く、「十六」とあれば「しし」と読まなければならない。こんな遊びとしても九九を吸収し算術は独自に発展をする。江戸時代には「読み書きソロバン」の寺子屋が普及したのは広く知られている。ソロバンもやがて五つ玉から日本独特の四つ玉式に改良され、関孝和は和算と呼ばれる独自の数学をつくる。ところで、コンピュータの時代に何がソロバンか。コンピュータでは頭を使わなくなる。むしろ子どもにはソロバンの方が頭を働かせるのでないか。

9月21日(木) <日本のSNS・・>
SNS(=Social Networking Service、ソーシャルーネットワーキングーサービス)は趣味や嗜好など限られた分野でオンライン上に「人のつながり」を構築するサービス。インターネットによる独特のコミュニテイーとして急速に普及している話を聞くが、私は参加もしていないし実態をよく知らない。そこで日本のSNSについて少し調べてみた。日本で最大のシェアを持つのは「ミクシィ/Mixi」という会社である。ミクシィのサービスを受けるためには既存のユーザーの招待を受けユーザー要録しなければならない。基本的には会員同士がネット掲示板を通して交流を深めるシズテムで、芸能人が登録してコメントし合うこともあるようだ(ただし芸能人の偽物も多く問題になるケースもあるとか)。注目すべきはその利用者の多さ。ミクシィだけで利用者(登録数)600万人以上という<総務省データーで2006年3月現在で日本のSNS利用者700万人以上>。ミクシィはSNS以外に求人広告事業なども扱うが、会社として100人近い従業員をかかえている。ちなみに、丁度一週間前(9月14日)にミクシィは東証マザーズ(=新興企業向けの市場、一部や二部より上場基準が緩い)に上場された際、株価は公開価格の倍の初値をつけた。・・こんなことが分かったが、ではSNSに入会したいかというと、そうとも思わない。仲間が多いのはいいとしても友人は数ではないだろう・・。

9月22日(金) <昆布のすすめ・・>
今日は体験的根昆布のすすめ。いま、私の机の上に「根こんぶ<北海道冬島産>」の袋がある。パソコンをやりながらおやつに時々この根こんぶをかじる。根昆布はかなり固いので歯のいろいろな個所で焦らずゆっくりと時間をかけて噛む。食事のときも勿論歯で咀嚼するけれど恐らく根昆布より固いものはないと云ってもよい。この根昆布をおやつでかじるようにしてからほぼ一ヶ月。初めは意識しなかったがその前と比べると体調が良いのに気がついた。特に朝の犬の散歩の時に足の動きが軽やかになった。昆布を噛むと自然に上の歯と下の歯を強く噛み合わせる。これがどのようなメカニズムで足腰に影響するのか知らないが、昆布を噛むことと足腰が軽くなることの相関があると自覚している。私の場合、腰痛で苦しむとか歩くのに支障があると云う訳ではないが、左の足が右と比べてやや重い感じがしていた。それが左右均等になったという程度である。厳密に根昆布の有効性を証明するのは難しいが今はすっかり根昆布のファンになってしまった。「咀嚼が健康のもと」として唾液の分泌を促す、顎が発達し正確な発音ができる、食べ過ぎを防ぐ、脳の発達を活発にする、ストレスを解消するなど、よく噛むことの効用が列挙してある。といっても、現代の食事では大して歯を使うこともない。これは是非「根昆布」をすすめたい。

9月23日(土) <是々非々・・>
知人宅でウオッカをご馳走になって帰宅したところでいささか眠い。酔った勢いで何でも書いてみよう・・。20日の自民党総裁選で新総裁に就任した阿部晋三氏が26日の臨時国会で小泉首相に代わり首相に指名される段取りになっている。首相の交代に関連して小泉政治の総括が行なわれる中で新聞を注意してみていたが、例によってほとんど褒めるとかご苦労さんでしたの論調はない。何事もよいことはよい、悪いことは悪いとする是々非々を論ずるべきであるが、マスコミは全てが非非の一本やりにみえる。自分を何さまと思っているのか・・。まあ、不偏不党を貫くために新聞は全てをけなす姿勢なのだと理解して、この際小泉純一郎氏の成果といいところを個人的に振返ってみる。まず郵政民営化の過程で自民党内の「抵抗勢力」をあぶり出した手腕。金正日に拉致の事実を明言させた手腕(これは大きい)、支持率があるにもかかわらず最高権力のポストを64歳で譲り渡す潔さ(ちなみに読売グループの渡邊恒雄会長は80歳)、52歳の後継者を産み出す育成力、”感動した”とコメントできる感受性、自分の言葉で話の出来る話術、音楽を愛する幅広さ・・。歴史の評価などとかしこまることがなければ、認めるところはいくらでもある。よきところは認めて褒める、是々非々・・こんな習慣がマスコミにできないものか。

9月24日(日) <お別れ・・>
秋のお彼岸になるとどうして正確に彼岸花が咲くのだろう。代官山アドレス(東京)の一角に狭いけれども彼岸花が群生している場所がある。少し前には茎ばかりでほとんど目立たなかったが今日見ると彼岸花が一面に咲き誇って華やか極まりない。新たに咲く花があれば盛りを過ぎて散る花もある。巨人軍の桑田投手が昨日23日に何と巨人の公式ホームページで突如「お別れ」の記事を掲載して大騒ぎとなった。球団側が何も知らぬうちに桑田個人が退団の意志をインターネットで表明できるところが現代っぽくて面白い。今日、桑田はイースタンリーグ(2軍)に最後の登板をしたが、7回で5
失点。そして「一軍での登板の機会がなかったのでチームの戦力とみなされていないと判断した。自分を必要とされるところにいきたい」と他球団で現役続行する希望を語った。それにしても、ジャイアンツの公式ホームページに2000年以降「自筆のリアルタイムエッセイ」の欄を持ち続けた大投手、桑田が引退の意志を球団とのすりあわせすることもなく、そのエッセイ欄に掲載せざるをえなかった事情が寂しい(「お別れ」エッセイ=ここ)。
「今日の作品」に「壁画と箱植え」を掲載した。決して家の外部からは見えない壁に描いた壁画と箱植えの写真。壁画は窓を閉めると家の中からも見えない。いつでも消せると思うのでこういう遊びもできる。

9月25日(月) <デユフィー・・>
デユフィーの展覧会にいった(展覧会は東京展が明日26日まで、@大丸ミュージアム(東京駅)/大阪、福島、静岡にて既に開催済み)。デユフィー(1877-1953,フランスの画家)については何度も作品を見たことがあるし、去年はデユフィーの絵のカレンダーを私の部屋用に使っていたほどであるので、それなりにデユフィーのことを知っているつもりだった。軽やかなタッチで描く爽やかな絵も好きだった。けれども今日の展覧会で私はこれまでデユフィーの人生や業績についてはほとんど理解していなかったと悟った。一人の人間について”知っている”などとはめったに云うものではない。まずデユフィーには200点以上の陶芸作品があることを知りショックだった。それに膨大な(数千点)絵画作品を残した画家としての評価が今は定着しているが、生前は絵画以外の広い分野で実に多彩な仕事をしている。項目をかき出してみると、「雑誌の挿絵」、「木版画、石版画」、「舞台デザイン(ジャン・コクトーの舞台)」、「舞台衣装」、「織物デザイン」、「タピストリーデザイン」、「装飾壁画」・・。それも皆モノマネではない創造的、先駆的な作品ばかり。ファションテキスタイルに絵柄をプリントすることまで自分でやっている。ドレスファブリック(服飾織物)に花柄をデザインしたものから始まり幾何学模様のプリントを考案するなど、現代の装飾美術にも多大な影響を与えたという。・・世界に一つの芸術作品とファッション産業の基盤となるデザイン作品を両立させた巨人のほんの一部に接しただけであるが、新たなエネルギーを注入されたように元気になった。

9月26日(火) <数をこなす・・>
昨日の「デュフィー展」で刺激を受けて決心した一つに「数をこなす」ことがある。テーマについてあれこれ悩むよりも何でもいいから「数をこなす」ことが私には必要だと反省をした。一日一作として毎日、10年間続けたとしても”わずか”3600作だ。これまで私は何となく寡作な作者に憧れていた。”一作一魂”と気合いを入れた作品作りこそ理想だ。フェルメールの現存する作品が35点であっても一つ一つが最高級の宝物である(フェルメールについてはこのHPのリンクページ=ここ=に掲載)。一方で、デュフィーやターナーのように毎日何枚ものスケッチや素案を描き、数千枚、一万枚の作品を残した人たちもいる。残す枚数は問題ではないが質の高い作品を描き続ける実行力は、できないことの言い訳など圧倒してしまう。・・私の場合、陶芸はアウトプットに時間がかかるので、とにかくも絵を描いてみることとして、事始めに「ご近所スケッチ」を思いついた。今日のところは大雨であるので以前デジカメで溜め込んだ代官山風景を描いたのが「今日の作品」。今日は「モンスーンカフェ」(水彩)を掲載したが、実はまだ他の絵も描いた。この調子であると「代官山百景」のタイトルでこのHPに新たなページを作らなければならない。しかも「今日の作品」に掲載するのは描いた中からの”選択制”かなあ・・とまた楽しい狸の皮算用が始まる。

9月27日(水) <大臣・・>
昨日、阿部内閣が発足した。阿部首相が52歳、内閣の平均年齢は60歳を少し超える。最近の政治家というと2世、3世議員が目立つ中で、阿部さんのブレーンとも云われる総務・郵政民営化担当の菅義偉(すがよしひで)大臣に注目した。最終学歴だけ見ると菅さんは法政大学出身であるが実に苦労人であるようだ。菅さんは1948年(昭和23)秋田県の農家の生まれ(57歳)、高校までは秋田で過ごし、当時の集団就職で上京。家内工業のメーカーで働き始めたがこのままでは未来がないとアルバイトをしながら大学を目指し、2-3年後に法政大学に入学。自分で学費を稼ぎながら卒業して就職してサラリーマン生活をするが、そこでも勤め人の限界を知る。大学の就職課にかけあって議員の手伝い仕事を得てから政治の世界に入り込んだという。その後は議員秘書、横浜市議、国会議員、大臣までの出世物語となる。「再チャレンジのできる社会」を阿部首相は標榜しているが菅氏は自ら「再チャレンジ」を実践して道を切り開いたようにみえる。何か新大臣の宣伝のような文章になったが本当のところを確かめた訳ではない。たまたま組閣前にケーブルテレビで猪瀬直樹ー菅義偉の対談を見ていて菅氏の経歴を知っただけである。それにしても、地縁、血縁はなくても、”やる気”と、それに能力と幸運が加わって大臣となった菅氏を歓迎したい。

9月28日(木) <高級レストラン・・>
「今日の作品」に「代官山/マダムトキ(レストラン)<水彩>」を掲載した。このレストランは私が毎朝アール(コーギー犬)を連れて散歩に行く西郷山公園(東京・目黒区)の向いにある。この絵は西郷橋という橋からみた姿で断崖絶壁に張り出した建築基礎が面白くてこのアングルを選んだ。普段、入り口のある通りからはこんな姿はみえない。別の機会に入り口方向からのスケッチもしたいと思っている。実のところ”マダムトキ”にはこれまで一度も行ったことはない。時々結婚式の流れだろうが入り口で華やいだ人たちを横目で見ることがあるが、畏れ多くて中には入れない高級レストランなのだ。この絵を描いたところで、”一度くらいはマダムトキのランチでも食べに行こうか”と妻に云ってみた。妻は同意したが後でインターネットでこのレストランを調べてみたところランチでも3200-7400円プラスサービス料・・(マダムトキのHP=ここ)。絵を描くほどに気楽に行けそうもないが、創業時(1978)から知っているのだから絵を描いたのをご縁にして一度は中に入ってもいいのでないかと思い始めている。

9月29日(金) <目の力・・>
「目の力」を侮ってはいけないと思う。”ご近所スケッチ”をやりながら、その場で長い時間をとれないのでデジカメで写真を撮り、家で詳細を仕上げることがあるが、デジカメのアップでも分かり難いところを現場に行って自分の目で見ると直ぐに納得する。現物を見ながらしばし感動して見とれることもある。写真ではそんな感動はない。現代は写真に限らずビデオ、高品質TVなど目に情報を伝える極めて有力な道具がある。けれども現物を見ることなしに分かった気になるのは危険であろう。話は飛躍するが最近不祥事が起こると責任者が”再発防止に努めます”というのが決まり文句である。しかし部下の報告だけで対策を立てたり聞いた話で作文をしても決して再発防止はできない。現場にいって現物を自分の目で見て現実を知らなければピントがずれる。実物をみる時の目の力には機器では及びも付かない執念と感情が宿る。一方で、目を開けて目前にモノがあったとしても、対象物に興味がなければ目は見ていることにならない。街の景色も、野の花も、月や星も、観光でも、全て関心がある時、興味がある時に限り、目は絶大な力を発揮するようだ。そして目の力は感動を呼ぶ。

9月30日(土) <マレーシア大使館・・>
「今日の作品」に「マレーシア大使館@代官山」を掲載した。このところ続けている”ご近所スケッチ”の一環で大使館シリーズを試みようと思っている。犬の散歩で通る旧山手通り(東京)は”大使館通り”と呼ばれるほど大使館が並んでいる。絵に描くために改めて大使館の建築を見つめると、それぞれの建築が国の特徴を見事に表現している。南平台(東京・渋谷区)のマレーシア大使館は側を通るだけで圧倒されて立ち止まってしまうほどに威容を誇っている。その全容を眺めるのは容易ではないが、遠くで見たり、接近してみたりしながら観察するといつまでも飽きることがない。イスラム建築の特徴である幾何学模様が全壁面に構築されている。巨大な模様もあれば、小さな模様もあるけれども、基本は正方形と正方形を45度傾斜させた図形を重ね合わせた模様である。イスラムでは偶像崇拝が厳禁されたのでアラベスクと呼ばれる抽象的な平面模様が発達したと云われる。一般にアラベスク模様といっても非常に豊富な種類があるが、この建築の幾何学模様は非常にシンプルで、しかも迫力のあるすばらしいデザインと思える。このマレーシア大使館の絵でも描くことによって多くの新発見があったのがうれしい。
  大画面=ここ
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