これまでの「今日のコラム」(2008年 9月分)

9月1日(月) <下痢・腹痛と戦っている・・・>
下痢・腹痛と戦っている。今まで24時間以上経過しているが、ようやくパソコンを開きキーボードに向かう気力がでてきたのでコラムが書ける。年間を通して体調を崩すことがほとんどないので対応も下手だ。少々腹の調子がおかしくても、腹を冷やしたか、腐った食べ物にでも当たったのかと、一食分を注意すれば回復するのが通例であった。今回も夏の疲労が今頃でてきたかと昨日は夕食の後にビタミン剤を飲むだけで済ませた。ところが昨晩は下痢・腹痛で寝られなかった。今朝になって正露丸を飲んだが、胃腸が働いていないのが自分でも分かる。予定を変更して専ら横になって体力を回復しようと試みる。「昼間に寝る」なんて何年ぶりかと思いながらいくらでも寝られるのには我ながら驚いた。夕方、アール(コーギー犬)を散歩に連れていった時、頭がふらふらするので、帰宅後、体温を測ると37.3℃。これは夏風邪かもしれない・・。

9月2日(火) <職務質問を初体験した・・・>
職務質問を初体験した。体調が少し回復したので軽く散歩ぐらいした方がいいだろうと夕刻陶芸教室に顔をだした後、旧山手通り(東京/デンマーク大使館、エジプト大使館などが並ぶので通称大使館通りとも呼ばれる)を歩いていると、いきなり刑事二三人に取り囲まれた。離れたところにはパトカーや制服の警官もいたのでものものしい捕り物の網にかかった様子。なんでもこの辺りの高級住宅街に最近空き巣が頻発し、目撃情報では泥棒は野球帽をかぶり、運動靴を履き、ジーパン姿、身長160-170cm、一見身軽そうな男。この時間に網を張っているとピッタリの風体の私が歩いてきたので色めき立ったという。免許証とか財布だけでなく全ての身体検査までやられた後には刑事と泥棒談義をした。泥棒は夜中に限らず、昼間住人が外出した一瞬を狙って侵入するケースも多いという。「同じような格好をした人」に出会ったら捜査に協力して連絡するよう依頼されたが、こちらはいささか複雑な気持ち。今回はアール(コーギー犬)を連れていなかったが、空き巣多発地域の細道には犬を連れて何度も通ったことはある。これから犬を連れずに一人で散歩するのは“怪しげな行動”になりかねない。デジカメを持って他人の家の庭に咲く梅・桜・木蓮・夾竹桃などを愛でながらのんびりと散歩できないのでは世の中住みにくい。
職務質問の後で撮影した「今日の写真」を掲載(このマレーシア大使館は2006年9月に絵を描いた=ここ

2008-9-2マレーシア大使館@東京/南平台

9月3日(水) <横長花器・・・>
「横長花器/追加仕上げ(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。これは「マンガン花器」として7月17日に掲載したもの(7月コラム=ここ参照)を追加仕上げした作品である。7月に完成した作品は二酸化マンガンを使用して金属風の仕上がりを意図していろいろ試みた中の一つであったが、この花器も今一つ思った風合いにならなかった。多くの”試作”の結果、釉薬に二酸化マンガンを加える微妙な割合を少しは理解したけれども実際に納得がいく作品を得るには至らない。はじめは二酸化マンガンの性質を正確にとらえていなかったところもある。二酸化マンガンの融点は535℃と低いこと、また昔からガラスの不純物と化合(酸化)させて“透明な”ガラスを得るのに使用されたことなどが、これからの二酸化マンガンを使う上での重要なヒントとなっている。それはともかく、この「横長花器」を”追加仕上げ”すること、つまり上絵具を(今回は二酸化マンガンも)加えて素焼き温度で焼き直すことについては妻の大きな抵抗にあった。何もしないこのままで十分、これまで後で手を加えてよくなったためしがない・・。こうなれば己がやりたいことを貫く、と仕上げたのが今回の作品。大騒動の割には遠目には何が変わったのか判然としない(黒色と一部金色など追加)。それでも自分としてはやりたいことをやった満足感の違いが大きい。

9月4日(木) <素粒子物理学の最先端設備・・・>
素粒子物理学の最先端設備が話題になっている。欧州合同原子核研究機関(CERN=European Organisation for Nuclear Research)がスイスとフランスの国境に新たに建設を進めてきた世界最大の実験装置、LHC(=LargeHadron Collider/大型ハドロン衝突型加速器)が来週9月10日に運転開始をするのである。この装置、地下100Mに作られた1周27kmの円形トンネルで陽子をほぼ光速まで加速して、陽子を衝突させた状況を6つの検出器(これだけで巨大ビル重量7000トン)で調べる。ヒッグス粒子の発見(検証)、宇宙の起源やブラックホールの解明など多くの分野で研究が進むと期待されている。この実験装置には世界約40カ国、2000人の物理学者が参加するという。ところで、一般の人とはほとんど無縁の物理学の基礎となる実験設備がインターネットによって「一般人」にも親しく紹介されるのが現代らしい。youtube動画を使っていろいろ配信されている中でも「ラップ音楽」にのって調子良く紹介されているのが「ここ」(その他、まじめな紹介動画は=ここなど)。そういえば今使っているインターネット、wwwの方式は、CERNの研究者がお互いの情報を共有しようとして作り出したものである。当初思いもよらなかった分野で人に役立ったり、深く影響を及ぼすことがあるのが基礎学問の面白いところだ。来週の10日にどのように報道されるか注目しよう。

9月5日(金) <ようやく夏風邪から脱出・・・>
ようやく夏風邪から脱出した。一週間足らずの体調不良であったが平常の健康がなければ自分は何と弱い存在なのかと改めて健康の有難さを思う。わずか体温が平熱の0.5度高い程度の微熱がでただけで、頭の集中力はなくなる、やる気がでない、”アイデイア”を考える意欲そのものがなくなる。日頃、他人のことをやる気がないと批判するそのままの姿が自分である。微熱程度の条件で人の体調、意欲までが変わってしまうことを考えると、病を抱えた人の心中を思いやることは極めて難しい。健康体である自分たちはせめて「分からない」事を認識するだけだろうか。・・明日から北京でパラリンピックが始まる。健常者が世の多くのハンデイを抱える人の心を真に思いやることもまた容易ではないのだろう。身体障害者がこの大会に出場するまでの努力や忍耐はいかほどのものであったか偲(しの)ばれる。けれどもパラリンピックに出場できるエリート身障者はまだ幸せである。その陰にはさらに無数のハンデイを背負った人たちがいる・・。
9月6日(土) <永遠の敵はいない・・・>
「永遠の敵はいない・・」。これは米国務長官として55年ぶりにリビアを訪問したライス米国務長官が昨日首都トリポリでリビアの最高指導者カダフィ大佐と会談した後に語った言葉である(はじめに「米国に」がつく)。政治的な思惑の絡み合ったコメントであるが何かホットさせる。カダフィは1969年27歳で権力の座につき66歳の現在に至るまで独裁を続けている。かつてはレーガン大統領から「中東の狂犬」と呼ばれたカダフィは40年間を経て変わったのだろうか。かたや、コンドリーザ・ライス国務長官は1954年生まれであるから55年前、1953年に当時の国務長官ダレスがリビアを訪問した時には生まれてもいない(ちなみに、彼女の名前コンドリーザ(Condoleezza)は音楽のcon dolcezza(甘美に柔らかく)から名付けられた/母親は音楽教師)。ところでキューバのカストロが革命で全権を掌握したのが1959年で間もなく独裁50年を迎える。北朝鮮のように独裁が世襲される国もある。「永遠の政権はない」と云いたいところだが、世界には人が長い一生の間、同じ首長だったという国がいくつもある。毎年のようにトップが入れ替わる日本がとても健全に見えてくる・・?。
9月7日(日) <いま7日午後5時15分・・・>
いま7日午後5時15分。我が家の周辺(東京・渋谷)では先ほどまでの天気が一変して豪雨と共に雷鳴が鳴り響いている。この8月の終わり頃からは天候が激変したり雷が派手に暴れる機会がやけに多い。ピカピカ、ゴロゴロも夏の終わりの風物詩と思いたいが、今年はいささか多すぎる。残暑もいい加減にしてくれ・・と「秋の気配(水彩)」を描いた(「今日の作品」に掲載)。本当はそれぞれの葉がもっと緑が濃く、夏らしい色彩であるが、絵の上だけでも秋の色が欲しかった。・・それにしても、この雷はもしかするとこの夏最後の雄叫びかも知れない。秋はもうそこまできている。・・「雷鳴の 気合いで背筋 ピンと伸び(鷹)」


9月8日(月) <ジミー大西の展覧会・・・>
ジミー大西の展覧会をみた。会場は銀座・三越(東京)。三越とジミー大西は何かなじまないようにも思えるが、大西の絵画がそれだけ”ブランド”として認められていることなのだろう(案内=ここ、9/15まで、その後全国を巡回)。私は吉本喜劇のタレントとしてのジミー大西をよく知らないが、彼の絵は”大好き”で稀にみる才能を素直に認めるものである。今回、まとめて色々な絵を見た中では油彩より水彩の方がよかった。というより、初めて油絵を試みた時期の作品には一部に天真爛漫さが消えて自意識が見え過ぎたものがあった。やはりジミーの絵画は遠慮のない”爆発”が持ち味だ。奇妙なことに絵の業界にも学歴主義がまかり通ることがある。絵画を”学び”、デッサンや構図を訓練して一人前とみる評論家からはジミー大西のような天才はつぶされかねない。私はジミー大西の絵をみながら、いまや世界の現代美術家、ポップアーテイストとして認められている村上隆ならジミー大西の絵をどうコメントするかを想像した。芸大大学院を卒業して何でもできる村上は最もニーズがあり売れるがゆえに一見大西のような絵を描く。方や、ジミー大西の強みは”これしか描けない”ことではないか。1964年生まれの大西は44歳。もうお笑いタレントとは完全に縁を切って、初心に返って(つまり慢心せずに)アートに専念してまだまだいい作品をみせてほしい。

9月9日(火) <超撥水ゲームで・・・>
超撥水ゲームで遊んだ。最近(株)バンダイで商品化された「アクアドロップ」という水玉遊びである(メーカーサイト=ここ)。これは最新のテクノロジーではじめて可能となった科学おもちゃと云うべきもの。超撥水加工された材料にただの水をスポイトで注入すると水が球状になって動く。水玉を合体させたり分裂させたりしながらゲームを楽しむ。一昔前には水銀を板の上に置くと同じような動きをした(水銀の表面張力は水の6倍以上/今は水銀を自由に取り扱えない)。「撥水」とはあまり使わない言葉だが「水をはじくこと」。超撥水の説明では通常の撥水加工が水玉の接触角が約100度であるのところ超撥水加工で接触角が約150度になると説明されている。撥水の逆は「親水」といい、自動車のボデイのコーテイング剤にも撥水タイプと親水タイプがある。撥水の場合水をはじくのはいいが、ホコリを吸い寄せたり油性の汚れがつきやすい。一方の親水タイプは水が表面に広がるので油性の汚れはつきにくく水洗いしやすい。ちなみに「親水」の場合は接触角は40度以下。撥水、親水はそれぞれ一長一短があるが、新技術による「超撥水」はゲームのみならず広く実用分野での応用が考えられそうだ。ゲームは実用よりも素早く商品化されるところが面白い。

9月10日(水) <人事を尽くして・・・>
「人事を尽くして天命を待つ」。これは父の言った言葉の中で私が覚えているものの数少ない一つである。50年以上昔、高校受験の時にそう云って励まされた。この言葉は長じても何となく私の身体に染み込んでいる。ポイントは「人事を尽くす」ところで、自分でできる限りのことをやる。そして結果は天に任せる。やることをやった後はくよくよしてもしょうがない。けれども、世の中には「人事を尽くす」にもどうしようもなく、ただ「天命を待つ」事態もある。今日は明治神宮の神楽殿でただただ神のご加護を祈る。祈願のあと巫女さんが神前で倭舞(やまとまい)を舞う儀式をみながら「神頼み」する事以外に何もしてやれぬ自分がもどかしかった。
9月10日@明治神宮/東京

9月11日(木) <新聞に科学欄がない・・・>
新聞に科学欄がないことを発見して一瞬ギョッとした。正確に言えばインターネットの新聞記事で「科学」の扱い方が新聞によって随分と異なる。9月4日のコラム(=ここ)に書いた「世界最大の粒子加速器LHC/スイスとフランスの国境に設置された地下100m、一周27kmのトンネル設備」が9月10日に稼働をはじめたので新聞でどのように取り上げられたかを見たかったのである。先ず科学記事は得意であろうと朝日新聞(=ここ)を見ると、ニュース、スポーツ、エンタメ、ライフなどの分類で「科学」はない。よくみると「ニュース」の項目の中に、社会、ビジネス、政治、国際、文化、そして”サイエンス”があった。サイエンス記事を探してみると以前の”10日に始動予定”の記事はあったが「運転開始した」という記事はなかった。読売新聞の場合、社会、スポーツ、マネー・経済、政治、国際、環境のジャンルのあと”科学”の分類がある。そして「科学」のトップ記事が「LHC試験稼働開始」である。毎日新聞にも「サイエンス」項目があって、今日の記事には「世界最大の粒子加速器稼働」が報じられている。これが産經新聞、日経新聞となると「サイエンス」とか「科学」の欄はないし、LHCのことは一行も報じられていない。CNN(日本語版)では「サイエンス」欄で写真入りで「始動」のニュースを伝えている(=ここ)。新聞各社でのポリシーがあるかも知れないが、新製品や株価をニュースにするのに世界の最先端科学設備の動向を報じないのはどこかおかしい・・。

9月12日(金) <能書きは好きでない・・・>
能書きは好きでない。「能書き」というと「薬などの効能を説明した言葉(新明解/三省堂)=効能書き」あるいは「自分の優れたところを並びたてること、or自己宣伝」などと辞書では解説があるが、私はもう少し幅広く「理論整然と自説を述べる」ニュアンスで受けとめている。私が“好きではない”というのは、「能書き」が通用しないからである。先ず、スポーツ、勝負事。ゴルフにしてもテニスにしても(もちろんスポーツ全般)能書きの好きな人は多い。理論を話せば1時間でも2時間でも止まるところを知らないという人もいる。ただ能書きが優れていても弱ければ意味はない。勝負事は理屈はなくても勝てばよい。絵画や音楽など芸術分野でも能書きが先行するのでなく、本人がどのような結果を見せるかがポイントである。寡黙な中に感動があれば理屈は必要ない。ところが芸術分野には絶対評価がない。勝ち負けを判定する基準が定まらないのである。そこで力をを発揮するのが能書きとなる。自分で判定する基準がない人は誰かが書いた「効能書き」を信用する。ベネチア国際映画祭に出品され話題を呼んだ映画「アキレスと亀」(賞は逸した)の試写会で北野武監督が「海外では評価が高いけど、国内じゃ全然ダメだってさんざん書かれて、もう涙も枯れ果てた」と嘆いてみせたと報じられていた。なに、“海外で評価”されれば日本のメデイアは直ぐになびく。北野監督は決して能書きをたれないが、海外のお墨付きなしに国内だけで北野武のような作品を発掘しきれないのがさびしい。

9月13日(土) <青春という名の詩・・・>
青春という名の詩がいまだに人気があることを知った。土曜日は思い切り身体を動かすので夕方自分の部屋でアール(コーギー犬)と並んで床に横になって休んでいた。そのとき目の前の本棚に「青春という名の詩」という懐かしい本を見つけた。この本は22年前、私が40代前半に購入したものであるが、改めて中身を拾い読みしたあと果たして今でもこの詩が読まれているのかインターネットで調べてみると多くのサイトで取り上げられていることを知ったのである。サムエル・ウルマン(米国の実業家、詩人1840-1924)が80歳の時に自費出版した詩集の中に収められた「青春(Youth)」という詩はマッカーサーが座右の銘としていたとか、日本でも松永安左エ門(電力王・茶人)や松下幸之助など財界のリーダーなどからも好まれたこともあり20数年前にはブームのように喧伝された。「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。」からはじまり、「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる・・」など年寄りを元気づける言葉が続く。あらゆる面で恵まれた老人への応援歌の雰囲気もあるが、ジメジメしないでプラス思考を求め続ける姿勢が古典となって現代でも愛読されるのだろう。時にこのような詩を声を出して読むのもいいかも知れない
。Web例=ここ(日本訳と原文あり)、あるいは、ここ(私が持っている本の訳者)、ウルマンについて=ここ(訳詩もあり)
9月14日(日) <「キョウイク」と「キョウヨウ」が重要・・・>
老人には「キョウイク」と「キョウヨウ」が重要とのスピーチが光っていた。「キョウイク」とは「今日行くところ」、「キョウヨウ」とは「今日の用事」とのオチがつく。今日、高校卒業50周年の集いに出席したときに聞いたスピーチである。自分は老人だとは思わないが「キョウイク」、「キョウヨウ」の必要性については共感する。高校の同期会の司会は露木茂(元フジテレビアナウンサー)と決まっている。私は露木とは高校一年の時に同級であった。田舎の中学から高校に入ったばかりの自分と比べて露木の英語の発音が洗練されていたのを今でも思い出す。露木氏を含めて周囲の参加者の姿形を遠目に見ていると50年の年月を感じるが、いったん話を始めると歳月を忘れさせてくれる。「キョウイク」と「キョウヨウ」を十分すぎるほど持っている人たちには大いに刺激を受けた。

9月15日(月) <トリック絵皿・・・>
「トリック絵皿(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。トリックアート(trickart)は「だまし絵」と訳されるから「だまし絵皿」ともいえるが、「だまし」の語感はあまり好きではない。錯覚(illusion)のおもしろさを見たいのでこんな絵皿を作る<日本語でイリュージョンというとこれもイメージが異なる>。「今日の作品」としたけれど実は2年前の2008年11月2日の陶芸作品として掲載したものと同じ皿である(=ここ)。この時はどういう訳かただの「角皿」として掲載した。期待したほど「錯覚」の効果がないと思って遠慮したのかも知れない。しかしながら、トリック(あるいは錯覚)はあくまでもある方向から見た場合の”目の幻覚”である。今回の写真は錯覚が見えるように角度を選んで撮影した。この絵皿の模様、何かおかしい?と思っていただけるだろうか(今回錯覚が強調されるように一部上絵で色を追加した)。2年前のトリック絵皿に手を加えたのには理由がある。最近の陶芸で新たに錯覚をテーマにした作品を制作し始めたところで、以前の作品にも目を向けたのである。トリックにしても錯覚にしても”目で見る”ことの不思議さを試す”遊び”である。ただし、画布に絵筆で自由に構図を描き色をつけることのできる「だまし絵」と異なり、陶芸という「焼き物」にはそう簡単にはだませない難しさがある。だから陶芸トリックは造りがいがあると、挑戦を試みている。


9月16日(火) <リーマン・ブラザーズの破綻・・・>
リーマン・ブラザーズの破綻が今日のトップニュースであった。1850年(南北戦争の数年前だ!)に創立された歴史ある米国第4の大証券会社が倒産した影響が我々にどう及ぶのか分からないけれども、リーマンの従業員は前日に自分の私物は持って帰るようにいわれたとの話をきいた。まあリーマンの社員となればそれなりの蓄積はできているだろうが・・。リーマン160年足らずの期間をどう見るかは別にして、我が家の雑談でどんな金持ちでも名門でも100年、200年同じように続くことはないことが話題になった。そして江戸時代には庶民は火事が頻繁におこったこともあり、恒産の考えが元よりなかったという話になった。火事で焼けてしまえば周りの人と力を合わせてまた家を建てる。もちろん食べることについても近所の仲間がなんとか助けてくれる。宵越しの金を持たないきっぷの良さもなくなり易い(燃えやすい)環境と無縁ではない。金を貯めることができるからケチや守銭奴がでてくる。生きているときにがめつく金を貯め込んでも100年、200年後の子孫がどうなっているかは全く分からない。・・こんな話をしながらリーマンとは無縁な自分が江戸庶民的であるのを一生懸命に弁解したり慰めているのがおかしい。

9月17日(水) <第三水曜日・・・>
第三水曜日は要チェックである。今日は9月の第三水曜日であるから以前からこの日を忘れないようにしていた。例えば東京都美術館はこの日シニアは無料になる。いま開催されている「フェルメール展」にいつ行くかというとき、できればこの日にしたい。残念ながら今日は他の用事で行くことができなかったが、美術館やコンサートホールなどで月一回のサービスはなぜか第三水曜日が選ばれる(東京都写真美術館も)。・・そう思っていたら、今日、実は「第三木曜日」も見逃せない日であることを発見した。サントリーホール(東京・赤坂)では月一回昼のランチタイムに無料のパイプオルガンコンサートが開催される。9月は休みであるが月一回の日とは10月以降第三木曜日となっている(案内=ここ)。一方、池袋の東京芸術劇場でも月一回無料のランチタイム・パイプオルガンコンサートがある。ここでは奇数月は第三木曜日、偶数月は木曜以外となっている(案内=ここ)。そして明日9月18日(木)はこの無料コンサート日だ(ちなみに10月は第三水曜日の10月15日)!無料だから行くことができるとは限らないが、こういうサービスはワンパターンでなく、第三水曜日でも第三木曜日でも日にちが変わってくれた方がありがたい。

9月18日(木) <迷路・・・>
「迷路・<mieuへの絵手紙>」(ペン&水彩)を「今日の作品」に掲載した。これはニューヨークに住む孫娘への絵手紙がしばらく途絶えていたので久しぶりに描いたもの。「迷路」の周囲にイラストをつけてみたが、鳥や魚、小動物と機関車など絵のつながりにもう一つ面白みが足りないかも知れない。このような絵手紙は良し悪しは別にして本当に楽しく描くことができる。ところが、もし200号(約260×190cm)、300号(約290×200cm)の巨大な絵画を描くとなると、それほど気楽に取り組めるものではない。テーマを設定し、構図や色合い、アクセントなど吟味を繰り返しながら大変な労力を傾けて仕上げる。その結果に本人が満足できるかは分からない。本人が会心作と思ったとしても、他の人がどのように見るかは別問題。絵画はそれほどに難しい。こんな感想を持つのは、今日、国立新美術館(東京・六本木)で開催されている「新制作協会」の展覧会を見たからでもある。彫刻家の知人から招待券をいただいて「新制作」を見たのであるが、私はやはり3次元の彫刻に好きなものが多い。斬新な試みに陶芸のヒントを得ることもある。彫刻の展示場が1階で2&3階が絵画。ここで最近の展覧会の常として200号、300号それ以上の巨大な絵画が延々と続くのである。絵画の内容も超具象から半具象、アニメ風、抽象、コラージュなどなんでもあり。100人、100色の面白さがあればそれはそれですばらしいが、自分ならどう描くかを考えながら見て回っていると途中から絵画の「迷路」に迷い込みどこに出口の光明があるのか分からなくなった。


9月19日(金) <捜し物はなぜみつからないか・・・>
「捜し物はなぜみつからないか」。今時こんな古典的なテーマを取り上げなければならないのが我ながらお粗末だが、縦55mm、横90mmのカード(紙の券)が見つからなくなって大騒ぎしたのである。自分の部屋で封筒に入れたはずのカードが見当たらない。直ぐに見つかるだろうと気楽に探し始めたのであるが徐々に大袈裟になった。まず三日前には封筒から出してこのカードをみた。自分で捨てることはない。ありそうなところになかったので、机の裏に落ちていないか、机の側にあるゴミ箱に間違えて入っていないか、本の間に挟まっていないか、もしかすると居間の引き出しにいれていないかなどあらゆる可能性を考えて探した。掃除機で部屋全体を掃除する、満杯に詰まっていたゴミ箱の中身を全て外に出して見直す、束ねてある資料や本の間を調べる・・、それでも見つからないのであきらめた。そして夕方、パソコンを始めようとキーボードの横を見ると55×90のカードが机上に裏向きになってあるではないか(机も白、紙も白)!「捜し物は一番ありそうなところにある」という法則などは十分知っている。他人が捜し物をしていると、そう言って教える。ところが自分の心理としてはそんなところは当然探したことになって難しいところばかりを探していた。まさに、"RETURUTO BASELINE"(=1990年代のNASA哲学)。捜し物一つにしても無垢な初心に帰らなければならない。

9月20日(土) <些細なようで重大な事・・・>
「些細なようで重大な事」。これは幸田露伴が書いた文章のタイトルである。今日の「声を出して読むカレンダー」にこの文の一部がでており、その先が読みたくなってインターネットで調べた。幸田露伴(1867-1947)の文は次のように始まる:「人間には色々の仕草があるがつゞめて言へば、事に処すると、物に接するとの二ツになる・・」。「事に処する」とは人間相手の多種多様な決断をいうが露伴の言葉では「大体は道理の正しきに従ひ、人情の美しきに従ふべき」とする。露伴の本題は「物に接する」方。死物である物への接し方は「些細なこと」と思われがちだが、「些細と見るのは間違い」。「物に接する」鍛錬修行を積んでいかないと「事を処する」こともできないと明快だ。最後の結びがまた小気味いいのでまた転用させていただく:「然らば如何にして、物に接すべきか。それには、その物を愛する、この心がけが最も重大なものであつて、これは仁である。その物を理解し、正しく取り扱ふ、これは次に大切な心がけであつて、これは義である。物に接するにも仁義が第一である」<全文=ここで読める>。大正15年に書かれた文章に私は決して古さを感じない。パソコン、ワープロを使う現代においても露伴の何分の一かでも「物を愛する心」を持ちたいものである。
9月21日(日) <江戸三大大火・・・>
江戸三大大火の一つに「行人坂の火事(=明和の大火)」がある。先日、目黒(東京)の行人坂(ぎょうじんざか)の下にある目黒雅叙園で友人と会った際に、この火事の出火元といわれる大円寺(行人坂の途中にある)にも寄ってみたが、いまは五百羅漢や石仏がかつての大火との関連を思わせるのみ。明和9年(1772年)に発生したこの火災は確かにとんでもない"大火”であったようだ。目黒で出火した炎は麻布、京橋、日本橋、さらに神田、千住まで燃え広がった。さらに本郷、駒込方面を含めて類焼した町は930余。江戸城下の百数十に及ぶ武家屋敷をも焼き尽くしたという。ついでに他の「三大大火」を調べてみた。明暦3年(1657年)の「明暦の大火」は当時の江戸の大半を焼失し、「江戸三大火」の中でも被害は筆頭。このとき江戸城の天守閣も焼失しこれ以降再建されなかったとか、この大火を契機にして武家屋敷の配置転換やら防災のための広小路の設置なども行われたと解説にあった(=Wikipedia参照)。明暦の大火はいわば"同時多発型火元・放火”で出火原因もさまざまであるようだ。もう一つの大火、文化3年(1806年)の「文化の大火」は現在の高輪(港区)辺りから出火して増上寺の五重塔などを焼失しながら木挽町、数寄屋橋、京橋、日本橋、神田、浅草まで延焼したという。・・江戸時代は国内外での戦争のない希な時代であったが、地震、火事、飢饉などとの「戦い」は絶えなかった。どんな時代でも事故や災害との戦いはある。他人の「再発防止」に頼るのではなく、自分の身は自分で守る以外にない・・。

9月22日(月) <さらばヤンキースタジアム・・・>
「さらばヤンキースタジアム」のニュースの見出しが目についた。ニューヨークのヤンキースタジアムは今季限りで取り壊され、来年からは隣に建設されている新球場が使用される。日本時間の今日、このヤンキースタジアムでの大リーグ最終戦が行われたのである。85年前の1923年、ヤンキースタジアムの開幕戦ではベーブルースがホームランを打った。今日の試合前のセレモニーではベーブルースの娘さん(といっても92歳のおばあさん)が始球式を行ったのも何か微笑ましい。ヤンキースタジアムは私にとっても懐かしい思い出のある球場だ。3年前にヤンキースタジアムでヤンキースーレッドソックスの試合をみた。松井は活躍せず、レッドソックス(当時松坂はまだいない)の一方的な試合であったが、球場の雰囲気は存分に楽しんだ。外野席の高い位置(=つまり安い席)で観戦したので球場全体を見渡して絵も描けた(この場所でのヤンキースタジアムスケッチを2005年の「今日の作品」/5-28=ここ=に掲載)。CNNのニュース記事によれば、ヤンキースタジアムでの観客はこれまでに延べ「1億5195万9005人となった」とまた細かい数字を載せていた。私もその中の一人と思っておこう。

9月23日(火) <楽譜と設計図・・・>
楽譜と設計図は似ている。親戚のバルトーク研究家にバルトーク(ハンガリーの作曲家、1881-1945/詳細はWikipedia参照)の自筆の楽譜を見せてもらいながらそう思った。バルトークの書いた楽譜はどちらかというと几帳面で丁寧。修正した箇所も分かり易く、見る人に誤解を与えないように細かく配慮されている。楽譜を一見してこの人は工学系のセンスもあり、理論がしっかりした人だと思った。機械や電気、建築などに関連して設計図と呼ばれるものは多いが、膨大な情報を書き込んだ設計図は設計者の意図を確実に製作者に伝えなければならない。音楽の楽譜もまた演奏者に作曲家の意図するところを正確に伝達させるものであろう。私は最近の陶芸で先ず設計図を作ることが多い。けれども、粘土を使って制作を始めた時点で別のアイデイァが勝った場合には躊躇なくその場で設計を変更する。設計者と製作者が一緒であるからできる技だ。これは音楽でいえばジャズの即興演奏のようなもの。基本線を押さえた上での即興の面白さは音楽でも発揮される。・・しかし待てよ、同じ楽譜でも演奏家で天と地ほどの差が生じるのに、同じ設計図ならばほぼ同一の品質のモノができる。やはり音楽の演奏家は特別の存在なのかもしれない。陶芸でも名演奏家のような制作ができるのが理想である。

9月24日(水) <今日9月24日は西郷隆盛が切腹・・・>
今日9月24日は西郷隆盛が切腹して果てた日である。明治10年(1877年)西南戦争の最後、城山の決戦でこの日西郷隆盛は49歳の波乱の人生を自ら閉じた。薩摩藩の盟友、大久保利通、長州藩の木戸孝允とともに「維新の三傑」と呼ばれ、一時は明治新政府の陸軍大将の任にあった西郷隆盛がなぜ新政府軍と戦って自決しなければならなかったかを含めて、幕末から明治初期の敵味方や人間関係は極めて分かり難い。西郷隆盛((1828-1877)の一生をみると普通の人の4−5回分の人生でないかと思うほど正に波瀾万丈だ。遠島やら島流しはいい方で、何度命を落としてもおかしくない状況でも生き延びる強運には恐れ入る。幕末の動乱の中で名を残した人は才能もさることながら幸運に恵まれた人たちである。逆に数知れない人材が人知れず道半ばで命を落としている。いまの大河ドラマの通称尚五郎、小松帯刀(たてわき)なども35歳の若さでなくならなければどんな仕事をしただろうと思う。・・私が犬の散歩でよく訪れる西郷山公園(東京・目黒区)は西郷隆盛の弟、西郷従道の屋敷跡であるので「西郷」というと何となく親しみを感じる。西郷従道は明治政府の重鎮を貫き通して伯爵、元帥までになった。西郷隆盛は自害して賊軍の将として扱われたが、後に明治天皇から大赦を受け叙勲もされたという。隆盛の人を愛する言葉:「・・天は人も我も同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て人を愛するなり」。

9月25日(木) <王貞治と麻生太郎は同年齢・・・>
王貞治と麻生太郎は同年齢である。王貞治は先日今季限りでソフトバンクの監督を引退する事を表明した。今日のニュースでは孫正義オーナーに説得されて球団のゼネラルマネージャーを引き受けるかも知れない。それにしても二年前に胃を全て摘出する手術をして、回復したといいながら顔をみていると何か痛々しい。ゆっくり休養させてやってほしい。かたや麻生太郎新首相はこれからが勝負どころ。顔艶(つや)や言動をみていると、もっと若いと思っていたら王と同年生まれだった。明治維新の元勲、大久保利通ー牧野伸顕ー吉田茂の血筋を継ぐ毛並みの良さはプラスになるかマイナスになるか微妙であるが、これで超ハンサムだと反発を受けるだろうに人相では得をしているかも知れない。麻生太郎がクリスチャンであることを今回初めて知った。・・王貞治や麻生太郎とならべるつもりはないが、実は私も学年でいえば同じだ。今聞いたニュースでは小泉純一郎元総理大臣が次の衆議院選挙には立候補せず引退するという。小泉純一郎はわれわれの一年下の学年。政治家でもこのような人がいるのは大歓迎だが、このことは別にまた触れたい。同じ時代を生きながらそれぞれの人の道がある。そしてそれぞれの人にとってもまた道は一様でないところがよい。

9月26日(金) <香りの効用・・・>
香りの効用があるのは確かなようだ。最近疲労・心労がたまって本調子でなかった妻が、今日、珍しく”お香”をたいていた。しばらくして声も元気になって「お香って効果があるわね」と香りの効用を認めていた。香は人類の歴史とともにあった。メソポタミア文明(BC3000)の時代から、白檀や沈香(沈水香木)などの香木の香りが珍重されたという。また仏教発祥の地であるインドと香木は切っても切り離せない。日本では日本書紀に香木の記録がある。正倉院の宝物である巨大な香木を時の権力者が切り取って少しずつ使った話はよく知られている。近年になって「香り」は権力者だけのものではなくなった。アロマセラピー(アロマ=芳香、セラピー=療法)はいまや世界中に普及している。植物の芳香成分(精油)を用いて心身をリラックスさせるアロマセラピーは「香りの効用」そのものであろう。ところで、嗅覚(きゅうかく)には、同じ臭いをかぎ続けると数分で臭いの感度が極端に低下するという不思議な特性がある。そういえば自分の部屋の異臭には極めて鈍感なことなどよく経験するところだ。更に私などは嗅覚を日常どれだけ使っているか疑問で、”鼻がきくか”どうかは全く自信がない。ときにお香やアロマで脳に刺激を与えて芳香効果を確認してみようか・・。

9月27日(土) <天璋院篤姫の道中日記・・・>
天璋院篤姫の道中日記が東京の古書店でみつかったというニュースがある。篤姫が将軍徳川家定の正室となるため薩摩から江戸に向かった道中の様子を薩摩藩の藩士が詳細に記録した日記。江戸の薩摩藩邸にあった、いわば公式の記録や日記は全て焼失したというから、姫たちの動静を記録した貴重な史料となりそうだ。歴史の証言にしても物事の記録にしても、はじめから残すことを任務にした人の記録よりも自分のメモとして書き留めた記録の方が後世になって価値がでることはしばしばあることである。現代には膨大な量の出版物(=本や新聞、雑誌など)と、インターネットを通した情報や資料があるけれども、何が歴史的に価値があるかは誰も分からない。それでも名もない薩摩藩士のように一人の記録者のデーターが後の世になって価値が発見されることがあると考えると、どんなことでも正確に記録することは意味がある。意図を持って作り上げた新聞記事などよりも、普通の人が体験した事実のみを記した記録の方が後世に価値がでると思えてならない。

9月28日(日) <ついに我が家にもオレオレ詐欺・・・>
ついに我が家にもオレオレ詐欺から電話が来た。といっても「オレオレ」とは云わない。妻が電話に出ると”ボクだけど・・”ではじまり、”風邪を引いてしまって”と声が違うことの予防線をはる。たまたま息子は喉を痛めているところもあるので、そのまま聞いていると、”携帯を水に落っことして携帯の電話番号を変えた・・”ときた。この辺りでどうもおかしいと気づいた妻がもう少し聞いてみようとすると相手は電話を切ってしまったという。息子の携帯に電話すると問題なくつながったのは勿論だ。私の親戚や知人でもオレオレ詐欺の電話を体験している人は非常に多い。電話を受けたら騙されたふりをしてからかってやろうと思っていても、いざ電話に出ると自分の芝居は直ぐに察知されてしまうようだ。・・オレオレ詐欺の被害がいまだに膨大な額になる根底には何か日本社会の親子関係の特質があるように思えてならない。外国でもこのような詐欺はあるのだろうか。日本での被害者の80%を占める60歳以上のお年寄りが先ずお金を持っていることが詐欺が成り立つ必要条件。そして子供(それも自活しているべき大人)のためにそのお金を躊躇なく使うということ。子供がいくつになっても親が責任をとらなければならないという奇妙な風潮が底流にあるのかも知れない。30歳を過ぎた息子が大麻を吸ったといって母親の女優が謝ったり、非難されると私はそんな謂われはないと弁護したくなる。子は自立、そして親は子離れができているとオレオレ詐欺は成り立たないに違いない。

9月29日(月) <テレビの野球中継・・・>
テレビの
野球中継をほとんど見なくなってしまったまま野球のシーズンが終わろうとしている。パリーグでは西武の4年ぶりの優勝が決まった。セリーグは巨人が12連勝で阪神を追い上げたが最後に笑うのはどちらだろう。”ほとんど見なくなった”野球の試合をたまにテレビで見ると相変わらずのカメラワークで放映されているのでガッカリする。私は以前からピッチャーが投げるボールをキャッチャーの真後ろにカメラをおいて撮影すると球のスピード感がなくなってしまうので工夫すべきと一人主張している(誰もまともに話を聞いてくれない)。審判のみる位置でボールをみるから「球筋」は非常によく分かる。けれども実際に球場でみる投手の球のワクワクするようなスピード感は全くと言っていいほど感じられない。時にピッチャーとキャッチャーを画面の左右の端に入れる映像をつくれば、球のものすごいスピードが分かるに違いないのだが・・。マラソン中継でも走る人を正面から撮るとスピードは分からないけれど、ビルの屋上などから撮った映像をみると速さに驚嘆する。スポーツ中継のカメラアングルを十年一日と変えずに現状をベストと思っているのはテレビ業界の驕りの一つでないか。進歩、改革がなければ普通の業界ならば没落する。
このところ「今日の作品」が改訂されていないので、以前に一部紹介済みだがパズル・ペントミノ(陶芸)の直方体組み立て写真を掲載した(ペントミノについては5月22日のコラム=ここ=参照)


9月30日(火) <トリック深皿・・・>
「トリック深皿・表(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。「今日の作品」は10日間も同じ作品のままであったので以前の陶芸作品を新たな組立写真にして昨日更新したばかりであったが、今日、陶芸教室に行くと「トリック深皿」が焼き上がっていた。早速、今日これを掲載した次第。この写真はトリック深皿の”表”である。深皿の凹面、ものを入れる上部から写真を撮ったが、見方によってはピラミッドのような凸面に見える。ここが「トリック」とする所以(ゆえん)。ただし、制作者としてはこの裏、凸面のトリックを本命として作った。明日以降、裏面や全体の姿形を順次掲載してみたい。この一辺が約23cmの四角深皿、勿論、実用としても十分使える。この秋には柿や葡萄を軽く盛って時にトリックを楽しむ、・・こんなことができれば云うことはない。


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