これまでの「今日のコラム」(2009年 9月分)

9月1日(火) <今日、防災の日・・・>
今日、防災の日は関東大震災の起きた9月1日に因んでこの日を防災全般に備えるべく制定されたことは知られている。関東大震災は1923年(大正12年)9月1日午前11時58分32秒に発生。丁度昼食の準備で火を使っていた時刻であったので火災被害も多かった(焼失住宅約45万戸)。死者14万人以上をだしたこの大震災の時女学生であった私の母は東京に住んでおり、何かにつけて"怖かった”体験を話してくれたものだ。中でも”流言飛語”がひどかったらしい。根拠のないデマがデマを産み、子供心に地震の後の治安が恐ろしかったという。関東大震災後86年を経た現在はさすがに「情報」には全く不安がないのは技術の進歩であろう。さて防災の日であるから自分の周辺を見渡して”危険予知”をしてみた。無条件で危険なのが部屋の本棚とその上に雑然と積まれた重量ある雑物だ。先月8月の東海地方の地震で女性が「本に埋もれて死亡」と伝えられたが、他人事ではない。就寝中に落下物でお陀仏なんていうことのないように早速対策を考えよう。そうなるとあと数日は大地震がこないことを祈るばかり・・。
9月2日(水) <オーケーストア・・・>
オーケーストアを利用することがある。世田谷・用賀(東京)の店までは車で20〜30分ほどかかるが定期的にまとめ買いするときたまに私も同行する。オーケーストアは競合店の価格がオーケーを下回った場合はそれ以下の価格まで下げて対応するとか激安スーパーなどと紹介されることがあるが、私は行く度に価格以外のことで感心することが多い。今日も広い店内の商品を眺めながら”これほど品数の多い店が世界中にあるのだろうか”とある種の感慨にふけった。もちろん、世界の小売店を知っていることもないし、オーケーは米国のウオルマートを手本としているとも聞くが雑貨商品、食料品など日本独特のきめ細かい種類は驚異的だ。買い物用の荷車が何台もすれ違うことができるゆとりの通路スペースも気持ちがよい。レジの後、車に運ぶために段ボールの箱を自由に使えるのも他のスーパーにはないところ。今日は買い物かごの色がレジ通過前は赤、通過後が緑と区別されていることに気がついた。この際オーケーストアをNETで調べてみた。設立は1967年、2009年3月期売上高は約1900億円(経常利益98億円)、社長は飯田勧氏(セコムの飯田亮氏は弟)。オーケーのホームページで「オーケーの哲学」(=ここ)をみるとオーナー社長であるから書くことができる「思い」が綴られていて面白い。
9月3日(木) <二倍年歴・・・>
「二倍年歴」という年数の数え方が古代には存在した。二倍年歴とは春から秋までを一年、秋から春までを一年と数えるので通常の一年は二年となる歴法。魏志倭人伝で人の寿命が100年あるいは80,90年と記されていたり、日本書紀や古事記で天皇が130歳とか120歳で崩御したという記述がでてくるのが二倍年歴で解釈すると非常に分かり易く理解できるそうだ。二倍年歴は古代日本だけでなく古代ギリシャや古代インドにも当てはまるという説がある。紀元前数世紀の古代ギリシャでソクラテスやプラトンなどがそろって70〜80歳の長寿であった記録は二倍年歴でなければ理解できないとか、ブッダ(釈迦)は80歳で入滅したとされているが(没年は紀元前483年と紀元前383年の二説あり)これも二倍年歴で実際は40歳と考える方が歴史的につじつまがあうという。・・「秋風や 仏に近き 年のほど」。これは小林一茶が自分を可愛がってくれた祖母が66歳で亡くなったときに詠んだ詩である。実際には仏さんよりずっと長生きの祖母さんであったのかも知れない。それにしても”私はすでに140歳に近い高齢になった・・”と二倍年歴でこんな事を云ってみても一向にうれしくはない。
9月4日(金) <ファッションショー・・・>
ファッションショーに初めていった。恵比寿ガーデンプレイスの中にあるザ・ガーデンホールで行われたコシノヒロコ2010年春夏コレクションの招待券をいただいたのである。ファッションショーなど全く無縁な世界にいるので、これまでパリコレとか東京コレクションをテレビで見たことはあるが実際の会場でショウを目の前にしたのは初めての経験だった。超満員の会場、華やかな雰囲気の中で男性客も多いのが意外だった。一見してバイヤーか繊維業界など業界人という男どもが最前列に並んでいたりする。ファッションショーを見ながら私は衣服デザインもまた絵画や工作、ものつくりと共通する感性なのだなと思った。布地は既製品でなくオリジナルのプリント地を使用するから絵を描くのと同じ感覚だ。衣服も結局は機能を持たせた布と色、柄を組み合わせた創造物とみると作者のセンスはもちろん”気合い”が如実に作品に表れる。ショーの最後にコシノヒロコさんが挨拶をしたが、ヒロコさんは1937年1月生まれの72歳で、実に50年近く自分のブランドを維持している。ファッションデザインという創造を長年継続しているパワーには敬服するばかりだ(ちなみに活動はファッションデザインに留まらず、ヒロコさんが作詞した歌のCDが今日の客全員に配られた)。コシノヒロコのホームページでは2009-2010年秋冬コレクションの映像を見ることができる(=ここ)。

9月5日(土) <パリのベリブ自転車・・・>
パリのベリブ自転車をモデルにして東京・丸の内で10月から貸し自転車を始めるという。ベリブ自転車はパリ市が行っている大規模貸し自転車事業で2007年に開始早々大人気となり毎日数万台がレンタルされるそうだ。ベリブはフランス語の自転車(Velo)と自由(Liberte)の合成語で”自由自転車”。1000カ所以上ある駐輪場の自転車を自由に乗り換え、使用できるシステム(有料)である。丸の内の場合は数カ所の拠点でのテスト運営であるようだ。その試みは面白いとして、週に2〜3回は都内を自転車で移動する私は自転車を利用する人のマナーが心配だ。東京都心の場合大部分の歩道は自転車通行可であるので歩道を自転車が走るケースも多いが、スピードをコントロールせずに歩行者に迷惑をかけている自転車を毎度みかける。一方で自動車のことを考えずに車道をぶっ飛ばす自転車も多い。今日は横道からスピードを落とさずに飛び出してきた自転車を急ブレーキをかけて避けた。自転車は免許がいらないから交通ルールやマナーをどこかで教える新たな方式が必要ではないか。自転車も自動車の場合と同じでスピードをだしても目的地への所要時間はほとんど変わらない。まずスピードをださないこと・・都会で自転車を利用する人にこれだけでも徹底させて欲しい。

9月6日(日) <古典落語「目黒のサンマ」・・・>
古典落語「目黒のサンマ」は秋の噺(はなし)として欠かせない。殿様が鷹狩りに行った先の目黒で普段は決して食することもない低級な魚であるサンマを初めて食べる。余りの美味しさに後日屋敷でサンマを所望したところ丁寧に調理され過ぎて美味くない。落ちは「サンマは目黒に限る」<Youtubeで金原亭馬生師匠の落語を聞くことができる・前半=ここ、後半=ここ>。落語から祭りができたのも珍しいが今日は「目黒のサンマ祭り」に出かけてみた(家からは15分ほどでいく)。JRの目黒駅は目黒区でなく品川区であり今日の「目黒のサンマ祭り」は品川区が開催、目黒区では20日(日曜日)にまた目黒区側で「目黒のサンマ祭」を行うというからややこしい。とにかく今日の「サンマ祭り」は大盛況に見えた。6000匹のサンマが無料で配られるので長い行列ができているし、いつもは地味な街がサンマを焼く煙を立ち上げてにぎわっていた。・・その後、祭りの場所から数分先の自然教育園まで足を伸ばした。こちらは祭りと正反対の静寂。森の木々はまだ夏の緑だと思っていると池の側に彼岸花が咲いていた。やはり秋はもうそこまで来ている・・。
2006-09-06@東京・目黒自然教育園

9月7日(月) <道は神のみぞ知る・・・>
”道は神のみぞ知る”。今日の表紙に掲載した「バベルの塔・部品一式」(陶芸ほか)を全て組み立てて頂上から鋼球を転がすテストを繰り返している。左右に道が分かれる分岐点が7箇所(一カ所は3分岐)あるので、どの道を通り最後にどこに到達するか、予測することはできず”神のみぞ知る”のである。自分で制作したのに感心しているのだが、焼成された陶器でできた分岐点や通路は極めてデリケートに鋼球の動きに影響を及ぼす。百分の一ミリ以下の僅かな突起や位置の違い、あるいは微細な傾斜の相違で球の経路が変わる。時々は道から外れて飛び出したり、逆に動きが止まってしまうこともある。微調整をしながら球の転がり初めから最後の終点までの道のりは「人生」とそっくりと思えてきた。右に行くか左に行くか外に飛び出すか最後にどの場所に到達するかは、人の力ではどうしようもない運命と同じ。初期条件が同じに見えても(実は決して同一条件でない)ほんの少しのきっかけで道は180度変化する。運命は変えられないがバベルの塔の球転がしは技術的な加工ができるので球が外には飛び出さないようにするとか停止だけはしないようにするなどの調整を試みている。ところが何もトラブルがなく道を転がり落ちて、また再スタートを繰り返すだけであると順調すぎて面白くなくなる。無難な人生を送ってハイさようなら、それがどうした・・、とそんな感じ。ただ無難に終点までいくだけでなく外に飛び出そうが停止しようが、それでもいいかも知れない。・・「バベルの塔」を出展する作陶展が二週間後に迫った。

9月8日(火) <習慣をバカにしてはならない・・・>
習慣をバカにしてはならない。人は口先ではいくらでもいいことを言うがどう実践するかが問題だ。習慣はまさに自らの実践に他ならない。・・と大袈裟なことを言うほどでもないが私の習慣で重大な欠陥に気がついた。毎日、朝夕に犬を連れて散歩に行くが、以前はこの散歩が私自身のウオーキング、つまり運動としての重要な習慣になっていた。ところが昨年の11月から犬を車椅子で散歩するようになってから散歩の距離は俄然少なくなった。最近は動く速さも非常にゆっくりである。時々後ろ歩きをまじえながら老人が杖をついて歩くほどのスピードで500m程度一周するだけ。以前は往復で2〜3kmは軽く歩いた。結果的に私の毎日の運動量がかなり減っていることに今頃気がついたのである。週に二度(半日)テニスをやるが、もう年寄り組の省エネテニスである。ダブルスではボールが来るのが半分でしかもボールを打つために動く時間はプレー時間のほんの一部。無理しないことをモットーにしたテニスは運動としては軽微の部類だろう。運動不足を実感したのは先日30分間ほど小走りで動いたときだ。この程度の速歩の後で膝や足首に違和感を覚えた。スロースクワットは欠かさずにやっているが、やはり”歩き”が不足に思える。これからは犬とは別に毎日歩くことを習慣にしたい。<下の写真は今日歩いていった公園で撮影>
9月8日@東京・中目黒公園にて

9月9日(水) <Twitterユーザーは104歳・・・>
「Twitterユーザーは104歳のおばあちゃん」という記事が目についた。英国在住のアイビー・ビーンさんという104歳のおばあさんが毎日インターネットのサービス"Twitter"の更新に忙しいという。Twitterとは、数行の”つぶやき”を投稿できるブログサービス。ブログとチャットを併せたようなシステムで「今何してる?」といった質問に対して140文字以内のメッセージ(つぶやき)を投稿して次々に話が進展していく。深刻なテーマを議論することなどなく何の制限も受けずに気楽につぶやく事ができるコミュニケーションサービスが人気の秘密のようだ。現在世界中でTwitterユーザーは1億人以上ともいわれ、オバマ大統領やビル・ゲイツだど多くの著名人も利用している(あるいは利用した)<例えば=ここ
。ところで冒頭の104歳のおばあさんの”つぶやき”が評判となり彼女のつぶやきを追いかけるユーザーが27000人とか。そしてこのおばあさん、世界中に5000人の知り合いがいるそうだ。インターネットは国境を取り払ったが年齢枠は元より全くない。
9月10日(木) <スローな生活・・・>
スローな生活を心底いいと思えるようになったのは比較的最近である。一つは「スロースクワット」の絶大なる効果を実感したこと。私の場合1分30秒をかけて10回繰り返す超スロースクワットであるが、以前の腰痛や膝の異常がなくなった。次に車椅子をつけた犬とのスローな散歩。早足で散歩をしていた頃には考えられない多くの人と毎日挨拶をし会話を交わす。スローフードは特別にこだわっていないがファストフードが好きな一方で地場の食材を使った落ち着いた店も好きである。スローな作品作りは意識しないけれども結果はいいものができるようだ。心を込めた作品を創るには時間は気にしない。声を出して読む文章(音読カレンダー)もゆっくりでいいと思っていると結果的に意味の把握ができるし余裕で舌もなめらかに動く。脳トレは基本的にスピードを要求されるが早さを競うものではない。早押しクイズで0.1秒差で勝利した人たちを賞賛する気にもならなくなった。頭脳を使うなら別の面で人のために活かして欲しいと思う。筋肉のトレーニングの場合ゆっくりとした動き(スロートレーニング)をする方が脳の働きにより筋肉の成長ホルモンが分泌し易くなることが解明されている。スローな生活全般は精神の安定をもたらす何か未知なる物質の分泌を促進しているかも知れない。
「今日の作品」に「バベルの塔・完成品」(陶芸ほか)を掲載した。二週間後の作陶展に出展の予定。


9月11日(金) <新型ロケットH2Bの1号機打ち上げ・・・>
新型ロケットH2Bの1号機打ち上げが成功した。今日の午前2時1分、全長56m、重さ53トンのH2Bロケット(国産で史上最大)が発射され、直径4.4m、全長10m、重さ10トンの円筒形補給機(無人)を予定の軌道にのせるのに成功したのである。補給機には衣類や食料、観測機器などが積載されており遠隔操作によって一週間をかけて国際宇宙ステーションにドッキングさせる。・・私の本棚に「国産ロケットはなぜ墜ちるのか」という本がある。2004年に発行された本で当時根本原因として日本の官僚制度(天下りも)と政治を告発した内容でまさに現在の政権交代に際して民主党が主張していたことと奇妙なほど合致する。それはともかく技術者たちは諸々の困難を克服して今日見事に結果を出した。ところが、新型ロケット打ち上げ成功に関してマスコミの取り上げ方が非常に少ない。これだけのことを宇宙航空研究開発機構と三菱重工の共同開発でやり遂げた意義がマスコミには分かっていないのか、日本以外の国(中国はもちろんインドなども)では軍事目的が最優先のロケット開発であるのに日本で民間会社を含めて開発した苦労をマスコミは想像すらできないのか。若者に希望を与える明るいニュースの素材がここにあるのに・・。芸能情報ばかり細かく報道するのにロケットには実に冷淡な日本のマスコミが悲しい。

9月12日(土) <雨でずぶ濡れ・・・>
雨でずぶ濡れになった。土曜日は9時からテニス。パラパラと雨が降り始めたがいつものメンバーでいつもの通り試合開始。丁度一ゲーム終わったところで雨が激しくなったので中止して控えの部屋へ戻った。しばらく天気の様子をみていたが雨は止みそうもないので少し小降りになったところで自転車に乗って帰り始めた。傘は持っていなかったが、どうせ衣服は既に濡れているし帰ってシャワーに入ればいい。濡れるのは元より覚悟の上で自転車を進めた。ところが南青山を過ぎて青山学院(中等部)の辺りまできたところで雨は本降りになった。これが”どしゃ降り”かという中を逃げも隠れもできずにペダルをこぎ続ける。これほどずぶ濡れになったのは子供の頃のほか記憶にはない。面白いことに、ペダルをこぎながら悲惨な気持ちが全くない、もちろん後悔もしない、ずぶ濡れになりながら神経は活性化している。濡れてもかまわない衣服を着ているせいもあるだろうが水遊びをしているような感覚だった。そこで、人間は立派なものを身にまとっているから大雨に濡れるのを嫌う。裸同然であると何も怖くない・・とガッテンした。「ずぶぬれも なぜか楽しく ペダルこぐ」

9月13日(日) <スペイン坂・・・>
スペイン坂と呼ばれる坂道が東京にはいくつかある。今日通ったのは渋谷のスペイン坂(六本木にもスペイン坂がある)。渋谷の東急ハンズにいった後、渋谷駅方面への帰り道にスペイン坂を通ったのである。渋谷パルコの脇から階段がはじまり井の頭通りに至るほんの100mほどの緩やかな坂がスペイン坂だ。幅3.5mほどの狭い道の両側に衣料雑貨の店や洒落た飲食店が連なり、南欧風と言えなくないことはない。何より車が通らない狭い道が大勢の男女でにぎわっている光景はいいものだ。男女といっても妻や私と同じくらいの年齢と思われる人はほとんど見かけない。若者が多いのはスペイン坂に限らず渋谷駅周辺では同じ傾向だろう。スペイン坂を通り抜けてセンター街を歩きながらすれ違う人々を観察するとやはりみな若い人たちだ。そして実は悩みをかかえたり生活は楽ではないかも知れないが少なくとも外観は実に楽しげで平和な世を謳歌しているように見える。当たり前の情景が非常に貴重なものに思えるのはこんな瞬間である。<渋谷スペイン坂リンク例=ここ

9月14日(月) <108年振りの大リーグ新記録・・・>
108年振りの大リーグ新記録をイチローが達成したことが今日の大ニュースである。イチローは今日(現地では13日)の試合で200本目の安打を打ち、史上初めて「9年連続200安打」の記録を達成した。イチローの記録は2001年から2009年までの連続記録であるのに対して、これまでの記録はキーラーが1894年から1901年までの8年連続であった(8年連続はキーラー一人)。現役のイチローは更に来年10年連続の記録に挑戦することになる。イチローは2004年に262安打を打ち、この時は84年振りの最多安打記録を達成している(前の記録は257安打)。記録とはいつかは破られるものであるとしても80年、100年の間破られることのなかった記録を塗り替えることは歴史的な偉業である。今イチローと同時代に生きていることを幸運と思いたい。
「今日の表紙」に「バベルの塔・完成品2」を掲載した。前回と同じ完成品であるが、ミニスタジオ(50cm×60cmにたたむことのできる携帯用の写真撮影ボックス)を使って撮影し直したもの。


9月15日(火) <彼岸花(ヒガンバナ)・・・>
彼岸花(ヒガンバナ)が咲いていた。いつも秋のお彼岸の時期になると正確に花を咲かせるヒガンバナが今年は名前が何とも切なく響く。この日は2002年までは敬老の日で祝日だった。いまは来週の月曜日が敬老の日(第三月曜日)で今日は特別な日ではない。ただ我が家にとっては今日はこの4月に亡くなった息子の誕生日。墓参りすると花立てには先に竜胆(リンドウ
)の花が挿してあった。リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」。ヒガンバナの俳句にこんなのがあった:「歩きつづける 彼岸花咲きつづける」(種田山頭火)。
2009-09-15@九品仏/東京

9月16日(水) <鳩山内閣が発足・・・>
鳩山内閣が発足した。民主党の鳩山由紀夫代表が首相に選出された国会中継、更に組閣人事などの動きをみていると、新政権のスタートは順調にみえる。歴史的な変革ができるかもしれないとの期待感もでてきた。政治は結果がどうなるかを見守る以外ないので、鳩山さんの「顔」のことを書こう。それは総選挙で民主党が自民党に大勝し政権交代が現実のものとなった瞬間、鳩山さんの顔がはっきりと変わったということ。以前は気楽な野党の立場で何となく頼りがなくみえた顔が一瞬にして気迫の顔に変わった。真剣味が本物となり立ち居振る舞いにも最高のリーダーとしての雰囲気がでてきたから面白い。最近は更にゆとりの表情をみせることもある。立場が人をつくるというが鳩山さんの場合はあらゆる面でご本人のよい面が現れてきたように思える。こんな顔の違いを麻生さん、福田さんには見ることができなかった。鳩山さんは「歴史の転換点」と今日を位置づけたが"気迫の顔”に引きずられて期待して行き先をみていたい。

9月17日(木) <把瑠都・・・>
把瑠都が力相撲の末に白鳳に敗れた。大相撲秋場所5日目の現時点では白鳳、朝青龍の両横綱が5連勝。その中で今日は敗れたが関脇・把瑠都は5日間の間に3大関を破って健闘している。ところで把瑠都がエストニア出身と言うだけで私は何か親しみを感じている。昔、エンジニアの時代にアメリカで旧エストニアからアメリカに亡命した人から教えを受けたことがある。その時祖国エストニアがソ連領になっていることを嘆くこのエンジニアから個人的にとても親切にされたのが忘れられないのである。エストニアはバルト海(把瑠都の名前の元だ)に面したバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の一つで、三国ともロシア帝国の支配のままソ連邦に組み込まれていたが、1991年のソ連崩壊と共に三国そろって独立し今はまたそろって西側のNATOやEUに加盟している。エストニア出身のエンジニアは母国エストニアがロシアから独立する前に世を去ったことを後日知った。・・こんなことでも何かの縁、と把瑠都を応援し続ける。

9月18日(金) <小布施茄子・・・>
小布施茄子(おぶせなす)をいただいた。長野県北部の小布施町(葛飾北斎の美術館や栗菓子が有名)で古くから作られている小布施茄子は「丸なす」である(=ここ参照)。私は子供の頃関西で育ったので大人になるまで丸い茄子を見たことがなかった。茄子といえば卵形あるいは長卵形が茄子の形と思っていた。もっとも関西でも京都には賀茂茄子という巨大な丸なすがあるが、子供頃には知らなかった。インターネットの野菜図鑑をみると全国各地の茄子の形状が図解されていて面白い(=ここ)。茄子にもこんなに多くの種類がある。さて、今晩の食事は早速に「なすとレンコンのはさみ揚げ」。挽肉を茄子とレンコンでサンドイッチにして油で揚げた料理である。茄子と肉、レンコンと肉がそれぞれに微妙に絡み合って実に美味しかった。・・「秋涼し 手向けにむけや 瓜茄子」(芭蕉)。
「今日の写真」は公園で目についた「メランポジウム」を掲載した。このキク科の植物は2〜3cmの小さな黄色い花と黄緑の葉との組み合わせが美しい。
2009-09-18@西郷山公園・東京目黒区

9月19日(土) <酒井法子さんが一昨日保釈・・・>
酒井法子さんが一昨日保釈されて謝罪会見をする大騒ぎの末に例によってマスコミから虐められている姿をみているとかわいそうになる。確かに法律違反は犯したが誰に危害を加えたわけでもなし損害を与えたのでもない。夢を壊したことはあっても見方によっては犯罪者でなく「患者」として保護されるべきものであろう。そこで法律に関して少し調べてみた。日本には薬物四法がある。大麻取締法、覚醒剤取締法、麻薬および向精神薬取締法、あへん法の四つ。戦前に”疲労倦怠感を除き眠気を飛ばす”として軍などで愛用された「ヒロポン」(その後副作用で中毒患者が続発して一般には禁止された)は覚醒剤である。依存性や毒性の強いアヘン、モルヒネ、ヘロイン、コカイン、覚醒剤などの麻薬は世界的にも使用が厳しく法律で規制されているが、薬物でも軽度のものは国によって扱い方が異なる。オランダではハードドラッグ(覚醒剤、コカインなど)は厳しく規制をされるが、ソフトドラッグ(大麻、マリファナなど)は許可を受けた店で合法的に販売されるという。これはソフトドラッグは禁断症状などの中毒を起こす例が少なくアルコールやタバコと同等と見なしているのである。ちなみにオランダではソフトドラッグが許可されているので逆にハードドラッグの被害者(麻薬中毒者)が減ったそうである。また中毒者は患者として扱われてケアが徹底しているとの話もある。ところで広義の薬物として「脳内の神経伝達物質に作用し、酩酊・多幸感・幻覚などをもたらすもの」と定義をすることもあり、この場合アルコールやタバコも薬物となる。日本には幸い禁酒法はないが、私は「薬」をやってませんとは云えない・・。

9月20日(日) <彼岸入りの今日・・・>
彼岸入りの今日、東京は雲一つない秋晴れ。九品仏浄真寺(世田谷区)は墓参りの人で混雑していたけれども吹き抜ける風が爽やかで気持ちがいい。このお寺には都天然記念物の巨樹が二本ある。一つは樹齢700年とも云われるカヤの巨木、もう一つはカヤより若干は小さいが幹廻り4.2m、高さ20mのイチョウ(銀杏)の木だ。今日見るとこの銀杏の巨木に無数のギンナンの実がなっている。巨大な一本のイチョウの木に何千、何万個の実がつくこと自体、自然の驚異を目の当たりにする思いがする。「今日の写真」にはこのイチョウの木とギンナンのアップ写真を掲載した。・・「青空に指で字をかく秋の暮」・「御仏の外の石さへ秋の暮」(小林一茶)
  2009-09-20

9月21日(月) <作陶展・・・>
作陶展が始まった(案内=ここ)。今日から三日間、陶芸教室の仲間の作品が展示される。ほぼ二年に一回開催される作陶展は色々な意味で刺激的である。まず普段は自分の作品以外きっちりした形で完成品をみるチャンスがないところで作陶展では仲間の作品をじっくり鑑賞できる。実際に作品を手にとって(=できる場合は)詳細に観察すると作者の思いがじわじわと伝わってくる。上手、下手ではなく、また好みが同じとか違うという話ではなく自分がやりたいからやったという意志が明瞭に現れるのに何よりも刺激を受ける。次に、お客様、第三者に作品をみていただく刺激も特別である。制作者でない人の目は存外に厳しい。制作上の言い訳はきかない、ただそこにある作品という結果が全てである。そして教室仲間と交流できるのも作陶展が数少ない機会の一つとなる。今朝は9時過ぎから展示のための準備をして、その後終日会場につめていた。今日からの三日間これらの刺激を楽しみたい。

9月22日(火) <ピン・クッションという花・・・>
ピン・クッションという花の名を覚えた。今開催中の作陶展では多くの花器が展示されているが中には花器に生花を活けてあるものもある。ヒガンバナを丸めたような真っ赤な花があるので名を聞くと「ピン・クッション」だと教えてくれた。PinCushonとは「針刺し」である。名前の通り多数の針状の雄しべが突出したこの花は南アフリカ原産の熱帯植物ときけばなるほどと納得する。花言葉は「どこでも成功を」とか「共に栄える」。・・こんな花の名を覚えるだけでなく作陶展会場では仲間の作品をみながら次に自分で制作する作品を考え続けていた。決して他人と同じものは作らない、けれどもいいところは参考にしたい。お互いに良い影響を与え合うのが一番いい関係なのだろう。それこそ「共に栄え、共に成功を」だ。少しインスピレーションが湧いてきた・・。
2009-09-22「ピン・クッション」

9月23日(水) <「今日の表紙」が入れ替わらない・・・>
「今日の表紙」が入れ替わらないのが気にかかる。新しい作品がないからである。・・今日の夕方、作陶展が終了した。片付けを終えた後、仲間で開いた”ご苦労さん会”では、皆に無事に終わったことの安堵感とそれぞれの満足感が見て取れた。私自身もやはり気が抜けたような感じになっている。作陶展のような来訪者への発表、展示の行事があるとホームページで紹介する「作品」ができないのは不本意であるがこれが現実である。一休みして心機一転、新たなスタートを切りたいところ。久しぶりに絵も描いてみたい心境になった。「今日の作品」がいつ掲載できるか。気楽に自分の成り行きを見守りたい・・。

9月24日(木) <ガラクタか遺産かの分かれ道・・・>
ガラクタか遺産かの分かれ道は何だろう。恐らくは偶然が左右するのでないか。ガラクタ(造形物、絵画、書画、その他諸々)の中からキラリと光る宝物を見つける人が遺産をつくる。現在の世界遺産(文化遺産)689件にしてもたまたま歴史の中に埋まっていた廃墟が評価されたものも数多い。発見されなければただのガラクタ。遺産となった建造物の何倍もが見えぬ所に埋もれているに違いない。人類のやってきたことの大部分は歴史の中に埋没し、極めて運の良いものだけが表に現れている。・・こんなことを考えたのは、今回の作陶展に来た80歳になる知人が”陶芸品がいっぱい残ると死んだ後の処分に困るだろう”と心配してくれたからである。この人は父母が亡くなったとたんにアルバムを全て破り捨てて他の弟妹から顰蹙を買ったので、今は自分のアルバムを自分で処分している整理や掃除が何より好きな御仁(インターネットとは無縁と思うのでこんなことが書ける)。確かに「作品」といっても思いこみがなければゴミやガラクタと変わらない。ゴッホの絵はゴッホが亡くなった時にはガラクタ同然に部屋に散乱していた。別に自分の作品を遺産と思うほど傲慢ではないが、ガラクタと決めつける人に見られるのは不運である。死んだ後の処分まで考えて生きたくはない。

9月25日(金) <久しぶりに国立新美術館・・・>
久しぶりに国立新美術館にいった。新創作展の招待券をいただいたのであるが、絵画、彫刻、スペースデザインの各部門の作品が国立新美術館の1階から3階までの会場に展示されており一通り見るだけでもかなりの時間を要した。新制作の会員数は絵画、彫刻、スペースデザイン部門を合わせて約240名、もちろん余程の技量がなければ会員にはなれない。同じような美術グループが日本にいくつあるのか知らないが、日展、院展、二科展、創画会展など名前が直ぐ思い浮かぶ展覧会だけでも数が多いから、全国ではものすごい数の人たちが美術の秋に作品を展示することだろう。私は展覧会で幅が数メートルにも及ぶ巨大な絵画やクレーンで運搬する重い彫刻が当然のように並んでいる姿をみる度に日本の豊かさを思う。ダヴィンチやミケランジェロが貴族の注文で描いた巨大絵画を現代の日本では公募展に出展するために自らの費用で描く。それにしても人間が創作し、表現するために費やすエネルギーは信じられないほど大きい。金儲けにはなりそうもない創造に命をかけるごとき情熱には圧倒されるばかりである。
「今日の表紙」に「mieuへの絵手紙・バベルの塔」(ペン&水彩)を掲載した。孫娘、mieuへの絵手紙を復活させようと手始めに色遊びをした。こちらの”美術の秋”はミニチュアだ。マイペースでやるしかない・・。


9月26日(土) <意地悪な競技・・・>
意地悪な競技にしないようにテニスをプレーするのは難しいものである。以前、テニスを長年続けてきたベテランプレーヤーが意地悪な競技が嫌になったと転向した例を知っている。”意地悪”は表現上の言葉であるが、要は相手が捕り難い場所にボールを集めたり、打ち難いボールを出したり、ミスを誘う駆け引きをいうのだろう。そこでなるだけ「意地悪」をしないプレーを心がけるがそう簡単ではない。相手がある競技はテニスに限らず「格闘」の要素を持つ。格闘は相手の弱点を突かなければ勝負に敗れる。負けるつもりで相手に"優しく”するのも不自然である。普通の人は同情とか手抜きをされるのを嫌悪する。考えてみると、ゴルフやボーリングは確かに意地悪競技ではなく自分のベストを尽くした結果を競う。しかしまた相手のミスを喜ぶという嫌な側面があるのも確かである。スポーツ競技はフェアプレーの下に闘争本能を満足させるものであって所詮”みんな同じ”とはいかない。結論:スポーツの秋には理屈を言わずにただ無心にプレーを楽しむに限る・・。
9月27日(日) <10年前の自分の絵・・・>
10年前の自分の絵をみていささかショックを受けた。絵はがきサイズの用紙に描いた小さな絵であるが整理の途中で見つけたとたんに生気が感じられた。自分の描いた絵に対してこういうことをいうのもおかしいが、未熟であっても雑念がなくていかにも楽しんで絵を描いた雰囲気がにじみ出ている<10年前の絵もこのホームページに取り込んでいる。例えば=ここ、あるいは=ここ>。この頃は30分でも1時間でも時間があれば身の回りの小物を描いた。テーマを考えたり、表現法を悩む余裕などない。他人にどう見せようなどと意識することもない。描く喜びの中に緊張感があった。今はその気になれば時間はあるはずだが描く機会は減っている。上達したなどど慢心してはならない、描く喜び・緊張感はどうしたか。この際、世阿弥の教えを書き出して自省しよう:「是非の初心を忘るべからず。時々の初心を忘るべからず。老後の初心を忘るべからず」。「命には終わりあり、絵や陶芸には果てあるべからず」か。

9月28日(月) <与謝蕪村の本姓・・・>
与謝蕪村の本姓は谷口、あるいは谷、名は信章、通称寅であったと聞くと俄然親しみが湧く。谷口寅さんであったのだ。蕪村は芭蕉、一茶と並んで江戸俳諧を代表する俳人であるが私がもう一つ親しみを覚えるのは画家としてもいい絵を残しているところ。絵画に俳句を添える様式を開発したのは蕪村だが双方を高いグレードで実践するのは容易ではない。更に蕪村は1716年生まれ1784年没で68歳の生涯であった。これはたまたま今の私の年齢と同じだ。蕪村の俳句集をみていると52歳の頃の作でこんな句があった:「父母のことのみおもふ秋の暮」。今の私には次の句の方が共感する:「去年よりまたさびしひぞ秋の暮」、「門を出れば(いずれば)我も行人(ゆくひと)秋のくれ」。
「今日の表紙」に「mieuへの絵手紙・東京風景/青葉台」(ペン&水彩)を掲載した。孫娘mieuへの絵手紙を復活させることにしたので、何でも好きに描いて絵はがきにしている。


9月29日(火) <低周波の音・・・>
低周波の音が問題になっている。最近数が増えている風力発電や省エネ型給湯器から発生する低周波音が人体に異常を来すのである。始末が悪いのは低周波音に対する"感度”は人によって非常にバラツキが多いこと。普通の人が音として感知できないため取締の規則もないし、体調不良などを引き起こすメカニズムもはっきりしていない。人の耳で感知できる音の周波数は一般には20〜20000HZとされるが、年齢や人によって大きな差があり、私などは100〜8000HZの音が聞こえるかどうか。昔からボイラーを稼働すると炎のだす低周波の音がはるか彼方の人家の障子を共鳴させてガタガタ音をさせるというトラブルはあったが最近は人の健康にも作用することが分かってきた。それにしても人間の身体は耳では聞こえなくても低周波の音波を感じている。聞こえない低周波の音は人工的な音だけではない。自然の超低周波の音、地球の回転によって発生している諸々の音などが微妙に気分を左右していることもあるのだろうか。人体のセンサーはまだまだ未解明の分野にみえる。

9月30日(水) <伝統工芸とは・・・>
伝統工芸とは近寄りがたい分野だと複雑な心境になった。いま三越本店(日本橋)で開催されている「日本伝統工芸展」(10月4日まで、案内=ここ)を見ての感想である。もちろん、優れた工芸品(陶芸、漆芸、金工、木竹工、染織など)を見るのは楽しい。けれども何百点もの工芸品を見回っているうちに、余りに完璧を極めようとする真面目さ、膨大な時間を費やして造り上げた労苦の跡、決して羽目を外したり、既成の価値観を破る気配も見せない慎重さが重すぎてくたびれてくる。日本の伝統工芸はそれでも伝統をベースとして現代的な感覚で新しい要素を組み込んで創作できるが、欧米ではtraditiionalartというのは現代要素を含まない文字通りの伝統品だという。その意味では日本の伝統工芸はまだ現代の制作者の創造の余地がある。伝統とは何かを考えると昔の日本では(どの国でも同じだろうが)時の権力者や貴族のお気に入りの品をつくるのが制作者の役割であって、工芸品の基本は豪華絢爛、これだけ手間暇かけてますといえる最高級品でなければならない。自由奔放な制作など許されないのが伝統であろう。ところが現代は鑑賞するのは殿様ではない一般人である。伝統技法をマスターした人のもっと型破りなモダンアートとしての工芸(クラフト)が見たい。

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