これまでの「今日のコラム」(2006年 10月分)

10月1日(日)<成果なし・・>
月があらたまって10月、神無月。出雲では神有月・・。曇り空から午後には雨が降り始めた日曜日は今日の私の「成果なし」を象徴しているようだ。大したことではない、自転車のパンク修理に失敗したのである。子どもの頃に自転車屋さんにパンク修理をしてもらった覚えはあるが自分でやったことはない。自転車のパンク修理など簡単なものと少し甘く見た。初めに一つチューブに穴を見つけてゴム糊とゴムで穴をふさいで組み立てテストをするとまだ洩る。もう一つの穴を再度修理して今度は完璧と全部組み立てたところがまた洩ってしまった(勿論、組立前にチューブの漏れテストはやっている)。さすがに疲労感が溜まってしばらく保留。確かにチューブはかなり全体が痛んでいた。それに普通は自分でパンク修理する場合、修理キットなどといって接着用のゴムやゴム糊、工具などの市販品をそろえるようだが、私は全て自前の材料で間に合わせた。これも問題があるかも知れない。絵や陶芸の場合、ある時間を費やせば必ず成果がでる。出来不出来はあるとしても何か残る。ところが実用に供する自転車の修理は成功しなければ全く意味がない。「成果なし」に浪費した時間に何か意味を持たせるとすれば「失敗の経験」。何度もタイヤを外したり、ブレーキを分解したりしたので、その内”自転車修理承ります”と看板がだせそうである。

10月2日(月)<スモール・イズ・ビューティフル・・>
スモール・イズ・ビューティフルはどこにいった・・、思わずそう叫びたくなった。今日、東京は雨模様。そんな中、東京都美術館で展覧会を見たときの感想である。何も今年に限ったことではなく、以前にこのコラムで同じようなことを書いたこともある。「スモール・イズ・ビューティフル」は20年前にドイツ生まれの経済学者、シュマッハーが著わしたベストセラーのタイトルである。シューマッハーは物質至上主義の現代文明を鋭く批判し、なんでも大きいことはいいとは限らないことをこの言葉で見事に言い表した。多くの展覧会が開催される今の時期、日本の新作絵画は20年前の警鐘など意に介せず「大きいことはいいことだ」の路線一本やりにみえる。500号(約3.3×2.5m)を越す巨大な絵画が並び大きさを競っているが、どれをみても大きな画面に描く必然性が理解出来ない。恐らくは審査員が認めて展示されるための必要条件としてサイズがあるのだろうが、「大きな絵が描けます」というサイズ至上主義が空しくみえる。大体、日本の狭い家屋事情を考えると巨大な絵を描くのは極めて不自然だし、展覧会場以外のどこに展示することを考えているのか・・。今日の展覧会で私がホッとしたのは、私が好きな佐野ぬいさん(73歳、来年次期女子美術大学の学長になること内定、絵の例=ここ)の絵がそれほど大きくなかったこと、そして昨年97歳で天寿を全うされた故脇田和さん(絵の例=ここ)の”小さな作品”が展示されていたことである。「スモール・イズ・ビューティフル」を美術界で提唱する人はいないものだろうか。

10月3日(火)<デンマーク大使館・・>
「今日の作品」に「デンマーク大使館@代官山/東京(水彩)」を掲載した。朝晩の犬の散歩のとき、大抵このデンマーク大使館の前を通る。今回大使館の建築を描いてみて、毎日見ているようであっても何も見えていなかったと思うような発見がいくつもあった。改めていい建築だと感心した。この大使館は隣接するヒルサイドテラスと同じく槇 総合計画事務所(槙文彦氏=ここ、1928年生まれ、最近ニューヨークの貿易センタービル跡地の再開発に参画することで改めて注目されている)の設計でデザインの国、デンマークらしい洒落た建築となっている(建造は1979年)。道路に面して緩いカーブを持たせた外観とサーモンピンクの磁器タイルの外装は品格を感じさせる。一方、エントランス部分は曲線から切り出したような鋭い直線から成り立ち小気味よくみえる。国旗のある側(向って左)のショウウィンドウには人魚姫の像が飾ってある(人魚姫はデンマークの作家、アンデルセンの童話)。去年のクリスマスにはこの人魚姫がサンタの帽子を冠っていた(2005-12-24コラムに写真掲載=ここ)。デンマーク大使館員もなかなかお茶目である。

10月4日(水)<豆板醤(トウバンジャン)・・>
これまで自分で料理などやったことがなかった者にとって料理の調味料でさえ新鮮にみえる。私は麻婆豆腐が大好きであるが、この度自分で「麻婆なす」を作ってみて、麻婆料理の調味料の豊かさに感動を覚えた。豆板醤(トウバンジャン),豆鼓醤(トウチジャン)、甜麺醤(テンメンジャン)など主婦や料理をする人にとっては常識であろうが、私は一つ一つ味見をしてようやく納得した。<四川>豆板醤(トウバンジャン)は空豆による中国味噌に唐辛子を加えたものでかなり激辛。これに対して豆鼓醤(トウチジャン)は中華黒豆味噌とあるように単独でも特有のうまみがある。甜麺醤(テンメンジャン)となると”中華甘味噌”の名前の通りコクのある甘さがあっておいしい。麻婆料理はこれらの調味料に、にんにく、しょうが、醤油は勿論として、更に酒だ、鶏ガラスープだ・・、最後に酢まで加えるのだから美味しくなるのが当たり前か。今ごろになって料理というのは贅沢なもの、もっともっと食事にありつけることを感謝しなければならないとの思いを強くする。

10月5日(木)<俊寛・・>
「俊寛」、「無一物」、「あやめ」、「ムキ栗」、「つつみ柿」、「蝸牛」、「面影」・・、これらは全て長次郎作の楽茶碗の「銘」である。桃山時代の陶工、長次郎は唐人、阿米也(あめや)の子と伝えられ、千利休の意向に従った茶の湯用の黒楽茶碗、赤楽茶碗の名品で知られる。いま三井記念美術館で開催されている特別展「楽茶碗/赤と黒の芸術」をみた(=ここ、11月12日まで)。冒頭の長次郎の茶碗を含めて60客ほどの楽茶碗が展示されているが、私は何と云っても長次郎の作品が好きだ。江戸時代さらに昭和時代まで楽茶碗の伝統を引き継ぐ多くの名工が作った作品が長次郎とは別の部屋に展示されているが、ついには創始者、長次郎を超えるものを発見出来ずに複雑な気持ちとなった。帰路、三井記念美術館(日本橋)の側にある三越本店によって「日本伝統工芸展」(10月8日まで)をみたが、ここでもまた”複雑な気持ち”が続いた。つまり、「伝統」とは何であるかを考えさせられる。勿論、個々には精彩な、気力の入った工芸も数多い。それにしても全般的には伝統絵画の世界と同じく”大きいことはいいことだ”ばかりが目を引き、現代の息吹がかすんでみえる。伝統のもとに現代の作者は何を表現したいのか。創造者は学んだものを壊し、捨てなければならない。伝統の中にあっても壊し、捨てるものがなければ面白くない。

10月6日(金)<エジプト大使館・・>
昨日、「エジプト大使館@代官山/東京(水彩)」の絵を「今日の作品」として掲載したので一日遅れで”エジプト大使館”のことを書く。正式名称、エジプト・アラブ共和国の在日大使館は東京・旧山手通りに面しており、先日掲載したデンマーク大使館の隣の隣にある。私は毎日犬の散歩でこの大使館の前を通るが、初めての人はまず建物のところで立ち止まって何事かとしばらくみとれている。カメラで写真を撮る人もよく見かける。とにかくも、この大使館の前面にはスフインクスが二頭、銅像が一基、古代エジプトの王のマスクが2つ並んでいる。私は以前、像と王のマスクを単独にスケッチして、このHPに掲載した<「エジプトの像」は2005-11-6(=ここ)、「マスク(アクエンアテン王のレプリカ?)」は2004-1-17&18(=ここ)、前に大使館の人に古代エジプトの王であろうマスク名前を問い合わせたが分からなかった>。こうした置物以外に建物そのものも個性的だ。今回建物を改めて細かく観察したがブロッックを組み合わせた外壁は古代のピラミッドのイメージとも合致して正にエジプト大使館にピッタリだ。建築の設計は竹山実氏(建造は1986年)。竹山さん(1934年生まれ)は東京・渋谷の109(道玄坂角地にそびえ立つ丸い円柱形のビル)や晴海客船ターミナルなどの建築家としても知られる。建物の中央には赤、白、黒の三色と中央に金の鷲を配したエジプト国旗がいつもはためいている。

10月7日(土)<プロフェッショナル・・>
自分のことを専門家だと吹聴する人は好みではない。大抵は引退したサラリーマン専門家で10年、20年前の古い”専門”の思い出に浸っている例が多い。現役の進化する専門家は謙虚である。今日は珍しく本物のプロフェッショナルに出会って楽しかった。インターネットで自転車の出張修理があるのを知り、早速電話をしてみた。日程を相談しようと思っていたら二時間後には伺えますとの返事。オートバイに乗ってやってきたお兄さんは我が家に着いたと思ったら、アッという間に後輪のチューブを一式交換し終えてしまった。所要時間15分。自転車の後輪であるから先ず車輪両サイドの止めネジを外した後、減速機のチェーンを緩めて車輪を抜き出す。次に、私が前に苦労したタイヤ外しとかチューブの取り出しを全く治工具なしに”指一本”、”手一つ”でやってしまう。専用の工具を使わないのか聞いたところ、時と場合によって使うこともあるが”これぐらいのもの”は手だけで十分です、その方がチューブもタイヤも痛めないと平然と云う。チューブやタイヤ交換はどんな自転車屋さんでも短時間でできて当たり前ではある。けれどもこのお兄さんは実に要領がよく全ての作業に無駄がなかった。それと自転車の知識も豊富であった。この自転車のプロフェッショナル、修理代金2800円(出張費無料)。修理時間と同じ程度の時間、自転車談義をしてくれたのがうれしい。
10月8日(日)<名月・・>
夜、アール(コーギー犬)の散歩にでかけると、今日もまたすばらしい月。昨夜は満月でやはり犬の散歩の時に立ち止まってしばし名月を楽しんだ。昨日、今日と続いて快晴でしかも強風が吹いていたので雲一つない空に満月が眩しいほどであった。中秋の名月とは旧暦で8月15日の月をいうが、今の暦(グレオリオ歴)でいつになるかは年で変わる。今年(2006年)は特別に旧暦とのズレが大きく、10月6日(一昨日)が旧暦の8月15日に相当した。一昨日がいわば十五夜お月さんの仲秋の名月の日であったが満月は一日ずれて昨日7日であった。この時期、名月には毎度感動してこのコラムの話題にしているが、昨年は9月18日のコラム(=ここ)で満月のことを書いていた。調べてみると、昨2005年、旧暦の8月15日に相当するのは9月18日。そして2005年はこの日が満月。旧暦の月初め(1日)は新月となる日であるが旧暦の15日の月齢は13-15日で満月となる日は今年のように15日から1日ー2日ずれる場合の方が多いようだ(昨年は十五夜と満月が一致したが)。とにかくも、今年は十五夜に相当した6日は東京では大雨であったが、翌日7日は雲一つない満月、今日8日も満月と変わりない名月。「名月や 家よりいでて 家に入る(一茶)」/「名月や 仏のやうに 膝をくみ(一茶)」

10月9日(月)<マイ教室・・>
今日は体育の日で休日。正午のニュースで「北朝鮮が核実験を実施」のホットニュースが入った。公式にはまだ詳細情報を収集中となっているが、先週の段階で北朝鮮で週末に地下核実験が実施される可能性があると一部で報道されていたので、その情報の正確さに感心しながらニュースをきいた。更に韓国(地質資源研究院)、日本(気象庁)、ロシア、それに米国(地質調査所)がいずれも(日本時間)10時35分すぎに核実験のためと思われる地震波を観測したと発表した。科学データーにより事実は解明されるにしても歴史の先は予断出来ない。**
「今日の作品」に「マイ陶芸教室」(水彩)の絵を掲載した。ご近所スケッチの一環として、東京・代官山、「ヒルサイドテラス」の一角にある陶芸教室近辺の絵を描いたもの。絵でみる正面の部屋が陶芸の展示場でその奥が教室である。周囲の床は模様入りのタイル張り、緑もゆたかでいつもこういう環境で陶芸ができるのを感謝している。私はこの絵を描いた位置にある猿楽神社に毎朝お参りを欠かさない。建築家、槙文彦氏の設計で知られる「ヒルサイドテラス」の伝説的な建設ストーリーはインターネットのサイト(=ここ=)に詳しい。完成までの35年の経緯はまさに街作りである。

10月10日(火)<新聞休刊日・・>
今日、10日は新聞休刊日。年に一度や二度ではなく毎月休刊日がある。新聞各社はその日の新聞を発行しないのだが、どうもこの休刊日というのが時代錯誤に思えてならない。あるいは新聞の古い体質というか独占大企業意識と見るか・・。休刊日は新聞販売店の慰労・休暇が目的とか。店員に休暇をとれるようにするのは店自身が工夫すべき事情。コンビニで今日は店員慰労のため閉店しますなんていうと直ぐに倒産するだろう。あのテレビ出演で休みなしにみえる”みのもんた”でさえ交代で夏休みをとっている。逆説的にいえばテレビの放送お休みの日を設けると世の中静かになり落ち着いていいかも知れない。それに、バス、電車の運転手慰労の日、飛行機休養の日などもできれば面白い。一昔のストライキと同じ大混乱必至だが・・。新聞が購読者を置き去りにして休刊日を続けられるのは、いわば日本新聞協会による談合の結果であろう。業界ぐるみで易きについている新聞休刊日がいつまで続くか見守りたい。・・と、休刊日の話題を書いたが、本当は”私には関係ないこと”。今は新聞の代わりにインターネットニュースで間に合わしているので、毎日が新聞休刊日でも一向にかまわない・・。

10月11日(水)<ホトトギス・・>
「今日の作品」に「ホトトギスの蕾(水彩)」を掲載した。よく知られているようにホトトギス草は花の紫色の斑点が鳥のホトトギスの胸元模様に類似しているからそう名付けられた。鳥のホトトギス(杜鵑、時鳥、不如帰、異称として子規など多くの漢字が当てられる)は、鳴き声が「テッペンカケタカ」や「特許許可局」に聞こえるとか、信長、秀吉、家康の天下人の性質を「鳴かぬなら○○ホトトギス」の詩句で表すなど日本文化に溶け込んだ鳥である。一方で独自の名前も付けられなかった草のホトトギスは少々かわいそうな存在だ。杜鵑草(ホトトギス)の英名は"Toadlily"。toadは「ひきがえる」とか「くだらないもの」の意で「醜いゆり」のニュアンスであろうか。英名はかわいそうだ。日本では源氏物語がある。源氏物語第11帖の「花散里」。「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ」から名付けられたこの巻の主人公「花散里」さんは光源氏の妻の一人。温和でとてもよい性質だが”容姿はそれほど美貌でない女性として描写される。橘の花が咲く5月に鳴くのは鳥のホトトギスであるが花散里(三の君)からは草のホトトギスを連想してしまう。我が家の薄暗い庭には今回絵に描いた「ホトトギスの蕾」が真っ盛り。やがて一斉に花弁が開くことだろうが、決して醜い花などではない。紫色の可憐な花は派手ではないが人の心を和ませてくれる。

10月12日(木)<読書の秋・・>
読書の秋。名著「ダヴィンチ・コード」の作家、ダン・ブラウン(1964年米国生まれ)がダヴィンチ・コード(2003年)の前に著わした「天使と悪魔」(2000年)を読了した。先端科学技術と宗教、ローマ、バチカンの地理など私の興味とも一致するところが多く、また次々に展開するミステリーの連続で、最後まで退屈することがなかった。私はこの種の本は「水戸黄門型」と呼んでいる。ドキドキさせるが主人公はどんなピンチになっても決して死ぬことはない。安心して先を読み進むことができる。無理をして「宗教と科学の対立」などと深刻にテーマを考える必要もないだろう。ローマやバチカンを知っている人には楽しい観光ミステリーとしてお勧めだ。・・小説ではないが角川書店の「ビギナーズ・クラシックス」シリーズも面白い。日本文学の古典を一種の解説本として発行されたものであるが、最近「源氏物語」を読み始めて、安易であるかも知れないが、こうした親しみ方も悪くはないと思った。中には現代語訳と原文(総ルビ付)さらにいろいろな資料が添付されている。源氏物語の場合、例えば、紫式部の系図、年譜、「源氏物語」の中の関係系図(桐壺帝系図など)、略年表(光源氏の生まれから夢浮橋の年齢まで)に至るまで、私のような”ビギナーズ”にとってはありがたい資料ばかりだ。それにしても1000年も前の宮廷社会で紫式部(970年生まれ)という女性の才気を余すことなしに活かして小説を書かせた自由さは奇跡的にみえる。これを後世にまで引き継いできた仕組みもまた驚異である。
10月13日(金)<ユーチューブ買収・・>
IT業界では私などが関知しない世界で信じられないドラマが進行する。2-3日前にアメリカで「GoogleによるYouTubeの買収」が大きく報じられた(日本の新聞、テレビでは話題にならない)。その買収金額は16億5000万ドルという巨額。YouTubeは「ビデオ共有のためのウェブサイト」を運営する会社で2005年の2月にChad HurleyとSteven Chen、それにJawed Karim(氏のみ現在はYouTubeを離れてスタンフォード大学大学院で勉学中)の三人が創業した。それが爆発的にヒットして、アッという間に米国最大(オンラインビデオ市場の50%シェア)の動画・ビデオ共有サイトに発展し、今では一日一億以上のビデオがYouTubeによって観られるという。買収が決まった後に、Hurley氏(CEO)とChen氏(最高技術責任者)がそろって自分のYouTubeのサイト(=ここ)のビデオに登場している。創業からわずか1年8ヶ月で巨万の富(巨万でなく巨億か!)を得た二人のシンデレラボーイの笑顔を拝むのも一興(ついでにYouTubeを覗くと本当に愉快なビデオがたくさんあるのも事実だ)。買収したグーグルの方は、オンラインビデオの著作権の問題などがあり今後YouTubeの資産をどう活かすかが問われているという。それにしてもIT業界はまだまだ活気がある。

10月14日(土)<開花・・>
「今日の作品」に「杜鵑草(ホトトギス)<水彩>」を掲載した。「ホトトギスの蕾」の絵を11日に掲載したが、この蕾が開花したので今日ホトトギスの花を描いたもの。ホトトギスの名前は11日のコラムでも書いたように、花の斑点が鳥のホトトギスの胸の模様に似ているから名付けられた。開花した花をじっくり観察するとこの花も実に個性があり神の造化の妙を見る思いがする。蕾だけをみていてもこんな複雑な花が咲くとは予測できない。そう云えば、花はどんな花でも蕾から花の形状を知ることはできない。バラでも椿でも桜でも、仮に一度も花を見たことがなければ開花前の蕾からそれぞれの見事な花が生まれるのは不思議で感動的な現象に思えるだろう。花の開花を見る時に、幼児、こども、そして大人と人間の成長を連想する。実はそれぞれに見事に開花していく姿を当たり前のように錯覚して感動がないのはおかしい。椿の樹にすばらしい椿が咲いているのに薔薇が咲かないと嘆く親の思い違いが何と多いことか・・。どんな花の姿にしても優劣はない。開花して咲き誇る花は全て美しい。

10月15日(日)<ブックオフ・・>
マッキントッシュの創成期の名機、SE30など記念に保存していたパソコンや古いパソコンを車いっぱいに積んでブックオフ・川崎に持っていき処分した。ブックオフというと中古本販売の全国チェーンとして有名であるが、この川崎のブックオフは古本以外に中古パソコンをはじめ、CD,DVD、ビデオ、ゲームの買取・販売から、中古子ども服、ベビー用品、中古スポーツ用品(テニスラケットもある!)、中古雑貨、中古貴金属(腕時計、アクセサリーetc)などなんでもありだ。他のものはともかくパソコンは処分をするにもお金がかかる時代であるから買取価格は限りなくゼロに近かったが受け取ってくれただけでもありがたいと思うべきか(テレビなどは高い処分費をださなければ引取らない)。この機会に店内を見て回ったが、中古の割に格安感はない。CD・DVDや食器類などはむしろ高い。他の量販店の方が安いとも思えるものも多い。我が家の近所にあるブックオフで本を処分したり、古本を買ったこともあるが、105円で買えるかと思ってレジに持って行くとそれは400-500円。欲しいものにはしっかりと高い値段をつけているのに逆に感心させられた。このブックオフコーポレーション(株)は昨年、2005年に東証第一部に上場した企業である。全国に900近い店舗を展開する“巨大な”小売業であるが、今日、店を訪れたところではブックオフも”曲がり角”にきているのでないかとの印象を持った。格安感が続かなければ、将来、スーパーダイエーの二の舞になりかねない。

10月16日(月)<刺激・・>
いま刺激を求めている。陶芸は始めてから丸5年を経過しようとしているが、最近はアイデイアが枯渇気味。絵画もスケッチでなくまともな絵を描きたいが方向が定まらない。他の創作も情熱が今ひとつ湧き上がってこない。何にしても新たな突破口を見つけるための”刺激”がほしいのである。「刺激」とは「1)人間・生物のからだや心などに外から働きかけてなんらかの変化をおこさせること、2)人間に働きかけて励ましたり怒らせたりする力、3)落ち着いていられなくさせる外からの働き」とある(新明解/三省堂)。私の場合、”外からの働きかけ”で意欲に変化が起きるのははっきりと自覚出来る。外といっても、書物や資料で見る先人であったり、同時代の達人であったり、知人や仲間であったり、時には自然も外の一つになることもある。自分以外の外界全てに潜在的に影響力があると思える。・・そうすると何のことはない、昔からの「我以外みな我が師」に到達する。刺激によってよき変化を得るかどうかはただ感受性にかかっている・・。

10月17日(火)<出場辞退・・>
日本ハムの新庄剛志が「日米野球の出場辞退」とのホッとニュースがある(17日16時50分)。「日米野球(11月3〜8日)は引退を発表している選手が出るよりも、バリバリ現役の選手が米大リーグの選手とぶつかり合うそんなステージだと考えます」という新庄の辞退理由は立派。ファン投票で外野手の一位で選ばれて辞退することは誰でもできることではない。往年の名選手が老いてますます野球界に固執したり、首相までつとめたオールド政治家が自分からは決して政界を引退できないとか、長老の地位を若手に譲ることが難しい事例ばかり目にするので、新庄は若くても何か違うという期待を持たせる。新庄は地震被害者に多額の寄付をして評判にもなった。多くの人の心をつかむパフォーマンスも自分の思想やアイデイアがなければ実行出来ない。新庄の発想はやはり人並み優れているいるとみたい。ところで新庄さん、引退後はどんな方面に進むのだろう。政治家ですか、実業家ですか、芸能界ですか・・。
「今日の作品」に「池(水彩)」を掲載した。描きながら細かい成り立ちを観察していると、石と水が話をしているように思えてきて想像の世界が広がった。


10月1 8日(水 )<国立新美術館・・>
国立新美術館を見に行った。といってもオープンは来年2007年の1月。一部で完成した内部の見学を始めたようであるが、私は建物の外観を見てきたに過ぎない。東京の地下鉄乃木坂、六本木などからアクセスの便利な場所、元東京大学生産技術研究所跡地に総工費380億円を投じて建設された。外から見た建物は外壁に曲面を取り入れた魅力ある建築(設計は黒川紀章、写真は新美術館のホームページにある=ここまたはここ)。しかしながら建築や外装はすばらしくても中身にはいろいろ問題がありそうだ。まずこの立派な美術館は企画展・公募展専用の美術館であり自分の美術品を持つことはない。いままで東京都美術館(上野)で開催していた多くの美術団体の展示会をこの美術館で行なうことになる。都美術館はどうなるのか知らないが、私の感覚では、日本的な仲間社会の弊害と権威主義ばかり目立つ既存の美術団体の展示場所を引き継ぐだけでは新美術館の意味は何なのか。新美術館で上野と同じような、いやそれ以上の巨大な(そして退屈な)絵画が並ぶと思うとうれしくない。10を超える展覧会が同時並行で開催出来る施設となるそうだが、問題は内容であろう。・・とまあ云ってはみたけれど、オープンしたら展覧会はともかくお茶でも飲みに行こうと楽しみにしている。

10月1 9日(木 )<料理ことば・・>
男料理のレパートリーを徐々に増やす過程で分かり難いのが独特の「料理ことば」である。先日ラザーニアを作ろうとレシピをみると「アル・デンテにゆでて」と書いてある。"al dente"とは”歯ごたえのある”固さであると云ってもどんな歯ごたえか・・。小麦粉も、含まれるタンパク質(グルテン)の割合によって、強力粉(12%以上、パン、中華面など)、中力粉(9%前後、うどんなど)、薄力粉(8.5%以下、菓子類、天ぷらなど)の種類があることをようやく覚えた。本来はユリ科のカタクリの根からとったデンプンを精製した粉である片栗粉はいまはほとんどジャガイモのデンプンからできている・・。ブイヨンとコンソメ、スープの違いは・・。ムニエル(=フランス風魚調理法の一つ)を作ろうとすると、ニンジンのグラッセ(=煮汁を煮つめるなどして材料に照りやつやをつける)を付け合わせる・・。こういう調子で一つ一つの言葉からお勉強。料理をつくるとベテラン主婦がいかに物知りであるかが分かる。
「今日の作品」に「立ち木(水彩)」を掲載した。東京はこのところ毎日爽やかな秋晴れ。立ち木にも秋を感じる。

10月20日(金 )<クラインの壷・・>
陶芸の作品は窯で焼成するタイミングがあるので作った時期からかなり時間遅れをもって完成する。昨日、陶芸教室で一度に三点の完成をみてうれしい悲鳴をあげたが、その内「擬クラインの壷」を「今日の作品」に掲載した。「クラインの壷」は「メビウスの輪」の三次元版として説明される。二次元のテープ状のものをひねって輪とした「メビウスの輪」は表をたどると裏に行き着きまた表に戻るといった表裏のない輪として知られる。クラインの壷は三次元のチューブをひねって接続するとやはり表をたどると裏になるという立体である(クラインの壷の説明=ここ)。以前からこのクラインの壷を陶芸で作ってみたいと思っていた。今回の挑戦で取手のように見えるチュブの内部には新聞紙を詰めて曲げた際に変形しないように工夫するとか粘土を積み上げながら形状を仕上げるなど試みた方策が全て成功したのが何よりうれしい。本来のクラインの壷はボデイーに開けた三カ所の穴はなくボデイは閉の空間となる(そして上部のノズルは付けない)のだが花瓶とか水差しなどの用途で使う場合に「クラインの壷」は全く用をなさないので、穴をあけた”擬”クラインの壷とした。出来上がってみると「それがどうしたの?」と云われそうな何でもない外観であるが、これは自分にとっては十分に満足。一人飽かず眺めては完成を喜んでいる。
<明日から信州へ小旅行のためコラムは2-3日休みます>


10月23日(月 )<合掌・・>
昨日は雲一つない快晴の下、信州の湯ノ丸高原、池の平湿原などで山歩きと紅葉を楽しんだ。今日は軽井沢。天気は一転して小雨の中をここでも真っ赤に色づいた楓の樹々に囲まれリフレッシュ。案内役の友人夫妻とは現地で別れて夕方東京に帰りついた。・・帰宅してみたテレビで俳優の藤岡琢也さんが一昨昨日、20日にお亡くなりになり今晩、23日の6時から通夜が行なわれていることを知った。享年76歳。藤岡琢也さんは俳優としては頑固だが気は優しいといったキャラクターで人気があったが、私と同じ兵庫県姫路市出身であるし私の兄達とは学校が同窓であるなど特別に親近感を持っていた。それ以上に、このコラムで実名では書かなかったが、実は藤岡琢也さんとは朝の犬の散歩でお会いする常連さんであった。何年も前から朝の散歩の時間が一致するとゴールデンレトリバー犬を連れた藤岡さんご夫妻によくお会いした。特に奥様は気さくな方で我が家のコーギー犬もかわいがってもらった。そういえばこの一年ほどお会いする機会がなかった。犬の散歩の時間帯が変わったか、犬の都合かと思っていたが、ご本人が療養中であったとは思いもしなかった。ご冥福をお祈りしたい。合掌。

10月24日(火 )<大賀ホールから・・>
一昨日、軽井沢に宿泊した際、大賀ホールを訪れた。大賀ホール(=ここ、2005年4月開館)はソニーの元社長大賀典雄氏の寄付(退職金など約16億円)を資金にして軽井沢駅の近くに建築された軽井沢唯一の本格的音楽ホール。立派なホール(建築)をみながら、大賀さんのこと、そしてソニーのことを思った。大賀典雄さん(1930年生まれ)は東京芸術大学の声楽科出身という変わり種として有名である。ソニーにはテープレコーダーのクレームをつけた縁で嘱託になり広告やデザイン畑で業績をあげ、34歳で取締役に抜擢されたという。その後、大賀氏は社長、会長の道を歩み新たなソニー神話を築く。トップビジネスマンとして現役バリバリの60歳のときに東京フィルハーモニーを指揮したのをはじめ指揮者としてベルリンフィルなど名門オーケストラとの共演も果たす。こういう人をトップに据えられるソニーの体質が私には眩しく思えたものだ。大賀さんの後に社長となった出井伸之氏からも私は間接的に影響を受けた。いまから10年も前に、社長自らがキーボードを叩き、e-mailやホームページで社員ほかとコミュニケーションを計るやり方は驚異であった。このホームページも出井氏に感化されてできあがったといってもよい。そのソニーが最近どうも元気がない。電池の不良品の問題は別としても製品としてユニークなものが見当たらなくなった。魅力ある製品さえ作ってくれれば私は是非ソニーを買いたい。ソニーよ復活しろ!

10月25日(水 )<トライアングル・・>
「今日の作品」に「三つのトライアングル(陶芸)」を掲載した。一見なんでもない三角形であるが、三つの三角形の部材が全てからまっているところがミソ。三角形はそれぞれに独立して動くことはできるけれども単体として外すことはできない。陶芸では焼成する時に釉薬が接触すると固定してしまうので、お互いに接触させずに”輪”の状態を保つのはそれなりに工夫が必要となる。この三つの三角形は接触しそうな個所を単純に膨らませて形を作った。掲載した写真のように三つの三角形を配置して粘土で仕上げたものを乾燥させ素焼き・釉薬をかけたあとも同じ配置にして焼成した。完成後は三つの三角形を立体的に組み上げることもできるが無理をすると破損しそうになるなど扱い難い欠点がある。では用途は何か。このまま鍋敷きにでも使えます・・とした。前回の「擬クラインの壷」と同じく、この種のマニア的な作品は完成後他人の意見をきくと、自分の見方と第三者の目とが大きくずれて、”人さまざま”を思い知らされる。鼻が高い男を美男と見ることもあれば醜男にみる人もいるように、本当に美的感覚は百人百様でどれが正解というものはないだろう。毎度のことであるが何を言われても我が道をいくしかないと次なるプランを考える。

10月26日(木 )<結霜ガラス・・>
「結霜(けっそう)ガラス」という言葉を今日覚えた。猛烈な勢いで変革を続ける東京の街でも少し裏道に入るとまだ古い住宅が残っているが建築された年代までははっきりしない。街角ウオッチングの講義の中で「結霜ガラスのある建物は戦前に建てられたものとみて間違いない」との話を聞いた。結霜ガラスはガラスに霜が広がったようにみえるので「結霜」と名付けられた。幾何学模様ではなく、落ち葉が重なり合ったような手作り感のある凹凸模様が和の雰囲気とマッチして大正・昭和初期に高級住宅のガラス障子用としてロングセラーになったという。そういえば昔から時々そんなガラスを見かけたことがある。面白いのはその製法だ。結霜ガラスは摺りガラスの表面に膠(にかわ)を塗って作る。にかわが乾燥する際にガラスの表面を収縮力で引きはがして無数の木の葉のような模様となる。にかわの濃度や乾燥温度など自然の成り行き次第であるので模様は2つと同じものはできない。こんなユニークなガラスであるが製品の均一化を計る技術革新の中で生き残れなかった。古い建築はやがて建て替えを余儀なくされるが、その時代を象徴する製品として結霜ガラスだけでも保存できないだろうか。

10月27日(金 )<涙・・>
昨日のプロ野球、日本シリーズで日本ハムが中日を破り日本一を決めた。この試合では日本ハムが3点リードしてはいるがまだ勝負が続いている8ー9回から新庄の涙が止まらない。新庄剛志は今季限りで引退を表明している。17年に及ぶプロ野球生活に幕を閉じるのは超満員の札幌ドーム。しかもファンの眼の前で日本一となる感激に涙するのは素直に共感出来る。そういえば、日本シリーズには破れたが、中日がセリーグの覇者となったとき、あの冷徹にみえる落合監督がやはり涙を流した。落合が泣くのをみることは二度とないかも知れないが、落合の涙もまた人間の暖かみを感じさせるものだった。人前で男が涙しても許容される社会となった。一方では女性の涙をほとんど見ることのなくなったのは何故だろう。女々しく涙をみせる女性がなくなった時代でも、”男の涙”と同じく、感動で涙する女性も悪くはない。ところで”日本ハム日本一”でハムの特別セールがあるとみて、近くのスーパーまでわざわざ買いにでかけた(まるで主婦感覚!)。けれども平日と何も変わりはない。東京のスーパーでは日ハムのサービスはないのかなあ・・?

10月28日(土 )<タングラム・・>
「今日の作品」に「タングラム」を掲載した。これは厚手のプラスチック板を専用のプラスチックカッターで切り取って作った工作品である。孫娘用の教育玩具として作ったジジバカ作品。私のこどもの頃にも型板で動物や乗り物その他いろいろな形状を作ってパズルとして遊んだことはあるが、このような玩具は大昔のタングラムと呼ばれるパズルに起源があることを今回初めて知った。タングラムについては”ここ”に解説があるが、中国の唐、宋の時代に資料があるとか、日本では類似の”清少納言智恵の板”と呼ばれたパズルがあったとか、歴史がながい。タングラムは正方形を七つに切り分けた図形が基本であるようだ。今回制作したものは三角形が11個、四角形が6個、計17個の図形から出来ているが、基本のタングラムは三角形5個、四角形2個(清少納言智恵の板では三角形3、四角形4)である。7個のタングラムでもいろは48文字を作ったとかアルファベットや数字を作ることもあるというから、17個の図形からは思う存分に影絵を作って遊べそうだ。島流しにあったナポレオンがタングラムで遊んでいたと伝えられているが、これは本当に大人が楽しめるパズルである。

10月29日(日 )<ガードレール・・>
以前、鉄鋼会社に勤める友人が道路際のガードレールをみて、これは新日鉄、あれは川鉄などとガードレールのメーカーを言い当てるのに感心したことがある。同じように送電線用の鉄塔を一目見て、メーカーが分かる人も知っている。「違いが分かる人」はどんな分野にもいるものだ。最近、私はパイプ製のガードレール(車両用保護柵)=ガードパイプの”違い”に注目している。この場合、専門性は何もいらない。我が家の周辺でみると大きい通り(駒沢通り、旧山手通り)は東京都のガードパイプを使っている。つまり、パイプで都のマークである銀杏(いちょう)の形をデザインしている。少し脇道(八幡通り/代官山アドレス前)に入ると渋谷区のガードパイプがある。これは渋谷区の花、アヤメをデザインしたものと、渋谷区の樹、ケヤキをデザインした二種類ある。毎朝犬の散歩にいく公園は目黒区であるので、注意してみると確かに渋谷区とは違う目黒区のガードパイプデザインであった。今日も車で都内を走った時に見ていると、それぞれのガードレール(ガードパイプ)の形が異なっている(勿論、特別のデザインはなくパイプだけのガードレールもある)。ガードレールをみると道路を管轄している部署(国、都道府県、市や区)が分かりそうだ。そこでまず都区内のガードパイプのデザインを説明した資料がないかと調べてみたが見つからない。地区の特徴を特別にデザインしたガードレール(ガードパイプ)についてはどこかに公開されていないのだろうか。

10月30日(月 )<いじめ・・>
いじめによる子どもの自殺が相次いで報じられる。痛ましいことだ。子どもはどんなに喧嘩をしても仲違いをしても、何が何でも生き延びて欲しい。学校では”いじめの定義”を持ち出していじめがあったとかなかったとかいうようだが、いじめは子どもの社会に限らず太古から現代に至るまで人間社会で繰り返される”業(ごう)”の様相がある。源氏物語で光源氏の母、桐壺の更衣が受けるいじめも壮絶だ。桐壺の更衣は帝の寵愛を独り占めにしたがゆえに、ほかの妃(きさき)、女御からさまざまな嫌がらせ、いじめを受ける。帝からお呼びがかかったときには遠く離れた部屋から他の妃たちの部屋の前や廊下を通らなければならない。その時に”・・ここかしこの道に怪しきわざ(=汚物をまくなど)をしつつ・・まさなきこともあり”。あるいは廊下の両端の扉を妃たちが示し合わせて鍵をかけて中に閉じ込めるなど尋常でないいじめが続く。光源氏が三歳のとき、母、桐壺の更衣はいじめに耐えられず病をえて実家に帰り二度と宮中には戻らなかった。後宮という空間でのいじめは源氏物語から垣間みることができるが、男社会でのいじめは時として武力闘争や権力闘争に発展する。この場で詳細を論ずるスペースはないが私はいじめの対策は宗教感や思想に頼るしかないような気がする。本能のまま成長すればいじめはなくならない。
「今日の作品」に「棒型立方体(陶芸)」を掲載した。用途を模索中。

10月31日(火 )<人口・・>
今日、総務省から2005年国勢調査の確定値が発表された。それによると2005年10月1日現在、日本の総人口は1億2776万7994人。2004年10月1日のデーターと比べると2万2000人減少したという。前年と比べて初めて人口が減少したので、新聞のタイトルは「日本、人口減少時代に突入」とある。三年前の私のノートをみると日本の人口のピークは2009年(1億2800万人)と予想されていたので若干早めに減少傾向となったことになる。日本に限らず世界の人口の動向をみると明るい気分にはなれない。ノートから少しデーターを記してみよう。日本でみれば明治5年、1872年3500万人であった人口は、私が生まれた頃1940年には7190万人、それが冒頭の数字まで拡大していま横這いとなった。世界の人口は、1900年=17億人、1960年=30億人、2000年=61億人、そして2050年には100億人を越すと予想されている。日本の人口が変わらないとして、これからの40年間で日本と同じ人口の国が新たに30増える勘定だ!しかもほとんどは発展途上国。”日本の人口が減少”などときくと、逆に日本も発展途上となってどんどん子どもを増やすべきなどと意見をいいたくなる。そう、”産めや増やせや”がなければ、私などこの世に生を受けていないのです・・。
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