これまでの「今日のコラム」(2008年 4月分)

4月1日(火)  <久助を愛好している・・・>
「久助(きゅうすけ)を愛好している」といっても分からない人がいるかも知れない。久助とは、せんべいやおかき、あられなどの菓子が製造過程で割れたり欠けたりものを云う。形が悪いだけで味は正規の製品と全く変わりがないので老舗の煎餅店などで時々「久助」だけを詰め合わせにして大バーゲンをする。これが実に格安でしかも美味しい。いま手元にある久助の煎餅用の缶にはラベルが張ってあり、「美味しいものほど繊細でこわれやすいものですが・・」と久助についての説明がある。それでも久助の語源までは解説してないのでインターネットで調べてみた。完全な形の「十」にたいして一つ欠けたのは「九」で「九助」から「久助」になったとする説、吉野葛の別名を久助葛といったことから駄洒落で”くずもの”を久助と呼んだとする説、失敗ばかりしていた不器用な菓子職人の名前が久助だったとする説など諸説あるようである。いずれにしても久助は江戸時代からの伝統を引き継いでいる。それにしてもスーパーで販売される高価な野菜の数々を見るにつけて、キュウリやニンジン、ナズ、大根などにどうして九助や八助がないのだろう。形が整っていなくても安価で美味しければいくらでも需要はあるはずだ。野菜の流通にも「久助」の知恵が欲しい。
「今日の作品」に
「三角錐パズル<組立状態B>(陶芸)を掲載した。三角錐パズルの使用法の一つ。下部のブック型下敷きも陶芸作品(立方体パズルの下敷き)。

4月2日(水)  <日本将棋には極めて珍しいルール・・・>
日本将棋には世界の将棋の中でも極めて珍しいルールがある。それは相手の駒を取った後で自分の駒として再使用できるところ。こんなルールはチェスや中国将棋(シャンチー<象棋>)など他国では見られない。日本の将棋は仏教や諸文化の伝来と同じようにインドー中国方面から伝わったのであろうが、通説では戦国時代(16世紀頃)に日本独特の「持ち駒再利用ルール」が導入されたとされる(13世紀とか15世紀の学説もある)。捕えた相手を自分の戦力にするという発想がなぜ日本ででてきたのかを知りたいのだが、そこまで解説されたものは見当たらない。英国での議会制民主主義は権力者が地位を譲っても命を保障されるされるようになって初めて発足できたという話がある。捕えられれば皆抹殺されるのが常識の外国では日本式の「再利用ルール」は起こりえない。日本では明治維新の時に江戸城無血開城という奇跡のような無血革命の歴史があるが、これなど「持ち駒再利用」と心情的には同じに見える。日本将棋の「持ち駒再利用ルール」(それも同じ地位=力=で使える!)の精神と日本文化や歴史との関連を論じたものを見たいものだ。
今日の写真には昨日、一昨日の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・」まだ満開を続ける東京・自然教育園入り口の桜を掲載する:
4/2@自然教育園/東京・白金

4月3日(木)  <テニスで5-0のリード・・・>
テニスで5-0のリードをしてコートチェンジをする際に相手は”ジャイアンツみたいだ・・”とつぶやいた。いいところまでいくけれど勝てない、連敗・・。巨人は昨日まで開幕5連敗で勝ち星がない。そんな愚痴を気にせずに平常心でプレーして、テニスの結果は6-0。これは楽天の6連勝のように”ツキ”もあった。それにしても巨人は勝てない。NHKの野球解説者は今年の優勝候補No.1に巨人を挙げる。それほどに巨人の総合戦力は高いそうだ。ところが私など巨人の強力打線のメンバーすら知らぬ。巨人ブランドに愛想を尽かしたのは清原が移籍してきた頃かもしれない。愛想を尽かした後には、巨人が負けると快感を覚える奇妙な心理が残る。テレビも巨人が勝っていれば見ないが負けそうであると見続ける。今夜の巨人ー中日戦で巨人は初の一勝を挙げられるか、それとも6連敗の記録をつくるか。いまの時点では中日は川上憲伸が投げ、2-0でリードしている。これはテレビを見続けることになりそうだ。

4月4日(金)  <モディリアーニ展を見た・・・>
モディリアーニ展を見た(@国立新美術館にて、6/6まで開催中)。モディリアーニの絵画というと首が長く瞳のない独特な人物像を思うが、この35歳で早世した画家のことを私は余り深く知らなかった。先ずフランスの画家だと思っていたが、モディリアーニ(1884-1920)はイタリア生まれ、22歳でパリに移住した後、当初彫刻家を志してアフリカの民族美術に影響を受けた彫刻を作っていたが画商に勧められて絵画に専心するようになったという。初期には自らの絵画に、ギリシャ建築の柱に人物像を使った構造物「カリアティッド」という名を付けた前衛的な作品が多くあるが、これらはその後のモディリアーニの絵画を暗示させる。私は長い首、瞳のない目の人物像によってモディリアーニはただの絵画作品でなく「人間と時間を超越する」確固とした何かを表現したように思えてならなかった。首の長い絵画が次々に現れる度に、自分の目の前に指を置いて首の部分を見えなくしてみた。そうするとごく当たり前の(リアルであるが陳腐な)人物像になることを発見した。もし首が正常の長さであれば”ただの人物像”。モディリアーニは長い首と瞳のない目によって人物以上の存在を作り上げている。<なお今日は初めて家から国立新美術館まで“歩いて”いった。最近は数kmを歩くことなど厭わなくなった。>
「今日の作品」に「ペントミノ・パズル」(陶芸)を掲載した。5を表すペント(ペンタゴン=五角形)とドミノを合わせた「ペントミノ」は正方形を5個つないでできる形の全12種類を使う伝統的なパズルである。今回はそれぞれに犬の模様をつけて陶芸作品とした。
4月4日@国立新美術館

4月5日(土)  <桜の散り際の見事さ・・・>
桜の散り際の見事さは他に類をみない。東京では今日はその桜の散り際を”観賞”できる日であった。場所によっては頭上からの花吹雪(桜吹雪)。地面がほとんど見えなくなる花絨毯(桜じゅうたん)。そしてコンクリートでできた人工的な川であっても岸辺の桜の花は川面を花筏(はないかだ)となって流れる。散った桜の花びらはどこにあっても情緒がある。海外ニュースでは米国ワシントン・ポトマック河畔の桜がいま満開で桜祭りの真っ最中とか。最近はワシントンの花見も昼間は混雑し過ぎるので早朝に桜を観賞するツァーや夜桜見物の観光行事もあるという。花の下で酒を飲み、食事をすること、混雑を楽しみながら花見をすることは日本独特の風習というか文化である。まさかワシントンではゴザを敷いて酒を飲むことはないだろう。満開の桜は誰がみても美しいけれど、ふと、ワシントンでは桜の散り際を愛でる心情があるのだろうかと思った。花吹雪、花絨毯、花筏の言葉はなくても、散った桜の花びらに美を見る人は必ずやいるに違いないが・・。

4月6日(日)  <ペントミノ・パズル・・・>
ペントミノ・パズルについては一昨日(4日)のコラムで書いたが「今日の作品」に平面組立例を新たに掲載したので、もう少し解説してみたい。数字の5とドミノを合成した「ペントミノ」という名のパズルは正方形を5個並べてできる12個の形状を組み合わせるパズルであることは前に書いた。自分でやってみると直ぐに納得するが、正方形をつなぎ合わせてできる違う形の図形は全部で12種類しかない(ただし裏表の区別をつけない)。この全てが異なる形12個を合わせると単位正方形60個より構成され、上手に組み合わせると色々な形状を作ることができる。前に掲載したのは、縦横6×10の長方形である。今日掲載したのは特殊な例で10個のピースしか使っていない「Vの字のセット」。平面の組合せ例を紹介してきたが、立方体を結合させた「立体ペントミノ」の形態をも持っている。追ってこうした三次元の組立例も掲載してみる予定だ。・・こうしたパズルは100年ほど前に知的玩具として流行したようだ。テレビゲームに慣れた今の子どもにはペントミノ・パズルはむしろ新鮮に見えるかも知れない。チャンスがあれば孫娘にこのペントミノを譲りたい。

4月7日(月)  <学問のすゝめ・・・>
「学問のすゝめ」が今日の「音読カレンダー(日めくり)」の文章であった。福沢諭吉によるこの著書(初編=明治5年/1872)は余りに有名である。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり。・・人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり・・」。学問をすることこそ人を賢くし日本国民の進むべき道だと説いた福沢諭吉は当時としては非常に平易な文章を使っており今読んでも分かり易い。ところで、今日の夕方、松濤美術館(東京・渋谷区)の「中西夏之新作展」(明日から5/25まで)プレオープニングの会に出席した時には”芸術家の学問”について考えてしまった。東京芸大の教授でもあった中西さんは前衛美術家、現代美術家として幅広い活躍をしてきた、いわば最高峰の美術家。私は中西さんの挑戦的だが抑制のきいた繊細な抽象画は好きであるが、絵画と別の”学があるところ”が気になった。他の前衛芸術家にもよくみられるが学も智も優れているためか何かと独自の絵画論、絵画思想が披瀝される。例えば「絵画実践を”イメージの構造と絵画場の研究”ととらえ、それを又”光・時・色の三位一体と想像的地表の研究”と敷衍(ふえん)し教程化に向う・・」という調子の文章が続く。私にすれば解説も何もなしに静かな作品だけを見る方が好きだ。芸術に関して「学問のすゝめ」は必要なのだろうか・・。

4月8日(火)  <日光・月光菩薩像・・・>
日光・月光菩薩像をみた。いま平城遷都1300年記念と銘打って奈良・薬師寺の至宝が東京国立博物館で展示されている。この「国宝 薬師寺展」を見に行くには、雨の上に傘もさせないほどの強風が吹きすさぶ今日が絶好ではないかと出かけたのであるが、こんな天候でも会場はなかなかのにぎわい。それでも好天気の休日などでは考えられぬほどにゆったりとした気分で観賞出来た。「国宝 薬師寺展」(6/8まで開催、Web=ここ)の中でも日光菩薩像と月光(がっこう)菩薩像<各国宝>とが目玉。今回はじめて寺外で公開されたというが、仏像を上から下から全方位から見ることができる展示方法が非常に親切で好ましかった。7-8世紀に制作された日光・月光菩薩は本来薬師寺金堂の薬師如来を中央として、向って右に日光菩薩、左に月光菩薩の配列だが、会場でも同じ配列で見やすい。左右対称である日光と月光の手や指を比べてみたり、腰のひねり方、持ち物、衣服の様子など、細かくみていると時間を忘れる。何よりこの青銅鋳物の彫刻はどうやって鋳型をつくり青銅を流し込んだのかとか製造法を考えると止まらない。全く当時の高度な製造技術には驚くばかりである。一カ所、月光菩薩像の右の腕に四角い穴があいているが、これは何だろうと最後まで気になった。
「今日の作品」に「 ペントミノ・
パズル<立体組立例>(陶芸+工作)」を掲載した。菩薩像をみた後では、どうしてもパズルのお遊びが軽くみえてしまう。

4月9日(水)  <だし汁とは・・・>
「だし汁」とは何かをしばし考えた、というとバカにされるか笑われるか・・。久しぶりに料理本に掲載してあるレシピの通りに料理を作ろうとしたら、前もって作る「煮汁」のところに「だし汁」とある。最近はたまに作る料理もレシピを無視して自己流に作ることが多かったが、結果として、材料、調味料などの量をレシピ通りにやった方が美味しいことを悟って、また料理本の基本に戻ったのである。まだ応用のできる分際ではない。さて、「だし汁」といっても、昆布のだしか、鰹節のだしか、いや、鶏ガラスープのだしもある、ブイヨンなんていうのもだし汁だろう・・。いろいろ考えながら、正体の分からぬ「だし汁」を作るのに手間をかけることはないと、結局コンソメを(固形の素を水に溶いて)使った。結果は上々、そこそこに美味しくできあがった。そこで今日の教訓:「だし汁」のように中身を説明していないレシピは「良きに計らえ」と解釈する。要は「水ではない」のが「だし汁」。和食か、洋食か、中華か、料理の内容によって良きに計らえでよさそうだ。こんなことでもささやかな「今日の体験」・・。
4月10日(木)  <スターバックスのアイデイア募集サイト・・・>
「スターバックスのアイデイア募集サイトに続々投稿」という海外ニュースをみた。米国コーヒーチェーンのスターバックスが業績改善のアイデイアを募集するサイトを開設したところ、数千件のアイデイアが寄せられ気に入ったアイデイアを選ぶ投票は10万件(一週間で?)に達したという<スターバックスの募集サイト=ここ/アイデイアの内容も見ることができる>。私はこれをみて日本のかつてのお家芸”改善提案”を思い出した。改善提案はいまや”Kaizen、カイゼンとして世界中で通用する言葉となっている。トヨタ方式の一環として生産現場の作業者が自分で知恵をだして変革するやり方が源流だろうか。ボトムアップの改善活動は現場のやる気向上の観点からも注目されて日本国中に広がり日本の製造業の強さの源と見なされた時期もある。形式だけの改善提案制度は成果が出ないが、本来の改善制度の良いところはトップでは見えない、気がつかない問題を現場の目で発見して改革するところにある。それから慣れ親しんだ専門家より部外者の方が新鮮な目で問題点を指摘出来るという側面もある。いずれにしても決定者がよいことは実行するという意識を持っていないと進まない。スターバックスが具体的な成果を出せるのかを今後注目しよう。ところで我々の周囲には”アイデイア募集サイト”を作って欲しい分野がいくつもある。私の場合、とりあえず、道路標識、信号、区役所、病院などの改善アイデイアは豊富だけれど・・。

4月11日(金)  <階段ピラミッド・・・>
「階段ピラミッド(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。この作品は一辺が30cm近い寸法の大作であるが、苦渋のプロセスを経た結末である。いや未だ終わっていないので結末ではなく途中経過作品というべきか。掲載した写真から分かるように稜線に沿って割れが生じている。このピラミッドを制作する段階では、先ず形のできたところで白化粧すると乾燥と同時に”割れ”発生、補修して十分に乾燥させて素焼きに出したが素焼きの結果、また”割れ”発生、セラミックペーストを割れたところに充填して、後は焼成してみない分からないと覚悟を決めて本焼成。その結果が今日の状態である。ある程度は予測していたこともあって、嘆くよりも次にこれをいかに補修するかに関心がある。今回の“割れ”の原因については粘土で板を結合する際のやり方が拙かったことがはっきりしている。自分でもその時作り直すか否かをかなり迷った。一番基本である粘土の結合時の手抜きが正直に結果となって現れた訳である。貴重な体験をした作品を失敗で終わらせたくない。補修後の作品を次の機会に掲載しよう。・・落胆することもあれば一方でうれしいこともある。今日は陶芸でピラミッドともう一つ「立方体の9分割パズル」が完成した。これは私にしては歴史的な(?)陶芸作品。ほとんど予定通りに完璧に出来上がったのが不思議なほど・・。2ー3日中に作品紹介する予定である。


4月12日(土)  <クラシック音楽の楽しみ方・・・>
「クラシック音楽の楽しみ方」というエッセイを学生時代の友人から見せてもらった。エッセイを書いた本人は50年前、高校で同級だった。私もクラシックは嫌いではないが彼のように”ベルリオーズのレクイエムを100回以上聴いているけれどもまだ聴く度に新鮮な音色の洪水に酔いしれる”というほどのファンではない。彼がエッセイを書いた動機が愉快だ。”クラシックは分からない、本当に楽しいのか、若い頃聞き飽きた”などクラシックを敬遠する周囲の人々に対して、ある啓示が閃いたと称している。彼の言葉によれば、「クラシック音楽を楽しまずに人生を過ごす人がいたとすれば、その人は大損をしている」、「幸いなるかな分からぬ者よ。音楽は汝のためにあり」と、自らが「楽しみ方」の布教をはじめた訳である。エッセイにはクラシックが”分かる”という発想でなく、身体で共鳴すればよいとして共鳴の仕方が説明されている。内容にも”共感”したが、自分が楽しんでいることを他人にも伝えるという姿勢が新鮮に思えた。「これを知らなければ人生損をしているよ」と他人にいえる悦楽を持っている人こそ幸せであろう。

4月13日(日)  <歩きながら考える・・・>
歩きながら考えるのは本当に効果があるようだ。これを実感するようになったのはごく最近である。「歩きながら考える」というとアインシュタインがややうつむき加減に歩きながら思索している姿やベートーヴェンが楽曲の構想を練りながら散策するといったイメージがあり、凡人には無縁の思考スタイルだと思っていた。ところが最近歩く機会が増えて”歩く時間”を多くとってみると、自然と頭が集中して”考える”ことに気がついた。今日は渋谷(東京)の東急ハンズまで歩いて往復したが、歩いているときに退屈することがない。例えば陶芸の次の作品の構想を考えていると机上であれこれ検討するより新たなアイデイアが浮かんでくる。歩いている時には雑念が入らない。室内では“考える”と云いながら、お茶を飲む、おやつを食べる、考える振りをして実は休む、目をつぶるなど余計な誘惑が山ほどある。歩いている時にも風景が変わるので景色をみていると考えるどころでないと思われるかも知れないが、考えるネタがない時には風景を楽しむのもまたよし。八重桜が美しいとかハナミズキの白い花が咲いているなどと思っている時に突如ヒラメキが得られることもある。これからはアイデイアが欲しい時には目的なく散歩にでることにしようか・・。

4月14日(月)  <感動の陶芸パズル・・・>
感動の陶芸パズルを「今日の作品」に掲載した。何が感動か・・。自分で云うのもおかしいが、果たして最後まで完成するか否か分からなかった複雑な構造体の陶芸パズルが完璧にできあがったのである。一人喜びに酔いしれてパズルを組んだり外したりしている。「今日の作品」に掲載した9個の部品を組み合わせると『立方体」ができる。同類のパズルは木製では世の中に存在する。立方体に成形した木材のブロックを糸ノコで上下・左右に切断して作られたものである(外国製)。これを陶芸で制作するとなると至難の業であることは自分でも予想した。粘土の収縮、変形、強度、爆発防止(空気抜き)など木材とは比較にならぬ難問が山積している。黒泥という黒い粘土で制作開始。はじめに立方体のブロックを作り、前もって計画した断面形状を罫書いた(”けがく”とは線で描くこと)。形状はできるだけ肉厚が均等になるように、そして個々のパーツが面白くなるようにデザインした。この形状にしたがって切断する際には糸ノコをはじめ色々と準備をしたが、結局、細い針金を使うのがベストと判断した。けれども一人では正確に切断できない。そこで粘土のブロックを家へ持ち帰り、妻の手を借りて二人掛かりで切断。先ずは第一関門の切り出しができた。・・こんな調子で制作を進めたが、何より1230度で焼成されるときの変形は火の神様しか分からない。所々に穴をあけているのはデザイン以前に空気抜き、変形防止などを配慮したつもり。あらゆることを考えて最善を尽くすと報われる・・とは幸いにうまく完成した今だから云える言葉だ。<追って立方体組立品を掲載予定>


4月15日(火)  <人生のリベンジはあるのか・・・>
人生のリベンジはあるのか・・、ふと、そんなことを思う。リベンジといっても、復讐、報復を意味する本当のREVENGEではなく、日本語のやり直し、雪辱といった程度のこと。いま陶芸で”リベンジ”と称して前に制作した作品で気に入らないものを作り直している。ところがやってみると結局以前のものと大して変わりがない。初めの作品は未熟でも、至らぬところがあっても、それなりに気合いが入っている。必ずしも手慣れて欠点がないのがいいとばかりは云えないことが分かってきた。もし人生をやり直すとして何が変わるのか・・。少々欲を出してみても本人がそう変わるものではない。やり直しを考えるくらいなら残りの人生を存分に生きればいいだろう。人生のリベンジを考えることはない。・・今日のニュースは専ら後期高齢者医療制度の発足に関連した話題ばかり。これとは噛み合ないが、私は最近尊敬出来る高齢者のパターンが決まってきた。それは「何か他人に与えている人」。勿論かつての地位や名声、お金とは全く関係ない。ボランテイアもよし、サービスもよし、寄付もよし、周囲を元気づけるもよし、感動を与えるもよし。周囲に喜びを与える高齢者はリベンジなどは無縁であろう。なに、笑顔一つ与える人でもいい・・。

4月16日(水)  <立方体パズル・組立品・・・>
「立方体パズル・組立品」(陶芸)を「今日の作品」に掲載した。組立状態で一辺がほぼ11cmの立方体である。このパズルの制作経緯は”感動の陶芸パズル”として一昨日のコラムに書いた。その時掲載した9個のパーツを組立てると、今日写真を掲載したような立方体ができる。このパズルの特徴として組立品から1個の部品を単独で外すことができない。3個のパーツをセットとして分解し、3個のセットから1個づつにバラスことができる。パズルといっても全く関心がない人もいればパズルマニアと云われる好き者もいるだろう。パズルに向き、不向きがあるとすれば、それは性格でないかと思われる。ただの理屈や頭の良さとは関係なく、試行錯誤を厭わない、粘り強い性格でないとパズルには向かない。今日の作品に掲載したパズルはジグソーパズルの立体版であるので順番にはめ込みを繰り返していけば、それほど時間をかけなくても完成できる。前に掲載した ペントミノ・パズル<陶芸作品>(4/6&4/8 コラムに掲載)が出来上がった時に、自分で立体組立を試みたが30分アレコレやってもできずに諦めた経緯がある。難しいパズルを完成させる忍耐力は私にはもうない・・。そういえば以前大流行したルービック・キューブでははじめて試みた時に6面完成まで達せずに挫折した記憶がある。


4月17日(木)  <ビタミン剤で寿命が縮む・・・>
「ビタミン剤で寿命が縮む」とのタイトルである研究が報じられている(東京新聞)。デンマークの研究者がサプリメントによる抗酸化剤(一般的には老化防止のため摂取が推奨される)の服用効果を調査した結果、ビタミンA、ベーターカロチンで寿命を縮める危険が高まることが分かったという(16%とか7%とか数値がでているが何をどう比較したのか不明)。研究者は「サプリメント摂取が、もともと体に備わる病気への防御力を阻害する」と指摘する。世界中で何億もの人が使用していると云われる抗酸化剤(ビタミンA、C、E、ベーターカロチン、セレンなど)入りサプリメントに頼り過ぎることには、今回の研究報告に限らず、以前から警鐘が鳴らされている。食事をきちんと摂ることをせずにサプリメントで間に合わせるやり方は人間の本来の機能を損なうと思うのだが、欧米では極端にサプリメントに依存する人も多いようだ。恐らくは権威のある学説がまかり通った結果であるのだろう。学説はしばしば変わり、逆転することさえある。”活性酸素の破壊的な活動を阻止する抗酸化剤”と学者が唱えれば人工的にこれを作ってサプリメントに頼り過ぎるから間違える。黙って、人参、カボチャ、ブロッコリー、ほうれん草など緑黄色野菜、豆腐、納豆、お茶などなど、美味しい食べ物を食べていればサプリメントは要らない。サプリメントは文字通り”補う”だけであることを忘れないようにしよう。

4月18日(金)  <地球にやさしい・・・>
「地球にやさしい」という言葉が流行っている。例えば地球にやさしい街づくり、地球にやさしい3R(Recycle、Reuse、Reduce)、地球にやさしい環境ビジネスなんていうのまである。私はこの「地球にやさしい」が好きではない。”やさしい”の言葉で問題がすり替えられているように思えてならない。いま深刻な環境問題が注目されているけれども、これは地球にとっては何ら問題ではない。地球はそれほど弱くはない。環境問題は云うまでもなく人類の生存の問題である。地球温暖化で大気温度が2-3度上昇しようが、いや仮に20-30度上がろうが、地球にとってはただの自然現象に過ぎない。極端に考えれば、人類が絶滅しても地球上に生き延びる種はいくらでもいる。地球は人間ごときに優しくしてもらわなくても永遠に(人類の歴史から見て永遠に)廻り続けるだろう。人類が生き延びるための問題としては温暖化(環境)問題に限らない。そして環境や食料などの問題の基に人口問題がある。現在の世界の人口は66億7000万人。1年間で8000万人の増加(1億4000万人が産まれ、6000万人が死亡する)。毎年日本の総人口と同等の数の人が地球上に新たに生を得る!このわずか200年の間に世界の人口は6倍になった!このような現実をみると、有限な地球スペースの中で人間同士が”やさしく”共存を続けることこそ人類にとって最も基本的な課題であろう。「地球にやさしく」よりもこちらの方が難しい・・。
4月19日(土)  <彫刻とは何か・・・>
彫刻とは何か・・を考えさせられた。今日、東京都美術館(東京・上野)で開催されている彫刻展を見に行ってのこと。私は現代彫刻を見るのは好きな方である。新鮮な造形に出会うと大いに感動するし、自分の創作のヒントとなることもある。彫刻は絵画や音楽と同じように、それがなくても生きて行くのに困ることはない。それでも彫刻を職業とする人がいて、その作品は人の心をより豊かにする。これも絵画や音楽と同じだ。一方、彫刻が絵画や音楽と大きく違うのは、絵画や音楽は非常に多くの素人(非職業の人)が楽しむのに対して、彫刻はほとんど素人は手をだせないこと。巨大な大理石を素材にして削りだしたり、大きなブロンズ像を鋳込んだりするのは趣味ではできない。現代でも彫刻家というとお金持ちと思ってしまう。さて、彫刻とは何か・・。”絵画とは何か”を絵を描く人は皆考え、悩むのと同じように、専門家集団の彫刻家達もまた悩むのだろう。彫刻家の作品も人それぞれで皆感性が異なる。いまだに具象的な裸婦像(私は余り好まない)を作る人もいれば抽象的な形を追求する人もいる。彫刻の場合は膨大な労力と金銭をかけて作品を作り上げるからには、必ず売れ先があるのだろう。“彫刻とは何か”は分からぬままに、様々な彫刻を受け入れる世界があることを知らされる。案外に世の中は広く裕福であるようだ。
「今日の作品」に「 「立方体パズル・9分割
<部品>(陶芸)」を掲載した。パズルの部品を立体的に撮影するとミニ彫刻のようにみえる。部品をこのように飾っておいても絵になるので、このパズル気に入っている。

4月20日(日)  <暴走老人・・・>
「暴走老人」という新語があることを知った。芥川賞受賞作家の藤原智美氏(1955生まれ、1992年芥川賞)が昨年書き下ろした著書、「暴走老人!」で名付けたものらしい。私はこの本を読んだ訳ではないが内容は抜粋から大体検討がつく。「あんた失礼じゃないか」と大した理由もなく突然キレる老人、怒鳴り続ける男など、いま一番キレやすいのは“いい歳をした”大人、老人という。実は私の周囲でもサラリーマンをリタイアした後、誰彼となくむやみに“文句”をいいたがる人が一人や二人ではない。会社(あるいは役所)勤めの時にはそんな些細なことを気にしていないだろうと思うようなことに一々クレームをつける。時間が余りクレームをつけるゆとりができたというより、現役時代にチヤホヤとおだてられたり、頼りにされていたのが、突如全く周囲から無視される寂しさから自分の存在を必死にアピールする姿でもあるのかと思っていたが、「暴走老人」はそんなものではないようだ。まさにキレる、怒る、感情をコントロールできない、自分の非は認めない、他人のためは考えない、何でも他人の責任にする・・そんな暴走老人が急増しているというのである。老人問題の対策には心理学者も加わる必要がでてきたようにみえる。

4月21日(月)  <ハナミズキが美しい・・・>
ハナミズキが美しい季節になった。都内でも住宅街のあちこちで白やピンクの花を咲かせているハナミズキに出会う。けれども、今日立寄った西郷山公園(目黒区)で会ったハナミズキはちょっとかわいそう。皇太子殿下・妃殿下ご成婚記念として植樹された二本のハナミズキが一本は根元から切断されて残りの一本だけにピンクの花が咲いている。記念植樹をしたのであれば植え替えるなどしてでも二本をきっちり育てるべきだろう。公園管理者の怠慢だ。それほどにハナミズキは記念植樹によく使用されるようである。元来は北米原産のハナミズキが日本に定着した歴史も興味深い。東京市が米国ワシントンDC<ポトマック河畔>に桜の苗木を送った(1912年着)返礼として1915年に米国から東京に送られたのがハナミズキ(当時植樹された原木は日比谷公園にある)。いわばハナミズキは日米親善の樹であった。ハナミズキの英名はDOGWOOD(=樹皮が犬の蚤取りによいとか)、日本ではアメリカヤマボウシとも呼ばれる(アメリカハナミズキはこれが混同した呼び名)。マラソンの野口みずきの名はハナミズキの”みずき”(水木)であることは知られている。ミズキは声に出したときの音色としても爽やかだ。ここで、今日の誕生花はハナミズキ・・とくればカッコイイのだが、残念ながら4月23日の誕生花であるそうな・・。

4月22日(火)  <誰でもが羅漢さん・・・>
誰でもが羅漢さんではないか・・、「目黒のらかんさん」を見学しながらそう思った。今日の陽気につられて歩いて東京・目黒の天恩山五百羅漢寺に行ったのだが、見学者は私一人で心行くまで羅漢さんと向き合うことができた。羅漢(阿羅漢)とは仏教で「人々からの供養を受けるに相応しい聖者」の意味で、煩悩を断ち切って聖者となり人々の尊敬を受けたのが「らかんさん」。五百羅漢はその中でもお釈迦さまが亡くなられた時に集まった5百人の弟子がモデルと云われているので近づき難い「聖者」かと思うと、そうではない。五百羅漢の等身大の羅漢像はみなとても親しみ易い。目黒のこの寺はもともと江戸時代に本所に創建された由緒ある名刹であったが没落し明治期に目黒の地に移転されたものという(寺の説明=ここ、または、ここ)。全国の各所に五百羅漢は数あるが、目黒の羅漢像は江戸期に松雲元慶という仏師が生涯をかけて制作した木彫が特徴で一体一体が全て異なった姿(=顔や仕草)をしている。それぞれの顔も”親しみ易い”が羅漢さんの名前と説明がまた“庶民的”な感覚だ。仏教では絶対権力者としての神はなく、あくまでも優しいホトケ(仏)であることを再認識させる。少し例を書いてみよう。「直意尊者(いつもすなおな心をもつ)」、「慧作尊者(穏やかな顔とやさしい言葉)」、「善注尊者(人をうらやましがらない)」、「善観尊者(人の長所をみる)」、「除憂尊者(くよくよしない)」・・。こういう風に「聖者」というより我々の誰もが一つは取り柄があるとするとすれば、みなどれかに当てはまりそうだ。羅漢さんは誰もが持っている(仏)心の代表者に違いない。

4月23日(水)  <陶芸ミクストメデイア・・・>
「陶芸ミクストメデイア」という言葉を「今日の作品」にはじめて使った。特別の作品ではなく4月11日のコラムで書いた陶芸の新作「階段ピラミッド」(=焼成時に大きな割れが発生)を補修したものである。ただし、欠陥品を補修しましたというのではなく新たな息吹を加えた新作品といいたいので「ミクストメデイア」と名付けたのである。現代美術の世界ではミクストメデイア(Mixed Media)は珍しいものではない。絵画で云えば油絵具、岩絵具 、アクリル絵具などが混用されるし、画布に砂をまぶしたり、新聞紙を貼付ける。日用品や廃物を使って新しい美の表現を模索する。ミクストメデイアは安易に模倣すると無様であるが、時にハッとするような新鮮な感覚に出会うのも確かである。美の表現に規則はない。陶芸では1200度以上の温度で焼成するという製法上、ミックストメデイアは通常行われない。多種類の粘土を混ぜるとか、生のガラスを置いて溶かす(ピラミッドのブルーの個所はこのやり方)とか、色絵の具を本焼成の後に使うとかは通常の陶芸技術の範囲であろう。「階段ピラミッド」をコンクリート風の接着剤を使って修理しながら、もっと積極的に陶芸にミクストメデイアを使えないかを考えた。このピラミッドのようなオブジェ・飾り作品であれば鉄材やステンレスが混在していても良いし、表面に砂を吹き付けるなども面白い。ミクストメデイアを考えると新しい可能性があるかも知れない。なお、階段ピラミッドの頂点に見える穴は笛の口。ピラミッド型笛としてはまずまずの音色を奏でる。


4月24日(木)  <売上高1兆7千億円の企業・・・>
売上高1兆7千億円の企業というとどの会社を思うか・・、これが任天堂である!今日、同社が発表した決算(連結)では3月期(2007-4月~2008-3月)の売上が1兆6700億円余、営業利益4870億円余(純利益=2579億円)で、過去最高となった。「Wii」はこの一年間で1860万台、「ニンテンドーDS」は3030万台、そのソフトは3億5千万本の売上という。海外での売上比率が80%を越すそうだ。任天堂はもはや日本国内の小玩具メーカーではない。そして一部のマニア向けのゲームメーカーでもない。任天堂はゲームには特別関心がなかった人々をも取り込んでしまう製品の開発力がずば抜けている。Wiiはスポーツゲームの感覚で、健康づくり・体力づくりに活用されるし(以前、アスレチックジムでWiiを使うことをコラムで書いた覚えがあり、調べると、2007-8月18日コラム=ここ=であった)、DS(Double Screen)は脳トレにもなる、勉強にもなる、教材としても使用されるほどだ。ユニークな商品を開発して売上を伸ばす任天堂の姿はかつてのソニーを彷彿(ほうふつ)とさせる。いまやソニーはゲーム機でも精彩がなく、銀行業や商社業のイメージが濃厚だ。任天堂にはこれからも良質で面白い”オモチャ”を世界中に提供して欲しい。こういうメーカーを影ながら応援したい
・・。
4月25日(金)  <モッコウバラをいただいた・・・>
モッコウバラをいただいた。淡い黄色の八重咲きモッコウバラ。今日訪れた東京の郊外では家々の垣根を埋め尽くすようにモッコウバラの花が満開であった。例年は5月初めの連休頃に満開となるのが今年は少し早いと聞いた。絢爛豪華な花を咲かせる観賞用の薔薇とは異なりモッコウバラは地味である。花一つは小さく色も控えめだ。そんなモッコウバラの一番の長所は”丈夫で長持ち”。病気や害虫に強く、生育は非常に早いという。それにモッコウバラは棘(とげ)がないという不思議な薔薇だ。人を傷つけることはなく質実剛健という風な人間ならば好ましい性質の薔薇は残念ながら黄色と白しか花色がない。「モッコウ」は「木香」からきているが、いただいた薔薇の香りを嗅いでみたがほとんどにおわない。「木香」は白の一重の花に限られると知った。一つの花は小さくても花の数では他には負けないといま咲き誇るモッコウバラ。長所と短所を併せ持つところがまたいい・・。

4月26日(土)  <パスワードの覚え方・・・>
パスワードの覚え方で何か良い知恵はないだろうか。いまやパスワードの時代である。銀行の預金通帳は勿論のこと、自動車免許証の更新に行くと本籍をパスワード(8桁!)つきで入力させられる。コンピューター関連では、もうパスワードの数は数えきれない。インターネットでの旅行保険を契約した際に「パスワードを忘れた時の質問」として「父または母の旧姓は?」と問うサイトがあったが、これなど親切な方だ。先日、新しいパソコンの立ち上げの手伝いをしたとき、前のコンピュータが突如故障したとのことでデータの確認ができずに苦労した。それでも最近のパソコンは以前と比べると起動が非常に簡単にできるし、インターネットの接続も極めて楽であった。問題はメールの接続。受信メールサーバや送信メールサーバのインプットデータ、それとユーザーアカウントは何とか探し出したが、パスワードが合致せずに時間をつぶした。最終的には相当するパスワードをみつけることができたのはむしろラッキーだった。パスワードを忘れたときには連絡用アカウントでログインしてパスワードを変更出来るのであるが、ログインするためにはインターネット環境設定通知書にある特別のパスワードを入力しないと入れない。要は全てのデーターをしっかり保存していないとパスワードの変更も容易ではない。・・これは他人事ではないと我が身のパスワードをあらためて洗い直している。
「今日の作品」には「階段ピラミッド(陶芸)」の別アングル写真を掲載。


4月27日(日)  <知らぬが仏のすすめ・・・>
「知らぬが仏」のすすめを書きたい。どうして「知らぬが仏」か・・。このところ硫化水素を発生させた自殺が連日報道されている。一昨日は東京・有楽町の高級ホテルで一泊14万円する部屋(デラックススイート)で47歳の男性が硫化水素による自殺を図った。昨日、今日も”硫化水素自殺”のニュースは後を絶たない。なぜ日本中にこれほど伝搬するかの理由ははっきりしている。インターネットにそのやり方が掲載されて誰でもみられること、そして材料が簡単に入手出来ることであろう。硫化水素に関連した報道でいえば、いつもは犯罪の手口や道具などを懇切丁寧に説明する新聞やテレビが明らかに意図的にその手法の報道を差し控えているのがよく分かる。そういう自制がきかないのがインターネットである。どこの家庭にもある洗剤や入浴剤などを使う自殺の手口を解説するサイトを少々取り締まっても次から次にこの種のサイトは湧き出てくる。インターネットという便利この上ない道具を使えば犯罪手法から自殺のやり方まで知ることができる。インターネット情報は諸刃(もろは)の剣(つるぎ)。ネット情報など“知らぬが仏”かも知れない。人は何でも知り過ぎない方がよい。もっとも知り過ぎたので仏になったと云われれば返す言葉がない。

4月28日(月)  <鯖をいただいた・・・>
鯖(さば)をいただいた。甥が神奈川の近海で釣ったものだという。鯖の味噌煮としたが我が家では鯖を食べるのは久しぶりだ。以前はもっと頻繁に食卓に乗ったもので鯖のおかずというと何故か母が目に浮かぶ。バッテラという鯖寿司(しめ鯖の押し寿司)も私は大好物であったが、もう20-30年(?)は食べたことがない。鯖と縁がなくなったのはどうしてだろうか。・・久しぶりに食した鯖なので「鯖」について調べてみるとなかなか興味深かった。サバの語源は小さい歯が多い魚、「小(さ)歯(ば)」あるいは「狭(さ)歯(ば)」とする説、群れをなすことから「サハ」(多い)から転じたとする説などがある。漢字の当て字「鯖」は背部が青であるので分かり易い。サバは千年前(平安時代)から記録があると云われるほど古くから日本で馴染み深い魚であった。漁獲量も多かったから数を誤摩化す「サバを読む」という言葉の源にもなったのだろう。毎度のことであるがチョッとした言葉の一つ一つにこの国の歴史・文化が凝縮しているのに心打たれる。
4月29日(火)  <「ヘルプ」が頼り・・・>
「ヘルプ」が頼りで悪戦苦闘中。「ヘルプ」はもちろんパソコンのお助け欄のこと。昼間は知人宅に出向いてパソコンのメールやプリンタの問題を「ヘルプ」で解決出来た。そこまではよかったが、家に帰って自分のパソコンで続きの勉強をしようとメールアカウントをいじっていたところ、一瞬パスワードを消してしまった。直ぐにやり直したが後の祭り。2カ所のメールサーバーの内一カ所は正確にパスワードを記録していたのでセーフであったが、一カ所はパスワードが不明でどうしても受信出来なくなってしまった。このホームページに記載したアドレスのメールは受信できるが、通常使っているアドレスに入ったメールは今現在受信できない。メールが故障というだけで誰かに迷惑をかけていないか、とにかくも落ち着かない。これから「ヘルプ」にしたがって、サーバーにログインの上、新たにパスワードなど設定し直すこととした。コラムもここまで・・、今夜は寝る時間が減りそうだ・・。

4月30日(水)  <パンダのリンリンが死亡した・・・>
パンダのリンリンが死亡した。上野動物園のリンリンはこのところ体調を崩していたが、今日、am2時頃死亡と報じられる。リンリン(雄)は1992年、7歳の時に中国から上野動物園へ来て、子孫を残すため3度メキシコのメスパンダのところに渡ったりしたが、結局2世は産まれなかった。死亡時の年齢は22歳7ヶ月。パンダの寿命は20-25年と云われるので大往生というべきか。リンリンが死に上野動物園にはパンダが一頭もいなくなった。上野のパンダには歴史がある。パンダブームとなったカンカン(雄2歳)、ランラン(雌4歳)が上野動物園に来たのが1972年。しかし、ランランは1979年妊娠中毒で死亡(11歳)、カンカンも1980年に若くして死亡(10歳)。ホアンホアン、フェイフェイは子どもをつくり比較的長生きをしたが、パンダを繁殖させるのは実際に容易ではないようだ。絶滅の恐れのある種(ワシントン条約)に指定されているパンダはもはや動物園で“楽しむ”動物ではないのかも知れない。繁殖するのに最も適した環境で種が増えれば、観察・観賞はそれからでも遅くはない。
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