これまでの「今日のコラム」(2008年 8月分)

8月1日(金) <東京都野川公園・・・>
東京都立野川公園にいった。私は東京に住んで50年以上になるが、この公園に行ったのは初めてであった。野川公園は東京の調布市、小金井市、三鷹市にまたがる広大な公園。総面積約40万平方メートル、以前は国際基督教大学のゴルフ場だったというだけあって、現在でもよく整備された芝生の場所が多いが、一方で、池あり、森あり、木陰あり。公園の中を名称の元となった「野川」が横断している。野川は多摩川の支流の一つであるが、いわば”かわいい”川で、子供の頃に水遊びをした田舎の川を思い出した。(野川の地下には実は水量調整をする巨大なタンクが設備されていると知った)・・このところ都内の自然に接する機会が続いている。東京というと何かコンクリートジャングルとか雑踏を思い浮かべるが、意外に自然や公園が多い。また、何年東京に住んでいても実際に行ったことのあるのはほんの一部であると改めて思う。海外旅行も結構であるが国内旅行、さらに都内探訪と足下を見つめてみたい・・。
2008-8-1東京・野川公園の野川


8月2日(土) <7歳の孫娘は極真空手・・・>
7歳の孫娘は極真空手の黄色ストライプを持っている(白帯ーオレンジ帯ーオレンジストライプー青帯ー青ストライプー黄色帯ー黄色ストライプと昇段する)。普段はマンハッタン(ニューヨーク)の道場に通うが、東京に帰省すると東京の道場に通える(東京の道場で3年前マンハッタンで習った先生に再会して喜んでいた)。こういうことができるのは世界中に展開している極真空手の優れたところだろう。東京では必ず唱和する道場訓を孫娘はすべて言うことができるが、意味を理解しているかどうかは別問題。昔は幼児でも論語をそらんじていた話を聞くが、これと同じで意味は分からなくても、暗記することはとてもいいことに思える。私は孫娘が練習で唱えている言葉を漢字で書き出そうとしたが、できないのでWebで調べた。全部で7項目あるが4項目だけを書き出してみよう。第2項の「感に敏なること」を孫娘は「缶と瓶」と覚えたといって微笑んでいた。1.吾々は心身を錬磨し確乎不抜の神技を極めること、1.吾々は武の神髄を究め機に発し感に敏なること、1.吾々は質実剛健を持って克己の精神を涵養すること、1.吾々は礼節を重んじ長上を敬し粗暴の振舞を慎むこと、・・(全道場訓=ここ参照)。
8月3日(日) <近年にない暑さである・・・>
「近年にない暑さである。どこを見ても、泥で固めた家々の屋根瓦が、鉛のやうに鈍く日の光を反射して、その下に懸けてある燕の巣さへ、この塩梅(あんばい)では中にゐる雛や卵を、そのまゝ蒸殺してしまふかと思はれる・・」。これは芥川龍之介の「酒虫」の書き出しである。私はこれを音読カレンダー(日めくり/くもん出版、1月5日コラム参照)の8月1日分で読み、続いて全文をWebで検索して読んでみた(「酒虫」は酒好きの人には興味があるかも・・、全部読みたい方=ここ)。「酒虫」は丁度90年前に書かれているが、冒頭の暑さの表現は今年の夏といわれても通用しそうである。”今年は特別に暑い”とか”この異常気象は地球温暖化の影響で・・”などというコメントはたいてい無視してもかまわない。夏はどの時代でもそこそこに暑いし気候は周期的に変化する。”今時の若いものは・・”と同じく、自分の時代だけを特別に考えたくなるのは千年、二千年前から変わらぬ人間の習性であろう。夏の暑さも今がピーク。大汗をかくのも今がチャンスと思いたい・・が、それにしても暑い・・。

8月4日(月) <韓国パワー・・・>
韓国パワーにはあらためて驚嘆させられる。昨日行われた全英女子ゴルフで、日本選手は不動が3位、宮里が5位、上田が7位と健闘したが、優勝したのは韓国の申、そして不動と同点3位にも韓国人が入った。ちなみに2位は台湾人。まさにゴルフ界でも「ウィンブルトン現象」(ご存知の通り、テニスのウィンブルトン大会で英国が場所と名誉を提供するが英国人の優勝者とは無縁になった現象から、自由競争下では地元が淘汰される経済現象などを一般化させていう)が現実になっている。いま韓国が強いのはゴルフに限らない。世界の音楽コンクールでも必ず上位入賞者に韓国人がいるし、良質の映画もつくる。<今日のニュースによれば、世界第二の高峰、K2で事故死した登山者の中にも3名の韓国人が含まれていた>かつての日本人のガンバリを彷彿させるが、韓国の人口が4800万人であること考えると驚異的だ。日本はまだ12000万人の人口ポテンシャルがある。もちろん人口に比例する話ではないとしても”素材”が多い。ただ単純に人口比較をすると複雑な心境に陥る。インドネシア23000万人、パキスタン&バングラデイッシュ各16000万人、フィリピン8800万人、ベトナム8700万人、ミャンマーでさえ4900万人弱と韓国より人口は多い。韓国が”努力すれば世界で活躍できる”チャンスを提供できる秘密は何だろう。国家一丸でなく自由な気迫がみえる。”日本はどうした”とはあえて云わない。素材を活かすも殺すも料理人の腕次第。当分は"Look korea"・・。

8月5日(火) <インターネットでグーグルマップの新しい機能・・・>
インターネットでグーグルマップの新しい機能を楽しんだ。グーグルマップ(GoogleMap)が今日から東京、大阪など大都市について「ストリートビュー」の機能を開始したのである。これは自分が道路に立っている状態で実際の道路および周辺の風景を360度表示できる機能。周辺の建物や風景を見ながら道路(道の東西南北も表示される)を行ったり来たりする感覚をそのままパソコン上で体験できるのは驚き以上にここまでやるのかと恐ろしくなるほどである。試しに私の東京・恵比寿の町名を入力してストリートビューを始めると、よく知っている風景(町並み)がでる。道をたどって進むとついに我が家の前まで達する。角度を変えて周囲の風景をみると我が家が写り、何と家の車までみえた。こんなことまで今はできる。ストリートビュー(StreetView)の機能は一年ほど前に既に米国の主要都市では適応されているものを、今日、日本版が開始されたと聞いたので、次に娘が住むマンハッタン(ニューヨーク)の住所をインプットして、StreetViewを働かせるといとも簡単に家周辺の写真がでてくる。孫娘の通う学校も即座に目にすることができた。この機能をどんなことに活用するのかは二の次にして、先ずは自分の知っている街路風景をみてみるのも悪くはない(GoogleMap=ここ/地図で検索の後、ストリートビューをクリック)。楽しく遊んだ後に、何か考えさせられる。

8月6日(水) <北京について・・・>
北京について何も知らなかった。北京オリンピックの開会が明後日に迫り、北京からの報道が頻繁になり北京の街が急に親しくなったような気になるが正確な知識はほとんど持ち合わせていなかったのである。まず緯度の感覚が間違えていた。猛暑の東京と同じ程度と思っていたが北京の中心部で緯度は約39.5度。日本では秋田市、盛岡市に近い。北京市といっても面積は四国ほどの広さ。首都であるから人口も一番多いかと思うと違う。中国で一番が人口が多い都市は重慶市で3100万人という。ただし重慶市も面積は北海道に匹敵するそうだから人口密度はそれほど高くはない。上海市が中国第二で1900万人、北京は第三位で1500万人の人口であるそうだ。中国の場合、「○○市」といっても都市化されていない広大な農村地域を含むから実際に都市化されている地域の人口でいえば上海が最大で重慶は620万人程度という記述があった。北京市の場合も日本の一都市の感覚とはズレがあるだろう。このように断片的にでも北京。中国に興味を持つのは、やはりオリンピックが開催されるからだ。オリンピック効果でほんのちょっぴり”モノシリ”になれた。
「今日の作品」に新しいネタがない。気分を変えたいので「食パン容器B(陶芸)」として前の「食パン容器」を別アングルで撮影した写真を掲載した。


8月7日(木) <ルオー展・・・>
ルオー展にいった。出光美術館(東京・丸の内)で開催されている「没後50年ルオー大回顧展」である(8月17日まで、案内=ここ)。猛暑の中、丸の内・帝劇ビルの9Fにある出光美術館に入ると暑さを忘れてしまった。予想以上に充実したルオーの作品群に接してあらためて出光美術館を見直す。出光美術館というと日本や東洋の古美術の収集で知られるが実は世界に冠たる「ルオーコレクション」を誇る。ジョルジュ・ルオー(1871-1958)は20世紀を代表するフランスの宗教画家で敬虔なカトリック信者としてキリストを題材にした絵画が多い。その中でも代表作である油彩画の連作「受難」(64点)、銅版画集など約230点が現在展示されている(美術館のルオーコレクションは400点を超す)。30数年前にルオーの二人の娘さんが来日して出光美術館を訪れたところ、父の作品が遠く離れた日本で立派に保存されているのに感激したという。そしてコレクターである出光佐三氏の人柄にも魅了されてルオー家に秘蔵されてきた銅版画集やルオーの遺品などとともに多くの作品がルオー家から出光美術館に寄贈されたそうだ。ルオーの絵画は決して大サイズではないが、私はじっと絵を見ているだけで元気をもらう。現代の売れっ子画家の作品にはコレクターの好みに合わせて描いた匂いが漂い好きになれないものもあるが、ルオーにはそんなところが微塵もない(画商との結びつきは強かったようだが)。「大回顧展」はまもなく終了するとしても、ルオーに会いたくなれば”出光”に行けばよい。これは本当に有難いことだ。

8月8日(金) <夏の日に・・・>
”夏の日に”どうしても絵が描きたくなった。今日、東京は日中35度を越す真夏日で何事にも集中できないのに画用紙をそろえて絵の具を準備するのは素早かった。そして短時間で描きあげたのが「今日の作品」に掲載した「夏の日に(水彩・ペン・パステル)」である。実のところ始めにイメージした「絵」とはずいぶん違う。昨日見たルオーに影響されて絵の具を幾重に重ね塗りをして削り取ったり引っ掻き傷をつける抽象画を考えた。水彩絵の具の場合には直ぐに乾燥するので油絵のように重ね塗りをして下の色を掘り出すやり方は余りうまくいかない。あれこれやっているうちに、魚が入りカニも加わる。「夏の日に」こんな絵ができあがった。昨日のコラムでも書いたが、ルオーの絵画は概して小振りであり、絵はがきとかF3ほどのサイズでも非常に深い表現ができることを証明している。日本画壇の巨大絵画にはいささか辟易させられているので小さな名品に接するだけで勇気づけられるのである。それに水彩画にパステルを併用したり自在の画材使用も印象的だった。単純にルオーに影響される自分をみているとやはりいい展覧会には行くべきなのだろう。
<間もなく北京オリンピックの開会式がはじまる。2008-8-8-pm8:00の開始である>


8月9日(土) <北京オリンピックが開幕・・・>
北京オリンピックが開幕した。昨晩の開会式をテレビのライブでみたが私は素直に”感動した”、”面白かった”、よくできていた”と云いたい。どんな行事にしてもあら探しをしたりプラス面を見ないで物識り顔で評論する人間はいるものである。国威発揚だの物量大作戦だの長時間すぎるとかは、私には一向に気にならなかった。中国は確かにまだ共産党の一党独裁国家であるが、明らかにヒットラーのベルリン大会とは違うし北朝鮮の大会にはない溌溂とした自由さが見て取れた。他人事ではなく、もし自分がこのオリンピックの演出を任せられたらばと考えると、開会式の総監督=張芸謀(チャン・イーモウ)氏の演出は大成功と思った。張 芸謀(1950年生まれ)は世界の映画祭でも評価されている映画監督であるが元々はカメラマン出身らしく美しい映像と斬新な構図が開会式でも発揮されていた。今の時代でないと絶対にできないLEDを多用した演出や空中浮遊なども私の趣味と一致して面白かった。自分の発想を超える演出ではじめて感動が生まれる。ちなみに張芸謀氏は俳優高倉健を敬愛していることでも知られる。高倉健に接して若い頃から吹き込まれていた悪い日本人のイメージががらりと変わったとのエピソードがある。オリンピックを契機に中国もまた変わりつつある・・。

8月10日(日) <国産品愛用を自認・・・>
国産品愛用を自認しているつもりであったが、実はどこの国のものでもこだわりがない。現代は世界中のモノが容易に手に入る。食材でさえ米国の牛肉だろうが中国の鰻(?)だろうが気にしないので、自由に選ぶと外国製であることも多い。パソコンを始めてから専らMACを愛用しているので、今回もi-MACを購入した。以前のMACと比べて何より感心したのは液晶の進化であった。液晶といえば最近購入したシャープの液晶テレビはもうこれ以上を望まないほどに画質がよい。こんな日本の家電業界も世界を相手にひとときの息抜きもできない熾烈な戦いをしている。ソニーとシャープが液晶テレビ用パネルを共同生産する業務提携を結んだ。一方でソニーは次世代の超薄型テレビとして有機ELディスプレイの開発に社運をかける(有機ELについては2008-3-6コラム=ここ=参照)。また東芝もシャープと業務提携を結び液晶テレビ用パネルをシャープから調達し、LSI(大規模集積回路)をシャープに供給する。シャープの液晶を軸としたこうした動きに対して日立ー松下ーキャノン連合が対抗する。世界を相手にするには日本の一企業では戦えないのが半導体やテレビ(パソコンも含む)業界の常識となりつつあるようだ。こんな状況を高みの見物している気楽な自分でも、できることなら国産品を使いたい。普通に選択すると日本製だった・・、こんな家電がほしい。

8月11日(月) <北京オリンピックで日本人初の金メダル・・・>
北京オリンピックで日本人初の金メダルのニュース。オリンピック期間は「今日の金メダル」なんていう欄でこのコラムができればいいが、そうは”問屋が卸さない”か(江戸時代のトンヤはそれほど威張っていたのだネ)。今日の金は柔道男子66キロ級で内柴正人、男子100メートル平泳ぎ(水泳)で北島康介。二人とも見事が金であった。昨日、女子柔道の谷亮子が五輪三連覇をかけた試合をテレビの生中継で見ていたが残念ながら準決勝で敗れて銅メダルに終わった。どうも”生”でみていると負けるジンクスがあるような気になって「金メダル」はいずれもニュース映像でみる。選手のプレッシャーを考えると観戦者のストレスなど取るに足りないものだろうが見るだけでもくたびれるのは確かだ。試合の経過を見ていると金、銀、銅の差はまさに”時の運”にみえる。運も実力のうちというが、金メダリストたちはずば抜けた力に加えて、何か目に見えぬ天の恵みを受けている。

8月12日(火) <ペーパークラフト/マジックドラゴン・・・>
「ペーパークラフト/マジックドラゴン(工作)」を「今日の作品」に掲載した。作品といっても自分のオリジナルではなく、ただ決められた通りに作ったペーパークラフトであるが、余りによくできた名品であるので紹介したい。オリジナルは10年前、1998年に米国のJerry Andrus氏の考案から派生したとされるが、マニアの間では”Gardner Dragon”として以前から有名であるようだ。何がよくできているといって、このドラゴン、人が見る位置を変えると目が人を追っかけて顔を動かすのである(特に片目をつぶると動きが見やすい)。横にも縦にも首を振る。残念ながら静止画ではこの不思議さが表せないので、You Tubeなど動画を使ったサイトを紹介する(数えきれないほどのDragon動画のデモがある、例えば=ここorここ)。写真で云えば顔の部分は実は凹面で凸面でない。homemadeコーナー(=ここ)にも種明かしとなる紙の裏面写真を掲載したが首も薄い紙一枚でつながっている。目の錯覚といってしまえばそれまでであるが、実際に動きを見ると興奮するほど感動する。このドラゴン工作はネットから型紙をダウンロードして誰でも作ることができる(頭の部分の折り方を間違えないでね)。夏休みの工作にぜひ薦めたい。<型紙サイト(例)=ここ


8月13日(水) <右脳、左脳の判定テスト・・・>
右脳、左脳の判定テストをやってみた。夏休みで娘家族が帰省してきているので、こうした自分では普段接することのないインターネットサイトに親しむ機会ができる。そのサイト=ここ。ターン(回転)しているダンサーの影絵があり、右回りに見えれば「右脳型」、左回りに見えれば「左脳型」と単純に判定する方法である。私は初め右回りに見えていたが、ある瞬間から左回りとなる。またしばらくすると右となる・・を繰り返す。妻は左回りにみえるが、どこかで右回りになることもある。左右のどちらかが強いにしても、誰でも何かのきっかけで逆転するのかと思うと、娘は右回りにしかみえないという。前述のリンクしたサイトにも右脳、左脳の特徴が記載されているし、一般的に芸術肌の人は右脳優位、理屈っぽい人は左脳優位などと称されるが、これらは俗説で科学的には十分な根拠はないようだ。血液型で人の性質を比較して面白がるのと同類であろうか。右脳、左脳の働きとどう結びつけるかはさておくとしても、冒頭のテストは同じ影絵をみても人によって見え方が異なる、つまり視神経が脳に伝達される仕組が人によって異なるという現象をみせてくれるだけでも面白い。自分の目で間違いなく見たと思っている事実でも、別の人によれば真反対を事実として見ているのである。
8月14日(木) <今日、平成生まれの内村航平が・・・>
今日、平成生まれの内村航平が北京オリンピック男子体操・個人総合で銀メダルを獲得した。日本に個人総合でメダルをもたらしたのは24年ぶりだという。これはある意味で”金”以上の快挙に思える。そのメダルへの道のりがドラマチックだ。得意の”床”で好スタート。ところが次の”鞍馬”で二度落下して何と22位。普通ならここで諦めるところが、その後の”吊り輪”、”跳馬”、”平行棒”、”鉄棒”で大逆転して2位。鞍馬の失敗がなければ・・と考えると、”金”に匹敵する驚異的なパワーだった。経験不足を危惧された内村の大活躍には若い力の”勢い”が見られて気持ちがよい。今日はまた水泳で北島康介が100m平泳ぎに続いて200mでも優勝した。アテネー北京、連続二冠の偉業を達成。この北島のオリンピック連覇にも4年間の平坦でない道のりがあった。アテネで栄光の座をつかんだ後のスランプとこれを克服したドラマが北島の金の価値を高める。栄光を過去のものにしないことほど難しいことはない。

8月15日(金) <ヘマタイトという石・・・>
ヘマタイトという石を衝動買いしてしまった。石を集める趣味もなくストーンヒーリングにも全く関心がないので石など買ったことがなかったのに、20mmほどの球形に研磨された渋い銀色に輝くヘマタイトに魅せられたのである。衝動買いの割に、この球体ヘマタイトは我が家の陶芸作品のアクセントとして欠かせなくなりつつある。実はヘマタイトの名前は聞いたことはあっても内容を知らなかったので調べてみた。ヘマタイトとは別名「赤鉄鉱」。酸化鉄の鉱物で少量の二酸化チタンを含むことがある。「赤鉄鉱はとてもありふれた鉱物で、色は黒から銀灰色、茶色から赤茶色ないし赤色である」とWikipedia(Web百科事典)にある。ヘマタイトの名称はギリシャ語の「血の石」の意味で、鉱石が赤色であったことから名付けられたと云われる。私が陶芸でよく使用する「ベンガラ」は赤鉄鉱の粉末であることも知った。私が購入したヘマタイトのように銀色の光沢があるのは二酸化チタンを若干含んでいるのであろうか。以前制作した磁石付きの花器(陶芸)にこのヘマタイト球を近づけると磁石にもつく。ヘマタイトは装飾品に加工されて「黒ダイヤ」と呼ばれることもある。希少価値がないので宝石のような”ありがたみ”はないかも知れないが、本当に美しい石である。ちなみに、この石の開運暗示は「生命力アップ、勇気と自信、戦いの守り神」とあった。これはいい石を手に入れた・・。

8月16日(土) <久しぶりに月島へ・・・>
久しぶりに月島へいった。月島(東京・江東区)はいま放映中のNHKのドラマの舞台であるので新たな人気がでているとか。この朝の連続テレビドラマを時に見始めることがあるが、私は途中でチャンネルを切り替えることが多い。説教臭さやポイントの定まらないドラマの進展など脚本が見るに耐えないのである。脚本は嫌いであるが俳優には何も悪意はないし月島が悪い訳ではない。月島界隈は以前の勤め先に近かったのでほぼ40年間の変貌ぶりをこの目で見てきた。元来、月島は明治時代に東京湾の土砂を使って造成した人工の土地である。後に埋め立て造成された晴海、勝鬨(かちどき)の方には最近、高層マンションが林立しているが、月島の周辺にはまだ古い町並みが残る。もんじゃ焼きの店が50軒以上並ぶ通称「もんじゃストリート」もまた高層化されない古き商店街にある。今日、月島に行った目的も「もんじゃ」。孫娘は「もんじゃ」の作り方も上手だった。「もんじゃ」の後は、歩いて隅田川にかかる勝鬨橋へ。GPS(GlobalPositioning System=全地球測位システム)を使ってジオキャッシング(geocachingという宝探しゲーム=ここ参照)すると勝鬨橋の中央に”宝”が隠してあるはず・・。見事に”宝”を発見した記念に撮った写真を「今日の写真」で掲載する:
8月16日@勝鬨橋

8月17日(日) <東京の島・・・>
東京の島というと、伊豆諸島(大島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島など)や小笠原群島(父島、母島など)、硫黄島など東京都の行政区画となっている南方洋上の島々を思い浮かべるかも知れない。今日、ここでは東京都大田区にある「島」のことを書きたい。昨日コラムで書いた「月島」に続いての東京都の人口島シリーズである。先ず、大田区平和島。ここは今は陸続きとなっているので「島」の感覚はないが1939年に埋め立てが開始された人工島である。1941年の太平洋戦争の開始により一時造成が中断したが、戦時中は米兵などの捕虜収容所があった。戦後には逆に一時日本の戦犯の収容所とされたという皮肉な歴史を持つ。そんな経緯から「平和島」と名付けられたという。現在は多くの倉庫群、物流センター、運河沿いには競艇場、アミューズメント施設などでにぎわっている。次に大田区城南島。この人工島も平和島と同じ時期に埋め立てが開始された。城南島の名前よりも大井埠頭という方が馴染みが深い。この地域は専ら工業用地(倉庫、流通センターなど)で普段は訪れるチャンスはないが、今日は「城南島海浜公園」にいってみた。ここが意外にオススメスポットである。直ぐ側の羽田空港から飛び立つ迫力ある飛行機を真上にみられるし、東京湾での砂浜遊びができる。その前には平和島の「平和の森公園」に行ったが、ここも予想外に充実していた。ここのフィールドアスレチック(45項目)は23区内では唯一のフィールドアスレチック協会公認とか。・・東京の人工島を訪れて、造成された陸地の経緯を知ると東京に新たな顔を発見したような気になった。

8月18日(月) <三角錐・・・>
「三角錐」(陶芸)を「今日の作品」に掲載した。三角錐は英語ではtriangular-pyramid。エジプトのピラミッドは底辺が正方形の四角錐であるがピラミッドという単語は三角錐にも使われる。ピラミッドの語源は明確ではなくギリシャ語の三角形のパンに由来する説などがあり、少なくとも厳密に底辺が正方形の建造物を指したものではないようだ。さて、このtriangular-pyramidは陶芸で二酸化マンガンを使った釉薬の比較テストをするために作った。以前、二酸化マンガンを使って金属肌の仕上がりを試みたが、いま一つ思うようなニュアンスにならなかったので、三角錐の三角面を更に9個の三角形に分割して、それぞれの三角形部分に条件を変えて(ただしいずれも二酸化マンガンを含む)釉薬を塗布した。白黒の化粧土の違い、マンガンに加える別の釉薬の種類、マンガンの量など細かく変化を付けたので自分でも覚えきれない。今日、久しぶりに陶芸教室に行ったところ、思いがけずこの三角錐が完成していた。まずやったことは、9×4=36カ所の三角形に塗布した記録と仕上がり状態を比較することだった。陶芸の面白いところは、焼き上がって現物をみないと予断できないところだ。今回も”想定外”の肌合いが随所に見られて大いに勉強になった。


8月19日(火) <今日は俳句の日・・・>
今日は俳句の日であるそうだ。8月19日の8-1-9を語呂合わせしたこじつけであるが、これに乗って今日は俳句の話題とする。私は自分では俳句をつくらない。「今日の俳句」として毎日10句ほどでもホームページで俳句を発表できれば面白いとは思うが、今のところモノツクリの方が忙しい。俳句は伝統俳句も現代俳句もそれぞれに楽しめる。丁度、絵画で古典ものと現代アート、双方の流儀を鑑賞するのと同じ感覚だ。・・今日、東京では34.9度の残暑。早朝から鳴き始めた蝉の声も日中には途絶えてしまう。そこで「蝉の声」の俳句を書き出してみよう。おなじみの芭蕉の句では「閑かさや岩にしみいる蝉の声」の名作よりも、今の東京では「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」の方が実感としてぴったりする。芭蕉にはまだ「撞鐘(つきがね)もひびくやうなり蝉の声」という句もある。一茶の「蝉」はいかにも一茶らしい=「ねがはくば念仏を鳴け夏の蝉」、「ざんぶりと一雨浴て蝉の声」、「仰のけに落ちて鳴けり秋の蝉」。最後に蕪村の「蝉」=「半日の閑を榎(えのき)や蝉の声」、「大仏のあなた宮様蝉の声」。

8月20日(水) <夏枯れで世の中何も・・・>
夏枯れで世の中何もニュースがない。国会は休会中、甲子園の高校野球は終わった。わずかに北京オリンピックだけが続いているが、これも終幕に近くて出場した選手は続々と帰国している。特別な事故や事件もなく、世の中まさにコトもなし・・。こんな時に新聞、テレビをみると今をときめくジャーナリズムも何かむなしい行為だなぁと思ってしまう。火のないところに一生懸命に煙を立たせてみる、取るに足らぬ内容でも大事件に仕立てる、何より大事故、つまり他人の不幸があると勇んで記事をつくりげる。報道機関は「価値があると判断した事象を報道する」なんていうのは信用できない。厳密にこれを実行すれば今日の新聞はオリンピック以外ほとんど白紙か。・・いえいえ、とても重要な記事をみつけた。「東急渋谷駅にサル出現 警視庁渋谷署が捕獲作戦中・・」。「今日は何の日」、「2008年、渋谷駅にサルが出現した日」。これは歴史に残るかも知れないゾ。

8月21日(木) <花と鳥は随分と異質な組み合わせ・・・>
花と鳥は随分と異質な組み合わせであるが、風流を代表させる意味合いに使用される。静と動、植物と動物と対極をなすものに共に美を見いだすところが日本人の感性であったのだろう。そんな花鳥+風月に更に富士山を加えた「富士・花鳥園」(静岡県/朝霧高原、Web=ここ)に行った。孫娘に世界のフクロウ、ミミズクを見せたかったのであるが、ここの「花」は中途半端でない豪華さであるので、「花」だけでも十分に訪れる価値はある。「鳥」の方はお目当てのフクロウ以外にもインコや鴨など種類が多い。屋外では「猛禽ショー」があった。訓練されたフクロウ、ハリスフォーク、ハヤブサの飛び移る様を目の前でみせる。ハリスホークは小型の鷹で和名「モモアカノスリ(股が赤いノスリ=野を擦るような低空飛行をすることによる名)」とも呼ばれる。フクロウの飛行は以前みたことがあるが、ハヤブサ、ハリスフォークは今回がはじめて。”狩りをする”鳥の飛ぶ姿は無条件に美しい。・・「花鳥園」への途中の道、数カ所で携帯用のGPS(全地球測位システム)を使ったジオキャッシング(宝探しゲーム/ここ参照)を実施。成功(発見)したのが西湖、精進湖、河口湖(各湖畔)。西湖からみた「今日の富士山」を掲載する。
富士山@西湖にて /8月21日

8月22日(金) <トリックアート・・・>
「トリックアート/模型」(段ボール工作&水彩)を「今日の作品」に掲載した。8月12日のコラム(=ここ)に書いた「マジックドラゴン」以来、”錯覚”に興味を持ち、いわゆる”トリックアート”を自分の作品で扱えないかを考えている。その中で陶芸の皿に描く図案の一環として、段ボールで模型を制作してどのように描けば錯覚が有効となるかを試行錯誤した一つが「今日の作品」である。この”絵”の中央部は実は約50mmほど”出っ張っている”。中央がフラットでこの部分が皿の底となる、つまりこの絵は皿の裏側を想定したもの。トリックアートというと”だまし絵”と云われることもあるように、何か下手物扱いであるのは気に入らない。人間の視覚の不思議さを見せながら、一方で精神が深く動かされるアートがあってもおかしくない。それにしても、絵画というのは陶芸と比べると納得する最終の姿まで加筆できるので楽だ。段ボールの上に絵を描くのは簡単だが、このままのニュアンスで陶芸の色調を出すことは至難の業であることは承知している。何か出来上がる前に予防線を張っているが、陶芸での皿作りに入ると、”トリック”を外して”アート”だけを目指そうと心に決めた。


8月23日(土) <星野ジャパン惨敗・・・>
星野ジャパン惨敗の試合をみた。北京オリンピック、野球の三位決定戦で米国と対戦。予想通りにリードを守れず逆転されて完敗。予選リーグから通算で4勝5敗、韓国と米国に二度対戦してそれぞれに二連敗ではメダルがとれるはずがない。私は「星野ジャパン」という呼び名が大嫌いであるがマスメデイアはこれを使う。長島ジャイアンツ、長島ジャパンの系統で監督をチームの代表に添える呼び名はろくなチームにならない。試合で戦うのは選手であり、ヒーローになるべきも選手である。監督を主人公にしてはならない。見事に金メダルをとった女子ソフトボールの監督を知っているか。監督の名前を知らなくても上野投手が大活躍すればメダルがとれる。大体、星野ジャパンの24名の大選手団(10名は投手)はすべてプロ野球選手であるが、女子ソフトボールの選手のように、このオリンピックだけに全精力をつぎ込む選手は皆無であろう。オリンピックが終われば公式戦のスケジュールがびっしりと詰まっている。今日の星野ジャパン惨敗が日本にとってのオリンピックという舞台最後の試合であった。次回、ロンドンオリンピック以降は野球の種目はなくなる。それにつけては2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でイチローが燃え。松坂が活躍して初の世界一となった試合を思い出す。オリンピックで野球がなくなった後は、WBCが国別対抗で再開されるのだろうか。この時には、○○ジャパンだけは止めてほしい。

8月24日(日) <はじめてのおつかい・・・>
「はじめてのおつかい」というテレビ番組を以前見たことがある。幼児がはじめて親と離れて買物にでかける姿を追跡するドキュメンタリーで、不安をいだきながら奮闘するこどもが可愛らしい好番組であった。夏休みでいま我が家に帰省している孫娘は一人で”お使い”に行きたくてしようがない。何度か近くのコンビニでアイスクリームを買ってきて自信をつけた。次は少し遠いスーパーまで一人で夕食用の買物に行きたいといってきかない。テレビの番組では子供に気づかれぬようにしながらも事故やトラブルがないよう万全の配慮をしている。我が家でも東京のこの地区を見極めて”お使い”に出すことができるが、孫娘がニューヨークに帰ると絶対に一人で買物などには行けないという。幼児(12歳の子供まで)を連れて歩く時に手を離しているだけでも非難される。幼児、こどもに対する保護義務は日本の常識が通用しないようだ。幼児を連れて海外旅行をした夫婦がホテルの部屋に幼児を置いたままバーでくつろいでいて幼児放置で事情聴取されたというのも作り話ではない。幼いこどもを保護する一方で成長すると親はこどもを独り立ちさせて、”子離れ”をしなければならない。これはどんな国、いやどんな動物でも同じことだろう。日本流の”お使い”は危険さえ回避すれば子供の独立心を植え付けるとして、何年か後に親が”子離れ”をするための訓練カリキュラムはないのだろうか・・。
8月25日(月) <北京オリンピックが終わった・・・>
北京オリンピックが終わった。昨晩の閉会式をテレビでみたが、華やかな見せ場が多く素直に楽しんだ。ひねくれた見方をする人間はいつでもいるが、今回の北京オリンピックは総括して大成功といってもいいだろう。主催者側が一丸となって成功させようとする意欲が伝わってきて気持ちがよかった。シラケよりも一生懸命さが感動を呼ぶ。中国は金メダル51個を獲得してアメリカ(36個)を抜いて国別で1位(メダル合計では中国100、アメリカ110)。中国13億人の人口ポテンシャルは米国の3億人を上回るともいえるが、人口11億人のインドはメダルは1個である。同じようにみると、人口1.4億人のロシアが金メダル23個で第3位、意外にも人口6000万人の英国が19個も金を獲得して第4位である。次期ロンドンオリンピックを見据えてか健闘した。第5位は金16個のドイツ(人口=8200万)、第6位、金14個で豪州(人口=2000万)、第7位、金13個の韓国(人口=4800万)。さすがに韓国はいまパワーがありメダル総数でも31個である。その次、8位が日本で金は9個(メダルは25個、人口=1.3億)。日本もそれなりに頑張ったというべきか。国の人口比をだすならば人口わずか270万人のジャマイカが金メダル6個である。こうして書き出してみると人口とメダル数の相関は大きくはない。それにメダルの数だけをどうこう言うのも筋違いではある。やはり204もの国と地域からアスリートが参加したオリンピックは大きなお祭り。たとえ表面だけにしても平和の祭典であった。

8月26日(火) <五箇条の御誓文・・・>
「五箇条の御誓文」のタイトルでは今時何事かと思われるかも知れない。たまたま今日の午後訪れた明治神宮で大きく掲示されている五箇条の御誓文が目についたのである。ご存知の通り「五箇条の御誓文」は明治元年(1868年)に明治天皇が公卿(くぎょう)や諸候(=大名)に示した明治政府の基本方針である。改めてこの「方針」を読んでみると、江戸から明治への大変革を成し遂げた明治新政府の並々ならぬ理想と情熱、そして苦心をみてとれる。先ずは五つの条文を記してみよう(現代表記)。1)広く会議を興し、万機公論に決すべし。1)上下心を一にして、さかんに経綸(けいりん=国家を治め秩序あるものにすること)を行うべし。1)官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめんことを要す。1)旧来の陋習(ろうしゅう=悪いならわし)を破り、天地の公道に基づくべし。1)智識を世界に求め、大いに皇基を振起(しんき)すべし。この御誓文の原案は勿論明治新政府の中枢となる人々が議論して作り上げた。最終的に天皇の御誓文を神前で公卿・諸候らが共に誓い全員が署名する形式を提案したのは木戸孝允(1833-1877、当時34歳、幕末までの名、桂小五郎)といわれる。実際に当時15歳であった明治天皇が神前に着座したところで、代わって三条実美(当時31歳)が御誓文を奉読し(この状況を描いた絵が明治神宮の本殿脇の休憩所にある)、その後、公卿・諸侯が一人づつ神位と玉座に拝礼し、奉答書に署名したとある。当時、公卿・諸侯らが御誓文をどの程度理解していたか分からないけれども、内容は先進的でそれまでの封建社会に対して革命であった。今あたらめて御誓文の経緯をみると神に対して誓いを立てて基本方針を確認するやり方が何ともユニークである。
8月27日(水) <正12面体・・・>
「正12面体(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。以前にも陶芸で正12面体を制作したことがあるが、正5角形を12枚つなぐと正12面体ができる。正3角形を4枚で正4面体、正4角形(正方形)を6枚で正6面体までは分かりやすいが、正5角形によって正12面体ができることは直ぐには理解できない。実際に制作してみると見事に完成してくる12面体には美しささえ覚える。この12面体は8月18日に掲載した「三角錐(陶芸)」と同じく、二酸化マンガンを使用する釉薬の条件を変えてテストするために多面体を制作したもの。底面を除いても11面に対して条件を変えて釉薬の比較ができる。ところが二酸化マンガンテストは実際には50点の結果であった。せっかくのテストであるのに”違い”の程度が微妙すぎて大きな相違をみることができなかったのである。これもテストの一つと割り切ってはいるが、作品としては納得できないので、その後、我が家の小型電気窯で上絵をつけて焼き直し(780℃焼成)、これを「今日の作品」とした。色絵では一部の黒仕上げに加えて金の線を描いたりして遊んだ。「陶芸コーナー=ここ」には上絵をする前の作品を並べて比較している。前の三角錐についても、同様に上絵仕上げを行ったので、これも陶芸コーナーにオリジナルと上絵の作品を合わせて掲載した。


8月28日(木) <101階建て超高層ビル・・・>
101階建て超高層ビル「上海環境金融中心」が完成し、今日内部が報道陣に公開されたとのニュースがあった。これは中国・上海で日本のデベロッパー・森ビルが建設したもので「アンテナなどを含めない軒高は492mで、完成した建築物としては台湾の台北101ビルを抜いて世界一の高さ」と解説されている(台北101は508mだが?)。いずれにしても最早世界一にこだわる意味は全くない。建設中の超高層となると、米国ニューヨーク(世界貿易センタービル跡地)のフリーダム・タワーは541m(?)(2011年完成予定)、米国シカゴのシアーズ・タワーは609m(2011完成予定)、アラブ首長国連邦・ドバイのブルジュ・ドバイ(ドバイの塔)は818m(尖塔まで、2009年完成予定、現在完成済みの高さで650m=世界一)。更に計画中の超超高層ビル(1000m以上)案件としては、クウェートで1001m、ドバイで1400m、サウジアラビアで1600mと高さ競争は留まるところを知らない。ここまでくるともう石油長者さんのお手並み拝見と”高みの見物”ではない”下から見物”である。「バカと煙は高いところが好き」という言葉があったなぁ・・。

8月29日(金) <夜中に雷の音・・・>
夜中に雷の音で目が覚めた。朝の4時頃であったろうか、その後なかなか眠りにつけなかったが雷のゴロゴロいう音を以前と全く違う風に聞いたのには自分でもいささか驚いた。それは雷音を恐ろしいというより、希有な自然現象として心地よく聞いたのである。自然現象といっても雷雲と地上の間に放電されると同時に空気をふるわせ光を発する大自然の不思議なメカニズムを惜しみなく披露する物理現象だ。上昇気流に乗った雲が更に上昇する過程で水蒸気が氷になり氷同士が接触して静電気を起こす。静電気は雲の上層にプラスが溜まり下層にはマイナスが集まる。その内地上のプラスと大放電をして瞬間に空気を振動させる。一応の理屈としては説明されていても実験室ならともかく人間業の到底及ばない壮大な自然のスペクタルである。・・こんなことを考えているうちに知らずに眠っていた。・・「雷の音のひと夜遠くわたりをり/中村草田男(1901-1983)」。「雷のごろつく中を行々し(小林一茶)」

8月30日(土) <五反田と百反通り・・・>
五反田と百反通りが関連があるのか気になって調べてみた。今日も車で五反田を右折して第二京浜国道に入ったところで「百反通り」の標識が目に入る。東京・山手線では目黒駅と大崎駅の間が五反田駅。五反田というと今はTOC(東京卸売りセンター)、ポーラ本社、学研本社などの事業所が多い(ソニー本社も大崎・五反田に近い)<大正期には星製薬=SF作家星新一の親が創業=の製薬工場が五反田の中心であったが後にTOC に継承された>。さて、「五反田」の名前は江戸時代に5反(=約5000平方m)の田圃(たんぼ)があったことに由来して名付けられたいう<昔、米1石が大人1人の1年間の消費量として、米1石の収穫が上げられる田の面積を1反とした。一反は300坪(歩)=約1000平方m、10反=1町>。それでは百反というと3万坪だ・・、と「百反通り」を調べる。「百反通り」は大崎駅前から第二京浜までの約1100mの通りで、昭和の初期には下駄屋、うなぎ屋、駄菓子屋、桶屋、古本屋、八百屋、理髪店など様々な商店が軒を連ねていたと解説があった。何となく雰囲気は分かる商店街だ。ところが、昔は階段状の急な坂が続くので「百段坂(ひゃくだんざか)」と呼ばれていた。そこから、「百反坂(ひゃくたんざか)」、更に、「百反通り」に転化した呼び名であるようだ。結局、「五反」と「百反」は関係のないことが分かった。それはそれとして、これも何かの縁、いつか「百反通り」を歩いてみようと思っている。

8月31日(日) <生誕100年記念 大道あや展・・・>
生誕100年記念 大道あや展をみた(@東京・渋谷区松濤美術館=ここ、9/21まで)。大道(だいどう)あやは1909年生まれで来年の生誕100年を記念しての回顧展である。”あや”さんが絵筆をとったのは60歳のとき。画面いっぱいに鮮やかな配色でユーモラスに描かれた動物や植物の絵をみていると、大道あやの生き甲斐が絵画に凝縮されているのがとてもよくわかる。美術学校でデッサンの基礎とか遠近法とかを無理に教え込まれていないからこそ発揮できる活きた力は絵画における”理論”のむなしさをも教えてくれる。絵本の原画も同時に展示されているし、暗さのない生き生きとした絵が多いが彼女の生涯(まだ続いている)は波瀾万丈であった。19歳で資産家の大道家に嫁ぐが姑との確執で苦労するうちに大道家の事業が失敗。いろいろな経緯の後に夫と子供(男)は広島で花火工場をはじめる。”あや”も火薬を扱う資格を取得するなどして内助の功に励んだ。原爆に被爆したが生き延びて戦後の時代を乗り切った。ところが59歳のときに花火の事故で夫と死別(息子も火薬事故にあう)。そんな時にはじめて「絵筆」をとったのである。実の兄、丸木位里(まるきいり、1901-1995=原爆の絵を描き続けた画家)の影響とされる。後に”あや”は院展に出展するために描いた絵を兄が加筆したのが気に入らず全部書き直したというエピソードがある。なお、”あや”の母親、丸木スマ(1875-1956)は70歳で終戦を迎えた後に息子の位里と嫁の俊(この人も画家)のすすめで絵を描き始めて、81歳で亡くなるまでの間に膨大な絵画を残した(美術館=ここ)。 丸木スマ・大道あや親娘の自由にきらめく絵には生きる歓びという共通項がある。
「今日の写真」として8月最後の日の入道雲を掲載する<松濤美術館から歩いて帰る途中に撮影>。
8月31日pm4:00@代官山/東京

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