これまでの「今日のコラム」(2009年 6月分)

6月1日(月)   <認知科学という学問・・・>
認知科学という学問は非常に面白そうだ。「”わざ”から知る」(生田久美子著、認知科学選書/東京大学出版会)という本を再読し始めて、改めてそう思った。認知科学というのは従来の哲学、心理学、言語学、人類学、人工知能など細分化されていた学問を心と知能という切り口で横断的に研究する。この本では、「わざ」を習得するプロセスで「身体全体で覚えていく分かり方」を身体と心を区別せずに(自分が生きていく上での=生活に密着した)一つの認識の表現としてとらえるとか、身体全体で知識を獲得するなど示唆に富む説明がうれしい。ところで、この本は以前、息子が私に貸してくれた本である。息子はアフォーダンス(知覚心理学の新概念)とか認知科学を勉強していてこの種の本をたくさん持っていた。本の中にアンダーラインを引いたりメモ書きがあるのに出会うといささか胸が詰まる。
「今日の表紙」には「球体X」(陶芸/再生分)を掲載した。いま陶芸教室では大作に取り組んでいるので完成するにはまだ一月以上かかる。その間、以前制作した小物作品で表面の釉薬仕上げが気に入らないものを再生している。これは2003年9月に制作した直径40mmほどの球体(globeの名で掲載=ここ)に釉薬を追加して家の窯で焼成し直したものである。


6月2日(火)   <中米エルサルバドル・・・>
中米エルサルバドルに同国史上初の左派大統領が昨日就任した。私は46年前にエルサルバドルを訪問したことがあるので直ぐにこのニュースが目に付いた。ニカラグア、グアテマラ、ホンジュラス、コスタ・リカなど小国が連なる中米の中でもエルサルバドルは最小国である(その中でも唯一太平洋=日本側=にのみ面している)。そんなエルサルバドルは国としては小さくても世界の中で活躍する日本に非常に親しみを持っていた。46年前に学生の交流を図ろうとエルサルバドルが招いた日本の学生の一団に参加したのである。この時にエルサルバドルでもグアテマラでも、一番印象に残ったのは大きな貧富の差であった。当時、エルサルバドルの産業は、アメリカン・フルーツ・カンパニーといった米国系の会社が牛耳っていた(社名は正確ではないかも知れないが中米全体も同じ)。働くものは奴隷のように見えた。私たちが訪問した以降エルサルバドルは隣国ホンジュラスと戦争、その後小さな国の中で長期の内戦が続く。国民にとっては生きるか死ぬかの戦いの半世紀だっただろう。今回の新大統領は「貧困層や弱者のために尽力する」と就任演説で約束。またクリントン米国務長官など来賓の前で「変革はいま始まる」と明言したと報じられている。左派とか右派とは関係なく、自由な選挙ができる環境、独裁でない国家、そして情報が自由に得られる国は世界中で見るとそれほど容易に成立できるものではない。しばらくはエルサルバドルの変革を注視しよう。
6月3日(水)   <法律は恐ろしい・・・>
法律は恐ろしい。正確に言うと、法律を盾にして権力を行使する警察というところは恐ろしい。タレントの原田伸郎さん(57歳)がテレビ番組で銃を手にとって「重たいものですね」と感想を述べた。その間、6秒間。それを見た滋賀県警が「不法に猟銃を所持した」として銃刀法違反の疑いでテレビ局を捜査し、原田さんからも事情聴取していることがニュースで報じられている。法律というのはいったん出来上がってしまうと拡大解釈によって法律を作成した当初の趣旨から逸脱して警察権力が横行するという恐ろしい側面を持つ。つい先日、SMAPの草なぎさんが泥酔して夜中に公園で裸になったところを逮捕された上に家宅捜査まで受けた事件は記憶に新しい。清廉な政治家、有能な若手事業家、そして善良な庶民、誰でもが法律の名の下に逮捕される可能性を持っていることを知らなければならない。○○容疑で警察が逮捕となると、不思議なことにマスコミはその瞬間から逮捕された方を悪者として「不当逮捕」の視点は影を潜める。そこが法律に従ってというところの恐ろしさでもある。歩道での信号無視を理由に全ての行動について尋問を受けるような無謀を誰が監視するのか・・。
「 今日の表紙」に「メビウスの輪2(陶芸)」を掲載した。前回に続き、以前制作した作品の再生品。溝部分に釉薬を追加して再焼成したら全体の色艶も鮮やかになった。以前の作品は2004年3月分(=ここ)。


6月4日(木)   <今日の初体験・・・>
今日の初体験は「モカウェア」。「モカウェア」とは18世紀末にイギリスで盛んに行われたとされる陶芸技法の一つで、樹木やシダに似た模様(=現代ではフラクタル模様ともいえる)を描く方法。技法としてはそれほど珍しくも難しくもないが私は今日初めて経験した。陶芸作品としての完成はまだ先になるが、模様の出方が実に面白くて感激した。ステップとしては先ず「モカテイ」と呼ぶ「たばこ液」を準備する。これはたばこをほぐしたところに水を加えて煮詰めて作った液。これに陶芸の色付けに使用する材料を加えて色づけ液を作る。私は海碧(かいへき)という青い粉を更に細かく練り上げた後にたばこ液を加えて準備した。そこで模様を付けたい作品(粘土であらかじめ制作しておいたもの)にたっぷりと白化粧をして、濡れた化粧の上に素早く準備した液を垂らすと・・樹木状の模様が出来上がってくる。水分を含んだ化粧土にたばこ成分の浸透力が作用して細かな模様が自然と浮き上がる様はドラマチックである。ニコチン成分が働くのか、浸透する理屈については不勉強であるが、微細な結晶の成長に自然の不思議を感じる(類似のリンク=ここ=私の実物写真を見せられなくて残念)。なお、モカと言えばモカコーヒーが有名であるが、「モカ」はアラビア半島の南西端(紅海の最南端)の港町の名前(国はイエメン)で昔はコーヒーの積み出し港として栄えた。「モカウェア」もやはりモカ港から積み出されたモカストーン(石英)に似ているとして名付けられたという。
6月5日(金)   <本物を見て親しむ・・・>
本物を見て親しむこと、骨董品の見極めにはこれが基本であるという。骨董品だけでなく、絵画、音楽その他なんでも、本当にいいものに親しんでいると目が肥える(or,耳や舌も肥える)。「百聞は一見に如かず」の通り、確かに話を聞くよりも現実に目で見る力は大きい。しかし、一方で眼力を信用し過ぎてはいけない。目で見たからと言って本当に見ているかどうかは怪しいのだ。例えば絵画展で一つの絵を何秒みているか。3分間、5分間集中して一つの絵を見ると色々な発見がある。30分も見ていると初めに気がつかなかったことに圧倒されることもある。「絵画展に行ってきました」というのと「絵画を鑑賞する」あるいは「絵画に感動する」のとは違う。・・前置きが大変長くなってしまった。今日、国立博物館で開催中の「国宝・阿修羅展」に行こうと思っていたが中止した。”平日でも40〜50分入場待ち(最大で70〜130分待ち)”など大混雑の情報ばかりある。しかも会期はあと三日、今日は平日の最終日。阿修羅像の「本物」に是非お目にかかりたいという希望はあきらめざるを得なかった。とても「鑑賞して感動する」ゆとりはないと思ったのである。本物を見ないと言うことは、逆に夢が継続することだと負け惜しみをいう。いつの日にか奈良の興福寺にでかけてお寺に御座す(おわします)阿修羅像をじっくりと見てみたい・・。
6月6日(土)   <いつもの土曜日・・・>
いつもの土曜日は朝7時半に家を出てテニスにいく。それが今日のように朝から雨でテニスができなくても何故かウキウキしてしまう。テニスは義務で行くわけではなく勿論楽しいのだが突然自由時間をもらったような感じになって何をやろうかと嬉しくなってしまうのである。今日は先ず久しぶりに水彩画を描いた。絵を描いてもこの数ヶ月はペン画のみで色を付けたくなかったが、今日は少しだけ色を加えた。「今日の表紙」に掲載した「紫のバラ(水彩)」がその成果である。紫色の濃いこの種のバラはイントリーグ(intrigue)と呼ばれる。1984年にアメリカではじめて作られた"intrigue"とは、辞書によると、「陰謀、はかりごと、秘め事」などの意味があるが名付けられた経緯は知らない。バラの種類とか名前については余りに深淵な世界なので深入りはしない。バラの絵を描き終えた後、アメリカの陶芸作家の作陶展を見に行った(関連リンク=ここ=)。作家のウィリー・シングルトンさんは、以前日本で陶芸修行をしたとのことで日本語ができる。彼は郷里、ペンシルバニアに自分で作った登り窯(ケンプトン窯)を持っているとか、陶芸用の粘土は家の側の土を開拓した、灰釉はトウモロコシから作るなど生き生きとした話を直接作家さんから聞いて楽しい時間を過ごした(WilliSingletonさんのHP=ここ=)。・・雨の土曜日もまたいいものである。

6月7日(日)   <紫陽花(あじさい)には金魚が・・・>
”紫陽花(あじさい)には金魚がよく似合う”<「富士には月見草がよく似合う」と言ったのは太宰治>。今朝は雨が上がり紫陽花も久しぶりの陽光に輝いていた。背丈の高い紫陽花を葉の下から見ると逆光で葉が透き通って見えて、これもまたとても美しい。池の金魚が太陽光の当たる場所に集まっていた。金魚から見ると丁度紫陽花を逆光で見ていることになるのだろう。紫陽花の青と金魚の赤と色の組み合わせも見事である。「今日の写真」にはこの状況の写真を掲載した。「紫陽花と金魚」を見ていると勝手気ままな句が浮かぶ:
「紫陽花(あじさい)を 見上げて 眩し(まぶし) 金魚かな」
「紫陽花も 金魚も同じ 朝陽(あさひ)浴び 」
「紫陽花に グッドモーニングと 金魚いい」

6月8日(月)   <鎌倉・明月院・・・>
鎌倉・明月院に立ち寄った。明月院は紫陽花(あじさい)の名所として有名で「アジサイ寺」とも呼ばれる。友人夫妻らと鎌倉で会ったついでに、この寺に行ってみようということになったのである。アジサイの真っ盛りの時期に明月院はどれほど混雑するか、恐る恐る訪れたのであるが、大混雑というほどでもなかった。曇天の月曜日であったのが幸いしたのかも知れない。500円の入場料を払って入る寺門辺りから、アジサイに埋まるが如き様は確かに一見の価値はある。また、この明月院の最奥部には花菖蒲も今を盛りと咲き誇っていた。境内で花に巡り会うのは悪くはない。けれども紫陽花や菖蒲ばかりが人を集めるのはお寺としても本意ではあるまい。花が目立たなくても、このお寺にはひっそりとした情緒がありそうだ。秋の紅葉の季節にも明月院を訪れてみたい。
<明日、9日小旅行のためコラム休みます>
 
2009-6-8@鎌倉・明月院A               明月院B

6月10日(水)   <はじめてMRIの検査・・・>
はじめてMRIの検査を受けた。MRIはMagnetic Resonance Imaging(磁気共鳴映像法)の略で最近はCT(Computed Tomography=コンピューター断層撮影)と並んで身体断層映像で診断するのにMRIが利用されることも多い。今回、私は、脳、胴部(胃腸、肝臓、膵臓などを含む)腰部などで合計160枚以上の断層写真を撮った。長野のある病院ではMRIによる人間ドックが丁寧でしかも首都圏の病院と比べて格安(新幹線の往復料金を含めても)と奨められて東京からあえて長野に行って検査を受けたのである。詳細の検査結果は後日となるが検査後に説明を受けた際に断層写真一式をCDにコピーしてくれたので、今自分の身体の断層を自分のパソコンで見ることも出来る。シニアコースの検査であったのでMRIとは別にパソコンを使ってゲーム感覚の脳機能検査も行った(WISCONSINCARD SORTING TEST)。その結果私の脳年齢は37歳と判定された。はじめは喜んでみたが以前体力年齢を計測したときに40歳であったが20歳と判定されても何の意味もなかったことを思いだした。相当年齢とは基準がかなりでたらめだと思っておいた方がよさそうだ。
「今日の写真」に「戸隠神社随神門と杉並木」を掲載する。せっかく長野まで行ったので戸隠神社(長野から高速バス1時間+徒歩40分)まで足を伸ばした。
2009-6-10@戸隠神社

6月11日(木)   <スケッチ旅行をするのが夢・・・>
スケッチ旅行をするのが夢であった。これが案外にチャンスがない。先ず時間にゆとりがないとできない。そして誰かと一緒に行動するときは相手に迷惑がかかるので自分だけ絵を描いている訳にはいかない。はじめからスケッチ旅行と名を付けて同好の仲間がツァーを組んで海外旅行をするケースもあるようだが私には高嶺の花だ。昨日は一日だけの旅行をスケッチ旅行にしたいと準備をしてでかけた。思う場所でスケッチブックを広げて描くのは少々勇気を必要としたが、とにかくも2〜3枚のスケッチをした。「今日の表紙」にはその中の「信州1」を掲載する。このスケッチは列車が駅に停車したときに車窓から描いた。ペンを走らせた所用時間は20秒。今日、水彩で軽く色を付けた。このようなスケッチならば大袈裟なことを言わなくてもいつでも出来る。短時間でのスケッチを実践できたところが今回の旅行の大きな収穫だ。スケッチ旅行はもう夢ではなくなる。


6月12日(金)   <ゆく河の流れは絶えずして・・・>
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・」。余りにも有名な「方丈記」の書き出しである。今日の「音読カレンダー(公文出版)」が方丈記であったので、これに触れてみたい。方丈記は鴨長明(1155〜1216)が1212年に著したとされるので、晩年、57歳頃の著作である。日本三大随筆の一つと言われるが、鴨長明は清少納言の枕草子を読むことができたのだろうか(平安時代に書かれても写本があったのか)。吉田兼好にしても枕草子や方丈記に目を通してから後で徒然草(鎌倉時代1330年頃)を書いたのかは分からない。それにしても方丈記の文章が現代でも全く違和感がないのは不思議なほどだ。平安時代に京都・賀茂御祖神社(下鴨神社)の神職の次男として生まれた鴨長明は出世、栄達の道を閉ざされたので出家して歌や文芸の道へ進んだという。もし相当な官位を得ていれば方丈記は生まれなかった。しかし都に住む名門の鴨長明にとってもその生涯は平穏無事ではなかった。方丈記では冒頭の文章で始まる栄枯盛衰の無常観を語った導入部がお馴染みであるが、その次に、大火災、竜巻(つじかぜ)、飢饉など鴨長明の実体験へ続く。久しぶりにインターネットで方丈記の全文を読んでみると、以前は気がつかなかった当時の災害の様子や鴨長明の思想の原点が見えて面白かった。<方丈記リンク=ここ=)。

6月13日(土)   <信州/戸隠神社中社宮前・・・>
「信州/戸隠神社中社宮前」(水彩)を「今日の表紙」に掲載した。戸隠でスケッチした絵に家で水彩を加えたもの。戸隠神社は長野の北西部戸隠山周辺に、奥社、九頭龍社、中社、火之御子社、宝光社の五社を配する神社。平安時代から神仏混淆(こんこう)の寺として知られ比叡山や高野山と共に修験道場として多くの修験者や参拝者を集めた。神社の形態になったのは明治時代の神仏分離が発令されて以降という。掲載した絵はバスを待つ間に中社前のバス停の側で描いた。戸隠の景色で私が一番印象強かったのはバスの通る道から40分ほど歩かなければならない奥社への杉並木の参道だ(下の写真掲載)。ただし奥社近辺ではスケッチをしなかった。杉並木や中社の巨大な杉を見ていると神社や鳥居、店や住宅など人間が作ったものすべてがささやかな造形物に見える。戸隠はもう一度行ってみたい場所となった。
  戸隠神社・奥社への参道

6月14日(日)   <世界を変える100人・・・>
「世界を変える100人の日本人」というテレビ番組がある。テレビ東京系列で金曜日夜8時からの放映で、時々みることがあるが、従来のテレビ番組にない新鮮味を感じる。大体、最近のテレビは芸能人と称する(それもどんな芸があるのか分からない)人たちが勝手にキャーキャー騒ぐだけの番組が多くて見続けるには忍耐を要する。その点「世界を変える・・」は色々と知らない分野のことを教えられる。例えば、インドの緑化のために長年尽力してインドで「緑化の父」と呼ばれる人とか、ブータンの農業を改革した日本人とか、世界中で使用される夜光塗料を開発した人など一般にはそれほど名前が知られていないけれども世界の人々に貢献する仕事を成し遂げた日本人にスポットライトを当てる。特別な「賞」を受賞することもない地道な業績を報道することは新聞・テレビなどが最も苦手とするところである。犯罪者や事件ばかりを派手に報道するから、この国はどうなっているのか、ひどい国だと思いこませるのがマスメデイア。遅まきながら、「世界を変える日本人」がゴールデンアワーで紹介されることはとてもいいことだ。ニュースで報道される出来事とは別に広い世の中で多くの真面目な人たちが日夜尊い仕事をしている・・。
6月15日(月)   <年に一度体調を崩す・・・>
年に一度体調を崩すとすれば6月であるのは何故だろう。この2〜3日、どうも本調子ではないと思っていたら、今日は風邪の症状もでてきた。これまでに唯一回、貧血で倒れたのは6月だった。10年以上前であるが帰宅途中に地下鉄の出口から地上に上がって間もなく意識がなくなり転倒して顔を怪我した。数年前に朝起きたときに歩けないほど足が痛くなったのも6月であった。滅多に風邪をひくことはないけれども、風邪をひくのも大抵6月だ。今日はむやみに眠くなるのを叱咤激励してPhotoshop(写真や図形の加工用コンピュータソフト)を使ってプログラムのデザインを試みたが、思ったようにはかどらなかった。まずは体調を回復させるのが何より先決であると思える。ホームページの表紙だけはがんばって新作品「信州/戸隠神社中社」(水彩)を掲載した。この絵の色は後で付けたが、現場ではかなり時間をかけて丁寧にスケッチをしたものである。


6月16日(火)   <ナショナルジオグラフィック・・・>
「ナショナルジオグラフィック」というサイトがある(日本語公式サイト=ここ)。「地理学の知識を高め、・・世界の文化、歴史的財産、自然資源の保護を推進・・」を使命としてなど探検家や調査の専門家の活動も支援する「ナショナルジオグラフィック協会」が運営するサイトでとにかく対象とする分野が広く活動も良心的にみえる(寄付や援助で運営)。私は先ず「ニュース」をみるが、新聞・テレビなどでは取り上げられないニュースが見られる。今日は「6千年前の巨大遺跡、イギリスで発見」、「マチュピチュ(世界遺産)は神話的風景の再現」、「サルも”ウソ”をついて仲間を騙す」などのニュースが並ぶ。それと「宇宙」のコーナーも好きだ。恐らくはNASAの写真を使っているのだろう、壮大な、しかも解像度の高い宇宙映像には感動する。「太陽」の動画(=ここ)をみていると、地球上の人間たちがずる賢く金儲けに奔走したり、ちっちゃな損得に目の色を変える営みが何と愚かにみえることか。

6月17日(水)   <人からパワーをもらうこと・・・>
人からパワーをもらうことが私には欠かせない。以前にも他人からエネルギーを得てやる気になったことは数知れない。古稀も間近になった年齢でそれほど他人に影響されずに我が道を突っ走ればよさそうだが、それでは進歩がないのが自分でも分かる。創造の世界ではいつになっても自分が衝撃を受けるような先人あるいは同時代人に接することが必要だ。陶芸でも絵画でもこのところ”deadlock”(行き詰まり)感が否めない。そこで陶芸では濱田庄司や北大路魯山人の図録を開いてみた。勿論、模倣する訳ではなく、また自分の流儀ではないにしても作品が醸し出すエネルギーは十分感知できる。絵画で言えば今回は現役の大橋節子さんの絵に元気づけられた(サイト=ここ)。思えば私の最近の絵は具象スケッチだけになってしまっている。無理からぬところもあるが、そろそろ抽象画も描きたくなった。抽象あるいは半抽象はそれなりに元気がなくてはできない。まずは戸隠神社の絵を大橋さん流に色鮮やかに描いてみようか・・。

6月18日(木)   <エンデバーの打ち上げ・・・>
エンデバーの打ち上げが再度延期された。スペースシャトル・エンデバーは当初13日早朝(日本時間13日夜)に打ち上げられることになっていたのが17日に延期されていたが、また延期されたのである。故あってこの打ち上げに注目していたが「再延期」とは信じられない。私は技術的なトラブルや難問を乗り越える大変さには十分理解しているつもりだが、「燃料注入で漏洩が発見された」というトラブルが、前の「デイスカバリー」に続いて今回の「エンデバー」で2回、合計3回も続いたことが信じられないのだ。宇宙の機材はどのような部品でさえ地上用では考えられないほどの信頼性を持っている。システムも同じで故障の確率は極めて低く設定されているはずである。「燃料注入」にしても同じ不具合が再発することはあってはならない”はず”。再発防止を出来なかった真の原因を知りたい。資料によると、この"再使用型”スペースシャトルの打ち上げ回数はこれまで120回を越す。けれども約30年に及ぶスペースシャトルの時代は来年で幕を閉じる。再使用型宇宙ロケットはトータルで意外にコストがかかるため、2011年以後は従来型の多段式ロケットになるという。宇宙開発の動向は派手に報道されなくなったけれども確実に変革が進んでいる。

6月19日(金)   <昨晩(18日夜)はアファナシエフのピアノ・・・>
昨晩(18日夜)はアファナシエフのピアノ生演奏。東京・オペラシテイでの音楽劇「展覧会の絵」はアファナシエフのことを私が生涯語り継ぐに十分の衝撃を与えてくれた(ニュースとしての紹介=ここ)。アファナシエフはここで台本、演出、役者、そしてピアノ演奏の4役をこなした。アファナシエフ(1947年生まれ、間もなく62歳!)はロシア・モスクワ生まれのピアニストだが、亡命して現在はフランスが活動の拠点(昨日は英語を使用)。ピアニスト以外に指揮者、詩人、作家、朗読者として幅広く活動する。楽譜を再現するただのピアニストではなく、芸術家としての創造性を感じさせる演奏は常に新鮮であることは知られている。昨日の「一人芝居風」の演奏にもオリジナルなアファナシエフの思想が満ちていて興奮させられた。意地悪な評論家などを眼中に置かず、真に創造的な芸術を追究する迫力がすごい。アファナシエフは数え切れないほどの「天才」の中でも、クリエイテイブな天才として希有であろう。こんな天才と同時代を過ごすだけでなく、同じホールで時間を共有できた幸せに今も酔いしれている・・。

6月20日(土)   <男性長寿世界一・・・>
男性長寿世界一の田鍋友時さんが昨日113歳で亡くなった。誰が世界一長寿であるかは判定が難しいと思われるが、この場合ギネス世界記録として認定されたものである。宮崎県都城市在住の田鍋さんは1895年(明治28年生まれ)だったとのニュースをみて、私の父が明治29年生まれだったことを思い出した。父は20年以上前に亡くなったけれども、そのまま生きていると世界一か・・。長寿世界一というと、やはりギネス認定の泉重千代さんが有名だった。泉さんは1986年に120歳で亡くなったけれども、それまでの10年間、世界最高齢記録を続けたというのも記録的であった。現在の最高齢者は115歳の米国の女性という。日本人では沖縄の114歳の女性とか茨城の113歳の女性とか、この辺りになるとデーターを如何に認定するかが絡んでくるようだ。ギネスによるこれまでの世界最高齢記録は122歳(フランスの女性)とか。認定されていない不確かな記録ならば160歳代もあるというから年齢は当てにならない。一番確実なことは少々のバラツキはあるが人間の命はどこかで確実に亡くなるということであろう。

6月21日(日)   <初めてのギャラリーを訪ねる・・・>
初めてのギャラリーを訪ねる時には期待と不安が交差する一瞬がある。こんな緊張を会場に入るやいなや彼女の笑顔が解きほぐしてくれた。今日訪れたのは「ファンシー・ロリポップ展」という陶芸展(東京・大田区)。「若き陶芸作家のパラレルワールド」とサブタイトルにあるように若い二人の女性の展覧会だ。二人の作家とも人真似ではない独自な世界を創り上げているので時間をかけて見ていても飽きることがなかった。私に案内をくれた彼女は私の娘よりもずっと若い年齢であるが、陶芸教室で基礎コースを一緒に学んだという因縁がある。その後、彼女は更に集中して陶芸を追求して教室の助手を務めるまでになった。陶芸の公募展でも何度か入賞するなど腕を磨いて今年になって更に飛躍するため独立。今は常滑(愛知県)で改めて修行中とのこと。常滑の話などを聞いていると何か娘が活躍しているような心地になって嬉しかった。日本だけの展覧会でなく世界の人に見てもらう方がいいと思わずアドバイスしたのは本心である。

6月22日(月)   <梅雨空ではあったが・・・>
梅雨空ではあったが天気予報の「曇り」を信用して自転車で渋谷に向かったら途中から雨が降ってきた。本降りにはならないとみて初志貫徹。しかしながら目的とした渋谷・東急ハンズ店は臨時休業だった。やむを得ず東急本店の駐輪スペースに自転車を置いてデパートで雨宿り兼休養とした。久しぶりにデパートの中を歩き回ってみて、今更ながらデパートの経営は楽ではないだろうと思うことばかり・・。人は何のためにデパートへ来るのだろう。デパートでないと買えないものはあるのだろうか。いまでも高級デパートで買い物をしたり食事をするお金持ちはいるのだろうが、それにしても高い。絵画展、陶芸展などの催し会場も廻ってみたが私は絶対に買うことはないと断言できる内容と値段だった。デパート業界は統合とか再編成の真っ直中。一方で競合相手は同業デパートでないことは確かだろう。GMがクライスラーと一緒になっても苦境を解決することにはならない。実際のデパート売り場をみると他人ごとながらデパートの将来が心配になる。
「今日の写真」としてまた「紫陽花(あじさい)」を掲載する。梅雨空にはやはり紫陽花がよく似合う。
2009-06-22

6月23日(火)   <雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・>
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・」が今日の音読カレンダー(公文出版)であったので、「雨ニモマケズ」を大きな声を出して読んだ。この詩は宮沢賢治が没後に発見されことはよく知られている。生前は発表されることもなく本人の手帳にメモされていたものである。この機会に宮沢賢治をインターネットでレビューしてみるとこれまで知らなかったことも多かった。先ず生まれは1896年(明治29年)。1933年(昭和8年)に急性肺炎で亡くなったが、37歳の生涯独身であった。明治29年というと私の父と同年生まれだが、仮に父が37歳で亡くなっていれば私はこの世に生を受けていない。こんな個人的な感慨もあるけれども「雨ニモマケズ」に限らず宮沢賢治の詩や文学作品は私が今現在読んでも素直に感動できるのはどうしてだろう。先週、太宰治(1909〜1948)の桜桃忌(6月19日)の頃に太宰が最近の若者に人気があると報じられていたが、私は若い頃に多少馴染んだけれども今はとても太宰を読む気にならない。しかし”賢治”は違うのだ。宮沢賢治はあの若さで世をすねることもない、偽悪家ぶることもない。偉ぶることもなく、"賢治”はただ「実行者」である。今はインターネットサイトで「雨ニモマケズ」の朗読を聴くことができる(=ここ/このサイトでは他の宮沢賢治作品の読書・朗読もできる)。
「今日の表紙」に「「戸隠神社参道(水彩)」を掲載した。


6月24日(水)   <久しぶりに国立新美術館・・・>
久しぶりに国立新美術館にいった。陶芸教室の仲間が二人、公募展に入選し国立新美術館で陶芸展が開催されているのである。自分の作品が国立新美術館に展示されるのは嬉しいに違いないが、親しい仲間の作品を見るのもまた誇らしい。陶芸展のついでに墨画展と銀粘土(シルバーアクセサリー)の作品展の会場も廻った。国立新美術館では有料の展覧会の他にいつも無料の公募展が開かれているので、時間があればいくつもの展示会をみることができる。陶芸でも水墨画でも銀細工でも私は同じような見方をする。何でも人それぞれの好みがあるが自分の好みに合わない作品については自分ならどうすると考えるのである。こちらは審査員でも評論家でもないから制作者がベストと思って完成させたものを「評価」することはない。ただ、自分ならば形状や肌合い、配置などをこういう風に変えてみると想像すると、どの作品からも沢山のインスピレーションを得ることができる。どんな展覧会にも刺激がある・・。「今日の写真」には国立新美術館の内部写真を掲載:
2009-06-24@国立新美術館

6月25日(木)   <今日はアントニオ・ガウデイの誕生日・・・>
今日はガウデイの誕生日である。スペイン・バルセロナの教会サグラダ・ファミリア(写真例=ここ)をはじめとする多くの世界遺産を設計した建築家、アントニオ・ガウデイは1852年6月25日にスペインのカタロニア地方で生まれた。ガウデイの建築には構造力学的な曲線と動植物を取り入れた独特の装飾が特徴であり、曲線の合理性は自然そのものから学ぶとガウデイ自身が語っている。例えば紐の両端を固定したときに自重によって描かれる紐の曲線形状を構造物に使用する<私はそのようなガウデイの数学的な曲面が好きで、以前陶芸作品にもガウデイ曲面を取り入れたことがある>。ガウデイは1926年73歳の時に路面電車にひかれて死亡したが、生涯独身であったというのも天才たる所以(ゆえん)か。ところで間違いなく天才的な独創をみせたガウデイを考えるとき、この狂人とも言われた才能を育む土壌、才能を活かす社会を思う。画家ホアン・ミロもサルバドール・ダリもそろってカタロニア生まれだ。どの人物をみても、異端の天才を認める環境がこの地方に存在したとしか考えられない。スペイン・カタロニア地方の謎を知りたい。。
6月26日(金)   <今日の出来事で歴史に残る・・・>
今日の出来事で歴史に残るのは間違いなく「マイケル・ジャクソンの死」。King of Pops.と称されたマイケル・ジャクソンの突然の訃報である。享年50歳、死因は心臓麻痺とされているが詳細はこれから追求されるだろう。マイケル・ジャクソンに関しては、世界中でのレコード総売上が7億枚以上など、記録や神話を取り上げれば数限りない。余り縁がなかった私でさえ彼の独特の歌声や歯切れのよいダンス、パーフォーマンスには感動した。マイケル・ジャクソンほどに子供の頃から名前や顔が知られ、巨万の富を築き、栄誉も受けた人物には一方でこのような死こそ相応しい思いもする。プレスリー、石原裕次郎、美空ひばりなど神話をつくったスターはみな老残をさらしてはいない。マイケル・ジャクソンには名声とともに性的虐待疑惑で訴えられるなどスキャンダルがついて回った。真実は分からないけれども、金も名誉もあるスターには金が目当てのユスリ、タカリはつきもの。更に妬み(ねたみ)の絡んだアングラ情報を流されやすいタイプだったのか。マイケル・ジャクソンの経歴を見ていると”1998年ノーベル平和賞にノミネートされた”という項目があった。ノーベル賞を受賞しなくても彼の音楽とダンスは十分に人類に貢献した。

6月27日(土)   <大音響装置で自衛隊が海賊船を撃退・・・>
大音響装置で自衛隊が海賊船を撃退したことが少し前に話題になった。ソマリア沖に派遣された自衛隊の護衛艦が「長距離音響発生装置」を搭載しており、ソマリアの海賊に追跡されている外国の商船をこれで二度救ったというのである。この装置は3km離れた目標物に対して85dbの音量を伝えることができ、殺傷能力のある武器でないので攻撃を受ける前に使用して外国船を救助できた。数年前に米国の豪華客船がやはりソマリア沖で武装した海賊船に襲われた際に装備していた「長距離音響発生装置」使って海賊を撃退した実績もあり、この装置(兵器でないから豪華客船にも搭載できるのだろう)は知る人ぞ知る「音響兵器」の一種であるようだ。一点に光の焦点を合わせるように音の指向性を極めて高度にしたスピーカーによって「最大125dbの音波を1km先まで送ることができる」から、85dbならともかく125dbとなると最早反抗はできない。それにしても”非殺傷兵器”にはまた直ぐに対抗策がでるかも知れない。厳重な耳栓をした海賊が現れたなんて・・。

6月28日(日)   <我が家のコーギー犬、アール・・・>
我が家のコーギー犬、アールを車椅子で散歩に連れて行くようになって8ヶ月が経過した(車椅子を手に入れたのが2008-11-1、コラム=ここ、絵に描いたのが2009-1-6、コラム=ここ)。以前コラムに書いたこともあるが、車椅子でゆっくりと散歩をするようになってからご近所との付き合いが変わった。早朝の散歩で顔なじみであるが言葉を交わしたことのなかったおばあさんと親しく話すことが当たり前になったり、会う度にアールを撫でて元気づけてくれる人、必ず挨拶をする人も増えた。都会の真ん中でみんなとても親切だと思うようになったのはアールの車椅子のお陰だ。先日は自分の飼っている猫は15歳になって・・としばし相手の長話をきいた。車椅子をどこから購入したのか聞かれたことも一度や二度でないので、今は連絡先のメモを持ち歩いている。都会の中で「縁」ができるのは強者でない。いまの梅雨時には散歩の時間も空と相談をする。「梅雨空に 犬ゆっくりと 車椅子」。

6月29(月)   <六本木に行ったあと五本木・・・>
六本木に行ったあと五本木を通った。私の家は東京・恵比寿の中目黒寄りであるので、六本木と五本木のほぼ中間の位置になる。六本木は外国人も多いインターナショナルな繁華街として全国的にも名前が知られているが、五本木は目黒区(東京)北部に位置する静かな住宅街の地名である。五本木の名前の由来は鎌倉街道(鎌倉時代に有事の際、関東八州から”いざ鎌倉”とはせ参じるために整備された道)沿いに「大きな樹木が五本あった」ことから命名されたときいたことがある。六本木も同じような由来だろうと思っていたが調べてみると、(1)六本の松があったこと(2)木に関連する六軒の大名屋敷(青木氏、一柳氏、上杉氏、片桐氏、朽木<くつき>氏、高木氏)が江戸時代にあったこと、の二説あるとのことだった(Wikipediaによる)。五本の大木や六本の松ならば全国にいくらでもあるだろうと更にネットで調べると、すばらしい回答が見つかった(=ここ)。五本木の地名は全国に4件、六本木の地名は14件、そして、一本木、二本木、三本木は各60件以上もあるという!そういえば、名字では、一木さん、二木さん、三木さん、五木さんはお馴染みだけれど、六木さんはあるのだろうか・・。

6月30(火)   <「NEW 町工場」・・・>
「NEW 町工場」とサブタイトルがついたカタログを面白くみている。「ばねの通販」をインターネットで見つけて工作用(飾り)に特殊なスプリングを注文したところ、分厚いカタログが一緒に即日配達されてきたのである。「スプリングのカタログ」と言ってしまえばそれまでだが、実に範囲が広い。極小ばね、圧縮スプリング、引張スプリング、密着スプリング、ねじりスプリングなどは一般的。電池ばね、ゼンマイ、さらばね、自動車のトランクのスムースな開け閉めを調整するガススプリング、更に防振台、ばねコンベアなど何でもある<サイト=ここ>。そしてこれらを個人が1個でも買うことができるのである(送料分が割高になるが)。正に"NEW町工場”。昔は町工場の親方と親しくならなければ個人で数個を分けてもらうなどということは出来なかった。いまはインターネットを使えば工場まで出向かなくても必要な部品を一日で入手できる! 先日、19年振りに大改装を行った渋谷の東急ハンズに行ったが、DIYの元祖だったこの店にも本当の意味の「部品」は多くない。ほとんどはキット品、完成品の寄せ集めである。これからはDIY(=DoIt Yourself・自分でつくる)に関してもインターネットに頼る時代になりそうである。

これまでの「今日のコラム」(最新版)に戻る

Menu +  Picture + Ceramics  + Gallery +  Corgi +  Ebisu /Daikanyama  +  Special  +  Links