これまでの「今日のコラム」(2007年 3月分)

3月1日(木) <遊びの効用・・>
「遊びの効用」ともっともらしいことを言ってみても、実は遊んだことのない人が頭で考えていたり他人を遊ばせて自分は勉学に勤しむ謀略であったり、素直に効用を信用できないことがある。けれども私が最近陶芸の構想を練ったり何か独自のアイデイアを求める時に役に立っているのは”子どもの頃の遊び”と思うことが多い。今、改めて昔を思い出してみると私は小学生、中学生の頃に親から「勉強しなさい」と云われた記憶がない。何も命令・強制されずに自分のやりたいことをやっていた。その中に工作がありスポーツがあり、そして勉強もあった。強制も指示もないので何でも自分で工夫せざるを得ない。60歳を越えて義務やノルマがなくなった時に本当にやりたいことは何かを問われる。それは自分がこれまでに全く知らなかった分野に存在するかも知れないし、ボランテイアで他人のために活動することに意義を見出すこともあるだろう。どんなことをやるにしても、その時”遊び”の精神が役立つ。遊びとは遊興でなく自由な発想と工夫。少年の頃の遊びの効用が60歳過ぎに現れる・・と、これは新発見であった。

3月2日(金) <刺激・・>
「今日の作品」に掲載している陶芸作品の「オブジェクト<いずみ>」を陶芸教室に持って行った。陶芸が出来上がった後に工作が入る作品は教室では完成品を見てもらえない。<いずみ>では、家で工作したのは循環ポンプの挿入、送水管の接続、それと別体のシシオドシを加えた。試運転調整を行ない非常にうまくいったので少々図々しいけれども是非教室の先生にも見て欲しくて持って行ったのである。教室の先生と仲間に披露すると先生は店のショウウィンドウにしばらく展示してくれるという。いま<いずみ>は代官山を散歩する人が容易に目にすることが出来るショウウィンドウという晴れ舞台にいる。・・最近は自分の作品で、もし誰かに少しでも刺激を与えることができれば、こんな幸せなことはないと思うようになった。それは私自身が他人から刺激を受けてしばしば元気づけられるからである。陶芸に限らず絵でも書でも、自分の周囲にいる人たちにどれほど刺激を受けてやる気になることか。一方でわれわれは古代からの多くの遺産に絶えず刺激を受ける。名も知らぬ人々の影響で自分のセンスは出来上がっていると云ってもよい。刺激ー衝撃ーインパクト・・言葉はいろいろあるが、いずれも相手から”感動”を受信することであろう。刺激=感動を受信し送信する双方向型が望ましいが、そう簡単なことではない。
3月3日(土) <雛がたり・・>
毎日の習慣で朝顔を洗った後「日めくりカレンダー」を新しいページにする。今日のカレンダー(=読むカレンダーで365日違った文芸作品が現れる)は泉鏡花の「雛がたり」。これを大声をだして読むだけですっかりひな祭り気分になった。同時に私はほとんど親しむ機会はなかったが泉鏡花(1873-1939)という作家も凄い人だと今更ながら感服した。三島由紀夫が泉鏡花に影響を受けたという話も納得出来る。今日はあれこれ云わずに「雛がたり」のイントロ部分を転用させていただく:「雛ー女夫雛(めおとびな)はいうもさらなり。桜雛、柳雛、花菜の雛、桃の花雛、白と緋と、紫の色の菫雛(すみれびな)。鄙(ひな)には、つくし、鼓草(たんぽぽ)の雛。相合傘の春雨雛。・・紙雛、島の雛、豆雛、いちもん雛と数うるさえ、しおらしく懐かしい。・・」。<「雛がたり」の全文はWebで読むことができる。ただし、相当長いので読み通すにはかなりの忍耐が必要です。Web=ここ

3月4日(日) <諦めない・・>
「今日の作品」に「12面体(陶芸)」を掲載した。この作品を作るところを見ていた陶芸教室の仲間が”諦めない”ことをヒラセさんから教えられるとしみじみという。こんなことを眼の前で云われたのは初めてでドキッとした。確かに陶芸では粘土の段階で気に入らなければ直ぐに作り直す。私がこの12面体を作った時は悪戦苦闘しながら、とにかくも壊さずに完成させた。この12面体は本来は「正12面体」(正五角形を12枚つなぐとできる)を作る計画であったが、粘土がまだ柔らかい状態で作業を続けたために変形(つぶれ)が多く、途中で「正」ではない12面体として、とにかくも2-3時間で一気に作り上げたもの。脇で見ていると作り直さずに休みなく集中して作り続けたのが印象的だったようだ。「何かスポーツをやってますか?」とも聞かれた。そう、諦めずに続けるのは体力勝負だ。・・云われてみると「諦めない」のが取り柄かも知れない。手がけたものが例え不出来であっても、また失敗作であっても修復したり何とか特長をだすように手をいれる。名人のように10個作って9個は気に入らぬといって捨て去ることなどできない。出来のいいのも悪いのも自分の作品。大体いいとか悪いという基準からして絶対的なものではない。ところでこの12面体は形は少々いびつだが、釉薬のニュアンスが思うようにできあがった。花器とした写真を掲載したが上下を逆にして中に灯りを入れると照明具となる。スタートのできは悪くても「諦めない」で気合いを入れて仕上げると気に入った作品ができあがったのでうれしい。
NEVER GIVE UP !

3月5日(月) <賠償不払い・・>
インターネット(Web)は信じられないほど便利である反面、無責任な情報が飛び交う危うい道具である。大手の掲示板「2ちゃんねる」に書き込まれる内容にも誹謗中傷がはびこっており匿名の人間の汚さを見せつけられる思いがするのは私だけでないだろう。今日の読売新聞は「2ちゃんねる管理者、敗訴43件も制裁金4億円不払い」と報じた。2ちゃんねるで受けた名誉毀損などを訴えた訴訟で30歳の管理者は多くの敗訴が確定しているにもかかわらず、賠償金を支払ったことは一度もないそうだ。強制執行の手続きをとり銀行口座を突き止めても残高が少なければ差し押さえもいまくいかない。裁判所の命令に従うまで、現在、一日約88万円の制裁金支払い義務があるけれども、不払いのまま累計が膨らむだけというから訳が分からない。この種の犯罪には犯罪意識が全くない。いざとなれば破産宣告をして2ちゃんねるは続けるのだろう。情報の被害者を救済するには法律はまだまだ不備なのでないか。

3月6日(火) <辛夷(こぶし)咲く・・>
辛夷(こぶし)咲く季節となった。辛夷の漢字は中国ではハクモクレンのことを指すそうだが、辛夷の字が何となく趣がある。真っ白な色は、寒いとか暑い、明るい、暗い、元気など決まった情感には属さず、その時々の人の感情に染まり易い。意外に悲しい色ともなるのが白である。源氏に敗れた平家の落ち武者が山奥深く潜んで過ごしていたが早春のある日、突然周囲を源氏の白旗で囲まれてしまう。最早これまでと全員が自害して果てた。跡には全山に白旗と見間違えられた辛夷の花が咲き誇っていた・・。東京は昨夜から春の嵐で今日一日不安定な天気だった。早朝犬を連れて散歩する公園で辛夷の花の写真を撮った(下に掲載)。遠くに見えるのは辛夷と似ているがタムシバ(同じモクレン属)でないかと思う。タムシバは「コブシと違って花の下に葉はない」と解説されているが、今度確認してみるつもり。葉っぱの形状にも違いがあるようだ。いつまでたっても植物の「違いが分かる男」にはなれない。
3月6日@西郷山公園/東京

3月7日(水) <アルプス・・>
新宿から「あずさ」に乗って松本に行き、また「スーパーあずさ」の最終列車で今帰り着いた。日帰り旅行の目的は重く悲しいものであったが、久しぶりの特急「あずさ」に乗っての中央本線での旅は思いがけず大きな気分転換になった。勤め人時代には「あずさ」は何度乗ったか数えきれないほど頻繁に利用したが、今日は何年振りの乗車であっただろう。最近は旅行と云えばほとんど車を使う。しかし、この日の列車の旅ではドライブとは比較にならないほど存分に開放感を味わうことができた。中央本線のルートは車窓の景色がいい。今日は風が強い晴れの天気であったので往路では雪を冠った日本アルプスの山岳風景がすばらしかった。車窓からじっとアルプスを見つめているうちに、この風景を以前絵に描いたことを思い出した。家に帰って、このホームページで確かめるとやはり「中央本線あずさにて」とサブタイトルをつけた絵はがきがあった(一つ=ここ、もう一つ=ここ/POSTCARD GALLERY)。この絵はがきを描いたのは何と1995年である。12年前のアルプスの美しさは少しも変わらない、けれども人間はつねに移り行く・・。
3月8日(木) <建替え・・>
多摩ニュータウンを全面的に建替えを行なう計画があることが報じられていた。建物も街も時代と共に変わるのは当然で建替えも不自然ではない。けれども私の家の直ぐ近所で今現実に目にしている建替えの光景は”信じられな〜い”。この一軒家の建売り住宅は完成した時に際立った派手さから周囲から浮き上がっていた。ベニスの運河沿いに立ち並ぶ貴族の館のような外観でどんな人が住むのか興味を持って見守っていた。噂では1億数千万円のお値段とか。今時マンションをそれぐらいの値段でも買う人がいるようであるので、あるいは貴族の館が趣味で購入することもあるのだろう。それが数ヶ月しても入居者がいないと思っていると、突然この新居を解体し建替えを始めたのだ。誰も一度も住むことなしに建替え・・こんな話が目の前で進行している。何かバブルの時代の夢をみている思いである。それにしても解体の途中で煉瓦積の内側から木材の構造物がむき出しに見えてきたのには驚いた<下に写真掲載>。

3月9日(金) <天は二物を・・>
陶芸教室でしばしSMAPの陶芸作品が話題になった。少し前にSMAPが轆轤(ろくろ)を体験するテレビ番組で私の教室の先生が陶芸の指導をした。これが好評だったので第二弾のSMAP陶芸番組が4月に予定されている。SMAPのメンバー5人がそれぞれに制作した作品の写真やら素焼きに絵を描いた状態の作品をみて、教室のメンバーはみな歓声をあげた。とても初めての体験とは思えない出来映え、センスの良さ、躊躇しない勢いある釉薬の掛け方・・。ある人は自分は10年以上陶芸をやっているけれど、こればかりは年数でないのね・・と云って脱帽の態であった。確かに香取慎吾が茸(きのこ)の形をした容器に描いてきた絵を見たが素人の趣味ではなくプロフェッショナルの気合い感じられる。香取に限らず、中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、草なぎ剛とSMAP全員が器用で何でもできる。「天は二物を与えず」というのは間違いであることがSMAPをみていると分かる。ハンサムで歌もスポーツも絵でも何でもできる。それに頭がよくおまけに性質もよい・・。以前、あるイタリアの女性オペラ歌手のことを「天は二物も三物もお金も全てを与える」と思ったことがある。彼女は超美人の上に最高の声とテクニックを持っていた。天から二物も三物も与えられた人に対しては、妬みの感情を越えて羨ましくもない。むしろ人間として更に高い希望の星を求めるように応援したくなるから不思議なものである。
3月 10日(土 ) <社会的動物・・>
「人間は社会的動物である」と云ったのはアリストテレスであったか。最近、自分のことを考えてみて本当に”社会的動物”だなあと思うことがしばしばある。個人の役割が社会でどう機能するかなどの難しい問題ではなく、体験からどうしても自分の外とのかかわり合いを求めていることを感じるのである。先ず、このホームページを維持し毎日コラムを書くことに”社会”をみた。あえて自分に毎日の負荷をかけるのは僅かであっても外の社会との接点を持つ安心感以外に何か意味があるだろうか。Webでのブログが大流行であるが書き込む人は自分の利益や名誉を考える訳ではなく繋がりを持つだけである。次に料理。自分で会心の料理を作っても自分一人で食べると何とも味気ない。自慢するとか威張る意味合いは全くなくて誰か他人に食べてもらう、喜んでもらうのがやりがいになる。自分一人の楽しみとは実は存在しない。絵や陶芸にしても”描きたい”、”創りたい”衝動は個人的であっても、作品を永遠に他人(身内にも)に見せないことはまずない。誰かが励まし喜ぶから続く。人のやりがい、生きがいは究極のところ、”他と結びつきを持つこと”、”他を喜ばすこと”に行き着く。生存競争が強調されるあまりに個体の横暴さが目立つが、これはただの動物。人間の社会的動物である特長は本能的に助け合い社会を作り上げるところでないか。
3月 11日(日 ) <合唱のできるまで・・>
「合唱のできるまで」という映画のことが今朝の読売新聞のコラム(編集手帳=ここ)で取り上げられているのでうれしくなった。一ヶ月ほど前に妻と渋谷でこの映画をみたのであるが、内容以前に忘れられない思い出がある。何と映画館の観客が私たちを含めて3人しかいなかったのだ。こんなことはこれまで経験したことがない。いくら午前の部とはいえ、上映している映画に申し訳ない気がした。映画の内容はパリの合唱団の練習風景のドキュメンタリーといったもの。コンクールで競うのでもなくコンサートで合唱を披露するまでが淡々と記録されている。編集手帳で紹介された音楽評論家の「近年の音楽を商品としてしか考えない商業主義の中で、忘れそうになっていた音楽の無垢な、しかし確固とした美しさに気づかされる」の言葉がピッタリの感じであった。この映画は渋谷での上映は終わったが地方の各地で上映されるという。視聴率の高いテレビが内容がいいとは誰も思わない。視聴率は悪くても優れた番組もある。「合唱ができるまで」は儲け主義とは別世界の地味で真面目な映画であるが、もう少し観客を集めてあげたい。

3月 12日(月 ) <花器・照明・香炉・・>
「今日の作品」に12面体の”照明バージョン”を掲載した。この12面体の上下を逆にして内部に容器を入れて”花器”として使用した写真を数日間掲載していた(=陶芸コーナー参照)が、照明の方は花器と比べると写真を上手に撮るのが難しい。陶芸仲間に”照明”を作っていますというと、「飾る所があっていいですね」と云われることがある。我が家でも実用的にはこの照明がなくても不便はしない。照明といっても床用の照明具であるので、床の上に置いて部屋のアクセントになればいいと割り切っている。それにしても”電気代がもったいない”とお客さんの時以外は電気をつけないのが何か可笑しい。先日、陶芸教室でユニークな形状の容器を作っている人に用途を聞くと「香炉用」だという。香炉を入れる容器も自由自在で面白い形状が考えられそうである。そんな話を思い出して、この照明の内部の板に孔をあけておけば「香炉」にもできることに気がついた。縁がなかった分野のことを知れば新しい発想が湧く。これまで私は目的のない容器は何でも花器そして照明と称して来た。これからは、更に香炉を追加しようか・・。

3月 13日(火 ) <試行錯誤・・>
昨日の大リーグオープン戦、レッドソックス対オリオールズ戦で松坂投手が2本のホームランを打たれて敗戦投手となったが、試合後のコメントを聞いて、さすが松坂と感心した。1、2回は打線を抑える投球を行なったが、3、4回は高めの直球に対する打者の反応を試みた。結果はホームランを打たれたが、相手の打線のパワーを”肌で感じてたくさん収穫があった”と述べた。どの程度までの高め直球が打たれる限度であるかを見極めるのはオープン戦でないとできない。大勢の報道陣が見守る中、打たれることを覚悟して、「テスト」をするのは松坂ならではと思わせる。そのやり方は、あえて失敗を重ねながら大きな効果を得る「試行錯誤」と類似している。科学技術では試行錯誤なくして成果は得られない。失敗を非難するのは何も進歩するなということに等しい。試行錯誤=Trial and errorは他の多くの分野にも応用出来る。人間の成長は正に試行錯誤の過程であって、子どもの頃に多く失敗すればそれだけ多く学ぶ。イジメや喧嘩なども、どの程度ならどう決着するかは実戦でしか学べない。成長期をオープン戦と見れば、その時しかできない失敗を経験するのは重要である。自分の場合は還暦を過ぎても試行錯誤が続く。今でも失敗があるから進歩すると考えれば気は楽だ。松坂はきっと同じ打者に二度とホームランを浴びることはないに違いない。

3月 14日(水 ) <言葉の力・・>
「言葉の力」を認めざるを得ない。昔、ある政治家(当時野党の幹部)の話を研修会か何かで直接聞いたことがある。それは云いたいことが明確でメリハリもあり心地よいほどに話し上手であった。内容は忘れたが話術に感激したことは覚えている(今の政治家では彼ほどの演説上手を知らない)。その政治家も随分前に引退したが、話し言葉にも力があることを知った。「言葉の力」といえば誰もが本に書かれた言葉で勇気づけられた体験をしているだろう。いや本でなくても、話し相手の一言で大きく傷つくこともあれば元気になることもある。言葉はそれほどにデリケート。個人の感受性で影響の度合いも異なる。世界の名言なども個々人で好みや解釈が変わる。「何かをなそうとする人間は、金がなくて、若くて、かつ無名でなければならない」(絶大な権力を掴んだ後の毛沢東の言)をとりあげて五木寛之(豊かで有名な老作家)が自分もその時期の方が人間らしく生きていたと述懐している文章があった。私などはせめて「若さ」を省いてほしいところ。ついでに共感出来る五木寛之の言葉を探しだした:「人間やらなければならないことが山ほどある。しかし・・必要なことだけをやって過ごす人生などというものは空しい」。「言葉の力」を活用するには元気になる言葉だけを選択して取り込むことが一番だ。

3月 15日(木 ) <会食・・>
めずらしく息子と二人だけで食事をした。レストランで、酒を飲んだり、美味しい料理に舌鼓を打ちながら世間話をしているうちに、息子と私の二人だけで夕食を共にするのは初めてであることに気がついた。いつでも出来そうであるが、妻や嫁を加えない食事の機会はないものだ。妻と娘の二人で会食することはどこの家庭でも日常茶飯事であろう。ところが父と息子はなぜか会食の関係が成り立ち難い。そういえば自分の父親とは二人で食事をした記憶が一切ない。父が90歳で亡くなるまでに一度でも二人で会食をする機会があってもよさそうであるが、そうはいかなかった。食事の後、息子がどうしても勘定を自分が払うというので、ありがたく奢ってもらうことにした。こういうこともまた金銭の話以上にうれしい。父にも私が食事を奢る機会を持ちたかったと今になって思う。
3月 16日(金 ) <キャッシュレス・・>
キャッシュレス化がますます加速する。東京では明後日(18日)からスイカ(Suica=JR東日本が開発した非接触型ICカード)が私鉄にも使えるようになる。というより、JRに限定しない新たな鉄道・バス共通非接触型ICカード=パスモ(PASMO)のサービスが始まり、これに伴い、従来のSuicaでも相互に利用出来ることになると云う訳だ。私も以前はSuicaとパスネット(地下鉄・私鉄用)の両方を持ち歩いていたが、これからはSuicaでもPASMOでもどちらかを持っていればよい。SuicaもPASMOも電子マネーとして加盟している店舗や自動販売機では現金がなくても買物できる。小銭がなくても気にすることなく、レジの時間も短縮されるのでこれは便利。まだまだ発展途上のキャッシュレスであるが今後を注目して行きたい。ちなみに、Suicaは、Super Urban Intelligent Cardの略、かつ、スイスイカードの語感、PASMOはPASSNETのPAS+MOREのMO、そして、パスネットの電車も、バスも、あれも、これも、の「モ」であるそうな・・。
「今日の作品」に角形アクセサリー」(陶芸+α)を掲載した。19mm四角ー厚さ5mm程度のミニチュア焼物。こういう小物の好き勝手なデザインも結構楽しい。


3月 17日(土 ) <能に学ぶ・・>
「能に学ぶ身体技法」(ベースボール・マガジン社/安田登著)という本を読んでいる。600年の伝統を持つ世界でも希有な芸能である能に合理的な身体の技法を見出してトレーニングに応用するやり方が解説してある。私が気に入ったのは「力を抜く」とか「捨力」(=世阿弥の言葉)の重要性を説いているところだ。身体の表層の筋肉ではなく、深層筋(特に大腰筋)を重視するので、筋肉(一般的には表層筋)の衰えた年輩者にも大いに有効に思える(勿論、若者やトップアスリートの鍛錬に活用できる)。今日も半日テニスをやったが、このところ膝痛が完治せず恐る恐る動いている様。膝といっても腰や身体全体から影響を受けているのが自覚出来るので、この「身体技法」のトレーニングを即試みている。まず自分自身の大腰筋を意識し、活性化させることから始まる。「すり足こそ大腰筋活性化の王道エクササイズ」のタイトルにしたがって、明日からの犬の散歩はすり足ウオーキング(大腰筋ウオーキング)になるかも知れない。

3月 18日(日 ) <勝負師・・>
「野垂れ死に」(新潮社/藤沢秀行著)を読んだ。カバーに「飲む、打つ、買う、天才勝負師放蕩三昧の80年」とあるが、天才棋士と云われた秀行さんの自伝である。藤沢秀行(1925-)の綴る生涯を読むと人間はジタバタしても生きるも死ぬも人知を越えたところで決まった運命があるように思える。幼児期に死にそうな事故にあったが生き延びた。太平洋戦争の末期には横浜大空襲で九死に一生を得る。胃がん、喉頭がん、前立腺がんと三度の癌を克服。大酒を飲んで、いつでも「野垂れ死に」すると本人はうそぶくけれども神様は決して命を奪わない。競輪や競馬が好きで有り金全てを賭け事に使う。いや借金で賭け事をやって30年前に3億円ほどの謝金があった。愛人のところに入りびたり妻の家に3年間帰らなかったこともある。・・など芸能人並みのエピソードには事欠かない秀行さん、実績が伴わなければただの遊び人であるが、そこが常人と違う。囲碁の王座、名人位、棋聖以外にも、最高齢(66歳)で王座奪回の記録もある。「いくら面白くてもギャンブルは息抜きと心得ていた・・私は自分でも息が詰まるくらい真面目な男なのである」と書いているがこれは本当であろう。それと囲碁や賭博に熱中していた父親が幼児期から囲碁の英才教育をした結果、秀行という人物ができあがったところも興味深い。本(2005年版)の最後にはこんな文がある。「残されたやるべきことはただ一つ。女房より先に死ぬことだ。絶対に先にくたばってやる。・・野垂れ死んでやる。」

3月 19日(月 ) <倉・・>
毎日、早朝と夜の二回犬の散歩で近所をひと回りする。新鮮な発見を伴うウオーキングにしたいのだが毎日のこととなると惰性の散歩になりがちである。もし、これが初めて訪れた都会であれば興味津々で退屈することのない散歩コースでないかと思う。早朝の散歩の時にカメラ持参で歩くと、見慣れた景色も違った意識で観察するようになる。今朝の散歩も新発見をするのだと意気込んでカメラを持っていった。先ず定番コースの西郷山公園(東京・目黒区)からすばらしい富士山がみえた。手が凍える寒さの中、写真を撮ったが遥か彼方の富士は絵にならない。次に私の陶芸作品が展示してあるショウウィンドウの写真を撮った。これは3月2日から陶芸教室のウィンドウに飾ってくれているのだが、こんなに長期の展示は初めて。今朝撮った写真を「今日の作品」に掲載してしまった。また次にやはり代官山のヒルサイドテラスの中にある「倉」の写真を撮って「今日の写真」とした。よく観察するとこの倉は今時よく保存してあると感心するほど風格がある。桜の季節にはこの倉の前のしだれ桜が華やかに咲く。しだれ桜の写真はこれまでいくつも掲載したことがある(=犬と桜=ここ)が、今日の発見は「倉」である。
3月19日@代官山(東京)
3月 20日(火 ) <空港・・>
飛行機をみることは無条件で好きだ。空港で離着陸する飛行機をみていると飽きることはない。少年の頃に港で外国船を見て遠い外国に憧れた思いと通じるものが飛行機にはある。更に、いくら航空力学などの理論では分かっていても巨大な実物の航空機を眼の前にすると、こんな物体を宙に浮かせる人間の叡智に改めて感動する。姿形はどんなであっても無駄なものは一切ない。その形状はもう美の極致といってもいいだろう。こんな飛行機ファンであるから空港についても余り悪いことは書きたくはない。それにしても残念ながら新装なった成田空港の建物、内装には少なからず幻滅をする。外国から初めて日本の地を踏んで税関からでてきた場所は何と狭く特徴もなく日本文化の欠片もないことか。世界に通用する建築家を輩出する日本で空港建築をデザインする人材がないとは思えないのに・・。そして、今時地方都市のターミナルビルでももう少しセンスがあると思われる店舗が続く。要は空港の幹部がどんな建物設備を作りたかったのかが見えない。建築については予算内で収めることだけを考えた風情。国際空港というからには国際コンペでもして世界最高の空港(建築)デザインを取り入れる・・こんなことは誰でもが考えつくことなのに・・。何を云っても今更手遅れが悔しい・・。
3月20日

3月 21日(水 ) <身体の不思議・・>
インフルエンザ治療薬「タミフル」が10代の患者への服用を制限されることとなった。厚生労働省は苦渋の決断。一方、タミフル服用後に子どもが異常行動で突然死した遺族は遅過ぎる制限、中途半端な服用基準と非難する。現代の医学の進歩は目覚ましいものがあるが、人間の「身体の不思議」を考える時に解明されている分野はほんの一握りではないかと思うほどに未知の事柄は多い。タミフルの問題でも厚生労働省も医学の専門家も分からないことばかりなのだ。タミフル服用後の異常行動が成人では発生していないことを知って、私は17000HZの高周波音(モスキート音)が聴こえるのは10代までという聴覚の不思議を思い出した(=2月3日コラム参照=ここ)。成人には有効なインフルエンザの薬が一部10代の身体(脳)に特別な副作用を及ぼす可能性は十分にある。ただしこれを証明することが現段階ではできない。では我々はどうやって薬害から身を守るのか。薬と名のつくものは認可の如何にかかわらず極力服用しない・・これしかなさそうだ。
「今日の作品」に「角形アクセサリー第二弾(陶芸)」を掲載した。四角型のアクセサリーを作り始めたきっかけは、自分のキーホールダが壊れてしまったこと。今は写真に掲載したような陶器で作った
アクセサリーをキーに付けてを愛用している。

3月 22日(木 ) <渋谷のカフェにて・・>
いま渋谷の"NEW YORKER'S Cafe"というカフェでノートパソコンを開いてキーボードを叩いている。渋谷のアップルーストアにノートパソコン2台を引っさげて修理にいったところ、予約制で1時間15分待たなければならなくなった。近くの東急ハンズで時間をつぶそうかと思ったが、ノートパソコン2台(各Power Book G4)を持ち運ぶのは結構重たいので、カフェに入って280円のカフェラテを注文。せっかくパソコンを持参しているのでDreamweaver (=ホームページ作成ソフト)を開き、このホームページのコラムを書き始めたという次第だ。ノートパソコンの故障といってもキーボードの「F」のキーが外れてガタ付いているだけ。接続用の小さなプラスチック部品が破損しているので取り付けの要領を聞くためにアップルストアを訪れた。もう一台の同型のパソコンは息子が廃棄しようとしたものを譲り受けたもの。キーボードの交換予備として十分に役に立つ。それにしても1時間以上待たされるのは誤算。このカフェ、一人用のゆったりとした皮の椅子が心地よく膝にパソコンを置いて作業するのには絶好である。・・その後、予約時刻にアップルストアでキーボード修理。所要時間は1ー2分。渋谷のカフェでパソコンを開いていた時間もよき経験と思おう。

3月 23日(金 ) <彼岸桜と金塊と・・>
「今日の作品」に「彼岸桜(水彩)」を掲載した。このところ陶芸作品ばかりを掲載して”絵”は一ヶ月近く新作がないのでストレスが溜まっていた。何でもいいから猛然と”描きたく”なるから面白い。今日は眼の前にあった数日前に花屋さんで購入した彼岸桜を無心で描いた。買った時は蕾であった桜が彼岸に合わせて咲き始めたが、この花は満開になっても目立たず地味であるのがむしろ好ましい。背景は桜の邪魔にならぬように遊んで描いた。
今日はもう一つ「金塊」のことを書こう。この前の日曜日18日に飛騨・高山で100kgの金塊が盗まれた事件があったが、4人組の盗人はまだ捕まらない。逮捕まで待ちきれないので、ニュースで報道された「おおよそ20cm四方の金塊100kg」を検証してみた。一辺20cmの立方体の水の重量は8kg(10cmの立方体=1リットルは1kgでこれの8倍)。金の比重は19.3(水の19.3倍)であるから、20cm立方体の重量=8×19.3=154.4kg。”おおよそ”をもう少し正確にすると、17cm×17cm×18cmの金塊ならほぼ100kgである(17cm×17cm×18cm×19.3=約100400グラム)<ちなみに鉄の比重は7.86で、金は鉄の2.4倍も重い>。更に100kg、約2億円の金塊と報道されたが、今現在の金の価格は2600円/gr以上であるので、100kgならば時価2億6000万円だ。・・まあ、どうでもいい話ばかりであるが、時には頭のトレーニングになる(?)。


3月 24日(土 ) <パリの歌舞伎・・>
パリの歌舞伎公演がスタートした。23日(日本時間24日)にパリ・オペラ座で史上初の歌舞伎公演が初日を迎え、「終演後は何度もカーテンコールが繰り返され、團十郎と海老蔵が手を取り合って舞台に登場すると、大勢の観客が立ち上がって盛大な拍手を送った」と報じられている(産經新聞)。オペラ座初お目見えの「口上」は出演者全員がフランス語であいさつ、團十郎の「にらみ」に観客は息をのみ「勧進帳」の六方(=弁慶が最後にみせる飛び六方と云われる歩く芸、6方向に手を動かしながら豪快に飛ぶように歩く)の迫力にどよめきが起き「ブラボー」の声が響き渡ったと聞くと大成功の公演であろう。フランスのシラク大統領が歌舞伎や相撲に造詣が深いことは知られている。これは単なる外交辞令でなく日本の文化に対する興味は本物のようだ。アニメ等も含めてフランス人と日本人の感覚には相通じるところが多いのかも知れない。歌舞伎公演がロンドンならば誇り高い評論家は歌舞伎をどんな風に揶揄するだろう。ではニューヨークならどうか・・。異質な文化を認めるとき、自分の文化もまた新たな成長をすることを思えば、どの国、どの民族で歌舞伎が評価されるかも興味深い。やや飛躍するが、個人でも自分と異質なものを認めることは成長する力がある証(あかし)であろう。自己流以外何にも興味が持てなくなったら終わりだ。
3月 25日(日 ) <卑しさがないこと・・>
経済小説といわれる分野を開拓し、伝記作家としても知られる城山三郎が22日、79歳で亡くなった。私が毎日チェックする(インターネットです)主な新聞のコラム=朝日<天声人語>、読売<編集手帳、よみうり寸評>、産経<産経抄>、毎日<余録>、日経<春秋>、東京<筆洗>の全てで23日あるいは24日に城山三郎の死去について触れていた。こういうことは非常に珍しい。それほどに新聞記者に好まれた作家であったのであろう。私の場合は広田弘毅をモデルにした「落日も燃ゆ」、「素直な戦士たち」などは読んだ覚えはあるがとても愛読したとは云えない。新聞のコラムで取り上げられた城山三郎の言葉の中に「”卑しさがないこと”こそホンモノの人間の一番大切な尺度」というのがあった。ホンモノとかウソものを云々するのは趣味ではないが、私にとっても「”卑しさがないこと”は人間を計る一番大切な尺度」である。学歴、地位、業績、お金などを獲得した人は世の中に数限りなくいるけれども、同時に”卑しさがないこと”は存外に少ない。何がなくても”卑しさがない”人を尊敬する。

3月 26日(月 ) <松本城・・>
久しぶりに松本城(長野県松本市)の天守閣に登った。東京に戻る列車の時間を調整して立ち寄った松本城。昔、スエーデン人を案内しながらこちらも初めての松本城を訪れたのは20年も前のことだ。その時は外人の接待ばかりに気を使ったのか、城の構造や風景の記憶がほとんどない。今日は快晴に恵まれ、背景の日本アルプスと城の美しいバランスに感動。また城壁の石組みが比較的小振りな石を巧みに使用しているのも面白く、場内に展示されている鉄砲や武器なども興味深く見学した。松本城は別名「深志城」とも呼ばれる。深志は松本市のこの地域の地名(深瀬郷ー深志郷から転じたと云われる)。名門の松本深志高校などでも知られる地名だ。松本城の呼び名が今はポピュラーだが深志城もなかなかいい名に思える。
松本城/3月26日

3月 27日(火 ) <立方体・・>
「今日の作品」に「130mm立方体(陶芸)」を掲載した。「立方体」にはいまだに思い入れが強い。30代の頃には立方体と名の付くものを片っ端から収集した。ルービックキューブ各種(各種と云うのは通常の一面3×3のみでなく、4×4、あるいは小型版など)、バズル各種、サイコロ各種(サイコロ型仕掛け箱などもある)、キューブ型オルゴール、キューブ型時計、キューブ型ガラス、プラスチック、金属などなど。コレクションをしている当時には自分が制作者になるとは夢にも思わなかったが、陶芸にキューブ型を応用するといくらでも新しいアイデイアが湧く。今日の作品に掲載した「立方体」は完成寸法で一辺130mmの大きさのキューブ。10mmの孔と5mmの孔(=外周部)を自在に貫通させている。10mmの孔は長いドリルをほぼ貫通させることができるが、5mmのドリルでは貫通させるには長さが足りないので両端から孔をあけてつないだ後に棒を通す手間をかけた。粘土の塊は空気が内部に封入されると焼成時に破裂するので孔を多くあけることは空気抜きの意味もある。今回外部にひび割れもなく無事に焼成することができた。問題はこのキューブの用途である。私の筆立にすることはできるが他にどう使用するかこれからのアイデイア次第。「今日の写真」には花を添えた(キューブの孔を見せるためあえて花を活かしてはいない・・念のため)。用途を工夫して少しは役立つ「立方体」とするのがこれからのお楽しみ・・。

 3月28日分
3月 28日(水 ) <ミシュラン・・>
ミシュランはフランスの大手タイヤメーカー、世界最大のタイヤ会社である。ミシュランタイヤというと一般的にはタイヤを何重にも冠った格好をしたマスコット人形(ビバンダムと呼ばれる=ここ)で知られる。また最近では、ルノー傘下となった日産自動車の最高経営責任者カルロス・ゴーン氏の経歴が、当初ミシュランに入社し、ブラジル・ミシュランの社長などを経てルノーの幹部となったことが話題になった。一方でミシュランというとレストランを三ツ星で評価する赤い表紙の旅行ガイドブックを思い出す人も多いだろう。レストランのガイドをなぜタイヤメーカーがするのか疑問の思ったこともあったが、創業者のミシュラン兄弟が自動車の時代を予見してミシュランタイヤの宣伝のためサービスとして都市ごとの名所、ホテル、レストランの案内本を作ったのが始まりだと知った。1900年に35000部を無料配布したというから100年以上の実績がある。ホテルやレストランを格付けする際、身分を隠して自費で飲食するなど厳格な調査をすることでも知られる(最高が三ツ星)。・・今日のニュースで初の日本旅行ガイドがミシュランから発行されると報じられた。まず観光地では三ツ星は東京、京都、奈良、日光、富士山、姫路城、厳島神社、飛騨高山とか。広島、神戸などは一つ星。東京の中でも明治神宮や新宿御苑などが三ツ星とある。日本の場合、ホテルやレストランの格付けがどうであるのか興味深い。いまはレッドガイドブックは勿論無料ではなく3000円以上である。
「今日の作品」に 「130mm立方体B(陶芸)」を掲載。ガラスの棒を付けて写真を撮った。

3月 29日(木 ) <陽気・・>
今日は日本列島、初夏の陽気。東京でも桜は一挙に開花が進む。春の到来は喜ばしいが身体がたるんでくると気力も失せるのだろうか、何をやるにしても動作が鈍く、我ながら気合いが入っていないと自覚する。気候と精神の相関はどれほど解明されているのか知らないが、心地が良過ぎると人の頭は働かない。どうも身体でも頭脳でもフル稼働させるには緊迫感が必要であるようだ。人間は楽をすることに際限を持たない。言葉足らずであると誤解されるが、福祉や介護にしても人はこれで十分とは云わない。お金はもう要りませんということがないのと似ている。そういえば、いくら寿命が伸びてもこれで十分とも云わない。陽気がよくなってくると自分の「甘え」の構造にどうやって緊張を持たせるか意識していないと、本当にボケてしまいそうになる。今日の写真は「桜」も撮影したが、朝の犬の散歩で通る裏道で見つけた「外観が面白い店」をあえて掲載する(下記)。こういう「目を覚まされる」新しい店舗は歓迎だ。
3月29日@代官山/東京

3月 30日(金 ) <目黒川の桜・・>
二時間ほど前(30日午後5時)に撮影した目黒川沿いの桜の写真を下に掲載した。いつもは夜暗くなってから散歩するのだが、今日はまだ明るいうちに満開の桜を見るためにアール(コーギー犬)を連れてでかけたという訳である。我が家から目黒川へ行く道はいろいろあるが、今日は新道坂という坂を下り目黒川沿いに渋谷(大橋)方面に歩いて「目切り坂」を上って帰ってきた。目切り坂は昔この近くに石臼の目切りをする石工が住んでいたのでこの名前がついたとか、斜めの切り通しが石臼の目切りに似ていたためとか云われる。いずれにしても旧鎌倉街道として昔は重要な交通路であったようだが今はほとんど人が通らない静かな坂で散歩道としては気に入っている。桜に話を戻すと、目黒川の桜は最近有名になって訪れる人も多い。中目黒駅から2-3kmを川沿いに歩くコースは短時間で桜を満喫できるのでお勧めだ(=ここ参照)。それにしても目黒川自体は一昔前に川の氾濫を防ぐためだけに作り上げた両岸コンクリートの壁(現代の切り通しのようだ!)の無様な河川である。周辺の桜が美しければ美しいほど、これで川のコンクリートの護岸がもう少しでも”愛想があれば”どんなに素敵になるだろうにと思う。写真はできるだけコンクリート壁が目立たないショットを選んだ。
3月30日@目黒川/東京
3月 31日(土 ) <中国のジェット機・・>
昨日、中国・上海で初の国産技術で開発した中小型ジェット機の機体組み立て開始の式典が行われたとのニュースがあった。年内にも1号機が完成して国内の航空機需要に対応する他、海外に輸出する方針だと云う。先に中国は「2020年までに国産の大型航空機(装備重量100トン以上)を持つ」という国家プロジェクトを発表しており、着実にその路線を推進している。中国に比較して日本では最近この種の国家プロジェクトが全く見えなくなった。日本で開発した唯一の旅客機YS11は確か昨年であったか全て引退した。YS11の初飛行は1962年であるから、東京オリンピック(1964)の2年前。この頃日本はやる気があった。そして中国では2008年の北京オリンピックを前にして元気がある。人口13億人(面積は日本の25倍)、核保有国で、有人の人工衛星を飛ばす中国が相応のポテンシャルを持っているのは云うまでもないが、現在の中国は極めて有利に国家プロジェクトを推進する条件がそろっている。日本とは比較にならぬほどの経済格差社会となっていても中国国内では格差を問題にする論調は封じ込められる。情報開示など元よりない。情報の規制や情報操作は当たり前。全て実質的に権力が集中した一党独裁のもとでの政策であるからやることは素早い。こんな条件で日本などとても中国と競うことはできない。日本の国会議員が日本は遠からず中国の属国となりかねないと発言したのも無理なく思える。それにしても仮に1億人が豊かになっても、まだ12億人が貧しいとは中国も大変な国である。
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