これまでの「今日のコラム」(2008年 3月分)

3月1日(土)   <陶芸教室でパズルシリーズ作り・・・>
陶芸教室でパズルシリーズ作りに挑戦している。パズルといっても種類は無限。ジグソーパズルや組木スタイル、立体的なパズルなど“ネタ”はいろいろあるので、陶芸でどのようなものを制作するか計画する段階が楽しい。今はダイヤモンドカッターのついた電動糸ノコが開発されているので(日本製)出来上がった陶品を切断してパズルを作ることも不可能ではない。けれどもそんな高級設備を使う訳にはいかないので、私が挑戦しているのは粘土で個々のパズルの形を作り、それを焼成して完成させようというものである。焼成すると15%ほど収縮するので隙間が重要なパズルを陶芸で作るのは至難の業(?)。収縮の形態を推定したり、どうすると変形が最小限になるか工夫したり、新分野であるから考える事が多く面白い。もしかすると失敗するかもしれないが、それはそれで次の進歩につながると思えば気楽なものだ。失敗が許されるから挑戦ができるのである。
「今日の作品」に「
ブルドッグ皿/スーパー楕円型B(陶芸)」を掲載した。友人のために家の窯で焼成した記念皿。パズルとは全く違うが、これまで余り試みたことのない世界だったので、これもまた非常に学ぶところが多かった。

3月2日(日)   <ギュスターヴ・モローの名前は・・・>
ギュスターヴ・モローの名前は私にとって忘れられない名前だ。10年ほど前にパリのギュスターヴ・モロー美術館を訪れたことがある。この美術館はギュスターヴ・モローが終生過ごした大きな屋敷で、モロー死後遺言で美術館とされたという(モローは生涯独身であった)。天井の高い広大な部屋に隙間なく飾られた膨大な数の絵画にまず圧倒される。更に年代別のファイル形式に整理された何千枚ものスケッチや素描などを自由に閲覧出来た。油彩画だけでなく多くの水彩画の名作も記憶に残る。・・先日、NHKのテレビ番組「迷宮美術館」でモローが取り上げられた際に、モローが画家として主流を歩まなかったとの解説があり、私はモローのことを長年誤解していたことに気がついた。私の認識はモローは当時台頭して来た印象派などには染まらずに、「官立美術学校」の教授をしながら伝統的な歴史物語などの題材を継承して独自な絵画を描いていたものと思っていたが、そうではなかった。ギュスターヴ・モロー(1826-1898)は確かにモネ(1840-1926)やシスレー(1839-1899)など印象派の画家達と同時代に生き、聖書や神話をテーマに幻想的な絵画を描いた象徴主義の画家であった。けれども主流である画家のサロンとは一線を画して黙々と自分の作品を描くタイプであったようだ。66歳で美術学校の教授になってはいるが生徒の才能を自由に伸ばす教育で、後の巨匠、マチスやルオーを育てたというから教育者としてもただ者ではない。この三者に共通するのは、時流に乗らず、周囲の”空気を読む”ことなどに腐心せずに、ただひたすらに我が道を開拓し、極めたことでないか。<モローの作品はWebでは=ここ=がお勧め>
3月3日(月)   <東京の下町散策・・・>
東京の下町散策で半日を過ごした。妻と義姉につきあって蔵前にいったついでに普段はなかなかチャンスがない浅草近辺を歩いたのである。蔵前の名前は江戸時代に幕府の米蔵があったから付けられたというが、近年には蔵前は相撲でお馴染みの国技館があった(1984年まで)ことで知られる。今は国技館跡は水処理センターとなっている(今の国技館は両国<=蔵前から隅田川を渡った位置>)。現在は蔵前と云えば”問屋街”である。袋物(バッグ類)の材料問屋で買いたいものがあったが、どこで買っていいか迷うほど。蔵前、浅草橋、柳町近辺には東京の人形問屋の70%が集まっているそうだし、アクセサリーのパーツ、手芸用小物、店舗用品などの問屋群は壮観である。続いて行った「合羽橋道具街」もまた負けてはいない。こちらには料理道具、製菓道具、ありとあらゆる食器類、包丁専門の道具、厨房器具などを扱う問屋が軒を連ねている。蕎麦(そば)屋を開店するときにこの問屋にくれば全て間に合うといった蕎麦用具専門の店もあった。料理や菓子づくりに限らず”道具”が材料とならんでモノツクリでは大きな要素となることは私も十分実感しているので、「道具街」を見て回るだけでも大いに刺激を受ける。・・地方から東京に移り住み50余年、まだまだ知らない街が何と多いことか。東京散策は終生の道楽となりそうである。
「今日の作品」に「
ブルドッグ皿/スーパー楕円型C」(陶芸)を掲載した。陶芸教室で制作した記念皿。絵は白の象嵌、土は黒泥土、釉薬は透明。一ヶ月以上乾燥機間をとったためか、250mmの寸法(厚10mm)であるけれどもほとんど変形なしに仕上がった。

3月4日(火)   <太陽光で動く「招き猫」・・・>
太陽光で動く「招き猫」を持っている。直接太陽が当たらなくても外が明るくなるとオイデオイデと手を振って我が家に幸運を引き寄せてくれる。この招き猫は前に浅草の土産店で買ったものだが、私はオモチャ(玩具)としても名品だと思っている。何が優れているというと、夜に外が暗くなると手を振るのを停止して、明るくなると振り始めるところである。時計の振り子のように常に動いている場合は振り子のロス分のわずかなエネルギーを供給するだけでよいが、停止している振り子を太陽光で動かし始めるのは簡単なことではない。このソーラー招き猫には特許か実用新案かを取得した新しい技術が凝縮している。・・今日のニュースで「米国製の持ち歩ける太陽光発電」が人気上昇中との記事があったので「招き猫」の話になった。招き猫のことを考えると、リュックやビジネスバッグにシート状のソーラーパネルを貼付けて屋外での電源を確保する程度のことならば日本でも十分に先行できるはずだのに・・。ソーラーパネルも随分改良されてきている。太陽光発電は持ち歩きの用途以外の生活に密着した道具として今後幅広く活用されるだろう。招き猫が手を振っているのはソーラー技術をもっと実用化しろと激励しているように見えてきた。
ソーラー招き猫/3月4日

3月 5日(水 )   <観光競争力指数・・・>
観光競争力指数というのがあるようだ。今日のニュースで世界経済フォーラムが発表した世界130 カ国の「2008年観光競争力指数」で日本は23位(昨年は25位)であったと報じられている。世界の順位はトップから、スイス、オーストリア、ドイツ、スペイン、英国、米国・・、などと続く。観光政策、環境保全、治安、保健・衛生、観光資産などの総合的な評価とされるが、評価の基準などよく分からないところもあるし、順位は参考値と考えればいいだろう。それにしても観光は決して疎かにできない国家的な大事業だ。小泉内閣の時代に遅まきながら観光立国を目指して観光を推進する機運ができた。その当時(2001年)で海外から観光で日本を訪れる外国人による観光収入は約7000億円、一方、海外旅行で日本人が支出する金額は約4兆3000億円(!)。最新データーは掴んでいないが2-3年前で、日本からの海外旅行者(年間)は1800万人程度、これに対して日本への外国人旅行者は700万人程度(2007年に観光に日本を訪れた外国人は過去最高で約830万人<韓国人260万人、中国人94万人>というデータはある)。世界各国を訪れた観光客数(年間/概略)で比較すれば、フランス7700万人、スペイン5200万人、イタリア4000万人、最近観光大国に躍進した中国が5600万人。こんな数値をみれば日本は昨年の観光客を5倍増してもまだ少ない。Visit Japanの政策は与党も野党も関係なしにもっと力を入れるべきでないか。
3月 6日(木 )   <有機ELの将来・・・>
有機ELの将来を楽しみにしている。有機EL(=Organic Electro-Luminescence)は「発光層が有機化合物のフィルムから成る発光ダイオード」。電圧がかかると発光する物体(有機物)の厚さが1mmの千分の1から十万分の1という超薄型であり、これまでは携帯電話の表示装置に応用されて極薄肉化を可能にした。最近は大型デイスプレーの開発も進み、ソニーが昨年末に発売した世界初の有機EL搭載テレビのデイスプレーは厚さが何と3mm !. いまの液晶テレビの厚さが薄くなったことに驚いているが、間もなく有機ELによりテレビは壁に貼付けるポスター並が当たり前になるかも知れない。テレビ・パソコンが有機ELにより大変革するのは間違いないだろうが、私が期待しているのは「照明」の革命だ。壁全体あるいは天井の面での照明ができて、しかも電気代が安くなれば、家の中での生活が一変する。技術の夢物語が夢ではなく数年から10年の年月で着実に現実となっていることは、実はスゴイことであると改めて感動する。

3月 7日(金 )   <亀の甲羅干し・・・>
「亀の甲羅干し」にしばらく見とれていた。場所は井の頭恩賜公園(東京都武蔵野市)の池。井の頭公園内にあるテニスコートでのテニスに誘われて快晴の下でテニスを楽しんだ帰りの話である。「亀の甲羅干し」の現場をこれほどじっくり観察したのは初めてかも知れない。今日の昼間はポカポカ陽気で天気もよかったせいか、無数の亀が群れ集まって一斉に甲羅干しをしていた。それも池に張り出した桜の木の幹、池の中の石や台座など水面上にでているわずかな空間があると場所を取り合うようにかたまって甲羅を干している。よく見ると亀の”向き”が全て同じで、そろって甲羅が最も効率よく太陽光を受ける格好。頭は太陽光と逆向にして甲羅を太陽に突き出す形態はソーラーパネルを並べた形とそっくりだ。亀は自分で体温の調整ができない変温動物であるので、日光浴をして体温を上げる。亀の甲羅には毛細血管が張り巡らされていて温められた血液が直ちに体内に循環すると云うから、正に亀にとって甲羅は生きるために必要なソーラーパネルである。亀さんたちにとっても春はもうそこまでやって来ている。
「今日の作品」に「
ブルドッグ皿/スーパー楕円型D」(陶芸)掲載した。以前、ブルドッグを飼っていた友人へのプレゼント皿。黒泥土に白化粧したところに線描し、透明釉薬を軽くかけた。

3月 8日(土 )   <とらぬ狸の皮算用・・・>
「とらぬ狸の皮算用」であることは分かっていても誰かに話したくなることがある。今朝は床の中で目覚めたときから興奮していた。今日は陶芸で粘土の立方体を使って、これまでにない新しい加工法に挑戦する予定だ。いろいろと段取りを考えて道具もそろえた。さて実践・・と詳細を綴りたいが止めた。陶芸ではまだ完成していないのに「とらぬ狸の皮算用」をして調子のいい話をしたものに限って”失敗”するという私のジンクスを思い出したのである。中途半端な書き方だが完成後に詳細の経緯を記したい。それでは・・と、「皮算用」の諺の英語版を調べた。Don't count your chickens before they hatch.とある(hatch=<卵から>かえす、孵化する)。つまり、「雛がかえる前に数をかぞえるな」。もう一つ、Catchthebearbeforeyousellitsskin. これは狸が熊になった訳で「狸の皮算用」と発想は全く同じだ。世の東西を問わず人には「皮算用」の習性があるようである。私の陶芸でいえば、狸であろうが熊であろうが一頭だけでいいから捕まえたい心境だ。皮算用の結果報告は一ヶ月後となりそう・・。

3月 9日(日 )   <ストレス・リリーフ・・・>
ストレス・リリーフ(=Stress Relief/応力除去)という言葉がある。工学用語で材料に残留しているストレスを除去すること。例えば、鋼の場合、450度程度に過熱してやると蓄積されたストレスをなくすことができる。工学ではストレス(応力)とは外力が作用すると生じる”当然の事象”。材料の弾性限度であれば外力がなくなればストレスもなくなるし、ストレスの計算をして安全率を見込んで妥当なストレスであることを確認しておけば(=これが強度計算)何の問題もない。最近は人間のストレスがあらゆる病気の根源として極めて重要な要素であると見られている。人間は常に負荷を受ける環境にさらされるのでストレスが生じるのは不自然ではない。ただし、人のストレスは”脳の感じ方”で如何様にも変化するところが工学でのストレスと大きく異なるところだ。いわば当たり前のストレスをプラスに転じることもできる。課題が難しいほど面白いとか、負荷は大きいほどやりがいがあると思えば、ストレスは楽しみとなるだろう。ところで人間の歴史の過程で生じた「宗教」は一種のストレス・リリースと思う事がある。悟りは悩みというストレスを溜めぬ方策であるし、人を超越した絶対的な力を信じることは諸々のストレスを開放させる。ストレス・リリーフを如何に行うか、これこそ生きる知恵なのだろう。

3月 10日(月 )   <きぼう・・・>
「きぼう」は日本初の有人宇宙施設の名前だ。明日11日に打ち上げられる米スペースシャトルに日本人宇宙飛行士の土井隆雄さんが搭乗して、国際宇宙ステーションに「きぼう」を取付ける。国際宇宙ステーション(ISS=International Space Station)とは、アメリカ、ロシア、日本、カナダ、欧州各国が協力して建設を進めている宇宙ステーションで、2010年の完成を目指している。当初、20年以上前の東西冷戦時代にソビエトに対抗して西側の結束を示す宇宙ステーション計画であったが、その後ソ連の崩壊(1991年)、スペースシャトルの事故、各国の財政難など諸事情がからんで紆余曲折の末に現在はロシアも加わって巨大国際宇宙ステーションの建設が進行中だ。ISSは完成すれば総重量400トン余、横長さ100m余、進行方向長70m余、発電量100kwと書き出してみると改めてそのスケールの大きさに驚く。その中ではささやかに見える実験棟「きぼう」であるが20年以上の年月をかけて開発されて今回ISSに取付けられる。軍事大国中国の行き先は不透明だが、ISSは国別対抗でなく地球規模で共同開発を推進する時代のシンボルに思える。「きぼう」の名はまさに未来を期待させるに相応しい。

3月 11日(火 )   <無用の用・・・>
「無用の用」と言えれば良いが本当に無用のままで終わるものを作って喜ぶ。「今日の作品」に掲載した「針つきキャンドルスタンド(陶芸)」はその一つかも知れない。陶芸としてはこの作品もそれなりに考えたところはある。針状の粘土はただ円盤の上に乗せただけでなく円盤(約10cm径)に穴をあけて棒状粘土を穴に差し込んで固定させた。その効果があったのか板と針の結び目に割れなど発生することなく、また針が倒れることもなく出来上がった。細い針の先端には柔らかい粘土水を垂らして小さな球を作った。釉薬をこの球の上に一雫付着させておいたところ完成後見事に針の先端に“雫(しずく)”が残った。中央部に見える円錐は別体で取り外すことができる。キャンドルスタンドとして使う場合は円錐の場所に蝋燭を立てる。実際にキャンドルを立てた姿は陶芸コーナーに掲載した(=ここ)。さて冒頭の荘子の説いた「無用の用」であるが、私も一般論としては自然界には無用なものは存在しないとの見方に賛同する。それならば人工物の有用、無用を誰がいかに決めるのか。今日の作品でないが他人が無用だといっても本人が大いに楽しんでいればそれだけで意味があることもある。何に対しても無用と決めつけるのは傲慢過ぎるように思える。


3月 12日(水 )   <ビタミン剤を買うとき・・・>
ビタミン剤を買うときには注意しなければならない。総合ビタミン剤でなくビタミンBを求めたのであるが、店のオバサンが出してくれたものを買って帰ったところ、ビタミンB1が欲しかったのにB2,B6が主体のビタミン剤だったので妻から叱られてしまった。そこでビタミンについての学習・・。ビタミンは全部で13種類ある。ビタミンA,B1,B2,B6,B12,C,D,E,K,これにB群の仲間としてニコチン酸、パントテン酸、ビオチン、葉酸が加わる。今日買ってしまったビタミンB2,B6主製剤の効能は肌荒れ、口内炎など、一方、ビタミンB1主製剤は肩こり、腰痛、眼精疲労などに効能があるとされる。ビタミンB群は疲労回復に総称されることもあるがB群といってもB群全てを含む製剤は普通見当たらない。。ビタミンC剤の場合、風邪の予防の効能が一般的である。・・こんな風にみていくと明確な目的がなければ総合ビタミン剤を飲んだ方が簡単なような気がする。それにしてもビタミン剤とはほとんど同じ成分の錠剤でメーカーによって価格が大幅に異なる。いずれも日本のメーカーでこれほどに価格差があるとなると、いまに中国製ビタミン剤が激安で参入するのでないか。あるいは既に一部の製造は中国で行われているのだろうか・・。

3月 13日(木 )   <目は二つ、耳は二つ・・・>
目は二つ、耳は二つ、鼻の穴は二つ、手は二つ、足は二つ・・と神の造形物というべき「自然の数」のすばらしさに今更ながら感動する。「二つ」であるために目では立体に事物を把握するとか耳は方向や位置を正確にキャッチするという機能を持つことができるが、何より二つのうち一方に万一不備があったときに互いに”助け合う”ことができる意味が大きい。一方がもう一方の”予備”ではなく均等の関係で非常時に助け合うのである。・・こんなことを書くのは今日のテニスで右足を痛めたからだ。膝の関節とそれに連なる下部の筋肉に痛みを感じてまともに歩けない状態(といってもテニスの試合は最後までやった)。私は以前から左足が専ら具合が悪かった。左の足首や膝などはもう慢性的にわずかな痛みを感じるので左に無理な力がかからないようにいつも気をつけていた。ところが、今日、右足を悪くすると左足には全く痛みを感じない。右をサポートするのが当然のごとく堂々とした左足に気がついた。二本の足というのは実にうまく出来ているものだ。そういえば夫婦も二人である。

3月 14日(金 )   <予期しない理由・・・>
「予期しない理由で終了しました」と表示をだしてパソコンのアプリケーションが突如終わってしまうことがある。私のパソコンはMacで,インターネットには通常Safariを使うが(Internet Explorerを使う事もある)、インターネットをやっている最中にこの表示が出て停止するのは”予期しない”時ではなく、毎回決まったサイトに接続しようとする時である。それは朝日新聞のコラムのサイト。まず朝日の速報ニュースサイト(asahi.com/)に入ってから「コラム」のサイトに行こうとするとダウンするケースとコラムサイトに行った後、「天声人語」のサイトに行こうとするとダウンするケースの両方あるが、他の新聞サイトやどのサイトでもこのように終了してしまうところはない。それでも100%接続できないのでなく他の新聞を見た後で再度トライすると通じることもある。先ほど検証しようとしてやってみると二回続けてダウンし三回目にはつながった。「天声人語」さんへ行く時には、またSafariが停止してしまうかとヒヤヒヤしながらも毎日必ず読んでいるから“自分を誉めてやりたい(??)”。今のところ「朝日」だけに何故こんな現象が発生するのか、こちらで対策があるのか全く分かっていない。
「今日の作品」には 「
針つきキャンドルスタンド/使用例 (陶芸) 」を掲載。11日から陶芸サイトに掲載していた写真を表紙に持って来てみた。中央の三角錐はキャンドル。

3月 15日(土 )   <白鷺が一羽暖かい日射しを浴びて・・・>
白鷺が一羽暖かい日射しを浴びて羽づくろいをしていた。今日の東京・白金の自然教育園でみた風景である。この自然教育園(=Webサイトはここ)は都心の一等地に森を残した奇跡的な場所。訪れる度にこうして保存された幸運に感謝する。しかも65歳以上は無料で入園できる。人は時に樹木の中で呼吸するだけで活性化する。人間社会の世事は樹木と比べると何と小さくコセコセしていることか。、世界には3000年、4000年の樹齢の樹があるし、日本でも屋久島の縄文杉の年齢は2000年余(諸説あったようだが)、何百年から千年の樹齢の樹木はいくらでもある。この自然教育園にも江戸時代からの松や巨木も多い。これらが全ていまも“生きている”のである。大地に大きく根を張ってじっとしているだけで極めて幸運にも生き残っている樹木の生命力には大いに感動するが、一方では動物そして人間が樹木のマネをする訳にはいかないと思う。巨木と比べるとほんの一瞬のごとき一生を人は存分に動き廻ることができるし、何より自らの意志で変えることができる。こんなことを考えながら、樹木の中を2-30分歩くだけでまた元気をもらった。
2008-3-15@自然教育園・東京

3月 16日(日 )   <粋(いき)とは何か・・・>
粋(いき)とは何か、この難問に頭を悩ましている。5月に行われる予定の陶芸教室の陶芸展で「粋な作品」の特別コーナーをつくることになり作品を募集しているので新たに作品を作りたいのだが、どうもピンと来ない。手元の辞書を引いてみると粋とは「気がきいてみえる様子(副次的には遊びなれていることや花柳界の事情に通じていることをも表す)」(新明解/三省堂)とある。それでもまだ具体的なイメージがわいてこないのには理由があることが分かった。およそ私と云う人間は”粋”とはほど遠い。「あか抜けしている」とか「自然の色気」、「遊興に精通」(=広辞苑の解説)とも一切縁がなく、むしろ“野暮”の方が似合う。粋がっている男とは生理的に相容れない。けれども本当の“粋”には日本文化の特性ともいうべき美意識があることは理解しているつもりだ。この機会に「いきの構造を読む」(安田武、多田道太郎著/朝日選書/1988年版)を本棚から探し出してみてみた。『「いき」の構造』は昭和初期の哲学者、九鬼周造(1888-1941/Web=ここ)が「いき(粋)」について徹底的に考察した名著として知られる。「媚態」、「意気地」、「諦め」の三つが「いき」の内包的構造などと哲学的な論説が主体であるが、九鬼周造はヨーロッパに長期留学中、いき(粋)に相当する外国語がないことから(フランス語のシックなどとも違う)日本独特の美意識に着目したと云われる。”これが粋だといったとたんに粋でなくなる”そうであるから、もう”諦め(あきらめ)”の境地で粘土をこねて作品を作るしかない・・。
3月 17日(月 )   <辛夷(コブシ)咲く季節・・・>
辛夷(コブシ)咲く季節となった。桜の木にはまだ花の気配もないところで目に眩しいほどに白い花が一斉に咲き誇っている。側によって本当にコブシの花かどうかを確認すると間違いなくコブシだ。コブシと非常に良く似た白い花を咲かせる「タムシバ」という木があり、遠目にはコブシとタムシバの違いは分かり難い。そこで、コブシは”花の下に葉が1個付くのが特徴”でタムシバの花の下には葉がないことを思い出して、確かめるとコブシだったのである。家に帰って「葉っぱでおぼえる樹木/原寸図鑑<柏書房>」という本を持ち出して葉の違いを調べてみるとやはり分かり易く図解してあった。コブシの葉が先端の方がより膨らみ気味の卵形(ふっくらしている)のに対して、タムシバの葉はふくらみが少なく尖っている。コブシもタムシバもモクレン科の植物であるが、モクレンの葉はコブシとタムシバの中間的な形状でサイズが大きい。最近はようやくハクモクレンの白い花とコブシやタムシバと区別出来るようになった。明日のアール(コーギー犬)の散歩の時にはコブシの葉の形状を観察してみようと思っている。
「今日の作品」に「キャンドルスタンド(陶芸)使用例2」を掲載した。右側の中央部のものはキャンドルではなく料理用の金属ケース。左側の本物のキャンドルと同じ格好なので冗談で飾った。


3月 18日(火 )   <岡本太郎の壁画「明日の神話」・・・>
岡本太郎の壁画「明日の神話」が渋谷(東京)に恒久設置されることとなった。この壁画は竪5.5m、横30mの巨大なもの。1960年代に岡本太郎がメキシコの新築ホテルのロビーに設置するため制作したがホテルが未完成のまま放置されて壁画も取り外されて行方不明となってしまった。30余年を経た2003年、メキシコシテイー郊外の倉庫にある壁画が発見され、日本に持ち帰り修復して日本のどこかで恒久展示することとなった。展示場所として渋谷(駅の連絡通路)、大阪吹田市(万博跡地)、広島(原爆ドーム近辺の広場)が名乗りを挙げて招致合戦をしていたところで今日渋谷に決められたのである。私的には今回の決定は大歓迎。私は渋谷の展示予定の場所を頻繁に通るのでよく知っているが、ここが最善であろうと思う。大阪や広島の候補地をテレビでみたが空間としてゆったりとしていいけれども壁画が小さく見えるように思える。広大な自然の中に巨大な彫刻を設置しても実に貧弱に見えるのはしばしば経験するところだ。人工物は人工物の枠の中の方が似合う。昨年。東京都現代美術館(木場)でこの「明日の神話」を見たことがあるが、この壁画は美術館の中よりも(あるいは広いスペースの中よりも)渋谷のJR駅と井の頭線を結ぶ二階の通路壁面の方が”映える。一日30万人の人が目にするだけでも壁画にとって本望であろう。Webにて「明日の神話オフィシャルサイト」があり、この壁画の詳細を見ることができる=ここ

3月 19日(水 )   <今日、月の第三水曜日・・・>
今日、月の第三水曜日が特別の日であることを最近知った。この日、東京都庭園美術館では65歳以上無料となるのだ。そのためでもないが庭園美術館(港区白金台)で開催されている展覧会「建築の記憶=写真と建築の近現代=」(3月31日まで)を見に行った。記録として撮影された明治期の建築写真からアートとして建築を表現した現代の写真まで、約400点の写真が主体。更に東京カテドラル(聖マリア大聖堂@東京・目白/丹下健三設計)などの建築模型も数点展示されている。私は建築を見るのが好きなので現在目にする事ができる名建築の写真はほとんど馴染み深いものだった。そんな中で明治10年(1877)に全焼した熊本城の焼失前の写真が興味深かった。明治の初期にこれだけの写真がよく撮影されたものと感心するが、写真が残っているからこそ大小二つの天守閣を持ったユニークで壮大な城に今も圧倒される。けれども失った建築の場合は止むを得ないとして、現存する建築はできることなら写真でなく“現物”をみたい。モデルの女の子のように時には写真の方が魅力的であるかも知れないが、やはり“本物”の味が勝ることもまた確かである。・・今日は庭園美術館まで歩いて行き、歩いて帰る。私にとってはささやかなる初体験であった・・。
3月 20日(木 )   <名称の付け方は難しい・・・>
名称の付け方は難しい。今日ニュースで東京・墨田区に建設される予定(2012年完成/高さ610m)の新タワーの名称(候補)が発表されていた。錚々(そうそう)たる有識者が最終候補6案を選定したというにしては何とも奇妙な名称が並ぶ。どうしてこう横文字が好きなのか? 東京EDOタワー、東京スカイツリー、ライジングイーストタワー、ライジングタワー・・。思わず止めてくれと叫びたくなるが、残りは、みらいタワー(完成したら”みらい”の名前などナンセンスだ)、ゆめみやぐら、・・これで6つの候補は終わり。私は東京・赤坂の旧防衛庁跡地に再開発された「東京ミッドタウン」の施設は好きであるが(新国立美術館にも近い)、どうしても「東京ミッドタウン」という名称に馴染めない。六本木ヒルズとか赤坂○○というのであれば、その土地との結びつきができるが、ミッドタウンとはどこだか分からない。新タワーもどうして”スミダ”がないのか不思議だ。隅田川の堤「墨堤」と隅田川の「田」から名付けられたという墨田区。新タワーは隅田でも墨田でも土地の名前を世界に発信するチャンスだと思うのに。今更、こんなことを書いてみても空しいか・・。
3月 21日(金 )   <足についたご飯粒・・・>
「足についたご飯粒」とかけて「博士号」ととく。そのこころは「とれるけれども食えない」。博士号をとったからといって直ちに生活が保障される訳ではない。博士号と云う資格もお金を稼ぐ事とはつながらないなら、音楽や絵画など芸術方面でもまた実技がどんなに優れていても認める人がいなければ生活には困窮する。食っていけない天才は数知れない。それでも博士も芸術家も好きなことをやっているから不平を言わない。今日のニュースで、逆に食べる事には困らないけれども“博士”の道を歩む人が話題になっている。一人はハンマー投げの室伏広治さん(2004アテネ五輪金メダルリスト、33歳)。「ハンマー頭部の加速についてのバイオメカニクス的考察」によって中京大体育学研究科で博士号を取得したという。もう一人は柔道の古賀稔彦さん(1992バルセロナ五輪金メダリスト、40歳)。古賀さんは日体大大学院で「スポーツ選手の体力の消耗と回復について統計学的に分析する」研究をしてきたが、この度、弘前大学大学院に合格し、スポーツ医学の分野で博士号取得を目指す。スポーツの実技面で十分の経験と実績を持つ人たちが更に理論を深めて博士号を取得するのは非常に良い傾向だ。少なくとも博士は「食えない」などと口に出して言わないが美学であろう。

3月 22日(土 )   <春が来た・・・>
春が来た、春が来た、どこにきた・・、東京では桜の開花宣言、甲子園では選抜高校野球が開幕。東京ドームでは米大リーグ、レッドソックスと阪神が日米オープン戦(6-5でRソックス勝ち)、今晩は続いてアスレチックと巨人が対戦予定だ。チケット情報という怪しげなメールが入っているのでみると、来週東京ドームで行われる大リーグ、レッドソックス対アスレチックの開幕試合のチケットあります・・。料金は18000円プラス実費だそうで、今のダフ屋はメールを使う。2-3年前にニューヨークのヤンキースタジアムでのヤンキース対レッドソックス戦の切符をnetで購入したことがあったので、メールアドレスが流れたのだろうか。とにかくも春の到来は何から何まで一挙にやってくる。「流れ来て 清水も春の 水に入る」(蕪村)。・・この機会にWebで冒頭の小学唱歌(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)を検索して聴いてみた(=ここ)。この作詞作曲は著作権が切れていて(1910年の唱歌)楽譜をダウンロードすることもできる(=ここ)が、いつまでも残したい歌の一つである。
=明日から春の遠州路へ小旅行するのでコラム2-3日休みます=

3月 25日(火 )   <遠州路をドライブして・・・>
主に遠州路をドライブして先ほど帰宅したところ。友人三夫婦一緒の旅行だったので自分たちだけでは考えつかない色々な場所を訪れることができた。遠州路と書いたが都市で言えば、静岡県の浜松、湖西(浜名湖の西)、磐田、袋井、掛川、菊川、牧ノ原、御前崎、焼津など。河で言えば天竜川、大井川に挟まれる地域プラスアルファ。東名高速道路に沿った地域であるが、私にとってはほとんどがはじめて走る土地でいずれも興味深かった。例えば浜松市二俣町(以前は天竜市)の秋野不矩(あきのふく)美術館。この美術館の藤森照信氏設計になるユニークな建築<欄最下部の写真>に出会えたことだけでも幸せであった(秋野不矩さんの多くの作品は京都国立近代美術館での展覧会用に貸し出し中だった)。小旅行ではあったが、少なくとも妻と私はリフレッシュして大いなる元気をもらった。明日からまた新たな気持ちでスタート出来る。
秋野不矩美術館/浜松市

3月 26日(水 )   <立方体パズルA・・・>
「立方体パズルA」(陶芸)を「今日の作品」に掲載した。白黒二つのピースからなる立方体(組立状態)をどうすれば分解することができるでしょうというパズルである。はめ込み部分がくさび状になっているので上下には外れない。また縦横にも動かない。正解は対角線方向にずらせればよい(分解状態の写真を陶芸コーナー=ここ=に掲載)。このパズルは木材製のものでは知られたパズルであるが、今回は陶芸品として制作に挑戦した。陶芸品の場合、制作時の粘土は焼成時に約15%収縮するし、1250度まで加熱されて変形することがある。完成してみないとパズルの隙間が適性に保たれる保証はない上に、厚肉の粘土に空気が封入されたら破裂する可能性もある。そんな条件の中で今回のキューブはうまく出来上がった。沢山の穴をあけているのは模様を兼ねて空気抜きの役目をもたせたもの。その他にも変形(歪みの発生)を最小限に抑える工夫を随所で行ったが完成してみると苦心の跡は何も見えないものである。この種の作品は自己満足と割り切ろう。初めに立方体のブロックを制作して、これをワイヤ(鉄線)で二つに切り出した方法も自分ではよくできたと一人微笑んでいる(糸ノコで切断しようとしたが結局ワイヤがベストだった)。


3月 27日(木 )   <桜が一挙に満開・・・>
桜が一挙に満開となる。都内を自転車で移動しながら数カ所で桜を愛(め)でた。ニュースでは、松井秀喜が結婚することを表明したとか桑田真澄がついに引退を決意したとか、大リーグがらみの話題が目についたが、今日のコラムでは時節とは全く関係のない「パズル」の話を昨日に続いて書いてみたい。パズルと云っても非常に種類が多い。ジグソーパズルのように二次元の組み合わせパズル、三次元の組み合わせパズル、知恵の輪のような外すパズル、ほどくパズル、開けるパズルなど、パズルの種類を集めるだけでも一冊の本が書けるほどだ。このところ陶芸で「パズルシリーズ」を制作しようと調べていると「パズルの壷」が大昔からあったことを知った。古代フェニキア人やギリシャ人(紀元前12ー8世紀頃)が既に多くの「パズルの壷」を作っていたそうだ。キプロス島で発見された紀元前5世紀頃のパズルの器は十分に作動したという。パズルの壷にもいろいろあり、上部に入り口がなく底の特別な穴からだけ中に注入出来るものとか、酒を飲む時にこぼさないように飲むにのに仕掛けがあるとか、空気力学的な原理を巧みに使ったものなど多種多様。そういえば以前私が陶芸で制作した「ヘロンの噴水」(=ここ=)や「はてなの茶碗」(=ここ)なども不思議な作動をするパズルの範疇に入るかも知れない。パズルの歴史をみていると、太古の昔から人間は考えることが好きで好奇心旺盛、そして勿論“遊び”が大好きであったことがよく分かる。
3月 28日(金 )   <情報公害・・・>
情報公害をもっと真剣に認識できないものか。ここでいう情報公害とはコンピュータ犯罪の類ではなく、毎日の新聞、テレビなどで垂れ流しされている“害毒”のことである。かつて一生懸命に生産に励んでいた製造会社はまさか自分で社会(他者)への害毒を流しているとは夢にも考えなかった。それが指摘されてみると大気を汚し、河を汚染し、地中にまで毒が及んでいた。害毒を認識してから一挙に防止対策を作り上げた。新聞やテレビの報道は子ども・大人の区別なく一方的に伝わる。最近の報道で言えば、相次いで発生した土浦と岡山での無差別殺人。報道は「誰でもいいから人を刺してやろうと思った」とか「人を殺せば刑務所に行ける、死刑になれる」などと犯罪者の言い分を詳細に伝える<時に犯罪手法を懇切丁寧に解説する>。世の中には報道された犯罪者の言い分に“共感”する人間がいるものである。そうすると動機付けされて”共鳴”する、つまり行動に走ることがあり得る。犯罪者の言い分をそのまま伝える報道は「公害」以外の何ものでもない。害悪を流すことと報道の自由とは全く別ものだ。情報公害はまずマスコミ各社が害毒を垂れ流しているという認識がなければ防止しようがない。
東京では桜が満開。西郷山公園(目黒区)では桜、辛夷、菜の花が一緒に咲き誇っていた。

3月 29日(土 )   <どうせ花見をするなら目黒川・・・>
どうせ花見をするなら目黒川に沿って下流に行けるところまで行ってみようと思い立った。東京の目黒川というのは上流の世田谷区では暗渠であるが下流の目黒区に入る付近からは開渠となり川沿いには遊歩道が整備され、桜並木が連なっている。目黒川が最後は品川の先で東京湾に注ぐことは知っていたが下流まで歩くのは初体験であった。さて、中目黒近辺からウォーキングスタート。目黒ー五反田ー大崎・・と、結局、北品川まで歩いた。北品川近辺にはもう桜並木はなく、その先で芝浦運河ー京浜運河を経て東京湾に至る。元来、品川の「川」はこの川のことで埠頭経由で品物が行き交っていたことから「品川」になったという。実際に川沿いを歩いてみると地理が実感出来る以外に色々な発見があった。大崎で再開発された地区が目黒川に沿っていることを初めて知ったし、川沿いの各所で今も変革を続ける姿を目の当たりにした。肝心の桜観賞は・・、もちろん十分に楽しんだ。今日歩いた道程で目黒川にかかっていた橋の数はざっと20ほど。桜の季節にはこのウォーキング、病み付きになりそうである。<なお、帰路は電車に乗りました・・>
目黒川の桜/目黒雅叙園付近にて

3月 30日(日 )   <押し合いへし合いする混雑・・・>
「押し合いへし合いする混雑」を久しぶりに体験した。「へし合い」とは漢字で書くと「圧し合い」であるが本当に圧しつぶされることのないように気をつけて歩いた。花見でも電車のラッシュアワーでもなく、たまたま所用があって東京・原宿の「竹下通り」に行ったのである。日曜日の竹下通りがこれほどに混雑するとは知らなかった。実際に他人の身体と接触せずには歩き進むことができない。一緒に行った妻とはアッという間にはぐれたが、前の人が倒れると将棋倒しになりそうな危険を感じながらも何とか目的の店にいくことができた。こんなに混雑するなら二度と行くものか・・と思わせないところが竹下通りのいいところ。この街には若者のエネルギーというか人間の生のパワーが溢れている。これから意気消沈した時とか元気が欲しい時には竹下通りを歩こう・・。
「今日の作品」に「三角錐パズル<組立状態>」(陶芸)を掲載した。この組立てると三角錐になるパズルは2個の同型の5面体から成立っている(分解状態の写真は陶芸コーナー=ここ=に掲載)。わずか2個のブロックを組立てるパズルであるが、簡単には出来上がらないパズルの名品の一つである(完成した三角錐を一度見ると容易)。今回はこの名パズルを陶芸で制作した。粘土の空気抜きとデザインを考えて各ブロックの中央に一つ穴をあけた(一輪挿しあるいはペン立てなどにも使用出来る)。


3月 31日(月 )   <孝行をしたい時には・・・>
「孝行をしたい時には親はなし」。このところ何かとこの言葉を思い起こす。親には特別に孝行らしいことはできなかった。もしいま親が存命であれば何をして親を喜ばすだろうと考える。温泉でも旅行でもどこにでも連れて行く。美味しいものを食べに行く。母親には絵や陶芸の作品を見せる。何よりもっと会話をするだろう。生前はゆっくり話をする機会もなかった・・。こんな気持ちになるのは、毎日アール(コーギー犬)を散歩に連れ出すこととも関連している。アールは今は左の後ろ脚を引きずるようになり長距離を歩くことができない。リハビリを続けているが散歩する距離がどんどん少なくなる。以前は1kmや2kmは平気で歩いたのに、今は叱咤激励しながら200-300mが限度(一回で)。元気な時に数km先までアールと一緒に行けばよかったと今ごろになって後悔している。これは「後の祭り」というべきか「後悔先に立たず」か・・。そういえば、今の桜の季節には良い歌がある。「明日ありと 思う心の 仇桜(あだざくら) 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは」(親鸞の歌と伝えられる)。昔から私が好きだった歌であるが、”明日やろうと思っていると明日はどうなるか分からない。今日できることは今日やろう”というのは理屈である。理屈では分かっていても、その場になって手遅れとなり後悔ばかりしている・・。
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