これまでの「今日のコラム」(2007年 6月分)

6月1日(金)  <デジカメが故障>
デジカメが故障した。一年ほど前に突如モニター画面が表示されなくなったのを修理したばかりである。その時には特別の3年保証とした期間ギリギリで無償修理とできた。今回の故障もやはりモニターの画面が見えなくなったけれどもシャッターを押すと撮影はできる。ズームをした場合の画像を事前に見ることができない不便さはあるが、とにかくも撮影出来るし再生画面は表示する。奇妙な故障であるがそのまま使用することはできない。このデジカメの前にはニコンのCOOLPIX950という機種を使った。カメラの機構は好きだったが、このカメラもよく故障した。何度新宿のサービスステーションに通ったことか。最後にはサービス員がデジカメは家電と同じで数年すると寿命ですねというのでそのカメラは廃棄した。その次には今のキャノン製に変更。これも家電並みに数年で故障するから上手く設計してあると誉めるべきか。キャノン製も捨てて、次には妻が持っている富士フィルムのFinePixを使うことにしようと思っている。こうなればメーカーにこだわらない。そのまた次ぎにはソニー製、その後はカシオ・・、ペンタックスもよさそうだ。各メーカーの比較をしながら交換するのも面白いかも知れない・・。

6月2日(土)  <ランボルギーニ>
ランボルギーニ・カウンタックに出会った。30年ほど前に(専ら当時小学生であった息子の受け売りで覚えた名前だが)スーパーカーブームの牽引役となったこのイタリアの名車に今ごろ公道で並んで走ることができたのは奇跡ではないか。朝7時半頃に自動車で首都高速を通ったのであるが思ったより渋滞した。のろのろ運転をしながらふと直ぐ前の車をみると白いランボルギーニ。スーパーカーマニアではなかった私でもそのスタイルと名前は懐かしい。今たまたま陶芸で彫り物のデザインを検討している最中なので、真後ろから見たランボルギーニのテールランプの配置や形状に引きつけられた。渋滞が長く続いてくれと思いながら陶芸にどうランボルギーニのデザインを応用するかを考える。・・こんなドライブをしながら今日は木更津(千葉県)で穴窯の「窯出し」に参加した。前に夜を徹して薪を焚いて1250度まで温度を上げた窯を一週間かけて自然に温度を下げる。そして今日はじめて窯を開けて中身を取り出す段取り。「火の力」の成果をみる瞬間は感動的である。焼き上がったばかりの私の作品の一つを「今日の作品」に掲載した。これは事前に軽く釉薬をかけているが穴窯の本来は灰の釉のみで模様をつける方が趣がでるとも云われる。自分では細かい反省点は多々あるけれども全て火のなせる技。出来上がった作品に異存はない。
  6月3日コラム分
6月3日(日)  <灰かぶり>
「今日の作品」に「お椀2 by 穴窯(陶芸)」を掲載した。穴窯で焼成した作品の第二弾。昨日掲載した「お椀」と同種のお椀であるが「灰かぶり」の程度が違うので風情が随分異なっている。穴窯では燃やした薪の灰が作品にかかり釉薬の役目を果たす。窯の部屋のどの位置に設置されたかで灰の量が異なる。ちょっとした場所の違い(前に大きな作品があるとか作品間の距離の違い等)で火や煙の流れ具合に差が生じて灰のかかり方も異なると云う訳である。同じ素材でもたまたまの位置で仕上がりが異なるのを見ると私は人間の運命を連想してしまう。人は成長段階でどのような環境に接するかで進路が決まることが多い。先生や読んだ本の影響で専門分野が決まることもあれば自分の適性が発見されずに成人することもある。ただし人間は陶芸の作品とはことなり成人してから自分の意志で進路を改めることもできる。灰かぶりが少ないと云って運命を嘆くのは本人の怠慢であろう。それにしても人間もまた陶芸作品も「灰かぶり」が多ければいいと云うことでもない。できあがった”景色”をいかに評価しどう感じるかはひとそれぞれである。
6月 4日( )  <まり子美術展 >
まり子美術展にいった。正確にいうと「ねむの木の子どもたちとまり子美術展」。この美術展は宮城まり子が設立した肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」のこどもたちが描いた絵を展示したもの。これまでに東京(1976)、ニューヨーク(1977)、パリ(1987)、ケルン、ローマ(各1991)などで展覧会が開催され高い評価を得ているが今回ねむの木学園創立40年記念として東京の森アーツギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)でまた公開されている(7/1まで、入場無料!、案内=ここ)。海外での評価を引き合いに出すこともなく私にとっても絵画の内容は衝撃的であった。どの絵にも邪念がなく描く喜びが伝わってくる。特別の子どもの絵とは思わずに画家の作品としてみて飽きることがない。職業画家の展覧会などよりはるかに感動を呼ぶのが何故か、人間の能力とは何か、感性とは何か・・鑑賞しながら次々に思いが巡った。いずれにしても宮城まり子さんというお母さん(子どもはみなそう呼ぶ)指導者がいなければこれほどの「画家」の誕生はなかったのは間違いない。かつて歌手・女優として活躍された宮城まり子さん(1927年生まれ)は今は80歳。そのバイタリテイと無私の心が何処から来るのか・・、彼女が信心深いクリスチャンと知ってはじめて納得した。
6月 5日(火 )  <たけくらべ >
今年156日目の今日、「日めくり音読カレンダー」(=1月2日コラムに記載=ここ)をめくると樋口一葉の「たけくらべ」だった。早速声をだして読み始めたがスラスラとはいかぬ。文章の切れ目の句点(。)がないままに一枚のカレンダーは終わってしまった。この際またWebの世話になって全文を速読した(=ここ)。樋口一葉(1872-1896)が小説「たけくらべ」を書いたとき(1895-1896/明治29年)当時の文壇の3権威、森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨が口をそろえて絶賛したといわれる。そのとき一葉は24歳、しかしながら、その年の11月に短い生涯を閉じる。肺結核であった。作家生活もわずか14ヶ月という。生活が苦しくいわばお金を稼ぐために「小説」を書いた短い期間に日本の近代文学史に残る作品を残し、平成の今、一葉の肖像が5千円札紙幣を飾る。それにしても24年間の生涯は余りにも短い。不思議なことに享年24歳の有名人は意外に多い。人見絹枝(1907-1931/日本人女性初のオリンピックメダリスト)、立原道造(1914-1939/詩人&建築家)、ジェームスデイーン(1931-1955/俳優、私の知人(女性)で彼が事故死をした場所を定期的に訪れる人がいる)。
生きた年数とは無関係にそれぞれの人生がある。
6月 6日(水 )  <今日は何の日 >
書くネタがないときには「今日は何の日」かを思う。6月6日は何かの日であるに違いない。自分で考えてみると、轆轤(ろくろ)の日とか無霧の日、無夢の日、逃げるが勝ちの日(6×6=36、三十六計)・・、どうもうまい記念日は浮かんでこない。実際の「今日は何の日」を調べてみると、今日は「楽器の日、おけいこの日、邦楽の日」とある。昔、踊りや邦楽などの芸事は6歳の6月、6日からはじめると上達するとされたことからこの日を定めたそうだ。ほかに「コックさんの日」があった。「かわいいコックさん」の絵描き歌の歌詞「6月6日に雨ザーザー降って来て・・」からという。5月5日と7月7日の中間にある日としてはこの日は特徴がない。今日が誕生日の有名人もやや地味で、中尾ミエ(歌手、1946)、ビヨン・ボルグ(スエーデンの往年の名テニス選手、1956)など。・・特別の記念日でもないこの日であるが自分でやるべきことは大いに進展があった。「○○制作の日」なんて後日自分の記念日とすることが出来るかもしれない。

6月 7日(木 )  <紫陽花 >
「紫陽花の 末一色と なりにけり(一茶)」。紫陽花の季節となった。我が家のガクアジサイは一昨年に根元から剪定したので昨年は花をみせず今年は2年振りに大きな花を咲かせた(下部写真)。ガクアジサイというと絵を描き始めた頃、細かく写生した覚えがあるので見直すとこのホームページにも絵を掲載していた(=ここ、1993年の作品だった)。球状の大きな花を咲かせるアジサイが「西洋アジサイ」であるのに対して、この「ガクアジサイ」は日本が原産だと云う。今日は犬の散歩道でハッとするような鮮やかな青色の「西洋アジサイ」が山のように沢山咲いているのをみた。「アジサイ」の語源は「あづさい<集真藍>=藍色(真藍=さあい=さい)が集まったもの」と説明されているが、「アジサイ」に「紫陽花」の漢字を当てるのは理屈ではなく覚えるのみであるようだ。紫陽花の花言葉は「辛抱強い愛情」。さて庭の紫陽花は我が家の中に取り込むことにしようか・・。
6月7日

6月 8日(金 )  <線描皿 >
「今日の作品」に「線描皿C by 穴窯(陶芸)」を掲載した。先日、木更津(千葉)の穴窯で何日間も薪を燃やして焼成したものの一つ(5/23,5/26コラム参照=ここ)。本来、穴窯による焼成は火の勢いとか自然の灰釉の荒々しい仕上げを期待するので、「線描」した素材を穴窯で焼くのは”勿体ない”、”バカらしい”と忠告をされていたが、あえて電気窯で焼成したものと比較したいので穴窯を試みた。結果的にはこの線描皿は電気窯とほぼ同等の線が残った仕上がりとなった。穴窯ではあえて火の影響を受け難い場所(=火裏という/火前、火中ではない)に置いたので灰の影響が少なかったと見られるが、同じ火裏に置いた黒化粧に線描をした皿は線はほとんど見えなくなるほどに自然釉を受けた(陶芸コーナーに黒化粧分も掲載=ここ)。しかし、線描が残った皿の方も電気窯での焼成と比べると明らかに自然の灰釉の造作を認めることができる。やはり穴窯では計算も予測もできない成り行きであるところが面白い。今日の作品の「線描皿C」は穴窯でたまたま成功した貴重な線描皿である。


6月 9日(土 )  <心理療法 >
心理療法には様々な方式があるようであるが、最近アメリカで治療を受けた人から興味深いやり方をきいた。治療といっても特別に障害がある訳ではなく幼少時からの先生のプレッシャーが大人になっても抜けきらないことを相談した話。カウンセラーは来談者(クライエント)を椅子に座らせて、その前にも椅子を置きそこに先生が黙って座っていると想像して自分が云いたいことをしゃべらせる。初めは話せなくてもいい、徐々にでも何が嫌だったか、負担になったか、納得出来なかったかなどを口に出して話す。次の機会に、自分が先生の椅子の場所に座り先生の立場になって、先に自分が疑問を呈したことに対して一つ一つ先生が弁解するように話してみる。こうして役割を転換してみると、その後”先生を理解し、許せるようになった”とクライエントは話していた。「相手の立場になって考える」などと言うは易く行うは難し。具体的な手法としてこの療法は参考になる。先ず時間をかけて自分の心の中身を洗いざらい吐き出すのが有効なのが分かる。次に時間を置いた後に役割を交換して、相手の立場を”演じる”ところがユニークだ。この技法、夫婦間の不満や行き違いの解消にも使えるかもしれない。
6月 10日(日 )  <ベーゼンドルファー >
今日の毎日新聞「憂楽帳」にピアノの「ベーゼンドルファー」の話題が掲載されていた(Web記事=ここ)。ピアノの名器、ベーゼンドルファーがある国の在ウィーン大使公邸に置かれているのだが、ほとんど演奏されずに、パーテイー時の食器やグラスを置く配膳台として使用されたりしているので、ウィーンの音楽関係者が外交センスを皮肉っていると云う内容だ。これは他人事(他国事)ではない。世界の三大ピアノと云われる「スタインウェイ(ドイツ製)」、「ベーゼンドルファー(オーストリア製)」、「ベヒシュタイン(ドイツ製)」は日本各地の音楽会場や公共施設に数多く輸入されている。これらの世界の名器がフルに演奏に活用されているかは疑問である。せっかくいいピアノがあるのに演奏機会が少ないため宝の持ち腐れでピアノ自体も劣化する(音が悪くなる)という話を聞く。ピアノは名演奏を奏で人に喜ばれることで活性化する。Webでみつけた例では、杉並公会堂(東京)は世界の三大名ピアノを全て取り揃えていることを前面にだして「三大ピアノの共演ができ音色を弾き比べることができる」と宣伝している。確かにこういう使い方もある。日本のヤマハピアノも世界のピアノとして実力があると思うが、世界の三大ピアノ+ヤマハ、どんなによい楽器でも演奏されなくては意味がない。名器たちには「音色」で活躍して欲しい。
6月 11日(月 )  <アートで候>
「アートで候。会田誠、山口晃展」をみた(@上野の森美術館<東京>、6月19日まで、Web=ここ)。会田誠は1965年生まれ、山口晃は1969年生まれ、共に東京芸大ー大学院出身のエリートで”現代美術界の牽引者”である二人展。1962年生まれでやはり東京芸大大学院卒(博士号まで修得している)の村上隆は作品がサザビーズのオークションで1億円を越す値がつくなど世界的に(=米国のポップアート市場で)大活躍をしているが、この二人展を見始めたとたんに村上隆を思った。現代アートに流行があるのか知らないが村上隆の大富豪への路線の影響は後輩達にも広く浸透しているかにみえる。実のところ展覧会を見た後、妙に疲れてしまった。どんな展覧会でも普通は何らか刺激を受けて元気をいただく。今回も山口晃の超細密なペン画や日本の古美術を取り込んだアイデイアなど触発されなくはなかったが、それにしても何でくたびれるか考えてみた。一つは”才気”が負担になる。無心ではない。素直に描きたいから描く絵画ではない。いわば需要に応じて、評価サイドを見据えて描く匂いがする。それからコンピューターグラフィックを使用した大画面にも抵抗がある。まあ、現代アートとしてはそれもありであるが、何か魂の叫びといったものが見えないのだ。多分、才能があり、豊かなのだろう。それにしても”描く”とは何だろう。現代の画家は何を表現したいのだろう・・。

6月 12日(火 )  <神非守人・・>
「神非守人人実守神」。これは副島種臣の書にある言葉で種臣の造語という。”神が人を守るのでなく人が神を守る”とは何と自由な発想か。副島種臣(1828-1905)は幕末の佐賀藩士で江藤新平や大隈重信らと共に佐賀七賢人と呼ばれた。明治時代の政治家(枢密院議長、内務大臣など)として知られるが「書家」としての側面が没後100年を経てなお注目されている。種臣の回顧展が佐賀で開催された後、今東京で「特別展/蒼海副島種臣全心の書」が開催されている(@五島美術館<東京世田谷>、6月17日まで)。今日この特別展を見たのだがある種の興奮を覚えた。冒頭の言葉を造り出す種臣であるから書体は自由奔放、それでいて全体のバランスはきっちりと押さえている。「破格の書」といわれるが、私にはまさに現代アートを見る思いがした。正統派の書体を捨て去り独創の筆致をあみだした種臣は100年後に一層輝きを増している。明治の初期に日本にはモダンアートに匹敵する独創の書があったのである。種臣は自分の書を「全心の書」といった。小手先のテクニックでなく全心を込めた作品は見る人の心を打つ。<五島美術館には広大な庭園が付属している。庭園内の赤門付近に鴨が一羽遊んでいた>
6月12日@五島美術館

6月 13日(水 )  <色・・>
「色」とは微妙なものである。パソコン処理をした写真をカラープリンタで印刷を続けているところで突然色が変わった。青のインクが足りなくなったようで、真っ青の空は淡い夕焼け、山は新緑が紅葉の趣となった。写真でなく絵を描いているのであれば、いい絵画として使えそうだが・・。これを機会に「色」について改めて復習した。印刷用のインクは絵の具と同じく、赤、黄色、青の「色の三原色」から全ての色が作られる(三色を混ぜると黒)。テレビ、パソコンなど光で色をだす場合は「光の三原色」=赤、緑、青(RGB=Red-Green-Blue)が基本。光では、赤+緑+青=白、赤+緑=黄となる。人間が色を知覚するのは眼が光(光の波長)を検出できるからである。眼の網膜には赤ー緑ー青に強く反応する細胞がある。レチナールと呼ばれる細胞中の色素に光が当ると瞬時に色素が変化し、これが脳に伝達される。RGB三つの視細胞の刺激の程度によりあらゆる色が判別できる訳である。例えば赤と緑の両方の細胞から信号を受取ると脳は黄の光と認識する。人は三色型の色感であるが他の動物の色感は定かでない。ある種の魚や亀は4原色の色を知覚するとか、哺乳類は2色型が多いとか云われるようだ。色に関する感度は人間が他の動物より優れているなどとは云えない。それぞれの動物が地球上の景色を自分に最も適した色でみているのが面白い。

6月 14日(木 )  <雨の木曜日・・>
雨の木曜日かな・・。天気予報は一日中雨と報じられていたので起床する前から今日はテニスに行かずに絵を描くことに決めていた。早朝にはどんより曇っているが雨は降っていないのでいつものように犬の散歩。朝食を済ませて普段はテニスにいく時間になっても雨はまだ降らない。決めた通りにテニスは諦めて絵を描くことにした。先日、副島種臣の書を見てから無性に墨の絵を描きたくなったのである。「今日の作品」に掲載した「墨+ペン」がこの時間の成果。墨の絵なので半紙を使い、墨だけでなく細いペンも使用してみた。最後に色のアクセントを付けてみたくなり、水彩の色を少し加えた。いつもの木曜テニスから帰ってくる昼前の時間になっても雨粒はなし。墨絵の方は十分に仕上がった。ほんの少しの時間をとれば絵を描けるのに、絵画のアウトプットが少ないとまた反省。雨は夕方になってようやく降り始めた。気象庁は関東地方が今日午後梅雨入りしたと発表。それにしても雨量は少ない。


6月 15日(金 )  <トンボ・・>
今日、自宅の側でシオカラトンボをみた。梅雨入り宣言があった翌日、朝のうちに雨は上がり午後から真夏のような強い日射し。こんな時にシオカラトンボだ!都心では最近ほとんどトンボをみる機会がなくなったので懐かしいというより貴重なものを発見したように感動する。シオカラトンボの灰白色と黒色のツートンカラーは成熟したオスで、メスや未成熟なオスは黄系の色であるのでムギワラトンボと呼ばれる。子どもの頃は田舎でトンボをいつまでも追いかけていたなあ〜。「蜻蛉(とんぼ)釣り 今日はどこまで いったやら(千代女)」。江戸時代の俳人、加賀千代女(1703<元禄16年>-1775 )の句には 有名な「朝顔に つるべ取られて もらい水」のように朝顔の俳句が多いが、「蜻蛉(とんぼ)」の句もまた多い。「行く水に おのが影追ふ 蜻蛉かな」、「干物の 竿をせばめて 蜻蛉かな」(各、千代女)。トンボが竿の先にとまる習性を詠んだこんな俳句を見つけた:「蜻蛉や 何の味ある 竿の先(探丸/芭蕉七部集より)。・・今日はとんぼに癒されてしまった。

6月 16日(土 )  <煙突・・>
文化審議会が福岡県田川市の二本煙突と竪坑櫓などを有形文化財に登録するように文部科学相に答申したとのニュースをみた。煙突(高さ45.5m)は炭坑節で「あんまり煙突が高いので・・」と歌われたアノ煙突である。私はどうしても都心の巨大なオフィスビルよりもモノヅクリに関連した煙突に愛着がある。子どもの頃に毎日通学しながら見たのは七本煙突と溶鉱炉だった。今でも川崎の工場街を車で通ると”いい景色だ”といって他の人からは笑われる。今日はまた青山通り(東京都心のメイン通り)の直ぐ側の友人宅を訪れた時に突如煙突が目についた。何か尋ねると「銭湯」の煙突だと云う。こんな都心にまだ銭湯があるのかと少なからず驚いた。後で調べるとなんとこの南青山(表参道駅の直ぐ側)の銭湯はホームページまで持っている(=ここ)。ついでのことながら、数年前に東京都には約940軒の銭湯があったが、その後今までに約240軒ほどが廃業したようだ。先の銭湯(清水湯)は港区にある7-8軒の内の一つ。10年前には我が家の近所にも銭湯の煙突があったが今はマンションになってしまった。近所には別に大きな煙突が2カ所できた。このゴミ焼却場の煙突には何故か余り感動しない。
6月 17日(日 )  <父・・>
「父は永遠に悲壮である」と云ったのは萩原朔太郎(詩人、1886-1942)。私の父が亡くなって20年以上経つ。今になってふと父を思い出すとき複雑な思いがする。母との親密度と比べると父との結びつきは非常に薄い。親しく話したり個人的に遊んでもらった記憶がほとんどない。一般的に父親との関係が希薄であるとはよく聞く話であるが、私は父の45歳の時の子と年齢は離れていたこと、兄弟が多く自分はその中の隅の一人であったこと、戦後の混乱期でみな生活するだけでも大変であったことなどが更に結びつきを薄く感じさせたのだろう。そんな数少ない思い出の中に、父が「彼も人なら我も人なり」と思ってやれと励ましてくれたことを覚えている。その頃、父のことを「我も人なら彼も人」の情感がないと批判的に思っていた私は、その言葉で父自身が他人に負けないように努力し、悲壮に生きていることをはじめて理解した。今の私の年齢の頃に20歳そこそこの息子がいたら何を話していいか分からないのは自分でも同じ。言葉を交わさなくても色々な気遣いがあったのだと後で気がついたことも多い。父の晩年、身体が動かなくなった父を背負って病院に連れて行こうとしたが重くて歩くことができなかった。それが唯一の父を背負った体験である。今日は「父の日」。もはや父の身体を背負うことはできないが父の重さをあらためて感じるこの頃である。

6月 18日(月 )  <あさざ・・>
「あさざ」(ペン+水彩)を「今日の作品」に掲載した。先日、自然教育園(東京・白金)にいった時に「あさざ」の看板を見つけて興味を持った。黄色い花がなければただの睡蓮と思って通り過ぎたかも知れないが、「あさざ」の名前を知らなかったのでこれを描こうと思った。以下は描いた後に学習したことである。「あさざ(浅沙)」は池や沼など浅い水辺に生えることから、「浅く咲く」→「浅咲」→「あさざ」と呼ばれるリンドウ科の植物。卵形の葉が水面に浮かび、夏のある時に黄色の5弁の花が咲くと説明されている。つまり花が咲くのは晴れの時だけで曇りや雨の時には咲かない、あるいは別の解説では花は午前中のみ開くとか(また朝20度以上の気温がないと咲かないとか)、一日で咲き散る花であるとか、なかなか見ることの出来ない”幻の花”とも云われる貴重な花であることを知った(名前の語源も”朝咲く”から来たという説もあるようだ)。また白い花が咲く「睡蓮」や「蓮(はす)/レンコン)はいずれも「スイレン科」であるのに、リンドウ科である「あさざ」の葉は睡蓮とほとんど同じような形をしている。なぜ「あさざ」がリンドウ科なのかは分からない(自然教育園の看板には「あさざ」は「みつがしわ科」とでていたが・・)。植物の分類は調べて行くと奥が深く複雑だ。いずれにしても都心でたまたま「あさざ」の花を観察し描くことが出来たのは非常に幸運であった。


6月 19日(火 )  <松濤・・>
「松濤」の名がニュースのトップにある。今日午後二時半頃に渋谷区松濤の温泉施設(女性専用の施設とか)で爆発事故があり建物の屋根や壁は吹き飛び鉄の骨組みを残すだけの姿。地下のボイラー室で爆発が起きたと見られるが被害の把握、原因調査はこれから始まる。場所を見ると渋谷の東急ハンズや東急本店に行くときに私が自転車で通る道の直ぐ側である。たまたま事故の巻き添えとなる可能性はなくはなかった。事故の場所は松濤といっても渋谷の繁華街に連なるところで、更に奥には超高級住宅街がある。松濤の名は高級なイメージであるが名前の由来は昔(明治初期?)「松涛園」というお茶屋さん(畑からお茶を作っていた)からきたもの。渋谷区で民間の会社の名前が町名となって残っているのは松濤と恵比寿の二つであることを以前渋谷のマップ作りをした時に覚えた。更にこの温泉施設(去年1月オープン)は地下1500mから天然の温泉を汲み上げるので人気があったと報じられている。これも前に何かでみた覚えがあるが、現在は東京中の地下温泉(水脈)のマップが完璧にできている。許可さえとれば(地下水の取り過ぎを防ぐために許可が要)何本もボーリングを試みてはじめて温泉を掘り当てるのではなく、間違いなく温泉に行きつき引き込むことができるようだ。だから渋谷の街中に天然温泉ができる。それにしても都会では思いもしない事故と隣り合わせである。はやく爆発の原因を知りたい。
6月 20日(水 )  <正法眼蔵・・>
「正法眼蔵」とはまた大きなタイトルにしてしまった。道元が著わした禅思想の大著、正法眼藏(しょうぼうげんぞう)をコラムでコメントなどしようがないが、今日、ふと本棚から取り出してページをめくると本物の宝石に触れたような感動があった。毎日繙く(ひもとく)ものではなくても手元に置いておき、機会があればみるのには聖書と並べてこの本が相応しいのではないだろうか。私が所持しているのは”現代訳”であるが、この際少し引用してみたい。最後のところで禅仏教の真髄というべき「四摂法(ししょうほう)=四つの方法」が説かれている。それは布施、愛語、利行、同事の四つ。各項目を事例を挙げて詳しく説明されているが概要は以下。(1)布施とは幸せを独り占めせずに与えること。物を与えるばかりでなく心を与え、命を与え、真理を与える(与え与えられることに感謝する)。(2)愛語とは慈悲、慈愛の心を口に出して相手に語りかけること。(3)利行とは自分のことを後回しにして他人の幸せを先にすること。(4)同事とは自分だけが特別であろうとしないこと。相手と同じ心・境遇になって接する。・・こうして単純に綴ってみると道徳の教科書のようになってしまうが、人間の真理について道元が熟考に熟考を重ねた結果の教えである。悟りきれない凡人にとっては一々が耳に痛い。自分のことは棚に上げて他人様の行動を四摂法(Web原文=ここ)で判定するとそれが我が身かも知れない・・。
6月 21日(木 )  <ドクダミ・・>
「ドクダミ(ペン&水彩)」を「今日の作品」に掲載した。植物の名前には自信のない私でも「ドクダミ」は知っている。この絵は先日自然教育園(東京・白金)に行った時のスケッチ画の一つ。絵を完成させて妻に見せると、”ドクダミなんて家にもいっぱいあるわよ”と云われた。全く気がつかなかったけれども隣の家との境、50cmほどの狭い隙間に確かにドクダミが沢山花を咲かせていた。このスペースには砂利が敷いてあり以前は植物の気配もなかったところだ。ドクダミの生命力の強さは聞きしに勝る。ドクダミは毒の文字があるので怖そうな名であるが、そのずば抜けた薬効は広く知られている。毒を矯める(ためる=悪いものをよくする、つまり毒を抑える)ので「ドクダミ」となったのが語源。塗り薬とすると、切り傷、ニキビ、蓄膿症、水虫、皮膚病に効く。煎じた汁を服用すると、高血圧、肩こり、便秘改善(利尿作用)、ドクダミ青汁も美容と健康に効果大。ドクダミ化粧水も美容効果抜群。まるでテレビのコマーシャルのように万病に効くと薬効が喧伝(けんでん)されている。ドクダミの花が咲いている今が薬効成分が多く含まれるので収穫時だという。早速我が家のドクダミを収穫しよう。ドクダミ茶か、ドクダミジュースか、ドクダミ入浴剤ができるか・・。


6月 22日(金 )  <段取り・・>
「段取り」とは辞書によれば「物事を段階を追ってやっていく手順」とある(新明解/三省堂)。製造業、建設業などでは段取りができれば仕事は半分終わったようなもので、逆に段取りなしには仕事はできない。他のどんな職業でも効率よく仕事をするには段取りが重要なポイントであるのは変わらないであろう。私は最近陶芸でも全く同じだと実感する。轆轤(ろくろ)でお茶碗やお皿を作るのでなく、少し複雑な構造の陶芸に挑戦する時には先ず段取りである。私は初めに設計図を描く(立面図、平面図、側面図、断面図、部分詳細図など)。想定した完成品の寸法に対して粘土の寸法は焼成による収縮を考えて1.15倍の図とする。それから制作する順序、柔らかい粘土の支持のやり方などを検討して、必要に応じて道具を準備する。先日制作した時には粘土板を切り取る型紙やサポートとする風船、完成時の模型まで作った。陶芸教室で制作のために粘土をこねはじめて3時間余でとにかくも形状を創り上げると教室のメンバーがよく短時間でできましたねと云ってくれたが、実は家で3時間を準備に費やしていた。それほどに段取りは重要であるが、私の場合はその前の段階で”何を創るか”のアイデイアの方が課題となる。「何を」が決まれば後の段取りは容易。アイデイアの方は手順がない。だから飽きることなく一番楽しいのかも知れない。
6月 23日(土 )  <テニスボール・・>
土曜日は朝7時半には家をでて半日テニスで汗を流す。今日のコラムはテニスボールのことを書いてみたい。硬式テニスボールの内部には窒素ガスが封入され大気圧の約2倍の圧力(正確には1.8気圧)がかかっている(製作時に薬品を入れておき化学反応で気圧をかける)。試合用の缶に入ったボールは缶の内部(=ボールの外側)に同等の圧力がかけられているのでボールの内圧が抜けるのは抑えられている。これはプレッシャーライズドボールと呼ばれ、缶からだすと徐々にではあるがガスが抜けて反発力は低下するので長期間は使用出来ない。缶に入っていないノンプレッシャーボールは内圧がない分をボールのゴム厚で反発力を出し、長い間反発力が低下しないという特徴があるようだ(練習用として使用されるようだが私たちはほとんど使用しない)。プレッシャーライズドボールでは高原でテニスをするとき大気の圧力が下がるのでボールの弾みが大きくなるのはよく経験するところ。公式大会で使用されるボールの規格:直径6.54-6.86cm、重量56.7−58.5g、反発力高さ254cm(=100インチ)より落下させて134.62-147.32cmの反発高さ<温度条件?、床の条件?>など。・・普段は気にもしない使用済みのボールの直径をノギスで計ると6.50だった。反発力の判定の条件はどうなっているかは不明。もっともボールの条件は相手も同じ。”プレーヤーは球を選ばず”とプレーに専心する方がよさそうだ。
6月 24日(日 )  <チョッといい話・・>
”チョッといい話”をコラムで書こうと話題を探すのだが、毎日のこととなるとなかなかそうはいかない。苦情や文句をつける話は直ぐに思いつく。新聞ネタにしても、牛肉ミンチを偽装したとか、80歳の認知症の母親を49歳の息子が絞殺したとか、やりきれないニュースばかりだ。いいものを見つける眼力がもう腐りきっているのだろうか。今日は雨の日曜日、渋谷に出かけた。渋谷駅から京王線方面に通じる二階建ての広い通路があるのだが、この通路の窓からじーっと外を眺めている外人がいた。何を見ているのかと思ったら、その場所から丁度駅前のスクランブル交差点の様子がみえる(NHKのTVで定期的にこの交差点を映す)。私も立ち止まって同じように交差点を見てみるとこれが結構面白い。信号が変わると人の流れ、車の流れが切り替わり、実に整然と人も車も動いている。しばらく見ていたが、信号を無視する車もない、人も規則正しく信号を守る。これは確かに日本独特の風景に思えてきた。諸外国ではこんなにスムースな交差点にはお目にかかれない。雨の中を傘をさして整然と移動する大勢の人、車間を守って流れる車、こんな日本では当たり前のことも「チョッといい景色」だと思いたい。

6月 25日(月 )  <スタインウェイ・・>
「スタインウェイピアノ(ペン画)」を「今日の作品」に掲載した。作品というにはおこがましいが、スタインウェイピアノのイラストが必要で描いたもの。義兄から資料の提供を受けたりアドバイスをいただいた。義兄は家にスタインウェイを持っている、それも自分でドイツ・ハンブルグまで行き、弾き比べてから購入した。といってもピアノの専門家ではなく、元エンジニア。もうそろそろ80歳に手が届きそうな年齢であるが今もピアノやらオーケストラやらと音楽を楽しんでいる。日本の音楽あるいは文化の底辺の広さ、水準の高さをいつも義兄に教えられる。この際、スタインウェイについて書いてみよう。スタインウェイは云うまでもなく世界最高級のピアノブランド(世界三大ピアノについては6月10日のコラム=ここ=に書いた)。1836年ドイツで創業されたスタインウェイは米国への進出を計る過程で従来の宮廷ピアノと異なる革新的な構造を造り上げたとされる。イラストに描いた内部の骨組みに見えるところは鋳鉄製のフレーム、ピアノの低音用(絵の左側)の弦を中音用の弦とクロスさせる方式も絵に描いたが、これらの今のピアノでは当たり前のようにみえる構造はスタインウェイがはじめて開発した。昔にはなかった大ホールでの演奏スタイルともマッチして現代のピアノのモデルとなったといわれる。スタインウェイはドイツ製のハンブルグスタインウェイと米国製のニューヨークスタインウェイがある。ただし米国製の販売は北米に限られているので日本に輸入されているのはほとんどハンブルグスタインウェイであるそうだ。今回イラストを描くに当って細かく観察したがピアノという楽器は実に精巧なメカニズムと音響装置を兼ね備えたハイテク機器であるのに改めて驚嘆するばかりであった。

6月 26日(火 )  <一人の愚か者・・>
一人の愚か者が国や組織の印象をどれほど悪くすることか。”愚か者”と云ったが犯罪者ではない。それなりの人物が世界中に流される自分のニュースで得意になるから始末が悪い。こんな事例の一つが今日の米国からのニュース。「米国の現職判事がクリーニング店にだしたズボンをなくされたとして店を経営する韓国人一家に5400万ドル(約67億円)の損害賠償を求めていた訴訟で裁判所は原告の訴えを退ける判決をした」というもの。裁判の結果は当然として、いくら米国にしてもこの”現職判事”の訴えはバカげている。米国の判事の中にはこんな人物がいることを世界に知らしめた、そしてどんなデタラメな賠償金額でも請求出来る米国訴訟社会の嫌な面をみせつける。こんなニュースは米国でしかあり得ないが、少し前には英国でしかあり得ない「愚か者」のニュースがあった。それは「英国王室のキツネ刈り(動物虐待)に抗議するためコーギー犬の肉を食した男」のこと。コーギー(我が家の犬もコーギー)は英王室で飼っている犬種なので当てつけに肉を食べたという。英国にもこんな人間がいても不思議ではないが、この男が英国人の品位を大いに下落させたのは間違いない。

6月 27日(水 )  <時計・・>
「時計」を作った・・といっても今は時計の駆動部を作ることはない。「今日の作品」に掲載した「4分割時計(陶芸+工作)」も4枚の陶芸板の制作と外観デザインが”創作”であり、駆動部(ムーブメント)、針、文字板は既製品を購入した。写真では表れないが裏面には4枚の板を固定させるための金具(取付けボルトは粘土の段階で板に穴を開けておき焼成が終わった後で適当な長さに切断したボルトを埋め込んで接着剤で固定させた)と台座(それと勿論、ムーブメント本体)がある。また正面の縦横の隙間部には間隔を保つためのガラス棒を入れ、固定金具が見えないようにガラス棒の中に銅チューブを挿入している。陶芸では4枚の全く同じ板を作った。4枚がバラバラに歪まないようにそれぞれ均等に固めるところが粘土成形時のポイントだろうか。コンパスで円を描き模様をつけた後で、円の内側には白化粧、外側には弁柄を塗布。素焼き後の釉薬は、それぞれジルコン白、薄い透明釉とほぼそのままの色調とした。焼成後の板の変形が少なく陶芸部品が予定通りに完成したので、後の工作は比較的楽であった。・・今日は出来上がったばかりの「作品」を持って陶芸教室に行く。うれしいことに今現在、この「4分割時計」は代官山のギャラリーで時を刻んでいる(陶芸教室&ギャラリー案内=ここ)。

6月 28日(木 )  <なかなか・・>
「なかなかいい・・」と私が話をすると妻が「なかなか」を他人が聞いた時に傲慢とか不遜に思われることがあるので注意した方がいいと忠告された。自分では習慣で使っている言葉でも相手には気にさわることがあるものだ。念のため辞書を引いて調べた。「なかなか(中中)」とは「1)その性質・状態が予期していた以上で侮れないものが有ることを表す。2)「すぐには実現出来ないことを表す」とある(新明解/三省堂)。これで見ると確かに「なかなかいい」と云うと初めは大してよくないと思っていたがそれよりいいとのニュアンスになる。新明解は好きな辞書だが今回どうも今ひとつすっきりしないので「広辞苑」でみてみた:1)中程、中途。2)不徹底・不十分な状態もしくは過度の状態が逆に不満をかき立てること。なまじい。3)逆の状況や意味をもたらすこと。かえって。4)かなりの程度であるさま。ずいぶん。相当に。5)(否定の語を伴う)容易には。以上が広辞苑でみた第一用法。私は単純に4)の意味で使ったのだが現在は新明解の解釈が主流なのだろうか。間違いのない言葉使いは”なかなか”できないものである。更に「なかなか」というと私は狂言の相づちを思い出す。これについては広辞苑の第二用法で納得のいく説明がある:「(謡曲・狂言などに多く使われる)肯定の応答語。いかにも。勿論。」。狂言「蝸牛」の中では山伏と太郎冠者とのやり取りで「なかなか」が8-9回でてくる(=ここ)。Webで狂言を読むのも”なかなか”楽しい。
6月 29日(金 )  <革新・・>
革新を標榜することは容易だが実行することは難しい。保守は「伝統を守り物事を急に変えようとしないこと(態度)、革新は「因習的な体制をやめて新しいものに変えること」とある(各新明解/三省堂)が、世の中、どちらが保守でどちらが革新だか分からないことも多い。先の5月に発足したフランスのサルjコジ政権は中道右派とされているが従来のやり方を革新しようとするところは左派の保守路線よりも強い。既得権に対しては”保守”となるので自らが楽な構造を変えるのは容易ではない。フランスについてはかつて猛烈な革新性を見せた美術界が目立たなくなって久しい。100-140年ほど前のフランス絵画は従来の伝統的な手法を革新する力に満ちていた。マネ、ドガ、ルノアールらは”印象派”と評論家から酷評を受けながら新しい絵画を作り上げる。セザンヌが後のキュビズムに影響を及ぼす挑戦的な画法を試みる。パリに留学して来たピカソもそんな中で伝統を突き破り新しい絵画の歴史をつくる。・・いま、フランス、パリには革新は見当たらない。芸術を革新する国に活力があるとみれば今のフランスはさびし過ぎる。

6月 30日(土 )  <分解レポート・・>
「分解レポート」を読んで思わず苦笑してしまった。今日(米国時間29日夕方)「iPhone」が米国で発売された。日本ではほとんど関心が払われていないが米国ではアップルが満を持して(?)発売に踏み切った音楽も映像も再生できる携帯電話「iPhone」は大きな話題となっている。このiPhoneの「分解レポート」が発売から数時間の時点でWebに現れているのだ!新製品を徹底的に分解して調査するのはどのような分野でも変わらない。私も以前エンジンやら産業機械を分解して図面化したことを思い出す。メーカー同士は相手の品物を調べた上でそれ以上の製品を開発するので、分解調査は常套手段である。ちなみに調べた上で全く同じコピー品を作るのは後進性が抜けぬ悪徳商法。まともな競合メーカー同士は”敵を知り”切磋琢磨の第一歩とするのが「分解レポート」である。日本の携帯電話メーカーはiPhoneの機能、ハードなど既に調査済みに違いない。携帯電話が将来どのような展開をみせるか、国情の違いも絡んで不透明で何とも分からない。それにしてもアップルコンピューターを愛用している自分としては、アップルがiPodやiPhoneで話題になるばかりで、コンピューターはどうなるのか、こちらの方が心配。
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