これまでの「今日のコラム」(2007年 10月分)

10月1日(月)  <ない方がいい・・>
ない方がいい・・、そう思えるものは多い。今回のドライブ旅行の帰路、川西町(山形県)のダリア園に寄った(Web=ここ)。5万本のダリアが咲き競うという4ヘクタールの広大な園内には散策できる道や芝生のスペースもある。初めてみる巨大なダリア、珍しい品種などを堪能したが、園内にスピーカーで大きな音楽を流しているのにはいささか辟易した。ない方がゆったりとダリアを観賞できるのに音が気になって落ち着かない。「ない方がいい」とこちらが思う一方で、「なければ寂しい」と音がある方を好む人がいるのも確かである。「ない方がいい」は個人の好みの問題であるとしても、テレビがうるさければ消せばよいがスピーカー音はそうはいかない。秋の展覧会シーズンであるが、絵画を見ていて”この個所がなければず〜といいのに・・”と自分勝手に鑑賞することがよくある。描いた人は懸命に考えた末に描いたものが「ない方がいい」と云われれば怒るかも知れない。絵画では「描き過ぎない」ことは云うほど容易ではない。言わなくてもいいことを言ってしまう、書かなくても十分に意図が伝わるところを余分な文章を入れる。蛇に足を描きたくなるのは古来より人間の習性か。それにしても、ダリア園の音楽サービスはやはり「ない方がいい」。
10月1日/ダリア園で買ったダリア
10月2日(火)  <景観保護・・>
景観保護はどこが責任を持つのだろう。先週末に東北をドライブ旅行した際、有名な観光地で景観が破壊されて勿体ないと思うケースがいくつかあった。先ず、かの山寺(立石寺/山形県)。松尾芭蕉が同じ道をこうして登って行ったのだろうなどと考えながら(芭蕉は50歳で亡くなっているから当時私よりもはるかに若かった)頂上の奥の院までいった。「岩にしみ入る蝉の声」のシーズンは過ぎているが「閑(しず)けさや」どころではなく頂上付近(住居がある)でエンジン音が響いていたのには驚いた。これは人が住んでいて特別に工事をしていたから止むを得ない。景観破壊と思ったのは電線と電柱だ。山の上にある寺の写真を撮ろうとすると電柱や電線が邪魔をする。以前、京都のお寺の境内に自動販売機が設置してあり、カメラのシャッターを押す気になれなかったことを思い出した。この欄の最下部に掲載した五色沼(福島県裏磐梯)の一番大きな沼、毘沙門沼ではボートの貸し出しをしている。この写真は何とかボートをやり過ごして撮影した(今考えると何艘ものボートがうろうろしている写真を掲載すべきであったか)。山寺は歴史遺産、五色沼は自然遺産。貴重な遺産の景観は規制なしには維持出来ない。ヨーロッパの美しい街並が非常に厳しい規制の下に成り立っているのは周知の通り。電柱を地下に埋めて配線すること、ボートを止めることなど極めて簡単でないのか・・。
10月2日/五色沼の毘沙門沼/福島県

10月3日(水)  <リンパ・・>
「リンパ」の流れを良くすると疲れがとれるという。確かに、眉の下(眼球の上)を外側にこすり、続けて耳に沿って首下をマッサージすると気分が爽快になる。ところが改めて「リンパ」を考えると何も知らない。血液の場合は心臓がポンプとして働き全身に血液を循環させるが、リンパはどうして流れるのかも知らない。そこで「リンパ」について少し調べてみた。心臓から動脈に押し出される血液量は一日2400リットルと云われるが、その内20リットルが毛細血管から血管外へ漏れだす(血漿が押し出されて組織液に混じる)。これは組織間液(細胞外の液)となり、細胞に酸素や栄養分を運び老廃物を取り出す役割を果たす。この組織間液のほとんど(90%=16〜18リットル)は毛細血管から浸透圧により静脈に吸収される。血液に再吸収されなかった残り(2〜4リットル)の組織間液がリンパ液と呼ばれ、リンパ管に流れ込む。リンパ液が流れるリンパ系は老廃物を処理したり免疫細胞を産み出す役目がある。リンパ液の移動は「蠕動運動(ぜんどううんどう)=腸が食物を消化移動させるのと同じ動き」あるいは「骨格筋の収縮」による。毛細リンパ管は集合して太くなり、最後は鎖骨下静脈に流れ込み血液と合流する。・・こうして概要を調べただけでも、やはり人間の身体は”動かすこと”で正常に働くようにできていると納得する。リンパマッサージもよいが、先ず運動。骨格筋を動かせばリンパは流れる。
10月4日(木)  <山寺・・>
「山寺」(水彩&ペン)を「今日の作品」に掲載した。先週訪れた山形の山寺(立石寺・納経堂と開山堂)の絵である。この絵を「今日の作品」のページ(=ここ=)に掲載しようとして、先月の9月には一枚も絵画作品を掲載していないことに気がついた。陶芸作品は9月には5項目を掲載しているのに対して、いかにも絵画が少ない。何故だろう・・。この秋、絵の展覧会にも何回か行ったことがある(国立新美術館など)が、行く度に「絵画は難しい」と思ってしまう。絵を前にしてしばらく動けなくなるほど感動すれば、直ぐにでも家に帰って絵筆をとろうとするのだが、「みんな何をいかに表現するか悩んでいるのだ・・」などと思うと自分でも描く気力が湧かない。「山寺」のようなスケッチ画はいわば楽しみとして描いているので雑念はない。もし、山寺の絵を展覧会に出すとすれば、どんな風に描くだろう。どんなに綿密に描いてもただの具象では面白くない。墨絵風にするのも在り来たり。他人が描いたことのない描き方は・・、などと考え始めると描けない。一方で絵は誰でも描ける。だから国内だけでも何万人もの愛好者がいる。絵画は難しいとしても楽しいことは確かだろう。・・こんなことを綴っているうちに、難しいからこそ、もっと本格的に取り組むのも面白いか、などと思い始めた。

10月5日(金)  <百学連環・・>
「百学連環(ひゃくがくれんかん)」のタイトルがついた展覧会をみた(@印刷博物館/東京・トッパン小石川ビル、12/9まで、HP=ここ)。サブタイトルは「百科事典と博物図鑑の饗宴」。国外、国内の歴史的な印刷図版を目の当たりにしながら、これほどの資料を見せてくれる「トッパン」に感謝した(11/3文化の日には無料)。「百学連環」とは明治初期の巨人・西周がEncyclopedia(百科事典)につけた日本語訳である。百の学問、知識が一つの環をなして連なっているというすばらしい訳だ。<ちなみに、西周(にしあまね、1829-1897)は、徳川幕府の命でオランダに留学した後、幕末から明治初期に広範囲に活躍した啓蒙家であるが、西周が考案した翻訳語(日本語)としては、哲学、心理学、物理学、科学、芸術、技術など多岐に渡る>この展覧会で改めて印刷の歴史を教えられるところが多かったが、私が特に興味深く思ったところを2−3挙げておこう。徳川幕府を開いた家康は全国の諸藩への通達に印刷を採用しはじめる。この印刷技術は長い鎖国時代においても本格的な博物誌(動植物の木版図鑑)を生むなど、日本国内に高度な文化・学芸を浸透させる役割を果たした。実際に浮世絵にまでつながる江戸時代の木版技術には目を見張るものがある。物理を学んだ者には「フックの法則」(弾性体においては外力と変形量が比例関係にあること)としてお馴染みのフック(1635-1703)が発刊した「ミクログラフィア」という書物が展示されていた。フックは自作の顕微鏡で蚤(のみ)を観察して全長300mmほどの大きな蚤を挿絵にしている。こんなフックの一面を初めて知った。杉田玄白が著わした「解体新書」の解剖図は江戸時代後期の木版で刷られているが、この原著である「タ−ヘル・アナトミア」(銅版刷り)もあわせて展示されている。「解体新書」のエネルギーがいまも伝わってくる。・・印刷博物館にはまた行ってみたくなる魅力があった。

10月6日(土)  <もし印刷がなければ・・>
「もし印刷がなければ・・」と昨日訪れた印刷博物館で印刷の歴史をみながら考えた。人間は文字を手に入れて言葉以外に他人に伝える術を知っていたが、印刷がなければ知識やノウハウを広範囲の人に伝承することはできない。グーテンベルクが15世紀半ばに活版印刷をはじめて実用化して聖書を印刷したのが大量印刷のはじまりとされ、「活版印刷の発明」は羅針盤、火薬とともに”ルネッサンスの三大発明”の一つと云われるのも分かる(日本には16世紀末に遣欧少年使節により活版印刷技術が伝えられた)。大量印刷の技術はあらゆる知識、学問の普及に大きな役割を果たしたことは勿論であるが、従来のうわさ話が瓦版から新聞など情報誌として大発展したことも社会としては影響は大きい。大量印刷がなければ大衆社会はなかった。一方で、情報材料としての印刷物をみるとき、どんな時代においても意図的なプロパガンダ(宣伝)が混入し、必ずしも真実を伝えるものではない面がある。現代においても印刷物であること、大新聞であることで、人は一方的に印刷内容に感化される傾向がある(先日の国会討論で新聞報道によれば云々・・が枕詞で質問をするのには驚いた)。今は印刷から更にテレビ、インターネットの時代。情報過多の中で情報の内容を判別することは容易ではない。少なくとも”情報”については印刷がなかった時代の”うわさ話”程度の認識でいたほうがよさそうだ。知らないことを知るとはこのことか・・。

10月7日(日)  <YouTubeで大学講義・・>
「YouTubeで大学講義を丸ごと配信」という記事をみてWebのサイトにいってみた。UC Berkeley(米国、カリフォルニア大学バークレー校)ではフルコースの授業のビデオをYouTubeを通して配信する。将来は化学、物理、生物学など300時間以上の講義を、YouTube-Berkeleyサイト(=ここ)で利用できる予定というが、今はGoogle創業者の一人であるSergey Brin氏の講義や他の講演などをみることができる。YouTubeはご存知のようにアメリカで生まれた動画共有サービス。会員登録をすると容量100MBまでの動画ファイルをアップロードできる。その利便性から世界中に普及して、日に何万もの動画がアップロードされつつ、今は8千万件を越す動画があるそうだ。動画の閲覧は誰でもできるので、著作権の問題をかかえながら、映画、テレビ、ゲームなどの予告、宣伝など活用法が模索され続けている。正直な話、私はYouTubeというと芸能人のふざけ番組の類とか奇をてらった動画と思って興味がなかったが、Berkeleyのサイトをみて考え直した。アメリカの大学での講演を長時間聞くだけで大いに英語の勉強にもなる。本格的な講義が聴講できれば「教育」の概念が変わる。時間さえ許せばいつでもバークレーでの講演を無料で聴講できるとは、・・すごい時代になったものである。

10月8日(月)  <門・・>
「門(水彩&ペン)」を「今日の作品」に掲載した。この門は東京・白金にある聖心女子学院の校門である。風格のある門なので以前から描きたいと思っていた風景の一つであるが、今回スケッチを掲載するに際して、この門を設計したのはチェコ人の建築家であることを知った。門が建造されたのは明治42年(1909年)、設計はJ.レツルというチェコ出身の建築家で、レツルは現在広島の原爆ドームとして保存されている旧広島県物産陳列館(大正14年建造)の設計者でもあるという(=ここ=による)。この樹木に囲まれた門はこれからの紅葉シーズンには一層趣を増す(秋の写真=ここ/学校のHP)。さて、門という言葉から人はそれぞれの悲喜こもごもの局面を連想できるのでないか。入門、破門、仏門、山門、凱旋門、門外漢、門下生・・。夏目漱石の「門」という小説のタイトルは漱石の弟子が辞書を開いて最初に目に入った文字を題名にしたもので小説の内容と関係がないと伝えられるが、小説「門」のはじまりはのどかな「秋日和」の描写で(=ここ)、何かスケッチをした門が小説の背景にあっても似合いそうである。門のテーマを書き出そうとしていると、たまたま私が今着ているTシャツには“The Gate"の文字がある。これは2005年の2月にニューヨークのセントラルパークで行われた「The Gate」という催しの記念Tシャツだ。アーテイストのクリストがセントラルパークに7500本のゲートを建てて評判となった(2005-2/17コラム=ここ=に書いた)。そして「門」というとこれを挙げない訳には行かない:「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きく、その道は広い。そして、これより入って行く者多し・・」(新約聖書、マタイによる福音書、第7章)。


10月9日(火)  <西行法師・・>
西行法師について調べたくなった。今日の日とは何の脈絡もないが、自分のシステムノートに記している「何事の おはしますとは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」(伊勢神宮で詠んだとされる/実作か疑念もあるようだ)の歌をみて、これを詠んだ西行をもう少し知りたくなったのである。西行の歌というと、もう一つ余りに有名な桜の季節の歌「願わくは 花のしたにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月(もちつき)のころ」は知っているが、その他は直ぐにでてこない。改めて西行を調べると、1118年生まれで1190年没であるから平安末期から鎌倉時代に活躍した僧侶・歌人。23歳で出家し、後に西行と称した。出家する前は、上皇(鳥羽院)を警護する北面の武士であったというから当時のエリート中のエリート武士である。出家後、諸国を巡り多くの歌を残したが、この旅が尋常ではない。京都近辺から中国四国、高野山から伊勢志摩、更に奥州藤原氏のところまでは二度も行っている。西行没後5百年を経て、芭蕉が西行に思いを馳せながら同じように旅したことはよく知られている。西行が出家した理由については諸説あるようであるが、歌人としての西行は歌壇に新風を与えながら膨大な文化遺産を残した。後世に与えた影響の大きさは計り知れない。もし、西行が武士を貫いていたら後世特筆されることもなかっただろうと考えると歴史の偶然を有難いと思う。百人一首に選ばれた西行の和歌:「 歎けとて 月やは物を おもはする かこちがほなる わがなみだかな」。秋の歌として、こんな歌もある:「 世の憂さに ひとかたならず 浮かれゆく 心さだめよ 秋の夜の月」。

10月10日(水)  <さらばジャンボ・・>
「さらばジャンボ」の記事が今朝の朝日新聞にでていた。ジャンボの愛称で親しまれてきたボーイング747機が近い将来日本の空から消えるという話だ。客席数500余のジャンボに代わって次の空の主役には来年登場する330席の中型機であるB787機になりそうである。何よりジャンボ機(エンジン=4基)は燃料消費量が多く、B777機(1994年就航、エンジン2基)でさえ、東京ーパリ間、一回の飛行でジャンボ機よりドラム缶200本分少なくて済むとの記事であったのでジェット機の燃費を調べてみた。まず航空機の燃費は自動車のように距離ではなく時間で表すので、概略の感覚として距離をベースにみてみる(当然、高空を飛行するのか低空かなど条件で異なる)。ジャンボ機B747の場合、大雑把に燃料1リットル当り、60-70mの距離を飛行する(自動車と比べて随分少ないと思われるかも知れないが重量が違う)。1分間に約200リットル(=ドラム缶1本分)を消費し、東京ー大阪間でドラム缶50本相当を使う(600km/10kl=60m/l)。航続距離11000km(東京ーニューヨーク直行便)のB747-200Bは燃料を19万リットル(=ドラム缶950本相当)を積載する。エンジンが二基の中型機であるB777は当然燃費は下がるはずである。B777の仕様では航続距離4370m、燃料容量117.3klとされているが、予備燃料を含んでいるので、これだけの数値ではジャンボとの差はみえない。いずれにしても、ジャンボ機では自動車100台分相当を運んでいるので、自動車の感覚でみるならば、1リットル当り70mの100倍、7km/lの燃費で飛行していることになる。たとえこの燃費が半分になったとしても、私たちが海外旅行をする際には一人一人が膨大な燃料を使用してことに改めて驚愕する。環境問題は他人事ではない。

10月11日(木)  <バイオリズム・・>
「バイオリズム」という言葉を最近は聞かなくなった。一昔前には大流行りしたこともあったのに・・。バイオリズムは人間の身体、感情、知性の三種類には一定の規則的な周期(リズム)があると云う説である。誕生日を基準として身体は23日、感情は28日、知性は33日の周期を持つとして、毎日の体調などをバイオリズムと合わせてみることもあった。バイオリズム説は100年以上前に科学的根拠などなく提唱された仮説であるので、今はすたれていても当然かも知れない。バイオリズムの周期はそのまま信用しないけれども、私は自分の体験から身体、感情、知性に確かに”波”があることを認める。絵画や陶芸の作品作り、毎日のコラム書き(このホームページ)、テニスの動きなどを観察していると、明らかにリズムがある。どうしてもアイデイアが浮かばず、創作する意欲もないときには、じっと我慢、休養して時を待つ。そうするとしばらくして嘘のように突然やる気がでるのである。外部からよき刺激を受けると意欲がでるが、強制されてもやる気にはならない。身体、感情、知性でみると身体が基本にあるように思える。体調がよければ感情も安定し頭脳も冴える。・・バイオリズムは信用しないと云いながらWebのサイト(=ここ)で自分の誕生年月日をインプットしてみた。明日、2007年10月12日のリズム=「感情が円満で、気力充実し、カンもさえている。ギャンブルによし、遊ぶによし、今日のツキは我がもの!」。よ〜し!!

10月12日(金)  <晩節・・>
「晩節」とは「晩年の節操」(新明解/三省堂)とある<広辞苑(岩波)ではこの意味以外に、「晩年」、「老後」の意味が加えられている>。今の時代、何歳頃から「晩年」と称するのか知らないけれど、建築家の黒川紀章さんがが今朝の8時頃心不全で亡くなったとの報道をみて「晩節を汚す」という言葉を思い出してしまった。1934年生まれでまだ73歳。10年後に晩年を迎えてもおかしくない年齢だ。70歳を過ぎてから突如、政治に目覚め、都知事選挙、参院選に立候補して落選を繰り返したのは周知の通り。見方によれば、まだ意欲満々でそれがたまたま政治に向ったとも見える。世界的な名声を得て、大金持ちで、世界中に数カ所の住居を持った人物が、次に何を目指したか。更なる名誉、権力、そして知名度を求めて政治家をターゲットとした。そして結局は晩節を汚したと思えてならない。何か人間の老い方を考えさせられるのである。もし、あり余るお金を使いたいのであれば密やかに他人のために使用すればどんなにか人間の品格が上がったであろうに・・。基金を作って若者を援助することもできただろう。いや、歴史の審判だの後世の評価など本人はあずかり知らぬと云えば、その通り。本人がやりたいことを存分にやった人生であろうが、晩節が何か寂しい。

10月13日(土)  <ラマダン明けの祭り・・>
「ラマダン明けの祭り」だろうか、今日の昼頃、マレーシア大使館(東京・渋谷区)の側を通ると多くの着飾ったマレーシアの人と思われる人々でにぎわっていた。ラマダンは今日のニュースから連想した。ロシアの宇宙船ソユーズが打ち上げられて国際宇宙ステーションとのドッキングが成功したというニュースで、ソユーズにはマレーシア初の宇宙飛行士が乗り、ラマダン明け直前には断食を免除されたと報じられたのである。ラマダンと呼ばれる断食月は世界のイスラム教徒にとって非常に大きな意味を持つことは周知の通り。今年の断食月は9月14日に始まったから一ヶ月後の今は正にラマダン明けを迎えるところだろう<ラマダンの日開始日は毎年11日づつ早くなり33年間で季節を一巡するという>。ラマダンの一ヶ月間は日の出から日没まで飲食を断つ。完全に断食する訳ではないので、ラマダン中は夜食が増えて通常よりも食料品の需要が増えることもあるそうだ。イスラムの教えとして、「断つ」ことにより逆に有難さを伝えるやり方は非常に巧妙である。喉の渇いた時に飲む水の美味しさ、ありがたさはラマダンでなくても経験するところ。飽食の時代、何でも有余る時代に、あえてラマダン流を採用したいものは多い。自動車を断つ、新聞を断つ、テレビを断つ、電話を断つ・・。ラマダン明けにはお祭りをして食することのできる幸せを祝うのと同じように、断つことにより本当の存在価値が分かるのでないか。断ったままで済めばそれが一番・・。
10月14日(日)  <我が家のコーギー犬・・>
我が家のコーギー犬、アール(来月11歳)がこのところ後ろ脚(左)をひきずるようになってしまった。獣医さんにみせても加齢のため・・というだけで適当な対策がでない。寝起きの際にモタモタして部屋の中では後ろ脚を引きずっているけれども、外に出て散歩をする時にはほとんど不自然な歩き方には見えず早足で普通に歩く。これが最近の私の様子と余りに似ているので笑ってしまう。私も部屋の中での動きは膝をかばってかなりモタモタしている。寝起きの際には足腰に注意をしながらゆっくり立上がるので老人のようで我ながら格好わるい。ところがテニスをはじめるとかつての敏捷性はないとしても積極的に動く。アールは屋外でも階段の上り下りの時には脚を引っ掛けることがあるのでなるだけ平坦な散歩道を選ぶが、その程度に私のテニスも無理をしないように自重している(昨日は昔バレーボールで流行した回転レシーブのように転倒しながら一回転したが・・)。それにしても、「火事場の馬鹿力」というように人間でも犬でも緊張すると筋肉がフルに活動できるメカニズムがあるのでないかと思うほど、家の内外で動きが異なるのは確かである。アールの後ろ脚を触っても痛さを訴えることは全くない。私には毎日の筋トレが課題、そしてアールも適度に散歩を続けるのがいいだろうと、今朝は久しぶりに恵比寿ガーデンプレイスまで散歩に行った。アールは以前母親(10歳で亡くなった)と一緒によく来た場所で元気一杯だった。
10/14@恵比寿ガーデンプレイスにて

10月15日(月)  <陶芸設計図・・>
「陶芸設計図」(花器用)を「今日の作品」に掲載した。計画図面を”作品”に入れたのは初めてである。私は陶芸でも複雑な構造のものを作る時には先ず図面を描く。今回掲載した図面は粘土制作寸法を実寸法で描き周囲の曲面の型板を作る目的であったので、用紙に対して収まりが悪いが、通常は制作したい形状を適当な縮尺にして用紙にぴったりと入れる(粘土寸法は焼成時の収縮を考慮して15%大きくして制作する)。考えてみると「ものつくり」の職業でも計画から製造までを一人で担当することは希である。建築家は立派な建築を私の作品ですと云うが、建築家が作業したのは実は図面作りだけ。他のメンバーが強度計算をして施工は専門の業者が実施する。仕事として飛行機を設計しました、ロケットを作りましたと云っても、自分では何も手を下さずにモノができる。設計者にとっては「設計図」がまさに「作品」なのである。一方で、作る技能がなければ設計図だけではモノはできない。陶芸で設計図を描き自分で制作してみると「図面を描くだけなら容易」と思うことは多い。掲載した「図面」に従って今日は悪戦苦闘して制作の第一段階を終わった。設計のときに製造の方法をかなり検討したつもりであったが思う通りにいかなかった。「やってみないと分からない」ところがあるから陶芸は面白い。


10月16日(火)  <器/笛つき・・>
「器/笛つき」(陶芸)を「今日の作品」に掲載した。昨日は「陶芸設計図」を掲載したが、「器」は設計図もなければ初めに完成させる意図もなく”成り行き”で出来上がった作品である。陶芸教室で私は何年間も”ロクロ(轆轤)を使用していない。陶芸を習い始めた当初には基礎のロクロを修得したが、その後専ら手捻りの手法を通してきた。ロクロを特に軽んじた訳ではなく、ロクロ以外でやりたいことが多過ぎた。今回、教室の先生がロクロで今までに見たことのない造形をしているのをみて、またロクロをやりたくなった。久しぶりに電動ロクロを使い練習をしながら試作品を捨てずに焼成したのが今日の「器」である。ロクロで大きな深い容器を制作する要領で外壁の粘土を高く持ち上げた後に、これを内側に落としてドーナツ型にする。ドーナツの内部の空気は密封されるので「風船作り」の手法を適応できる。つまり内部の空気は逃げ場所がないので外部から叩いて粘土を締めたりドーナツを変形させたりできる。こうして制作した周囲がドーナツ型の容器に私はまたドーナツ部が共鳴筒となる笛をつけた。釉薬は油滴天目。内部には青色のガラスを少し入れて焼成した。出来上がった「器」と「笛」を私はとても気に入っている。計画をせず成り行きでやったことが案外に結果がよい。人生でもしばしば同じ経験をする・・。
10/17太陽光写真
10月17日(水)  <ボクシングファンでなくても・・>
ボクシングファンでなくても先日の世界フライ級タイトルマッチにはあきれ果てた。10月11日にTBSがテレビで生中継した世界フライ級の王者、内藤大助と挑戦者、亀田大毅とのタイトルマッチは完敗した亀田が信じられない反則行為を繰り返す様子や、セコンドの怪しげな指示が放映されて、一挙に社会問題になってしまった。後に報道される内容をみるだけでも、これはかなりひどい。今更、処分を受けた亀田一家にとやかく言うことではない。亀田一家は相手への罵詈雑言も含めて、あえて悪役を演じているのに対して、今回の騒動でテレビがプロデユーサー的役割を果たして亀田一家を使って視聴率を稼ごうとした魂胆がみえみえだ。反則の最中でもTBSが亀田寄りの解説ばかり(試合直後に苦情の電話が1500件とか)。TBSは更に試合後に亀田親子の特別番組を準備していたが社会的に大きな問題となってしまったので番組を中止した。TBSが生中継した番組の著作権はTBSが持つが、問題になった後に再放送することはしない。インターネットの世界では著作権に関係なくYouTubeなどでテレビの問題シーン(反則行為やセコンドの指示など)の動画が流されているが、TBSはネット上に公開される動画に対して著作権を申した立て削除するのに躍起になっているという。日頃、報道の自由だとか知る権利だとか云ってみても自分の都合の悪いこととなると隠蔽作戦。TBSの株式が買い占めにあった時に、経営のトップが社会的責任とか企業の品格とかおっしゃったことを忘れていないか。世界チャンピオンを決めるリングで品のない最低の試合を披露し社会的な問題を引き起こした責任の一端はTBSにある。

10月18日(木)  <馬油・・>
「馬油」を愛用している。というより何でもかんでも馬油で済ましていると云った方がよい。私は薬というものをほとんど使うことはない。それでも何事かあった時、例えば、火傷(極まれなケース)、擦り傷、軽い怪我、肌荒れ(特に土いじりなどで手が荒れたとき)、唇の荒れ、虫刺されなど何でも馬油のお世話になる。ひげ剃り後のクリームやハンドクリームの代わりとして使うこともある。一昔前には”メンソレータム”が似たような用途にあったが馬油は更に使用範囲が広い。いつ頃から、どういう理由で馬油を使用するようになったか定かではないが、効能はともかく全く害(副作用)がないと思われるのが一番よい。使ってはいるが何故馬なのか、牛や豚ではないのかなど何も知らないので、この際「馬油(バーユと呼ぶ)」について調べてみた。「馬油」とは「馬の脂肪を長時間煮て不純物を濾過した油」で、古来より使用されてきた民間医療薬<私が使っているのは熊本の村善製>。馬と牛や豚との大きな違いは、牛や豚など一般の動物性脂肪は飽和脂肪酸であるのに対して、馬の脂肪には不飽和脂肪酸が多く含まれていること。不飽和脂肪酸の中のリノレン酸には抗炎症作用や抗アレルギー作用がある。また不飽和脂肪酸は皮膚への浸透力が強く細胞を保護したり細菌を封じ込める作用もする。一般的には不飽和脂肪酸は変化し易い(腐り易い)が馬の油は変化し難いのが特徴だという。・・現代の医学で千年前から伝わる民間医療薬の謎が解明されていく。それにしてもなぜ馬油だけに不飽和脂肪酸なのか分からない。古代の知恵や恐るべし・・。
10月19日(金)  <濃緑A・・>
「濃緑A<2007-10作品>(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。これは8月27日に制作を開始した作品であるので焼き上がるまで随分と時間を要した。例によって作品名を何にしようかと迷った末にメインの釉薬の名前「濃緑」を使った。制作を始めたときのカードには”水盆”と名前をつけて、容器部分に水草でも入れたり花や植物などを適宜生けてみるつもりであった。完成した後に何か他の用途はないものか考えているといくつかの穴に蝋燭を立てるのも面白いと思いついた。まだアイデイア次第で色々用途はありそうだ。どちらにしても、この「濃緑A」を作っている最中は計画なしに抽象画を描いているような楽しい思いをした。当初は自在な曲面を作って小さな玉を上り下りさせる"ワンダーランド(不思議の国)”を作るつもりであったけれども、途中で高さ・長さがこの倍くらいの大きさでなければ無理と判定して、急遽抽象造形物に変更した経緯がある。こんなデタラメ形状であるので写真を撮って形や構造を伝えるのが非常に難しい。とりあえず真上からの写真を掲載してみた。写真では見難いが、上面の層から穴を通して下に落ちる場合と滑り台のように面で降りる仕組が混在する。また下の水たまり部分と無関係に裏底まで達する穴もある。青く見えるところは色ガラスで模様をつけたもの。

10月20日(土)  <同期会・・>
同期会にでかけた。来春で大学を卒業して45年になる。機械工学を学んだ仲間40数名が集まったが、卒業以来会っていない人がほとんどだ。はじめは見知らぬおじさんと思っていた人も名札を見て話をしているうちに懐かしく昔の面影が浮かんくる。皆のスピーチを聞きながら一つの時代を支えたそれぞれの生き様を見る思いがした。入学した1959年当時は「機械工学」は最難関、最人気の学科であった。今の情報、コンピューターなどの学科がない時代に”機械”は幅の広い先端技術を担っていた。卒業生はほとんどメーカーに就職。そして自動車、重機械、造船、製鉄、プラント、精密機械など、その後の日本産業の発展を支えてきたのは確かである。今は、リタイアしてボランテイアをしたり、自分で事業をする人など、勤め人とは別のやり方で社会に尽くそうとしている人も多い。最近の学生の就職事情などを聞くと、モノツクリへの危惧を抱くこともあるが、時代の調整作用に任せる以外ない。同期の仲間たちが過去の愚痴をひとつも云わずに、今のこと、未来のことを語っているのが実に爽やかであった。

10月21日(日)  <冷凍保存・・>
冷凍保存の重要性はいまさら云うまでもない。和菓子の老舗「赤福」が冷凍保存したアンコ餅の製造日を改ざんしてJAS法違反の大目玉を食った事件が一段落したところで、今一度冷凍保存について考えてみたい。今は一般家庭でも冷凍庫を使って冷凍保存するのは日常茶飯事である。冷凍したご飯でさえ解凍して使っても味は全く遜色ない。ただし一般家庭用の冷凍庫はせいぜいー18℃程度の温度が限度である(特殊なコンプレッサーを追加してー60℃まで冷却するフリーザーも存在はする)。一方、遠洋航海をするマグロ漁船ははじめから高性能の冷凍機を装備して漁獲マグロを直ちにー60℃以下まで急速冷凍しー55℃以下で冷凍保存する。これは二年以上の変色防止を前提とした冷凍技術である。そして、解凍のやり方や実際に食するときのテクニックはあるようだが、面白いことに味は冷凍マグロの方が生マグロ(日本近海で穫れたもの)より美味しいこともあるという(どうしてか、興味のある方は”ためしてガッテンの解説=ここ=参照)。幸いなことに(?)マグロの場合、捕獲・冷凍した場所や、日付を表示する規則はない。JAS法がどのような内容なのか知らないけれども、冷凍保存した場合のことを考慮しているのだろうか。味も品質も劣化していない和菓子をJAS法のために”捨てろ”と云うのであればどこかおかしい。もし、はじめに規則(JASや食品衛生法など)ありきの社会であれば食の名品「納豆」さえ産まれなかったに違いない。
10月22日(月)  <今日うれしかったこと・・>
今日うれしかったことは、大リーグ、レッドソックスの松坂大輔がインデイアンスとのア・リーグ優勝決定戦で勝ち投手となりワールドシリーズ進出が決定したこと。日本中でこのニュースを喜んだ人は多いだろう。私的には今日は滅多にないトラブルでショックを受けた日でもある。家の電気窯で陶芸の素焼きが終わったので扉を開けたところ、バラバラに破損している。見るも無惨!陶芸を習い始めたころ、陶芸教室で一度だけ”破裂”させた経験はある(=ここ=2002年の写真あり)が、自分の窯でこれほどの大失敗は初めてである。はじめはショックであったが冷静になると直ぐに原因追及をはじめた。習性として失敗は学びのチャンスととらえることは身に付いている。失敗があるから進歩する。私は失敗を経験しない人を信用しないし、失敗そのことを非難する人は認めない。・・そんな言い訳をしながら”破裂のメカニズム”を考えていると、今日は「学びの材料」をもらったうれしい日に思えるからオメデタイ・・。恥ずかしながらの破裂写真を最後に掲載してみる(これ以外に無数の小片あり)。
「今日の作品」には「濃緑A」に蝋燭を飾った写真を掲載した。
10月22日
10月23日(火)  <織部・・>
織部の大皿を「今日の作品」に掲載した。「織部」と総称される緑がかった色がでているが、土は黄瀬戸を使用、釉薬は全体に黄瀬戸釉をかけ、その上からタンパン(淡斑)釉をかぶせて酸化銅の緑を発色させたもの。一部には白の模様をつけ、またガラスの粉を置いてアクセントをつけている。今回の黄瀬戸ー織部の大皿は粘土の段階で思う存分に凸凹やら削り模様を加えた。これほど好き放題に作ると、凹凸部が汚れ易いとか洗い難い、重過ぎるなど実用面でのクレームはあらかじめ承知の上で制作時は楽しくてしようがなかった。完成品もほぼイメージ通りに仕上がり、これはうれしい作品である。さて、「織部」というと名前の由来である古田織部(1544-1615)の壮絶な人生を思い起こす。桃山時代に美濃で焼かれた陶器が織部と呼ばれる独特の形や文様を作り上げたのは茶人、古田織部の「織部好み」を反映しているとされるように、古田織部というと一般的には茶人を思う。武将としての古田織部は織田信長に仕えた。信長死後は羽柴秀吉に仕え、秀吉が関白となると朝鮮まで従軍している。秀吉時代には千利休との交流が知られているが、利休が秀吉の不興をかって追放された時に、秀吉に遠慮してだれもでてこない中、織部と細川忠興のみが堂々と利休を見送ったと云うエピソードも面白い。関ヶ原では東軍についたものの、家康側から豊臣に内通すると嫌疑をかけられて切腹した。織部の子ども二人も父に殉じて自害したが、古田の家系、そして織部流の茶道は明治に至るまで脈々と続いた。政権はすたれても文化の息は長い・・。


10月24日(水)  <ゴルフ・・>
ゴルフをやらない私が「ゴルフ」で書き出すとどうなることやら・・。とにかくもゴルフは非常に面白くて一旦始めると病み付きになるようである。前防衛次官氏が防衛装備を発注する先の民間会社幹部の接待を受けたとされるのも、100回以上のゴルフ。多い時には毎週ゴルフ場に通ったというから、ご本人はゴルフが本当に好きだったのに違いない(この事件では国の防衛のため真面目に訓練をやり厳しい任務を遂行する一般隊員がかわいそう)。先日行われた同期会でも趣味がゴルフという人が圧倒的に多かった。われわれ年代の半数以上がゴルフをやる。私はついにゴルフをやらずに貫き通したが、亡き父の唯一の趣味はゴルフだった。私が小学ー中学生の頃には田舎の家の庭には父のゴルフ練習場があった。それにしても当時は日本でのゴルフはまだ黎明期。プロゴルファーとしても中村寅吉の名前が知られる程度であった(樋口久子は中村寅吉に憧れプロの道に入ったとか)。その頃からみると今のゴルフの隆盛は夢のように思える。テレビ放映される試合の多いこと、賞金の莫大なこと、十代のゴルファーの活躍など、これ以上の待遇はないと思われるほどに今のプロゴルファーは恵まれている。テレビのスポンサーとなるオジサン方がみんなゴルフ好きに違いない。私は子どもの頃に父に一度連れられてゴルフ場を見た時に、こんなに広大な土地を使うスポーツは日本で発展するはずはないと思ったことを記憶している。この時の将来予測は見事に外れたが、いまだにこんな贅沢なスポーツがいつまで隆盛を続けるのかの疑念は抜けきらない。

10月25日(木)  <Twitter・・>
Twitterと呼ばれるインターネットのコミュニケーションツールが米国を中心に流行している(=ここ)。Twitterとは辞書によれば、(小鳥などが)さえずる、(興奮したりして)ぺらぺらしゃべるとある(英和辞典/研究社)。その言葉通りに、”What are your friends doing?”で始まり、ごく簡単に”何をしている”のメッセージをWeb上に掲載して交流するチャット用具。「今、ご飯たべてる〜」、「いま起きたところ〜」など、暇つぶしの会話をして何が楽しいのかと思わないでもない(日本語でのインプットもできる)。今日、Twitterを話題にしたのは、今、アメリカ西海岸(南カルフォルニア)で建物1600棟以上を焼失させ、なお延焼中の山火事の情報交換に、このTwitterが活躍しているとの記事をみたからである(=ここ)。確かに地元の報道機関がTwitterを使って時々刻々と火災の情報を伝えている(ロスアンジェルスタイムズの例=ここ)、<Twitterとは別に、LAタイムズの火災報道は写真の迫力が凄い=ここ、またWebの百科事典、 Wikipediaはリアルタイムでの山火事記事を掲載=ここ>。普段は大して役に立たない暇つぶしの遊び道具が災害時に予想外の役割を果たす。Twitterのそんな姿は象徴的だ。有用、無用などを安易に決めつけてはならない。

10月26日(金)  <プリンタ写真は数年で変質する・・>
プリンタ写真は数年で変質することを知らされた。私はこの10年ほどはデジカメで撮影した写真をテーマごとにA4サイズにまとめて(Photoshopソフトを使用)自分のプリンタで印刷してアルバムを作っている。たまたま2003年に印刷した写真の一枚がピンぼけであることに気がついた。よくみると年月など文字もにじみがでたようにボケている。ほぼ同じ頃に印刷したもう一枚にもやはり全体のボケを見つけた。念のためパソコンに保管しているデーターから相当する二枚を再度印刷してみると見違えるようにシャープであった。経年変化であることは間違いない。他の写真でも全体に既に色あせが見られるが、ピンぼけになると色があせたどころでなく写真として欠陥品となる。わずか4年間でこれほど劣化するとは思っていなかった。ところが、どのプリンタメーカー、印刷用紙を使ったのか今のところ分からない。プリンタはエプソンを使った時代が長かったが、その後アルプス電気、今はヒューレッド・パッカードと代わった。そういえば何年か前にエプソンのコマーシャルであったと記憶するが、以前よりプリンターのインクの経年変化が少ないですよと宣伝していた。それまでのインクはそれほど劣化がひどかったのか。かつては50-100年を経過した白黒写真がセピア色に変色しても雰囲気は十分に伝わるものであった。今のデジカメ写真印刷を次世代まで引き継ぐのは無理なのか。それにしても4年でボケるのはひど過ぎる。
「今日の作品」には「織部大皿」の側面写真を掲載した。


10月27日(土)  <新宿にいったついでに・・>
新宿にいったついでにジュンク堂書店(新宿三越の6-8F)によった(ジュンク堂については7月31日のコラム=ここ=参照)。特に目的なく立寄るだけで、この書店は満足感を与えてくれる。今日も読みたい本が数冊みつかったが、先立つもの(お金)を考えて目次だけ拾い読みして帰ってきた。欲しい本をそう簡単に手元に置く訳にはいかない。そんな時、Webのニュースで今日は「読書週間」の初日であることを知った。ところが今は携帯小説が大流行とか(読んだことはないが)、インターネットで文学作品を読むこともできる。そこで「読書とは何か?」の初歩的な質問を辞書にぶつけてみた。広辞苑(岩波)によれば読書とは「書物を読むこと」とある。広辞苑は続く「読書人」の解説の方が参考になる。読書人とは「1.読書を好み、よく書物を読む人、2.中国で科挙により官の資格をえたもの、・・ひいては一般に知識人、学者」とある。読書の雰囲気が分かったところで、新明解(三省堂)をみると、こちらは気持ちがいいほど実に”明解”であった。読書とは「いっとき現実の世界を離れ、精神を未知の世界に遊ばせたり、人生観を確固不動のものたらしめたりするために、(時間の束縛を受けること無く)本をよむこと。(寝転がって漫画本をみたり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、勝義の読書にはふくまれない」」。私はこんな解説が面白くて新明解を愛用しているのだが、広辞苑も新明解もインターネットや携帯で”文字を読む”ことは想定していないと思われる。印刷物以外の電子本でも本を読むことが出来る時代。「読書週間」には電子本をいかに読むかを考えてみよう。
10月28日(日)  <千早ぶる神無月も最早あと二日・・>
「千早ぶる神無月も最早あと二日の余波(なごり)となった二十八日の午後三時頃に・・」(これは、二葉亭四迷”浮雲”の書き出し/読むカレンダーの今日のページより)「・・素焼きで破裂した材料を苦心惨憺の末に再生して手作り時計を完成させた」。この修理完成品を「今日の作品」に掲載した<破裂の経緯は10月22日のコラム=ここ=参照>。修理の前後(before/after)を記録として残すために写真を撮り陶芸コーナー(=ここ)に掲載している。粉々に破裂した中から主要な個所を拾い集めて接着剤でくっつける。更に破損して強度が弱くなっている個所には金属を加えてやはり接着剤で補強。裏面は全体を塗料で下塗り、表面は白をアクリル絵の具、周囲は鉄色を赤さびに変色させる高級な塗料で仕上げた。この時計は6月に制作した四分割時計(陶芸コーナー6月22日=ここ)が好評なので、同じものは作らない私が四分割を一体化して珍しくほとんど同じデザインで制作したものである。ところが今回出来上がった修理品と以前の純正陶器の組立品を並べてみると俄然修理品の方華々しくみえる。何か素性のしっかりした賢い女性が、整形手術をした目元パッチリした女優さんの隣で霞んでしまった雰囲気。前の純正陶芸品が地味でかわいそうなほどである(比較写真も陶芸コーナーに掲載)。今回のような補修は理屈を考えるとバカらしくて誰もやらないだろう。どんなに立派に修理しても陶芸作品として展覧会にだすことは出来ない、勿論、値段をつけて売ることもできない、手間ひま、費用を余分にかけて再生する意味は何か自分でも十分納得してはいない。けれども、やってみた結果、いろいろと考えるところがあった。陶芸とは何か、陶芸に工芸を加えることはできないのか、そもそもアートとしては境界を設けることはないのでは・・。

10月29日(月)  <擬(もどき)の技術・・>
擬(もどき)の技術には驚くばかり。最近の花や植物の”もどき品”は昔の”造花”とか”ホンコンフラワー”のイメージと全く違う。目を近づけてよく見ても本物と変わらず”安物”感はない。むしろ本物の長所を巧妙に表現しているので芸術品に近い。実際に販売されているものは「高級品」である。先日、新宿で「皮をむいた果物」の擬(もどき)をみた。やはり布をベースにして制作しているようだが、リンゴや柿などの皮を半分むいて格子に巻き付けるなどしてアートの世界を作り出していた。実物と見分けがつかないほど精細にできていて、実物では皮をむいたリンゴを飾ることはないが、これならばデイスプレーとしても楽しめる。商用の擬の代表格は昔からあるレストランなどの食品サンプルか。これも外国人にはアートにみえるようだ。大物となるとヴェニスの街並とか遺跡を発泡スチロールで模型を作り、色をつけて完成させるテクニックはよく知られている。ところで、昨日「今日の作品」で掲載した時計の修理の際に、私としては初めてメタリックさびカラーシリーズの「鉄色/赤さび」を使用した。これは先ず金属塗料(鉄系)を塗布して、乾燥後に更に発色液を塗る。発色液というのは酸化促進剤で要は強制的に錆を発生させるものである。こうなると擬(もどき)といっても表面は実際の鉄さびであって本物と同じだ。擬(もどき)の技術が進歩すると、次には応用するセンスが問われそう。本物そっくりの擬(もどき)と呼ばれるのではなく、本物を越えたアートとなる可能性がまだ随所にありそうである。

10月30日(火)  <ティファニ−1837-2007・・>
「ティファニ−1837-2007」という展覧会を見た。アメリカの宝飾界を代表するティファニーの創業時から現代に至る歴史的なジュエリーが展示されている(@東京都庭園美術館、12/16まで、案内=ここ)。私が特に宝石に憧れていることはないし、所有したい欲望は皆無。妻もティファニーの宝飾とは無縁である。それでも私は世界の名画を鑑賞するように宝飾のデザインには興味がある。極めて精細な制作方法をみていると飽きることはない。時には陶芸や他の創作のインスピレーションが湧くこともある。今日の庭園美術館はいつになく女性ばかりで混雑していた。やはりジュエリーは女性の関心事なのだろう。私のテニスの友人にジュエリーデザインを職業としている男性がいるが(テニスは全く異分野の人と付き合いができるので面白い)、昔から宝飾のデザインは男性の仕事であった。ティファニーでも名デザイナーと云われた、ポールデイング・ファーンハム(パリ万博に出店)、ルイス・コンフォート・ティファニー(創業者の息子)、ジーン・シュランバーゼーなどは男性(香水やアクセサリーをデザインしたパロマ・ピカソ<パブロ・ピカソの娘>は女性)。錚々(そうそう)たるデザイナーの作品を自分ならこうした方が好きだなあなどと勝手な想像をしながら見て回ったが、宝飾の制作者の最大の関心事は顧客の(主に)女性が気に入るか否かである。私はこう作りたいといって自己表現しても買手がいなければ二度と制作はできない。その意味で展示されている全ての宝飾品には、ある人に愛され、また他の人に引き継がれた歴史やら怨念やらが刻まれていると思うと一層興味深くなった。
<庭園美術館の隣にある自然教育園では秋の気配=下の写真>
真弓(まゆみ)/にしきぎ科とススキ

10月31日(水)  <初の日米対抗野球試合・・>
「初の日米対抗野球試合」が行われたのが100年前、1907年の10月31日とされている(多くの「今日は何の日」サイトで”初の日米対抗野球試合”の記念日とある)。”然様でございますか”といって聞いておけばいいけれども、野球の歴史をみると実態は「初の米国野球チーム招待試合」の方が正しい。1907年(明治40)に慶応大学チームが招待したハワイ・セントルイスチームと初の有料試合を行ったのがこの日のようだ。野球の黎明期であったこの頃は学生野球、特に早大、慶大が野球を牽引していた。早慶戦が始まったのが1903年(明治36)。1905年には早稲田大学チームが安部磯雄の引率で初の米国遠征を行っている(7勝19敗)。翌1906年(明治39)には早大チームは米艦ウィスコシンチームと対戦をしているから、「今日の記念日」以前に何度も日米対抗野球が行われている。1907年に来日したハワイチームと早大チームも対戦しているが早大は三戦全敗。その後、早大チームは1910年(明治43)には初のハワイ遠征、1911年(明治44)には第二回の米国遠征を行っている(以上は早大野球部の歴史=ここ=より)。こうしてみると、100年前に野球を吸収しようとする熱意は尋常ではない。こうした先人のパイオニア精神がプロ野球を発足させ、100年後の現代、大リーグでの日本人の活躍にもつながっている。今日の記念日はバイタリテイある野球の黎明期に光を当ててくれた。

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