これまでの「今日のコラム」(2007年 9月分)

9月1日(土)  <予感はどうして当たるのか・・>
「予感はどうして当たるのか・・」。東横線<東京・渋谷ー横浜間>の電車内で雑誌の吊り広告に見かけた文言である。雑誌の中身は知らないけれども、私がだした結論は「当たった予感は覚えているけれども、当たらなかった予感は忘れるため」。予感がピッタリと当たった、予想が的中したという類はほとんど都合の良い個所だけを取り出したものである。富士山大噴火などを予感した人は数限りなくいるが、外れた後には全く話題にならない。万が一、当たれば大占い師となる。私は飛行機に乗る時にはいつもヒョットすると墜落すると“予感”(虫の知らせ)がするが、無事に着陸すると直ぐにそんなことは忘れる。試験勉強のときに”勘”が的中したことがあるとすれば、それだけ広く勉強したに過ぎない。昔、テニスをしているときに「あなたほどアンテイシペーション<anticipation=予想、見越して先手を打つこと>がよければ楽でしょう」と云われたことがある(現在は身体が動かない・・)けれども、これも賭けをしてたまたま成功したに過ぎない。・・そこで、先のことを予測するときに、いいこと、悪いことも、あらゆる可能性を考えてみる。そうすると的中した個所の印象だけが記憶されるので、"私の予測はよく当たる"ことになる。予感の当たる人は可能性をたくさん考えられる人であろう。もっとも、世の中、”想定外”があるから面白い・・。
9月2日(日)  <アバクロ・・>
「アバクロ」のTシャツを着るシーズンもそろそろ終わり迎える。この夏にはほとんど毎日アバクロブランドのTシャツを身につけてひそやかに得意になっていた。およそブランド物とは無縁である私がこのブランドを知ったのは妻のニューヨーク土産として何着かのTシャツをプレゼントされてからである。アバクロンビー・アンド・フィッチ(=Abercrombie & Fitch=通称アバクロ)はアメリカで大人気のカジュアルブランドで、日本では出店されていないので一部の若者には垂涎の的のブランド。妻はニューヨーク・5番街の店にいって購入したが鍛え上げた身体をみせる上半身裸体の男性モデルがうろうろする店内は異様な雰囲気であったという。こんな話を妻から聞いても実感がわかなかったが、夏のはじめに私が着ているTシャツをある若者がじっと見つめていたかと思うと、「そのアバクロはどこで買ったのですか?」と聞かれた。自分のジーパンはアバクロでTシャツも買いたいけれども日本では手に入らないという。この一件でアバクロが日本でも人気があることを認識することとなった。なにしろアバクロの帽子やジーパンはぼろぼろのほころびだらけ。ブランド品と思わなければただの中古品にみえる。・・経済ニュースをみていると、現在世界中に362店舗を展開するアバクロは2009年末までに初のアジア旗艦店を銀座に出店すると報じられている。Tシャツを持っているだけで、こういうニュースにも関心を持つのが何かおかしい。アバクロのホームページ(=ここ)には裸の男女が現れたりしてなかなかユニークだ。
9月3日(月)  <天下太平・・>
「天下太平」であるとつくづく思う。安倍改造内閣の閣僚として一週間前に就任したばかりの遠藤武彦農相(68)が辞任、さらに坂本由紀子外務政務官(58)も続いて辞任することになった。いずれもカネの不正受給やら政治資金の架空計上やらで、政策論争をしたり国の進路を議論することとは全く無関係な小金処理上の欠陥が露呈した結果である。一方で野党の民主党さんもまたメデイアを賑わす。参院選で見事当選を果たしたかの横峯良郎さん(47)は愛人問題と賭けゴルフ疑惑。さすがに横峯さくらパパは東京妻がバレても全くビビらないと思っていると、今度はやはり参院選で虎退治をして(岡山で片山虎之助前参院幹事長<72>を破って)当選した姫井由美子さん(48)は夫や子どもがいながら派手な不倫を暴露された。こちらも「恥じることなし」と開き直って国会議員有志による舞台で芸者役を演じたというから正に芸能人並み。政権政党でない民主党員は気楽なものよと映る・・。とにかく与党、野党を問わず政治に緊迫感がない。政党も国会議員も所詮国民の鏡。国民像を作り伝えるメデイアにも勿論緊迫感はない。芸能誌なみの無責任な話題を提供していれば十分に食って行ける。こんな天下太平が平和の証とすると案外にこのような世の中悪くないのかも知れない。
<我が身ともども太平にて、明日は小旅行としてコラム休みます>

9月5日(水)  <伊豆・松崎町・・>
伊豆の松崎町にいった。静岡県、伊豆半島の西南に位置するこの町(=ここ参照)にはいくつかのユニークな観光スポットがある。一つは長八(ちょうはち)美術館。一般には余り知られていないが、江戸時代後期から明治初期にかけて漆喰を使って立体的な絵画を描く技法を駆使した入江長八(1815-1889/明治22)の作品を展示した美術館である。長八は名人といわれた左官職人であったが狩野派の画家の下で絵も修得して、漆喰鏝絵(しっくいこてえ)と呼ばれる独特の絵画(工芸)を残した。モノマネでない日本人の独創力と技術が合体した作品がたくさん展示されていて飽きることがない。この長八美術館(=ここ、またはここ)は美術館の設計者である石山修武氏(1944-,建築家で入江長八の発掘者でもある)の建築によって世に知られるようになった(1985年長八美術館の建築に対して最高の栄誉、吉田五十八賞が授与される)。現代の左官技術を至る処にちりばめた独特の美術館の建築を見るだけでも十分に面白い。松崎にはなまこ壁(白黒の碁盤目が斜めに交叉する模様)づくりの土塀や母屋がたたずむ町並みが残っているが、岩科(いわしな)学校もまたよく保存されていると感心する。重要文化財・岩科学校は明治12-13年に建設された小学校で旧睦沢学校(甲府)、旧開智学校(松本)に次ぐ古い小学校であるそうだ(hp=ここ参照)。明治の初期に都会とはほど遠い松崎の地で高度な教育があり、そして独特の文化が育っていた・・。
9月4日岩科学校@松崎町にて

9月6日(木)  <パバロッティさんが死去・・>
東海・関東に接近中の台風9号の情報をWebで見ようとして、今日、6日にイタリアのテノール歌手ルチアーノ・パバロッティさんが死去したことを知った。少し前には膵臓がんのため療養中と報じられていた。パバロッティは1935年生まれ。プラシド・ドミンゴ(1941-スペイン生まれ)、ホセ・カレーラス(1946-スペイン生まれ)と共に世界の三大テノールと云われた中では最年長である。世界的な名声を得て惜しまれながら逝った享年71歳。パバロッティの晩年、2006年のトリノ冬季五輪の開会式で歌ったオペラ「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」(プッチーニ作曲)が記憶に新しい。この歌はフィギュアスケートで荒川静香が金メダルを獲得したときに使った曲とたまたま合致して大いに話題になった。パバロッティの肉声はもう聞くことはできないが最高の時期のあのきらめく高音を録音によりいつでも聞くことが出来る。元来は瞬間芸であった音楽も絵画と同じく大きな足跡を永遠に甘受できる時代になったという感慨がわく。
「今日の作品」に「小皿/胡蝶蘭模様(陶芸)」を掲載した。写真左の小皿をはじめに制作したが模様が思うように出なかったのでリベンジとして家で制作し直したものが右側の小皿。透明の釉薬を変えただけであるが、結果的にはどちらがいいか分からない。少なくとも”revenge/復讐”というならばまだ達成出来ていない。そもそもはじめの分も悪くはないと思えるから不思議。リベンジなどと云わずに更に技術を磨いてよりよきものに挑戦したい。


9月7日(金)  <素数ゼミ・・>
東京では台風一過、午後には晴れ間がみえてツツクボウシ(つくつく法師蝉)も鳴き始めた。「素数ゼミの謎」という本(吉村仁著、文芸春秋社)を読んだところであるので、蝉の鳴き声にも何か壮大なロマンを感じる。先日たまたまNHKテレビでも米国の「素数ゼミ」が紹介されていた。日本の蝉は幼虫の間、6-7年間を地中で過ごし夏のある日に地上にでて羽化し2週間ほど大声で鳴いて死んで行くことはよく知られている。アメリカの東部・南部には正確に17年、あるいは13年の周期で大発生する「周期ゼミ」と呼ばれる蝉がいる。13、17の数から「素数ゼミ」とも呼ばれるこの蝉は狭い地域に集中して発生することも特徴で、「シンシナテイに50億匹」など、とんでもない数の蝉が一斉に鳴き始めると云う。本の著者の吉村さんは数理生態学が専攻で進化理論を研究している学者。米国の研究所にいる時に周期ゼミのことを知り、独自の視点で周期ゼミ(素数ゼミ)の理論を展開する。この本では「なぜ13-17年の長い年月をかけて成虫になるのか」、「なぜ同時に同じ場所で大発生するのか」、「なぜ13年と17年なのか」をとても分かり易く解説してくれる。このコラムスペースでは紹介しきれないが、いずれもNHKの番組をみて疑問であったところが氷解した。吉村理論では素数ゼミは180万年前の氷河時代(この時代に原人も現れた)に子孫を残し生きのびる過程で13,17の素数ゼミ以外が淘汰されたとみる。数学の素数が生物の進化と結びつく理論は実に面白い。<周期ゼミページ=ここ)>
9月8日(土)  <無線充電できる電気自動車・・>
「無線充電できる電気自動車」の見出しが今日のニュースで目についた(Webニュース=ここ)。三菱自動車が来月10月27日に始まる東京モーターショーで初公開するに当たって今日発表したもの。この電気自動車は駐車場などに送電装置を設置し車の受電装置へマイクロ波で電気を送電するという。三菱は自動車メーカーとして苦しい環境の中で電気自動車の取り組みには熱心である。今の世界は極端に云えば「石油が世界を支配する」構造。もし自動車用のガソリンが他のエネルギーに変われば世界は一変する。これが夢物語でないことは歴史が証明している。私が子どもの頃には蒸気機関車に牽引された列車を見ながら毎日学校へ通った。石炭でボイラーを焚いて走るのは列車だけでなく石炭自動車なんていうバスにも乗った。石炭が「黒いダイヤ」と呼ばれた時代から見ると、今の石油万能(それとインターネットの世界)は夢物語であっただろう。技術力が世界に変革をもたらすのは確かである。久しぶりに今度のモーターショウに行って見たくなった。

9月9日(日)  <蚊に刺されても”かゆみ”を感じない法・・・>
先日、山小屋で一泊した時に猛烈な蚊の襲撃を受けてほとんど眠れなかった(実は眠ってはいたようだが自分では最悪の一夜に思えた)。その時には大部屋に四人が眠っていたのだが、眠い中でこう考えた。室外とは遮断した部屋であるので新たに侵入してくる蚊はいない。室内にいる蚊の数は限られているに違いない。蚊は私の腕の血を吸えば満腹となって他の人を刺すことはないだろう。私だけ我慢して蚊にたらふく血を吸わせれば他の人はもう少しは安眠出来るだろう。こんな殊勝なことを考えて我慢した割には次から次へ蚊が押し寄せてきて夜中眠れなかった。翌朝、他の人はよく眠れたと聞いたのが救いだった。普段は他人と比べて特別蚊に好まれることはないのだが、この日の私はアルコールが入り過ぎたらしい。蚊の習性について余りに何も知らないので、この際Webで蚊について調べてみると床の中で我慢しながら考えたことは大部分間違えていたことが分かった。蚊が血を吸うのはメスが産卵のために栄養分をとるためで、通常、人間が動いたり叩いたりするため蚊は一度で満腹になるまで血を吸うことができず、吸っては逃げ吸っては逃げを繰り返して一匹が4−5回は吸うといわれる。吸血の際、はじめに唾液を注入した後に吸血に入る。この唾液が人体にアレルギー反応を起こし“かゆみ”を生じる。興味深いのは、何もなければ唾液は吸引した血とともに蚊の体内に戻されるので、血液を吸引し終われば刺された箇所のかゆみはそれほど感じることはないそうだ。吸引の途中で蚊が飛び立つと唾液を体内に残したままであるのでかゆみが残ると云う(以上、Wikipediaの「蚊」=ここ=による)。そうすると、身じろぎもせずに蚊のなすがままに存分に血を吸わせてやれば”かゆみ”も感じずに済むことになる。・・本当かなあ・・。

9月10日(月)  <人工頭脳・ボナンザ・・・>
「人工頭脳・ボナンザ」を知っている人はかなりの将棋好きに違いない。ボナンザはコンピューター将棋プログラム(ソフト)の名前である(=ここ=参照)。今年(2007年)3月21日に東京・品川プリンスホテルで竜王・渡辺明とボナンザの公開特別対局が行われて話題となった。何とこの時に将棋界のトッププロと平手(ハンデイーなし)、「2時間の持ち時間」で戦い、結果は渡辺プロが112手で勝利したもののボナンザの強さを見せつけた。将棋ファンでもない私がこのことを書くのは最近読んだ本、「ボナンザ対勝負脳<最強将棋ソフトは人間を越えるか>/角川書店」に感銘したからである。本の著者は3月に対戦したご両人、将棋界の若きホープ渡辺明(1984年生まれ、ポスト羽生世代の筆頭、ここ参照)とボナンザ開発者、保木邦仁(1975年生まれ、専門は物理化学の学者)。ボナンザ誕生の経緯を開発者が語り、棋士がコンピューターとの対局を語る。そして二人の対談など将棋をやらない私でも興味は尽きなかった。改めて認識したのであるが、チェス、オセロ、バックギャモン(=ここ参照)などのゲームでは今では世界のトッププレーヤーでもコンピューターに負かされる。10年ほど前にチェスの世界チャンピオンがIBMチームが開発した巨大コンピューターに敗れて大ニュースとなったが、この10年間でコンピューターのハードもソフトも格段に進化した。チェスよりはるかに複雑でコンピューターでは人間とは勝負にならないと見られていた将棋でも最早プロ並みの実力らしい。素人の将棋好き程度ならボナンザに勝つことはできないので駒落ちで遊んでもらうこととなる(ボナンザソフト=ここ=で入手できる)。ボナンザの優秀性を知れば知るほど、一方で人間の頭脳もまた凄いとの思いを新たにする。
9月11日(火)  < 初心不可忘・・・>
「 初心不可忘」を唱えながら必死に轆轤(ろくろ)を練習している。陶芸をはじめて数年経過して最近はかなり複雑な形状でも何とか仕上げる技術は身に付いた。けれども私はほとんどを「手ひねり」といってロクロを使わない手法を貫き通して来た。勿論、基礎の段階でロクロを習ったが、その後何年間もロクロを使用していない。その理由を思いつくまで書き出してみると、ロクロの作品は何となく量産品的にみえて変化が少ないこと、ロクロを扱う名人は既に数知れず多く希少価値はないこと、魯山人はほとんど自分でロクロを使えないけれども他のロクロ名人が制作した粘土に手を入れた上で絵つけをすることによりあれだけの作品を残したと知ったこと(ロクロ以外が勝負所)、ロクロには別料金がかかること・・などなどが挙げられる。いずれもこじつけた理由でロクロ以外の造形で十分忙しかっただけである。最近、ロクロによりこれまでに見たことのない魅力的な形状が出来ることを知った。そこで新たな挑戦として「ロクロ」をまたはじめたという次第。「初心忘るべからず」は 室町時代の猿楽師(能楽師)世阿弥の残した言葉で現代でも人口に膾炙(かいしゃ)しているが、世阿弥のオリジナルには三か条ある。「是非初心不可忘、 時々初心不可忘、 老後初心不可忘」。どのような段階でも未熟さを自覚して上達しようとする姿勢はまさに技の奥義であろう。ロクロで「 初心不可忘」を唱えるとやる気が出る。

9月12日(水)  <自動人形師・・・>
「自動人形師ムットーニ代表作50点を紹介=ムットーニシアター」という催し物(展覧会)をみた(@東京・銀座松屋、9月24日まで、案内=ここ)。余り期待を持たずにいったのであるが意外に面白く興味が尽きなかった。自動人形はいわばからくり人形の現代版であるからメカニズムは自分ならどう作るかの観点で見ることが出来る。ムットーニは人形の動き以外に照明に凝っている。LEDのランプを点灯させるだけでなく変化を持たせて雰囲気を作る。それと飾らない音楽がとてもいい。昔のジャズピアノのメロデイーやパイプオルガンの音を巧みに組み合わせて演出する。ムットーニこと武藤政彦さん(1956年生まれ)が会場で作品を紹介してみせてくれたが、武藤さんの作品はどれも自動人形の動き、光の変化、音楽、それと数分間のストーリーが実にうまくバランスしている。しばし夢のような別世界に引き込まれるのは楽しい。・・ここまでで終わっていればいいところを、国立新美術館(六本木ー東京ミッドタウン)の二科展にも寄った。これまでは上野の都美術館で開催されていた秋の展覧会が今年は国立新美術館で開かれている(二科展は9月17日まで)。毎度のことながら絵画展を見る度に絵画は難しいと思う。会場が変わっても絵の内容は変わらない。相変わらず巨大な意欲作ばかりであるが、何か気が休まる絵画に巡り会えない。みんな張り切り過ぎて無理をしているようにみえる。それでも何点かは家に持ち帰って側に置いてもよい絵を見つけてホッとした。絵でも人形でも、”無”よりも”有”がよいと感じさせるのは本当は大変なことだ。モノが多過ぎるとたいてい「無」が一番になってしまう。
「今日の作品」に「小皿/幾何模様(陶芸)」を掲載した。当初は失敗作に思えたが日が経つに従って、”これもよし”と思えるようになった不思議な皿。


9月13日(木)  <歩数計・・・>
「歩数計」を手に入れた。いわゆる”万歩計”を腰に付けて歩く姿はいかにもオヤジらしくて、そういえば最近目にすることがなくなった。今回、たまたま使い始めたものは、オムロン製でヘルスカウンターとか歩数計と称している。この歩数計ははじめに時刻、体重、歩幅をインプットする。装着する際には、ポケットに入れたり、カバンに入れたり、また首から下げて使えるところが進歩したかと思ったら、歩行以外のスポーツやジョッギング、階段の上り下りなどは正確にカウントしないと断りがある。どのような機構でカウントしているかよく分からないが、とにかくも使ってみた結果、昨日は7370歩、今日は今現在で16038歩であった。今日は、午前中にテニスをした分が正確ではないにしてもカウントされたのだろう(テニスの最中に報道のヘリコプターが数機旋回を続けて騒音をまき散らしていると思ったら、安倍総理が慶応病院に入院して検査を受けるところを空から取材しているものだった)。また効果的な有酸素運動の目安となる歩数を「しっかり歩数」と呼んで表示するが、16038歩の中で4263歩(45分)であった。これは毎分60歩以上、連続10分以上の条件をクリアしたものを取り出したとか。・・ここまでの機能はよしとする。ところが、この歩数計はUSBでパソコンに接続してパソコン管理ができることを売り物にしているが、ウオーキング管理ソフトのCDがWindows専用。何とMacには対応していないのである!Macを使用している自分としては、この歩数計は欠陥商品と断言せざるを得ない。誰かWindowsユーザーにこの歩数計を譲ろうと思っている。
9月14日(金)  <胡蝶蘭・・・>
胡蝶蘭の植え替えをした。大きな鉢に3系列の胡蝶蘭が枝垂れている典型的な贈答品の鉢植え。茎に添った針金のサポートを外して、一鉢の中にまとめてある三個の小さな鉢(薄いプラスチック製)を別々に取り出す。小鉢から中身を出すと水苔に絡まった蘭の根が現れる。古い水苔と傷んだ根を除去して新しい小鉢に新しい水苔を使い三鉢分を植え替えた(鉢の下部には水はけをよくするため発泡スチロールの小片を入れた)。事前に調べた時には水苔ではなく、バーク(樹皮でつくった土壌改良材)を使おうと思ったが訪れた園芸店では扱ってなかったので、従来方式の水苔を使った。この植え替えの成否は2-3年先でないと分からない。今ごろどうして胡蝶蘭の植え替えをしたのか・・。この胡蝶蘭、昨年の12月にいただいたものが、今まで咲き誇っていたのである!これまでは年末にいただくと長くても5月の連休の頃には花は見られなくなるのに、今年は、梅雨は越した、夏はどうだろう・・と云っているうちに、9月になってもまだ花が咲いている。植え替えをした時点で二系列に13個の花がまだ咲いていた。この花は切り花として今部屋を飾っている。これほどの生命力を持った胡蝶蘭を次にも活かしたいと慣れない植え替えをしたのである。園芸店で相談をした時に余程環境が胡蝶蘭にマッチしたのでしょうと云われた。「胡蝶蘭は熱帯の樹下に着生していたから、直射日光を嫌い、高温多湿で風通しのよい場所を好む性質がある」という。そういえば、我が家は日は当たらない、陰でジメジメしているところもある。な〜るほどと納得した。

9月15日(土)  <肉を減らせ・・・>
”肉を食べる量を減らすと地球温暖化防止に大いに効果がある”という怪しげなコメントが今日の読売新聞・「よみうり寸評」に掲載されていた(=ここ)。これは英国で発表された論文を引用しているのだが、この記事を一読していくつもの疑問がわいた。まず、結論のところ:「論文によれば、1人が1日に消費する肉は先進国で200-250グラム。途上国はその10分の1。世界平均では100グラムになり、それを10グラム減らすと、大いに効果がある」。日本では果たして全国民が毎日200-250グラムもの(牛)肉を食べるものか。少なくとも我が家では肉はほとんど豚と鶏である。論文のストーリーとしては、「温暖化を引き起こす温室効果ガスの22%は農業から出る」、「そのうち80%は牧畜から(理由=牛や羊などの腸にいる菌が牧草を分解する際にメタンガスを大量に作り出すため)<豚や鶏はどうなんでしょう?>」、そして上記の結論となる。単純にみると、22%の内の80%、更にその10%の効果、つまり約1.8%ほどのガス削減の効果があることになる(温暖化への効果の%は分からない)。「肉を減らせ」という趣旨に異論はないが、肉の食べ過ぎに限らず、温暖化対策は”わずかな効果”の積み重ねであろう。ちなみに、別の地球温暖化防止対策として次のような項目があった。「シャワーを1日1分減らす」、「炊飯ジャーの保温を止める」、「テレビを見る時間を減らす」。「大いに効果」と云わなければ、「何でも効果」がある。
9月16日(日)  <犬の聴覚・・・>
犬の聴覚が人間よりはるかに優れていることはよく分かる。我が家のアール(コーギー犬)も人が気がつかない物音を聞きつけて教えてくれたり、道路を通る他の犬のわずかな音にも反応する。そんな敏感な耳を持った犬が妻の弾くピアノの真下で気持ち良さそうに寝ていた。このところアールはピアノの側で過ごす時間が多い。馴染みのある音楽を聴いて安心しているのなら分からないでもないが、どんな曲でも全く意に介せず眠っている。一般的には、人間の聞き取れる音の周波数は20から20000HZであるが、犬は16から120000HZほどの超音波まで聞き取れると云われる。だだし、人間は年齢と共に可聴範囲は変わる。以前、このコラムでも17000HZのモスキートー音は20歳を越えると聴き取れなくなることを書いた(=2007年2月3日のコラム=ここ)。今回私がWebで自分の可聴範囲を確かめると、せいぜい50HZから8000HZが限度だった(=ここ=でチェックできる)。犬の聴覚が加齢と共に衰えるのかどうか知らないが、犬でも歳をとると耳の感度が鈍くなるのは当然とも思える。我が家のアールはこの11月には11歳となる。それでも聴覚が少々衰えてもピアノの音域は十分に聴こえるだろう。耳のいい犬が音楽をどのように聴いているのか知りたいものだ。少なくともアールにとってピアノの音は心地よく聞こえているのは間違いない。
「今日の作品」に「小皿/植物模様(陶芸)」を掲載した。一連の線描小皿の続き。


9月17日(月)  <敬老の日・・・>
敬老の日で今日は休日。「敬老の日」とは「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し長寿を祝う」のが趣旨だと云う。それにしても、100歳以上の老人が3万人を越し、80歳以上の人口が713万人、65歳以上の人口は2744万人(総人口の21.5%)との最近の数値をみると愕然とする。80歳以上の人が、フィンランド(520万人)、デンマーク(550万人)など一国の人口を軽く上回る。65歳以上となると、オーストラリア(1900万人)、北朝鮮(2270万人)、サウジアラビア(2600万人)をも上回る人口パワーである。老人とは一体何歳からをさすのか。今は65歳を老人と思う人などいない。65歳以上の人を福祉措置の対象とする老人福祉法が出来た1963年(昭和38年)当時65歳以上の人口は6%であったが、1997年でさえこの割合の年齢でみれば74歳と云うから今現在は80歳近いだろう(正確には未確認)。これだけ多くの高齢者がいれば老人であるがゆえに「敬愛」したり「祝う」ことができるとは限らないのに、政治もメデイアも「敬老」一本やりで、醜い老人にはアンタッチャブル(フレナイ)だ。私が醜い老人と偏見を持つパターンは、金持ちであるのにケチ、わがままで自分中心、過去の自慢話が全て・・なんていう人々。同情すべきご老人には存分に福祉措置をするとして、現代に必要なのは「敬老」よりも「老人教育」でないか。
9月18日(火)  <汐留シオサイト・・・>
「汐留シオサイト」に行った。東京港区の新橋駅近辺、貨物線・汐留駅跡地が再開発されて、2003年に巨大複合都市が誕生している。13棟のオフィス高層ビル、四つのホテル、数えきれない数のレストラン、店舗が立ち並ぶこの一帯が「汐留シオサイト」と呼ばれる(=ここ参照)。汐留シテイーセンター(43階建て)、電通ビル(48階建て)、 日本テレビタワー(32F)、汐留タワー(24Fー38Fはホテル)など超高層ビルが林立する風景はニューヨークのマンハッタンを思わせる。目的とした「松下電工ビル」の24階建てがむしろ遠慮勝ちに見えるのが微笑ましい。汐留シオサイトはまさに時代を反映した企業と建築の場であるので、コラムの何日分ものテーマがありそうだが、今日は松下電工ビルの4F「松下電工汐留ミュージアム」(=ここ)で開催されている「バーナード・リーチ展」(=11/25まで)のことを書く。バーナード・リーチ(1887-1979)は英国人の陶芸家であるが、濱田庄司や楠本憲吉など日本の陶芸家との交流や、柳宗悦らと協力した民芸運動など日本での活躍が私たちに親しい。リーチの陶芸は以前にも見たことはあるが、今日みた陶芸も含めて日本人でないセンスが随所に現れて面白い。リーチは「東洋と西洋の融合」を真剣に目指したとされるが、日本から多くを吸収しながら、やはり西洋のDNAを持っている。そこに日本人はまた触発される。陶芸以外にリーチのスケッチや家具工作の作品も展示されていた。陶芸でも家具でもリーチの作品には無理のない自然体を感じる。こんな時、私もまた陶芸に限らず何か”創りたい”衝動が沸き起こる。
9月19日(水)  <三尸(さんし)虫・・・>
「三尸(さんし)虫」とはかなりデタラメな虫でないかと考えた。犬の散歩で通るところに庚申塔(こうしんとう)がある。庚申塔は道教に由来する庚申信仰に基づいて建造された石塔で、江戸時代に全国的に広く建立されたという。案内板によれば、「庚申の日に眠ってしまうと<三尸(さんし)>という虫が体内から抜け出し天の神に日頃の悪事を報告され、罪状によって寿命が縮められるので(庚申講の仲間が)集まってその夜は眠らずに過ごした」とある。ここには”日頃の悪事”を天の神に報告されなければいい、三尸虫のことを懐柔して嘘の報告をさせればいいという思惑がみえる。・・最近比較的若く亡くなる人に接すると「いい人」ばかりと思うことが多い。昨日にはプロ野球のかつての大スター長嶋茂雄の奥様の訃報が報じられた。私の身近な人でも、どうしてこの人がと思うような人ばかり亡くなる。「いい人ほど早く亡くなる」のはどうしても合点がいかないけれども、「悪い奴ほど長生きする」(”悪い奴ほどよく眠る”という黒澤・三船コンビの映画が昔あった)というのも差し障りがある。三尸虫は仲間と酒を飲んで夜更かしをする人間の悪事を報告しない、そして、酒を飲ましてくれない”いい人”のことは、在ること無いこと、デタラメな報告をする。三尸虫から報告を受けた天の神は”いい人”の寿命を縮める。理不尽な三尸虫報告をそのまま信用するのならば本当の神ではない。中間者(他人)の報告、報道はまず疑ってみるべきは人間にとっても鉄則であるのに・・。
9月20日(木)  <スマイリー『:-)』・・・>
スマイリー『:-)』が25歳の誕生日を迎えたという記事があった。顔文字は特別に意匠登録などしていないから誰が一番初めに使用したかは証明が難しいと思うが、顔文字、『:-)』(笑い)、『:-(』(怒り)をIBM社のScott Fahlman氏が1982年9月19日am11:44(日本時間では20日だ)に初めて使用したことが当時のバックアップデーターで確認されているという(=ここ=参照)。その後の顔文字の普及はブレーキのきかない車のごとく暴走気味ではある。当初の目的であった”文章だけでは伝えられない微妙な感情を表現する”意味では文章の味付けとして面白かったと思うが、私は多用され過ぎるのは好みではない。それと何より分かり易い素直な形が好きだ(2チャンネル風は採らない)。例えば、(^_^) 、(*_*) 、それに、;-) (ウィンク)などは単純でいい。Wikipedia(Web上の百科事典)には、日本と欧米の顔文字の違いについて興味深い解説があった。それは、日本の顔文字は主に目の形で感情を表現する。これに対し、欧米の顔文字は主に口の形で感情を表現するとのこと。そう云われれば上記の横型(ウィンクなど)の顔文字は欧米型で口が大きい。心理テストをすると日本では相手の感情を表情から判断する時に目をみるが、欧米では口の形をより強くみるそうだ。顔文字で国際交流をすると感情を誤解されることがあるかも知れない。やはり顔文字はそこそこがいい :-) 。
9月21日(金)  <電通・・・>
先日、再開発された汐留シオサイト(東京)に行った時、ひと際目立ってそびえ立つ超高層ビルが「電通ビル」(48階建て)であった(9/18コラム=ここ=参照)。電通はこのビルの地下5階から地上45階までをオフィスとして使用している。電通が広告代理店であることは誰もが知っているが、いまや売上高1兆6000億円(電通グループで2兆円)の巨大企業であり日本社会に大きな影響力を持っていることは余り伝わってこない。従業員6000名が年間一人2億6000万円以上の売上、それも広告手数料だけで、というのが現代の広告宣伝の世界なのだ!電通の恐ろしいところは、新聞、テレビなどメデイアをいわば操ることができるところか。新聞もテレビもスポンサー、広告主がなければ成り立たない。そのスポンサー、広告主の間に立って広告取引のサービスを提供するのが電通であるから、新聞もテレビも電通さんのご機嫌をそこねる訳にはいかない。自分に対する批判を許さずに、マスメデイアの報道をコントロールする力あるということは、国民への影響も無視出来ない。例によってWikipedia(Web百科事典)で電通の事業内容などを見ることができる(=ここ)が、その中に、現在は使われていない1970年代の電通戦略十訓が記載されている。例えば、「もっと使わせろ」、「無駄遣いさせろ」、「贈り物をさせろ」、「流行遅れにさせろ」などなど。建前上、今では大っぴらに戦略として採用していないにしても、現代の電通ともピッタリマッチする内容にみえる。我々は目にするコマーシャル、バラエテイ、やらせ番組などで知らぬうちに洗脳されている。その背後に巨大な「電通」がいることを注目しておきたい。
9月22日(土)  <夾竹桃・・・>
夾竹桃(キョウチクトウ)という言葉がでなくて悔しい思いをした。早朝に犬を連れて散歩するときに、時々目にする花や植物の名前を口に出して言ってみるのだが、今朝は公園に咲いていたピンクの花の名前がでてこない。真夏に花を咲かせる誰でも知っている、ホラ、アレ・・などといいながら家に帰り着くまでどうしても思い出せなかった。知っているはずの固有名詞が直ぐにでてこないのはどうしてだろう。今日は、ゼラニュウムの花、孟宗竹(モウソウチク)、槐(エンジュ)の樹、彼岸花(ヒガンバナ)などと言っている間はよかったけれども、夾竹桃を見たとたんに突如脳はお休みしてしまったのである。このコラムで「夾竹桃」を書いたことで、もう二度と「キョウチクトウ」の名前を忘れることはないことを期待しよう。・・ところでお彼岸だというのに今年の彼岸花はほんの一部が咲き始めた程度で咲き方が遅い。いつもなら「夾竹桃」ではなく「彼岸花」が相応しい時期であるのに・・。今日も東京では厳しい残暑となった。早く涼しくなって一面に咲き誇る彼岸花を見たい。
「今日の作品」に「はてなの茶碗に花(陶芸)」を掲載した。昨年(2006)の2月20日に掲載した「はてなの茶碗」(仕掛けのある茶碗=ここ参照)に花を飾ったもの。この陶芸作品に花を生けるとは当初思いもつかなかった。モノは使いよう・・。


9月23日(日)  <ガーデニング・・・>
ガーデニングができる環境にある人がうらやましい。自分で自由になる庭は持っていないけれども、私は以前ガーデニングの設計をして雑誌に応募したことがある。庭の広さなどの条件が決まっていて、庭にどんな植物をどのように植えるか、ベンチやデッキをどう配置するかなど、想像の世界を図面に描いて、何と無謀にも雑誌社に送ったのである。当然の結果として落選はしたが、その時、勉強用に購入したガーデニングの本がまだ2ー3冊残っている。最近、そのガーデニングの本を取り出して再度研究をはじめた。自分の庭ではなく、親しい親戚の庭をいじらせていただくことになり、今度は具体的な作業が伴うことになった。今日の日曜日には関連して分厚い板材をバーナーで焼いた。木板の表面に焦げ目をつけると木目が目立って美しくなるほかに防水性が向上し腐り難くなるのでよくやる技法だ。バーナーも板も自分で持っていたものだが、板の表面を本格的に焼いたのは初めての経験だった。焦げ目が付くだけで木材に新たな品格がでたように見える。早速テーマとする庭に置いてみて、いよいよガーデニングがスタート。面白いことに想像の世界でなく、具体的に作業を自分でやることになると”図面”を作らない。現物を眺めながらその場でアレ、コレと試みる。時に、これが自分の庭だったら・・と少し寂しくなりながら、これからもゆっくりと他人の庭作り(といって花壇作り程度)を進めるつもりである。

9月24日(月)  <バタ−皿・・・>
「バター皿(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。”バター皿”の名前が適当かどうか分からないが、バターとかジャムを入れる皿が欲しいとリクエストされたので制作したもの。我が家ではパン食の時にバターの切片を並べることはないし、ジャムの取り皿も使わない。プラスチック容器に入ったマーガリンをそのまま使用する無粋な習慣の我が家ではこのような「バター皿」を思いつくことはないので、他からリクエストがあると新鮮に思える。これをチャンスとして世界に二つとない”バター皿”を自分なりに気合いを込めて制作した(この作品は陶芸教室でなく我が家で造形し家の小型電気窯で焼成した)。今朝、窯(炉)の温度が60度まで下がったところで窯から出してみると、ほぼ思い通りの(あるいは思っていた以上の)出来映えであった。主な制作ポイントを書いてみたい。粘土は貫入土(白ベース)、皿の部分は削りだし、粘土形状が出来上がったところで皿の内部以外には呉須(青系)と白化粧を混ぜた土をスポンジで軽く塗布した。素焼き後皿の内部には白マット釉。皿の底(一つのみ)と上部の四角部分をマスキングした上で全体に透明釉をかける。次にマスキングした部分にはブルーのガラス片などを置き(底には一部オハジキのガラスを使用)本焼成へ。Max.温度1230度により素材が釉薬、ガラスと一体化して独特の景色を作ってくれた。・・食器は使う人に気に入られて楽しく食事に参加出来るのが一番の幸せである。このバター皿も毎日食卓で使われることになればうれしい・・。

9月25日(火)  <まる子のおじいちゃん・・・>
「まる子のおじいちゃん」みたいと言われ、これがどういう意味かしばし考えた。親戚の家の入り口近辺でレンガ積やモルタル仕上げをやっている時、道を通りかかった学校帰りの女の子(小学3ー4年生)がじっと作業を見つめていた。目が合ったとたんに女の子から話しかけられる。”大変ですね”と云われたから、”チッとも大変じゃあないよ、簡単・・”と言葉を返すと、そこから親しげに職務質問をされた。遠くから来たのかとか、どこの家かとか、何歳からやっているのかとか・・、今の小学生はレポーターの素質は十分だ。歳を適当に返答したときに女の子が発したのが冒頭の”まる子のおじいちゃんみたい”という言葉である。「ちびまる子ちゃん?」と問うと黙ってうなづいた。思わず、”ちびまる子ちゃんのおじいちゃんには負けないよ”と云ってしまったが、これは「言わずもがな」だった。女の子としてはどんなイメージで「まる子のおじいちゃん」がでたのか今も分からない。・・ところで、久しぶりにモルタル(=セメントに砂が配合されたもので水を加えると即使用できる)作業をしたが、日ごろ粘土をこねていることから、大した造形もないモルタルは極めて簡単。大変な仕事でなく楽しい遊びであった。
9月26日(水)  <パソコン疲労・・・>
「パソコン疲労」を自覚してあわてたが手遅れだった。今日は珍しく外出もせず一日中パソコン仕事をした結果である。パソコン仕事による疲労は頭脳が疲れるのでない。目の疲労からはじまり、肩こり、腰痛、更に身体全体の不調へ発展する。先の休日に若い知人が毎日ほとんど一日中パソコンとにらめっこの仕事なので体調を崩すと話していたので、1時間ごとに休憩を取って背伸びをしなさいとか、歩く習慣を強制的にでもつけるべきだとか、先輩ぶってアドバイスしたところであったが、自分は実行が伴わないテイタラク。パソコン仕事の身体への危険性は誰でも知っているけれども、いざ使い始めると、気がつくと2ー3時間経過するなど時間の経過に鈍感になるところが問題である。私の場合は義務的な仕事でないので、自分でコントロールすることは比較的容易であるが、職務として終日パソコンだけを相手にする若者は本人の一存で行動出来ないことも多い。パソコンを相手に仕事をする人には以前の”背広にネクタイ”の勤め人スタイルと基本的に異なる衣服と設備(デスクや椅子など)が準備されなければならないと思われるが、実際にはどの程度配慮されているのだろうか。Webの世界ではさすがにパソコンでの疲れを防ぐ方法がいろいろ議論されているようだ(例えば、ここ)。それにしても対症療法で”分かっているけれどもできない”ものが多いような気がする。私は以前パソコンを長時間やるなら「立ってキーボードを打つ」姿勢がいいのでないかと実際に試みたことがある。今でもこの「立ち姿勢」は捨て難い。くたびれると自然と休息をとる、足踏みもできる、背筋も伸びる、首も正面を向く・・。いいこと尽くめに思えるのに採用されないのは何か理由があるのだろうか・・。
9月27日(木)  <期待が大き過ぎると裏切られる・・・>
「期待が大き過ぎると裏切られる」のは世の常。何度もそんな体験を繰り返しながら、明日から予定している小旅行のことを期待して書く。車で山形まで行くのであるが、ついでに是非「山寺」に立ち寄りたいと調べ始めた。10年以上前に確か一度だけ山寺を訪れたことがあるが、ほとんど記憶に残っていない。滞在した時間が余りに短かったせいだろう。今はインターネットという便利な道具があるので、山寺の名で知られる「宝珠山立石寺」をあらためてWebで調べてみると、境内は広大(52万坪)で奥の院までは1015段の石段が続くとある。前回は山門辺りをうろうろしただけであった。立石寺といえば松尾芭蕉が「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の句を詠んだ場所として余りにも有名であるが、芭蕉の句碑や芭蕉像はほんの入り口にあることも分かった。立石寺での滞在時間は1.5ー2時間はとりたいということが結論。世の中にはまた期待以上に楽しいことも多い。どうなるだろうか・・。
<明日から2日ほどコラム休みます>

9月30日(日)  <出会い・・・>
「出会い」には人知では計り知れないた天の配慮がある。今回はピアノ演奏との出会に深い運命を感じた。山形テルサホールで催された「須田真美子 ピアノリサイタル」。演目は、モーツアルト、ベートーヴェン、ドビュッシー、ブラームス、(それにアンコールでショパン)という豊富なメニューをそろえて、どれもが言葉では表現しきれないすばらしい名演奏を聴かせてくれた。須田真美子さんのピアノの音には実に多くの色がある。水墨画の色調から、水彩、パステルカラー調の色、濃い油絵の色まで、ピアノにはこれほど多彩な音があるのかと不思議なほどである。一方でどんなに細い一音、一色にも研ぎすまされたような緊迫感が漂う。演奏に引き込まれながら、山形という一地方都市でのリサイタルが非常に大きい意味があるように思えてきた。こんな演奏を世界のどこにいけば聴くことができるだろう。生涯でこんな演奏に出会えることがまたあるだろうか。この演奏者と同じ会場にいることだけで何と云う幸せ・・。須田真美子さんは日本のメデイアではそれほど名が知られていないが、知る人ぞ知る名ピアニストである。ヨーロッパ各地で活躍し、日本では桐朋学園で後進の指導に当たる。ピアニストを目指す若者を教えるだけでなく、一般のピアノ教師の指導にも労を惜します、一方で現役ピアニストとして一層演奏を進化させ続ける。須田真美子さんの演奏を聴くと年齢を重ねたただけの「円熟」とは違った、人間性と精神性と技術とが合体して完成された深い境地を知らされる。須田真美子さんは私たちが同時代に生きていることさえ幸せと思うべき貴重な存在であることに気がついた。山形テルサホールでのリサイタルをありがとう!
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