これまでの「今日のコラム」(2007年 7月分)

7月1日(日)  <コーギーリンク・・>
「コーギーリンク」を整理した。1999年にこのホームページをはじめて作成した時、我が家には2匹のコーギー犬母娘がいた。母親は私のベッドの脇で4匹の子どもを出産したこともあり、コーギーのかわいい姿を誰かと共有したいのがホームページを作った一つの動機であったかも知れない。当時コーギーをホームページで扱うサイトは少なかったが、数年もするとどんどん数が増えて200ものサイトができた。当初はコーギー仲間とメール交換をしながら私のホームページでは約50サイトほどリンクしたが際限がないのでリンクの拡張を止めてしまった。その後、コーギーリンクの仲間との交流も途絶えて「コーギーリンク」のメンテナンスをしないまま数年を経過。今日、このコーギーリンクを整理しながら複雑な思いに駆られる。私がリンクしていた中でも半数以上がリンク切れ。もうコーギーのホームページを開設していない。私の怠慢でそれぞれのサイトの様子をフォローできていなかったが、愛犬が亡くなった事情も多いようだ。私の飼っていたコーギーの母親も2001年に10歳で亡くなった。子どものアールが健在なのでこのホームページにはまだコーギーページを残しているが、10年も経過すると愛犬の状況は一変しても不思議ではない。そう・・、コーギーのページは人知れず消え去って行くがコーギーが与えてくれた癒しはいつまでも人の心に留まる。

7月2日(月)  <ウェス・・>
「ウェス」という言葉を私は社会人になって初めて覚えた(40年以上前だ!)。「ウェス」とは「ボロ」、「ボロきれ」、「消耗用の布」のこと。工場では油や汚れを拭き取るための必需品である。ボロとかボロきれといっても大量に消費されるので専門のウェス販売の業者もある。はじめて聞いたとき、業界ではこれを「ウェス」というところが新鮮に思えた。「ウェス」の語源は「waste」。英語のwasteは「浪費する、無駄にする」であるが、名詞では「浪費、空費、荒れ地」などの意以外に「くず、廃物」の意味がある。このウェイストを欧米人が発音すると「ウェス」に聞こえたに違いない、・・どうして「ウェス」の話になったのか・・今日、50ー60枚のウェスを自分で作ったのである。以前から靴下に穴があいたものを(洗濯した後)溜め込んでいたのだが、切断するには結構エネルギーがいる。今日は勢いに任せてハサミで靴下を次々に切り刻む。立派な(?)ウェスが山のように出来上がったが、今の私にとってもこれらのウェスは必需品である。油絵の具の拭き取り、粘土の拭き取り、テーブルのクリーニングなどなど。すり切れるまで使用して廃物となった「ウェス」が決して資源をwaste(浪費)するのでなく有効利用されているところが面白い。

7月3日(火)  <寿限無・・>
「寿限無(じゅげむ)寿限無、五劫(ごこう)のすりきれ、海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)・・」。この辺りまで”じゅげむ”を覚えていても先は続かない。6歳になる孫娘がニューヨークから電話をしてきて妻と話をしている。何かと思うと”じゅげむ”を全部諳(そら)んじたといって「じゅげむじゅげむ・・」とやっている。子どもは意味など関係なしにリズムで言葉を覚えてしまうようだ。この際、記憶力では子どもにかなわないので解説版で対抗しよう。「じゅげむ」はお坊さんがつけた名前であるから仏教の無限思想が基本にある。寿命が限りない不滅の「寿限無」、三千年に一度下界に天女が下り、衣で岩を撫で、それを繰り返して岩を擦切れさせる時間が一劫、五劫はその5倍、つまり永遠というべき「五劫の擦切れ」、数えきれない海の砂利、捕り尽くせない水に住む魚、つまり無限を表す「海砂利水魚」、水や雲や風の果てしない「水行末、雲来末(うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)」、生きて行くために欠かせない衣食住である「食寝処(くうねるところ) 住処(すむところ)」、生命力が強く長持ちする「薮柑子(やぶこうじ)/やぶらこうじのやぶこうじ」、昔の唐土(もろこし)にあった「パイポ」国の「シューリンガン」王、「グーリンダイ」妃、その間に生まれた姉妹の「ポンポコピー」と「ポンポコナ」(皆々長命なお方)、長久と長命を合わせた「長久命」、長く助ける「長助」さんまで。ようやくたどり着いたが「じゅげむ」の全文は別のWebページにお任せだ(=ここ)。
7月4日(水)  <数字・・>
「数字」には何か権威があるように錯覚を起こさせる力がある。数字に惑わされないために、まず数字のデタラメさの事例。今、私がパソコンのキーボードを打っている直ぐ側に2種類の温度計、湿度計がある。一つは外形が20数センチの時計の中に組み込まれたもの、もう一つは6センチほどの丸い単独の温度・湿度計である。それぞれ、温度は29度と27度、湿度は74%と79%(部屋の冷房なし)。取付け位置は同じでもこれだけの差がある。共に安物の計器であるので私は数値の違いなど気にしない。数字はどのような条件でどのような計器で誰が計測したか、精度が保証されているか否かが問題であるのに数字だけが一人歩きすることは多い。テレビの健康番組で数値をあげて効果を強調しているが、これなど過信しない方がよさそうだ。TV視聴率や世論調査などの数字も、上がった下がったと一喜一憂することはないだろう。一方で、不思議でしようがない数字もある。大リーグで予想外の大活躍をして米球宴に出場が決まりそうなレッドソックスの岡島秀樹投手。米国での防御率が0.88(7/3現在、試合数38)に対して、巨人に在籍した最後の4年間、2002-2005年の平均防御率は4.0である。これは不思議ではあるがまぎれもない事実。この数字については素直に祝い喜ぶことができる。
7月5日(木)  <再登場・・>
「今日の作品」が一週間更新されていないと何か落ち着かない。無言のプレッシャーを感じて自分の新作に励みがでれば、これは悪いことではない。けれども今日は易きについて、新作のアウトプットではなく旧作のアレンジで写真を更新した。「今日の作品」ではなく去年の作品の再登場である。この”一輪挿し”と云うか”人形”と云うか(昨年3月のタイトルは”起上小法師”とした)この小品はいつも私の机の上にあった。今日、たまたま机上の整理をしながら敷物の上に置くと見違えるように可愛らしくみえた。それではということで写真を撮り「今日の作品」に再登場としたものである。自分の絵画や陶芸の作品でいつも感じるのは置き場所や周囲の環境で印象が変化すること。同じ作品でも陶芸教室と家では別物のように雰囲気が変わる。ギャラリーに展示される場合も然り。最近、名も知らぬ雑草を根っこごと引き抜いて来て陶芸で作った皿に飾ってみると実に立派なグリーンとして部屋のアクセサリーになっている。周囲の器で際立ってくるのは雑草も人間も同じか・・。陶芸作品の再登場も作品に新たな光を当てることになれば良さそうに思えて来た・・。


7月6日(金)  <到着ロビー・・>
到着ロビーにはドラマがある。今日も成田空港の国際線到着ロビーで出迎えまでの一時人間ドラマを楽しんだ。抱き合って再会を喜ぶ男女、大声で名前を呼び目が合った時の双方の笑顔、自分の名前を書いたボードを持った人に出会った瞬間の安堵した表情・・。ドラマのストーリーは分からなくても生き生きとした仕種や表情を見ているだけで飽きることはない。それにしても・・とまた空港施設のお粗末さに触れない訳にはいかない。到着ロビーでは左右から人が出てくるが中央に大きな柱があるので出迎えの人は右か左に別れる。左右同時に見るためには遠くに離れていなければならない。初めて日本に来て到着ロビーに出た人が目にする風景は40年前の羽田空港とそれほど変わらないのでないか思われるほどに特徴がない。絶えず繰り返される人間ドラマに相応しい「舞台」ができないものかと、成田の到着ロビーで時間を過ごすと毎度残念でたまらない。

7月7日(土)  <朝ドラ・・>
NHKの朝の連続テレビドラマは何となく見てしまうことが多い。それでも今日のある新聞の小コラムで今放映中の「どんど晴れ」を毎回楽しみにしているというコメント(岩手出身者とか)を目にしたとき、人それぞれの思いを新たにした。実は我が家では今回の連ドラは積極的に”逃げる”番組である。連ドラでも毒にも薬にもならないのならば流しっぱなしとするけれども、「どんど晴れ」の場合、時間になると他のチャンネルに変えるかテレビを消す。出演者には一切悪印象はない。ストーリーは老舗旅館に飛び込んだヒロインが伝統と格式の中で孤軍奮闘しながら成長していく姿といえばもっともらしいが、幾多のイジメを克服するヒロイン、それを見守る老舗の女将が絶対的に強く正しいというワンパターン。途中からは見るのが嫌になった。とにかくもゴールデンアワーに大女優をならべて全国に放映される番組をどうしてそう避けるのかを自己分析すると、まず老舗が好きでない(これは体験から身に染み込んだもの)。つまり格式と伝統を大袈裟に有り難がるのは嫌い。次に年寄りが年期を積んで正しいという見方が好きではない。老人を過大に見るべきではない、若者の優れたところをみたい。好みの問題ではあるが、老舗の旅館に試練を経て格式を引き継ぐ若女将が誕生して「どんどはれ=めでたしめでたし」とも思えない。ちなみに「もてなしの心」は老舗でなくても「やる気のある」宿ならどこにでもある。

7月8日(日)  <バリー・ボンズ・・>
バリー・ボンズについての報道をみていると興味深い。バリー・ボンズ(1964生まれ、3週間後には43歳になる)はサンフランシスコ・ジャイアンツの大リーグ屈指のホームランバッター(守備はレフト)である。これまでに通算751本の本塁打を放ち、ハンク・アーロンの通算最多記録755本を追い抜くのは時間の問題と見られている。このボンズ、米国のマスコミや周囲の人にすこぶる評判が悪いようだ。ボンズ自身、かなりの天才肌というかわがまま勝手というか、やりたい放題のところがある。オールスター前の恒例行事であるホームランダービー(10日)にも出場しないことを宣言したし、以前から薬物(筋肉増強剤)使用の噂も絶えぬ。こんな時、ロサンゼルス・タイムズがボンズと比較して世界のホームラン王、王貞治を特集して絶賛している。王は自分の通算868本のホームラン記録についても「日本での記録」と謙虚。ボンズの記録についても「以前は禁止されていなかったし、ステロイドを使用したからホームランを打てるものではない」と冷静。「ボンズ的態度とは対極にある」と誉められた王さんも驚いているだろう。バリー・ボンズは親がボビー・ボンズという大リーガーの2世選手である。野球の才能はあるのかも知れないが、いわば苦労知らず。実績をあげても「史上最高の打者はベブルースでなく俺だ」と公言するなど、不遜で傲慢な”記録”ばかりが残っている。チームメイトは節目のホームランを打っても誰も出迎えもしないそうだ。人格と記録や実績は全く別物であるのは当然であるが、米国でも人格面を重視するところが面白い。756本目のホームランを打ったときのベンチと観客の反応に注目。

7月9日(月)  <江戸時代の松・・>
「江戸時代の松(水彩&ペン)」を「今日の作品」に掲載した。最近、スケッチの場所としてお馴染みとなった「自然教育園(東京・白金の 国立科学博物館附属施設/Web=ここ)」にある松を描いたもの。自然教育園には都心では希な自然そのままの姿に近い森が残されているが松の老木も何本か見られる。樹齢300年とされる「大蛇の松」と呼ばれる巨大な松もある。けれども大蛇(おろち)というより空に向って昇っていく竜のような巨大な松はとても全貌を絵には描ききらない。描いたのは、「物語の松」と呼ばれる松。大蛇の松と共に、この地が松平讃岐守の下屋敷であった江戸時代に屋敷の庭に植えられていた松と云われる。「物語の松」も全容を描くことはできなかった。樹木、特に巨木は非常に絵に描き難い。描いた後にはいつも巨大な樹木の迫力を小さな画用紙上に現すのは容易でないと思い知らされる。それにしても樹木の年齢=樹齢をきくと人間社会と別世界のスケールを感じて一種のリフレッシュ効果がある。松でも450年とか600年の樹齢は知られる(中国には1500年の松もあるとか)。1000年を越す杉や桜。世界には5000年を越す樹木も生存しているようである。「江戸時代の松」といってもまだまだこの先300年は生きてもらおう・・。


7月10日(火)  <中国・・>
中国に関するニュースはとにかくスケールがでかい。今日のニュースで中国湖南省でこのところ降雨量が多く水位が上昇し砂州に生息していた野ネズミが農村部に大移動したため約20億匹の野ネズミの捕獲作戦を展開中と報じられている。これまでに225万匹を処分したとある。中国の人口は世界一で現在13億3千万人、丁度日本の人口1億3千万人の10倍である。一般的には優秀な人間も、悪人も日本の10倍いると考えなければならない。世界の人口問題にしても中国の動向で大きく左右される。日本では最近人口が横這いから減少に転じたとされるが、日本の場合一日に約3000人が死亡し、また産まれる(年間109万人が死亡、生誕)。中国のスケールはその10倍。計画出産政策を実施しながら1985-2000年の15年間に約2億4千万人の人口増加をみたというから、この間に日本の全人口の1.8倍に相当する人が増えたことになる。最近は米国のアジア政策の焦点は中国に移ってしまったようであるが、日本の10倍のポテンシャルがあるとみればある面当然なのだろう。それにしても現在でも共産主義を標榜しながら大格差社会を形成している中国が市場経済を拡大し自由化が進むとどうなるのか。インチキ商売や公害問題など自由主義経済の悪いところも放置されてる。ここでは徹底的な規制強化と共産システムの復活(ではなく新構築)の方が人口の大多数は満足するのかも知れない。
7月11日(水)  <花言葉・・>
花言葉を調べた。花言葉に特別興味がある訳でもないのだが、他人にプレゼントする小鉢(陶芸品)に花の模様を描くにあたって、縁起の悪い花言葉を避けたかったのである。できれば幸運とか幸せを呼ぶ花を描きたかった。花に象徴的な意味を持たせた花言葉はギリシャ・ローマ時代から伝わる神話とか聖書のエピソードなどから引用されているので国や民族によって異なっている。世界中で統一された花言葉は存在しない。したがって資料によっても多様な解説がある。花言葉は基本的には”いいこと”を表す言葉であるが、時々、思わぬ意味を持たせていることもある。例えば、水仙の花言葉は「うぬぼれ」「自己愛」「エゴイズム」、黒ゆりは「恋」「呪い」、ホオヅキは「心の不安」「半信半疑」「頼りない」、四葉のクローバーは「幸運」であるが、クローバーには「復讐」もある。これらは特殊であって、いい意味の花言葉が複数の花に使われるケースも多い。例えば「愛情」(薔薇、朝顔、コスモスなど)、「威厳」(山百合、シャクナゲなど)、「思いやり」(チューリップ、デンドロビウムなど)、「希望」(ガーベラ、あやめなど)、「思慮深い」(すみれ、菊、シクラメンなど)。今日の大ニュースはイチローが大リーグのオールスター戦でMVPを獲得したこと。もしイチローに花をプレゼントするなら何にするか。花菖蒲は「うれしい知らせ」、沈丁花(ジンチョウゲ)もいい=「栄光、不死、不滅」。

7月12日(木)  <国のために何ができるか・・>
国のために何ができるか・・」など考える機会がないが、選挙になるとこの言葉を思い出す。今日、参議院選挙が公示。まず冒頭の有名なケネデイ大統領の大統領就任演説(1961年1月20日)<結びの部分>を記載してみよう。My fellow Americans, ask not what your country can do for you ask what you can do for your country.My fellow citizens of the world ,ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.(わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。わが同胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないか。)<J.F.ケネデイ/1917-1963が43歳で大統領に就任した際の演説はいまみても格調が高い=Webではここで読める>。今回の選挙に限らないが、社会保障、年金の争点になると何でもたくさん”してくれる”のがいいに決まっている。もらえるものは多い方がよい、そして際限がない。何をしてくれるかに迎合する政治論争ばかり聞かされるので、またケネデイの演説を読み直してしまった。
7月13日(金)  <絵本・・>
絵本は子どもだけのものではない。私も自分で買ったものから子ども、孫が愛読したものまで何冊もの絵本を持っている。今日のテレビで作家(&尼僧)の瀬戸内寂聴さん(1922ー)が最近はじめて絵本を出版した(絵は別の画家)という話題があった。85歳になって新たに小説ではなく絵本で自分の云いたいことを伝える発想が爽やかだ。絵本は読んで聞かせる親だけでなく、勿論子どもに大きな影響を及ぼす。寂聴さんはこれから育つ子どもに自らを犠牲にしてでも他人のために尽くす「他利の精神」をそれとなく絵本に潜ませた。こんな仏教思想を説教でなく子どもに(そして親にも)伝えるには絵本が最適かも知れない。絵本は国際的である。名著は直ぐに世界中に広がる。日本でも幸い世界各国の絵本を見ることができる。チラッと私の横の本棚をのぞくと、「ぞうのババール<ジャン・ド・ブリュノフ>」、「おうちにかえろう ちいくまくん<マーテイン・ワッテル>」、「アンジュール ある犬の物語<ガブリエル・バンサン>」など限りがないほどだ。実のところ私もいつの日か「絵本」を描く(作&絵とも)のが一つの夢である。具体的にはまだ何もアイデイアはない。けれども85歳の寂聴さんが絵本を出版するのには少なからず刺激を受けた。長期計画で絵本の構想を練り上げようか・・。

7月14日(土)  <あやとり・・>
”あやとり”で生まれて初めて”4段はしご”を完成させたのが今日の初体験。私は男兄弟の中で育ったので子どもの頃から”あやとり”をして遊んだ経験がない。それが今夏休みで帰省している孫娘(6歳)がほんの短時間我が家にいる間にどうしてもあやとりをしたいと云って付き合わされた。この孫娘はかなり複雑なものまで何でもできてしまう。私に手取り足取り(?)”4段はしご”を教えるのだが、いい加減に聞き流していたら上手くできるまで何度もやり直しをさせられる。孫娘にさんざん叱られたりおだてられたりするので、それならばと本気になって覚えることにした。懇切丁寧な指導を受けてついに”4段はしご”の作り方を覚えたと云う次第。直ぐに応用編として”2段はしご”も教えてもらった。恥ずかしながら、こんなに一生懸命にあやとりをしたのは初めてである。やってみると日本語の「綾(あや)」を『取る」の語源のように実に微妙な綾を取り上げる文化の香りさえするから面白い。単なる女の子の遊びの枠を越えた芸術作品にも思える。あやとりは折紙のように日本独特の文化かと思っていたがそうではないようだ。"String Figure"と呼ばれで形状やパターンは異なるが世界の各国であやとりに類似した遊びは伝承されているという(国際あやとり協会のホームページ=ここ)。孫娘に教えられて、”あやとり”という一つの新しい世界を知った。

7月15日(日)  <小鉢・・>
「小鉢A(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。プレゼント用に久しぶりに家で制作・焼成したものの一つ。7月11日のコラム(=ここ)で書いた「花言葉」を調べて4面に4種類の花を描いた。掲載した写真にはスズランとカキツバタが見える。スズラン(鈴蘭)の花言葉は「幸福が訪れる」、カキツバタ(杜若)の花言葉は「幸運」。粘土は貫入土を使用、スズランは黒化粧した上に線描画、カキツバタは白化粧の上に線描で描き更に呉須(コバルト系の彩色材、青色がでる)で線に色付けをした。反対の2面にはつばき(椿)とキキョウ(桔梗)を配している。この小鉢一つで4面に線描、小鉢を4個制作したので合計16面に絵がある。これらを全ては掲載しきれないが明日以降、適宜紹介してみたい。はじめに何の絵を描くか考えた時に好きな抽象風の模様を描くか随分と迷った。結果として細かい具象の模様を描いたが、化粧の上の線描画という新境地を無心になって楽しんだ。

  7月16日分
7月16日(月)  <地球は生きている・・>
「地球は生きている・・」。「陶芸」という全く別世界からそのように連想した。今日は写真を掲載出来ないが、陶芸教室で出来上がったばかりの大物の下に敷いていた輪状の台(大物を乗せた状態で焼成した)に割れが入っていた。後知恵で考えると当然と思われるところがある。温度が上がった後に収縮するので重量物が上に乗っている”輪”は切断する以外に変形のしようがない。陶芸の場合周囲の温度は徐々に加熱されて1250度に達する。釉薬はドロドロに溶けて粘土はかろうじて形状を保ちながら次には冷却されていく。その過程は正に状況に応じてどのようにも変形する”生きた”状態である。生物として生きている人間の場合は周囲の温度が上がったり下がったり、また体温も微妙に変動しながら全身に負荷を受けている。睡眠時の変形が少し生ずるだけで腰痛になり膝も傷む。陶芸では最後に大気温度まで下がったところで変形はなくなり、つまり「生き物」ではなくなり完全に固定される。自らの動きがなく、変形しないものは全くの”死”であろう。その意味で地球はまだまだ元気に生きている。陶芸の温度どころでなく6000度といわれるマグマを中心部に持つ地球は冷えることなく活動を続ける。地球がおとなしくなれば、全ての終焉。そんなことを思っている時に、今日「新潟県中越沖地震」が発生した(am10:13)。生きているものと折り合いを付けるのに苦労は絶えぬ。
「今日の作品」に「小鉢A-2(陶芸)」を掲載した。昨日掲載した小鉢の別面の写真。(花言葉は「椿」=理想の愛、謙遜、「桔梗」=変わらぬ愛、気品)

7月17日(火)  <お越しやす・・>
「お越しやす」と「おいでやす」の違いを先日のテレビで解説していた。これは結構知られているが京都の料理屋などでは馴染みの客が来た時に「お越しやす・・」という。元来は山を越えて遠路はるばるやってきた常連客に使ったと云われ、料理人や仲井さんにそのことを伝えるそうだ。これに対して「おいでやす・・」は紹介もなく初めて来た一見(いちげん)の客に使われる。”お越しやす”と云われたことのない者のひがみかも知れないが、私はこの話をきくといつも不愉快になる。これはつまり常連客には料理を多くするのか、特別サービスするのかは知らぬが、明らかに一見の客を差別する店の姿勢が見て取れる。昔、料理屋というほどのところではないが京都の食事をする店で妙に冷たくあしらわれたことも忘れられない。店によっては「一見の客、お断り」と堂々と看板をだしているところもあるけれど、懇願されてもこんな店には行かない。初めての客でも気に入れば一生の客となることを知らぬことはないだろうに・・。フランスでレストランを評価することでしられるミシュラン・ガイド(採点して星の数で表示)の調査方法を聞いたことがある。料理の味だけでなく、独創性、サービス、雰囲気など多方面の評価をする際に「覆面調査員」が行う。例えばアベックを装い、店側には全くの「一見の客」として食事をして対応を含めて採点する訳である。初めての客に対してどのようにもてなすかで店の質を評価すれば、京都の老舗料理屋はみな落第となる。客には全員に「お越しやす」と云って差別をなくして欲しいところであるが、所詮料理屋は私には縁がないか・・。
「今日の作品」に「小鉢B(陶芸)」を掲載した。これまで掲載のものと同種の小鉢で模様が「魚」シリーズ。

 7月18日分
7月18日(水)  <今時の若者は・・>
「今時の若者は・・」というと笑止千万。これは人類が始まって以来の決まり文句であるからだ。今日Webの記事で「台風一過で青空がひろがらないなど異常気象が続発している地球」という表現があるのには笑ってしまった。同じように自分の生きている短い期間を何か特別のものとして取り上げる言葉をよくみかける。言いたい気持ちは分からないではないが、大抵はピントがずれていることが多い。いわく、「現代のように企業倫理がすたれた時代・・、<昔の企業に現代以上の倫理があったの?>」、「今のように政治がデタラメな・・、<昔の政治はデタラメでなかったの?>」、「今は女性が強いから・・、<昔も強かった>」。今年は温暖化による「異常気象」だと得意げに話す人がいるが、今年程度の気象の推移など地球規模の変動から見れば異常とは云えない(勿論、温暖化対策はそれとは別に推進する事項)。今と昔の時代を比較するときに自分の生きる今を悪く言う習性があるが、実際には昔は決してそれほどよくはないし楽しくもない。”今時の若者は”と一般論で言うならば、自分が若かった頃と変わりがない。強いて言えば、今の方が恵まれている、そして進んでいる思っていれば間違いない。
「今日の作品」に「小鉢C&D(陶芸)」を掲載した。これらには孫娘が線で絵を描いた。いつもながら子どもの思いきりのよい絵にはこちらの小手先の絵は霞んでしまう。

7月19日(木)  <球体・・>
「球体」は以前から陶芸で作りたかったものの一つである。「今日の作品」に掲載した「球体ランプ(陶芸)」は最近完成した直径が約210mmの球体。球体と云うと大抵上部に穴をあけた球状の花器をつくる例が多いので、何か花器以外の形状を作りたいと思った。先ず粘土で半球を二つ作り、これをつなぎ合わせる。内部に空気が密封された状態になると柔らかい粘土であっても崩れることがなく、外部を叩いて成形することもできる。粘土が適度に固まった時点で穴をあけた。はじめは穴のあいた球体オブジェができれば十分と思って穴あけを楽しんでいたが、その内に内部に電球を入れてランプにすることを考えた。穴のあいた球体が出来るに連れて球であるので上下左右を決めずにどの位置にでもセットできるのがよいと下部の台座(小型浮き袋型)も作った。釉薬は全体にジルコ白(白色)をかけた後、2%のクロムを混ぜた透明釉をグラジュエーションをつけて噴霧した。この写真では右下側にクロムの緑が発色している。焼成が終わった後(完成後)ランプ取り付けの工作をして、はじめて灯りをつけてみると自作ながら思いの外よくできているのでうれしかった。球体の位置を自由に変えられるところが気に入っている。灯りをつけた写真なども順次掲載してみたい。
 7月20日分
7月20日(金)  <ケーキバイキング・・>
「ケーキバイキング」の噂を聞いたことはあったが行ったことはなかった。今日の昼に親戚家族と初めてそれを経験した。今日行ったホテルニューオータニ(東京・紀尾井町)ロビー階「ガーデンラウンジ」では「サンドウィッチ&スイーツビュッフェ」と呼ぶ。ケーキ主体のバイキングではなく、ランチバイキングと似たような食事が食べ放題で更にケーキやデザートの種類も私には十分すぎるほど多い。好きなものを好きなだけ食べるというバイキングスタイルは誰が考えたのか知らぬが実によくできたシステムだ。供給する側は客の注文ではなく自分のペースで準備出来る。一方、客側は、いくら好きだ、美味しいといっても食べる量には限りがある。私などもそれほどのボリュームは食べていないだろうが、美味しくいただいて満足度は120%<Webでの写真紹介=ここ>)。バイキングの時間帯am11:30-pm14:00に行くことができればお勧めである。
「今日の作品」に「球体ランプ2(陶芸)」を掲載。昨日と同じ球体のセット位置を変えた。

7月21日(土)  <資生堂・・>
資生堂のギャラリー(東京・銀座)で開催されている展覧会にいって資生堂のことを見直した。”見直した”と書いたが、男性にとって資生堂は余り縁がないと思っていたのを企業として再認識したと言うべきかも知れない。先ず展覧会は「時光ー蔡國強と資生堂」(Web案内=ここ またはここ、8月12まで、入場無料)の名の現代アート展。蔡國強(1957年中国福建省生まれ)は世界的に活躍する中国では希な現代美術作家である。1999年のベネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受章するなどビエンナーレの常連としても活躍している。今回展示されたのは「火薬の爆発」の技法で”描かれた”作品。蔡國強は火薬を使用したアートを得意とするが私は火の神様のみ結果を知るという陶芸にも通じるコンセプトがとても面白かった。会場ではビデオで蔡國強の十数年の活動の歴史をみせていた。毎年絶えることなく他人のやらない独創を追求する姿勢には感動を覚えるが、必ずしも”お金”とは結びつかないのだろう。それを昔から継続して援助して来たのが資生堂である。「資生堂は1994年以降会社の名前が出なくても、担当者が代わってもサポートし続けてくれた」と蔡國強自身が語り、資生堂に感謝していた。蔡國強と資生堂は異質に見えるが「創造性と美の追求」は資生堂の考えとも一致すると援助が続いたという。資生堂の企業メッセージは「一瞬も 一生も 美しく」。すばらしいメッセージだ。ついでに以前企業のシンボルマークであった椿を最近復活させたそうだ。椿には「謙遜、気取らない美しさ」の花言葉がある。

7月22日(日)  <稲荷・・>
稲荷神社の数は全国で2-3万、ビルの上にあるお稲荷さんまで入れると数えきれないと云われる。今日は東京都心(元赤坂)・東宮御所の直ぐ隣にある豊川稲荷にいった。正確には愛知県の豊川稲荷の直轄別院で「豊川稲荷東京別院」と呼ばれる。稲荷は普通神社であることが多いが、豊川稲荷は寺院である。昔の日本では神仏混交であったのを明治初期に神仏分離が行われた際、多くは神話の神を祀る神社となったが一部に仏の系統の寺とした稲荷もあった。豊川稲荷はその一つであるという。元来、日本の神様は何処にでも宿る。稲が生育して荷のように架けるまでになったことを穀物・農業の神に感謝する稲荷信仰<「いなり」と呼ぶのはイネナリ(稲生)から転じたとされる>は、食物の神、御食津神(みけつかみ)とも結びついた。狐のことを「けつ」と呼んだことから「三狐神(みけつかみ)」と符合させて、中世には狐を稲荷神の使いとする信仰が生まれた。豊川稲荷(別院)にも狐のオンパレード。今日の縁日、雨が降りそうな曇り空であったが多くの人が参拝に訪れていた。商売繁盛の霊験あらたかと人気があるとか・・。境内の一角に昭和52年(1977)に記念植樹された樹木が目を引いた。花の高三トリオ卒業記念。山口百恵(山茶花/サザンカ)、桜田淳子(山梔子/クチナシ)、森昌子(泰山木/タイサンボク=モクレン科)<()内は樹木名>。それぞれに30年の年月をみる。
豊川稲荷・東京別院/青山通り側より
7月23日(月)  <インド式算数・・>
インド式算数のブームであるようだ。妻が74×76を暗算で出来るかと聞いて来て、習ったばかりのインド式算数で、即座に5624と暗算して得意になっている<このケースは、一桁目の合計が10(4+6=10)となり、かつ二桁目の数が同じなので、(4×6)+(70×(70+10))=5624と計算出来る>。インドでは二桁のかけ算は暗算でやると伝えられて、今やインド式の算数を紹介する本は、練習用のドリルや超インド式と称するものまで含めて選定に迷うほどに多数が発刊されている。インターネットで調べた範囲ではインド式の二桁かけ算も丸暗記(記憶術式)あり、マトリックス方式(縦横の表を作るやり方)、パターンによる公式を使う方式(冒頭の事例)など様々な方式があるようである。小学生が電卓を叩いて計算するより二桁かけ算を訓練する方がどれほど子どもの頭脳を発達されることになるのか日本でも見直されてはいるのだろう。日本がインドや韓国より先進国と勘違いをして”ゆとりの教育”に浸ったしっぺ返しは算数にも及んでいると云うべきか。マイクロソフトの従業員の半数はインド系だとか、米国の名門工科大学MITがインド系に独占されかねないとかの噂話の真偽は知らないが、IT産業はインドなしには語れないのは確かであろう。そのベースにはインドの子ども教育がある。
「今日の作品」に 「球体ランプ3(陶芸)」を掲載。前から掲載の球体ランプに明りを灯した。


7月24日(火)  <朝顔・・>
朝顔の生命力の強さには驚嘆する。雑草にまぎれていた実生の(みしょう=どこからか運ばれた種から芽が出て育った)20cmほどの朝顔の苗を根っこごと引き抜いて水を入れた小さな容器に入れてみた。水は10ccも入らぬほどの極小入れ物に2-3日緑の葉があればよいと思って客用に飾ったものである。これが、毎日水は補給してきたが、何と2ヶ月間も生きている。時々、水を補充するのを忘れるとぐったりと萎れてしまい、もう処分しようかと思いながら水を入れてみる。そうすると半日するとまた見事に生き生きと甦る。初めの大きさの3倍ほどに成長して今ではこんな朝顔が愛おしくてしようがない。「今日の写真」(下)にはこの朝顔を掲載した。 Japanese Morning Glory、花までは咲かないが、「明日もさわやかに!」(朝顔の花言葉)。
7月24日

7月25日(水)  <魔法使い・・>
「魔法使い」は日本では何か異質な感じがして馴染めない。けれども今評判の”セロ”は昔なら正に超高級な魔法使い=magician、アレ、これではだだのマジシャンになってしまう。この場合は、魔女=witchに対して、男の魔法使い=wizardを使うのだろうか。魔法使いの少年ハリーポッターの物語の最新版(完結編)が3日前に発売された。今日のニュースによれば英国と米国合わせて発売初日の24時間で1000万部売れたという。これまでにハリーポッターシリーズは世界中で3億2500万部を販売したそうであるから、これこそマジック・・。「大どろぼうホッツェンプロッツ(作=プロイスラー<チェコ生まれのドイツ人>、1962年発刊)」を6歳の孫娘のために声を出して読んでやっているうちに、こちらが面白くて止められなくなった。この本は私の息子が子どもの頃に愛読した本であるが、私は本のタイトルは知っていたが読んだことはなかった。この本でもホッツェンプロッツの悪友として大魔法使い、ツワッケルマンがでてくる。ジャガイモが大好きであるが皮むきができない大魔法使い。最後には妖精に負かされる悪役であるが何となく愛嬌がある魔法使いだ。魔法使いもイロイロである。それにしても”セロ”のマジックはどう考えても種が分からない・・。

7月26日(木)  <ビリーズブートキャンプ・・>
「ビリーズブートキャンプ」のイントロを昨夜やってみて、これは毎日欠かさずやろうと決心をした。「ビリーズブートキャンプ(Billy's Boot Camp<Boot Camp=元来は新兵のための短期トレーニング>)」は最近は日本のテレビでも放映される機会があるが、黒人のインストラクターが中心になってリズムをつけて身体のトレーニングをする独特のエクササイズだ。私もコマーシャルやテレビ番組で見たことはあったが、自分でやるにはハード過ぎると決め込んでいた。それが英語版のエクササイズ用DVDをプレゼントされたので合わせてやってみると、60-70歳代にしても十分応用可能とみた。非常に合理的に思えるのは基本姿勢が両足を開いた形で多少膝を曲げ加減にするところ、そして意外に身体の捻りがない。私の膝や足首対策の自己療法では膝を曲げた相撲の四股踏み型が一番よいと認識していたが、正にこれに近い腰を安定させるトレーニング法である。DVDをみて私はビリーのファンになってしまった(ビリーのホームページ=ここ)。ビリー・ブランクス(1955年生まれ、間もなく52歳に)は7度空手の世界チャンピオンになったとか、テコンドの黒帯とか格闘技の経験が豊富で普通のエアロビクスと比べると武道の要素が各所にでてくるのもいい。ちなみにDVD(テレビ出演でも同じ)でビリーの直ぐ横で運動している女の子はビリーの娘のシェリーさんだ(ビリーの奥さんは白人で娘さんも容貌は白人になるのね)。さて、今日からビリーのトレーニングを”欠かさず”実行出来るかどうか・・。

7月27日(金)  <ひまわり・・>
「ひまわり(向日葵」の写真を最下部に掲載した。今朝の6時40分頃に中目黒公園(東京)で撮影したもの。朝、アール(コーギー犬)と散歩に出かける時にどこに行くかは気分次第。別所坂という急坂を下って南にいくと中目黒公園ー目黒川方面になる。西の道路を進み西郷山公園まで行くことの方が回数としては多いかも知れない。西に行く時には必ず猿楽神社にアールを連れてお参りをする。春の桜の季節には目黒川沿いの桜を見に行くことが多い。今朝はなぜかひまわり(向日葵)を見たいと思って南にいった。今日は床の中で目が覚めた時に陶芸のデザインであるアイデイアが閃いた。直ぐに起き上がって寝間着のまま思い付いた案を絵に描いた。こんなことが時々あるが必ず体調の良い時に限られる。また人間関係でよけいな心配事がないことが”寝起き時のアイデイア”の条件のようにも思える。ひまわり(向日葵)をじっくり見ていると暑さに負けず元気になりそう。花言葉は「あなただけを見つめている」、「崇拝」、「Love & Respect」。
「今日の作品」に「球体ランプ4(陶芸)」を掲載。球体ランプのアングルを変えたもの。

2007-7-27@中目黒公園/東京
7月28日(土)  <ノンポリ・・>
「ノンポリ」という言葉を最近聞かなくなった。私の学生時代には政治に関心を持たないノンポリ(=nonpolitical)学生などとしばしば使われた。明日は参院選の投票日。アレ、東京都では誰が立候補しているのかな・・と言う始末だから私も最近はノンポリか。最近の選挙で面白くないのは投票後ほとんど開票が進まない時点で「当選確実」などと報道されること。今回の選挙は投票日まえから「自民惨敗」が間違いないようだ。それでも一向に構わないとして余りに決定的に報道されると一票の投票って何となる。今朝の朝日新聞では病気療養中の筑紫哲也氏がTBSの臨時番組で今回の選挙の重要性を訴えて投票に行くことを呼びかけたとある。勿論、与野党逆転の潮流を消さない重要性を訴えていることは誰でも分かる。10人の人が政治を語るとまず自分と同じ意見だというケースは一人としてないことが多い。同じ仲間でも微妙に感度が異なるのが政治であろう。一枚の絵画を見ても感想は10人10色、好みは皆違う。何千万人の人を相手にする民主政治は本当に大変なことだと時に政治家に同情もしたくなる。さて、明日の一票をどうするか、まだ決まらない・・。
7月29日(日)  <笹と月・・>
「今日の作品」に「小皿/笹と月(陶芸)」を掲載した。少し前に小鉢を作ったのと同じくプレゼント用に自宅の電気窯で焼成したもの。絵のデザインは2年ほど前に小皿用の図案をいくつか作成した材料を使用した。いわば以前と同じ絵のリピート制作である(2005年制作の陶芸小皿参照=ここ)。勿論、今回は粘土の種類が違うし、描き方も同一ではないが、同じデザイン素材を使ったものは私としては珍しい。絵画の練習をする場合に、同じ対象物を10枚描くというやり方がある。出来上がった10枚の絵画の中から自分の一番気に入ったものを選ぶ。そして何が他と違うかを考える。これをやってみると自分で順位付けが難しいこともあるし、自分の順位と他人が選ぶ順位が異なることもあるので面白い。同じことを歌手が10回同じ歌を歌う、ピアニストが10回同じ曲を演奏する、舞台の芝居を10回比較してみるなど、録音したりビデオで撮ってみると、完璧に同一にしようとするものでさえ”でき、ふでき”あるいは”好き、嫌い”がでる。まして絵画さらに陶芸となると、印刷や量産方式でない限り、同じにしようにもできない。今回の小皿シリーズを制作してみて、陶芸の線描技術は明らかに2年前よりは経験を積んだと自認するところがあった。けれども今は細密な絵付けとか写真の画像でさえ焼き物に写す技術がある。描く技量は少々上達しても小皿の全てに気合いが入っていなければ意味が無い。できれば「笹と月」の小皿を後10枚作ってみたい。
  7月31日

7月30日(月)  <何でもみてやろう・・>
「何でもみてやろう」の小田実さんが今日未明に亡くなった。死亡記事をみていると何故か今朝のトップニュースである”自民大敗(参院選)”と重なる。そうか、小田実は国会議員にならずに生涯を終えた・・。時代が10年ずれていれば、こういう人が議員になっていても不思議ではない。小田実(おだまこと/1932年生まれ、享年75歳)は変動する時代の最先端の流れをいち早く嗅ぎ付ける嗅覚が天才的でかつ行動力が抜群であった。東京大学を卒業してフルブライト奨学生(懐かしい!)としてハーバード大学へ留学(1958)したエリートが当時お決まりの出世コースをたどらなかった。インドなどを貧乏旅行(一日1ドル)をした体験記「何でもみてやろう」は我々(10年ほど後輩)にも多くのインパクトを与えた。その後若者が海外を冒険旅行することは珍しくなくなったが小田実は間違いなくそのパイオニアだった。”どうにかなる”の生き方は多くの人に影響を及ぼしたに違いない。一方、有名になった小田実は予備校の講師などをしながら、ベトナム戦争時にはベ平連を設立したり、その時々の平和運動に奔走。また北朝鮮を地上の楽園と讃える進歩的文化人の代表格でもあった。ご本人は北朝鮮国籍の女性と結婚しているし、最後まで北朝鮮を擁護し続けていた。もしかすると、旧ソ連や北朝鮮で目で見、体験した真実や、われわれの知り得ない裏の裏のストーリーを語ることなしに去ったのでないか。流行に敏感なあまり思想にフレキシビリテイーを持ち得なかったようにも思えるが、小田実とともに一つの時代が終わった。
7月31日(火)  <ジュンク堂・・>
ジュンク堂書店にいった。東京・新宿の三越が改装された際に6-8階が本屋になったという噂を聞いたことがあったが、ここに書店を構えたのがジュンク堂。勧められて初めて訪れたところ”感動した!” 最近は本屋と云うと幻滅ばかりさせられて、本屋稼業はアマゾンのようにインターネットで購入する店以外は全て消滅するのではないかとさえ思っていた。日本橋丸善ほどの書店の老舗にもほとんど見るべき本はないし、駅ビルの書店は専ら売れ筋の新刊書をならべるだけ。魅力のある本は見つけられない。ところが、ジュンク堂書店は違う。広大な売り場に専門別にあらゆる(?)本を取り揃えているといった様相。お金があれば買いたくなる本が次ぎ次に見つかるし、本棚を見て回るだけでウキウキしてくる。しかも本の中身をじっくり確認出来るように随所に椅子まで置いてある居心地のよさ。このジュンク堂、本社は神戸・三宮で今や全国展開をしている(Web紹介=ここ、JUNKUDO=ここ)。創業者の工藤淳をもじって淳工藤=ジュンク堂にしたというネーミングもまたいい。これからはジュンク堂で本を見て回るという楽しみができた。
「今日の作品」に「ススキと月(陶芸)」を掲載した。小皿シリーズの続き(線刻に呉須)。

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