これまでの「今日のコラム」(2009年 1月分)

1月1日(木)   <賀状の挨拶に「(幸運を)お祈り・・・>
賀状の挨拶に「(幸運を)お祈りいたします」と書く。これは本音である。いくら努力しても最善を尽くしても、結果は神のみぞ知る。「祈る」以外に自分でできないことは多い。他力本願かも知れないが自力はたかが知れている。他力本願の本来的な意味である、親鸞が説くところの「阿弥陀如来の力=他力=によってなされた本当の願い」そのままに従うか、神でも仏でもGODでもよいから、幸運を祈るしかないのである。今日、元旦は早朝から祈り続けである。犬を連れて初日の出を拝む。朝食前には明治神宮に参拝と親戚へ挨拶。その後、墓参りA、墓参りBと墓参のハシゴ。この間に賀状をみたり返事を書いたり・・。犬の散歩を含めて全て妻と同行した元旦であった。今年も盛りだくさんの課題がありそうだ。他力本願といっても自分で可能なことは何でも行動する、考えられることは知恵を出す・・と人事を尽くす事がスタートでもある。忙しくても「心」を「亡ぼさぬ」ように自戒しよう。
「今日の作品」に「賀正(陶芸に飾り)」を掲載した。陶芸は2007年12月掲載(=ここ)のオブジェ台を使用。
  2009-01-01@明治神宮

1月2日(金)   <一年の計・・・>
「一年の計は元旦にあり」という。元旦は過ぎてしまったが年頭は計画を立てるチャンスである。秋になって収穫を期待するには田植えから始めなければならないように、結果を得るには前もって準備が必要である。。冒頭の言葉は更にスケール大きくした表現で古代中国の思想家、管子(=管仲、紀元前600年頃、孔子の一時代前)が残している。管子はいう:「一年の計は穀(こく)を樹(う)うるにしかず、十年の計は木を樹(う)うるにしかず、一生(終身)の計は人を樹(う)うるにしかず」。最後の終身の計(百年の計とされることもある)は人の教育とする見方は現代でも説得力がある。「一日の計は朝(あした)にあり」と時間を短縮される表現もあるが、いずれも「計」とは計画でなく「計画を見据えた行動」ととらえたい。・・ということはできるが、自分としては毎度計画なしの行動ばかりしている。いくら計画をしても、いくら先を読んでも、実行が伴わなければ意味がない。今年もまた”かっこいい”計画はないけれども、泥臭い実行は続けたい。
2009-01-02南天@小平にて

1月3日(土)   <九品仏阿弥陀堂・・・>
「九品仏阿弥陀堂」(水彩)を「今日の表紙作品」に掲載した。これは元旦に墓参りをしたときの絵である。九品仏は東京・世田谷にある浄土宗のお寺で正式には九品仏浄真寺という。本堂の対面に絵に描いた阿弥陀堂と同じお堂が3つ並んで建っており、それぞれに阿弥陀仏が3体おられるので合計9仏、九品仏の名となった。3つの阿弥陀堂は上品堂、中品堂、下品堂の名があり描いたのは上品(じょうぼん)の阿弥陀堂だ。上品の中に安置されている阿弥陀如来像3体は腹の前(膝の上)で手を組んでいる。これに対して中品では両手を胸の前に上げて手のひらを見せる、下品では右手を胸の前に上げて左手を膝の上に置いて手のひらを見せる。その上で各3体は上生(じょうしょう)、中生、下生と呼ばれる三種類の指の形(印の結び/親指との輪を人差し指か中指か薬指かで分類する)をとる。極楽浄土からお迎えにこられる阿弥陀さまも9種類のジェスチャーがある訳である(鎌倉の大仏は上品上生)。・・元旦の夕方訪れたときには阿弥陀堂の軒下が赤い夕焼け、葉が落ちた木々は静寂。冬のお寺もいいものであった。

1月4日(日)   <久しぶりに平城山を・・・>
久しぶりに平城山を歌った。妻の伴奏で歌を歌ったのは何年ぶりか。正月だからできるゆとりだ。「平城山」は「ならやま」と読む。昭和初期の歌で、作詞、北見志保子、作曲、平井康
三郎。知る人ぞ知る歌で現代でもよく歌われる(Webにて聴く事ができる、リンク例=ここ)。素朴で情緒ある歌なので私も以前から愛唱したものだが、これまで何となく歌っていた歌詞がドラマチックな内容があることを今回インターネットで初めて知った。作詞者の北見志保子(本名、川島朝野)は1885(明治18)年生まれの歌人。歌人(橋田東声)と結婚したが1922年(大正11/37歳)離婚。1924年末(大正13/約40歳)に東声の弟子で12歳年下の浜忠治郎と再婚した<年代については”昭和”とした解説もあるが定かではない>。離婚後、奈良に滞在し、フランス留学中であった恋人の浜忠治郎を思う気持ちが「平城山」の詩となったと言われる。歌詞を記す:(1)人恋ふは悲しきものと平城山(ならやま)にもとほり来つつ堪へがたかりき(2)古(いにし)へも夫(つま)に恋ひつつ越へしとふ平城山(ならやま)の路(みち)に涙おとしぬ。女性が恋人あるいは離れて住む夫(これを”つま”と読む)を恋うる詩であり、北見志保子は恋人と再婚後70歳で亡くなる(1955年/昭和30)まで詩人、歌人として活躍する。古(いにしえ)よりの女性の情熱や才能に驚くことは多いが北見志保子はこんな詩も残している:「とるに足らぬ自分の力量と思うけふほどの歎きは知らず春のひと日に」。
1月5日(月)   <デパートの売上げ・・・>
デパートの売上げが振るわないという。NHKニュースで昨年のデパートの売上げが初めてコンビニの売上げを下回る見込みと報じられていた。昨年一年間の全国コンビニの売上げ7.8兆円(12月を含めた概略推定)に対して、デパートの売上げ7.2兆円(同、前年の3.5%減)。まだデパートでこれほど売れるのかと思うが、デパートは12年連続の前年度を下回る売上げというから厳しい。私が子供の頃、デパートは特別な"ハレ”の場だった。デパートに行くだけで浮き浮きした。今はそれがない。考えてみると私はこの10年間、三越本店、高島屋本店、伊勢丹で買い物をした記憶がない(恵比寿ガーデンプレイスの三越では買い物をする)。ただし、展覧会には何度も行ったことはある。先月、庶民的な(?)京王デパートで靴を買ったがたいそう混雑していた。デパートにもいろいろある。これからは「通販」もまたデパートの強力な競合相手になるのではないか。私の場合、最近は通販の便利さ、安さに目覚めてしまった。実に迅速に家まで届けてくれるし、品質も特に問題はない(事前に商品の評判を確認もできる)。三越の包み紙を特上とするセンスは最早時代錯誤と認識しなければデパートは更に沈下しかねない。

1月6日(火)   <車椅子のアール・・・>
「車椅子のアール」(水彩)を今日の表紙に掲載した。新春に車椅子をつけたアールの絵を描いたものである。毎日、早朝と夕方の二回、この車椅子でアール(コーギー犬)の散歩に出かける。この犬用車椅子は倉敷在住の赤木さんの製作であるが(Webサイト=ここ=)、極めて"優れもの”で気に入っている。以前にもコラムで書いたことがあるが、コーギー仲間の紹介で赤木さんを知り、東京で開催された犬の車椅子大会でアールと一緒に赤木さんとお会いした上で注文したものである。思えばここに至るまでに色々と回り道をした。昨年5月に何も知らずにとにかくもアールの後ろ足をサポートする車を手作りした。このホームページのhomemade(=ここ 2008-5/3欄)に掲載した「犬用補助車」のゴツイ姿をいま見るのも恥ずかしい。結局、この補助車は使い物にならず、犬用のハーネスと呼ばれるサポート具があることを知り、これを購入した。ハーネスは後ろ足を人間が持ち上げてやる用具で、これを使って遠くまで散歩に行くことができるようになった。しかしながら使いはじめの頃には長い間手で持ち続けるため指に腱鞘炎を起こしたこともある。休む要領を覚えて問題はなくなったが腕に負担がかかることには変わりがない。今は車椅子になって腕もずいぶん楽になった。この犬用車椅子には絵に描いたようにサイドにかわいいバッグがついていてビニール袋やテイッシュペーパーを入れるのに便利だ。描くために車椅子の細部まで観察したが、見れば見るほどよくできている。製作者に感謝。

1月7日(水)   <馬頭観音・・・>
「馬頭観音」が町内(東京・渋谷)にある。夕方、犬を散歩させるときには、この馬頭観音のコースを通ることが多く、時にお参りをする。馬頭観音は”新富士坂”(側に広重が江戸名所百景の”目黒新富士”を描いたとされる場所があるための名)の途中にあるが、、この坂は観音坂とも呼ばれるようだ(最近は"ロビンズ通り”と勝手な名が付けられている)。これ以外に私に身近な都内だけでも数カ所の「馬頭観音」を知っているので「馬頭観音」とは何か調べてみた。馬頭観音は観音菩薩が形を変えた一つ。観音様が普通穏やかで優しい表情であるのに対して、馬頭観音は目尻を吊り上げ、髪を乱して牙をむく、”怒り”の形相であるのが特徴。頭上に白馬頭を戴き、馬が四方に駆け回って大馬力で活躍するがごとく、この観音様は猛烈な勢いで無智・煩悩を排除し、諸悪を撃退するという。剣や斧、棒などを持ち悪い奴らを馬のごとく食い尽くす、いわば実力派の頼りになる菩薩様か。・・我が町内の「馬頭観音」にはこんな説明がある:「縁起によると、享保四(1719)年。このあたりに悪病が流行し、これを心配した与右衛門という人が馬頭観音に祈って悪病を退散させました。その御礼に石で観音をつくり・・その後、このあたりに悪病は流行せず、住民は幸福に暮らしたとのことです」。
 
2009-01-07写真 @恵比寿ガーデンプレイス     @自然教育園(白金)  

1月8日(木)   <今年、生誕百年・・・>
今年、生誕百年を迎える作家として、NHKテレビで松本清張を特集していた。松本清張は1909年(明治42年)12月21日生まれ。1992年、82歳で亡くなるまで精力的に文筆活動を続けたので、私にも同時代の作家として親しい。初期の推理小説「点と線」や「ゼロの焦点」は私が高校、大学時代にベストセラーになった。ところが、同じ生誕百年の作家でも、中島敦や太宰治はもっと時代的に遠い人だと思っていた。私も大好きな名作「山月記」を著した中島敦は確かに1909年5月5日生まれ。だだし、1942年に33歳で病死している。太宰治は1909年6月19日生まれ。「斜陽」や「人間失格」など若い頃に読んだけれども、”過去の人”であった。太宰が玉川上水で愛人と入水心中して生涯を閉じたのは1948年、38歳だ。同じ1909年生まれでも同時代に生きた感覚があるか否かは大きく異なるものである。作家以外の1909年生まれを引き出してみよう。田中絹代(日本映画の大スター、67歳)、小森和子(映画評論家、小森のおばちゃま、95歳)、淀川長治(映画評論家、サヨナラおじさん、89歳)、水原茂(巨人軍名監督、73歳)<年齢は享年>。同年生まれでも人生いろいろ・・。

1月9日(金)   <額縁 for illusion・・・>
「額縁 for illusion」のタイトルで「今日の表紙」を改訂した。写真を見ると、どうみても中身の絵を見せるようにみえるが自分の「作品」としては絵に合わせて制作した「額縁」の方である。モンドリアン風の絵はニューヨークに住む娘からのプレゼントで、これが実に巧妙にできている錯覚絵画なのである。一見、廊下の奥の扉のように見える三カ所の長方形の部分が実は周囲よりも約50mmほど突き出している。つまり廊下や天井の境を稜線としてピラミッドのように手前に3つの山がある。これが錯覚により一度奥行きのある廊下のように認識すると目の左右の動きにつれて絵が動くという不思議な体験ができる(写真<静止画>では片目をつぶって目を左右に動かすと感覚がわかる)。昨年8月12日のコラム(=ここ)で紹介した「ドラゴン」に匹敵するような錯覚アートの名品である"三連廊下"に対して、気合いを入れて専用の額縁を作った。久々の工作作品であったが、フレームの太い木枠、絵の位置決め用の細木、塗料(カシュー塗装)など一切は手持ちの材料で間に合った。この額縁付き錯覚アートは今我が家の居間の壁面を飾っている。


1月10日(土)   <ソーサーが必要か・・・>
ソーサーが必要か迷っている。陶芸でスープ皿をプレゼント用に作ろうと計画しているのだが、両側に取っ手があるスープ皿にはソーサーが付くケースが多い。saucerを辞書で引くと「受け皿、台皿」の訳と語源として「中期フランス語で”ソース入れ”の意」とあった。そもそも「ソーサー」はいかなる目的のものか。コーヒーカップにもソーサーが付く。普通はソーサーがなければスプーンをテーブルの上に置くことになるのでソーサーはスプーン置きとして便利ではある。ところがソーサーの発端は18世紀頃の英国で「熱い飲み物を皿に入れて冷やして飲むため」であったという。現在のソーサーよりも深い”ソース入れ”を使ったとしても行儀悪いその習慣は廃れてソーサーだけ残ったのだろう。スープ皿の場合、両側に取っ手があるものはスプーンを使った後に皿を手に持って直接スープを飲むことがあるので、スプーンを置くためにソーサーが有用なのは分かる。けれども家庭ではソーサーを付けないことも多い。我が家ではお客様のときは別としてコーヒーを飲むときにもソーサーを使わないことがある。ソーサーをお客様用だけとするのはもったいない。結論としてソーサー専用の皿でなく、単体でも使用できる皿をソーサーとしても使えるようにするのがよさそうである。ただし、実際にどうするか、まだ決めかねている。
1月11日(日)   <3つのボトル・・・>
「3つのボトル(水彩)」を「今日の表紙作品」に掲載した。はじめに中央の変形ボトルを描こうと思ったのだが、かなり昔にこのボトルを描いた事を思い出した(このホームページの絵はがきパートに掲載あり=ここ=、何と1995年に描いている、懐かしい!!)。そこで新たに二本のボトルを並べて描いたのが今回の絵である。経緯からみるように中央のボトルには中身はないが、瓶の形が面白いので保存をしてきたもの。このボトルは、LaFiole du Pape(法王の小瓶)の名で赤ワインが入っていた。フランス・ローヌ地方の南(プロヴァンスに近い)、シャトーヌフ・デュ・パプのペール・アンセルム(PereAnselme)というワインだ。左のボトルはコニャックの瓶でCAMUSのXOである。コニャックはフランスのコニャック地方のブランデーの総称であり、熟成の度合いによって、VSOP、XO、EXTRA、NAPOLEONなど等級がつけられる。ちなみに、ワインが醸造酒なのに対して、ブランデーはワインを蒸留した蒸留酒(日本酒と焼酎の関係)である。絵の右のボトルはジェイ・ラサール(J.LASSALLE)というフランスのシャンパンの瓶だ。シャンパンとは厳密には「フランスのシャンパーニュ地方の発泡酒」のことであるので”フランスの”と断ることはないのかも知れない。3本のボトルの中身はたまたま違う種の酒となった。次にはナポレオンとVSPOなどブランデーボトルを並べて描くのも面白そうだ。

1月12日(月)   <世界的な金融危機・・・>
世界的な金融危機の影響で思わぬところでの経営破綻が連日報じられる。米国では昨年末に大手新聞社のトリビューン社(シカゴ・トリビューン、ロスアンゼルス・タイムズを発行)が破産申請、先日は英国の高級陶磁器メーカーのウェッジウッドの経営行き詰まり、続いてドイツの高級食器メーカー、ローゼンタールの破産申請、ドイツで「メルクル帝国」と称せられるグループ(製薬会社やセメント会社など)のオーナーである大富豪、メルクル氏(資産9000億円とか)が業績悪化を苦に自殺したとの報まである。今日のニュースでは韓国の自動車大手メーカー、双竜自動車が会社更生法手続き(相当)を申請した。日本でもあのトヨタが赤字になるくらいであるから今年は各企業にとって予断を許さない厳しい状況であろう。ところが、米国と違って新聞やテレビなどマスコミ自身には一向に不況感がないのが不思議でならない。新聞の発行部数が激減した話はないし、毎日沢山の広告が掲載される。テレビのコマーシャルも相変わらずでスポンサー様は健在にみえる。いまや社会的に大権力を所有する(つまり世論を左右する力を行使する)朝日新聞は創業より延々と120年も続いている。日本ではどのような大メーカー、大銀行であろうが、生き続けるためには合併など変革と脱皮の繰り返しであるのに・・。新聞、テレビが”ゆうゆうと”続いているのは暴利を貪っているためか既得権の力か。どんなに不景気でも広告をする企業が絶えないのは宣伝効果があるからで、結局は宣伝に従ってお金を使う人がマスコミを育てていることになる。くだらないと思う番組のスポンサーである酒は買わないとか、アノ新聞に広告している本は買わないとか、消費者の意思を伝える手立てはないものだろうか・・。

1月13日(火)   <みんな違って みんないい・・・>
”みんな違って みんないい”・・金子みすずの詩「私と小鳥と鈴」のこんな言葉が思い浮かんだ(詩=ここ=参照)。今日は半日かけて家で放置されていた陶芸用の古い粘土を種類別に整理して再生した。"古い粘土”と書いたが、保存していた削りかすやガチガチに固まったブロックを細かく砕いて粉とした後、水を加えて元の粘土として再生するので非常に手間のかかる仕事だった。黒っぽい黒泥土、鉄分を含む赤黄色の赤土、白系統の貫入土などそれぞれに以前制作した作品を思い出しながら再生作業を続けているうちに、それぞれの粘土は異なる特徴があるけれど、どれが優れているとか劣っているとかはなく、つくづく”みんないい”と思ったのである。「土」が、”みんな違って みんないい”のは粘土に限らず、国土も領土も土地も同じだろうか。ところが粘土には更にいいところがある。それは違う種類のものを混ぜた"ブレンド粘土”でも十分に面白い作品ができるのである。違いがあっても一緒になっても”みんないい”。

1月14日(水)   <成田山新勝寺・・・>
成田山新勝寺というと初詣の人の数が全国トップクラスで話題になる。境内から初日の出を拝むこともできると人気があるようだが、今日参拝した時は夕焼けが美しかった(下に「今日の写真」掲載)。千葉県成田市のこの寺は昨年、開基1070年を迎えた真言宗の寺。久しぶりに訪れた「成田山」は寺全体がやる気を持って活動している雰囲気がある(寺のホームページ=ここ=毎日更新される)。真言宗(空海の真言密教の流れ)の教義は「即身成仏」と「密厳国土」であり、本尊は「大日如来」と解説にはある。実態は分からないけれども、寺の至る所に密教的な面影が漂うので興味深い。この寺で楽しいのは賑やかな門前町だ。参道で創業100年以上との名物店「米谷(よねや)総本店」で栗羊羹(ようかん)を土産に買って帰った。
2009年1月14日@成田山新勝寺
1月15日(木)   <連敗の不思議・・・>
連敗の不思議を考えさせられる。大相撲で新大関の日馬富士(はるまふじ/読みにくい名前だ、前の”安馬”の方が親しみやすい)が昨日まで初日から4連敗である。大関の力からみると4連敗はあり得ないが、悪い方に転がり始めると止められない不思議な現象にみえる。心理的な分析はいくらでもできるだろうが、心の持ち方で勝てるのなら本人も苦労しない。「連敗」というと史上最強の横綱といわれる双葉山もこの"不思議な現象”を体験している。双葉山(1912〜1968)の不滅の大記録69連勝は1936年から1939年にかけて達成されている(当時は年2場所、それも一場所の日数は11日か13日だった)が、1939年の1月場所4日目に安藝ノ海に敗れて70連勝ならず。その後、5日目に両国に負け、6日目には鹿島洋(かしまなだ)に負けるという信じられない連敗を喫している。あの双葉山でさえ69連勝の後に3連敗したといって、日馬富士を励ましたいと思っていたら、今日5日目は初白星となった。これからは連勝を期待しよう。

1月16日(金)   <三宝寺池・・・>
三宝寺池を訪れた。他の用事のついでに時間を割いて立ち寄ったのであるが、私自身、思わぬ感慨にふけることとなった。三宝寺池は東京・練馬区の石神井公園内にある池である。石神井公園には石神井池と三宝寺池があり一週間ほど前には池に白鳥が4羽飛来したというので全国的なニュースにもなった。石神井公園とか三宝寺池は私が昔通った高等学校の側にあり、その頃時々は訪れたことのある親しい場所だった。ところが今日三宝寺池の湖畔に立って見渡すと趣のある美しい景色が昔の記憶と全くつながらない。そこで改めて考えてみると、この池に来たのは50年ぶり、実に半世紀が経過している。公園の周囲には今住居が密集しているが当時は畑ばかりであった。しかし、逆に現在、池周辺の緑の多さには別世界を感じる。公園内には鎌倉時代中期の城跡・石神井城趾もある。時と共に変わるものと変わらないものがある中で、人の経験する半世紀などほんの微々たる時間に思えてきた。
2009年1月16日@三宝寺池

1月17日(土)   <サレンバーガー機長・・・>
サレンバーガー機長の名をいつまでも記憶しておきたい。昨日(現地時間15日)、米国ニューヨークのラガーデイァ空港を離陸した直後のUSエアウェイズ機が両側のエンジンが停止した(エンジンが鳥を吸い込む"バードストライク”とみられる)ためハドソン川に緊急不時着して乗客・乗員155人全員が無事救助されたというニュースは奇跡としか思えない。この奇跡を呼んだのがサレンバーガー機長(Sullenberger、57歳)。トラブル発生から川に着水を決断して実行するまで数分間にベテラン機長は頭の中でどんなことを考えたのだろう。エンジンの推力はゼロ、速度は、高度は、空港まで引き返せるか、不時着する場所はあるか、間違えても人口密集地帯を避けなければならない、ハドソン川でもどの位置か、船の航行はないか、着水の姿勢は・・、全てを瞬時に判断し実行しなければならない。私は以前ハドソン川で観光船に乗って見学したことがあるが着水した午後3時頃と言えば水上交通も盛んであるし上流にはジョージワシントン橋という橋もある。ハドソン川の河畔にはマンハッタンの高層ビルがそびえている。それらを完璧に避けて着水し、しかも着水後直ちには沈まない姿勢を保った。サレンバーガー機長は全員が脱出したか確認するため機内を二度くまなく見て回り最後に避難したという(着水から1時間後には機体は川底に沈んだ)。一人の沈着冷静な人間が誰に相談することもなく実行し多くの人の命を救うことができた。日頃見聞きする実行を伴わない論評の数々が何とむなしくみえることか。この奇跡が何より眩しく、うれしい。

1月18日(日)   <鳥黐(とりもち)・・・>
「鳥黐(とりもち)」の漢字を今になって初めて知った。都会の子供は「鳥もち」といっても馴染みがないかも知れないが、私は田舎で育ったので「鳥もち」は子供頃の遊び道具の一つだった。辞書を引くと「小鳥・昆虫などを捕らえるにのに使う、粘る物質。モチノキなどの皮からとる。」(新明解・三省堂)とある。木の枝に「鳥もち」を塗っておいたり、「もちざお(=黐竿)」と呼ぶ長い竿の先に塗って獲物を捕らえるのである。私は長年「とりもち」の「もち」はネバネバする「お餅」のことと思っていたが、「」という難しい字を書く。この字を覚えたのは、実は近所の公園で今真っ盛りに赤い実をつけている「クロガネモチ」の木を見たからである。「クロガネモチ」を漢字で「黒鉄黐」と書く。この「モチ」が「鳥もち」の材料であり語源でもあるのは今更ながら驚きだった。
クロガネモチ・2009-01-18@西郷山公園/目黒区

1月19日(月)   <今日のアウトプット・・・>
今日のアウトプットを目に見える形で残したい・・と書き出して、「アウトプット」とはまたいつまでもサラリーマン的な用語を使うと反省する。アウトプットは計算機などではインプットに対して出てくるデーターであり、機械や電気では出力、工場などでは生産高、そして”アウトプットをだせ”というケースは、"成果”の意であろう。今日は”目に見える成果”を作りたいと思ったまでである。今日の表紙に掲載した「ブランデーボトル(水彩)」が、その成果である。前回の水彩画に続いてブランデーのボトルを二つ並べて描いた。左側がレミーマルタン(REMYMARTIN・SUPERIEUR)、右側がシャボー・ナポレオン(Chabot・NAPOLEON)であるが、この際中身は関心事ではなく、それぞれに瓶の形が面白いと思った。描いているうちに、二個のボトルだけではさびしいので葡萄を入れて遊んだ。今日は水彩画以外に家で粘土のカップも制作したが、陶芸では焼成時間がかかるため"見えるアウトプット”は一週間以上先になる。その点、絵画は描けば直ちに成果が見えるところがいい。「ブランデーボトル」の絵を仕上げて、早速に裏に日付を書き入れた。そして更に「誕生日に描く」とメモ。そう、この絵は自分の誕生日記念としたのである。


1月20日(火)   <キング牧師・・・>
キング牧師の記念日が祝日となっていることは日本では余り知られていない。米国では1月19日(日本時間では今日、20日)がキング牧師の栄誉を讃える休日である。キング牧師は1929年1月15日生まれで誕生日に近い1月の第三月曜日が「キングの日」の祝日とされたという(レーガン政権下の1986年に制定)。キング牧師は1964年に制定された公民権法(法のもとでの人種差別撤廃)の礎を作った公民権運動の指導者として知られる。人種差別の撤廃を徹底した非暴力主義をかかげて活動して、1964年にはノーベル平和賞を受賞したが、1968年遊説中に暗殺された。この祝日の翌日、1月20日、米国は歴史的な日を迎えようとして興奮している。この日にはオバマ新大統領の就任式が行われる。キング牧師は「I have a dream.(私には夢がある)」という有名なスピーチを残した。オバマ大統領がどのような就任演説を行うか。注目の演説が数時間後に迫っている(就任式開始は日本時間で21日am1:30)。

1月21日(水)   <今日は歴史的な日・・・>
今日は歴史的な日であった。日本時間の今日の未明(米国時間20日)に米国で史上初めて黒人のオバマ大統領(1961年生まれ、47歳)が誕生。注目されたオバマ新大統領の就任演説は派手さはないが、やはり心に残る名演説だった。はったりではなく自分の信念で語る言葉には説得力がある。つくづく今は新しい時代だと思うのは、オバマ大統領の就任式や演説の様子を知るにはテレビや新聞よりもインターネットの方がはるかに"生”の姿に接することができるところである。You Tubeで動画と共に演説を聞くことができる(=ここ)し、これを英文の演説(例=ここ)と比較して見ることもできる。和訳された演説(例=ここ)を見るのも容易であり、じっくり読んでみると、あらためて感動を覚える。オバマ氏自身がインターネットを媒体とした強力な支持があったから大統領選挙に勝利したとの見方もあるが、ツール(道具)が変わると政治も変わる。・・では日本で若い政治リーダーがでないのはツールが古すぎるのか、人の問題か・・、さびしいことである。
1月22日(木)   <ケータイに今更感心・・・>
ケータイに今更感心していると笑われるかも知れないが、最近自分の携帯を持つこととなり機能を一つ一つ確認してみると、これはもう「携帯電話」の範疇を超えつつある。移動型コンピューター(モバイルコンピューター)とケータイとの境界がなくなってきているように見える。私はハンデイ型のGPS(全地球測位システム)を持っているのでGPSを使って位置を確認したり場所を探したりすることがあるが、今やケイタイで同じようなナビウオークができるのにも感心した。駅の改札をケイタイで通過したり、ケータイでショッピングする姿は珍しくなくなったが、私のケータイもこれができる。モバイル辞書も便利な機能だ。電話やメールはアメリカなど海外でも使用できるのもいい。といっても、まだまだ進化の余地もありそうだ。数年後にどのような姿をみせるか楽しみである。その時にはもはや「携帯電話」でなく「ケータイ」か「モバイル」か・・。
1月23日(金)   <H2Aロケット打ち上げ成功・・・>
「H2Aロケット打ち上げ成功」。暗いニュースばかり続いていた昨今、久しぶりに明るいニュースとなった。H2Aは今回で9回連続して打ち上げに成功した。今日の午後0時54分に打ち上げられた衛星は、日本的なネーミングと合わせて、日本の地道な活動の象徴にみえる。メインの衛星「いぶき」は環境調査が主目的で上空の56000ポイントで二酸化炭素とメタンの観測をするという。今回の打ち上げには他に超小型衛星7基が含まれているところがユニークだ。「まいど1号(東大阪宇宙開発協同組合製)」は中小企業の人づくりの動機から参加したとか。市民のサポーター2600余の名前を刻んだプレートを付けた衛星は、1日地球を15周しながら雷の観測データを送る。その他、東京都立産業技術高専製の衛星「輝汐(きせき)/レーザー推進実験」、難病や障害がある子と家族の支援に取り組んでいる情報システム会社、ソフラン製の衛星「かがやき/オーロラ観測」、更に、「KUKAI/衛星をひもでつなぐ実験>(香川大製)、「ひとみ/伸展式望遠鏡撮影(東京大製)」「雷神/大気発光現象観測(東北大製)」、「SDS-1/新型通信実証(宇宙機構製)」の計七つの小型衛星の製作者は公募により選ばれ(宇宙機構分は除く)、打ち上げ費用は無料だ。”ロボコン”と同じ感覚で学生が人工衛星の製作に関わっている。マスコミはこのニュースをもっと大きく取り上げてもいいのでないか。

1月24日(土)   <梅屋敷の街で見た梅・・・>
梅屋敷の街で見た梅を「今日の写真」(下)に掲載した。「梅屋敷」は東京・大田区の京浜急行の駅名でもあり駅から活気ある梅屋敷商店街が連なっている。近所には「あやめ橋」の地名もある。あやめは見かけないが名前だけでもホッとする。街の名前や地名にも栄枯盛衰があり、昔からの歴史ある名前が変わってガッカリする事も多い。大森区と蒲田区が合併して大田区となったり、立川と国分寺の間の地名を国立としたというのは、苦肉の策だと同情はできる。けれども、一時役所の安易な名称統一の方針か、街に東西南北をつけて済ましたのは気に入らない。何か由緒ありげな「田無市」は「西東京市」になった。「西東京」では土地に全く愛着がわかない。私の家の住所も以前、原町(江戸の外れで狐の遊んだ原っぱか)だったのが、○○南となったし、同じ区内の伊達町であった住所も味気ない名称に変更された。「梅屋敷」の名前がなくならないことを祈ろう。
2009年1月24日@梅屋敷/東京

1月25日(日)   <尺八の生の音・・・>
尺八の生の音を聴くチャンスがあった。尺八を習い始めて数ヶ月という初心者が吹いたので演奏というほどのものではなかったが、その音色には魅せられてしまった。そこに集まっていた仲間が尺八を借りて自分も音だしをやろうとしたが、だれも音らしきものも出せない。吹奏楽をやったことのある人とか、フルートを吹く人も音がだせなかった。それが一音でも人の心を落ち着かせる不思議な音色(おんしょく)となる。そして音色とともに、誰でも容易に音がだせないところも魅力的に思えてきて、インターネットで「尺八」を調べ始めた。尺八は標準の管長が一尺八寸(54.5cm)であることから名がついたとの基本知識から、尺八の作り方、音の出し方まで、例によってインターネットは何でも教えてくれる。同じ尺八でも演奏する人によって違う音色がでるとか、尺八の音はその人の境地を表すなどと解説されていると、”よし、一つ新しい趣味に尺八を取り入れようか”と心が動く。世の中には誘惑の種は尽きない・・。

1月26日(月)   <全ての時間を自由に・・・>
全ての時間を自由に使える人は希であろう。社会の中で生活する以上、他人(伴侶や家族も含めて)との兼ね合いで時間の使い方は左右される。私自身の価値観から言えば我欲でなく自分の時間を他人のために使う人を尊敬するが、自分ではなかなか真似できるものではない。私など周囲から見るとかなり好き勝手に時間を使っていると思われるに違いない。「待ち時間」とか「待機時間」が至る所にあるが、こうした時間も大抵は退屈することがない。その場所の風景、施設、働く人などを細かく観察していると色々な発見があり時間を忘れる。毎週決まった場所で待つ時間がある場合は、陶芸や絵画の制作プランを練っていると待たされると思わなくなる。更に時間がある場合はスケッチブックを持って行けば充実した”待ち時間”が過ごせる。「今日の絵」に掲載した「マイ・バッグ」(鉛筆)はスケッチブックを持っていなかったので「メモ用紙」に描いた。30分ほどの時間で何を描こうかと周囲を見回して、結局自分のバッグを描いた。毎日犬の散歩の時や外出の際に必ず持参する愛用のバッグである。こうした時間を自分のものにする術はあるが、やはり本当はもっと他人のためになることに時間を使いたいという気持ちは強い。


1月27日(火)   <立方体フレーム・・・>
「立方体フレーム(陶芸)」を今日の表紙に掲載した。今年初めての新しい陶芸作品だ。昨年末に素焼きが完了していたものを今年になって釉薬をかけ、今日ようやく完成をみた。大きさは一辺が22cmほどの立方体のフレームであるが、実物は思ったより存在感がある。メインの骨の中心に全て穴を貫通させているのはデザイン以外に焼成時の空気抜きの意味もある。そのためか破損や割れ、そして変形もなく完璧に焼成できた。ジャングルジム的構造であり、棒状の中央部には小穴があけてあるので、小穴に針金を通すと一面が4個の正方形であるところが、16個の網の目を作ることもできる(8個の立方体を64個にできる)。ところで「立方体フレーム」とは何に使うの?と問われれば、用途はこれから考えます・・。毎度の事ながら”用途開発”の楽しみはこれからである。

 1月28日分

1月28日(水)   <戦艦武蔵・・・>
「戦艦武蔵(吉村昭著)」を読み始めたら止まらなくなった。たまたま待合室に置いてあった文庫本を手に取ったのである。私は昔(30年ほど前)吉村昭のこの名著を読んだ記憶があるが、感情的にならずドキュメンタリー風に淡々と語られる内容には今読んでも考えさせられるところが多い。呉海軍工廠で製造された戦艦「大和」(起工1937年、進水1940年、撃沈1945年)と長崎造船所(三菱重工)で製造された戦艦「武蔵」(起工1938年、進水1940年<完成1942>、撃沈1944年)は共に当時の世界最大級の艦船であったが太平洋戦争末期に航空機による猛攻撃を受けて撃沈されるという”悲劇の巨艦”となった。海戦の主力は艦艇から航空機に移行していたのに、従来の巨艦巨砲主義に固執したリーダーの先見性のなさが後世指摘される「大和」・「武蔵」であるが、技術革新を取り入れなければあっという間に敗れるのはいつの時代でも同じだ。それにしても、いくら戦時下とは言え、人間はとんでもないものを作るし、大勢の人が必死で取り組む行為が何かむなしい。戦いのためでなく共存のために人の知恵とエネルギーを結集する訳にいかぬものか。製造当時極秘とされた戦艦「武蔵」の仕様:全長263m、全幅38.9m、乗員3300名・・。今なお南方の海底に沈んでいる。
「今日の表紙」に「立方体フレーム2」掲載。


1月29日(木)   <久しぶりに腕時計・・・>
久しぶりに腕時計をして外出したら電池が切れて止まっていた。腕時計はあるけれど、いまや全く必要性がなくなったと言ってもよい。ケイタイを持っていると時間は正確に分かる。けれども腕に高級な機能を装着する快感は捨てがたい。腕時計再生の道はないだろうか。時計以外の機能を付加するとすれば、やはり通信、電話、GPSによる位置機能、身体機能などか。人の考えることは同じで、数年前から実際に腕時計型携帯電話など製品は発表されているが、まだまだ普及しない(高価であることが一因か)。この分野では以前から韓国が先端を切っているように見える。今年になって韓国のLG電子が新型の腕時計型携帯電話端末を発表したとのニュースがあった。この内容は詳しく知らないが、私が商品開発をするならば携帯電話の相手は登録した9件(例えばボタン9個として)などに限定した安価腕時計型携帯を提案したい。これにGPSの位置機能を付けて家族、親子で持てば”腕時計”は見直しされる。女性用の小型腕時計でも通話相手を限定すればケイタイにできるのでないか。・・こんな夢を語っていると数年後には実現してくれるだろう・・。

1月30日(金)   <袖振り合うも他生の縁・・・>
「袖振り合うも他生の縁」の言葉の入った歌が朝のNHK-TVの連ドラで流れている。いうまでもなく、「袖が触れ合うようなちょっとしたつながりも前世からの深い縁」といった仏教思想からきた言葉である。「他生の縁」(仏教では何度も生まれ変わる意味で”多生”を使うこともあるようだ)は発音からは「多少の縁」と聞こえるので誤解されることもあるようだ。私は「前世の因縁」といった考え方は余り好きではなく、むしろ”軽い”縁の方を好む。前世とか生まれ変わりと言わなくても、”縁は異なもの不思議なもの”である。人間が生を受けている間に、お互いに話をしたり、顔を合わせたり、メールを交換したりする人の数はほんの一部。これは正に縁であろう。ところが人は同時代の人でない先人にも多く影響を受ける。すでにこの世にいない人の名著、名演奏、名作に感化されるのが人間である。逆に現代に生きる人が後世に影響を及ぼすこともまた多いであろう。つまり「縁」は現世に限らず人と人とはつながっている。因果応報ではなく前世との通信としての「縁」を信じたい。
「今日の表紙」に「立方体フレーム3(陶芸)」を掲載。飾り物を変えた。


1月31日(土)   <コツをつかむ・・・>
「コツをつかむ」という。「料理のコツ」、「仕事のコツ」、「教えるコツ」、「運転のコツ」、「演奏のコツ」など何についてもコツをつかむことが熟達の基本だ。「物事をうまくやる上で外してはならない大事な点」(=新明解・三省堂)が「コツ」であるが、この「コツ」とは「骨」からきた言葉である。骨(ほね)のように芯となった”かなめ”の意である。確かに「骨(ほね)」は重要であると同時に非常にデリケートだ。骨は身体を支える基本であるが表面には見えない。筋肉が動作を支配しているように見えても本元は「骨」で決まる。しかしながら、骨が基本であることは分かるが肝心の「骨」そのものが十分に解明されている訳ではない。例えば骨盤のゆがみとか腰痛に対してさえ現代医学はまだまだ未解決にみえる。ところで何を言いたいのか。そう・・、骨(ほね)そのものについて見解の分かれた議論がある中で、「コツ」をつかんだようでも、もしかすると別の「コツ」があるのではないか。「コツ」とは永遠の真理ではない。「骨(ほね)」が徐々に解明が進むのに合わせて「コツ」も変革が必要だろう。

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