これまでの「今日のコラム」(2008年 11月分)

11月1日(土)  <アールの車椅子が届いた・・・>
アールの車椅子が届いた。我が家のコーギー犬、アールは12歳になるが11歳を過ぎた頃から後ろ足(左)を引きずるようになった。マッサージをしたり、リハビリを試みたりしながら今まではハーネスを使っていたが、車椅子を注文したものだ(経緯は10月26日コラム=ここ=参照)。この車椅子を作るに当たり、制作者さんはアールの胴回り、胴長、背丈など数カ所の寸法を計測した。届いた車椅子を早速装着してみると、アールの体型に合わせて制作しただけあってぴったりとフィットする。しかも倉敷に住む制作者さんは装着した状態の写真をチェックして、もしサイズが合っていなければ無料で再調整するというサービスまでやる。そして有り難いことに価格もそこそこ。私も以前車椅子を自分で制作しようとしたのでよく分かるのだが、実に機能的でシンプル、しかもデザインがよい。車椅子を逆さ置いて車をフリーにして回すと車軸にボールベアリングを使っているので車はいつまでも静かに回転を続ける・・、こんなことにも感心しながら、しばしよくできた車椅子を見入っていた。
2008-11-01アールの車椅子


11月2日(日)  <秋の俳句・・・>
秋の俳句というと、芭蕉のこんな句を思い起こす:「この道や行く人なしに秋の暮」、「秋深き隣は何をする人ぞ」。いずれも教科書にでてくる名句で今の時代に声を出して読んでみてもそれほど違和感がない。けれども芭蕉の秋の句を順にみていくと現代でもぴったりとくる俳句は案外に少ない(=ここ参照)。当然のことながら300年以上昔の風物を詠んだ句であるので単語にも現代とズレがある。それでは他の俳人はどうだろうと蕪村の秋の句を調べてみた。やはり蕪村も同じ事で、”猿どの”、”有職の人”、”掛かり人”などの言葉がならび今の感覚とは合致しない。それでも、蕪村のこんな句は今でも同感だと思う:「落ち葉拾ひ 日あたる方(かた)へ あゆみゆく」。夏目漱石の句:「ふるさとに 帰るは嬉し 菊のころ」は最早現代の誰かが詠んだと云われても疑わない。山頭火の句となるとスタイルはともかく言葉に違和感はない:「ほろほろほろびゆくわたくしの秋」、「秋風あるいてもあるいても」
、「夕焼うつくしく今日一日はつつましく」。・・そうだ、200年前の小林一茶の句:「秋風やあれも昔の美少年」も時代を超越した秋の俳句でないか・・。
11月3日(月)  <何でも花器になる・・・>
何でも花器になる・・。「今日の作品」に掲載した「四角形花器A<仮組立>(陶芸)」もそんな中の一つかも知れない。目的のないオブジェを堂々と制作するほど勇気がないので無理矢理実用のタイトルを付けるが、かなり好き勝手を楽しんだオブジェ風花器である。今日、陶芸教室で完成した各部品を持ち帰り、とりあえず仮組立をしたた写真を掲載した。この写真では右側の板との接続部に4mm径の銅管を使っているが、この材質やサイズを変えれば全体のイメージも大きく変わると思われる。しばらくは試行錯誤しながら形状を決めたい。左側の板を貫通して細い針金が横に通してあるのが写真で見えるが、厚さ約20mmの板(両サイド)には横方向に(板厚の中心部に)8本の貫通穴が開いている。3mm径で約200mmの長さの穴であるので粘土が柔らかい状態の時だけに貫通穴をあけることができる。粘土が固まった後ではドリルを使っても加工できない。このような穴あけ模様を中心部の花器でも色々と試みている。なお、掲載した写真はフラッシュを使ったので、白っぽい色合いに写っているが、実際には全体が黒色である。黒釉に二酸化マンガンが加わって若干銀色が浮いている。後日、太陽光のもとで改めて写真を撮って掲載することにしよう。


11月4日(火)  <11月になったとたんに・・・>
11月になったとたんに"年末”を意識するようになる。今日、久しぶりに恵比寿ガーデンプレイス(東京)にいくともうクリスマスの飾りが出来上がっていた。霜月の直ぐ後には師走。今年も終わりに近いのだ。そんなことから今年中にやるべき事、やっておきたい事が頭の中を駆けめぐる。新しいパソコンのソフトの改修、故障した旧パソコンの処理、ハードディスクの復元など、ほとんどはコンピューターの関係である。以前はデジカメ写真をA4サイズのアルバムに印刷して整理していたが、パソコンのトラブル以来この数ヶ月間は写真の画像処理もできていない。・・年の終わりという区切りが見えたとたんに"やる気”になってきた。試験があるから勉強する、お客様がいらっしゃるので部屋を片付けるのと同じである。”年末”を意識するのは悪いことではなさそうだ。
「今日の作品」に昨日掲載した「四角形花器」(陶芸)の素材写真を掲載した。陶芸コーナー(=ここ)に昨日、今日の写真を並べて掲載しているが、写真の撮り方で黒の色合いが激変するのにはいささか驚いた。
  2008-11-04@恵比寿ガーデンプレイス

11月5日(水)  <今日は歴史に残る日・・・>
今日は歴史に残る日となった。アメリカの大統領選挙(選挙人獲得選挙)でオバマが圧倒的な大差でマケインを破り「アメリカ史上初のアフリカ系(黒人)大統領」となることが決まったのである。オバマ氏(BarackHussein Obama, Jr.)は1961年8月4日生まれの47歳。父親はケニア生まれの黒人だが母親は白人、オバマ氏はハワイで生まれた。6歳から10歳までは母親の再婚相手の国であるインドネシアで育ったという。血統・育ちは国際的であるが、コロンビア大学(ニューヨーク州)卒業後ハーバード大学(マサチューセッツ州)のロースクールで学んだエリートである。アメリカがまだ潜在的に持っていた若さとエネルギー、そして未来や夢に対する思いの強さを見せつけられる思いがする。それにしても、オバマ氏の演説:「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じ国を愛するアメリカ人」のような表現を日本の政治家は何故できないのだろう・・。
「今日の作品」に「四角形花器」の組立使用例を掲載した。現在のところまだ最終的な組立方を決めていない。あれこれ試してみるところが楽しみでもある。


11月6日(木)  <外出するときにはデジカメを持参・・・>
外出するときにはデジカメを持参する。この日、この瞬間の記録と思ってシャッターを押すが、後で写真を見るとほとんどの場合、私がその場にいた事に意味があると思えるものはない。1998年に撮影した写真と云われればそうかと思うし、2018年にも同じ写真が撮れるだろう。けれども、”意味はなくても”確かにその瞬間に私はその風景を見た。生きることとはその程度の事かも知れない・・ふとそう思った。今日の夕方撮影した写真を掲載してみる;
(1)pm4:45西郷山公園(東京・目黒区)から富士    (2)pm4:55渋谷・青山製図専門学校建築の先に月

 

11月7日(金)  <今日初めて知ったこと・・・>
今日初めて知ったことが一つある。といっても内容はただのゴシップネタ。この秋に文化功労賞を受章した一柳慧氏がはじめに結婚した相手は、かのオノ・ヨーコさんであったという話だ。オノ・ヨーコといえばビートルズのジョン・レノンの年上女房となり数々の話題を全世界に提供してきた神話的な女性である。まず一柳慧(1933年生まれ、75歳)の名前から私などは現代音楽の作曲家というより前衛音楽家を思う。ジョン・ケージ(米国の作曲家)に師事しただけあって、日本では偶然性の音楽(楽譜はあっても不確定)など前衛音楽のパイオニアであった。ちなみにジョン・ケージ(1912〜1992)には”演奏者が演奏しない音楽”の作曲もある。ある時間、観客自身が発する音、コンサート会場の内外から聞こえる音に聴衆は耳を傾ける、それをまじめに音楽と主張した。はじめの話に戻ると、一柳慧がオノ・ヨーコと結婚していたのは、33歳から39歳までの6年間である。前衛芸術家オノ・ヨーコも1933年生まれで同じ年、前衛同士で気があったのかも知れないが離婚の理由は知らない。それにしても私の青春時代にまぶしく見えた人々はみな前衛であった。当時の前衛と比べると今の時代には前衛は見当たらない。時代が成熟したというべきか、前衛は二度目には古く見えるので飽きられて当然というべきか・・。

11月8日(土)  <今日、"いちじく”を食べた・・・>
今日、"いちじく”を食べた・・とあえて云うほどに”いちじく”を食べたのは久しぶりである。「いちじく」の語源はペルシャ語からきた説とか、一熟(いちじゅく)が転じた説などがあるようだが、我が家ではいちじくを漢字でどう書くかが妻との話題になった。「無花果」はいちじくが"花のない果実”と見えたことから当てられた漢字だが、実際にはいちじくの果実の内部につまっている赤いつぶつぶが花であるそうだ。「不見花果」が正確な表現だが勿論漢字としては×。ちなみに英語ではいちじくはfig。これは、図1を表す場合に、figure(図)を略してfig1.とするのと同じ綴りなので覚えやすい。栄養や効能も優れていることは知られているけれども、なかなか食する機会のない無花果であるが、私には無花果は子供の頃の懐かしい思い出と結びつく。小学生の頃育った家(姫路)の庭には大きな無花果の木があった。無花果というと木登りをして好きなだけもぎ取って食べるもの、そんな記憶が東京の店頭に並ぶ高価な無花果には手を出させないのかも知れない。

11月9日(日)  <濱田庄司展・・・>
濱田庄司展をみた。人間国宝であった陶芸家の陶芸展、それもかなり充実した展示品の数々に接して久しぶりに陶芸の名品を満喫した。会場の川崎市市民ミュージアム(11月30日まで開催)には初めて行ったが、なぜ、いまこれほど大規模に濱田庄司の展覧会が川崎で開催されるのか不思議になるほどであった。濱田庄司(1894〜1978)の没後30年、その造形や大胆な釉薬の流し模様をみていると今でも鼓舞される思いがする。無名の陶工が作り出す生活の中の道具に「用の美」を発見して民芸運動を起こした柳宗悦(やなぎむねよし/1889〜1961)の仲間には濱田庄司や河井寛次郎らがいるが、私は陶芸の中でも民芸運動に関わった人たちの作風が好きだ。殿様や権力者のための名品ではなく、一般の人が使う実用的な道具の中に美をつくる。簡素な造形と自由奔放な模様には現代でも全く違和感が感じられないのが驚異である。
「今日の作品」に「四角形花器 」と「七つの正方形」(陶芸)を真横からみた写真を掲載した。


11月10日(月)  <カーボンオフセット・・・>
カーボンオフセットという言葉を見たり聞いたりする機会が多くなった。地球温暖化防止に関連して排出削減できない二酸化炭素の排出量分を何らかの方法で相殺する活動で、文字通り、二酸化炭素(=Carbondioxide/CO2)相殺(=Offset)を目的とする。しかしながら具体的なカーボンオフセットは、植林などにより、CO2の吸収量を増やす直接的なオフセットもあれば、CO2を削減したことにより間接的にオフセットしたと見なすなど多種多様。「カーボンオフセットは英国が発明した新ビジネス」という記事もあるが、英国の植林NGOの取り組みからはじまり、今は世界中に多くのカーボンオフセットの仕組みを提供する団体があるようだ。何にしても、CO2排出量がどれだけかを算出し、これをオフセット(=相殺)するにはお金でいくらと換算するとするのは奇妙で怪しげなところもある。時節柄、「カーボンオフセット年賀」があり、何枚の年賀状をだすとCO2の削減量がいくらと算出してくれる(=ここ)。単なる「寄付金の宛先」が決まっているだけであるのを自分の贈った賀状でCO2の削減量○○ともっともらしく計算してみせるところがミソ。

11月11日(火)  <犬の縁・・・>
犬の縁でいろいろなつながりができる。以前に書いたことがあるが、最近は我が家のコーギー犬、アールが身体障害犬になった(後ろ足が使えない)ことから、近所の人と会話する機会が増えた。11月1日からは散歩の時に犬用の車椅子を使うようになったが、前にハーネス(後ろ足のサポート具)を使っていた頃よりも更に注目されるようになった。早朝の散歩の時に会うおばあさんは”今度は車椅子を買ってもらったの・・”といって頭を撫でてくれる。夕方散歩の時にアールが歩きたくないとぐずっていると前方でアールに声をかけながらしばらく散歩につきあってくれるおばさんもいる。”がんばって・・”と励まされることもしばしば。今日は夕方の散歩で、人通りの多い道路を歩いている時、車椅子をどこで手に入れたのか聞かれた。自分の犬も脚が悪いので車椅子を考えたいとのこと。Webサイトで検索の仕方を教えたが後で自分のパソコンでやってみると私が購入した先のサイトにはたどり着かなかった。今となってはもう連絡のしようもないが、アールが使っている、機能、デザインが優れている上に安価な車椅子、しかも懇切丁寧な製作者さんのサイト=ここ

11月12日(水)  <口は災いの元・・・>
「口は災いの元」か。兵庫県知事、井戸敏三さん(63歳)は昨日「関東大震災が起きればチャンス」と発言したことで全国に名が知られるようになった。「東京一極集中のリスクに備えて、関西が首都圏機能を引き受けるチャンス」との意味だと釈明したものの、人の一言から本音が覗いてしまうから恐ろしい。この役人(自治省)出身の知事さんはいまだに競争意欲が旺盛とみえる。関東などに負けてたまるか・・。競争者にとっては「他人の不幸は蜜の味」である。入学試験で他の受験者が体調を崩せばチャンス、コンクールでライバルがミスをすればチャンス、出世競争で同僚が病死でもすれば絶好のチャンス・・。そういえば、今回の井戸さんの失言を大喜びしている兵庫県の知事候補もいるに違いない。・・私は中学まで兵庫県で育った。中学生頃(昭和30年前後)兵庫県には阪本勝さんという名知事がいたことを思い出しながら、この度の失言騒ぎが寂しく思えてならない。

11月13日(木)  <古代ローマを疑似体験・・・>
古代ローマを疑似体験してみた。googleが古代ローマ全盛期の様子を3Dシミュレーションで提供するというから試みたのである(一般リンク=ここ)。googleがここまでやるかという内容であるが、私は”疑似”のシミュレーションより、google本来の”現実”の画像や三次元の動画にただただ驚嘆する。先のリンク先に「GoogleEarth 4.3をダウンロード」の項目があるが(古代ローマはgoogle earthの一つの宣伝材料に過ぎない)、この「グーグル・アース」の新バージョンは想像以上に優れものだ。はじめは空から見た自分の家を見つけたり、家の前の道路から自由に角度を変えて周囲を見たり(ストリートビュー)して喜んでいたのが、観光旅行で行ったことのある海外の場所を懐かしく見る、そして未知の場所へ対象は拡大していく。”地球上が自分の庭”の感覚を可能とするgoogleearthとは一体どうなっているのか、改めてその仕組みが不思議に思える。googleの検索と同じく”広告代”がその収益源である事は分かっていても、全く無料でこれほどの情報を提供できることが信じられないのである。googleのことを考えると、広告で埋め尽くされている現在の新聞が有料であるのはおかしい・・。
11月14日(金)  <パソコンを教えにでかけた・・・>
パソコンを教えにでかけたところあっという間に丸一日が過ぎた。パソコンと言っても、今日は専ら画像処理。自分の新しいパソコンでも以前のフォトショップ(Adobeの画像処理ソフト)が使えなくなったため、MACに付属している写真ソフトやプリンタ付属のソフトで色々とデジカメ写真の加工を試みてきた。けれども文字と何枚もの画像との組み合わせ加工ではフォトショップに勝るものは見当たらず、結局簡易フォトショップをサイトからダウンロード購入をした経緯がある。今日も同じようにフォトショップのダウンロードからはじまり、画像処理は順調に進んだ。問題はプリンタの画質でこれが”想定外。パソコンの場合、この数年の進化は無条件にめざましいものがある。けれども、プリンタはどうも品質面で進歩したと思うところがない。安価なプリンタ、簡易型などは目立つけれども、画質は数年前の方が優れていると思われるところもある。設定だとか調整だとかいう以前に、少なくとも画質の向上は見られないのではないか。デジカメの解像度がいくら上がっても印刷画面を見るときはプリンタの質が伴わなければ意味がない。ハイビジョンを20年前のテレビ受像機でみているようないらだたしさがある。

11月15日(土)  <テニスの全日本選手権・・・>
テニスの全日本選手権、女子シングルスで伊達公子が優勝した。今日の決勝戦をテレビでみたが、6-3、6-3というスコア以上に危なげのない完勝だった。伊達(ドイツ人レーサーと結婚し”クルム伊達”が正式名らしい)は引退して12年を経た今春、現役復帰を表明して話題になったが、こう簡単に全日本選手権で優勝(16年ぶり、3度目)を飾ってしまうと、少々複雑な気持ちになる。38歳になった伊達のストロークは確かにまだすばらしい。球をじっくり引きつけた後、左右に鋭いショットを打つのでコースの予測がつかない。ゲームの組立方もベテランらしく上手くコントロールして、凡ミスは少ない。それにしても38歳である。女子の若手パワーはどうしたと云いたいのだ。・・そういいながら、いや待てよと考えを改めるデーターに気がつく。プロ野球で今秋フリーエージェント(FA)の権利を獲得した選手の年齢を見ると、上原浩治=33歳、川上憲伸=33歳、中村紀洋=35歳。彼らはこれから大リーグに挑戦するかも知れない。野茂英雄=40歳は今年引退したが、38歳の頃は大リーガーである。伊達の38歳という年齢は決定的なマイナス要因にはならないとすると、若手が不甲斐ないのでなく、やはり伊達の能力がずば抜けているのだろう。伊達は若手にも大いに刺激を与えるに違いない。(伊達公子オフィシャルサイト=ここ/ブログもあります)

11月16日(日)  <うらやましい人・・・>
「うらやましい人」というタイトルのエッセイ集がある(2003年文藝春秋刊)。「うらやむ(羨む)」の語源を調べると、「うら」=心、「やむ」=病む、であり本来は「他人を見て自分が恵まれてないことに傷つくこと」であったが、「自分もそうありたいと願う気持ち」が主になったと説明されている。「うらやましい人」といっても人それぞれで微妙なニュアンスの違いがありそうだ。私の場合「うらやましい」には嫉妬(しっと)や憎い気持ちは全くない。そうかといって尊敬すべき人や理想の人とも違う。ロクに働かないで大儲けしている人や大金持ちを「うらやましい」とは思わないし、聖人君子(いればの話)をうらやましいとは云わない。「うらやましい」とは「恵まれた能力や状態(=一般辞書での解説)」に対する願望ではなく、「独自の生き様」に対する感情を指す方が私にはぴったりする。冒頭のタイトルとなった「うらやましい人」は牧野富太郎博士(植物学者)のことを橋本大二郎元高知県知事が書いたエッセイだった。「うらやましい人」をエッセイに書くとすれば誰を選ぶか、その人の人生観が見透かされるようで簡単にはいかない。
11月17日(月)  <「明日の神話」と偶然再会・・・>
「明日の神話」と偶然再会した。岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」がJR渋谷駅と京王井の頭線をつなぐ連絡通路(マークシテイ内のコンコース)に設置工事中であることは知っていた。今日も午前中にその前を通り、まだ工事用のカバーが掛かっていると思って通り過ぎた。ところが夕方帰宅する際にこの場所を通ると大勢の人が集まり「明日の神話」オープニングセレモニーの真っ最中!以前、東京都現代美術館でこの巨大壁画を見たことがあるので"再会”なのであるが、自由に人が往来する渋谷の通路で「明日の神話」は一段と元気があるように思えた。この渋谷の場所を恒久展示場としたことは大成功でないか。岡本太郎(1911-1996)が1968年にメキシコで依頼されて描いたとされる「明日の神話」はメキシコ側の事情で所在不明となっていたのが、岡本太郎の死後、2003年にメキシコシテイー郊外の資材置き場で発見された。その後日本へ持ち帰り修復されて、しばらく(2007-4月〜2008-6月)は東京都現代美術館に展示されたが、展示場所として広島、大阪など各地の激烈な招致合戦があった末に、渋谷に決定された経緯がある。今日から毎日「明日の神話」は前を通る何千、何万の人たちにパワーを与え続けるだろう・・。
2008-11-17@渋谷

11月18日(火)  <スターリングエンジン・・・>
スターリングエンジンの話題が今日のNHKテレビで取り上げられていた。スターリングエンジンを使えば太陽熱、工場の廃熱などこれまで活用されていなかった熱源を電力に変換して利用できるので地球温暖化対策の強力な助っ人として最近注目されているという話だ。工学を学んだ者にとっては「スターリングエンジン」は何か懐かしい響きがある。スコットランドのスターリング氏が1816年に発明したこのエンジンはシリンダー内の空気を加熱ー冷却する機構で熱エネルギーを運動エネルギーに変換するエンジン。当時の蒸気機関と比べると高圧蒸気を使わないところに特徴があった。けれども蒸気機関の改良・大型化に伴ってスターリングエンジンは姿を消し、蒸気機関もまたその後の石油燃料を使ったガソリンエンジン、デイーゼルエンジン(または電気モーター)に取って代わられた。いま注目されるスターリングエンジンはわずかな熱源からわずかな電力を得るという使用法であろうが、「塵も積もれば山となる」。スターリングエンジンについて分かり易い解説=ここ=(ちなみにスターリングエンジンという社名の会社まである=ここ)。私はスターリングエンジンの手作り模型(おもちゃと云うべきか)を持っているのだが、これはマグカップにお湯を入れて、その上に直径5cmほどの空き缶のような"エンジン”を置いてピストンが上下に動くのを見て喜ぶという代物。これもまた楽しい。
2008-11-18@東京・自然教育園

11月19日(水)  <花器 "Q"・・・>
「花器 "Q"」という名前の「今日の作品」を掲載した。今日完成した陶芸作品である。陶芸教室では"ジェットコスターみたい”と呼ばれていたが、いざ名前を付ける段になると困ってしまった。「蛇型花器」、「とぐろを巻く花器」などを考えたが、どうもピントこない。アイデイァがでないままに、とりあえず「花器"Q"」とした。この花器は二個の垂直部のみが円筒型であるが、他の部分は無垢の"円柱”で内部に穴が開いていない。ただし部分的に小さい穴を設けており、ここにもミニチュアの花を活けることができる。全体が長い円柱でつながっている形状は制作する際に熱変形を配慮しなければ焼成時に破損する恐れがある。今回は問題なく完成したが、模様をかねて全円周に空気抜き穴をあけるとか、サポートをつけるとか、それなりに工夫をしている。このようなオリジナル形状の作品を作った後に、どうしてこのような形状を作ることになったか"動機”を考えるのだが、時に動機の記憶が全く欠落してしまうことがある。この作品も自分の設計図にしたがって、試行錯誤しながら制作しているうちに何でこんな形を思いついたか分からなくなった。それでも出来映えはまずまずで、お気に入りになりそう・・。

11月20日(木)  <スロースクワット・・・>
スロースクワットを始めてまだ一ヶ月足らずであるが嬉しいほどに足腰の具合がよくなった。テニスをする際にも、脚、膝、腰などに安心感があり、調子に乗りすぎないように一生懸命に自制するほどに動きやい。以前は就寝前に60回、普通のスクワットをしていたが、スロースクワットであると一日に10回を二度やれば効果があるときいて早速試みたのである。スロースクワットはゆっくりと膝を曲げていき、ほぼ膝が90度になったところで、ゆっくりと戻す。ただし膝を伸ばしきらずに途中で止めてまたゆっくりダウンさせる。これを10回繰り返すと確かに腿の筋肉が強化されているように実感できる。そこでスロー・スクワットを続けてみることにした。毎日続けるためには習慣としなければならない。思いついて朝晩の歯磨きタイムをこれに当てた。歯磨きには電動歯ブラシを使っている。スクワットの一回に十数秒をかけるとして10回で2分半ほど。電動歯ブラシは3分間続くので十分に歯を磨いている間にスクワットは終わってしまうのである。歯磨きを忘れない限りスロースクワットも続けられるだろう。ただし、「継続は力」であるが、「過ぎたるは及ばざるが如し」と自分に言い聞かせている。

11月21日(金)  <陶芸の工房見学・・・>
陶芸の工房見学で楽しい時を過ごした。私の通う陶芸教室で”英語で教える担当”の陶芸家の工房を数人集まって見学させてもらったのである。都心のマンションの1Fを工房として如何に使用しているかも興味深かったけれども、何より「押し出し式成型機」とでもいうべき装置が面白かった。アメリカでは比較的ポピュラーに使用されるようだが私は初めてみた。工業的にはプラスチックの成型をする「射出成型機」という機械があるが、これの簡易版で粘土を筒の中に入れて型板を通して粘土を押しだして型通りの粘土材料を作る。型板を歯車型にすると歯車の形をした筒状(または棒状)の素材ができる。もちろん量産のための装置ではないので、できた粘土材料をどう加工して造形するかがポイントとなる。成型機で作った素材から世界に一つの「作品」ができることを知ったのは大収穫。造形法にも何でもありと教えられると勇気がわく。・・ところで、”英語で陶芸を習いたい方”(@東京/日本人で英会話の勉強を兼ねて習いたい人も歓迎とのこと)は、先生のサイト=ここ=ご訪問を!
11月22日(土)  <いい夫婦とは・・・>
いい夫婦とはどんな夫婦をいうのだろう。11月22日の1122をもじって、今日は「いい夫婦の日」であるそうだ。夫婦の様相といっても多種多様・千差万別、しかも他人からはうかがい知れぬ。自分の本当の夫婦像を語ることができる人は希であろう。有名な評論家や偉人が実は奥さんの尻に敷かれていたという話はよくある。勿論、それが悪いことではない。人間の長所は見方が変われば短所となり、逆に短所は長所にもなる。お互いにいいところだけを見ているのが思いやり。お互いの信頼感が一番・・、そうした言葉上の理屈でいかないのが、また夫婦かも知れない。自分のことはさておくとして、お互いの苦労を助け合っている夫婦の姿が一番美しくみえる。
11月22日@神宮外苑の朝

11月23日(日)  <諸行無常・・・>
諸行無常・・生あるものは必ず滅び、何一つとして不変のものはない。”おごれる人も久しからず”で、ついには滅びる一方で、また新たなおごれる人も現れるのだろうか。世界的な金融危機のご時世に東京では少なくとも表面的には建築バブルが衰えることはなくみえる。我が家の近所でも数十軒が地上げされた後にマンションが建設されていたり、45階建ての超高層ビルが突如住宅の奥に姿を現したり、街の風景も”無常”である。今日、家から歩いていくことができる「奈良県代官山スタジオ」を訪れたところ、このスタジオも奈良県が今年限りで売却することを知った。今日みた催しは「奈良名陶探訪・東京展」。お目当ての東川(うのかわ)和正さんの天目陶芸(HP=ここ)をみたり、ご本人とお会いしたりして楽しんだ。このスタジオは奈良県の出張者の宿泊施設と東京での奈良に関する情報発信拠点とされているが、後一ヶ月でこの場所が他者の手に渡ると知って、付属している庭をゆっくり鑑賞させてもらった。300平方メートル程度の小さな庭園であるがこの近辺では庭のある施設は極めて希である、この庭も人手に渡ればマンションの一部に変わるかも知れない。来年には何に変わるか知れない庭には恐らくは最後となる紅葉・・。
2008-11-23@奈良県代官山スタジアム

11月24日(月)  <己の欲せざる所・・・>
「己の欲せざる所を人に施すことなかれ・・」。これは論語の一節であるが、聖書でも次のような言葉がある。”Doto others as you would have them do to you.(ルカ-6章)"=「あなたがしてもらいたいことを人にもしなさい」。・・こんな東西の名言に触れるだけで何かホッとするほどにマスコミのニュース報道がひどい。殺伐としているニュースは絶えないとしても、元厚生事務次官らを殺害した犯人の思うとおりに舞台を提供するのがマスコミ。犯罪者の勝手極まりない"言い分”をそのまま報道し、マスコミ各社に送りつけた”声明文”を全文紹介までする。朝日新聞やNHKが犯罪者が使う言葉を繰り返すことがどれほど社会に害悪をまき散らしていることか。「マスコミ公害」が指弾されない理由は害を垂れ流しているところが一つでないこと、"みんなで流せば怖くない"理屈だ。それと自分の害悪を糾弾する報道機関もない。マスコミの仲介により犯罪者が次の犯罪者を呼ぶ。マスコミ公害の検証が急がれるのでないか。大多数の正常な人が欲しないことをするのがマスコミとなってはならない。
「今日の作品」に「花器"Q2"(陶芸)」を掲載。花器の中に人形が入った。


11月25日(火)  <羞恥心・・・>
「羞恥心」が大晦日のNHK紅白歌合戦に出場することが決まった、と聞くと意味が分からないお父さんも多いに違いない。「羞恥心」はテレビのクイズ番組から生まれた男性3人の歌手ユニットの名前。羞=つるの、恥=野久保、心=上地、のメンバー3名ともに「おバカ」キャラを揃えた。やはり女性の「おバカ」が売りのアイドルトリオ(スザンヌ、里田、木下)Paboと「羞恥心」が一緒になって今回紅白に出場が決まったとのことである。・・紅白出場歌手決定のニュースから私もこんな知識を得る。「羞恥心」の言葉を改めてみると、Wikipediaでは「自らを恥ずかしいと感じる心」、「自我や自尊心の延長にある概念で、恥となる行動をしてしまった場合に感じるもの・・」、新明解(三省堂)では「みんなが恥ずかしいと思う事を、その人としても恥ずかしいと思う心情」などと説明されている。「羞恥心」というと萩原朔太郎(1886-1942、詩人、作家)の名言がある:「羞恥心は塩のようなものである。それは微妙な問題に味をつけ、情趣をひとしおに深くする」(虚妄の正義より)。このように羞恥心をキーワードとして国民性から人間性まで論ずることもできる。それにしても歌手ユニット「羞恥心」がおバカを売り物にして人気者になることができるのも何と平和でいい社会であることか・・。

11月26日(水)  <気合い・・・>
気合いは自分でコントロールできるのだろうか。久々に陶芸教室に行ってこんなことを考えた。陶芸といっても今日は粘土をいじるのでなく、既に素焼きが完成している土鍋に釉薬をかける予定であった。土鍋はある程度形が決まっているので、釉薬とか模様で自分らしさをだすのであるが、模様の準備(マスキングとか釉薬の種類を変える算段など)をはじめても、どうも調子が出ない。自分でこれは”気合いがない”と思って、冒頭の"気合い”を考えたのである。そこで分かったのは「自分らしさ」を表現しようとすると「気合い」が必要でないかということ。標準模様を描くのには気合いはなくてもよい。一方、上手く描こうとか、評価を得ようなどという意識があったり他の雑念があると「気合い」は空回りするようだ。結局、無心になって取り組まなければ本物の気合いは身から出てこないという結論になった。大袈裟なことを云わなくても、ただ気が乗らなかっただけかも知れない。雑念をなくすこともできない。それでも、改めて気合いを入れてやり直そうと、今日はやることを半ばにして引き返した。

11月27日(木)  <庭に寒椿・・・>
庭に寒椿が咲いていた。ほとんど陽が当たらない場所で寒椿は健気(けなげ)にも小さな枝に花を咲かせるが注意していないと花が咲いていることにも気がつかない。今日、寒椿の花と蕾を付けた枝を切り取り、自作の花器に活けると、とたんに部屋が明るくなった。一方、家の北側(共用の小スペース)には山茶花(サザンカ)の樹がある。寒椿と比べると山茶花の樹は格段に大きい。寒椿の花数は数えるほどしかないが、ここの山茶花は朝の陽光を1〜2時間浴びることができ、シーズンになるとたくさんの花を咲かせる。今でもざっとみて20〜30個の蕾をつけている。これからは山茶花が私の作った花器の主役となるだろう。こんなことを書きながら、私は花だけをみて寒椿と山茶花を区別する自信はない。花は名前を知らなくても美しいとしよう・・。「わが花器に 輝き新た 寒椿」

11月28日(金)  <インドのムンバイ・・・>
インドのムンバイで起きたテロ事件は発生から2日経ってようやく武装集団が鎮圧されつつある。この間、日本人を含む100人以上の死者がでる大惨事となった。日本人の犠牲者が液化ガスに関わる30代の青年と知って他人事とは思えぬ悲しみを覚える。ムンバイは1995年までは「ボンベイ」と呼ばれた世界有数の大都市である。私が40年近く前に初めての海外出張で降り立った地がボンベイであった。はじめはボンベイに宿泊する予定はなく、飛行機を乗り継ぎ北に400〜500km離れたアーメダバードまで行くことになっていたが、インドの国内線がストライキで運行しない。急遽、ただ一人でボンベイに宿泊する手続きをしたり、関係先に必死に連絡をとったりした。プラント建設の関係で以後数ヶ月インドに滞在したが、当時のインドの地方都市でもヒンズーとモスレム(イスラム教徒)の争いが絶えなかった。仲間と一度行ったことのある映画館は焼き討ちにあったし、列車でデリーに移動しようとすると駅では機関銃を持った兵士が警護していた。インドに滞在中私は幼い子供の写真を持ち歩いていたことを思い出す。・・今回のテロ事件も根はヒンズーとモスレムの対立。時が解決できない宗教間の争いをなくす知恵はないのか・・。
「今日の作品」に「深皿に山茶花」を掲載した。昨日話題とした「寒椿」に続けて今日は「山茶花(サザンカ)」を活けてみた(実は万両)。容器は前に制作した「トリック深皿」を使用


11月29日(土)  <次の常識・・・>
「次の常識:USBメモリによるパソコンソフト」。これは今日、新宿の家電量販店・ヨドバシで見た宣伝文句だ。確かに、キーボードの練習ソフト(特打)やオフィスのソフトなどがUSBメモリーで販売されている。CDドライブがないパソコンにもインストール可能というが何より小型で使い易い。別のパソコンコーナーではWacomのペンタブレットで”お絵かき”ソフトを実演させてもらった。数年前のWacomのペンタブレットを持っていたが今のペンは格段に進化している。パソコンやデジカメ、携帯電話などの変貌もめざましいが、掃除機、洗濯機、乾燥機、調理器具などの製品もまた2〜3年前と比べるとずいぶん変わってきている。一方、照明器具などのように十年一日で変化の見えないものもある。「今の常識」を得るにも、家電量販店をじっくり見て回ると面白い。
11月30日(日)  <妻を褒めてやりたい・・・>
「妻を褒めてやりたい」と言うことが許されれば言ってみたい。今日、妻が指揮する合唱のコンサートが無事終わった。ミサ曲とか聖歌の合唱曲がほとんどであったが、殺伐とした現実世界から突如として聖なる別世界に入り込んだ感触が新鮮に思えた。客席には女性客が目立ったが、「心が洗われる」音楽はむしろ日頃激務に従事している現役の男性たちに聞かせたい。比較的新しい曲として1947年生まれの作曲家、オルバン(ハンガリー人)のミサ曲を初めて聞いた。オルバンは来日して合唱指揮をするなど今も活躍中というが、知らないだけのいい曲は数知れぬと改めて思う。”褒めてやりたい”といっても何のサポートもできない自分は無力であるが大いに楽しむことはできた。
11月30日@カザルスホール

これまでの「今日のコラム」(最新版)に戻る

Menu  + Today  + Corgi  + Puppy  + Gallery +  Ebisu /Daikanyama  + Links