これまでの「今日のコラム」(2008年 2月分)

2月1日(金) <中国製の・・・>
中国製の冷凍餃子に農薬が混入していた事件は今やトップニュースであるが、真実の解明にはまだ時間がかかりそうだ。この結論の如何にかかわらず、中国製品はもはや我々の生活の奥底まで浸透している。特に「100円ショップ」は中国製なくして存在出来ない。今日、自転車で原宿(東京)の「100円ショップ」にいった。竹下通りの入口に近い一等地に地下一階、地上3階の「ダイソー」がある。家の側にも100円ショップはあるが品数が少ない。以前、渋谷の文化村通りに4フロアの100円ショップがあったがアッという間に店替えしてしまった。今や原宿のダイソーは品数豊富な便利な店なのである。今日は冷凍餃子の件もあるので購入した品物がどこで製造されたのか見てみた。本命で購入したガラス瓶(釉薬を入れる)、アルミ製定規、余りに安いので衝動買いしたドリルの刃(5本セット)、精密ヤスリ(3本組)、これらがみんなMADE IN CHINAである!食品でないので品質がどうあれ購入者の自己責任。それに価格を知っているので不満に思うことはまずない。自分がこれほどに中国経済に協力していると知っていささか愕然とする。
「今日の作品」に「雪の日に1(水彩)」を掲載した。時としてこんな具象でない絵を無性に描きたくなることがある。それがたまたま先週の雪の日だった。

2月2日(土) <ヤフーが買収される・・・>
ヤフーが買収されるといういささかショッキングなニュースが流れた。米マイクロソフトが米ヤフーに総額446億ドル(約4兆7千億円)で買収を提案したという。検索サイトはいまやグーグルが圧倒的に独走しているようだ。私も一昔前にはヤフーを愛用したが最近は専らグーグルを使う。ヤフーを使う事はほとんどなくなった。米国での検索回数シェアでは現在グーグルが58%、ヤフー23%、そしてマイクロソフトが10%(約)である。昨日のニュースでは2007年10-12月の決算が発表された。それによれば、グーグルは売上高約5100 億円(前年同期比で51%増)、純利益約1300億円(同17%増)、これに対して、ヤフーは売上高約1900億円(17%増)、純利益約220億円(25%減)(1$=105.7円換算)。ヤフーは従業員1000人の削減に踏み切るというから厳しい。もっともマイクロソフトは一年前にもヤフーに買収を提案したけれども実を結ばなかったから今回もどうなるかは分からない。それにしても、あのヤフーが買収されかねないところにIT業界の熾烈な戦いをみる。グーグルも最早ただの検索サイトではなくオンラインでオフィス文書や表計算のシートが作成出来る分野にも進出している。これはマイクロソフトとまともに競合する。ユーザーである我々はいずれにしても便利な道具が使用できればよいので実に気楽なものである・・。

2月3日(日) <東京は朝から雪・・・>
東京は朝から雪でアール(コーギー犬)の散歩は止め。その代わりに庭に出してやると雪を珍しそうに舐めてみたり足跡をつけて大はしゃぎだった。都心でも5cmほどの積雪。雪の降る中、電車で渋谷まで出かける。街には非常時の緊張感があったが決して沈んだ雰囲気ではない。道路や駅のホームでは慣れない手つきで雪かきに精を出す人々、車の数はいつもよりずーっと少ないので歩く人は車を気にせずに道の真ん中を歩く。犬でなくても何かはしゃぎたくなるのが東京の雪である。この冬は昨年と比べると雪も多いし寒い日が続くのでホッとする。もしこれで暖冬が続けば新聞が「それ地球温暖化だ・・」と大袈裟に騒ぐかも知れない。地球温暖化に配慮すべきは当然として、短期間の気候変動を温暖化と単純には結びつけられないだろう。とにかくも受験生には大変だったと同情するが、今日の雪は東京にいつにない美しい雪景色をみせてくれた。・・せっかくの雪の日にと「今日の作品」に「雪の日に2」(水彩)」を掲載した。前の「雪の日に」に続いて描いたものだが、こちらはまたシンプルな絵に仕上がってしまった。

2月4日(月) <春の始まり・・・>
春の始まり・・、今日は立春。旧暦では春の始まりと同時に立春が年の始まりとなる。今年の東京の立春は昨日の雪が凍結して道路を歩くのに危険を感じるほどであったが、午後には暖かい日射しでほとんど雪は溶けてしまった。まさに春の気配が忍び寄っている。「おもしろや 今年の春も 空の旅」。春の始まりで、こんな俳句を実感している人も多いのでないだろうか。私の周辺でも毎年海外旅行にいく人が何人もいる。今年はどこに行くの?というのが挨拶代わりで、あの人も、この人も空の旅に出てしまうと、こちらは何か取り残されたような気分になるが、私も好きなことばかりやっているので文句は云わない。お分かりのように「おもしろや 今年の春も 旅の空」は芭蕉の句。芭蕉はこの句を去来に送って奥の細道へ旅立つことを暗示したと云われる。芭蕉の旅への覚悟と比べると今の空の旅は「たのしいな」が上の句でもよいかも知れない。私の場合は「おもしろや 今年の春も モノツクリ」。

2月5日(火) <18歳天才プログラマー・・・>
”真のゆとり教育が生んだ18歳天才プログラマー”というタイトルの記事が目についた(=ここ)。内容を見ると、”真のゆとり教育が生んだ”の見出しは不要である。”ゆとり教育”などの言葉は誤解を呼ぶだけで、強いて書くならば”アメリカ教育システムが生んだ”であろう。情報処理機構(IPA=Information-technology Promotion Agency)という日本のIT産業の振興を目的とした独立行政法人が毎年「天才プログラマー/スーパークリエーター」を認定する制度があるが(2000年以降)、昨年秋には千葉大2年の上野康平さん18歳が認定された。上野さんのインタビューが今日の話題である。上野さんは小学生3年から6年間を親の仕事のため米国で過ごした。米国では飛び級制度があるので、その時間を使って自分の関心のあるコンピューターグラフィック(CG)の研究をした(楽するためのゆとり教育でない)。中3の時に三次元画像を処理するレンダリングソフトを作ったというから確かに天才的だ。高2から千葉大へ飛び級で進んだ上野さんは大学を卒業後またCGの本場の米国に行きたいと豊富を語る。天才プログラマーを認定しても天才が働く場が日本にないとすればさびしい限りだ。それにしても認定制度を含めてこのような天才の話題はマスメデイアではほとんど無視されている。スポーツ、芸能ではない分野の天才達をもっと表舞台にだせないものだろうか。IPAももっとマスメデイアの活用を考えるべきでないか。

2月6日(水) <真贋というものは微妙・・・>
”真贋というものは微妙である”で始まる文章が面白くて笑ってしまった。例によって音読日めくりカレンダーの本日分で、高田保の「ブラリひょうたんより/署名」からの抜粋とある。高田が紹介している話:ある人が(横山)大観のところに絵画作品の箱書きを頼みに行った。作品をみた大観は贋作だという。何年か前に直接大観に依頼して描いてもらったものだ。”すると先生が贋作をお描きになったことになりますな”というと、大観は苦笑して新しく描いたものと取り替えて前のものを破り捨てた・・。真偽は分からぬ伝聞と断ってあるが、「見すぎ世すぎに描きなぐったものなど一々覚えていられるものであるまい」と結んでいる。私の場合、少ない枚数の絵はいくら下手でも自分の描いたものを間違えることはないが、毎日何か書いている「コラム」の文章は数年も経つとこんなことを書いたかと自分でびっくりすることがある。”見すぎ世すぎ(生活のため)”に書いているのでないが、恥ずかしい文章でも贋作と云う訳にはいかない。拙い作品を自分の偽物と思うのはスポーツ選手でも音楽家でもベストの姿が自分の本来の力と思う心理に通じるものだろう。この機会に調べてみると高田保(1895-1952 、劇作家、随筆家)の随筆「ブラリひょうたん(=東京日々新聞に連載)」をWebで読む事ができる(=ここ)。いくつか目を通したが1950年から新聞に掲載されたという一日一文は今読んでも新鮮で面白い。(ただし「署名』はみることできず)。

2月7日(木) <テストピース・・・>
テストピースを「今日の作品」に掲載した。2週間ほど前、家の電気窯で分厚い陶板を素焼きした際に失敗してバラバラに破裂させてしまった。作品というにはおこがましいが、今回この破片に絵を描き本焼したものである<破裂の経緯については1月25日のコラム=ここ=参照>。陶芸用には多くの種類の土があり、これにまた色々な釉薬をかけることになるので、組み合わせを変えると仕上がりがどのように変化するかを見るためにテストピースを作り事前に確認をとることをやる。昔は釉薬の調合%は秘伝とされるほどで何百というテストピースで研究を重ねたのであろう。今度私は10個ほどのテストピースを作って比較してみた。このいくつかを今後掲載してみたい。ただ釉薬の色をつけるだけでは面白くないので絵を描いてみてその仕上がり具合もチェックすることした。今日掲載したのは、土は貫入土、絵は黒釉(いぶし)に一部に鉄赤釉を加えた。結果をみると鉄赤は思ったほどには活きていない。絵の周りは白マットを少し塗ったがこれも余り意味はなかった。全体に透明釉をかけている。鶏の絵は江戸の絵師、長沢芦雪の「軍鶏図」より頭部分を模写した。こんな絵を描いているとテストピース作りも楽しいものである。

2月8日(金) <赤福の営業再開・・・>
赤福の営業再開後3日目であるがその後の売れ行きがどうなのかニュースにもならない。赤福は冷凍保存した後、解凍した日を製造日と表示し直して消費期限とするという行為などが日本農林規格(JAS)法違反、更に再販売・再使用が食品衛生法違反とされて4ヶ月前から営業禁止の処分を受けていた。そして営業禁止が解除されて販売を開始した一昨日の早朝5時の開店時には徹夜した人も含めて約300人が長い行列をつくった。久しぶりに販売をはじめた従業員の中には暖かいお客の励ましを受けて涙する人もいたという。午前10時までに約1万箱(700円の折り箱が5300箱)を販売、午後の1時過ぎには準備した商品を完売したそうだ。赤福は営業禁止の期間に新たな印字機を導入して折箱の側面にも印字できるようにして(再包装のできないよう)包装紙と折箱の両方に製造年月日を明記するようにした。また冷解凍した製品の販売ができないように冷解凍設備を一式廃棄処分もした(=ここ/赤福HP)。私は赤福の再開を祝福した有難いお客の中に大いなる批判精神をみる。赤福は勿論有害な餅を販売した訳ではないし、味がまずかったこともない、購入したお客は皆満足していたに違いない。それでも”消費期限”とかの法律違反とされて世間から袋だたきとはチトかわいそう。赤福餅の消費期限は製造日共三日間(冬場)、これからは売れ残り品は一括して外部委託先により全て廃棄処分にするという。まだまだ美味しくいただけるのに法律により全て廃棄される事に対して一つ提案。あと1時間の内に売れなければ”廃棄”するという時点でお客さまのために大サービス、「ご自由にお持ちください」と無料で提供する。捨てることを考えればお客様にサービスする方がはるかに有効でないか。最後の一時間まで待つお客が増えるとすればそれはそれで大いに結構。

2月9日(土) <鶏口牛後・・・>
鶏口牛後(鶏口となるも牛後となるなかれ/日本では鶏頭牛尾の言い方もされる)の諺は中国の史記が出展であるから英訳など考えもしなかったが、今日、犬に関する英語のことわざを調べていて、ほとんど同じような表現が英語でもあることを知った。それは:Better be the head of a dog than the tail of lion. 鶏と牛が犬とライオンの組み合わせになったところが面白い。それにしても日本語でも英語でも犬は何と軽んじられていることか。「羊頭狗肉」のように肉になってまで羊よりバカにされる。「犬馬之年」<無駄に年をとる>とは犬馬に失礼な・・。"You can't teach an old dog new tricks."という諺もあるが、犬を引き合いに出さなくても「鉄は熱いうちに打て」と人間でも同じ事。少しは美しい諺をみつけた。”Love me, love my dog." しかし、これも私の至らないところの意味でdog が使われている。相当する日本の諺として「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とされているが、これはピンと来ない。「骨まで愛して」という歌があったが「犬まで愛して」の方であろう。余りにワンちゃんがかわいそうなので、一つ自分で作ってみた:「DOG(犬)はGOD(神)と同じ成り立ちを持つ存在である」。
「今日の作品」に「テストピース2(陶芸)」を掲載した。<2月7日のコラム参照>


2月10日(日) <中東の笛・・・>
「中東の笛」事件は最終的にどうなるのだろう。昨年行われたハンドボールの北京オリンピックアジア予選での審判は実際にかなり露骨に中東に有利な判定をしたようである。先日の再試合では男女とも韓国が勝利したが今後もアジアハンドボール連盟と国際ハンドボール連盟の綱引きはどう決着するか予断を許さない。そしてアジアのハンドボール界を牛耳る中東の黒幕が何をやったかはアンタッチャブルのまま。中東(クウエート、バーレーンなど)には日本では想像できないような石油成金がうようよしている。金の力は有余るほどであろう。オリンピックの審判はまさか金で左右されることはないと思うから、今回の事件は注目されたが、審判・審査員などが必ずしも公平でないのはどの世界でもあることである。意図的なミスジャッジでなくても身びいき判定は珍しくない。一番の対応は審判がミスする余地のないほどに完璧に勝てば良い。・・とこれは理屈で現実には簡単にできるものではない。感性で判断をする各種のコンクールなどはミスジャッジどころか審査員の腹一つで優劣(と称する順位)が決まる。例えば、書道、絵画、音楽のコンクールの等級はどれも「審査員の笛」であることは誰でも知っている。それにしても、一般的にはと条件をつければ、日本の審判・判定は非常に公平であるように思える。まさに本日も実施された入学試験にしても実に公平だ。「中東の笛」は公平かつ公明正大に慣れた日本の常識が通用しないところが世界にはいくつもあることを教えてくれる。

2月11日(月) <ゆえあって部屋の暖房をなくす・・・>
ゆえあって部屋の暖房をなくすと新たな世界がみえてきた。暖房をなくしたといっても私の部屋だけ、200Vのヒートポンプの電源ブレーカーを切ったのである。まず、当然のことながら今の季節では少々の厚着をしても身体の芯から冷えてくる。我慢出来ずにノートパソコンを持って居間へ移動。ガス暖房の噴出し口の側で暖まりながらこのコラムを書いている。私のノートパソコンには無線LANなどという新装置を付けていないので居間では自分のパソコンでインターネットをみることができない。コラムを書き終えたらまた寒い部屋に戻ってホームページの改編をすることになる。それでもノートパソコンを持ち歩いて、”暖かいところを求めて”パソコン仕事をするのも悪くはない。居間にはおやつもあるし少し手を伸ばせばお茶が飲める。妻とのコミュニケーションも増える(?)。もちろん家全体としては省エネだ。一方で暖房の有難さも体感できた。身体が冷えきっていると少し外部の熱源があるだけで生き返ったような気になる。本当に命が救われたようにありがたい。身の回りの設備や道具を一度なくしてみるとその本当の価値が分かる・・。
「今日の作品」に「テストピース3(陶芸)」を掲載した。絵は大好きな伊藤若冲の図版から一部を模写した。土は貫入土に白化粧(スポンジ状にしただけ)、サイドには鉄赤釉、絵は黒釉(いぶし)で描いた

   2月12日分
2月12日(火) <遊びの博物館・・・>
「遊びの博物館」という本を本棚から取り出してみている。思えばこの本はこれまでに何度読み直したか分からない。陶芸の造形上のアイデイアが湧かない時などにこの本を開くと自由な発想に刺激されて新しいヒントを得ることがよくあった。いま調べてみると「遊びの博物館(坂根厳夫著/朝日新聞社)」は初版が1977年、1975年12月から1977年3月まで毎日曜日に朝日新聞の家庭欄に掲載された63回分を一冊にまとめたものとある。30年も前の本であっても時代の古さを全く感じさせない。例えば江戸時代の清少納言知恵板(タングラム)、からくり人形などには日本と西欧の共通した遊びや知恵をみるし、エッシャーのトリック絵画のような個人の独創的なアート、錯覚を利用しただまし絵などには”芸術”などと構えたところがなく創作を楽しんでいる作者の息づかいがそのまま伝わってくる。先人達の遊びの精神や工夫に接していると現代の我々も元気をもらうことは確かである。「遊び」には、強制されたり評価を気にすることなく、人間が面白さ・生きがいを極めようとする本能的な側面がある。「遊びの博物館」は昔からの人間の遊び心が産み出した歴史遺産を収集した本と云えそうだ。
「今日の作品」に「テストピース4(陶芸)」を掲載した。絵は江戸の絵師長沢芦雪の「猛虎図」の一部を模写。土は貫入土、絵は呉須で描き、松灰を加えた透明釉をかけた。

2月13日(水) <ヒヨドリがまたやってきた・・・>
ヒヨドリがまたやってきた。庭に大きな鳥がみえるとたいていはヒヨドリである。今日は一羽〜二羽がきたと思ったら長居せずにいなくなってしまった。数日前にはヒヨドリ数羽を十分に観察するチャンスがあった。はじめは木の実を食べているなと思っていると、その内、家の直ぐ側に置いてある万両の鉢植えに寄ってくる。・・とアッという間に赤い実を平らげてしまった。ヒヨドリは赤い実を好み、種子はヒヨドリの糞と共に排出されて遠くの地でまた植物が育つという話は聞いていたけれども本当に食べ方が素早い。後で見るとヤブランの黒い実も数が減っていた。ヒヨドリがどこか別の場所に万両やヤブランを自生させてくれると思うと許せる以上に夢がある。 ・・そういえば、昨日はシジュウカラがやってきていた。四十雀(シジュウカラ)は雀とほとんど同じ大きさの鳥だが、顔の部分が白く、胸に黒い筋がある。望遠鏡を探し出して細かくバードウオッチングをしようとしたけれども焦点が定まらないままに四十雀と確信した鳥は飛び去った。東京都心でも鳥たちが目立つようになったのは春が近いのだろうか。「鵯(ひよどり)の こぼし去りぬる 実の赤き」 (蕪村 )。
「今日の作品」に「テストピース5(陶芸)」を掲載した。 絵は江戸の絵師、葛蛇玉の「雪中梅に鴉図屏風」のほんの一部を模写。土は貫入土、絵は黒釉(いぶし)、全体に透明釉をかけた。

  2月14日
2月14日(木) <自動車のデフは・・・>
自動車のデフは実によくできた装置だ。通称デフ、デイファレンシャルギア(制限差動歯車)があるから車はカーブする時に内輪と外輪の走行距離が異なっていても問題なく走ることができる。左右の車輪はずれて回転できるし、一方の車輪だけ空転することさえ可能だ。この装置がなければ車はスムースに旋回できないことはよく知られている。それでは電車の場合はどうなっているのか案外に知られていない。電車の車輪は脱線防止のフランジと呼ばれる出っ張りの外側(というか線路に接する部分)が傾斜になっている。この平坦でない傾斜に巧妙な仕掛けがある。つまり車輪が傾斜のどの個所でレールに接するかで左右の車輪の動く距離を変えてカーブでスベリをなくす。実際には直線のレールの幅よりもカーブの個所のレールの幅を若干広げておくと遠心力でカーブの内側の車輪は径の小さな接触点へ移動して同じ回転数でも動く距離は少なくなる(車体は少し傾くことになる)。・・鉄道好きの小学生なら知っているかも知れないが、いま受験を終えた小中学生たちには、このような先人の工夫した仕掛けの面白さをも是非教えてやりたいと思った。
「今日の作品」に「テストピース6(陶芸)」を掲載した。貫入土に黒釉(いぶし)で木の葉の絵を適宜描いたもの。松灰の釉薬を上にかけると黒が茶系になってシャープさはなくなったが風景としては悪くない。

2月15日(金) <女子プロテニスのモニカ・セレシュ引退・・・>
女子プロテニスのモニカ・セレシュ引退のニュースをみた。公式戦最後は2003年とのこと。エッ、まだ引退していなかったの!と思ったが、最近その姿を見なかったのも無理はない。足の故障などを治療しながら再起を図っていたが果たせなかった。最盛期の彼女は可愛げがないほどに強かったことを思うと、正に盛者必衰(しょうじゃひっすい)をあらわす。セレシュは1973年、旧ユーゴスラビア(セルビア)生まれで現在34歳。いまは米国籍を取得してフロリダに住んでいる。15歳でプロテニスプレーヤーとしてデビューし、16歳で全仏オープンで優勝(最年少記録)、17歳で世界ランキング1位。この前後の時期に全仏3連覇、全豪3連覇、全米2連覇・・と、どうにもとまらない強さだった。余りに強過ぎたのか、20歳のときにドイツの大会で、シュテフィ・グラフの熱狂的ファンと自称する暴漢に背中を刺されるという不幸に見舞われた。その後再起をしたが、かつての抜群の勢いはみられなかった。セレシュの時代にはやはり強力なライバルがいた。グラフ、サンチェス、ナブラチロア、ヒンギスなど、名前を思い出すだけでワクワクする名プレーヤーたちだ。セレシュの強烈な両手打ちをもう見る事はない・・。といっても、34歳で引退して、これからの人生は長い。日本流には”ごくろうさん”とでも声をかけよう。
「今日の作品」に「笛付き花器(陶芸)」を掲載した。頂上部に笛をつけるデザインであったが今は鳴らない。”笛などない方がよい”という意見に押されて単純に花器として使っている。


2月16日(土) <推敲とは・・・>
推敲とは「文章の字句を何度も練り直すこと」(新明解/三省堂)であることは確か中学で習った。このコラムを毎日続けているけれども「推敲」とはほど遠い文章を書き残すことが時に恥ずかしくなることもある。自分でも後で読んでみるとこの文章はこうした方がよかったとか表現自体がおかしいなどと気がつくことは限りない。それでも全て”気にしない”と割り切って書き続ける・・。ふと、「推敲」の語源は何だったっけ・・と考えたけれどもでてこない。そこで例によってWebで調査した。結果、以下「月下推敲」の故事を知った。中国、唐の時代に「李凝(ぎぎょう)の幽居に題す」という詩がある。これは詩人、賈島(かとう)による詩で“二句を3年かかって作り、吟じると二すじの涙が流れる”と云われた。漢詩の意味だけ転記すると:「 隣近所に家がなく静かな住まい。草の小道が荒れた園へつづいている。鳥は眠る池辺の樹。僧は月下の門をたたく。橋を過ぎるとここにも野趣が取り入れられ、石は雲湧く山から移したものだ。暫くここに来なかったが又やってきた。風雅の約束は 決してたがえはしない。」。この詩を作っているときに、賈島は「僧敲(たたく)月下門」とすべきか「僧推(おす)月下門」にすべきかを悩み考えながら歩いていて、ある高官の一行にぶつかってしまう。高官、韓愈(かんゆ)さまの前に引っ立てられた賈島は事情を話してひたすら無礼を詫びる。たまたま唐代を代表する詩人でもあった韓愈は話を聞いて言下に「敲(たた)く」を薦めて許す。これが縁で韓愈は賈島の無二の詩友、庇護者となったとさ・・。<=ここ参照>

2月17日(日) <東京マラソンをテレビで見ながら・・・>
東京マラソンをテレビで見ながら税申告の書類作り。午前中はあっという間に過ぎてしまった。東京マラソンは試合というよりお祭り、市民参加のイベントであろう。3万2千人余が自動車をシャットアウトした広い道路を走る、それも都内の銀座、浅草など観光の一等地を駆け抜けるのは、この機会でないとできない。私の甥も参加したが6倍の抽選に選ばれて出場するだけでラッキーというのがよく分かる。大幅な交通規制をやっても、このような行事を年に一回実施するのは大賛成だ。以前、旅行中にパリの凱旋門をゴールとしたツールド・フランスの自転車群に遭遇してパリ市中を思うように移動出来ずに往生したことがあったが、ツールド・フランスを見た面白さの方が記憶に残っている。東京にももっと名物イベントを作らなければならない。ところで夕方Webニュースで東京マラソンの記事を見ていて奇妙なことに気がついた。朝日新聞のサイトでは東京マラソンの扱いが妙に冷たい。初めはスポーツ欄で男子マラソンでスイスのロスリンが優勝した事を事務的に伝えただけ。後に”好天に恵まれた東京マラソン”記事を追加したが明日の紙面の扱いはどうなのだろう。読売新聞(テレビでは中継)や東京新聞が仮装したランナーを紹介するなどお祭りマラソンを報道するは当然として、朝日の姿勢は”東京の活性化など無用でござる”とみえた。

2月18日(月) <自転車で渋谷の役所へ・・・>
自転車で渋谷の役所へいった。最近は少々の距離のところへは電車やバスを使わずに自転車でいく。交通費がかからず時間も自転車の方が早いこともある。自転車に乗る際には私はまず自分に”無理しない、無理しない”と言い聞かす。安全運転をすると同時に、他の無謀自転車にキレルことなく冷静になるには努力がいるのである。大抵は(許可された)歩道を通る、それもできるだけ歩行者が少ない道を選ぶ。それにしても危険な運転をする自転車に出会わないことはない。それは男女を問わず、むしろ女性の無謀運転が目立つのはどうしたことか・・。今日のニュースで、渋谷の横断歩道を渡っていた女性を自転車ではねて死亡させた(これも)女性(47歳)を重過失致死の疑いで送検したと報道されている。これは自転車が歩行者に対して加害者になった例であるが、自動車に対しては自転車は弱者の顔をするから始末が悪い。自動車と自転車が接触事故を起こした場合、自転車が相当ひどい運転をしていても自動車が前方不注意とされてしまう。そもそも自転車の運転者は交通ルールを知っているのか、知っているけれども守らないのか。そこで提案。自動車かバイクの運転免許を所持していない自転車の運転者には交通ルールの講習を受けることを義務づけたらどうだろう。そこでは自転車は凶器であることも教えなければなたない。
2月19日(火) <夕食はカニカマ料理・・・>
夕食はカニカマ料理を作った。妻がいないので食事は何を作ろうか思案している時に、たまたまテレビでカニカマ料理が紹介されていて、美味しそうなのでこれに決めた。恥ずかしながら「カニカマ」が「かに風味かまぼこ」の短縮語であることを今回覚えた。かに風味のかまぼこが日本人発明の大ヒット商品であることは知っていたが、いまや「カニカマ」は欧米でも「スリミ(surimi)」と呼ばれて定着しているほどの食材であるとの認識はなかった。さて、夕方スーパーに買い物にでかけた。かに風味かまぼこ、アスパラ・・とテレビでみた食材を持ってレジに並んでいると、前のおばさんがやはり「カニカマ」を籠に入れている。私もテレビで夕食を決める主婦の仲間入りをしたのがおかしかった。料理はメモもないので記憶だけでスタート。ミジンきりにしたカニカマ、ニンニク、ピーナッツ、その他自己流に材料を適宜加えてオリーブ油で和える。一口サイズに切ったアスパラ(塩こしょう済み)の上に和えた材料をかぶせてオーブンで加熱してできあがり。適当に作った割に味はまずまず・・と云っておこう。・・夕食は別にして、今日はアウトプットが数項目はある充実した一日であった。やるべきことが上手くいって達成感があるときには料理を作ることもまた楽しみとなる。

2月20日(水) <正常値とは何か・・・>
正常値とは何か考えた。健康診断の結果を受け取り、医者の面談を待つ間に検査したデータと正常値を比較したのである。私の場合、毎年決まって血液検査の結果で”貧血に注意”とでる。具体的には正常値(正常参考値とか基準値という場合もある)が430-559である赤血球(RBC)が私は392で低過ぎ、13-17.9が正常値であるヘモグロビン(Hb)が11.8でアウトという具合。ところが女性ならば私の数値でも正常値(基準値)に入っている。女性は生理などで男性の基準数値とは異なると説明されても男性が「正常でない」と線引きされる数値の根拠が釈然としない。男性、女性の統計的な数値から基準の範囲を決めたと云われたが、世界中の人が同じ基準値なのか疑問は尽きない。しかも、Webで調べてみると赤血球の基準値は400-550となっているところもある。私の今回の数値はこの基準でもアウトだが以前は402の数値で低過ぎると判定された。・・といろいろ考えている内に、正常値(基準値)をできるだけ狭く設定することは悪くないと思えてきた。どうせ“目安”を作るのであれば”警告ゾーン”を大きくとる方が安全であろう。あなたは問題ありませんと断定するよりも、少し注意して下さいと云う方が親切だ。私も素直に鉄分補給(食事)に気をつけることにしよう。

2月21日(木) <今日も午前中テニスを楽しんだ・・・>
今日も午前中テニスを楽しんだ私としては、先日、米国のデルレービーチテニス国際選手権で錦織圭(にしごり・けい/18歳)選手が日本人として16年振りにツァー制覇(史上二人目)を果たしたのいうニュースは本当にうれしい。大体、日本のテニスプレーヤーは余りに恵まれない。野球でも、サッカーでも、またゴルフでも日本で五指に入るトッププレーヤーともなれば相応の報酬を得ることができる。けれどもテニスでは日本一になっても名前は知られない、テレビでも放映されない、全く恵まれないのである。世界で活躍しなければマスコミでも取り上げない厳しい環境にある。そんな中で錦織さんは素質を見込まれて13歳で米国でも名門のフロリダのテニススクールに留学。その成果が見事に発揮されたというべきであろう。この留学に関してソニーの創業者の一人である盛田昭夫氏の弟、盛田正明氏(ソニー出身、大のテニス好き)が私費を投げ打って設立した「盛田正明テニス基金」の存在が注目されている。錦織選手は昨年10月にプロデビューするまでこの基金のフルサポートを受けたそうであるから、勿論、本人の才能や努力も大きいだろうが、基金の力で今の錦織選手が生まれたと云える。一人の名選手の陰に今時珍しい篤志家がいることはもっと知られてもよい。

2月22日(金) <身近なところに絵の題材を求めよう・・・>
身近なところに絵の題材を求めようと、目覚めと同時に閃いた。朝のアール(コーギー犬)との散歩の時に意識して絵になる場所を探してみると、アルアルアル・・。いくらでも発見できるから人間の目は不思議なものだ。せっかく代官山を散歩するからには描きたくなるところはあるはずだと思ったとたんに、毎日通る道が宝の山となる。佐伯祐三がパリの街の落書きやポスターに美を見つけて雰囲気のある街の絵画をいくつも描いたことなど思い起こして代官山にはパリに劣らぬ美があると思ったのである。このホームページでは代官山ショウウィンドウというコーナーでショウウィンドウの写真を掲載もしているが(=ここ)、ショウウィンドウの一つ一つが絵の題材になることにも気がついた。風光明媚なところだけが絵になるのでなく街の息づかいもまた描くテーマになる。「今日の作品」に掲載した「代官山スケッチ1/階段のある風景(ペンと水彩)」は、文字通り今日描いた作品である。絵は描く気になると即結果がでるところがいい。ちなみに、陶芸教室でいま制作中の作品は一ヶ月以上も乾燥を続けている(この後、素焼、釉がけ、本焼の工程がある)。「階段のある風景」は二階に上がるための外階段と歩道橋の対比が面白いと思った。一番下にはガードレールを入れてしまった。


2月23日(土) <われわれは広告に踊らされて・・・>
われわれは広告に踊らされて生活している。電通が発表した2007年の日本の広告費調査(CNETニュース)をみると改めてそう思う。概略の数値を記すと、日本の広告費総額は約7兆200億円、マスコミ4媒体(=テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)は3兆5800億円であるが、これでも数値は3年連続前年割れ<内訳(概略)はテレビ2兆円、新聞9500億円、ラジオ1700億円、雑誌4600億円>。急成長(24%増)のネット広告は約6000億円で雑誌を抜いた。その他に何があるかというと、フリーペパーやPOP(=Point of Purchase Advertising/店内広告など購買時点の広告)、ダイレクトメールなどプロモーションメデイア費と称されるものが2兆8000億円。衛星メデイア(衛星放送、CATVなど)、その他インターネットの連動型広告やモバイル広告が加わる。テレビの約2兆円の広告費の内、制作費の比率は10%で、約2000億円。1兆8000億円は媒体費としてテレビ局が大儲けしていることになる。スポンサーさまがなんでこれほどお金をだすのか。当然、それ以上の効果があるからであろう。視聴者、読者はそれほどにいいカモなのである。ところで新聞、テレビは時に意図的な報道をしたり論陣を張って世論を大きく左右する巨大な力を持っている。そして所詮広告媒体業である彼らによってもまたわれわれは踊らされている・・。

2月24日(日) <結構です・・・>
「結構です・・」と勧誘の電話を断る。不動産だ、投資だの勧誘を断る時には話を聞く前に「結構です」と毅然とした語調で言わなければならない。話を聞いて「結構ですね」と「ね」の字が入ると全く違う展開になる。「結構」とは非常に微妙な言葉である。私自身は「結構なお茶碗で・・」という言い方を余りしないが、このように「すばらしい」と同等の褒め言葉として使う。提案に対して「結構」と言われれば、「申し分のないこと」、「難を言うべき点が特に見当たらない様子」と解釈する。それが「結構おいしい」とか「結構手間がかかる」となると「思ったより」のニュアンスか。この程度の文章を書くにも”結構”頭を使っている(?)。普段は何気なく使っている言葉について改めて辞書を引いてみるのも面白い。広辞苑に「大いに結構だ、の意のふざけた言い方」をみつけた。最近、自分では使わなくなったけれども懐かしい言い方だ。=「結構毛だらけ 猫灰だらけ」=。

2月25日(月) <料理道具も奥が深い・・・>
料理道具も奥が深い・・などと陸(ろく)に料理もできない私が言うと叱られるかも知れない。「今日の作品」に掲載した「代官山スケッチ」の第二弾を「チェリーテラスの窓」と名前をつけたが、チェリーテラスは主に輸入料理道具を扱う店で、毎朝、犬の散歩でその店の前を通る。いつも洒落たデイスプレーに感心するが改めてショウウィンドウのスケッチをしてみると、それぞれが“絵になる”ものばかりそろっている。描いたのは、飾られた料理道具の一部と店のポスター。黒い部分が店内である(光の具合で外の景色が反射する)。ポスターに描いた文字で、bamix(バーミックス)はスイス製のハンデイーフードプロセッサー(Web案内=ここ/展示品では左端)、また、CRISTEL(クリステル)とあるのは、フランス製のステンレス多層鍋(Web案内=ここ/展示品では左から三番目)。展示品の右端に格好のいいヤカンがあるが、これはイタリアのマリオ・ベリーがデザインしたパームハウス・ケトル(Web案内=ここ)。写真を掲載したのでなく、絵画を描いたのであれば、こんな商品説明ができるような”絵”である必要はないのだが、成り行きでこうなった。料理のうまい妻に”チェリーテラス”を知っているか聞いたら、とてもいいものが多いけれども値段は高いとのこと。我が家にあるのはバーミックスのフードプロセッサーだけであった。私はケトルの格好が好きなのでWebで調べてみると18900円だ。それにしてもこのケトルはいいなぁ・・。

2月26日(火) <朝6時半頃家をでて・・・>
朝6時半頃家をでて犬の散歩に行くのを日課としていると、早朝に散歩する顔なじみの人ができて挨拶を交わす。大抵は犬を介して親しくなるのである。最近、我が家のアール(コーギー犬/11歳)は左脚を引きずるようになったが、朝の散歩だけは欠かさない。脚のリハビリを続けながらも一進一退で直ぐには回復しないので、調子の悪い時には無理に引っ張りだして叱咤激励しながら歩く。使わなければもっと退化してしまうよと声をかけるのが分かるのか黙ってついてくるアールは健気(けなげ)なものだ。この頃、これまでに会話を交わしたことのない人がガンバっているアールに声をかけてくれるようになった。何か元気な時より他人の暖かさが身近に伝わってくる感じでホッとする。今朝は目的の西郷山公園(東京・目黒区)まで行けずにUターンして家に戻ってしまった。一昨日はアールと一緒に西郷山公園まで到達して、河津桜(早咲きの桜/丘の上に一本ある)と富士山をみた。遥か彼方の富士山をみてアールは何を思っているのか分からないけれども、もしかするとこんな和歌でも詠んでいるかな。「風になびく 富士のけぶりの 空に消えて 行方も知らぬ わが思ひかな(西行)」。

2月27日(水) <良寛と一茶・・・>
良寛と一茶はいつの日かもっと深く研究してみたいと密やかに(?)思っている二人である。両者ともこのコラムで何度か取り上げたことがあるけれども、ほんの少し垣間みただけで本質を見極めるのは余りに奥が深い。良寛(1758-1831)と一茶(1763-1828,1827の説もあり)はほぼ同時代に生き、出身地も近い。現代の感覚では共に庶民的で親しみ易いが、ある意味で二人は対照的である。良寛は越後の名門の出で教養も深い。18歳で出家し修行、生涯寺を持たず、難解な説法をするのでなく自ら無欲闊達な生活の範を示しながら仏法を説いた。その間、和歌、俳句、漢詩などに秀でた足跡を残した他、名書家としても知られる。一方、一茶は信濃北部の貧農の出で、江戸へ奉公にでて俳諧を学ぶ機会を得た。39歳の時に父親が亡くなり、以後継母と遺産相続に絡んで12年間争い続けたという。65歳で生涯を閉じるまで三度妻を迎えたが子どもには恵まれなかった(一茶の死後最後の妻が産んだ子が血脈を伝える)。俳人としての一茶は門人を多くかかえ本をだしたりして自らの売り込みには熱心であったとか。しかし、その句には天性の純真さがほとばしる。一茶の俳句だけをみていると大人世界の悲惨さなど全く見えないのが俳句の不思議なところだ。「雪とけて 村いっぱいの 子どもかな(一茶)<現代の日本でもこんな景色をみたい>」。続いては良寛の詩:「世の中に まじはらぬとには あらねども  ひとりあそびぞ 吾は楽しき」。良寛の「ひとりあそび」とは書や詩歌をつくること。この詩をそのままいただいて、ひとり土練り(陶芸)などやっているときが一番楽しいかも知れない。
2月28日(木) <安全でおいしい水道水・・・>
「安全でおいしい水道水」というスローガンのもとに東京都の水道水がおいしくなっていることを気がつかなかった。友人から、飲んで見なさいよ、昔と全然違うから・・と言われて、遅まきながら直接水道水を飲んでみたら、まずくはない。以前は消毒に使った残留塩素がにおったが何ともない、おいしい水というべきなのだろう。我が家では蛇口に浄化装置をつけてフィルターを通ってチョロチョロとでる水を飲食用に使って来た。長年、習慣としてただ使用していただけなので、早速にこの浄化装置を取り外した。水は気持ちよく出るし、おいしいし、高価なフィルターを交換する必要もなく言う事はない。東京都の水道水をおいしくするプロジェクト(オフィシアルサイト=ここ)は、何年も前から推進されてきた。ミネラルウォーターと同等になったとPRをかねてペットボトル「東京水」を安く販売したり、無料配布したりして、一部のメデイアでは取り上げられたようだが(そういえば東京マラソンの時に配布されたのも東京水)、メデイアの特性はあら捜しで、改善されたとか、よくなったことはほとんど報道されなかった。海外旅行をすると水道水をそのまま飲める日本は世界的に見ても(もちろん先進国を含めて)希有の国であることを認識する。欧米では水道水が飲めないのでミネラルウォーターが普及したと云われるが、むやみとミネラルウォーターを有り難がることもない。”安全、安心”な水道水は以前から日本にはあったが、この水が更に”おいしく”なっているのだ。「安全でおいしい水づくり」に日夜努力している人たちに感謝したい。

2月29日(金) <梅を見に鎌倉へ・・・>
梅を見に鎌倉へいった。妻と二人で小旅行するのは久しぶりだ。はじめに鎌倉駅から江ノ島電鉄に乗って長谷へ。鎌倉の西に位置する長谷近辺には余り行ったことがないので、鎌倉大仏がある高徳院へ先ず寄った。ここでは梅の趣はないが大仏さまの内部に入ってみたりして観光気分を味わう。それから長谷寺の北側にある小さなお寺、光則寺にいった。このお寺は「長谷の花の寺」として知られ、境内には四季折々の花が絶えない。間もなく咲く桜やカイドウなどは有名であるが境内に植えてある何百種類かの”山野草と茶花”のマップが無料で配布されており、またそれらが丁寧に手入れされているのには感心した。勿論、今の時期の主役は梅。長谷観音で知られる大寺院、長谷寺でも梅が満開だ。更に、鎌倉の東にある宝戒寺、荏柄天神社など梅を求めて散策する。鎌倉駅で横須賀線に乗って家に着くまで一時間足らず。こんな時間で行く事ができるのに鎌倉をもっと知らなければモッタイナイ・・。
梅一輪 一輪ほどの 暖かさ( 服部嵐雪)
2-29鎌倉光則寺にて

これまでの「今日のコラム」(最新版)に戻る

Menu  + Today  + Corgi  + Puppy  + Gallery +  Ebisu /Daikanyama  + Links